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第87回
なぜ、そうなったか。なぜ、その行動をしたのか。
なぜ、その言葉を吐いたのか。なぜ、そう思ったのか。
なぜ・・・という問いかけが必要なのだ。

祇園精舎にお釈迦様と多くの弟子がいらしたある日のこと、高弟のシャーリープトラが、お釈迦様から旅に出ることの許しを得た。そこで、その時指導していた弟子の中でも、まだまだ不安定な状態であったチュンダとラーフラを連れて行こうと思い、二人を呼び寄せた。特にラーフラはお釈迦様の実子でもあったため、目を離さないほうがよいだろうと思っていたのだ。
「明日より、布教の旅に出ることとなった。世尊の許可は、もう頂いている。そこでだ、私が指導していた中でもチュンダとラーフラ、君たちはまだまだ悟りを得ていない段階にある。やや不安定だ。できれば、一緒に旅に連れて行きたいのだが、君たちの心構えも必要だ。旅は危険がともなうからね。本来ならば、精神的に安定してから旅に出たほうがよい。が、残していくのも不安なのだ。もちろん、他の長老の方の指示を仰ぐのもよいことだが。さて、どうするかね?。私と一緒に旅にでるかね?、それともここに残って他の長老の世話になるかね?」
シャーリープトラは、チュンダとラーフラに尋ねた。チュンダは、すぐさま
「尊者よ、私は尊者のお供をしたいです」
と答えた。シャーリープトラは
「ふむ、よろしい。では一緒に行こう。ラーフラはどうする?」
ラーフラは、しばらく考え込んでいたが
「旅はまだ不安です。できればここに残ってもう少し修行がしたいと思います」
と答えた。
「そうか、それもよいであろう。何も危険を冒すことはない。で、どなたに指導をしてもらう?」
「はい、できれば・・・同郷のカールダーイン長老に・・・・」
その名前を聞いてシャーリープトラは、眉をひそめた。
「カールダーイン長老ねぇ・・・。まあ、ラーフラ、君と同じカピラバストゥ出身だから、話しやすいということはあるであろう。しかし、彼は・・・あまり褒められた態度ではないことが多い。否、むしろ、問題行動が多すぎるからね、やめた方がよいのではないかな。他の長老ではいけないのかい?」
「はぁ・・・。できればカールダーイン長老がよいのですが。長老は、私によく親切にしてくださいます。噂のようなことをされたところは見たことがありません。」
「ふむ・・・そうか・・・。でもねぇ、カールダーインはよした方がいいと思うのだが。一緒に旅には・・・いやかい?」
「旅は・・・怖いのです。シャーリープトラ長老にご迷惑をかけることになってもいけません。」
ラーフラは、身体が弱いところがあり、過酷な旅には向いているとは思えなかった。もし、旅先で病に倒れるようなことがあったなら、シャーリープトラも責任がとれないし、ラーフラもシャーリープトラに迷惑をかけることとなる。シャーリープトラは、三度ラーフラに尋ねたが、三度とも答えは同じで、ラーフラはカールダーインの指導を望んだのだった。そこで、シャーリープトラは熟考したのち
「よろしい、ラーフラ。君がそこまで言うのなら、カールダーイン長老に頼んでおこう」
と答えた。ラーフラは、安心した顔をした。

その日の午後、シャーリープトラはラーフラを伴って、カールダーインのもとに行った。
「カールダーイン長老、私は明日から旅に出る。そこで、私が指導していたラーフラの面倒をお願いしたいのだが・・・」
シャーリープトラは、事情を説明してカールダーインにラーフラを託した。カールダーインは、
「大丈夫です、シャーリープトラ尊者。ラーフラはしっかり指導いたします。安心して旅に出てください」
とさわやかな笑顔で答えたのだった。
(そのさわやかな笑顔が怪しいのだよ。やはり、くぎを刺しておこう)
シャーリープトラは、カールダーインに
「くれぐれも問題を起こさないようにしてください、カールダーイン長老。このことは世尊にも話はしてあります。よいですか、しっかり指導をしてくださいよ。ラーフラはあなたを信じていますからね」
と、強く言っておいたのだった。カールダーインは
「おやおや、ご心配なさらずに。大丈夫です」
と軽く答えたのだった。
翌日、シャーリープトラは心配を残しながら、チュンダを伴って旅に出たのだった。カールダーインは、その姿を笑顔で見送った。そして、シャーリープトラの姿が見えなくなると、ラーフラに
「さて、ラーフラ。最初の課題を与えよう。ついてきなさい」
と言って、さっさと歩きだしたのだ。ラーフラは、おとなしくカールダーインのあとをついていった。
カールダーインは、祇園精舎の尼僧院の近くまで来て止まった。そしてラーフラにこう言ったのだ。
「よいか、ラーフラ。あの尼僧院に新しく入った娘がいる。なかなかのかわいい子だ。年齢も君に近いだろう。そこでだ、君と一緒に指導をしたいので、その子を私の房へ連れてきなさい。よいね」
この言葉を聞いてラーフラは驚いた。
「そ、それはできません。尼僧には尼僧の長が指導をすることになっています。あるいは、世尊が直接指導いたします。そもそも、修行僧の房に尼僧を入れてはならない戒律があります。私にはできません」
ラーフラは、カールダーインの命令を拒否したのだった。
「ラーフラ、君は何か勘違いしているのではないかね。別に私は尼僧に何かしようというのではないのだよ。君と一緒に指導してあげよう、と言っているのだ。年齢も近いから、そのほうがお互いに楽しいだろ。修行だって楽しくやったほうがいいに決まってる。さぁ、行きなさい。すぐそこだ」
「できません。いくらなんでも、それはできません」
「ほう、ラーフラよ。君は愚かものだな。私はお前の師だぞ。君がそれを望んだのだろう。カールダーイン長老の指導を受けたい、とそう言ったのだろ」
そこまで言うと、カールダーインは意地悪そうな顔をして小声で言った。
「シャーリープトラは、反対したのではないかな。あの真面目なシャーリープトラだ。反対したに決まっている。ふふふふ」
ラーフラは後悔していた。シャーリープトラ尊者の言うことをちゃんと聞くのだった、と。
「さぁ、どうした。逆らうのか。私に逆らうのか」
「で、できません・・・・・」
ラーフラは、泣きそうな声でそう答えた。
「そうか、そういうことなら」
カールダーインは、そういうと、ラーフラの僧衣をつかんで、引きずり出した。そして、そのままカールダーインの房の前まで引きずっていった。
「お前は中には入れぬ。このまま、ここで座っていろ」
そういって、ラーフラを蹴飛ばしたのだった。ラーフラは、その場で気絶してしまった。
しばらくたったころ、尼僧の長マハーパジャーパティーが数名の弟子を連れてお釈迦様のもとに向かう途中、倒れているラーフラを見つけたのだった。マハーパジャーパティーはラーフラを助け起こし、どうしたのか問いただした。ラーフラは、シャーリープトラ尊者が旅に出たところから順を追って話をしたのだった。その話を聞いて、決して怒ったりはしないマハーパジャーパティーの顔色が変った。
「なんたる恥知らずな!。わかりました。すぐに世尊のもとに行きましょう」
こうして、カールダーインの所業はお釈迦様の知るところとなったのである。

「カールダーイン、汝は・・・これで何度目だ」
お釈迦様の注意にカールダーインは下を向いて答えようとはしなかった。
「そうか、答えられぬか。ならば、もういい。ではラーフラ。汝に問題はないか。なぜ、このような仕打ちにあったのか。答えてみよ」
ラーフラは、お釈迦様の質問にしばらく考え込んでいたが、顔をあげ、しっかりと答え始めた。
「はい、私がシャーリープトラ尊者の助言を聞き入れなかったから、このようなことになりました」
「そうだね。では、なぜシャーリープトラ尊者の助言を聞きれなかったのだ」
「はい、まさかカールダーイン長老があのようなことを言い出すとは夢にも思っていませんでしたから・・・」
「答えになっていないよ、ラーフラ。私は、なぜシャーリープトラ尊者の助言を聞かなかったのか、と尋ねたのだ。汝は、カールダーインの無理な命令にこう思ったはずだ。『あぁ、シャーリープトラ尊者の言葉は本当だった。カールダーイン長老は問題の多い人だった。あのとき、助言を聞いておけばよかった』と。さぁ、なぜ助言を聞かなかったのだ。答えてみよ」
この質問は、ラーフラにとって厳しいものだった。ラーフラは考えた。真剣に考えた。額に汗を流し、一点を見つめたまま、微動だにせず、考え続けた。そして、ぼそりと言った。
「私が愚かものだったからです。愚かものの私は、真実を見ようとせず、真の言葉を聞こうとしませんでした。私は、未熟なくせにうぬぼれていました。シャーリープトラ尊者の言葉に対して、むしろ反発していました。生意気な態度でした。未熟者の癖に尊者の言葉を拒否するなど、修行者として失格です」
「よくわかったな、ラーフラ。そこまでわかればよい。自らの過ちを素直に認められることは大切なことだ。今後は、正しい長老の助言は素直に聞くことだ。さて、カールダーイン。汝は何か言うことがあるか」
お釈迦様の言葉に、カールダーインはさらに小さくなって、黙っていた。
「では、聞く。なぜ、このようなことをしたのだ」
お釈迦様の言葉は、重くカールダーインにのしかかった。
「・・・・ちょっと、からかってみたくなったのです。ほんの遊び心です」
「なぜ、からかいたくなったのだ」
「おもしろそうだったからです」
「何が、どうおもしろそうだったのだ」
「ラーフラが、若い女の子を前にしたら、どうなるのだろうかと・・・・」
「なぜ、そんなことをした」
「ですから、おもしろそうだったから・・・・」
カールダーインは、そう答えながらお釈迦様の顔を見た。その顔は、極めて厳しいものだった。
「ち、違います・・・。なぜ・・・かといいますと・・・」
「心の奥底まで踏み込むがいい。正直に言うがいい」
お釈迦様の言葉は、これまで聞いたことがないほどに冷淡な響きを持っていた。

ようやくカールダーインが口を開いた。
「つまらない欲望、煩悩を満たそうとしました。わ、私は・・・性的欲求が強いのです。お、女の子を見ると、からかいたくなります。それは、性的欲求です。それを満たしたくなりました」
「なぜ、満たしたくなったのか」
「制御できませんでした」
「なぜ、制御できなかったのか」
「み、未熟者だからです。さ、悟りを得ていません。だから、己の欲求を制御できません。私は、年をとっているから長老と言われるだけで、悟りも神通力も得ていません。ただ、修行者の経験があるから、長老の振りができるだけです」
そこまで言うと、カールダーインは泣き崩れたのだった。
「カールダーインよ、自分の行動をいつも振り返るがいい。なぜ、そんなことをしたのか。なぜ、そう思ったのか。なぜ、こうなったのか。なぜ、その言葉を吐いたのか、なぜ、なぜ・・・と絶えず問いかけよ。そうすることにより、己の未熟さ、己の欲望の強さ、己の頑固さ、己の執着心に気付くことであろう。そこに気付けば、修行の仕方もわかるというものだ。カールダーインだけではない。ラーフラ、汝もだ。いつも己自身に問いかけよ。なぜ、そうしたのか、そう思ったのか・・・・ということを。絶えず、己自身を見つめることが大切なのだ。二人ともわかったかね?」
そう問いただしたお釈迦様の顔は、いつもの優しい顔にもどっていた・・・・。


何か問題が起きた時、多くの人は他人のせいにしたがります。
「自分は悪くはない、あなたが悪いんだ」
といったように。
しかし、ここでよ〜っく振り返ってみてください。その起きてしまった問題は、はたして自分に責任はないのでしょうか。
なぜ、そうなったのか。
なぜ、そんなできごとになったのか。
なぜ、そう思ったのか。
なぜ、その言葉を言ったのか。
なぜ、なぜ、なぜ・・・・。
自分の心奥深く、なぜ?と尋ねてみましょう。どうですか、案外、自分が悪いところもあるのではないでしょうか。

100%、相手が悪い、ということは大変少ないです。多くのもめ事や問題事は、自分にも多少なりとも原因があるものです。ケンカの原因もしかり、です。人間関係もしかり、です。意外と、自分にも少しは原因があるものなのです。
大切なことは、それを素直に認めることです。なぜ?、と問いかけてみて、自分にも悪い部分があるのだ、ということを素直に認めることです。それが、自分自身の真実の姿を知ることになるのです。
自分を深く知ったなら、迷うことはないのですよ。
合掌。


第88回
命を無駄にしてはいけない。折角手にれた命なのだ。
どんな仕事でもいいから働くがよい。
生きて働くことにより、他の命を生かしているのだから。
「俺なんてどうなってもいい・・・・。俺なんて生きていても仕方がないし・・・」
フンダリキャは、部屋の中でそうつぶやいていた。
彼は、このところ毎日同じことをつぶやいているのだ。部屋に閉じこもって、何もしようとしなかった。いや、何もしていないわけではない。イライラすると、部屋の中で暴れたり、壁を叩いたり蹴ったりしていた。しかし、頑丈な石造りの壁はびくともせず、自分が傷つくだけであった。
「役立たずの俺の身体なんか、壊れてしまえばいい」
そう言っては、壁を殴っていた。殴るだけではない。ある時は、頭を壁にぶつけて失神していたこともあった。それを見つけた彼の親は、慌てて医者を呼んだ。幸い、命に関わるようなことはなかったが、親はそれ以来、気が気ではなかった。
「あ〜、つまらない。生きていても仕方がない。生きていてもつらいだけだ。いっそ死んでしまおうか・・・。あぁ、でも一人で死ぬのもバカみたいだしなぁ・・・。あぁ、イライラする!」
そう叫ぶと、フンダリキャは扉を蹴倒し、部屋の外に出たのだった。
「ど、どこへ行くんだ、フンダリキャ。ま、待っておくれ」
母親が、彼を止めようとしたが
「うるさい!。いちいちうるさいんだ」
と叫び、母親を殴り飛ばしてしまった。そして、そのままフンダリキャは外へ出ていってしまったのだ。
シューラバスティーの街をうろついていたフンダリキャは、自分より弱そうな者を見つけてはケンカを吹っ掛け、金を巻き上げた。しかし、相手が弱いとは限らない。弱いと思った相手が意外に強く、逆に殴られたりもしたのだった。その日、フンダリキャは家に帰ることなく、真夜中のころには街の片隅でうずくまっていた。

翌朝のこと祇園精舎から托鉢の僧が大勢シューラバスティーの街にやってきた。背筋を伸ばし、口を真一文字に結び、颯爽と歩く姿は立派に見えた。その中には、神通力第一と言われている目連の姿もあった。
目連は、街はずれのゴミ置き場のようなところに倒れている者を見つけた。
「おや、こんなところに人が倒れている・・・・。うむ、怪我しているようだ。君、君、大丈夫かね。おい、君・・・」
目連が倒れている者の肩を揺すると、その者は唸り声をあげた。
「うぅ〜ん・・・・。ここは・・・、今は・・・・」
「ここはシューラバスティーの街はずれ、今は朝だよ」
「あ、あんたは・・・・」
「修行僧だ」
「けっ、修行僧か!。あっちへいけ。お前らも役立たずの人間だろ!。何にもしない、役立たずだ!」
フンダリキャは、目連に言いがかりをつけた。
「役立たずではないよ。何もしていないわけでもない。見たところ、君よりは役にたっているようだ」
「な、なんだと!。お前らまで・・・俺をバカにするのか!。どうせ、俺は役立たずで、世の中のゴミだよ。いてもいなくても変わらない。俺なんて価値がない人間なんだ。俺なんか、生まれてこなきゃよかったんだ!」
「ほほう・・・。これは重症だな。・・・君、この世に生まれてこなければよかった人間なんて一人もいないんだよ。誰の命も大切なものなんだ。この世に生まれてくることは難しいことなのだから。君は、そのことを・・・」
「うるさい!、説教はもうたくさんだ。放っといてくれ!」
「いいや、放っておくわけにはいかん。君は、命の大切さがわかっていないようだからね。さぁ、私についてきなさい」
「いやだ、誰がついて行くもんか。俺なんてどうでもいいんだ。命の大切さ?。笑わせるんじゃない。お前らに何がわかるっていうんだ。毎日ぶらぶらしてるくせに、飯だけは食えて、おまけに尊敬までされる。そんなお前らに俺の苦しみがわかるのか!」
「そうか、君は私たち修行者のことをそなん目で見ているのか。それは残念だな。大きな誤解だよ」
「誤解?。誤解なわけないだろ」
「いいや、誤解だ。修行者の毎日は厳しいんだ。たとえば、してはいけない決まりが250もある。いつも背筋を伸ばし、キリリとしていなければいけない。様々な誘惑に打ち勝たねばならない。托鉢で何も得られなくても、耐え忍ばねばならない。君のように修行者を罵るものがいても怒ることなく教え諭さねばならない。並大抵の心じゃあ勤まらないんだよ。君のように命を粗末にするような者には、とうてい勤まらないだろうな・・・」
「な、なにを〜。俺には出家生活すらできないというのか!。バカにするのもいい加減にしろ。托鉢してブラブラするくらい、俺にだってできるさ。よし、わかった。ついて行ってやる」
そう言うと、フンダリキャはよろよろと立ち上がったのである。

祇園精舎につくと、目連はフンダリキャをお釈迦様の前に連れて行った。フンダリキャを見てお釈迦様は寂しそうに言った。
「あぁ、汝は命を無駄にしているな・・・・。まだ若いのに、可能性はたくさんあるのに・・・。悲しいことだ・・・」
その言葉を聞いてフンダリキャは
「あ、あの、あの・・・、どういうことなんですか、それは。俺のことがわかるんですか?」
と勢い込んで尋ねた。目連は
「まあ、まあ、座りなさい。こちらの方は世尊・・・お釈迦様なのだよ」
「お、お釈迦様・・・・」
この方が噂に聞く仏陀、最高の聖者、お釈迦様なのか、とフンダリキャは驚いた。そして、お釈迦様の前に座り、ふてくされながらも語り始めたのだった。
「お、俺が命を無駄にしている、そういうことなのですか?。そりゃあ、俺は何もできない、役立たずです。俺なんかどうなってもいいんです。誰か俺を殺してくれないかと思うくらいです。何度も死のうとしました。川へ飛び込むことも考えました。高い山から飛び降りるのもいいかと思いました。毒を飲んでみるのもいい方法かとも思いました。でも、俺には自殺する勇気がなかった。死ぬことすらできないなら、誰かに殺してもらうしかないでしょう。そう思って街に出ました。手当たり次第にケンカをふっかけりゃあ、そのうちにどうにかなるだろうと思いまして。どうせ要らない身体だ。誰かの憂さ晴らしになるのも悪くない。ついでに、こっちがケンカに勝てば金になる。夜の街をうろついている奴なんてロクなやつじゃないからね。うまくいけば殺される。うまく行かなきゃ相手を痛めつけて金を取る。どっちに転んでも得だと思ったんです。
ところが、俺は何をやってもうまくいかない。結局、殴られるだけ殴られて捨てられました。痛みだけが残った。こんな身体なんていらないんですよ。生きていてもつまらないことばかりだ。俺の人生なんて、どうでもいいんだ・・・・」
フンダリキャは、両手をつき、涙を流していた。

しばらく黙っていたお釈迦様が、フンダリキャに尋ねた。
「君は人間に生まれてきた。それがどれほど難しいことかわかるかね?」
「人間に生まれてくることが難しい?。そんなの簡単でしょ。親がいれば勝手に子供はできるでしょう。そんなの難しくないことですよ」
「親がいれば子はできる。できない場合もあるがな。私はそのことを言ってるのではない。人間に生まれてくることの難しさを言っているのだ。なぜ、汝は虫に生まれなかったのか、なぜ動物に生まれなかったのか、なぜ鳥に生まれなかったのか、なぜ天界に生まれなかったのか、なぜ人間界に生まれ、しかもフンダリキャという人物になったのか、なぜあの親のもとで生まれたのか・・・・。そう思ったら、汝がフンダリキャとして生まれたことの難しさがわかるのではないかな?」
「そ、そんなに難しいことですかねぇ。人間に生まれてこないほうがよかったかも知れませんしね」
「よろしい、では、人間に生まれるにはどれほど難しいか、教えてあげよう」
そういうとお釈迦様は、遠くを見つめるような目をした。
「大海原に大きな板が浮かんでいると思いなさい。その板には大きめの丸い穴があいている。そういう板が、大海原にプカプカ浮かんでいるのだ。さて、その大海原には大きな亀が住んでいる。その亀は大変大きいので、空気を吸うのが一年に一回でいい。それで十分もつのだ。その一年に一回息を吸いに海面に顔を出す亀が、たまたま大海原の上に浮かんでいる板の穴に顔を突っ込むことは難しいだろうか」
「そ、それはほとんど不可能ではないですか。一年に一度でしょ。で、板の穴に顔を突っ込むとなると・・・、いや、不可能ですよ」
「不可能か・・・。しかし、確率はゼロではないな」
「もちろんです。まったくありえない話ではありません。いきなり穴に顔を突っ込むこともあるでしょう」
「何百年もないこともある」
「はいそうです。いずれにせよ、難しい話ですよ」
「亀がその板に顔を突っ込む確率と、人間に生まれ変わる確率はほぼ等しいのだよ」
その言葉にフンダリキャは驚いた。
「まさか・・・、そんなことはないでしょう」
「いや、そんなものなのだ。よく考えよ。地獄へ落ちなかった確率、餓鬼にならなかった確率、虫や魚、鳥、獣などの動物にならなかった確率、修羅界に生まれなかった確率、天界に行かなかった確率、この人間界で、広い世界の内このコーサラ国で、しかもコーサラ国の都市で、大勢いる都市の中のお前の家に生まれてくる確率、これらを考えた場合、今、汝がここにいる確率は大変小さなものになるであろう。ひょっとしたら、亀が板に顔を突っ込む確率のほうが大きいかも知れないね。どう思うかね?」
そういわれてフンダリキャは考え込んだ。
(確かに・・・そう考えると、今ここに俺がいるのは・・・)
「奇跡的・・・・であろう。」
「は、はい、その通りです」
「人身は受け難し。今ここに受くる。ならば、そんな奇跡的に受けた身をなぜもっと大切にしないのだ」
「大切に・・・ですか」
「そうだ。せっかく手に入れた命ではないか。小さな小さな確率の上に手に入れた命ではないか。もっと生かすようにしなさい。お前にだってやればできることがたくさんある。お前はそれをしようとしていないだけだ。なんだかんだと理由をつけて逃げているだけなのだよ。折角の命を生かしなさい。欲しくても得られない者もいるのだ。折角、この人間界にまれたのだ。人間でしかやれないことがたくさんあるだろう。それを知るがいい」
「人間でしかやれないこと・・・・」
「そうだ。他者を傷つけることは動物でもやる。他を食らうことは動物でもできる。他の命を奪うことは動物でもできる。しかし、他を生かすことは動物ではできまい。己が犠牲になり、進んで他を生かすことは人間にしかできないことなのだ。それは、つまりは働くということなのだよ。
人間だけが、自ら進んで働くことにより、他人や他の生き物を生かしているのだ。どんな人間でもそれができる。命を無駄にしてはいけない。折角手に入れた命なのだ。無駄にせず、働くことだ。働くことにより、汝は知らず知らずのうちに他の命を生かしているのだよ。同じように、汝も多くの人々に、多くの命に生かされているのだ。そのことをよく知るがよい。
さぁ、いつまでも拗ねてないで、ふてくされていないで、どんな仕事でもいいから続けなさい。たとえ収入が少なくても、働くこと自体が大事なことなのだから。それが、自分の命を生かすことであり、他の命を生かすことであるのだ」
「こ、こんな俺でも、それができるのですか」
「もちろんだ。それは誰にでもできることなのだよ。そして、我々出家者も日々、命を生かしている」
「ど、どうやって・・・」
「こうして人が生きる道を説いている。托鉢に施すことにより、布施する者は徳を積めている。瞑想することにより、世の中の平和と人々の幸福を願っている。我々も自分が生きる修行をしながら、人々に慈悲の心を与えているのだ。在家の君たちは、働くことにより、自分を生かし、他人が生きることの手助けをしているのだよ」
「そうだったのか・・・。今まで自分のことしか考えてこなかった。自分が働くことにより、人が生きることができるなんて・・・・。わかりました。これからは、命の限り、働きます。自分にできることをコツコツとやっていきます。それだけで、どこかの誰かは喜んでいるのですよね」
「そういうことだ。汝が働けば、どこか知らないところで、誰かが喜ぶのだよ。だからこそ、命を大切にし、働くことが大事なのだ」
この話を聞いたフンダリキャは、明るい顔で祇園精舎を後にしたのだった。
その後、フンダリキャは黙々と働くようになったという・・・。


このお話は、多くのことを含んでいます。人間として生まれることの難しさ、人間として生まれたからには、人間しかできないことをする、働くことの意味・・・こうしたことは、現代の人間にとっても重要なことでしょう。お釈迦様の時代から、人々の思いは変わっていないのです。

人間に生まれてくることは大変確率が低いそうです。医学的にもそれは何億分の1、とも言われているようです。もっと小さい数字だったかも知れません。それは、
両親が出会う確立×両親が結ばれる確率×卵子と精子が出会う確率×受精が成功する確率×受精卵が育つ確率
となるのです。もっとさかのぼれば、両親が生まれてくる確率もありますから、さらにさかのぼれば、先祖の代まで行ってしまいます。自分がこの世界で、この土地で、この家で、生まれてくることは稀なのです。

さて稀なる命を手に入れたのですから、無駄にしてはもったいないですね。人間に生まれたくても生まれてこれなかった魂もあるのですからね。いわば人間として生まれた我々は魂の中のエリートでもあるのです。
折角人間に生まれたのですから、人間にしかできないことをしたいですね。動物はしない、とうことです。それは他者に対する慈悲心を持つことです。他を大切にすることですね。動物は自分が認めた者にしか愛情を注ぎません。しかし、人間は誰にでも親切にできます。誰にでも優しくできます。誰に対しても慈しみの心を持てます。折角人間に生まれたのですから、他者が生きることを手伝うのもいいでしょう。
働くこともその一つです。

働く意義がわからない、という話をよく耳にします。何のために働いているのか、働いても働いても虚しいばかりだ・・・・。一度は、そう言う思いを持つことがあるのではないでしょうか。
しかし、働くということは、自分のためだけではありません。他人のためでもあるのです。たとえば、今自分がせっせと作っている部品は、どこかで誰かが何かの機械で使用しているものなのでしょう。自分が作ったモノが、世界のどこかの誰かの役に立っているのです。
働くことは、それ自体、他者が生きることの手伝いになっているのです。自分のためだけに働いているわけではないのです。

このようなことを知れば、命は大切であり、自分の命も他人の命も尊いものであり、決して傷つけてはならないものだ、と知ることができるでしょう。また、働くことの虚しさも少しは和らぐのではないでしょうか。さらには、働くことの意義もわかるし、働きがいも出てくるのではないでしょうか。
人は一人で生きているのではありません。知らず知らずのうちに、多くの人とかかわって生きています。そのことを忘れないで欲しいですね。
合掌。


第89回
表面ばかりを見ていてはいけない。
よく観察し、いろいろな角度から眺めないと、
真実は見えてはこない。

ヴァイシャリーの街中でのことである。若者が数名集まって、話し合っていた。若者たちの身なりはよく、身分の高いものか、裕福な家庭の若者のようだった。
「こいつはダメなやつなんだ。なにをやってもできなくって・・・」
「そうそう、どうも鈍くてな・・・。いつもぼーっとして、何をやらせても手が遅いし」
「所詮ダメな人間はダメなんだよ。ダメ男はどうしようもないさ」
そうみんなから言われたのは、タラークという若者だった。彼は、子供のころから仲間からバカにされ続けてきた。というのも、運動も苦手であり、物覚えも悪く、勉強もできないという子供だったからである。
「親も大変だよなぁ。何をやらせても鈍いからなぁ。こっちが言っている意味もよく通じていないみたいだし」
「親が大きな商売をやっているから、その財産で生活できるけど、そうじゃなかったら今頃飢え死にだ」
「お前、こうまでいわれて腹が立たないのか?」
「う、うぅん・・・。でも何もできないのは事実だし・・・・」
「あのなぁ、頑張ろう、という気持はないのか?」
「ある・・・と思うけど・・・・。でも、何を頑張ればいいのか・・・・」
「あぁ、そうか・・・。そうだな。何を頑張れいいのか、それすらわからないんだな」
「うん。わからないんだよ」
「まずは、商売に必要なことだ。計算はできるか?」
タラークは首を横に振った。
「あー、ダメダメ、こいつ単純計算すらできないから。いや、できないわけじゃないな遅いんだ、計算が」
「それじゃあ、商売はできないな・・・・」
「物は作れるか?」
タラークは再び首を横に振った。
「ダメだよ、こいつは手先が不器用なんだから。くぎ一つ打てないし、のこぎりも使えない。粘土もねられなければ、土壁だって塗れないよ」
「じゃあ、職人は無理か」
「無理無理。それは俺たちも試したんだ。俺たちは付き合いが古いからさ。親からも頼まれたことがあるし」
「そうか・・・。じゃあ、料理も・・・無理だよなぁ・・・・」
「無理だって。手先が不器用なんだから。包丁なんて握ったら、自分の指を先に切るようなヤツだよ」
余りの言われように、タラークはがっくり肩を落として、下を向いてしまった。
「僕は何ができるんだろうか・・・・」
「お前は何もできないんだよ。寝ること、食うこと、クソをすること、それだけしかできないだろ」
「おいおい、何もそこまでいわなくても・・・」
「いや、こいつ見てるとイライラしてくるんだ」
「あのなぁ、もっと考えようじゃないか。う〜ん、タラークの特徴か・・・・」
「いくら考えても無駄だよ」
「いっそ出家させるか?」
「お釈迦様の弟子にするのか?」
「そりゃ、無理だろ。厳しい修行なんてできないぞ。無理無理」
「そうだよ、それにお釈迦様の教えは案外難しいものだと聞いた。まあ、やさしい教えもあるけど、覚りを得るには、頭がよくないとダメらしい」
「じゃあ、無理だ。こいつは・・・頭がよくないからな」
「何があるかなぁ・・・・。おい、タラーク黙ってないで何か考えろよ。俺たちだって頭ひねってるんだから」
「わからない・・・」
「好きなこととかは?」
「特に・・・・あぁ、石を見ること・・・かな。きれいな石が好きだ」
「そういやぁ、こいつ、子供の時から石ばかり見ていたな。変わったヤツだってみんなから言われていたからな」
「あぁ、そうだった。いつも石を拾っていたよな」
「そうそう、で、よく怒らていたっけ。石なんか拾ってくるな!ってな」
「石拾いじゃあ、仕事にならないだろ」
「やっぱり、こいつには何もないな」
「う〜ん、出家は無理にしても、お釈迦様に相談するのはいいんじゃないか?」
「お釈迦様なら、こいつを何とかしてくれるかもな」
「神通力が使えるって話だから、こいつのダメなところも治してくれるかもしれないぞ」
「それはないだろ。そんなことはしないよ。神通力はむやみやたらに使ってはいけない、という決まりらしいから」
「そうか・・・まあ、でもお釈迦様のところへ連れて行くのはいいことだ。ちょうど、ヴァイシャリーの街はずれのマンゴー園に滞在してるらしいから」
「よし、みんなで行こう!」
こうして若者たちは、タラークをお釈迦様のもとへと連れていったのだった。

「お釈迦様、ご相談があります」
お釈迦様の前に座った若者たちは、タラークのことを話し、タラークが今後どうすればいいかを尋ねた。
「ほほう・・・汝がタラークか。正面に座りなさい。なるほど・・・・」
そういうと、お釈迦様はにっこりとほほ笑んだ。
「石を見ているのは好きか」
お釈迦様が尋ねた。
「はい・・・好きです。それだけが楽しみです」
「石を見ていると何がわかるか」
「何が・・・・そうですねぇ。きれいな石かきたない石か・・・がわかります」
「石をよく観察するとわかるのか」
「はい、石をいろいろな角度から眺め、よくよく見ていると、きれいな石かそうでないかわかるんです。だから、きれいな石はとっておくんですが、両親に怒られて・・・。捨てられてしまいました」
「きれいな石かどうかがわかるのは子供の時からだね」
「はいそうです」
「こいつは、子供の時から石ばかりを眺めていました。で、一人でニヤニヤしていたんです」
「それを知っていて君たちは気がつかなかったのか?・・・いや、タラークの両親も・・・だな」
「気付かなかった・・・といいますと・・・・」
「観察力は、タラーク、汝の方がはるかに優れているな。この若ものたちよりも」
お釈迦様はそういって、静かに立ち上がると、マンゴー園の奥の方へ歩いていった。
「・・・俺たちはどうすればいいんだ」
「ここで待っていればいいんだろうか・・・・」
「それにしても、どういう意味だろう。タラークの方が観察力があるって・・・」
「わからん。このタラークに観察力なんて言葉、似合わないだろ」
若者たちがボソボソ話をしていると、お釈迦様が戻ってきた。そして、その手にはいくつかの石が握られていた。
「タラーク、この石を見てみるがいい。君たちも見てみるがいい」
お釈迦様に言われ、タラークや友人の若者たちは、お釈迦様が持ってきた石を眺め始めた。
「石・・・だよな。どうみてもただの石だよな」
「うん・・・。石だな」
若者たちがそう話している中で、タラークだけが違ったことを言った。
「いいや、違うよ・・・。この石はきれい。こっちは・・・あぁ、この柄がきれいだな。これは・・・・河の石だ。これ・・・あぁ、形がいい」
と分類し始めたのだ。それを見ていた若者たちの一人が
「あぁ、なるほど・・・・言われてみれば・・・。ちょっとその石見せてくれよ。あぁ、本当だ。こっちからみると、キラキラしているぞ」
「あぁ、本当だ。こっちもだ。この石も・・・。タラークの言葉通りだ」
「わかったかね」
お釈迦様の優しい声が響いた。
「タラークは、石がわかるのだ。どの石に宝石となる成分が含まれているのか、見分けることができるのだよ」
若者たちは驚いてタラークを見ていた。
「それだけではない。石の形や色つやなどを見極めることで、ただの石が別のもの・・・芸術品として活かせるかどうかということに気付いているのだよ。彼は石を見る能力を持っているのだ」
若者たちは驚きの声をあげていた。

「人間でも石でも、草花でも・・・・いや、この世にある存在、この世でおこる現象、すべてのことにおいて、表面だけを見ていてはいけない。上っ面の現象だけにとらわれていてはいけない。もっとそのものをよく観察し、あらゆる角度から眺めて見ることだ。表面ばかり見ていたのでは気がつかなかったことに、きっと気が付くであろう。君たちやタラークの両親は、タラークの表面だけしか見ていなった。もっともっと観察していれば、彼の能力に早くから気が付いたろう。そうすれば、タラークだって自信を持って生きられたに違いない。自分の周りの人や事柄はよく観察することだ。そうでないと、その人の真実の姿も、出来事の真の意味も理解はできないであろう。表面の出来事、表にしか表れていないこと、表面の華やかさ、ダメさ、そうしたものにとらわれていては、真実は見えてこないのだ。そうして、人々は良くも悪くも騙されているのである。汝ら、物事や人はよく観察せよ。そしてよく考えよ。表面にとらわれてはいけないのだ・・・」
その言葉に、若者たちは深くうなずいたのであった。お釈迦様はさらに続けた。
「タラーク、汝が進むべき道はわかったね。これからすぐに、宝石商のもとに行って、その観察眼を磨くがよい」
タラークは、ずっと忘れていた満面の笑顔をして
「はい、そうします」
と答えたのだった。


相手のことを表面だけを見て決めつけてしまうことはないでしょうか。人だけではない。抱え込んでいる悩み事や問題なども、表面上の大変さだけを見て、手がつけられない・・・・ということはないでしょうか。
うちに相談に来られる人はよく
「八方塞がりです。どう動いても解決しようがありません」
とうったえます。しかし、そんなことはありません。

ちょっと角度を変えて見てみると、意外なところに出口が見えてくるものです。八方塞がりだと思っていたことに、実は簡単な解決の道があったりもします。
人にしろ、物事にしろ、仕事にしろ、悩み事にしろ、一方向から見ているだけでは、真実の姿は見えてきません。いろいろな角度からじっくり観察してみなければ、物事や人物の本質は見えては来ないのです。

あの人はこんな人だ、あいつはこんなやつだ・・・・。
これは難しくて解決できない、これには出口がない、もうどうしようもない・・・・。
そんなことはできない、仕事にはならない・・・・。
もうダメだ、もう絶望だ・・・・。
こういう考えを持つ前に、本当にそのことをじっくり観察してみたのかどうか、もう一度確かめて見てもいいのではないでしょうか。
あんなやつにも、いいところが見つかるかもしれないし、難しくて解決できないことにも解決の糸口が見つかるかもしれないし、できないと思っていたことができるかもしれないし、絶望だと思っていたことに光がさすことがあるかもしれません。
いや、きっとあなたは一方向からしか見ていないでしょう。もっと上からも下からも斜めからも・・・いろいろな角度から観察してみましょう。そして、よく考えるのです。きっと解決の方法が見つかるはずです。

真実の姿は、あらゆる方向から観察してみて、初めてわかるものなのです。
合掌。


第90回
注意されるから、怒られるからそうするのか。
ならば、それは大いに間違った行動である。
自分自身の向上のためにそうするのだ。
コーサラ国の首都シュラーバスティーは、相変わらず盛況であった。街には世界の名産品などがならび、多くの人々で賑わっていた。そんな街の中心のある飲食店で大きな罵声が聞こえた。
「お前は何をやっているんだ。違うだろ、やる気あるのか?。いい加減にしろ!」
それと同時に、店から若い男が転がり出てきた。その男は、地面に這いつくばり頭を下げていた。
「す、すみません。やる気はあります。でも・・・・その・・・・」
「何をもそもそ言ってるんだ。はっきり言えよ、はっきり!」
そういと、大きな鉄板が飛んできた。
「うわっ」
若い男はとっさにその鉄板をよけた。が、その鉄板が転がったところに修行僧が立っていたのだ。
「あぶない!。いや〜、これは・・・・・いったい何事ですかな」
周りには大勢の人だかりができていた。
「おぉ、さすがに修行僧だ。あんな危ない目にあっても怒らないぞ・・・」
「それにしても、店主は怒り過ぎなんじゃないのか」
人々は感心したり、呆れたりしていた。すぐに店から店主が出てきて修行僧に謝った。
「あぁ、申し訳ありません。怪我はなかったですかな?」
「怪我はありませんが・・・・それにしても何事ですか。もし、他の方にでも当たったりしたら、大変なことですよ」
「すみません。そもそもは、みんなこの男が悪いんです。コイツが、ち〜っとも仕事ができなくて・・・・」
店主は、道に転がっている若い男を指さして言った。
「こいつは、本当にやる気があるのかどうなのか、読めない男なんですよ。何をやらせてもまるでダメだし・・・・。ちょっと注意すると、もそもそ言い訳ばかり・・・・。いったい何が言いたいのかはっきりしないし・・・・。何度注意しても少しも成長しない。もういい加減呆れてしまいまして・・・・で、今しがたのようなことになったのです」
「それにしても、こんなものを投げつけるとは、ちょっと行きすぎでしょう」
「はぁ、ついつい怒りに任せてしまいました・・・・あぁ、そうだ、お詫びにと言ってはなんですが・・・」
店主はそう言って店の奥に引っ込んだ。再び出てきた店主の手には、柔らかそうな布がたくさんあった。
「この布をご寄付したします。どうか、お釈迦様はじめ皆さんでお使いになってください。この罪により、私が地獄に落ちませんように・・・・」
「今後は、あまり怒らないように注意ください・・・・さて、君、名前は何というのかね?」
その修行僧は、未だに地面に座り込んいる若い男に声をかけた。
「は、はい・・・、私は・・・・タ・・・タッカーナ・・・といいます」
「タッカーナか。ちょっと私についてきなさい」
修行僧はそう言ってタッカーナと名乗った若い男を立たせ、自分についてこさせたのだった。

その修行僧は、黙って歩いていた。しばらく行くと、大きな森が見えてきた。修行僧は森の中に入っていく。仕方がなく、タッカーナもついていったのだった。
森の真ん中ほどに至ると、泉の湧いた広場があった。
「ふむ、このあたりでいいでしょう。タッカーナ、そこに座るといいですよ。あぁ、そうだ、私はシャーリープトラといいます」
「シャ・・・シャーリー・・・ププト・・・ラって・・・あ、あの、あの・・・お釈迦様の高弟・・・の」
「ご存知ですか?。まあ、いいでしょう。座りましょう」
二人は、泉のそばに座った。
「なぜ、あなたはもそもそ言うのですか?。言いたいことがあるならはっきり言えばいいじゃないですか」
シャーリープトラの質問にタッカーナは下を向いて黙ってしまった。
二人とも無言であった。どちらも何も言わなかった。時は流れた。タッカーナはもじもじし出して
「えっと・・・・・」
と口を開いた。そして、
「な、何か言うと・・・・怒られる・・・・から、その・・・・」
「何か言って怒られるなら、黙っていればいいじゃないですか」
「黙っていると・・・怒られるから・・・・」
「じゃあ、ちゃんと話せばいいじゃないですか」
「話をすると・・・・怒られるから・・・・」
「では、黙っていればいい」
「で、ですから・・・黙っていれば、怒られるから・・・・」
「じゃあ、話をすればいい」
「は、話をすれば怒られるから・・・・」
「ふっふっふ・・・なるほどね。だから、中間のもそもそを選んだわけかい?」
「はぁ・・・それが一番いいかと・・・」
「でも、怒られる・・・んじゃないのか?」
「はい・・・怒られます」
「怒られるから、もそもそ言うのかい?」
「いや・・・・その・・・」
「君の仕事はなんだい?」
「料理店で仕事をしています。でも・・・・その・・・ちゃんとできなくて・・・怒られます」
「なんでちゃんとできないのかな?」
「わ、わかりません・・・・でも・・・・」
そういうと、タッカーナはまた黙ってしまった。

しばらく沈黙が続いたが、タッカーナは再び話し始めた。
「た、たぶん・・・・怖いんです」
「何が怖いのかな」
「怒られるのが」
「どういうことだい?」
「これをしたらまた怒られるんじゃないかと・・・・」
「間違ったことをしなければ、怒られないのではないかな?」
「はぁ・・・・でも、間違います。きっと・・・・」
「そうかな?。初めから間違ってしまうと思っているのかい、君は」
「いや、そういうわけじゃ・・・。でも、怒られるのは嫌だから・・・・その・・・・」
「あぁ、怒られるのが嫌だから、行動する前にドキドキしてしまうのかな?」
「そ、そうです。また、怒られるんじゃないかと思うと・・・・。手がうまく動かないんです」
「ははぁ・・・なるほど・・・」
そういうと、シャーリープトラは考え込んだ。そして
「君は怒られるのが嫌で仕事をしているのかい?」
と尋ねたのだった。タッカーナは、その問いにびっくりしたような顔をしたのだった。
「怒られるから・・・・怒られるのが嫌だから・・・・あぁ、そう、そうですねぇ・・・・、そうなんだ・・・・」
「もう一回聞くよ。よく考えて答えてみなさい。君は、怒られるのが嫌だから仕事をしているのかい?」
「はぁ・・・・」
そう言ったきり、またまたタッカーナは黙りこくってしまったのだった。

「そうです・・・ね。怒られるのは嫌です。だから、怒られないように、自分なりに仕事をしているつもりなんですが、でも怒られます。結局、怒られます・・・・。でも、怒られるのは嫌だし・・・・」
「そうか、すると君は、怒られるから仕事をするんだね。自分のために仕事をしているわけじゃないんだ」
「あ、え?、そう・・・なのかな・・・・」
「君はそう言ったでしょう。怒らえるのが嫌だから、と」
「はぁ、怒られるのは嫌です。でも・・・・あぁ、そうか、怒られないように、注意されないように、仕事をしていますね、確かに・・・・」
「そこですよ、そこ。それっておかしくないですか?」
「おかしい?、なにが・・・でしょうか」
「怒られるのが嫌だから仕事をする、ということですよ。仕事は怒られないためにするものですか?」
「あ、いや、その・・・・。でも、仕事をしていれば誰も怒らないし、失敗しなければ怒られないし・・・・」
「怒られないために仕事をするのがおかしいと言っているのですよ」
「あ、そうですよね・・・・」
「そうでしょ。怒られるから仕事をするのではないでしょう」
「はぁ・・・・そうですよね。それは、そうだな・・・」
「じゃあ、何のために仕事をするのですか?」
「あ・・・、怒られるから・・・じゃないよな。えっと・・・お金が欲しいから?」
「あぁ、まあ、そうだね。自分の生活のために仕事をしているんだよね」
「はい、そうです」
「ならば、怒られるから仕事をする、というのはおかしな話でしょう」
「あ、そうか。そうですね。おかしいや・・・・」
「あなたは、勘違いしているんですよ。怒られるから仕事をするのではなく、自分のために仕事をするのですよ。怒られるのが嫌だ、と思っているから、失敗を繰り返すのです。どんなことでも、すべては自分自身のためにしているのではないでしょうか?」
そういわれ、タッカーナは考えた。考えに考えた。そして
「あぁ、わかったぞ、わかった。俺は、自分自身のために働いているんだ。自分のために仕事をしているんだ。怒られるからじゃないんだ。怒られるからやろう、という気持ちが間違っていたんだ。怒られるのが嫌だからもそもそごまかそうとしていたんだ。それが間違いだったんだ。怒られるのが嫌だから何かをする。それは間違いだったんだ」
「やっとわかったようだね。そういうことだよ。怒られるから何かをするのではなく、自分自身のために何かをするのだよ。怒られるから仕方がなくしよう、と思うから少しも成長しないんだ。自分のためだと思ってすれば、嫌な仕事でもできるようになっていくのだよ」
そういうと、シャーリープトラは立ち上がり、
「これからは、自分のためだ、と言い聞かせて仕事に励んでください」
と言って去っていったのだった。その後ろ姿にタッカーナは、
「教えてくださってありがとうございました。今から、何もかも自分のためだと思って仕事をしていきます」
と静かに誓ったのだった。


「勉強しないと親に怒られるから」
多くの子供はこう言います。怒られたくないから、勉強するのだと。
これは間違っていますよね。大人なら簡単にわかることです。勉強は怒られるからするものではありません。自分の向上のために、成長ために、脳の活性化のために、この先生きやすくするためにするものです。決して、親に怒られるからするものではないのです。
「そんなことは百も承知」
と、大人は言うでしょう。でも、同じようなことを大人だって言っているんですよ。
「上司に怒られるから、さっさと仕上げようか」
「コーチに怒られるから、ちゃんと練習しようか」
「社長に怒られるぞ、書類を早くまとめなきゃ」
「女房に怒られるからゴミ出しを忘れないようにしないと」
これはどれも、
「親に怒られるから、勉強しないと」
という子供と全く同じですよね。大人でも、子供と同じようなことを思うものなのです。

怒られるからする、というのは間違っています。そんなことは、大人ならわかることです。仕事も、書類も、練習も、ゴミ出しも、怒られるからするものではありません。自分のためにするものです。当然のことですよね。だけど、人々は
「怒られるから○○する」
という言葉を使います。間違っているのを知っているはずなのに。子供が同じことを言ったら、それは間違いだ、と注意するはずなのに・・・・。大人って勝手ですよねぇ。

怒られるからする、では、成長は望めません。自分の成長ためを思って、熟練者は怒ったり、注意したりするのです。その怒りや注意は、あなた自身のためなのです。まあ、ゴミ出しのことで奥さんに怒られるのは知りませんが・・・。
怒られるからする、ではなく、自分自身の成長のためにする、と思えるようにしなければ、なかなか身にはついてこないでしょう。実力にはなっていかないのです。
自分の向上のために勉強するのであり、自分の立場や給料をよくするために働くのであり、自分の技術を磨くために練習するのであり、自分の仕事を完成させるために種類などを仕上げるのだし、自分の家が臭くならないよう、汚れないようにゴミを出すのです。すべては、
「自分のため」
なのです。そこを勘違いしてしまうと、いつまでたっても
「怒られるといけないからね」
と言っていることでしょう、まるで子供のように。すべては、自分自身のためなのです。
合掌。


第91回
他人を陥れようとする者は、自ら苦の世界へと落ちていく。
他人のことなど気に掛けず、己の向上を望むことが先決だ。

ヴァイシャリーの街は、商業都市として有名であった。ここは、コーサラ国とマガダ国をつなぐ主要幹線道路の中継都市だったからである。両国の特産物がヴァイシャリーの街には集まっていたのだ。そのため、大きな商業都市となったのである。
この街では、働き口には困らなかった。他国から流れてくるものも多く、従って身分制度はコーサラ国やマガダ国に比べて、あまり厳しくはなかった。多くの者が、大きな商店の使用人として働いていたのである。つまり、一部の大金持ちと多くの使用人、という分類であった。
彼もその使用人の一人であった。名前をピッパリといった。彼の仕事は、食堂の店員である。その店で働き始めて半年がたとうとしている。
「ヴァイシャリーの街は今日も賑やかでいいねぇ。コーサラ国の首都も賑わっていたが、ここほどじゃないな。仕事にあぶれるやつもいたし。ここではそんなことはない。誰もが仕事に就けるからね」
ピッパリはにこやかに同僚に話しかけた。
「お前もその一人だったんだろ。コーサラ国で仕事にあぶれたんだろ」
「そうそう、だからここまで流れてきた・・・、そうじゃないのか」
同僚にそう言われ、ピッパリは不快な顔をした。
「違うよ。こっちから見切りをつけたんだ。前の店主は、俺の働きを認めないんでね。こっちから出ていったのさ」
「働きねぇ・・・。まあ、確かにお前はよく働くよ」
「だろ、俺はね、働きものなんだよ。知恵もあるしな」
「まあな、いろいろ工夫はしているみたいだけどね」
「ま、いいんじゃないか。それはそれで。さぁ、休憩は終わりだ、仕事しようぜ」
夕食を食べにくる客のために準備を始めようとした時であった。店の主人が一人の青年を連れてきた。
「今日からこの店で働いてもらうことになった。ジュニャーニャという。みんなよろしく頼む」
「ジュニャーニャです。よろしくお願いします。飲食店での仕事は、少しだけ経験があります。いろいろ教えてください」
彼は、にこやかに挨拶をした。

その日からジュニャーニャは店で働き始めた。彼は、なかなか身が軽く、てきぱきと働いた。とりあえずは、裏方を中心に働いてもらい、お客の対応は慣れてから、ということになった。しかし、店が終わるころには
「なかなかやるじゃないか、あの新人。動きもいい。あれなら客の対応もうまくやれそうだな」
と、みんなの意見がまとまってきていた。
「明日から、客の対応も頼むよ。忙しくってな、休みをとるひまもないからな。ジュニャーニャが入ってくれたおかげで、休憩が取れそうだ」
仕事仲間は口々にそう言って、ジュニャーニャを歓迎していた。ただ、ピッパリだけがひきつった顔をしていたのだった。
翌日から、昼も夜もジュニャーニャはよく働いた。客の扱いもうまく、客はいつもより喜んで帰っていった。先輩の店員たちは、ジュニャーニャのおかげで楽ができる、と大喜びだった。
「いいねぇ、お前さんのおかげでゆとりができたよ。客の対応も任せられるし。いい新人だ。ありがたいよ」
「この店の主人もたまにはいいことするじゃないか。やっと人を見る目ができてきたのかな。あははは」
そう皆で喜んでいたのだ。しかし、一人だけ面白くない者がいた。ピッパリである。
(なんなんだ、みんなのあの態度。新人だからといってちやほやしやがって・・・。俺の時、あんなに歓迎してくれたか?。ふん、あいつがかっこいいからか、好青年だからか?。まあな、確かに客受けもよさそうだしな。おいおい、ってことは、俺は客受けが悪いってことか?。俺のときはこんなに褒めなかったぞ。くっそー、面白くねぇ・・・・。今に見てろ・・・・)
ピッパリは、一人ジュニャーニャを睨みつけていたのである。

数日後のこと、店に妙なうわさが流れていた。それはジュニャーニャに関することだった。
「おいおい、聞いたか。なんでもジュニャーニャは店主と変な関係にあるらしいぞ」
「あぁ、聞いた聞いた。道理で好青年だと思ったよ。あいつが店主とできているとはねぇ」
「悪趣味だよな。あんなの職場においていていいのか?」
「だよなぁ。なんだかやる気が失せるなぁ・・・」
「辞めさせたほうがいいんじゃないかと思うよ、俺はね。今まで通りでいいんじゃないのか。あいつがいなくても店はちゃんとやって行けたんだし」
そう最後に言ったのは、ピッパリだった。
ジュニャーニャが店に来ると、皆の態度がよそよそしかった。昨日までとは打って変わって、妙に冷たいのである。ジュニャーニャは戸惑った。一体どういうことなのか、わけがわからなった。
その翌日も、つぎの日も、皆の態度は変わらなかった。誰もジュニャーニャを相手にしないのだ。仕事も与えてはもらえなかった。思い悩んだ挙句、ジュニャーニャは思い切って一番の年長者に尋ねてみた。
「この頃、みんな私に冷たいのですが、どうしてなのでしょうか?。私、何か不味いことでもしましたか?。いけないことをしたのでしょうか?」
真正面から尋ねられた年長者は、気まずい思いながらも、すべてを話した。
「いや、そのな、これは噂なんだが・・・・」
「噂ですか?」
「あぁ、噂だ。その、お前がな、店主の男・・・・つまり、店主と妙な関係にあるという話がな、あってな・・・。それで、まあ、みんなそんなヤツとは仲良くできないな・・・・と」
「それは嘘です。全くのでたらめです。私が店主と?。とんでもありません。私には嫁もいます。どうしてそんな噂が・・・・・」
「そ、そうなのか?。結婚していたのか・・・・。それはすまなかった。いや、なに、この店に来たのが突然だったのでな。普通は、見習いからはいるんだが、いきなり俺たちと同等扱いだったんで・・・・それできっとそんな噂が出たんだろう」
「いったい誰がそんな嘘を言ったのですか?」
「う〜ん、それは・・・・わからないなぁ・・・・」
「いいですか、この際言っておきます。私はマガダ国の大きな食堂で働いていたんです。そこに店主がやってきました。店主は、私の働きを見て、うちの店・・・ここのことです・・・に来ないかと、誘ってくれました。給料もたくさんくれるから、と。私もお金が欲しかったので、女房ともどもヴァイシャリーの街に来たんです。いい加減なことを言わないでください」
「す、すまなかった・・・・。そうだったのか。そうかそうか。それで客の対応もうまいんだな。それは・・・いや、すまなかった。みんなにも噂は根も葉もない嘘っぱちだった、と言っておくよ」
「当たり前です。だけど、いったい誰が・・・・・」
こうして、その噂は消えていったのであった。

しばらくは平穏な日々が続いた。しかし、またまた妙な噂が流れ始めたのだった。それはまたもやジュニャーニャに関することだった。その噂がもとで、再びジュニャーニャを辞めさせたほうがいいのではないか、という話が出てきたのだ。
ところが、その噂もでたらめだった。ジュニャーニャは店主に訴えた。ヴァイシャリーの街に来たのはいいが、これじゃあ話が違う。楽しい職場だ、ということだったが、一人だけ標的にされ、つまらないうわさを流される、どう責任を取ってくれるのだ、と店主に迫ったのである。
店主は、
「しばらく様子を見てくれ」
と言ったきりで、何もしようとはしなかった。職場は、不穏な空気が流れ、皆が疑心暗鬼になっていた。
(誰がくだらないうわさを流しているんだ)
(とばっちりを食って、こっちが辞めさせられるかも知れん)
(困ったぞ。あいつが来てから仕事がやりにくくなった)
(店主が怒りだしたらどうなるんだ、俺達。俺は関係ないぞ。一体誰がかき回しているんだ)
(ふふふ。しめしめ。みんな浮足立っている。こんなことならいっそ、あいつが来る前に戻したほうがいい、となるだろう。あともう少しだ)
一人だけ、ほくそ笑んでいるものがいたのだった。

そんなある日、お釈迦様の高弟である目連尊者がジュニャーニャのいる店にやってきた。托鉢に来たのだ。
目連尊者はジュニャーニャを見るなり
「身近な人物に気をつけよ」
と一言だけ言い残して去っていった。そのことをジュニャーニャは店主に告げた。
店主は、すぐさま目連尊者を追いかけていった。尊者はヴァイシャリーで最も大きなマンゴー園に滞在していた。
「目連尊者様、うちの店の者に言ったことは、どういうことなのですか?」
店主は目連に尋ねた。
「あぁ、そのことですか。私が声をかけた青年を陥れようとしている者がいるので注意しなさい、といったのですよ」
「陥れようとしている・・・・。ははぁ・・・なるほど」
「何か心当たりがあるようですね。話しておいたほうがいいですよ。話さなくてもわかってしまうことですからね」
そういうと、目連尊者はニヤリとしたのだった。
「この際ですからお話します。さすが神通第一の目連尊者様ですね。すべてお見通しのようです。実は、お店に妙な噂が流れているんです。それも何度も・・・。その噂は先ほどの青年・・・名前をジュニャーニャというのですが・・・・彼に関することばかりなのです。たとえば・・・・」
店主は、目連にすべてを話したのだった。
話を聞き終えた目連は
「よろしい、明日あなたのお店の接待を受けましょう。お釈迦様にお願いすれば、すべては解決するでしょう。お釈迦様にはこれからお願いに行きましょう」
と言って、店主をお釈迦様のところまで案内した。そして、お釈迦様に話をしたところ、
「わかりました、明日、伺いましょう」
とだけ答えたのだった。

翌日のこと。お釈迦様と目連尊者など数名の弟子が、ジュニャーニャの働く店にやってきた。店主は
「いいか、粗相のないように気をつけるのだぞ」
と皆に注意していた。
(これは絶好の機会だ。お釈迦様の前で恥をかかせよう。そうすれば、ジュニャーニャもこれまでだ・・・)
ピッパリは、これがいい機会になるとニヤニヤしていたのだった。
お釈迦様一行は、お店の中の食卓についた。店自慢の食事が次々と運ばれる。しかし、お釈迦様は手をつけようとはしなかった。店主がいぶかり
「あの・・・・何か粗相でもありましたでしょうか・・・。どうか、お食事を召し上がってください」
といったのだが、目を閉じ沈黙していたのだ。
しばらくして、お釈迦様は目を開け、
「店員の皆を集めてください」
とだけ言った。店主が言われたとおりにすると、すべての店員の顔をゆっくりと眺め、こう言ったのだった。
「他人を陥れようとするものは、地獄に落ちる。注目を集めたいのなら、褒められたいのなら、他人を陥れることよりも、自分を磨くことを考えよ。なぜ、自分は注目されないのか、なぜ褒められないのか、それをよく考えることだ。また、他人の過去や身辺のことなどどうでもよいことだ。つまらない事柄に耳を傾けたり、うわさ話に興じたりすれば、それはその元を作ったものと同じ罪になる。いずれにせよ、他人のことを気する前に、己を磨くことを考えるべきだ。あなたたちがそれを理解し、己を反省するまで、私はこの食事に手をつけないであろう」
お釈迦様が接待の食事に手をつけなかったことは一度もない。もしそんなことがあれば、最大の罪であろう。それはヴァイシャリーの街どころか、マガダ国やコーサラ国にも聞こえてしまう。店主は慌ててた。
「お、おい、き、君たち・・・・いったいどうなっておるのかね。正直にいいなさい」
しかし、誰も答えようとはしなかった。重苦しい沈黙があたりを包み込んだ。

長い長い沈黙が続いていた。時刻は間もなく昼になろうとしている。お釈迦様はじめ、仏教教団の修行者たちは、昼までに食事を終える決まりになっている。午後からは食事はしないのだ。食卓の上に並んだ食事は、このままでは無駄になってしまう。誰もが焦っていた。そんなとき、店員の一番の年長者が
「申し訳ございません。お釈迦様、どうぞ食事をお取り下さい。私はこのような年齢になっているにもかかわらず、つまらないうわさ話に興じてしまいました。皆に注意する立場にあるというのに・・・・。深く反省しております。今後は、皆をよく指導できるよう、努力してまいります」
と言い、深々と頭を下げた。そしてジュニャーニャに向かって
「すまなかった。。私がもっとしっかりしていれば・・・」
と謝ったのである。それが切っ掛けとなって次々と反省の言葉が店員から流れた。ついに、ピッパリの番となった。彼は真っ青になっていた。額の上には冷汗がたっぷり流れていたのだった。
「おい、どうした。ピッパリ。お前の番だぞ」
そう言われたピッパリは
「うわー」
と叫んだかと思うと、店を飛び出して行ってしまったのである。その様子を見てお釈迦様は、
「人に頭を下げられない人間は成長しない」
と寂しそうに言ったのだった。そして、
「これでこの店の汚れは消え去った。では、接待を受けようではないか」
と告げ、食事を始めたのであった。店主一同、ホッとしたのは言うまでもなかった・・・・。


今の日本は競争社会です。最近の学校では、競争させることを嫌う傾向にあるようですが、世の中に出れば、まぎれもなく競争社会です。それは避けられないことなのです。
競争社会の是非はまたの機会に譲るとして、そのような社会にありがちなのが、足のひっぱりあいです。つまらない噂話から怪文書、意地悪、イジメ、媚び諂いなど、それは様々な形で行われます。嫌な社会です。しかし、それも現実なんですよ。

が、しかし、他人を陥れようなどとと策略するものは、結局自分が落ちて行ってしまうものです。他人を陥れて手に入れた地位や名誉なんて、すぐに失ってしまうものなのです。世の中はうまくつじつまが合っているのですよ。一時期は恵まれるかもしれませんが、長い目で見れば、結局は不幸が待っているものなのです。他人を陥れてもいいことなんて一つもないのですよ。

他人がうらやましいと思うのなら、自分もああなりたい、あのように注目されたい、と思うのなら、自分を磨くことです。頑張って努力することです。
しかし、いくら努力してもかなうことができない場合もあります。それはそうです。皆違う人間だからです。
いくら磨いても才能がなければ仕方がないし、容姿だって異なるし、性格だって違います。いくら真似しようと思ってもできないことだってあります。それは仕方がないことですよね。
そんなときは、同じ土俵で張り合わないことです。自分には自分にあった道があるでしょう。自分は自分の道で頑張ればいいのです。そこで一流と言われるように努力すればいいのですよ。
まあ、尤も、他人と競争するのは、愚かしいことですけどね。

自分は、自分の道を行けばいいのです。その道で、納得できるように生きていけばいいのです。他人のことなんてどうでもいいじゃないですか。勝手に自分と比較するのはおかしいでしょう。頼まれてもいないのに、自分と他人を比較すること自体、愚かしいことなのです。
比較なんて必要ありません。自分は自分のやるべきことをすればいいのです。そのやるべきことを極めるよう、努力すればいいのです。
他人のことを気にする前に、自分のことを気にするべきでしょう。己を知ることが大切なのです。
合掌。


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