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第96回
他人を批判し、責めることは簡単だ。
他人を指導し、導き、救うことは難しい。
お釈迦様の弟子にスパシータというものがいた。彼は、大変自分に厳しく、いつもきっちりと修行に励んでいた。それは周囲から見ていると、正しいことであはったのだが、息苦しくも感じられたのだった。ある時、あまりにもきっちりし過ぎているスパシータを見て、シャーリープトラが
「きっちりすることは善いことだが、息が詰まるほどきっちりしても、それはよくないのではないかな。何事においてもし過ぎはいけない。偏らないことが大切だからね。自然体でいいのだよ」
と助言したほどだった。しかし、その言葉にスパシータは
「御助言ありがとうございます。ですが、私は何もきっちりとしてはいません。し過ぎとも思っていません。むしろ、ついつい気が緩みがちな自分に対し、憤りを感じているほどです。私は修行が足りないのです」
と堅苦しく答えたのであった。こんなスパシータをお釈迦様は、
「他者に迷惑をかけているわけでもない。自分でわかるときが来るまでそのままにしておきなさい」
と言っていたのだった。

ある日のこと、その日も瞑想に励んでいたスパシータであったが、
「おぉ、わかった・・・。世尊の説かれることがわかった!」
と叫び、立ち上がったのだった。
「あぁ、これは失礼した。いや、すまない、瞑想の邪魔をしてしまった」
スパシータはそういうと、静かになるべく音をたてぬよう、一人でシャーリープトラの元へ行った。スパシータを指導していたのは、シャーリープトラであったからだ。
「シャーリープトラ尊者、世尊の説かれたことがわかりました」
スパシータは、そういうと、自分が悟った内容のことをシャーリープトラに聞いてもらった。シャーリープトラは、
「おぉ、スパシータ、見事だよ、ついに悟りを得たね。早速、世尊のもとへ行こう」
といい、スパシータをお釈迦様のもとへと連れて行ったのだった。
お釈迦様は、スパシータが悟ったことを認めた。そして、
「今後は、まだ悟りを得ていない若い弟子を導くのだ」
と言葉をかけたのだった。スパシータは感激し、悟りを得ていない者の指導にあたることを誓ったのだった。

スパシータの指導は厳しかった。もともと自分に厳しいスパシータであったため、その厳しさには誰も逆らえなかった。
「いったい何度言ったらわかるんだ。もっときっちり生活をしなきゃ悟りどころではないだろ」
「だらだらしているから、悟りが得られないのだ」
「規則正しい生活、自分への厳しさ、それらが悟りへとつながるのだ。厳しさがなくてはいけない」
「あぁ、彼らは自分に対するけじめがないのだ。いつもいい加減でだらだらしている。だから悟りは得られない」
スパシータの舌鋒は鋭かった。毎日が批判の嵐だった。彼は、弟子たちを責める一方だったのだ。
そんな彼を見て、シャーリープトラたち他の長老は、
「責めてばかりでは、いい指導はできないのではないかね。ときには緩やかさも必要であろう」
と助言するのだが、スパシータは
「その甘さがいけないのです。彼らはちょっと目を離すとすぐに怠ける。緩みっぱなしでは修行になりません」
と反論するのだ。スパシータの言っていることも確かなので、長老たちも何も言えなかった。スパシータは、変わらず厳しく指導に当たっていた。しかし・・・。

「もう勘弁して下さい!。これ以上、うるさく言われたくありません」
「うっとうしいんですよ。あんたに言われたくない」
などという反発が相次いで出てきたのだ。その中には、本当にぐうたらで怠け者の修行者もいたが、スパシータの修行に息苦しさを感じて反発する者もいた。そのため、修行者たちの間でちょっとした混乱が生じてしまったのだった。
長老たちが集まって話し合いを開いた。もちろん、スパシータも含まれていた。長老たちからは様々な意見が出たが、結局
「スパシータが正しい。修行者を甘やかすべきではない」
という意見と
「もう少しゆるくてもいいのではないか。責め過ぎてもいけないのではないか」
という意見にまとまったのである。しかし、それ以上はまとまることはなかった。それぞれに長所短所があるからだった。最終的に、どちらの指導方法をとるかは、各長老に任されることになった。スパシータは、当然厳しい指導方針をとった。彼は、これ以来、さらに厳しくなったのだった。

「何度言ってもわからんのだなぁ、君は。君は頭が悪いのか?。いったい何度注意されたらわかるんだ。簡単なことだろう。やるべきことは決まっているのだ。それをただ淡々とこなしていけばいいのだ。なぜ、自分勝手な行動をするのだ」
頭ごなしにスパシータは怒った。その声は他の長老にまで聞こえてきていたが、
「あぁ、あの修行者か・・・。ならばあれだけ怒鳴られても仕方がないなぁ・・・」
と知らぬふりをしていた。その修行者は、何度注意されても同じ過ちを繰り返していたのだ。それも数年に渡っていた。
「この間も注意しただろう。毎回毎回、なんで同じことを注意されるのだ。覚えてられないのか?」
一方的に責められている修行者は泣くばかりであった。
「はぁ、もう、泣いていても仕方がないだろう。少しは、自分の行動について考えてみたらどうだね」
スパシータの声は精舎中に響き渡った。
「もうその程度でよかろう。いくら責めても、その者にスパシータの声は聞こえていないよ」
そう声を掛けたのはお釈迦様だった。
「こ、これはお釈迦様・・・・。申し訳ないです。大きな声を出してしまいまして・・・・」
スパシータはすぐに頭を下げた。
「いいから、他の長老たちも集めなさい」
お釈迦様は、スパシータにそう言ったのだった。

「長老たちよ、君たちはいろいろな修行者を指導しています。しかし、彼らを責めるばかりではいけません。しかし、緩めるばかりでもいけないのです。たとえば、それは弦楽器の弦のようなものです。強く引っ張り過ぎてもいい音は出ません。ひっぱり過ぎれば切れることもある。かとって緩め過ぎてもいい音は出ないでしょう。緩め過ぎれば、弦が外れてしまうこともあります。
同じように、修行者を指導する時も、緩め過ぎず厳しくし過ぎず、加減を調整なければいけません。それにはどうしたらいいでしょうか?」
お釈迦様の質問に答えられる長老は一人もいなかった。
「うまく調整をしながら指導するには、相手の性質を見なければいけないのです。理解力や性格を見なければいけません。それに合わせて指導するのです。
よいですか皆さん。人は他者を厳しく非難したり、批判したり、責めたりします。自分のことは棚に上げてもそうします。なぜなら、批判し、非難し、責めることは簡単だからです。
しかし、批判し、非難し、責めるだけではなんにもなりません。大切なことは、正しい道へ指導し、正しいことを教え、間違った道から救い出すことです。ところが、これは容易なことではありません。
人は往々にして他者を安易に責めますが、救ってはくれぬものです。しかし、長老の皆さんはそれではいけません。皆さんは悟りを得た阿羅漢なのですから、批判したり責めたりばかりではいけないのです。いかに救うべきか、どう救うべきか、をよく考えないといけないのです。
皆さん、安易な方法に走ってはなりません。救いの道は、困難な道なのです」
お釈迦様の話に皆が反省したのであった。

それ以来、スパシータに変化が現れた。彼は、いつも小声で
「批判し責めることは簡単だ。しかし、指導し救うことは難しい」
とつぶやいていた。やがて、彼は、修行者を指導することが大変うまい長老となったのであった。


今回は、この言葉の通りで、何も言うことがないくらいです。まさしく「他者を批判し責めることは簡単だが、指導し救うことは難しい」のです。それは、痛感しますねぇ・・・。
最近のニュースを見てもよくわかります。マスコミは、ここ何年も毎日のように政治指導者を批判し、責めまくってきました。今もそうですね。
しかし、彼らは的確な指導をしているでしょうか?。こうしたらどうだ、ああしたらどうだ、という提案を積極的に出しているでしょうか?。マスコミ全体で声をそろえて、力強く提案をしているでしょうか?。
「あんな政策間違っていないか」
「それはやっちゃダメでしょ」
「間違っている、そんなことはしてはいけないのではないか」
責めるばかりです。
「へぇ、そういう手もあるのか、まあ、試しに一度やってみれば」
という言葉は皆無ですよね。こんな言葉は、ここ何年もないように思います。

育てるということは、やらせてみることでもありましょう。何でも頭ごなしにダメダメでは始まりません。それは子育てでも政治でも経済でも通用することではないでしょうか。やる前から批判し、小馬鹿にし、責めたって仕方がないでしょう。やらせてみてその経過を見守ってみる、ことも大切なのではないでしょうか。

批判する、責める、それはとても安易なことです。人は、自分のことは棚にあげ、他者を批判し、責めるのです。しかし、それは指導していることでもなければ、救っていることでもないのです。ひょっとしたら、いい芽を摘んでいることもあるかもしれません。

指導し、救うことは難しいのです。
日頃、いろいろな人の話を聞き、いろいろなアドバイスをする身である私にとっては、本当に痛感させられる言葉ですね。
皆さんも、ぜひ気をつけて欲しいものです。
合掌。


第97回
目標を掲げ、それに向い努力することは大切なことだ。
しかし、その目標が達成できなくても嘆く必要はない。
新たに出直すか、目標を変えればいいだけだ。

ヴァイシャリーの街は、商業都市でもあったが、学問も盛んな街であった。この地には、マガダ国や遠くのコーサラ国からも王族や貴族が留学に来ていた。マールガとマイネーヤもそうした留学生だった。二人は、コーサラ国の王族の子供たちだった。
「マイネーヤ、君はここで学んだあとすぐに国に帰るのかい?」
マールガが聞いた。
「いや、僕はカピラバストゥの釈迦族の学校に立ち寄ろうと思ってる。あそこは優秀だからね」
「あぁ、釈迦族か・・・。ちょっと高慢ちきだけどね」
「うん、だから、ここで基礎をしっかり学んでいかないと・・・。確か、釈迦族の学校は試験があるはずだから」
「あそこは、王族の子孫だろうが、貴族の子孫だろうが、留学生だろうが、お構いなしに試験で学生を選ぶからねぇ。なかなか厳しいよ。コーサラ国王の息子ジェータ王子も苦労しているって話だ」
「へぇ、あのジェータ王子が・・・。マールガはどうするんだい?」
「僕は、ヴァイシャリーの大学校を目指そうと思ってる。あそこも試験があって難関なんだけどね」
「そうか・・・、お互い頑張らないとなぁ・・・」
「あぁ、まずはこの学校で、基礎から学ばないと・・・。覚えなきゃいけない項目がたくさんあるからね。競争も激しいし」
「そうだね・・・。ところで、学んだあとはどうするんだい?。やっぱりコーサラ国の大臣か?」
「まあねぇ、うちの家系は代々軍隊を管理する大臣だから、僕もそうなるな。マールガは貿易担当の大臣だろ?」
「そうなるな。カースト制度がある限り、それ以外は考えられないよ。本当は、海に出て貿易がしたいんだけどね。よその国に行っていろいろ見聞きしてみたい」
「やればいいじゃないか。マールガならできそうだよ。いいじゃないか、大臣の方は弟もいるんだし」
「そうかなぁ・・・いいかなぁ・・・」
「海を渡ってよその国へ行く・・・。いいなぁ、大きな目標があって・・・。ま、それには航海術やよその国の言葉も学ばなきゃいけないけどね」
「そうなんだよ。だからこそ、ヴァイシャリーの大学校へ進みたいんだ。ここはいろいろな国の人が来ているからね」
二人は将来の目標について語り合ったのだった。

ヴァイシャリーの学校は基礎を学ぶ学校であったが、多くはバラモンのための勉学であった。国の儀式を取り仕切るバラモンは、儀式の作法だけでなく、占術や天文学、数学、医学もできなければいけなかった。優秀なバラモンの家の者は、必ず、すべての教学を学んだのだ。
このヴァイシャリーの学校にも優秀なバラモンの子供たちが集まっていた。マールガとマイネーヤはついて行くのに必死だった。
「いや〜、毎日覚えることがたくさんあって、難しいよ・・・。特に数学と天文学は・・・。苦手だなぁ・・・」
マールガが弱音を吐いた。
「弱気になっちゃダメだ。このままだとヴァイシャリーの大学校の試験には受からないよ。僕は釈迦族の学校だから、今の状態で十分だけど、マールがは・・・・。大変だけどね・・・・」
「あぁ、頑張るよ。やるしかないからね」
マールガはマイネーヤが寝たあとも一人で勉学に励んでいた。それは毎日続けらたのだった。
その努力のかいもあって、マールがの成績は基礎学校ではいつも一番を維持していた。
「この分ならヴァイシャリーの大学校にも楽に合格だな」
周囲からも教師からもそう言われていたマールガだった。

基礎学校での三年はあっという間に過ぎていった。そして、いよいよ大学校への試験が始まった。
マイネーヤは釈迦族の学校へ行くためヴァイシャリーの街を離れることになった。すでに基礎学校の教師からの推薦状をもらっている。
「マイネーヤ、カピラバストゥへ行っても勉学に励んでくれよ。コーサラ国の王族も優秀な人材がいることを釈迦族に見せてやれ」
「あぁ、そうするよ。マールガ、君も頑張れよ。試験は明日かい?」
「そうなんだ。明日なんだよ。ドキドキするよ」
「君なら大丈夫だ・・・。じゃあ、頑張れよ」
そういって、マイネーヤはカピラバストゥへと旅立って行った。
「よ〜し、明日のためにもう一勉強するぞ」
マールガは試験のための勉強に励んだのだった。

試験は無事に終わった。後は合格発表を待つだけだった。もちろん、マールがには余裕があった、できているはずであった。しかし・・・・。
マールガは残念ながら大学校の試験に合格できなかった。小さな間違いがいくつかあったのだ。教師からは
「不注意な点が見られる。あわてたのかね?」
と尋ねられた。何を答えることもできなくて、マールガは呆然とヴァイシャリーの街を歩いていた。
「危ない、どこを見てるんだ!」
「あぁ、邪魔だ、ふらふら歩いているんじゃない!」
道行く人とどれだけぶつかったであろうか。あるいは、何度、馬車に轢かれかけたであろうか。それでもマールガは、ふらふらと歩き続けていた。どこへともなくふらふらと・・・・。
やがて、マールがは大きなマンゴー園へと辿り着いた。しかし、マールが自身はそこがマンゴー園なのかどうかさえもわかっていなかった。
「君きみ、どこへいくんだい?」
マールガに声をかけたのはアーナンダだった。お釈迦様のお使いでヴァイシャリーの商人のところへ行って来た帰りであった。
「大丈夫かい、君!。おい、ふらふらじゃないか・・・・。あ、大丈夫かい」
マールガはその場で倒れてしまったのだった。

「ようやく気がついたかい?」
マールガを覗き込んできたのはアーナンダだった。
「いったいどうしたというのだ、ふらふらと歩いていて・・・・」
「ぼ、僕は・・・・ここは・・・・」
「ここはマンゴー園だ。ヴァイシャリーの街はずれの・・・。ヴァイシャリーの大富豪ビマラキールティさんのマンゴー園だよ。さぁ、起きて・・・起きれるかい?、これを飲むといい」
アーナンダは、マールガを起こすとマンゴーを絞った飲み物を与えた。
「どうだい?、落ち着いたかな」
「あの・・・あなたは・・・見たところ・・・」
「あぁ、私はお釈迦様の弟子でアーナンダというものだ。今、お釈迦様はこのマンゴー園に滞在しておられるのだよ」
「お、お釈迦様・・・・あぁ、仏陀様・・・・。な、ならば、ならば」
そういうなり、マールガはアーナンダにしがみついてきた。
「ならば、私はこの先どうすればいいのか、教えていただけますよね。私は私は・・・・どうすればいいのでしょうか・・・・」
そういうとマールガは突っ伏して大声で泣き始めたのだった。

マールガが落ち着いたところを見計らって、アーナンダはマールガをお釈迦様のところまで連れて行った。お釈迦様には、マールガが気絶している間に話はしてあった。
「君がマンゴー園をふらついていた者かね?」
「はい、マールガと言います」
マールガは、蚊の泣くような声で答えた。
「ふむ・・・・で、いったいどうしたというのかね」
「は、はい・・・・私は・・・・もう生きていけません・・・。一体どうしていいのか・・・・どうして、どうして・・・なんで僕だけが・・・・・」
「詳しく話をしてみなさい。泣いてばかりでは何もわからない。順を追って話をするのだ」
お釈迦様の言葉はやや厳しかったが、マールガにとってはそれがよかったようだった。彼は泣き崩れることなく、自分のことを語り始めたのだった。
一通りマールガが語り終えると、お釈迦様は優しく言った。
「マールガよ、何もそんなに嘆くこともなかろう。試験は今回で終わりではないのだろう」
マールガは、お釈迦様を見つめると
「は、はい・・・確かにそうですが・・・・私は自信がなくなって・・・・」
「では、聞こう。汝は何になりたいのだ?。試験に合格したいのか?。それとも貿易商人になりたいのか?」
マールガは眼をきょろきょろさせながら考えた。
「大学校に合格して、そのあと貿易商人になりたいのです」
「貿易商人になるのに、大学校へ行く必要があるのか」
「大学校で航海術や語学を学ぼうと思いまして。そして数学です。商品の売り買いには数学が必要ですから」
「はたしてそうであろうか。そんなことは大学校で学ぶことであろうか?。いや、大学校で学ばなくても学習することはできるのではないかな」
お釈迦様の言葉に、マールガは首をかしげた。

「よいかマールガ。汝は大きな目標を持って多大なる努力をしてきた」
「はい、そうです」
「しかし、その努力は報われなかった」
「はい、そうです・・・・。努力すれば報われると思っていたのですが・・・・」
「そうだね・・・。しかし、世の中には、いくら努力しても報われないこともある。それが世の中だ。思うようにはならないものなのだ。それで、汝は嘆いている、腐っている、希望を失っているのだね」
「はい、その通りです。もはや生きる希望もありません・・・・」
「そこが間違っている」
お釈迦様はぴしゃりと言った。
「目標が達成できなかったからと言って、なぜ嘆く必要がある?。ただ一回の挫折ではないか。試験は来年もある。ならば、もう一度やり直す手もあるではないか。汝がやるべきことは、嘆くことでもない、腐ることでもない、希望をなくすことでもない。目標に向かってもう一度挑戦すべく新たに立ち上がるのか、それとも目標を変えて新たに挑戦すべきなのではないか。打ちひしがれている時間があるなら、なぜ失敗したのか、それをよく考え、もう一度努力し挑戦するのか、目標を下げるか、目標を変えるのか、すればいいだけであろう。何も嘆く必要もないし、腐ることもない。ましてや希望の光が消えたわけでもない」
その日のお釈迦様は厳しい口調であった。
「聡明なマールガだ、私の言っていることがわかるであろう」
マールガは、お釈迦様を真っ直ぐに見ると、静かにうなずいた。
「か、簡単なことなのですね・・・。私がとるべき行動は・・・・簡単なことだったのですね・・・・」
「そう、簡単なことなのだよ。もう一度同じ目標に挑戦するのか、目標を下げるのか、目標を変えるのか、そのどれかにするだけなのだ。実に簡単なことなのだよ」
「こ、こんな簡単なことにすら気付かないなんて・・・・、自分は弱い人間です」
「それがわかっただけでもよいではないか。嘆いて嘆いて、そして誰から同情されたところで、何も解決はしない。た打ちひしがれて泣いていても何もならない。起きてしまったことは、もうどうしようもないのだ。嘆いている暇があったら、次を考えることだ。そうではないかね?」
「はい、そうです。私は・・・・やり直します」
「そうだ、それでいい。・・・・マールガよ、さきほども言ったが、貿易商人になるには、ヴァイシャリーの大学校へ行く必要はない。このマンゴー園の持ち主であるビマラキールティの下について学ぶというてもある。もちろん、それも汝が考えて決めることだ。間もなく、ビマラキールティがここへ来る。よく話を聞くがいい」

しばらくするとそこにビマラキールティがやってきた。彼は、マールガに自分が行って来たいろいろな国の話をした。彼は語学にも堪能で、航海術にも精通していた。
「あの・・・そうした知識はどこで学んだのでしょうか?」
「簡単なことだ。航海術は海と船が教えてくれる。言葉は現地の人が教えてくれる。その国の習慣はその国へ行けば学べる。貿易の仕事は学校の机の上で学ぶことではないな・・・ははは」
ビマラキールティは、愉快に笑った。するとマールガは
「お願いです。私にビマラキールティさんの知識を教えてください。お願いします」
と、頭を下げて頼んだのであった。ビマラキールティは、にこにこしながら首を縦に振った。
「いいでしょう。ついてきなさい。しかし、大変ですよ。学校の方が楽かも知れない」
「いいえ、大丈夫です。私の次の目標は、他の国へ行くことです。ですから、くじけたりはしません。それに・・・・」
「それに?」
「もし、万が一、目標が達成できなくても、嘆いたりはしません。再度挑戦するか、目標を変えるだけですから」
マールガはそういうと、微笑んだのであった。


受験シーズンも終わり、皆さんの進路も決まったことと思います。あるいは、新たに社会人になった方、転勤や転職をされた方もいらっしゃるでしょう。また、就職浪人をされている方もいるかも知れません。
いずれにせよ、皆さん、新たな目標を持って進んでいることと思います。
しかし、中には目標の学校や会社に入れなかったり、不本意な転勤などをさせられた方もいらっしゃるでしょう。努力のかいも虚しく、思う通りにはいかない・・・・という場合も世の中にはあるのです。

頑張ったけど目標の学校にはいけなかった。
努力したが目標の数値には達することができなかった。
足を棒にして歩き回ったけど、目標にしていた仕事には就けなかった。
人生には、そうした挫折もあるのです。

しかし、だからといって、腐ったり嘆いたりする必要はありません。ましてや「夢も希望もない」なんていってはいけません。この先なんて、どうなるかわからないのですからね。

目標の学校に入れないなら、それはそれで仕方がないことです。もう一度チャレンジするか、目標を下げればいいことです。何も東大ばかりが大学じゃない・・・そういうでしょ。
それと同じですよ。いい大学に行ったからといって、それが幸福の元になるかどうかは不明なのです。また、思うような学校に行けなかったからといって、それが不幸の元とは限りません。案外、ラッキーだったりもします。
同じように、思ったような仕事に就けなかったとしても、それが不幸であるとは限りません。不本意な転勤であったとしても、それが悪いことかどうかは不明です。問題は、自分自身の考え方次第でしょう。

目標が達成できなかったら、新たに再チャレンジするか、目標を下げるか、目標を変えれば済むことです。なにも「それじゃなきゃいけない」ということはないのですから。あなたが決めた目標に執着する必要はないのですから。
それに、そもそも無理な目標だったかもしれません。無謀な目標だったのかもしれません。自分の器以上の、自分の能力を超えた目標だったのかもしれません。背伸びのしすぎ、ということもあります。

さぁ、いったい何がよくなかったのかを分析してみて、反省してみましょう。その上で、
再チャレンジするのか、
目標を下げるのか、
目標を変えるのか、
すればいいのです。
道はいくらでもあります。一本道ではないのですからね。
合掌。


第98回
何が幸いし、何が禍となるかは、誰にもわからない。
未来は定まってはいないのだ。
一喜一憂しないで、その時の最善を尽くすがよい。

コーサラ国の首都シュラバスティーは、当時のインドでは最も栄えていた街であった。貿易も盛んで、世界中からいろいろな商品が集まってきていた。
プラサーダとニヤーヤも、貿易商を営んでいた。二人は、古くからの友人であったが、お互いの家が貿易商であったため、後を継いでからは商品の仕入れで競うようになっていた。しかし、仲が悪かったわけではなく、お互いに新しい商品を見せあって、情報交換もしたりして、お互いに切磋琢磨していたのだ。
今日も、プラサーダはニヤーヤの店に行き、新しく入った商品を眺めていた。
「ニヤーヤ、この素晴らしい青色をしたガラス製品はどこで出に入れたのだ?」
「あぁ、それかい。どこかは教えられないよ。そうだな・・・・西の海を渡ったところにある国、とだけ言っておこう」
「そんな意地悪をしないで教えてくれてもいいじゃないか。同じ商品は仕入れないからさ」
「いやいや、そうはいかないよ。プラサーダだって、先月、素晴らしい焼き物を仕入れていたけど、どこから仕入れたのか私に教えてくれなったじゃないか。ただ、陸地伝いに東の方へ行った国・・・・とだけしかね。おかげで苦労したよ。結局、いい品物はみつからなかった。大損だ。でもね、その時に知り合った商人に教えてもらったんだ。西の海の向こうにいいガラス製品があるって」
「ほう、じゃあ、俺のおかげ、とも言えなくないじゃないか」
「いやいや、苦労したおかげだろ。私の努力の賜物さ」
「そんなことはないだろう。俺の話を聞かなきゃ、西の海の話は聞けなかったのだから」
「まあ、そうとも言うけどね。でもね、私は、自分で探したよ。だから、プラサーダ、君も西の海へ出てみればいいじゃないか。ちょっと危険だけどね」
「ふ〜ん、海・・・・苦手だなぁ。陸地ではいけないのかな?」
「さぁねぇ・・・・どうだろうか・・・。ふふふふ」
「嫌な奴だなぁ・・・。まあいい、調べてみるさ」
そんなやり取りがあった数日後のこと、プラサーダがニヤーヤの店に再びやってきた。
「なんだ、また冷やかしかい?」
「いいや、そうじゃないんだ。いい話を持ってきたよ」
「いい話?」
「あぁ、西の海の向こうの国の話さ」
「見つけたのか?」
ニヤーヤは「やられた」という顔をして聞いた。
「あぁ、ニヤーヤの言っていた国はすぐに見つかった。でも、今日はその国の話じゃないんだ。もう少し、西に行った国なんだよ」
プラサーダの話にニヤーヤは身を乗り出した。

「なるほど・・・。しかし、それは危険だな。しかも費用がかかる」
ニヤーヤは、眉間にしわを寄せて考え込んだ。
「そこでだ。一緒に行かないか、という提案なんだよ。一緒にその国に行って、違う商品を仕入れてくれば、お互いに大儲けじゃないか」
「そういうことか・・・・。なるほど、二人で費用を出し合えば、行けなくもないか・・・。しかし、かなり長期間、店をあけることになるが・・・・」
「心配はいらないだろう。商品の在庫はお互いにたくさんある。店番もしっかりしている。俺たちが留守の間、お互いに協力し合うように行っておけばいいのだ。商品の融通だってできる」
「うん、そうだな・・・。よし、行くとするか」
こうして、プラサーダとニヤーヤは、お互いに費用を出し合って、遠くの国へと船に乗って行くことに決めたのだった。
計画は、着々と進んでいた。旅程も案内人も決まった。もちろん、今回の仕入れの旅には二人とも莫大な金がかかった。これでいい商品がなければ、店を閉めなければならないだろう。
出発の日が3日後に迫った時のことだった。ニヤーヤの店に駆け込んできた男がいた。
「ニヤーヤさん、大変です」
「どうしたというのだ・・・・あぁ、君はプラサーダの店の使用人ではないか」
「はい、そうです。プラサーダさんが・・・」
「プ、プラサーダがどうしたのだ?」
「はい、今朝早く南の国に仕事で出かけたのですが、そのときに暴れゾウに襲われまして・・・」
「な、なに?・・・・で、プラサーダは、無事なのか?」
「それが、片方の足の骨を折りまして・・・・命に別条はないのですが・・・・。あと、片手の骨も折りまして・・・」
「な、なんだと。じゃあ、3日後の出港には・・・・」
「とても無理だということで・・・・」
ニヤーヤは、慌ててプラサーダの店に駆け込んだ。

ニヤーヤは、「なんてバカなことを。こんな大事な時に・・・」と責めたが、プラサーダは至って冷静だった。
「縁がなかったんだよ。仕方がないさ。また、次に行ける時に行くさ」
「まあな、いくら責めても怪我が治るわけではないし・・・。仕方がないか」
「ま、そういうことだ。費用のことはいい。いい商品を仕入れてくれればな。君に任すよ。俺の好みはわかっているだろうし」
「あぁ、任せておけ。ちゃんと仕入れてくるさ」
二人の話はまとまり、ニヤーヤがプラサーダの店の商品も一緒に仕入れてくることとなった。
そして、ニヤーヤは西の海へと繰り出したのだった。ところが・・・・。
時ならぬ暴風雨が吹き荒れ、海は荒れに荒れてしまった。ニヤーヤの乗った船は、予定の方向を大きくそれ、行方がわからなくなったのだった。
その知らせがプラサーダの元に届いたのは、ニヤーヤが出港して10日後のことだった。
「何と言うことだ・・・・。俺が西の海のさらに向こうの国の話を持ってこなければ・・・・」
プラサーダは、ニヤーヤの家族の前で頭を下げ、嘆いたのだった。ニヤーヤの家族は
「まだ、亡くなったと決まったわけではないですし・・・」
と言ってはいたが、暗い顔をしていた。プラサーダは
「俺が骨を折らずに、ニヤーヤが骨を折っていればよかったんだ。そうすれば、難破したのは俺だった。ニヤーヤには・・・・申し訳ないことをした・・・。全力で情報を集める。わかったことはどんな細かいことでも報告しよう。困ったことがあったらいつでも言って欲しい」
そういって、プラサーダはニヤーヤの家を後にしたのだった。

数日後、街では妙な歌が流行っていた。
「プラサーダが話を持ってきて〜  ニヤーヤと一緒に出かけようと  二人で計画たてたけど〜
骨を折って船乗れず  大損したかと思ったら  その船海で難破して  骨を折ったことが幸いだ
船のお金は損したし  骨は折ってしまったが  命はとられず残ったよ  何が幸いかわからない〜」
シュラバスティーの街中では、子供たちがそんな歌を歌ってはしゃいでいたのだった。

数年後のこと。プラサーダの店は大きくなっていた。しかし、彼はニヤーヤの店を見捨てることもしなかった。あの事件以来、プラサーダは慎重になり、確実で安全な貿易を営んでいたのだ。しかも、商才があったため、彼の仕入れた商品は売れに売れたのだ。彼は、自分の店の品を仕入れるとき、必ずニヤーヤの店の商品も仕入れていた。そうしたことにより、お互いの店は大きく繁盛したのだった。
そんなとき、真っ黒に日焼けし、ひげもじゃの顔の男がニヤーヤの店にやってきた。彼の後ろには、たくさんの荷車が連なっていた。
「ほう・・・プラサーダのヤツ、俺の店も守ってくれていたんだな。俺がやっていたときより、大きくなっている。あとでびっくりさせに行こう。おぉい、今帰ったぞ。御主人さまのお帰りだ」
その男はニヤーヤ本人だったのだ。
彼は、プラサーダの店に顔を出した。プラサーダは、涙を流して彼の帰りを喜んだ。ニヤーヤも店を守ってくれていたことを感謝し、お互いに抱き合って喜んだのだった。
「実はな、船は難破したんだが、ある島に流されてな・・・。その島は、宝石の宝庫だったんだよ。島の人間は、その宝石類が価値のある者とは知らなかったんだ。で、島にいついて、石を掘っていたんだよ。その宝石で、船を買い、島や国をめぐり、大量に商品を仕入れてきたというわけさ」
「何が幸いするかは、わからんものだな」
「ホント、そうだよな。船が難破したっていう話がこっちにも伝わっただろ。そのときは、プラサーダ、君は骨を折ってよかったと思っただろう」
ニヤーヤにそういわれ、プラサーダの顔がひきつった。
「いや、君を責めているわけじゃない。俺も船の中で同じことを思ったんだ。あぁ、骨を折ったのが俺ならばよかった・・・・ってな。そうしたら死なずにすんだだろう・・・って。ま、幸い、流されたからよかったけどね。本当だ、何が幸いするかはわからない。だからな、こう思うんだ。
起きたことに一喜一憂していてはいけない。起きたことが禍なのか、幸いなのかは誰にもわからない。起きてしまった状態で、最善を尽くせばいいんだ、とな。そう思わないか?」
ニヤーヤは、プラサーダに問いかけた。
「あぁ、そう思うよ。俺もニヤーヤに対して責任を感じていた。だからこそ、一生懸命、働いたんだ。あの頃のように無謀なことはしなかった。安全に確実に儲けることをよく考えた。その結果がお互いの店の現状だ。あの事件がなかったら、今頃は遊び呆けていたかも知れない。何が幸いになるかはわからないものだなぁ・・・・」
二人は、お互いに顔を見合って大笑いしたのだった。

さて、この話にあるように、起きたことを嘆いていても仕方がないのだ。また、起きたことを喜んでもいられない。それが、つぎの未来に対し、どう作用するかはわからないからだ。未来は定まっているわけではない。今、不幸にあることが将来の幸福につながることもある。今、幸福にあることが、将来の不運につながることもある。そして、その境遇がさらに幸福を呼び込むこともあれば、不幸を呼び込むこともある。
未来は定まっていないのだ。だからこそ、現在、今の瞬間大切にし、最善を尽くすことが重要なのだ。一喜一憂していないで、今を大切にし、次につなげるように生きるのだ。それが、幸福を呼びこむ秘訣である。
お釈迦様の話に、祇園精舎に集まった人々は、大きくうなずいて明るい顔をしたのだった。


「人間万事塞翁が馬」
という言葉があります。皆さんもよくご存知だと思います。
どんなことが禍となるか、どんなことが幸いとなるか、それはわからないことだから一喜一憂するな、という意味ですね。それは、本当によくあることです。
が、しかし・・・・。わかってはいるのですが、一喜一憂してしまうのが人間だったりもします。

実際、うちのお寺に来るおばさんで、こういう方がいます。
「こんなことがありました。もう大変で・・・」
とオロオロして悩みに悩んでいたことが、しばらくすると、
「あの大変なことが幸いして、こんなにいい状態になったんですよ」
といつのまにか喜び事に変化したりしています。この間まで、大変だどうしよう、と憂いていたじゃないですか、と内心思いつつも、さらには、それがどう変化するかわからないじゃないですか、と思いつつも、
「あぁ、そうですか、よかったですねぇ」
と答えておきます。しばらくすると案の定
「やっぱり、ダメですねぇ・・・・。いいと思ったことがかえって裏目に出てしまって・・・・」
と沈んだ顔。で、またしばらくすると
「裏目に出たと思ったら、案外うまくいきまして・・・・」
と大喜びで報告に・・・・。
まあ、なんと忙しい人だろうな、と思いつつ、
「あのね、なるようにしかならないんだから、いちいち、一喜一憂しないほうがいいんじゃないですか」
と、一応言ってはおきますが、まあ、聞いていないのでしょう。上の空で返事をしていますからねぇ・・・。

未来は定まっていません。人生は双六のようなもので、先のことなどわかりません。
リストラにあったことが幸いするかも知れませんし、希望の学校に落ちたことが幸いするかも知れません。
ただ言えることは、
「どんな悪い状態であれ、その状態が続くわけはない」
「悪い状態を嘆いていても仕方がない。そこから這い上がる気持ちが大事」
ということでしょう。
リストラにあって嘆いていても始まりません。そうしたアンラッキーをラッキーに変えるように、不運を幸運に変えるように、頑張ってみるほうがいいのではないでしょうか。

世の中不景気ですが、この不景気が続くわけはないのです。いつかは変化がやってくるのです。また、この不景気を何とか脱出しよう、と智慧を絞ることも大事なのです。
不運を幸運に、アンラッキーをラッキーに、失敗を成功に・・・・変化させていくのは、あなた自身の力なのです。
人間万事塞翁が馬
とお任せするのもいいですが、不運を嘆かず、今を精いっぱい生きることの方が美しいし粋ですよね。
合掌。


第99回
多く語る者は非難される。少し語る者は非難される。
黙して語らぬ者は非難される。
ならば、私は黙して語らぬこととしよう。

お釈迦様がマガダ国の竹林精舎に滞在していた時のことである。街中に妙な噂が流れ始めていた。
「お釈迦様は、弟子には托鉢をさせているが、自分と自分の周りにいる高弟だけは豪華な食事の接待を受けている」
「お釈迦様は、貧しい人々の食事は食べないそうだ。なにせ出身が王子様だから、貧しい者たちの食事は口に合わないのだろう」
「弟子には、厳しい戒律を強いているくせに、お釈迦様だけは、夜な夜な出歩いているらしい」
「ご本人は、偉そうなことを言っているが、結構贅沢な暮しをしているらしいよ」
「やっぱり王子様だからねぇ。まあ、あれほどの集団を率いているのだから、誰も注意はしないだろうしね」
「結局は、どの聖者も同じか!。贅沢がしたいんだな!」
こうした噂は、実しやかにラージャグリハの街に流れていた。
托鉢から戻った修行者たちは、街の噂を長老に報告した。もちろん、托鉢に出ていた長老たちも噂は耳にしていた。そして、当然ながら、その噂はお釈迦様の耳にも入っていたのだった。
その日の午後、お釈迦様の周りに長老たちが集まっていた。
「世尊、街の噂のことはご存知だとは思いますが・・・」
「もちろん知っている」
「なにも手だてはいたさないのでしょうか」
「放っておくがよい。噂は自然に消えるものだ。そんなことは気にせず、それぞれの修行に励めばよい」
「まだ悟りえを得ていない弟子たちが少々動揺しているようですが」
「噂は噂。それが真実かどうかは、己の目で見るがよい、と伝えなさい」
「街の人々に尋ねられた時も・・・」
「同様に答えよ。噂を確かめたいのなら、いつでも精舎に来るがよい、と伝えなさい。自分の目で確かめるのが何よりも確実だ、と」
「では、皆の者にはそう伝えます」
「それでよい。ムキになって反論せぬように心掛けることが大事だ。己のたち振る舞い、言動さえ正しければ、噂は消えるものだ」
こうして、お釈迦様は、噂に関して無視をするようにと伝えたのだった。しかし、噂は消えることなく、さらに悪化していた。しかもその内容は聞くに堪えないような内容であった。
「お釈迦様が、街の若い女性を妊娠させ、捨てたのだそうだ」
ラージャグリハの街では、この噂でもちきりとなったのだった。

それから数週間ほどたったころのこと、お釈迦様は、竹林精舎でそこに集まった人々に教えを説いていた。
「どいて〜、どいてよ。どきなさい。私を中に通して!」
と大声を張り上げて教えを聞く人々の中に割り込んできた女がいた。
「な、なんだ、この女は。お釈迦様が教えを説いている最中だぞ、邪魔をするな!」
教えを聞きに来た人々は、その女を外へつまみだそうとした。
「な、何をするの!。私にさわらないで!。いやらしい。それにこのお腹が目に入らないの?。私は妊婦なのよ!」
女はそう叫ぶと、まるまると膨れ上がったお腹を人々に見せた。その女をつまみだそうとした者たちは、手が出せずに呆然と女の腹を見つめたのだった。
女は、その様子を黙って見ていたお釈迦様を真っ直ぐに指さした。
「みんあ、驚かないでね。このお腹の父親は、この男よ。この男は、修行者たちが寝静まったころ、私のところにきて・・・・いいことをしていったのよ。あはははは。で、その結果がこれよ」
女はお腹を突き出した。
「ふん、偉そうな顔をしてさ。さんざん私を抱いておいて、子供ができたらおさらばなんて・・・ひどい男だねぇ。さぁ、どうしてくれるんだい」
女に詰め寄らてもお釈迦様は何も語らなかった。
「おいおいおい、何も言えないのかい?。本当のことだからね、言い訳もできないよね。ならば、ここで謝ったらどうだ!」
教えを聞きに来ていた人々が騒ぎ始めた。
「おい、お釈迦様は何も言わないぞ。まさか、この女の言ってることは本当なのか?」
「お釈迦様に限って・・・・でもなんで言い返さないのだ」
その様子をゆっくり眺めると、女は再びお釈迦様を指さして言った。
「ふん、何も言えないだろう。さぁ、どうするのさ。何とか言ったらどう?」
女の態度は、いかにも堂々としていた。その態度に、女の言っていることが、真実であるかのように、人々は思い始めていた。そして、それはまだ悟りを得ていない弟子たちにも伝わっていったのだった。
「世尊、よいのでしょうか、このままで・・・。私たち長老は、動揺しませんが、若い弟子やここに集った人々は・・・・」
長老の一人がそういうと、お釈迦様は、哀れみの顔を向けて、うなずいた。そして
「何が真実かは、すぐに知れるであろう」
と一言だけ言ったのだった。
その堂々とした言葉、声、態度に、一瞬、あたりは静まり返った。が、しかし・・・・。
「ふん、何が言いたいんだか・・・。いいかい、明日、もう一度出直してくるから、どう責任をとるか、よく考えておけ!」
と言い残して精舎を出て行ったのだった。

翌日の午後のこと、竹林精舎は昨日よりも多くの人々で埋め尽くされていた。その中には、マガダ国王の姿も見られた。その大観衆の中、昨日言いがかりをつけてきた女がお釈迦様の正面に歩いてきた。いかにも妊婦のような歩き方、いかにも堂々といた態度に人々は、
「これはお釈迦様も終わりだな」
と、つぶやいていたのだった。
女はお釈迦様の正面に立った。そして、昨日と同じようにお釈迦様を指さして、
「どう責任をとるか、決めたか!」
と大声で叫んだ。その時であった。女の足元に綿の固まりが落ちてきたのだった。
「な、なんだあれ?。何か落ちて来たぞ!」
「あっ、綿の固まりだ。この女、うそつきだ!」
女は、そこに集まった人々にあっという間に捕まってしまったのだった。
「お前、妊娠していたのは嘘だったのか!」
「お釈迦様が夜な夜な忍んで来たと言う話も嘘なのか!」
「本当のことを言え!」
人々に詰め寄られ女は、泣き出した。そこへマガダ国王が兵士をつれて現れた。
「おい、この女を拘束しろ。さぁ、女、すべてを話すのだ」
兵士にとらえられた女は泣きながら話し始めた。
「す、すみません。許して下さい・・・・。全部ウソです。私は、金をもらって頼まれただけです」
「誰に頼まれた!」
「ラージャグリハで一番のバラモンです」
女は、すべてを白状した。

女の話によると、ラージャグリハで一番と評判のバラモンが、金を持ってきてその女に、一芝居打ってくれと頼み来たのだった。女は、売れない旅役者で、しばらくすればラージャグリハを立ち退いてしまう。バラモンにとって好都合な女だったのだ。バラモンは女に、
「あのお釈迦様とか言われている男は、きっと国王に泣きついて金で解決するに違いない」
と言っていたのだった。女は、バラモンからもお釈迦様からも大金がもらえると思い込んで、バラモンの話に乗ったのだった。しかし、お釈迦様の堂々とした態度や
「真実はすぐに知れる」
という言葉に動揺していたのだった。そのせいでお腹の綿を縛る紐が緩んだようだった。
「きょ、今日は、本当はここに来たくなかったんだ。怖くて怖くて・・・・。嘘がいつばれるかと思うと・・・・」
女は、その場で突っ伏して泣いていた。
「国王よ、もうそれでよいであろう。すべては明るみに出た。その女を放してあげてもよいのではないか」
「せ、世尊がそうおっしゃるなら・・・・しかし、このままでは国民も納得しないでしょうし・・・。そうそう、そもそもそのバラモンが悪い。おい、そのバラモンをここへ連れ来なさい」
国王の命令に兵士たちが走り出したのだった。

バラモンはすぐに捕まり、竹林精舎に連れてこられた。多くの民衆が見守る中、国王が直々にバラモンに問いただした。
「なぜ、こんなバカげたことをしたのだ」
バラモンは、ふてくされた態度で、お釈迦様に怨みのこもった眼をして言い放った。
「この男が、バラモンの行う宗教儀式には意味がない、あんなことをしても無意味だ、無駄だ、とほざいているからだ!」
その言葉にそこに集まった人々は、
「な〜んだ、そんなことか」
「なんだ、単なる勘違いか、くだらねぇ・・・。そんなことで、こんな大それたことを・・・・」
「バラモンのくせに、愚かなやつだな」
「愚か者には、真実が見えないのだろう」
とぼそぼそ言い始めたのだった。その様子に国王が叫んだ。
「静まれ、静かに。・・・・バラモンよ、いつお釈迦様がそんなことを言ったのだ?。お前はなにか勘違いをしているぞ」
「わしが勘違い?。そんなことあるか。ならば、この男に聞けばいい」
バラモンは、そういうとふてくされて横を向いてしまった。お釈迦様は、哀れみの目でそのバラモンを見つめると優しく話し始めたのだった。
「バラモンよ、汝は、聞き違いをしている。なにゆえ、直接話を聞きに来なかった。私は、バラモンの祭事は、悟りには関係のないことだ、バラモンの祀りごとしても、悟りは得られない、と説いたのだ。それは、悟りに関しての話であろう」
「それはそうかもしれないが・・・・、バラモンの儀式には意味がなく、功徳がないとも言っただろう」
「確かに言った。バラモンの祀りごとを一日千回行うよりも、よく修行のできた出家者、悟りを求めるものに施しをしたほうが功徳がある、と確かに説いた。それは、修行者に施しもせず、日夜バラモンの儀式にあけくれていても、進歩がないから言ったのだよ。それよりも、修行者に施しをすること、人々施しをすること、そのほうが大事であろう。バラモンの儀式には大きな費用がかかる。しかも、バラモンの儀式ができないものは救われないと説いている。それでは多くの貧しき者たちは救われない。多くの者が救われるには、小さな施しから始めるしかないのだ。だからこそ、無理にバラモンの儀式を執り行うよりも、小さな施しの方が善いのだ、と説いたのだよ。バラモンの儀式を否定しているのではない。なぜ、罪を犯す前に真意を確かめに来なかったのだ。それが残念でならぬ・・・」
お釈迦様の言葉に、バラモンは何も言い返すことができず、がっくり肩を落としたのだった。

「ところで世尊、何故、うわさ話に弁明をされなかったのですか?」
国王がお釈迦様に尋ねた。
「国王よ、私が何を語っても、うわさ話は消えないであろう。むしろ、火に油を注ぐようなものだ。街では、お釈迦様が弁解をした、と新たなる噂が広まるだけなのだ。よいか国王よ、私が多くを語っても非難されることに変わりはない。少しだけ語っても非難されることには変わりはない。黙っていても非難されることには変わりはない。ならば、自分にやましいことがないのなら、黙っていればいいことだ。国王もその立場ならよくわかるであろう。この世は、多くを語る者は非難され、少し語る者は非難され、黙って語らぬ者は非難されるのだ。だから、私は沈黙するのだ」
お釈迦様の言葉に、国王は大きくうなずいたのだった。そして、集まった民衆も、軽々しく噂に興じたことを恥じたのであった。


人は非難されると黙っていられないものです。特にそれが身に覚えのない、理不尽なことだと余計に反論したくなります。
しかし、いくら反論しても通じない場合が往々にしてあるんです。ましてや、その様子を面白がったりしているものや、相手に怨みや妬みがあるものにとっては、何を言っても通じはしないでしょう。むしろ、反論した内容に関して、上げ足をとられたり、屁理屈をこねられたりして、大事にされてしまいます。最近の、というか、マスコミの多くがこういうことをたまにしますよね。

一国の代表のような立場、会社経営者、教職者、芸能人など、公共の場で多くを語る職にある人は大変だと思います。ちょっとした言葉の違いや、あるいは説明の行き違い、聞き手の勘違いや理解力不足などで、話が大事になったり、批判が集中したり・・・などということがしばしばありますね。もちろん、ひどい失言もありますが・・・(こうって言っておかないと、聞き手側だけが悪いのか、と批判されますからね・・・)。
しかし、語る職業や書く職業の方、人々に伝える職業のは、結構大変だと思います。いつの世も、どんな人々でも、賛否はあるのですからね。

お釈迦様が、悟りを得たばかりの頃、法を説かないでおこうと決めていた気持はよくわかります。たとえ言葉多くして伝えても、必ず、理解しないものや理解できないものがいるのです。理解できないだけならばいいのですが、反論する者もいます。筋が通った反論ならまだいいのですが、理不尽な、感情的な、ただ気に入らないからという理由だけの反論もあります(本人は筋が通っているつもりででょうけど)。そしてそれは、無茶な批判や非難へと発展していきます。それに反論し返しても、そういう人々は、「そらひっかかった」という具合に、さらに反論をしてきます。ならば、語らぬ方がいいのですね。だから、お釈迦様は当初、法を語ることを拒んだのでしょう。しかし、語ることによって、救われる人々も多くいることも事実ではあります。
非難する者が多いのか、救われるものが多いのか・・・・・。
それを考えたとき、お釈迦様は語ることを決意したのでしょうか。

語り始めたのなら非難はつきものでしょう。あとは、その非難にどう対処するかです。非難に反論すれば、火に油です。多く語っても少し語っても黙っていても非難されるなら、黙って通したほうがいいのです。
合掌。


第100回
自分の感情をよく制御できる者、
そうした者を大人(おとな)という。
感情のままに行動をすれば、不幸が訪れるだけだ。

マガダ国の首都ラージャグリハから少し離れた村に、ナーガという男がいた。ナーガは、普段は真面目な男で、世間の評判もよかった。しかし、ただし、少し気の短いところがあり、怒りっぽいところもあった。
ある日のこと、ナーガの女房の帰りが遅い日があった。
「おい、なんでこんな遅くまで出かけているんだ」
「仕事があったから仕方がないでしょ」
「本当に仕事なのか。いつもはもっと早く帰ってきているじゃないか」
「仕事だって・・・・。今日は、仕事仲間が一人休んでいたんで、仕事が多くって遅くなったのよ」
「本当なんだろうな」
「嘘なんかついていないわよ」
「そういえば、この間も遅かったじゃないか」
「この間も仕事の量が多くて遅くなったのよ。あのとき、そう言ったでしょ」
「ふん・・・そうだっかなぁ?・・・・お前、なんだかんだ言って、時々遅く帰ってくるよな・・・・」
「だから、そのたびに遅くなった理由は言っているでしょ。本当のことなんだから仕方がないでしょ」
「本当のこと・・・な。ふ〜ん・・・」
二人の会話は、そんな程度で終わったのだったが、ナーガのわだかまりは消えず、彼は爪を噛みながら、部屋の中を行ったり来たり歩きまわっていた。
「何だってそんなにイラついているの。あたしの言ったことが信じられないの?」
この一言がナーガの感情に火をつけてしまった。ナーガは
「うるせー、てめぇは黙ってろ」
と叫ぶや否や、女房を殴り飛ばしてしまった。
「な、何するんだい」
女房は叫んだ。ナーガはそれに答えず、家を出て行ってしまった。その日、ナーガは家に帰ってこなかった。

翌日、ナーガの女房は腫れた顔のまま仕事に出かけた。朝になってもナーガは戻ってきていなかった。仕事場で、ナーガの女房は仲間から尋ねられた。
「どうしたんだい、その顔。腫れているじゃないか」
「昨夜、旦那に殴られたのさ」
「旦那に?。あの大人しいナーガにかい?。まさか?」
「まさかじゃないよ。ナーガに殴られたのさ。ナーガは大人しくなんかないよ」
「そうかい?。でも村での評判はいいじゃないか。大人しくていい旦那だって・・・・」
「それは人前だけのことさ。家に帰ったら・・・・」
「前にもあったのかい、殴られたこと」
「殴られたのは初めてだけど・・・・・。でも・・・・うっ、うぅぅぅ・・・」
そういうと、ナーガの女房は泣き崩れてしまったのだった。
女房の話によると。ナーガは家ではよく暴れたとのことだった。ちょっとでも気に入らないことがあると、皿を投げたりテーブルの上の食事をひっくり返したり、ひどい時には椅子が飛んできたこともあったと、女房は語った。家の中の調度品は、半分がた壊れているということだった。
「そ、そんなにひどいのかい。普段は大人しいのにねぇ」
「あぁ、ナーガは真面目ないい旦那だと思っていたよ。うちの旦那とは大違いだとばっかり・・・・」
「何が大人しいものか。飯がまずい、こんなもの食えるか、帰りが遅い、その格好はなんだ、服装が派手だ・・・・。ある時なんか、いきなり話し方が悪いといって、皿の上の料理を投げられたこともあるんだ・・・・」
「何だってそんなひどいことを・・・・」
「知らないわよ。突然怒りだすんだから・・・・」
「別れりゃいいじゃない。いっそのことあんたが逃げ出せば」
「そう思うこともあるんだけどねぇ・・・・。そういうひどいことをした後、たいていは素直に謝ってくるんだよ。だから、なかなか別れられなくて・・・・。今までは殴られたわけじゃなかったし・・・・」
「でも、殴られたんだろ。今度は何されるかわからないよ。逃げたほうがいいよ」
仕事仲間は、竹林精舎に匿ってもらうことを勧めた。お釈迦様のそばにいれば安心だ、ということだ。雇い主も、お釈迦様の元へ行くことに賛同した。
「ナーガが乗り込んできたら・・・・たぶん、ここへ来るだろうからね・・・お釈迦様の元にいると言ってやるから大丈夫だ」
「でも、お釈迦様に迷惑がかかるのでは・・・・」
「なに、お釈迦様なら大丈夫だろう。わしも一緒について行って、事情を話してやるよ。しかし・・・ナーガがそんなひどい男だったとは。人は見かけによらぬものだな・・・・」
こうして、ナーガの女房は仕事が終わっても、家に帰ることをやめ、雇い主とともに竹林精舎へと向かったのだった。

その日の夜のこと、ナーガが家に帰ると、家には誰もいなかった。ナーガは
「くっそ〜、あいつめぇ〜!」
と叫ぶなり、女房の仕事場へ乗り込んでいった。
「俺の女房をどこへやった!」
「おやナーガかい。どうしたのだ?、何をそんなに興奮している」
「うるせー、俺の女房をどこにやったんだ。お前が、お前が・・・隠したのか!」
「何を言っているのだ。まあ落ち着いて話を聞け。お前さんの女房なら、竹林精舎にいるよ。お釈迦様のところだ。嘘だと思うのなら今から行ってみればいい」
女房の雇い主にそう言われ、ナーガは竹林精舎へと駆けて行った。
竹林精舎に着くと、
「俺の女房がきているはずだ。隠し立てしようとするなら、聖者でも許さねぇぞ!」
と叫びながら精舎の奥へと進んで行ったのだった。精舎の奥へと通じる道には、ところどころに燈明が灯されていた。
奥へ行くと、ひときわ明るいところがあった。お釈迦様がいつも人々に法話をする場所だ。そこには、お釈迦様を中心に数名の弟子たちが座っていた。
「どうしたのだ、ナーガ」
お釈迦様の優しい声が響いた。ナーガは急に大人しくなり、
「いや、あの・・・うちの女房がこちらにお邪魔していると聞きまして・・・・・その、迎えに来たのですが・・・・」
「ふむ、確かに来ているが・・・・。すごく怯えていて、今尼僧たちが介抱しているところだ」
「あぁ、そうなんですか・・・・。怯えているんですか・・・・それはいったいなぜなのでしょうか?。仕事先で何かあったのでしょうか」
「いいえ、仕事先ではなにもなかったが・・・・、家に帰るのが怖いと言って怯えているのだ」
「へぇ〜、家にかるのが怖い・・・・ですか。一体なんでそうなるんでしょうねぇ」
「それは私は知らぬことだ。ナーガ、汝自身が一番よく知っているだろう」
「わ。私には何のことかさっぱり・・・・・」
ナーガは爪を噛みながら貧乏ゆすりを始めた。
「何をイライラしているのだ。少しは落ち着いたらどうかね」
「こ、これが落ち着いていられることか!」
ナーガは怒り始めた。
「お釈迦様だか何だかしらないが、さっさと女房を渡してもらおう」
「よかろう。ナーガの女房をここへ連れてきなさい」
ナーガの女房が尼僧に付き添われて連れて来られると、ナーガはいきなり尼僧から女房を奪おうとした。尼僧は慌てて女房をかばった。その瞬間であった。
「止まるがよい」
お釈迦様の厳しい声が響いた。そのとたん、あたりは静まり返ったのだった。
「ナーガ、汝はいくつになる」
お釈迦様がナーガに尋ねた。ナーガは、立ったまま答えた。
「さ、35歳に・・・・なりますが・・・・、そ、それが・・・なんだと・・・・」
「汝は子供か、大人か?」
「ふっ、何をおっしゃるのかと思えば・・・・。大人に決まっているでしょう」
「ほう、そうかな。では、大人とはどういう人物を言うのか」
「年齢が20歳以上になっていて、社会的に責任をもつ年齢に達しているものを大人というのです。あたりまえのことでしょう」
「社会的責任をもつ年齢になったら、何をしても大人なのか?」
「そりゃあ、そうでしょうよ。年齢がそうなっていれば、大人でしょう」
ナーガの言葉はむなしく響いた。沈黙が訪れる。ナーガは不安になり、お釈迦様の前に座り込んだ。なぜ、誰もが黙っているのか不安になったのだ。次第にナーガはいらいらし始めた。
「いったい何だって黙っているんだ。俺が何か間違ったことを言ったか?。何だって言うんだ!」
「愚か者め。それでも大人か」
お釈迦様の静かではあるが厳しい響きを持った声が飛んできた。ナーガは驚き、黙った。
「確かに社会的責任を持つものを大人と言おう。しかし、それは大人の定義であって、大人の内容を現したことではない。どんな人間が大人なのか。定義を聞いているのではなく、内容を聞いているのだ。さぁ、答えてみよ。どんな人間が大人か?。年齢に関係なく、どんな人間が大人であるといえるのか、答えてみよ」
ナーガは、お釈迦様の迫力に何も言えなくなっていた。
「よいか、ナーガ、そのように自分の感情を顕わにし、すぐに暴力に訴えかける人物の、どこを大人といえばいいのかね?。汝がやっていることは、幼い子と同じではないのか?」
お釈迦様の質問に、ナーガは答えられなかった。しかし、
「わからない・・・・・わからないんです。自分でもよくわからないんです。カーッとなったら、自分を抑えられないんです」
「どんな時にカッとなるのか?」
お釈迦様が再び尋ねた。ナーガは「どんな・・・・」と一言つぶやいたが、頭をかきむしって
「わからないんです・・・・」
と泣きながら答えたのだった。
「ナーガよ、普段、汝は大人しいのであろう。誰にも暴力を振るようのなことはしないのであろう」
ナーガは、頭を縦に激しくふった。
「なぜ、普段はおとなしくできるのだ」
「が、我慢してます。ほ、本当は・・・・本当は、そのあたりにあるもの、何でもいいから蹴ったり投げたりしたいんです。い、今も・・・・本当は、あ、暴れたい・・・・んです」
ナーガは苦しそうに言った。さらに言葉は続いた。
「他人に何か言われると・・・・何か注意されると・・・・、ムカつくんです。腹が立つんです。イライラしてくるんです。・・・・わかってはいるんです。注意されたりするのは自分が悪いって・・・・わかってはいるんです。でも腹が立つんです・・・・。さ、最近は、職場でも注意されないように気をつけてやってます。だけど、それはそれで苦しいんです。イライラするんです」
「それで家に帰ると、奥さんに八つ当たりをするのだな」
「そ、そう・・・・なんでしょう。女房になら、本当の自分を見せてもいいかと・・・・・」
「もちろん、本当の自分を見せるのは構わぬであろう。しかし、見せ方に問題がある。自分はわがままな人間だ、これをどうすればいいのか、と相談するのが先であろう。何も言わず、いきなり八つ当たりばかりしていたら、いくら自分の女房でも怯えるし、逃げ出したくなるであろう。
ナーガよ、汝を注意する者は、汝が成長して欲しいがために注意するのだ。なにも、汝が憎くて怒っているのではない。汝を嫌っているのでもない。汝は、もっと仕事ができると、周りから思われているから注意されるのだ。
もっとも、汝がそれを理解しなければ、汝の成長は望めないのだが・・・・。
ナーガよ、自分で自分の感情をうまく制御できなければ、それは大人とは言えないのだよ。注意されても怒らずに、なぜ注意されたかを考えよ。それが大人であろう。
イライラを他者にぶつけることなく、八つ当たりをすることなく、心を静かに落ち着けること、それができて大人と言えるのだ。
周囲のちょっとした一言で、イライラしたり、ものに八つ当たりをしたり、感情を顕わにするのは、それは子供のやることであろう。うまくいかなかったり、自分の思うようにならないからと言って、暴力的な行動に出るのは、子供のやることなのだ。
大人は、自分の行動をもっと管理するしなければいけない。自分の感情や行動を制御できるようになって、初めて大人と言えるのだ。
ナーガよ、汝はまだまだ子供なのだよ。それを自覚するがよい」
お釈迦様の眼は、とても悲しそうな眼をしていたのだった。

翌日、ナーガは、出家をした。今の状態で家に戻れば、また同じことの繰り返しだと、自分で判断したのだ。竹林精舎での生活を送れば、心の成長ができるであろう、と考えたのである。また、自分には、女房をもらって、家庭を持つことは難しいことだとも知ったのだった。女房には、頭を下げて謝った。深く深く謝ったのだった。
こうして、ナーガの出家生活は始まったのだが、しばらくは苦労の連続であった。自分の感情を抑えることにナーガは苦労したのだった。しかし、それもやがては消え去っていった。時間はかかったが、ナーガも本当の意味での大人になれたのだった・・・・。


世の中には、感情をすぐにむき出しにしてしまう大人が存在しています。みなさんも、ニュースや新聞などを見て
「大人なのに・・・・」
「大人の癖になんでこんなことを・・・・」
と思ったことがあることでしょう。そんな事件が、毎日のように繰り返されているのが現状です。
いい年をした老人の殺人事件。尊敬されるべき立場の人の愚かな暴力。将来がある学生の欲望のままの行動。それだけではありません。ニュースにならないだけで、DVで悩んでいる御夫婦やカップルは多々ある、と聞きます。多くは、自分の感情の爆発を抑えられないことから起きています。

ムカつくことはたくさんあります。生きていく上で、イライラすることもたくさんあります。腹の立つこともありましょう。他人のちょっとした言動に傷つき、腹が立つことはよくあることです。そんなことは、世の中生きていれば必ず出くわすことです。それに対し、イチイチ怒っていたのではどうしようもありませんよね。それじゃあ、いつもいつも怒ってばかりいなければなりません。
思い通りにいかないことなんて当然です。思い通りに行くことの方が稀なんですから。自分はひとりで生きているわけではないので、自分のわがままが通らないことなんて、たくさんあります。思い通りにいかないのが世の中なのです。そんなことで、イチイチ感情を爆発していたら、そのうちに自分の頭から火が出てしまうでしょう。

感情を爆発させ、モノに八つ当たりしても、暴力に訴えても、何の解決にもなりません。多くの場合、感情を爆発させた本人に問題があるのでしょうから、解決どころか、悪化させるだけなのです。
理不尽なことをされ、腹が立つこともあるでしょう。誤解から、人間性を疑われ、いじめのようなことを受ける場合もあるでしょう。何の落ち度もないのに、いじめられることもあります。しかし、その場合でも感情を顕わにすることでは、何の解決にもなりません。むしろ、さらに関係を悪化させたり、
「ほらね」
と言われるだけなのです。火に油を注ぐだけなのです。ましてや、それが子供ではなく、大人がやったならば、
「大人のくせに」
と言われ、さらに悪意を持たれるだけなのです。
感情を爆発されるのは、大人がやってはいけないことなのです。

どんな人物を大人というのか。それは、自分の言動の責任をとることができ、自分の感情や欲望をよく制御できる人間を大人というのでしょう。感情を抑えられないような大人は、大人ではないのです。身体は大人でも心は子供なのです。
いつからなのか、日本には本当の意味での大人が減少しつつあるように思います。責任のとれない大人、謝ることができない大人、自分の非を認めない大人、欲望のままに行動に出る大人、感情を抑えることができず暴力を振るう大人・・・・・。
そんな大人ばかりが増えてきたように思います。そんな大人は、不幸を招き寄せるだけです。感情の赴くまま、欲望のままに行動すれば、それは不幸を招くだけなのですよ。
合掌。


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