バックナンバー 20

第83回
愚痴を言って解決するならば、大いに愚痴るがよい。
しかし、愚痴を言っても解決しないならば、
黙って解決方法を考え、実行するほうが賢明である。

バイシャリーの街で、飲食店を営んでいる男がいた。名前をマヒーパーラといった。彼の店は開店当時は流行っていたが、次第に客が遠のいて今では一日で数えるほどしか客がはいらなかった。
「あ〜あ、今日も一日暇だったなぁ・・・・。なんでこんなに客が入らないんだ。もうやめよかな。」
「なんだマヒーパーラ、今日も暇そうだな。」
「あぁ、いらっしゃい。なんか食べに来たのか?。」
「一応な、客だ。」
尋ねてきたのは、マヒーパーラの友人のクマーラだった。マヒーパーラは、お酒と食べ物を出し、クマーラの前に座った。
「いいのか、こんなところに座っていて。」
「みりゃあわかるだろ。客はいない。俺は暇だ。」
「あはは、まあな、いつものことだが・・・。」
「あぁあ、俺はついてねぇよ。何をやってもダメだ。」
「そうか?。こんないい店を持ってるじゃねぇか。」
「は〜、何言ってやがる。借金だよ、これ。金を借りて始めたんだ。だけど、これじゃあ、金を返すどころか、自分の生活もできない。あぁあ、くっそ〜、俺はついてねぇよ。何をやっても・・・・だめだ・・・。」
「何をやってもって・・・他にも困ってるのか。」
「困ってるっていうか・・・・。親ともうまく行ってないないし・・・。うるせぇんだよなぁ、うちの親。何かにつけて口うるさくてさ。もういい加減、俺も大人なのに。ああでもない、こうでもないってさ。うっとうしくてたまらねぇ。」
「家を出りゃあいいじゃないか。この店に住んだらどうだ。」
「この店にか?。住めるわけないだろ。部屋も余分にないし。」
「あるだろ。上にさ。」
クマーラは上を指さした。
「上の部屋を整理して住めばいいじゃないか。」
「あれはダメなんだ。倉庫代わりだからな。とても住めないよ。」
「そうかなぁ・・・・。じゃあ、どこか、この近くで住むところを借りればいいじゃないか。」
「金がないんだよ。借りた金も返せないのに、他に住まいを借りられるわけながいだろ。」
「じゃあ、我慢するんだな。」
「あぁー、いやだ。我慢なんかできねぇ。いやだいやだ、何もかもいやだ。あの家にいる限り、俺は呪われてるんだ。あの親と一緒にいる限り俺はなにもうまくいかないんだ。」
「おいおい、何を大げさな。親のせいじゃないだろ。」
「そんなことないぞ。だってよ、女も俺に寄り付かないんだぜ。ちょっといい女の子がいたんで、声を掛けて付き合うことになったんだ。」
「いいじゃないか、付き合うことになったなら。」
「それがさ、結局、すぐに振られてしまった。ほんの2〜3回会っただけだ。このまま、一生独身なのかなぁ・・・。」
「たった一回振られたくらいで何言ってやがる。」
「一回だけじゃないさ。何回も、だ。いつもいつもだ。うまく行きそうかな、と思うと、振られてしまう。俺のどこが悪いんだよ。あぁあ、やってられないよ。」
「おいおい、しっかりしろよ。お前の話を聞いていると、酒がまずくなるぞ。暗くっていけねぇや。帰るよ。」
「え?、今来たばかりじゃないか。もう帰るのか?。もう少しいてくれよ。」
「いや、今日は帰る。また、来てやるよ、じゃあな。」
友人のクマーラは帰ってしまったのだった。
「あぁあ、つまんねぇな。誰も俺の気持なんてわかっちゃくれない。はぁ・・・・。なんだって、俺ばっかりこんなに不幸な目にあわなきゃいけないんだろ。親はうるさいし、彼女はできない。金はないし、店を持っても流行らない。誰にも相手にされなくて、友達も逃げ帰る。あぁあ、俺ばっかり貧乏くじを引いてるよな・・・・。何かいいことないかな・・・・。朝起きたら大金が店の前に置いてあるとか、絶世の美女に告白されるとか、大勢の女の子に追いかけられるとか、親が俺に急に優しくなるとか・・・・・。ないよなぁ、そんなこと・・・。あぁ、つまらねぇ・・・。」
その日、マヒーパーラは酒を飲みながら、ブツブツ一人ごとを言い続けたのだった。

数日後、マヒーパーラの店にクマーラがやってきた。
「どうだ?、あぁ、相変わらず暇そうだな。」
「わるかったな。用がないなら帰れよ。」
「まあ、そういうな。どうだ、どうせ暇なら別の店に何か食いにいかないか?。」
「奢ってくれるのか?。俺は金ないぞ。」
「あぁ、任せろよ。ちょっとな、いい仕事が入ってな・・・。じゃあ、行こうぜ。」
クマーラは、ちょっと不貞腐れ気味のマヒーパーラを連れて街中の別の酒場へと入っていった。
「ふん、なんだかしけた店だな。」
「そういうな。まあ、古いからな、ここは。でもお前の店よりは客が入っているぜ。」
「ふん、古いから常連客がついているんだろ。うちは、開店しばかりだからな。常連客はいないんだ。」
「常連ばかりじゃないようだぞ。よく見てみなよ。」
クマーラにそう言われ、見まわしてみたマヒーパーラだったが、
「なんかしけた客ばかりだな。こんな店だからこんな客しか来ないんだ。ふん、しけてやがる。はぁ、これを俺に見せてなんだっていうんだ?。しけた客を集めろ、とかいうのか。ふん、ふざけやがって。俺はな、もっと上品な店を目指しているんだ。こんな下品な連中いらないよ。」
「そう愚痴ばかりいうなよ。ま、とりあえず、食べてみな。」
そういわれて、マヒーパーラは、その店の食べ物を食べてみた。
「おいしいけど・・・。あぁ、俺にはこんな味は出せないよ。俺はダメだな。俺は何をやってもダメだからな。俺だって、こんな味が出せたら客が来るさ。もう店止めようかな。もうおしまいにしようかな。いや、おしまいだな。俺なんて一生浮かばれないんだ。こんなに頑張ってるのに。何で俺ばっかり・・・。」
マヒーパーラの愚痴が始まったのであった・・・・。
「おいおいおい、よくそれだけ愚痴が出てくるもんだな。感心するよ。どうやったらそんなに愚痴れるんだ?。この間と同じことを言ってるぞ。」
「この間と同じ?。そりゃあそうだろ。あれから何にも変わってないから。店は流行らない、客は来ない、金はない、借金は返せない、親はうるさい、彼女はできない、このままじゃ俺は一生ダメ男で、みんなからバカににされて生きていかなきゃいけない・・・。俺には運がないんだ。頑張っているのに・・・。女にだって尽くしたんだぜ。いろいろあげたりもした。でも、逃げていったんだよなぁ・・・。あぁ、金が欲しい、親がうるさい。あんな親消えてなくなればいいんだ。」
そういと、マヒーパーラは急に黙り込んだ。
「おい、どうしたんだ?。大丈夫か、悪酔いか?。」
「ちがう。今、閃いたんだ。」
「閃いた?。」
「うん、俺の運が悪いのは、きっと祟りだ。そうに違いない。親がインドラ神に参らないからだ。お参りしないから、インドラの神が怒ってるんだ。」
「そんなわけないだろ。俺だってお参りなんかしないぞ。」
「じゃあ、誰かが俺を呪ってるんだ。きっとそうだ。俺が店を出したから・・・。あ、この店の主人が呪ったのかもしれない。きっとそうだ、そうに違いない。」
「あのな、この店は古いんだって。お前の店ができたからって、呪うわけがないだろ。出す食事もうまいし、酒もうまい。客はおいしい食事と酒を求めてくるんだ。だから流行るんだよ。」
「うちだって、おいしい食事と酒を出してるぞ。だけど流行らない。きっと、呪われているんだ。あ、店の場所が悪いんじゃないか。占い師に見てもらったんだが・・・。あ、あの占い師、インチキだったか。くっそ〜、そうに違いない。あいつが悪いんだ。うまくいくとか言っていたくせに・・・。あいつだ、あいつのせいだ。あいつのせいで、俺はうまくいかないんだ。」
「それも違うだろ。」
「違う?。じゃあ、なんだ。俺がダメなのか?。お前は、俺の全人格を否定するのか?。俺が諸悪の根源だっていうのか?。俺が腐っているとでもいうのか。・・・・そうか・・・そうなのか、やっぱり俺はダメ人間なんだ。何をやってもダメなんだ。このまま一生、成功しない、日の目を見ない人間なんだ。うまくいかないのも俺に運がないせいなんだ。」
とうとうマヒーパーラは泣き出してしまったのであった。

「はぁ・・・・・。やってられないなぁ・・・。付き合いきれんよ。お前、おかしくないか?。店が流行らないということには、なにかそういう原因があるだろ?。それを見つけることが大事なんじゃないのか?。」
「原因?。わかってるよ、俺に運がないんだ。それだけだ・・・・。俺はダメな人間なんだ。何をやってもね。親もダメ人間だから俺もダメ人間だ。運もない。女も逃げる、借金は返せない、店は流行らない・・・。あぁあ、もう駄目だ。お先真っ暗だ・・・。」
「そうじゃなくて、店が流行らない理由があるだろ。それを見つけろ、って言ってるんだよ。そのために、この流行ってる店に連れてきたんだろ。何かいい考えが浮かぶかもしれないと思ってさ。はぁ・・・・。」
クマーラは、マヒーパーラにそう言ったが、彼がうなだれている様子にため息をついた。
「こりゃあ、何を言ってもダメか・・・・。そうだ!、いい考えがあるぞ。お釈迦様なら、こいつを説得できるかもしれない。ちょうど、この街に滞在されてるはずだ。・・・・うん、よし、明日こいつを連れていこう。」
クマーラはそう決心し、マヒーパーラを店から連れ出し、家まで送っていったのだった。

翌日の昼下がり、クマーラはマヒーパーラを連れて、お釈迦様が滞在しているマンゴー園にやってきた。
「お釈迦様、この男をどうか導いてください。」
「よろしい、いったいどうしたのかね?。」
お釈迦様は、優しくマヒーパーラに問いかけた。
「・・・・はい・・・・。お、俺・・・あ・・・、私は、その何をやってもダメで、もうこのままダメな人間で一生を終えてしまうのではないかと・・・。」
「ダメな人間とは、どういうことなのかな?。具体的に言ってみなさい。」
「はぁ・・・。先月、飲食店を始めたのですが・・・、初めは客が入ったのですが、今ではほとんど客もなく・・・・。収入もありません。借金で店を始めたので、それも返さないといけません。親はうるさいし・・・。もう大人なのに、イチイチうるさいことばかり言って・・・・。もうダメなんです。死んだほうがいいかもしれない。未だに結婚もできない。女性からも振られてばかりなんですよ。祟られているとしか思えない・・・。俺は、祟られているんです。一生、このままなんです、きっとそうに違いない。世の中は不公平です。俺ばっかりがこんな目にあって。何をやってもついてなくて、運が悪くて、ちっともうまくいかない。はぁ・・・。俺なんか、ダメなやつなんです。何のとりえもない、不幸の固まりのような男なんですよ。やってられない、もうやってられない・・・。」
マヒーパーラは、お釈迦様の前で、いつものように愚痴り始めたのだった。しかし、お釈迦様は何も言わず、ただ黙っていた。
見かねたクマーラが
「おい、いつまで愚痴ってるんだ。愚痴を言いに来たのか、お前は。」
「愚痴?、愚痴なんか言ってない。運が悪い男だ、っていう話をしてるんだ。愚痴じゃないよ・・・。」
「お、お釈迦様、申し訳ありません。いつもこの調子なんです。毎日のように愚痴ってばかりなんです。どうか、救ってあげてください。」
クマーラは、お釈迦様に懇願した。
「マヒーパーラ、お前はどうしたいのだ?。」
お釈迦様は、マヒーパーラに尋ねた。しかし、その質問の意味がわからなかったのか、マヒーパーラはポカンとしていた。
「もう一度聞こう。マヒーパーラ、汝はどうしたいのだ?。」

お釈迦様の問いに、マヒーパーラはうつむいた。時折、首をひねり、頭をかいたりしていた。
「はい、うまくいきたいんです。」
「うまくいきたい?。具体的に言ってみなさい。何がうまくいきたいのかね?。」
「はぁ・・・。あ、まずは、店が繁盛してほしいです。それから・・・、お金が欲しいです。あぁ、店が繁盛すればお金も増えますね。借金も返せますね。・・・・・それから、結婚がしたいです。結婚して、独立したいんです。親からも離れたい。親から離れて、自分の家族を持って、今の店をうまく経営したいんです。それだけです。それだけなのに、俺にはできないんです。だから、俺はついてなくて・・・・。」
また、マヒーパーラの愚痴が始まろうとしていた。その愚痴をお釈迦様は止めて
「わかった、汝が何がしたいかはよくわかった。汝の望みは、店を繁盛させ、結婚をし、親から独立し、自分の家族を持ち、平和に生活していきたい、ということだな。」
とマヒーパーラに言った。
「はい、その通りです。」
「では、マヒーパーラ、それを実現させるためにはどうしたらいい?。」
「実現させるためには?。・・・・でも、俺は、頑張ってきました。努力しました。でも頑張ってきたけど、努力したけど、実現できませんでした。」
「それで愚痴っているのか?。」
「愚痴って・・・・いるわけじゃないです。世の中は不公平だ、と訴えているんです。」
「まあ、よい。愚痴でも愚痴でなくても、そんなことはどうでもよい。」
お釈迦様の表情が厳しくなった・・・・とクマーラは感じた。
「よいか、マヒーパーラ、そんな不平不満を毎日のように言っていて、店が流行るのか?。客は来るのか?。どうなのかね?。」
「客は・・・・来ません。」
「汝の人生が明るくなったかね?。」
「・・・・なりません。何も変わりません。でも、今まで、人生が変わるように頑張ってきたのに・・・。」
「わかっている、わかっている。汝は努力してきた。」
「はい、努力しました。」
「汝なりにな。」
「・・・?、ど、どういうことですか?。」
「汝は、自分で努力してきた、と言っているが、その努力の強さ頑張り、というものは、汝自身の判断であろう?。汝以外の者が、『マヒーパーラは本当に頑張っている、努力している』と言ってくれたのだろうか?。」
「・・・・そ、それは・・・・。」
「それは、自己満足の努力なのではないか?。本当に、もう努力する余地はないのだろうか?。」
「そ、それは・・・それは・・・・。」
「それでいて、毎日不平不満を口にしているだけで、いったい何がどう変わるというのかね?。」
「・・・・か、変わりません・・・。」
「よいか、マヒーパーラ。愚痴って、不平不満を垂れて、善い方向に変わってくれるなら、大いに愚痴ればよろしい。それで悩みが解決するなら、愚痴るだけ愚痴りなさい。愚痴って、問題が解決するならそんな楽なことはないから。
しかし、愚痴っても、不平不満を口にしても、何の解決にもならないのなら、愚痴るだけ無駄だ。その愚痴る、不平不満を口にする、それだけで、かえって運を悪くしているのだ。徳を落としているのだよ。
よいか、マヒーパーラ。愚痴って解決しないのなら、愚痴るのではなく、『なぜそうなるのか』ということをよく考えるのだ。まずは、原因をつかむのだ。そして解決方法を考えるのだ。さらに、その考えに従って、実行をするのだ。努力するのだ。
そうしなければ、汝の人生は何も変わらない。汝のこれからの人生が、明るいのか、暗いのか、それは汝自身によるのだよ。誰にもわからないことなのだ。自分の人生の未来は、自分で築くものなのだ。誰かが、築いてくれるものではない。己自身が明るくしていくのだよ。
さぁ、今すぐ考えよ。汝の人生を善くするにはどうしたらいい。まずは何をすればいい?。」
お釈迦様にそう言われ、マヒーパーラは考え始めた。

「・・・・そ、そうですねぇ。とりあえず、店が流行れば・・・。収入も増えますし、借金も返せます。生活も安定するし・・・・。あぁ、そうすれば、親元からも出られます。あ、なるほど・・・・。親元から出られれば、自分の生活ができる。そうですよね・・・・。そうか・・・あぁ、でも店が流行るなんて・・・・。それは・・・・。」
そこでクマーラが叫んだ。
「そこだよ、そこ!。店を流行らせるんだよ。そのためにはどうしたらいい?。愚痴るんじゃなくて、店を流行らせる方法を考えるんだ。まず、なぜ流行らないか、それを考えろ!。」
「その通りだ、クマーラ。」
お釈迦様がほほ笑んで言った。
「店が流行らない理由・・・・。お、俺にはわからない・・・。」
「この間、流行ってる店にいったろ?。あそこは何で流行ってるんだ?。」
「・・・・。」
「マヒーパーラ、お前はな、あの店の悪いところばかりを見ようとしていた。妬みの心がそうさせているんだ。そうじゃなく、なぜ流行っているのか、ということをよく観察して、まねできるところはまねて、自分が劣っているところは追いつこうとして、あの店にない工夫があればそれを実行すればいいだろ。そう思わないか?。」
「た、確かに・・・・・俺は・・・・妬んでいた。あんな店・・・・って思っていた。そうか、俺は、卑屈になっていたんだな。自棄を起こしていたんだ。あぁ・・・、俺はバカだ。ちっとも努力なんかしていなかった。何にも解決策をとってなかった。いつも文句ばかり言って・・・・。」
「気がついたかね、マヒーパーラ。」
「はい、ようやくわかりました。俺は、愚痴ばかり言って、文句ばかり言って、工夫をしようとしていませんでした。運が悪いせいにしたり、客が悪いせいにしたり、親が悪いせいにしたり・・・・。結局、自分が悪かったんですね。わかりました。何もかも、自分が悪かったのです。」
「目が覚めたか、マヒーパーラよ。では、これから何をすれば、よいのかな?。」
「はい、なぜ店が流行らないを考えることです。でも俺一人じゃ・・・。」
「大丈夫です、お釈迦様。俺が励ましながら、こいつの店を流行らせますよ。」
「マヒーパーラ、善い友が汝にはいるではないか。これは、大きな徳である。それをなくさぬよう、努力しなさい。」
「はい、わかりました。これから、クマーラに俺がやるべきことを教えてもらいます。俺自身もなぜこうなったのか、よくよく考えてみます。もう愚痴は言いません。愚痴を言う前に、考えます。そして行動します。」
マヒーパーラはきっぱりと宣言したのであった。お釈迦様は、マヒーパーラを見守るように微笑んだのであった。


他人の愚痴は、聞いていていいものではありません。聞かされるほうは、うんざりすることが多いではないでしょうか。愚痴を言うほうも、
「こんな話聞きたくないよね」
と思ってはいると思います。本人は、愚痴だということを認識している、と思います。まあ、認識してないで、グチグチずーっと愚痴を言いっぱなしの人もいますけどね。何度も同じ話ばかりで、同じ愚痴ばかり・・・という人もね。
私のところに相談に来られる方の中にも、愚痴を言いに来られる方もいます。愚痴だけを言っていくんですね。
で、そういう方の中には、初めから解決など望んでいない方もいます。愚痴を言いたいだけなんですね。ですから、さんざん愚痴を言い終わったあと、
「あぁ、すっきりしました。これで明日からまた働けます。」
と言って帰っていきます。私は、な〜んにも言いません。ただ、愚痴を聞くだけです。回答も、あーせいこーせいという指示も、こうしたほうが楽だよ、という話も、何にもしません。ただただ聞くのみ、です。
それはそれでいいんです。そういう方は、解決したいのではないからです。ただ、愚痴を聞いて欲しい、だけだからです。
愚痴を言って、すっきりするなら、それでいいと思います。大いに愚痴ればいいんです。困るのは、解決を求めながら、グチグチ言って実行しない、いつまでも同じ場所、同じ考えから動こうとしない、自分が間違っている、ということを認めようとしない、それでいて愚痴を言い、不平不満を垂れ、不公平だと強調していく方なのです。これは、困ります。

愚痴を言って解決するなら、大いに愚痴ればいいんです。それで気楽になるなら、愚痴ってすっきりすればいいのですよ。ただし、解決や答え、指示を求めないことです。
「どうしたらいい?」
なんて聞かないことです。そう聞くのなら、しっかり実行しなければいけません。答えを求めておいて、実行もせず、努力もせず、それでいて愚痴るのは、インチキです。愚痴る資格はありません。愚痴るなら、答えを求めずに愚痴るだけにして欲しいですよね。
「どうしたらいい?」
と聞くのなら、得られた答え、アドバイスをしかっかり実行するべきでしょう。実行もしないで、努力もしないで、愚痴を言うのは、いけませんよね。聞いた以上、実行すべきです。

愚痴っても解決しないのなら、愚痴るだけ無駄です。それよりも、
「なぜそうなったか」
「なにがいけなかったか」
「どうすればよくなるのか」
ということをよく考え、その結果導かれた答えに従って、行動しなおす、ほうが断然楽なんですよ。愚痴っているよりも、早く次の行動へ移ることができるんですね。で、よりよく改善ができるんです。

愚痴を言って解決するなら、大いに愚痴りましょう。でもそうでないなら、具体的にどうすればいいのかをよく考えましょう。
愚痴っているだけ、時間が無駄です。聞いてくれる人もうんざりします。愚痴るよりどうすればいいかを考えることが第一です。
あなたの未来は、あなた自身が作っていくのですから・・・・・。合掌。


第84回
どれほど言葉を尽くし、教えを説いても、
何度も話をし諭そうとしても、受け入れられないこともある。
聞く耳を持たぬ者は救うことができない。
お釈迦様が祇園精舎にいらしたときのことであった。あるバラモンが、お釈迦様を訪ね、教えを聞いていた。
「よくわかりました。世尊が至った境地・・・悟りの世界は、私たちバラモンにはとても至れない境地です。今後とも精進して修行に励み、少しでも悟りに近付きたいと思います。」
「ふむ、日々修行に励むがよい。」
「ところで、世尊ならどんなものでも救うことができるのでしょうね。」
「バラモンよ、それは違う。」
「違う・・・のですか?。」
「そうだバラモンよ。どんなものでも救うことができる、と考えるのは自惚れである。たとえ私であっても、救うことができるものは、ほんの少しなのだよ。」
「まさか・・・世尊ともあろう方が・・・・。」
「いや、それほど衆生を救うことは難しいことなのだ。たとえば、こんなことがあった・・・。」
お釈迦様はそういうと、遠くを見つめるような目をして話を続けたのだった。
「あれは、竹林精舎に数年滞在していた時のことだ。遠くから熱心に法話を聞きにる夫婦がいた。とはいっても、その夫婦は遠方の方なので、年に2〜3度程度ではあったが、来られると必ず多くの布や地元で採れた食料などを施していた。
その夫婦が竹林精舎に来られるようになって、ちょうど5年目のことだった。その夫婦の奥さんがこんなことを言い出したのだ・・・・。」

竹林精舎の奥のほう、お釈迦様の前には遠方から来た夫婦が座っていた。
「お釈迦様、来年の夏の万灯会には来られないかもしれません」
「ほう、そうですか。来られるのも来られないのもあなたご自身で決めればよいことです」
「そ、そんな・・・、そんな冷たい言い方を・・・ひどくないでしょうか」
「冷たい言い方?。来られないかもしれない、とおっしゃったのはあなた自身ですよ。それに対し、来る来ないはあなたが決めることであり、私が決めることではない、と言っているだけですが、それのどこが冷たい言い方なのでしょうか?」
「私たちは、遠くから毎年毎年、多くの布や食料品などをもってここまで来ています。随分とお釈迦様の教団に施しをしている、協力をしていると思いますが、いかがですか?」
「確かに多くの施しをされています。それが、どうしたというのでしょうか」
「少しは、感謝していただきたいのです。いや、感謝しているのなら、そんな突き放すような言い方をされないのではないでしょうか」
「感謝はしています。あなただけでない、私たち修行者は、多くの人々に感謝してます。ラージャグリハの人々や遠くから来られる人々、施しをされる方々、施された食糧や布や油などの必需品に対しても、この自然にも、あらゆる存在に私たち修行者は感謝し、日々精進しています」
「そうではなくて・・・・」
「あなただけに感謝しろと、そう言いたいのですか?」
「いや、そうとは言いませんが・・・・・」
「なにが言いたいのか、わかりませんが・・・・」
「来年の夏の万灯会に、私達が来なくてもいいのでしょうか。お釈迦様はそれでいいのですか」
「いいも悪いもないでしょう。来る来ないは、あなた方が決めることです。私のほうから来て下さい、来てほしい、ということはありません。誰が集い、誰が去り、誰が来て、誰が来ないかは、関知するところではありません。誰が来ても、誰が来なくても、誰が集っても、誰が去っても、構わないでしょう」
「そんな・・・せっかく毎年来ているのに、お釈迦様はそんなふうにしか思ってらっしゃらなかったのですか」
「私はすべての欲を超えた仏陀です。どなたが来ようが、どなたが去ろうが、こだわることはありません。たとえ来られる方が一人もいなくても、万灯会は行われるであろうし、布薩は行われるであろうし、法話会は行われるでしょう。人がいるいないは関係のないことです」
「それじゃあ、私達が今までやってきたことは何なのでしょうか。何のために遠くからお金をかけてここまでやってきたのでしょうか」
「それはあなた方が決めたことですから、私の関知するところではありません。私に聞くことではない」
「私たちは、遠くから何度も足を運びました。お金もかけました。それなのに・・・少しは私たちのことを気にとめてくださってもいいのではないでしょうか」
「では、聞こう。あなた方は何のために、今まで竹林精舎に通われたのだ」
「徳を積むためです」
「何のために徳を積むのか」
「すこしでも安楽になりたいからです。幸せになりたいからです」
「徳を積むために、教団に施しをするのであれば、私がここにいようがいまいが、関係はないのではないかね。また、私があなたたちを知っていようがいまいが、関係ないのではないかね。教団に施しをすればいいのだから、そこに私が入る必要はないであろう。徳を積むために施しをしているのなら、私があなた方を気にとめようがとめまいが、どちらでもいいことであろう」
「確かにそうですが・・・・」
「あなた方が、私個人に施しをしたい、と言われるのなら、それはお断りいたします。施しは教団に対して行われるものであり、私個人や長老を始め修行者個人に行われることを禁じています。布施は教団に対して行われるものなのです。あなた方もご存知のはずですが」
「それはわかってます・・・・でも・・・・。じゃあ、いいです。それなら、私たちはもうどれくらい徳を積めてますか。もし、万灯会に来なかったら、どれくらいの徳を損しますか?」
「あなたは、そんな考えで竹林精舎まで来ていたのですか・・・・」
そういうと、お釈迦様は首を横に振り悲しそうな顔をしたのだった。

「あなた方はこの精舎に来られるようになって、もう5年ほどになる。その間、いろいろな話を聞いたであろう。欲に関する話、徳に関する話、こだわりなきよう生きる話、少しでも楽になれるよう心掛けることの話、やってはいけないことややらなければならないことの話、そうした話を何度も聞いてきたのではないだろうか」
「はい、聞きました」
「その話の中に、これだけ布施をしたから徳が大きく積むことができた、布施を怠ったからこれだけ徳を減らしてしまった、などと考えるのは愚かなことだ、という話はなかっただろうか」
「確かにありました。でも・・・そのなんというか、もし万灯会に来なくて今まで積んだ徳を損してしまうなら、万灯会に来たほうがいいかな・・・と思いまして・・・・」
「そうではない。徳が積めるから来る、徳を失うから来る、というのでは徳積みにはならぬであろう。徳というものは善行に付随するものなのだ。先に徳を考えたのでは、本末転倒であろう。精舎に来る、布施をする、その行為そのものが尊いことであって、どのくらいの徳があるか、どの程度徳が積めるか、などと考えるのは愚かなことだ、という話を聞いていよう」
「そうなんですが、どうしても気になるんです。ご利益がないなら来ても仕方がないし、徳が多く積めるなら来たほうがいいですし。遠くから来るので、費用もかかります。その費用に見合っただけの徳が積めなければ意味がないように思うのです」
「あなたがそう考えるのなら、ここには来ないほうがよろしい。精舎へ来る目的が徳積みや利益であるのはまだいい。しかし、その徳や利益がここまで来るための費用と同等かそれ以上かなどと計算するようでは、徳積みにはならぬ。そういう欲の計算ばかりしているのなら、二度と来ないことだ・・・・・」
お釈迦様はそういうと、静かに立って精舎の奥へと去っていったのだった・・・・。

その話を聞いたバラモンは呆れたように言った。
「なんとまあ、5年も世尊の話を聞かれて、まだそのような迷い事を言っているとは・・・・。呆れたものですねぇ・・・。」
「バラモンよ、世の中にはこのようにいくら話をしても通じない相手も存在するのだ。」
「欲に目がくらんでいるのでしょうか。」
「そうでもある。が、己は間違っていない、己こそ正しい、と思っているから、他者の話が耳に入らぬのだ。」
「あぁ、なるほど・・・・。いくらいい話を聞いても、自分には関係ない、自分のことではない、と思って聞いていたら、耳に入っては来ませんからねぇ・・・・。きっと、そのご夫婦も、自分たちは間違っていないと思いこんでいるのでしょう。精舎に来るための費用とその結果得られる徳や利益を比較することが、間違った行為とは思えないのでしょうね。」
「そうなのだバラモンよ。そのときも、私は彼らにこう言ったのだ。
『自分たちの考え方が間違っていると認識しない限り、欲から解放されることはない。徳が積めることはない、苦しみの世界から解放されることはないのだよ』
とね。」
「その夫婦は理解できたのでしょうか?。」
「いや、その言葉が彼らの耳に届くことはなかった・・・・。」
「やはりそうでしたか・・・・。まずは、話を聞くことができる耳を持たないことには何ともならいのですね。」
「たとえ仏陀であっても、聞く耳を持たぬ者は救うことはできないのだ。いくら諭しても、いくら話を積み上げても、それを聞こうとしない者は救うことはできない。どれほど言葉を尽くし、多くの教えを語ろうとも、聞く耳を持たぬ者は救うことはできないのだよ、バラモンよ。」
「悲しいですね。救うことができない者がいるということは・・・・。」
「バラモンよ、私がこの世で救うことができる者はどれほどいるでろうか、汝はわかるか。」
「いや・・・・そうですね・・・・。コーサラ国の住民くらいの数でしょうか?。」
「いやいや・・・・。ガンジス河の砂の数ほど人々はいるが・・・・。」
そういってお釈迦様は、祇園精舎の地面の砂を右手で握った。
「ここがガンジス河だとしよう。そのガンジス河の砂を握り、左手の親指の爪にかけよう。」
そういうとお釈迦様は、右手に握った砂を差し出した左手の親指の爪にかけた。すると、親指の爪の上に砂の山ができた。
「あぁ、わかりました。先ほど世尊は世の中の人はガンジス河の砂の数ほどいる、とおっしゃった。その中から握った砂の数が救えるのかと思いましたが、そうではないのですね。その爪の上の砂ほどの者しか救えない、ということですね。」
「いや、バラモンよ、まだ早い・・・・。」
お釈迦様はそういうと、左手を軽く左右に揺すった。すると、親指の上の砂山は崩れ、さらさらと砂が落ちていった。爪の上に残った砂はほんのわずかであった。
「たったそれだけ・・・・なのでしょうか。」
「その通りだバラモンよ。私が救えるのは、この爪の上の砂ほどの者だけなのだよ。なぜなら、多くのもは聞く耳を持たないからだ。」
そういうと、お釈迦様は悲しそうな顔をされたのだった。
「世尊、私はいま決意いたしました。私も世尊の爪の上の砂になりたいです。どうか出家させて下さい。」
そのバラモンは、そういうとお釈迦様の御足に額をつけて礼拝したのだった。バラモンの決意は固く、お釈迦様はバラモンの出家を許した。
「決して爪から落ちぬよう、修行に励むがよい。」
お釈迦様はバラモンに優しく声をかけたのだった・・・・。


私たち僧侶が最もショックなことは、何度も何度も仏教の話や教えを説いたにもかかわらず、そうした話や教えを聞いた方が、その教えに反して犯罪を犯したり、まったく教えに反対するようなことを言ったりすることでしょう。特に長年にわたり、何度も教えの話を聞いて理解しているような顔をされたりしていた方が、とんでもなく欲の突っ張ったことを言われたり、されたりすると、本当にガックリきます。虚しくなりますよね。
「いままで話したことは何だったんだろうか・・・・」
と。
でも、お釈迦様ですら、説き伏せることができない者、救うことができない者、導くことができない者がいたのですから、仕方がないですよね。お釈迦様の足元にも及ばない我々が、導けない者がいても当然なのです。
でも、ショックを受けますよね、やっぱり・・・・。

先月のこと、「怪しい部屋」で
「初観音にお参りに行かなかったらどれだけご利益を損しますか?、お参りに行ったらどれだけご利益をもらえますか」
と聞いた方がいる、と書きました。もちろん、誰か、という特定はできませんよ。匿名ですし、たとえ話かも知れませんからね。実在の人物かどうかもわかりません。HPを見ている限りでは・・・・。
ですが、当の本人から電話がありまして
「ひどいじゃないですか。何もそんなこと書かなくても・・・・。これからもうお参りに行けないじゃないですか」
と抗議をされました。抗議されただけで、
「あの内容を読んで、つくづく自分が恥ずかしいことを言ったのだ、と反省しております。なんと自分は愚かだったのか・・・・。欲の間違いをしていたのだ、とようやくわかりました」
というような言葉は一つもありませんでした。それどころか、
「今までお参りして来たのにご利益もないし、祈願も効かない」
と逆ギレされました。びっくりしましたねぇ、これには。

こういう方は、きっとどんな話をしても理解できないだろうな、とそのとき思いました。いままでも、何度も話をしてきましたが、少しも分ってらっしゃらないようです。となれば、これからも、理解は難しいのだろうな、と思ったのです。
なぜなら、この方の態度は、終始
「自分は間違っていない」
という態度だからです。そういう方は、話を聞く耳を持ってませんからね。
どんなにいい話をしても、どんなに言葉を尽くしても、どんなに教えを説いても、どんなに諭しても、聞く側がその話を、言葉を聞こうとしなければ、何の意味もありません。どんなにいい言葉も虚しく消え去るのみです。相手の耳に届くことはないのです。

お釈迦様ですら、そういう経験があった。お釈迦様の言葉ですら、届かなかったことがあった。
そう思えば、我々の言葉が届かないことがあっても仕方がないか、と慰められますよね。
効く耳を持たぬ者には、どんなにいい言葉も届かない・・・・。
世の中、虚しいことが多いですね。だからと言って、教えを説くことをやめるわけにはいきません。たとえ、虚しくとも、教えを説き続けなければいけないのでしょう。
それは、親子の間でも、会社内であっても、同じことが言えるのではないでしょうか。親が子に、根気よく教えを説き、言葉を尽くし、理解してもらおうとする、お互いの理解を深めようとする・・・・。
なかなか届かないかも知れませんが、やめてはいけないことですよね。
会社内ならどうでしょうか。血縁ではないから、言葉が届かない、理解されないようなら、会社を辞める、あるいは辞めさせることが可能でしょう。会社関係ならズタズタに傷つくよりも、辞めてしまったほうがいい、辞めさせたほうがいい、ということもありますよね。他人ですから、ボロボロになるまで親身になる必要はありませんから。

世の中、言葉が届かない者もいるのだと、理解しておきましょう。こればかりは、仕方がないのです。お互い違う価値観の中に生きているのですから・・・・。
合掌。


第85回
己の不幸を嘆くな、他人の幸福を妬むな。
他人の不幸を笑うな、己の幸福に酔うな。
幸福も不幸も移り変わるものだし、自分で招くものなのだから。

お釈迦様がいらした当時、マガダ国の首都ラージャグリハは大きな商業都市であった。街には世界中から珍しいものや食べ物が集まり、多くの人々で賑わっていた。
「いや〜、久しぶりだな。お前は何をしているんだ。どんな仕事をしているんだ?」
そう尋ねたのは、ラージャグリハで大きな貿易商を営んでいたニルデーサという男だった。
「あぁ、久しぶり。俺かい?。いや、大した仕事じゃないよ。お前ほどじゃないさ」
答えたのは、パリスラバーナだった。ラージャグリハの街で一番高級な食堂でのことだった。
二人は同じ村の出身で、生まれた年も同じだった。幼い頃から仲良く、いつも一緒に遊んでいた。ニルデーサの家は貿易商を、パリスラバーナの家は建築業を営んでいた。両家とも、とても裕福で、親は二人のために優秀なバラモンを雇い、教育を身につけさせていた。二人は何不自由なく育っていったのだった。
二人が青年になった頃のこと。ニルデーサの親が営んでいた貿易商の船が難破した。その被害は甚大で、しかも父親がその船に乗っており、ニルデーサの家の貿易商は、続けることができなくなってしまった。ニルデーサ一家は、逃げるようにして村を去っていった。

「あれから、何年になるかな・・・・。父親のやっていた貿易商を復活させるのにずいぶん苦労したよ。あのときは・・・・面白くなかった・・・・」
ニルデーサは、パリスラバーナを睨むように見つめた。
「そ、そうかい?。あ、あのときは・・・急にいなくなったから、君たち。その・・・・」
「何をそわそわしているんだ。俺は何も言ってないぜ。・・・・もうどうでもいいことだ。俺の一家が村を逃げた時、お前が家の陰でニヤニヤ笑っていたことなんかな」
「そ、そんな・・・そんなことは知らないよ。何かの誤解だよ。そ、それにしても、もう10年もたつのかな」
「あぁ、そうだな、10年たった。この10年長かったよ。苦労の連続だった。一時は死のうかとも思った。でも、なんとかここまでこれた・・・・。それもお前のおかげだよ、パリスラバーナ」
「そ、そうかな。そうじゃないよ。君の実力さ・・・・」
パリスラバーナは、消え入りそうな声でそう言うと、下を向いてしまった。
「いや、本気でそう思っている。お前があのとき俺を笑ったからこそ、俺は頑張れた。絶対に見返してやると誓えたのだから」
パリスラバーナは、横を向いて何も答えなかった。ただ汗が流れるだけだった。
「どうしたんだ?。俺は感謝しているっていっているんだぜ。ここまで成功できたのはお前のおかげだってな。・・・・まあいいや。もし、何か困ったことでもあったら、いつでもいってくれ。今度は、俺が力になろう。忙しいところを誘って悪かったな。あぁ、今日は俺が奢るよ。この店は高いことで有名だからな。余分に払っていくから酒でも飲んで楽しんでくれ」
そいうと、ニルデーサは支払いを済ませ、店を出て行った。
「くっそ、ちょっと成功したからって・・・・なんだあの態度。バカにしやがって」
パリスラバーナは、高級な酒を頼み、残った食事をすべてたいらげ、店を出て行った。
「あ〜、面白くねぇ。何だっていうんだ。ふん、ちょっと成功したからって・・・。あぁあいいなぁ・・・。あんな高級な衣装を身につけてさ。付き人を二人も付けて歩きやがって。・・・ふん、そうさ、確かに笑ったさ。あのときな、おかしくてさ。あいつの泣き顔がおかしくて・・・」
彼はふらふらと歩きながら、一人ブツブツ文句を言っていた。
「何がいけないんだ。あいつの家が落ちぶれたのを笑って、どこがいけないんだ。くっそ。だってよう、他人の不幸は蜜の味っていうじゃねぇか。こんな楽しいことはないだろうよ。それなのに、『もうどうでもいいことだ』だってよ。すましやがって。どうでもいいなら俺の前に顔を出すな。ふん、復讐したつもりなんだろう。復讐なんかになるかっ。そんなものにはならないさ。俺はもう・・・・もう、失うものなんか何もない・・・・」
いつのまにか、パリスラバーナは河のほとりに座っていた。

「ずいぶん荒れていますねぇ。どうしたのですか」
声を掛けたのは、河岸の大きな木の下で瞑想をしていたシャーリープトラだった。そこは、竹林精舎のすぐ近くだったのだ。
「誰だ、あんた・・・。は、修行者か・・・・。あぁ、そうだ。教えてくれ。俺は不幸なんだ。どうしてこんなに不幸なのか、教えてくれよ」
「ほう、あなたは不幸だという・・・・。いいでしょう、教えてあげましょう。でも、その前に酔いを覚ましなさい」
そういうとシャーリープトラは、パリスラバーナを河まで連れて行って、顔を洗わせた。
「酔いは覚めましたか?」
「は、はい・・・。なんとか、大丈夫です」
「そうですか。では、どうして不幸なのか教えてあげましょう。その前に、ちょっとお尋ねします。あなたは不幸だというが、本当に不幸なのですか」
「みりゃあ、わかるでしょ。このみすぼらしい姿をさ。みじめなもんだよ・・・」
「いやいや、私たち出家者よりもいいものを着ていらっしゃるようですが」
「おいおい、出家者と一緒にされちゃあねぇ・・・。そこまで落ちちゃいないよ。ま、あんたらはそれでいいのだろうけど。俺は違う。もっといいものを着たいし、金も欲しい。けど、手に入らない。だから不幸なんだ」
「お金が欲しいのなら働けばいいじゃないですか」
「働くのか・・・・。まあ、そうなんだけど・・・・。いいよなぁ、あんたらはちっとも働かなくても生きていけるんだから。羨ましい限りだね。」
「おやおや、先ほどあなたは私に向かって『それほど落ちぶれてはいない』とおっしゃった。でも、今は羨ましいという。どちらなのですか」
「あ、あぁ、そうか・・・。う〜ん。そう、働かなくても食べていけることは羨ましい。でも、そんな姿はしたくない。そういうことだな」
「おやおや、ずいぶんと勝手なことをおっしゃいますね。働かなければ食べてはいけない。いい衣装も手に入らない。出家すれば働かなくても食事はとれる、でも姿はみすぼらしい。それは当たり前のことではありませんか」
「だってね、働くのは大変なんだよ。しんどいし」
「修行するのも大変ですよ。しんどいし」
「うっ。そりゃあ、まあそうだけど・・・・」
「あなた、働いたことはあるのですか」
「あ、あるさ。親の仕事を手伝ったさ」
「何を」
「建築業だよ。大きな家を建てていたんだ。儲かっていたよ」
「で、今はどうされているのです。お父上は」
「亡くなった」
「仕事はどうされたのですか」
「やめたよ」
「財産は?」
「そんなもの・・・・使い果たしさ。ぜ〜んぶ飲み食いしちまった。酒に女に賭け事に・・・・だな」
「じゃあ、幸せだったじゃないですか。ずいぶん楽しんだのでしょう」
「幸せ?。幸せといえば幸せか・・・・。あぁ、そうだな。その時はね。でも今は不幸だ。金もない」
「それは自分で招いたのではないですか?」
そういうと、シャーリープトラはパリスラバーナの顔をじっと見つめた。
「ほう、あなた他人の不幸・・・・災難といったほうがいいか・・・それを笑っていたんですね。他人の不幸を笑ってはいけませんよ。己が不幸になる・・・・・・ほう、あなたその彼を妬んでいますね。妬んではいけません。妬みからは毒しか生まれてきません。その毒は身を滅ぼします。あぁ、そうか、あなたは妬みの毒で病にかかっているんだ。もう重症ですね」
「な、なにをいってるんだ。あんたなぜそれを・・・あぁ、さっき聞いていたのか。ああ、そうさ。俺は幼馴染の不幸を笑っていたよ。そうさ、今じゃあ俺が笑われる番だ。笑いたければ笑えよ。ああ、妬んでいるよ。羨ましいよ。なんであいつだけ成功しやがって・・・・」
「それは、その彼が働いたからでしょう。苦労して働いたから成功しているのでしょう。働かずに遊んでばかりいたらお金がなくなるのは当然でしょう。あなたは、自分で自分を不幸にしているだけじゃないですか」
「そりゃ、まあ、そうだけど・・・・」
「あのねぇ君。人はね、何がきっかけで幸福になるか、何がきっかけで不幸になるかわからないでしょう。その幼馴染の彼だって、家が落ちぶれなければ、今の君と同じようになっていたかも知れないでしょう。裕福な家庭で働くことを知らずに育ったのでしょ、二人とも。ならば、その彼は、家が落ちぶれたことが幸いしたのでしょう。大事なのは、そのきっかけを見つけて自分のものにし、努力するかどうか、なのではないですか。今のあなたは、幼馴染の家が落ちぶれた時と同じなのではないですか。違うのは、彼はそのきっかけを利用して立ち直った、あなたはきっかけを利用していない、それだけのことです」
「た、確かに・・・・そうなんだけど・・・・・」
「これを契機に、奮闘すればいいのではないですか。妬んでいる暇があったらね」
「ま、まあ、そうなんだけど」
「結局は、自分で自分を不幸にしているだけですね」
「はぁ・・・・・。その通りです。自分で不幸にしている、自分で自分の人生をダメにしているだけです。それを人のせいにしているだけです」
「幸福か不幸かは、移り変わるものです。今不幸でも何かのきっかけで変わることもあります。今、幸福でも何かのきっかけで不幸になることもあります。不幸を招かないように用心し、幸福になれるように努力する、それが大事でしょう」
「お、俺でも・・・努力すれば・・・・」
「そう。己の不幸を嘆く暇があったら働きなさい。他人の幸福を妬む暇があったら働きなさい。そして、自分なりの幸福を見つければいいのですよ。何が幸福で、何が不幸かは、わからないでしょう」
「あぁ、そうか・・・・忙しいばかりで遊べなかったら不幸かもしれないし・・・・」
「そうそう、自分にあった幸福でいいんですよ」
「わ、わかりました・・・。俺、自分の幸せを見つけてみます。で、少しは働いてみます。ありがとうございました」
そういうとパリスラバーナは、川岸を走り去っていったのだった。

数日後のこと。ニルデーサの接待を受けていたお釈迦様は、帰り際に彼にこう告げた。
「ニルデーサ。今は仕事も順調で忙しくしているが、どこに災いが転がっているかはわからない。用心して仕事をされるがいい。」
「はい、世尊。ありがとうございます。父親が油断をして家を失くしましたから、私は用心深く仕事をしています。大丈夫です。今は幸福であっても一寸先はわかりません。でも、こうした徳積みを通じて私は知りました、何が幸福で何が不幸かということを。裕福な生活が必ずしも幸福とは限りませんし、財産を失くしたからと言って不幸であるとは限りません。・・・・あの時、家を追い出されたとき、確かにつらかった・・・。でも今思えば、あれで幸せだったんです。幸・不幸は自分で招くものです。また、常に移り変わっている世の中ですから、この生活が続くとは限りません。まあ、また何か困ったことがあったら、一からやり直すだけです。私は決して人の幸福を妬みませんし、人の不幸を笑うようなことはしません。また己の幸福にも酔いません」
「それだけの決意があるのなら、何も言うことはあるまい」
そういうとお釈迦様はやさしく微笑んで精舎へ戻っていったのだった。
その後も、ニルデーサの貿易会社は順調に仕事を続けたそうである。また、パリスラバーナは、南方の村にいき、のんびりと農作物を作りながら過ごしていた。いまでは、女房子供も抱えていたが、満足な日々を過ごしていた。畑を駆け回る子供を眺めながら彼は満足そうにつぶやいた。
「俺には、こうしたのんびりとした生活があっているんだな。なるほど、幸福は自分で招くものだ・・・・。あぁあ、幸せだぁ・・・」


「他人の不幸は蜜の味」
などといいますが、この言葉、私は好きじゃないですね。
というか、他人のことなんで、どうでもいいのに・・・。幸せだろうが不幸だろうが、どちらでもいいと思うのですが、それではいけないんでしょうかねぇ。
たまに、
「あの人がね、こんな風になっちゃったんだよ。かわいそうだねぇ」
と、にこやかに笑いながら言う人や
「普段の行いが悪いんだよ、ざまあみろですよね」
な〜んて明らかに嘲りの表情を浮かべる人がいます。
そういう人にあうと、
「あんたこそが不幸だろう。人の不幸を笑うほうが不幸なんだけどねぇ」
と思います。
他人の不幸が蜜の味なんて、なんて心が貧しいいのでしょうか。そうは思いませんか。

今、幸せであっても、いつ不幸が訪れるかわかりません。
今、不幸であっても、いつ幸福が訪れるかわかりません。
それは誰にもわからないし、誰のもとにも訪れる可能性があることなのです。
明日不幸になるかもしれないし、明日幸福になるかもしれないのです。
他人の不幸を笑っていたその人のもとにも不幸が訪れるかも知れません。他人の幸福を妬んでいたその人に、ついに幸福がやってくるかも知れません。それはわからないことですよね。
また、自分が不幸であっても、いつ幸福なるかもわかりませんよね。日ごろの努力が求められ、いきなり幸福がやってくる・・・・ということもあります。また、不幸な人が、急に幸運をつかむこともあります。
幸か不幸かなんて、どうなるかわからないものなのです。

ただ言えることは、何が幸福で何が不幸かなどというのは、その人その人で異なる、ということです。また、災いが幸福になるきっかけになることもある、ということです。
何がきっかけで、人は幸福になるかわかりません。ですから、今だけをみて、
「いいなあ、幸せで」
「はは、ざまーみろ、バチがあたった」
などと、他人の幸・不幸を気にしてはいけないのです。今だけの問題じゃないのです。

結局は、
「他人の不幸や幸福など、どうでもいい」
というスタンスが最もよいのですよ。我、関せず・・・・ですね。
合掌。


第86回
何が善か。他を喜ばせ、安心させるのが善である。
何が悪か。他を悲しませ、苦しませるのが悪である。
善を行い、悪を行うな。これが基本である。

お釈迦様が祇園精舎にいらしたときのことであった。近くのマンゴー園で働く男がお釈迦様を訪ねてきた。名前をフリダヤといった。
「お釈迦様、今日はお釈迦様にちょいと聞きてぇことがあんだ」
「何なりと聞くがよい」
「おらぁ、頭が弱い。マンゴー園でしか働けねぇ。毎日、マンゴーの世話することしかできねぇ。そんなおらでも、幸せになれるんかね。今度、生まれてくるときは、もうちっとましな生活ができるんかね」
「フリダヤ、今の生活のままでも、汝は幸福を得られるし、死後、天界に生まれわかることもできよう」
「ほ、本当ですかね。それには一体どうすればいいんだ」
「簡単なことだ。善いことをして、悪いことをしなければよい」
「善いことをして・・・・悪いことをしない・・・・。たった、それだけでええのかね」
「あぁ、そうだフリダヤ、たったそれだけでよい」
「ふ〜ん・・・。お釈迦様の教えはエライ難しいことだから、お前のような頭が悪いものは理解できねぇ、って言われてきたんだけんど・・・・、たったそれだけでええのなら、おらにもできる。本当にそれがお釈迦様の教えなんだね?」
「あぁ、そうだ。・・・ここにいる他の者も聞いたほうがよいな。シャーリープトラよ、皆を集めるがいい。出家者も在家の者も、今精舎にいるものを集めなさい」
お釈迦様に言われ、シャーリープトラは、その時祇園精舎にいた出家者も在家者もすべての者を集めたのだった。

「皆の者に聞かせたい話がある。これは、仏陀の教えの基本である。
仏陀は、私で7人目である。私以前に6人の仏陀がこの地上に現れた。その最初の仏陀から私に至るまで、また今後現れる未来の仏陀においても、共通の教えがある。これは、過去・現在・未来におけるすべての仏陀が説く教えである。
もろもろの悪はなすことなかれ (諸悪莫作・・・しょあくまくさ)
もろもろの善はよくこれを行え  (諸善奉行・・・しょぜんぶぎょう)
みずからその心を清くせよ    (自浄其意・・・じじょうごい)
これ諸仏の法なり         (是諸仏法・・・ぜしょぶっぽう)
よいか、善はこれをなせ、悪はこれをなすな。己の心を清くせよ。この基本の教えさえ守れば、汝らに幸福は訪れ、安らかなる世界へと導かれよう」
この話を聞いた修行僧や人々は、みな口々に、この教えを唱えたのだった。その時に一人のバラモンが大声で言った。
「ふん、仏陀の教えというが、大したものではないな。そんなことは、幼子でも知っている」
その言葉に多くの者は、そのバラモンを睨んだが、賛同し、うなずく者も中にはいた。お釈迦様は、表情を一つも変えず、バラモンに質問をした。
「では、聞くがバラモン、実行することは簡単か難しいか」
「そなんことは・・・・うっ、うううん・・・」
「さぁ、どうしたバラモンよ。確かに善をなし、悪をなすなということは、幼子でも知っている。しかし、実行となるとどうであろうか」
「は・・・い、実行することは難しいことです」
「知っていることと実行することは違う。私は、汝らにこれを実践しなさい、と説いているのだよ」
お釈迦様の言葉に、バラモンはうなだれた。また、バラモンの意見に賛同した者も、「なるほど・・・」と小声でうなずいていた。
「すんません」
といって手を挙げた者がいた。フリダヤだった。
「なんだね、フリダヤ」
「おらぁ、頭が悪いんで、よくわからんのですが・・・。何が善いことで、何が悪いことだと思えばいいのですか」
この質問に、フリダヤを小馬鹿にしたような笑い声があちこちでおこった。
「フリダヤ、よい質問だ。こうした簡単なことはわかっているようで実はわかっていない場合が多い。この中にもフリダヤのように、何が善で何が悪かわかっていない者も多かろう」
お釈迦様の言葉に、多くの者がうなずいた。フリダヤを笑ったものは恥入っていた。

「フリダヤ、よく聞くがよい。何が善で何が悪であるか。
善とは、自分以外の者、周囲の者に喜びを与え、安心を与えることを善という。
悪とは、自分以外の者、周囲の者を悲しませ、苦しませ、悩ませることを悪という。
よいかフリダヤ。汝の周りにいる人々を安心させるのだ。喜ばせるのだ。それが善なる行為である。周りにる人を悲しませてはいけない、苦しめてはいけない、悩ませてはいけない。なぜなら、それは悪行だからだ。
汝が他人を傷つけたら、命を奪ったら、その者は悲しみ、苦しむであろう。だからしてはいけない。
汝が他人の物を奪ったら、その者は悲しみ、苦しむであろう。だからしてはいけない。
汝が他人の女房と行為を通じたならば、その者は苦しむであろうし、その女の夫も苦しむであろう。だからしてはいけない。
汝が嘘をつけば、そのことにより苦しむ者が現れるであろう。だからしてはいけない。
汝が酒を飲めば、そのことにより迷惑を受け、悲しむ者や苦しむ者が出るであろう。だからしてはいけない。
汝ら在家の者は、この五つの戒めを守ることが悪を為さないことだ。
よいかフリダヤ、決して周囲の者を悲しませたり、苦しめてはいけないのだ。喜びを与え、安心を与えるのだ。
わかったかね、フリダヤ」
「わかりましただ。おらあ、おらの女房や子供が喜ぶことをします。それと、マンゴー園の主人が喜ぶように働きます」
「それだけではないよ、フリダヤ。汝が育てたマンゴーを皆に喜んで食べてもらえるよう、よきマンゴーを育てること善行なのだよ」
「あぁ、そんなことなら、おらぁ、毎日やってるべ」
フリダヤは、思わず大声で答えていた。
「人のためになることをしている者は、それだけで善を行っているのだ。あとは悪を為さないだけなのだ」
お釈迦様の言葉に、そこにいた者はみな悪をなさない決意をしたのであった。


この文中に出てくる偈文
「諸悪莫作 諸善奉行 自浄其意 是諸仏法」
は、「七仏通戒偈」と呼ばれるものです。仏教の基本姿勢を示した偈文です。内容は非常に簡単、しかし、実践は難しいのです。

仏教は、性善説も性悪説もとりません。どちらでもないのです。また、どちらでもあります。善悪は己の中に両方あるものですし、ないものである、というのが仏教の姿勢ですね。
尤も、人の性質を本来は善であるとか、悪であるとか、一方の性質で決めつけてしまうことは暴論ですよね。いまどき、「性善説によって・・・」などと言っている人がいる(あるお役所の方がそう言ってましたが)こと自体、おかしいと思います。余談でしたが・・・。
仏教は、基本的に善をなし、悪をなすな、自分の心を清らかにせよ、と説いています。こんな当たり前のことをと説かなければいけないところが人間の哀しいところなんですがねぇ・・・。

では、善とはなんでしょうか?、悪とはなんでしょうか?。簡単な問題ですが、すぐに答えられる方は少ないのではないでしょうか。しかし、仏教はこれも明確に簡潔に答えます。
「善は、人を喜ばし、安心させること。悪は、人を悲しませ、苦しめること」
簡単でしょ。また、こうも説きます。
「自分がなされて悲しいと思うこと、苦しいと思うこと、嫌だと思うことが悪である。こうしたことは、なしてはならない」

さてみなさん、よくお考えください。あなたは、自分がされて嫌なこと、悲しいと思うこと、苦しいと思うことをしてはいませんか?。自分がされて嫌なことは、他人にしてはいけません。それは、悪なのです。
悪は徹底的にしない、これが仏教です。

とはいえ、小さな悪はついついやってしまいます。悪口を言ったり、ちょっと覗いてみたり、浮気心を起こしてみたり、嘘をついたり、流行り言葉で遊んでみたり、怨んだり、妬んだり、怒ったり・・・・。
そういう時は、素直に懺悔しましょう。
「こんなことやっちゃった・・・。ごめんなさい。心が弱いんですねぇ・・・」
と素直に認めて懺悔することです。
で、明日から「諸悪莫作 諸善奉行」を実行するように心掛けましょう。
合掌。


バックナンバー21へ(NO87〜)


表  紙  へ     今月のとびらの言葉へ