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第178回
悩むことはよいことだ。ただし・・・、
今の環境や状況を嘆いたり、クヨクヨしたり、愚痴ったり、腐ったりする、
そういう悩みかたはよくない。
なぜそうなったか、どうすればよいのか、それを悩むことはよいことだ。
ピサーカは悩んでいた。
「はあ・・・、また仕事を失った・・・。これで何回目だ?。家に帰りたくないなぁ・・・。親父がうるさいんだよなぁ・・・。はぁ・・・どこへ行こう・・・」
大きくため息をついてピサーカは立ち上がった。夕暮れ時だった。
彼は、いつもならまっすぐ仕事場から家に帰るのだが、その日は帰らなかった。仕事をクビになったことを親に言い出すのが怖かったのだ。彼が仕事をクビになったのは、もう数回目だった。そのたびに親には怒鳴られ、殴られ、外に叩き出された。
「今回もどうせ殴られる。あぁ、やだな・・・。どうしうようか・・・。それにしても何で俺ばっかりがこんな目に合わなきゃいけないんだ。世の中不公平だろ。くっそ・・・・、よそはいいなぁ・・・」
彼は、ブツブツ文句を言いながら、町をぶらぶら歩いていたのだった。

彼の悩みが始まったのは、この日からではない。まだ働きに出ていないころから彼は悩んでいた。初めの悩みは、
「なんでうちは貧乏なんだ」
ということだった。彼は考えた。
「うちの親は、奴隷階級ではないよな。親父は働いているし・・・。あぁ、と言っても雇われ者か。でも奴隷階級じゃない。母親も働きに出ているよな。でも、なぜか貧乏だ。隣の家だって、うちと同じような家庭なのに、そんなに貧乏じゃないよな・・・。なんでうちだけが貧乏なんだ。よその家と同じように親は働いているのに。俺は、みんなと同じ学校に行っているのに。なのに、俺はいつも同じ服を着ているし、食い物も粗末だ。うちは貧乏だ・・・」
彼は、いつまでもグチグチと悩んでいたのだった。
やがて、悩み事が増えた。それは、学校の成績のことだった。彼は、何をやっても出来が良くなかったのだ。自分ではできているつもりだったのだが、どうも自分はみなより劣っているのだ、と気が付き始めたのだ。そして
「自分は、ダメな人間なのだろうか・・・」
と考え込むようになったのだ。さらにそのころ、父親が仕事帰りにいつも賭け事に興じていることが分かったのだ。
「ちっ、親父は賭け事に狂って働いた金をつぎ込んでいる。おふくろは生活のためにせっせと働いている。その息子は、出来が悪いダメ人間だ・・・。あぁ、うちは腐っているじゃないか!」
彼は、何もかもが面白くなくなった。次第に学校もさぼるようになった。

学校へ行っていないことが親にばれると、父親はピサーカを散々殴りつけ、働きに出るように言った。
「お前の年なら、もうどこでも働ける。さっさと働け!」
そう言われ、ピサーカはマンゴー農園で働くことになった。が、彼の働きは、同年代の働きでの中では、最も劣っていたのだった。
ある日のこと、ピサーカは農園主に呼び出された。
「ここに来てもう1週間になるが、お前はどうしてそんなに働きが悪いんだ?。ほかの連中の半分も収穫できていないじゃないか。何をやっているんだ?」
彼は、「自分なりに働いているのですが・・・」と言い訳をした。が、どうも農園主は気に入らないようだった。
「ボーっと突っ立ているだけなんじゃないのか?」
と怒鳴りつけ、次の週も同じような収穫量だったらクビだ、と告げられた。その結果、彼は次の週の終わりにクビになったのだった。
家に帰り、クビになったことを親に報告すると、怒鳴られ、殴られ、次の仕事を見つけてくるように命じられた。彼は家の外に出て、一人泣いたのだった。
「なんで俺ばっかりこんな目に遭うんだ・・・・。なんで俺ばかりが・・・。なんでこんな家に生まれたんだ。なんで俺は能無しなんだ・・・」

次に見つけた仕事は伐採された木材を運ぶ仕事だった。しかし、これも長続きしなかった。彼は、他の者の半分くらいしか運べなかったのだ。そのため、「同じ賃金を払うなら他の者を雇う」と言われ、クビになったのだ。次の仕事は堤防を造る現場だった。しかし、そこでも働きが遅い、とクビになった。その次の仕事は、あるバラモンのお使いだった。バラモンが指定したものを買い集めたり、探したりする仕事だった。しかし、それも満足にできなかったため、すぐにクビになった。
彼は考えた。
「あぁ〜あ、一体どうすればいいんだろうか・・・。何をすればいいのか・・・。何をやってもダメだから、きっと俺にできる仕事なんてないんだろうな・・・。あぁ、でも、伐採した木を運ぶのは重くてイヤだったけど、木を伐るほうは楽しそうだったな。でかい斧をふるって木を切り倒す。ふん、日ごろの親父への恨みを込めて木を伐るってのもいいかもしれないな。よし、木を伐るほうの親方に頼みに行こう」
そうして、次の仕事は木の伐採をすることになったのだ。
初めのうちはうまくいっていた。思い切り木に斧を当てるのは気持ちよかった。が、しかし、そのうちにイヤになってきたのだった。
「あぁ、面倒くせ〜。疲れた、休みてぇー」
文句を言いながら斧を振るようになり、やがて仕事が遅くなっていった。他の者が3本切り倒すうちに1本も切り倒すことができなくなっていた。そして、クビを言い渡された。
その次に見つけた仕事が、金持ちの家に注文された商品を運ぶ仕事だった。その仕事も今日、クビを言われたのだった。彼は、商品を運ぶのが、他の者より遅かったのだ。他の者が走って運ぶところを彼は歩いて運んでいた。遅くなって当然だった。そのため、中には腐ってしまった商品もあり、商店主はお客から苦情を受けたのだった。

彼は、町をただぶらぶら歩いていた。
「あぁ、つまらない。なんで俺ばかりがこんな目に・・・。あぁ、イヤだイヤだ。みんなはいいなぁ、やさしい親がいて・・・。働き場所があって・・・。なんで俺は仕事が長続きしないんだろうか?・・・。俺が悪いのか?・・・・いや、そうじゃいよな、こんな俺に産んだ親が悪いんだ。イヤ、違うな。親父がいつも殴るからだ。それで頭がおかしくなったんだ。あんな家に生まれなきゃ、俺はまともなんだ。はぁ、どうしてあんな家に生まれたかな・・・。ちっ、世の中いいことなんて少しもないや・・・」
彼は、そんなことをブツブツ言いながら、一晩中町の中をぶらぶらと歩いていたのだった。
夜が明けた。町のあちこちで人々が動き始めた。家の窓は開けられ、人々が外に出てきた。みんな明るくあいさつを交わしている。楽しそうな風景が見られた。
ピサーカは物陰からその様子を見ていた。そして、大きくため息をついた。
「自分は、あの中には入れない存在なんだな。なんせ、何をやってもダメな人間だからな・・・。いっそ、山の中に入って、獣にでも食われるか・・・。それも怖いな。あぁ〜あ、つらいなぁ・・・」
「朝から何を悩んでいるのだ」
肩を落として突っ立っていたピサーカの背中に声をかけた者がいた。修行僧だった。ピサーカは、その修行僧に悩みを打ち明けた。
「うちはひどい家で、帰ることができないんです。仕事を失った今の俺は、家に帰れば殴られるんです。俺は、ダメな人間で、すぐに仕事がクビになるんですよ。どこへも行く場所がないんです・・・あぁ、こんなことを悩んでいる自分もイヤで・・・みじめで・・・情けないんですよ・・・・」
彼は、グチグチとその修行に話したのだった。

その修行僧はピサーカの顔をまっすぐ見て言った。
「悩むことはよいことだ。だが、汝は悩み方を間違えている」
「な、悩み方?。そ、それってどういう意味ですか?」
ピサーカの反応に、修行僧は一瞬にやりとしたのだった。
「汝は、今の状況を悩んでいるな?」
修行僧の問いかけに、ピサーカはうなずいた。
「今の状況や環境を悩み、考え込んで、それがどうにかなるのか?」
その問いかけにピサーカは少し考え込んだが、首を横に振った。
「そうだな、今の環境や状況をいくら悩んでも、いくら嘆いてみても何も変わらない。腐って、町をぶらぶらしても何も変えることはできない。状況は好転することはないな?」
ピサーカは大きくうなずいた。
「なのに、汝は、そんなことばかり考えている。何かいいことはないかな、ひょっとしたら状況が変わっていないかな、よそはいいな、なんで俺ばっかりこんな目に遭うんだ、いっそ山の中に逃げようか、知らない人ばかりのよその町へ行こうか・・・そんなことばかり考えている。逃げることばかり考えている。しかし、逃げることすらできない、情けない・・・と悩みこんでいるのだ」
ピサーカは、心の奥底を見られたようで、力なくうなだれてしまった。
「それは悩み方が悪いのだよ。嘆くのではなく、なぜ?、ということをもっと追及すべきなのだ。問題は、何か?。重要なことは何か?。まずそこから考えることだ。汝の問題は何か?」
ピサーカは考えた。しばらく、うんうん唸りながら考えた。そして
「仕事が長続きしないことです。仕事が続けば問題なく家にいられるし、金も手に入る。親父にも大きな顔ができるようになる」
「なぜ仕事が長続きしないのだ?」
修行僧は、畳み込むように問いかけた。この問いには、ピサーカは沈黙してしまった。

「ほら、悩み方が悪いから、答えられないのだ」
修行僧は、イジワルな言い方をした。そして
「さぁ、なぜ仕事が長続きしないのだ。よく考えるがよい」
とキツイ口調で言った。その時の、その修行僧の迫力は、暴力を振るう父親の比ではなかった。あまりの恐ろしさにピサーカは驚いてしまい、真剣に考え始めたのだった。
「こ、こんなに真剣に物事を考えたのは初めてです。それで気が付きました。俺は、今まで何も考えていなかった。悩んでいなかった。ただ悩んでいるふりをしていただけで、考えることはしなかった。ただ、逃げたいだけだった。そう、怒られるのが怖くて、何もかも嫌になっていただけで、解決しようとか、どうすればいいかとか、全く考えてませんでした。ただうじうじしていただけだ・・・」
「よく気が付いたな。よいか、本来、悩むことはよいことなのだ。ただし、今の環境が悪いと文句を言ったり、嘆いたり、うじうじしたりするのは、悪い悩み方なのだよ。同じ悩むのなら、なぜそうなったのか、それに対しどうすればよいのか、目の前の問題をどう解決すればよいか、今何をすべきなのか・・・、それを悩むことだ。まずは、なぜ?、ということを悩むがよい。そこから道は開けていくのだ」
その修行僧の言葉に、ピサーカは深くうなずいたのだった。
「わかりました。もっと真剣に悩みます。そして、どうすればよいかということを深く考えます。およそ、答えはわかっていますから、今度は失敗しません。ありがとうございました」
ピサーカのその言葉を聞くと、その修行僧は静かに去っていった。その後ろ姿を見送っていると、近所の家の中から人が出てきて
「お釈迦様、助けてください!」
と駆け寄ってきたのだった。ピサーカは
「あぁ、あれがお釈迦様だったんだ。俺は、お釈迦様に助けられたんだ・・・」
とつぶやいた。その顔には、ホッとした安心感が漂っていたのだった。


人間は悩みを抱えている生き物です。ほとんどの人が大なり小なり悩み事を抱えて生きていることでしょう。全く悩みがない・・・という人がいれば、それは羨ましい限りですね。もし、あなたがそういう人ならば、悩みがないことに感謝し、自分は幸せ者だということを自覚してください。

若いころは特に悩みが多いと思います。身体的コンプレックスから精神的なことまで、いろいろなことで悩みます。しかし、悩んでも仕方がないことも多い・・・というのも確かなことですね。今から振り返ってみると、「なんであんなことで悩んでいたんだ?」ということもあります。若いころには解決できないことも、大人になれば大したことはない、と気づくこともあります。
また、悩みは、その年代やおかれた立場によっても変わっていきますよね。社会に出れば出たで、若いころとは異なった悩みが生じるものです。いつになっても悩みは尽きませんな。

お釈迦様も若いころは悩んで悩んで苦しみました。なぜなのか、どうしてなのか・・・その答えが欲しくて、王子の座を捨て出家したのです。悩みを解決したかったのですね。そのお釈迦様が説きます。
「悩むことはよいことだ。大いに悩め。なぜなら、そこから新しい道が開けるからだ」
そう、「なぜそうなった、どうしてこうなる?」と悩むことにより、答えを導きだそうとしますから、次の展開が生まれるのです。
「あぁ、そうか、こういうことか、じゃあ、こうすればいいんだな。こう対処しよう」
対処方法や、解決法が分かれば、新しい展開が開かれるでしょう。
しかし、「なぜ?、どうして?」と問うのはいいのですが、そこから動かなかったり、答えを見つけずウジウジしたりしてはいけませんね。また、答えのないことを悩むのもよくないことです。

「なぜ?、どうして?」
と悩んでも、答えがないのなら、「まあ、仕方がないか」とすっぱり悩むことをやめて次に進むのも一つの方法ではあります。悩み、考えたことは無駄にはなりません。次の悩みに当たった時に役に立つでしょう。
そうです。悩むことは無駄にはなりません。ただし、次のステップを考えた悩み方をしましょうね。
合掌。


第179回
他人の不幸を喜んだり、他人を貶めようとする者は
最も不幸なものである。
そのような者には、明るい未来はない。

タンガーは、物陰から様子を見ていた。
「くくく、あいつ、あんなところで荷車をひっくり返してやがる。こいつは面白い。くくく」
彼は、通りで荷車をひっくり返し、オロオロしている若者を見て笑っていたのだ。「ざまぁねぇや。くくく」と笑いながら、タンガーは物陰から出てきた。そして
「初めから見ていたよ。バカなヤツだな、お前。荷車の操作が下手くそすぎるんだよ。ま、おかげで面白いものが見られてよかったけどな。けけけけ」
と荷車の横で呆然としている若者に言い捨て、その場を笑いながら去っていったのであった。彼は、毎日のように他人の失敗や不幸を探しては笑いものにしていたのであった。そんな男だったから、彼には友人はいなかった。否、一人だけ似たような男が友人としていたのだった。

その男はアトゥーシャと言った。彼は、その日も仕事の帰りにいつもの居酒屋で酒を飲みながらタンガーを待っていた。
「よう、何か面白い話はあったかい?」
店に入ってきたタンガーにアトゥーシャは声をかけた。
「あぁ、あったあった。今日もドジなヤツ、バカなヤツ、間抜けなヤツがたくさんいたぞ」
「そうか、それは酒の肴にもってこいだな」
「あぁ、いい肴になるぜ。アトゥーシャ、そっちはどうだ?」
「こっちも面白い話がたくさんある。まあ、夜は長い。ゆっくり飲みながら話そう」
二人はそういうと、その日に見てきた他人の不幸話で盛り上がったのだった。

「あいつら、相変わらず他人の不幸話で盛り上がっているのか?」
タンガーとアトゥーシャの笑い声に、他の客がひそひそ話を始めた。
「あぁ、あれは毎日のことだ。バカな連中だ。他人のことなんてどうだっていいのに」
「他人の不幸話で盛り上がり、自分たちで優越感を感じているんだろ。くだらない連中だよ」
その声は、タンガーらの耳に入った。
「なんだと、お前ら。もう一遍言ってみろ」
タンガーは、他の客にからんできた。
「おい、お前らだって以前は他人の不幸話で盛り上がっていたじゃないか。お前らも同じ穴の狢じゃねぇか」
そう言ったのはアトゥーシャだった。
「確かにそうかもしれんが、今はそういうことはやめたんだ。他人の不幸話で盛り上がるなんて、愚かしいことだって気が付いたんでな」
「そうそう。お釈迦様もそう言っている。他人の不幸を喜ぶ者は愚かな者だってな」
他の客が彼らに言い返した。
「お前らバカじゃないの?。他人の不幸話は蜜の味だろう。それを止めるなんて、バカだな。お釈迦様?、は、くだらねぇな、そんなもの。お前ら、そんなにいい人になりたいのなら、こうしてやるよ」
タンガーは、彼らを批判した客にいきなり殴りかかっていった。一人の客が殴られて倒れた。
「きゃはははは。ほら、こいつに不幸がやってきた。これは面白い。こいつの不幸を笑っている俺には、何にも災いはやってこない。どっちが得なんだろうねぇ。ぎゃはははは」
タンガーは、そういうと大笑いした。殴られた客たちは、さっさと逃げていった。逃げる時、店主に
「あいつらが来るなら、俺たちはもうこの店には来ないから」
と言い残していった。店主は、大きくため息つくと
「おい、タンガーにアトゥーシャ、もういい加減にしてくれ。二度と店には来ないでくれ」
と懇願したのだった。タンガーは
「あぁ、来ないさ。店はほかにもある。だけどな、せいぜい不幸にならないように気を付けるんだな」
と言い残して、店を出ていったのだった。
その翌朝、その居酒屋の前には、大量の生ごみが捨ててあった。店主が困り果てているところを、物陰からタンガーとアトゥーシャがのぞき、笑っていたのだった。
そうしたことがよその店でもたびたびあった。タンガーとアトゥーシャが酒を飲みにやってきた店では、やがてケンカが起き、タンガーとアトゥーシャは出入り禁止になるのだ。そしてその翌朝、店の前には腐った魚や糞尿、大量のごみなどが放置されたのだった。二人の嫌がらせである。しかし、証拠がないため、二人は捕らえられなかったのであった。

タンガーとアトゥーシャの姿を見ると、町の人たちは逃げるようになった。そのため、ますます二人は威張って歩くようになった。今では、彼らは仕事もせず、町をぶらつき、人を脅しては金を巻き上げるようになっていた。町のゴロツキになってしまったのだ。
「しかし、他人の不幸は面白いな。俺たちで会うヤツは、みんな不幸になる。笑えるなアトゥーシャよ」
「ほんとに面白いや。みんな、俺たちを見てビビっている。他人を陥れるのも面白いし、虐めるのは最高だ。わはははは」
二人は大笑いしながら、町の通りの真ん中を威張って歩いていた。
「おい、どけよ。邪魔だろ」
道の真ん中に立っていたのはお釈迦様だった。
「私は中道を行くものである。どちらにも偏らない」
「何わけのわからないこと言ってんだ?。バカじゃないのか。どかないのならどけるまでだ」
タンガーはそういうと、お釈迦様に体当たりをしようとした。が、それよりも早く、お釈迦様は道を開けたのだった。タンガーは、思わずよろけてしまった。
「な、なんだ、避けるなら初めから避けやがれ。このクソヤロウ」
「哀れなものだな。他人の不幸を喜ぶことでしか、自分の存在を確認できないとは・・・。いやいや、哀れな者たちだ。他人を陥れたり虐めたりして、喜びを味わうとは・・・」
お釈迦様は、さも哀れなものを見るような目つきで彼らを眺めた。
「な、何だっていうんだ。お前なんか言われたくねぇんだよ。そんな目で見るんじゃねぇ」
お釈迦様は、彼らに背を向けると
「他人の不幸を喜ぶ者、他人を貶めようとする者は、最も不幸な者である。そういう者には、明るい未来はない」
とつぶやき、歩き出したのだった。
その言葉を聞いて二人は怒り出した。
「お、俺たちをバカにするのか?。ぶっ殺してやる。俺たちがお前に不幸をもたらしてやる」
彼らはそう叫ぶと、近くにあった棒を拾い、それでお釈迦様に殴りかかろうとしたのだった。
「はい、ちょっと待って。お前ら、暴行罪だな」
そういって、彼らを止めたのは、町の警備隊の兵士だった。
「前から君たちを捕縛する機会を狙っていたんだよ。君たちにはいろいろ聞きたいことがあるから、一緒に来てもらおうか」
こうしてタンガーとアトゥーシャは、兵士に捕まってしまったのであった。二人は、厳しく取り調べられたうえ、懲役が科せられた。しかも、今までゴミや糞尿などで汚した店の弁償も命じられたのであった。
その話を聞いた町の人たちは、
「単なるうわさ話で盛り上がる程度ならかわいいけどね。あそこまでいくとねぇ・・・」
「あまり他人の不幸話で盛り上がるのは、よくないよな。そんな話をしても、余計に自分がみじめになるだけだろ」
「他人の不幸は蜜の味・・・ていうのは、負け惜しみの言葉だよな。お釈迦様の言う通り、他人の不幸を喜んだり、他人を不幸に陥れたりする者ほど、不幸な者なんだよ」
「あぁ、そういうことだ。だから、あいつらは、あんな目に遭うんだ・・・」
とタンガーとアトゥーシャのことを話し、「あんなふうになっちゃいけないな」と語り合ったのだった。


「人の不幸は蜜の味」
という言葉はみなさんよくご存じでしょう。人の不幸話ほど楽しいものはない・・・という、恐ろしいことわざですよね。ネットの世界では、「メシウマ」というそうですが、まあ、他人の不幸を喜ぶっていうのは、いかがなものかな、と思いますな。

確かに、人の不幸を喜ぶものは多いのかもしれません。TV番組で、ドッキリモノが無くならないのは、それを見ている人が喜んでいるからでしょう。芸能人が、ドッキリを仕掛けられちょっとした不幸な目に遭う・・・見方によっては、笑える番組ではありませんよね。それでも、そうした番組が無くならないということは、それを期待している人がいるということなのでしょう。
ちょっとした不幸ならいいじゃん、笑っても・・・・、ということなのでしょうね。

他人の不幸を喜ぶ・・・ということは、実はすごくみじめなことだと気づいているでしょうか?。他人の不幸話でしか盛り上がることができない、ということは、それだけ自分に喜び事がない、ということです。他人の不幸話のほかに楽しみがないなんて、あまりにもみじめだと思いませんか?。他人を蔑んで、笑いものにして、それで自分を優位に思い、優越感を得る・・・それって、ちょっと考えれば、ものすごくみじめなことだと気が付くと思うのですが・・・・。
他人の不幸話で盛り上がる人たちは、よほどつまらない毎日を過ごしているのでしょうな。他にやること、話すことがあるでしょう、と思います。ちゃんと充実している毎日を過ごしている人は、他人の不幸話などで盛り上がることなどないでしょう。他人の不幸を喜ぶ、他人を陥れて喜ぶ、そういう人たちの正体は、惨めなつまらない人生を送っている人なのです。そんな人間にはなりたくないですな。

他人の不幸を喜ぶ側がいいのか、他人の喜び事を素直に喜んであげる側がいいのか、答えは当然わかっていると思います。他人の不幸を悲しみ、他人の喜ぶごとに素直に「よかったね」と言える生き方のほうが、いいに決まっていますよね。他人の不幸でしか喜びを感じられないなんていう惨めな人間にはなってはいけませんな。そんな人間には、明るい未来は決してやっては来ません。
他人の不幸を悲しみ、他人の喜び事を喜んであげられる、そんな心を持つ人にこそ、未来は明るいのですよ。
合掌。


第180回
間違ったことをしたのなら懺悔し出直せばいい。
嘘を並べ、誤魔化し、言い訳をし、責めを回避しても
それは罪や汚れが増すだけである。
コーサラ国の王、プラセーナジット王は大食漢であった。そのため、身体は大変太っていて、歩くのも難儀な状態だった。周囲の者や宰相をはじめとする大臣、妃はもちろんのこと、お釈迦様からも食事の量を減らすように注意されていた。王が祇園精舎に滞在するお釈迦様を訪れるたびに、お釈迦様は苦言を呈した。
「国王、健康に気を使わなければいけません。それでは長生きどころか、健康を維持することもままならないでしょう。毎回毎回、同じことを言いますが、食事を減らしなさい」
「世尊、わかってはいるのですけどねぇ・・・。なかなか実行できなくて・・・。料理人も料理人で、私の言うだけ食事を持ってくるのもいかんのですよ。従者も注意してくれないし。料理人が食事をたくさん作らなければ、私もそれほど食べないでしょう。従者も私の食べ過ぎを止めてくれれば、食事の量も減るのですけどね・・・・」
「国王、言い訳しているだけではだめですよ。ならば、従者の方に言っておきましょう。食べ過ぎを止めるようにと。また、料理人に指示をして、食事の量を今の半分に減らすようにしてもらいましょう。そういうことなら、食事の量も減るのですよね?」
「まあ、そうですな。そうしてもらえば、食べる量は減りますな」
お釈迦様の提案に、プラセーナジット王は、しぶしぶ頷くしかなかったのだった。

城に戻ったプラセーナジット王は、マッリカー夫人に
「世尊も口うるさいな、毎回同じことを言って・・・。今日は、とうとう料理人に食事の量を半分にせよと命じるように言われてしまった」
「王様、世尊は王様のお身体を心配しておっしゃっているのです。まあ、いきなり半分は厳しいでしょうけど、少しは減らさないと・・・」
「ふむ、そうだな。少し食事の量を減らしてみるか・・・」
こうしてプラセーナジット王は、食事の量を三分の二に減らすようにしたのだった。しかし、
「あぁ、腹が減った、我慢できない。何か食べ物を持ってこい!」
と叫ぶ国王の声が城に響くようになったのだ。そのたびに従者が
「国王、食事の量を減らしたのは、ほんの少しです。そんなにお腹が減るはずはないのですが・・・」
と国王を諫めるのだが、王は
「何を言うか!、そんなことを言ってもだな、腹が減っているんだよ。もう、我慢できないんだよ。なんでもいい、食い物を持ってこい。持ってこないと、お前を処刑するぞ!」
と叫ぶだけで、とても諫言を聞き入れようとはしなかったのである。結局、食事の量は元のままに戻ってしまった。それどころか、次第に
「これじゃあ足りないなぁ。この肉はうまかった。もっと持って来い」
と前よりも食事の量が増えてしまったのだ。そのため、従者はこっそりお釈迦様に相談に行くこととなった。
「そうですか、前よりもねぇ・・・。わかりました。今度、国王が来られるとき、また話をしておきましょう」
お釈迦様は、そういって従者を帰したのだった。
しかし、プラセーナジット王は、祇園精舎をなかなか訪れなかった。お釈迦様に叱られるのが分かっていたから、避けていたのだ。しかし、大臣の不正事件が発覚し、その処理についてどうしてもお釈迦様に相談せざるを得なくなったのだった。仕方がなく、王は祇園精舎に向かった。

祇園精舎の奥まったところ、お釈迦様がいつも座っている場所に王が向かうと、そこには一人の修行者がお釈迦様の前に座っていた。その修行者は、どうやらお釈迦様に注意を受けているようで、がっくりとうなだれていた。国王は、近くに座ってその様子を見聞きすることにした。
「ラートラよ、汝はこれで何度目の注意であるか?」
「あっ、あぁ・・・・、その・・・すみません。今回は、そのついつい忘れていまして・・・」
「そんなことを聞いているのではない。何度目の注意か?、と聞いているのだよ」
「は、はぁ・・・。何度目かと言われましても、その・・・私は物覚えが悪く、何回目か忘れてしまいまして・・・。どうも私は頭が悪いのか、物覚えが悪いのです。なので、周りの人が注意してくれれば、きっとこのようなことをしでかすことはないと・・・」
「ラートラ、汝は本当に物覚えが悪いのか?」
「はい、本当に物覚えが悪くて・・・。どうしようもないですね。ダメな人間です」
「物覚えが悪い割には、倉庫に予備の保存食が置いてあることをなぜ覚えていたのか?。倉庫に予備の布が置いてあることをなぜ覚えていたのか?。倉庫に予備の寝具が置いてあることをなぜ覚えていたのか?」
「えっ、それは・・・・それは覚えていたのではなく、たまたまその日に見てしまって、で・・・」
「それで、倉庫から盗んだのかね?」
「は、はい・・・・。覚えていたわけではありません。私は物覚えが悪いので・・・」
「ほう、その割には、物を盗んだ時のことはよく覚えているのだな。それで、盗みの注意を受けたのは、これで何度目だ?」
ラートラという修行者は、お釈迦様の問いに答えることができなくなり、しばらく黙り込んだ。やがて、
「いや〜、私の盗み癖はどうも治りにくいものでして。というより、私は物覚えが悪いので、注意されても忘れてしまいますから、できれば周囲の者が見張ってくれているといいのですが・・・。そうでもしないと治らないので、修行仲間や長老が私を見張っているべきで・・・。となると悪いのは私ではなく、長老も悪いのではないかと・・・。あ、いえ、決して人のせいにしているわけではないです。すべて私の不徳の致すところであり、私がいけないのですが、私にばかり責任があるかと言えば、そうでもないように私には思えるのです。ですから、悪いのは私だけではなく・・・」
「もうよい、ラートラ」
お釈迦様は、厳しい声でラートラの言い訳を遮った。

「ラートラよ。間違ったことをしたのなら、それを素直に認め、懺悔し、反省し、出直せばいいことであろう。私が汝に注意をしているのは、あれこれと嘘を並べ、誤魔化し、言い訳している、その姿勢に対してだ。そうやって言い訳をして責めを避けようとしても、それは無駄なことだ。それどころか、ますます汝の罪は増し、汝自身が汚れていくだけである。それを注意しているのだよ。素直に間違いを認めれば、罪を増やすことはなく、汚れは増さない。気持ちを新たにして出直せば、修行は進むのだ。私はそれを説いているのだよ。わかるかねラートラよ」
そう説かれたラートラは、うなだれるしかなかった。
「ラートラよ。汝が私の言っていることを受け入れることができないというのなら、汝は修行者をやめねばならない。ここから立ち去らねばならないのだ。どうするのだラートラ」
しばらくしてラートラは、顔をあげて
「申し訳ございませんでした。私が間違っておりました。はい、世尊のおっしゃるとおり、私は嘘や言い訳ばかりしています。物覚えが悪いというのも嘘です。しかも、長老や修行仲間に責任をかぶせるなんてことをしてしまいました・・・。世尊、許してください。私がしたことを素直に認め、反省します。今後は勝手に倉庫に入って盗み出すようなことは致しません。真面目に修行に励みます。ですので、どうか修行を続けさせてください」
そういうと、お釈迦様に額づいたのだった。お釈迦様は、
「わかりました。このことは汝を指導している長老に伝えておきます。アーナンダよ、ラートラを連れて、長老のところへ向かいなさい」
とアーナンダに命じたのだった。そして
「さて、プラセーナジット王よ、王のお聞きしたいことの答えは、もうお分かりかと思うが、いかがでしょうか?」
とプラセーナジット王に向いて言ったのだった。国王は、
「はい、もう答えはわかりました。不正をした大臣は、何も嘘をつかず、責任を転嫁せず、誤魔化さず、言い訳をしないで、素直に罪を認め、懺悔し、反省し、出直すことを誓えば、許そうと思います」
とお釈迦様に告げたのだった。
「国王よ。それは大変いい判断だ。それでこそ、国はうまく治まる。ところで国王よ・・・」
お釈迦様がそういうと、プラセーナジット王は顔をしかめた。そして、
「いや、世尊、おっしゃりたいことはわかっております。何もかもお見通しの世尊ですから。はい、私も食事のことで料理人や従者のせいにしておりました。勝手なウソをならべ、自分で自分に言い訳をして食事の量を増やしておりました。今後は気を付けます」
と頭をかきながら誓ったのであった。陰でこっそりその様子を、王の従者が確認していたのは言うまでもない。


多くの人は、注意されたり怒られたりすると、たいていは言い訳をします。いろいろ御託を並べ、なんとかその場を逃れようと、何とか誤魔化せないかと、様々な言い訳をします。もちろん、誰もがそうするというわけではありませんが、言い訳をする人は案外多いのではないかと思います。

本当は素直に
「申し訳ございませんでした」
「すみませんでした。以後気を付けます」
と素直に非を認め、反省し、出直しを誓ったほうが気持ちがいいし、相手の気持ちも落ち着くものなのですが、どうしても素直になれない場合が多いんですよね。ついつい、無駄な言い訳をしたくなるものです。挙句の果てには、嘘をついてまで言い訳をしたり、他人に責任転嫁したりもします。それが、嘘だとか汚い行為と見抜かれていても、ついついやってしまうのですな。人間って、本当に弱いですね。

あの東京都知事だって、「第三者の厳しい目で精査してもらう」とか「調査が終わってから」などと妙な言い訳をしないほうがよかったのでしょう。厳しい第三者の目の精査は穴だらけで、むしろ「こんなことで誤魔化されないぞ」という反感を買ってしまいました。かえって火に油を注ぐ形になってしまいましたね。
で、挙句の果てに、辞任すると決めたらダンマリです。貝になってしまいましたな。結局、真相はうやむや、謝罪の言葉もなく、去っていきました。あのシーンを見ていると、あまりにも惨めで哀れにしか思えません。初めから素直に自分のやってしまったことを認め、反省をし、正しい対処をし、出直しを誓えば、あのようなことにはならなかったのではないかと思います。
妙な言い訳をしたばっかりに、彼の罪は増加してしまい、汚い人間と思われるようになってしまったのです。頭のいい方だけに、大変残念なことですね。

確かに、自分の過ちを素直に認めるのは辛いことだし、勇気がいることかもしれません。ですが、やってしまったことはやってしまったことであって、その事実は消えることはありません。誤魔化しだってできないです。どう言い訳をしても、罪は罪ですよね。
ならば、初めから素直に謝ってしまったほうが潔いでしょう。そのほうが美しいですね。下手に言い訳をして、何とか誤魔化そうとする姿は、あまりにも醜いですな。そんなことをしても、その人の罪が増加するだけです。
汚い人と言われるよりも、潔い人と言われたほうが、美しいですよね。
合掌。


第181回
将来のことを何も考えず、
努力すべきことを怠り、快楽にふけった者が
この世は不公平だ、と訴えるのは愚かなことだ。
「この世は、なんて不公平なんだ」
その日もナーガは酒場で飲んだくれて、愚痴をこぼしていた。
「おい、聞いてるか?」
ナーガは、店主に向かって言った。
「働いても働いても、暮らしは楽にはならねぇ。片方では、使い切れねぇ財産を持っているヤツもいるっていうのによぉ・・・・。そりゃさ、マガダ国にしてもコーサラ国にしても、カーストってものがあるから、不平等なのは仕方がないにしてもな、もう少し何とかならねぇものか、って言ってるんだよ俺は」
そう話しかけられた店主は、苦笑いしながら相槌を打っていた。
「ナニ笑ってるんだよ。あんただってそうだろ。こんな夜遅くまで店やっていて・・・で、儲かるのか?。コーサラ国は、マガダ国やよその国よりもカーストがゆるいって聞いたから・・・俺はこの国にやってきたんだ。だけどよぉ、働くばかりでさ、ちーっとも金にならねぇ」
「ここで飲むお金はあるじゃないか」
店主が愛想笑いをしながらそう言った。
「ふん、それで終わり。あとには何も残らないね。住んでいるところだって、屋根はあるが壁がないようなところだぜ。ま、盗られるようなものは何もないからいいんだけどな」
ナーガは、酒を一気に飲みながら言った。
「仕事を変える気はないのかね?」
「変えたって一緒さ。同じこと。俺みたいな手に職もねぇオッサンは、国境周辺で穴掘るか、河の周りで土手を造るくらいしかやることはないんだよ。兵隊にも入れない。年食ってるからな・・・。そんでもって、仕事場で野垂れ死んで、川に流されるか、そこら辺に埋められて終わりよ。終わり」
ナーガは、そう言って歯のない口をあけて笑った。

実は、ナーガはそこそこの家の出であった。身分は下層階級ではなかったのだ。彼の実家は、マガダ国にあり、そこそこ裕福な商家だったのである。だが、彼は家を飛び出していた。いや、追い出されたと言ったほうがいいであろう。よくある話で、二代目のごくつぶし、と言われ、家を追い出されたのである。
彼は、子供のころから贅沢に育てられた。そのせいか、遊んでばかりいたのである。学校にも通っていたし、特別にバラモンに家庭教師にも来てもらっていた。しかし、学校はさぼるし、家庭教師が来る日には家に帰らず、外を遊び歩いていたのである。当然ながら、遊び仲間も身分の低い悪い連中ばかりだった。彼は、そうした連中に金を与え、子分同然に連れて歩いていたのだ。
勉強はしない、仕事の手伝いもしない。毎日のように街を徘徊し、酒を飲み、女性を襲い、出会う人を脅しては金を巻き上げ、酔っぱらっては繁華街で暴れたりしていた。どうしても金がなくなると、親の仕事場に行き、金を盗んでいた。そういう青年時代を過ごしたのだ。

これもよくある話で、ナーガには弟がいて、その弟は優秀であった。真面目で学問の成績もいうことはなかったし、聡明で明るく、商売上の関係者からも好かれていた。弟は、早くから父親の仕事を手伝い、事業を盛り立てていた。
ある日のこと、弟が父親に相談がある、と話をかけてきた。
「兄さんのナーガなんだけど、仕事で使うお金を時々盗んでいくんだよ」
「あぁ、知っている。あいつには本当に困っているんだ。どうしていいのやら・・・」
「こんなことをいうのは、弟していけないのかもしれないけど、この家のためを思って言います。いっそのこと、財産を分けてやって、追い出したらどうでしょうか?。その金で事業でも商売でもやってみろといって・・・。二度と返ってくるな、という条件付きでお金を渡すというのはどうでしょうか?」
弟の提案を父親は受け入れた。母親も「仕方がない」と納得したのだった。そうして、ナーガは、まとまったお金を渡され、家を追い出されたのだ。しかもその渡されたお金は、街中で店を持てるほどの大金だったのである。ナーガは、むしろ喜んだ。
「こんなに金をくれるのか。いいだろう、これをもとにして商売をしてやる。俺様の実力を見せてやるよ。いいか、お前らより大金持ちになってやるからな。あはははは」
そう大見得を切って彼は家を出たのであった。

酒場の店主は、何度も聞かされたナーガの話に、いつものように答えてやった。
「で、その後どうしたんだ?。そんなにお金があったなら、商売もできたんじゃないのかい?」
「おぉ、そうよ。商売を始めたんだ。マガダ国の一番の繁華街で酒場を開いたんだ。ただの酒場じゃねぇぞ。こんな貧弱な店でもねぇ。きらびやかで、若くてきれいな女たちが、酌をする店よ。そりゃ、繁盛したさ。毎日、男どもがわんさとやってきた。俺にはな、先を見通せる目があったんだな」
「そりゃ、儲かってよかったね」
「ところがよ、客が来たのはほんの一か月くらいのことだったんだよ。あいつら、料金が高いだの、酒がまずいだの、食いもんがまずいだの、文句ばっかり垂れやがってよ。女の酌なんぞ要らねぇから、安くてうまいものを食わせろって・・・。ふん、庶民どもめが!。あいつらには、楽しい酒場がなんなのかわからねぇんだな」
「ふーん、で、失敗したのか?」
「うるせーやい。気が付いたら、無一文よ。ま、俺も湯水のように金を使いまくっていたからなぁ・・・わはははは。でもよ、それにしても不公平だろ。弟は、今でもいい生活をしてやがるんだぜ。俺はな、一度だけ、実家へ戻ったことがあるんだ」
「ほう、そうかい。で、どうなったんだい?」
「実家にはよ、用心棒みたいなヤツラがいて、散々殴られて追い出されたよ。ち、弟のヤツめ。いつか恨みを晴らしてやる。あんなヤツよりも、俺の方が才能があるのによ。俺が本気を出せば、あんなヤツ・・・。けっ、それにしても腐った世の中だな。毎日、重労働をして手に入る賃金は、ほんのわずか。この腐った酒場で飲んで終わり・・・。あぁ、不公平だ。あんな重労働しているんだから、もっと金よこせってもんだ。あぁ、きっと、現場監督が国からもらえる賃金を誤魔化しているに違いない。くっそ〜、なんて不公平なんだ。よし、明日こそは、国に訴え出てやる。こんな不公平が許せるかっ!てな」
「うんうん、威勢がいいねぇ。でも、威勢だけなんだよな、いいのはね。同じこと、毎晩言っているぜ。いったい、いつになったら国に訴えるんだ?」
ナーガは、店主にそう言われ、「ふん、明日だよ、明日」と小声で答えていた。店主は、
「うちも小さな腐ったような店だから、生活が苦しくってねぇ・・・。ホント、不公平だよな。ナーガさんよ、期待してるよ。あんたの訴えにさ」
と言って、ニヤッと笑ったのだった。こんなことが毎晩のように繰り返されていたのだった。

ある日のこと、ナーガがいつも通っている酒場が休みだった。ナーガは、
「あぁ、つぶれたのか。これもそれも、不公平だからだ。くっそ、国に訴えてやる!」
そう叫び、自宅へ駆けていった。しかし、その店は、つぶれたわけではなく、店主が風邪をひいて休んでいただけのことだった。そのように店の扉に張り紙がしてあったのだが、ナーガは気が付かなかったのだった。
翌朝のこと、ナーガは国王の住まう宮殿の門前にいた。一人ではなかった。昔の遊び仲間や、身分の低い連中を大勢連れていた。そして、
「この国は不公平だ!。俺たち重労働者の賃金をもっと増やすべきだ!。働いても働いても生活が苦しいのは国王のせいだ!。国王は贅沢三昧をしていて、ブクブクに太っているじゃないか。それが金を独り占めにしているいい証拠だ!。金を俺たちにもよこせ!。平等に金を配れ!」
と叫んでいたのだ。しかし、あっという間に兵士たちに連行されてしまったのだった。ナーガの叫びは、何も通じなかったのである。

その日の午後のこと、祇園精舎の修行者の間で、ナーガのことが話題になっていた。
「ナーガの言うことはもっともではないか。国王は、労働者にもっと賃金を与えるべきであろう」
「いやいや、不公平なのは仕方がないんじゃないか。彼らは身分が低い者たちだからな」
「身分という問題ではないだろう。働きに見合った賃金を与えるのは当然であろう。彼らが生活できる賃金を与えないのは、国が悪い」
話し合いは、次第に熱を帯び、論争にまで発展してしまった。そして、今にもつかみかからんとするくらいの言い争いになってしまった。これは大変と、その中の一人が、あわててお釈迦様を呼びに行ったのだった。
「静かにせよ。落ち着くのだ。話合いは良いが、論争はいけないと日ごろから注意しているであろう」
そう言ったのは、お釈迦様であった。お釈迦様の登場に、言い争いをしていた修行僧は、急に座って、お釈迦様を礼拝したのだった。
お釈迦様は、彼らか事情を聴いた。そして、
「誰か、ナーガの生い立ちを知っている者はいるのか?」
と問いかけた。その問いに誰も答える者はいなかった。お釈迦様は、修行僧たちを見渡して言った。
「よいか、この国は、他国に比べて平等政策をとっている。それはみなも知っているであろう。プラセーナジット王は、身分を問わず、能力のある者はそれに応じて職業を与える、と言っている。実際、身分の低いものから兵隊長にまでなった者もいるし、奴隷の身分から独立して商売を始めた者もいる。この国は、身分制度に関しては比較的ゆるいのだ。だから、いい人材が集まる。よいか、その中での今朝の宮殿での騒動だ。この騒動はおかしいとは思わなかったのか?」
お釈迦様の問いに、またしても答える者はいなかった。お釈迦様は、大きくため息をつき
「ものはよく考えてから言うべきであろう」
とつぶやいたのだった。

「よいか、皆のもの。ナーガは、比較的良い身分の出身だ。彼は、マガダ国の大きな商家の出なのだ」
お釈迦様は、ナーガの出自や、今に至る話を修行僧に聞かせた。そして
「彼は、若いころ、やるべきことを怠り、何の努力もせず、自分の家の財力を当てにして遊び呆けていたのだよ。そうした者が、努力をしてきた者と同じだけの賃金をもらえるのが平等であるのか?」
と三度問いかけたのだった。その問いには、修行僧たちは、首を横に振ったのである。
「そうだな。その通りだ。よいか、将来のことを何も考えず、やるべき努力を怠り、快楽にふけった者、欲望のままに生きてきた者が、『この世は不公平だ。もっと平等にすするべきだ。格差をなくすべきだ』と叫び、訴えるのは愚かしいことだと思わないか?。全く矛盾しているであろう。愚かなことであろう。自分のやってきたことを棚に上げ、世間に要求だけをして、それが通ってしまったら、それこそ不平等であろう。よいか、汝らも、自分の修行を怠っておいて、『悟れないのは長老の指導が悪いからだ』などと言っていてはいけない。それでは、ナーガと変わらない、ただの愚か者である。汝ら、勘違いをせぬよう、心して修行に励むがよい」
お釈迦様は、厳しく修行僧たちに注意をしたのだった。


格差社会と言われております。不平等だ、不公平だ、弱者をいじめている・・・などと彼らは叫びますな。しかし、格差社会は、今に始まったことではありませんよね。昔から、格差はあります。世の中の仕組みが資本主義であり、自由な社会である以上、格差が生まれるのは仕方がないことなのです。

確かに、やるべきことをし、努力を重ねても重ねても、生活が苦しい・・・というのなら、それは不平等でしょう。努力に見合った生活が得られなければ、自由社会、資本主義社会ではありませんよね。どんなに頑張っても、頑張るだけ無駄・・・というのなら、その社会制度はどこかくるっているのでしょう。それは見直されるべきですよね。

ですが、若いころ、周囲が勉強に頑張っている横で、遊び呆けて学校をさぼり、手に職をつけることもなく、街を徘徊していた人が、「この世は不平等だ。もっと賃金をあげろ!」と叫んでも、それは説得力がありません。いや、それどころか、そんなことを訴えること自体、おかしいと思われてしまいます。
勉強ができないから悪い、成績が良くないからいけないのだ、と言っているのではありません。勉強が苦手なら、その代わりになるもの・・・手に職をつけること・・・をすればいいでしょう。で、同じ手に職をつけるならば、そこそこでなく、誰もが認めるような一流を目指すべきでしょう。それが努力というものですね。そこそこでいい、と思うならば、就く職業だってそこそこだろうし、手にする給料だってそこそこになるでしょう。ならば、生活だってそこそこになるのです。それでよし、というのなら、そこそこを目指すのも悪くはありませんよね。
先のことを考えず、若いころ何の努力もせず、何かに頑張ることもしないで過ごしておいて、世の中は不公平だ、格差社会だ、と叫ぶのは、どこか間違ってはいませんか?。格差社会をどうにかしたいのならば、頑張って政治家を目指し、努力して当選し、その時の気持ちを忘れず、国政に当たることですな。たいていは、政治家になったとたん忘れてしまうようですけどね・・・。

「若いころの苦労は買ってでもしろ」
昔の人はいいことを言いました。若いころこそ苦労はしたほうがいいですな。いや、若いころしか苦労はできませんな。年を取ってから何か手に職をつけようと思っても難しいですな。目が見えない、腕が上がらない、身体が思うように動かない、体力がない・・・・。苦労や努力は、若いころしかできないものなのです。むしろ、苦労は若いころの特権でもあるのです。
若い人たちは、将来のために、苦労を買ってくださいね。
合掌。


第182回
いくら才能があったとしても、いつもうまくできるものではない。
怠るものは報われないのだ。
幾度も失敗を繰り返し、壁に当たり、それらを乗り越えて成功があるのだ。

パドラは、弓がうまかった。彼のいる村で一番の弓の名手だった。彼の弓にかかれば、どんなに高く飛んでいる鳥も一発で落ちてきた。遠くの木の実も、彼の弓は外れることがなかった。彼の村で、彼の腕前に匹敵する者は一人もいなかったのである。
彼が生まれた村は小さな村で、貧しかった。彼は、小さなころから川で魚を取ったり、森で果物を取ったりして生活してきた。親は、隣村の農園まで出かけて働いていた。身分から言えば、奴隷階級になる。その村は、ほとんどの家が同じような生活をしていた。子供たちはある程度大きくなると、自分で弓を作り狩りに出た。やがて、パドラも村の習慣に従い、手作りの弓で狩りをするようになっていた。彼には弓の才能があったのだろう。いつしか、大人も顔負けするほどの弓の名手になっていたのだ。
ある日のこと、パドラの父親が隣村で
「コーサラ国で兵士を募集している。身分は問わない。腕に自信のある者は、すぐに城に集え」
という兵士募集の話を聞いてきた。
パドラの村は、コーサラ国から歩いて5日ほどかかる地域にあった。コーサラ国の小さな属国の村である。父親はパドラに言った。
「お前は弓がうまい。おそらく誰よりもうまいだろう。このままこの村にいても奴隷のままだ。いっそのこと、コーサラ国に行って兵士になってはどうか?」
パドラもその気だった。一生、奴隷階級で生きていくのは嫌だった。なので、彼は喜んでコーサラ国へ行くことを決めたのだ。
その村からは、パドラのほかに二人の青年がコーサラ国の兵士になるために村を出た。三人とも、奴隷階級から逃れ、兵士になることを望んでの出立だった。

コーサラ国の首都シュラーヴァースティーは、パドラたちにとっては巨大都市だった。その中心にある城には、すでに大勢の兵士希望者が集まっていた。パドラたち三人は、兵士希望者の列に並んだ。彼らの順番が来ると、得意なことを見せるよう命じられた。彼らは自分たちの弓の腕前を披露した。
「ほう、これはすごい。三人ともあの距離を射抜けるのか。よし、お前らは兵士採用だ。すぐに弓部隊に行け」
パドラたちの腕を見た上官兵は、すぐに彼らを採用したのだった。

それから数年がたった。パドラたちが兵士に採用されて3年間ほどは、幾度かの小さな戦争があったが、それ以来は戦争はなく、平和が3年ほど続いていた。戦争に参加したパドラたちも、今では訓練さえしていれば何をしてもいいと言われていた。彼らは、よく街に繰り出し遊び歩いていた。
そんなある日のこと。コーサラ国内で競技大会が開かれることになった。それは、戦争がなく遊び歩いている兵士の気を引き締めるため、また、兵士の腕前を国民に披露するために行われるのだ。競技内容は、穴掘り競争、石積み競争、岩を持ち上げる力自慢、剣技、相撲、やり投げ、石投げ、弓などであった。多くの兵士がこの競技大会に参加することになった。もちろん、パドラたちも弓の部門で参加したのだった。
競技はどんどん進み、会場は大いに盛り上がっていた。そして、いよいよパドラたちが出る弓の競技になった。当然、優勝候補はパドラだった。しかし、彼は優勝できなかった。それどころか、参加した兵士たちの中でも、下から三番目の成績だったのである。つまり、最下位の三人がパドラたちだったのだ。優勝したのは、パドラたちの村出身のものではなく、別の村から来た者だった。
「くっそ、なぜ俺たちじゃないんだ」
競技が終わって、パドラたちは悔しがっていた。
「当然、俺たち三人で1位〜3位まで取るはずだったのに」
「なんかズルいことをしたんじゃないのか、やつら」
「そうだ、きっとそうに違いない。あいつらは、何かインチキしたんだ。くっそ、インチキをあばいていやる」
パドラたち三人は、相談し弓の競技で1位〜3位を取った者たちを襲うことにした。そして、彼らが行ったであろうと思われるインチキを白状させようとしたのである。しかし、襲撃は失敗に終わった。パドラたちは、逆に兵士に捕まってしまったのだ。
パドラたちの裁判が行われることになった。本来ならば、すぐに牢屋に入れられるところだったが、彼らが弓の名手であること、兵隊としては有能であることが考慮され、裁判となったのだ。
その裁判で、プラセーナジット王から
「彼ら三人をお釈迦様のもとに行かせるように」
という進言があった。彼らを見て、国王は気が付いたことがあったのだ。

パドラたちは、縄で縛られ、祇園精舎のお釈迦様のもとに連れられてきた。お釈迦様の前で縄は解かれた。兵士が数人見守る中、パドラたち三人は、初めてお釈迦様に対面した。
「汝ら、どうしたのか?」
お釈迦様がそう尋ねると、これまでのいきさつを付き添ってきた兵士の一人が語った。
「ふむ、なるほど・・・。汝ら愚かなことをしたものだ。ふむ、汝がパドラか・・・。汝は、まだわかっていないようだな」
お釈迦様にそう言われ、パドラは訳が分からず首を傾げた。
「パドラよ、汝は弓が得意だと思っている。他の二人もそうだ。誰にも負けない、そう思っているな」
お釈迦様がそういうと、三人とも大きくうなずいた。
「確かに汝らは、弓の才能はあろう。それも優れた才能だ。しかし、その才能に自惚れて、真面目に訓練しなければ、弓の才能に乏しい者にだって追い越されてしまうだろう。そうは思わないか?」
お釈迦様の問いかけに、三人とも不貞腐れた様子で横を向いたのだった。
「ふむ、では質問を変えよう。汝ら、なぜ弓がうまいのだ?」
その問いには、パドラがぼそぼそと答えた。
「小さいころから、毎日、弓で狩りをしていたからです」
「ほう、毎日のように弓で狩りをしていれば、嫌でもうまくなるな。では、兵士としてこの国に来てからは、狩りはしたか?」
「まさか・・・。この国は、食べ物も豊富ですし、我々も給料がもらえる。食べることに不自由しないから、狩りなぞしません」
「では、弓の訓練はしたのか?」
「まあ、それは・・・適当に・・・」
パドラたち三人は、下を向いてしまったのだった。

「なぜ訓練をしない?」
お釈迦様は、鋭い口調でそう尋ねた。それには、三人とも黙ってしまい、うつむくばかりだった。
「いくら才能があっても、訓練しなければ、腕は落ちるのではないか?」
沈黙が続いた。
「なぜ、訓練しなかったのだ」
お釈迦様の強い口調に、やっとのことでパドラが口を開いた。
「訓練よりも・・・・遊びたかったので・・・。そ、それに・・・」
「それに?」
「それに・・・、訓練程度のことなら、ことさら練習しなくても的に当てることはできるし・・・。それ以上頑張ってみても意味ないし・・・。別に努力する必要もないかと・・・」
「だから、競技大会で負けたのだな?」
お釈迦様の言葉に、三人とも思わず「うっ」と言って顔をあげた。
「競技大会で優勝した者は、初めは汝らよりも腕がなかったであろう。弓の才能も汝らほどではなかったであろう。彼らは、汝らの腕前を見て、汝らに追いつこうと頑張ったのだよ。幾度も失敗し、手が血まみれになるほど努力をしたのだ。壁にもぶつかったであろう。しかし、それでも弓がうまくなるための訓練を怠らなかった。それに引き換え、汝らはどうであろうか?。彼らが訓練をしている間に、汝らは街に出て酒を飲み、女を買い、遊び呆けていた。よいか、いくら才能があっても、すべてうまくいくとは限らないのだ。いつもうまくできるとは限らないのだ。才能だけではどうしようもないこともあるのだ。その才能を生かすためには、日ごろの努力が必要なのだよ。幾度となく失敗を繰り返すであろう、幾度となく壁に当たるであろう。何度もくじけそうになるであろう。しかし、それを乗り越えて、初めて才能が開花するのだよ。才能のさらに上に行けるのだ。汝らは、それを怠った。ならば、ほかの者に抜かれても仕方がないだろう。怠るものは、報われないのだよ」
お釈迦様のきつい叱責に、パドラたちは大きくうなだれたのだった。そして、
「わ、私たちが・・・間違っていました。こ、これからは・・・訓練をしっかりします」
と言ったのだった。
「ふむ、それがよいであろう。競技大会は、毎年行われるそうだ。来年の優勝に向け、しっかり努力しなさい」
お釈迦様の言葉に、三人は大きくうなずいたのであった。


オリンピックも無事に終わりましたね。開催前は、治安が悪いだの、環境が悪いだのと騒がれていましたが、終わってみると大きな被害もなく大成功だったようです。次は、パラリンピックですね。競技は、まだまだ続きます。すべて、無事に終わるといいですね。

それにしても、オリンピックやパラリンピックに出場する選手の皆さん、相当に練習してきたのでしょう。キツイ練習に耐えてきたのでしょうね。もっとも、その競技での才能もあるのでしょうが、才能だけで何とかなるわけではありません。血のにじむような・・・と言いますが、死ぬほどの努力をしてきたからこそ、あの場所に立てるのでしょうな。運動神経、努力とは無縁の私は驚くばかりですな。

壁にあたると人は投げ出したくなります。何度も失敗を繰り返すと、すべてが嫌になります。やる気を失い、どうでもよくなり、あきらめの中に堕ちていきますな。何もかもあきらめたくなって・・・そう人生すらあきらめたくなります。すべてが嫌になってしまうんですよね。
でも、初めから何でもかんでもうまくいくわけはありません。いくらその分野で才能があっても、いつかは壁に当たりますし、いつかはミスや失敗をするものです。才能があっても、初めからすべてできる・・・なんてことはあり得ませんな。
だけど、人は失敗に弱いし、壁にも弱いんですね。失敗してもやり直せばいい、壁は乗り越えなきゃいけない・・・と、頭の隅ではわかってはいるのですが、なかなかやる気が出ません。もうダメじゃないか、これ以上伸びないんじゃないか・・・と不安になりますな。

そうした不安を乗り越えてこその栄光なのでしょうね。誰だって不安はあるし、失敗はするし、壁にだって当たります。たとえ、才能がある・得意分野だとしてもね。苦労してやっと、輝かしい舞台に立てるのでしょう。だから、昔から言います。
「珠、磨かざれば光なし」
いくら高価な宝石であっても、原石のままじゃあ光りません。磨いて磨いて磨きぬいて、さらにカットまで施して輝くのです。
磨かないことには光りませんよね、何事も。
合掌。


第183回
自分は変わりたくないし変われないし、折れるのも嫌だ。
だから、あなたたちが変わればいいし、折れればいい・・・。
そのように一方的に自分の意見を押し付けるのは、暴力である。

「なぜ、俺が折れなきゃいけないんだ?。なぜ、俺が受け入れなきゃいけないんだ?。なあ、どうしてだ?」
ナマスは、大きな声でそう言った。
「お前が折れればいいだろ?。お前が、俺の意見を受け入れればいいだろ?。それで丸く収まるじゃないか」
ナマスは、不貞腐れた態度で話し相手に迫った。
「ナ、ナマス、俺が何をしたっていうんだ?。ちょっと、仕事中にしゃべっていただけじゃないか。それもほんのちょっとだ。それによって、仕事が遅れたわけじゃない。しかも、そのとき、たまたまだろ。いつもしゃべって、仕事をさぼっているわけじゃない。なのに、なんで俺が職場の雰囲気を壊している、あいつは不要だ、って話になるんだ?。なんで、そんなことでここを出ていかなきゃ行けないんだ?」
相手は、ナマスに言い返した。しかし、ナマスは
「間違っているのはお前だ。俺は、お前みたいなやつが大嫌いなんだ。だから、俺の目の前から消えてくれ。ただそれだけだ」
と言い、相手の話を聞き入れることはなかった。
「な、なんだと?。俺のことが嫌いだから、消えろって?。それはないだろ。そんな勝手が通ると思ってるのか?」
「俺はな、お前がうっとうしいんだよ。お前の態度が全部うっとうしいんだよ。ここから消えることができないなら、俺の言うようにしろよ。静かに、隅っこの方で穴でも掘ってろよ。俺の目の届くところに居るな」
「あのなぁ、お前、むちゃくちゃなことを言っているってわかっているのか?。俺は、与えられた仕事を、命じられた場所でやっているだけだ。土手を築くため、石を積めと言われたんで、そうしただけだ。それの何が気に入らないんだ?」
「うるさい。俺は、お前のそういうところが嫌いなんだ。別の場所に移れ」
「勝手なことをいうな。ナマス、お前が別の場所に移ればいいだろ?。どうせ、お前は流れもんじゃないか」
「俺が変わるのは嫌だ。お前が変わればいい」
ナマスにそう言われた男は、「ちっ、こいつ変だ・・・」と言って、その場を離れた。翌日から、その男は、ナマスから離れて仕事をするようになった。ナマスは、いつもこんな調子だった。

ある食堂でのことだった。どの客も楽しそうに語らいあいながら食事をしていた。そこにナマスが一人でやってきた。するとナマスは、
「お前らうるさい。静かに飯を食いたい客もいるんだ。静かにすべきだろ」
と他の客たちに怒鳴ったのだった。怒鳴られた客は、
「楽しく語らいあって食事して何が悪いんだ?。ここはお前ひとりの店じゃないぞ。うるさいのが嫌ならよその店に行けよ」
と言い返した。しかし、ナマスは
「俺はよそへ行くのは嫌だ。だからお前らがよそへ行け」
と譲らなかった。その争いに店主が
「ちょっとお客さん、うるさいのは仕方がないよ。嫌ならよそへ行っておくれ。ここはこういう場所なんだ。よその皆さんに合わせてもらわないとねぇ。それができないなら、一人で家に帰って飯を食えばいいだろ」
とナマスに言ったのだった。しかし、ナマスは
「俺は変わるのは嫌だ。お前らが変わればいいじゃないか。お前らが俺に合わせればいいだろ。俺は、お前らに合わせることができないんだよ」
と話を聞き入れることはなかった。店主も客たちも、「勝手なことをいうな」と叫び出し、結局は街の警護兵を呼んで、ナマスを店から追い出したのだった。
ナマスは、いつもこうだったのだ。自分は変わるのは嫌だ、自分が周囲に合わせるのは嫌だ、といっては騒動を起こすのだった。

ナマスを古くから知る者は
「あいつは、不器用な男だから、仕方がない」
と、あきらめている者もいた。しかし、近所でも多くの者が
「変わり者、頑固で扱いにくい者」
と言って、関わるの避けていた。近所で決まっていること・・・通路の掃除やごみの処理など・・・でも、ナマスは自分が気に入らないことは一切しなかった。ナマスは
「自分が気に入らないことはしない。お前らに合わせることもしない。文句があるなら、お前らが俺に合わせればいいだろ」
と言い張って、決して譲らなかったのである。
こんなナマスだったので、彼は孤独だった。そういう状況にあることを彼は、実は悩んでいた。
「なぜ、俺はいつも一人ぼっちなんだ・・・・」
彼は、自分の行動が、周囲に受け入れられないことを理解できていなかったのだ。

ある日のこと、またナマスが揉めていた。
「お前らが悪いのは、当然のことだろう?。なんで、ここで騒ぐのだ?。静かにできないのなら出ていくべきだろう」
それは、祇園精舎でのことだった。その日は、お釈迦様の法話が午後からある日だったのだ。そこには大勢の人々が集まってきていた。人が大勢集まれば、仲間内でおしゃべりを楽しむ者が出てくるものだ。その日も、あちこちで、おしゃべりを楽しむ者がいた。時折、笑い声も上がっていた。そんな時である。ナマスが
「うるさいな。静かにできないなら出て行けよ」
と叫んだのである。注意されたほうは、すぐに「あぁ、申し訳ない」と謝ったのだが、ナマスは、しつこく注意したのだ。
「お釈迦様の話を聞きに来たのか、それとも騒ぎに来たのか?。どっちなんだ。騒ぎたいだけなら出て行けよ」
ナマスは、顔を真っ赤にして怒っていた。注意された者たちは
「もう静かになったじゃないか。悪かったよ」
と謝っていた。そこにほかの者が
「こういう時はさ、多少騒ぐものもいるんだよ。それこそ、当然のことだよ。それくらいわかっていなきゃ」
と仲裁に入ったのである。それに対して、ナマスが「お前らが悪いのは当然のことだろ・・・」と言い出したのだ。
仲裁に入った者は「まあまあまあ」と言いながら、
「どっちもいけないんじゃないかな。騒いでた方は謝ったしさ。それでいいじゃないか。さっきも言ったが、人が大勢集まれば、話をしたくなるものだよ。お釈迦様が現れれば、自然と静かになることだし。それまでの時間は、仲間内でおしゃべりして楽しんでもいいじゃないか。それくらいは許されるんじゃないか?」
と優しく説いたのだった。しかし、ナマスは
「いいや、お前らが間違っているのは事実だ。俺は、こんな非常識な奴らと一緒に入られない。だから、お前は出ていくべきだ」
と大声で言ったのだった。仲裁に入った者も注意された者たちも
「おいおい、それはないだろ。みんな一緒に話を聞けばいいじゃないか。なぜ、こんなことで、我々が出ていかなきゃいけないんだ?」
とあきれ返ったのだった。しかし、ナマスは引き下がらなかった。
「お前らみたいな非常識な人間を見ていると、ムカつくんだ。反吐が出そうだ。常識を守れないのなら、消えてくれよ」
「嫌なら、お前が出ていけばいいだろ?」
別の声が上がった。ナマスは、そっちの方を見て
「なんで俺が出ていかなきゃいけないんだ?。間違っているのは、こいつらだぞ」
と力込めて言い放った。するとまた別の声が上がった。
「もういいじゃないか。静かに座れよ。もうすぐお釈迦様が来られる」
「いいや、よくない。邪魔者を排除してからだ。俺は、こんな連中と同席したくない」
「なんて頑固なヤツだ。こっちが折れているんだから、素直にそれを聞き入れたらどうなんだ?」
「俺は、頑固じゃない。当たり前のことを言っているんだ。お前らが、その当たり前のことに従えばいいのだ。すなわち、お前らが、俺に従えばいいのだ」
ナマスは、そう叫んだのだった。

「それはあまりにも乱暴な行為だよ、ナマス。それは、一種の暴力だ」
厳かな声があたりに響いた。いつの間にか、お釈迦様がそこに来ていたのだ。
「ナマスよ、汝はナマスであろう?。汝は、言葉の暴力をふるっているのだよ。それがわからないか?」
お釈迦様は、優しくナマスに尋ねた。しかし、ナマスは
「何も暴力は振るっていません。俺は、正しいことを言ったまでです」
「そうだ、ナマス、汝は間違ってはいない。しかし、間違っている」
お釈迦様の言葉に、ナマスは「はぁ?、意味が分からん・・・」とつぶやいた。
「よいかナマス。汝が言ったことは正しい。このような場所でおしゃべりに興じ騒ぐのは良くないことだ。それを注意した汝は正しい。しかし、彼らは謝った。おしゃべりもやめた。ならばそれで終わればいいことではないか?。なぜ、そこから『彼らのようなものと一緒にはいられない、だから出ていけ』となるのだ?。彼らは黙った、謝った、ならばもうどうでもいいではないか」
「ど、どうでもよくありません。俺は、こういう連中が許せない性分なんです。それは変えられないし、変える気もない。俺は自分を変えたくないし、変わりたくないし、自分の主張を曲げたくもないし、折れるのも嫌なんです。ならば、こいつらが、俺以外の人間が変わればいいことだ。こいつらが折れればいいことだ」
ナマスは、お釈迦様にそう言ったのだった。お釈迦様は、ちょっと悲しそうな顔をして
「それが暴力だと言っているのだよ。よいかナマス。自分の主張がいつでもどこでも通るとは限らないのだよ。たとえ、それが正義であり、正しいことであっても、自分が折れなければならないこともあるのだ。それが世の中なのだよ。
『自分は変わりたくない、変えたくない、変える気もない、折れるのも嫌だ、周囲が変わればいい、周囲が自分に合わせるべきだ・・・・』
それはあまりにも横暴で、乱暴な話ではないか。この世の中は、汝が中心で動いているわけではないのだよ。お互いが、お互いの意見を聞き、お互いが譲り合って、妥協しあって、協力し合って成り立っているのだ。他人の言動が許せなくて、それをいつまでも思い続け、相手が自分に従うまで自己主張し続けるのは、それは暴力と同じなのだ。それがわからないか、ナマスよ」
ナマスは、頭を抱えて左右に激しく振ったのだった。

「お、お釈迦様の言葉であっても、俺は・・・・俺は変わらない。変わりたくない。俺は俺である以上、変わるのは嫌だ・・・・。ふん、こんな連中と一緒にはいられない。お前ら出て行けよ」
「そこまで言うか、ナマスよ。では、こうしよう。さぁ、皆の者、我に続け」
お釈迦様はそういうと、祇園精舎の出口に向かった。そのあとを話を聞きに来た人々が続いた。お釈迦様は
「法話は、祇園精舎でなくてもできる。さぁ、あの川の岸に移ろうではないか」
と言って、祇園精舎を出ていったのである。残されたのは、ナマス一人だけだった。彼は、
「うおぉぉぉぉ」
と叫んだあと、どこかへ走り去っていってしまった。


皆さんの相談事を日々聞いておりますと、頑固な人と出会うことがあります。
「どうして私が引っ込まなければいけないんですか?。なんで私が遠慮しなきゃいけないんですか?」
そういう言葉は、よく耳にします。極端な場合だと
「私が変わる必要はないでしょ。あいつらが変わればいいんですよ」
「私は変われません。変わるのは嫌です。あいつらが変わればいいんです」
と平気な顔をして言う方も、たまにいますな。そんな乱暴なことをいう人もいるんですよ。

言っている本人は、乱暴だと思っていないことが恐ろしいところです。本人は、「それが当然だ」という顔をしておりますな。そういう方は、いくら
「状況を変えようと思えば、まずは自分から変わっていかないと、変化は得られないでしょ」
と話しても、
「ならば、あいつらが変わればいいじゃないですか。私は変わるのは嫌です」
となるのです。頑固にもほどがありますが、本人は頑固だと思っていないところが痛々しいんですよね。

「私は変わらない。変わることは嫌です。変わるのは、周囲の人でしょう。なぜなら、私は正しいからです」
いくら自分が正しくても、その状況によっては、自分が折れたほうがいい場合もあります。たとえば、和気あいあいとした職場で、それが気に入らない人がいたとします。仕事になれ合いは不要、と考える方ですな。和気あいあいと・・・と思う方も正しいし、なれ合いが不要・・・と思う方も正しいでしょう。どちらも正しいですな。そうした場合、そこの習慣に従う方がいいと私は思います。なれ合いは嫌だ、みんな黙って仕事をしろ、私に従え・・・などと主張しても白けてしまうだけですな。
小さなことが気になって、その小さなことをが受け入れられなくて、周囲に注意をする人もいます。「そんなことでイチイチ・・・」と思うほどのことでも、気になる人は気になりますな。気になるのはいいのですが、それを注意しますな。しかし、注意されたほうは、それほどのことか?、と思うと、そこに軋轢が生じます。どっちに合わせるのか、どっちが折れるのか、どっちが引っ込むのか・・・。
あまり頑固に自己主張し続け、「自分は折れない!」と言い続けると、周囲の者は、ドン引きしますよね。度が過ぎれば、孤独がやってきます。折れることを知らないものは、最後は孤独になりますな。

自己主張は悪いことではありません。しかし、お互いさま、という気持ちがなければ、世の中やっていけませんよね。「自分は変わるのは嫌だ、折れるのは嫌だ」と乱暴なことを言っていれば、やがては誰も相手にしなくなります。残るのは孤独だけですな。
寂しい人生を送りたいなら、それもいいでしょう。自己主張し、妥協しない自分を貫きたいのならば、孤独であるべきです。それが嫌なら、「お互いさま」という気持ちで、譲り合うべきでしょうね。他を受け入れる心がなくては、他の人とうまくはやっていけませんよね。
合掌。


第184回
縁のない人々は救いがたい。
縁があっても、それを途中で捨ててしまう者も救いがたい。
正しい教えと縁を結んだのならば、最後まで続けることが救いである。
そこはマガダ国の首都に近い霊鷲山であった。お釈迦様は、この山によく滞在をした。その日も、多くの弟子や信者の人々にお釈迦様は、囲まれていたのだった。
「私が覚りを得て仏陀になったばかりのころ。たまたま川沿いの道ですれ違ったバラモンがいた。そのバラモンは
『あなたは光り輝いて見える。また、何かを覚ったようにも見える。いったいあなたは、何を覚ったのか?』
と尋ねてきた。私は
『自分は真理を得た。この世のすべてのことを覚ったのだ』
と答え、私が覚った内容をそのバラモンに説いた。しかし、彼のバラモンはそれを理解できなかったようで、
『ふん、そんなものかなぁ。そんなこともあるかも知れぬ』
とつぶやいて去って行った。その時、私は思った。
『あぁ、縁のないものは、救うことは難しい』
と。
この世には、大勢の人々が生活している。その中で私の教えを聞きに来ることができる者は、一体どれくらいであろうか?。それはほんの僅かである。私と縁のない者の方が、はるかに多いのだ。この世で苦しんでいる、救いのない者の方がはるかに多いのである。そうした縁のない者は、救うことは困難である。
では、縁のある者はどうであろうか?。縁のある者とは、そう汝らのように私の話を聞きに来ることができる人々である。そうした人々を救うことは、容易いであろうか?」
お釈迦様の問いかけに誰も答える者はいなかった。あたりは、シーンとしていた。

「どうだ、シャーリープトラよ」
誰もお釈迦様の質問に答える者がいなかったので、お釈迦様は傍らに座っていたシャーリープトラに尋ねた。シャーリープトラは、一度目を閉じ、よく考えたうえで答えた。
「世尊のもとに話を聞きに来ることができる人々は、世尊と縁のある人々でしょう。そうした者は、世尊の話を一度聞いただけで理解し救われるものもいれば、何度か聞いて理解し救われるものいます。しかし、何度聞いても理解できず、救われないまま終わるものいると私は思います」
「その通りだ、シャーリープトラよ。汝の答えは正しい」
お釈迦様は、微笑んで大きくうなずいたのであった。
「私の話を聞きに来るようになった人々は、縁のある人々である。しかし、その中にもどうしても差があるのは否定できないことだ。私の話を聞き、すぐに理解できたものは、その後も話を聞きに来るであろう。そして、教えの通りに生活し、救われていくのである。
すぐに理解できない者でも、なんとなくわかる気がすると言って、再び話を聞きに来る者もいるであろう。そうした者の中には、二回が三回になり、三回が四回に・・・というように、回を重ねて話を聞きに来る者もいる。しかし、2〜3回話を聞いたが、よく理解できず、『もういいや』といって、あきらめて来なくなる者もいる。回を重ねて話を聞きに来る者の中にも、途中で『もうこの程度でいいだろう』と言って話を聞きに来なくなる者もいる。話を聞きに来る回数に関わらず、途中で教えを聞きに来なくなってしまう者もいるのである。そうした者を救うことは、難しいことであろう」
お釈迦様の言葉に、人々はお互いの顔を見ながら頷きあったのであった。

ふと、その中の一人がつぶやいた。
「そういえば、隣村の甥っ子がよく話を聞きに来ていたんだが、最近は顔を見ないなぁ・・・」
それを切っ掛けに
「あぁ、私の知り合いも、このところ顔を見ないねぇ。そんなに忙しいはずはないんだが・・・」
と、あちこちで同様のささやきが聞こえ始めた。
「そうであろう。この霊鷲山も人々でいっぱいになり、入りきれない日もあれば、数えるくらいの人々しかいない日もある。今日は、その中間くらいであろうか、多くの人々が集まっている。それでも、あの顔を見なくなった、あの人が来ていない、ということがあるのだ。たまたま今日だけ休んだのかもしれない。明日はやってくるかもしれない。しかし、そのまま来なくなってしまうかもしれない。せっかく結んだ縁を捨ててしまうこともあるのだ」
そういうと、お釈迦様は少し寂しそうな顔をしたのだった。
「せっかく正しい教えと縁を結んだのなら、それを途中で捨ててしまうことなく続けること、それが救いの道なのだ。縁のない者は、救いがたい。縁を途中で捨ててしまう者も救いがたい。本当に救われるのは、その縁を大切にし、長く続ける者だけである。
たとえば、出家した者たちでもそうだ。せっかく出家し、仏陀の弟子となったにも関わらず、修業がつらいと言って逃げ出してしまう者は救いがたい。修行を怠って、ダラダラと過ごしている者たち、彼らも救いがたい」
お釈迦様の言葉に、下を向いたり頭をかいたりする弟子が何人か見受けられた。お釈迦様は、彼らの方をチラッと見やり、優しく微笑んだ。
「正しい教え、真理と縁を結び、覚りを得るまで修行を怠らず、長く続ける者、そういう者だけが救われるのである。途中で修行を放棄する者は、救いがたいのだ」

「かつて私の教えを『そんなこともあるかも知れぬ』と言ったバラモンは、今では私の弟子となっている。あの時は縁がなかったが、自分で縁を結びに私のもとへとやってきたのだ。彼は、自ら結んだ縁を大切にし、修行をした。修行を怠らなかった。やがて彼は、覚りを得て長老となったのだ。
縁なき衆生は救いがたい。縁のある衆生でも、その縁を途中で放棄する者も救いがたい。本当に救われるのは、正しい教え、真理と縁を結び、その縁を大切にして、細々でもいいから永くその縁を続ける者たちなのだ。人々よ、せっかくこのように正しい教えと縁を結んだのだから、その縁を大切に思い、その縁を長く続けるようにすることだ。それが救いへの道なのである」
お釈迦様は、そういって目を閉じたのであった。人々は、教えを途中で捨てることなく、お釈迦様との縁を大切にしようと誓ったのであった。


私は、多くの人の相談事を聞くことをしております。そうした人の中には、
「ご先祖の供養を続けられたほうがいいですよ」
という方がいます。そうしたことを言われた人の中には、その言葉に納得されずに帰って行く方もいます。もちろん、
「あぁ、そうですか。そういえば供養はしてないです。やはりしたほうがいいですね」
と御供養をしようと決意される方もいます。そちらの方が多いですね。

御供養をしようと決心した方の中には、自分の菩提寺で供養を断られる方もいます。なぜ、その寺のご住職が供養を断るのか、私には理解できませんが、「必要ない」と言って断られるようです。そういう方、案外多いのですよ。また、事情によって、菩提寺がない方もいます。そうした方たちは、うちの寺で御供養をお引き受けいたします。毎月の合同の供養日に、そうした方は参拝されます。そうした供養の日には、当然のことながら、短いですが法話も致します。供養と法話はセットですな。
ところが、そうした人たちの中でも、長く続く方とそうでない方が出てくるのですよ。

長く供養を続けている方は、皆さんお元気で楽しくやっておられます。法話が終わったあとも、座談会のようにお話をしております。私もその輪に入りますな。お供えのお菓子を皆さんで食べながら、楽しく世間話をします。その世間話の中に、それとなく、あるいは明確に仏教の教えを混ぜて話をします。そうして仏教の教えを聞いて、明るく帰って行かれますな。
途中で来なくなってしまう方は、そうした話を聞かれない方が多いですね。供養の法会が終わると、そそくさと帰って行かれてしまいます。もちろん、忙しくて時間がないのでしょうが、ちょっと残念な気もしますな。ほんのちょっと、ほんの少しの時間を割いて、話を聞くのもいいかと思うのですが、まあ、仕方がないですね。もったいないな、とは思うのですけどね。せめて、話は聞かなくてもお寺へやってくる、先祖の供養をする、そうしたことは長く続けてほしいですね。せっかく縁ができたのですから。

救いを求めて人々はお寺を訪れるのでしょう。そして、そのお寺と縁を結ぶのでしょう。せっかく結んだ縁ならば、できればその縁を大切にしてほしいですね。自分の救いが得られるまで、長く参拝してほしいな、と思います。もっとも、「この寺じゃだめだ」と思って見切りをつけられる方もいるでしょうが、そういう方は、懲りないで自分に合ったお寺を見つけるといいですよね。
縁のない者は救いがたいと仏様は説きます。ならば、縁を結んで、救われるまでとことん仏様と付き合う、それが救いへの道なのでしょう。途中で放棄しないようにしたいですな。
合掌。


第185回
安易な約束はしてはいけない。
約束をすれば、相手はそれが果たされることを期待する。
約束が果たせなかった時、信用はなくなるのだ。
「本当に出来るんだな?」
親方の問いにカータカは
「大丈夫です。期日までに10人の人足を集めてきますよ。俺に任せてください。こう見えても、俺は顔が広いんですよ」
と胸を張って言った。親方は心配そうな顔をして
「本当に大丈夫か?。お前、ちょっと調子いよさそうだからなぁ・・・。いいか、期日までに10人の人足が集まらなければ、川の土手の工事が始まらねぇんだよ。もうすぐ雨期だ。雨期が来るまでに、土手の工事を終わらなければなんねぇ。それが国王様からの命令だ。この川はな、毎年氾濫して多くの死者を出すんだ。だから、今年こそはキッチリ土手を造れっていう命令なんだよ。これに失敗すれば・・・、俺の命はない。当然お前も死刑だ。そこんところ、わかっているよな」
親方は、カータカにその恐ろしげな顔を近づけて言った。カータカは、ひきつった笑いをしながら
「だ、大丈夫ですって、大船に乗った気持ちで待っていてください。期日が来たらすぐに工事が始められるよう、準備をお願いしますよ」
と答えたのであった。

カータカが、土手の工事の親方と知り合ったのは、ほんの数日前だった。カータカは、わけあってマガダ国からコーサラ国へと流れてきたのだった。コーサラ国へやってきたその日、彼は川のそばで難しい顔をして立っていた親方と知り合った。
「どうしたんですか?」
カータカは、親方に声をかけた。
「いやなに、この川の土手の工事をしなきゃいけねぇんだが、人手が足りなくてよ。多くの若者が城の修復工事に駆り出されちまって・・・。早くしないと雨期が来ちまうんだが、困ったもんだ・・・」
親方は、そう言って唸った。カータカは
「まず一人は見つかりましたよね。そう、俺です。あと何人必要ですか?」
と軽やかに言った。親方は、カータカの顔を見て「あと10人はいるなぁ・・・」と言ったあとに
「だけどお前、流れもんだろ?。どこから人足を見つけてくるんだい?」
と問いかけた。カータカは「まあ、任せてください」と言ったのだった。
「お前、約束できるのか?」
親方は、真剣な眼差しでカータカに尋ねた。
「大丈夫ですよ。そんなの軽いもんですよ。約束しますよ。キッチリ、期日までに10人そろえてきますって」
カータカはそういうと、親方から給料なのどの条件を聞いてから、その場を立ち去ったのである。親方はその後姿を眺めながら
「あてにはできねぇが・・・まあ、賭けるしかないか・・・期待しねぇけど、期待しているぜ」
とつぶやいたのだった。

カータカに何か策があったわけではない。彼は、簡単に考えていたのである。
「金が欲しい奴はいくらでもいる。田舎から都会に行きたいと思っているヤツもたくさんいる。
カータカは、コーサラ国周辺の田舎の村に行った。そこで若者を集めようとしたのである。しかし、コーサラ国周辺の村々では、ほとんど若者がいなかった。理由を尋ねると
「みんな、宮中のお城の修復工事に駆り出されていったよ。兵士がやってきてな、若者を強引に連れて行ったんじゃ」
ということだった。村に残っているのは、年寄か肉体労働には向いていない若者だけだったのである。
「あぁ、そういえば、親方もそんな事を言っていたっけ・・・。まあ、いいや、まだ日にちはある。もうちょっと先へ足を延ばすか・・・」
カータカは、マガダ国周辺の村を訪ねた。しかし、彼の思惑は見事に外れたのだった。マガダ国周辺の村も若者がいなかったのである。村の年寄があきれてカータカに言った。
「お前さんは、バカなのか?。それとも世間知らずなのか?。この時期はどこの村でも若者は大きな国に出稼ぎに行くもんだ。マガダ国にしてもコーサラ国にしても、雨期の前に川の土手の工事を終わっておきたいからな。でないと、川が氾濫して人が大勢死んでしまう。この時期は、どこもかも人手不足じゃよ。そんなことは、誰でも知っておるわい。お前さん、人を集めるのが遅すぎじゃよ」
老人は、吐き捨てるようにそう言ったのだった。

カータカは途方に暮れていた。親方と約束をして数日がたってしまったのだ。未だに一人も人足を雇えていない。
「困った・・・。約束の期日は明日だ・・・。どうしようか・・・。逃げてしまおうか・・・。どうせ、知っている人間じゃないし・・・。それとも俺一人だけ行って、頭を下げて謝って、親方と一緒に罰を受けるか・・・。いや、それはないな。それは嫌だな。こうなったら逃げるしかないな・・・」
カータカは、このままトンズラしてしてしまおうと考えていた。
「それはいけないな。そんなことをしたら、あの親方は処刑されてしまうであろう。汝も、その罪の重さを知って、先々苦しむことになる。そもそも、汝は安易すぎるのではないか?」
そう厳しい声をかけてきたのは、修行僧だった。その修行僧は光り輝いていた。しかし、カータカは
「うるさいんだよ。偉そうに言いやがって。俺にどうしろっていうんだ?」
と叫んでいた。
「思いつかないのか?。よく考えるがよい。方法はあるはずだ」
「考えろだって?。いくら考えたってな、若者がいないんじゃしょうがないだろ」
「汝は、こうなることを予測しなかったのか?。もし、人足が集められなかったらどうすべきか?、ということまで考えていなかったのか?。それなのに重要な約束をしてしまったのか?。それはあまりにも安易すぎるであろう。そんなにも簡単に約束したのは、何か根拠があったのか?。自信があったのか?」
修行僧の鋭い問いかけにカータカは腹が立ってきた。
「うるさいって言ってるだろ!。もうあっちに行けよ。俺にかまうなよ。確かに、安易すぎたよ。約束した根拠なんて・・・そんなの、若者なんてどこにでもいるって思ってたし。自信もあったし。それがうまくいかないなんて思ってもみなかったし・・・。そんなこと、誰だって考えつかないだろ?。俺が悪いんじゃねぇ。世の中が悪いんだ。同じ時期に工事しやがって・・・」
カータカは、やけになってそう叫んでいた。修行僧は、大きくため息をついた。

「愚か者よ。なんの考えもなしに安易に約束なんぞしてしまうとは・・・。愚か者としか言いようがない。よいか、約束をすれば、相手はその約束が果たされることを期待する。今頃、親方も内心焦りながらも、汝が人足を連れてくることを期待して待っているであろう。汝は、それを裏切ることになるのだ。そうなれば、汝の信用は落ちていくのだ。汝は、コーサラ国で評判のウソつきになるのだ。汝の安易な約束により、評判のよかった親方が処刑されてしまえば、コーサラ国で汝の居場所はなくなるであろう・・・話は最後まで聞くがよい。マガダ国へ戻ればいい、などと思ってはいけない。すでにマガダ国での汝の評判は悪いのであろう?。だから、コーサラ国へと流れてきたのだ。汝は、マガダ国でも安易に約束をし、それが果たせず、危うくなって逃げてきたのであろう?。どうだ、その通りであろう」
修行僧の鋭い追及に、カータカはたじたじになった。実は、その通りだったのだ。カータカは、お調子者のところがあり、なんでも簡単に引き受け、約束をしてしまうのだ。しかし、その約束が守られたことはなかった。どの約束も果たされることはなく、彼の信用は失墜し、彼はマガダ国にいられなくなったのだ。
「ちっ、なんでもお見通しかよ・・・。そうだよ、マガダ国を追い出されたんだよ・・・。くっそ、ついてねぇ・・・。ま、今度はもっと南に行くかな。南なら、俺の評判も聞こえてこないだろうし・・・」
カータカはそういうと、「俺に関わるな」と言い、歩き出したのだった。修行僧は
「まあ、待ちなさい。先ほども言ったが、方法はまだるであろう。なぜ考えぬ?。なぜ、途中であきらめる?。最後まで考えたらどうだ?。このまま南に行けば、汝はまた同じことを繰り返すであろう。南の国は、野蛮なものが多い。約束を守らなければ、なぶり殺しの目に遭うのだ」
修行僧の言葉に、カータカは立ち止まった。確かにそうである。南に行って、同じように調子よくやっていたら、あっという間に殺されてしまうであろう。カータカはそこにうずくまってしまった。そして
「じゃあ、どうすればいいんだ・・・。どうすりゃいいんだよ・・・」
と泣き出してしまったのだった。そんなカータカに修行僧は
「最後まで責任を果たせばいいのだ」
と優しく言ったのだった。

カータカは、修行僧とともに親方のもとに向かった。親方は修行僧の姿を見て、驚いた。
「こ、これはお釈迦様・・・どうしてこんなところに、なんでそいつと一緒に?」
親方はそう尋ねたが、その言葉にカータカも「お、お釈迦様だったの?」と驚いたのだった。お釈迦様は、
「いや、そこで偶然出会ったのだ。この者が困っていたので、付き添っただけだ」
と答えた。そして、「カータカ、話があるのだろう。早く言うがよい」とカータカに促したのだった。
カータカは、すべてを正直に話した。人足が見つからなかったこと。約束をすっぽかして逃げようとしたこと。お釈迦様に諭されて、ここに戻ったことを話したのだ。親方は
「はぁ・・・そうかい・・・。そりゃそうだよな。俺も馬鹿だったよな。世間知らずのこんな若者に頼んでしまうとはな・・・。まあ、仕方がないお前はどこへでも行くがいい。罰を受けるのは俺一人でいい」
と肩を落として言ったのだった。
「親方、すみません。でも、方法を一つ考えました。成功するかどうかはわかりません。それは約束できません。ですが、やってみます。なので、しばらく待っていてください」
カータカは、そういうと、お釈迦様にむかって一つ頷くと、「では、行ってきます」と言って、走り出したのだった。
1時間ほどしたころ、カータカは10人の若者を連れて戻ってきた。親方はびっくりして、
「どうやって集めてきたんだ?」
と尋ねた。カータカは、
「お城に行って、そこの棟梁に頭を下げて人足を回してもらったんです。必死に頼み込んだら、棟梁もわかってくれて・・・。あきらめないでよかったです」
カータカは、そういうとホッとしたのか、その場に座り込んだのだった。
「カータカよ。これより、安易な約束はするではない。約束をするときは、できるかどうかをよく考えることだ。できないことは、できないと素直に言うがよい。できないことをできると偽って約束をすることは、大きな罪になるのだよ。それを忘れるではない。今後は、何事も慎重にすることだ」
お釈迦様のその言葉に
「はい、わかりました。これからは調子に乗らず、慎重にします。安易な約束はしません」
と誓ったのだった。親方は、
「そんなに簡単に約束していいのか?」
と大声で笑った。カータカは、恥ずかしそうに頭をかいたのだった・・・・。


世の中では、たくさんの約束事が飛び交っています。
「はい、期日までには何とか間に合わせます」
「大丈夫です。次は失敗しないように、ちゃんと指導しますので・・・」
「これを実践すれば、お肌は見違えるようにきれいになります。約束しますよ・・・」
そうして交わされる約束は、果たしてどれだけ実行されるのでしょうか?

その約束が果たされないだろうと、期待していない場合は、その約束が守られなくてもなんていうことはありません。
「お肌キレイになる?。またまた〜、ウソばっかり」
と思っていれば、実際に肌がキレイにならなくても、腹は立たないでしょう。「あぁ、やっぱりね」で終わりです。腹が立ったとしても「もう、二度と行かないわよ」程度ですよね。しかし、ビジネスの場合はそうはいきません。約束を果たせなかった場合、その人の、いやその人が属している会社の信用はなくなってしまいますな。一度失った信用は、そう簡単には取り戻せません。

約束をすれば、相手はその約束が果たされる、守られることを期待します。たいていの場合は、約束が果たされることを信用しますよね。ですから、その約束が果たされなかった時のショックは大きいものとなりますな。当然のことながら、「なぜだ、どうしてだ、で、これをどうするのだ」と追及されます。それが社会のルールですよね。
追及されたほうは、必死に言い訳をしますな。で、今後の対策を告げます。しかし、なかなか相手は信用しませんね。その約束違反が一回目ならば修復は可能でしょうが、2回目3回目となると、信用を回復することは難しいでしょう。世の中はそうしたものです。で、後悔するのですな。「安易に約束なんかするんじゃなかった」と・・・。

なぜ、人は簡単に約束をしてしまうのでしょうか?。しっかりと考えてから、計画を練ってからの約束ならいいのですが、意外に簡単に約束してしまう場面は、よくありますよね。なぜ、そんなに簡単に約束を?、と思うのですが、深くは考えていないようで・・・。
その場の勢い、見栄、断ったら格好悪いから、付き合い上仕方がなく・・・。まあ、安易な約束はそんなものでしょう。しかし、約束は約束です。相手は、その約束が果たされることを期待します。簡単にその約束を破棄することはできません。困ったものです・・・。

困らないためには、安易な約束なんぞしないことです。見栄なんか張らないで、「無理」と言えるようにしたほうがいいですな。「できないことはできない」と、ちゃんと伝えるべきでしょう。そうじゃないと、いつしか信用を失ってしまいます。
安易な約束でも、安易だからと言って侮ってはいけませんよね。
合掌。


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