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第156回
現実から目をそらしてはいけない。
夢想しても意味はないのだ。
現実をしっかり受け入れ、対処することにより道は開くのだ。
コーサラ国の首都シュラーバースティーは、今日もにぎわいを見せていた。この街には、多くの若者が夢を抱き集まってきていた。それも、コーサラ国王が、王宮内の仕事や兵士に、身分を問わず人材を登用したからだった。しかし、多くの若者が集まるということは、それだけ働き先は狭き門となる。そのため、職にあぶれた若者も多くいたのだった。

サハーラの周りには、いつも若者が10人ほど集まっていた。彼らも、地方から職を求めてやってきた連中だった。仲間の中には、女性もいた。
「結局、今日もダメだったよ。王宮内の仕事には就けなかった」
サハーラは、吐き捨ているようにそう言った。
「募集は何人だったんだ?」
仲間が尋ねた。
「王宮の清掃係に5人、庭の手入れに5人・・・。集まった者が約100人。くそっ!、何で採用されないんだよ」
「サハーラ、だってお前、掃除なんて嫌だ、土をいじるような仕事は嫌だ、って言ってたじゃないか。落ちてよかったんじゃないのか?」
仲間にそう言われ、サハーラは言葉に詰まったが、すぐに言い返した。
「まあな、そうなんだけど・・・。でもさ、王宮に入りさえすれば、他の仕事を言いつけられるかもしれないだろ。で、その仕事で俺の才能を発揮できれば、俺は一気に注目される。そうすりゃあ、出世も夢じゃないだろう」
「おいおい、そんなことあるわけないだろ。だいたい、お前にどんな才能があるっていうんだ?」
仲間たちは、大笑いしたのだった。
「笑うことはないだろう。隠れた才能だってあるかもしれないじゃないか。ま、とにかくだ。王宮にさえもぐりこめば、あとは何とかなるってもんさ」
「お前はお気楽でいいねぇ。ところでさ、アヴァーナは仕事はしてるんだろ?」
仲間の一人が、一人の女性に話しかけた。
「えぇ、私は一応仕事してるわよ。大金持ちの御屋敷の清掃係よ。まあ、奴隷みたいな仕事だから、いつか変わろうと思ってるの」
「アヴァーナはさ、なんでシュラーバースティーに来たんだ?。田舎で嫁に行った方が幸せだったんじゃないのか?」
「嫌よ、あんな村。いい男なんていないし。貧乏人ばっかり。うんざりだわ。私にあった男は、あんな村にはいないわよ。私には都会があっているの」
「ふぅうん、そんなもんかねぇ。まあ、確かにアヴァーナはきれいなほうだからな」
「そうでしょ、うふふふ。そういうあんたたちだって、夢見てこの街に来たんでしょ?」
アヴァーナの質問に、その場にいた若者たちは大きくうなずいた。いや、ただ一人だけうなずかなかった者がいた。その若者はヴァジュラという名で、シュラーバースティーに来てまだ日が浅かった。
若者たちは、それぞれ夢を語り合っていた。どこかへ勤めて、出世して、大金持ちになるのだ、というのが、彼らの夢だった。その話を黙って聞いていたヴァジュラがひとこと言った。
「夢を追うのもいいけど、現実は厳しい。それがわかっていないと、結局は落ちぶれる」
その言葉に、若者たちは一気に白けてしまった。
「お前、変なことを言うんじゃねぇ」
「お前なんぞ消え失せろ。邪魔だ!」
若者たちは口々にヴァジュラを罵り、追いやったのだった。ヴァジュラは、彼らから離れながらも
「お前ら、現実を見ろよ!。特別な才能なんて、みんなないんだぞ。幸運なんて待っていたってやってこない。自分の道を切り開くのは、自分だけなんだ。目を覚ませよ!」
と叫んでいた。頭にきた若者たちは、石を投げてヴァジュラを追い払ったのだった。

それから数年後のことである。ヴァジュラは、あの時の若者たちのその後を訪ねて歩いていた。彼らの消息は、なかなかつかめなかった。最初にわかったのはアヴァーナだった。ヴァジュラは、彼女が働いていた街の富豪の家を訪ねたのだ。しかし、彼女は、もうすでにそこでは働いていなかった。そこからたどって、アヴァーナの行方をヴァジュラはつきとめたのだった。彼女は、農園の奴隷になっていた。
「なんだよ、帰っておくれよ。もうあんたたちには会いたくないんだよ」
アヴァーナは、そう言って卑屈に笑った。
「笑うがいいさ。あんた、笑いに来たんだろ?。そうさ、あんたの言ったとおりだったさ。夢ばかりおっかけても、仕方がない。バカみたい・・・。もっと現実を見ればよかった。あのまま、故郷にいて、平凡な男と一緒になって、平凡な家庭を作ってさ・・・。貧しくても、それがよかったのかもしれないねぇ」
「今からでも遅くない。故郷に戻ったらどうなんだ?」
「いまさら・・・、どの顔して戻ればいいっていうんだ?。こんなにヤツレテしまってさ。はぁ・・・、最初の御屋敷の掃除婦の方がまだましだったよ。同じ奴隷でもね。はぁ・・・。あの時、あんたの言うことに少しでも耳を貸せばよかった。現実は甘くはないよねぇ・・・」
アヴァーナはそういうと、泣きながら仕事に戻っていった。数年前の美しさは、全く見られなかった。

次に消息が分かったのは、サハーラだった。彼は兵士になっていた。しかし、兵士と言っても、最下級の兵士だった。彼は、コーサラ国の南の国境付近で、水路を作るため、せっせと土を掘り返していた。
「なんだ、笑いに来たのか?。はっ、結局はこのざまさ。あぁ、あれからすぐに兵士に採用されたんだよ。3カ月の訓練を受けて、配属されたのがここさ。俺には、優秀な兵士の才能なんてなかった。そりゃあそうだよなぁ。俺、頭悪いし、数字にも弱い。人を采配する力もない。あるのは、頑丈なこの身体だけ。兵隊長に言われたよ。お前は丈夫以外、なんの取り得もないなぁってな。で、ここに配属さ。ま、仕方がねぇさ。弓も下手だし、剣もダメ、穴掘ること以外何もできないんだからな。奴隷と変わらねぇよ。あははは」
彼は、自嘲気味に笑ったのだった。ヴァジュラは他の者のことを尋ねた。
「他のヤツ?。あぁ、俺が兵士の訓練から帰ってきたときには、あいつらみんなバラバラだったと思うぞ。確か・・・アヴァーナは会ったのか?。えっ、農園の奴隷になっていった?。あの女、嘘つきやがって!。いや、去年、街でバッタリ会ったとき、お屋敷のお手伝いをしているって言ってたんだよ。しかも、お手伝いの中の長をやっているってさ。執事長っていうのか?。まあ、それをやっていて、今度、ある商人の息子と見合いをするんだとか言っていた。嘘だったんだな、あれは・・・。くっそ、俺のこと散々笑いやがったクセに!。あの女、許せねぇな。しかしな、現実はこんなもんだよ。バカだったよな。お前が言ったとおり、現実をしっかり見ておけばよかった。いや、現実を受け入れるべきだったんだ。うすうす気が付いていたんだよなぁ・・・。俺には特別な才能なんてないってさ。他のヤツラも同じさ。確か・・・船員になったヤツがいたな。ま、奴隷と変わらねぇな。海に落ちても誰も助けねぇ。それから、あぁ、よその国に行ったヤツもいたな。よその国でいい仕事があるからって・・・。兵士仲間に聞いたんだけど、それは詐欺だって話だ。結局は、よその国に奴隷として売られるんだってな。故郷に帰ったヤツもいたなぁ・・・。他の連中は知らねぇな。で、ヴァジュラ、お前は何をやっているんだ?」
「俺は、何もしていない。ずーっと旅をしているんだ。現実を見る旅をね・・・」
「旅?、ふん、いい身分だな。で、それからどうするんだ?」
「わからない・・・。この気持が落ち着くまで旅を続けるか、どうしようか迷っているところだ」
「ふうん、変なヤツ。お前も現実を見たほうがいいんじゃねぇの?」
サハーラは、そう言って大笑いすると、「また穴掘らなきゃいけねぇから」と言って、作業に戻っていったのだった。一人残されたヴァジュラは、虚しさに包まれていたのだった。

ヴァジュラは、その足で祇園精舎に向かった。この虚しい気持ちをお釈迦様に聞いてほしかったのだ。
「ヴァジュラよ、よくここへ来た。汝のその虚しさも現実の一つなのだよ」
お釈迦様は、ヴァジュラの話を聞くと、優しく語り始めた。
「多くの者が、現実から目をそらそうとする。多くの者が、現実を見ないようにするのだ。本当はわかっているのだが、現実の厳しさを受け入れるのが辛いのだよ。だから、いろいろ夢想してしまうのだ。自分には隠れた才能があるのではないか、何か幸運が起きて自分は優遇されるのではないか、目が覚めたら問題が解決しているのではないか、誰かが自分を救いに来てくれるのではないか、私を待っている素敵な人がいるのではないか、いつかきっといつかきっと・・・と人は夢想してしまうものなのだよ。
しかし、ヴァジュラよ、汝も気が付いていると思うが、夢想からは何も生まれない。夢想は夢想にしか過ぎないのだ。神々も夢想ばかりしている者には目もくれないだろう。神々が祝福をする者は、現実をよく見て、その現実を受け入れ、現実に対処し、努力をする者、なのだよ。現実を拒否し、夢想ばかりして、神々にすがろうとする者には、神々は微笑むことはない。多くの者が、そうした愚かしい行為を行っているのだ。汝が見てきたとおりにね。それが現実なのだ。
ヴァジュラよ、現実から目をそらしてはいけない。夢想しても意味はないのだ。この現実をしっかり受け入れ、理解をせよ。そして、そこから道は開くのだ。いや、現実を受け入れなければ、道は開かないであろう。それも現実なのだよ」
お釈迦様の言葉にヴァジュラは、晴れやかな顔をして
「あぁ、やはりそうだったのですね。今、私は理解しました。私が進むべき道もはっきりとしました。私は私の現実を受け入れます。どうか、出家をお許しください」
と出家を願い出たのであった。お釈迦様は、その言葉に優しく微笑み、うなずいたのであった。


中2病という言葉がります。初めはオタク用語かネット用語だったそうですが、今では、漫画の外にもあちこちで耳や目にする言葉になっています。ご存知でない方のために、簡単に解説します。
中2病とは、自分には隠れた才能があるのではないか、自分は特別な存在なのではないか、自分には不思議な力が備わっているのではないか、などと夢想や空想をすることだそうです。で、その夢想や空想にとらわれて、思い込んでいる状態を中2病というのだそうです。なぜ、中2病というのかといいますと、中学2年生のころは、そのよう夢想を多くするからだそうです。で、その夢想が抜けなくなり、病的になってしまうから中2のころの夢想病ということで、中2病というのだそうです。この病は、男性に多いようですね。

「私には、社長の器があるんですよ」
そう言って相談に来たのは20代半ばの青年でした。自分にはすごい才能があり、将来は大きな会社の社長になる器があると信じているのです。本人はいたって真面目です。冗談ではありません。真面目にそう言っているんですよ。だけど、現実は無職です。バカバカしくて、普通の仕事ができないのだそうです。笑い話ではありません。本人は、いたって真剣なのですから。しかし、彼はまさしく中2病・・・ですよね。

とはいえ、彼の場合は、極端かも知れませんが、案外、誰もが似たようなことを思っているのではないでしょうか?
「俺にこんな会仕事をやれっていうのか?」
「あぁ、あの上司はダメだな。俺を使いこなせていない。ダメ上司を持った俺は不幸だ」
「なんで私がこんな仕事を?。私の才能をつぶす気なの?」
「あぁあ、きっといつか王子様が私を迎えに来てくれる。ここまで待ったんだから、きっと素敵な男性が現れるわ」
「自分のような真面目な人間が、なぜ採用されないんだ。面接官も見る目がない!」
こんなことを思っている方、案外多いのではないでしょうか。

現実を見るのはつらいですね。さらに、現実を受け入れるのはもっとつらいです。しかし、現実を受け入れなければ、前には進めません。いろいろ夢想したり、根拠のない自信を持っていたり、ラッキーを期待していては、話になりませんよね。そんな夢想やラッキーは、実際には起こりえないことなのです。それが現実でなのですよ。
現実から目を背けることなく、しっかりと見つめ、現実を受け入れることで、自分という者の価値が見えてきます。それは、辛いことかもしれません。どうしても過大評価しがちですからね。しかし、自分の正しい評価を知らなければ、先へは進めないのです。道を開くことはできないでしょう。
妙な期待や夢想などせず、しっかりと現実を見て、受け入れましょう。それが、先へ進むための妙法なのですよ。
合掌。


第157回
ほどほどにしておかないと、苦しむことになる。
もっともっとと欲をかけてはいけない。
これで十分だ、と満足を知ることが大切なのだ。
祇園精舎でのことである。その日は、法話の会が午後から行われていた。祇園精舎には、修行僧たちを始め、多くの人々が集まっていた。お釈迦様が、一同をゆっくりと見回してから、話を始めた。
「昔々のことである。バラナシの町の通りに時折、鳥たちがエサを探しに来ていた。ある鳥の一族が、エサがたくさん取れる場所を見つけた。それは、町の中心にある四つ辻の真ん中であった。そこには、穀物がたくさん落ちていたのだ。その通りは、たくさんの荷車が通り、特に町の中心の四つ辻は、多くの荷車が行きかう場所であった。そのため、荷車どうしがぶつかったり、急に曲がってひっくり返ったり、人を除けて急停車したりして、穀物が荷車から落ちてしまうことがよくあった。その鳥の一族の長は、
『これはいい場所を見つけた。ここで食料を取れば、我々は飢えることはない。今後は、この場所で食料を取ることにしよう』
と大喜びで、一族の元へと戻っていったのだった。しかし、一族の長老は、長の報告に反対をしたのだった。
『その場所は知っている。しかし、そこは危険だ。わしの古い友人たちも、その場所でたくさん死んでいった。悪いことは言わん。他の場所を探すのだ』
しかし、一族の長は
『いや、大丈夫ですよ、長老。今日、一日ずーっと観察をしていましたが、時々車が一台も通らないことがあるのです。その間に一斉に食事をとればいいのです。私が、みんなを誘導します。危険がせまったら、すぐに飛び立つように合図を送ります。だから大丈夫です。長老にも、たくさんの食料を持って帰ってきますよ』
と自信満々に答えたのだった。長老は、悲しい顔して、それ以上は何も言わなかった。
翌日、一族の長は、一族のうち飛ぶことが早い者だけを選んで、町の四つ辻へと向かった。
『いいか、俺がよしと言ったら食料を取りに行くのだ。戻れと言ったら、すぐにここに戻るのだ。いいか、ちょっとでも戻るのが遅れると、あの荷車に引かれて死んでしまうからな、言うことを聞いてくれ』
選ばれた一族の者たちは、うなずいて長に従った。
彼らの食料確保は、上手くいった。彼らは、その後何度も四つ辻へ食料を取りに向かった。そのため、一族の者たちは、食料が増えてみな喜んでいた。長老は、『くれぐれも欲をかけ過ぎないように』といつも注意していた。一族の長や若者たちは、適当に返事を返すだけで、誰も真剣に耳を貸す者はいなかった。
『長老もうるさいよな。俺たちにかかれば、あんな道、どうってことないよな』
『あぁ、そうだとも。俺たちの速さならば、すぐ近くに荷車がいても簡単に逃げられるさ』
『そうだよな。いつも長の合図で戻るけど、それから随分たってから荷車が通っている。余裕がありすぎなんだよ。もっとギリギリでいいのにさ。そうすれば、もっと沢山の食料を持って帰れるぞ』
『そうだよな。長も気が小さいのか心配性なのか、合図が早すぎるんだよ。そうだ、今度町に行ったときは、長の合図に従わず、俺たちの判断で飛び立たないか?』
『おぉ、そうだな。それはいい考えだ。じゃあ、お前が合図を送れよ』
「よしわかった。俺が合図を出してやる。飛べっと言ったら、飛ぶんだぞ』
若者たちは、長の合図を無視して自分たちだけで食料を取ることにしたのだった。
その日、いつものように一族の長は、若者たちを連れて町の四つ辻へと向かった。長は、一段高いところに停まって、四つ辻を行きかう荷車の様子を見ていた。いつものように、四つ辻には穀物がたくさん落ちている。
『あの一台が通りすぎれば大丈夫だ・・・・。よし、行け!』
長の合図で下にいた若者の鳥たちは、一斉に四つ辻に舞い降りた。彼らは、せっせと穀物をついばんだ。『よし、もっとだ、もっとだ』・・・彼らは、必死に穀物をくわえたのだった。
『おい、戻れ!。荷車が来るぞ』
長がそう叫んだ。しかし、若者たちは誰一人飛び立とうとはしなかった。『まだまだ、もっとだ、まだ大丈夫だ』と、若者たちはそういって、夢中で穀物を拾い集めていたのだ。
『おい、何をしている、危ないぞ。もう荷車がやって来る。早く飛ぶんだ!』
長が、大きな声で叫んだ。しかし、若者たちには、その声は届いていなかった。『何言ってる。まだ、大丈夫だ。荷車は、ほら、あんなに遠くにいるじゃないか』・・・・。若者たちは、無我夢中で穀物をついばんでいたのだった。その時だ
『あぁ、もうダメだ!。危ない、早く飛ぶんだ!』
『よし、もう行こうじゃないか。そろそろヤバイぞ』
長と若者の鳥が同時に叫んだ。しかし、他の若者たちは、『まだ大丈夫さ。もうちょっとイケるって』といって、飛び立とうとはしなかった。次の瞬間、荷車が、彼らの上をものすごい速さで通り過ぎていった。
『おや、今何か轢いちまったか?。あぁ、鳥か。まあ、鳥ならいいや・・・』
荷車を引いていた男がそう言って、通り過ぎていった。そのすぐ後、何台も荷車は、その四つ辻を行きあったのだった。
一族の長は、泣いていた。仲間の若者たちの遺体は、バラバラになってしまい、チリにまみれてどこかへ飛んで行ってしまった。四つ辻には、何も残っていなかったのだ。長は、一族の元に帰り、すべてを報告した。一族の長老は、
『欲をかけ過ぎた若者たちがいけないのだ。お前は、ちゃんと合図を送った。しかし、わしは、いつかこうなると思っておった。お前さんたちは・・・特に若者は、もうこれで十分だ、ということを知らない。満足を知らないものは、危険が伴うものなのだ。だから、あの道に行くことを反対したのだが・・・・。これからは、もっと安全な場所で食料を確保することだな』
長は、長老の言葉に従うことを誓ったのだった・・・・。」

お釈迦様が話を終えた時、集まった人々の中から笑い声が聞こえてきた。
「お釈迦様、そんな昔話してもらっても意味がないですよ。そんなのは、昔の笑い話さね。わはははは」
お釈迦様は、笑った男の顔を見ていった
「これは、昔話であるが、昔話だといって笑って済ませてはいけない。似たようなことを人々は行っているのだ。よく考えてみるがよい。大きな口をあけて笑っている、汝にも心当たりがあるであろう」
お釈迦様にそう言われ、その男は、小さくなって黙った。その横でその男の女房が「あんたもバカだねぇ」と笑っていた。そして
「あんただって、もう一杯、もう一杯と言っては、酒を飲んでるじゃないか。もうこれで最後、もう飲まねぇ、といっては、器に酒を注いでいる。そのうち、お前さんも酔っぱらって荷車に轢かれるさ」
と大きな声で言ったのだった。周囲の者たちは、大いに笑った。
「なるほど、そう言われてみれば、俺たちは、もっともっとと言ってるな」
「あぁ、違いねぇ。俺なんぞ、もう一杯飯食わせろ、もちょっとでいいから食わせろ、って言ってるもんだから、こんなに太っちまった。あはははは」
大きな腹を抱えてその男は大笑いした。集まっていた人たちも、つられて大笑いをした。
「あははは。笑っている場合じゃないけどな。俺も気を付けないと、太り過ぎで死んでしまうかもしれねぇ。もう少し、慎まないとな」
「そりゃそうだ。だけど、もっと危ない者もいるんじゃないか。もう一回、今度こそは、もう一回、といって、賭け事から足を洗えないヤツ、こいつは危ないぞ」
「酒や賭け事、女は、なかなか満足することは難しいからなぁ」
「ホント、男はダメだねぇ」
「そう言っている女だって、もう一枚、もう一枚だけだからって、布を買いまくってるじゃないか。そのうちに金がなくなってしまうぞ」
いつの間にか、祇園精舎に集まった人々は、口々に「もっともっと」という行いをお互いに探しだしていた。

「いや、しかし、笑い事ではないな。誰もが、もっともっとと言っては、欲を出している。そのもっともっと、もう一回、もう少し、もうちょっと・・・で、案外苦労しているんじゃないか?」
「あぁ、確かに・・・。あの時、もう一杯と言わずに、適度なところで酒をやめておけば、怪我なんぞしなくて済んだのによぅ・・・。あははは、酔っぱらって転んじまって、腕の骨を折っちまった。そのせいで仕事を休むことになってな。今月は、収入がない。困ったものだ」
ある男の告白に、集まった人々はしーんとしてしまった。
「うちもだよ。女房が、もっともっとと言っては、何かと買い込んでさ。今月は生活が苦しいんだよ」
「うちもさ。このバカ亭主の賭け事のせいで、いつも生活が苦しい。何度言っても、このバカ亭主は賭け事を止めやしない。今度は必ず取り返す、次は絶対取り返す、とか言って、どんどん金をつぎ込んでいる。荷車に轢かれた鳥どもを笑えないね」
そういう話があちこちから湧いて出てきた。多くの者が、欲を抑えられず、苦しい状態にあるのだった。
「よいか、みなのもの」
お釈迦様が、ひときわ大きな声をあげた。それまで勝手にしゃべっていた人々は、一斉に口を閉じた。
「よいか、人々よ。何事もほどほどにしておかないと、苦しむことになるのだ。もっともっとと言って、欲をかけていてはいけない。これで十分だ、この程度でやめておこう、という気持ちを持たないと、苦しむことになるのだ。これでもういい、という満足を知ることが大事なのだ。
よいか、これは、何もものや食べ物に対してだけではない。怒りや文句、愚痴、嫉妬・・・どんなことでも、ほどほどにしておかないと、痛い目に遭ったり、迷いの世界へ入ってしまったりするであろう。たとえば、怒り狂って相手を追い込めば、逆に暴力を振るわれることもある。文句を言い過ぎれば、嫌われることにもなろう。嫉妬の炎を燃やし過ぎれば、心の闇にとらわれ、正常でいられなくなるだろう。
限度を知らず、際限なく欲をかけてはならぬ。すべてにおいて、何事も、ほどほどにするのが、最も安全なのだ」
お釈迦様は、そういうと優しく微笑んだのであった。


「満足を知る者は常に富む」
という仏教の言葉があります。満足を知っている者は、常に心に余裕がありますから、それが本当の富める者なのです。

物質に関しても、情に関しても、限度を知らないと、恐ろしいことになります。もっと、もっと、もう一回、もう少し、もうちょっと・・・と言っては、人は深みにはまっていきますね。これくらいは大丈夫だろう、もう少しやっても平気だろう、ここまで来たらもっとやっても同じだな、こうなりゃもっといっちゃえ〜・・・などと言って、どんどん深みはまっていくのです、人間は。
それだけではありませんね。もっと愛を、もっと愛して、もっと相手にして・・・といって、ゆがんだ愛情へ発展してしまうこともあります。もっと会いたい、もっと近付きたい、もっと声が聴きたい、もっと見ていたい、もっと一緒にいたい・・・と言ってストーカーへと変貌するのです。
あるいは、相手をどんどん追い込み、ケンカに発展することもあります。いい加減な所で矛を収めないと、意外な反撃にあって修羅場へと移行してしまうこともあります。
さらに。もっといい成績を、もっと勉強を、もっと売り上げを、もっと成果を・・・と親や上司から言われ、逃げ場を失いウツになってしまうこともあります。
怖ろしいことですね。

どんなことでも、「まあ、このあたりでいいとするか」とか「これで十分だな」という限度を知らなくては、とんでもないことを引き起こしてしまいます。際限がない欲は、身を滅ぼすだけでなく、周りをも不幸にしてしまうのです。
「私はそんなことはない」
と言っているお父さん、飲み過ぎてはいませんか?。パチンコや競馬などにはまっていませんか?。独身男性もそうです。もっともっと・・・と言って、握手券目当てにCDを無用に買い込んでいませんか?。いくらたくさん握手をしても、満足を知らなければ、限度が見えてきませんよ。
もっともっと・・・と言って、バーゲン品を買い込んでいませんか?。家に帰って「あら、何でこんなに買っちゃったんだろう」ってなってません?。もっと勉強しなさい、もっといい成績をと言って、子供にプレッシャーを与えすぎてませんか?。あまり追い込み過ぎると、性格がゆがんでしまいますよ。お前のせいだ、あんたのせいだ、などと言って、相手をとことん追いつめていませんか?。追いつめすぎると、逆ギレされますよ。
アブナイアブナイ・・・・。
限度を知らないと、その行きつく先は、不幸な世界なのです。

昔から「腹八分目」と言います。満腹は、身体にはよくありません。ましてや、さらに上、さらにもっと・・・というのでは、パンクしてしまいます。
満足を知る。これで十分だと思う。
どこかで、けじめをつけたり、線引きをしないと、いつもいつも物足りなさを感じ、行きつく先は、餓鬼の姿でしょう。
そんな醜い者にならぬよう、満足を知りましょう。
合掌。


第158回
いつまでも古い因習や習慣にとらわれていると
孤立をしてしまうこととなる。
新しいことを取り入れることも大切なのだ。
コーサラ国は、身分制度が厳しかった当時のインドにしては、比較的自由な国であった。もちろん、身分制度はあったし、多くの場合は世襲式で、バラモンの子はバラモン、武家の子は武家、商家の子は商家、農園の子は農園、奴隷の子は奴隷・・・というカーストは、生活の中に根付いてはいた。しかし、コーサラ国王のプラセーナジット王は、あまり身分のことはうるさく言わなかった。たとえ、奴隷の身分であっても、有能ならば兵士に取り立ててもいたのだ。また、商家の子供が、兵士になることも許していたし、農園を営むことも許していた。農園の奴隷から農園主に出世した者もいたくらいであった。
プラセーナジット王が、そのような政策を取ったのは、バラモンの政治へ口出しがうるさかったのと、自分自身もそれほど高い身分の出身ではなかったからである。彼は、元々王族系の出身ではなく、単なる兵隊から出世してきたのであった。王族でなくても、武力に長け、先を見る目があり、人を束ねる力があれば、国を手に入れることができるのだ、ということを彼は理解していたのである。
また、プラセーナジット王の第二夫人マッリカーも花農園の奴隷出身である。国王が、道に迷い花農園に立ち寄り、そこで倒れてしまった際、かいがいしく世話をしたのがマッリカーである。その世話が、とても素晴らしく、自分が望んだことをすべて前もってしてくれたことに感動し、妃に迎えたのだ。もちろん、周囲は奴隷の出身であるマッリカーを妃に迎えることに反対をした。しかし、国王は
「自分だって低い身分の出身だ。大臣や王宮のお前らだって、元は単なる兵隊であったろう?。今さら偉そうなことを言うな」
と周囲の反対を押し切り、マッリカーを妃に迎えたのである。

プラセーナジット王の政策は、国内の若者や周囲の国の若者に大いに受け入れられた。このため、自国の若者はもちろんのこと、他国からも若者が集まり、国は大いににぎわった。
「コーサラ国はいいねぇ。俺も一旗揚げるか」
「俺は奴隷だったけど、逃げてきたんだ。この国なら、兵隊にでもなれる。うまくいけば、兵隊長くらいまでは出世できるかもしれない」
コーサラ国に集まってくる男たちは、みんな明るい顔をして、いろいろな職業に挑戦していた。
街の人々も、国王の政策を受け入れていた。特に商人や大農園主は、人が多く集まれば物が多く売れるし、人手不足にもならないため、国王を大いに支持したのだった。自国や他国から来た若者を雇い入れ、
「しっかり仕事を覚えれば独立もできる」
と、若者を励まし、仕事を覚えさせたのだ。若者は若者で、夢を抱いたのだった。
また、国王は、宗教家も大いに優遇したのであった。これは、もう一つの大国であるマガダ国でもそうであったが、コーサラ国も修行者を多く受け入れていたのであった。

しかし、こうしたプラセーナジット王の政策を面白く思わない者もいたのだ。それはバラモンたちである。
「このままでは、身分制度が崩壊してしまう」
「最近では、奴隷の身分のくせに、バラモンの法典を学びたいという者まで現れた」
「なんだと!、奴隷のくせにバラモン法を学ぶだと!。それは許せん!」
「しかもだ、最近ではいろいろな聖者を優遇している。おかげで我々が家を訪問しても、以前のように大事に扱ってくれなくなった」
「特に釈迦が率いる仏教教団だ。あいつらは、我々バラモンをバカにしている!」
「そうだ、何がブッダだ。あのゴータマが国王に入れ智慧をしているから、こんな政策になるのだ」
「そうそう、マッリカーを妃に迎えたのもゴータマの助言があったかららしい。国王は、もはやゴータマの、仏教教団の言いなりだ。何とかせねば・・・」
コーサラ国の有力なバラモンたちは、集まってはコソコソと話し合い、仏教教団さえいなければ、身分制度の厳しい国に戻るのではないか、という結論に達したのだった。そして、
「ゴータマをぎゃふんと言わせてやれば、国王もゴータマの言うことは聞くまい」
ということとなった。
バラモンたちは、お釈迦様を問答で打ち負かすことにしたのだ。

コーサラ国を代表する、有力なバラモンたち数名が祇園精舎に乗り込んだ。
「皆さんお揃いで、何の御用でしょうか」
お釈迦様がバラモンに尋ねた。
「ゴータマよ、汝は、人に身分などないと説くが、その根拠を言え」
バラモンの代表が、ケンカ腰でお釈迦様に問答を吹っかけた。
「ではお尋ねしますが、身分はどのようにしてできたのでしょうか」
お釈迦様は、冷静に答えた。
「それは簡単だ。バラモンの聖典にそう書かれている。なんと、この者は、そんなことも知らぬのか。わはははは」
大声でバラモンたちは笑った。
「いえいえ、それは知っております。私が尋ねたのは、その聖典は誰が書いたのか、どうして出来上がったのか、その時で来た身分制度は一体だれがどのようにして作ったのか、それを尋ねているのです」
お釈迦様の質問にバラモンたちは、笑うのをやめた。お互いに顔を見合わせているだけだ。しばらくして、その中の一人が
「そんなことは、自然に発生したものだ。だから、理由などない」
と投げやりに言った。
「おやおや、理由はないのですか?。では、あなたがバラモンであるという理由もないですね。あなたは、理由もなく根拠もなく、バラモンを名乗っているのですか?」
「いや、だから、うちは先祖代々バラモンだから・・・」
「ですから、その先祖は、どのようにしてバラモンを名乗ったのですか?、と尋ねているのですよ」
「そ、そんなこと・・・・知らん」
「ほう、知らない、と。バラモンともあろうお方が、知らないこともあるのですね。では教えてあげましょう。なぜ身分が生まれたのか、を」
お釈迦様はそういうと、
「昔々のことです。人々がようやく村を形成し始めたころのことです。村を納めるには、その村の長が必要だという話になりました。その長にはだれがふさわしいか、村人たちは話し合いました。土地を一生懸命開墾し、田畑を作り上げ、村を裕福にしてくれたあの人であろうか?・・・村を他の村から守ってくれているあの人だろうか?・・・・村の病を治したり、行く末を予言してくれるあの人であろうか・・・・。人々は迷いました。そんな時、このように考える者がいました。村を守ってくれる人たちは、戦う人たちだ。彼らは彼らで、そういう仕事をする者とした方がいいのではないか。村人の病を治したり、いろいろ助言してくれるあの物知りの人は、そういう仕事をする人だとした方がいいのではないか。なるほど、と村人は思いました。そういうことならば、村の土地を開墾し、村人を導いてくれるあの人が、村の長にはふさわしいのではないだろうか・・・・。こうして、村を守る武士階級、祭祀を行うバラモンが生まれたのだ。そのうちに、農家が生まれ、商人が生まれた。しかし、そこには身分の上下などなかったのだ。皆平等だったのである。仕事という考え方があっただけなのだ。仕事で身分を分ける思想などなかった。それを作り上げたのは、汝らバラモンである。バラモンは、祭祀を行うため、自分たちは特別だと宣伝した。自分たちは神に近いのだ、と。様々な手口を使って、バラモンは村人の信仰の対象となったのだ。つまり、生神様となったのだ。勝手に作り上げていったのだよ。根拠などない。ただ、自分たちが優位に立ちたいという欲望だけで、人々を騙したのである。バラモンの根拠などそんなものであるし、身分などそんなことで決められたのである。バラモンの都合で決められたことなのだ」
お釈迦様の言葉に、バラモンは何も答えられなかった。さらにお釈迦様は言った。
「何をもって聖者とするのか?。それは、その人の行いであろう。正しい言葉をいい、ウソをつかず、厚かましくなく、自分をよく知り、いつも正しい行動をし、周囲の人の幸せを願い、つつましく生活をしている・・・。それが聖者である。身分がそうだから聖者であるわけではないのだ。そんな根拠のない古い因習だけを頼りに、自分たちは偉いのだ、などと言っていると、バラモンもやがては滅んでしまうであろう。
よいか、バラモンよ。古い因習や習慣にこだわっていると、いずれ汝らは孤立してしまうであろう。本来、身分などないのだ。それをコーサラ国王は、よく理解している。世の中の流れは、身分のない国へと向かっている。そうした新しい流れを受け入れなければ、バラモンという存在も危うくなっていくであろう。バラモンよ、汝らも変わっていかねばならないのだ。新しい流れを受け入れ、新しいバラモンの姿へと変化することも大切なことなのである。それができないと、世の中から頭の固い、古い人間だと排除されることとなろう」
お釈迦様の言葉は、バラモンたちに重く響いたのである。しかし、バラモンたちは食い下がった。
「そうは言うが、古いことがすべて悪いことではない。よいこともあるではないか。それを捨ててしまうのは、どうかと思うが・・・」
「もちろんそうでしょう。古いことでも大切なことはある。それは捨ててはならないことです。しかし、そうしたよい風習や習慣は、必ずそうなった理由があります。勝手な理由ではなく、なるほど大切だ、と誰もが納得できる理由がある。身分差別には、その理由がない。よいかバラモンよ。人々はみな平等である。身分差別などないのだ。それはあなたたちバラモンの先祖が勝手に決めたことである。差別されるべきは、悪しき行動をする者、世に悪をまき散らす者たちだ。その人の言動によって、尊い人かそうでない人かは決められるのだ。それが真理であろう」
お釈迦様の言葉に、バラモンたちは何も反論できなかった。自分たちの身分の根拠が希薄である、と言われたにもかかわらず、であった。それは、お釈迦様の語ったことが真実であることを示していた。
「プラセーナジット王は、身分を気にしない国王だ。権力者にしては珍しい。あなたたちも、国王のような考え方をしないと、よそに追いやられてしまうでしょう」
バラモンたちは、がっくりと肩を落とし、祇園精舎を後にしたのだった。

その後、有力なバラモンたちも、身分に隔たりなく、バラモンの教えを学びに来るものを受け入れるようになったのである。


いったいいつまで、女性蔑視を続けるのでしょうか?
いい加減に現代的な思考を持たないと、老害だ、と言われるようになってしまうでしょう。頭を切り替えて、新しい思想を早く取り入れ、順応しないと、孤立してしまうのがわからないのでしょうかねぇ。

50歳代後半より上の年齢の方は、以外にも男尊女卑的な考えを持っているようです。
女性は家にいればいい。
働く必要などない。
三歩下がって影を踏まず、だ。
夫には逆らうな。
こういう方たちは、自分の奥さんを紹介するときに「愚妻でして・・・」などと言います。愚かな妻って、ちょっとひどいですよね。もっとも、そういう言い回しが古き日本では美徳とされてきたのですが・・・。
しかし、時代は変わってきています。「愚妻」と紹介され、喜ぶ女性はいません。
「私が愚妻なら、それを選んだあんたは、大愚夫だ!」
と言い返されるでしょうな。

女性の社会進出が目覚ましくなったのは、まだまだ最近のことです。しかし、それは必然的なことでしょう。だいたい、人間に差別などありません。仕事ができれば、男であろうが、女であろうが、関係のないことです。家事だってそう。男であろうが、女であろうが、やれる人がやればいいのです。男子厨房に入らず、なんてのは、バカバカしいことですな。料理をするにも掃除をするにも洗濯をするにも、男であろうが、女であろうが関係ないですな。それは、夫婦間で取り決めればいいことです。

男だからこうじゃなきゃいけない、女だからこうじゃないといけない、という考え方は、もはや時代遅れもはなはだしいです。男であっても、女であっても、それは自由ではないか、という考え方が必要ですね。古くからの習慣や因習でも、悪しきことや時代にそぐわないことは、さっさと捨てたほうがいいでしょう。そうでないと、時代についていけなくなり、寂しい思いをするだけですよ。
合掌。


第159回
適度な取るべき分量を知らず、
自らが欲するままに手に入れようとすれば、
その先にあるものは、苦しみだけである。

コーサラ国はプラセーナジット王により、強大な国となった。お釈迦様がいらした当時は、マガダ国とコーサラ国の二大国家が周辺の小国を属国として実質上、支配していたのである。プラセーナジット王は、善政を敷き、国は大いに栄えたのだった。しかし、そのプラセーナジット王もコーサラ国も、第二王子であるヴィドーダバのクーデターにより、滅んでいくのである。
「プラセーナジット王が助けを求めたマガダ国内で亡くなったそうです」
その知らせが届いたのは、お釈迦様がマガダ国にほど近いヴァイシャーリーの街にいた時であった。
「プラセーナジット王は、空腹に耐えられず、畑に積んであった腐った大根を食べ、食あたりで亡くなったのです」
この報告に、長老以外の若い弟子たちの間に、動揺が走った。彼らは、国王について話し始めた。
「いったい、どうして・・・。あの賢明な国王が、そんな子供みたいなことを・・・」
「もし、大根を食べていなければ、亡くなることはなったのか?」
「あぁ、たぶん・・・。なんでも夜明けには、食料がアジャセ国王から届いたそうだ。近衛兵がその食料を国王の馬車に届けたところ、国王がいなかったらしい。近衛兵が付近を探してみると、畑で倒れている国王が見つかった。すぐに医者を呼んだのだが、すでに亡くなっていたらしい」
「ということは、やはり夜明けまで空腹を辛抱すれば、助かっていたわけだ」
「そういうことだ」
「そういえば、普段から世尊に注意されていたよな、あの国王」
「あぁ、よく注意していた。そういえば、今回の旅に出る前も・・・」

コーサラ国の宮廷に接待で招かれるたびに、お釈迦様はプラセーナジット王に注意をしていた。
「プラセーナジット王よ。食べ物に関してだけは、あなたに何度も同じ注意をしている。今日もまた、同じことを言わなければなりません。よいですか、国王。自分が欲するままに食事をしてはなりません。食べるべき分量をわきまえ、適度に運動しなさい。その身体では、長くは生きられません。この国の平和が長く続くためにも、国王には健康に注意してもらわねばなりません」
「せ、世尊よ。わかっています、わかっています。これでも少しは痩せたのですよ。マッリカーもうるさいですしな。でもねぇ、うまいんですよ。食べ物がね。これがなかなか辛抱できない。目の前にうまいものがあると、ついつい手が出てしまうのですよ」
国王は、苦笑いしながら、その手は大きな肉の塊をつかんでいた。その手をぴしゃりと叩いてマッリカー夫人がきつく言った。
「国王、言ってるそばから、また肉を掴んでいます。今日の食事はもうおしまいです。さぁ、片付けてください」
「おいおい、マッリカー、それはないだろう。まだわしは食い足りない」
「ダメです。もう十分に召し上がっています。これ以上食べたら、また太ります」
「うぅ・・・。残念だのう。もっと食べたかったのに・・・」
大きな腹を抱え、国王は残念そうに片付けられていく食べ物を見やった。
「国王、欲望は制御しがたいものです。一つ間違えば、その欲望にとらわれ、苦しみの中に落ちてしまうでしょう。自らをよく制御し、適度なところで止めることは大切なことです。馬もしっかり手綱を引いて制御しなければ、うまくは走らないでしょう。国王の自慢の象の軍団でも、しっかり操るものがいるから、統率がとれているのでしょう。国王よ、自らの欲望も同じです。しっかり制御し、うまく扱わないと、暴走をしてしまいます」
お釈迦様の言葉に、
「ううん、わかっておる、わかっておるよ。だが、この食欲は・・・なかなか辛抱できんのだ。耐えられないのだよ」
と情けない声を出す国王であった。お釈迦様は、真剣なまなざしで言った。
「国王よ、もし、国王が一日中何も食べていない状態だったとしましょう」
「えぇ、そんなことは耐えられない!」
「国王、たとえば、戦場ではどうですか?。そんなことはあったのではないですか?」
「いいや、戦場でもわしのところにはいつも食事が・・・・。あぁ、若いころ、そう下っ端のころは、確かに食い物なんぞなかったなぁ。一日どころか、2〜3日、何も食べないで歩いたこともあった。しかし、あれは若かったからできたことであって・・・」
「若いころであっても、よろしいです。そういう経験はあったのですね」
「あぁ、あった」
「よろしい。国王よ。もし、戦場で再び一日中食事がとれなかったとします。あなたは空腹で耐えられない。そうですね」
お釈迦様の問いかけに大きくうなずく国王であった。
「そこにいきなり、粗末ではあるが食べ物が届いたとしましょう。それは本当に粗末で、とても美味しそうには見えません。もし、食べたら腹を壊しそうなくらいです。それでも国王よ、あなたは食べますか?」
そう問いかけられた国王は、う〜んとうなりながら考え、
「正直に言おう。きっと食べるであろう。ちょっとかじってみて、大丈夫そうなら食べてしまうかな」
と答えた。お釈迦様は横にいるマッリカー夫人にも「夫人はどう思いますか」と尋ねた。
「国王は、おそらく何のためらいもなく食べてしまうでしょう。それがたとえ腐ったものであったとしても、何の躊躇もなく食べています。この人に辛抱はできません」
マッリカー夫人の答えに、国王は「いや、そんなことはないぞ」と小声でボソボソ言っていたが、お釈迦様の
「私もそう思います」
という一言に黙ってしまった。
「国王よ、もしその差し入れされた食べ物が、豪華なものだったら、国王よ、あなたはすぐに食べでしまうであろう」
国王もマッリカー夫人も、大きくうなずき、お釈迦様の次の言葉を待った。
「もし、その食事に毒が入っていたとしたら、国王よ、あなたはそこで亡くなってしまう。国王よ、あなたは国王なのです。どこでだれがあなたの命を狙っているかわかりません。この宮廷内ならば、安心でしょう。毒味役もいますから。しかし、一歩外に出れば、むやみやたらに食べ物には手を出してはなりません。いくら空腹であっても、です。己の食欲をよく制御し、安全な食べ物が手に入るまで、空腹に耐え忍ばねばなりません。そして、それは普段から練習をしておかねば、急にはできないことです。普段から、己の空腹に対する食欲をよく制御しておかねば、いざという時にできはしないのです。言っているいことがわかりますか?」
お釈迦様の言葉に、国王も夫人も黙り込んでしまったのであった。
しばらくして
「確かに世尊のおっしゃる通りだ。何事も普段から訓練しておかねば、いざという時にできないものだ。だからこそ、普段から象の訓練もしているし、戦闘の訓練もしている。普段怠けていては、いざ戦争となったとき、何もできないからな。ふむ、そうだな。もし、耐え難い空腹にあった時に、毒の入った食べ物が出てきたら、今の私はすぐに手を出すだろう。いや、空腹でないときでもだ。そうだな。たとえば祇園精舎の帰りに、ふと美味しそうな匂いでも漂ってきたら、わしは躊躇なくその匂いの方へ引き寄せらるであろう。そしてそれが、わしの好物であったなら、わしは簡単に食ってしまうであろう。もし、そこに毒が入っているとしたら・・・・。わしは暗殺されたことになる。よくわかりました世尊。普段から、食欲を抑えるように努力します」
国王は、きっぱり誓ったのであった・・・。

「・・・って世尊から注意を受けてばかりだったのに」
「そんなことがったのか?」
「あぁ、たまたま宮廷の接待に連れて行ってもらえたのだ。その時に、世尊は、そのように国王に話をしていた。まるで、今回のことを知っていたかのようだ」
「いや、知っていたのであろう。世尊は何もかもお見通しだ。わかっていたからこそ、注意をしたのだ。しかし、それを国王は理解していなかった」
「自分の欲望を制御しきれなかったんだ。欲に負けた結果が、これだったのだ」
「あぁ、恐ろしいことだ。自分の欲をよく制御しないと、自分たちも欲にとらわれてしまう。自分たちも托鉢の時には気を付けないと。自分にとって適度な量をというものを知っておかないと、後で苦しむことになる」
「その通りだ、修行者よ」
若い修行僧たちにそう声をかけたのは、お釈迦様本人であった。

「適度な分量というのは、なにも食べ物に限ったことではない。どんな場合でも、適度な分量というものがある。欲張り過ぎず、かといって足りなさ過ぎてもいけない。自分にとって、どの程度が適度なのかをよく知ることが大切なのだ。よいか、自らが欲するままに手に入れようとすれば、その先にあるのは苦しみだけなのだ。適度な分量を知って、もうこれで十分であるという満足を知れば、不安はないのだよ。
よいか、コーサラ国の新国王ヴィドーダバのこの先をよく見ておくがよい。彼の新国王が、自分の分量を知らず、欲望のままに次を手に入れようとすれば、コーサラ国の未来はないであろう。彼の新国王が自分の分量をよく知り欲を慎めば、彼の国未来は明るい。汝ら修行僧よ。よく見ておくがよい」
お釈迦様は、そう言って若い修行僧の前から立ち去った。

それから一か月のことである。マガダ国に戦争を挑んだヴィドーダバは、アジャセ王に打ち負かされ、コーサラ国はマガダ国に吸収されることとなったのだ。若い修行たちは囁いた。
「ヴィドーダバ新国王も、自分の分量を知って、欲望のままさらに国を広げようとしなければ、平和で過ごせたであろうに。世尊の予告通りだった。欲は身を滅ぼすもとだ。気を付けて修行に励もう・・・」
と。


「食べてないのに太るんですよ。水を飲んだだけでも太っちゃうんです」
とダイエットに励む人が言います。そんな訳はありません。人間は食べなければ太らないんです。絶食すれば、すぐに痩せていきます。太るのは、食べすぎるからです。それを理解しなければ、ダイエットは難しいですよね。

「我慢できないんです。ついつい手が出てしまうし、TVで美味しそうな食べ物の番組をやっていると、出かけたくなるんです」
と言って食べすぎる人もいます。我慢ができないんですね。新しい美味しそうなデザートや食べ物を知ってしまうと、何が何でも食べたくなってしまうのでしょう。その一口がデブのもと、ということを忘れてしまうんですね。

身体が必要としている以上を食べるから太るのです。身体が食べ物から摂取した栄養素を使ってしまえば、余分なものは残りません。余分なものが残らなければ、太ることもないですね。ですから、いろいろなものが食べたい、食べることが大好き、我慢できない、と言って太ってしまう人は、摂取した食べ物に見合った運動をすればいいのです。たとえば、シンクロナイズドスイミングの選手のように。彼女たちは、一般男性の5〜6倍食べるそうですが、あのスリムな身体をしています。それだけ運動量が大きいからですね。なので、引退してからは、食事制限をして食べないようにするそうです。でないと、ぶくぶく太ってしまうからです。そこには、結構つらいものがあると聞きます。辛抱や我慢が必要なのでしょう。

自分にあった分量を考えず、欲望の赴くままに食べてしまえば、太ってしまうのは当たり前ですね。その挙句、苦しむことになるのでしょう。いや、食べ物だけではありません。どんな場合でも、「この程度いい、自分にはこれで十分だ」という満足を知らなければ、欲望はどんどん膨れ上がり、いずれ爆発して苦しむことになるのです。大事なことは、自分の分量を知ることですね。
自分に合った分量、分相応、それを知れば、満足する分量がわかります。もし、それでも欲望が止まらないならば、自分の分量を大きくすることですね。大きな器を持つことです。器以上には、入りませんからね。
合掌。


第160回
初めから誤った道に対して、
良い結果を望むのは、欲があまりにも深すぎる。
誤った道からは、望まない結果しか生まれない。

ミゲーラは、よい妻であり、よい母であった。近所の評判もよく、働き者であった。しかし、彼女には、誰にも言えない秘密があった。それは、夫に内緒で週に一度、別の男と会っていたのだ。いわゆる不倫であった。その男は、大きな商売を営んでおり、裕福な男だった。その男には当然ながら妻がいた。その男は、妻に内緒でミゲーラと会っていたのだ。
当時のインドは、コーサラ国でもマガダ国でも、周辺の小国であっても、一夫多妻を許されていた。しかし、他人の妻と深い関係になるのは禁止されていた。また、既婚の女性が、独身の男性や既婚の男性と深い関係になるのは、大きな罪であった。つまり、ミゲーラが会っていた男も、第二夫人を持つことはできたのだが、ミゲーラのような人妻と関係を持つことは罪なのである。ミゲーラにいたっては、さらに大きな罪に問われることになるのだった。

ミゲーラとその男の関係は長く、もう数年に至っていた。つまり、数年にわたり、夫にも気づかれていなかったということだ。ミゲーラは、うまく立ち回っていたのである。しかし、秘密が露見する日がやってきたのである。
それは偶然であった。たまたま、ミゲーラの夫が、普段は絶対に通らない道を通ったのだ。いつも通る道は、荷馬車どうしがぶつかり、大変な状態になっており通行ができなかったのだ。
「裏通りを通るしかないか」
ミゲーラの夫は、急いでいた。なので、うらぶれた汚い裏道を嫌々通ったのだ。もし、彼が急いでいなければ、事故の処理が済むまで待っていたことであろう。彼は、そのうらぶれた汚い裏道が大嫌いだったのである。ミゲーラは、そのことを承知していた。だから、男と密会するときは、その裏道にある密会場所を使っていたのである。
「ミゲーラ、お前・・・、その男は・・・」
「あっ、あなた・・・」
「ミゲーラ、こんなところでお前は何を・・・やっているんだ?」
ミゲーラと夫のやり取りを見て、ミゲーラの男は「俺は、帰る」とミゲーラにこっそり言い残し、走り去ってしまった。
「あっ、おい、待て、逃げるな!」
夫が叫んだ時は、もうすでに男の姿は消えていた。夫は、ミゲーラを見て
「どういうことか説明をしてもらう」
と言い、彼女を連れて家に戻ったのである。

ミゲーラは、すべてを白状した。相手が、大きな商売を営んでいる、街ではちょっと知られた男であることも白状した。ミゲーラは、「このまま、追い出されるであろう」ということを覚悟した。そして、「その時は、彼を頼るしかない」と心の中で考えていた。
しかし、夫は、彼女を追い出すことをしなかった。ただ、近所の人に頼んで、家を出ないように見張ってもらった。つまり、ミゲーラの浮気は、近所にもばれてしまったのである。ミゲーラは、それ以来、家に閉じこもりとなったのだった。普段の生活用品や食料の買い物は、すべて夫が仕事の帰り済ませてきた。従って、ミゲーラが外に出る用事は一切なくなってしまったのだ。ミゲーラにとって、それは追い出される以上に苦しいことであった。

そんなある日のこと、ミゲーラの家に托鉢の修行僧がやってきた。ミゲーラは、久しぶりに見る家族以外の人に、つい嬉しそうにしてしまった。その修行僧は、ミゲーラの様子を変に思い、
「なにか、人には言えないことでもあったのですか?。もしよろしければお話を聞きますよ」
と声をかけた。その言葉が嬉しかったミゲーラは
「実は、夫に家に閉じ込められているのです。私は一歩も外に出られないのです」
と訴えたのである。
ミゲーラは、苦しい現状を語った。そして、もう限界であること、このままでは狂い死にしてしまうと、その修行僧に語ったのである。修行僧は、静かにミゲーラの言葉を聞いていたが、
「そうなった原因は何ですか?。あなたは、今の状況になった、直接の原因を語っていません。それを教えてください」
とミゲーラに問い返したのである。ミゲーラは、「もう、いいです。帰ってください」と叫ぶと、扉を閉ざしてしまったのである。

それからしばらくして、現状に耐えかねたミゲーラは、自分を救いだしてくれるようにと、付き合っていた男に手紙を書いた。その手紙をこっそり、近所の子供に小遣いをあげて、託したのだった。「絶対に人に言ってはいけない。もし言ったら、お前を殺す」という脅しも付け加えていた。
手紙を受け取った男は、翌日、同じように子供を使って、ミゲーラへの返事を託した。子供から返事を受け取ったミゲーラは、急いで読んだが、その内容にがっかりして気絶してしまったのであった。そこには、
「あなたとのつきあいは、大変、楽しいものでした。いい思い出がいっぱいあります。私は、その思い出を大事にしたいのです。あなたの美しい姿を台無しにするようなことはやめて欲しいのです。どうか、美しいままのあなたでいてください。私は、遠くから見守っています。あぁ、言い忘れましたが、私も妻からの罰受け、今は仕事に専念しています。また、妻は若い女性なら第二夫人として迎えてもいい、と許してくれました。しかし、私は、妻以外の女性と関係をもう持ちたくはないのです。あなたとの思い出を壊したくないからです。私は、静かに思い出の中に生きていたいのです。できましたら、そっとしておいてください」
と書いてあったのである。

ミゲーラは、走り出していた。彼女は、彼の手紙を見て気絶してしまったが、気が付いたと同時に家を飛びだし、走り出していたのである。彼女はひたすら走った。走り続けていきついたのは、小高い山の麓だった。そこには山頂へと続く道があった。彼女は、何かに導かれるように山道を登った。やがて、広い場所へとたどり着いた。
「ここはどこですか?」
ミゲーラは、近くにいた修行僧らしき人に尋ねた。
「ここは、霊鷲山ですよ。お釈迦様とその弟子たちが修行をしている精舎です。何か御用ですか?」
「お釈迦様・・・。あの、仏陀といわれている、あのお釈迦様ですか?」
「そうですよ。仏陀世尊です」
ミゲーラは、全く宗教とは無縁に生きてきた。働きもしないで托鉢に頼っている修行僧が嫌いだったのだ。また、きれいごとばかり言っている修行者は、どうしても受け入れられなかったのである。綺麗ごとだけでは生き得ていけない、世の中そんなに甘くはない、と彼女は思っていたのだった。
「ふん、修行僧ね。お釈迦様ね。どんな偉い人か知らないけど、私の悩みは解決できないわ。世の中、綺麗ごとだけで生きていけるわけじゃないからね。はぁ、こんなところに来て、無駄足だったわ。仕方がない、家に帰ろう・・・」
ミゲーラはそうつぶやき、帰ろうとした。それを呼び止める声があった。
「お待ちなさい」
その声にミゲーラは振り返った。見ると、他の修行僧とは明らかに違う、何とも言えない雰囲気を持った修行僧が立っていた。ミゲーラは、その雰囲気に圧倒され、動けなかった。
「確かにあなたの言う通りだ、世の中は綺麗ごとだけでは生きていけない。しかし、綺麗ごとでない、汚れたことからは、やはり汚れしか生まれないのだよ。それを覚悟の上で綺麗ごとではない生き方をするべきであろう」
そう言ったのは、お釈迦様であった。

ミゲーラは、お釈迦様の前に座っていた。
「ミゲーラよ。初めから間違った道を歩んだら、汝は目的地に着くことはできるであろうか?」
「そんなの・・・無理に決まっています。間違った道を歩めば、自分の行きたいところへはいけません」
「汝は、間違った道を歩んだのではないのか?」
「私は・・・・」
ミゲーラは、そう言ったきり黙ってしまった。
「ミゲーラよ。初めから間違った道を歩んだにも関わらず、自分の目的地に到着させろ、というのは、おかしいことではないか?。それでは筋が通っていないであろう。間違った道を歩んでおいて、自分の望みの結果をよこせ、というのは、あまりにも欲が深いのではないか。いくら綺麗ごとだけで世の中は成り立たないと言っても、欲が深すぎれば、行き詰るのは当然であろう。あれもこれも、自分の思い通りになると思うのは、愚か過ぎるというものだ。ミゲーラよ。誤った道を歩めば、自分が望むところとは違う地にたどりつくのは当然ではないか。間違った道を歩めば、その結果は間違ったものになるのだよ。善の行いをすれば善果となり、悪の行いをすれば悪果となる。それは当たり前のことであろう。それを自分の思うように、望むように曲げてしまおうとするのは、あまりにも欲が深すぎる。強欲過ぎよう。ミゲーラ、汝もわかってはいるのであろう。自分があまりにも理不尽なことを言っていることくらいは。素直にそれを認めてはどうか。自分が間違ったことをしたのだから、今の仕打ちは仕方がないことなのだ、と納得して、現状を受け入れることだ。それが無理なら・・・」
「それが無理なら?」
ミゲーラが顔をあげてお釈迦様に問いかけた。
「出家して、修行の道に入ることだ。もっとも、それは汝にとっては、今よりも辛い道となるであろう」
ミゲーラは、再び黙り込んでしまった。

「私は欲が深いんです。欲しいと思ったものは、物であれ人であれ、欲しいんです。自分の思う通りにならないと、イライラしてくるのです。満足できないんです。これで十分だ、幸せだ、と思えないんです。周囲からは、いい家庭で幸せそうだとか、幸せな家庭で羨ましいとか言われるのですが、自分では満足できていないんです。むしろ、あんたたちの方が幸せでしょ。私なんか・・・。と思ってしまうんです。いつもいつも、満たされないんです。何をやっても満たされないんです。だから、秘密を持っていたかった。秘密があれば、ひそかに満足できたんです。それは、間違った道だったのですか」
ミゲーラは、一気に語ったのだった。
「ミゲーラよ。秘密は、いつかは露見するものだ。秘密を持つならば、露見してもいいように準備をしておかねばならぬ。私は綺麗ごとは言わない。だから、秘密を持つなとは言わない。しかし、秘密を持つならば、露見した時のことを考えておくべきであろう。どんな罰も受ける覚悟がなければ、秘密など持たない方がいい。それで満足は得られないのだよ。そんなものは、幻想にすぎないのだ。一つ持った秘密は、二つ持ちたくなる。二つ持てば、三つ持ちたくなる。人間の欲はそうやって、どんどん膨らんでいくものだ」
「私は覚悟はなかった。覚悟がないものは、間違った道を歩んではいけないんですね。どんな罰も受けたくない、と思っている者は、正しい道を歩むべきなのですね」
「その通りだよ、ミゲーラ。正しい結果が欲しいのなら、正しい道を歩むしかないのだ。歩む道を間違えば、目的地にはたどり着けないのだよ」
お釈迦様に諭されたミゲーラは、夫の元に帰り、心から謝ったのである。「私が間違っていた」と。そんなミゲーラに夫は、「自分もやり過ぎたようだ」と反省をしたのであった。二人は、まだまだ危うい仲ではあったが、少しずつ固い絆へと歩み始めたのであった。


不倫の相談・・・という相談があります。そもそも不倫なんて、やっていいことではないですから、相談すること自体おかしいのですが、相談にやって来る人がいるのです。
しかし、私は誰でも彼でも「不倫はダメだ、すぐにやめなさい」とは言いません。ちゃんと事情を聞き、その方の状況を聞いてから、対策を考えます。なぜなら、相談に来る方は誰しも
「不倫が悪いことくらいはわかっている」
からです。そして、その上で
「だけど、それでもしてしまう。この、どうしようもない自分をどうすればいいのか」
と悩んでやって来るからです。
それを無下にすることはできません。

しかし、不倫は肯定できることでもありません。できれば、しない方がいいに決まっています。不倫は、間違った行為ですからね。そこから生まれるのは、苦しみしかありません。楽しみは、ほんの一時だけです。あとは、時を作る苦しみ、ばれないように配慮する苦しみ、妻子や夫などと顔を合わせた時の罪悪感による苦しみ、不倫相手と別れる時の寂しさによる苦しみ。そして、ばれた時にやって来る苦しみ。どこをどう考えたって苦しみの方が多いのです。

それでも人は、不倫に走ってしまうのです。間違った道を歩めば、望まない目的地にしかたどり着かないこともわかっているはずなのに。人間は、欲に弱いものですね。どうしても欲が勝ってしまうことがあるのです。欲に負けてしまうことがあるのです。それがもたらす結果や未来のことなどよりも、欲が勝ってしまうのです。人間は、弱い生きものなのです。
ですが、間違った道を行けば、正しい目的地には到着しないように、間違った行為からは苦しみしか生まれません。自分が望むような結果には到着できないのです。それは、不倫に限らず、ですね。どんな場合でもそうです。

もし、それでも間違った道を歩みたいのなら、自分が望んだ結果は得られない、行きつく先は苦しみの世界である、ということを覚悟しておくことです。生きているうち、その秘密を守り通せたとしても、死後には責任を取らねばならないでしょう。その覚悟を持って、間違った道を歩むべきでしょう。その覚悟がないのなら、無難な正しい道を歩むべきですね。もっとも、その道はよい結果をもたらしてくれる道でもあるのですが・・・。
合掌。


第160回
何もかも人のせいばかりにしていては、

何一つ成し遂げることはできない。

なぜ自分が間違っていると考えないのか?
「なんで俺ばっかり、こんな目にあわなきゃいけないんだ・・・」
チャンドラは、ガンジス川のほとりで、そうつぶやいていた。
チャンドラは、奴隷階級ではなかったが、貧しい農家で生まれた。父親は、小さいながらも畑や果樹園を持ってはいたが、怠け者であったため、一家の収入は少なかったのだ。父親はいつも酒に酔っていた。そんな父親を母親は文句をいうでもなく、なじることもなく、いつも優しく父親を見守っているだけだった。畑や果樹園に出て働くのは、母親だった。
チャンドラには、兄と弟がいた。兄は幼いころから母親の手伝いをし、畑仕事に精を出していた。チャンドラも、働けるようになってからは、母や兄の手伝いをし、弟の面倒を見るようにもなった。それでも、農作物や果物の収穫は少なく、一家5人が食べていくのが精いっぱいだった。
「他の家はさ、うちと同じくらいの畑と果樹園なのに、なんで裕福なの?」
チャンドラは、時々、母や兄に尋ねた。母は、チャンドラの問いにいつも「そうね」と笑っているだけだった。兄は、「仕方がないだろ。オヤジが働かないんだから」とふて腐れて言っていたが、父親に刃向うようなことはしなかった。チャンドラだけが、そうした状況を不満に思っていた。
ある日のこと、チャンドラは、父親に殴り掛かっていった。
「お前のせいでうちは貧乏なんだ!。働けよ、くそオヤジ!」
しかし、腕力では到底かなうものではなかったし、母親も兄も彼を止めに入ったのだ。彼らの言い分は、
「ケンカして揉めるよりは、貧しくても平穏の方がいいじゃないか」
というものだった。チャンドラは、その言葉がどうしても受け入れられなかった。その日、彼は家を出たのだった。

チャンドラに当てがあったわけではない。彼は、フラフラと友人の家に足を運んでいた。友人は、仕方がなく彼を家に入れた。その友人の家は、チャンドラと同じくらいの畑や果樹園を持っているのだったが、家も広く、生活は苦しくないものであった。チャンドラは友人に愚痴った。
「なんで俺の家ばかりが、こんなに貧しいんだ?」
「仕方がないだろう。お前のオヤジは働かないんだから。そのオヤジを追い出そうとしない、お前のおっかさんや兄貴がいけないんじゃないのか?」
「そうなんだ。なんであいつらはオヤジを追い出さない?」
「う〜ん、好きなんじゃないのか?。あんなオヤジでもいて欲しいと思っているんだろ」
「あぁ、もう嫌だ・・・。何で俺ばかりがこんな目にあわなきゃいけないんだ・・・」
「ま、そういうものさ。バラモンが言うには、それは前世の行いのせいだそうだよ。今の生活が嫌ならば、バラモンの儀式に参加して、来世を願うしかないそうだ」
「前世・・・?。お前、本気で言っているのか?。俺は信じないぞ。前世の罪で俺があの家に生まれたのか?。バカバカしい。貧しいのは、オヤジが働かないせい、母親や兄貴が、オヤジを追い出さないせい、それだけだ」
「チャンドラがそう思うのなら、それでいいんじゃないか」
友人の言葉にチャンドラは、無性に腹が立ってきた。彼は「もういい」と怒鳴ると、友人の家を出ていった。友人は「なんだ、アイツ・・・」と、あきれて走り去っていくチャンドラの後姿を見つめていたのだった。

チャンドラは、そのまま家に帰らず、
「そうだ、コーサラ国の首都へ行こう。あそこなら、実力次第で兵隊にも大臣にもなれる」
と決心し、コーサラ国の首都シュラーバースティを目指した。
彼は、そこで様々な職業についた。商店の御用聞きから始まり、飲食店の店員、建築業の手伝い、漁師の見習い、兵隊にも志願した。しかし、どれも長続きしなかったのである。理由は、
雇い主に怒られてムカついた。
一緒に働いていた同僚が気に入らなかった。
与えられた仕事が単純なもので、嫌気がさした。
朝から晩まで働くのが耐えられなかった。
などなどである。彼は、ふと周囲の者に漏らしていた。
「なんで俺ばっかりが、こんな嫌な仕事をしなきゃいけないんだ?。俺だって、あっちの仕事ができるのに」
「なんで、あんなヤツと一緒に仕事しなきゃいけないんだ?。あんなイヤな奴と一緒に仕事をするくらいなら俺が辞めてやる」
彼は、いつもいつも「何で俺ばかりが、こんなにも不幸なんだ・・・・」というのが口癖になっていたのだった。

チャンドラは、昼間から居酒屋で飲んだくれていた。
「くっそー、世の中、理不尽だ。不平等だ。なんで、何もしていないのに裕福なヤツがいて、なんで俺みたいに苦労しても報われない奴がいるんだ・・・」
酔って不貞腐れているチャンドラに周囲の客たちは
「世の中そんなものだろう。思い通りにはいかないものだ」
「お前はバカだなぁ。そんなこと、当たり前じゃないか」
などと笑っていたのだった。そのうちに、「昼間から酔っ払うようなヤツは出て行け」と、店を追い出されてしまった。そして、フラフラとガンジス川のほとりまで歩いてきたのだ。
「なんで、俺ばかりがこんな目にあわなきゃいけないんだ。なんで俺ばかりが、貧乏な家に生まれて苦しまなければいけないんだ。なんで俺ばかりが、仕事がうまくいかないんだ。なんで・・・なんで・・・」
そう嘆くチャンドラに声をかけた者がいた。
「お前、バカじゃないか。相当な愚か者だな」
その言い方にチャンドラは、腹が立ち「なんだと」と掴み掛っていった。その男は、彼の手をするりと抜けると
「愚か者だから、愚か者、と言ったまでだよ」
と笑ったのだった。
「俺にどこが愚か者なんだ!」
「わからないのか・・・まあ、わからないんだろうな・・・。まず、お前だけが苦労しているわけじゃない、ってことを理解していないことだな」
「俺だけが苦労しているわけじゃない?。そんなことはわかっているさ。でも、他の苦労をしているヤツラは、出来が悪いから仕方がないじゃないか」
「そう、そこそこ。そこがおかしんだよ。お前、自惚れすぎなんだよ。まあいい、ちょっとこっちへ来い」
その男は、チャンドラの腕を取って、引きずるように歩きはじめた。

いつの間にか、チャンドラは祇園精舎に着いていた。その男は、チャンドラをお釈迦様の前に放り投げた。そして「世尊の前だ。ちゃんと座れ」と言ったのだった。
お釈迦様は、チャンドラの顔を見るなり、
「なんと愚かな者だ。増上慢もはなはだしい」
とつぶやいたのだった。
「チャンドラよ。汝は、己一人が不幸だと思っているようだが、それは愚かなことだ。この世に不幸でない者など一人もいない。皆、不幸なのだ。ただ、まやかしの幸せな気分に浮かれているだけなのだよ。一時的にね。
お前は勘違いをしている。友人の家が金持ちだから幸せだとは限らないのだ。自分の家が貧乏だからといって、不幸であるとは限らないのだ。どんな状況であれ、それは一時的なことにしか過ぎない。誰もが不幸で、誰もが苦労をしているのだ。苦労をしない人間などいない」
お釈迦様の言葉に、チャンドラは言い返した。
「いや、しかし、金持ちで裕福で、働きもせず、好きなように生きているヤツもいるじゃないですか」
「彼らは彼らで、その財産がいつ無くなるかという不安をいつも抱えている。この贅沢がいつまで続くか、不安なのだ。それを見ないようにするために、忘れるために、快楽に溺れている。これは不幸なことではないか?。彼らは、財産がなくならないように、苦労をしているのだよ。不安を抱えているのだよ」
「でも、そういう裕福な家に生まれたヤツラは、俺よりも楽な生活をしているじゃないか。俺ほど苦労はしていない」
「だからなんだというのだ?。家が貧しく、その家にいるのが耐えられないのなら、自分で働いて裕福になればいいではないか。このコーサラ国の王も、単なる兵隊の一人だったが、国王までになったのだ。努力次第で汝でもなれるかもしれぬぞ」
お釈迦様の言葉に、チャンドラは横を向いた。
「チャンドラよ、汝は自分一人で生活しようとして、この国にやってきたのだな。ここで立身出世をして、金持ちになろうと考えたのだ。それなのに、なぜ働かないのだ?」
「働きました。しかし、長続きしないのです」
「なぜ長続きしない?」
お釈迦様の問いに、チャンドラは仕事が長続きしない理由を並べ立てた。
「チャンドラよ。苦労なしでは、努力なしでは、何も得られないのだよ。誰でも、初めからできるわけではない。それとも汝は、初めから何でもできると思っているのか?」
お釈迦様にそう言われたチャンドラは、また横を向いて黙ってしまった。
「チャンドラ、汝は先ほどから言い訳ばかりしている。また、全部他人のせいにしている。自分が不幸なのは、生まれた家の貧乏のせいだ、父親が悪い、母親も父親の言いなりで悪い、文句を言わない兄貴が悪い、家を出て働いても働いた先の店主が悪い、同僚が悪い、仕事先の環境が悪い、世の中が悪い、不平等だ、理不尽だ・・・・。全部他人のせいだ。何もかも人のせいにしている。チャンドラよ、汝は一切悪くはないのか?。汝は、一切間違ってはいないのか?」
お釈迦様に問い詰められ、チャンドラは下を向いてしまった。

しばらくしてチャンドラは
「だって・・・。よその家はみんな裕福で、大きな家があって・・・うちは貧乏で家も小さくて・・・」
とモソモソと言い出した。お釈迦様は、
「それがどうしたのだ?」
ときつく言った。
「家が貧乏だから、何だというのだ?。不平等だというのか?。チャンドラよ。働きもしない者と、よく働く者が同じ大きさの家に住み、同じような生活をしていたら、それこそが不平等ではないか?」
「貧乏な家に生まれたから・・・そんな家に生まれなければよかった・・・そんなの不平等だ・・・」
「貧乏の家に生まれたことが不平等だというのか?。それは、誰にも変えられないことであろう。たとえば、奴隷階級の家に生まれる者もいるが、人は生まれる階級を選んで生まれることはできないのだ。汝も生まれる家を選んで生まれることはできない。みな平等に生まれる家を選ぶことはできないのだよ。たまたま、その家に縁があって生まれたにすぎない。誰が悪いのか、と問われれば、そんな縁を持った汝が悪いのだ。誰のせいでもないのだ」
チャンドラは、何も言い返すことができなかった。

「チャンドラよ」
お釈迦様は、優しく声をかけた。
「チャンドラよ。私が汝に初めて言った言葉を覚えているか?」
「愚かな者だ・・・増上慢?だと思いますが・・・」
「そうだ、私は確かにそう言った。増上慢とは、正しいのは自分であり、自分は一切間違っていないと言い張る者のことを言う。こういう者は、反省することがないから進歩することもない。この世で最も愚かな者である。汝は、その増上慢だ。その意味が分かるね?」
チャンドラは、ゆっくりと首を縦に振った。
「チャンドラよ。何でもかんでも他人のせいにしていては、何一つ成し遂げることはできない。なぜ、自分が間違っている、と考えないのか?。自分だけが正しいのか?。汝は間違うことはないのか?。どうだチャンドラよ、自分をよく振り返ってみなさい」
しはらくして、チャンドラは
「自分が間違っていました。私は、すべて人のせいにしていました。悪いのは、自分以外の者、世間だと思い込んでいました。私は・・・父親を恨み、母親を恨み、兄を恨み、世間を恨んでいました。うまくいかないのは、何もかも周りの人間や世間のせいだと・・・。どこかでそれは間違っているってわかってはいたのですが・・・それを認めるのが怖くて・・・。自分を否定するようで・・・」
と泣きながら話したのだった。
「チャンドラよ、自分の間違いを素直に認めることだ。そこから道は開かれていく。なんでも他人のせいや世間のせいにしていては、前に進むことはできないのだよ」
お釈迦様の言葉に、チャンドラは深くうなずき、
「これから、やり直します」
と力強く言ったのだった。


何でもかんでも人のせいや世間のせいにする人がいます。
「私がこんな風になったのは、家が悪かったのだ。父親が悪かったのだ、母親が悪かったのだ・・・」
「こんなに苦労するのは、世間が私を認めてくれないからだ」
「うまくいかないのは、私に運がないせいだ」
人は、いろいろ言い訳を考えます。その言い訳は、「自分は悪くない」という理由から発せられるのですな。

人は自分の間違いを認めたくない生き物です。何か間違いを犯した時、言い訳したくなる生き物なのです。できれば、自分の責任ではなく、他人の責任やその時の状況の責任にしたいものなのです。それが人間というものでしょう。素直に「間違っていました。申し訳ない」と言うのは難しいことですね。口では、
「私が間違っていました」
と言っても、心の中では、
「ちっ、俺のせいかよっ」
と思っていることは多々あることでしょう。まあ、皆さん、そういうものですよね。

しかし、その間違いは本当に自分のせいではないのでしょうか?。自分には少しの責任もないのでしょうか?。そんなことはないと思います。たとえば、選択をしたのは自分だし、上司に従ったのは自分だし、できると思ったのは自分だし・・・。自分の行動を最終的に決めているのは、自分でしかないのです。全く他人任せに決めているのではありませんからね。自分に責任が少しもない、というのは、自然災害に遭った場合か、事故に巻き込まれた場合くらいでしょうか。

自分が間違っていたのではないか。自分が悪いのではないか。
そう考えてみると、現状におきていることの見え方が違ってきます。現在自分が置かれている状況が違って見えてくるでしょう。そして、そこから真実が見えてくるのです。そうすれば、ストップしていたことが動き始めるのではないかと思います。
他人のせいや世間のせいにしていないで、自分が間違っていたのではないか、と自分を疑ってみるのもいいと思いますよ。
合掌。


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