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第145回
真実を見ようとせず、自分に都合よい話ばかりを受け入れる。
そうした者は、騙されるだけである。
たとえ辛くても、真実をしっかり見て、受け入れるべきなのだ。


「あなたは、今のままでは、箸にも棒にもならぬ、どうしようもない者になる。一つ一つ、できることから努力することだ。いきなり大物になろうと思っても無理な話だ」
「う、うるさい!。お前なんか、インチキ占い師だ!。もう二度と来るか、こんなところ!」
そう怒鳴って、サンディヤは占い師の家から出てきた。「ケッ!」と言いながら、彼は占い師の家の柱を蹴とばした。
「くっそっ!。よく当たる占い師だと聞いからここに来たのに・・・。俺に説教しただけじゃないか。あんなことなら誰だって言えるぜ。チッ、他をあたるか・・・」
彼は、そういって他の占い師を尋ねることにした。

サンディヤが南方の田舎から出てきたのは、昨日のことだった。地元の年老いた占い師に
「お前さんは、大物になる。こんな田舎にいないで、早く都会に出るといい。そうじゃ、コーサラ国の首都シューラバスティーに行くがいい。そこで、名の通った占い師の元へ行くのじゃ。そうすれば、お前さんの道は開けるだろう」
と言われたから、早速街に出てきたのだった。彼は、「この占い師のじいさん、当たるじゃないか。やっぱり俺は、大物になる素質を持っているんだ」と浮かれていたのだった。
しかし、実際は、その占い師にそのように言ってもらうように頼んだのは、サンディヤの母親だった。母親は、ちっとも働かないで毎日ゴロゴロしているサンディヤにほとほと困り果てていたのだ。
「いい年をして、さっさと働きに行け!」
「うるさい!、俺はな、こんな田舎で働くようなちんけなものじゃないんだ!」
このように、二人は、毎日のように親子げんかしていた。そうした生活に母親は疲れ果て、知り合いの占い師に息子が家を出るように誘導してくれと頼んだのであった。占い師は、母親の願いを聞き入れ、サンディヤに家を出るように言ったのだった。

「次はここだな。はぁ、ここでもう四軒目か。どいつもこいつも同じことばかり言いやがって・・・。まあ、いい。入るとするか・・・」
サンディヤは、すでに3人の占い師に「地道にコツコツ働け」と言われていたのだった。
「ふむ・・・お前さんは・・・と。お前さん、中身がない。気位ばかり高くて、中身が何もない。中身を入れないと、大物にはなれぬぞ。大物になるには、一歩一歩、下積み修行をしないとな。まずは、お前さんに合った仕事・・・そうじゃな、建築業がいいのう・・・そこへ弟子入りすることじゃな」
「あのな、おっさん。コツコツ仕事をこなすのは、もういいんだ。田舎で十分やってきたからな。俺はな、大きな仕事がしたいんだ。それにはどこへ行って、どうすればいいかってことを占って欲しいんだよ。わかったか」
「はっはっは。お前さん、それは無理な話だ。このシューラバスティーで、いきなり大仕事とは・・・。無理にもほどがある。はは〜ん、お前さん、自分のことがわかっとらんようじゃな。そうかそうか・・・。お前さんのような者は、お釈迦様の元へ行って話を聞いてもらうがよい」
「お釈迦様?、誰だそれは?。有名な占い師なのか?」
「はぁ・・・お釈迦様も知らんのか。まあいい、祇園精舎に行けばわかるじゃろう」
サンディヤは、田舎者だとバカにされたような気がして、文句も言わず、その占い師のところを後にした。そして、祇園精舎に向かったのである。

しばらくして、サンディヤは、お釈迦様の前に座っていた。彼は、今までの流れをお釈迦様に話した。お釈迦様は、一つうなずくと
「サンディヤよ、大きな貿易商を営んでいるスダッタを知っているか?」
と尋ねた。サンディヤは「もちろん、知っています。俺の目標です」と答えた。
「サンディヤよ、あのスダッタでさえ、若いころ・・・そう、汝の年の頃は、下働きをしていたのだ。小さな商店の小僧から始まり、貿易を営む商店の船の掃除夫として雇われた。そこから次第に、取引の仕事を覚え、他の国の珍しいものを仕入れて売ることを覚えた。そこで資金を稼ぎ、小さな自分の店を持った。独立したのだね。そして、地道な努力を重ね、今日の大貿易商となったのだよ。いきなり貿易商を始めたわけではないのだ。小さなことから一つ一つ積み上げてきたのだよ。大物とは、そうしてなる者であって、いきなりなれるものではないのだ。今まで汝が出会った占い師は、間違ったことは一つも言っていない。皆、正しいことを言っている。また、汝の田舎の占い師も、間違ったことを言っているわけではない。都会に出れば、働き口があるから、そのように言ったのであろう。汝をやる気にさせるための方便だったのだ。よいか、サンディヤ。いきなり大物にはなれぬ。地道な努力が必要なのだ」
お釈迦様がそういうと、サンディヤは大きなため息をついた。
「はぁ・・・、何がお釈迦様だ。偉そうなことを言ってさ・・・。俺が聞きたいことは、そういうことじゃないんだな。なんか、方法があるだろ?。う〜ん、たとえば、インドラ神に祈ればたちまち力が付くとか、どこそこの水を何とかの神に捧げれば運が開けてくるとか、こういう修行をするとうまい話が転がり込んでくるとか・・・。俺はそういうのを求めているんだよねぇ」
「サンディヤよ、汝は愚かなるものである。そのような簡単な行為によって、ひとかどの人間になれるならば、誰しもがそうしているであろう。そのような安易な方法はないのだ。スダッタ長者のようになりたくば、小さなことからコツコツと努力していかねばならないのだ。目を覚ますがよい。そのような夢物語にとらわれていると、悪い者に騙されるだけであろう」
「あぁ、もういいです。そうした説教は聞き飽きているんで。それじゃあ、まあ、他を当たりますよ」
サンディヤは、そういうとお釈迦様に挨拶もせずにさっさと祇園精舎を去って行った。その後ろ姿を見て、
「愚かなるものは、哀れな末路をたどることになる・・・・」
と、つぶやいたのだった。

その後、サンディヤは、名前の通った占い師のところを2〜3軒訪れたが、どの占い師も答えは一緒だった。しかし、最後の占い師のところを出たところで、サンディヤに声をかけた者がいた。
「そこの若い兄さん、あんた成功したんだろ?。それも簡単な方法で。あんたは、実にいい運を持っている。幸運の星を持っているよ。だから、私が特別な祈りの方法を教えてやろうじゃないか。さぁ、どうするね?」
「えっ?、俺って幸運の星を持っているのか?」
「あぁ、持っているさ。あんたは大物になれるよ」
「やったぜ!、やっと巡り会えた。俺もあんたみたいな人を探していたんだ。それそれそれ、特別な方法で、成功者になれるってやつ。それを教えてくれる人を探していたんだよ」
「よかったじゃないか。やっぱり、あんたは運がいい。名前は?。ほう、サンディヤというのか。ふむ、いい名前だ。で、やるかい?、成功者になる特別な祈り・・・、そうかそうか、やるかい。では、私についてきなさい」
サンディヤは、その怪しい男についていくことにした。
少し歩くと、ある洞窟についた。そこで、サンディヤは、いろいろな儀式をさせられた。
「よし、これでいい。明日の朝には、お前さんは、大きな船に乗って、大威張りでいられるだろう」
「えっ?、本当かい?。大きな船の船長にでもなれるのか?」
「ほっほっほっほ・・・そうだねぇ。そういうこと・・・だな。ほっほっほ。そうそう、最後にこれを飲みなさい。これで儀式はすべて終わりだ」
その怪しい男が勧めた飲み物をサンディヤは、一気に飲み干した。すると・・・。
「ふん、眠ったか。バカな男だ。お前さんの望むように、お前さんは、明日の朝には大きな船の上さ。ただし、奴隷だけどな。ほっほっほ・・・。お前みたいなバカな男がいるおかげで、俺は大儲けだよ、ほっほっほ」
男は、奴隷商人だったのであった。
こうして、サンディヤは、他国の貿易船の奴隷として売られていったのである。

数か月後のこと、サンディヤの母親がお釈迦様の元を訪ねていた。サンディヤの行先を教えてもらえないか、と尋ねに来たのだ。
「サンディヤは、残念ながら、もうこの世にはいない。汝の息子は、真実を決してみようとはしなった。己の真の姿を見ようとせず、自分に都合のよい話だけを聞き入れたのだ。その結果、悪い者に騙され、命を落とす羽目になったのだ。よいか、サンディヤは亡くなった。母である汝は、その真実をしっかりと受け入れるのだ。真実を受け入れず、まだどこかにサンディヤが生きているなどと、自分の都合のいい話に耳を傾けてはいけない。どんなにつらくとも、真実をしっかり受け入れ、真実をだけを見て生きていくのだ。よいか・・・」
お釈迦様の言葉を聞き、サンディヤの母親は、嘆き悲しんだが、もうこの世に息子はいないという事実をしかっかり受け止め、その場で出家したのであった。
「真実から目をそむけ、真実を見ようとせず、自分にとって都合のよい話ばかりを受け入れていると、その者は悪い者に騙されてしまうであろう。そして、何もかも失う羽目になるのだ。真実を受け入れ、辛いことにも耐え忍び、努力を重ねる者にこそ、幸運は訪れるのである。先ずは、真実に対し、眼をそむけず、受け入れることが大切なのだ」
お釈迦様は、そこに集まっていた人々や弟子たちに、そう説いたのであった。


「どうもおかしい、あの占い師は当たらない」
そう言って、自分の求めている答えと同じ答えをくれる占い師に巡り合うまで、占い師を渡り歩く人がいます。自分にとって都合の悪い意見や、耳の痛い意見を言う占い師は
「あれはダメだ、当たらない」
と、決めつけてしまうんですね。そうして、自分をほめてくれる占い師、自分の意見と同じことを言ってくれる占い師に出会うまで、占い師を渡り歩くのです。傍から見たら、こうした人は、とても哀れな人なのですが、本人は気が付かないんですよ。

確かに、当たり前のことや、説教くさいこと、自分の意見を否定した意見などを言われる、腹が立つことはあるでしょう。ましてや、お金を払っているのに、説教なんてされたくはないでしょう。
「そんなことを聞いているんじゃないの」
と言いたくなる気持ちもわからないではありません。ですが、本当のことを言ってくれる占い師の方が、誠実なんですけどねぇ。

自分にとって心地よいことを言てくれる人に従っていると、やがてはその人の言いなりになってしまうでしょう。ひところ、世間を騒がせた芸人さんが怪しい占い師に引っかかって、洗脳されてしまったように・・・。
自分の嫌な部分を見るのはつらいことですし、自分の真の姿を知り、受け入れることは、ショックを受けることでもあります。しかし、自分にとって都合のいい話ばかりを受け入れていると、自分の悪い部分には気が付きませんし、自分にとって心地よい言葉は麻薬のように心を蝕んでいくものなのです。やがては、散々騙された挙句、ボロボロになって、捨てられてしまうのです。世の中、甘い話はありませんからね。
世の中、自分にとって都合よく動くなんてことはありません。嫌なことも、つらいことも、苦しいこともたくさんあるのがこの世の中です。自分は、優れた能力があるとか、幸運の持ち主だとか、千人に一人の強い運を持っているとか、そんなことは信じない方がいいですな。否、百歩譲って、そうした運を持っていたとしても、努力しなければ、その運も開花しませんね。宝の持ち腐れで終わってしまいます。

夢物語ばかりに心を奪われてはいけません。しっかりと真実を見つめ、己を知ることが大切です。夢のような話、自分にとって好都合な話ばかりに耳を傾けていると、結局は騙され、都合よく利用されるだけです。
どんなにつらくとも、真実をしっかり受け入れることが大事なのです。
合掌。


第146回
身体を鍛えることはよいことだ。
しかし、身体だけ鍛えればよいというものではない。
むしろ、心を鍛えることの方が重要である。


「また、ガルーダのやつ、身体を鍛えているのか?」
「あぁ、そうみたいだ。さっき、森の奥へ走って行ったよ。彼に何か用なのか?」
「マハーカッサパ尊者が探していらっしゃるのだ。もうそろそろ、ガルーダも瞑想をした方がいい、と尊者はおっしゃっているので、私が探しに来たのだ」
「ガルーダが瞑想ねぇ・・・。ま、この森の奥へ行ってごらん。きっとすぐ見つかるよ」
その修行僧は、笑いながらそう言った。クナーラは、言われた通りに森の奥へと入っていった。
そこでは、ガルーダが、必死になって運動をしていた。
「相変わらず、身体を鍛えていたんだな」
ガルーダは、運動をしながら、答えた。
「おっ?、クナーラか?。なんだ、君も一緒にやりたいのか?」
「いやいや、私は、そんなことはしないよ。それよりも、君を探していたんだ」
「俺に何の用なんだ?」
「マハーカッサパ尊者が君を探していたんだ。そろそろ瞑想を試みてもいいんじゃないかと、尊者はおっしゃっている。だから、尊者の元へ一緒に行こうじゃないか」
「瞑想?。俺にはまだ早いと思うんだけどなぁ・・・。まあ、いいや、そういうことなら尊者のところへ行くよ」
こうして、ガルーダとクナーラは、マハーカッサパのもとへと行ったのだった。
「ガルーダ、相変わらず身体を鍛えているようだね」
「はい、健康な体にしておかないと、心も健康にならないと思いまして・・・」
「ふむ、そういう考え方も悪くはないのだが、身体ばかり鍛えていてもいけないのではないか?。世尊も修行は偏ってはいけないとおっしゃっている。身体を健康に保つならば、心も健康に保つようにしなければいけない」
「えぇ、そう思って身体を鍛えています。大丈夫ですよ。身体を鍛えることで、心も鍛えられておりますから」
「いや、そういう意味ではなくてだね、心を鍛えるとは、様々な誘惑や怒り、欲望、妬み、羨みなどの心の負の作用をなくすことをいうのだよ。それには、自分自身の心をよく見つめることが必要なのだ。瞑想は、そのためにあるものなのだ。ガルーダ、君もそろそろ瞑想をして、自分の心を見つめてはどうかね」
「はぁ・・・・。ですが・・・・、今はその・・・・まだ、健康維持の方が大事で・・・。それに運動をしながらでも、自己を見つめることはできますし・・・・」
ガルーダの答えにマハーカッサパは、首を横に振った。
「はぁ・・・、君に何を言っても仕方がないのか。そうか、そうだな、まあ、君のやり方で自己を見つめるのもいいかもしれない」
マハーカッサパは、もう少しガルーダの様子を見ることにしたのだった。

ある日のことである。ガルーダがとある家に托鉢に行くと、そこには美しい娘さんがいた。
「あれ?、ここの家のお嬢さんですか?」
ガルーダは、その娘さんが気になってしまい、思わずその娘に尋ねていた。
「いいえ、先日、この家に嫁いだのですよ。どうぞ、お見知りおきを・・・。それにしても、立派な身体ですわね。健康そうでなによりですわ」
「いやいや、私なんぞ、まだまだ・・・。もっと身体を鍛えなければ修行に耐えられませんから」
「大変ですわね」
本来、托鉢ではその家の人とは会話はしてはならない決まりだった。しかも、相手が異性である場合は、話し込んではいけない戒律があった。ガルーダは、それをすっかり忘れ、他の家に托鉢に行くことなく、話し込んでしまったのだった。
その嫁の姿を見てから、ガルーダに変化が現れた。あれほど身体を鍛えていたのに、ぼーっとしている時間が多くなった。かと思うと、托鉢に出かける時間になると、急にはりきりだし、さっさと出かけていくのだった。しかし、ガルーダが托鉢で家々を巡り歩いている姿は見られなかった。
そうした日々が何日か過ぎて行った。ガルーダは一人悩んでいた。
「あぁ、どうしうよう・・・。身体がうずいて仕方がない。あの人のことを思うと・・・。あぁ、頭が割れそうだ・・・。いかんいかん、こういう時こそ、身体を鍛えねば・・・」
そう言って、身体を鍛えようとするのだが、いつの間にかぼんやりとしてしまっていた。

その日、ガルーダは、他の修行僧よりも早めに托鉢に出かけた。彼は、気になっていた嫁がいる家の周りをウロウロしていた。
「こんなことをしてはいけない、とは思うのだが・・・。身体が勝手に動いてしまう・・・」
彼は、家の裏にこっそりと回った。すると、そこは洗濯物干し場であった。
「あぁ、あれはあの人が着ていたものだ。そ、それに・・・あれはあの人の下着だ・・・。あぁ、いかんいかん、私は托鉢に来たのだ。表にまわろう・・・」
そう言いつつも、ガルーダの身体は動かなかった。いつの間にか、あこがれの嫁が着ていた衣類をつかんでいたのだった。
「おい、お前、そこで何をしている!」
そう叫んだのは、その家の主人だった。ガルーダは、びっくりして逃げ出した。
「あっ、おい、待て!」
その家の主人は追いかけてきたが、ガルーダの足が速く、、あっという間に彼の姿を見失ってしまった。しかし
「あの姿は、お釈迦様の弟子に違いない。祇園精舎に行けば、あいつが誰かきっとわかるだろう」
と、その主人は、祇園精舎に出向くことにしたのだった。

お釈迦様の前には、ガルーダと彼を追ってきた主人が、座っていた。そして、その横にはマハーカッサパがうなだれて座っていた。
「ガルーダ、この方が言っていることは本当なのだな?」
お釈迦様は、すっかり小さくなっているガルーダに尋ねた。
「は、はい・・・。すべて本当です」
「なぜ、そのようなことを・・・」
「はい、いつの間にか・・・、身体が勝手に・・・。気が付いたら、洗濯物をつかんでいて・・・」
「ガルーダ、私が尋ねているのは、そういうことではない。もっと根本的な理由を尋ねているのだ」
「ど、どういうことですか・・・」
「わからぬのか?。では、順を追って聞こう。なぜ、その家の裏手に廻ったのだ?」
「あぁ・・・。それは、ですから・・・知らぬ間に・・・、身体が勝手に・・・」
「そんなわけないだろ!。お前は、うちの女房の下着を盗もうとしたんだろ!。お前は、うちの女房に横恋慕したんだろ?。女房が言っていたぞ。変な修行僧が色目を使ってくるってな!」
主人の剣幕に、ガルーダは頭を抱えてうずくまってしまった。
「ガルーダ、自分の心の中を見てみなさい。汝は、このご主人さんの奥さんをどう思ったのだ?」
「は、はい・・・。とても美しいと・・・」
「それから?」
「それで・・・できたら、毎日会いたいな・・・と・・・」
お釈迦様は、「で、それから?」、「ふむ、それで?」と繰り返しながら、ガルーダに答えさせたのだった。

「ガルーダ、汝は、彼のお嫁さんに心を奪われてしまったのだな?。それで、寝ても覚めても彼女の事ばかり心に浮かんできていた。彼女と毎日会いたい、少しでもいいから話がしたい・・・そう思うようになった。それが次第に、もっと親しくなりたい、もっと懇意になりたいと望むようになった。できれば、長く一緒に過ごしたい、と思うようにもなっていた。修行僧という立場も忘れ、また、その女性が人妻であるということも忘れ・・・。そういうことだね?。そして、ついに、その女性の家に侵入しようとしたのだ。頭の中ではいけないと思いつつも、身体をうまく制御できなかった。そうだな?、ガルーダ」
お釈迦様の言葉に、ガルーダは、こっくりとうなずいた。
「なぜ、そうなった?」
お釈迦様は、鋭く質問した。ガルーダは、頭を抱えて考えていたが、やがて
「わかりません」
と答えたのだった。お釈迦様は、大きく息を吸い込むと厳しい口調で話し始めたのだった。
「よいか、ガルーダ、汝は、よく身体を鍛えていたが、心を鍛えることを怠ったのだ。だから、誘惑に負けたのだよ。女性に対する欲望に負けてしまったのだ。汝は、女性と親しくなりたいという欲に負けたのだ。その女性と関係を深めたいという欲に負けたのだ。欲望に心が支配されてしまったのだよ。それは、汝が心を鍛えていなかったせいなのだ。
よいか、健康のために身体を鍛えるのはよいことだ。健康であろうとすれば、病気にはかかりにくくなるであろう。しかし、同時に心も鍛えておかねば、それは意味がないことだ。健康な身体であれば、心も健康になる、ということはないのだよ。いくら健康な身体であっても、心を鍛えなければ、欲望に負けてしまうことはよくあることなのだ。
汝は、マハーカッサパ尊者の指導を拒否し、身体を鍛えることばかりに専念し、心を鍛えることを怠ったのだ。そのために、欲望に負け、このような失態を犯したのだ。
よいか、身体を支配するのは、心である。心が健全ならば、たとえ身体が弱く、病弱であっても、欲望に負けるようなことはない。身体よりも、心を鍛えることの方が大事なのだよ。それを忘れず、今後は、心を鍛えるよう、修行に励むがよい」
お釈迦様の厳しい言葉に、ガルーダは泣き崩れていたのだった。

ガルーダは、あこがれていた女性の主人に謝り、二度とその家には近づかないことを誓った。そして、それ以来、瞑想に励むようになったのだった。


「健全なる精神は、健全なる身体に宿る」
と言ったものですが、健全な肉体があっても、健全な精神が宿るとは限りません。健康な人であっても、乱暴な人はいるし、マナーを守らない人はいるし、妬んだりひがんだりする人はいます。健康であっても、心は不健康であるという人は、結構多くいるんじゃないでしょうか?。逆に、病気がちな人であっても、健全な精神の持ち主はいますよね。

確かに健康は大事です。健康であれば、働くこともできるし、明るく過ごすこともできるでしょう。病気がちだと、ついつい暗くなりがちですからね。健康は生きていくうえでは、とても大事なことです。ですから、健康を維持するために、運動をしたり、ダイエットに励んだり、ジムに通ったりすることもいいことだと思います。

身体を鍛えることは重要なことでしょう。不健康な日々を過ごすよりは、健康で過ごすことを心がけるほうが正しいことですよね。しかし、いくら身体を鍛えても、心の在り方をおろそかにしては、意味がないことです。身体ばかり健康であっても、言葉が乱暴であったり、やたら威張っていたり、自慢したり、威圧的であったり、あるいは、いろいろな欲望や誘惑に弱かったりしていては、人間としてどうなのか、と思います。身体を鍛えるように、心も鍛えなければ、ちょっとしたことで、心が折れてしまい、心の病にかかってしまうこともあるでしょう。

人間を支配するのは、身体ではありません。心が支配するのです。たとえ、健康でなくても心が健康であれば、心が強ければ、安心が得られるのです。心が強ければ、簡単に心が折れることもないし、くじけることもないし、つまらない誘惑に負けることもないでしょう。ひがんだり、妬んだり、恨んだり、羨んだり、イライラしたりすることもないでしょう。
身体を鍛えるように、心も鍛えることが大事なのです。いやむしろ、心を鍛えることの方が大事なのです。折れない心を作るためにも・・・。
合掌。


第147回
なぜ、頑なに周囲の言葉を拒否するのか。
なぜ、そこまで意地を張るのか。
周囲のせいにして、自分の非を認めないうちは、救いはない。


パリナーマは、真面目な青年修行僧だった。否、やや真面目すぎるところがあり、少々頑固なところもあった。彼は友人も多くなく、よく一人で修行に励んでいた。また、彼自身、真面目な性格からか、修行僧同士で語らいあったり、笑ったりしているのが気に入らなかった、ということもある。なので、修行僧たちが固まって話をしている輪の中には、決して近づこうとはしなかったのだ。
彼を指導していたマハーカッサパは、そんな彼に対し、あえて何も言わなかった。マハーカッサパ自身、あまり周囲と話をするような性格ではなかったし、どちらかといえば、寡黙に一人で修行する性質だったので、パリナーマに対しても、自分と似たようなものなのだろう、と思っていたのである。実際、パリナーマは、出家以来、何も問題を起こさず、一人コツコツと修行をしていた。しかし・・・。

パリナーマが出家して数か月が過ぎたころだった。大木の下で一人瞑想していた彼は、急に立ち上がった。そして、
「いい加減にしてくれないか!。うるさくて瞑想もできない!。君たちもっとまじめに修行したらどうなのだ!」
と叫んだのである。その声にびっくりしたのは、すぐ近くにいた修行僧たちだった。彼らは、数名でお釈迦様の教えについて、話し合っていたのだった。
「あ、いや、すまない・・・。その、君の修行を邪魔しようと思っていたわけじゃないんだ。いや、そもそも、君がそこにいたとは気が付かなかった・・・」
一人の修行がそういうと、別の修行僧が
「何も謝ることはないさ。我らは、世尊の教えに関して、お互いに確認し合っていたのだからな。なにも、間違ったことをしていたわけではない。うるさいのなら、もっと静かなところへ行って、瞑想すればいいのさ」
とパリナーマを睨み付けていったのだった。すると別の修行僧たちも口々に彼を睨んで言い出した。
「そうだ、特に謝る必要はないよ。何も悪いことをしてないのだし。だいたい、君がそこにいたことを知らなかったのだ」
「それに、何も怒ることはないだろう。我々も、ついつい議論に熱が入って大きな声を出したかもしれないが、もっと早くに我々に注意してくれればよかったじゃないか。そうすれば、我々が別の場所に移動したよ」
「そうそう、限界まで黙っていた方が悪い」
口々にそう言われ、パリナーマは、大声で怒鳴ってしまった。
「何を言うか!。そもそも修行は、一人でするものだ。議論など必要ない!」
その声は、マハーカッサパにまで聞こえた。
「どうしたというのだ?」
マハーカッサパは、双方から事情を聞いた。そして、
「パリナーマ、世尊の教えについてお互いに確認し合ったり、議論をすることは大事なことだ。決して悪いことではない。そこは誤解してはならぬ。しかし、君たちもちょっと熱が入りすぎたのかな?。議論はよいが、熱くなりすぎるのはよくない。あくまでも冷静に議論することだ。ということで、双方別に悪いことをしたわけではない。争うこともあるまい。パリナーマ、君も彼らがうるさいと思ったならば、別の静かな場所に移動することだ。争いを避けることも修行の一つだ。怒りを抑えることも、怒らないようにすることも、修行の一つなのだよ」
そのように、パリナーマや他の修行僧に注意したのだった。議論をしていた修行僧たちは、パリナーマに頭を下げ、またマハーカッサパ尊者を礼拝し、場所を移動したのだった。しかし、パリナーマは、納得がいかないのか、ふて腐れたようなそぶりだった。

それから数日後のこと、また同じようなもめ事が起きた。掃除をしている時に、数名の修行僧が「掃除は何のための修行なのか?」ということについて議論を始めたのだ。それを見ていたパリナーマは、
「黙って掃除ができないのか?。手を休めて口を動かすのは、掃除とは言わない!」
と怒り出したのだ。議論を始めていた修行僧たちは、「あぁ、すまない」といって手を動かし始めた。その中の一人がパリナーマに尋ねた。
「君は、どう思う?。掃除は何のための修行だろうか?」
パリナーマは、即座には答えられなかった。いや、そんなことを考えたことがなかったのだ。彼は、何も答えず、黙々と掃除をしていた。パリナーマに尋ねた修行僧は、
「なんだ、君も答えられないのか・・・。しかたがない、尊者に教えてもらおう・・・」
と軽く言ったのだった。その言葉を聞くや否や、
「わからないのではない!。答えたくないだけだ!。さっさと掃除すればいいだろ」
とパリナーマは叫んだのだった。一緒に掃除をしていた修行僧たちは、驚いて彼を見つめたのだった。
翌日から、「パリナーマは、ちょっと変わり者だ」という噂が修行僧仲間に流れた。「彼には近づかない方がいい」ということも、あちこちで囁かれた。そうして、自然とパリナーマ周辺には人がいなくなった。いつしか、彼は精舎の一室に閉じこもり、出てこなくなってしまったのだった。

「ひょっとしたら病気になったのかもしれない?」
そう心配した修行仲間は、彼がこもっている部屋の前に行き、扉を叩いたり、声をかけたりしたが、まるで反応がなかった。扉を開けようとすると、何かで縛り付けてあるのか、打ちつけてあるのか、扉はびくともしなかった。そこにマハーカッサパがやってきた。
「どうしたというのだ?。さぁ、出てきなさい。このような状態では、修行ができないであろう。托鉢にもいかないつもりなのかい?。さぁ、外に出てきて、皆と話し合おうではないか」
尊者は、そう声をかけたが、中からは何の返事もなかった。
「大丈夫でしょうか?。まさか死んでいることは・・・」
心配した修行僧たちが、マハーカッサパに尋ねた。尊者は、神通力を使って中をのぞいてみた。
「いや、大丈夫だ。おそらく不貞腐れているだけであろう。しばらく放っておきなさい」
尊者の言葉に従い、修行僧仲間は、自分の修行に戻ったのだった。
翌日から、マハーカッサパは、パリナーマが引きこもっている部屋の前に托鉢で得た食事を置いておいた。すると、いつの間にか、その食事はきれいになくなっていた。どうやら、パリナーマが食べているらしい。
そんな状態が、一週間ほど続いたのだった。さすがに、放っておけなくなったマハーカッサパは、パリナーマの説得にあたった。しかし、いくら言葉を尽くしても、彼は頑なに出てこようとはしなかった。
「いっそのこと、神通力を使って無理やし部屋から引っ張り出そうか・・・」
マハーカッサパがそう考え始めた時であった。
「それはいけない。自力で出てこさせなければいけないのだ」
と尊者に声をかけた者がいた。それはお釈迦様であった。

「パリナーマ、聞こえているね。私が誰だかわかるね」
お釈迦様は、パリナーマが引きこもっている部屋の扉に向かって話し始めた。
「なぜ、そんなにも頑なに周囲の声を拒否するのだ?。なぜ、そこまで意地を張っているのか?。いったい、他の者が汝に何をしたのか?。汝が正しいというのであれば、堂々と外に出てきて、他の者に汝の考えを主張するべきではないか?。自分ばかりが正しい、自分は正当である、間違っていないと主張したいのなら、引きこもっていないで、外に出て主張すべきではないか?。そうは思わぬか?。
頑なに、自分の世界にこもって、周囲を見ようとしない、それでは修行にはならぬであろう。いや、それでは、生きることすらままならぬ。この世界は、一人で生きているのではない。お互いに関係し合って生きているのだ。一人の主張だけが、まかり通るものではない。また、汝だけが正しいということもないのだ。パリナーマ、汝は決して愚かではない。自分が間違っていることを知っているのであろう。だからこそ、こうして引きこもっているのであろう。なぜ、それを素直に認めないのだ。
よいか、悪いのは自分ではない、周囲の者たちだ、と自分に言い聞かせ、嘘の世界で生きていくのは、とてもつらいことなのだよ。汝は、素直になれずに、意地を張って、嘘の世界に入っているのだ。
現実をしっかりと見よ!。嘘や言い訳で塗り固めた世界にいてはいけない。自分の非も認めよ。その上で、他者の非を責めるがよい。周囲の話を聞くがよい。他者の話が聞けぬものが、自分の話を聞いてもらえることはない。自分の話を聞いてほしいならば、他者の話も聞くべきであろう。しかも、それを悪意にとってはならぬ。素直に話を聞くがよい。
どうせ言いくるめられる、どうせ自分の味方などいない、どうせ自分は・・・・などと卑屈になってはいけない。主張したいことがあるならば、堂々というべきなのだ。
よいか、頑なに周囲の言葉を拒否をしてはならい。拒否するということは、自分に非があると認めているも同然なのだ。
いつまでも意地を張り続けるものではない。それは、子供がすることだ。意地を張り続けて、心配してもらおうなどという計算は、見抜かれている。
周囲のせいにしていないで、自分の非を認めよ。そうでなければ、決して救われることはないであろう。
さぁ、よく考えて行動するがよい。あとは、自分で決めることだ」
お釈迦様は、そういうと、マハーカッサパに「あとは放っておきなさい」と言い残して去って行ったのだった。

その翌日のこと、パリナーマは、よろよろと部屋から出てきたのだった。そして、マハーカッサパに付き添われ、お釈迦様の前で泣いて懺悔したのだった。お釈迦様は、そんなパリナーマを優しく見守っていた。


引きこもりが増えているそうです。うちの寺にもたまにそういう相談がきます。
「うちの子が引きこもってしまっています。どうすればいいでしょうか?」
親としてみれば、本当に深刻な問題ですよね。
引きこもりは、最初が肝心です。時がたつにつれ、双方が慣れてしまうこともありますし、引きこもったほうも外に出るタイミングを逃がしてしまうからです。ですから、引きこもりはじめたら、なるべく早く対処してほしいですね。

多くの場合、引きこもりの原因は、「自分の思いが通らなかったから」、「自分の思い通りにならなかったから」ということにあるでしょう。それを
「周囲の人たちは、誰も自分を理解してくれない」
という言葉にすり替えているのです。いわば、大元は、単なるわがままが発端のことが多いんですよ。

世の中、自分の思い通りになるわけがありません。思い通りになるほうが稀です。それを
「なぜ自分ばかりが、思い通りにならないのか」
と嘆くのは、大いなる勘違いですね。周囲の人たちが、何の苦労もしなくて自分の思い通りに生きていると勘違いしているのです。とんでもない話です。誰だって、苦労はしていますし、思い通りにはいかないものです。自分は思い通りになるはずだ、なんて思いこんでいるとしたら、何様のつもりなの?、と問い返されることでしょう。
「自分のことを理解してくれない」
というのなら、理解してもらえるように努力すべきでしょう。その努力を怠って、理解してもらえないというのは、横着な話なのです。誰でも、周囲の人に自分を理解してもらいたいと思うならば、それなりの努力を惜しんではいけないのです。
まあ、ちなみにですが、他人に自分を理解してもらえる、などということは、これも稀なことですけどね。人は人に対して誤解をする生き物なのだ、と初めから思っていた方が無難ですな。

自分の努力を怠っているにもかかわらず、あるいは、自分に非があるにもかかわらず、何を甘えているのかは知りませんが、その非を認めようとしない・・・というのでは、救いようがありません。
頑なに周囲の言葉を拒否することなく、意地を張ることなく、自分の非を認めることが大切ですね。
周囲が心配してくれているうちが救われるチャンスです。周囲が声をかけてくれなくなったら、もうオシマイです。引きこもるのもいいですが、出るタイミングを逃がすと、一生を台無しにしてしまうこともあります。頑なになるのもほどほどに・・・。
合掌。


第148回
弱味を見せまいとして意地をはり、
本心とは反対のことを口にし、周囲の誤解を受ける。
素直に本心を打ち明ければ、周囲との関係もうまくいくものなのに・・・。

「手伝いましょうか?」
若い修行僧が、ガータに声をかけてきた。
「いや、大丈夫です。これくらいは一人でできますから」
「そうですか・・・。ならばいいのですが・・・」
その若い修行僧は、ちょっと困ったような顔をして、ぎこちなくその場を去った。その後ろ姿を見てガータは、溜息をついた。
(まただ・・・。また・・・。なんで私は素直になれないんだ。本当は手伝ってほしいのに・・・)

ガータは、生真面目な性格だった。長老から言われた作業は、真面目にコツコツとこなしていった。しかし、どんな大変な仕事でも他の人に手伝ってもらうことはしなかった。たとえそれが長老に
「これは一人では大変だから、数名の者で行うように」
と言われていても、ガータは、他の修行者に応援を頼もうとはしなかった。いつも、
「それくらい一人でできます」
と言って、コツコツ一人でやり遂げていたのだ。見かねた他の修行者が
「手伝いましょうか?」
と声をかけるのだが、
「これは私にとっては大事な修行です。邪魔をしないでください」
ときっぱり断るのだった。しかし、本心では、いつも
(あぁ、まった嫌なことを言ってしまった・・・。なぜ、私はこんな憎たらしい態度をとってしまうのか・・・)
と悩んでもいたのである。しかし、そんな様子は誰にも見せることはなかった。

その日もガータは、布の整理をしていた。シャーリープトラ尊者から倉庫に溜まった布を整理し、すぐに袈裟に縫える状態にして欲しい、と頼まれたのだった。シャーリープトラ尊者は、
「この量なので、一人で行うには時間がかかりすぎます。どなたか応援を頼んで、数名で行ってください。できるだけ早く整理して欲しいのです。なんなら私も手伝います」
とガータに伝えていた。しかしガータは
「尊者に手伝っていただくわけにはいきません。大丈夫です。応援は、他の修行僧に頼みます。いや、それにしてもすごい量ですね。ありがたいことです」
と言って、シャーリープトラ尊者の申し出を断ったのだった。シャーリープトラ尊者は
「そうですか、ではお願いします」
と言って、倉庫から出ていった。ガータは、応援を呼ぶこともなく、一人で作業を始めたのだった。
(尊者も意地が悪い。私に応援を頼める仲間などいるわけがないじゃないか。それを知っていて・・・。ふん、意地でも一人でやり遂げてやる)
ガータは、ムスッとした顔をして、一人コツコツと布の整理に励んだのだった。
数名で行えば、半日で終わる作業だった。しかし、ガータは誰にも手伝いを頼まなかったので、作業に大変な時間を要してしまった。
「あっ、もう夜明けか・・・・。徹夜してしまったんだ・・・。あぁ、でも、これで終わる。やれやれだ」
なんと、ガータは、一晩中作業に没頭していたのである。
ガータが倉庫から出てきたとき、ちょうどそこにシャーリープトラ尊者がやってきた。
「ガータ、君は一人で作業をしていたのかい?。一晩中かかって?。なんということだ。手伝いを頼むように言ったはずだが・・・・」
「いや、尊者、お言葉ですが、あの程度の作業で、他の人の修行を邪魔したくはなかったのですよ。それに、一人でやったほうが綺麗に整理できますし・・・。その方がはかどりますから」
と言って、胸を張ったのだった。シャーリープトラ尊者は、
「そうですか。では、今日のところはゆっくり休んでください」
と心配そうに言った。しかし、ガータは
「いいえ、これから托鉢に向かいます」
と言って、自分の部屋へと戻って行ったのだった。その後ろ姿を見て
「ふむ・・・。なかなか頑固者ですねぇ。素直に他人にものを頼めるようにと思って、仕向けた仕事なんですが、彼の方が上手でしたか・・・。仕方がない、次の機会を狙いますか・・・」
とつぶやいていたのだった。
一方、ガータは
(ちぇ、まただ。こんなに疲れているのに托鉢なんて出かけるのは無理に決まっているだろ。なんで、私は素直に「はい休みます」と言えなかったのだろう・・・。つくづく自分が嫌になる。はぁ・・・・)
と溜息をつきながら、とぼとぼ歩いていたのだった。

しばらくたったころのことである。修行僧の間でガータについての噂が流れ始めていた。
「ガータは、手柄が欲しいんだよ。自分だけ、いい人になりたいのさ」
「あぁ、そうか、だから手伝いを頼まず、一人でやってしまうんだ」
「そうそう、褒められたいのさ。イヤな奴だよな」
修行僧たちは、ガータの日頃の態度から、ガータは長老に対してゴマスリをしている、と噂し合っていたのであった。こうしたことから、ガータはただでさえ、他の修行僧と会話などない方だったのだが、益々、周囲から修行仲間が消えていったのである。今では、誰もガータには寄り付かなくなっていた。
また、ある時など、ガータが何か長老から頼まれると
「ふん、またガータのゴマスリが見られるぜ」
「どうせまた、一人で頼まれたことをやって、『あぁ、大変だった、こんな大変なことを一人でやり遂げた』とか言って自慢するんだ」
「嫌味な奴だよな」
とボソボソ陰口を言っていたのだった。ガータは、当然そうした声は聞こえていたが、無視をしていた。
(ふん、せいぜい悪口を言っているがいい。私は、お前らとは違うんだ)
と心の中で叫んでいたのだった。
こうして、ガータはついに孤立してしまった。もはや、彼の周りには誰もいなくなり、彼はいつも一人で修行していたのである。
それを見かねたシャーリープトラ尊者が声をかけた。
「ガータ、今日も一人なんだね・・・。一人で困ることはないかい?」
「何も困りませんよ、尊者。修行は一人で行うものです。煩わしい者たちが周囲にいなくて清々します」
「ふむ、そうなのかねぇ・・・。私はね、君を見ていると、そう思えないんだよ。修行も身が入っていないように思うのだが・・・。本心は・・・」
ガータは、シャーリープトラ尊者の言葉をさえぎって言った。
「私がなんだというのですか?。修行に身が入っていないと?。そ、そんなことはありませんよ。一人の方が私はいいのです」
「しかし、いろいろ議論したりすることも必要なのではないか?。わからないこととかもあるだろうに」
「いいえ、わからないことなどありません。議論の必要もありません。私は、一人がいいのです。放っておいてください!」
ついにガータは、シャーリープトラ尊者にも、そう言ったのだった。尊者は、大きくため息をつき
「まあ、もし何かあったら、素直に私に言いなさい。いつでも話を聞きます」
と言って、ガータの元を去ったのだった。
尊者の姿が見えなくなると、ガータは、
「あぁ、ついに尊者にまであんなことを言ってしまった・・・。本当は、尊者と一緒に修行したかったのに・・・。世尊の教えはわからないことだらけで、質問したいことは山ほどあるのに・・・・。なんで、なんで、私は、いつもいつも思っていることと正反対のことを口にしてしまうのだろうか・・・」
と一人泣き出したのであった。

「それはね、汝が弱味を見せまい、と意地を張っているからなのだよ。他人にものを頼むこと、素直に頭を下げること、それを汝は、弱味を見せることと思い込んでいるからなのだ。そんなことは全く弱味ではないのだが・・・。汝は、大きな勘違いをし、素直に本心を出せないでいるのだ・・・」
跪いて泣いていたガータの耳に優しい声が響いてきた。
「だ、誰・・・誰ですか・・・」
ガータは、泣きぬれた顔をあげた。周りを見渡すが誰もいなかった。
「空耳か・・・。ふん、意地っ張りなのはわかっているさ。でも、ついつい意地を張っちゃうんだよ。あぁあ、そんな性格だよなぁ。何とかならないかなぁ・・・」
ガータは、大の字になって寝そべった。
「弱味を見せないように・・・か。そうかもしれないな。いや・・・そうだ、私は周囲の者からバカにされたくないと思っているのだ。こんなこと手伝ってもらったらバカにされる、と思っているのだ。あぁ、そうなんだ。こんなこと質問したら、バカにされると思っているんだ。そう、バカにされたくないんだ。あんなヤツらに・・・。えっ?、私は今、あんなヤツらと言ったよな。あんなヤツら・・・・。あぁ、みんなを見下していたのか・・・。見下しているからこそ、バカにされると嫌なんだ。そうか・・・。弱味を見せたくない、というのはそういうことか・・・・。他の者を私は見下している、だから素直に頼むことができない。頭を下げられないのだ。あぁ、そうだ、私は人にものを頼むことは、自分の弱みを見せることだと勘違いしていたのだ。人にものを頼むことは、自分の弱みを見せることなどではないのだ。お互いに上も下もないのだから、お互いに協力し合えばいいのだ。私が、相手を下だと見下していたからこそ、頭を下げることに抵抗があったのだ・・・。そうか、間違っていたのは自分の方だったのだ・・・」
ガータは、起き上がると正座して言った。
「いま、自分の愚かさに気が付きました。すべては、あんなヤツらと見下していた、己の醜い心がいけなかったのです。心の片隅では、一緒に修行したい、仲間になりたいと思いつつも、素直になれませんでした。それは、自分が優位に立ちたいと意地を張っていたからです。そんなことは、本当はどうでもよかったのです。本心は、いつもいつもみんなと一緒に修行がしたかった、ということだったのです。いま、その間違いに気が付きました」
ガータは、そういうと頭を地面につけたのだった。そして、ふと顔をあげると
「では、私はどうすればいいのでしょうか・・・。どうしたら、皆の誤解を解けるのでしょうか・・・・」
とつぶやいた。すると、またあの優しい声が聞こえてきた。
「素直になればよい。素直に本心を語ればよい」
ガータはしばらく考えた。
「あっ、そうか・・・。素直に謝ればいいのですね。そして、『本当はみんなと一緒に修行がしたいのです。作業も本当はみんなと一緒にしたかったのです。ごめんなさい』と言えばいいのですね?」
ガータは、空に顔を向け、そう叫んでいた。すると
「そうだ、その通りだ。さぁ、今すぐに行け。勇気を奮って、今立ち上がるのだ」
と声が響いてきた。その声に勇気づけられたかのように、ガータは立ち上がった。その顔は、晴れ晴れとした笑顔だった。


天邪鬼という言葉、皆さんご存知ですよね。本心とは反対のことをついつい言ってしまう人のことをさしてそう言います。
「アイツは天邪鬼だ。ホント、素直じゃないねぇ」
などと言いますね。どこにでも、一人や二人は天邪鬼な人、いるのではないでしょうか?

本当は手伝ってほしいのに
「いや、いい。大丈夫、一人でできるから」
なんて意地を張って、てんてこ舞いをしている人や、本当は誘って欲しいのに
「そんなつまらない集まりなんて・・・」
とおすまし顔で冷たく言う人って、どこにでもいますよね。実際は、周りの人たちには、
「素直になればいいのにね」
と、その人の本心はバレバレです。バレてないと思っているのは、意地を張っている本人だけだったりしますな。

なぜ素直になれないのか・・・。
それは、弱味を見せたくないからなのでしょう。素直になると負けた気分になってしまうのでしょうね。別に勝負事ではないのに、勝ち負けとして考えてしまうのでしょう。相手に何か物事を頼めば、それが弱味を見せたことになり、そこに付け込まれるのではないか、と自己防衛をしているのかもしれません。誰もそんなこと周囲の人たちは考えていないのですけどね。一人で思い込んでしまっているのです。で、そこから誤解が生じ、さらに弱味を見せまいとして、さらに意地を張ってしまうことになるのですな。悪循環するのです。

弱味を見せてもいいじゃないですか。人間、弱いものです。意地を張ってもつらいだけです。もっと素直に周囲に甘えればいいじゃないですか。助けを請えばいいじゃないですか。甘えても、助けを請うても、誰もバカにしたりしませんよ。そんなことは、お互い様ですからね。お互いに助け合い、お互いに尊重し合って生きていくのが人間の本来の姿なのです。弱味を見せまいとして意地を張っても、周囲の人たちはバレています。ならば、意地を張るだけ損ですよね。
人は弱いものです。素直に助けを求めましょう。
合掌。


第149回
お互いに思いやりやいたわりをなくせば、
争いが生じるのは当然である。
お互い様という気持ちが大切なのだ。

トンビーは、働き者で知られていた。朝は早くから仕事場に行き、日の暮れるまで休まず働いた。働くことがトンビーの生きがいのようだった。
彼には、家族がいた。女房と子供が二人だ。彼の家は、ごく普通の家で、どこにでもある一般的な家庭であった。つまり、トンビーは、よく働いたが、稼ぎがそれほどいいわけではなく、常に生活はギリギリであった。そのため、女房も働きに出なければならなかった。しかし、トンビーは、女房が働きに出るのが気に入らなかった。渋々認めていただけである。なので、たまに二人は衝突することがあった。
「なんで、お前は働きに出るのだ!」
その日も、何が不服だったのか、トンビーは仕事から帰るなり女房を怒鳴った。
「仕方がないでしょ。子供たちにもお金がかかるんだし。あんたの稼ぎだけじゃ、足りないのよ」
「なんだと!、俺の稼ぎが悪いっていうのか!。俺がどれだけ働いていると思っているんだ!。いい加減にしろよ!」
「いったいどうしたんだい?。なんでまたそんなことを・・・・」
「うるさい!、俺が帰ってくる時間だってわかっているくせに、食事の用意すらできていないじゃないか!。それに、掃除だってしていない。なんだ、この汚さは。洗濯もたまっている。こんなことなら、働きに出るな!」
トンビーは、大声で怒鳴ると、プイッと外へ出て行ってしまったのだった。

その翌日から、女房は働きに出るのをやめた。怒鳴られるのは嫌だったから、トンビーに従ったのだ。彼女は、家の掃除をし、溜まっている洗濯をし、部屋の中を片付けた。
その日から、トンビーの機嫌はよくなった。
「そうだ、これでいいのだ。俺が帰ってくる時間に、食事の用意ができている。理想的ではないか。こうでなくては、女房の意味がない。あはははは」
彼は、上機嫌で食事を済ませた。
しかし、トンビーの稼ぎが増えるわけではなく、女房の収入が減った分、生活は苦しくなってきた。
ある日の夜のことだった。
「おい、なんだ、この食事は、こんな貧乏くさい飯が食えるか!」
トンビーは、帰って来るなり、用意されていた食事を見て怒鳴った。
「仕方がないでしょ。お金がないんだよ」
「なんだと、俺がこんなに働いているのに金がないだと?」
「あぁ、そうだよ、お金がないんだよ。あんたの稼ぎだけじゃあ、これで精いっぱいなんだよ」
「な、なんだと、もういっぺん言ってみろ!。誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ!。金がないだと!。それは、お前のやりくりが下手なせいだろ!。このクソ女!」
「な、なによ!。大して稼いでこないくせして、エラそうなこと言うんじゃないわよ!。威張るしか能がないくせに!」
その日は、大喧嘩になってしまった。子供たちは、部屋の隅で小さくなっていたのだった。それ以来、二人は話すらしなくなってしまった。

ある日のこと。その日は、トンビーの仕事は休みだった。
「あぁ、まったく邪魔な男だ。そんなところにゴロゴロしていたら掃除ができないじゃないか」
トンビーが部屋で寝転がっていると、女房が掃除道具を持ってその部屋にやってきた。そして、彼が寝ているにもかかわらず、掃除を始めたのだ。
「おい、お前、何をするんだ。俺が寝ているのがわからないのか?」
「邪魔なんだよ。あんたが邪魔なの。ちゃんと掃除をしろと言ったのは、あんたじゃないか。私は、あんたの言いつけを守って掃除をしているんだよ。邪魔だからどいておくれ」
「何も休みの日に掃除をしなくてもいいじゃないか。休みの日くらいゆっくりさせてくれ」
「うるさいねぇ。いいかい、どこの父親も、休みの日は子供と遊びに行っているんだよ。うちくらいだよ、子供がどこにも連れて行ってもらえないのは」
「俺は疲れているんだ。毎日毎日、外で必死になって働いているんだ。そのおかげでお前たちが生活ができているんだろ。休みの日くらい、ゆっくりするのが当然だろうが!」
「ふん、よく言うよ。本当にまともに働いているのかねぇ。朝早くから日の暮れまで働いて、あの稼ぎかい?。よその旦那は、そんなに働きゃ、もっと稼いでくるんだけどねぇ。あんたは、能なしだから給金が安いんじゃないのかい?」
「なんだと、このクソ女!。もういっぺん言ってみろ!」
ついに、その日も取っ組み合いのケンカとなってしまった。

結局、女房は再び働きに出ることになった。トンビーも渋々それを認めたのだった。彼自身も、自分の稼ぎが少ないことは承知していたのだ。
女房が働きに出ると、家の中は、また掃除が行き届かなくなり、洗濯が溜まるようになった。しかし、食事はよくなったのも事実だった。
「おい、食事がよくなったのはいいが、この家の中はなんだ」
また、トンビーの文句が始まった。
「仕方がないでしょ。働きに出てるんだ。そこまで手が回らないのよ」
「朝早くから、夜遅くまで働いているわけじゃないだろ」
「朝、洗濯してたら、仕事に間に合わなくなるんだよ。仕事から帰ってきたら、食事の用意が待っているんだよ。あんたは、食事が豪勢じゃないと文句を言うじゃないか。しかも、あんたは帰ってきたらすぐに食事をしたがる。これだけの食事の用意には、時間がかかるんだ。あんたの時間に合わせていたら、、私は仕事から帰ってきたら、すぐに取り掛からなきゃならない。洗濯や掃除をする暇なんてないよ」
「なんだと、じゃあお前は、洗濯がたまっているのも、掃除が行き届かないのも、全部俺のせいだというのか」
「あぁ、そうだよ。あんたが、もっと沢山金を稼いできてくれたら、掃除も洗濯もちゃんとできるさ」
「なんだと、お前は俺をバカにしているのか!」
「なんだよもう・・・。本当のことを言っただけなじゃないか。実際、あんたの稼ぎが少ないからこうなっているんだろ。この間、あんたも認めたじゃないか。だから、私が働きに出たんだろ。いい加減にしておくれよ」
「うるさい!。確かに働きに出ていいとは言ったが、家事をさぼっていいとは言ってないぞ!」
「別にさぼっているわけじゃないでしょう。時間がないって言っているんだよ。文句があるなら、あんたも手伝ってくれればいいじゃないか。食事の後片付けをあんたがしてくれれば、その間に洗濯ができるじゃないさ」
「なんだと?。俺に皿洗いをしろっていうのか!。何で俺がやらなきゃいけなんだ。それはお前の仕事だろ」
「なんで私ばっかりに負担をかけるのさ。少しは手伝ってくれたっていいじゃないか。私だって働いているんだ。遊んでいるわけじゃない」
こうして、また二人は取っ組み合いのケンカを始めたのだった。

「あぁ〜あ、またお父さんとお母さんがケンカを始めたよ。もううんざりだな」
「そうだね、兄さん。ねぇ、兄さん、もうこんな家、出ていこうよ」
「お前もそう思うか?。俺もそう思っていたんだ。そうだな、二人で出ていくか・・・」
トンビーの子供は、ケンカばかりしている両親にほとほとうんざりしていた。そこで、ついに二人は家を出てしまったのだった。
トンビー夫婦は、取っ組み合いのケンカの真っ最中だったので、子供たちが家を出たことに気付かなかった。彼らが、子供たちが家にいないことに気付いたのは、翌朝のことであった。
「あ、あんた、大変だよ!、子供たちがいない!」
「なんだと・・・。えっ?、なんだって?」
二人は、大慌てで家の中を探したが、子供たちの姿はどこにもなかった。
「お前が、しっかりしないから子供たちが出ていったんだ」
「なに言ってるんだい!、父親らしいことも何にもしてないくせに。あんたみたいな父親に嫌気がさしたんじゃないのかい!」
「なんだと!、俺のせいだっていうのか!」
再び、二人は取っ組み合いのケンカを始めたのだった。
「ちょっと、あんたたち、ケンカしている場合じゃないだろ。外へ出て子供たちを探した方がいいんじゃないかい?」
そう声をかけてきたのは、隣の住人だった。
「毎日毎日、よくそんなにケンカができるねぇ。そんなんだから、子供たちが出ていくんだよ。うちも、近所のみんなも言っているよ。あんたらのケンカの声に、もううんざりだって。いい加減にしなさいよ」
いつの間にか、近所の連中が集まり、トンビー夫婦を責めたてた。
「いいからさっさと子供を探しにいきな」
その言葉に、トンビー夫婦は外へ慌てて駆け出して行ったのだった。

「何をあわてているのですか?」
走り回っているトンビー夫婦に声をかけた者がいた。
「なんだ、修行僧か・・・。あぁ、いや、ちょうどいい、あんた、このくらいの男の子二人を見なかったか?」
「あぁ、あなたたちは・・・ひょっとしてトンビーさんですか?」
「あぁ、そうだが、なんで・・・」
「あなたたちのお子さんなら、祇園精舎で預かっていますよ」
トンビーの子供たちは、ウロウロ歩いているうちに祇園精舎にたどり着いたらしい。そこで、修行僧たちが、二人を精舎に泊まらせたのだった。
トンビー夫婦は、事情を聞き、あわてて祇園精舎に向かった。

「あなたたちがトンビー夫妻かな?」
お釈迦様は、彼らに向かって厳しい顔を向けた。
「お子さんを連れて帰る、ということかな?」
トンビー夫婦は、「はい、ご迷惑をかけました」といって、頭を下げた。
「困ったねぇ・・・お子さんたちは、帰りたくないと言っているが・・・。どうしようか・・・・」
「な、なんですと・・・。子供たちが帰りたくないと・・・・」
「そう、あんな家には帰りたくない、と言っているのだよ。毎日毎日、ケンカばかりしている親を見るのはもう嫌だ、と言っているのだ。できれば、このまま出家したい、とそう言っているのだが・・・・」
お釈迦様の言葉を聞き、トンビー夫婦は、うなだれてしまった。
「さて、どうするね。汝ら、そんなに毎日ケンカばかりしているのかね?」
二人は、もじもじするばかりで、何も答えられなかった。
「黙っていては、先に進まないな。仕方がない。子供たちは、このまま出家させるとするか。アーナンダ、出家の儀式の用意をしなさい」
「ちょっと待ってください。待ってください、お釈迦様・・・」
「話す気になったかね?」
「は、はい・・・。確かに、毎日、私らはケンカをよくしていました。しかし、それもこれも、この女房が悪いんで・・・」
「な、なんだって?。何で私が悪いんだい?」
「いいから、お前は黙ってろ・・・。こいつが、いつもこんな調子で、ケンカを始めるんですよ。それを俺がなだめているんですが・・・」
「あ、あんた、何をウソばっかり言っているんだい!、いい加減にしておくれよ」
「う、ウソじゃないだろ、本当のことだ。お前が悪いんじゃないか!」
「な、何を・・・あんたって人は・・・」
二人は、お釈迦様の前で取っ組み合いのケンカをしそうになっていた。
「あの・・・、お釈迦様の前です。ケンカはおやめください。それに、ウソをついても、お釈迦様は、お見通しですから・・・」
割って入ったのは、アーナンダだった。彼の言葉に、二人は我に返ったのだった。
「す、すみません・・・」
お釈迦様は、深くため息をついた。
「愚かな者たちよのう。汝ら、愚かなものよ。なぜ、そのように争うのだ?。よく考えてみなさい。答えが出ない限りは、汝らの子供たちに会わせるわけにはいかないな」
お釈迦様は、そう冷たく言い放ったのだった。

しばらくしてトンビーが口を開いた。
「その・・・、私は、女房は男に従い、男の言う通りになればいいと・・・・、そう思っていますので、こう口答えする女房が、気に入らなくて・・・・、で、ついつい怒鳴ってしまうのです。こいつが、私の言う通りに従ってくれれば、何も怒鳴ることもないし、ケンカにもなりません。悪いのは、口答えをするこいつなんです」
「な、なんだって・・・あんた、私がすべて悪いっていうのかい?。あんたって人は、この期に及んで・・・。お釈迦様、聞いて下さい。この人は、自分勝手で、自分の言い分ばかり通そうとするんです。できるわけがないことを私にやれと言ったり、何でもかんでも私に押し付けてくるんですよ・・・」
女房は、怒涛のごとくトンビーの日常について語り始めた。
「いい加減にしないか、そういうところが、お前の悪いところだ!」
トンビーが割って入った。そして、二人はにらみ合い、お互いに「お前が悪い」、「あんたが悪い」と言いながら、取っ組み合いのケンカを始めたのであった。
その時、何かが光った。次の瞬間、トンビー夫妻は、二人とも、ひっくり返っていた。お釈迦様が、神通力を使って、二人を止めたのだった。
「いい加減にしないか、二人とも。そのような様子では、とても子供たちを引き渡すわけにはいかん」
重々しい声で、お釈迦様は言い放った。一瞬にして、二人は小さく固まってしまったのだった

「そうやって、お互いに人のせいにしているうちは、何も変わらない。子供たちだって、家に帰ることを拒むであろう。よく考えよ、トンビー。汝が、安心して働きに出られるのは、誰のお陰だ?」
そうお釈迦様に問われたトンビーは、しばらく考えたのち、しぶしぶ
「女房が家を守っているおかげです」
と答えた。続いてお釈迦様は、女房に向かい
「汝らが生活できるのは誰のお陰だ」
と尋ねた。女房は、嫌々ながらも、すかさず
「この人が働いているおかげです」
と答えた。しかし、そのあとに
「でも、この人は、自分の稼ぎに見合わず、贅沢をいうんです。その贅沢に合わせようとしたら、私は働きに行かねばなりません。働きに行けば、家のことは・・・手が回らなくなります・・・。それを責められれても・・・」
「そうだな。汝の言うことは、もっともなことだ。さて、これについて、トンビー、汝はどう思う?」
「うっ・・・。うぅぅん・・・」
トンビーは、うなったまま、下を向き、黙り込んでしまった。
しばらくして、お釈迦様が、穏やかに話し始めた。
「よいか、二人ともよく聞くがいい。お互いに、お互いのことを思いやり、いたわる気持ちがなければ、争いが生じるのは当然のことであろう。お互いが勝手なことを言い、その言い分を通そうとすれば、争わねばならなくなる。それは、当然のことなのだ。よいか、苦労しているのは、己だけではない。つらい思いをしているのは、自分だけではない。お互いに、お互いのやるべきことがあるのだ。そこを認めてあげなければ、お互いに分かり合えることはないのだよ。いつまでも、争いを続けることになるのだ。
毎日働いてくれてありがとう、毎日家事をしてくれてありがとう・・・、とお互いに言えるようにならなければ・・・いや、言葉にしなくても、そうした心を持っていなければ、夫婦は成り立たないのだ。相手を思いやる気持ちを忘れ、自分の利益ばかり、自分の言い分ばかりを通そうとしたら、争いが生じるに決まっているであろう。相手を思いやる気持ちを持っていれば、争うような口調にはならないし、お互いに協力し合えるものなのだ。
よいか、汝らがそういう気持ちになれないのであれば、汝らの子供らを返すわけにはいかない。汝ら、お互いにお互いをいたわる、思いやる気持ちを持つことだ。しばらく、私が様子を見ることとしよう。汝らが、本当にお互いを思いやることができるようになったならば、子供たちを汝らに返そう。それまでは、ここ祇園精舎で預かることとする、よいな」
お釈迦様にそう言われ、二人は「申し訳ございません」と頭を下げたのだった。

その後、トンビー夫婦は、次第に夫婦ゲンカが少なくなっていった。毎晩のようにあった言い争いや取っ組み合いのケンカの声は、次第に聞かれなくなっていったのだった。
そして半年後、久しぶりにトンビー一家4人の姿が見られるようになったのである。


「誰のお陰で飯が食えると思っているんだ!」
と、このようなくだらないセリフをいまだに言う旦那がいると聞いて、私は驚いてしまいました。いったいいつの時代の人なのでしょうか?、と思ってしまいます。
今どき、こんなセリフを吐くとは、情けないですよねぇ。

「誰のお陰で・・・」
なんてセリフを家で吐く旦那は、きっと会社でもうまくいっていないのでしょう。まあ、そんな態度だからこそ、会社でも相手にされないのかも知れませんが・・・。こういう人は、いまだに
「男は偉い、女子供は父親に従うものだ」
と思い込んでいるのでしょうね。どこかに、男尊女卑的考えが残っているのですな。
日本の男性には、いまだに男尊女卑的考えを持っている人が少なくないように思います。男女平等が謳われてずいぶん経ちますが、特に田舎へ行くと、いまだに「長男は偉い」とか「父親の言うことは絶対だ」みたいな風潮が残っていますな。ご老人の方々の考え方が、昔のままなんですね。

夫婦というのは、お互いに平等です。夫が偉い、女房が偉い、などという差別はありません。お互いに、平等に偉いのです。
夫は、外で働いて家族を養うのが役割です。奥さんは、夫の留守を守り、家事をこなし、快適な家庭を維持するのが役割です。夫の収入だけで足りない場合は、奥さんも働きに出ます。その分、夫は奥さんの手伝いをしなければいけません。奥さんが、夫の役割を少し担うのですから、夫だって奥さんの役割を少し担うのは当然でしょう。それが平等というものです。
お互いにお互いを助け合う、そういう気持ちがなければ、夫婦関係はうまくいきませんよね。
「家事を手伝って・・・」という奥さんに対し、「なんで俺が・・・」とか「俺は外で働いて疲れているんだ」なんて言う夫は、身勝手な夫と言わざるを得ません。疲れているのは夫だけではないし、働いているのは夫だけではないのですから。
逆に「稼ぎが悪い」だの「出世できないダメ夫」などとバカにするのもいけませんな。稼ぎが悪くても、働いてきてくれるのは間違いないからです。そのお陰で生活ができるのも事実なのですからね。

「相互礼拝 相互供養」
という言葉があります。
「お互いに尊敬しあい、お互いに養いあう」
という意味です。お互いに相手を思いやり、いたわり、感謝しあう、ということですね。そういう気持ちがあれば、争いは生まれませんし、人間関係はうまくいくのです。
家庭の中でも、職場でも、人と人が関わる場所であればすべてにおいて、
「相互礼拝 相互供養」
という言葉を忘れないでいたいですね。
合掌。


第150回
この身におきた苦しみも辛さも痛みも、
誰を恨むことなく、誰のせいにするでもなく、誰に八つ当たりをするでもなく
素直に受け入れるべきである。
なぜなら、それは己の身におきたことだから。


「なんで俺だけが、こんな目にあわなければいけないんだ!」
ターラマプッタは、そ叫び嘆いた。
「明日からどうやって生きていけばいいんだ・・・・。いったい俺が何をしたというのだ。はぁ・・・・」
溜息をつき、少し歩いては、また溜息をついた。立ち止っては、首を振り、彼は愚痴をこぼした。
「神様だって祀っているじゃないか。祭礼も欠かしたことはない。町のバラモンにも布施をしている・・・・。いやいや、それだけじゃないぞ」
そして、彼はとぼとぼと再び歩きはじめた。その足取りは、力のないものだった。
「そうだ、神々に祈ったり、バラモンに布施しただけじゃない。最近よく来る修行僧にも食事を施している。あの托鉢に来る修行たちにも、俺は惜しみなく食事を施してきた。それなのに・・・・」
ブツブツつぶやきながら、彼はゆるゆると歩いて行った。
「はぁ・・・・。あの修行僧たちは言っていた。『これは大変な功徳です。汝に幸あれ』と・・・・。バラモンだって言っていた。『我々に布施すれば、何も不幸なことはおこらない』と。『神々に祈れば、祭祀を怠らなければ、益々幸運となっていくであろう』とも言っていた。なにが幸運だ。なにが不幸はおこらないだ。うそばっかりだ・・・・。どいつもこいつもウソつきばかりだ。この世に神も仏陀もあったもんじゃない。あんなものは、まやかしだ!。くっそたれ!」
小さな川のほとりまで来ると、彼は、川辺に座り込んだのだった。涼しい風が彼のほほをなでた。
「はぁ・・・。俺はいったいどうすればいいんだ・・・・」

数日前のことである。ターラマプッタは、身体の不調を仕事仲間に訴え始めた。
「なんだか、このところ調子が悪いんだよな」
「どうしたんだ?」
「身体がだるくて、力が出ない。それにお腹が痛くてな・・・」
「腹を壊しているんじゃないのか?。食い過ぎか?」
「食い過ぎじゃないよ。いや、本当に調子が悪いんだ」
「しかし、お前がそんなことをいうなんて珍しいな。『俺の身体は金剛石だ』って、いつも自慢していたもんな」
「あぁ、そうなんだ。こんな感じは初めてだ・・・・」
「一度さ、医者に診てもらえよ」
「あぁ、そうしたいのはやまやまだが・・・。金がな・・・ないんだよ」
「あぁ、いい医者は金がかかるからな。あっ、そうだ、町はずれのウッタラ村があるじゃないか。あそこに親切でいい医者がいるって聞いたことがあるぞ」
「ウッタラ村か。近いな。行ってみるか」
「金がかかりそうなら、逃げてくればいい。とりあえず行ってみたらどうだ?」
このような経過で、ターラマプッタは、ウッタラ村の医者を訪ねたのだった。しかし、その結果はおもわしいものではなかった。
「おぉ、いかんのう。これは、お腹にできものができておる。これは、薬では治せんのう。腹を切って取り出すしかないが、そんなことができるのは王族の専門の医者だけじゃのう」
「ということは・・・・」
「ふむ。まあ、死を待つだけじゃな。わしにできるのは、せいぜい痛みを和らげる薬を出すことくらいじゃ。あぁ、薬だけなら金はいらん。薬草は、裏庭にいっぱい生えておるからのう」
医者にそう言われ、ターラマプッタは、失神しそうなくらいになってしまった。
「は、はぁ・・・、そうですか・・・。じゃあ、俺は・・・・もう生きられないんですか・・・・」
「むう、そういうことじゃのう。まあ、とりあえず、この薬を飲みなさい。もしかしたら、効果があるかもしれん。できものが小さくなるかもしれん。とにかく、薬を飲むことじゃ」
医者に渡された薬を片手に、彼は自宅に帰ろうとしていたのだ。しかし、足はいつの間にか、小さな川沿いに向かってしまっていたのである。
「う、うぅぅ、腹がいてぇ・・・。あぁ、そうだ。この薬を飲んでみるか」
川の水は、澄んでいて綺麗だった。その水で彼はもらった薬を飲んでみた。しばらくすると、痛みが消えた。
「はぁ、痛みが治まった。この薬、効くじゃないか」
ターラマプッタは、薬を大事そうに抱え、立ち上がった。

翌日のことだった。仕事場に顔を出したターラマプッタに、仕事仲間は声をかけてきた。
「どうだったウッタラ村の医者は」
「あぁ、確かに金はとらなかった。薬もただでくれた。だけど、あれはヤブ医者だ。俺を見捨てやがった」
「えっ?、どういうことだ?」
「俺を見捨てたんだよ。俺はな、もう助からないんだとさ。ちっ、俺はな、もう死ぬんだそうだ」
「おいおい、冗談だろ。お前、元気じゃないか」
「うるせー、元気じゃねぇ。俺の腹には、できものができているんだってさ。それが痛いんだよ」
「そ、そうなのか・・・。それは取り除けないのか?」
「取り除けないんだよ。どうしようもないんだ。あぁ、死ぬとわかっていて、仕事なんかしてられるか。だいたいな、俺がこんな病気になったのも、こんなところで働いているからだ。クソ暑くて、休みはなし。毎日毎日、畑を耕してばかり・・・・。食い物もろくに与えられず、水だって濁った水しか飲めねぇ。だから、腹にできものができたんだ。何もかも、ここの主のせいだ!」
「そ、そうか?。俺たちもお前と同じものを食べて飲んでいるけど・・・・。働く量も同じだと思うが、俺たちは平気だぞ」
「そんなことはない。そのうちにお前たちも同じような病気になるさ。ここの土地が腐っていて、ここの水が腐っているんだ!」
大声でそう叫んだ時、彼らの雇い主が現れた。
「なんだとターラマプッタ!。お前の言ったことは聞き捨てならない。ここの土地が腐っているだと?。ここの水が腐っているだと?。どういうことだ!」
「あぁ、そうだよ。俺はな、毎日毎日、神様に祈ってきたさ。町の祭礼にも参加した。欠かしたことなんてない。バラモンにも少ないながらも布施をした。修行僧にも施しをしたさ。でもな、いいことなんてちーっともない。悪いことだらけだ。挙句の果てに、治らない病気だ。あれだけ祈っていたのにこんな病気になったのは、この土地が腐っているからに違いない。他に原因がないんだよ」
「お前、これまで雇ってやった恩を忘れたか!。そんなことを言うなら、もうここで働かなくていい。とっとと出ていけ!」
雇い主に怒鳴られ、ターラマプッタは、「こんなとこ出てってやる」と叫び、さっさといなくなってしまった。
「あ、いててて、腹がいてぇ・・・・」
彼は、急激なお腹の痛みに、薬を飲もうと、昨日の小さな川までどうにかこうにか、やってきた。
「ここの水はうまいからな。ここの水で薬を・・・・」
薬のお陰で痛みはひいていった。
それからというもの、ターラマプッタは、お腹が痛みだすと、この小川に来ては薬を飲むようになったのであった。しかし、やがて、その薬も効かなくなってきた。
「くっそ、あのヤブ医者め!、いいかげんな薬を渡しやがって!」
そうしているうちに、彼の姿は見られなくなった。

ある日のこと、ターラマプッタの友人が、彼の家を訪ねた。
「何しに来た!。俺を笑いに来たのか?。お前らの顔なんぞ見たくない!」
「おいおい、そう興奮するなよ。余計に腹が痛くなるぞ」
「うるさい!。あ、いてててて」
「ほら・・・・」
「うるせぇ・・・。あぁ、こんな病気なったのも、あの雇い主のせいだ。くっそー、何で俺だけが・・・。俺が何をしたっていうんだ・・・。俺だって真面目に生きてきたのに・・・・。何でこんな目に遭わなきゃいけないんだ・・・・」
「あのなぁ、そう嘆いていても仕方がないだろう。おい、俺について来い。さぁ、立って・・・」
その友人は、ターラマプッタを立たせると、無理やり外へと連れだした。
彼が行った先は、祇園精舎だった。彼らは、お釈迦様を訪ねた。

お釈迦様は、木陰で横になっていた。
「世尊は、今休んでおられる、後にしてくれませんか?」
アーナンダは、そう言ったが、お釈迦様は、
「よい。話があるのだろう。どうした言うのだ?」
と、横になったままで答えたのだった。ターラマプッタの友人が尋ねた。
「お釈迦雅は、なぜ横になっておられるのですか?」
「あぁ、すまぬな。腹がいたむのだ。このところは、よく背も痛むようになった。昨日は、1日100回以上もの下痢が続いた。ジーヴァカの薬で、何とかなったが、今日も腹は痛む」
そういうと、時折お釈迦様は、眉間しわを寄せ、顔をしかめたのだった。
「お、お釈迦様でも病気になられるのですか?。仏陀は、金剛不壊の身体・・・金剛石のように決して壊れない身体・・・だというじゃないですか。それなのに・・・」
「それは間違っている。よいか、この世に生まれた以上、誰もが老い、病にかかり、やがて死ぬのだ。老いない者はいないし、病にかからない者はいないし、死なない者もない。私ももちろん例外ではない。私も老いるし、病にかかるし、やがて死ぬであろう。それは、仏陀であろうと免れるものではないのだ」
「しかし、金剛不壊の身体と・・・・」
「金剛不壊の身体ではない。どこをどう間違って伝わったのか・・・」
そういうと、お釈迦様は少し微笑んだ。しかし、その間にも、苦しそうな表情は消えなかった。
「よいか、金剛不壊なのは、身体ではない。心なのだ。心が金剛石のごとく固くできており、決して壊れることがないのだ。よいか、私とて病気はする。もはや、この身体は、多くの病気を抱えているといったほうがいいであろう。しかし、悟りを得た者は、たとえどのような病気に苦しめられようとも、その病気に対し、いつも冷静でいられるのだ。病気になった原因を他人のせいにせず、この痛みも苦しみもつらさも、すべて受け入れているのだよ。この身体におきた病気なのだ。誰の身体でもない、我が身におきだ病気なのだ。受け入れるのは、当然であろう。誰かのせいで病気になったのではない。わが身の責任で病気になっているのだ」
そこまで聞いて、ターラマプッタが言った。
「そうは言いますが、お釈迦様。私は、これまで神々に祈り、祭礼も欠かすことなく行い、バラモンを手厚くもてなし、皆さんのような修行僧にも多く施しをしてきた。彼らは、皆言います、功徳が積めると、幸あれ、と・・・。ところが、幸どころか、私は治せない病気にかかってしまいました。こんなことってありますか?。あんなに一生懸命に祈ったのに、なんで私が不治の病に・・・・。もっと悪辣で、神をも畏れぬ者で、快楽を貪っている者が、不治の病にかかるならわかります。俺なんか、真面目に働いてきたのに・・・・」
彼は、ついに泣き出してしまったのだった。

お釈迦様は、上を向いた。大きく息を吐くと
「そういうことか。よいか、神々に祈ることと、病気にならないことは、決して関係はしていない。神々に祈るものが、病気にならないのであれば、すべてのバラモンは病にはならぬ。バラモンであっても病気にはなるし、最後は病で死ぬのだ。若くして亡くなるバラモンもいる。神に祈って病気にならないのであれば、この世から病は消えてなくなるであろう。病気にならないために神に祈ることは、意味がないことである」
と、きっぱりと言ったのだった。
「じゃあ、あいつらは俺を騙していたのか?。俺は、騙されたのか?。なら、今までの祭礼につぎ込んだ金を返してもらいたい!」
「それは違う。そこは勘違いしてはならぬ。汝は、今まで、神々を祀ることで、安心を得ていたではないか。神々を祀ることで、心の安らぎを得ていたはずだ。それがたまたま病気になっただけのことで、その原因を神々のせいにするのは、筋が通っていないであろう。病気は誰もがかかるものだ。もし祈るならば、少しでも痛みが引くように、安らぎが得られるようにと、祈ればいい。それが神々の役割であろう。汝は、神々やバラモンに八つ当たりをしているだけなのだ。筋違いの、八つ当たりである」
お釈迦様は、再び横を向いた。
「よいか。誰もが老い、病にかかり、死を迎える。生きていくということは、それらのことと付き合っていくということなのだ。己の身体におきる痛み、苦しみ、辛さと付き合っていくことが生きるということなのだ。だからこそ、生もまた苦しみなのだ。その苦しみからは、誰も逃れられない。たとえ仏陀と言えども。ならば、素直にその苦しみも痛みも辛さも受け入れたらどうだ。誰を恨むことなく、誰に八つ当たりをするでもなく、受け入れたらどうなのだ。なぜならば、その痛みも苦しみも辛さも、誰のせいでもないからだ。すべては、己の身におきたことであり、他人の身体で起きたことではないからだ。すべて己が原因となっているからなのだ。
ターラマプッタよ、誰を恨むことなく、誰のせいにすることもなく、誰に八つ当たりをすることもなく、金剛不壊の心を持ち、静かに過ごしてはどうだろうか?。心穏やかに、残りの時を過ごしてはどうだろうか?」
お釈迦様は、優しくそう言ったのだった。

しばらくの沈黙ののち、ターラマプッタは、言った。
「ウッタラ村の医者によると、私の病は治らぬそうです。痛み止めの薬もあまり効かなくなりました。腹が痛むと、私は、すべてを他人のせいにしてきました。己が悪いなどとは考えもしませんでした。そうですね・・・・。今さら誰かを恨んでも、誰かのせいにしても、誰かに八つ当たりをしても、俺の身体がよくなるわけではありません。ならば、心静かに過ごすのも悪くはないです・・・・。お釈迦様、私が死を迎えるまで、ここにいてもよろしいでしょうか?」
「あぁ、いいだろう。来たれ修行僧よ。ターラマプッタ、汝も今日から修行僧である。心静かに時を過ごすがよい・・・・」
お釈迦様の言葉に、ターラマプッタもその友人も、穏やかな顔をしたのだった・・・・。


「ご先祖様の供養をしていれば、病気にかかることもないし、事故に遭うこともない」
「神仏に祈っていれば、大きな病気などしない。不幸な目に遭わない」
などという宗教者がいます。お坊さんでもたまにいます。特に多いのは、新宗教・・・最近の新興宗教・・・でしょう。あるいは、拝み屋さんの類もそう言います。
しかし、これは、はっきり言って、ウソです。

確かに、神仏に祈っている人や、先祖供養をしっかりとやっている人は、大きな病にかかることも少ないし、大きな不幸に遭うことも少ないようです。これは間違いないと思います。経験上ですね。ですが、病にかからない、事故に遭わない、不幸な目に遭わない、とは限りません。いくら、神仏に祈っても、先祖供養をたくさんやっていても、深く信仰を持っていたとしても、病にかかる人もいれば、事故に遭う人もいます。そうでなければ、この世から事故も病もなくすことが可能になりますよね。しかも、お坊さんだって、事故をする人もいますし、病に倒れる人もいます。お坊さんだって、病むのですよ。
この神に祈れば、大金持ちになれるとか、この仏様に祈れば病気にならないとか、この神や仏に祈れば事故に遭わない、恋愛成就する、思い通りになるとか・・・・宗教はいろいろいいことを言います。でも、みんながみんな、そうなるわけじゃありません。もし、それが適うならば、私は大金持ちですし、何もかも思い通りになっていないといけませんよね。毎日祈っていれば、大金持ちになれるならば、こんなに楽なことはありません。しかし、現実は、それは有り得ないですよね。

御先祖の供養をしっかりと行えば、確かに運はよくなっていきます。平穏な生活を送る方が多いです。それは事実です。神仏に祈れば、願い事が叶うこともあります。思わぬ、幸運に出会うこともあります。祈願成就することも確かにあります。そうでなければ、神仏に祈る人も、これもいなくなるでしょう。神仏に祈る人が大勢いる、先祖を供養する人が大勢いる、ということは、それはそれで効果があるということです。
しかし、その効果は絶対、ということではありません。また、自分の祈願がすべて成就する、とも限りません。叶うこともあれば、叶わないこともあるし、少し叶うこともあれば、たくさん叶うこともあります。それは人それぞれです。

仏陀ですら病むのです。仏陀ですら、痛みを感じ、苦しみを感じ、辛さを感じるのです。仏陀と我々が異なるのは、その痛みや辛さ、苦しみを何かのせいにするか、自分の責任だと受け入れるか、の違いです。または、あまりの苦しさに、周囲の八つ当たりをしてしまうのが我々庶民で、誰に八つ当たりすることもなく、心静かに痛みと向き合うのが、仏陀なのです。

なったことは仕方がありません。大切なのは、そのなったことと、どう向き合うことか、なのです。誰を恨むことなく、先祖を恨むことなく、神仏を恨むことなく、誰のせいにするでもなく、誰に八つ当たりをするでもなく、心穏やかに・・・・金剛不壊の心を保ちつつ、苦しみや痛み、辛さを受け入れようではないですか。
恨んでも、他人のせいにしても、神仏を捨てようとも、誰かに八つ当たりしようとも、病が消えるわけではありません。ならば、心穏やかに過ごす方が、美しいのではないか、と思います。辛いことだとは思いますが・・・・。
合掌。


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