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第73回 他と自分を比較して羨ましく思うな。 羨ましいという思いは、いずれ妬みになる。 他を羨ましく思うのなら、自分を磨けばいいのだ。 |
「あぁ、いいなぁ・・・・。あんなに生き生きとしている。それに引き換え俺は・・・・。はぁ・・・。」 ラクーシャは、大きなため息をついた。コーサラ国の郊外では、その街は比較的大きな街だった。街道が整っていたので、人の集まりも多く活気があり、商業は特に発展をしていた。その街は、いつも人手不足であった。 「あんなに明るく働きたいな・・・・。でもな、俺は何をやってもダメだから・・・・。」 また大きなため息をついて、ラクーシャは街を横目に通り過ぎようとしていた。その日、彼は母親に言われ、知り合いの家に届けものをする途中であった。街の明るい様子を見ながら、彼はとぼとぼと歩いていたのだ。 ラクーシャは、階級差の厳しい当時のインドにおいては、ごく普通の家庭に生まれた。父親は貿易を営む豪商の店で働いており、母親は家事の合間に裁縫の仕事をしていた。特に何か不自由であったわけではないが、特に裕福でもない、そうしたありふれた家庭に育ったのだ。なにが悪いわけではなった。なにか家庭に問題があるわけではなった。しかし、困ったことにラクーシャは、長じてもなかなか仕事が安定しなかった。 ラクーシャは、おとなしい性格の青年であった。外見的には特に見劣りするわけでもなく、ごく普通の青年であった。そんなに目立つわけでもなく、かといって悪い人間でもない、どこにでもいる青年であった。ただ、仕事だけが安定しなかったのである。 家に戻ったラクーシャは、 「明日から働きに出るよ。」 と母親に告げた。もちろん、母親はこれを聞いて、大いに喜んだ。 翌日のこと、ラクーシャは職を探しに街に出た。活気のある街だけに、ラクーシャの仕事はすぐに決まった。その帰り道、街の中をブラブラ歩いていたラクーシャは、幼馴染みに出会った。 「おい、ラクーシャじゃないか。久しぶりだな、なにやってるんだ?。」 「あぁ、いや、仕事をね・・・決めてきたんだ。」 「あぁ、そうか、また職を変わったのか。お前も今度は落ち着けよ。」 「あぁ・・・。君は?。」 「俺?、ずーっと同じさ。ここでじゅうたんを売っているんだ。最近じゃ、仕入れもやらさせてもらえるようになった。やっとこさ、じゅうたんの善し悪しがわかるようになってきたんだよ。長かったなぁ・・・三年かかったな。」 「ふ〜ん、そんなもんなのか。でも、いいよなぁ・・・。じゃあ、そのうちに店を任されるようになるんだな。」 「まあね、このまま順調に行けば、な。」 「ふ〜ん、それはよかった・・・・。あ、じゃあ、元気でね。」 ラクーシャは、そそくさとその場を立ち去った。 (いいよなぁ、もうすぐ店をもてるのか・・・。それに引き換え俺は・・・・ダメだなぁ・・・・。あぁ〜あ、つまらないなぁ・・・。) うつむき加減で歩いていると、後ろから声をかけられた。 「おいラクーシャ、ラクーシャだろ?。なんだ、今日は仕事は休みなのか?。」 ラクーシャが振り向くと、そこには別の幼馴染みの顔があった。 「あ、あぁ、久しぶり。仕事は・・・・今、決めてきたんだ。」 「なんだ、また変わったのか。今度はなんだ?。」 「う、うん、まあ、その・・・店番のようなものだな。」 「ふ〜ん、そっか、まあ、頑張れよ。今度こそ続けろよ。今までいったいいくつ職を変えたんだ?。」 「う〜ん・・・、そうだなぁ・・・・。いくつだろ・・・・。」 「おいおいおい、大丈夫か。・・・・そうだな、俺が知ってるだけで・・・・これで6回目じゃなかったか。」 「あぁ、そうかな。そんなものかな。・・・・・い、急いでるんじゃないのか?。いいのか、道草食って。」 「あぁ、少しくらいならな。これから、ほらあそこの豪商の家に行くんだ。何でもまた家を増築するとかでさ。今回は、俺が腕を振るうことになったんだ。」 「へぇ、そっか・・・・すごいな。いいなぁ、もう立派な棟梁だな。」 「いやいやいや、まだまだだよ。今回が初めてだし、大きな増築じゃないし。だから俺に任されたんだろう。ま、ここまでなるのに下積みが大変だったけどね。5年・・・・くらいかかったかなぁ。よく辛抱したよ。」 「そうか、そうだね。じゃあ、俺、行くよ。邪魔しちゃ悪いし・・・。」 そういうと、ラクーシャはさらに肩を落として歩き始めた。 (ちぇ、みんないいなぁ。どんどん先へ行っちゃって・・・・。それに比べて俺は・・・・なにをしてるんだ、俺。あぁ〜あ、つまんねぇ、くっそ〜、面白くないなぁ・・・。) その後も、家に戻るまで、数人の幼馴染みに出会った。家に戻ったときには、ラクーシャはすっかり意気消沈していた。しかし、心の中では言いようのない怒りが沸々とわいていたのだった。 (あぁ〜、面白くねぇ!。くっそ、どいつもこいつも自慢ばかりしやがって!。なんでぇークソが!。俺だって、ちゃんと真面目にやってりゃあ、お前らくらいになったさ。ふん、なにが店を任されるだ、なにが棟梁だ、なにが料理長だ、なにが宮廷に出入りだ、なにがのれんわけだ、なにが貿易商だ、なにが、なにが、なにが・・・・クソ〜どいつもこいつも、面白くねぇ・・・。) その日、ラクーシャはなかなか寝付けなった。 母親は、意気消沈して帰ってきたラクーシャを見て、仕事に行くのかどうか心配していたが、ラクーシャは翌日から仕事には出かけた。翌日も、その翌日も、なんとか真面目にいっているようだった。その姿を見て、両親は安心していた。そして、今度こそ、長続きするように祈ったのだった。 そんなある日、ラクーシャの幼馴染みが働いているじゅうたん屋で揉め事が起きた。幼馴染みが仕入れたじゅうたんに傷がついていたのだ。 「おかしいな、仕入れたときはこんな傷はなかったのに・・・・。」 「バカいうんじゃない。こんな傷を見落とすとは・・・。うちは大損じゃないか。しばらくは給料なしだ!。わかったな!。」 幼馴染みはこっぴどく叱られていた。 それからしばらくたったある日のこと、増築中だった街一番の豪商の家から火が出た。その火は増築部分からでたのだ。火はすぐに消され、大事には至らなかったが、仕事をしていたラクーシャの幼馴染みは信用を失った。彼の火の不始末が原因で火が出た、とされたからだ。 「お前にはもう頼まない。別の大工に頼むことにした。」 大きな仕事を失ったラクーシャの幼馴染みは、肩を落としてトボトボと豪邸を去っていった。 その後も、街では変わった揉め事が続いた。一つ一つは小さな揉め事だった。ある食堂の新米料理長が恐ろしくまずいものを出したとか、のれんわけされたばかりの店で不良品を出したとか、新しく宮廷に出入りし始めた青年が宮廷の悪口を言いふらしているとか、ある貿易商でニセモノの宝石を売っていたとか、といったものだった。しかし、その小さな揉め事の犠牲になったものたちには共通点があったのだ。それに気付いたものがいた。そのものは、すぐに他の犠牲者たちに連絡を取った。彼らは集まって話し合った。 「おかしいと思わないか。このところ続いた失敗や噂話で犠牲になったのは、俺たちみんな知り合いばかりだ。」 「そういえば・・・・そうだな。いったいどういうことだ。」 「何かあるのか?。俺たちに共通していること?。」 「う〜ん、わからん。そういえば、このところ小さな事件みたいなことはないよな。火事もないし、ニセモノ騒ぎもない。」 「変な噂話もないよ、俺が宮廷への出入りを禁止されてからな。」 「うん、そうそう。俺もじゅうたんの仕入れを表立ってやらなくなってから、じゅうたんに傷物は出てきてない。」 「俺が料理長を辞めさせれてからは、うちの店も揉め事はないよ。」 「ということは、我々を狙ったことなのか?。でも、どうして、誰が?。」 「誰かに出会ったとか?。・・・・あぁ、そういえば、ラクーシャに会ったな・・・。」 「えっ、いつ?。」 「この間だよ。アイツが仕事を決めた日だ。そういえば、アイツには被害がないな・・・・。」 「俺も会ったぞ、その日、ラクーシャに。」 そこに集まった全員が同じ日にラクーシャに出会っていたのだった。 「あっ、じゃあ、まさか・・・・。」 「アイツが嫌がらせを?、まさか、ラクーシャは気が小さいからそんなことは・・・。」 「でも、アイツだけ何も被害を受けていない。まあ、俺らみたいに登り調子、ってわけじゃないけどな。」 「うんうん、そうなんだ。俺らに共通していることは、ラクーシャに出会ったこと。上り調子で、これからだ!ってこと。それをラクーシャに話したこと・・・・・。」 「決まりだ。締め上げよう。こっちは仕事を失っているんだ。なんせ、出火だぜ!。」 こうして話がまとまり、彼らはラクーシャの家を訪ね、ラクーシャを外へ連れ出した。 「お、俺は知らないよ、な、なんのことだ・・・・。」 「とぼけるな!。お前がやったことはわかっているんだ。白状しろよ。じゃないと、警備兵のところへ連れて行くぞ。」 「し、知らないよ、俺は何にも知らないよ・・・。」 ラクーシャは泣き出していた。その光景は、傍から見ると、集団でラクーシャだけを苛めているように見えた。 「いったい何をしているのですか?。」 たまたまそこを通りかかった修行僧がいた。托鉢の帰りのアッサジだった。 「何を揉めているのか知らないですが、集団で一人を責めるのは、あまり誉められたことではないですよ。もし、よろしければお話をお聞きしますよ。」 「いや、苛めているわけじゃないですよ。俺たちは、コイツのしでかしたことで職を失いそうになったり、折角手に入れた地位や仕事をなくしたりしたんですよ。だから、こいつのやったことを白状させようとして・・・・。」 「お、俺は知らない、何もやってない!。何のことかさっぱりわからない。」 「ウソをつくなよラクーシャ。お前のせいで、俺たちは大変な目に遭ったんだ。正直に言えよ!。」 「まあまあまあ、ちょっと待ちなさい。」 そういって集団の中に割り込んだアッサジは、ラクーシャを見てすぐに気付いた。 (この者はうそを言っている。あぁ、心が歪んでしまっているな・・・・。これは、お釈迦様のもとに連れて行ったほうがよかろう。私一人の力では、この者の心の歪みを治すことは無理だな・・・・。) 「どうですか、お釈迦様のもとで話し合いをしませんか?。そのほうがハッキリするでしょう。」 アッサジの提案にラクーシャを取り囲んでいた者たちは肯いた。ラクーシャ一人がもじもじしていた。ラクーシャもお釈迦様の神通力のすごさは聞いていたからだ。 「さぁ、いこうぜラクーシャ。ウソはついていないんだろ。なら、いいじゃないか。堂々としていろよ。」 そういわれ、仕方がなくラクーシャはお釈迦様のもとへ行くことになったのだ。 お釈迦様の正面にラクーシャは座った。その後ろに横一列になって、被害にあった幼馴染みたちが座った。アッサジがお釈迦様とラクーシャたちの横側に座り、いきさつを話した。お釈迦様は一つ肯くと 「私は常々いっているが、ウソはいけない。あなたたちが幸福になるためには、暴力を振るわないこと、盗まないこと、邪淫を犯さないこと、ウソをつかないこと、酒を飲まないこと、この五つの戒を守ることが大事だ。さぁ、ラクーシャ、素直に本当のことを言いなさい。」 お釈迦様の声は、重々しくその場に響いていた。 「やっぱりウソをついていたのか!。早く本当のことを言え、言えよ、ラクーシャ!。」 後ろに座っていた幼馴染みたちが叫んだ。 「まあ、待ちなさい。あわてるでない。ラクーシャがしゃべれなくなる。今は、ラクーシャが語ることを待とうではないか。さぁ、ラクーシャ、黙っていては始まらない。本当のことを言いなさい。」 沈黙が続いた。いつの間にか、真上にあった日が傾き始めていた。 「早く言えよ!。」 黙り続けているラクーシャに腹が立ち始めた幼馴染みたちは、我慢しきれなくなり、騒ぎ始めた。 「静かにせよ、待てというのに・・・・。ラクーシャ、汝が黙り続けていては何にもならない。話すがよい。自らの力で話すがよい。私が神通力を使って語らせても、意味がないのだ。自らの力で話すことが大事なのだよ。」 お釈迦様のこの言葉に、ラクーシャの目から涙が落ち始めたのだった。 「お、お、俺は・・・・とんでもないことをしてしまいました。ご、ごめんなさい・・・・。許してください・・・・。」 そういうと、ラクーシャは泣き崩れたのだった。 しばらく泣き続けたラクーシャは、ようやく落ち着いて話を始めた。 「羨ましかったんです。みんなが羨ましかったんです。自分だけが取り残されたような気がして・・・・。実際、取り残されていたんですけど・・・・。俺だけが、惨めで・・・・・。みんなが輝いて見えるのが許せなかった。みんな活き活きとしているのが、許せなかった。俺だけが惨めで、暗くて・・・・・。昔からの友達だったあいつらが、どんどん出世して行くのが疎ましくて・・・・。許せなかった。誰も俺に優しい言葉なんかかけてくれなかった。 『お前が悪いんだろ、職をころころ変えるからさ・・・・。』 その通りですよ。そういわれれば何も言い返せません。 『俺だってここまでなるには苦労したぜ。何年もな・・・・。苦労しなきゃ手に入れられないって、よくわかったよ。』 それもその通りだと思う。わかってはいるんだ。俺が悪いんだ。でも、許せないんだ。面白くないんだ。どいつもこいつも自慢ばかりしやがって!。俺の惨めな姿を見て笑っているんだ。バカなヤツってな。根性なしってな。つまらない人間だって!。わかってるさ。俺は惨めな、ダメな人間だ。何をやってもダメな人間だ。お前らに比べたら、俺は虫けらみたいなもんだ。わかってるさ。悪いのは俺だって。でも・・・・。 羨ましかったんだ。お前らみたいになりたかったんだ。でもなれないんだ。だから・・・・。お前らを俺と同じようにするには、お前らを落とすしかないだろ。 あぁ・・・・、とんでもないことをしてしまった。やってしまってから、毎日ビクビクしていた。いつか誰かが気づくんじゃないかって・・・・。人を陥れるって、こんなにも嫌な気分にさせるものだって・・・・。毎日が、つらかった・・・。」 話し終えると、ラクーシャは再び泣き崩れたのであった。誰もが口にする言葉がなく、黙ってラクーシャを見つめていた。 「け、結局、悪いのは自分じゃないか。何も、俺たちと比べることはないんだ。出遅れたからといって、俺たちと同じようになる必要もないし。自分は自分の道を行けばいいことじゃないか。」 そう言ったのは、増築仕事を失ったものだった。その者に、お釈迦様は尋ねた。 「あなたは、他人を羨ましい、と思ったことはないかな?。」 「そりゃあ、ありますよ。何年たっても、いつも見習い大工扱いで、俺よりも腕が悪いのに、俺よりも上ってヤツがいたし、一緒に働き始めたヤツで俺よりも早く出世していったヤツもいたし・・・。羨ましいと思いましたし、汚い、ズルイ、なんてことも思いました。俺だけが何で?、とも思いました。」 「そんなときは、どうしたね?。あなたより早く出世した者の足を引っ張ろうと考えたかね?。」 「いいえ・・・・。そりゃあ、あんなヤツ失敗すればいいのに、と思ったことはありますが・・・。でも、所詮、自分の腕が問題ですから。大工で出世しようと思うなら、自分の腕を磨くしかないと思いました。」 「他の者はどうだね?。羨ましいと思ったかね?。」 その問いに、誰もが 「羨ましいと思った。自分ばかり損をしていると思った。」 と答えた。また、自分より前に進んでいる者に対し、蹴落としてやりたいと思ったが、実行できなかった、とも答えた。 「結局は、自分が頑張るしかないですから。人のことをとやかく言ってもどうにもなりませんから・・・。」 と、声をそろえて答えたのだった。 「どうだラクーシャ。今の言葉を聞いてどう思う?。みんな汝と同じなんだ。誰もが、己と他を比較して羨ましいと思うのだ。そして、羨ましいと思った相手が、落ちてしまう、失敗してしまうことを望むものなのだ。しかし、そこで気付くのだよ。 『他人の失敗を望むよりも、自分が追いつけばいいのだ、自分を磨けばいいのだ』 とね。 ところが、たまに汝のような者がいる。羨みの心が、妬みの心へと変わっていってしまう者が。」 「妬みの心・・・・?。」 ラクーシャは、泣き顔をあげてつぶやいた。 「そう、妬みの心だ。汝の心は、妬みでいっぱいになっていた。他を妬む気持ちでいっぱいだったのだ。」 「妬みでいっぱい・・・・。はい、まさにその通りです。俺は妬んでいました。彼らを妬んでいました。」 「どうだったね?。妬んでみていいことはあったかね?。」 「ありませんでした。何もいいことはありませんでした。妬んでやったことは、結局、気持ち悪いことでした。後悔しました。あんなことするんじゃなかったと、そればかり思っていました。毎日が苦痛でした・・・・。今になってわかります。あんなことするんじゃなかった・・・・と。」 「よく気がついた。妬みからは何もいいことは生まれない。むしろ、心がすさみ、自分自身を不幸にするだけなのだ。他の者もよく聞くがよい。」 いつの間にか、お釈迦様の前には、多くのものが話を聞きに集まっていた。 「他と自分を比較して羨ましく思うな。羨みの心は、やがて妬みへと変化していく。妬みからは不幸しか生まれないのだ。他と比較などせずに、己は己の道を行けばいいのだ。 どうしても他を羨ましく思ってしまうなら、その相手に追いつくように、自分を磨くことだ。他を羨むのなら、その者を目標として、コツコツ己を磨くことなのだ。何年もかけて・・・・。自分の何がいけないのか、どうして追いつけないのか、それをよく考え、己をよく見つめて、努力することである。焦らず、無理せず、一歩一歩、自分の配分で努力することである。」 お釈迦様の言葉に、皆が肯いたのであった。 その後、ラクーシャはアッサジに付き添われ、迷惑をかけた店などに謝罪に行った。幼馴染みたちは、誤解が解けて、失った地位や職、仕事を取り戻した。 ラクーシャも晴れ晴れとした顔をして、 「自分は、自分の道を進みます。焦らず、無理せず、自分の力で進みます。他を妬まず、自分を磨きます。」 と誓って、家に戻ったのだった。 羨ましい、と思う気持ちは誰にでもあることです。 「いいなぁあの人は・・・・。」 「いいなぁ、あんな大きな家に住めて。」 「いいなぁ、みんなからちやほやされて。」 「いいなぁ、あんなにきれいで。」 「いいなぁ」と思うことは、たくさんあるのではないでしょうか。 私もたまに言われます。 「いいですね、和尚さん。悩みなんかなくって。羨ましいな。」 「みんなから頼りにされていいですよね。羨ましいです、そういう立場。」 「いいですよね、和尚さんのところは何でも順風満帆でしょ。羨ましいな。」 まったく、勘違いもはなはだしいですね。 まず、悩みがないかといえば、そうでもありません。悩むことはあります。というよりも、考えることは多々あります。悩むのではなく、考える、のですね。確かに、悩んではいません。考えてはいます。 人に頼りにされるのは、実は大変です。それだけ責任を負うことになりますから。私の言葉一つで、大きく人生を変えてしまう方もいますから、責任は重大です。決して羨ましいと思われる立場ではありません。代わってくれる人がいるなら、代わってもいいです。 でも、そういと、みんな逃げてしまいますけどね。まずは、修行をしなきゃいけないし、欲望をコントロールすることを覚えなきゃいけないし、なによりも自分を律しなければなりません。決していい立場、羨ましがられる立場じゃないですよ。それでも、羨ましい、と思う方がいるのなら、どうぞ交代してあげましょう。 順風満帆・・・・ということもありません。結構苦労しています。苦労しなきゃ、人に話なんてできません。 他人は、勝手なんですよ。何年もかけて手に入れた立場や地位を簡単に手に入れたと思うものなのです。そんなに簡単に成功するなんてあり得ないんですけどね。苦労したところは見ないんですよ。絶え間ない努力、思考といったことは、見ないんですね。表面しか見ていないんです。で、羨んだりしているのです。 他を羨ましい、と思うのなら、その人のマネをしてみればいいのです。どうやってそこまで上りつめたか、どうやってその立場を手に入れたか、同じように努力してみればいいのです。 その努力もせずに、ただ羨ましいと思うのはいけません。努力もせずに、羨むのはダメですね。 羨みの心は、やがて妬みへと変化していきます。妬みは、怨みへと変わっていきます。そこまで行けば、その方は、正常じゃいられなくなります。羨みの相手に対し、意地悪をしたり悪口をいったりするようになります。あげくの果てには、犯罪まで発展することもありましょう。妬みから、近所で揉めることもありますからね。 妬まれる方はたまったものじゃありません。何にも悪いことしていないのに、意地悪の対象になるのですからね。 羨ましいとは、心の裏側が疚しいことになる、ことです。 羨みとは、心の裏側が病むことです。 心が病まないように、羨ましいと思うことはやめましょう。どうしても、羨ましい、と思うのなら、その対象者に追いつけるよう、追い越せるよう、自分を磨くことです。 他人を羨んでもろくなことにはなりません。心が病まないように注意しましょうね。 合掌。 |
第74回 生きていること自体が修行なのだ。 ただ、その自覚がないから迷い苦しむのである。 生きることが修行と思えば、乗り越えることもできよう。 |
今日もガーナーは、通いなれた道を歩いていた。ため息を吐きながら・・・・。 「はぁ・・・。なんだか、面倒だな。この道を行くのも・・・・。」 ガーナーは、コーサラ国の首都シュラーバスティーの政治を司る官吏であった。今で言う官僚である。しかも、その年に入って、一つの課の長を務めることとなった。長といっても、入ってきた苦情の処理と、やるべき仕事を割り振りする役割なので、一人では荷が重かった。さらには、彼の上には、もう一人上司がいる。それがガーナーには負担だったのだ。 「あぁあ、出世したのはいいけど、俺には荷が重いなぁ・・・・。」 彼が所属した課は、城の管理をする部署である。やれ、城壁に穴が開いた、廊下の壁が崩れた、池の水が洩れている・・・・。彼の課に持ち込まれた用件は後を絶たない。毎日のように仕事が廻ってくるのだ。彼一人では、処理ができなかった。 「あぁあ、もう一人優秀なものが欲しいな。俺一人じゃあ・・・・。今日も上司に怒られるんだろうな。いいよなぁ上のものは、偉そうな態度で文句ばかり言ってればいいんだから。『仕事が遅い、早くしろ。苦情が来ているぞ、何やってる。手が遅い、いつまでかかっている。要領が悪いのだ。そんなことでは俺の顔が潰れるだろ・・・・』。そんなにうまくできるか、ってーの。部下は部下で動かないし。舐めくさりやがって。中間に立たされた俺は・・・・つらいなぁ・・・・。」 そんなグチばかりの日々がこのところ続いていたのだった。 結局その日も上司からは怒鳴られ、部下からは嘲笑を受け、散々な日だった。家に戻ったとたん、ガーナーは、妻に叫んだ。 「もう行かない。俺は仕事をやめる。このままでは気が狂いそうだ。もう嫌だ。ガマンできないぞ〜。いいな、いいな、俺は仕事をやめるぞー!。」 「あなた、じゃあ、明日からの生活はどうするのですか?。子供もいるんですよ。せっかく出世したのに・・・・。ほんのちょっとの辛抱でしょ。みんな誰もが通る道じゃないの。ガマンしてください。私たちの生活がかかっているのよ。」 「お前はそんなことを言うけど、そう簡単なことじゃないんだぞ。上司は文句ばかり言う、部下は働かない。どいつもこいつもバカにしやがって・・・・。もう嫌なんだ。仕事に行きたくないんだよ。俺にはあわないんだ、この仕事。」 「何いってるんですか。もう何年、今の仕事をやってるんですか。20年にもなるんですよ。合ってないって、今更何を言うんですか。出世して給料も上がったし、いいじゃないですか。ガマンしてください。」 「わかったよ。ガマンればいいんだろ。仕方がない、生活のためだ・・・・。それにしても・・・・逃げだしたい・・・。」 最後の方は、誰にも聞こえないくらいの小声になっていた。 「えっ、何か言いましたか?。」 「いや、なんでもないよ。なんでもない・・・・。」 ガーナーの声は力なく流れていった。 翌日のこと、ガーナーはシュラーバスティーとは逆の方に歩いていた。彼は、なんのあてもなくブラブラと歩いていた。大勢の人が通るところはあえて避けていた。知り合いには会いたくなかったのだ。脇道を右に曲がり、左に折れして、彷徨い続けたのだった。 やがて日が頭上に昇る頃になっていた。気がついたら、お城からは随分離れたところまで歩いてきていた。 「あぁ、いいのか、こんなことをしていて。ど、どうしよう、どうしよう。困ったぞ。俺はどうすればいいんだ・・・。」 ガーナーは、戻ることもできずにそこに立ち止まっていた。ふと見ると、若い修行僧が掃除をしていた。 「おや?。あぁ、ここは祇園精舎の入り口か。そうだ、お釈迦様に相談しようか・・・。でもなぁ・・・・。家族がいるのだから戻れって言われるだろうな・・・・。どうしようかな・・・。でも、あそこに飛び込めば、逃げられるのかも・・・・。」 ガーナーにとっては、祇園精舎の入り口は、極楽の入り口のように見え始めたのだった。彼は、思い切って掃除をしている修行僧にお釈迦様に相談したい、と告げた。修行僧は、 「どうぞ、お入りください。」 と彼を迎え入れてくれたのだった。 お釈迦様の前に出ると、ガーナーは 「お釈迦様、弟子にしてください。出家したいのです。」 と叫んでいたのだった。ここまで来たら、もう戻れないと思ったのである。いっそのこと、出家してしまえば、誰にも怒られない、そう思ったのだ。また、出家して修行すれば、自分も変われるとも思ったのだった。もう働かなくてもいい、とも思った。嫌なことすべてから解放される、そう思ったのだ。 「本当に出家したいのですか。修行は辛いですよ。」 お釈迦様は、静かに聞き返した。ガーナーは、 「もちろんです。今の生活を思えば、修行の方が・・・・。いや、修行して自分を変えたいのです。」 と答えていた。お釈迦様は、再度同じ事を尋ねた。ガーナーも同様に答えた。三度、お釈迦様は同じ事を質問した。ガーナーも、三度同じ事を答えた。 「よろしい、出家を認めよう。では、あなたの着ているものをこれに着替えなさい。」 そういってお釈迦様が差し出したものは、粗末な下穿き、上着、袈裟の三枚の布だった。 「こ、これだけですか?。で、この私の着ているものは・・・・。」 「あなたの身につけているものは、すべて切断され、袈裟などに生まれ変わります。」 「あぁ、そうですか。生まれ変わるんですね・・・。」 ガーナーが身につけていたものは、城に入るための衣裳であったから、高価なものであったのだ。ガーナーは、少し惜しい気もしたが、「生まれ変わる」という言葉に感動したのだった。 着替えを終えて、ガーナーは、修行者の仲間に入ったのであった。 ガーナーの出家生活は順調に始まったが、やがて彼の口からはグチがこぼれるようになっていた。 「あぁあ、食事はこれだけか。しかも托鉢なんで、料理がごちゃ混ぜになっている。煮物に焼き物が混ざってしまった。これじゃあ、味がおかしくなってしまうよな・・・。うえ、やっぱりまずい。耐えられないよな、このまずさ。」 その様子を見ていた長老が注意をした。 「ガーナーよ、食事は修行なのだ。味を感じてはいかん。食事は身体を維持するためだけのものなのだ。味わってはいけないのだ。また、托鉢で得たものに文句を言ってはいけない。量が少なくても不平を言ってはいけない。その量が己の徳の量なのだと思え。グチをこぼしてはいけない。修行にならんぞ。よいか、目で見えるもの、鼻でかぐにおい、耳で聞こえる音、舌で感じる味、身体で感じる感覚、心で思うこと、すべて空なのだ。こだわってはいかん。そもそも・・・・。」 (あぁ、まただ。わかってるって。何が言いたいのかよくわかっているさ。もう聞き飽きたよ。あぁあ、こんなことなら出家するんじゃなかった。仕事していた方がまだましだよ。美味しいものを食べられたし、こんなボロい袈裟を身につけなくてもよかったし・・・・。そういえば、俺の階級は割りと上の方だったから、威張ってお城を通ることができたなぁ・・・・。上司はうるさかったけど、部下は言うこきかなかったけど・・・・考えてみれば俺もヒラのときは言うこと聞かなかったし・・・・。出家生活なんていいことないな。悟れるわけじゃなし・・・・。) 「おい、聞いているのか、ガーナー。」 「はい?、あ、聞いてます。はい聞いてますよ。」 「お前、やる気ないな。還俗したらどうだ。そんなんじゃ、修行にならん。お釈迦様に相談するがいい。」 「還俗?ですか。なんですかそれ。」 「元の生活に戻るんじゃ。俗世間に帰るんじゃよ。」 「そんなこと許されるんですか。じゃあ、俺、そうします。今からお釈迦様の元に行きます。」 ガーナーは、急いでお釈迦様の元へと走っていった。 「もうそろそろ来ると思ってましたよ、ガーナー。」 お釈迦様は、微笑みながらそう言った。その言葉を聞き、ガーナーは、ホッとした。 「わかっていらしたのですね・・・・。」 「戻りたいのでしょう、元の生活に。」 「はい、戻りたいです。元の生活に戻りたいんです。妻の元に、あの家に帰りたいのです。戻れますか?。」 「ここを出て、家に戻ることはできよう。しかし、元の生活に戻ることは、もはやできまい。」 「えっ、戻れないんですか?。」 「当然であろう。汝はすべてを捨てて出家したのだ。元の職業にはもう戻れないであろう。家には帰ることはできるが、仕事には戻れぬ。捨てたのだからね。」 その言葉に、ガーナーは絶句した。当然といえば当然である。その仕事が嫌で、ここへ逃げ込んだのだから。すべてを捨てて逃げてきたのだから、元に戻れないのが当たり前である。 「と、当然ですよね。俺は、そんなことにも気がつかなかった・・・・。考えが及ばなかった・・・・。現実から逃げることだけを考えていた。俺は、逃げていただけなんですね・・・・。」 「そのとおりだ、ガーナー。あなたはすべてから逃げていただけだ。仕事から逃げ、上司から逃げ、部下から逃げ、家族から逃げ、現実から逃げたのだ。逃げて行き着いたところがここだ。ここにいれば何か変わることができるのではないか、自分を変えることができるのではないか、と安易に考えただけだ。」 「ところが、逃げたこの場所でも、変わることはできませんでした。修行すれば何とかなると思ったんですが・・・。」 「ガーナーよ。そもそも出家の動機が間違っているのだ。もちろん、汝のように、現実が嫌で、逃げ出してくるものも多々いる。現実から逃げ、出家すれば変わることができる、と考えてくるものもたくさんいる。しかしね、その多くは、修行の途中でまた逃げだすのだよ。よいか、ガーナー。いくら逃げても同じなのだ。現実での生活でも、出家し修行したところでも、辛さは変わらない。なぜか・・・・。生きていること自体が修行だからだ。 生きていること自体、修行なのだよ。だから、そこから逃げることはできないのだ。」 「死ねば逃げられるのではないですか・・・・?。」 「逃げられないのだ。生きるという修行から逃げて死を選んでも、地獄での修行が待っているだけだ。辛さは変わらない。いやむしろ、逃げ出した分、辛さは増えているであろう。 よいか、もう一度言う。生きていること自体、修行なのだ。ただ、そのことに汝らは気がついていないだけなのだ。生きていること自体修行である、と気がつけば、迷いも苦しみもなくなるものなのだ。そこから逃げようという思いもなくなるであろう。逃げて出家しても、辛さは同じなのだから。 生きることが修行と思えば、あえて不自由な出家生活を選ばなくてもよいのだよ。自由な在家の生活をしながら、その辛さを乗り越えていけばいいのだよ。そのほうが安易なのだ。 生きていることが辛いからといって、出家生活に場所を求めても、辛さは変わらない。むしろ、逃げ出した分だけ、余計に辛くなるだけなのだ。それよりも、生きること自体修行である、と自覚をすれば、在家生活をしながら修行ができよう。迷いも晴れよう、苦しみからも解放されよう。 大切なのは、生きていること自体、修行であると自覚することである。わかったかね、ガーナー。」 お釈迦様は、優しくガーナーに説き明かしたのであった。ガーナーは、 「私が心得違いをしていました。私は逃げることばかり考えていました。そうですね。生きること自体が修行だと心得れば、あえて出家などといって逃げ出すことはないですね。逃げることなく、果敢に立ち向かえば、迷うこともなくなりますね。迷わなければ、苦しみもなくなりましょう。生きることが修行だと自覚して、苦しみを乗り越えます。」 「そうだ、それでいい。一つ悟ったね。では、ここを真っ直ぐ進むがよい。現実に戻れるから。」 お釈迦様は、そういうと、一本の道を指差した。ガーナーは、その言葉に従い、一本道を歩いていった。彼は、覚悟していた。家には戻れるが、仕事は元通りにはならないことを。 「もう一回、初めからやり直しだな。ま、それでもいいや。修行なんだから・・・・。」 ガーナーは、そう自分に言い聞かせ、真っ直ぐに進んでいった・・・。 ふと気がつくと、ガーナーは、シュラーバスティーへ向かう途中の道端で座り込んでいた。 「な、なんだ・・・、俺は寝ていたのか?。ここは・・・。あれ?。あ、お城が目の前だ。あれ、まだ朝か?。」 「ガーナーさん、どうしたんですか?。遅刻しますよ。早く行きましょう。」 彼の部下が、声をかけてきた。 「そうか、俺は夢を見ていたのか。不思議な夢だったなぁ・・・。でもよかった。いい夢だった。あぁ、行こうか。今日もしっかり仕事をしてもらうぞ。仕事も修行だからな。」 「どうしたんですか?。今日は元気じゃないですか。いつも弱弱しそうな感じなのに・・・。」 「そうか、そんなことはないぞ。・・・そうだな、吹っ切れたのさ。生きることにね。」 「変なガーナーさんですね。でも、そのほうがいいですよ、明るくて・・・。」 「言ったな〜。あははは。」 ガーナーは笑いながら、ふと後ろを振り返った。そして、そっと手を合わせたのだった。その方向には、托鉢に来たお釈迦様の姿があった・・・・。 先日のこと、いつだったかは忘れましたが、ある新聞にこんなことが書いてありました。書いていたのは、とある仏教系の大学の学長さん・・・だったと思います。言葉はそのときの文章と全く同じではありません。こんなような内容だった、ということです。はじめにお断りいたしますね。 「出家しなくても修行できる、生活することが修行なのだ、という言葉をよく聞くが、それは本来の修行ではない。もし、一般の生活自体が修行ならば、ガマンを重ねているサラリーマンこそが覚りを得なければならないはずだ。サラリーマンが覚ったという話しは聞いたことがない。修行とは、そういうものではないのだ。出家して修行しなければ修行にはならないのである・・・・。」 とまあ、こんな内容だったと思います。言いたいことは、出家しなきゃ修行にはなりませんよ、ということですね。 もちろん、これは間違ってはいません。正しいことです。でも、全く正しいかといえば、そうではないと私は思います。私は、「生きていること自体、修行である」と思っていますから。 じゃあなぜ、ガマンを重ねているサラリーマンは覚れないのか・・・。それは、覚りが何たるか、修行が何たるか、を知らないからです。 修行とはどういうことを言うのでしょうか。 仏教の修行は、 「世の中は常に流れていて、変化している。永遠というものはない(諸行無常)ことを知り、なんにしても我が続く、我が存在し続けることはない(諸法無我)ことを知り、世の中は楽はなく苦が多い、むしろ苦の世界である(一切皆苦)であることを知り、そうしたことを受けいれ、こだわりなく執着なく、欲をコントロールし、流れに従って生きること」 です。これをなるべく簡単に得られるようにしたのが、出家して修行する方法なのですよ。 でもね、この修行内容、よく読んでみてください。これって、一般の社会でもできることじゃないですか?。 サラリーマンや社会で活躍している方は、様々な苦を抱えて生きています。ガマンすることばかりですよね。悩み苦しむことが多いでしょう。でも、それをガマンじゃなく、流せるようになればどうでしょうか?。 嫌な上司にいやみを言われても、 「あぁそうですねぇ。申し訳ないですぅ」 と流してしまう。怒られたことに腹を立てずに、 「ま、上司の言うこともわかるしね。たとえ、理不尽であっても、上司の立場もあるからねぇ・・・。」 と納得することができればどうでしょうか。そういうことができれば、一種の悟りともいえますよね。 部下が従わなくて、イライラしたときも 「今時の者はああかもね。よし、こちらがコントロールの方法を変えればいいのかも。」 と考え方を変えれば、悩むことも腹を立てることもないのではないでしょうか。これもできるようになれば、一種の悟りですよね。 通勤だってそうです。満員の苦しい電車に乗っていても、 「まあ、こういうものだから。腹立てても仕方がなかろう。この満員電車に耐えられるだけの身体があることに感謝感謝!。」 と思えば、何の苦もなくなるわけです。 悟りとは、苦のない世界のことをいいます。ちょっとした考え方の変化で苦はなくなるのですよ。そして、その考え方を変えるチャンスがあるのは、我々修行者よりも、社会に出ている方のほうが多いと思うのです。ということは、悟りのきっかけが多いということですよ。 出家修行者は、覚る環境にありますから、覚って当然なのですが、かえってそういう環境にあると、覚りがわからなくなるのですよ。各宗派の修行方法を実践したって覚れるわけじゃありませんし。むしろ、社会の苦を知っている方が、覚りに近いんですよね。 仏教学者さんは、社会の苦を知らないのか知らん・・・と思ってしまいます。覚りは、苦が深いものこそ得られやすいものです。得られないのは、苦が何か、覚りが何か、覚りへの修行とはいかなるものか、を知らないからです。それを知れば、一般社会で生活している方のほうが、覚りやすいのかもしれませんよ。 ちなみに、現実社会嫌で坊さんの世界に逃げ出したとしても、まず覚ることは無理でしょう。出てくるのは、グチだけですよ。そんなに甘くはありません。逃げからは何も生まれないのです。 合掌。 |
第75回 悟りとあきらめは、まったく違うものである。 悟りとは苦を楽に変えるものであり、 あきらめとは、苦を苦のまま放置することである。 |
パンジャはつぶやいていた。 「あぁあ、結局はできなかったか・・・。俺は才能ないな。ま、あきらめるか。仕方がないや。次へいこう。」 「おや、パンジャじゃないか。どうしたのだ、まだ昼間なのに・・・。」 「あぁ、いやね、仕事を辞めたのさ。」 「仕事って・・・・。またかい?。」 「そう、才能ないんだね。悟ったよ・・・。俺は職人向きじゃないんだ。」 「才能って・・、何をしていたんだ?。」 「家具職人のところに弟子入りしていたんだけどね・・・・。」 ・・・・・・・パンジャは、家具作りの職人のところへ弟子入りしていたのだった。弟子になって1ヶ月が過ぎようとしていた。 「はぁ、毎日毎日こんなことばかり。飽き飽きしてきた。」 パンジャがそうつぶやくと、 「仕方がないだろ。まだ新米だからな、お前は。道具の手入れから始めるんだ。その次は木材の見方を教えてやる。」 と親方が答えた。 「まあ、3ヶ月もすれば簡単な椅子くらいはできるさ。」 親方はそうパンジャに言っていた。ところが・・・。 「お前は、不器用だな。この職人になりたいのなら、もっと努力しないといけない。もっとがんばれば、腕はよくなる。なに、不器用なやつほど将来は腕はよくなるもんだ。がんばって努力しな・・・・。」 「って言われたんだけど、どうがんばっても先が見えてこない。俺は悟ったよ、才能ないってさ。」 「ふ〜ん、どれくらい修行したんだい?。3ヶ月もすれば椅子くらいできる、っていわれたんだろ。」 「うん、そう。だから、3ヶ月まではいたよ。で、不器用って言われたのが3ヶ月に入ったすぐかな。」 「その後辞めたのか?。」 「そう、どうがんばってもできないものはできない。そう悟ったんだ。で、辞めたのさ。」 「ふ〜ん、でも、それは、悟ったとは言わないんじゃないのか。」 「悟ったんだよ。できない、才能ない、って悟ったのさ。」 「そうかなぁ、あきらめたのと違うの?。」 「そうとも言うけど、同じだろ。悟りもあきらめも同じだろ。才能がないってわかったことには換わりはないさ。」 「ふ〜ん、そんなもんかな。」 「そんなものだろ。お前だってそういうこと思わないか。俺はよく思うよ。たとえば・・・。」 「たとえば、弟のことだ。あきらめたよ、あいつのことは。っていうか、悟ったね。馬鹿な弟だってことを。何度言っても、同じことばかり繰り返すんだ。あいつは馬鹿だね。毎日、同じことを注意されているよ。扉は開けっ放し、部屋の片付けはしない、仕事はすぐに辞める。毎日だらだらしている。いい加減、うんざりするよ。でも、ああいうやつなんだってね、悟った。で、もう注意しないことにした。無視するんだ。見捨てたね。親も同じ態度だよ。弟のことはあきらめているんだ。俺にもそういっているよ。『パンジャ、弟のことはあきらめたから、あなたがしっかりしておくれ』ってね。俺にしてみれば、『馬鹿な親たちもようやく悟ったか』と思ったね。人間、あきらめが肝心だよな。」 「ふ〜ん、そんなもんかなぁ・・・。あぁ、そういえば、俺もコーサラ国へ行くことをあきらめたよ。あんなところへ行っても仕方がない、と思い始めたんだ。」 「へぇ、コーサラ国へ行って、腕を磨くんじゃなかったのか。」 「まあな、でも、この小さな国じゃあ、いくら腕を磨いても仕方がないし。今のままで十分だ、って悟ったんだ。」 「ふ〜ん、でも、まあ、コーサラ国まで行かなくても、こっちで修行できるんじゃないのか?。」 「まあね、でもいいんだ。今の腕があれば十分だ。どこにでも通用するから。」 「いいなぁ、お前は料理の腕があって・・・。それだけの腕があれば、この国の宮廷料理人になれるんじゃないのか。」 「いや、そんな、そこまでの腕はないよ。それほどではないさ。自分ことはよくわかっている。そんなのは夢だよ。あきらめたよ、夢は夢さ。俺の才能はそこまではないって。」 「悟ってるんだ。すごいね。自分のことわかってるって・・・。俺はなにをしようかな。何が向いているんだか・・・。料理はできないし。いっそのこと、出家しようかな。」 「出家?。修行僧になるのか?。」 「あぁ、本当に悟っちゃおうかな、って・・・。無理かな。」 「無理ってことはないだろうけど・・・・。でも、つらくない?。修行するんだろ。いろいろ制約もあるし。いいのか、それで?。」 「う〜ん、でも働かなくてもいいし・・・。面倒だしな、仕事探すの。ちょうどお釈迦様がこの国に来ていることだし。」 「あ、そうか・・・。それならいいんじゃないか。お釈迦様の元ならきっと悟れるだろう。」 そんな成り行きで、パンジャは出家してしまったのである。 パンジャが出家して1ヶ月ほどったったある日のこと。 「あぁ、もうやってられない。修行は俺にはあわないや。いろいろ話を聞いても、瞑想をしてもちっとも悟れない・・・・。そうか、わかった。そうだ、悟ったぞ。おぉ、ついに俺は悟った!。」 彼は、大声でそう叫んだ。 「パンジャ、悟ったのか?。本当か?。よくやった。1ヶ月で悟りを得るとはすごいじゃないか。」 パンジャを指導していた長老が喜んでくれた。 「はははは、すごいですよね。俺は悟りましたよ。ついに悟りましたよ。」 「で、その悟りとは、どんな内容だ?。」 「はい、俺は悟れない、ってことを悟りました。俺には悟れません。なので、もう辞めました、修行者は。」 「な、なんと・・・・。」 長老は驚いて目を白黒させてしまった。 「ということですから、俺は実家に戻ります。お世話になりました。」 「ちょ、ちょっと待ちなさい。お前のそれは悟りとは言わん。それは、あきらめだろう。悟れない、とあきらめてしまったのだ。それではいけない。お前、ひょっとしてそうやって何でもあきらめてきたのではないか?。」 「えっ?。はぁ、まぁ、そうやってあきらめてきましたけど・・・。でも、それって、一種の悟りですよね。できないものはできないですから。どうがんばっても・・・・。」 「がんばっても、って・・・。この修行もたった1ヶ月じゃないか。それをがんばったというのかね?。」 「はい、俺なりにがんばりましたけど。でも、できないですから。できないって悟っちゃった。ま、人間あきらめが肝心ですからね。では、さようなら。」 パンジャはそういうと、放心状態の長老を残して、実家へ戻ろうとしたのであった。しかし、そのとき・・・。 「いい加減にしないか、パンジャ。あきらめと悟りは違う。あきらめたらそれで終わりだ。悟りとは、未来へ道をつなげることだ。あきらめと悟り、似ているようで根本的にまったく違うものなのだ。お前は、そこを勘違いしている。」 という声が聞こえてきた。お釈迦様である。 「あっ、お釈迦様。・・・今、おっしゃられたことはどういうことですか?。」 「よく聞きなさい、パンジャ。さぁ、そこに座るがよい。」 お釈迦様にそういわれ、パンジャはその場に座ったのだった。 「よいかね、パンジャ。悟りとあきらめは、まったく異なるものだ。あきらめは、もう終わりなのだよ。もうやめた、というのがあきらめなのだ。」 「お言葉ですがお釈迦様。お釈迦様も苦行では悟れないといって苦行をやめましたよね。苦行では悟れないってことを悟った、とおっしゃっていますよね。それは、苦行をあきらめたことと同じではないのですか?。」 「おぉ、お釈迦様に対してなんと言う・・・・。申し訳ございません。私の指導が悪いばっかりに・・・。」 「よいのですよ。当然の疑問ですから。」 お釈迦様は、長老にそうやさしく言うと、パンジャに向かって言った。 「答えよう、パンジャ。私は、苦行では悟れないことを悟った。それは真実だ。しかし、苦行することを悟れないからという理由であきらめたのではない。あきらめは、その先がないのだ。私は、できないからあきらめて捨てたのではないのだよ。苦行では悟れない、ということがわかって、代わりの修行方法を見つけたのだ。快楽でも悟れない、苦行でも悟れない、その両方がわかったのだよ。それはあきらめたのではないのだ。納得して、積極的にやめたのだよ。 あきらめは、終わりなのだよ。もうそれ以上ない、のだ。先がないのだよ。ところが、悟りは、やめるのではなく、終わるのではなく、納得することなのだよ。納得して、ほかの対処方法を探すことなのだ。まだ先が続くのだよ。わかるかね?。」 「よくわかりません。」 「たとえば、汝の弟のことだ。」 「弟のことを知っているのですか?。」 「あぁ、知っているとも。汝の弟は、だらしがなく、怠け者で、何をやっても長続きがせず、ダラダラと毎日を過ごしているね。」 「その通りです。あいつをまともにする方法なんてありませんよ。それこそ、そう悟りましたよ。」 「それは悟ったんじゃない。あきらめたのだね。」 「どっちも同じでしょう。」 「いや、違うのだ。あきらめた場合・・・今の汝の弟に対する態度だね・・・、その先はないのだ。弟を見捨てたことになる。もう注意しない、指導もしない、ほうっておく。弟という苦を苦のままに放置する、それがあきらめだ。ところが悟りは違う。弟はあのようなだらしがない人間だ、と理解し、だらしがないならないなりに、何とか生きる道を探してあげよう、考えてあげようというのが悟りだ。ただ、弟に対し、注意したり指導したりするのではなく、弟を理解し、弟にあった場所、道を探してあげるのが悟りなのだよ。」 「あぁ、よくわからない。どういう意味ですか?。」 「よいかね、悟りとは、弟を放置するのではなく、弟にあったところ、今のままでも弟が生きられるよう工夫をすることにある。注意したり、弟の態度に腹を立て怒ってばかりいるのではなく、弟を生かす道を見つけてあげることを「弟を悟った」というのだよ。そこには、弟に対する怒りもあきらめもなにもない。ただ、弟が生きれるような道を見つけることだけある。それが、悟りなのだ。パンジャ、お前の場合はあきらめなのだ。」 「あきらめ・・・・ですか。」 「もう一つたとえ話をしよう。汝が剣の試合をしていたとしよう。相手は、この国どころかコーサラ国へ行っても、優勝するくらいの腕前だ。その相手と汝が試合をすることとなった。」 「そんな相手勝てるわけがない。」 「話は最後まで聞きなさい。3本勝負である。何の弾みか、相手の調子が悪いのかパンジャ、汝も1本とった。相手も1本とっている。つまりは1対1だね。残りはあと1本。さぁ、どうする。莫大な賞金がかかっている試合だ。あきらめるかね?。」 「う〜ん・・・。どうするかな。まぐれでも勝てればいいから・・・、がんばります。」 「あきらめないのかね?。」 「はい、あきらめたらそれで終わりですからね。賞金がもらえる可能性がなくなります。」 「そう、それだ。よいところに気がついた。」 「はい?。どういうことですか?。」 「あきらめたら、それで終わりなのだよ。だが、あきらめずがんばれば、ひょっとしたらよいことがあるかもしれないということが生きる。つまり、幸運がやってくる可能性が残るのだ。そう考えたのであろう?。」 「えぇ、まあ、そうですが・・・・。あっ、そういうことですか!。」 「そうだ、わかったかね。あきらめはそれで終わり。悟りは後へと可能性を残すこと。そこには大きな違いがある。ひょっとしたら剣の対戦相手に勝てるかもしれない、そう悟ったら、がんばれるのだよ。悟りとは、納得し、理解することなのだ。そして、次に生かすことを言うのだよ。あきらめとはまったく違う。」 「わかりました。今、わかりました。あきらめと悟りの違いがわかりました。俺は・・・・ずっとあきらめてばかりだったんですね。悟ったといっては、可能性をつぶしてきた。ただあきらめて逃げていただけなんですね。」 「そうだ、その通りだよ。ようやくあきらめと悟りの違いを悟ったな。悟りとは、苦を楽へと変えるものなのだ。あきらめとは苦を苦のままに放置し、捨て置くことを言うのだ。そこには、よくなっていくという可能性はないのだよ。さてパンジャよ、これからどうするかね?。」 「はい、弟をここへ呼び寄せます。ここなら彼を生かせるでしょう。二人で力をあわせて悟りに向かいます。」 「よし、それでよい。あきらめてはいけないよ。」 お釈迦様はそういうと、優しく微笑んだのであった。 よく悟りとあきらめを混同している方がいます。まったく異なるのに。また、悟りとあきらめの違いは?、ときかれ、うまく答えられない坊さんもいます。お坊さんも混同しているんですね。確かに、感覚的にはよく似てはいますから。でも、根本的に違うんですよ。 ある方が、家を探していました。私のところに相談に来た結果、住んでいる場所が悪いので引越しをするか家の御祓いをしたほうがいい、という話になったのです。で、ちょうど引越しを考えていたので、早速家を探したのです。ところが思うようなところが見つかりません。そうなると焦るんですね。 「あぁ、もう私には運がないんだ。もういい家なんて見つからないんです。あきらめました。実は、もうダメだって思い始めているんですよ。何をやっても私はダメなんだ、って。そう悟ったほうが幸せなんじゃないかって・・・。」 そう死にそうな声で電話をしてこられました。なので 「あきらめたら、それで終わりです。根気よく探してください。必ず見つかりましから。それから、あなたの言ってることは悟りではないですよ。単なるあきらめ、投げやりです。ヤケを起こしてはいけません。どうせ悟るなら、希望を捨てないで、努力しよう、そうすればこの先は明るい、そう悟ってください。」 と答えました。 その後、家探しをあきらめず、続けた結果、とてもいいところが見つかって、今では明るい毎日を過ごしています。本人も 「あの時、あきらめなくてよかったです。」 と言ってます。 また、こういうこともあります。それは先祖の供養です。ご先祖の供養を続けていても、少しもよくならない、といって、半年もしないうちに先祖供養をやめてしまう方もいます。結果が出ないから、、といってあきらめてしまうんですね。本人は、 「先祖供養したって、よくならないと悟った」 といいますが、そうじゃないんですよ。それはあきらめ、なんです。見切りが早すぎるんですよ。途中であきらめたら、本当の結果がわからないじゃないですか。あきらめたらそれで終わりです。次がなくなってしまいます。 よくこういう親御さんがいます。 「うちの子には期待しないわ。もうあきらめたわ。何度言っても同じ失敗ばかり。ちっとも協力してくれないし、勉強もしない。もう私は悟ったわ。しょせん、そんなものよ。私とダンナの子ですからね。うちの子には無理、ということを悟りました。」 これは、いけません。親が子供の将来を決め付けるなんて。可能性を信じないなんて。それはダメです。 あきらめたらそれで終わりです。それは悟りではありません。こんなことを言う親は、お子さんのことを何もわかっていません。過度な期待感はダメですよ。押し付けはいけません。しかし、どんな可能性があるかわからないでしょ。お子さんのことを悟った、というのなら、お子さんのよい面、個性、伸ばすべき才能、それを見つけたときに言ってください。その時は、うちの子のことを悟ったわ、といってもいいでしょう。否定した場合はあきらめたのであって、それはしてはいけないことなのです。 誰でも、人生をあきらめてはいけません。 「俺は何をやってもダメだと悟った」 などというのはウソです。それは、悟りではありません。あきらめです。人生を捨ててしまった後ろめたさを、「悟り」という高尚な印象を与える言葉でごまかしているに過ぎないのです。 あきらめたら、それで終わりです。後がありません。悟りは、後の可能性を見つけることです。苦を安楽に変えることなのです。 だからこそ、あきらめは簡単で悟りは難しいんですけどね。 私が好きな漫画の一つにスラムダンクがありますが、その中にこんな言葉が出てきます。 「あきらめたらそれで終わりだよ。試合終了だ。」 最後まであきらめないこと、そこに可能性がある限り・・・・。それが悟りなんですよ。 合掌。 |
第76回 他人の過失を見て、我がことのように考え、 反省し改善するものには、安楽がやってくる。 他人事と思い、自らを省みることができない者には不幸が来る。 |
その日もマガダ国の首都ラージャグリハ郊外の竹林精舎は、お釈迦様の話を聞きに来た人々であふれていた。 「・・・・・このように、人は正しい行いをしなくてはならない。行いにおいて、誤魔化しや不正、悪意のある行動をしてはならないのだ。自分自身をよく律し、悪魔の甘言に耳を傾けぬよう、怠りなく日々をすごすことだ。 正しき行いは、その道はつらくとも最後には必ず幸運に導くであろう。不正な行動は、その道は楽であろうが最後には必ず不幸をもたらすものである。くれぐれも、安易な道をとらぬよう注意しなさい。 皆さんは在家の方たちです。五つの戒め・・・殺生をしない、盗みをしない、淫らな性行為をしない、ウソや悪口を言わない、お酒を飲まない・・・・をよく守り日々を過ごされよ。」 その日も、お釈迦様の法話は、五つの戒めを守りなさい、という話で終わった。帰りの道々、人々はお釈迦様の教えについて語らいあっていた。 「確かに悪いことは、いつかはバレるからなぁ・・・。そのときが怖いんだ。」 「なんだ、女房に浮気がバレたのか?。あははは。」 「そりゃ、怖い。お前さんの女房はエンマ様より恐ろしい。」 「あははは、その通りじゃな。しかし、五つの戒めも、なかなか守り難いのう・・・・。」 「まあねぇ、完全には守ることは無理だな。でも、お釈迦様も絶対守らなきゃいけない、とはおっしゃってないからな。」 「あぁ、できる範囲でええのじゃ、と言うてくれておる。ありがたいことじゃ。わしらのような年寄りには、あの戒めは厳しいからのう。」 「少しでも戒めを守って、さっさと天界へ行ったほうがいいかも知れんぞ。息子たちに邪魔にされないうちにな、じいさん。」 「わっはっはっは。そうじゃな、邪魔にされたら反対に意地悪をしそうでな・・・。そうなると、わしの罪も増える。ただでさえ、酒が止められなくて困っておるのに・・・。」 「そりゃあ、大変だ。エンマ大王に呼ばれるぞ。早く酒を止めないと。」 「そうなんだがなぁ・・・。でもな、最近、酒がまずく感じるようになってきたんじゃ。これもお釈迦様の力かな?。」 「違う違う、最近の酒はまずくなったみたいだ。俺もそう思う。」 「なんだ、お前も酒を飲んでいたのか。俺も同じだ。あははは。確かに、最近の酒は薄くなったように思うな。どこの酒を飲んでいるんだ?。」 「わしは、ソーマの店の酒じゃ。」 「俺はチャンダラ屋だ。」 「なんだ、みんなバラバラか。俺はウシュニーシャの店のだ。前はそんなにまずく感じなかったんだが・・・。」 「このごろ、薄いような気がするんじゃ。水で薄めちゃいないか?。」 「まさか・・・・。酒を水で薄めて販売するのは、違法だぞ。警護兵たちが見過ごすわけがない。」 「そうだ、ちょっと飲み比べてみないか?。」 「いいのか、竹林精舎の帰りにお酒なんか飲んで。」 「楽しみで飲むんじゃない。不正を暴くために飲み比べるんだ。お釈迦様だって、不正はいかん、とおっしゃっていたぞ。酒屋の不正をあばくんだよ。」 「それなら賛成じゃ。わしの口は確かじゃからな。それに、女房にも言い訳が立つ。うしししし。」 「あははは、そりゃあいい。よし、飲み比べだ。全部の酒が飲める店へ行こう。」 こうして、三人の男たちは、竹林精舎の帰り道、全部の種類が飲める店に立ち寄ったのであった。 当時のマガダ国には、造り酒屋が三軒あった。酒の販売は自由だったが、水で薄めて売ることは禁止されていた。また、酒を飲ます店も水で薄めた酒を売るのは禁止されていた。原酒のまま販売したり、飲ませたりしたのである。もし、水で薄めた酒を販売したことが発覚すれば、造り酒屋は廃業に追い込まれ、店主は処刑された。水で薄めた酒を飲ませた店も同様に、処分された。労力の割りに利が薄いので、酒造りをする者は少なかったのである。 酒が飲める店に入った三人は、早速三種類の造り酒屋がだしている酒を注文した。その様子を見て、他の客が声をかけてきた。 「へぇ、そんなに注文してどうするんだ?。」 「いや、最近、酒が薄くなったような気がするんで、それぞれの酒を飲み比べてみようと思ってな。俺たちの口が変なのか、酒が薄くなっているのか、確かめようというわけだ。」 「ほう、そういうことか。そういえば、俺たちもそう感じていたんだ。なぁ!。」 声をかけてきた男は、連れに同調を求めた。一緒にいた連中は、口々に「そうだそうだ」「薄くなった」と騒ぎはじめた。その様子を見ていた店の主人は、あわてていった。 「おいおい、滅多なことを言ってくれるな。言っておくがな、うちは薄めてはいないぞ。ほれ、これが原酒だ。ソーマ店、チャンダラ屋、ウシュニーシャ店のものだ。飲み比べてみるがいい。」 この飲み比べが、そのあと、大きな事件へと発展したのである。 男たちが酒の飲み比べをしてから数日後のことである。ラージャグリハの街では、酒が水で薄められて販売されている、と言う噂が立っていた。街は、そのことで大騒ぎになっていた。不正が行われている、と。 その声についに国王が動いた。ビンビサーラ王は、 「街の噂を確認せよ。わしもこのごろ酒が薄いような気がしていたのだ。まずは、ソーマ店を調べるのだ。」 街の治安を守っていた警護兵たちがソーマの造り酒屋へ捜査に入ったのは、その日の午後遅くであった。 「な、なにを・・・。なんでうちの店が・・・・。」 店主のソーマは、暴れて抵抗したが、屈強な兵士に簡単に捕まってしまった。店はくまなく調査された。その結果・・・・。 「なんだ、酒の量を半分にして売っていたのか。半分は水だったのか。どうりで薄いはずだ。おい、ソーマを捕まえろ。そのまま連れて行け。店は・・・板で入り口を貼り付けておけ。もうこの店は取り潰しだな。」 その言葉を聞いてソーマは失神してしまったのだった・・・・。 ソーマの店の酒は水で倍に薄めて売っていた。 ソーマの店はつぶれた。ソーマは処刑される。 他の造り酒屋も調べられるらしい。 その話は、マガダ国中に広まった。あわてたのは、他の造り酒屋である。造り酒屋の一つウシュニーシャは、早々に宮中に駆け込んだ。 「申しわけございません。うちの店も水で薄めていました。ソーマの店のように倍ほど薄めてはいませんが、二割ほど水を入れて売ってました。申し訳ございません。お許しください。」 マガダ国の宰相は、ウシュニーシャに質問した。 「なぜ、自ら申し出たのだ。お前の店に調査に行く予定はなかったのに。水で酒を薄めて売っているという評判がたったのは、ソーマの店だけだ。民衆の口は正直だからな。ウシュニーシャ、お前さんの店とチャンダラ屋の酒は、何にも言われていないのだぞ。」 「はい、もちろん街の評判は存じております。うちの店のお酒は、評判もよく、順調に売れております。おいしい酒、といってくださるお客が多いのもしっています。」 「ならばなぜ?。このまま知らぬ振りを決め込んでもよかっただろうに。なにも、わざわざ自己申告するまでもないであろう。」 「そんなわけにはいきません。いつかは暴露されるときがきます。秘密はいずれバレるときがきます。その日がいつ来るのか、今日バレるのか、明日バレるのか・・・、毎日毎日びくびくしながら生きていかねばなりません。 ソーマ店の不正が発覚し、処分された今、それは他人事ではありません。いつかはうちにも同じようなことが起こるしょう。ですので、これがいい機会だと思い、自ら申し出たのです。どうか、処分をお申し付けください。」 「そういうことであった。よくわかった。では、処分を言い渡す。正式な処分がでるまで、お前は牢に監禁する。店は、処分が出るまで休業せよ。以上だ。」 ウシュニーシャは、その場で土下座していた。 ちょうどそのころ、チャンダラの店の中では、こんな会話がなされていた。 「ソーマは馬鹿なヤツだ。いっぺんに半分に薄めて売るからバレたんだ。」 「お父さん、いいのですかこのままで。」 「なんのことだ。」 「いや、うちも薄めているじゃないですか。」 「馬鹿、うちはソーマのように半分に薄めてはいない。二割五分だ。その程度ならわかりゃしない。黙ったいればいいのだ。ウシュニーシャの店も同じ程度を薄めている。いいか、下手に動くな。酒を薄めているのを知っているのは、わしとお前だけだ。黙っていろよ、いいな。ソーマはやり方が下手なだけだったんだよ。ふふふふ。」 息子は父親の態度に不服ではあったが、逆らえないのでそのまま黙っているのことにした。 翌日のことである。チャンダラ屋にウシュニーシャの店がしばらく休業になると言う話が飛び込んできた。 「馬鹿なウシュニーシャだ。黙っていればよいものを。クククク・・・。これで、マガダの酒はうちの独占だ。なんという幸運。どうだ、息子よ、黙っていて正解だったろう。」 「はい、そうですね・・・・。」 息子は、父親に同調はしたが、内心は不安であった。もし発覚したときはどうしよう、どうなるんだ、という恐怖でいっぱいだったのだ。しかし、父親は酒の独占販売ができると張り切っていた。 「ふふふふ。これでいくら酒を薄めてもバレることはなくなった。うちの酒しか売っていないのだから、比較できないからな。そうだろ?。」 「まあ、確かに・・・。しかし・・・。」 「わかっている、いっぺんに薄めるようなドジはしない。少しずつ少しずつ、気がつかぬように水の分量を増やすのだ。どうだ、そんなこと誰も気がつくまい。」 チャンダラは、次の日から酒を少しずつ薄め始めたのであった。 しばらくして、ウシュニーシャの処分が決まった。自ら自分の罪を申し出たことが考慮され、3ヶ月の営業停止処分となった。ただし、ウシュニーシャ本人は3ヶ月の監禁の後、息子に家督を譲り隠居または出家すること、二度と不正を行わぬこと、が条件で付け加えられた。一見軽そうに見える処分だが、3ヶ月も酒作りを止めると、次にいい酒ができるのは、1年以上先になってしまうため、実際には営業再開は困難と思われた。 それを聞いたチャンダラは 「やった〜、これでうちの独占販売は決まりだ。大儲けできるぞ!。」 と大喜びしていたのである。 彼の作戦通り、チャンダラの造った酒は少しずつ薄められていった。1週間で五分ずつの水が増やされていったのだ。始めは二割五分の水だったから、半分に薄まるまでに約1ヶ月少々かけた。 「これならバレない。うしししし。」 一人ほくそえんでいたチャンダラであった。しかし・・・・。 秘密はやがて白日の下にさらされるものである。不正は、いずれ発覚するものである。庶民の舌は確かなものだった。 「どうもチャンダラの酒も薄いんじゃないか。このごろ特にそう思うんだが・・・。」 「お前もか、それもそう思う。この酒、まずいんだよな。」 そんな噂が街に広がり始めたのだ。そのうちに、 「うちにな、ウシュニーシャの店の酒が残ってるんだ。飲み比べてみないか。」 と言うものが、何人か出てきたのだ。家に古いお酒を残していたものがいたのだった。これは、チャンダラの誤算だった。 こうしてチャンダラの不正は発覚したのだった。 マガダ国の宰相はチャンダラに言った。 「なぜソーマが捕まったとき、不正をしていると言わなかったのだ。」 「・・・・儲けるいい機会だと・・・。」 「自分がバレるとは思わなかったのか?。」 「まさか、自分がこうなるとは・・・・。ソーマのことは他人事としか思いませんでした。ウシュニーシャは、馬鹿正直なやつだとしか・・・。みすみす儲かる幸運を逃がした馬鹿なヤツだとしか・・・。」 「最も馬鹿な人間はお前だったな、チャンダラ。ソーマが捕まったとき、それは自分のことではない、自分には降りかからない、自分は関係ない、自分は不正をしても発覚しない、うまくやれる・・・・。そう思い込んでいたのであろう。ソーマは南方の離れ島への追放という処分だ。あるいは、出家すればそれでよし、という処分になった。街の噂は真実ではない。尤も店は再開はできぬがな。そういうことで、ソーマはお釈迦様の弟子になったよ。出家の道を選んだのだ。さて、お前だが・・・・。」 「お、お許しください。出家でもなんでもしますから、許してください。」 「お前の心の中は見えている。息子から聞いているぞ。息子はお前を止めていたそうじゃないか。」 「む、息子が・・・・、あの馬鹿者が・・・。誰のお陰で今ままでこれたと思っているんだ・・・。くっそ〜。」 「正体が現れたな、チャンダラ。それがお前の心根だ。心底腐っておるなぁ・・・。いずれ処分を言い渡す。牢へ入れておけ。」 その後、チャンダラは処刑されることとなった。 マガダ国に造り酒屋が一軒もなくなるという事態が起きてしまった。ビンビサーラ王は、このことを憂慮し、すぐにウシュニーシャの店を再開することを命じた。また、ソーマの店を再開することも許した。しかし、ソーマは出家していたので、ソーマの息子たちが店に戻り、店を始めることとなった。ソーマの息子だけでは不安だったので、ウシュニーシャが手伝うこととなった。二軒の店は、今後協力し合いながら、よりよい酒を造ることを誓ったのだった。 竹林精舎へ向かう道すがら、男たちが会話をしていた。 「お釈迦様は、このことをなんていうかな?。」 「不正はやがて発覚する。はやめに正直に告白し、自らを改めるほうがよい、というだろうな。」 「はは、そうだな。それにしてもこれでうまい酒が飲める。ありがたいことだ。」 「おいおい、ここはもう竹林精舎の中だぞ。大きな声で酒を飲むなんていうなよ。」 「そうじゃ、わしのような年寄りならオマケしてもらえるけどな。」 「そんなことはないよ、じいさん。正直に『お酒を飲んでました。懺悔します』といったほうがいいんじゃないか。」 「なにを〜、それをわしにだけさせるのか?。人の不正を見て、自らも反省し、道を正すように努力しないと幸運はやってこんぞ。自分はバレない、と思ったら大間違いじゃ。他人事としてすませるなよ。不幸がやってくるぞ。大きな不幸がな。」 「その通りだ。おじいさん、よくわかっているね。」 そこにはお釈迦様が微笑んで座っていらしたのだった・・・・。 どうしてこんなに同じ過ちを繰り返すのでしょう。何度も何度も。自分は大丈夫、自分のところは不正はバレない・・・、そう高をくくっているのでしょうけど、甘い考えですよねぇ。で、バレたときは大きな問題となっているんです。取り返しがつかないような・・・・。 何度も何度も同じことで新聞をにぎわしてますよね。大きな事件から個人的な小さな事件まで。あるいは、政治から官僚から、地方議員、地方の役所・・・・。どこもかも、似たような事件で捕まったりしています。 特に、企業や官僚、お役所、政治家の方々は、知識もあるし、法律も知っているし、やっていいことや悪いことの分別もあるでしょうし、大人だし、なによりも公的立場にある方々でしょう。 にもかかわらず、談合・不正請求・使い込み・裏金・不正献金・天下りの甘い汁・責任逃避・公金の無駄遣い・癒着・秘密の漏洩・・・・・よくもまあやってくれたもんです。よく国民の皆さん、黙っていますよね。すこしは怒ったらいいんじゃないかと思いますけど・・・・・。 「あななたちは馬鹿ですか?。自分は大丈夫、バレたヤツラは下手だったんだ、とでも思っているんですか?。」 と一度聞いてみたいですね。いったいどういう脳みそなのか、見てみたいですよ。 何の肉かわからない肉を牛肉として売る悪いヤツ。以前、食品メーカーが不正をして倒産の危機に追い込まれたでしょうに。それを他人事としてやり過ごしたのでしょうねぇ。自分のところは平気さ、とね。あ、その前にお菓子のメーカーもやっちゃってましたけどね。 この神経の鈍さ。鈍感力も過ぎれば、諸悪の根源になりますよね。 何度も繰り返すと言えば、政治家と金。いったいいつになったらクリーンで透明になるのか。それができないんだったら、始めから 「政治家は金に汚いんで、きれいな金の使い方、きれいな金の入手方法はできません」 といっちゃえばいいのにね。あ、そんなこといったら終わりか、この国も・・・。 談合もそう。あっちの自治体で捕まったと思ったら、今度はこっちの自治体。今、談合している自治体の方々、早めに告白しておいたほうが身のためですよ。他人事とやり過ごしていないでね。自分は平気、ということはありませんよ〜。 昔から言うじゃないですか。 「人の振り見て我が振りなおせ」 いったいどこへ行ってしまったのでしょうか。日本にはいい文化がたくさんあったのに。そういえば、どなたかが言ってましたねぇ、「美しい国、日本」って。それを言ってる本人が、醜い日本を露呈してますからねぇ。数が多ければいいってもんじゃないですからね。な〜にが美しい国なんでしょうねぇ。あまりにもばかげています。 他人の過失や不正が発覚したのを見て、 「あはは、バカダネェ」 と笑っていてはいけません。それをわが身に置き換えて、 「自分は悪いことはしてないな。自分は大丈夫だよな。」 と省みたほうがいいと思います。大きなことじゃなくても、他人の行動や言葉を見たり聞いたりして不快に思ったら、自分はしないようにしよう、と思ったほうがいいですね。そうやって、自らが美しい人間になっていくのですから。 他人の誤った行動を見て、ひどい言動を見て、知らん振りしたり、まねたり同調したりすれば、それはいずれの日にか、思わぬ不幸となって戻ってくるものです。 もし、あなたが幸福になりたいのなら、他人の不正や誤った言動を見て、それは自分とは関係ない、と他人事としてやり過ごさないようにしましょう。自分に当てはめ、 「自分は、ああいうことはしてないだろうか。ああいうことは言ってないだろうか」 と省みてください。そういう人に、幸運は訪れるのです。 おっと、坊さんも例外ではないですからね。他の坊さんの悪いところを知ったら、自分はそうならないように注意しないとね。 合掌。 |