バックナンバー 32
アーラージャは、悩みこんでいた。 「どうしよう・・・、何をすればいいんだ・・・、わからない・・・・」 アーラージャは、健康そうな青年だった。見た目も悪いわけではなく、どちらかといえば好青年に見えた。しかし、彼は、何もしていなかったのだ。 「困った・・・。俺はどうすればいいんだ・・・」 アーラージャは、ごく普通の家庭に生まれた。彼の両親は、小さな町の役人であった。彼は、両親からすれば、待ちに待った子供であった。しかも男の子である。両親の喜びようは、それはもう大変なものだった。しかし、両親は、ちゃんとした大人になるよう、厳しく育てようとした。また、そのように試みもしたのだった。しかし、幼児のころはともかく、少年になると、アーラージャの扱いに困るようになったのだった。彼は、大変な怠け者で甘えん坊だったのである。否、それだけではなく、たいそうな自惚れ屋でもあったのだ。 そのころの一般家庭の子供たちは、その地域のバラモンの家に行き、勉強をすることになっていた。バラモンは、文字や算数だけでなく、国の成り立ちや伝統儀式など、様々な教育を行った。子供たちは、バラモンの元で学ぶだけでなく、家に帰ってからも勉強に励んだ。しかし、アーラージャは、 「あぁ、面倒くさいな。こんなこと、何で家に帰ってまでやらなきゃいけないんだ?。学校で十分だし。あぁ、嫌だ嫌だ」 と言って、家では勉強をしようとしなかった。父親は 「そんなことでは将来困るぞ。お前も私の後を継がねばならないのだ。つまり、町の役人になるのだ。だから、しっかり勉強しなければいけない」 と何度も諭し、叱咤したのだが、一向にアーラージャは、やる気を見せなかった。 「嫌なことはやっても身につかないよ。嫌々やっても仕方がないと思うよ。だってさ、頭に入らないんだよ。でも、学校でならやる気はあるよ。だから大丈夫だよ」 と、いつも言い逃れをしていたのだった。 そんな状態が、青年になるまで続いたのだった。彼は、自分がやりたくないことは、すべて「嫌だ、もっと先にやるよ」、「今やらなくてもいいでしょ。もっと大きくなったら学ぶよ」、「今はやる気にならない。やる気が出たらちゃんとやるからさ」・・・・などと、なんだかんだと理由をつけ、先延ばしにしたのだった。バラモンの先生の元で、彼が興味をもって学んだことは、身分についてだけであった。 「俺はさぁ、町役人の息子だから、うちの身分は高いんだよねぇ。バラモンに次いで高いんだ。武家階級だよね。へっへっへ。俺も将来は町役人さ」 彼は、自分の身分の高さだけを周囲に主張していた。他の子供たちは、そんなアーラージャをバカにし、無視をしていたのだった。いや、陰では 「あんな馬鹿なヤツが役人になったら、この町も終わりだ」 「父親は立派な人なのに、アイツはダメだ」 などと言っていたのだった。実際、アーラージャは、食べることと威張ることは一人前だったが、他は何のとりえもなったのだった。 そうして彼は、青年となったのだった。 そんなある日のこと。彼の両親が事故であっけなく亡くなってしまった。町長はアーラージャに 「父親の跡を継いで役人になってもらうことになる。大丈夫だな?」 と問いかけた。彼は 「はい、大丈夫です。任せてください」 と胸を張って答えたのだった。しかし、彼は何もできなかったのだった。 「おいおい、アーラージャ、お前さん、字も満足にかけないのか?」 「いえ、書けますよ、やだなぁ・・・」 「やだなぁ、じゃない。この書類を見てみろ。間違いだらけだ。仕方がない、もう書類の方はいい。こっちの仕事をやってくれ」 上司に命じられたのは、町中の家の数とその家に何人住んでいるかの調査だった。 「そんな簡単な事ならすぐにできます」 と彼は町に出て行ったのだった。しかし、夕方になっても彼は職場に戻らなかった。 翌日もアーラージャは、職場に顔を出さなかった。仕方がないので、上司は、他の者にアーラージャを探してくるように命じた。 彼を探しにいった者は、その光景にびっくりしたのだった。なんと、アーラージャは、川べりにのんびりと座っているではないか。 「何をしているのだ?」 「あぁ、えーっと、その・・・、どうやって家の数を調べたらいいのかわからなくて・・・。そこから数えると、数えているうちにどこを数えたのか、どこを数えてないのかわからなくなってしまって・・・。どうすればいいのか、考えていたんですよ」 「はぁ・・・お前なぁ・・・。いいや、いい、それで、いい考えは浮かんだのか?」 「う〜ん、それがなかなか難しんですよね。まあ、それは後回しにして、川を見ていたんですよね」 「おい!、なんで後回しにするんだ?」 「えー、今やらなきゃいけないことですか、それ?。今は、嫌ですよ。後でいいじゃないですか。後でも困らないでしょ?。それよりも、ほら川を見てください。魚がたくさん泳いでますよ。釣れるかなぁ・・・」 アーラージャを探しに来た者は、あきれ返って職場へと戻って行ったのだった。 やがて、アーラージャは、職場に顔を出さなくなった。彼は、家にこもって悩んでいたのだ。 「さて、困った・・・。食事をどうしようか。蓄えてあった食料は全部食べてしまった。お金は残っているから、食堂へ行くか・・・。しかし、着るものも困ったぞ。洗濯ができない。どうやって洗濯するんだっけか?。あーチクショウ、母さんに手伝えって言われたとき、手伝っておくんだったな。よく言われたよなぁ、『洗濯を手伝っておくれ』って。あぁ、そうそう、『買い物にも行ってきて』とか言われたなぁ。全部、『嫌だ、後で、また今度・・・』って、さぼったよなぁ・・・。はぁ・・・。字もなぁ・・・、もっと勉強すればよかったかなぁ・・・。何でもかんでも嫌だ嫌だと遠ざけたからなぁ・・・。この先、どうやって生きていけばいいんだろう・・・」 アーラージャは、頭を抱え込んでいたのだった。 そんな時、彼は托鉢の修行僧を見たのだった。 「あっ・・・、あの人は・・・あぁ、修行僧とかいう人か。へぇ・・・、家を回って食事をもらっているんだ」 彼は、その修行僧の後をついて行ったのだった。 「なぜあなたはついてくるのですか?」 修行僧は、振り返ってアーラージャに尋ねた。 「あなたたちは、そうやって毎日食事をもらっているんですか?」 修行僧の質問には答えず、彼は逆に修行僧に聞き返した。修行僧は 「そうですよ。私たちは、毎日このように托鉢をしております」 「ということは、食事には困らないってことですよね」 「はぁ・・・、まあ、困らないと言えば困りませんが・・・。でも、何も食事を得られない日もありますよ」 「ふ〜ん、でも、そういう日は少ないですよね」 「あの、何が知りたいのですか?」 「う〜ん、俺も修行僧になろうかな」 そう言って、アーラージャは、その修行僧にあとを祇園精舎までついて行ったのだった。 「出家したいのか?」 お釈迦様は、アーラージャに尋ねた。 「はい、俺はこの先どうしていいかわからないんです。ですから、出家したいんです。ここに居させてほしいんです」 「修行があるが、汝はできるのか?」 「はい、できます」 「厳しい修行もあるが、汝はできるのか?」 「はい、できます」 アーラージャの返事をお釈迦様は、いい加減な返事だと見抜いていたが、追い出すよりも出家させて経験させたほうがよいと判断したのだった。そうして、アーラージャは、修行僧となった。しかし・・・。 彼は、やはり怠け者だった。朝の托鉢には遅れる、修行中に居眠りをする、掃除や片付けの当番はダラダラと行い、長老や先輩僧からは毎日のように注意を受けていた。 「なぜ、言われたことを汝はやらないのだ?」 ある日のこと、お釈迦様はアーラージャに尋ねた。彼は、 「えーっと、その・・・・今やらなくてもいいかな、と思いまして・・・、後でもいいかな・・・と」 「それだけではなかろう?」 お釈迦様は、アーラージャを睨み付けた。彼は、小さくなり 「は、はぁ・・・。その面倒で、やりたくなかったんです・・・、すみません」 「やりたくないのなら、ここにいてはいけない。ここにいられる者は、修行をするものだけだ。托鉢も、沐浴も、掃除も、瞑想も、すべて修行だ。ここでの生活すべてが修行なのだよ。それができないならば、ここにいてはいけないのだよ、アーラージャ」 お釈迦様の厳しい言葉に、アーラージャは、がっくりと肩を落とした。 「アーラージャよ、汝は今までも『嫌だ嫌だ』といって、本当はやらなければいけないことをやってこなかったのではないか?。何一つ、自分で努力をしてこなかったのではないか?。ただただ、ダラダラと毎日を過ごしてきただけではないのか?。その結果が今のこの状態ではないのか?」 「は、はい・・・、その通りです。俺は・・・あっ・・・私は、今まで全部を嫌がって何もしませんでした。勉強も、手伝いも・・・。毎日、ただぼんやりと生きてきました」 「よいかアーラージャ、もうわかっていると思うが、やらねばならないことを『嫌だ、面倒だ、自分がやることではない』と遠ざけていては、何も身につかないだけではなく、結局は自分が苦しむことになるのだよ。やらなければならないことは、いくら逃げてもやらなければならない。それをあくまで逃げようとするならば、生きていくことは難しいこととなるのだ。 よいかアーラージャ。避けては通れないことは誰にでもある。それを嫌だ嫌だと遠ざけても、結局いつかはやらねばならない時が来るのだ。ならば、早めにやっておいた方が軽くできるものなのだ。そうしたやらねばならないことは、先延ばしにすればするほど、やりづらいものへとなっていく。つまり、利息が付いてくるのだ。すなわち、苦しみは増大することとなる。汝は、やらねばならないことを、やるべき時にしなかった。少年時代にやるべきことをしなかった。その結果が、今の汝なのだ。 さぁ、アーラージャよ。どうするのだ?。修行をするのか、ここを出ていくのか。どちらにするのだ?」 お釈迦様は、厳しい顔でアーラージャに迫った。彼は、泣きながら 「修行します。今すぐします。ですから、ここにおいてください」 と頼み込んだのだった。その様子にお釈迦様は、優しく微笑み、 「アーラージャは、今生まれ変わった。今後、怠りなく修行に励むがよい」 と声をかけたのだった。 年を取ってくると、 「あの時もっと勉強しておけばよかった」 と思うことがしばしばありますよね。 「なんで、あの時もっと勉強しなかったんだろう」 と。他にもあります。 「あの時、面倒がらないで、しっかり習い事に通っていればよかった」 とかね。その時は、面倒だったり、「今じゃなくてもいいや」といって、サボってきたのです。 サボっても、それで一生を支障なく終えられれば、何も問題はないです。「勉強しておけばよかったなぁ・・・」程度で終わりでしょう。怠け者だったなぁ、で終わることです。 しかし、大人になって、そのサボってきたことが仕事に関わるようなこととなると、困りますよね。あるいは、 「もっと若いうちに勉強しておけば、もっといい仕事に就けたのに」 なんて思うようならば、問題ありますよね。 若いうちのほんのちょっとした時間をなぜサボったのだろうか?。なぜ、「あぁ、面倒だ」と遠ざけてきたのだろうか?。後悔しても遅いですよね。やらなければならないことは、結局は、自分にやって来るのです。あるいは、やらなかったことで、苦労をすることとなるのです。 「あの時、ちゃんとパソコンの勉強をしておけばよかった」 「あー、何であの時、英会話教室をやめるかなぁ・・・」 「もっと、勉強していればなぁ、大学も行けたんだけどなぁ・・・」 やるべきことをやるべき時にやらなかった結果が、「苦労」となってやって来るのですね。 やらなければならないことは、結局はやらなければならないのです。何だかんだと理由をつけて避けても、逃げても、それは無駄なのです。いつかは、そのやらなければならないことは自分にやって来るんですね。しかも、利息付きで。そう、逃げたり、遠ざけたりすればするほど、余分な苦労がくっついてくるんですよ。 大人になってからの勉強は大変です。習い事も然り。若いうちの方が頭にも入るし、身にもつきます。やるべきことから逃げてないで、若いうちにさっさとやっておくことです。年を取ってから後悔しないためにも・・・。 合掌。 |
第152回 一生懸命に努力しても、それが実るとは限らない。 しかし、だからと言って努力しなければ、何も得られない。 たとえ、思うような成果が得られなくても、努力は無駄にはならないのだ。 |
ナータとキストナは、幼いころから仲の良い友人だった。家も近所で、何をするにもいつも一緒だったのだ。二人の家は、両家とも農家を営んでいた。中規模の農園を持っており、使用人も2〜3人ほどいた。お互いに同程度の家柄であり、背格好も同じようで、まるで双子のようだと周りから言われるほどであった。 ある日のこと、青年となったナータとキストナは、竹林精舎にお釈迦様の話を聞きに行った。その帰り道のことである。 「俺さぁ、出家しようと思うんだ」 ナータがそういうと、 「えっ?、お前もか?。実は、俺も出家したいと思ったんだよ」 とキストナも言った。 「やっぱりかい?。今日の話を聞いたら、出家したくなるよな」 「あぁ、出家して正しい生き方をしたくなったよ。みんなそう思うんじゃないか」 「よし、二人で一緒に出家しよう」 ナータとキストナは、こうして二人仲良く出家することになったのだった。 二人は仲よく修行に励んだ。そして、数年が過ぎていった。 いつのころからか、ナータとキストナは、あまり会話をしなくなった。ナータは、それも仕方がないと思っていた。修行は、個人個人でするものであって、仲良く楽しくするものではない、と考えていたからだ。しかし、 「できれば、シャーリープトラ尊者とモッガラーナ尊者のような関係になりたいんですよ」 と、彼は指導者であるマハーカッサパ尊者に打ち明けていた。 「最近、キストナとは全く会話をしていません。精舎内ですれ違った時などに声をかけようとするのですが、すっといなくなってしまうんです。まるで、私を避けているような、そんな感じがするのです。マハーカッサパ尊者は、キストナについて何か聞いていませんでしょうか?」 尊者は、キストナについての悪いうわさを聞き及んでいた。しかし、今ここでナータに伝えてもよくないであろうと思い、 「ふむ、何も聞いてはおらぬな。今後、よく注意しておこう。また、キストナの指導をしている長老に尋ねてみよう。だから、何も心配せず、君は修行に励んでいなさい」 とナータに言ったのだった。 ところが、キストナの悪いうわさは、ナータの耳にも入ってしまったのだった。 ある日のことである。 「おい、お前がナータか?」 ナータは、全く面識のない修行者から声をかけられた。 「お前、ナータだろ?。キストナの幼なじみなんだろ?」 「えぇ、そうですが、それが何か・・・?」 「あのキストナ、どうにかならないのか?。俺たちの修行の邪魔ばかりするんだよ」 「どういうことですか?」 「いくら注意しても聞かないんだ」 ナータは、その修行者から事情を聞いた。それによると、どうやらキストナは、修行をさぼっている悪い連中と付き合っているらしいのだ。その連中は、教団内でも絶えず問題視されている者たちだった。その仲間にキストナも入っていて、元々の修行仲間の邪魔をするというのだ。たとえば、他の修行者が瞑想をしていると、大きな声でお釈迦様の教えを唱えてみたり、長老と議論をしていると、瞑想の邪魔だと怒ったり、最近では掃除などの下座行も怠るようになったというのである。 「そのうちに、あの悪い仲間たちと一緒になって、精舎内の隅の方へ行ってしまうだろう。彼を止めるなら今のうちだ。もう、我々には彼を止めることはできないからな。とりあえず、伝えたから。今後、キストナになにがあっても、我々を恨むなよ」 その修行者は、それだけいうとさっさと去ってしまった。 翌日のこと、ナータはキストナを探した。精舎内は、広いと言っても修行者たちに聞いていけば、何とか見つけられるものである。ナータは、ついにキストナを見つけたのだった。 「キストナ、お前は何をやっているんだ?。いったいどうしたというのだ?。修行はどうなったんだ?」 「はっ、誰かと持ったら、良い子のナータか。ふん、この偽善者め」 「な、なんだそれは。どういうことなんだ。以前は、そんな口調じゃなかった・・・」 「あのな、時がたてば変わるものなんだよ。俺だって変わるさ。良い子のナータちゃん」 ナータは、怒りたくなったが、辛抱した。怒ってはいけないという戒めを守ったのだ。 「キストナ、修行はどうしたんだ?。一緒に出家した時、二人で悟りを得よう、と誓い合ったじゃないか」 「そりゃ、いつの話だよ。くだらない。俺はな、もういいんだよ、修行なんて・・・。もういいんだ。いくら修行したって、つまらないだけだ・・・・。おい、そうだ、ナータ、お前も俺たちの仲間に入らないか?。毎日楽しいぞ。今日はな、尼僧の精舎に侵入して、からかってやろうと思ってるんだ。どうだ?、一緒に来ないか?」 「なにを言っているんだ。そんなことをしていいと思っているのか?。いったいどうしたというのだ?」 「うるさいな。お前だって悟ってるわけじゃないだろ。いいか、いくら努力しても悟れない者は悟れないんだ。エラそうなことを言っても悟ってないんじゃどうしようもないだろ。この精舎内では、悟ってない者はクズなんだよ」 「そんなことはない。毎日、悟りを目指して一生懸命修行をしている者は、それだけでも立派じゃないか。悟ってなくても、修行に励むこと自体が大切なことじゃないか。悟ってない者は、クズなんてことを言う人は、一人もいないぞ」 「ふん、くだらない。お前らのそういう行為は、無駄な努力というんだよ。いいか、報われない努力なんかしたって、無駄なんだよ。だから、お前らは偽善者なんだ」 そこにキストナの仲間たちも現れた。 「そうだ、無駄な努力なんてしても仕方がないさ」 「お釈迦さんはさ、努力しろ修行しろ、っていうけど、悟れないんだったら、それは無駄だろ?。そんな無駄な時間を過ごしたって意味ないだろ。所詮、俺たちは悟りとは縁がないんだ。だったら、無駄な努力、無駄な修行なんてしたって、それこそ無駄なんだよ。それよりも、俺たちは自由なんだから、楽しく過ごせばいいんだよ。なぁ、キストナ」 そういって、彼らは大声で笑ったのだった。そして、「こんな偽善者は、放っておいて行こうぜ」と誰かが言うと、数人の悪い修行者たちは、ナータを残してどっかへ行ってしまったのだった。 数日後のことである。尼僧の訴えにより、キストナたち悪い修行者は、お釈迦様の前に呼び出されていた。いつも威勢よく威張って悪ぶっているその連中も、お釈迦様の前では大人しくしていた。しかし、誰もが、お釈迦様をまっすぐ見ることはなく、横を向いたり、下を見たりしていた。 「キストナ、汝は、いつからこのようになったのだ?」 お釈迦様が、キストナに尋ねた。しばらく不貞腐れて黙っていたキストナであったが、お釈迦様に見つめられ、口を開いた。 「いつだったか・・・、もう忘れました・・・・」 「なぜ、修行を放棄したのだ?。他の者も、だ。なぜ、汝らは修行を放棄したのだ?」 「悟れないからです」 キストナが言った。他のものも口々に「いくら修行しても悟れないから・・・」とつぶやいた。 「悟れないから修行を放棄したのか?。悟りとは、そんなに簡単に得られるものではないのだよ」 「簡単に悟ってしまう者だっているじゃないですか。俺たちより後から出家したくせに、さっさと悟ってしまうヤツだってたくさんいる。それなのに、俺たちはいくら修行しても、いくら努力しても悟りなんてまったくない。その兆候すらない・・・・。才能ないんですよ、俺たちには。それなのに修行しろというのですか?。それは、無駄な努力っていうものでしょ。実らない努力なんてするだけ無駄でしょう。だから、修行をやめたんです」 お釈迦様にそういうと、キストナはプイッと横を向いてしまった。他の者もキストナの意見に大きくうなずいていた。 お釈迦様は、後ろ振り返りアーナンダに言った。 「ナータを呼びなさい」 アーナンダは、うなずいてナータを呼びに行った。 「アーナンダとナータ、そこに座りなさい」 お釈迦様は、二人をお釈迦様の左側に座らせた。キストナは、ナータの顔を見ると、顔をそむけた。 「アーナンダよ、ナータよ、汝らは悟っているか?」 お釈迦様にそう尋ねられた二人は、首を横に振り、そろって 「いいえ、悟ってはいません」 と答えた。 「汝らは、悟っていないことによって、他の修行者から蔑まれるようなことはあるか?」 「いいえ、世尊、そのようなことはありません」 「汝らは、悟っていないことによって、他の修行者や信者の者たちから、バカにされたりするようなことはあるか?」 「いいえ、世尊、そのようなことはありません」 「汝らは、悟っていないことによって、他の修行者や信者から差別を受けているか?」 「いいえ、世尊、そのようなことはありません」 「汝らは、修行は無駄と思うか?」 「いいえ世尊、無駄ではありません」 ナータは、キストナの顔をまっすぐ見て、そう言った。そして、 「たとえ悟れなくても、世尊の教えを理解することはできます。そして、それを他の修行者に説明したり、教えたりすることもできます。世尊は、こうおっしゃった・・・と伝えることもできます。その内容についての解説もできます。そのことにより、他の修行者と切磋琢磨することもできますし、信者の皆さんにお話をすることもできます。たとえ、悟っていなくても、努力すれば世尊の教えを理解し、他の者に伝えることはできるのです。ですから、私の努力は無駄にはなっていません」 と力強く言ったのだった。 「どうだ、キストナ。今のナータの言葉を聞いて、汝はどう思う?」 お釈迦様の質問に、キストナら悪い修行者は、肩を落とし、下を向いたのだった。 「よいか、汝ら。努力に無駄な努力というものはないのだ。確かに、いくら努力しても報われないことはある。実らない努力はあることは確かである。努力すれば必ず実る、というものではない。それは真実だ。一生懸命努力しても実らないこともあるのだ。しかし、だからといって、努力することをやめていいことにはならない。努力をやめてしまったら、それで終わりであろう。何も得られないのだ。努力すれば、努力しただけ、経験が得られる。知識が得られる。忍耐が得られる。それは、努力しない者には得られないことだ。努力すれば得られることが努力しなければ何も得られないのだ。努力することは、決して無駄にはならない。無駄な努力というものは、この世にはあり得ないのだよ。努力すれば、それがたとえ報われなくても、得られるものはあるのだよ」 お釈迦様は、さらに続けた。 「アーナンダは、私の従者として悟りを得ていなくても、修行者たちから尊敬を得ている。ナータは、一人の真面目な修行者として、他の修行者や信者からの尊敬を得ている。それに比べて、キストナ、汝らはどうであろう。いったい何を得たというのだ。汝らが得たのは、他の修行者からの批判と嫌悪、信者からの蔑み、そうであろう?。この差はいったいどうしてついたのだ?。たった数年で、この差はなぜついたのだ?」 お釈迦様の鋭い質問に、キストナたちは、益々小さくなったのだった。 しばらくしてキストナが小さな声で答えた。 「努力を・・・・努力を・・・・しなかったから・・・・です」 「そうだ、汝らは、努力することを放棄した。あきらめてしまったのだ。だから、今の状況にあるのだ。よいか、無駄な努力はない。それが決して実らなくても、報われなくても、経験や知識は身につくのだ。これは、大きな財産なのだよ」 お釈迦様は、そういうと優しく微笑んだのであった・・・・。 「そんなのさ、無駄な努力じゃない?」 と言う若者がいました。 「いくら頑張ったって、俺みたいなバカは、進学なんてムリなんだ。だから、学校へ行っても仕方がないだろ」 「だから、さぼって遊んでばかりいるのか?」 「そうそう、俺って、無駄な努力はしないタイプ。あははは」 そうイキガッテいた若者は、転職を繰り返し、挙句の果てには刑務所の中に入ってしまいました・・・。 という話はよく聞きます。 若いうちは、努力を嫌がります。そんな努力したって無駄だよとか、報われない努力なんて意味ないじゃん、と言い、彼らはその場限りの楽しみを追求します。努力している者たちを小ばかにし、からかって笑っています。その場が楽しければいいのさ、そのあとのことはどうにかなるだろ・・・と。世の中そんなに甘くはないのですが、彼らにはそのことが理解できないのです。 無駄な努力は、ありません。しかし、報われない努力はあります。確かにあります。どんなに一生懸命努力しても、それが報われないということは、残酷ではありますが、世の中ではよくあることです。 一生懸命に受験勉強に励んだが、希望の大学に入れなかった・・・・。 必死に毎日お得意さん周りをしたが、契約を得られなかった・・・・。 考え、練りに練った計画だったが、プレゼンの結果、採用されなかった・・・・。 毎日毎日、遊びもせずに頑張って練習したけど、決勝で敗退した・・・・。 報われない努力、実らない努力、世の中にはそんなことはいっぱいあふれています。日常茶飯事ですよね。 でも、そうした努力は無駄でしょうか?。報われなかったからと言って、無駄な努力だと言えるのでしょうか?。実らなかったからと言って、それが無駄な努力だと言えるのでしょうか?。 「結局、実らなかったな。今までのことは無駄な努力だったな」 と言う他人がいます。 「今までの努力は、いったいなんだったんだ。全部無駄じゃないか」 と嘆く自分がいます。 しかし、本当に無駄な努力なのでしょうか?。全く何も得ることがなかった努力なのでしょうか?。 そんなことはありません。無駄な努力なんてないのですから。 たとえ報われない努力でも、たとえ実らない努力でも、努力を続けてきたことに変わりはありません。辛いことにも耐え忍び、考え、頭を働かせ、工夫してきたことでしょう。それが努力ですからね。淡々とつまらない行為を繰り返してきただけかもしれませんが、その結果、身体は鍛えられ、忍耐強くもなっているでしょう。なにより、努力を続けてきたという経験が大きいのです。努力の結果、それが実らなくても、得られるものは大きいのです。 経験は、他の誰からも教えてもらえない知識です。それは大きな財産なのです。その経験という財産は、努力なしでは得られないものなのですよ。 合掌。 |
第153回 不安は尽きることはないし、逃げることはできない。 しかし、不安に振り回されていては生きてはいけない。 不安の原因をよく考え、対処して不安を解消するしかないのだ。 |
プラサーダの生活は、それほど裕福なものではなった。かといって、苦しいとまでは言えないものだった。ごく普通の生活をしていた。女房もおり、子供も二人いた。それなりの家庭だったのである。が、しかし、彼はいつも不安を口にしていた。 「生活は、まあまあ普通にやっていけるとは言ってもよ、もしもだ、もしも俺が病気になったらどうなるんだ?。それを考えたら、もう不安で不安で眠れなくなるんだよな」 町はずれの安酒場でのことであった。プラサーダの友人は、彼のその言葉に 「それを言ったら俺だって同じさ。働いているのは俺一人。おまけに貯蓄もない。俺が倒れたら、おしまいだよ。だけどさ、そんなこと不安に思っても始まらないだろ」 と、酒をあおりながら答えた。 「まあなぁ・・・、そうなんだけどなぁ・・・。他にもさ、いろいろあるだろ。女房が病気になったらどうする?。子供の世話は誰がするんだ?。飯は?、掃除は?、洗濯は?・・・・はぁ・・・それを考えたら、これもまた眠れなくなるんだよなぁ」 「お前さ、バカじゃないか?。そんなこと考える必要ないだろ。女房が病気になったらなったで、しょうがないじゃないか。その時に考えればいいだろ。いや、どうにかなるさ。近所の付き合いだってあるんだから。それに子供たちだって、そんなに小さいわけじゃないんだから、少しくらいは手伝ってくれるだろ。そんなこと考えて酒飲んだってうまくないぞ」 「そうなんだけど、でも不安に思わないか?。生きていくのは不安だからけだと思わないか?。働き先の親方の家が崩壊してしまったらどうなる?。俺たち働き口を失うんだぜ?。あの親方だって、結構な年だ。いつ死神がやって来るかわからねぇ。息子はまだ頼りないしよぉ。あの親方が亡くなってしまったら、俺たちも職を失うかもしれないじゃないか」 「なに言ってるんだ。息子の代になれば、俺たちで支えればいいじゃないか。息子を助けてやればすむことだ。だいたい、親方がいてもいなくても仕事は進んでいくじゃないか。心配することはないさ」 「そうなのかなぁ・・・。そういえばさぁ、このごろ俺、疲れやすくなっているんだよなぁ。どこか体が悪いのかなぁ。重い病気だったらどうしようか」 「医者に行けばいいだろ」 「医者か?、怖いじゃないか」 「怖いって・・・放っておく方が怖いだろ。早めに医者に行って、対処した方がいいだろ」 「まあ、そうなんだけど。不安じゃないか」 「だったら、女房について行ってもらえよ」 「それは恥ずかしいだろ。大の大人が女房についてきてもらって医者に行くって・・・、そんなの近所の人に見れらたら変な噂がたっちまう」 「じゃあ、一人で行けよ」 「それも怖いしなぁ・・・。あぁ、不安だ不安だ・・・」 「いい加減にしろよ。不安だ不安だって、そんなことを考えてたら生活できないだろ。いいか、ひょっとしたら明日地震が来て死ぬかもしれないんだぞ」 「おいおい、変なことを言うなよ。そんなこと聞いたら寝られなくなっちまう」 「ばか、たとえばの話だ!。あぁ、もうやってられない。あのな、不安なんか何にもないよ。そんなものは平気だ。明日地震は来ないし、病気のもならない。親方はまだ死なないし、息子も大丈夫だ。お前もお前の女房も、丈夫で病気とは縁がない。何も心配することはないだろ。あー、くそ腹が立ってきた。もう俺は帰るからな」 プラサーダの友人は、怒って帰ってしまったのだった。その後ろ姿を見ていたプラサーダは、 「あぁ、友人を失ってしまったのかもしれない・・・。もう俺には友達はいないのかもしれない。困った・・・。誰に相談すればいいのか・・・・」 と一人嘆いていたのだった。 翌日のこと、プラサーダは浮かない顔をしていた。しかし、彼の友人は普通の顔をしていた。職場でもその友人は、どうということなく話をしていたし、表情もいつも通りだった。 「どうしたんだプラサーダ、浮かない顔をして」 「いや、お前さんがさ、俺のことを怒っているんじゃないかと不安だったんだよ・・・」 「で、どうだったんだ?。お前の不安は解消されたのか?」 「いや、俺の不安は・・・まあ、解消された・・・うん」 「そうだろ、他のことだって同じさ。お前の不安は取り越し苦労なんだよ」 友人は笑ってそう言った。プラサーダもつられて笑っていたが、その笑いはひきつった笑いでもあった。 しかし、その数日後のことであった。プラサーダの不安が当たってしまう出来事があった。彼の女房が病気になったのだ。 「あぁ、やっぱりだ・・・。不安が的中してしまった。あぁ、どうしよう、どうしたらいいんだ俺は。このままじゃあ、働きにも行けない。働きに行けなきゃ、金ももらえない。金が無けりゃあ、生活できない。あぁ、どうすりゃいいんだ・・・」 彼は、頭を抱えて嘆いていた。 「なにを言ってるんだお前さん、あたしゃ単なる流行病だよ。すぐに治るさ。いいから、仕事へ行っておくれ」 プラサーダの女房は、そういって彼を仕事に行かせようとしたのだが、 「俺が仕事に行っている間にお前に何かあったらどうするんだ?。俺はそれを思うと不安で不安で・・・」 「大丈夫だっていっているでしょ。一日寝ていれば治るって・・・。そんなに心配なら、町はずれのお医者に行っておくれよ。で、薬をもらってきてくれないか」 女房にそう言われ、プラサーダは医者へと駈け出して行った。 しばらくすると、プラサーダが医者を連れて帰ってきた。 「ど、どうしたんだい、お医者さんを連れてきちゃったのかい?」 女房は驚いて尋ねた。すると医者は 「おいおい、大病で口もきけないし、高熱でうなされているんじゃなかったのかね?」 と言いながら、女房を診たのだった。 「なんだ、風邪だ。流行病だよ。心配はいらない。おいおい、プラサーダ、心配なのはわかるが、ちょっと診れば、風邪だってわかる症状じゃないか。本人だって自覚があるのだし・・・。わしはな、他にも重病人を抱えているんだ。もう帰るからな。お前さんの不安の病の方が問題があるぞ」 医者は、薬を置いてブツブツ文句を言いながら帰って行った。女房は、あきれた顔をして 「早く仕事に行きなよ」 とプラサーダに行ったのだった。 しかし、仕事に向かったプラサーダは、仕事が手につかないほど不安に駆られていた。彼の友人が見かねて尋ねたが、女房が風邪だと聞いて 「なんだ、心配ないじゃないか。その医者の言う通りだ。お前の不安の方が重病だよ」 と笑いながら言ったのだった。ところが、重病という言葉を聞いて、プラサーダは不安になってしまった。 「えっ?、俺の方が重病?。どういうことだ、それは?」 「お前の不安だ、不安だっていう、そういう思いの方が重病だって言ってるんだよ。お前、大丈夫か?」 その言葉に、プラサーダは益々頭を抱え込んでしまった。 「俺は・・・・、毎日が不安なんだよ。これってどうにかならないものなのかなぁ・・・」 その様子を見て、友人はプラサーダをお釈迦様の元へ連れて行くことにしたのだった。 プラサーダの話を聞いて、お釈迦様は言った。 「汝の話はよく分かった。では、今一度、汝に尋ねよう。なにが不安なのだ?」 お釈迦様の質問にプラサーダは素直に答えた。 「毎日が不安です」 「毎日の何が不安なのだ?」 「自分が病気になったら、どうやって生活しようか不安です」 「なぜそれが不安なのだ?」 「生活費がなくなるからです」 「生活費があれば不安ではないのか?」 「はぁ・・・そうですね。生活費があれば、私が病気になっても不安ではないです」 「ならば、貯蓄をしなさい」 「貯蓄ができるほど余裕はないです」 「では、工夫をして生活費を節約しなさい。そうすれば貯蓄ができる」 「あぁ、そうですねぇ・・・。でも、その貯蓄がなくなったら・・・・あぁ、やっぱり不安だ」 「その時は、汝の女房が働けばよいであろう」 「そ、そうか・・・、そうですね。でも女房の働きでは、そんなに収入が期待できないし・・・」 「子供も働ける年齢であろう。小間使いくらいはできる」 「ま、まあ、そうですが・・・・」 「不安はないではないか」 「女房が病気なったら・・・・私も病気になり、女房も病気になったら・・・」 プラサーダの言葉に、お釈迦様は、 「よいか、プラサーダ。この世は不安に満ちているのだ。そんなことは、誰もが知っていることなのだ。汝だけではない」 と強い口調で言ったのだった。 「よいかプラサーダ。誰もが平等に病気になる危険がある。誰もが老いるし、誰もが死に向かって生きているのだ。どんなに健康な者でも明日死ぬかもしれない。明日病気になるかもしれない。否、プラサーダよ、汝とてこの精舎から出た途端、馬車に引かれて死ぬことになるかもしれない。そうした危険は、誰にでも平等にあるのだ」 「そ、そんなこと・・・あぁ、そんなことを思ったら外には出られない」 「外に出なくても、上から何か物が落ちてきて頭にあたり、その衝撃で死ぬことがあるかもしれない。何かに躓いて頭を打って死ぬかもしれない。地に隠れようと、海に潜ろうと、山に隠れようとも、死は誰にでもやって来るのだよ。汝だけではないはないし、死から逃げることはできない。同様に、病にかかる可能性は誰にでもあり、これも逃げることはできない。人は・・・否、生ある者は、死や病からは逃げられないのだ。つまり、そうした不安は、誰にでもあり、逃げることはできないのだ。よいか、不安は誰にでもあり、尽きることはないし、逃げることもできないのだ」 「で、では、どうすれば・・・どうすれば不安をなくすことができるのでしょうか?」 「不安をなくすには、出家して悟るしか方法はない。しかし、汝は出家するつもりはないのであろう?」 「はぁ、出家はしたくないです」 「ならば、不安をなくすことは不可能であろう」 「そ、そんな・・・そんなこと・・・あぁ、私は生きてはいけない」 「よく聞きなさい、プラサーダよ。不安をなくすことはできないが、少なくすることはできる」 「不安を少なくする?」 「そうだプラサーダよ。よいか、汝の不安の原因は何か?」 お釈迦様にそう問われ、彼は考え込んだ。しばらくして 「生活に困るといけない・・・それでしょうか・・・。あぁ、そうです。私の不安は、すべてそこに原因があります。生活ができなくなるかもしれないと思うと、不安でたまらなくなるのです」 とボソボソと答えたのだった。 「そうだな、先ほども病気なったら生活ができないと不安になる、と言っていた。しかし、それは貯蓄があれば大丈夫だ、という結論が出たであろう?。子供たちも働ける年齢なのでなんとかなる、と言っていたではないか」 「そのほかにも病気になったら、と思うと・・・」 「病気は、先ほども言ったように誰も逃れられない。皆、平等に不安を抱えている」 「でも、みんなは、そんなに不安がらないです」 「そうだ、汝くらいであろう、そう不安に思うのは。それほど不安が嫌なら、出家するか、病気にならないように心がければよいではないか。ちなみに、出家したとしても、病気は逃れることはできない。私のこの身体も病気の巣である」 「お、お釈迦様もですか?」 「肉体がある以上、病気からは逃げることはできない。ならば、病気にかからないよう、なるべくかからないように日頃から健康に気を付けるがよい。それでも病気になってしまったら、医者に任せるしかないであろう。放っておけば、死に至る病気でも、死者にかかれば死ななくてもよいかもしれない。しかし、いずれ人は死ぬのだから、その死が早くやって来るか、遅く来るかの違いがあるだけなのだが・・・」 「はぁ・・・そうですか・・・しかし、この不安感は・・・・」 「そんなものは消えはしない。何度も言うが、不安は消えないのだ。しかし、その不安に振り回せれち着ていくわけにもいかないであろう。ならば、その不安が、何からやってきて、どう不安なのかをよく考えるしかないであろう。そして、不安の原因にあわせて対処していくしかないであろう。先ほど言ったように、生活が不安なら貯蓄をすればよい、病気が不安なら健康に気を遣えばよい、病気になったら医者にかかればよい・・・というように」 「仕事先がなくなってしまったら・・・・?」 「働き先を探せばいい。その気になれば、どんな仕事でもできるであろう。生活していかねばならないからな。そうやって、不安の原因を知り、それに対処していけば、不安は解消されるのだ。対処できない不安は死に対する不安くらいであろう。しかし、それも生まれた以上誰にでもやって来るものだ、と思えばある程度は解消される。また、明日地震が来るのではないか、大嵐が来るのではないか、などということは、考えても仕方がないことだ。実際に来てもいないことを考え、不安に思うのは、愚かなことであろう。明日のことは、明日になってみなければわからぬものだ。否、今日のこととてわからないではないか。先ほども言ったように、この精舎を一歩出たところで馬車に轢かれるかもしれない。いずれにせよ、それらは起こってもいないことであるし、その根本は死に対する不安であろう。それは、誰も逃げられない不安なのだ。そんな不安に囚われていることは、愚かなことである。汝は、愚か者になってしまうのだ」 お釈迦様はきっぱりとそう言った。 「わかりました・・・。私は、まだ起こっていないことをあれこれ想像して、それを畏れていただけのようです。つまらない想像をして、ただただ不安になっていただけのようです。言われてみれば、私が抱いていた不安は、誰もが抱えていることだったんですね。でも、すぐにはこの不安はなくならないとも思います。その・・・不安だ不安だと言っていることで、不安から逃げられるような気もしていますので・・・・。しかし、不安に対する対処はしようと思います。まずは、貯蓄をします。それと健康にも気を遣います。それだけで少しは不安も無くなるでしょうから。あとは・・・・みんな同じなんだ、と考えるようにします。自分だけじゃない、と・・・・」 「ふむ、それでよろしい。もし、また不安にかられてどうしようもなくなったら、ここに来るがよい」 お釈迦様は、そう言ってにっこりとほほ笑んだのであった。 生きている以上、不安はつきものです。ましてや、病気を抱えた方は特に不安でしょう。あるいは、お子さんの受験を控えている方、ご主人さんの会社がリストラをするという情報が入っている方、借金が大きくなって返済に苦労されている方、仕事がなくて生活に困っている方などは、不安は大きなものであると思います。 そうした不安には、その原因があります。病気を抱えている方は死が不安の根本原因でしょう。お子さんの受験を不安に思っている方は、受験が失敗したらということが不安の原因でしょう。ご主人さんの会社の不安を抱えている方は生活ができなくなったら、ということが不安の原因でしょう。借金が大きくなりすぎて不安になっている方は借金が返済できなくなりすべてを失うのではないかという思いが不安の原因でしょう。仕事がない方は生活ができなくなるというのが不安の原因でしょう。これらは単に例にすぎませんが、いずれにせよ不安にはその原因があるのです。 原因があれば、それに対処することができます。ただ、その対処法が受け入れられない場合があるだけ、ですね。たとえば、病気を抱えている方の不安・・・死に対する不安を解消しようと思うと、「誰もがいつかは死ぬのだ。仕方がないさ」と開き直るしかないのです。生にしがみつかないように生きる、死ぬまで生きる、と潔く決意するしかないでしょう。しかし、それを人はなかなか受け入れることができません。ついつい生にしがみつきたくなるのです。 他の不安でも、原因はわかります。その対処法もなんとか生まれてくるでしょう。お子さんの受験の場合は、「どこの学校でもいい、それがこの子にあった学校なのだ。受かった学校が縁のある学校だ」と思えば、不安などなくなります。ご主人さんの会社に対する不安でも「リストラにあったらあったとき。再就職先を探すしかない。どんな仕事でもしてもらう」と夫婦で話し合っていれば不安は解消されるでしょう。借金が大きくなりすぎた場合も「仕方がない、最悪の場合は破産だ」と腹をくくってしまえば、不安は少なくなることでしょう。仕事がなく生活が・・・という方は「どん仕事でもいい、あればやる」という決意と「仕事が見つかるまで国にお世話になる」という開き直りがあれば、不安はなくなることでしょう。 ただ、問題はその対処法を受け入れるかどうか、なのです。 我が儘を言っていれば、不安はなくなりません。素直に対処法を受け入れることが大事なことです。不安は誰にでもあることですし、逃げることもできません。ならば、その不安に対し、素直に自分が折れることも必要でしょう。不安を消すには、我が儘を言わず、不安の原因を探り、対処法を受け入れることなのです。それは、不安に負けたのではなく、超越したことになるのです。 不安は尽きることもないし、逃げることもできません。ならば、こちらからその不安に向かっていき、それを受け入れることで不安解消するしかないのです。 現実を素直に受け入れ、感情的にならずに、冷静に対処法を考えましょう。 合掌。 |
第153回 誘惑に勝つことは難しく、負けることは容易い。 しかし、誘惑に負けた場合、後悔と自責の念に苦しむ。 あの時、あんなことをしなければよかった、では遅いのだ。 |
「おぉ、これこれ、あった。俺が探していたのはこれなんだ」 ニルッハラは、店の奥に陳列してあった置物を手に取った。 「お客さん、お目が高い。それは大変珍しいもので、はるか西の国から取り寄せたものです」 店の主人がニルッハラにすり寄ってきた。 「そんなことは知っている。俺はな、西の国のこういった珍しいものを集めているんだ。ふん、お前さんなんかより、俺の方が詳しいと思うぜ」 ニルッハラは、嬉しそうな顔をしながら店の主人にその品について語り始めたのだった。 「いや、お客さん、本当に詳しいですね。ですが、これは大変高価なものです。ですので・・・その・・・お買いになるならともかく、いつまでも手に持っていただくのは・・・・ちょっと・・・」 「あぁ、わかっているよ、高価だってことくらいは。大丈夫だ。ちゃんと買うよ。お前、見かけで判断するんじゃない。こう見えても金はもっているんだ」 そう言うとニルッハラは、懐から財布を取出し、金貨を3枚出したのだった。金貨3枚あれば、普通の家庭・・・老父母・両親・子供数人・・・が一か月は暮らせるほどであった。それをニルッハラは、気軽そうに出したのだ。 「これはこれは、ありがとうございます。また、西の国の珍しいものを手配しておきます」 「あぁ、頼むよ。こういうものが俺は欲しいんだ」 ニルッハラは、気分よく店を後にして帰宅したのだった。 が、しかし、家の前でニルッハラは、現実に戻っていた。 「しまった・・・。あの金は今月の生活費として女房に渡すものだったんだ・・・。困ったなぁ・・・。ついつい衝動買いしてしまった。でもなぁ、あの機会を逃すと誰かに買われてしまうしな・・・。さて、よわった。どうしようか・・・」 しばらく玄関の前で考え込んでいたニルッハラだったかが、「仕方がない」と一言いうと、また街の方へと引き換えしていった。 街の裏手のさらに奥に行くと、怪しい店がいくつか軒を連ねていた。その一軒にニルッハラは、入って行った。 「おや、ニルッハラじゃねぇか。なんだ浮かない顔をして。あぁ、また金か?」 「察しがいいなぁ。そうなんだ。金を貸してほしいんだ」 「ふん、また例の珍品かい?。確か、はるか西の国のガラス製の器だったか?」 「そう、そう、そうなんだよ。それをな、ついつい買っちまったんだ。色がな、深い紅色でとても美しかったんだ。形もとても美しいんだよ」 「いくらしたんだ?」 「金貨3枚」 ニルッハラの言葉に、金貸しの男は、あきれ顔になった。 「おい、いい加減にした方がいいぞ。お前、そんな大金を・・・。生活をどうするんだ?」 「そう、そうなんだよ・・・。それで困っている。はぁ、俺はな、ダメなんだな。欲しいものを見ちゃうと、ついつい買いたくなってしまう。我慢できないんだ」 「だからといってだな・・・。まあ、今さら言っても仕方がないけど・・・。しかし、一か月分の給料全部だろ、それ?。今日もらったばかりの給料だろう。少しは考えろよ」 「考えたさ。だからここに来た。金を貸してくれ。それが商売だろ?、お前の」 ニルッハラは、男に頭を下げて頼み込んだ。 「まあ、金貸しが商売だが・・・。しかし・・・。金3枚を貸せというのだろ?。お前、返す当てはあるのか?先月貸した金も、まだ返し終わってないんだぞ。もし、返せないならどうするのだ?」 「その時は・・・・」 「お前の女房じゃ金にならんぞ。先に言っておく。まあ、息子と娘なら金になるけどな」 金貸しの男は、そういうと嫌な笑みを浮かべた。 「だ、大丈夫だ。女房や子供を売るほど落ちぶれちゃいねぇ。金が返せなくなったら、俺の集めているガラス製の器を全部売るよ。それでも足りないなら、俺を売る」 ニルッハラの言葉に金貸しの男は「そういうことなら・・・」と言いつつ、奥の部屋から金貨を3枚持ってきた。 「これでお前の借金は金貨4枚だ。早く返してくれよ」 「大丈夫だ。当分、余計な買い物はしない。この金はすぐに女房に渡す」 ニルッハラは、そういうと金貸しの店を後にしたのだった。 その後しばらくニルッハラは、街には足を向けず家と仕事場の往復だけで過ごした。そのおかげで余分な金を使うことはなかった。少しずつへそくりをしたお金もたまってきた。 「小銭が貯まったから、返済に行ってくるか」 ニルッハラは、金貸しの男の元へ出かけた。が、それがいけなかった。 「おや、旦那、珍しいものが入りましたよ」 ニルッハラに声をかけたのは、先だってガラス製の器を買った店の主人だった。 「ほら、今回の品はこれですよ」 主人は店先までその品をもってきて、ニルッハラに見せたのだった。 「おぉ、これは!。なんと美しい青色だ!。こんな色は、この国にはないぞ。いや青色なんてものじゃない。この深み、この輝き・・・。なんと美しいんだ・・・・。ご主人、これは・・・さぞ高いんだろうな」 「そりゃもう、これはお高いですよ。でも、お客さんならおまけいたします。本当は、金貨5枚なんですが、4枚にマケテおきましょう。如何ですか?」 「う〜ん・・・・、どうしよう」 ニルッハラは、店先で考え込んでしまった。 (今、持っている金は金貨1枚分。しかし、金貨1枚じゃ何ともならない。こいつは買えないか・・・。しかも、この金は返す金だ。今日返さないと・・・いよいよ俺が集めたガラスの器が取り上げられてしまうかもしれない。う〜ん、やっぱり買えないか・・・。いや、しかし・・・。待てよ待てよ。ちょっと整理してみよう。今月の生活費はもう渡してあるから、そっちは心配ない。借金は、金貨4枚だ。今ある金は金貨1枚。新しい品は金貨4枚・・・。あぁ、やっぱり駄目だ。どう考えても金が足りない・・・。うぅ、くそ〜。金が欲しい・・・。しかし、しかし、しかし・・・・見れば見るほど美しいなぁ。あぁ、欲しい、どうしても欲しい。我慢できないぞ・・・。一体どうすれば・・・・) ニルッハラが悩んでいる様子を見て、店の主人は言った。 「あのー、失礼ですが、なんでしたら分割でお支払いただいても大丈夫ですよ。お客さんのことはよく存じておりますし、まあ、もしもの場合は、この品を引き上げるだけですから」 店の主人の言葉に、 「今何といった?。なに?、分割でもいい?。それは本当か?」 「えぇ、本当ですとも。そうですねぇ・・・・4回で支払っていただければ・・・。はい、月に一回金貨を1枚、ということで、どうでしょうか?」 「よし、そういうことなら買った。支払いは、来月からでいいのか?」 「いや、できれば今金貨を1枚はいただかないと・・・」 「わ、わかった・・・。金貨1枚分の金があればいいのだな?」 こうして、ニルッハラは、ため込んでいた金貨1枚分の金・・・借金を返すためのお金・・・を店の主人に渡しのだった。 ニルッハラは、意気揚々として帰宅し、自分が集めているガラス製の器を眺めて、楽しんでいた。しかし・・・。 「しまった・・・。また買ってしまった。借金を返せなくなったぞ。あいつは怒るだろうなぁ・・・。どうしようか?。今月は返済を待ってもらうか・・・。それしかないな・・・・」 現実が重くのしかかってきたのだった。 翌日の夜のこと。 「おい、ニルッハラ、いるんだろ?。いることはわかっている。仕事帰りをつけてきたのだからな」 金貸し屋の男がニルッハラの家にやってきたのだ。男は、大声で 「おい、金を返せよ!。ニルッハラ、約束を守れよ!」 と怒鳴った。その声にニルッハラは、慌てて飛び出てきた。 「た、頼むよ。大声を出さないでくれ」 「大声を出させたくないなら。早く出てくればいいだろ。おい、約束の返済金はどうなった?」 金貸しの男の言葉に、ニルッハラは、横を向いてしまった。 「お前・・・・まさか、また器を買い込んだな?」 図星をつかれ、ニルッハラは、下を向いたままその場を逃げ出そうとした。素早く金貸しはニルッハラの腕をつかみ、 「お前、バカじゃないか?。金がないのにどうして・・・?。まさか、他から借りたのか?。おい、どうするんだ?。お前の稼ぎは、たかが知れているじゃないか。お前は金持ちじゃないんだぞ。雇われの身だ。どうやって金を返すんだ?」 金貸しの男の追及にも、ニルッハラは、答えなかった。男は 「おい、お前、いったいいくら借金があるんだ?。俺のところは金貨4枚だ。それに利息が付くからな、返すときは金貨5枚分になっているんだぞ」 利息と聞いてニルッハラの顔は青くなった。 「そ、そんなことは聞いてないぞ。利息がいるのか?」 「当たり前だろ?。俺は金貸しが商売だ。利息があって初めて金儲けができるんだ。おい、他の借金はどれだけあるんだ?」 ニルッハラは、器を買った店に金貨3枚の借金があることを白状した。 「いったいどうやって返すんだ?」 「女房も働いているから、生活費は何とかなる。月に1枚の金貨は返せるから、お前さえ待ってくれれば、必ず返済できるんだ」 「お前なぁ、それはお前が金を使わなかった場合だろ。新しい品物が店に並んでいたら、お前どうするんだ?。我慢できずに買ってしまうだろ?」 「いや、大丈夫だ。絶対買わない。約束する。借金が返し終わるまで、俺はもう金は使わない」 そう約束して、ニルッハラは、金貸し屋への返済を待ってもらうことにしたのだった。 しかし、店への返済が終わったころ、また新しい品が店に並んでいたのだった。そして、その誘惑にニルッハラは、勝てなかった。結局、また店に分割払いで、ということでその品を買ってしまったのである。 金貸し屋の男がニルッハラの家に乗り込んできた。彼は、今度は、初めから怒っていたのだった。 「お前の品を全部もらっていく」 「やめてくれ、それだけは・・・・」 「ならば、息子か娘を・・・娘の方がいいな。奴隷として売るからな」 その時になって、初めてニルッハラの女房は彼の借金に気が付いたのだった。 「あんた、どういうことなんだ?」 ニルッハラの借金のことは、すべて明るみに出てしまったのだった。 結局、女房は子供たちを連れ、自分の親もとへ帰ってしまった。残されたのは、ニルッハラと年老いた彼の両親だけだった。彼が集めた西の国の珍しいガラスの器も金貸し屋の男は持っていってしまったのだった。ニルッハラには、もう一銭も残ってはいなかったし、売るものもなかった。 「明日からどうやって暮らしていくんだ?」 年老いた両親の言葉に、ニルッハラは、大きくため息をついてひとこと言った。 「あの時、あんな買い物をするんじゃなかった・・・。もっと考えて金を使えばよかった・・・・」 長い話を終え、お釈迦様は弟子たちや集まった人々の顔を見渡した。 「汝ら、この話を他人事として聞いてはならぬ。また、そんなことはないだろうと笑い飛ばしてもいけない。この世の中には実に様々な誘惑があるのだ。ニルッハラにようにモノを買いたいという誘惑もあれば、怠けたいという誘惑もある。働かずに遊びたいという誘惑、酒の誘惑、女や男の淫らな誘惑、不正して金を稼ごうという悪い誘惑、ごまかせばいいという誘惑・・・・。世の中には数多くの誘惑が汝らを待っているのだ。その誘惑に打ち勝つには力が必要である。強い力がいるのだ。人は実に簡単に誘惑に負けてしまう。それは、力がないからである。誘惑に抵抗する力がないのだ。だから、簡単に誘惑に負けてしまうのだ。それが悪い誘惑だとわかってはいるのだが、人はなかなか誘惑には勝てないのである。 しかし、誘惑に負けた後には、何が残るであろうか?。そう、残るものは後悔でしかない。なぜあの時あんなことをしてしまったのだろうか、という後悔しか残らない。そして、自分は何という愚か者なのだろう、という自責の念でしかない。本当は、初めからわかっているのに・・・。誘惑に負ければ後悔することになるんだ、自分は愚かなものになるのだ、とわかっているはずなのに、その真実には目を向けず、いや、あえて目を閉じ、誘惑に負けてしまうのだ。 後悔しても遅いのだ。いくら自分を責めてももう取り返しはつかぬ。あの時、あんなことをしなければよかった、あの時あんなところへ行かねばよかった、あの時怠けるんじゃなかった・・・などなど、いくら後悔しても遅いのである。 よいか、汝ら、決して悪い誘惑に負けないような強い心を持つのだ。心を強くしていけば、悪い誘惑などには負けることはない。誘惑に負けなければ後悔することもないのだ。心を強く持つこと、強い心を育てること、それが汝らが行わねばならぬことである」 お釈迦様の教えに、弟子たちは新たに心を強くする修行に励むことを誓った。また、在家の者たちは、様々な誘惑に負けないよう、心を引き締めたのであった。 「わかっちゃいるけどやめられない」 という歌が流行ったのは、私がまだ6歳くらいのころだったでしょうか?。植木仁さんのマネをして、あの歌を歌いながら踊った記憶があります。意味も解らずにね。 やってはいけない、もうこれ以上はダメだ、とわかってはいても、止められないことは沢山ありますよね。サラリーマンの方は、歌の通りに、ちょっと一杯のつもりが、いつの間にやらはしご酒になることもあるでしょう。また、何かのコレクターならば、ついつい買ってしまう・・・ということもあるでしょう。財布の中が寂しいとわかっていても、ついつい手を出してしまうのが人情ですよね。 他にもいろいろな誘惑が世の中には転がっています。最近では、お金を稼ぎたいがために出会い系サイトに登録をする主婦の方も多いようで・・・。お金と性を両方手に入れられうえに、家庭も保てるとか・・・。ちょっと欲が深すぎるんではないかと思います。きっと、後悔するときが来ると思うんですけどねぇ。 他にも、男性諸氏は誘惑がありすぎますよね。会社内では、サボりの誘惑、誤魔化しの誘惑、不正の誘惑、不倫の誘惑、酒の誘惑、性の誘惑・・・・困ったものですな。それらの誘惑に打ち勝つほどの強い心を持たないと、後悔が後を絶ちませんよね。 多額の金の誘惑に負けて人生を棒に振ってしまった人の話はよく耳にします。そんなのは他人事で、自分には関係ないと思っていることでしょうが、案外そうでもないです。多額の金の誘惑などはなくても、小さな誘惑はそこらじゅうに転がっていますからね。 小さな誘惑にも負けないような強い心を持ってください。決して 「あぁ、自分の人生は後悔ばかりの人生だった」 なんて言わないようにしたいですね。 合掌。 |
第154回 それは嫉妬である、妬みである。 それに気が付き、改めなければ、 それはやがて自分の身を滅ぼす。 |
ミゲーラとミガーラは、幼なじみの少女だった。家も近所で、年も一緒だったので、いつも二人は一緒に遊んでいた。また、親同士も仲が良く、お互いにやや裕福な家庭であったので、ミゲーラもミガーラも何不自由なく暮らしていた。容姿もさほど差はなく、また勉強も二人とも似たようなもので、そこそこにできたのであった。二人は仲よく成長していった。 十数年がたち、二人とも結婚を気にする年になっていった。二人とも兄弟姉妹はなく、一人娘であったので、婿を迎えねばならなかった。 「ねぇ、ミゲーラ、あなた誰かいい人はいるの?」 「そんな人いないわよ。私は結婚にはあまり興味はないわ。結婚よりも、父の仕事の手伝いをしたいの」 ミガーラの父親は、貿易商を営んでいた。なので、インドだけでなく、西方へよく出かけていたのだ。父親は決まって西方の国の珍しいものをミガーラに土産として買ってきていた。 「私ね、西の国に行って、この目であの珍しい品々を見てみたいの。それに向こうにはいろいろな国がって、いろいろな人が住んでいるの。それを見たいのよ。だから、結婚なんて・・・」 「そうか、いいなぁミガーラは。お父様がよその国行く仕事をしていて・・・。うちなんか・・・」 「あら、ミゲーラの家は、立派じゃない。お父様はこの街の官吏なんだから。この街で一番偉い人でしょ。いいお婿さんが来ると思うわ」 「うん、まあ、そうなんだけど。なんだか、それもつまらなくて・・・・」 「ミゲーラは贅沢よ。うちの父なんて、もし船が嵐で転覆でもしたら・・・。そう思うと、もう心配で心配で・・・。父が死んだら、うちはおしまいだわ」 「なら、早くお婿さんを迎えて、跡継ぎをつくったほうがいいんじゃないの?。ミガーラが船に乗って西の国に行くなんて・・・危険だわ。私、心配で夜も寝られなくなってしまうわ」 「あら、ありがとう。でもね、私もいつ船に乗れるかわからないの。父は、反対しているから。でも、絶対に西の国に行くの」 二人は、お互いの家の近くの花が咲き乱れている川の土手で、毎日のようにお互いの夢や将来のことを語り合っていた。 それから数か月後のこと、ミゲーラは一人で花の咲く土手に立っていた。 「あぁあ、最近つまらないわ・・・。ミガーラの姿がちっとも見られない。もう船に乗って西の国に行ってしまったのかしら・・・。私に黙っていくなんて、そんなことはないわよねぇ・・・。はぁ・・・、なんだかつまらないわ・・・。ミガーラ、どうしたのかしら・・・」 一方ミガーラは、どうしても船に乗りたいという希望が捨てられず、父親に相談した結果、船に乗るだけの体力をつけなければならないと言われ、身体を鍛えることにしたのだった。そのために、ここ数カ月の間、家の中にこもって運動をしていたのだ。 「私は、船に乗るんだ。結婚なんてその次でいいんだ。私は、つまらない人生なんて嫌だ。冒険に出るんだ」 毎日、そう言いながら、辛い運動に励んでいたのだった。そんなときに、ミゲーラの結婚話が聞こえてきたのだった。ミガーラは、母親に 「ミゲーラは、いいお婿さんをもらうらしいわよ。それはそれは素敵な男性らしいわ。さすが、ミゲーラね。器量もいいし、お嬢様だし・・・。それに引き換え、あんたは・・・。その身体、もう女の子じゃないわよね。まるで、力自慢の男の身体のようだわ。あぁ、なんてことかしら・・・」 と言われてしまった。しかし、ミガーラは、自分の夢を優先したかった。他人のことなど、どうでもよかったので 「人それぞれだからね」 と母親に冷たく言い放ったのだった。 ある日のこと、家の近所で偶然ミゲーラとミガーラは出会った。 「あぁ、ミゲーラ!。結婚決まったんだってね。おめでとう。よかったね」 「ミガーラ?、ミガーラなの?。しばらく見ないうちに・・・・なんだか、感じが変わってしまったのね」 「あぁ、今ね、身体を鍛えているんだ。船に乗るには、船の中での仕事もできないといけないんで・・・。それには、体力もいるし、筋力もいるんだ。だから、こんな身体になっちゃった。女の子じゃないよね。でも、いいんだ。西の国に行けるんだから」 「そ、そうなの?。ふ〜ん・・・・」 ミゲーラは、それ以上何も言えなくなってしまった。ミガーラが輝いて見えたのだ。すごく素敵に見えたのだった。 (なんだか、羨ましい・・・。いいなぁ、ミガーラは夢があって・・・・。それに引き換え、私は・・・。はぁ、好きでもない人と結婚をしなければならない。親が決めたこととはいえ・・・) ミゲーラは、自分一人だけ取り残されたような気分になっていたのだった。 しばらくして、二人が住む街に妙な噂が流れ始めていた。 「ミガーラは、男になりたいらしいぞ」 「いやいや、男になったのだろ?。魔術師に頼んで、男の身体を手に入れたそうだ」 「男になってどうするんだ?」 「ミゲーラの婿になるらしい。いや、違うか。ミゲーラを嫁にもらうのか・・・」 「そんなことができるのか?」 「だって、ミガーラの姿を見たか?。あれは男だぞ。いつの間にか、ミガーラは男になってしまったんだよ」 「そういえば、ミガーラの家、ヤバイらしいじゃないか。父親が商売を失敗したとか・・・」 「ははぁ・・・それでか。それでミゲーラと結婚しようというわけか」 「どういうことだ?」 「ミゲーラの親は官吏だろ。安定しているじゃないか。ミゲーラと結婚すれば、ミガーラはいずれ官吏だ。そうなれば、ミガーラの家は救われる」 「なるほど・・・」 こうした噂話は、街中に広まっていった。 この噂話を聞いたミガーラは激怒した。ミゲーラの家に乗り込み、 「噂話は聞いたか?。どういうことなんだ?」 とミゲーラに迫った。ミゲーラは、 「うちも迷惑しているの。お父様もカンカンに怒っているわ」 と泣いていた。 「いったい誰が、あんなうその話をばらまいたんだ。くっそ、街に行って確かめてやる」 「だ、ダメよ、ミガーラ。そんなことをしたら、火に油を注ぐようなものだわ」 「じゃあ、どうすれば・・・」 「あなたが、女の子らしく戻ればいいのよ」 この時、ミガーラは知ったのだった。 「そうか、そうだったのか・・・。ミゲーラ、君が・・・・噂話をばらまいたんだね」 「ち、違うわ。私だって、結婚話がなくなって迷惑しているのよ。何で私がそんなことを・・・・」 「いや、もういい、もういいんだ・・・。ミゲーラ、君の心はよくわかったよ・・・。さよならだ」 ミガーラは、そのままミゲーラの元を去った。 それからしばらく後、ミガーラは船の中にいた。西の国に向かう貿易船に乗ったのだ。彼女は、晴れ晴れとした顔をしていた。 「ねぇ、お父さん、このまま西の国に住むってのはどう?。あの街は・・・私には狭いよ」 父親は、そんなミガーラの顔を見て、微笑んで 「そうだな、今度は母さんも連れて来よう」 と笑いながら言ったのだった。 そんなころ、ミゲーラは部屋にこもりきっていた。街では、ミガーラが西の国に旅立ったことがわかって、前の噂話が嘘であることが発覚していた。しかもそれには、尾ひれがついていた。 「あの噂話は、ミゲーラが、ミガーラの夢を妨害するために流したんだって」 今では、街で流れている噂話は、ミゲーラのことばかりだった。そのため、ミゲーラは外に出かけられなくなっていたのだ。彼女は、自宅の2階の自室にこもったままだったのである。 部屋には、ミゲーラのほかに母親とお釈迦様の姿があった。 「ミゲーラ、なぜこのようなことになったのか、あなたはわかっていますか?」 お釈迦様は、優しく尋ねた。彼女は、しばらく何も答えなかった。黙って、窓から外を眺めていた。 「素直に自分の心に向き合わねば、前へは進めない。素直に自分の心の中をさらけ出さねば、何も変わりはしないのだよ」 お釈迦様は、優しく説いた。それでも、ミゲーラは黙っていた。沈黙が流れた。 「ふむ・・・・では仕方がない。私が言おう。ミゲーラよ、それは嫉妬である。妬みである。汝の心は妬みで渦巻いているのだ。それに気付き、それをまっすぐに見なければ、汝は身を滅ぼすことになろう。いや、汝だけではない。それは周囲も巻き込んでしまうのだ。嫉妬、妬みの炎は、早めに消すことだ。大きな火事になる前に・・・」 「もう遅いです。私は大事な友を失った。両親に恥をかかせた。私も街を歩けなくなった・・・・。もう遅いのです。何もかも・・・・もう遅い・・・」 ミゲーラは、泣き崩れたのだった。 「ミゲーラよ、汝が汝の心の過ちに気付き、よく反省すれば、決して遅くはない。失った信用は、また取り戻すことはできるのだ。人の噂話など、しばらくすれば消えてしまうであろう。大事なことは、今後の汝の行動である」 「私は・・・私は、いったいどうすれば・・・・」 「まずは、ミガーラに謝ることだ。今、彼女は西方の海にいる。しかし、しばらくすれば戻ってくるであろう。その時に、誠心誠意、謝ることだ。心から謝れば、通じるものだ。その後は、婿を取って日常に戻ればよい」 ミゲーラはお釈迦様の顔を見つめた。そして 「それで許してもらえるでしょうか?」 と尋ねた。お釈迦様は、優しくうなずいたのであった。 3か月ほどが過ぎた。ミゲーラの噂話など、消え去ってしまっていたころ、ミガーラが街に戻ってきた。ミゲーラは、真っ先に家を訪れ、謝罪に行った。二人は再開を喜び合った。そして、ミガーラはミゲーラを許し、西の国で暮らすことを告げた。ミゲーラは、誓った。もう嫉妬はしない、自分の夢は自分でつかむということを。二人は、お互いの夢がかなうよう、一緒に神に祈ったのだった。 「羨ましいなぁ・・・いいなぁ・・・」 と言ったり、思ったりしているうちは、まだましなのでしょう。それが口に出なくなった時が怖いのかもしれませんね。 女性だけでなく、男性でも妬みや嫉妬はあります。足の引っ張り合い、噂話を流す、牽制する・・・。サラリーマンの方なら、少なからず経験あるのではないでしょうか 「いいなぁ、羨ましいなぁ」が、「畜生、なんであいつ(あの子)ばかりが」 に変化したら危ないですね。嫉妬の炎が大きくなってきています。それは、放っておくと益々大きくなり、 「そんなことしないほうがいいんじゃないの?」 「それは、いけないんじゃない?、上司は、そうは思ってないよ」 「あんな彼やめておきなさいよ。ダサいし、あなたには合わないわよ」 「現実を見たほうがいいんじゃない。そんなのうまくいかないわよ」 などなど、要らぬお節介の言葉を吐くようになるのです。 相手がうまくいくことが気に入らない、相手がチヤホヤされるのが気に入らない、出世するのが気にらない、イキイキしているのが気に入らない・・・・。嫉妬の炎はどんどん燃え上ってきます。 気をつけましょう。その炎は、早く消さないと、自分の身を焼いてしまうことになります。嫉妬の挙句、意地悪やイジメをしてはいけません。それでは、自分が益々みじめになるだけです。相手に意地悪をしても、自分が認められるわけではありません。否、それどころか、意地悪していることが発覚すれば、最低な人間、と思われるだけです。嫉妬の炎は、早く消さないと、自分を益々追い込み、落とし込み、悲惨な状態に導くだけなのです。 他人のことなどどうでもいいじゃないですか。他人がどんな彼や彼女と付き合おうと、関係ないでしょう。他人が羨ましいならば、その人の真似をすればいいじゃないですか。案外、その人だって苦労しているかもしれません。真似ができないのなら、自分は自分の道を行けばいいじゃないですか。それが見つかっていないのなら、自分に合った道を探せばいいじゃないですか。羨ましいと思う暇があったら、自分の道を探す方がいいのですよ。嫉妬の炎が盛んになる前にね。 嫉妬の炎は、怖いです。自分だけでなく、周囲も焼け焦げにしてしまいますよ。くわばらくわばら・・・。 合掌。 |
第155回 変わることを怖れてはいけない。 もう今さら遅いなどと言い訳してはいけない。 正しい方へ変わることに遅いことはないのだ。 大切なことは実行する勇気と持続である。 |
「去年の話である。コーサラ国の南の外れに小さな村があった。その村はゴミの村と呼ばれていた」 お釈迦様は、そう話し始めると、遠いところを見るような目をして、続きを話しはじめた。 「なんだこの村は・・・。そこらじゅうにゴミが散らばっているではないか」 コーサラ国の南の外れの小さな村を訪れた若者は、村の汚さに驚きを隠せなかった。 「どんな小さな村でも、道端のゴミ位は村人で片付けるものだ。それなのにこの村ときたら・・・・。誰も何もしないのか?」 若者は、村の通りの道端で話し込んでいる婦人たちに声をかけた。 「あの、すみません。この村は、なぜこんなにゴミであふれているんですか?」 若者の質問に、婦人たちは嫌な顔をした。 「あんた何者?。よそから来たんでしょ?。よそ者がこの村のことに口を挟まない方がいいわよ」 そういうと、婦人たちは怒った顔をしてさっさと歩いて行ってしまった。若者は、あっけにとられしばらくその後ろ姿を見つめるだけだった。 「おい、いったいこの村はどうなっているんだ?」 若者は、この村の友人を訪ねてきたのだった。 「おぉ、久しぶりじゃないかウパーヤ。久しぶりなのに、いきなりその挨拶かい?」 「あぁ、悪かったよシャラナ。久しぶりだな。シュ−ラバスティーでの訓練以来だから、3カ月ぶりか。元気にしているようだね」 「あぁ、元気だ。しかし、こんな村に配属されたのは、運が悪かったよ」 ウパーヤとシャラナは、3カ月前までコーサラ国の首都シューラバースティで村を管理する上級役人の訓練を受けていたのだった。上級役人は、コーサラ国本部から各村に派遣され、村の長に国の意志を伝えるのが本来の仕事である。しかし、村人たちを押さえつけねばならないこともあるので、半分は兵士のような仕事もあった。 「この村は、ダメだよ。村長からして何にもやる気がないんだ。俺もここに配属されたときはびっくりしたさ。すぐに村長を呼びつけ、村のゴミを片付けよ、と命じたんだけどな。村長は『ゴミを片付けないのはこの村のしきたりです。前の上級役人の方も、このことには口を出しませんでした』というんだよ」 「それで・・・引き下がったのか?。もし、そうなら・・・・お前らしくない」 「引き下がるわけないだろ。ウパーヤ、お前も知っている通り俺はきれい好きだ。だから、村長にはきつく命令したさ。しかしな、『わかりました。村人にはゴミを片付けるように伝えます』と言ったきり、そのままこの役所にも姿を現さなくなった」 「村長はどこかへ行ってしまったのか?」 「いいや、こことは別の役所を造って、そこにいるんだよ」 シャラナの言葉にウパーヤは、なんと答えていいかわからなくなった。 「驚くだろ?。俺はな、その新しい役所にも乗り込んだよ。そしたら・・・」 「そしたら?」 「あなたは誰ですか?、だってよ。で、そのあとに『この村にはコーサラ国の上級役人はいりません』だって。だから、俺も言ったさ。『上役に言って軍隊をよこす。軍でこの村の掃除をしてやる』とな」 「そうだ、軍を呼べばいいんだよ。こんな村、片付けてしまえばいい」 「ところがだ、軍は動かないんだよ」 「なっ、なんで・・・」 「国にとって、こんな小さな村はどうでもいいんだよ。特にこの村は産業がない。税収も少ない。土地も豊かではない。ただ、領土というだけの村だ。もし南の国が戦争を仕掛けてきたら、コーサラ軍の駐屯地になるだけの村なんだ。ゴミであふれていようが、汚かろうが、村人が従わなかろうが、いざ戦争になったら、その時に軍で村人を追い出せばいい。上の役人は、そう考えているんだよ」 「そ、そうか・・・。この村の価値は、その程度なんだな。じゃあ、軍隊をよこすことはないわけだ」 「そう、俺は、この村にいて、南の国が攻めてこないか見張っているだけの存在なんだよ」 そういうとシャラナは、大きくため息をついたのだった。 「ところで、ウパーヤ、お前は今何をしているんだ?。お前、村への派遣を断って役人を辞めてしまったんだろ?」 「うん、あぁ、そうだ。今は何もしていないんだよ。ブラブラしているだけだ」 「だけど、お前は次男坊だろ?。家の跡継ぎにはなれないじゃないか?。ブラブラしてて何とかなるのか?」 「うん、ブラブラと言っても・・・祇園精舎に通って話を聞いているんだ」 「お釈迦様の話を・・・か?。毎日のように?」 ウパーヤは、うなずいた。 「とりあえず、貯金があるうちは、そうやって過ごそうと思ってるんだ。で、貯金がなくなったら旅にでも出ようかと・・・。もしかしたら出家するかもしれないし・・・」 ウパーヤの言葉に今度はシャラナが驚く番だった。 「3カ月も時間が経つと、変わるもんだなぁ。お互いに・・・」 二人はしみじみと語り合った。 ウパーヤは、三日ほど滞在してシャラナの元を去った。去る時に 「シャラナ、まあ、元気を出せよ。そういうのも変だけど」 「ウパーヤ、お前もな。まあ、出家するのは勝手だけど・・・。まあ、また来いよ。こんな汚い村だけど。何もない村だけどな。いや、来て欲しいよ。こんなところで一人で過ごすのは、キツイからな」 シャラナは、引きつった笑いをしてウパーヤを見送ったのだった。 それから1カ月後のこと、シャラナがいる村に異変が起きていた。ある朝のこと、いつも散らばっているゴミが通りに一つもなかったのだ。村人たちが村長のところに集まってきた。 「いったいどういうことじゃ。ゴミが無くなっている」 「通りには一つもゴミが散らばっていないぞ。どういうことだ?」 「誰が村のおきてを破っているの?。村長、犯人を捜さないと、村に祟りがあるかもしれない」 村人の訴えに村長は、 「たぶん、上級役人のやつじゃ。アイツが夜中にこっそりゴミを片付けているに違いない。ヤツのところへ行ってくる」 村長はシャラナのところにすぐさま向かった。しかし、シャラナはまだ起きたばかりで、村の異変を知らなかった。彼は、村長の言葉に大いに驚き、外に出て確認したのだった。 「ほ、本当だ。村がきれいになっている・・・・。俺は何も知らん。村の誰かがゴミを片付け始めたんじゃないのか?。あまりの汚さに」 「あんたじゃないのか・・・ならば、いったい誰が・・・・」 村長とシャラナは首をかしげるばかりだった。 しかし、村がきれいだったのは、その日一日だけだった。村人たちはすぐにゴミを外に棄て始めたのだ。通りのあちこちにゴミだまりがすぐにできてしまった。 「この村はやはりこうでなくっちゃ」 村人たちは、ゴミをせっせと通りに捨てたのだった。 次の朝、村は再びきれいになっていた。道端に落ちていたゴミは、きれいに片づけられていたのだ。村人たちは、上級役人のシャラナを疑い、彼の宿舎に見張りを立てた。そして、村のあちこちにゴミをまき散らしたのだ。 しかし、翌日の朝には、ゴミはきれいに片づけられていた。シャラナを見張っていた村人は、シャラナが一歩も外に出ていないと証言した。もちろん、宿舎には隠し通路などはない。シャラナは実際に一度も外に出ていないのだ。 村人たちは、ゴミを片付けている犯人を見つけようとして、また村にゴミをまき散らした。しかし、そうそう毎日たくさんのゴミが出てくるわけではない。三日連続できれいにゴミを片付けられてしまったのだから、村にはほんの少ししかゴミが残っていなかった。それを見た村人の一人が言った。 「ゴミがない村って・・・案外きれいだな」 その言葉に他の村人は驚き、その言葉を言った者を睨みつけたが 「まあ、確かに・・・。ゴミがないと、臭くもないしな」 「う、うん・・・。なんだか、ちょっと気分がいいなぁ」 などと言い出したのだ。しかし、村長は 「バカなことを言っちゃいかん。ゴミが村のあちこちにないと、祟りがあるのだぞ。ゴミがあるからこそ、この小さな村は守られているのだ。ゴミがなくなったら、守り神がお怒りになる」 と怒ったのだった。村人たちは、村長の言葉に、疑問を持ちながらも黙るしかなかった。 翌日の朝、ほんの少ししかなかったゴミだったが、きれいに片づけられていた。村は、さわやかな空気に包まれていた。が、しかし、ゴミのない光景を見て、 「祟りがある、祟りがあるぞ」 と恐れる者がいたの確かだった。それは、主に老人だったのだ。若者たちや女性は、村がきれいになったことをひそかに喜んでいたのだ。若者たちは、よその村から来た人に「汚い村」と言われるの嫌っていたのだ。 いつの間にか、道にゴミを捨てるのは、祟りを畏れる村長や老人だけになった。若者たちは、ゴミを捨てなくなったのだ。村のこうした変化を見て、シャラナは、老人が捨てたゴミを拾って片付けるようにした。シャラナは、ひそかに調査をしていたのだが、村の外れに大きなゴミを溜める穴を発見していたのだ。彼は、老人たちが捨てるゴミをせっせと拾い集め、ゴミ穴に運んでいた。やがて、それはシャラナだけではなくなり、村の若者も協力しあうようになっていったのだ。 こうして、その村は、きれいなゴミ一つ落ちていない村へと変身したのだった。 「こうして、ゴミの村は、ゴミ一つ落ちていない村に変わった。村人たちは、いつしかゴミを道端に捨てるという習慣をやめてしまったのだ。もちろん、老人たちが信じていた神の祟りなどなかったし、村が禍に襲われるようなこともなかった。むしろ、ゴミがなくなり、衛生的によくなったおかげで流行病が減ったくらいだ。その村は、今でも清潔さを保っている。村の上級役人のシャラナ自身もきれい好きだったことが幸いしていたのだ」 「世尊、質問があります」 若い修行僧が手を挙げた。 「いったい誰が、こっそりゴミを片付けていたのでしょうか?」 お釈迦様は、その質問をした若い修行僧に 「汝は、わからないのか?。汝のそばにいる」 と微笑みかけた。その若い修行僧のすぐ横には、ウパーヤが座っていた。 「ウパーヤは、その村の習慣が間違っていることに気付いた。そして、なんとかその村の人々に、自分たちが間違っているということを気付かせたかったのだ。そこで、彼は、頭から布を被り、顔や姿を隠して夜な夜なその村のゴミを片付けていたのだ。大きなゴミの穴を掘ったのも彼だ。彼は、何日もかけて準備をし、村の外れの橋の下で昼間に寝て、夜にはゴミを片付けることをしていたのだよ。 よいか、修行僧よ。かの村は生まれ変わった。ゴミの村から清潔な村へと変わったのだ。多くの人が住んでいる村ですら変わることができる。しかも、長年の習慣でさえも変えることができるのだ。しかし、変えようという思いがなければ変わらない。正しい道に変えようという強い思いがなければ、変えられないのも事実である。 人は、心の中では本当は間違っていると気付いていていても、なかなか変わることができない。それは、変わることを怖れているからだ。そして、変われない自分に対し、『今さら遅い、今から変わってもどうしようもない』などと言い訳をしているのである。 よいか、皆の者。正しい方へ変わるのならば、その変わることに遅いも早いもない。正しい道があるなら、そちらへ進むのに遅いも早いもないのだ。自分に対して言い訳などしてはならぬ。変わりたいのなら、自分を変えたいのなら、何も恐れずに勇気をもって実行するべきなのだ。 自分を変えられない者に欠けているのは、その一歩を踏み出す勇気である。そして、正しい方へ変えた状態を維持する持続である。多くの者は、以前の悪い自分へと戻ってしまうのだ。なぜならば、そのほうが楽であるからだ。 自分を変えることはつらい。しかし、正しい道へ変わるのならば、つらくともやり遂げたほうがいいであろう。変化を怖れぬ勇気を持つこと、変化を維持する持続性を持つこと、これが自分を正しい方向へ変えるのに必要なことである」 お釈迦様は、厳しい口調で修行者たちに説いた。そして、 「ウパーヤ、汝がコツコツと実行したことにより、村は救われた。その汝の努力を忘れぬよう、修行に励むがよい」 ととほほ笑んだのであった。 自分を変えることは難しいことです。特に習慣化していることは、なおのことですね。 「だって、癖だから仕方がない」 「今さら変われと言われても・・・」 などと心の中で、あるいは声に出して言い訳をすることは多々あると思います。 本当のことを言うと「いけないな」ということは自分でも気が付いているんですよね。多くの場合、実際には自分でわかっているんです。ですが、習慣化していることや癖は、なかなか変えられません。それは、 「面倒くさい」 「今さら遅い」 「変えてしまって、友達とかいなくなったらどうしよう?」 「変わったことによって、孤立化してしまわないか?」 「変わることで失うことも多いのではないか」 といった理由からでしょう。誰でも変わることは面倒だし、あきらめが先に立ってしまうし、変化を恐れるものです。変わることは、ちょっと怖いですからね。不安ですし。 しかし、そんなことを言っていては、自分変えることはできません。悪い習慣から脱出することはできません。悪い癖を直すこともできません。いつかどこかで自分を変えてみようと思わなければ、自分を変えることなどできないのです。面倒や恐怖、不安に負けてしまって、 「まあ、このままでもいいか」 とあきらめてしまえば、何も変わることはなくなり、悪い習慣や癖などはそのままになってしまうのです。 そして、その行きつく果てには・・・・苦しみが待っているのです。 正しいことならば、誤りを正すのならば、勇気をもって変えていきましょう。変わること、変えることには、面倒や不安はつきものですが、間違った行為や習慣、癖を変えないことの方が、実はもっと恐怖なのです。大切なことは、変えようと思う勇気と、それを成し遂げていく実行力と、退かないという持続力でしょう。 悪習慣や癖、間違った行為から抜け出すためにも、実行する勇気と持続力を持ちましょう。 合掌。 |