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第165回
派手で安易な道を選んではいけない。
安定した幸せな生活は、地味でコツコツ築き上げるものだ。
簡単に手に入れ築き上げたものは、長くは続かない。

お釈迦様が竹林精舎をビンビサーラ王から寄付され、本格的な布教活動を始めたころのことであった。
ラージャグリハの街をお釈迦様は托鉢のために歩いていた。ビンビサーラ王の帰依もあってか、この街の人々はお釈迦様やその弟子たちには、とても親切だった。その日も順調に托鉢を終え、竹林精舎へ向かっていた時のことである。大通りの脇道から、大きな声が聞こえてきた。どうやら母親と娘でケンカをしているようだった。お釈迦様は、ふと気になって、その脇道へと入って行った。
「これこれ、何をそんなに言い争っているのですか」
お釈迦様は、ケンカをしている母と娘に声をかけた。
「あぁ、あなたは・・・お釈迦様・・・ですよね?。竹林精舎の・・・・」
「えぇ、そうですが・・・」
「ちょうどよかった、この娘に説教してやってください。この子ったら・・・」
母親がそういうと、娘が大きな声で怒鳴った。
「あぁ、もううるさい!。私の人生なんだから、私の勝手でしょ!。それにもう子供じゃない!」
「まあまあ、落ち着きなさい。いったいどうしたというのですか?」
お釈迦様がそう優しく言うと、怒っていた娘も不貞腐れて横を向いていたが、とりあえず黙ったのだった。お釈迦様は、母親に話をするように促した。
「実は・・・。この子ったら、酒場で働くというのですよ。まだ、16歳だというのに・・・。私は、心配で反対していたんです。もっと普通の仕事にしなさいって・・・」
母親の言葉を受けて、横を向いていた娘がいきりたって話だした。
「16歳は、子供じゃない!。結婚だってしている友達もいるし、お酒も飲んだってかまわない。酒場で働くことが何だっていうの?。私がどこで働こうと勝手でしょ」
母親はオロオロしながらも反論した。
「何も酒場じゃなくても・・・。農園とか商売屋さんとか、子守だってあるし・・・・。何も夜の仕事じゃなくても・・・」
「そんな仕事したって稼げないじゃないか!。夜の仕事は、お金がいいんだよ。そんなことくらい知っているでしょ!」
「何もそんなに稼ぐ必要なんてないじゃない。今のままでも十分生活はできるでしょう」
「私は嫌なの、貧乏がっ!。欲しいものだってたくさんある。きれいな首飾りだってつけてみたいのっ!。こんなボロ着じゃなくて、絹製の色鮮やかな服だって着たい・・・・。こんな・・・こんな・・・貧乏な生活は、もう嫌なのよっ!」
確かにその娘が着ていた服は、高価なものではなかった。しかし、娘が言うようにボロ着ではなく、普通の木綿の服であり、みすぼらしいものではなかった。身なりは清潔にしていたし、決して貧乏とは言えなかったのである。お釈迦様は、それを指摘した。
「娘よ、汝は、決してみすぼらしい恰好をしているわけではないであろう。むしろ、清潔な身なりをしている。それの何が不服なのだ?」
娘は「チッ」と舌打ちし、
「修行者にはわからないでしょうね、乙女の気持ちなんて!」
と言って不貞腐れて横を向いたのだった。お釈迦様は、神通力を使ってこの娘の将来を見通してみた。

「娘よ、派手で安易な道は魅力的に見えることであろう。如何にも楽しく、如何にも明るい未来のように見えるであろう。確かに、酒場の雰囲気を見ていると、皆楽しそうに語らい、笑い、陽気にしている。が、それはあくまでも表面上のことだけだ。表向きのことだけなのだ。実際は、その裏には様々な苦労や危険が伴うのだ。そうした華やかで安易なうわべだけの世界では、長きに渡る安定は得られないのだよ。
娘よ、汝は末永く安定した生活を手に入れたいとは思わないのか?」
神通力を使って、その娘の将来を見通したお釈迦様は、その娘が酒場で働き、やがて男に騙され身を持ち崩す姿を知ったのだった。しかし、未来は決定しているわけではない。その娘にそうなる因縁があったならば、そうならないように諭すことも可能であった。それには、その娘が自らの眼の前の欲望に打ち勝つことが必要であった。そこで、お釈迦様は、娘に話をしたのだった。

「末永い安定した生活って・・・ババアじゃあるまいし・・・。私は若いんだから、今は安定よりも楽しみを取るわよ。バカじゃないの」
「なんてことをいうの!。お釈迦様に向かってバカとは!」
母親がそう怒ったのをお釈迦様は手をあげて止めた。
「後になって悔やんでも取り返しがつかないのだ。それでもよいのか?。娘よ、汝は深く物事を考えず、眼の前の欲望に流されてしまう。そういう性格であろう。そんな汝が酒場で働けば、間違いなく、さらに安易な道に流され、欲望の渦に巻き込まれ、痛い目にあうであろう。悪いことは言わない。コツコツと地道に努力してみてはどうか。安定した幸せは、地味にコツコツ築き上げるものなのだよ。一度に、いっぺんに、安易に手に入れられるものではないのだ。もし、安易に手に入れたとしたら、それは長くは続かないものだ。そんなものは、パッと咲いた花のように、さっさと散ってしまうのだよ。それよりも、昼間の普通の仕事を選んで、よき夫を得て、子を産み、家族を儲けたほうがよいのではないか。娘よ、汝には酒場の仕事は向いていないのだ。考えを変えるがよい」
お釈迦様にそう言われたその娘は、横を向いたまま黙り込んだ。そして、次第に下を向き、そのまま家の中へと入って行った。母親は、その姿を見て、お釈迦様の話が通じたのだと思い
「お釈迦様、ありがとうございました。娘も何とかわかってくれたようで・・・」
と礼を言ったのだが、お釈迦様は
「いやいや、そんなに簡単には欲望には勝てないものなのですよ」
と言って、悲しそうな眼をしてその場を立ち去ったのだった。

それから10年ほどの歳月が過ぎた。その日、お釈迦様は竹林精舎を出てラージャグリハの街へ托鉢に歩いていた。その日も、ラージャグリハの人々は、お釈迦様やその弟子たちには随分と親切であった。托鉢の鉢には十分食料が満たされ、お釈迦様や弟子たちは竹林精舎へと帰っていった。その女をお釈迦様が見たのは、その時のことであった。
ラージャグリハの大通りから、ちょっと脇に入った小道だった。そこにその女はしゃがみ込んでいたのであった。お釈迦様には、その女に見覚えがった。ほんのちょっとその女を見つめていたが、すぐに思い出した。お釈迦様は、女に声をかけた。
「久しぶりに会ったな。汝よ、あれから汝は、酒場で働き始めたのだね?、母親の反対を押し切って」
女は、お釈迦様を見上げ、「ふん」と嫌な笑いをして言った。
「何もかも知っていたんでしょ?。お釈迦様だもんね。あの時、こうなることはお釈迦様にはわかっていたんでしょ?」
あの時の娘は、お釈迦様に説教をされたあと、しばらくして家を出たのであった。
「だから止めたではないか。安易な道に進むな、と。痛い目にあうと・・・・」
お釈迦様がそういうと、女は泣き崩れて言った。
「あの時、言うことを聞いておけばよかった・・・。こんなんになるなんて・・・。もう取り返しがつかない・・・」
「母親はどうしたのだ?」
「知っているんでしょ。私が家出をしてからしばらくして、病気になって死んだのよ。母一人で私を育ててくれたのに、私は母を捨ててしまった。母がひっそりと死んだことも知らず、私はバカな男どもと一緒になって騒いで、酒を飲んで、陽気に歌って過ごしているうちに・・・・男どもに騙され、犯され、散々な目にあって・・・もうだれも見向きもしない、ボロボロの女になってしまったのよ」
「そうか・・・、汝も病に罹ったのだな?」
「もう死ぬのを待つだけの病気よ・・・。だから、ここに帰ってきた・・・。あの時、お釈迦様の言うことを聞いていたら、母の言うことに従っていたら・・・こんな目には遭わなかった。もう後悔しても遅いけど・・・。こうなって初めてわかったわ。派手で安易な道なんか選んじゃいけなかった。本当の幸せは、コツコツ働いて得るものだった。簡単に金を手に入れたりしたら、その金にはいろいろな欲望が付いてくる。その欲望は、益々身を滅ぼす元だった。収入は少なくても、地味であっても、コツコツ築き上げていく方が幸せだったのよ・・・」
「汝の母のように・・・」
お釈迦様がそういうと、その女はにっこりとほほ笑んだ。
「汝よ、その気持ちを忘れぬことだ。その気持ちがあれば、閻魔も微笑もう」
お釈迦様の言葉を聞いて、その女は満足そうに笑ったのだった。そして、静かに目を閉じた。お釈迦様は、街の長老に女の死を伝えに行ったのだった・・・。


数年前まで、女子高生の人気の仕事にキャバ嬢という仕事がランクインしていました。しかし、最近の人気職業のランクからは、すっかり姿を消してしまったようです。派手で華やかな世界にあこがれたのでしょうが、案外苦労が多くて大変な仕事だとわかったのでしょう。見た目とのギャップの大きさに気が付いたのでしょうね。

簡単に稼げる仕事は、世の中には存在しません。そんな仕事は、アブナイ仕事であって、まともな仕事ではありませんね。仕事というものは、地味で、汗臭く、綺麗な世界ではないのです。それは、どんな仕事であっても言えることでしょう。外見上は、華やかで綺麗に見えても、その裏は、結構大変で泥臭いものなのですよ。見た目に騙されてはいけませんよね。

安易な道には裏があります。初めは簡単そうで楽そうであっても、その実は全く異なることがほとんどですね。また、安易に手に入れたものは、そのありがたみがわからないせいか、安易に手放したり、簡単に崩れていくものです。人は、苦労して手に入れたものだからこそ、大切にするのです。コツコツ地味に築き上げてこそ、大切にできるのです。だから、それは長く続くのでしょう。簡単に築いたものは、簡単に去って行くものなのです。
それがわかれば、決して安易な道に騙されることはないでしょう。そして、本当の幸せは、コツコツと築き上げていくものだ、と知ることが大切ですね。

地味にコツコツ・・・これを人は嫌いがちですが、人が嫌うことは、案外、豊かな道なのですよ。一度に、いっぺんに、苦労せずに・・・なんて思っていると、足元をすくわれますな。
地味にコツコツ・・・実はこれが最強の道なのです。
合掌。


第166回
人は孤独であることを知らねばいけない。
家族や友人が多数いても、人は孤独なのである。
孤独を知る者は、強い。
ヴァイシャリーの街に大商人がいた。名前をサンジャナといった。彼は、多くの家族に恵まれ、また多くの使用人や召使いに囲まれ、今日も大忙しで働いていた。商売を大きくしたのは彼だった。彼は、父親から
「サンジャナ、お前は商才がある。わしはこの店を大きくすることはできいが、お前ならできる。いいか、わしの後を継ぐのなら、この店をヴァイシャリー一の店にしてくれ」
とよく言われて育った。そのせいか、彼は必死で働き、父親から受け継いだ小さな商店をヴァイシャリーでも一二を争うほどの大商店に発展させたのだ。
商売が軌道に乗り始めたころ、彼は妻を得た。妻は、彼によくつくし多くの子をなした。子供たちは順調に成長し、女の子は国の役人や大臣に嫁ぎ、サンジャナの商売が優位に働くように協力した。また息子たちは、サンジャナをよく助け、彼らも商売が益々繁盛するように一生懸命に働いたのだった。やがて、彼ら息子たちもそれぞれ嫁を取り、子をなしていった。サンジャナは大家族となっていった。たとえば、サンジャナの誕生日を祝う日などは、息子や嫁、娘や婿たちがそれぞれ子供を連れてお祝いに駆け付けたので、サンジャナの家の周辺では、大きなお祭りのようににぎわうのであった。もちろん、家族だけではなく、国の役人や街の長老、数多くいる友人たちも駆けつけてきたのだった。サンジャナは、そんな時いつも
「多くの人に囲まれて、わしは幸せじゃ」
と泣いて喜んだのだった。
サンジャナの友人にアルーダという男がいた。アルーダとサンジャナは、幼なじみで子供のころからよく遊んだ仲だった。アルーダの家は小さな農園を営んでいた。その農園は人を雇うこともない、両親だけで十分にやっていけるほど小さなものだった。アルーダの父は、
「欲をかけてはいかん。たくさん稼いでもあの世へ持って行けるわけでもなし。日々暮らしていける分があれば十分だ。アルーダよ、お前はわしの後を継いでも継がなくてもよい。夢があるなら、自分の夢に進むがいい。わしの後を継いで農園を営むなら、無理に大きくしようなどとは思わぬことだ」
と口癖のように言っていた。だから彼の家は、いつも質素で静かだった。そんな中で育ったアルーダは、サンジャナとは正反対で静かな男になっていった。何かと派手好きなサンジャナとは好対照だったのだ。そのためか、二人は馬が合った。若いころからよく将来についての話をしていた。サンジャナが
「俺は今の店を大きくして大商人になる。そして、結婚をしてたくさん子供をつくって、にぎやかな家族を作るんだ」
と言えば、アルーダは
「俺は、今のままで十分だ。家族はそんなにいらないな・・・。結婚はしないかもな。しても子供は一人か二人でいいや」
と答えていた。そんなアルーダにサンジャナは
「そんなことでいいのか?。家族がにぎやかでないと寂しいじゃないか。大勢に囲まれていた方が幸せじゃないか」
と反論したのだが、アルーダはニコニコ笑って
「いや、家族が多くても少なくても、所詮人は孤独だよ。それを知っていた方がいいと思うよ」
と答えたのだった。サンジャナは、わかったのかわからないのか「ふ〜ん」とだけ答えるのだった。アルーダは、自分のその言葉通り、結婚はしたが子供は二人だけしか設けず、その子供たちもコーサラ国へと働きに出ていた。家にいるのはアルーダと妻だけだった。それでも、彼は楽しい日々を過ごしていたのだった。

ある日のことだった。ひっそりとしたアルーダの家にサンジャナがやってきた。
「アルーダの家に来るのも久しぶりだな。子供のころは、よく遊んだのだが、大人になると足が遠のくなぁ。こんなに近くにいるのに・・・」
サンジャナは、しみじみとそう言った。その様子がいつもの彼と異なるので、アルーダは尋ねた。
「どうしたんだ?、妙に元気がないじゃないか」
「いや、なんてことはないんだが・・・年を取ったなぁ、と思ってな」
そういうサンジャナの顔は、寂しそうだった。そうしてしばらく黙っていたが、サンジャナは「実はな・・・」と話し始めたのだった。
実は、サンジャナの家ではひと騒動起きていたのだった。サンジャナの後を継いでいた息子たちが、
「オヤジも、もう年だからそろそろ隠居したらどうだ?。隠居してお釈迦様の話でも聞きに行けばいいんだ」
「年寄りは仕事の邪魔なんだよなぁ。時代遅れで困る」
などと言い出したのだ。そのたびに、サンジャナは「誰がこの店を大きくしたと思っているんだ」と怒鳴り返していた。しかし、息子たちは「その態度がいけない」といい、「そうやって威張っているなら別に店を構えるだけだ」などと言うのだった。
「いったい何のためにここまでやってきたのか・・・。わしはなぁ・・・家族みんなで楽しく和気あいあいと過ごしていきたかったんだが・・・。どうも最近の若い者とは合わないようじゃ」
サンジャナは、寂しそうにそう語ったのだった。そして
「アルーダ、お前さんは寂しくないのか?。女房と二人だけで寂しくはないのか?」
と尋ねたのだった。アルーダは、
「わしは寂しくはないぞ。サンジャナ、世の中そんなものだろうよ。所詮、人は孤独であろう」
と答えたが、サンジャナはその言葉にムスッとして何も言わなかった。そして、「帰るよ」と一言だけ言って帰って行ったのだった。

若いころから働き続けていたサンジャナは、商売敵は多くても友人はあまりいなかった。また、「仕事が趣味だ」と豪語してきたので、楽しみもこれと言ってなかった。今さら、老人の仲間などには入る気もしなった。彼は、家族に囲まれ、家族に大切にされることを望んでいたのだ。しかし、今では自分の妻からも邪魔にされるほどになってしまっていた。妻は、「もう店の手伝いはしなくていいのだから自由に遊びに行くわ」と言って、毎日のように出かけているのだ。それをサンジャナがとがめるので、妻にもうるさがられているのだ。
「わしは独りぼっちだ。誰も相手にしてくれない・・・。寂しいものだ。はぁ・・・店に出れば邪魔だと言われ、家にいればどこかへ行けばと言われる・・・。そのうちに誰も話しかけもしなくなり、家族はいるのだが独りぼっちだ。使用人も忙しそうだしなぁ・・・。そうだ、またアルーダの所へ行くか」
サンジャナは、またアルーダの所へ向かったのだった。
しかし、アルーダは不在だった。奥さんと二人で出かけたらしい。家には誰もいなかった。仕方がなく、彼はアルーダの家の前で座り込んで待っていた。
夕方になって、アルーダは帰ってきた。一人ぽつんと座っているサンジャナを見つけ、彼は事情を察した。そこで
「なぁ、一度お釈迦様の所へ話を聞きに行かないか。明日の昼過ぎにまた来いよ。わしが連れて行ってやるから」
と声をかけたのだった。サンジャナは、涙を流しながら、素直にうなずいたのだった。

翌日の昼過ぎ、アルーダはサンジャナを伴ってお釈迦様の前に座っていた。アルーダは、お釈迦様にサンジャナの状況を説明し、「サンジャナを救ってあげてください」と懇願したのだった。お釈迦様は、
「サンジャナよ、アルーダがなぜ寂しがらないか、汝はわかるか?」
そう問われたサンジャナは「いや・・・性格ですか・・・」と答えた。お釈迦様は苦笑しながら
「いやいや、そうではない。簡単なことだ。アルーダは、孤独を知っているのだよ」
と答え、さらに問いかけた。
「よく思い出してみるがよい。アルーダは、若いころから『人は孤独だから』と言っていなかったか?。そして、それを知っていた方がいいといわなかっただろうか?」
その問いにサンジャナは「あっ」と言った。
「思い出したか。よいか、サンジャナ。人は孤独なのだ。いくら家族や友人などに囲まれていても、人は一人なのだよ。家族もやがて離れていくであろう。友人もいつしか離れていくであろう。そして、知人も次第に減っていく。いつの間にか、自分の周りには人はいなくなってしまうのだ。気が付いたら、死を迎えることになる。死の世界へ行くのは、当然一人だ。誰かと一緒に亡くなったとしても、あの世の世界で引き離される。結局は一人きりになるのだよ。
家族が大勢いるからと人は喜ぶが、家族が大勢いても孤独であることには変わらない。話し相手がいるというだけのことなのだ。しかし、その家族も話が合わなくなったり、お互いに自由に振る舞ったりするであろう。決して、誰かの所有物ではないのだ。サンジャナ、汝もそうであろう?。家族がいても、その家族は汝の自由にはなるまい。それが当然なのだ。家族に囲まれていても、お互いに自由なのであるから、その中でも孤独は生まれてくるものなのだよ。
友人がたくさんいると人は自慢する。しかし、よく考えてみよ。その友人はいつまでも一緒に居られるものであろうか?。時が過ぎ、世の中が移り変わるとともに、友人も変わっていくであろう。いつの間にか、仲の良かった友人も一人減り、二人減りして、どんどん減っていくのだ。気が付けば己一人になっている。しかもだ、どんなに親しい友人であっても、汝のために何もかも捨てるほどのことをするであろうか?。いくら親しい友人だと言っても、所詮、自分が最もかわいいのだ。汝のことよりも、自分の家族、自分自身を大事にするであろう。
よいか、サンジャナ。人は自分が最もかわいい。自分が最も大切なのだ。だからこそ、人は孤独なのだよ。そのことをよく知っているアルーダは、だから強いのだ。
よいかサンジャナ。人は孤独である、と言うことを知っている者は、強いのだよ」
お釈迦様は、優しくそう説いたのであった。

お釈迦様の話を聞いて、しばらく黙り込んでいたサンジャナだったが「そうか・・・」と一言いうと、
「ようやく分かりました。なぜアルーダがいつも穏やかな顔をしているのか。アルーダ、お前さんは、若いころから言っていたな。『人は孤独だと言うことを知っておいた方がいい』と。お前さんは、それがよくわかっていたから、一人で楽しむことができるんだな。いや、一人を楽しむことができると言ったほうがいいか・・・。アルーダ、君は、楽しんでいるのだな」
とアルーダに言ったのだった。アルーダは、
「そうだよ。人は所詮孤独だ。だからこそ、一人を楽しむのだよ。孤独であることを楽しむのだ。女房もそれを理解している。だからお互いに自由にしている。孤独を知っているからこそ、楽しめるのだよ」
とほほ笑みながら答えたのだった。サンジャナは、お釈迦様に向かい頭を下げていった。
「お釈迦様、よくわかりました。人は孤独ですね。こうしてお釈迦様の話を大勢の人が聞きに来ても、皆それぞれの家に帰る。家に帰れば、家族がいたりいなかったりするが、それには関わらず自分は一人なのですね。よくわかりました。私は、もっと孤独を知って、孤独を楽しめるようにいたします。孤独を受け入れます」
そう決意したサンジャナは、それ以来、一人で行動することを覚え、自由に出歩き、または家の中でも自分一人での楽しみを見つけるようにした。サンジャナが店に顔を出さなくなったため、家族も邪魔にすることはなくなり、むしろ以前のように仲良く話をするようになったのだった。
「わしは家族にいろいろ求めすぎたのだな。一人で過ごすようになってよくわかった・・・」
サンジャナはアルーダにしみじみとそう語ったのだった。


「かまってちゃん」という言葉がありますが、ご存知でしょうか?。誰かから注目されたい、相手にされたい、構って欲しい・・・という欲求が強い人を
「あの子はかまってちゃんだからね」
と蔑みの気持ちを少しまじえながら、その人のことを評する言葉ですね。
この「かまってちゃん」、最近は増えているのだそうです。

確かに人は寂しがり屋です。誰かとつながっていないと寂しいものでしょう。孤独には耐えられませんね。メールやラインでのコミュニケーションが増えた昨今では、誰かとつながっていたいという欲求はより一層強くなっているのではないでしょうか。自分一人だけ仲間から外されているのではないか・・・そう思うと、もう恐怖の世界に入ってしまうようです。中には、絶えず誰かからかまってもらえないと、注目されないと不安で仕方がない、と言う人もいるようで・・・。それが高じた結果、ネットで自分の裸の写真をあえてさらして注目を集めるという女性もいるようですね。そんな話を聞くと、なんだかなぁ・・・などと思ってしまいます。

所詮、人は孤独です。どんなにつながっていても、結局は孤独です。他の人と絶えず一緒にいられるわけではないですし、どんな場合でも必ずつながりを保ってくれるとは限りません。どんなに親しい友人であっても、最終的には自分のことを優先するものです。それは当然であり、お互い様ですよね。人はお互いに自分が大事なのです。だからこそ、人は最終的には孤独なのです。
そのことを知っていると知らないでは大違いでしょう。人は孤独である、と知っていれば、必要以上につながりを求めないでしょう。また、そのつながりが切れたとしても、耐えられるのです。しかし、人は孤独である、と知らなければ、必要以上に他人に対してつながりを求めるでしょうし、愛情を求めてしまうでしょう。つながりが切れた時のショックは計り知れなくなります。

人は孤独です。つながりや絆などは、永遠に続くものではありません。いつかは切れるものです。切れて、また新しいつながりできて、また切れていく・・・。そして、最後は自分だけになるのです。それを知って、孤独を素直に受け入れれば、人は強くなれます。一人で生きていける力が得られるのです。
人は孤独であると知って、一人でも強く生きられるようにしましょう。
合掌。


第167回
すぐに他人を頼ってはいけない。
他人をあてにしてもいけない。
そこから自立心が生まれてくるのだ。

その日も祇園精舎には、新たに出家を願い出る若者が大勢集まっていた。お釈迦様は、彼ら一人一人に戒律を授け、衣と袈裟と鉢を与えた。そして、新たな出家者の指導をそれぞれ長老たちに割り振ったのであった。
その中の一人サーダナは、シャーリープトラ尊者に指導を仰ぐこととなった。
「さて、サーダナよ、汝はまだ今日初めてこの精舎に来たのだな?」
「はい、祇園精舎に来たのは初めてです。私は、コーサラ国でもはるか南の方の田舎の出身ですから」
「そうか、では、出家者の決まりごとは、あまり知らないな」
「えぇ、申し訳ないのですが・・・、何もわかりません」
「いや、いいんだ。下手に知っているよりも、全く知らない方が覚えがいいだろうから。そうだね、まずは、一日の過ごし方を教えよう。まずは朝起きたら顔を洗い、沐浴をする。寝具を片付け、当番になっている清掃をしたら・・・あぁ、それぞれ掃除の場所が割り振られるから、そこの掃除だね・・・、托鉢に出かける。托鉢は、しばらくは私が一緒についていこう。慣れるまで。托鉢から帰ってきたら食事だ。食事は昼前に済ますこと。午後からは、いよいよ修行だね。まずは、世尊の教えを学ぶ。そのあとは、その教えを自分でよく吟味してみる。夕食はない。午後からは、水か果物のみ口にしてよい。日が暮れたら、精舎に入って寝る。以上だ。わからないことがあれば、その都度、私か先輩の修行僧に聞くといい」
シャーリープトラの教えにサーダナは、深くうなずいた。
「あぁ、そうだ。今日はもう午後なので、今はみんな修行中だ。瞑想をしている者もいるので、静かに自分の寝る場所を片付けておくといい。君の寝る場所は、こっちだ」
シャーリープトラは、サーダナを連れて森の奥にある精舎へ向かった。

そこは一部屋に10名ほど入る部屋だった。悟りを得た長老は、個人の部屋を与えられたが、まだ悟りを得ていない者は、大部屋で共同生活するのだ。と言っても、身の回りの物は、下衣・中衣・袈裟の三衣(さんね)と鉢一つだけである。それを持ってサーダナは、シャーリープトラの後に続いて大部屋に入って行った。
「この部屋の長は・・・あぁ、ちょうど戻ってきた。新しい出家者を紹介しよう」
シャーリープトラは、その部屋の長にサーダナを紹介した。部屋長はサーダナの方を向き、
「君が新しい出家者か?。私はこの部屋の管理を任されている者だ。君の場所は、こっちだ・・・。ここがあいている。ここに衣類と鉢を置くがいい。部屋の掃除は、夕方にみんなが戻ってきてから割り当てをする。わからないことがあったら、何でも聞くがいい。まだ、君はここに来たばかりなんだから」
彼は、優しくそういうと、「修行場所はこっちだ」といって、サーダナを森の奥へ連れて行った。シャーリープトラは、安心してその後ろ姿を見送ったのだった。

サーダナが出家をしてから早くも3カ月が過ぎようとしていた。
「どうだい、サーダナ。もう慣れたかい?」
シャーリープトラにそう声をかけられたサーダナは
「はい・・・あぁ、いいえ、まだちょっと・・・」
「そうか、まだ慣れないか。何か困ったこととかはないか?」
「困ったことはないです・・・ただ、やることが多くて・・・」
「そうか、まあ、少しずつ慣れていくだろう」
シャーリープトラは、そう言ったが「やることは多いだろうか?」と疑問に思いつつ、その場を後にした。そして、ふと立ち止まると
「これは、ちょっと様子を見てみたほうがいいかな」
と思い、次の日からサーダナを観察することにしたのだった。

サーダナの一日が始まろうとしていた。
「おい、サーダナ、朝だぞ。起きろよ!」
サーダナは、隣で寝ている先輩修行僧に起こされた。
「おい、もう3カ月になるっていうのに、まだ一人で起きられないのか?。俺たちを頼らないで、自分で起きろよ」
先輩僧にそう言われたサーダナは、眠そうに眼を擦りながら、うなずくだけだった。
「ほら、さっさと用意しないと、托鉢に遅れるぞ」
「あ、はい、ちょっと待ってくださいよ」
サーダナは、毎朝このような調子だったのだ。
掃除にしてもそうだった。いつも
「ちょっと手伝ってくださいよ〜」
とすぐに先輩僧や周りの仲間を頼ったり、あてにしたりしたのだ。
「サーダナ、なんでお前は人に頼るのだ?」
いい加減うんざりした先輩僧がそう問いただした。
「いや、その〜、だって、わからないことは周りに聞いていいと言われてますし、できないことは手伝ってもらえとも言われましたし・・・」
サーダナは、もじもじしながらそう答えた。その答えに呆れてしまった先輩僧は
「あのな、朝起きるくらい自分でできるだろ?。わからないことではないよな。掃除だって、もう慣れてもいいはずだ。みんな自分の担当を一人でやっている。もうそろそろ一人でやらなきゃダメだろ」
「はぁ・・・」
サーダナは、下をむいて気のない返事をするばかりだった。

ある日のことだった。その日、珍しくサーダナは、怒っていた。
「手伝ってくれてもいいじゃないか。というか、てっきりやってくれてると思ったよ、俺は。なんでやっておいてくれなかったんだ?」
サーダナは、同じころ出家した仲間に食ってかかっていたのだ。
「俺が忙しいのわかっているでしょ。今日は、法話会の準備をする一員に選ばれたのだから、そっちで忙しいんだよ。そんなこと、見てりゃわかるだろ?。だったら、こっちの俺の分の片づけもやっておいてくれたっていいじゃないか。不親切なヤツだなぁ」
怒られている修行仲間は、「言い争いをしてはいけない、感情をあらわにしてはいけない」という教えを固く守りたかったので、言い返したいところだったのだが耐え忍んだ。
「なんだよ、謝らないのか?。黙っているだけか?。悪かったよ、の一言もないのか?。俺は、これからこの片付けをしなきゃいけないじゃないか。残った仕事を一人でやらなきゃいけないんだぞ。手伝うよ、の一言もないのか!」
サーダナは、大声で怒鳴った。その時だ。
「愚か者だったんだな、サーダナは。初めはなかなか好青年だと思っていたんだが・・・」
そう言いながらそばにやってきたのはシャーリープトラだった。
「サーダナ、君は大きな間違いをしている。この仕事は、当然君がやるべきことだ。人を頼ることではない。またあてにしてもいけないことだ。法話会の準備など、ほんのちょっとのことだろう。日常の片付けや掃除などの作業に差し支えるものではないよな。自分一人でできることだ」
シャーリープトラは、きつい口調でそう言ったのだった。そして
「よいかサーダナ。世尊はいつもこう説かれている。
『他人を頼るな、他人をあてにするな。自分の足で歩んで行け、自分の力で進んで行け。頼りになるのは、自分だけなのだ。そういう姿勢を持たないと、本当の自立は得られない。自立できない者は、愚か者と呼ばれても仕方がない』
この教えをサーダナ、君も聞いたことがあるだろう。聞いていない、とは言わせないよ」
と話を続けた。いつも優しいシャーリープトラにしては、珍しく厳しい口調だった。
サーダナは、
「あっ、あぁ・・・、ううぅん・・・。はい、その通りです。確かに世尊のその教えを聞いております」
とモソモソ答えた。
「いったい何回その教えを聞いた?」
「確か・・・。数回は・・・聞いていると・・・思います」
「そんなに聞いていて、君は実践できていないんだな?」
サーダナは、うなずくしかなかった。シャーリープトラは、その様子を見て
「よし、今日から君は、何か作業をするとき、たとえば掃除とか片付けとか準備とかだな、そうした時は次の言葉を唱えながら作業をしなさい。
『他人を頼るな、あてにするな。自分でやらなきゃ終わらない』
とね。いいかい、忘れてはいけないよ」
いつもの優しい口調でそう諭したのだった。

それ以来、サーダナは、何をやるにせよ『他人を頼るな、あてにするな。自分でやらなきゃ終わらない』と唱えていた。周囲から「何を唱えているんだ?」と聞かれると、「自分への戒めだ」と答えていた。
やがて、サーダナは、一人でなんでもテキパキとこなすようになっていった。いつも他人を頼ってばかりいた、いつも周囲の人間の助けをあてにしていたサーダナは、もういなかった。愚痴も言わず、ただシャーリープトラから教えられた呪文を口にしながら行動していたのだ。
そのうちに、ちょっと大変そうな仕事を命じられ一人で奮闘しているサーダナがいた。すると、周りの修行僧は黙って彼を手伝うようになっていった。その時にサーダナは気付いたのだった。
「一人で黙々と仕事をしていれば、その仕事が大変そうならば、こちらから頼まなくても助けてもらえるのだ。初めからあてにしていたら、誰も助けてはくれないのだ。そういうことだったのだ。ありがたいことだ・・・」
サーダナは、そっとシャーリープトラが修行をしている方向に手を合わせたのだった。


すぐに周囲の人をあてにする人っていますよね。まあ、お年寄りはある程度は仕方がないにしても、若い方で他人を頼る、あてにするという態度は、如何なものかと思います。自分でできることならば、できれば自分でやって欲しいですね。周囲の人だって暇ではないのですから。
かくいう私も学生時代は、恥ずかしながら他人を頼る、あてにする人間だったといえましょう。
「代返たのむね〜」
「ノート見せてよ」
「実験よろしくねぇ〜」
なんと、まあいい加減な学生だったことでしょう。こんな調子だったから、行き詰るのは当然ですな。今は、そのころの自分を本当に恥じております。

こんな調子のいい人間が周囲に一人でもいると、本当にイラつきますよね。「頼るな、あてにするな」と怒りたくなるのも当然でしょう。ですが、こういう人間は、注意したりすると逆ギレするんです。
「なんで?、いいじゃん、少しくらい」
「だってヒマでしょ。ついでって言うものだよ」
などと屁理屈をこねます。頼まれたことを断ったりしても同じですな。断ったにもかかわらず、
「なんでやっておいてくれなかったの?」
とカンカンに怒る人もいますな。困ったものです。

このような人間を野放しにしてはいけませんな。ちゃんと教育しなければ。いや、本人に気付かせてあげないと、その人はいつまでたっても「自立」ができませんよね。いつまでも他人を頼り、他人をあてにする人間になってしまいます。本当の意味での大人になれませんな。子供のままです。
他人をなるべく頼ろうとせず、他人をあてにしない、そういう姿勢で仕事に励めば、仕事ができる人間に育っていくでしょう。他人をあてにしているうちは、その道で「できる人」にはなれないですね。
また、これは家庭内でも同じですな。いつもいつも奥さんを頼ってばかりいると、年を取って奥さんができなくなったり、先立たれたりすると、何もできないジーサンになってしますな。奥さんも同じですね。なんでも旦那を頼っていると、自立できない奥さんになってしまいます。夫婦も親子も、頼る・あてにする、は程度の問題がありますな。自分でできることは自分でした方がいいですよね、将来のことを考えて・・・。

先々のことを考えれば、甘やかすのはよくないことですな。まあ、かといってことさら厳しくするのも問題はあるでしょう。しかし、自分でできることならば、自分でやらせるべきでしょう。あまりの手出し口出し世話焼きは、その人をダメ人間にしてしまいます。自分でできることは自分でやらせる。他人を頼らない、あてにしない、と教えておく、これは大切なことですな。教えるほうは「甘やかす」ことを自重し、教えらるほうは「自分でやれることは自分でやろう」と自戒すべきなのでしょう。それが将来の安楽を招くのですよ。
合掌。


第168回
他人に頼らず一人で成し遂げることは大事なことだ。
しかし、他人に頼らなくてはできないこともある。
頑固に過ぎれば、周囲に迷惑をかけ、自身を滅ぼすことになる。
そんな時は、素直に他人を頼ればよいのだ。

バドラは熱心な仏教信者だった。彼は、毎日のように祇園精舎に礼拝に来ていた。それは、お釈迦様が祇園精舎に滞在していなくても続けられていたのだった。
彼が仏教の信者になったのは、彼が50歳くらいの頃だった。子供たちも手が離れ、それぞれ独立し、残された夫婦二人でお釈迦様の法話を聞きに行ったのが最初だった。
特に何かに悩んでいたわけではなかった。自分たちも十分幸せだったし、子供たちもそれぞれ家庭をもって幸せに過ごしている。お金に困っているわけでもないし、仕事がないわけでもない。夫婦仲も悪くはなかった。しかし、なぜか普段の生活に空しさを覚え、何をしていても楽しくなかったのだ。何かが足りない・・・いつもそんな空虚感に包まれていたのであった。そんな時、街の噂でお釈迦様の評判を聞き、祇園精舎に話を聞きに行ったのである。
お釈迦様は、この世は苦の世界である、と説いた。生老病死の苦があり、さらに愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の苦があると説いた。そして、その苦は逃れることができないから受け入れるのだ、受け入れることで安楽が得られる・・・と話をしたのだった。さらにお釈迦様は、「どんな状況も、どんな場合も、どんな存在も、すべては原因がある」と説いた。バドラは、こうした法話を聞き、「なるほど・・・」と思った。今感じている虚しさも、子供たちが去って行ってしまった事が原因なのだ。愛する子供たちと別れたことが原因で起きているに違いない・・・。そう考えたバドラは、それをどうすればいいのか、お釈迦様に直接尋ねた。お釈迦様は、
「汝は、子供がいるということに心で頼っていたのだ。子供が精神的な支えだったのだ。だから、子供が近くにいなくなったらその支えがなくなり、虚しさを感じるようになったのだ。ならば、どうすればよいか・・・、わかるであろう?」
とバドラに聞き返してきた。バドラは
「別の心の支えが必要・・・ということですか?」
と答えた。お釈迦様は
「う〜ん、それも確かにそうだ。何か別の楽しみを見つけることもよいであろう。しかし、バドラよ、汝ももういい大人なのだ。何か頼るのではなく、自分自身を頼る、自分自身を自立させる、それが大事なのではないか?。頼って生きるのではなく、自分で生きるのだ。そういう態度で生活していかねば、その虚しさからは解放されないであろう」
と優しく説いたのであった。バドラは
「なるほど、依存しないように生きるべきなのですね」
と納得したのだった。

次の日から、バドラは妙に張り切っていた。彼の女房が「今日はイキイキしているね」というと
「当たり前だ、今日から俺は俺になるのだ」
と意味不明なことを言って仕事に出かけたのだった。
仕事場でも彼は張り切っていた。ここ最近、ダラダラとした仕事ぶりだったのだが、その日からは積極的に仕事に励んだのだった。
彼は、腕のいい大工であった。大工と言っても特殊な大工で、主に建築物の装飾品を制作する職人だったのだ。彼はいつの間にか、そうした装飾品の作成に情熱をささげるようになっていった。
それだけではなかった。家庭の中でも、あまり女房を頼らないようにしたのだった。自分でできる家庭内の仕事は、積極的にこなすようになっていった。彼の妻も働いていたため、バドラが家庭の仕事をするようになったのは、妻も大歓迎だった。そうこうするうちにバドラは、料理もするようになった。
「俺はな、誰にも頼らないで生きていくんだ。俺一人で生きていけるようにするんだよ」
彼は口癖のようにそう言っていたのだった。

それから二十数年の時が流れた。バドラの妻は彼を残して亡くなってしまった。バドラはその時も寂しさ、悲しさ、虚しさを感じたが、お釈迦様の教えをよく守り、耐え忍んだのだった。
妻の葬儀も終わり、バドラは仕事に復帰した。彼は黙々と仕事に励んだ。家に帰っても、彼は一人で食事の用意をし、洗濯をし、掃除をこなした。妻が生きているころからやってきたことだった。何も苦にはならなかった。そういう意味では、彼は十分に自立していたのだった。
子供たちも心配で訪ねてきてはくれたが、「独りでやっていける。お前らの世話にはならねぇ」と言って追い返すほどだった。
そんな時、彼は少々厄介な仕事を頼まれた。非常に手の込んだ屋根の装飾の仕事だったのだ。それは、バドラにしかできないような仕事だった。彼は喜んで引き受けた。「こいつは俺にしかできない仕事だ」と張り切っていたのだ。

その仕事も順調に半ばを過ぎたころだった。なんと、バドラは屋根から滑り落ちて大事な利き腕を折ってしまったのだった。当然、仕事は滞ってしまった。親方は他の職人を雇うから、指導をしてやってくれとバドラに頼んだ。彼も初めのうちはそれを承諾した。しかし・・・。
「あぁダメだ。お前らなんぞに頼った俺がバカだった。お前らなんぞ要らねぇ。俺がやる」
と言い出したのだ。彼は不自由な手で仕事に取り組んだのだった。
そのため仕事の進み具合は遅くなった。親方は注文主から急ぐように文句を言われるようになった。それをバドラに言うと、彼は彼で
「うるせー、他にやれるやつがいないんだから仕方がないだろ」
と、取り合わなかったのだ。彼は、夜も寝ないで仕事に精を出すようになった。
当然のことながら、家のことはできなくなった。片手で料理をすると言ってもうまくいかない。利き手でない手で料理をしたり洗濯をしたり掃除をしたりするから、家の中は次第に荒れていった。食事も十分とれなくなった。近所の人たちが見かねて食事を持ってきてくれたり、手伝おうと言ってくれるのだが、彼は断固としてこれを拒否したのだった。
「あのな、お釈迦様が言ったんだ。人を頼るな、あてにするな。自分で何とかしろってな。それが本当の自立だって。自立せずに頼ってばかりいたら、ダメな人間になってしまうんだよ。俺はな、全部自分でできるんだ。放っておいてくれ!」
彼は大声でそうわめいていたのだった。

バドラは、次第にやつれていった。食事もろくにせず、仕事の遅れを取り戻そうと夜遅くまで仕事をしているのだから、それは当然であった。周囲の人々はそれを見かねて、何度も助けようとしたのだが、バドラは頑固にもそれらを受け付けなかったのだった。そんなバドラを見て、近所の人たちがお釈迦様のもとへとかけ込んだ。
「お釈迦様、バドラを何とかしてください。もとはと言えば、お釈迦様の教えを聞いてあんなことになったんですよ。お釈迦様にも責任がある!」
その訴えにお釈迦様は「困ったものだな」と苦笑しながら、バドラの仕事場へ行ったのだった。

「バドラよ!」
屋根の上にいる彼に向かってお釈迦様が呼びかけた。彼は、「あぁ、お釈迦様」と驚き、あわてて屋根から降りようとしたので、お釈迦様は「そのままで聞くがよい」と言った。
「よいかバドラ。他人に頼らず、何でも一人で成し遂げていこうとする汝の態度、それは大変立派である。見上げたものだ。他人に頼ってばかりの者は、バドラを見習うべきであろう」
お釈迦様に褒められたバドラは、「いや〜、それほどでもねぇ」と照れながら喜んだのだった。お釈迦様は、そんなバドラを優しく見つめて話を続けた。
「しかしバドラよ。他人に頼らず、一人でやろうとして、かえって他人に迷惑をかけてしまうことだってあるのだ。他人に頼らなくてはできないこともあるのだよ。それがわかるかい?、バドラよ」
お釈迦様の言葉に、バドラは屋根の上で考え始めた。しばらくして
「まあ、そりゃそうかも知れないが・・・しかし・・・う〜ん」
と、うなったのだった。
「よいかバドラよ。何もかも一人で抱え込んで、それで他人に迷惑をかけたのでは、それはむしろ罪を作っていることであろう。自分一人でやり遂げねば・・・と頑固にこだわるにも限度と言うものがあるのだ。頑固に過ぎれば、周囲の人を巻き込んで我が身を滅ぼすことになる。よいかバドラよ。よく考えよ。今の状況はどうなのであろうか?」
お釈迦様の言葉に、しばらく考え込んだバドラは
「お釈迦様の言うことはよくわかります。確かに、今の俺の状況は、周囲に迷惑をかけているかもしれない。じゃあ、どうすればいいんですか?。周囲の人に頼っちゃ、それも迷惑をかけることになる。いったい俺はどうすればいいんですか?」
と問いかけたのだった。お釈迦様は、
「自分でやったほうが迷惑が大きいのか、他人に頼ったほうが迷惑が大きいのか・・・。迷惑が少ないほうを選べばよいのだ。さて、どっちが迷惑が少ない?」
と答えた。バドラはまた考え込んだ。
「あぁ、そうか・・・。今、俺はすごく迷惑をかけているんだな。そうか、他人に頼ったほうが迷惑をかけなくて済むのか・・・・。しかし、それじゃあ俺の面目がたたねぇし・・・」
バドラは答えがわかったのだが、妙に頑固だった。
「バドラよ、素直になればいいのだ。今さら面目も何もないであろう。汝は、利き腕を折っているのだ。周囲の助けを頼らなくてはできない状態なのだ。そんな時は、頑固に過ぎず、素直に助けを求めるがよい。あまり頑固に自分の意見にこだわると、周囲にも大きな迷惑をかけるのだよ。他人に頼る頼らないも、時と場合によるのだよ」
お釈迦様の言葉に、しばらく宙を見つめていたバドラは「わかりました」と言うと、器用にスルスルと屋根を下りてきたのだった。そして、
「これからは周囲の人を頼ります。で、腕が治ったら、また一人でできることはなるべく一人でやります。そういうことですよね?、お釈迦様」
バドラの言葉にお釈迦様は微笑みながらうなずいたのだった。


老若男女に関わらず、妙に頑固に自分一人でやろうとする人がいますよね。他人を頼らないということは大変立派ですが、それも時と場合によりけりだと思います。一人でできない仕事だって世の中にはたくさんあります。ましてや、何らかの事情で途中で一人ではできない場合も生じます。それでも、頑固に一人でやり遂げようとする・・・。気持ちはわかりますが、それは周囲に迷惑なのですよ。

すぐに他人を頼って自分は何もしない人も嫌な感じがしますが、全く周囲を頼らず自分一人でどんどん進んでいってしまう人も、これも困ったものです。それで周囲の人に迷惑をかけなければ、まあ何も問題はないのですが、周囲を巻き込むようでは大問題ですよね。特に一人でやってきた、一人でできると豪語したにもかかわらず、ある日突然「できない」とさじを投げられた日には、周囲の人は泣きなくなるでしょう。「今さら?だったら、初めから手伝って」て言えよ、と言いたくなりますな。

できなくなるギリギリまで頑張る気持ちはわからないでもありません。上司に言われ期待されているとなると、自分一人で頑張る気持ちにもなるでしょう。また、「人を頼りすぎ」なんて注意を受けた人は、余計に一人でやらなきゃという気持ちが高まりますよね。しかし、世の中には、一人でできないことだったたくさんあるんですよ。また、一人できる範囲はいいのですが、次第にそれを超えるようになることだってあるのです。場合や状況、環境、周囲の状況・・・などによって、一人でできること、一人でできないこと、と分かれていくのです。そこを見極めるのも大事なことですね。
ギリギリまで他人を頼らず一人で頑張る・・・。大変いいことだと思います。しかし、手遅れにならないように、助けを求めることも大切なことです。状況をよく見て、周囲に助けを求める素直さも持っていないと大変なことになることもあるのですよ。

周囲に頼りすぎるのもよくありません。自分でできることはなるべく自分でやるべきでしょう。しかし、一人でできないこともあるし、状況によっては途中でそうなることもあります。そんな時は、素直に「助けて欲しい」と言うべきでしょう。あまり頑固に周囲の助けを拒否し続けると、やがて大きな迷惑を周囲に掛けることにもなるのです。
助けが必要なときは、素直に「助けて欲しい」と言いましょう。手遅れにならないうちにね。
合掌。


第169回
仕事を生きがいやよりどころとしてはいけない。
仕事は生活の手段にしか過ぎないのだ。
生きがいやよりどころは仕事以外に見つけよ。

その初老の男は、ガンジス川の川面を見つめ大きくため息をついた。
「はぁ・・・・。つまらん・・・。わしはいったいどうすればいいんじゃ・・・・」
彼は、そのまま日が傾きかけるまで、川のほとりに座って溜息をついていたのだった。日が沈みかけ、ようやく男は立ち上がった。肩を落とし、トボトボと歩きはじめた。
「帰ったぞ」
男は家に入るなりそう声をかけたが、応える者は誰もいなかった。男はまた大きくため息をついた。
「はぁ・・・。何も食べる気がしない。腹も減らない・・・」
男は独り言を言うと、そのまま寝台に寝転がった。外から近所の家の騒ぐ声が聞こえてくる。男はイライラした。
「あぁ、うるさい!。あいつら、俺が一人もんだと知って、わざと家族で楽しそうな声を出していやがる・・・。くっそ・・・腹が立つ!」
男は寝台から起き上がると、小走りで外に出た。
「うるさい!。お前らがうるさくて、寝られないじゃないか!。静かにしやがれ!」
男はそう怒鳴ると、玄関のドアを思いっきり大きな音を立てて閉めた。近所の人たちは
「またあの男の僻みが始まった・・・」
とヒソヒソそれぞれの家族で囁き合った。もちろん、その声は男の耳には届いてはいなかった。
男は、薄っぺらな布を頭から被り、寝台にうつ伏せになっていた。男は涙を流していた。やがて男はそのまま眠りについた。これがその男の日課だった。そうした日々がもう一か月ほど続いていたのだった。

その日も男は朝早くからガンジス川のほとりに座って、ぼんやりと川面を見つめていた。
「いっそ死んだ方がいいのだろうか・・・。でもなぁ・・・・」
男はそこに座り込んでから同じことを呟いては溜息をついていた。
お昼を過ぎたころのことである。その男に声をかけた者がいた。それは修行僧だった。
「あなたは、こんなところで毎日何をやっているのですか?。見たところ昼食もとっていないようですが・・・」
その声に男は振り返った。そして
「ふん、修行僧か・・・・。いいから放っておいてくれ」
というと、また溜息をつき、川面を見つめだしたのだった。修行僧は言った。
「まあ、あなたが放っておいてくれというのなら、見捨ててしまってもいいのですが・・・。しかし、それでは私の気分が悪いですからねぇ・・・・」
修行僧はそういうと、男の隣に座ったのだった。そのまま、二人は無言で座り続けた。やがて、日が沈み、おもむろに男は立ち上がった。それにあわせて修行僧も立ち上がった。二人は、何も言うことなくそれぞれの変える方向へと歩きはじめた。

翌日のこと、男がいつものようにガンジス川のほとりに来ると、昨日出会った修行僧がすでに座っていた。男はちょっとムッとしたが、何も言わずそのままいつもの場所に座り込んだ。そして、その日もただため息ばかりついて過ごした。横の修行僧を見ると、ただ座っているだけなのに、何とも涼しげに見えた。男は思った。この修行僧に比べ、自分はなんて惨めなんだろうと。しかし、その思いは夕日が差し込むころになると別の疑問に変わっていった。
「修行僧は、いったい何が楽しみで生きているのだろうか・・・」
男は、修行僧の横顔を眺めてはそう考えるのだった。
翌日も修行僧は川のほとりに座っていた。男は、腹が立つ半面、なぜかホッとした。男は黙って修行僧の横に座った。川風が涼しく吹いていた。男はなぜか溜息をつかず、大きく深呼吸をしたのだった。そして修行僧に尋ねた。
「あんた、毎日ここに来る気かい?。わしに付き合うっていうのならやめてくれないか」
「私は好きでここに座っているのです。放っておいてください」
「ふん、放っておいてくれか・・・。あんた、それで修行になるのかね」
「修行はどこに居てもできるものなのですよ」
「ふん、屁理屈を・・・」
「屁理屈じゃありません。私は、ここに座って瞑想をしているのです。心を静かにたもち、ゆったりとした幸福の中に心を漂わせているのですよ。あなたも、ここに座っていると気持ちがいいから毎日ここに来るのでしょう?」
「わしは・・・・わしは・・・・」
男は答えられなくなった。自分は一体ここで何をしているのか、わからなくなっていたのだ。

男はふと語り始めた。
「わしは・・・子供のころから働きに出ていた。小さいころから手先が器用でな。だから、近所の大工仕事を手伝っていたんだ。そして、そのまま大工になった。親方について仕事を学び、やがて一人で仕事を請け負うようになった。たまたま仕事で知り合った家の娘と結婚をし、子供も設けた。子供たちは、それぞれ独立して遠くに住むようになった。今じゃあ、顔も見せやしない・・・・。女房は子供たちが独立した時に出て行ってしまった。なんにも贅沢はさせてやらなかったから、当然かもしれない。わしは貧乏ヒマなしで、毎日仕事ばかりだ。仕事が生きがいってやつだな。仕事をしていれば楽しかった。仕事以外のことは知らなかった。仕事以外のことは煩わしかった。子供にもかまってやらなかった。女房もかまってやらなかった。うるさいだけの存在だった。まあ、そんなオヤジであり夫だから、捨てられても仕方がないわな・・・。でも、わしには仕事があった。仕事があれば、わしは幸せだったんだ。だがな・・・神様はひどいもんだ。わしの唯一の楽しみを奪ってしまった。ほら見ろ・・・」
男はそういうと、修行僧の前に手を差し出した。その手はかすかにふるえていた。
「こんな振るう手じゃ、大工仕事はできねぇ。わしは、酒も飲まねぇ、賭け事もしねぇ、もちろん女遊びもやらねぇ。楽しみは仕事だけだったんだ。わしは、それ以外なんにもできねぇ。大工仕事以外、何にもできないんだよ。わしから仕事を取り上げたら・・・わしはどうやって生きていけばいいんだ」
男は、そういうと顔を手で覆って泣き出したのだった。
修行僧は、男の手を取ると立ち上がった。そして
「さぁ、行きましょう」
と言って男の手を引っ張り歩きはじめた。男は「どこへ行くんだ」とわめいていたが、修行僧はお構いなく男の手を引いたまま歩いたのだった。

修行僧がやってきたのは、祇園精舎だった。その日、お釈迦様は大勢の一般の人々に対して話をしていた。
「人々よ。人はよりどころが無くては生きてはいけない。ここで修行する出家者の者たちも、よりどころ無くしては修行はできない。それと同じで、人々はよりどころが無くては生きてはいけないのだ。出家修行者は、私の教えをよりどころとして修行に励んでいる。では、みなのものはどうであろうか?。一体何をよりどころとして生きているのか?」
お釈迦様の問いに、あちこちから声があがった。
「私は家族です。家族がよりどころです」
「あたしゃ、子供だね。子供がいるから生きているようなものだね」
「俺は仕事だな。仕事がよりどころだ。仕事さえあれば幸せだ」
男は、その答えを聞いたときに、ハッとした。そのとたん
「そいつはいけない!」
と叫んでいた。集まった人々は、その男を一斉に見つめた。お釈迦様は、その男に向かって
「何がいけないのですか?」
と優しく問いかけた。男は、もじもじしていたが、隣にいた彼をここまで連れてきた修行僧に
「思ったことを答えなさい」
と言われ、立ち上がった。
「仕事をよりどころにしちゃいけない。そんなことをしたら、仕事ができなくなったとき、生きて行けなくなるぞ。このわしがいい例だ。仕事だけが生きがいだったわしは、ついには何もかも失ってしまった。もう生きる気力さえない。これまでの人生は、いったいなんだったのか・・・いったい自分は何のために生きてきたのか・・・わからなくなってしまうんだ。仕事が生きがいなんて言うのは、間違っている!」
男の叫びに、あたりはシーンとしたのだった。

「その通りだ、汝、よいことに気が付いた。人々よ、彼の老人が言うように、仕事をよりどころや生きがいにしてはならない。もちろん、家族や子供もよりどころではいけない。それらは、よりどころや生きがいの一部なのだよ。仕事や家族、子供だけをよりどころとしてはいけないのだ。なぜならば、もし、仕事ができなくなったらどうするのだ?。もし、子供たちが独立して自分のそばから離れてしまったらどうするのだ?。もし、家族が次々と亡くなって自分一人だけ取り残されたらどうするのだ?」
お釈迦様の問いかけに、人々は「あぁ・・・」と声を上げたのだった。
「仕事をよりどころや生きがいとしてはいけない。仕事は生活するため、お金を得るための手段に過ぎない。子供をよりどころや生きがいとしてはいけない。子供は次世代を担うために育てるものであり、やがて手を離れ独立していくものである。家族をよりどころや生きがいにしてはいけない。家族もいずれバラバラになったり、無くなっていくものなのだ。そうしたいずれなくなってしまうものをよりどころとして生きていては、いずれ生きがいをなくしてしまうのだ。よりどころや生きがいは、仕事や家族・子供以外にも持つべきなのだよ。
たとえば、ある人が私にこう言った。
『私のよりどころや生きがいは、仕事であり家族であり子供たちである。しかし、それ以外にも私には絵をかく楽しみがある。だから、仕事や家族、子供たちを失ったとしても、絵を描くことがあるから楽しく生きていける・・・』。
私はその人に質問をした。
『もし、目が見えなくなったり、手が上手く動かなくなって絵が描けなくなったらどうするのですか』
と。するとその人はこう答えた。
『その時は頭の中で絵をかくから大丈夫です。頭の中で描く絵は、とてもうまいんですよ。だから楽しいのです』
よりどころや生きがいとは、このようなことである。仕事や家族、子供がよりどころや生きがいであってもいいが、それ以外に何か別のよりどころや生きがいを持つべきであろう。たとえ身体が動かなくなってもできるような、よりどころや生きがいをあなたたちも持つべきなのだ。それが不安を抱えずに生きていく方法でもあるのだよ。たった一人になっても、身体が不自由でも楽しめる何かを見つけるのだ。それが賢い生き方である」
お釈迦様の話に、人々は大きくうなずいた。修行僧が連れてきた男もつぶやいていた。
「そうだなぁ。わしも何か見つけないとな・・・。しかし、わしに何ができるんだろうか・・・」
「まだ手足が動くじゃないですか。折角、毎日川に来ているんですから、釣りでもしたらどうですか?」
「釣りねぇ・・・。いいかもしれんなぁ・・・。しかし、釣りができなくなったら・・・」
「頭の中で釣りをすればいい。あるいは、頭の中で豪邸を建ててみるのもいい。ここはこの柱で、こういう細工をして、この部屋はこんな感じがいいだろう・・・。あの人にはこういう家があっているな、この人にはこんな家がいい・・・。そうやって想像をして楽しめばいいじゃないですか」
修行僧がそういうと、その男は
「あぁ、それはあんたらが楽しんでいる瞑想というヤツか」
と言った。修行僧は
「まあ、そんなようなものですよ。だから、私たちは、いつでもどこでも楽しいのです」
と笑って答えたのだった。


「うちの人は仕事が趣味のような人だったから・・・」
ご主人が定年を迎え、家でゴロゴロするようになると「主人がうっとうしい、どうすればいいのか」という相談を受けることがあります。そうした場合、私は「ご主人さんは、趣味とかないのですか」と尋ねます。まあ、答えはわかっているのですが、とりあえず聞いてみるのですね。すると、冒頭の答えになるのです。
「仕事が趣味のような人だったから・・・」
こういう人は、仕事をなくすと、あるいは終えてしまうと、とたんに生きる気力をなくしてしまうのです。

長年、仕事仕事で頑張ってきたことは、まあ立派と言えば立派でしょう。本人は
「子供のため、家族のため、俺は頑張っているんだ」
と言いますが、本音は仕事が好きなのです。自分のために仕事を頑張っているのですな。好きなことをしているのですから、仕事仕事でも苦痛じゃないのですよ。むしろ、家族のことは煩わしいくらいでしょう。そういう人はたいていの場合
「家族のことはお前に任せた。俺は一生懸命に稼いでくるからな」
なんていうのですな。で、こういう方が定年を迎えると、とたんに元気がなくなってしまうのです。
ずーっと家庭を放りっぱなしにしていたせいもあって、家族からも冷たくあしらわれ、居場所をなくしてしまうんですね。

仕事が生きがいです・・・。こう聞くと、いかにもバリバリ仕事をしそうで信頼できそうな印象を受けるかもしれません。しかし、その実は、案外それしか能がない・・・のかもしれません。仕事一筋・・・といえば、格好いいかもしれませんが、人間的には視野が狭い幅のない、深みのない人間・・・でもあるのでしょう。仕事が生きがい、仕事一筋の人は、仕事を取り上げたら一体何が残るのでしょうか?。仕事ができなくなったら、いったいどうすればいいのでしょうか?。そんな生き方は、ものすごく惨めではないでしょうか?
仕事なんぞ、生活の手段です。家族を養うための手段です。生きがいにするものではありませんね。要は、家族が養えて、できれば我が家も持つことができて、さらにできればちょっとした贅沢もできればいい、そのためには、収入がいる、その収入を得るために仕事をする・・・のですよ。仕事は、あくまでも生活のためにすることですな。生きがいでも何でもありません。生きがいというのは、楽しみでなければなりませんから、他にも求めるべきですな。

仕事はあくまでも生活をするために手段です。だから、なんだっていいんです。楽しくなくても、つまらなくても、何でもいいんです。正当にお金を稼ぐことができれば、仕事はそれでいいのです。つまり。仕事に収入の手段以上のものを求めてはいけないのですな。
一生懸命稼いで、そのお金で楽しむ。その楽しみがよりどころであり、生きがいでしょう。生きがいは、仕事以外に求めてくださいね。
合掌。


第170回
妬み羨み、恨み、つらみを持ち続けて生きていては、先がない。
己の境遇は己で招いたものである。
それを知って、己で道を切り開く努力をすれば、周囲の助けも生まれる。

アッサムとババビーは幼なじみであった。アッサムの家は様々な雑貨を商う小さな商店で、あまり裕福な家ではなかった。ババビーの家は貿易を営んでおり、裕福な家庭だった。しかし、アッサムもババビーも貧富の差などは気にせず、幼いころから仲よく遊んでいた。
学校に行く年齢になると、アッサムは街の多くの子供たちが行く一般の学校に通うようになった。一方、ババビーは、本人は望んではいなかったのだが、お金持ちが通う特別な学校に行くようになった。次第に二人が一緒に遊ぶ時間は少なくなっていった。しかし、二人の家は近所でもあるため、学校が休みの日にはたまに遊んではいたのだった。
ある日のこと、二人は将来について話していた。アッサムは
「俺はね、家の商売を継ぐんだ。で、もっと大きな商店にしてみせる」
と目を輝かせながら言った。ババビーは
「俺だって父親のあとを継いで、貿易商をやるんだ。世界の海に出ていくんだ」
と興奮気味に言った。
「そうだよね。ババビーは、店に出ているより船に乗ったほうがいいよな」
「アッサム、それはどういう意味だ?」
「だって、ババビーは、普段あまり笑わないじゃないか。どっちかというとムスッとしているよな。それじゃあ、商売には向いていないよ」
アッサムの言う通り、ババビーは商売には向いていない性格だった。というよりも、裕福な家庭で育ったせいか、周囲の人を見下すところがあったのだ。しかも短気であった。
「お、俺が商売には向いていないっていうのか?。そりゃ、お前はいつもヘラヘラしているからな、小さな商売には向いているだろうよ。俺は、貧乏人なんか相手にしないからな」
「ほら、そうやってすぐに怒る。俺が言っている意味はそういう意味じゃないのに。ババビーは、力もあるし、身体も大きいから、船に乗っていろいろな国に行ったほうがあっている、という意味でいったんだ。全く短気だよね」
「う、うるさい!。俺のことをバカにしているのか?。許さないぞ!」
「あぁ、わかったわかった。じゃあ、もう俺帰るよ」
アッサムはそういうと、さっさとその場を離れ、家に戻っていった。一人取り残されたババビーは、「クソッ」というと、ふて腐れた態度で家に戻ったのだった。

アッサムは機転が利き、愛想もよく、物事をよく考えて行動する性格だった。そのため、学校でも人気がったし、周囲からも頼られる存在であった。学校が休みの日や、学校が終わって家に戻れば店に出て親の仕事を手伝うこともよくあった。近所の大人たちからも評判がよく、アッサム自身も喜んで商売の手伝いをしていた。根っから商売が好きだったのである。
一方、ババビーは普段から威張っており、友人も少なかった。勉強もできるほうではなく、愛想もよくなかった。このため周囲の同年代の者たちは、ババビーとアッサムが友人関係であることに驚くくらいだった。周りの者たちは
「水と油だろ、あの二人。よく付き合っていられるな」
と噂しているくらいであった。しかし、成長するにつれ、アッサムとババビーは、次第に疎遠になっていったのであった。それは、ババビーの親が「貧しい者たちと付き合うな」と注意したせいでもあり、アッサムも家の商売が面白くて遊ぶ時間が無くなってきたせいでもあった。こうして、二人は近所に住んでいるにも関わらず、出会うことがなくなっていったのだった。

時は流れ、アッサムもババビーも大人に成長した。アッサムは、持ち前の性格により、商売も繁盛し、店も大きくなっていた。彼は誰からも信頼され、その街では頼りにされる存在にまでなっていた。ババビーも自分の貿易商の店に出ることがあったが、あまり良い評判は聞かなかった。親も「店には出なくていい」と言っていたのだが、ババビーは暇を見ては店に出て客の相手をしたのだった。そうした時、店からは
「いらないなら買わなくてもいいんですよ。うちはあなたのような客を相手にしているわけではないのですから」
という大きな声と、「ふざけるな!」と怒った声が聞こえてくるのだった。そして、店からは怒った客が出てくることがたびたびあった。そのあとでババビーは
「ああいう客は相手にしなくてもいいですから。もっと上客を私が連れてきますんで」
と店で働く者に言ったのだった。そんな時、なぜかババビーは得意顔だった。しかし、ババビーの思いとは裏腹に、店の客は減る一方だったのだ。
ババビーの父親は、客を取り戻すため、何とかババビーの評判をあげようとした。そのために街の顔役などに金品を配ったりもした。街の祭礼があったときなど、バラモンの手伝いをする若者代表にアッサムが推薦されたのだが、ババビーの父親は金を使ってその役をババビーにやらせようとした。街の若者代表となれば、ババビーの評判も上がるとにらんだのだ。ババビーもその役が回ってくるように父親に懇願した。彼らの思惑通り、祭礼の若者代表はババビーが勤めることとなった。しかし、その役をババビーが金で買い取ったという噂はすぐに流れ、かえってババビーの評判を落とす結果となってしまった。
やがて、ババビーの店は、益々客が遠のき、ついには潰れてしまったのだ。ババビーの一家は、行方不明となってしまった。

それから半年ほど後のこと。アッサムの店に嫌がらせが始まった。店の商品の中に、いつの間にか不良品が混じっていたのだ。また、いつの間にか、店の商品が壊されてることもあった。アッサムはそのたびに客に謝ったり、商品を仕入れ直さなければならなかった。次第にアッサムの店の評判は悪くなり、経営は苦しくなってきた。
そんなある日の夕方、アッサムが店の裏で片付けなどをしていると、そっと近づく者がいた。その者は
「俺がこうなったのもお前のせいだ。俺はお前を絶対許さないからな」
と叫んで走り去っていった。
次の日の朝、アッサムの店の前で叫ぶ男がいた。それはババビーだった。彼は
「俺の家の悪評を立て、俺の店をめちゃくちゃにしたアッサム!。俺に謝るべきだろ!。逃げるなよ。うちはお前のせいで潰れたんだ。出てこいアッサム!。出てきて俺に謝れ!。おい、アッサム聞こえているんだろ!」
街の者たちは、アッサムがそんなことをしていないことは十分承知していた。なので、すぐにババビーを取り押さえた。しかし、彼は
「街の奴らも仲間か!。あぁ、そうだよな。街の人間、みんなでうちをつぶしたんだ。俺の家が金持ちだったから妬んでいたんだ。だから、うちの家をよってたかってイジめたんだよな。俺は抵抗しなかった。この街の人たちはそんなに悪意はないだろうと思っていたんだ。だけど、みんな悪いヤツラだった。それもこれも、みんなアッサムに騙されていたんだ。すべては、アッサムが街の人間を騙して、俺の家を滅ぼしたんだ!。そうだろ?。お前らみんなアッサムに騙されているんだ。アイツは、すっごい悪人なんだぞ。おい、アッサム、お前、俺をバカにしただろ。お前が俺の人生をめちゃくちゃに壊したんだ!。出てこいアッサム」
と叫ぶのを止めなかった。その時、「あっ」と叫ぶ者がいた。その者は
「ひょっとして、アッサムの店の商品を不良品とすり替えていたのは、お前か?」
と叫んだ。ババビーは、
「知らないね。この店の商品は、元々不良品なんだろ。こんな店、ロクなものがない。腐った店だ。あはははは」
と大笑いしたのだった。

「何とも惨めで哀れな男だ。自分のことを恥ずかしいと思わないのか?」
そう声をかけたのは、お釈迦様だった。お釈迦様は托鉢の途中だったのだ。ババビーは、お釈迦様をひと睨みすると、すぐに「フンッ」と言って横を向いた。
「人々よ、このような生き方をしてはいけない。このような者になってはいけない。この街の人々は、愚かな者はいないから大丈夫だとは思うが、油断をしないことだ。いつ何時、自分がこのような惨めな姿をさらすことになるか、わからないから・・・」
お釈迦様はそういうと、そのままそこを立ち去ろうとした。すると
「お前、ブッダか何だか知らないが、偉そうなことを言うんじゃねぇ。俺をバカにするな!。お前も許さねぇからな!」
と叫んで掴み掛ろうとしたのだ。お釈迦様は、益々悲しい目をしてババビーを眺めた。
「哀れな者よ・・・。自分をなんだと思っているのか・・・・。汝に許されなくても私は何ともないのだが、そんなことすらわからないのだろうか・・・」
そうして、ババビーをじーっと見つめたのである。
「汝、ババビーよ。もっと自分を見つめ直すがよい。よいかババビー。妬み・羨み・恨みつらみなど、持ち続けていては先がないであろう。それでは生きてはいけないであろう。よく考えてみるがよい。今己が置かれている環境は、己自身が招いたものなのではないか?。己が、今の状況を作り出したのだ。誰のせいでもない、己の責任なのだよ。まずは、それを知ることだ。すべては己自身によるものだ、ということを知って、そこから自分自身で道を切り開いていくのだ。今のままでは、誰も汝を助けてはくれない。しかし、自分自身で立ち上がろう、自分の力でやり直そう、と歩み始めれば、その姿を見て周りの人々は力を貸してくれるようになるのだ。今の境遇に拗ねて、腐って、ふて腐れているのは、世間に甘えているだけなのだ。そんな姿をさらしているうちは、誰も汝を助けてはくれないであろう。誰もが、汝を哀れな目で見て、蔑むであろう。そして、汝は益々暗闇に落ちていくのだ。いい加減に目を覚ますがよい」
お釈迦様はそういうと、それ以上は何も言わずその場を去って行ったのであった。

「お釈迦様の言う通りだぞ」
街の長老が、ババビーの肩に手をかけてそう声をかけたとたん、ババビーは泣き出したのだった。しかし、泣きながら「うるさい!」と叫んで急に立ち上がり、走り去ってしまったのだった。
「言葉を理解しようとしない、他人の助言を受け入れられない・・・。恨みや妬みにとり憑かれた者の行く末は惨めなものだ・・・」
いつのまにか、ババビーを取り囲んだ人垣の後ろにお釈迦様が立っていた。そして、悲しそうな顔をすると静かにその場を去って行ったのであった・・・。


「私が左遷されたのは、あの上司のせいなんです。あの上司さえいなければ・・・」
「アイツのせいで俺の人生は狂わされた。何とか復讐がしたいのですが・・・」
こんな相談事を持ち込んでくる方が、少なからずいます。こうした人たちは、恨みつらみを必死に説いていきます。あるいは、
「あの人が許せないんです。どうしてあんな女がいい思いをしているんでしょうか」
「あの人って、何もかも手に入れてますよね。何で私は何も手に入らないの?」
と訴えてくる方もいます。こうした人たちは、妬ましい、羨ましいと語っていきます。

誰にでも妬みや羨ましいと思う気持ち、あるいは恨みはあることでしょう。特に妬みや羨みは、日常生活でも仕事の世界でも、起こりうる気持だと私は思います。いや、むしろそうした妬みや羨みがないという人の方が少ないんじゃないでしょうか?。特に若いころは、周囲に抜きんでている人がいたりすると、妬んだり、いいなぁと羨んだりするものです。で、それに比較して自分が何とも頼りなく、ダメ人間で惨めなのかと嘆くのです・・・。これもよくあることなのです。

しかし、そこでよく考えて欲しいのです。今自分が置かれている状況は、果たして誰が作ったものなのでしょうか?。たとえば、上司に睨まれ、受けがよくなく左遷されたとします。その原因は、上司にあるのではなく、自分にあるのでしょう。その上司がものすごく理不尽で、傍若無人で我が儘でどうしようもない人物であっても、そうした環境にあるのはある意味自己責任です。その状況が嫌ならば、上司の上司に、いかに上司ができが悪いかを事細かく報告するべきでしょう。それでもその上司の処分がなされないのならば、そんな会社はブッラクに違いないので、さっさと辞めることです。自分の環境をよくするのは、自分自身なのです。他人があなたの環境をよくしてくれる・・・なんてことは期待できませんよね。
他人の才能や環境を羨んでも仕方がないことです。自分にはできないことなのですから。うまくいっている人は、人知れずそれなりに努力もしているでしょう。元々才能があったのかもしれませんが、いくら才能が有ってもそれを磨かなければ行き詰りますからね。それを羨んでも妬んでも、まったく意味のないことです。そんな思いをいつまでも持っていると、周囲からは蔑みの目で見られてしまいます。

いつまでも羨ましい、妬ましい、恨めしい、などと言っていても先がありません。自分の人生なのですから、妬んでないで羨んでないで恨んでないで、さっさと自分の道を歩み始めたほうが賢明です。妬んだり羨んだり恨んだりする者に対して世間は冷たいですが、妬むこともなく、羨むこともなく、恨むこともなく懸命に努力する者に対しては世間は温かいものです。道を誤らぬようにしたいですね。
合掌。


第171回
やると決めたのなら早く行動に出るがよい。
後で、明日こそ・・・と先延ばしをしては何もできない。
なぜなら、人は怠け者だから。
「う〜ん、あぁ、ふ〜ん、むむむむ」
ソーマは唸っていた。もう何時間も同じように唸っていた。たまに立ち上がって、そのあたりをウロウロしながら唸っていたかと思うと、座りこんで腕を組み唸っていた。時には寝転がって天井を睨みながら唸っている時もあった。彼は、家の中で一人で唸っていたのだった。
その日の朝のことである。ソーマの父親が彼に言った。
「お前、いい加減に働きに行ったらどうなんだ?」
毎日のように同じ言葉を聞かされていたソーマは、この日はハッキリと父親に宣言したのだった。
「そう、俺も今朝、それを言おうと思ったんだ。俺は、今日から働きに行こうと思う」
ソーマのその言葉を聞いて、父親も母親も大いに喜んだ。
「そうか、やっとお前も働く気になったか。で、何をするんだ?」
父親が勢いよくそう聞くと、ソーマは爽やかな顔をして
「今日、仕事を探しに行くんだ!」
と言ったのだった。その言葉を聞き、父親はムスッとし「お前なっ」と怒鳴ろうとした。そこに割って入ったのは母親だった。
「それはいいことね、ソーマ。いい仕事が見つかると言わね。ほら、あなた、早く仕事にってください。あなたが帰ってくるころには、ソーマの仕事も決まっていることでしょう」
女房にそう言われ、ムスッとしたまま父親は仕事に出ていった。母親も
「今日は私も仕事だから、仕事探しに行くのなら、朝食の後片付けをして、ちゃんと戸締りをして出ていくんですよ」
と言い残して家を出たのだった。ソーマは、
「うん、後でやるよ」
と、出かけていく母親の背中に言ったのだった。これが今朝のことである。それから、ソーマは朝食の後片付けもせず、唸り続けているのだった。

「う〜ん、どんな仕事がいいかなぁ・・・。食堂?・・・おいしいものが食べられるからいいかもしれないが・・・。今一つ乗れないなぁ・・・。職人は向いていないし、兵士はもっと無理だ。役所には伝手がないから入れないし、バラモンに弟子入りするのはなぁ・・・。農園・・・という手もあるなぁ。うん、農園はいいかもしれないな。うんうん、農園な。どんな農園があるかな。マンゴー園かな。花の農園もあるな。う〜ん、迷うなぁ。ふ〜ん、はぁ・・・・。農園なぁ・・・」
ソーマは、農園農園とつぶやきながら、部屋をゴロゴロとしていた。やがて日が暮れてきた。
「あぁ、しまった。もう日が暮れはじめた。せっかく農園で働こうと決めたのに・・・。まあいいか、明日にしよう」
食卓をふと見ると、朝食の皿などが出しっぱなしになっていることに気が付いた。
「あぁ、そうか。後片付けを頼まれていたんだっけ・・・。仕方がない。やるか・・・。しかし、やる気が出ないな。ま、後でいいか。まだ、母ちゃんも父ちゃんも帰ってこないだろうし・・・」
ソーマはそういうと、また床に寝転がったのだった。
先に帰ってきたのは母親だった。
「あらまあ、ソーマ、後片付けを頼んでおいたのに、やってくれなかったの?」
母親は、ソーマに尋ねた。彼は素知らぬ顔をして答えた。
「あぁ、やろうと思ったんだけど、どんな仕事がいいか考えているうちに時間が過ぎてしまって・・・。後でやるつもりだったんだ」
「あらそうなの・・・。で、どんな仕事にしたの?」
「あぁ、農園で働こうかなと思って・・・」
ソーマの言葉を聞いて、母親は大いに喜んだ。
「へぇ、どこの農園?、何を作っているの?、お給料はどのくらいもらえるの?」
母親の勢いにソーマはちょっとたじろいた。そこに父親も帰ってきたのだった。
「あなた喜んでちょうだい。ソーマが農園で働くことに決まったんですって!」
「そうなのか、それはよかった。で、どこの農園だ?。何を作っているんだ?。給料はどのくらいもらえるんだ?」
父親も母親と同様に勢いよく聞いてきたのだった。ソーマは、
「あ、いや、その・・・農園で働こうかな、と決めただけで、どこの農園かはまだ・・・」
とモソモソ答えたのだった。その言葉に、彼の両親は、がっくりと肩を落としたのだった。ソーマはあわてて
「明日、明日は必ず行くよ。明日こそは、農園へに働きに行くよ。絶対だよ。朝起きたら、すぐに出かけるよ。決心したんだ」
と大きな声で言ったのだった。両親は、
「うんうん、わかったわかった。そこまで言えるようになったのだから・・・」
それ以上追及することはなかった。

翌朝のこと、母親が
「今日は、農園に行くんでしょ?。どこの農園に行くのか知らないけど、農園は朝が早いんだから、もう起きなさい」
とソーマを起こすと
「あ、あぁ、起きる起きる。今日こそは起きる。ちゃんと後でやるから。うんうん」
と言うと、再び寝込んでしまったのだった。両親が仕事に出かけるころになってやっと起きてくると
「今日こそは、後で農園を尋ねるよ。働かせてもらえるように頼んでくる」
と両親に言ったのだった。父親は、
「あとでじゃなくて、一緒に出掛けたらどうなんだ?。今すぐ行動を起こした方がいいだろう」
と言ったのだが、「まだ朝ご飯を食べていないから」と言われ、一つ舌打ちをすると
「また、ソーマの得意な後でが始まったか・・・」
と言い残し、仕事に出かけて行った。母親も「ご飯を食べたら、今日こそは農園に行くのよ」と言って仕事に向かったのだった。ソーマは、ニコニコしながら「うんうん、あとでね」と歌うようにつぶやいていたのだった。
結局、その日もソーマは農園に出かけることはなく、一日中、「どの農園に行くか」を考えて過ごしたのだった。仕事から帰ってきた両親は、「そんなことだろう」と予想していたため、とやかく言うこともなく、「明日こそ行けよ」と一言いっただけだった。

翌朝のこと、父親はいったん家を出ると、一人の修行僧をつれて戻ってきた。その修行僧は、光り輝いているかのように見えた。父親は、ソーマの部屋に行き
「おい、早く起きるんだ。今日こそは、農園に行くんだろ?」
と大声を出した。ソーマは、寝転がりながら
「あぁ、後で行くよ。今日は、絶対に行くよ。どの農園かも決めたから。後で行くさ」
と答えると、再び寝ようとしたのだった。そのとき
「後で、明日こそ・・・。などと言っていると、結局何もできない。決心したのなら、できるだけ早く行動に出たほうがよい」
という声が響いた。ソーマはびっくりして起き上がった。「だだ、誰?」というソーマの問いかけに、父親が答えた。
「お釈迦様だ。ちょうど托鉢に来ていたので、お前に説教をしてもらおうと思ってな、来ていただいたんだ」
ソーマは、呆然としてしまった。そんなソーマにお釈迦様は話しかけた。
「よいかソーマよ、もう一度言う。やると決めたのなら、早く行動に出たほうがいい。後でとか、明日とか、そう言って何でも先延ばしにしていると、結局は何もできないで終わってしまう。なぜだかわかるかい?」
お釈迦様にそう問いかけられたソーマは、「俺がだらしないから・・・」と小声で答えた。お釈迦様は
「うん、それもあるが・・・、いいかいソーマ、人はね、元来怠け者にできているんだよ。誰しも、本当は怠けたいのだ。できればソーマ、汝のように働きたくないのだ。ダラダラとして過ごすことが出来れば、そうしたいものなのだよ」
と説いたのだった。ソーマは、お釈迦様の言葉に
「本当に?。本当に誰もが怠けものなんですか?。お父さんもお母さんも?」
と勢い良く問いかけてきた。
「あぁ、そうだ。本当は、汝の父も母も働きたくはないのだ。しかし、それでは生きてはいけない。だから働いているのだ。なんなら、父や母に尋ねてみるがいい」
お釈迦様にそう言われ、ソーマは両親に尋ねてみた。すると両親は
「そんなこと・・・当たり前だろ。誰だって、あくせく働きたくはないさ。大金持ちで働かなくても生活できるなら。、毎日遊んでいるさ。あいにく、うちは貧乏だ。働かなくては生活できない。だから働くんだ。本音を言えば、少しは休みたい・・・。朝だってもっと寝ていたい。一日くらい休んでいたいさ」
と答えたのだった。
「誰もが本当は怠け者なのだ。しかし、怠けていては生きてはいけない。もちろん、誰も助けてはくれない。だから、働くのだ。生きるために怠け心をおさえて、働いているのだよ」
ソーマは、
「そうか、怠け者は、自分だけじゃなかったんだ。みんな怠け者だったんだ。でも、みんなは、それをおさえていたんだ。俺は、その怠け心を抑えられなかったんだ。そこが、みんなと俺の違いか・・・・」
とつぶやいたのだった。
「そうだ、その通りだソーマ。その怠け心を抑えるためには、『後で、明日こそ・・・』をやめることだ。決心したらすぐに行動に出よ。そうすれば、ソーマよ、汝も怠け心を抑えられるのだ。さぁ、今すぐ農園に行こう。我々修行者が滞在している農園がすぐそこに在る。さぁ、すぐに行動をするのだ」
お釈迦様は、そういうと、ソーマを連れだって家を出て行ったのだった。


「あとでやるよ」
「あー、もういいや、明日だな、明日」
子供のころ、何度そう言って過ごしてきたことか・・・。私も「あとでやる、明日やる」の方だったんですよ。

特に夏休みはひどかったですね。夏休みの宿題は、いつも後回し。「宿題はやったのか」と尋ねられると「あぁ、後で後で・・・」、「明日からやるよ」の繰り返し・・・。で、夏休みの終わりが近づくと、泣きながら溜まった宿題をやりました。そのくせがいまだに抜け切れていないためか、たまに「ま、明日でいいか」と言っては先に延ばし、切羽詰まって準備をしなければならないことがよくあります。HPもそうなんですが・・・。「やるぞ」と決めたらすぐに行動していれば、苦労はないんですけどね。

人間は元来怠け者である。
お釈迦様はそう説きます。ちょっと油断すると、すぐに休もうとしたり、怠けようとしたりする、と。「日本人は勤勉で真面目」と言われるので、お釈迦様の言葉がそのまま当てはまらないのかもしれません。しかし、本音を言えばどうなるのでしょうか?。本音は、休みたい、怠けたい、ゴロゴロしたい、ダラダラしたい・・・と思っているのではないでしょうか?
もし、お金があって、働かなくてもいい、掃除もしなくてもいい、ダラダラと好きなことをしていい、と言われたら、日本人は勤勉に働くのでしょうか?
本当は、できれば怠けたい、サボりたい・・・と思っているのかもしれません。

しかし、いずれにせよ、「やるぞ」と決めたのなら、早々に行動に出たほうがいいですね。「あとでいいや、明日にしよう」は、結局「やるぞ」という決意を鈍らせてしまいます。決意が鈍れば、「まあいいや」となって元の木阿弥・・・。どんなことでも同じですね。決意をしたら、すぐに行動をしましょう。後で苦労するのは自分ですからね。
合掌。


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