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第106回
恨みは恨みをもって鎮まるものではない。
復讐は虚しいばかりか、さらに恨みを生みだすことになる。
恨みを鎮める方法は、ただ一つ、慈悲の心で許すことだけである。

「くっそー、あいつのことだけは許せない。あいつのせいで、俺は・・・俺は・・・」
アバターラは、暗い酒場の隅で酒を飲みながら、そうつぶやき続けていた。その姿は、毎日のように見られた。店主は
「あんたさぁ、毎日同じことを言ってるけど、いったいなにがあったんだ?」
とアバターラに話しかけてきた。いつもは気味悪がって何も話さない店主だったが、今日はほかの客もいないせいか、アバターラに興味を示したのだった。
「まあ、いつもちゃんとお金も払ってくれるし、いい客と言えばいい客なんだけど・・・その、暗いんだよね、あんた。おかげでほかの客が気味悪いって言ってさ・・・・」
「ふん、なんだ、そういうことか・・・・俺の話を聞きたいわけじゃないのか・・・。どいつもこいつも自分のことばかり。勝手なことばかり言いやがって・・・・・」
「いや、あんたの話を聞くよ。でも、それは店のため。あんたのためじゃない。毎日そうやって暗い顔されたんじゃたまらないからね。でもさ、それが人間でしょう。みんな自分のことが大事さ」
「ふん、それもそうだな・・・・。だけど、俺はあいつだけは許せないんだ。あいつのせいで俺はこんなに落ちぶれちまった」
「落ちぶれたっていっても、酒飲む金はあるじゃないか」
「ここの安酒飲むくらいの金はな・・・・。っていうか、そんな金しか残っていないんだよ。それももうすぐ底をつく。そうなりゃ、ここにも来ないから、あんたに迷惑もかけないけどな・・・・」
「じゃあ、聞かないほうがいいかい?」
「いや、話す。今日で最後だろうから・・・・」
そういうと、アバターラは自分の過去を話し始めたのだった。
「俺は、実は金持ちの商家の生まれだったんだ。家は大きな貿易商を営んでいた。まあ、坊ちゃんだな。自分でいうのもなんだが、俺は勉強もできた。商売もうまかったと思う。だから、父親についていろんな国に行き、珍しいものを仕入れ、売りさばいていた。俺の商品を見る目は確かだった。俺が選んだ品物は、すべて高値で売れたんだ。商売は順調に行っていた・・・・。あの男が来るまでは・・・・」
そういうと、アバターラは、遠くを見るような眼をしたのだった。

「あの男・・・・名前は忘れもしない・・・ナーガーリーという名の男だ。尤も、本当の名前かどうかはわからない。今は、違う名前を語っている可能性もある。
そいつとは、海を隔てた西の国で出会った。妙に陽気な男で、いろいろな国の面白い話を知っていた。歳は、俺よりも5歳くらいうえだったろうか・・・・。俺は、気が合ってナーガーリーと一緒に他の国へ買い付けに行くようになった。あいつは、人に取り入るのがうまく、どこの国のどんな相手とでも仲良くなった。おかげで珍品が面白いように手に入った。ヤツは言った。
『このまま父親の店で商売するのもいいが、男なら自分の店を持ったらどうだい?。この状態なら、父親の店よりも大きくなるぞ。お前にはその才能がある。なに、俺が協力してやるから大丈夫だ』
確かに、ヤツの言う通りだと思った。その時俺は、親父とは一緒に買い付けいに行かずに、ナーガーリーとばかり行っていてのだ。いっそのこと、店をもう一軒持ってもいい、と思っていたところだった。だから、
『ナーガーリー、君が協力してくれるなら店を出そう』
と言ったのだ。彼は喜んでうなずいていた。
『もちろん協力するさ。お前の父親よりも大きな店にしてみせるよ』
ヤツは自信満々でそう言ったのだった。
親父は俺の独立を喜んではくれたが、ナーガーリーには注意しろ、とも言ってた。その意味は分からなかったが・・・・親父の言う通りにすればよかったと後悔するようなことになるとは・・・・。ま、それは後々の話だ。
商売は順調だった。俺たちが仕入れた品物は飛ぶように売れた。資金もたまった。そんなころ、大きな取引の話をナーガーリーが持ち込んできた。うまくいけば、今の財産が数倍になるくらいの大きな商売だった。しかし、
ヤツは乗り気ではなかった。なぜなら、仕入れに大金がいるからだった。
『この話は絶対もうかる話なんだが・・・・。しかし、仕入れに大金がいる。お前の手持ちの資金と親父さんの資金を合わせても、少し足りないくらいだ・・・。あぁ、俺の持っている資金を足せば、ちょうどいいかな。尤も、仕入れには大金がかかるが、儲けはその数十倍だ。最初の資金を返して、残りの儲けを三人で平等に割っても、途方もない金額になる・・・・う〜ん、おしいんだがなぁ・・・・』
乗り気でないそぶりを見せるのが、ヤツの手だとは、その時は気づかなかった。俺は、ヤツの手のまんまと乗って自分の全財産と、父親の全財産をその貿易につぎ込んだのだ。
結果は・・・・。ナーガーリーはそれっきり行方不明だ。おかげで俺も父親も路頭に迷うこととなった。否、父親だけじゃない。母親も、働いていた者たちも、みんな路頭に迷うことになった。それだけじゃない、父親も母親も、全財産を失くしたことで・・・・、病に倒れ死んでしまった。
しばらくして、街でぼろぼろの格好をして、もの貰い生活をしていた俺のもとに荷物が届けられた。
『あんたアバターラっていうんだろ。さっき、あの男が・・・・あれ、もういないや・・・・、これをあんたに渡してくれって・・・・。えらく気前のいい男だったぜ。あんたにこれを渡すだけなのに、五十金もくれたよ。これで3年は働かなくてもいいくらいだ。じゃあな、確かに渡したぜ』
俺はその荷物を開けてみた。中には、着替えと・・・・今着ているこれさ・・・・と金が百金ほど入っていた。御使いの男に五十金で俺には百金・・・・。俺にはすぐにわかった。ナーガーリーしかいない、こんなことをするのは、とな。
それから俺は、その金で、ナーガーリーを探すことにした。そう、見つかったんだよ。あれから3年。苦労したさ。だから、もうこの店には来ないのさ」
アバターラはそういうと、酒代を払って店を出ていったのだった。

「探したぞ、ナーガーリー」
アバターラは、ナーガーリーの前に現れた。
「久しぶりだなぁ・・・。とうとう見つかっちまったか。まさか、あの金で俺を探したんじゃ・・・・。ふん、どうもうそうらしい。あの時俺が贈った格好のままだからな。臭くてたまらん。あの金でやり直してくれれば、と思ったんだが・・・・。親切心が通じなかったらしい」
「なぜだ。なぜ俺と・・・いや、俺の家にあんなことをした。お前のせいで俺たち一家は・・・・」
「決まっているだろ。復讐さ。おかげで気分がすっきりしたぜ」
「復讐?」
「そう、復讐。お前は知らないが、お前の親父はよく知っていたはずだ。尤も、その本人は死んでしまったから、もう話は聞けないけどな。ふっふっふ・・・ざまぁみろってんだよ」
「どういうことだ。俺にわかるように説明してくれ」
「いいだろう。お前の親父は、俺と同じことを俺の一家にしたのさ。俺の家は、貿易商だった。そこへお前の親父・・・・もっと若いころだな、結婚もしていないころだ・・・・がやってきて、いろいろな商品を俺の家の店においていった。それは飛ぶように売れ、うちの店は見る見るうちに大きくなった。そんなとき、お前の親父は、大きな商売の話を持ってきたんだ。うちの親もバカだよな。すぐにその話に飛び付いた。で、有り金全部、お前の親父に持っていかれたんだよ。そのとき俺は、まだ5歳だったが・・・・親父やお袋のあの惨めな顔をよく覚えているよ。それからすぐに、親父もお袋も死んでしまったけどな。俺はその時誓ったんだ。絶対復讐してやると・・・・。で、俺も貿易を覚えるため、貿易船に乗ったんだ。奴隷としてね。船に乗れば、いつかお前の親父に会えると信じていたから、奴隷でも何でも出来たんだよ。
俺の計算は当たった。お前の親父をすぐに見つけたよ。でも、すぐには復讐はできない。俺は時を待った。で、満を持してお前の前に現れたわけさ。お前の親父さんは、うすうす気づいていたんじゃないか?」
「そういうことだったのか。親父は、なんか気づいていたようだった。お前には注意しろ、といっていたからな。一つ聞いていいか?」
「あぁ、何なりと・・・・」
「俺の前に現れた時、お前はいっぱしの貿易商だったよな」
「あぁ、そうだよ。店も持っていた。有る程度の財産も持っていたよ。苦労したぜ。なんせ無一文から、奴隷からのし上がったんだ。尤も、お前の家に比べたら、微々たるもんだがな」
「それでも、裕福であったはずだよな」
「まあな、一応、名前の通った貿易商だったからな。船も持っていたし」
「ならば、なぜこんな復讐を?」
「したのかって?。決まっているだろ、許せなかったからさ。お前の親父もお前もな。お前にも、俺と同じ目に遭わせたかったんだよ」
「もったいないと思わなかったのか?。俺がお前と同じように復讐心に燃えたらどうするのだ?」
「あっはっは・・・。俺はな、同じ手には引っかからないさ。お前が俺と同じように復讐しようとしても、無駄だよ。俺はその手には引っかからない」
「復讐の方法は、ほかにもあるんだぞ」
アバターラは、そういうと、ナーガーリーの方にまっすぐ走った。次の瞬間、ナーガーリーは床に倒れていた。血を流しながら・・・・。
「ナーガーリー、復讐では何も生まれない。お前は俺の親父を恨んだが、恨みは恨みで返しても、また恨まれるだけだ。恨み方は人それぞれだ。同じ手で復讐するとはかぎらない。バカなヤツだなお前は。せっかく成功していたのに。俺の親父を許すことができたなら、俺に刺されることもなかったろうに・・・・。お前はバカだ」
「う、うぅぅぅ、くっそー・・・・。お前、ゆ、ゆるさねぇぞ・・・・。お前、生きて帰れると思うなよ・・・・」
「あぁ、分かっているよ。復讐はまた復讐を呼ぶさ。恨みは恨みを呼び、さらに恨みを呼ぶ。この連鎖は終わらない。俺は当然、お前の恨みを買い、復讐される対象となる。分かっているよ。俺もバカだ。お前のことを許すことができたなら、俺も違う人生を歩めただろうな。あのときの百金で、何か仕事をはじめていたら、俺も今ごろは普通の家庭を持っていたかもしれない。だが、そうはならなかった。恨みを晴らしたかったからだ・・・。でもな・・・。お前もそうだとおは思うが、恨みを晴らしたあとのこの気持ちは・・・・虚しいばかりだな・・・・。お前もそう思ったんだろう?。じゃなきゃ、毎日毎日、酒場で遊んでないだろう。お前の生活が荒んでいることくらい、俺は知っているんだぜ・・・・。復讐は何も生まない、恨みは恨みで鎮まらないんだ」
「じ、じゃあ・・・・どうやって・・・・・・鎮まる・・・・っていうんだ」
「そうだな、俺は今悟ったよ。恨みは許すことで鎮まるんだ、と。俺はお前を刺した。お前は死ぬだろう。でもな、今、俺はお前を許す気でいる。できれば助かって欲しい。こんなことをして悪かった、と心から思っている。この気持ちをもっと早くにもてたならば・・・・」
「ゆ、許す・・・・か。そうかもしれないな・・・・。俺も許すことができたなら・・・・・、もっと大きな貿易商になって・・・・」
「お前と俺と競い合っていたかもな・・・・」
「俺の・・・・・・・家族には・・・・言っておくよ。お前を許してやれ、とな。・・・・・・・・・・決して復讐するではない、と・・・・・・・」
ナーガーリーは、絶命したのだった。アバターラは、その足でふらふらと外へ出ていった。どこをどう歩いたのか分からないが、いつの間にか祇園精舎の中にいた。
「アバターラ、復讐は虚しいばかりであろう。恨みは恨みによって鎮まるものでない、ということが、よくわかったであろう。恨みは、慈悲の心でしか鎮めることができないのだ。恨む相手を許すことによってのみ鎮まるのだ。そうでないと、恨みの連鎖は切ることはできない。恨みは恨みを生み、さらに恨みを生んでいくのだ。人を許せるようになったならば、汝の心は落ち着くのだ。さぁ、アバターラよ、それがわかったならば、ここで生まれ変わるがよい」
アバターラを受け止めてくれたのは、お釈迦様であった。


人を恨む気持ちは、誰にでもあるでしょう。そういう経験をした方は少なからずいると思います。
「くっそ〜、いつかあいつに思い知らせてやる」
「あんなヤツ、絶対に許せない。何倍にもしてお返ししてやる」
な〜んて、思ったこともあるのではないかと思うのです。
しかし、こういう気持ちって、多くの場合は、一時的なものですよね。いつの間にか忘れてしまう場合が多いです。その時は、怒りにまかせて「恨んでやる」、「恨みを晴らしてやる」などと思うのですが、大半は何もせずに時が過ぎていく場合が多いですよね。

ところが、中にはいつまでも恨み続けているという人もいます。あるいは、すぐさまお返しをしてやる、と思う人もいます。
「やられたらやり返す。しかも倍返しだ!」
と怒りにとらわれてしまう人もいます。そういう人は、執念深く恨み続けるでしょうし、なるべく早く復讐をしてやろう、と思うようです。

でも・・・・。たとえ、復讐を果たしとしても・・・・。その瞬間は満足感は得られるでしょう。しかし、気分が落ち着くとともに虚しさがこみ上げてくるものです。復讐しても、なぜかつまらない、なぜかわびしい・・・・。そんな感情がこみあげてくるものです。
さらに、復讐された方は、また怒りを持つことでしょう。同じように
「お返しをしてやる」、「恨んでやる」
と思うことでしょう。
結局は、復讐の繰り返し、復讐の連鎖に陥ってしまうのです。そして、そこには虚しさだけ残されて、何も得るものはありません。

「恨みは恨みを持って鎮まるものではない。恨みは唯一、慈悲によって鎮まるものだ」
お釈迦様はそう説きます。そう、恨みは慈悲からくる「許す」という気持ちによってのみ鎮まっていくのです。

いくら相手を恨んでも、全く進歩がありません。それよりも、相手のした行為は許してしまい、相手よりも幸せになろうと、努力することの方が明るくていいものです。恨みは何も生みませんし、いつまでもその位置にいることとなり、進歩がありませんからね。
思うに、他人を恨んでいるうちは、運気はよくならないですね。恨みという負のエネルギーが、発展や向上という正のエネルギーを妨げているのでしょう。恨む心は、開運を邪魔するのです。

新しい年がやってきました。去年までいろいろなことがあったことでしょう。恨むようなこともあったかもしれません。しかし、慈悲の心でもって、すべてを許してみてはどうでしょう。
そして、新たなる人生をスタートさせるのです。そのほうが、開運・運気向上になること間違いナシ!、ですよ。
合掌。


第107回
自分が正しいと主張し、他の意見を聞き入れようとしない者。
そうした者は孤立し、寂しい思いをすることとなろう。
正しいのは自分だけではない、と知るがよい。

シュルタの家は、ヴァイシャリーの街で古くから商売を営んでいた。椅子やテーブル、日用品などを売る店である。店は父親ヴァッパとシュルタ、シュルタの嫁で切り盛りしていた。商売はそこそこうまくいっていた。
ある日のこと、シュルタの父親ヴァッパが病で倒れた。幸い命に別条はなく、頭もしっかりしており、しばらくすれば元通りの生活も可能であろうと医者は言った。が、高齢なので、またいつ倒れるかわからないから注意をするように、とも言われた。
ヴァッパは、元の生活に戻れるように、訓練を始めた。息子や嫁に迷惑をかけたくはなかったし、商売に影響が出てはいけないと思っていたからだった。

ヴァッパが回復しかけ、歩くことができるようになった頃、シュルタの従姉ヤコンが見舞いにやってきた。ヤコンは、ヴァッパの兄の娘で、マガダ国へ嫁に行っていたが、夫ともめて離婚をしていたのだった。ヴァッパの兄はもう亡くなっていた。ヤコンは一人娘を連れてヴァイシャリーの街に戻っていたのだ。
「おじさん、大変だったね。あらあら、そんなことは私がやってあげるわよ」
ヤコンは、ヴァッパが井戸から水を汲もうとしたところを手助けしたのだった。
「いや、すまないねぇ。なるべく自分でやらないとね、身体がなまっちまうし、迷惑をかけることになるからねぇ」
「何言ってるのよ、おじさんは病人なんだから休んでいればいいのよ。それにしても、シュルタの嫁はそんなこともしないのかねぇ・・・・」
「いやいや、嫁が悪いんじゃないよ、わしが自分でやろうとしているだけさ。嫁は店が忙しいからね」
「ふ〜ん・・・」
その日は、そんなやり取りをしてヤコンは帰って行った。
次の日のこと、またヤコンがやってきた。
「今日は、甘いものを持ってきたかたら。今、お茶を入れるね」
「あぁ、ありがとう。ヤコン、店には顔を出したのかね?」
「いいえ、裏から入ってきたから。別にかまわないでしょ、他人じゃないんだし」
「あぁ、まあ、そうじゃなぁ・・・・」
「あぁ、いいのよおじさん、私がやるわよ。掃除くらい任せて」
ヤコンはそういって、ヴァッパの手から箒をとりあげ、掃除を始めたのだった。掃除が終わると、二人でお茶を飲み、
「そろそろおじさんは寝たほうがいいでしょう。あまり起きていると身体に障るから、休んだ方がいいわよ」
と言って、ヴァッパを休ませた。そして、
「明日は、健康にいいお茶を持ってくるからね」
と言って帰って行った。
翌日、ヤコンは約束通り、健康に良いとされる薬草を持ってきた。それを煎じて飲むのだ。ヤコンはやはり裏口から入り、店には顔を出してはいなかった。ヤコンが来た時、ヴァッパは起き上がって、身の回りの整理をしていた。
「おじさん、何やってるの。そんなに動いちゃ、また倒れるわよ。そんなことは私がやるから・・・・」
「いや、こうやって身体を動かさないと・・・。また店に出なきゃいけないからねぇ」
「何言ってるのおじさん。店に出るなんて。そんなことをしたらまた倒れるわよ」
「そ、そうかのう・・・・」
そう言われて、ヴァッパは少し心配になり、横になった。そして、ヤコンの持ってきた薬草のお茶を飲んだのだった。
ヤコンは、毎日やってくるようになった。裏口から入り、ヴァッパが起きていれば必ず注意して寝かしたのだった。身の回りのことはすべてヤコンが世話をし始めた。それとともに、ヴァッパは動くことが少なくなっていった。

ある日のこと、シュルタは帰ろうとするヤコンをつかまえて言った。
「おい、どういうつもりで親父の世話をしているんだ?」
「あんたたちがやらないからよ。あんたたちに任せていたら、おじさんはまた倒れてしまうわ。あんたたちって、本当に冷たい人たちよね」
「いったい何を言ってるんだ?。あのな、親父はまだ元気だったんだ。仕事に復帰するつもりでもいたんだ。そのために身体を動かす訓練をしていたんだ。それなのに、最近の親父と言ったら、すっかり寝てばかりで、何もしなくなった。自分で起き上がって歩くのは、用便を済ますときだけだ。あとは寝たままか、ボーっとしているだけだ。あのまま寝たきりになったらどうするんだ」
「何を言ってるの?。おじさんは病人なのよ。病人は栄養をとって、薬を飲んで休んでいるのが一番だわ。おじさんもそうしたいって言ってるし」
「ヤコン、お前が親父を変えてしまったんだよ。まだ、やる気があったのに、すっかりそれを奪ってしまった・・・・」
「そんなことは言いがかりよ。おじさんは無理をしていたのよ。本当は何もやりたくなかった。ゆっくり休みたかった。だけど、誰も手助けしてくれない。あんたもあんたの嫁もね。みんなで放りっぱなしだったのよ。偉そうなことを言わないでよ、おじさんを放りだしたくせに」
「放り出してなんかいない。無理もさせてない。年寄りだからと言って、何もかもやらせないようにして、甘やかしてはいけないんだよ。甘やかせば、怠けてしまい、自分で何もやろうとしなくなる。そんなことでは、寝たきりになってしまう。自分でできることはなるべく自分でやるようにしないといけないんだ。医者にもそう言われている」
「医者なんていい加減でしょ。薬もくれないし。私が持ってくる薬草茶は、すごくいい薬なのよ。あれを飲んで寝ていれば、おじさんは長生きができるのよ。お釈迦様だって老人を大切に扱いなさい、っていっているじゃない」
「大切に扱うのと、甘やかすのとは違うんだよ」
「もう!、シュルタ、あなたに何を言っても無駄ね。あなたは自分が何もしない、嫁に何もさせないことの言い訳をしているだけだわ。。そんな人の話を聞いても無駄よ。帰るわ。また明日、勝手にやっていくから」
ヤコンはそう言い残して、さっさと帰って行った。シュルタの言葉は何一つ届かなかった。
やがて、シュルタの父ヴァッパは、とうとう起き上がれなくなり、一人では何もできなくなってしまった。シュルタがそのことでヤコンを責めても
「そういう病気なんだから仕方がないじゃない。私が面倒をみるから、あなたには迷惑かけてないでしょ。尤も、あなたたちは冷たい人間だから、父親の世話すらしない人たちだから、何を言っても無駄だけどね」
と怒った口調で言い返してきたのだった。シュルタはヤコンに何を言っても無駄だと思い、それ以来何もヤコンには言わなくなってしまった。無視をすることに決めたのだ。ヤコンは、素知らぬ顔で、毎日ヴァッパのもとにやって来て、世話をしていたのだった。

ヤコンの世話やきはヴァッパのところだけではなかった。シュルタの店の近くに、ヤコンの幼馴染がナンを売る店を出していた。その店もそこそこ流行っており、生活には困らなかった。ヤコンはヴァッパの家の帰りに必ずその店により、
「相変わらず暇な店ね。私なら、もっと流行らすわよ」
と言うのだった。幼馴染は
「いいのよこの程度で。これ以上客が来ると、対応ができなくなるから。それにね、生活ができれば文句はないしね」
と言うのだったが、ヤコンはいつもそれに反論していた。
「そんなこと言ってると、そのうち客が誰も来なくなるわよ。今からそうならないように対策を立てないとね」
そう勝手なことをいい、商品の配置が悪い、店が暗い、こんなナンだからいけない、こういうナンをおくといい、もっと宣伝したほうがいい・・・などとやかましく言いたてたのだった。幼馴染が、
「私の言ったこと聞いてるの?。あなたの言ってることは、余計な御世話なのよ。いいのこのままで」
「何を言ってるの。私は間違ったことを言ってるわけじゃないでしょ。あなたのためを思って言ってるのよ。私、何か間違ってる?」
「間違ってるとかの問題じゃないのよ。私は、このままでいい、といってるのよ」
「このままだと先行きが心配だから、忠告しているのよ。そんな言い方されるなんて心外だわ」
ヤコンは一人怒りだして帰って行った。しかし、翌日もまたやって来て、同じことを言うのだった。
やがて幼馴染は
「もう来ないでちょうだい」
とヤコンに言い、ヤコンが来る時間には店を閉めるようにしたのだった。

ヤコンが口を出したのはそこだけではなかった。知り合いのところへ行き、あるいは買い物をよくする店に行けば、何かしらひとこと言っていくのだ。確かにヤコンの言っていることは正論であった。間違ってはいない。しかし、それは望まれた言葉ではなかったし、歓迎される言葉ではなかった。いわば、大きなお世話なのだ。したがって、ヤコンの言葉を誰も聞き入れようとはしなかった。
ヤコンもそれでやめればいいものを、しつこく言い続けた。自分は正しいことを言っているだけだ、と。ヴァイシャリーの街では、ヤコンのことが噂になり始めていた。自己主張ばかりするが、他人の言うことは聞かないオバサン、と・・・。

ある日の午前中のこと。ヤコンが街の商店街に顔を出すと、店は次から次へと扉を閉め始めた。
「なによ、なによ、あなたたち、どうして私にそんな仕打ちをするの!。私が何をやったっていうの!。そんなことでは商売なんて成り立たないわよ。他のお客さんにも迷惑でしょ。早く開けなさいよ。あなたたちがやっていることは、お店としてあるまじき行為だわ」
ヤコンの言っていることは間違ってはいなかった。確かに、ほかのお客も困惑顔だった。しかし、事情を知る者は
「仕方がないさ。あれだからな」
と店に同情するのだった。その声を聞いたヤコンは、そういった男をつかまえて
「あたしのどこが間違っているの?。私、何か間違ったこと言った?」
と叫んでいた。男は目をそらしてぼそぼそと答えた、
「いや・・・間違ったことは言ってないが・・・・」
「そうでしょ、間違ってないでしょ。私は正しいことを言ってるだけよ。正しいことをしているのよ。それなのに、この仕打ちはなに?。みんないっしょよ、シュルタも、友達も・・・・夫も。私はあの人たちの行為を注意しただけなのに、正しいことを言っただけなのに、なぜ私を遠ざけようとするの?。なんて人たちなの?。正しいことを主張する人を遠ざけるなんて!」
「そ、そんなこと、俺に言われても・・・」
「私は正しい。なのになぜ排除されるの?」
ヤコンは興奮して男を揺さぶってそう叫んでいた。その時、
「あなたは正しい。しかし、間違っている。排除されて当然だ」
と声をかけた者がいた。ヤコンはその声に振り返ると
「お、お釈迦様・・・・」
と一言だけ言ったのだった。驚いて声が出なかったのだ。しかし、
「お、お釈迦様まで私を否定するんですね。ひどい、それでも仏陀なの?」
と言い返したのだった。お釈迦様は、何事もないかのような口調で
「あなたは正しい。しかし、間違っている。あなたの言動は間違いである」
と言ったのだった。
「ど、どこが間違っているの?。どういうことなの?」
「ヤコン、汝は人の話を聞こうとしない。相手の立場を理解しようとしない。汝の言っていることだけを取り上げれば、それは確かに正論で正しいことであろう。しかし、状況や立場によっては、その正しさは通じない場合もあるのだ。自分の言っていることは正しい、とただただ自己主張だけをして、その時の状況や相手の立場、相手が望むことを考慮しなければ、周囲の者は汝を鬱陶しいと思うだけだ。周囲の者の声に耳を傾けなければ、いくら正しい主張も意味を為さない。それどころか、害悪とさえなる。周囲の声に耳を傾けなければ、孤立するのは当然であろう。人は一人で生きているわけではないのだ。あなたがすべてではないのだ。あなた一人が正しいことを言っているのではないのだ。意見を出し合って協調し合って生きていくからこそ、絆が生まれるのだ」
ヤコンは頭を振りながら言った。
「ど、どういうこと?。じゃあ、なに、この商店街の人たちも正しいっていうの?。私にこんなことをしておいて?。シュルタも正しいの?。父親を放っておいて?。友達だって、店が流行らなくても正しいっていうの?」
「そういうことだ。この商店街の人たちも、ヤコン、汝の言葉を聞きたくなくて、やむを得ずこのような対処をしたのだ。それは汝から見れば間違った行為であろうが、店の側からみれば間違った行為ではない。苦肉の策だ。店を開こうが閉めようが、それは店主が決めることだからね。友達にしてもそうだ。汝の言うように流行らなくなったら大変であろう。しかし、友達は流行ることを望んではいない。店が流行ることは汝にとって正しいことであるが、友人にとっては正しいことではないのだ。友人の正しいこととは、現状維持、なのだよ。シュルタにしてもそうだ。シュルタにとって正しい行為とは、父親が自分で動いてくれるようになり、店に復帰してくれることなのだ。父親もそれを望んでいた。ヤコン、汝の行為自体は間違ってはいない。しかし、この場合は、当てはまらないのだよ。折角の好意も、忠告も、言葉も、その状況にあてはまらなければ、正しい言葉や行為とはならない。それを皆が主張しているのに、その言葉に耳を傾けようとしない。その結果がこれなのだよ。自己主張ばかりしないで、もっと周囲の意見を聞き入れる気持ちを持つことだ。正しいことを言っているのは、ヤコン、あなた一人だけではないのだよ」
お釈迦様は、ヤコンにそう告げると、その場を去っていったのだった。残されたヤコンはしばらく茫然としていた。掴まれていた男は、
「お釈迦様の言う通りだ。ヤコン、あんたがいくら正しくても、大きなお世話になることだってあるんだよ」
と呟いていた・・・・・。


「私の言っていること、間違ってますか?」
と怒ったように私に訴える方がときどきいます。一人二人じゃありません。結構、多くの方がそう言います。男女問わず。どちらかというと女性の方が多いようですが・・・・。
その人たちが主張していることは、確かに、間違ってはいません。間違ってはいませんが、どうも受け入れがたい、ということがよくあります。正しいんだけど、そりゃあ聞けないよね、ということですね。
なぜか・・・。
それは立場が違えば、正しいことも正しいことではなくなることがあるからです。

相手にとって、
「あなたの言っていることは、確かに正しいことだけどそれは今の状況には合わないよ」
という場合、相手はあなたの言うことは聞き入れないでしょう。それでもあなたは頑なに自己主張し続けますか?。相手の意見を聞かず、あるいは相手の立場や状況を理解せず、正論を振りかざすのでしょうか?。

もし、あなたがあなたの主張を引っ込めることなく、相手の意見を聞き入れることなく、相手の立場を考えることなく、状況を考慮することなく、
「それでも私は正しいのだ。間違ったことは言っていない」
と主張し続けるならば、周囲の人はあなたの周りから離れていくことでしょう。相手の意見を聞き入れる気持ちをもたなければ、孤立するのは必然です。

いくら正しい主張しても、少し角度を変えて見れば、それは通じないこともあるのです。あなたは正しいことを言っているでしょう。しかし、正しいことを言っているのはあなただけではありません。相手の側からみれば、相手の主張も正しいのです。間違ってはいないのです。
相手の意見を聞き、立場や状況を考え、それからお互いの意見を出し合い、すり合わせをしてく・・・・。
それが理想の人間関係の在り方ではないでしょうか。
「私の意見は正しいのだ。だから君たちは私に従え」
では、やがて孤立してしまうでしょう。正しいかどうかは、立場が違えば変化してくることもあるのです。相手の意見や気持ち、立場、状況を受け入れることができるような、そんな心の余裕を持ちたいですよね。
合掌。


第108回
自分はどんな人間なのか、と疑問に思い、
自分の心を奥深く探り、いい自分・嫌な自分をすべて知り認め、
嫌な自分を消し去るよう自心をよく制御する。
それが修行なのだ。

南インドの山中、そこには貧しい村々が点在していた。貧しいがゆえに、そうした村々の間では争いが絶えず、時に北インドの大国であるマガダ国やコーサラ国に侵入し、略奪を繰り返すことも多々あった。そのため、マガダ国やコーサラ国の人々からは、その村々の人々は野蛮なる者たちとして忌み嫌われていたのだった。
そんなちょっと危険な地域の寂しい道をビンドーラは一人で歩いていた。
「おい、誰かやってきたぞ。旅人か?」
「う〜ん、あれは旅人は思えんなぁ。荷物を持っていない」
「手に持っているのは・・・・あれは鉢だ。持っているのはそれだけか」
最初の村の連中が木の陰から村に向かってくるビンドーラを見つけて囁き合っていた。
「あれはいったい誰だ。この辺りの者とは思えないし・・・・」
「村長を呼んでこよう」
ビンドーラの姿に不信感を持った村人は、村長を呼んできた。村長は、ビンドーラを見て
「見知らぬものがこの辺に来ることは少ない。来ても道に迷った旅人だけだ。それならば、そいつは俺らの餌食になる。だが、あの男は・・・・いかにも堂々としている。村に入ったら、わしのところへ連れてこい」
村人に指示した。
やがて、ビンドーラが村に入った。
「貧しい村だが・・・・托鉢は無理かな。まあ仕方がない、一軒一軒回ろう」
そう思った矢先である。あっという間にビンドーラは村の男たちに取り囲まれた。そして、村長の元へと連れて行かれたのだ。
「あなたはどこから来た、何をしにここに来たのだ」
村長は、恐ろしげな声でビンドーラに聞いた。周りには村の男たちが武器を持って立っていた。ビンドーラはそんな状況に恐れを全くいだく様子もなく、堂々と答えた。
「はい、私はマガダ国から来ました。そこでは仏陀世尊の弟子でした。戒律違反をし、精舎にいられなくなったところ、世尊の指示により、こちらに来ました。私は皆さんの役に立ちたいと思っています」
「仏陀?、世尊?・・・・噂では聞いたが・・・本当にいたのか」
「はい、本当にいます」
「本当に仏陀の弟子だったのか」
「本当です」
そういって、ビンドーラは得意の神通力を見せた。村の人々は驚き、
「す、すごい・・・道理で我らを恐れないはずだ・・・・。あなたを歓迎しよう」
こうして、ビンドーラは初めの村の人たちに迎え入れられたのであった。
ビンドーラは他の村をも訪れ、同じように村の人々に歓迎された。しばらくして、ビンドーラの噂は南インドの村々に広がっていった。
ビンドーラは、初めに訪れた村のはずれの小屋にいたが、やがて村々の中心の位置にある小高い山に小屋を建てて、そこに住むようになった。
いつの間にか、その小屋には、周辺のあらゆる村から人々が訪れるようになった。ビンドーラの神通力を頼ってきた病人や争い事の解決を願いに来る者、悩み事を相談に来る者、そして仏陀の教えを聞きに来る者など、いつも小屋の前には長蛇の列があった。

ある日のこと、とある村の長がビンドーラの小屋を尋ねてきた。
「尊者よ、前々から一度聞きたいと思っていたのだが、なかなか聞けなくてなぁ・・・・」
「なんでしょうか?。どんなことでもお答えしますよ。遠慮しないで尋ねてください」
「そ、そうか・・・・。ならば聞くが、ビンドーラ尊者よ、世尊の元を追われたという戒律違反じゃが、いったい何をなさったね?。いや、この周辺の村の人たちは尊者を敬っている。決して尊者を疑っているとか、警戒しているとかいうわけではない。ただ、その・・・・」
「いいえ、村の人たちの気持ちはよくわかりますから気にしないでください。私も初めからちゃんと説明すればよかったのです。そうですね、いい機会ですし、それは世尊の教えでもあるので、お話いたしましょう」
ビンドーラはそういうと、周辺の村々の人々を多く集めてもらった。できるだけ多くの人に聞いて欲しかったのだ。
「私が世尊の元を追われたのは、戒律違反をしたからです。その戒律とは、他人を苦しめたり傷つけたりしてはいけない、という戒律です。世尊は説きます。汝、暴力をふるうなかれ、他者を苦しめることなかれ・・・と。これは戒律の中でも基本中の基本です。私はこれを犯してしまいました。
ある祭りの日、私はマガダ国の街ラージャグリハで神通力を使ってしまったのです。それも遊びで・・・・。人を救うための神通力ではなく、自分の神通力が優れていることを皆に見せびらかすために使ってしまったのです。そのために、妊婦が流産をしてしまいました。これは、修行者にはあるまじき行為です。人の命を奪ってしまったのです。たとえ、この世に生まれていないといっても、命であることには変りはありません。重大な戒律違反です。私は精舎を追い払われることになりました。しかし、世尊はそんな私を憐れんで、この村のことを教えてくれました。この地方の村の人々には、お前の神通力が必要であろう、と。こうして、私はここに来たのです」
「それはそれは厳しい処罰を受けたのですなぁ・・・・。わしらが言うのも何ですが、この地方の人々は野蛮で恐ろしい人々だと言われている。言葉など通じないのじゃないかともいわれるくらいじゃ。よくこんな所へ恐れもせず・・・・。それにしてもたった一回のことで、なんとも厳しいことですな・・・・」
「いや、実は一回のことではないのですよ。もちろん、大きな違反はそれだけなのですが、小さなそうした失敗を繰り返したのです。何度も世尊には注意をされました。無闇に神通力を使うな、と。心がしっかり定まっていないのならば、神通力を使用してはならぬ、と。私の心は定まっていなかったのです」
「心が定まってない・・・・とは?」
「そうですね・・・・。人の心のうちは、様々です。皆さんも、自分自身をよく観察してみてください。自分の中にはどんな自分がいるでしょうか。親切な自分、優しい自分、面白い自分、正しい自分・・・そういう自分もいるでしょう。しかし、自分の中には、嫌な自分もいるはずです。たとえば・・・・」
ビンドーラは大きく息を吸うと、一気に「いろいろな自分」を並べ立てた。
「目立ちたい自分、ほめられたい自分、同情されたい自分、欲深い自分、怒り狂う自分、我が儘な自分、頑固な自分、他者に好かれようとする自分、媚を売る自分、ゴマをする自分、いい人であろうする自分、無理をする自分、格好をつける自分、けちな自分、妬む自分、恨む自分、羨む自分、意地悪な自分、暴力的な自分、お調子者の自分、怠け者の自分、うぬぼれた自分、自慢したい自分、高慢な自分、あきらめの自分、他人や自分を卑下する自分、比較する自分、いやらしい自分、淫らな自分、冷たい自分、口汚い自分、嘘つきの自分、そして愚かな自分・・・・。
どうですか?、自分の中にはいろいろな自分がいるのではないでしょうか?」
集まっていた村人たちは、
「あんたにはこんな自分がいる」
「それはあんただよ」
「そう言い争うのも、醜い自分がいるからだ」
などと言い合っている者もいたが、多くの者は、ビンドーラの話に大きくうなずいていたのだった。
「そういった自分をすべて知り尽くし、それを素直に認めること、それがまず第一に重要なことです。そんな自分はない、そんな自分は自分じゃない、と否定したり、目を背けたりしてはいけません。自分自身の心を奥深くまで知り、それを素直に認めることが大切です。
そして、そうしたよくない心、負の心が自分の心を支配しないように、しっかりと制御できるようになること、そうなったときが『心が定まっている』といいます。すなわち、心が定まっている、とは、
『己の心をすべて知り尽くし、それから目をそむけることなくすべてを認め、受け入れ、心の中にある悪い心や負の心が出て来ないように、よくよく己の心を制御できている状態』
のことなのです。そのように心を定めることが、私たちの修行なのです。」
ここでビンドーラは一息入れた。

「私はいつも『心を定めよ、それが修行だ』と世尊から注意されていました。しかし、ついついお調子に乗って神通力を使い過ぎてしまったのです。そんなことがよくあったのです。そのたびに世尊から『心を定めよ』と注意されたのですが・・・・・。定めることはできなかったのです。その結果、大きな罪を犯してしまったのです。
しかし、今は、世尊の言葉がよくわかります。皆さんとお会いして、皆さんと接して、神通力の正しい使い方を知りました。いつの間にか、心が定まっていたのです。
ここに来た当初は、村人を神通力で驚かせてやれ、自分に従わせてやれ、という気持ちが少なからずありました。正直に言います。いい格好をしたい、みんなから慕われたい、という邪まな自分もいました。しかし、それも皆さんと接するうちに次第に消えていったのです。世尊が説かれた『心を定めよ』ということは、こういうことだったのか、とよくわかるのです。私は、世尊と皆さんに感謝いたします。皆さんのおかげで悟ることができたのです」
ビンドーラは、村人たちに深々と頭を下げたのだった。
この日以来、ビンドーラは、その地域の村々の人々に今まで以上に慕われるようになり、多くの人々を神通力で救い、多くの教えを説いて人々を導いたのだった。そのため、いつしか、南インドの村人は野蛮だ、と言われることはなくなったのであった。


修行とは何ですか?。どんなことをするのですか?、と問われることがよくあります。
「毎日水浴びをするとか?」
「朝早く起きて、お経を読み続けるとか?」
「寒く冷たいお堂の中でず〜っと座禅をしているとか?」
どれもこれも半分正解で半分不正解ですね。

確かに、僧侶の資格を取るために受ける修行は厳しいものがあります。ある程度、肉体と精神を痛めつけ、精神的に追い込まれたような状態にさせます。しかし、精神的に追い込むことが修行の目的ではありません。そういう状態にならないと、なかなか自分の心の奥底を見ようとすることができないからです。また、集中力も出て来ないからです。ある程度の極限状態に追い込まねば、人は己を見つめるとか、己の中にある己に目を向けるとか、できないのです。極限状態に追い込まなくても、自分自身をしっかり把握できるのなら、そんな肉体や精神を追いこむような修行は必要ありません。
なので、僧侶の資格を取るまでの修行は、どの宗派でも厳しいものがあると思います(中には厳しくない宗派もありますが)。
しかし、厳しいばかりがいいわけではありません。なぜなら、大事なことは「自分自身の心をすべて知る」ことだからです。修行しなくても、
「自分にはこういういい面がある、こういう嫌な面がある」
ということを知って、認めることができればいいのです。ここが大事なところなのですね。

自分自身を知ることは意外と難しいものです。特に嫌な自分は認めたくないですね。たとえば、はたから見てれば明らからかに頑固者ってわかるのに、本人は認めない、ってことよくありますよね。嫌みな人間だ、って周囲の者が誰しも思うのに、本人は決して認めない、それどころか自分は優れていると思いこんでいる・・・なんてことはよくある話です。愚か者なのに、自分の愚かさを認めようとしない者は、私を含めてたくさんいるのです。

修行とは、その自分の嫌な部分、マイナスの部分ですね、それをすべて把握し、そのマイナスな自分が出て来ないよう、消えてなくなるように、己の心をコントロールすることなのです。それができるようになれば、心が定まり、悩まなくなるのですね。
冷たい水を浴びるのもいいでしょう、冷たいお堂で座禅をするのもいいでしょう。しかし、それが我慢大会にならぬようにしてほしいです。大切なことは、あらゆる自分を知り、認め、イヤな自分をうまくコントロールすること、そこにあるのですから。
自己を知る、認める、まずはそこからスタートですね。難しいことですが・・・・。
合掌。


第109回
自分が原因で間違いが起きてしまった時、
原因は自分にあると認めることは素晴らしい。
原因を他人のせいにするのは見苦しい。
お釈迦様が祇園精舎に滞在していた時のことだった。その頃の祇園精舎は、多くの新しい弟子が修行しており、活気にあふれていた。お釈迦様の教えを長老に質問する者や、若い修行僧どうしで話し合う者、一人静かに瞑想する者などがあちこちで見られた。お釈迦様もそうした光景をほほえましく眺めていた。
ある日のこと、二人の修行僧が議論を始めていた。
「だから、違うって。世尊が説かれた諸行無常とはそういう意味じゃないんだって」
サンババがそう言った。
「じゃあ、どういう意味なんだよ。諸行無常・・・・世の中は常に一定していない、移り変わっていくものだ、と言う意味じゃないのか?」
サルバが答えた。
「まあ、確かにそういう意味だよ、諸行無常自体はね。それはそれでいいんだな。でも問題は、それをどうとらえ、どう考えるか、なんじゃないのか?。そういうことを世尊は説かれているんじゃないのか」
そばにシャーリープトラ長老もいたので、サンババとサルバが大きな声で議論しているのを誰も止めようとはしなかった。シャーリープトラは、その二人の理解が進むと思ったので、あえて止めようとはしなかったのだ。ただ、
「もう少し小さな声で話をしなさい。それと少し冷静に・・・・」
とだけ、注意をした。注意をされるその二人は、「はい」と返事をしたが、やはり次第に声が大きくなっていった。
そのうちに議論が言い争いに変化していった。やがて、サンババが興奮し始めてサルバを罵りだした。
「まったくお前は理解力がないなぁ。バカかお前は!」
「バカって、それはひどいだろ」
サルバも応戦し始めた。
「バカじゃなきゃ、愚か者だ。理解力が足りない。何度も言うが、俺が言っているのは、諸行無常をどうとらえるか、であって、諸行無常自体の意味を言っているのではないのだ」
「同じことだろ、それは」
「違うだろ、それは。諸行無常の意味は、お前も言った通り、世の中のすべての現象や事象は移り変わり、常に一定していない、絶えず変化している、という意味だ」
「ほうらみろ、俺の言った通りだ。おれの勝ちだ」
サンババの言葉に、サルバは勝ち誇ったように言った。
「あのなぁ、そういうことを言っているのではない。勝ち負けの問題じゃない。あぁ、もういいよ。疲れた。お前に説明するより、サルに説明したほうがまだましだ」
「な、何を〜、俺はサル以下だというのか!」
バカにされたサルバが、今にもサンババに掴みかかろうしたところで、シャーリープトラが間に入った。
「まあまあ、途中まではいい議論だったんだけどね。言い争いになってはいけないな。まあ、二人ともよく聞きなさい。議論はあくまでも議論であって、言い争いではない。したがって、勝ち負けなどない。理解を深めるために議論をしているのだ。だから、俺の勝ちなどというのはよくないな」
シャーリープトラは、掴みかかろうとしたサルバを見て言った。サルバは下を向き、小さくなって「すみませんでした」と小声で言った。続けてシャーリープトラはサンババを見て言った。
「理解が進まないからと言って相手をバカにしてはいけないよ。しかもサル以下などと、相手を卑下した言葉を使うことは修行者にあるまじき行為だ。以後、注意しなさい」
そう言われたサンババは、頭を下げ「すみませんでした」と言ったのだった。二人の言い争いは、これで終わったかのように見えた。しかし、数日後のことである・・・・。

「お前、サル以下なんだってな。お前に教えを説くよりサルに教えを説いたほうがましだって長老も言ったそうじゃないか」
サルバにそう話しかけた修行僧が現れたのだ。それも一人や二人ではなかった。あちこちで
「サルバはサル以下の頭しかない、理解力がない。修行僧の恥かきだ」
と悪口を言われるようになったのだ。サルバは頭に来ていた。
「くっそ〜、誰がそんなことを言い始めたのだ!。って、決まっているか、サンババだな。あの野郎、ぶん殴ってやる!」
サルバは、広い祇園精舎の中をサンババを探し始めたのだった。
一方、サンババはサンババで、周囲からの陰口に腹を立てていた。それは
「賢そうな態度で偉そうに議論を吹っ掛ける嫌なヤツ」
「自分は賢いつもりらしい」
「すぐに人をバカにする嫌なヤツ」
「近づくな、議論を吹っ掛けられるぞ」
と言うものだった。それはすでに陰口と言うものではなく、サンババがすぐそばにいても堂々と言われていたのだった。サンババは腹が立って腹が立って仕方がなかった。
「くっそ〜、誰がこんな噂を振りまいたのだ・・・。決まっているか。サルバだな。あいつめ、懲らしめてやる」
サンババも祇園精舎の中をサルバを探し始めたのだった。

「いたなサンババ!。お前、覚悟はできているんだな」
「何を!。お前こそ、いい加減なことを言いふらして!」
「俺が何を言ったっていうんだ。言いふらしているのはお前の方だろ!」
二人はにらみ合っていた。
「ちょっと頭がいいからといってバカにするな。偉そうなことを言うな!」
「バカになんかしていない!。つい言葉が過ぎただけだ!。お前の方こそ、こそこそ裏で悪口を広めるな」
「なんだとぉ〜」
「何が何だと、なんだ!」
今にもお互いが殴り合いそうになった時、二人の間に割って入った者がいた。お釈迦様であった。
「二人とも、口が過ぎているようだね。さぁ、こちらに来なさい。アーナンダ、若い修行僧を集めよ、この二人のことを口にした者はすべて・・・」
お釈迦様は、従者のアーナンダにそう命じた。
やがて、祇園精舎の中心にある法話をする場所にサンババとサルバをはじめとし、二人のことを噂したり、悪口を言った者が集められた。
お釈迦様は多くの若い修行僧に問いただした。
「誰が二人の陰口やうわさ話をし始めたのか。正直に言うがよい」
お釈迦様の言葉に、若い修行たちは静まり返っていた。やがて、
「そ、それは・・・・誰ともなく、そのなんとなく・・・・」
と言いだした者がいた。すると続けて
「二人が言い争いをしているのを聞いていた者たちだと思います」
と手を挙げて答えた者がいた。その途端、
「お、俺じゃないぞ、それはお前だろ」
「お前だってそばにいて、笑っていたじゃないか。サルバはサル以下だって」
「お、俺だけじゃない。あいつらだって!。お、俺が悪いんじゃない!」
「俺たちだけじゃないぞ。お前らだって、サンババは嫌なヤツだ、と言ってたじゃないか」
「俺じゃない、お前だ!」
若い修行僧たちは、指をさし合いながら「お前だ」「いやお前だ」と責任のなすり合いを始めたのだった。
「いい加減にしないか!」
と一喝した者がいた、普段は穏やかなシャーリープトラだった。
「くだらない陰口が広まった原因の一端は私にあります、世尊」
シャーリープトラはそう言った。
「サンババとサルバが議論していたのを、お互いに理解が深ると思って止めませんでした。おそらくそれを彼らは見ていたのでしょう。長老の私も止めなかったのですから、きっと長老もサルバをバカにしている、サンババを嫌みなものだと思っている、と推測してしまったのでしょう。そのような推測を与えた自分がすべて原因なのです。私の気の緩みがいけないのです」
シャーリープトラはそう言って、サンババとサルバに向かって頭を下げた。サンババとサルバは同時に
「長老、頭をあげてください」
と言った。そして
「悪いのは私です。サルバをバカにしたのはまぎれもない事実です。このうわさ話の原因を作ったのは私です」
「いいえ、私も悪いのです。サンババに罵られたあと、嫌みな奴め!と叫んでいたのは私です。ですから、私にも原因があるのです」
お釈迦様は、頭を下げているシャーリープトラ・サンババ・サルバを優しい眼差しで見ていた。そして
「原因はこの三人にある、と三人の者は言っているが、皆はどう思う?」
と先ほどまで言い争いをしていた若い僧に問いかけた。若い僧たちはシュンとしてしまっていた。
「自分たちが原因で問題が起こっているとわかっているのにもかかわらず、その原因をお互いになすりつけ合うは、なんと見苦しいことか。自分は悪くはない、他者が悪いのだ、と他人のせいにする・・・・なんと愚かしいことで醜いことか。ところが、責任は我にあり、原因は自分にあり、と認める者、それは大変美しい。私はこのような美しい心を持った者に汝らがなってくれることを望む。
そもそも、汝らが未熟なのは私の指導力が不足しているからだ。仏陀といえども完ぺきではない。私もまだまだ未熟であり、修行中なのだ。サンババ、サルバ、今回の汝らに対する陰口やうわさ話が起きた原因は、私の指導力不足なのだよ」
お釈迦様は、そう言ってサンババとサルバに微笑みかけた。
「よいか、汝ら。今後、自らが起こした事がらにおいて、責任を他になすりつけようとしてはならない。自分が原因であるならば、素直にそれを認めることである。このことを忘れずに修行に励むがよい」
お釈迦様の言葉に、若い修行僧は深々とお釈迦様を礼拝したのだった。


上の話を呼んで、
「まるで子供の喧嘩だな」
と思った方は多いのではないでしょうか。こんなことは大人ならやらないだろ、普通は・・・・と。
ところが、こういう言い争い、責任のなすり合いというのは、大人世界ではよくあることとなのですよ。そう思いませんか?。
たとえば、会社などでとあるプロジェクトが失敗したとします。すると、そのプロジェクトのチームリーダーが上司に呼ばれますよね。で、
「なんで失敗した?。原因はなんだ?」
と問いただされたとします。そこで、そのリーダーはどうこたえるでしょうか?。
「部下が、その・・・・単純なミスを犯しまして・・・」
「情勢が読み切れず、他社に持ってかれてしまいました」
「うまくいっていたのですが、部下に判断ミスがありまして・・・・」
などと周囲に責任をかぶせるのでしょうか?。それとも
「私の判断ミスです。全責任は自分にあります」
と潔く自分の責任を認めるのでしょうか。
上司に注意されたときは自分の責任だ、と言うかもしれません。しかし、上司の前から戻ると、
「お前らのせいで俺は注意された!。どうしてくれるんだ!」
と当たり散らすのでしょうか?。もし、そうなら、醜いことこの上ないですね。

原因が自分にあるのなら、潔くそれを認めるべきでしょう。しかし、人はなかなか「自分が悪い」とは言えないのですね。自分以外に原因を求め、責任をなすりつけたいものなのです。でも、それは見苦しいですよね。不正をした政治家を見ていればよくわかります。
すべて秘書のせいにして、自分は責任をとらない・・・。この話の修行僧のような、まるで子供のような態度です。秘書を指導しているのは誰でしょうか?。指導力不足の責任はどうなのでしょうか?。
本来は、この話のように、シャーリープトラが責任を認め、そして、お釈迦様のように自らに責任がある、と言えなきゃいけないのでしょう。
決して、原因を他人のせいにしてはいけませんよね。そうでないと、見苦しい恥をさらすだけなのです。
合掌。


第110回
情にとらわれて決断が鈍り、
取り返しがつかないことになることもある。
自分にも相手にも厳しく接しなければならない時もある。

ヴィヤーナはコーサラ国の首都シューラバスティーの郊外の大きなマンゴー園で働いていた。彼女には幼い子供が二人いたが、夫とは別れていた。夫は、数年前に別の女性と浮気をして、ヴィヤーナを捨てて出て行ってしまったのだ。それ以来、彼女はそのマンゴー園で働き、女手一つで子供たちを育てていたのである。周囲の人たちは、そんなヴィヤーナに再婚を勧めたのだが、ヴィヤーナは
「もう結婚はしないよ。子供もいるし、男はこりごりだよ」
といって取り合わなかった。
ところが3年ほど前からヴィヤーナの様子がおかしいことに周囲の者たちは気づいた。うきうきしているのだ。周りの人が尋ねると、彼ができたとヴィヤーナは打ち明けた。
「まだ、結婚するかどうかはわからないけど・・・・優しい人なのは間違いないわ・・・・」
そう答えていたヴィヤーナは幸せそうだった。しかし、その幸せは長くは続かなかった。

「最近どうしたの?。憂鬱そうな感じがするんだけど」
ヴィヤーナにそう声をかけたのは、同じマンゴー園で働く友人であった。初めのうちはヴィヤーナは「なんでもない」と答えていたのだが、ついに友人に打ち明け始めた。
「実は・・・・彼のことなんだけど・・・・」
「いよいよ結婚するとか?」
「そうじゃなくて・・・・仕事がうまくいっていないらしくて・・・・」
ヴィヤーナの彼は馬具や象の背中に載せる駕籠を売る店をシューラバスティーで営んでいた。その店は父親から譲り受けたものだった。父親の代には商売はうまくいっていたのだが、彼の代になってからは次第に商品が売れなくなっていた。父親が店をやっていたころは大きな戦もあり、馬具や象具は飛ぶように売れたのだが、戦も少なくなったため、馬具も象具も売れなくなったのだ。
「でも、そんなことを言ったら、他の店だってうまくいってないってことになるけど」
「そうよねぇ、他の馬具屋さんは繁盛してるわよ」
いつの間にか、ヴィヤーナの周りには数人の友人が集まっていた。
「街の馬具屋さんがみんなうまくいっていないわけじゃないわよ。なぜ、ヴィヤーナの彼の店だけが流行らないの?」
「それが・・・・。たぶん、新しい商品を仕入れないからだと思うの。いつまでも古い戦争用の馬具ばかり扱っているからだと・・・・・」
「そのことは言ったの?」
「言ったけど、商売には口を出すなって・・・・」
「優しい人だったんじゃなかったの?」
「優しいところはもちろんあるのよ。私が忙しいときは、子供の面倒も見てくれるし・・・・はぁ・・・・」
ヴィヤーナは大きな溜息を吐いた。
「まだ隠しているわね。全部言っちゃいなさいよ。すっきりするわよ」
そう言われ、ヴィヤーナは友人たちを見回すと、「そうなの・・・・」と彼との間のことを語り始めた。
「実はね。子供の面倒を見てくれるのはいいんだけど、小うるさいのよ。まだ小さい子供だから、結構やんちゃでしょ。なのに彼は日頃のしつけがなってないとか、育ちが悪いとか、片親だからいけないんだとか・・・・。食事のときなんか必ずと言っていいくらいケンカになるの」
「それじゃあ食事がまずくなるわ。男のくせにいやな人ね」
彼を非難する声が聞こえた。
「でもね、まあ、確かにしつけはできていないのよね。うん、私も甘いから・・・・」
あわててヴィヤーナは彼を庇った。
「それだけじゃないんでしょ、他にも不服があるんでしょ」
鋭い突っ込みにヴィヤーナは思わずうなずいていた。
「実はね。仕事がうまくいっていないから、お金がないの。でね、私に貸して欲しいと・・・」
「まぁ、なんて図々しい。商売には口を出すなと言っておきながら、金を貸せなんて!。そんな男は最低よ!」
友人たちは憤慨し始めた。口々に
「そんな男、別れた方がいい」
「あんた不幸になるわよ」
「最低な男だよ、それは。別れるべきだわ」
と言いだした。一人が
「で、いくら貸したの?」
と尋ねた。ヴィヤーナはもじもじしながら、結構な額のお金を貸したことを打ち明けた。
「あんたバカねぇ。そんな奴に同情することないのに」
「将来のための貯金でしょ。なんで貸したの?」
「そんな男、信用できないわよ。商売だって下手なのよ」
「どうするの?。貸したお金は返ってこないかもよ」
友人たちはヴィヤーナをなじったのだった。
「で、どうするのよ。このままじゃ大変なことになるよ」
「別れるといってもねぇ、お金がねぇ・・・・」
「でも別れたほうがいいわよ。もっと貸せって言われたら困るわよ」
友人たちの話は、もはやヴィヤーナ本人をおいて先に進んでいた。そんな中でも冷静な者はいるもので、
「ちょっと、ちょっと待ちなさいよ。勝手に決めちゃだめでしょ。ヴィヤーナの意見を聞かなきゃ」
と話を戻したのだった。ヴィヤーナは
「もう別れるしかない・・・・と思う。・・・・・・でもね、彼も一人だし・・・・。なんだか哀れで・・・・・」
「あんた同情なんかしちゃダメだって。だまされるわよ」
その言葉にヴィヤーナは怒った。
「騙すなんて!。そんな人じゃないことは私がよく知ってるから。それは大丈夫なのよ」
「でも、迷っているんでしょ?」
「うん、そうなんだけど・・・・・どうしらいいのかしら。私はどうすべきかしら?」
「別れるほうがいいに決まってるけど・・・・ヴィヤーナは決心がつかないみたいだし。こういう場合、どうするのが一番いい判断なのかなぁ」
「お釈迦さまに相談するとか・・・どうかな?」
「お釈迦様がこんな話の相談、受けてくれると思う?。もっと小難しい話しかダメよ」
「そうかなぁ・・・・。夫婦喧嘩の仲裁もしたりするって聞いたけど・・・・」
「へぇ・・・・そういうことなら、とにかく行ってみようか、祇園精舎へ」
こうしてヴィヤーナと友人たちは祇園精舎へ向かったのだった。

祇園精舎で少し待たされたが、彼女たちはお釈迦様に会うことができた。彼女たちのなかで最も冷静だった者が、ヴィヤーナに代わって話を一通りしたのだった。お釈迦様は優しく微笑んで尋ねた。
「ヴィヤーナ、あなた自身はどうしたいのだ。あなたの希望を言いなさい」
「はい、私は・・・・できれば別れたくありません。私の希望は、彼が私の望みを聞き入れてくれて変ってくれることです」
「ふむ、どのように変わってもらいたいのだ」
「まず、子供たちに小うるさくならないこと。商売に関して私の意見も聞き入れてくれること。借金を返してくれること。私に対し威張らないこと。自分が正しいと主張しないこと・・・・・」
ヴィヤーナはさらに希望をあげたのだった。それを聞いていた友人たちは少々あきれていた。
「ヴィヤーナ、それは可能なことだろうか?。不可能なことだろうか?」
お釈迦様はあくまでも優しく尋ねた。
「・・・・・たぶん、無理だと思います」
「無理ならばどうする?」
「・・・・・・」
「答えられないか。ヴィヤーナ、あなたは気付いていいるはずだ。自分が言ったことは不可能だと。彼には自分を変える意思などないことを知っているはずだ。あなたは、ただ別れたくない、それだけなのでしょう。寂しいだけなのだ、そうだね?」
「は、はい・・・・そうです。彼との付き合いは3年ほどになります。情が移ったというか・・・・頭では分かっているんです。でも情があって・・・・・」
「そう、あなたはよくわかっている。しかし、その情にとらわれることは正しいことであろうか?。よく考えてみなさい」
お釈迦様はそう言って口を閉じてしまった。

しばらくしてヴィヤーナが
「わかりません」
とボソリと言った。そして
「だって、情けをかけることはいいことでもあるはずです。その人のためになることもあるはずですよね。情によって救われることもあります。情が悪いばかりじゃないと思います」
「確かにヴィヤーナ、あなたの言う通りだ。情によって救われることもある。しかし、それは条件次第だ。状況によって情が必要か不必要か変化するものなのだ。すべてに情をかければよいというものでもないし、情はすべてダメ、ということもない。しかし、多くは情にとらわれれば、傷を深くすることになる。特に、親子の情、男女の情は、傷を深めることが多くある。ヴィヤーナ、あなたの場合もそうではないか?」
「そう・・・なのでしょうか?」
「今、彼に情をかけて、このまま何も言わず、彼の言うように行動すればどうなる?。あなたの子供は反発するであろう。商売は行き詰まってたたむことになろう。貸したお金も返ってこなくなる。職を失った彼をどうする?。その時に別れるのか?。今別れられないのなら、職のない彼を見捨てることなど到底不可能であろう。結局は働かない男性をあなたは養うことになる。
一方、今、情を殺して、非情になって、彼に別れを告げたならどうであろう。その際、なぜ別れるかをちゃんと説明すれば、彼も変わる可能性が出てくるのではないか。商売がうまくいくようになって、借金が返済できて、人間的に余裕ができたら一緒になることを考える、と突き放せば、彼も変わるかもしれない。もしかしたら変わらないかもしれない。しかし、変わるかもしれないという可能性は生まれるのだ。
情をかけて、情にとらわれて、彼に対し甘い態度に出れば、彼が変わるかもしれないという可能性までつぶしてしまうであろう。
よいかヴィヤーナ、時には情も大切だが、非情も大切な時もあるのだ。情をかけるばかりが正しい判断とは言えない。情にとらわれて決断が鈍り、取り返しのつかないことになることもあるのだよ。非情になるということは、自分にも厳しくあらねばならないことであろう。その時に恨まれたり、憎まれたりするからね。しかし、それが相手にとっても自分にとってもいい結果を生むのだよ。一時は恨まれるかもしれないが、いずれは理解してくれるであろう。
情は難しいものなのだ。かけていい時と悪い時があるのだよ。そのことを踏まえてよく考えてみなさい」
お釈迦様の言葉に、ヴィヤーナは深くうなずいたのだった。

しばらくして、マンゴー園で働くヴィヤーナに笑顔が戻っていた。友人が聞くと、
「綺麗さっぱり別れたの。彼も私に甘えていた、と言ったわ。自分でうまく商売ができるようになったら、迎えに来るって・・・・」
と笑顔で答えたのだった。ヴィヤーナは、彼に再出発の可能性を与えたのだった。


「情けは人のためならず」
と言いますね。これは
「情けをかけることはその人のためではなく、巡り巡って自分のところへ徳がやってくる」
という意味ですね。情けをかけることは自分のためにやっているのだ、という意味です。もっとも、最近ではこの意味を知らない方がいるようで、
「情けは人のためにならない」
と理解している方もいるようですね。まあ、諺としては間違った理解なのですが、現実はこちらの方が正しかったりします。

「かわいそうに思って情をかけたら騙された」
「同情して助けたのに、裏切られた」
そんな話はよく聞きます。お年寄りを狙った詐欺にはよく使われる手でもあります。あるいは、友人にお金を貸したとか、親子間や親族でお金を貸したけど返ってこなかった、などという話も、よく耳にします。
特に金銭に関しての情は裏切られることが多いようで・・・・。

情がすべて悪いとは言いません。しかし、情にとらわれていては、正しい判断ができなくなることも確かです。情という心によって、目が曇ってしまうんですね。「まあいいか、かわいそうだし」と思ってしまうんですよねぇ。
しかし、その同情心は果たして相手にとっていいことなのでしょうか?。時には、非情になったほうがいいこともあるのではないでしょうか?。いや、むしろ、非情になったほうが、その人のためになったりするのではなないでしょうか。
情をかけるということは、ときにその人の自立を妨げる、自分で物事を考えたり自分で何とかしようという気持ちを削ぐことにもなるのです。また、浅い傷をさらに深めることにもなりかねないのです。かわいそうにとか、私が何とかしてやれば・・・などという情が、かえってその人の人生を狂わすこともあるのです。

情は難しいものです。かけていい場合と悪い場合があるのです。時には自分にも相手にも厳しくなって、非情になって接するほうが、相手のためにもなるのです。いや、むしろ、そのほうが多いのではないかと思います。
「まあいいや、私が辛抱すれば。長年の付き合いだし、かわいそうだし・・・・」
こうした甘い考えや態度が相手を不幸にし、さらに自分を不幸にすることもあるのですね。
情をかけるときは、それが最善なのかどうか、よく考えてからにした方がいいようです。
合掌。


第111回
何が汚れているのか?
身分や職業、家柄、貧富の差、外見などで差別し、卑下する
あなたの心こそが汚れているのである。

私はコーサラ国の首都シューラバスティーで代々バラモンを営む家系に生まれた者である。名前をチャルヴァカという。私の家柄は代々バラモンであるが、それも由緒正しいバラモンである。昨今ではどこで身分を買ったのか、いきなりバラモンを名乗る者もいるし、田舎で農家をやりながらバラモンを兼務している者もいるが、私の家はそうではない。汚れなき由緒正しき、バラモンである。しかも、コーサラ国の首都ができる以前から、わが家系はこのシューラバスティーのバラモンであった。コーサラ国よりも歴史は古いのだ。いわばバラモンの中のバラモンとでもいうべきか。我が家系ほど立派なバラモンの家系はないであろう。
バラモンは、秩序を重んじる。社会の成り立ちを重視する。したがって、この社会にある身分制度を強く重視する。身分制度があるからこそ、この社会は成り立っているのだ。その身分制度の頂点にあるバラモンこそが神に等しい存在なのである。その中でも、我が家は選りすぐりのバラモンであるからして、いわば神の中の神ともいえよう。我が家ほど高貴なバラモンはないのだ。それなのに、なにゆえ我が家の召し使いどもは理解をしない。お前ら身分の低い召し使いごときが触れたものを、この私が触れることなどできるわけがない。まったくあの者どもは理解力がなく、困ったものだ。
「あ〜、なぜ扉の取っ手を素手で触るのだ!。何度言ったらわかるのだ。必ず綺麗な絹の手袋をつけろといっているではないか。あぁ、これ、それ以上、この部屋に入ってはならぬ。入るなら、その靴に履き替えよ。そうそう。手袋をして・・・。お前ら召し使いごときがこの部屋に入るなんて・・・・。嘆かわしい。この部屋は神と私の神聖なる部屋なのに・・・・・」
まったく我が家の召し使いときたら・・・。身分をわきまえていない。自分の身分がいやしい奴隷階級であることを認識していない。おぉ、汚らわしい。あいつらの吐く息すら汚らわしい。
「いいか、しゃべるな。息もするなと言いたいところだが、そういうわけにはいかないからな。ここで死なれても困るし。汚れが増えるだけだからな・・・・。もういい、掃除はそれでいい。そのお前がはいた靴は、そうそう捨てておくのだ。裏庭でよく焼くように・・・・」
なんてことだ。なぜ私のような高貴な者があのような身分の低い者と会話をせねばならぬのだ。そうだ、田舎のバラモンでも雇うか。バラモン出身の者を召し使いに雇えばいいのだ。あぁ、そういえば、先月もそんなことを思って田舎のバラモンを雇ったが、田舎臭くて行けなかった。都会の召し使いの方がまだましだったのだ。田舎のバラモンは都会の奴隷以下の振る舞いしかできない。見ていると腹が立ってくる。なんということだ・・・。私が私のようなものを召し使いにするのが一番いいのだが、そんなことは不可能だし。
「御主人様」
「なんだ」
役立たずの召し使いが何のようなのだ。
「玄関にジャイナ教の修行者が托鉢に参っていますが如何いたしましょうか?」
「な、なんだと!。あの汚らわしい裸の修行者の連中か。絶対中には入れるな。さっさと追い返してしまえ。そのあと、清めの香油をまいておくのだ。よいな」
何度言ったらわかるのか。ジャイナ教の修行者が来たらすぐに追い返せと言っているのに、召し使いの連中はすぐに食事を施そうとする。あんな汚れた連中に食事を施して何になる。何が徳積みだ。まあ、召し使いの連中にしてみれば、お布施をして次に生まれ変わるときは召し使いの身分ではない者に生まれ変わりたいのだろうが、召し使いは召し使いなのだ。そう決まっているのだ。生まれた時から身分は変わらないのだ。何度生まれ変わっても召し使いは召し使いなのだ。あいつらは天界などへいけないのだ。だいたい、施す食事は我が家で作ったものだ。我が家のお金で作った食事だ。それをあいつら召し使いが修行者に施しをしても徳を積めるのは、私であろう。私はもう徳を積む必要などない。それよりも、穢れを我が家に持ち込むことは困る。彼らはバラモンを否定する修行者だ。そんな者の存在は私は認めない。しかもだ、彼らジャイナ教修行者はいつも裸体である。恥ずかしくもなく、性器を・・・あぁなんと汚らわしい・・・丸出しで生活している。埃にまみれ、泥で汚れ、汚物を身体につけている。沐浴などしたことがないのではないか・・・・。
召し使いめ、ジャイナ教の修行を入れなかっただろうな・・・・。確認しておかねば・・・・。そう思ったらいてもたってもいられなくなった。私は玄関に急いで向かったのだった。

召し使いどもは床の拭き掃除をしていた。
「ジャイナ教の修行者は帰ったのか?」
「はい、御主人様。すぐに追い返しました」
「どのような振る舞いであったか」
「はい、お前らに施す食事はないと言いますと・・・・かの修行者は怒って・・・・その・・・・つばを床に・・・・」
「な、なんと!、あぁ、なんということだ!、この神聖なる我が家につばを!。この清浄なる館につばを!」
私は卒倒しそうになった。
「はい、しかも呪いの言葉を・・・・・」
「あぁ、なんということだ。汚れる、穢れる、ケガレル・・・・。よいか、丁寧に・・・そのつばが・・・言葉にするだけでも汚らわしい・・・・つばがかかった床を丁寧に掃除するのだ。いっそのこと、床を張り替えるべきか?。まあいい、とりあえず、綺麗に磨け。それからその磨いた布は裏庭でよく焼くのだ。あぁ、神にこの汚れを取り除いてもらわねば。祈りを・・・・祈りを・・・・・」
私は急いで神々を祀る祭壇へとかけていった。
しばらくしてから私は玄関に戻った。どうなったか様子を確認しようと思ったのだ。するとそこに今度は別の修行者が托鉢に現れた。
「お、お前はどこの修行者か?」
今度の修行者は妙に落ち着いた感じがした。衣服も身につけている。ぼろ布で作ったような衣服であったが、それなりに清潔そうではあった。見たところ埃で汚れているようなことはなかった。ジャイナ教の修行者とは大違いだ。しかし、この修行者も托鉢で食事を得ようとしている。怠け者であり、身分を捨てた者であるからして、バラモンの家柄に出入りしていいものではない。関わってはいけない存在だ。身分を捨てる者など、バラモンの教えである聖典に逆らうものだ。許してはおけぬ。
「はい、私は祇園精舎で修業している仏陀の弟子です」
その者は穏やかに答えた。
「お前のような身分を捨てた者に与える食事はない。とっとと帰れ」
「そうですか。では失礼いたします」
なんなんだ。素直に帰っていった。気持ちの悪い・・・・。ジャイナ教の修行者とは大違いだ。まあいい、掃除だ。いずれにせよ、身分の低い者が来たのだから、掃除をせねば。私は召し使いに再び玄関の掃除を命じた。
それにしても、不思議な修行者であった。汚いなりはしていたが、汚れてはいなかった。清浄な空気が流れてきているようだった。ジャイナ教の修行者のようにほこり臭くはなく、よい香の香りがした。どこか輝いて見えていた。
「仏陀の弟子・・・・か。ふん、仏陀なんて本当にいるのかねぇ・・・」
その修行者の姿は、なぜか私の心に深い印象を与えた。

ある日のこと、両親が私に結婚話を持ってきた。
「父上、母上、相手の身分は如何なものなのでしょうか?」
私はまずそこを尋ねた。いくら容姿が端麗であっても身分が低ければ意味がない。我が家にふさわしい身分でなくてはならない。両親は身分は申し分ないと言った。代々続くバラモンの家で、貧しい家ではないという。しかも田舎者ではない。同じシューラバスティのバラモンである。地域が我が家とは反対の位置にあるのだ。
「で、どのような容姿なのでしょうか?、学歴は?」
「学歴は申し分ない。ただ・・・まあ好みの問題ではあるが・・・容姿はお前自身が判断せねばなぁ・・・。私たちは申し分ないと思うが」
両親がそう言うので会ってみることにした。
確かにその女性の容姿は申し分のないものであろう。しかし、それは一般の家庭では、の話だ。我が家にはとてもふさわしいものとはいえない。なので、私は丁重にお断りした。両親は残念がっていたが、結婚するのは私である。私ももう40歳になるのだが、ここまで一人を通してきたのだ。妥協は許されない。
その女性と会った帰り道のことである。私は素晴らしい容姿を持った女性と出会った。
「おぉ、あの者こそ、我が家にふさわしい容姿を持った女性である。あの女性ならば嫁にもらってもいい」
私は両親にそう言った。両親はその女性について早速調べた。が、その結果を聞き、私は愕然となった。
「チャルヴァカよ、あの女性は遊女である。とはいえ、国が認めた最高の遊女だそうだ。あの者と夜を過ごすには一千金が必要だそうだ。そういう女性であるが・・・」
遊女?。いくら国が認めた最高の遊女とはいえ、遊女は遊女だ。汚らわしい。あぁ、しかし、あの女性はあまりにも美しすぎる。私にこそふさわしい美を持っている。しかし・・・遊女か・・・なぜ遊女なのだ・・・・。
私は思い悩んだ。
私は欲しいものは何でも手に入れてきた。しかし、女性だけは別だ。なぜなら、私にふさわしい美を持った女性でなければならないからだ。そのような女性に今まで出会ったことがなかったのだ。しかも、頭がよくなくてはならない。当然身分も保証されたものではなくてはならない。さらには、貧しくてはいけない。
私はその遊女についていろいろ調べた。遊女とはいえ、国が保証した最高級の遊女なので、身分の保証はある。一晩過ごすのに1千金が必要と言うので、毎晩男性を相手にしているわけではないし、裕福ではある。大きなマンゴー園を持ち、多くの召し使いを使って経営をしている。マンゴー園の経営もしているのだから、頭もよいのだろう。容姿も言うことはない。天女のようである。しかし、遊女だ。遊女であるということは、すでに男性を知っているということだ。しかも、一人や二人ではない。おぉ、汚らわしい。私は純潔だというのに。
私は思い切ってその女性に会いに行った。

私はその女性に言葉を尽くして、その女性が私の結婚相手にふさわしいことを説いた。ただ一点を除いて、だが。
「あなたと結婚?、私は遊女ですよ」
「そうなのだ。そこなのだ。遊女以前の汝に戻れぬのか?。その・・・・男を知る前の清潔で純粋な汝に戻ることはできぬのか?」
私はその遊女に迫った。女は驚いた様子だった。そりゃそうであろう。私のような高貴な者が結婚をしてくれというのだから、驚くのは当然だ。
「お金ならばいくらでも出す。だから、純潔な身体に戻ってくれ」
が、私の予想に反して、その遊女は怒りだしたのだった。
「出ていきなさい。出ていってちょうだい。いくらお金を積まれようとも、お前なんかと結婚などせぬ。とっと帰れ。汚らわしい。あなたほうがよほど汚れている。私に元の身体に戻れと?。バカバカしい。お前、何様のつもりなのだ。自分がどれほど汚らわしく、小さいものか知るがいい。私と一晩過ごすため、必死に1千金ためてくる男性の方が純粋で清浄な心を持っているわ。いいえ、そのあたりに落ちている犬の糞の方がましだわ」
その遊女はそう言って、私を追いだした。そのあと、遊女は香油を撒いた。それは私にもかかったのだった。
「どこが間違っているのだろう。なぜ、あの遊女は怒ったのか?・・・私が汚れている?。ふん、私のどこが汚れているのか。自分は遊女のくせに!」
私は無性に腹が立ってきた。その時であった。どこからともなく歌が聞こえてきた。
「人の穢れや清潔は 身分や家柄で決まらない。容姿で決まる ものでもない。
ましてや職業や貧富の差であるわけがない。
身分や家柄、職業や、容姿や貧富で差別する、お前の心が汚れてる。
よく見よ、身分の高いお前でも、便は垂れるし、鼻水も、よだれも出るし、垢もつく。
身分がいくら高くとも、身体の作りは同じはず。どこに汚れの差があろう。
身分が低い、家柄悪い、貧しい卑しい、学がない、そういう卑下する者こそが、穢れ汚れている者だ。
何が汚れかよく考えよ。お前の心が汚れている。この世で最も汚れてる・・・・・」

その歌は私の心にずっしりと響いてきた。
「そうか・・・。そうだったのか・・・。あぁ、私は間違っていた。あの遊女の言葉は正しかったのだ。私は犬のクソより汚れている心の持ち主だったのだ・・・・」
翌日、私はバラモンの身分を捨て、いつしか我が家にやってきたことのある仏陀の弟子を尋ね、祇園精舎に向かったのだった。


この物語のように、自分の不浄さに気がつく人はそうそういません。多くの者は、差別をしていることすら気付いてはいませんからね。
私のところに相談に来られる方で、仕事のことで相談に来られる方も多くいらっしゃいます。また、このご時世です。思うような仕事がないんですね。
ずっと以前の話です。もう7年くらい前でしょうか?。ある男性の方・・・当時27歳くらいでしたか・・・が、どんな仕事が合っているかを相談に来ました。その方は、いろいろな仕事を並べ立てました。それはその方にとっては、とても実現不可能なものばかりでした。たとえば、経営者。あるいは国家公務員、一流商事会社、都市銀行・・・・などなど、どれもこれも誰もが憧れるような一流の仕事ばかりを並べ立てるんですね。で、その採用試験を悉く落ち続けているわけです。私は尋ねました。
「町の小さな商社とか、工場とかではダメなんですか?。会社は結構あるでしょう。営業の仕事ならばいっぱいありますよ」
当時は、小さな会社ならば営業の仕事はたくさんあったんですね。ところが彼はこういうのです。
「私は大学の法学部を出ているんですよ。そこらへんの会社じゃあ」
私は当然怒りました。
「あなたは職業で人を差別するのか。職業で人の善し悪しを決めるのか。どんな職業であれ、一生懸命に仕事をしているならば、それは美しいじゃないか。職業で差別をするあなたの心が醜い。そういうことならば、何も言うことはない。無職で、飢えてしまえばいいでしょう」
と。悲しい話ですよね。

職業で差別をする人は案外多くいます。バカにしたり、卑下したり・・・・。
そうした場面やそうした人に出くわしたことは多々あります。
「どうせ、そんな仕事をしているんだ、汚れたヤツだ」
と他人の職業を小馬鹿にし、卑下し、見下す人がいることは残念でなりません。また、金持ちは優遇し、貧乏な人は後回しにしたり、冷遇したりする者や、外見や家柄で卑下したりバカにしたりする人がいるというのは、本当に嫌なものです。
人の価値は、外見や容姿、家柄、職業、貧富の差で決まるものではありません。ましてや、そうしたことで汚らわしいなど、汚いなど、毛嫌いするのは悲しいことです。そういうことをできる者の方が、心貧しき存在であり、汚れた者であり、醜い者であると言えましょう。
身分や家柄、職業、外見、貧富で人を差別してはいけません。そういう差別をする者こそ、汚れた者なのです。
合掌。


第112回
自分にとって価値があるものでも、
他人にとって価値があるとは限らない
自分の価値観を他者に押し付けてはいけない。

ヴァイシャリーの街は、他の国に比べて自由な風潮であった。商業都市として大いに栄えており、身分差別も緩やかであったし、自由な考え方ができる街でもあった。そんな自由さを求めて、コーサラ国やマガダ国から流れてくる者も多かった。ミトナもその一人だった。

彼は、コーサラ国に支配されている小さな国からヴァイシャリーの街へとやってきた。彼は職を求めて街をぶらぶらと歩いていた。すると、職人募集の立て看板が目にとまった。その店は甲冑を造る店だった。募集していたのは甲冑職人だった。元々彼は金属加工の職人をやっていたので、なんとかなると思って店の中に入った。
「あの、外の職人募集の看板を見たんですが・・・・」
「おう、お前さん、甲冑が造れるのか?」
店の主人と思われる男がそう聞いてきた。
「いえ、甲冑は造ったことはありませんが、金属加工・・・・金属製品をいろいろ造ってました」
「ふ〜ん・・・・。まあ、甲冑も似たようなものだけどな・・・。まあいい、今から働け。雇ってやるよ」
店の主人の名は、ラウドラといった。彼は、職人としては腕のいい方だった。そのため、注文は多くあった。
「忙しくて参っていたんだ。早速手伝ってくれ。いいか、これをこうするんだ。・・・・そうじゃねぇ、こうだ」
「こうですか?」
「おう、そうそう・・・、なかなか筋がいい。ところで、お前、住むところはあるのか?」
ラウドラがミトナ聞いた。
「いえ、実は、この街に来たばかりで・・・・」
「そうかい、じゃあなぁ・・・えっとこの店のちょっと先の角を曲がって裏手に入ったところに貸家があるから、そこへ行きな。あぁ、今すぐがいい。なかなか住み心地がいいから、安心しな」
ミトナは、ラウドラの親切に感謝し、早速教えてもらった借家へと向かった。が、そこは、妙な趣のある借家だった。
「こ、これは・・・・・」
その借家は、壁に妙な装飾品がついているのだ。神々の絵が描かれているわけではない。なんだか、わけのわからない図柄も描かれているのである。あっけにとられて見ていると、その借家の横の家から老婆が出てきた。
「なんか用かね」
「その先の甲冑屋さんのラウドラさんに教えてもらったのですが」
「あぁ、この家に住みたいかね。あんたも酔狂だねぇ・・・。まあいいけどさ。こんな壁の家に住みたがるのは、ラウドラくらいのもんさ。まあいいけどさ。家賃は、安いよ。こんなだから。この絵と飾りは、何だか知らないが、古代インドに由来するらしい。ラウドラの知り合いが書いて、ラウドラが飾りをつけたんだけど・・・・。余計なことをしてくれたもんさ。まあ、ラウドラが建てたて家だし、それを私が貰ったのだから、文句は言えないけど。でもねぇ、こう言っちゃなんだけど、趣味が悪いよ、趣味が・・・・。ラウドラはお気に入りだけどね。まあ、それも気にならないなら、住めばいいさ。嫌になったら出ていけばいい」
老婆はそういうと、部屋のカギを渡してくれた。ミトナは、荷物を部屋に置くと・・・・大した量ではない・・・・すぐにラウドラの店に戻った。
「どうだい、いい家だろ。あの壁の絵と飾りがまたいい。なんで、あの良さがわからねぇのか、ばばあはいつもむくれている。あの壁の絵が気に入らないとな。そんなことはない。楽しくなってくる絵だ。中もよかったろ。ベッドに水場に、沐浴場に、便所もちゃんと整っている。いい家だろ」
「はい、本当にいい家ですね」
ミトナは苦笑するしかなかった。

確かに住みやすい家ではあった。壁の絵やわけのわからない飾りさえ気にしなければ、である。しかし、その妙な絵は外の壁だけでなく、部屋の中にも描かれていたのだった。
しばらくはミトナも我慢した。家賃は安いし、他に移ろうにも仕事が忙しく、他の家を探す暇もないくらいだったのだ。そのうちにミトナは壁の絵も見慣れていった。
仕事に慣れてきたある日のこと、ラウドラに
「おう、今夜、仕事が終わったら俺に付き合え」
と言われた。ミトナは、もちろん了解をした。
どこへ行くのかと思ったら、酒場だった。
「ここは俺の行きつけの店だ。どうだ、楽しいだろ。女もいっぱいいるからな。ほら、楽しめ、もっと酒を飲め」
ラウドラは、一人酔っぱらって、ミトナに酒と女を勧めたのだった。しかし、ミトナはこうした酒場の雰囲気が好きではなかった。どちらかというと、ミトナは一人で静かに過ごしたい方だったのだ。賑やかな雰囲気が苦手なのである。
「こういう楽しみがわからねぇヤツは・・・・ダメだな。男としてダメだ。なあ、そう思うだろ、ミトナよ」
ラウドラは、片手に女を抱き、片手で酒をあおった。
「さぁ、飲め飲め、仕事は大方終わったし、金もたんまりはいった。なんなら、遊女と戯れてもいいぞ。金は俺がだしてやる。お前も好きだろ?。俺は好きだからな。男はそうでなくちゃいけねぇ。がはははは」
大声でラウドラは笑ったのだった。
ミトナは帰りたくなった。あの妙な絵柄の壁さえ恋しくなった。
(はぁ・・・酒を飲むなら、静かな酒場がいいなぁ。女は・・・・黙って座っているほうがいいなぁ。こんな騒々しい、けばけばしいところは・・・好きじゃないな・・・・)
そう思ってはいたが、口にはできなかった。作り笑いをして、さも楽しそうに振舞っていたのだ。その日は、夜遅くまでラウドラに付き合わされた。

その翌日から、ラウドラはミトナの趣味や嗜好品にも口を出してくるようになった。
「そうじゃいけねぇ、男はこうじゃなきゃあな」
「そんなことを言っているから、出世しないんだ。いいか、こうじゃなきゃいけねぇんだよ」
「俺はこれが好きなんだよ、だから、お前にもいいと思うぞ」
「これは絶品なんだよ。高価なものだ。お前に譲ってやるから大事にしろ」
そうやってミトナに押し付けてくるのである。しかし、そのほとんどがミトナにとって嫌悪するものであったり、価値のないものだったのだ。ミトナは、手渡された高価なもの・・・ラウドラにとって高価なもの・・・・の処置に困り果てていた。
「おやおや、またラウドラの悪い癖が始まったねぇ」
困り果てて部屋の中で茫然としているミトナを見て、老婆がそうつぶやいた。
「あたしゃ、いつも言っていたんだがねぇ。ラウドラ、あんたの趣味が、みんなにあてはまると思ったら大間違いだ、ってね。ラウドラはいつもいつも、自分がいいと思うものは、他人もいいと思うんだねぇ。自分が欲しいと思うものは、他人も欲しいと思うんだねぇ。困ったものだよ」
「あの・・・、ラウドラさんの、その・・・・押しつけに・・・あぁ、そう言っちゃいけないか」
「いいんだよ、あれは押しつけだよ」
「はぁ・・・、それを断ると、どうなるんですか?」
「おや、お前さん、まだ断ったことはないのか・・・・、大したもんだねぇ。なかなか辛抱強いじゃないか」
「そうなんですか・・・・。で、断ると、やっぱり・・・・」
「怒るんだろうねぇ・・・・。よくは分からないが、今までいた職人は、いつの間にかいなくなっていたからねぇ」
「そう・・・ですか。そうですよねぇ・・・・・」
ミトナは、職を失いたくはなかった。甲冑職人は楽しかったのだ。自分に合っていたのである。ラウドラも、職人としては腕がいい。ミトナの腕の良さも認めてくれていた。
「仕事上では、文句はないんだけどなぁ・・・・・。我慢・・・・するか」
ミトナは、我慢することに決めたのだった。

しばらくは、ミトナは辛抱していた。しかし、ついに我慢ならないことが起きた。ある日の朝、店に出るなり、ミトナはラウドラに怒鳴られたのだった。
「おいミトナ、お前、俺が連れていったあの酒場に行っていないんだってな」
「はい、行ってないですが・・・・。好きじゃないですし」
「そいつはいかんなぁ。今日は行け、必ず行け」
「なぜですか?。それって、仕事と関係ないですよね」
「仕事と関係はない。しかし、俺とは関係はある。俺がいいと思うものは、お前もいいと思うべきだ。俺が好きなものはお前も好きなるべきだ。俺はお前の、甲冑職人の師匠だ。師匠の言うことを聞くのは、弟子の勤めだ。師匠の好きなものは、弟子も好きにならなきゃいけねぇ。だから、今日は仕事が終わったら、あの酒場へ行け」
ミトナは返事をしなかった。むすっとして下を向いていた。
「なんだ、俺の言うことが聞けないのか?」
「は、はい、聞けません。私は仕事で何かしくじったでしょうか?。ラウドラさんの気にらないことをしたでしょうか?」
「してないよ、一つもしていない。お前の腕は確かだ」
「じゃあ、なぜ・・・・・」
「だから、俺がいいと思うから、お前に勧めているんだ。俺がいいと思うものは、お前もいいと思うだろ?」
「お、思いません。人それぞれ趣味があるんです。ラウドラさんの趣味と私の趣味は、全く合いません」
ついにミトナは口に出してしまった。いったん口から出てしまうと、今までたまっていたものがすべて出てきてしまった。
ミトナの思いを聞いたラウドラはショックを受けた。
「そ、そうだったのか・・・・。お前は・・・お前だけは、今までの職人と違うと思っていたのだが・・・・。俺と同じような考えを持っていると思っていたのだが・・・・・・。そうか、そうだったのか・・・・」
ラウドラはそう言って、肩を落として店の奥へと消えていってしまった。ミトナは、一人店に取り残され茫然としていた。

ラウドラは、老婆のところにいた。
「何度も言ったろラウドラよ。いい加減に悟ったらどうだい。みんなそれぞれ趣味も価値観も違うんだ。それを押し付けるのは、よくないことだって・・・。ミトナはいい職人さ。この住まいにも、最近は慣れてきたようだし。こんな趣味の悪い家によく住んでいるよ。もったいないよ、あんないい職人、辞めさせるのは・・・・」
「いや、辞められちゃあ困るんだが・・・。しかし、やっぱり、俺の言うことも聞いて欲しいし・・・」
その時であった。
「なぜ、汝と他人が同じ趣味や価値観を持たねばならぬのか?」
と尋ねる声が聞こえた。それは、托鉢に出ていたお釈迦様だった。
「話は聞こえていた。ラウドラよ、汝は思い違いをしている。否、思いあがりといってもよい。なぜ、汝にすべてを合わせねばならないのか?」
お釈迦さまに、そう質問され、ラウドラは返事に困った。
「答えられるであろう?」
「えっと・・・・その・・・・価値観を合わせないと、いい仕事ができない・・・・と思いまして・・・・」
「そんなことはなかろう。今まで、ミトナはいい仕事をしてきている。汝との呼吸も合っているではないか。しかし、ミトナは汝とは全く趣味は合わぬのだ。価値観も違う。価値観を合わせなくても、いい仕事はできるはずだ。そうではないか?」
「よ、よく御存じで・・・・、さすがにお釈迦様は何もかもお見通しで・・・・」
「ちゃんと答えなさい。なぜ価値観を汝と同じにせねばならぬのだ?」
ラウドラは考え込んだ。しばらくして
「はい、俺が偉いんだ、ということを示したかった・・・・だけです。だから、俺の言うことを聞け、すべてにおいて聞け、と言ってしまったんです」
「そんなことを言わなくても、ミトナは汝の腕の良さを知っているし、尊敬もしている。折角尊敬していたのに、いろいろ押し付けるから、汝の良さがわからなくなってきているところだ。よいか、ラウドラ、汝は職人だ。腕の良さ、仕事ができることを見せていれば、自然に人は汝を認めるものだ。大きく見せようとしたり、自分の価値観が優れているようなことを吹聴したりしても、周囲の者は迷惑に思うだけで、尊敬は得られない。人はそれぞれ違った価値観を持っている。違った考え方をするものなのだ。それをよく見極め、そのものの価値観を尊重するほうが、尊敬を得られるのだよ。下の者を見下して、いうことを聞かせよう、自分に従わせようとしても、下の者はついては来ないのだよ」
お釈迦様はそういうと、何事もなかったようにラウドラと老婆の間を通り抜けていった。その後ろ姿を見て老婆が呟いた。
「さすがにお釈迦様だねぇ・・・。何もかもお見通しだ。これから、お釈迦様の説法を聞きにこうかねぇ。あんたもくるかい?。あぁ、そうだね、押し付けちゃいけないね。あはははは」
老婆の笑い声が狭い通路に響いたのであった。


やたらと自分の趣味を押し付けてくる人っていませんか?。
「いいだろ、これ」
って、自分の持っているものを披露して自慢話を延々と続ける人、いますよねぇ。特に上役に当たる人にこういう人って多いように思うんですが・・・。
あるいは、自分の考えを披露して、みんなもこのように考えなさい、と押し付けてくるとかね。上司とか、お偉いさんとかに多いんですよね、こういう人。立場を利用して、圧力をかけてくる・・・・。パワハラ、って言われてしまいますよね。

ちょっと前のことです。私、ある先輩に呼び出されました。もちろん、坊さんです。で、食事をして、
「一杯、付き合え」
ということで、付き合うことになりました。まあ、たまには付き合ってあげないと悪いかな、かわいそうかな、と思ったのですが、そんな内心はおくびにも出しません、私はね。イヤなヤツですから。
で、付き合ったのはいいのですが、その席で、
「この店いいだろ、お前も通ってやれ。あぁ、青年会の連中(若手の坊さんたちですな)にも教えてやって、使うようにしてやれ。いい店だから、いいだろ」
というんですね。私は
「はぁ、まあ、そうですねぇ。でも、彼ら若い連中は、私らとは感覚が違いますし、価値観も違うんで、強制はできませんよ」
と、やんわりと断ったのです。すると、パワハラですな。「俺の言うことが聞けないのか・・・・」ですよ。そのうちに「たまには俺の顔をたてるのもいいだろう」と泣き落としですな。
私は「みんなそれぞれ価値観が違うから、行かないかもしれませんよ」と言っただけなんですけどね。

その先輩は、やたらと自分の考えを押し付けるタイプでした。ちょうどこの話のラウドラのようです。そうえいば、仕事ができるところも似ています。いつの時代も、どこの国でも、似たような人はいるものです。
あなたの会社や学校、周囲にも、自分の趣味や価値観を押しつける人って、いるんじゃないでしょうか?。

考えはそれぞれ違います。考え方も、趣味も嗜好も思考も違うんです。価値観だって異なります。どこに価値があるのか、何に価値を見出すのかは、人それぞれなんですね。なにも、それをみんなに合わせる必要はないし、周りの人に合わせてもらおう、わかってもらおうとする必要もないのです。
自分の趣味は自分の趣味です。自分の価値観は自分の価値観です。他人とは異なるんです。そう思っていたら、威張って
「俺の言うことが聞けないのか」
という必要もないし、そんなことで、尊敬されよう、ビビらせよう、なんて思うこともなくなるでしょう。自分の価値観を押し付けてもかえって嫌われるだけなのに、偉そうな立場にある人はそれがわからないんですねぇ。

自分の価値観を押し付けることなく、他人の価値観を認めてあげる・・・・それだけで自分と周囲との軋轢はなくなるんですけどねぇ。それに、そのほうが尊敬もされるんですよ。お気をつけください、上に立つ方は、ね。
合掌。


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