バックナンバー 34

第161回
過去の積み重ねによって今がある。
それは誰の責任でもない、自分の責任だ。
そして、今の積み重ねによって未来があるのだ。
コーサラ国が滅び、マガダ国に統一されたころのことである。マガダ国のアジャセ王は、コーサラ国が行っていた、カーストにこだわらず職業を能力によって選ぶことができるという制度を継承した。それは、マガダ国にも伝わり、マガダ国も自由に職業を選択できるようになっていた。
マガダ国の首都ラージャグリハの郊外の学校で仲良しの4人の男の子がいた。それぞれ親の職業は違っていた。一人は貿易商を営む家の長男バーラ、一人は大工の長男のマーゴ、一人は農家を営む家の長男ゴーサーラ、一人はバラモンの長男でモーハといった。
彼らは、よく集まっては将来の話をした。バーラは、
「俺は後をつぐんだ。父親よりも、もっと大きな店にしてみせる」
と鼻息荒く言っていた。マーゴは手先が器用だったので
「俺は職人なら何でもいいや。金細工とか興味があるけどね」
と職人を夢見ていた。ゴーサーラは
「僕は手を汚す職業は嫌だな。できればバラモンになりたい・・・」
とボソボソと言った。モーハは
「バラモンなんてよくないぞ。あんなもの何がいいんだ?。俺はなぁ・・・のんびり暮らしたいな」
と大きなアクビをしながら言ったのだった。
そうして、彼らは12才になったころ、学校を卒業し、それぞれの道を歩み始めたのであった。
マーゴは、手先の器用さが認められ、すぐに金細工の職人の弟子になった。自分から望んで進んだ道であった。ゴーサーラは、学業が優秀だったため、さらに上級の学校へ進んだ。バーラは、親の仕事を手伝い始めた。モーハは、親が後を継げとうるさいので、とりあえず自宅でバラモンの勉強をすることにした。そして、10年の歳月が流れた。

マーゴは、すでに独り立ちをしており、自分の金細工の店を構えていた。品物もそこそこに売れており、金に困るようなことはなかった。その店にぶらりと訪れた者がいた。モーハだった。彼はマーゴの店に来るや否や
「マーゴ、久しぶりだな。元気そうで何よりだ。それに、店も繁盛しているじゃないか。なぁ、頼むからさ、少し金を貸してくれないか?」
と借金を頼み込んだのである。
「おいおいモーハ、いきなり金を貸せはないだろう。お前、バラモンになったんじゃないのか?」
マーゴは、仕事の手を休めることなくモーハに尋ねた。
「俺がバラモンになれるわけないだろ。あんな家、とっくの昔に飛び出したよ」
モーハによると、学校を卒業してしばらくは、父親の指導の下、バラモンの経典を学んでいたのだが、すぐに嫌になって家出をしたのであった。それからは、仕事を転々と変わりながらその日暮らしを続けているのだった。
「バラモンの勉強なんてな、俺には合わないよ。あんなものどこがおもしろいんだか・・・。俺はな、適当に生きたいんだ。あくせく仕事なんかしていられないんだよ、お前みたいにな」
モーハは、店においてある金細工の商品を触りながらそう言った。できれば、一つ二つ、くすねたいと思い、マーゴの様子をうかがっていた。
「モーハ、商品に触れないでくれ。手垢が付くじゃないか」
マーゴは目ざとく注意をした。そして
「あのな、金を仕入れるお金がいるんだ。で、仕入れた金で細工をする。それを売る。売ったお金は、俺の生活費と次に金を買うお金になる。つまり、俺には余分なお金はない。お前に貸す金なんぞ、ないよ。だいたい、頼む相手が間違っているだろう。バーラの家に行けばいいんだ。あそこは大きな貿易商で、金持ちなんだから」
とモーハにきつく言ったのだった。
「なんだ、お前、知らないのか?」
マーゴの言葉にモーハは驚いた。モーハによると、バーラの貿易商はなくなってしまったとのことだった。
「あそこはな、潰れてしまったんだよ。なんでも、息子のバーラの金遣いが荒くて、湯水のように金を使っちまったんだってさ。親の仕事を手伝うとか言っていただろ?。ところが実際は、遊び歩いていたらしいぜ。悪い友達ができたんだろうな。あれからすぐに酒を飲み始め、女遊びに手を出したんだ。おまけに賭け事まではじめやがった。親も随分注意したんだが、その親だって女遊びが激しい親だったらしいぞ。あちこちの女に手をつけて、その揉め事をもみ消すために随分と金を使ったらしい」
「親子でお金を使いまくったのか?。だけど、仕事はしていたんだろ?。儲けはあったんじゃないのか?」
「バーラが仕事をするわけがないだろ。お前知らなかったのか?。バーラは、学校にいたころから、勉強なんてしなかったじゃないか。いつも金で解決していたんだよ。金で卒業したんだ。金持ちの息子だから、贔屓されていたし」
「じゃあ、今は?」
「バーラは行方不明だな。そのうちに金に困ってお前のところに来るんじゃないか?。ま、そういうことだ。じゃあな・・・、あっ、これもらっておくぜ」
モーハは、近くにあった金細工を一つ手に取って、そのままマーゴの店を出ていった。マーゴは、あわてて「おい、待てよ!」と言いながら追いかけたが、すぐに見失ってしまった。
「くっそ、もう二度と来るな!」
誰もいない路地にマーゴは叫んでいた。

それから数日後、またモーハがやってきた。
「この間の金細工、いい値で売れたんだよな。どうだマーゴ、俺と組まないか?。俺がお前の金細工を売ってきてやる。儲けは山分けだ」
彼はそういうと、マーゴの店に並べてある金細工を適当に袋に入れだした。マーゴが止めるまもなく、あっという間にモーハは店を出て行ってしまった。マーゴは、すぐに店を閉めて、街の警護をしている兵士のもとへと急いだ。モーハは、犯罪者として手配書が配られることとなった。

一方、バーラはゴーサーラの家にいた。
「帰ってくれないか?。これから、生徒が来るんだ」
家に居座るバーラに、ゴーサーラは弱り切っていた。
「いいじゃないか、先生さんよ。しかし、ゴーサーラも大したもんだな。立派な先生様になってさ。たくさんの生徒を抱えているんだろ?。しかも金持ちに人気のある先生だって聞いたぜ。なあ、いいだろ?。そんなに儲かっているんだ、少しくらい金を貸してくれよ」
バーラは、ゴーサーラの家の広間に足を投げ出して、ふんぞり返っていた。生徒のおやつ用にと置いてあった、果物を勝手にとり、汚く食べていた。
「君に貸すお金はないよ。君は金持ちのはずだったじゃないか?。君の家の方が裕福だっただろ?」
ゴーサーラは、冷たく言い放った。
「イヤな奴だなぁ、ゴーサーラ。うちが落ちぶれたことくらい知っているだろ?。もう家も財産も何もないよ」
「なぜ、なくなったんだ?」
「それも知ってるくせに・・・・。お前の言いたいことはわかるよ。自業自得だって、そう言いたいんだろ?。そんなことくらい知ってるさ。だから、頼んでいるんだよ、なぁ、少しでいいからお金を貸してくれよ。貸してくれなきゃ・・・そうだな、お前の生徒をいじめてやろうか?」
「あのねバーラ。私は、懸命に努力した。君が遊んでいる間に、私はバラモンの聖典を読み、暗記し、勉強をしたんだ。その結果が、この差なのであろう。なぜ、君は遊んでばかりいたんだ?」
「ゴーサーラ、お前はバカか?。俺が俺の金で遊ぼうがどうしようが、お前には関係のないことだろ?。お前だって、俺の金でお菓子を食ったじゃないか。バカめ。エラそうなこというな。なぁ、先生さんよ」
バーラには言葉が通じない、とゴーサーラは思った。そこで、「ちょっと待ってくれ、金は奥にあるんだ」と言って奥に引っ込んだ。そして、召使に、すぐに街の警護兵を連れてくるように命じた。
しばらくして、ゴーサーラがバーラのいた部屋に戻ると、機嫌をよくしたバーラがニコニコしながら言った。
「遅かったじゃねぇか。金は用意してくれたんだよな」
ゴーサーラは、手にした袋を見せた。ふるとジャラジャラと音がした。
「ほう、金貨か?。結構入っているじゃないか。やっぱり持つべきものは友達だな」
バーラは、ニヤニヤしながらゴーサーラの持っている袋に手を伸ばした。
「待った。言っておくが、君とは友達でもなんでもない。確かに、子供のころは仲良く遊んだ仲だ。しかし、今は違う。今は・・・全くの他人だ。それから、もう二度とここへは来ない、私とは会わない、という誓約書を書いてくれ。バラモンの神の御前に納める誓約書だ。それを書かないのなら、この金は渡せない」
ゴーサーラの言葉がムカついたのだろう、バーラは怒った顔をした。
「エラそうなことを言いやがって。あの頃、さんざん奢ってやったのは誰だ?。あの頃、おいしいものを分けてもらって喜んでいたのは誰だ?。少しは恩返しをしてくれよ、なあ、そう思わないか?。俺が金を出してやっていろいろ食ったじゃないか。いろんな遊びをしたじゃないか。それができたのは、全部俺のお金のおかげだ。その利息がたまってさ、俺は今それを返してもらいに来ただけなんだぜ。お前だけじゃないけどな。マーゴも・・・特にマーゴは貧乏だったからな。これからそのころ俺が出してやった金の回収に行くんだ。ふん、だから、誓約書なんぞ書くわけがないだろ」
バーラは、威張ってそう言ったのだった。その時である。玄関から、警護兵が入ってきた。
「バーラ、またお前か?。捕縛されるのは、これで何度目だ。さぁ、来い」
あっという間にバーラは警護兵に捕まり、連れて行かれたのだった。

数日後のこと、城の裁判所でバーラとモーハの裁判が行われた。その席にマーゴとゴーサーラも呼ばれた。4人がそろったのは、久しぶりのことだった。マーゴとゴーサーラは、被害を訴えた。裁判官は、
「バーラとモーハは、あなたたちのことを友人だと言っているが?」
と問いかけてきたが、二人とも幼なじみではあるが友人ではないと、否定をした。また、裁判官は
「幼なじみとして、許すという気持ちはあるか?」
と問いかけてきた。マーゴは黙って考え込んだが、ゴーサーラは、「気持ちはない」と即答した。それを聞き、マーゴも「同じです」と答えた。結局、バーラとモーハは、マガダ国の南方の国境へ、労働者として送られることとなった。そこで一生、労役を受けるのだ。バーラは、マーゴとゴーサーラに向かって
「ふん、恩知らずの汚いヤツラめ。覚えていろ、いつか脱出して復讐してやる」
と叫んだ。モーハは、へらへらと笑いながらそれを聞いていた。

兵士が、縛り上げられている二人を立たせ、裁判所から連れ出そうとしたときだった。
「バーラとモーハよ、なぜそうなったか、よく考えよ」
と声が聞こえたのだった。それは、アジャセ王と一緒に王宮にいたお釈迦様だった。王宮での接待の帰りだったのである。お釈迦様は、10人ほどの弟子を連れていた。
「バーラとモーハよ。汝らの今はなぜそうなっているのか、それがわかるか?」
お釈迦様の問いにバーラが答えた。
「こいつに嵌められたんだ。こいつらのせいで、こうなっているんだよ」
「モーハはどう思う?」
「そんなこと決まってますよ。自業自得ってやつでさ。俺が悪いことをしたから、こうなっているんです」
「ほう、モーハは少しはわかっているようだな。バーラよ、汝が最も愚かな者である。自分の悪行を棚に上げ、すべてを人のせいにするとは・・・・。よいか汝ら。今があるのは、汝らの過去、過ごし方によるものだ。現在は、過去の積み重ねで出来上がっている。バーラよ、モーハよ、汝らの過去はどうだったのか?」
お釈迦様の厳しい言葉にバーラは横を向いてしまった。しかし、モーハは
「わかってますって。俺は、何もしてこなかった。オヤジがバラモンだったから、勉強さえすればバラモンになれたんですけどね。勉強が嫌だったんですよ。あ、しかも努力っていうのが嫌いで・・・。適当にやって、適当に生きていければ、と思ってましたから。だから、まあ、こうなっても仕方がないです。そう、お釈迦様のおっしゃる通り、こうやって捕まっているのは、自分の過去の積み重ねの結果ですからね。わかってますよ」
モーハは、苦笑いをしながらそう言った。そして、
「これから労役を受けるんですけど、その毎日を積み重ねて、未来が出来上がっていくんでしょうねぇ。ならば、俺の将来は、知れてますな。労役の挙句、死んでいくんでしょう。まあ、それも仕方がないですよ。俺は・・・なにも努力してこなかったんですから」
とサバサバと言ったのだった。お釈迦様は、その言葉を聞き、
「モーハよ、汝、南方に行ったならば、ピンドーラという修行僧を頼るがよい。よき指導をしてくれるであろう。きっと、汝は、道が見つかるはずである。ピンドーラを訪ねるがよい」
とモーハに教えたのだった。そして「さて、問題はバーラである」とバーラを見つめて言った。
「先にも言ったが、汝が最も愚かである。なぜだかわかるか?」
そう尋ねても、バーラは返事をしなかった。
「あぁ、愚かなるかな、愚かなるかな・・・・。汝は、救いがたきものなるかな・・・。仕方がない。労役を受けながら、この言葉をよく考えるがよい。
『過去の積み重ねがあって今がある。今の自分の姿は、誰の責任でもない、自分の責任である。そして、未来は今の積み重ねによって決まってくるのだ。従って、今の過ごし方によって、未来は大きく変わるのである。それも誰の責任でもない、自分の責任である』
この言葉を忘れずによく考えることだ。そして、素直に受け入れよ。愚か者と呼ばれぬように・・・」
お釈迦様はそういうと、弟子を連れて裁判所を去って行ったのだった。その後ろ姿を見送りながらアジャセ王が言った。
「私も父王を幽閉したという過去がある。それは事実だ。そこへ至るには、私の愚かさがあった。愚かな考えを積み重ねていった結果、父王の幽閉という罪を作ってしまったのだ。しかし、私は世尊に諭され、心を入れかえた。今では、日々父王やコーサラ国の前王であったプラセーナジット王を見習い、学び、善政を行うことを努力している。この日々の努力の積み重ねが、私の未来を、この国の将来を、善きものとしていくであろうと信じて・・・。よいか、バーラ。せめて心を入れかえよ。これから受ける労役も、嫌々やるのではなく、真面目に受けよ。その毎日の積み重ねによっては、汝の未来も変わることであろう。決して、世尊の言葉を忘れるな」
アジャセ王はそう言い残して裁判所を去ったのであった。

それから数年後のことである。
モーハは、労役を許され、ピンドーラの下で修行をしていた。しかし、バーラは、真面目に労役を受けることなく、労役をサボり、兵士に逆らい、まともな仕事を一つもしなかった。そのため、さらに過酷な労役へと送られていったのであった。その姿を見て兵士たちはつぶやいた。
「今を真面目に積み上げていけば、アイツの未来も大きく変わったのにな。努力をしないから、救われることがないのだ。愚かなヤツだなぁ・・・」
と・・・。


現状に不平不満を言う人がたくさんいます。いい職業に就けない、貧乏だ、いいことなどちっともない、世の中にはいい思いをする者がいるが自分はいつも貧乏くじだ・・・。などなど、多くの人は、毎日のように不平不満を口にします。言っても仕方がないことだとわかっている・・・こともあるのですが、ついつい口にでてしまうのですよね。

現在に不満がない人は、本当に少ないでしょう。物価は上がる、医療費は高い、家は狭い、教育費はかかる、収入は上がらない。アベノミクスに期待はしたけど、庶民には無縁で・・・。まあ、これは普通の人々の愚痴ですな。
そんななかでも、ちっとも努力しないのに、文句ばかり言っている人もいます。
「あなた、学生時代から何もしてこなかったじゃないの」
と周囲からも言われるのに、それを理解しているのかいないのか、いつも「うだつが上がらないのは世の中が悪い」などと周囲のせいや他人のせいにしている人がいますよね。困ったものですな。

一生懸命努力したけど、運に恵まれず、不遇の目にあっている・・・というならば、同情もされるでしょう。しかし、若いころは好き放題してきて、勉強もしなければ、遊んでばかりいた・・・という人ならば、現在不遇の状態にあっても仕方がないですよね。自業自得です。過去において、サボってきた結果が今にあるのですから。
現在の状態は、過去の積み重ねによって生まれたものです。過去の実績や努力が、積み重なって現在があるのですよ。過去において、実績も努力もない人は、現在が苦しくても、それは仕方がないですよね。

現在が過去の積み重ねならば、では未来はどうでしょうか?。そう、未来は、現在の積み重ねで生まれていくのです。ということは、未来は、現在の過ごし方によって変わっていく、ということですよね。
現状に甘んじ、努力をせず、投げやりで過ごしていけば、未来は明るいとは言い難いですな。職を転々として、フラフラしていれば、やはり未来は暗いですな。逆に、現在を努力して過ごし、真面目にコツコツ生きていけば、それが積み重なっていく未来は明るいものです。
そう。現在がダメでも、現在を努力して過ごせば、未来は大きく明るいほうへと変わっていくのですよ。苦しくても、明るい未来のために、コツコツ努力を積み上げていきましょう。
合掌。


第161回
自分の考えを無理やり押し付けてはいないだろうか。
親子や親しい間柄では、知らない間にそれをしてしまうものだ。
決して自分の意見が正しいわけではないのに・・・。
ゴーガーシャは子供のころから病弱だった。どこが悪いというわけではないが、体力がなくすぐに疲れてしまったり、よく風邪を引いたりしたのだ。そのせいなのか、引っ込み思案で自分の意見がはっきり言えない子供だった。そのため、周りにいた子供たちによくイジメを受けていた。彼は、そんな状態で成長していったのだった。
青年になったゴーガーシャは、弱い身体ながらも働くようになっていた。それは農園だったので、彼にとっては少々辛いものだった。すぐに疲れてしまい、仕事仲間や農園の主人からよく注意を受けていたのだ。農園の主人は、ゴーガーシャの身体が弱いことを知っていて雇ったのだが、これほどとは・・・と思い、あきれてもいたのだった。結局、彼はその農園を辞めることとなった。
クビになったなった農園の帰り道、ゴーガーシャは小さな川のそばで座ってボーっとしてた。そこに修行僧が一人、水を汲みに来ていた。
「なんだか疲れているようですが、どうかしたのですか?」
その修行僧は、穏やかな表情でそう声をかけてきた。ゴーガーシャが見るに、その修行僧は痩せこけて、見るからに弱そうな感じがした。
「はぁ・・・。ついさっき、農園の仕事場をクビになったのです。明日から働き口を探さなきゃいけないと思うと・・・。あのう・・・修行僧さんですよね?」
「えぇ、そうですよ。修行僧です」
「あのう・・・修行は辛くないですか?」
そう尋ねられた修行僧は、「あぁ」とうなずいてにこやかに言った。
「よくそう言われます。ごらんのとおり、私は痩せぎすで、いかにも病弱そうに見えるからなんでしょうね。でも、私は自分の身体が弱いことを知っていますので、無理はしません。自分の体調に合わせて、ゆっくりと無理をせず修行をしています。世尊・・・お釈迦様ですが・・・、世尊も無理をしても修行にはならない、とおっしゃっています。身体に無理をさせる苦行では、正しい修行にはならない・・・と。ちょっとみたところ、あなたも身体が丈夫ではなさそうですよね・・・」
「はい、そうです。だから身体を少しでも鍛えようと思って、農園で働いていたのですが・・・」
「それは無理をしていたのではないですか?」
「はぁ・・・。そうかもしれません。頑張って身体を鍛えようと思ったのが、どうも間違っていたのかもしれません。もう少し身体に負担をかけないような仕事の方がよかったのかも・・・」
「そうですね。無理や焦りはよくないですよ。それは、努力とは異なるものです」
「努力とは異なる?」
「はい。努力とは異なります。努力は無理やりすることではありません。無理に努力しても、身体を壊したり、心を壊したりします。それでは元も子もないでしょう。努力とは、自分ができることで、身体も心も耐えられる範囲でするものです」
「そ、そうなんですか・・・。ただ頑張ればいいと思っていましたが・・・。ただ頑張っていれば、そのうちに乗り越えられると思っていたのですが」
「そういう場合もありますが、いくら頑張っても乗り越えられないことだってありますよ」
いつの間にか、その修行僧はゴーガーシャの傍らに座り込んでいた。夕日が二人を照らし始めていた。

「そうですねぇ。まずは、あなたは自分の身体が弱いということを知っています」
「はい、知っています」
「それは、運動で鍛えても強くできなかったことですね?」
「子供のころから、身体を鍛えようと努力したのですが・・・。長続きするどころか、ちょっと運動をするとすぐに倒れたり、風邪をひいたりして・・・。寝込んでしまうことが多かったです」
「それなのに、なぜ農園なんかで働いたのか?。初めから難しいとわかっていたのではないですか?」
「はぁ・・・。でもこの年齢になったのなら大丈夫かな〜、と思って。実際、家から農園には歩いて通えるようになったんですよ。初めのうちは、道々休みながら農園まで歩いていたのですが、今は休まなくてもたどり着けるようにはなったんです。でも、農園に着くと、すぐには仕事に取り掛かれなくて・・・。一回、休憩をしてからでないと・・・。やっぱり無理だったのですかねぇ・・・」
「そうですね。あなたは身体が弱い。その弱さを知っています。運動で鍛えてもダメだということも知っています。ならば、なぜ他の方法で身体の弱さを治そうとしなかったのですか?」
「他の方法?」
「この国には、昔からいろいろな健康法が伝わっているじゃないですか。ヨガもそうだし、様々な薬も出ています。それを試してはみていないのですか?」
「あぁ、そうですね・・・。周囲から、弱い身体は鍛えればいいのだ、と言われて育ったので・・・、他の方法は考えてもいなかったです。うちの家族は、みんな健康で体力もありますし、ちょっとやそっとのことで寝込んだりもしません。医者にもかかったことがないくらいの健康家族なんですよ。私だけが弱いんです。だから、いつも身体を鍛えろって言われて育ったんです。寝込んでも、熱があっても医者に診てもらうことは少なかったですし・・・。そんな家庭だから、身体を鍛える仕事に就けばいいといわれて・・・」
「あぁ、なるほど、そういうことですか。よろしい、では私があなたのご家族に話をしてあげましょう」
そう言うと、その修行僧はすっと立ち上がったのだった。

ゴーガーシャは、その修行僧を連れだって家に帰った。家に帰ると、すぐに親に農園をクビになったと報告した。
「なんだ、折角勤め始めた農園をもうクビになったのか?。だいたい、お前の身体が弱いせいだからだ。まったく、よし、これからお前を鍛えてやる」
父親は、大声でそう怒鳴った。そんな父親に、その修行僧は「まあ、まあ、ちょっと落ち着いて」と声をかけた。その時になって初めて、ゴーガーシャの家族は、彼と一緒にいた修行僧に気が付いたのだった。
「だ、誰だ、お前は」
「はぁ、お釈迦様の下で修行をしている僧です。たまたま、彼と出会いまして、ここまでついてきました」
「な、なんだ?。托鉢の時間じゃないだろ?。何でうちに来るんだ」
「いや、彼のことを皆さんに知っていただこうと思いまして」
「ゴーガーシャのことを?。そんなことは大きなお世話だ。自分の息子のことは自分が一番よく知っている。余計な口出しはやめてくれ!」
そう怒鳴られた修行僧であったが、彼は穏やかな表情で
「本当に息子さんのことをよく知っているのでしょうか?」
と言ったのだった。
「本当も何も、そんなことは当たり前だ。他人にとやかく言わる筋合いはない!」
「では、なぜゴーガーシャは身体が弱いのでしょうか?」
「そんなもの、怠けているからに違いねぇ。コイツは、小さいころから怠け者だったんだよ。外で遊べばいいのに、外へ行くと疲れるとか言って、家の中ばかりにいた。だから、ちょっと大きくなったときに外で遊ぶようになると、すぐに倒れてしまうんだ。病弱でヨワッチイものになってしまった。いいか、身体なんぞは鍛えれば強くなるんだ。だから鍛えろ、と言っているんだよ」
ゴーガーシャの父親は、そう怒鳴った。周りで聞いていた母親や兄や姉もうなずいていた。
「だけど、ゴーガーシャの身体は強くならなかった」
その修行僧は、貧弱な身体に似合わなない声でピシャリと、そう言ったのだった

その修行僧の声にゴーガーシャの家族は、黙ってしまった。
「彼は、自分の体が弱いことを知っています。ですから、どこまで頑張れるか、ということも知っています。しかし、皆さんや周囲の『鍛えればいい』という言葉に押されて、無理をしてしまうのですよ。で、無理をした結果が倒れたり、熱を出したり、寝込んだり・・・ということなのです。無理をしなければ、そんなことにはならないんです。無理をして、かえって周囲に迷惑をかけてしまうことになってしまうのです。しかし、その無理をさせたのは、周囲の人たちです。そう、あなたたちだ。あなたたちは、彼に無理をさせて、彼が寝込んだら、それをなじるのです。ひどい話だと思いませんか?。彼に無理をさせなければ、彼は倒れることもなく、寝込むこともないのですよ。彼は彼のやり方で、彼にあった仕事をすればいいのです。そうすれば、寝込むこともなく、誰にも迷惑はかけないでしょう」
修行僧の指摘に、ゴーガーシャの家族は、黙り込んでしまった。
しばらくして父親が口を開いた。
「ま、あんたの言っていることは確かかも知れないが・・・。まあ、無理をさせていたのは事実かも知れないが・・・。お、俺たちが間違っていたってことは・・・」
「いいえ、間違っていたんですよ。実際に、間違っていたから、彼は苦しんでいるのでしょ。彼が正しい道へ進めば、そのようにあなたたちが指導すれば、彼は悩むこともなく、苦しむこともなったのです。あなた方の間違った考えを彼に押し付けた結果がこれなのですよ」
「じゃあ、この子はどんな仕事に就けばいいっていうの?」
母親がそう尋ねた。
「彼は身体が弱い。でも、彼は強くなりたいと願っている。身体を鍛えても無理だった。ならば、食べ物とか、薬とかで身体を改善しようとすればいい。そのためには、食べ物や薬の研究をすることが必要です。つまり・・・」
「あぁ、そうか。医者とか薬師の先生について修行をすればいいんだ!」
そう叫んだのは、ゴーガーシャであった。
「そう、その通りです。それが彼にあった道です。薬草の研究をして、身体を強くする薬や食べ物を探すことですね。ゴーガーシャよ、あなたのように身体が弱い人はたくさんいます。そういう人のために、いい薬を見つけてください。それからご家族の皆さん」
その修行僧は、家族を見回して言った。
「自分の意見が決して正しいわけではありません。それなのに、自分の意見を押し付けるようなことはしてはいけません。家族とか、親しい間柄だとか、そういう関係ではよくある話ですが、意見の押し付けはしてはいけないことです。話し合うのはいいです。お互い意見を出し合い、話し合うのはいいことです。しかし、一方的に意見を押し付けるのはよくない。それで、その人の人生が変わってしまうこともあるのです。相手の人生の責任を最後まで持てないでしょう。自分の意見を押し付けるということは、それほど重大なことなのですよ。その自覚を持ってください」
そういうと、その修行僧は「差し出がましいことをしました」といって、ゴーガーシャの家を去ろうとした。
「あ、ちょっと待ってください。あなたはいったい・・・。せめてお名前を・・・」
ゴーガーシャがそう言ったが、その修行僧は
「いや、名前を名乗るほどものではありませんよ。お釈迦様の末端の弟子です。名前の知れ渡った長老様方の下のさらに下の下・・・の弟子です。では、お元気で・・・」
というと、静かに家を出て行ったのであった。残されたゴーガーシャの家族は、
「確かに、お釈迦様のお弟子さんで、あんな痩せぎすの病弱そうな弟子は見かけないなぁ・・・。本当に、くらいの下の方のお弟子さんなのだろう」
「そんな名前の知れない修行僧でも、お釈迦様の弟子は・・・大したものだねぇ」
と感心したのだった。


自分の意見を押し付けている方ってときどきいますよね。特に親子間ではよくあることです。親の意見だから子供はそれに従うべきだ、と思い込んでいる親は案外多いのではないでしょうか。
年代もあるのでしょうが、最近の親世代でも、自分の意見を押し付ける人は多いのではないかと思います。仕事柄、いろいろな人の相談に乗っていますと、そうした状況によく出会います。

親しい間柄でもそうでしょう。友人に対し、「絶対そうだって、そうすべきだよ〜」などと自分の意見を押し付けることってよくあることです。で、その結果がよければ「ほらねぇ〜、言ったとおりでしょ。よかったじゃん」となるのですが、結果がよくないと「え〜、そんなこといったっけ?」とか「今回は、予測が外れたわねぇ」などとごまかすことになるのです。無責任な話ですよねぇ。友人関係ならば、笑って済ませられるかもしれませんが、ひどい場合だと恨みが残ってしまうこともあります。親子間だと特に遺恨が残りやすいですね。

他人に意見をする、ということは、それなりに責任が伴うことです。たとえ、それが親子間であっても、です。子供は親のものではありません。親の意見を押し付けるならば、親は子どもの人生を背負うということを知ったほうがいいですね。責任を取らねばならないということを痛感せねばいけません。他人に意見を押し付ける、ということは、それほど重要なことなのです。そんなことを考えもしないで、親は子に意見を押し付け、従わないのなら家を出ろ、などと脅迫したりするのですよ。それは、子供の人権を無視していることですよね。で、そういう親に限って、失敗したら「お前の努力が足りない」とか言って、さらに責めるのですな。子供にしてみれば、救いがないですね。

自分の意見が絶対的に正しいとは限りません。それなのに、いかにも「自分は正しいのだ」という顔をして自分の意見を押し付け、逆らわないようにする。それは、一種の虐待ですね。そんなことは許されることではないでしょう。意見の言うのなら、アドバイスという程度で納めておくべきでしょう。
「親の意見としてはこう思うよ。あとはよく考えて自分で決めればいいんじゃないか」
と指導してあげるのが、親の勤めでしょう。意見を押し付けることと、指導をすることを勘違いしてはいけませんよね。
合掌


第162回
「これでなければいけない」とこだわれば、生きにくい。
「これでもいい」と受け入れれば、生きやすいものだ。
祇園精舎には、その日も多くの人々が集まっていた。
「よく聞くがよい。人は、いろいろなことにこだわりを持っている。朝起きたら必ず神々を礼拝しなければいけないとか、日が昇ると同時に起きなければいけないとか、決まった時刻に食事をとらねばいけないとか、毎日の吉方位を占ってから出かけないといけないとか、玄関は右足から出ないといけないとか、大事な用事があるときには赤色の服を着なければいけないとか・・・。
少し生活に余裕がある者は、野菜はどこどこ地方で取れたものでなければならぬと決めていたり、着る物はどこそこの絹でできたものでなければならないと決めたり、装飾品は誰それという名人が作ったものでなければいけないと決めたりしている。
しかし、そのようなこだわりは、まったく意味のないことで大変馬鹿げたことであろう。そうしたこだわりを持った者は、大変生活しにくいものなのだ」
お釈迦様がそう話をすると、「そんなことはないですよ」と声を発する者がいた。
「あぁ、すみません。私は、ジェータという、まあ商人ですが、こだわることは大事だと思いますよ。まあ、私も生活に余裕があるからそう言えるのかもしれませんが、もし可能ならば、こだわったほうがいいでしょう」
そのジェータと名乗った男は、立ち上がってお釈迦様に言ったのだった。
「ほう、ジェータよ、どういうことなのか、汝の意見を話してみるがよい」
お釈迦様は、話の腰を折られたことに怒ることもなく、にこやかにジェータに話をするように言った。
「あぁ、はい、すみません。では、私の持論を・・・。私は、沢山のこだわりを持っています。まあ、できるからなのですが・・・。たとえば、私が食べるものは、野菜にしても肉にしても魚にしても、国王が取るような贅沢なものをそろえています。その辺の市場で売っているようなものではなく、わざわざ現地から取り寄せています。なぜならば、その辺の市場で売っているものは、いつとれたものかわからないし、妙な薬が使われているとも聞きますからな。健康を害するといけない。酒もそうです。やはり、高級な酒は身体にもいいですからな。衣服もそうです。高級な絹でできたものは、身体にも優しい。私は、商売をしているのですが、こうしたこだわった贅沢ができるのも、方位占いで商売の方角を占っているからですな。方位にこだわって商売をしているから商売を失敗しないんですわ。まあ、いろいろこだわりますよ。朝起きて、八方の神々を礼拝し、香油を家の周りに撒き、太陽に手を合わせますな。食事は決まった時刻に食べるようにしています。健康のためですな。それだけこだわった生活をしていますが、生活しにくいと思ったことは一度もないですな。むしろ、こだわっているからこそ、今の生活を手に入れられたと思うんですわ」
ジェータの意見を聞いて、「ほう、なるほど・・・」とうなずく者たちもたくさんいた。
お釈迦様は、彼に尋ねた。
「汝は、太陽も礼拝すると言ったが、曇りや雨の日はどうするのだ?」
お釈迦様の問いかけに、集まった者たちは笑ったのだった。「そりゃそうだ」と言っている者もいた。
ジェータは、あわてた様子で、
「その時は、心の中で太陽を礼拝します」
と苦笑いしながら言った。
「いや、今のはちょっとした冗談だ。それよりも、昔話をしよう」
お釈迦様はそういうと、遠くを見るような目をしてしばらく黙り込んだ。
やがて、「人々よ・・・」と話を始めたのであった。

「人々よ。遥か昔のことである。コーサラ国が起こる前の話だ。そこには、小さな国であはあったが、豊かな国があった。一面、緑で覆われ、美しく清らかな水がわき、作物は豊富に実っていた。その国の人々は、食べ物に事欠くことなく平和に生活をしていた。人々は、その国以外のものは、決して口にしないようにしていた。なぜなら、その国で取れた食べ物は、他の国の食べ物よりも大変おいしかったからだ。その国の人々は、住民が多くなかったので、国内だけで取れた食べ物で十分まかなえたのである。
しかし、ある年のこと、飢饉がやってきた。天候は乱れ、雨期に雨が降らず日照りが続き、急に寒くなったかと思えば、雨期でもないのに雨が降り続けた。暴風雨にもなることがあり、川が氾濫し畑や家畜が流され、川魚も多く死んでしまった。食料の蓄えもなくなり、その国の人々は食うに困るようになってしまった。ある日のこと、隣国からやってきた者が、その国の状況を見て驚いてしまった。
『これはいかん。このままでは皆さん飢えて死んでしまう。ちょっと待ってなさい。私の国では、天候不良でも作物が実っています。いや、多少の日照りや長雨でも育つような野菜を作っていましてね。まあ、味は落ちるのですが、食べないよりはマシですからな。今すぐそれを持ってきますから、みなさんで分け合ってください』
隣国の人は、そう言うとすぐに自分の国に帰って、たくさんの人に手伝ってもらい、食料を運んできたのだった。しかし、その小さな国の人々は、
『折角持ってきてもらったが、私たちは食べない。こんな、どこで取れたかもわからないような食べ物は口にできん』
と頑固にその食料を拒否したのだった。隣国の人たちは『飢え死にしてもいいのですか』と問いかけたのだが、彼の国の人々は首を横に振るばかりだった。『私たちは、この国で取れたものしか口にしないというこだわりがあるのです』と。
隣国の人々は、『なんと愚かなことだろう』と言って嘆いたが、『きっと、メンツがあるから食べないだけだろう。我々が引き上げたら空腹に耐えかね、食べるに決まっている』と言い、食べ物をおいて自国へ帰って行ったのだった。
しばらくして、天候も安定したので、隣国の人たちは、彼の小さな国を訪れた。いったい、あれからどうなったであろうか、と気になっていたからだ。隣国の人々は、小さな国に入って、驚いてしまった。その国の人々は、全員餓死していたのだった。彼らがおいていった食べ物には一切手が付けられていなかった。
『せめて子供たちだけでも何か食べさせてあげればよかったのに。子供たちには、何のこだわりもなかったろうに。大人たちの妙なこだわりが彼らを滅ぼさせてしまった。罪のない子供たちも道連れにして・・・』
『俺達が食べている食べ物が、そんなにも口に合わなかったのだろうか?。どこで取れた食べ物であろうと、食べ物には変わりはないのに・・・」
隣国の人々は、彼の国の愚かな人々を哀れんで、自国へ帰って行ったのだった。
ジェータよ、もし、汝が食している食べ物が取れなくなったら、汝は飢えるのであろうか?。市場で売っているものは、口にしないであろうか?。汝が欲してやまない食べ物が手に入らなければ、汝は何も口にしないであろうか?。ジェータよ、汝が着ている服の絹がなくなってしまったら、汝は裸で過ごすのであろうか?。木綿の服では着ることはないのであろうか?。ジェータよ、もし汝が商売に失敗して、明日から無一文になってしまったら、汝はどうするのか?」
お釈迦様の話を聞き、問いかけられたジェータは、「うぅーん」とうなったまま下を向いてしまったのだった。
「よく人々は、『魚はどこどこの海で取れた魚しか俺は口にしない』などと、こだわったことを口にするが、その魚が獲れなくなったらどうするのか?。食べなければいい、と割り切れるだろうか?。あれじゃなければダメ、これじゃなきゃダメ、それじゃあダメなんだ、これしかダメなんだ・・・とこだわり続けていれば、自分の生活範囲は狭くなる一方であろう。
家族に対しても、息子の嫁は王族の出でなければいけないとか、どこどこ地方の者でなければいけないとか、息子は家のそばにいて家から学校に通い、仕事場に通わなければいけないとか、職業はこれしかダメだとか、女は早く嫁に行って働いてはいけないとか、そうしたこだわった縛りを与えていれば、窮屈な生活を強いることになろう。もし、子供たちが親に逆らったらどうするのだ。逆らって家を出ていってしまったら、生活できなくなるのであろうか?。
人々よ、汝らは、いろいろなことにこだわっていることであろう。しかし、それは、汝らの生活を狭くし、生活しにくくしているものだと気付くことだ。「これでなければいけない」というこだわりを捨て、「これであってもいい」という許容を持てば、汝らの生活はしやすいものになるであろう」
お釈迦様の話はそれで終わった。その話が納得できた者もいたが、首をかしげ帰っていったものもいた。ジェータもその一人で、今一つ納得がいかなかったまま家に戻ったのであった。

しばらくしたある日のことだった。召使の者が、ジェータの部屋にやってきた。
「ご主人様、いつもの食材を扱う店が、その店の主人が急病のために休みになっていました。しばらく休店するそうです。食材をいかがいたしましょうか?」
「な、何?、あの店が休みだと?。それは困ったなぁ。わしはあの店の食べ物しか・・・。あぁ、そうか・・・。そうだなぁ・・・」
怒りかけたジェータは、急に考え込んだのであった。そして、
「まあ、仕方がない。他に店はないのだろう?。余分な食材もないのだろう?」
「はい、ありません。食材を調達するには、市場へ行かねばなりません」
「ふん・・・。仕方がない。お前に海まで行けと言っても無理な話だし、今日は市場で仕入れてきなさい」
ジェータは、召使にそう命じたのであった。
その日の夕食は、市場で仕入れた食材によって作られたものであった。しかし、その食事はジェータが思っていたほどまずくはなく、むしろ以外にもおいしかったのである。
「ふん、別にあの店じゃなくてもいいわけだ。市場であってもいい、ってことか・・・。なるほどな・・・」
そんなことを考えているところに妻が長男を連れて彼のもとに来た。
「食後すぐで申し訳ないのですが、この子が相談があると言って・・・」
息子は、彼に「自分は商売人ではなくバラモンを目指す」と言ってきたのだった。「商売は弟に継がせればいいではないか」というのだ。息子の話を聞いて
「何をいうか!、お前はそれでも長男か!」
と立ち上がって怒鳴ったが、それ以上言葉は続かなかった。妻も息子も黙りこくっているジェータに驚いていた。
「あ、あなた・・・大丈夫ですか?。どこか具合が悪いのでしょうか?」
妻は、恐る恐る聞いてみた。するとジェータは、「い、いや・・・。大丈夫だ」と言って座ると、
「あぁ、そうか。お前はバラモンになりたいのか・・・・。まあ、成績は優秀なようだからな。そうだな、わしの後をついで商売人にならなければいけないってことはないわな。バラモンであってもいいし、後を継ぐのが弟であってもいい・・・か。ふん、まあ、そういう考え方も確かにあるな。なるほど、こうじゃなきゃいけない、と思い込むのは、生き辛いものだな・・・・。わかった、お前の好きに生きればいい。わしの商売は、わし一代で終わってもいいことだしな。どういう生き方をしてもお前らの自由だ。しかし、これだけは言っておこう。これから先、いろいろな困難に出会うだろう。しかし、その時に『これでなければダメだ』と思い込んではいかん。『こういう方法もある、こういう道もある。こうであってもいい』と考えることだ。そのほうが選択肢が広がって、生きやすくなるからな」
ジェータはそういうと、大きな声で笑ったのだった。
その日以来、ジェータはあまり怒らなくなり、穏やかになっていった。そのためか、妻も息子や娘たちも以前より明るくなり、なんでも話し合えるようになっていった。また、いつもオドオドしていた召使たちも明るく快活になって行ったのであった。近所の人々も、「ジェータさんは、穏やかないい人になってねぇ」と噂し合っていた。実際、ジェータ自身も心に余裕ができたのだった。
「こうじゃなきゃダメ、ってのは、ダメだな。こうであってもいいじゃないか、と思えば、気が楽になるもんだ・・・」
窓の外を眺めながらジェータは思った。
「お釈迦様の言うことには、間違いはなかったな・・・」
と。


世の中には、妙なこだわりを持った方が結構いますよね。まあ、オタクと言われる人たちは、その代表のような方たちですが、オタクでなくったって、こだわりを持っている人は案外たくさんいると思います。

美容院はあそこじゃなきゃダメ、ウナギを食べるならあの店だ、並んででもあの店のケーキが食べたい、ラーメンはやっぱりあの店しかダメだ、マグロはやっぱり大間ものだな、すしはその店以外は食わねぇ、私はこのブランドのものしか着ないのよ・・・・などなど、いろいろこだわりを持ってますよね、人っていうのは。なので、長い行列に並んででも手に入れようとするのですな。

私はあまりこだわりがありません。ですから、並んででも食べたい、という気持ちがよくわかりませんな。むしろ、並んで待つという時間が惜しいですな。どんなに時間に余裕があっても、並んでまで手に入れよう、食べようとは思わないですな。代用品があるのなら、似たようなものがあるのなら、何もそれじゃなきゃいけないってことはないと思うのです。なんだっていいじゃないか、と。

こうじゃなきゃいけない、これじゃなきゃダメ、という考え方は、視野を非常に狭くします。趣味にしても、嗜好品にしても、生き方にしても、仕事上の戦略にしても、何にしても「これじゃなきゃダメ、こうじゃなきゃダメ、これしかダメ」という考え方をしていると、選択肢がなくなってしまいます。道が一本に絞られてしまいます。
もし、その決めたものが手に入らなかったら・・・?。もし、こうじゃなきゃダメと言った方法が失敗したら・・・?。もし、この職業じゃなきゃダメ・この学校じゃなきゃダメと決めていたことが、その通りにならなかったら・・・?。絶対に決めた通りになるとは限りませんからね。

こうじゃなきゃダメ、これしかダメ、という生き方をしていると、すごく生きにくいと思います。それは、選択できないということになるのです。道が一つに決められるというは、生きる範囲が狭くなります。それは、心の狭さにもつながりますよね。
こうであってもいいじゃないか、こういう生き方もありだ、これでもいいんじゃない・・・という、柔軟な生き方をすれば、生活にも心にも余裕ができるでしょう。
何かにこだわるという生き方は、人間的にも疲れますよねぇ。今年は、こだわらない生き方を実践してみてはいかがでしょう?。安楽に生きられること、間違いないと思いますよ。
合掌。


第163回
いくら家庭の中であっても、
周囲の気持ちを考えず、自分勝手に振る舞えば
やがて見捨てられるであろう。

デーバは、家を出るべきかどうか迷っていた。
彼の家は、父と母、それに妹がいた。父親は、自分勝手な男だった。いつも威張っており、自分の思い通りにならないと、暴力を振るうこともあった。しかし、働かないというわけではなく、仕事はよくした。従って、貧しいわけではなかった。だが、安穏とした家庭ではなかったのだ。母もデーバも妹も、父親が仕事から帰ってくるといつもビクビクしていたのだった。
父親は夕食を取りながら、仕事仲間の悪口を言った。
「アイツは仕事が遅い。いい加減だ。口だけの奴だ」
「あのヤロウは、親方の親類だからというだけで威張ってやがる。仕事もできない癖に」
「わけもわからないのに親方の母親が口を出してくる。あのくそババアめ、さっさとくたばればいいんだ」
もしも、そうした父親の愚痴に対して、「そんなこと言わない方がいい」とでも言ったならば、父親はいきなり怒りだすのだった。デーバも、ある日の夕食のとき
「人の悪口を聞きながら食事をするのはイヤだ。飯がまずくなる」
と父親に抗議をしたことがある。すると父親は、
「なんだとテメェ、いったい誰のおかげで飯が食えると思っているんだ!。俺の話が聞けねぇのなら、お前に食わす飯なんてない。とっとと出てきやがれ!」
と怒鳴られたうえ、殴られて外に放り出されたのだった。それ以来、同僚たちへの悪口や近所の人の悪口を喋り続ける父親に抵抗をする者はいなくなった。母親もデーバも妹も、ため息をつきながら、夕食を食べていたのだった。
そんな父親は、妹が近くの学校へ行くようになったころ、母親に働きに出るように強要した。どちらかと言えば、母親は身体が丈夫ではなかった。家の仕事・・・掃除や炊事、洗濯など・・・をこなすだけで精一杯だった。それでも、父親は「働け」と言った。「少しでも金を稼ぐんだ。いいか、金がは邪魔にはならねぇ。あればあるだけいいものなんだ」と言って、母親を働かせたのだ。
仕事に行くようになった母親は、疲れのため家の中の仕事が少しおろそかになるようになった。ちょっとでも掃除が行き届いていないと「ここが汚い、あそこが汚い、ちゃんと掃除をしたのか」と父親は母をなじった。母親が仕事で帰りが遅くなった時などは「今までどこで何をしていた!。男と遊んでいたんじゃないか」などと母親を殴ったりもした。
母親が、疲労がたまり倒れてしまった時があった。そんな時、父親は「さぼりやがって!」と怒って、母親を寝かせないようにした。また、母親が風邪で寝込んだときなどは、
「俺にウツすんじゃないぞ。俺にうつるといけないから、お前は外で寝ろ」
と言って、母親を外に出そうとしたのだった。さすがにこれにはデーバも妹も驚き、「人を呼んでくる」と言ったため、母親は外に出されずに済んだ。しかし、
「風邪なんかひきやがって。俺の飯はどうするんだ?」
と怒鳴り続けてたのだった。それをデーバが止めようとすれば、今度は彼が殴られた。妹は怖くて泣き続けていた。父親は「うるさい、出て行け。デーバ、お前が連れて出て行け」と言って、デーバと妹を追い出した。デーバは、妹が泣き止んだ頃、こっそりと家に戻ったのだった。
デーバは、成績が優秀だったので、学校からはバラモンについてさらに勉強に励むとよい、と言われていた。そのことを父親に話すと
「バカかお前は。学問なんぞ金になるわけがないだろ。いいか、お前は働くんだ。あぁ、もういい、今すぐ学校なんぞやめて、働きに行け。いったい誰のおかげで学校に行けたと思ってるんだ。もう充分だろ。これからは、お前が稼いで、俺に楽をさせるんだ。いいか、恩返しをちゃんとしろよ。ここまで育ててやったんだからな」
と大声でデーバに言ったのだった。
デーバは悔しかった。確かに、学校には行かせてもらった。確かに、育ててもらった。よその貧しい家庭に比べれば、デーバの家は、ましな方だった。もちろん、裕福ではなかった。裕福ではなかったが、食べ物に困ることもなく、着るものに困ることもなく、住まいもそこそこの広さがあったし、どちらかと言えば快適だったのだ。うるさい身勝手な父親の存在を除いては。だから、育ててもらった恩があるだろ、学校へ行かせたもらった恩があるだろ、と言われると反論できないのだ。いずれは、両親に楽をさせたいと思っていたのである。しかし、あからさまに「恩を返せ。楽をさせろ」などと言われると、その気でいたのに、気が萎えてしまうのだった。
金銭的には不自由はなかった。しかし、陰気で、言いたいことも言えず、いつも父親の機嫌をうかがってびくびくしながらの生活は、不自由極まりないものであるのも事実であった。
実際、デーバは友人たちが、貧しいけれども自由にしている様子を羨ましく思っていたのだ。彼らは、お互いの家に遊びに行ったり、川へ釣りに行ったり、山へ探検に行ったりして自由に遊んでいた。しかし、デーバがその仲間に入って遊びに行き、そのことが父親に知れると、デーバはこっぴどく叱られた。
「あんな貧しい人間とは付き合うな。いいか、付き合うなら金持ちの家庭の子だ。それと、くだらん遊びをしている暇があったら、少しでもいいから働け。農園の手伝いでもなんでもいいから、働け」
父親は、暇さえあれば働くことを強要したのだ。
ある夜のこと、父親が母親に妹について語っていることにデーバは驚愕した。
「いいか、娘は金持ちの家に嫁がせるのだ。そのためには、器量良くしなければいけない。もし、それが無理なら遊女に出せ。遊女なら稼げるからな」
自分の娘をいったいなんだと思っているのだろうか?。デーバは、驚いたと同時に、父親が心から怖ろしくなった。こんな家は早くに出たほうがいい。その時、彼はそう決心したのだった。

しかし、彼は迷っていたのだ。
「本当に家を捨てていいのか。母親と妹はどうする?。俺が食べさせていけるだろうか?。妹ももう働ける年ではある・・・。二人で働けば何とかなるだろうか?。しかし、それで本当にいいのか?。これまで育ててもらった恩はどうなる?。俺は恩知らずの悪人にはならないのか?。父親を見捨ててしまっても、罪にはならないのか、悪人ではないのか?。あんな父親でも捨てるのはよくないんじゃないか?・・・・。しかし、このままでいたら、きっと妹は遊女に売られてしまうだろう。母親だって、過労で死んでしまうに違いない。あぁ、いったい俺はどうすればいいのか・・・・」
夕暮れ時の川面を見つめながら、デーバは頭を抱え込んでいたのだった。

その時だった。遠くから声が聞こえてきたような気がした。その声は、
「デーバよ、早く家を出るのだ。母と妹を連れて家を出よ・・・・」
と言っているようだった。デーバは声のする方へ、フラフラと歩いて行った。するとそこは森だった。声は、森の奥から聞こえていた。デーバは、声のする方へとどんどん進んでいった。
森の奥には一本の大きな木があった。その木の下で瞑想をする修行者がいた。
「デーバよ、よく来た。汝は迷っているな。が、迷う必要はない。よいか、親から受けた恩は、確かにあるだろう。しかし、その恩に報いるには、直接親を養うことだけではないのだ。親の恩に報いるには、子供が幸せになることが最も大事なことなのだよ。親へ恩返しをしたいのならば、親よりも立派な大人になり、親よりも幸せでいつも安穏とした暮らしができる家庭を作ることなのだ。デーバよ、今こそ家を出て、より幸せな家庭を作るがよい」
その修行者の口は動いていなかった。その修行者は、何も話してはいないのである。しかし、デーバはその声をはっきり聞いたのだった。その声は、デーバの心に直接語りかけてきたのである。
デーバは、その修行者を礼拝した。そして
「決心がつきました。母と妹を連れ、家を出ます。ひょっとしたら、父親もそれで目が覚めるかもしれません。あんな父親でも親です。もし、父が私に助けを求めてきたときは、救ってあげようと思います」
と言ったのだった。その修行者は、一瞬輝いた。そして、ほんの少しにっこりとしたような感じがした。デーバは、一つうなずくと、力強く立ち上がり、家へと帰って行ったのだった。

翌日、父親が仕事に出ると、母と妹に家を出ることを告げた。もちろん、母と妹も一緒である。あてはあったので、少しだけのお金を持って、デーバたちは家を出たのだった。
そんなことになっているとは知らないで、父親は家に戻ってきた。
「なんだ、バカヤロウ、明かりもついていないじゃないか!」
と叫んだが、応える者は誰もいなかった。父親は、急いで明かりをつけると、狭い家の中を妻や息子、娘を探し回った。が、家の中には誰もいない。隣の家に行き、「息子たちを知らないか」と尋ねたが、誰も「知らない」と答えた。あるいは、「朝はいたけど、いつものようにみんな仕事に出かけたんじゃないか」と答えた。
父親は、一睡もせず妻たちが帰ってくることを願い待った。しかし、夜が明けても誰も戻っては来なかった。その日、父親は仕事いかず、一日中家にいた。昼間に誰か戻ってくるかもしれない、夕暮れになれば、誰か戻ってくるかもしれない、と思ったのだ。しかし、誰も戻っては来なかった。
翌朝のこと、父親は、妻たちを探しに家を出た。その時に声をかけてきた者がいた。
「待ちなさい。汝はどこへ行く?」
それは、如何にも立派な姿をした修行者であった。
「あ、あぁ、実は・・・・妻と息子と娘がいなくなってしまって・・・。町役人さんに探してもらおうかと・・・。ひょっとすると誰かに・・・盗賊にさらわれたのかも知れないですし・・・・」
「汝の妻や息子、娘は、自らの意志で家を出たとは思わないのか?」
「自分で家を出た?、あ、あいつらが・・・・。なんで、そんなことをしなきゃいけないのでしょうか?」
「わからないのか?。そうか・・・汝は哀れなものであるな。汝の普段の振る舞いはいかなるものか?」
「私の普段の振る舞い?。別に特に問題はないですが・・・」
「汝は、自分勝手なことは言わなかったか?。自分の妻だからと言って、無理難題を押し付けてはいなかったか?。大切にしていただろうか?。妻の言い分は聞かず、自分の言い分だけを通してはいなかったであろうか?・・・。
息子にはどうであったろうか?。息子の話は聞いたであろうか?。息子の意見に耳を傾けたであろうか?。娘にはどうであろうか?。大事に育てていたであろうか?。息子も娘も、自分の道具のような扱いはしなかったであろうか?」
その修行者がそういうと、父親は
「う、うるさいな。俺の女房なんだよ。俺が自由にしていいだろう。俺の息子や娘なんだ、俺の勝手にしていいだろう。俺が育ててやっているんだ。俺が養ってやっているんだ。だったら、俺が自由にしていいはずだ」
「汝がそういう態度だから、汝は見捨てられるのだ。よいか、たとえ家族であっても、その家族の気持ちを少しも考えず、自分勝手に振る舞っていれば、見捨てられても仕方がないであろう。汝は、汝の勝手な振る舞いの報いが来ただけなのだ。汝がこのままならば、汝は、寂しく一人で死を迎えることになろう」
その修行者は、そう言い残すと、すっとした姿勢のままでゆっくりと歩き去ろうとした。
「ま、待ってくれ!。それはいったいどういう意味なんだ?」
デーバの父親は、その修行者の後ろ姿に問いかけたが、その修行者は振り向くことはなかった。

デーバの父親は、街を彷徨っていた。家出した家族を探していたのだ。しかし、一向に見つからなかった。そんなある日、デーバの父親の様子を見るに見かねた街の役人が
「こういう時は、お釈迦様に相談した方がいいんじゃないか。今、川の近くの森にいるから、行ってきなさい」
と教えたのだった。父親は、他に当てもなかったので、しぶしぶお釈迦様が滞在していると言われている森に向かったのだった。
森の奥に、大きな木が一本あった。その大きな木の下に立派な姿の修行者が瞑想をしていた。
「あ、あなたはあの時の!」
「よく来た。汝、私が言った言葉の意味がわかったであろうか?」
「あっ、あぁぁぁ」
デーバの父親は、お釈迦様の足元に泣き崩れたのだった。
「私が間違っていました。失ってみて初めて分かりました。家族は、もっと大事にすべきものだったと・・・。私は、家族の中で自分が一番偉いと思い込んでいました。だから、みんな私の意見に従うべきだ、と思い込んでいたのです。けど、私は・・・本当は一番偉い存在ではなかった・・・。ただ、威張っていただけだったんです。自分勝手に振る舞って、威張って、なんでも命令して、自分の思うようにいかないと怒って、暴れて・・・・。女房も、子供たちもいい迷惑だったでしょう。
女房達を探しながら、よその家をたくさん見てきました。仲良く楽しそうにしている家庭は、父親は威張っていません。家族でよく話し合っています。しかし、父親が威張り散らしている家庭は、暗くて少しも楽しそうではありません。父親がいないときは明るいのですが、父親が帰ってくると、とたんに全員が黙りこくって暗くなるのです。そういう家庭は、どこも父親が威張ったり、愚痴ばかりを言ったり、勝手な命令をしたりする家庭でした。まるで、それはかつて我が家のようでした。私はそのとき気が付きました。自分が間違っていたことに・・・・」
「よく気が付いた。たいていの男どもは、頑固で自分の間違いを受け入れないものなのだが、汝はよく気が付いた。その気持ちがあれば、汝の妻や息子や娘に会っても、大丈夫であろう。もう以前のような振る舞いはしないであろう」
「は、はい、もう二度とあんな振る舞いはしません。ですから、どうか私の家族はどこに行ったのか教えてください」
「よろしい。よいか、これより南の方へ、半日ばかり歩いたところに小さな村がある。その村でデーバたちは平和に暮らしている。デーバはこう言った。『もし、父が尋ねてくるようなことがあったら、私たちの居所を教えてやってください』と」
デーバの父親は、大きな声で泣いたのだった。
彼は、お釈迦様に教えられた通りの道を行き、妻たちと再会することができた。それ以来、その村で小さな農園を営みながら、家族仲良く暮らしたそうである。


今の時代になっても、昭和40年代のころのようなセリフを吐く父親がいることに私は驚きます。そのセリフとは
「誰のおかげで暮らしていけると思っているんだ」
です。今どき、こんなことを言っても相手にされませんよ。「いったい、いつの時代の人か」と笑われるのがオチです。
ですが、それでも、このセリフをいうオヤジがいるんですね。困ったものです。

「誰が育てたと思っているんだ」
「誰のおかげで学校に行けたと思っているんだ」
「誰が贅沢させてやったと思ってるんだ」
いけませんな、こんなセリフ吐いちゃ。バカにされるだけですからね。そのうちに家族に捨てられますな。あまり、家庭内で威張っていると、無視されるようになってしまいますな。ただでさえ、オヤジは嫌われる存在なのに・・・。

いくら家庭内であっても、いくら家族であっても、自分の道具や奴隷ではありません。個人の所有物ではないのです。女房だからと言って、何が何でも自分の言うことをきかせよう、というのは、大きな間違いです。子供でもそうです。自分の言うことを聞かないと大声で怒ったり、暴力を振るったりするのは、野蛮人がすることですな。
夫婦であっても、親子であっても、お互いの意見を尊重し合い、よく話し合うべきなのです。どちらかが一方的に自分の意見を押し付ける、というのはいけませんな。自分勝手に振る舞えば、いずれ孤立するのは当然のことでしょう。

最近では奥さんに
「誰のおかげで飯が食える思っているんだ」
と威張ってオヤジが怒鳴ると、
「誰が洗濯してるんだ?、誰が食事の世話をしてるんだ?、誰が掃除をしてるんだ?。文句があるなら、全部自分でやれ!」
と反撃されるらしいですね。そんな反撃を食らっては、ぐうの音も出ないですな。ま、お互い、協力し合って家庭は成り立っているのですよ。お互いに感謝しあうべきなのでしょう。そういう気持ちなることができれば、家庭は平和になるのでしょう。お互いの感謝が大事なのですな。
合掌。


第164回
なぜ、愚か者になるのか?
それは、先のことを考えず、安易に言葉を発し、行動をするからだ。
その結果、愚か者となるのである。
ヴァイシャーリーの街の居酒屋でのことであった。その街の仕事仲間の男たちが、仕事帰りに酒を飲んで楽しんでいた。その中の一人が
「そういえば、カーリは本当に怒りっぽいよな」
と言い出した。カーリという男も彼らの仕事仲間だった。
「おぉ、アイツはすぐに怒るんだ。ほんのちょっとしたことで、すぐにカッカして怒り出す」
他の仲間も応じ始めた。
「そうだよな。普段は悪い奴じゃないのに、ほんのちょっとしたことで急に怒り出すから、あまり相手にしたくないんだ」
「今日だって、仕事帰りの酒に誘わなかったってことがバレたら、怒るだろうな」
「おいおい、今日のことは黙っていろよ。それでなくてもすぐに怒るんだから」
「あんな怒りっぽい男を酒の席に誘えるわけがない。ケンカになったら大変だからな」
彼らはカーリの怒りっぽさを酒の肴にして大声で笑ったのだった。
しかし、彼らのそばにカーリの友人がいたのだった。そのカーリの友人は、そっと席を立った。

カーリの友人は、居酒屋を出ると走ってカーリの家に行った。彼が思ったとおり、カーリは家でゴロゴロしていた。
「おい、カーリ。お前何やってるんだ?」
「あぁ、サンドゥーか。何ってヒマだから、グダグダしてただけだ」
「今な、居酒屋でちょいと一杯やっていたんだが、妙な話を耳にしてな・・・」
「妙な話?」
カーリの友人サンドゥーは、居酒屋での出来事を話した。
「お前、誘われてなかったんだな。いいか、怒らずに聞けよ。お前の仕事仲間な、あいつらこんなことを言っていたぜ・・・」
サンドゥーの話を聞いたカーリは、
「なんだと!」
と怒り出し、いきなり家を飛び出し居酒屋に向けて走っていった。そのあとをサンドゥーも追いかけたのだった。

「おい、お前ら!、俺の悪口を言っていたんだって!」
店に入るや否や、カーリは大声で怒鳴った。その姿を見てカーリの仕事仲間は
「うわっ、カーリがやってきた!」
と叫んで逃げ回った。そして
「な、何をそんなに怒っているんだ!」
とカーリに聞き返すと、カーリは
「俺が怒りっぽいって噂してただろ!。俺は怒りっぽくない!」
と怒ったのだった。
周りにいた他の客は、その様子を見て笑っていた。
「あれがカーリか。なるほど怒りっぽい。これは面白い。わはははは」
その笑い声に、益々カーリは怒ってしまった。
「お前ら!、俺を笑ったな!」
「おう、笑ったぞ。こいつらがお前のことを怒りっぽいって話していたから、そんなヤツ本当にいるんだろうか、って俺たちも話していたんだよ。そしたら、わははは・・・、本当にいたから笑えるよな。これはおかしい。わはははは、あっ痛て、何するんだ」
いきなり、カーリは笑っていた男を殴ったのだった。
それからは居酒屋の中は大騒動になってしまった。カーリが手を出し事により、ケンカが始まったのだ。店の中は、大暴れをするカーリとそれを止めようとする者、ケンカに応じる者、逃げる者でめちゃくちゃになってしまった。店の主人は、街の警備兵を呼びに走ったのだった。

街の警護をしている兵隊たちが、その居酒屋に駆けつけた時には、店の中のものは大半が壊れていた。また、倒れている者や鼻血を出して座り込んでいる者、怪我をして横たわっている者がそこかしこにいた。一番暴れていたカーリは、くたびれたのか、店の真ん中で座り込んでいた。
「おいおい、いったいこれはどうなっているんだ?」
兵隊はそういうと、まずはカーリを捕らえ、縄で縛ったのだった。そして、店の隅の方で様子を見ていた者たちに事情を聞き、カーリの仕事仲間、カーリを笑った者たちを獄舎へと引っ張っていった。
裁判官の前に出されたカーリたちは、皆それぞれの言い分を主張した。
「俺は悪口を言われたから、報復しに行っただけだ」
カーリがそういうと
「我々はカーリの悪口を言ったわけではない。カーリがなぜあんなに怒りっぽいのか、という話をしていただけだ」
とカーリの仕事仲間は言った。カーリのことを笑って巻き込まれた者たちは
「我々は、そんな怒りっぽい人間なんているわけがない、と話していたんだ。そしてら、当の本人がやってきて怒っているじゃないですか。それを見て、これはおかしい、と笑っただけなんですよ」
と主張した。裁判官は、
「悪口を言われれば、怒るのは当然だ。だから、悪口を言ったカーリの仕事仲間たちは悪い。また、その話を聞いて笑ったお前らもよくない。笑われれば、人は怒り出すものだ。カーリが怒っても仕方がない」
とカーリの仕事仲間やカーリを笑った者たちを非難した。それを聞いた彼らは
「じゃあ、カーリは悪くないのか!」
と騒ぎ出した。裁判官は、あわてて
「いや、もちろん、暴力を振るったカーリも悪い。問題は、居酒屋に対しての弁償の比率なのだが・・・」
と言って、うなりだしたのだった。
裁判官が思うには、カーリも彼の仕事仲も彼を笑った連中も、同等に悪いように思えてならなかったのだ。さらに、何か別のことでどこか心にひっかっかることがあった。三者だけが悪いとすると、なんだかスッキリしないのだ。
「さて、どうしたらよいのか・・・・」
裁判官は困って、彼らを引き連れ、お釈迦様に相談することにしたのだった。

事情を聞いたお釈迦様は、
「汝らは、本当に愚かな行為をした。そうは思わないか?」
と問いかけた。そして、それぞれを見つめながら
「ちょっとしたことで怒る者。その場所にいない者の悪口を言う者。その話を盗み聞きして笑う者。愚かな者ばかりである」
と言った。お釈迦様の前に引き出された彼らは、それぞれ小さくなり、お釈迦様に
「はぁ、愚かなことをしたと思います」
と、それぞれが反省の言葉を口にした。その様子を見てお釈迦様は、
「もう一人、汝らよりもさらに愚かな者がいるのだが・・・・」
と言い、言葉をそこで止め、三者をゆっくり眺めた。カーリ、カーリの仕事仲間、カーリを笑った客たちは、首をかしげた。お釈迦様が何を言っているのか理解できなかったのだ。
「それは、カーリに余計なことを告げ口したものである」
お釈迦様の言葉に、彼らはびっくりして顔をあげた。お釈迦様は
「よく考えてみるがいい。なぜ居酒屋は壊れたのだ?」
とカーリに問いかけた。彼は、
「それは私が暴れたからです」
と神妙に答えた。
「では、なぜ汝は暴れたのだ?」
「こ、こいつらが俺の悪口を言ったからです」
「ふむ、そうだな。では、カーリよ、汝はそのことをどうして知ったのだ?。その場に汝はいたのか?」
「いや、私は家でごろごろしていて、そこへ友人のサンドゥーが・・・。あっ!。そうだ、アイツが俺に何も言わなきゃ、俺は居酒屋へ行ってはいない」
「そうだな。カーリ、汝が居酒屋へ行かなかったらどうなった?」
お釈迦様がそういうと、手をポンとたたいて裁判官が「あぁ、そうだったのか」と言った。カーリは、裁判官の顔を見て
「俺が居酒屋に行かなかったら、居酒屋は壊れていない・・・。俺が何も知らなければ・・・」
とつぶやいた。
「そういうことだ。余計なことをカーリの耳に入れた人物、その人物も愚か者である。その者の一言によって先がどうなるかは、その者は予測できたはずだ。カーリ、汝の友人サンドゥーは、汝が怒りっぽいことを知っていたはずだ。それにも関わらず、汝に余計なことを知らせた。先のことを考えず、余計なことを言いふらした者、余計な行動した者、それは愚か者である。まあ、汝らも同じであるが・・・・」
お釈迦様の言葉に、裁判官は「サンドゥーを捕らえてこい」と兵隊に命じたのであった。そうして、サンドゥーが連れてこらえるまで、お釈迦様は口を閉じ、静かに瞑想を始めたのだった。

サンドゥーが、お釈迦様の前に連れてこられた。彼は、なぜ自分が縛られ、お釈迦様の前に引き出されたのかわけがわからなかった。
「サンドゥーよ、汝はなぜカーリに告げ口をした?」
お釈迦様が尋ねた。 お釈迦様に鋭く見つめられ、サンドゥーは、
「わ、悪気はなかったんです・・・。その、親切心で、というか、友人だったし・・・、えっと・・・そのなんだか、へっへっへ・・・面白かったので・・・カーリに告げ口したくなって・・・・。まさか、こんなことになるなんて・・・」
と笑ってみたり、オロオロしたりしながら答えたのであった。お釈迦様は、厳しい目をして
「カーリの性格を知っているならば、こうなることは予測できたはずだ。それを考えもせず、ただ告げ口した。親切な振りをして。そう言う者を偽善者というのだ」
と言い放ったのであった。お釈迦様は一呼吸おいてから話し始めた。
「ちょっとしたことですぐに怒る者。これは愚か者だ。それは直さねばならない。直さねば、今のように仲間から外され、孤立してしまうであろう。怒りは、身を滅ぼす元である」
カーリは、「反省しています。以後気を付けます」と頭を下げた。
「その場にいない者のことを悪くいったり、噂するのは、下品極まりない。そう言う者は、他者から信用されないであろう。なぜなら、自分がその場にいなければ、きっとその者たちは自分の悪口や噂話をするのであろうから。他人の噂話や悪口を言う者は、いずれ信用を失い、孤立することを知るがよい」
カーリの仕事仲間は「これからは噂話や悪口は言わないようにします」と誓ったのだった。
「他人の話を盗み聞きして、それを笑う者も愚か者である。自分たちには関係のない話ならば、聞き流すべきであろう。何も自分から巻き込まれに行く必要はないのだ。こうした者は、自ら不幸を招く愚か者である」
カーリを笑った者たちは、「関係のないことには関わらないように気を付けます」と頭を下げたのだった。
「そして、自分は関係ないのに、さも親切な顔をして、余計なことに口出しをしたり、言いふらしたりする者だ。そのことによって先がどうなるかを考えることもなく、不用意に口を出す者、それも愚か者である。関係がないのなら、黙っていればいいのだ」
サンドゥーは、小さくなって「はい」と答えた。

「よいか・・・」
お釈迦様はカーリたちを一通り眺めてから
「汝らは、愚か者である。愚かな行為をしたものである。なぜ、汝らは愚かな者になったのだ?。答えてみよ」
と鋭い口調で質問をした。しかし、誰もが下を向くばかりで何も答えなかった。
「なんだ、わからないのか?。それほど汝らは愚かなのか?」
お釈迦様がそういうと、「あの〜」とカーリが、小さな声でぼそぼそと答え始めた。
「あの・・・たぶん、何も考えず、思った瞬間に行動してしまったからです」
「そうだ、その通りだ!。カーリよ、よく気が付いた。そして、よく答えた」
お釈迦様に褒められ、カーリはちょっと照れくさそうに笑った。
「よいか汝ら、なぜ愚か者と言わるのか?。なぜ愚か者となってしまうのか?。それは先のことを何も考えず、思った瞬間に行動したり、言葉を口にしたりするからだ。自分の言葉や行動が、いったいどのように影響をもたらすのか、よく考えていないから、愚か者となるのだ。先のことを考えず、安易に言葉を口にし、行動をするから、愚か者となってしまうのである。その言葉を発したらどうなるか、そういう行動をしたらどうなるのか、それを考えることができれば、愚か者にはならないのだよ。どうだカーリ、汝は今まで先のことを考えて行動してきただろうか?。サンドゥーはどうだ?」
そう言われて、カーリたちはみんな首を横に振ったのだった。
「汝らは、何も考えず、言葉を発し、行動をしていた。自分では考えているつもりでも、その考えはものすごく浅く、狭い考えなのだ。この言葉を発したらどうなるだろうか、こういう行動をしたらどうなるだろうか、ということを深く考えることなしに、汝らはしゃべり、行動していたのだ。だから、愚かな結果を生むことになったのだ。よいか、これからは、愚か者にならぬよう、先のことをよく考えて言葉を発し、行動をすることだ。裁判官よ、彼らは、平等に愚か者であるのだよ」
お釈迦様に言われ、裁判官は大きくうなずいたのであった。

こうして、居酒屋への弁償金は、この騒動に関わった者が平等に支払うこととなった。もちろん、騒動を引き起こしたサンドゥーもその中に含まれていた。サンドゥーはむしろ、「俺が一番悪いのだから俺が多く払う」と言ったのだが、誰もが「いやみんな一緒だ」と言って、平等に負担することにしたのだった。
それ以来、カーリはなるべく怒らないように自分を戒めるようになった。彼の仕事仲間も他人の悪口や噂話を慎むようにした。カーリを笑った連中も、自戒するようになったのだった。サンドゥーは、
「口に注意、口に注意、先を考えろ」
と時折一人で唱えているのが見られるようになった。おそらく、何かを言いふらしたいのだろう。そういう時は、「口に注意」と唱えているのだ。托鉢中に、自分を戒めるようになった彼らの姿を見て、お釈迦様は微笑んだのであった。


「最近の若者は、想像力が欠如している」
と、何かの番組で言っているのを耳にしました。まあ、確かに、若者の事件を見ていると、「想像力が欠如している」と思うことは多々あります。しかし、それは若者に限ったことではないでしょう。年寄りだって、中年だって、同じです。愚かな行為をした者は、そういう結果が想像できなかったのでしょう。「想像力の欠如」があるのは、若者だけではありませんね。

こうすればこうなる、こうなればああなる、その結果・・・と先々のことを考えて行動することは、案外難しいものです。人間は、いつもそこまで冷静にいられるものではありません。ついつい、その場の勢いや感情に任せて、ものを言ったり行動を起こしたりすることがあります。いや、どちらかと言えば、そっちの方が多いのではないでしょうか?。

言ったことが、行ったことがすべて好結果を生めば、何も問題はありません。しかし、そうばかりもないのです。感情に任せて言ったことや行ったことは、先のことを考えてませんから、問題をを起こしたり、トラブルの元となったりすることが多いようですな。そこから大問題に発展することもあります。あるいは、それが事件になってしまうこともあります。そうなれば、「あぁ、なんて愚かな者なのだろうか」と世間から見られるようになってしまうんですね。で、当の本人は「あの時もっとよく考えて行動すればよかった・・・」と嘆くことになるのです。その時には、もう遅いのですが・・・・。

なぜ愚か者になるのか・・・。愚か者は、初めから愚かな者なのではありません。先のことを考えずに、安易に喋ったり行動したりした結果、愚か者となってしまうのです。自分の言動が、周囲にどのような影響を与えるか、法律に触れることなのか、周囲の者を傷つけることなのか、ということなどをよく考えないで言葉を発したり、行動をしたりするから愚か者となってしまうのでしょう。
愚か者にならないためには、自分の言動がどう影響を及ぼすのか・・・先々のことをよく想像してから行動に移せばよいのですね。
合掌。


バックナンバー35へ(NO165〜)


表  紙  へ     今月のとびらの言葉へ