バックナンバー 38

第186回
世の中は変化している。時代は変わるのだ。
その時代の変化の流れに対応できなければ、
生きにくいどころか孤立することもあるのだ。
「私は反対です。この国には、古来からカースト制度があります。それを遵守しないといけないと思います」
大臣の言葉に、バラモンの司祭が同調した。
「その通りですぞ、国王。カースト制度を無視しては、この国は繁栄しません」
大臣と司祭に諫められたプラセーナジット王は、不機嫌な顔になった。
「そうは言うがな、いい人材はどの階級にも存在している。確かにカースト制度は必要だが、極端にこだわらなくてもいいのではないか・・・」
不貞腐れ気味で国王は、二人に言った。
「いいや、ダメですな。一度、制度を緩めれば、どんどん緩んでしまう。そうなれば、事実上、カーストはなくなってしまうでしょう。それでは、社会の秩序が保たれません」
大臣は、きっぱりとそう言った。
「しかしな、世尊だっておっしゃっているぞ。身分に関係なく、良い人材を登用したほうが国は安定すると。わしは、世尊の意見に賛成なのだがなぁ・・・」
「国王、ゴータマのいうことは、あまり聞き入れないほうがよかろうかと思いますが・・・。彼の思想は、この国の歴史や文化を破壊しようとしておりますからな」
バラモンの司祭は、苦々しくそう言った。さすがにこれには国王も我慢できなった。
「おい、口を慎め。世尊はブッダだぞ。お前は、世尊のようになれるのか?。たかがバラモンの司祭程度で偉そうなことをいうな」
国王の叱責に、司祭は唇をかみしめ
「も、申し訳ございません・・・・。ですが、身分を超えての人材登用は、、私は反対です」
と言って、国王の前を辞したのであった。大臣も
「私も司祭と同意見です」
というと、彼も国王の前から立ち去ったのだった。国王は、「う〜ん」と唸ったきり、考え込んだ。

その数日後のことである。プラセーナジット王から国民に対して、おふれが出た。多くの町の人々が城の周りに集まり、ざわめいていた。
「おぉ、これはすごいことだ。国王は、身分を問わず、優秀な人材を宮中に登用するらしい」
「ど、どういうことだ?」
「いいか、商人の階級でも、農民でも奴隷階級でも、優秀ならば大臣にでもなれるってことだ」
その場にいた者たちは、大きくどよめいた。
「じゃあ、俺たちにも、身分から抜け出す望みがあるってことか?」
「奴隷階級でもいいってことか?」
雇われ人の階級の者たちが「俺もか?」、「雇われから解放されるのか?」などと口々に騒いでいた。その時、城の中から触れ書きがある通りに一人の男が出てきた。それは執務を行う大臣だった。通りの者たちは、一斉に黙り込んだ。
「そうだ、その通りだ。これからは、身分に関係なく、兵士にもなれるし、宮中の掃除の係にもなれる。料理人だって募集する。侍女も募集する。そういうことだ!。くっそ、いまいましい・・・」
大臣は、不貞腐れ気味にそう宣言したのだった。
それは、新たな国の制度が生まれた瞬間だった。こうして、コーサラ国は、カースト制度を緩めたのであった。そのためか、コーサラ国は活気に満ち、ますます繁栄したのだった。

しかし、そうしたカースト制度の緩みに不平不満を持った者たちが宮中にはいた。執務大臣とバラモンの司祭であり、その配下の者たちであった。彼らは、
「国王の時代は仕方がない、しかし、次世代はカーストを復活させねば。そのためには、二人の王子の教育をしっかりしなければならぬ」
と話し合っていたのである。彼らは、その方針に従い、二人の王子・・・ジェータ王子とヴィドーダバ王子・・・にカースト制度の重要性を教育したのであった。
ジェータ王子は、「そんなことどうでもいいんじゃないか。父王の方針は、いいことだと思うぞ」と言い、大臣や司祭の意見を取り入れなかった。ジェータ王子は
「時代は変わってきているんだ。マガダ国だって、他の国だって、身分を問わず優秀な人材を集めて軍隊を強化している。そうでなければ、軍隊は弱るのだ。なれ合いになるからな。競争意識が生まれなければ軍隊は・・・いや、国だって弱っていくんだ。そうだな、司祭だって、低い身分の優秀な者が現れ、その者に司祭の場を奪われるかもな。あははは。大臣だって同じだぞ、気を付けたほうがいいな。自分の立場を守るよりも、自分を磨くことの方が大事だと私は思うがな。あははは」
と、司祭や大臣の意見を取り合わなかった。彼らは、焦った。
「ジェータ王子が国王になったら・・・」
「我々は追放かも知れん・・・」
「ならば、ヴィドーダバ王子を何とかしなければ・・・」
彼らは、弟王子のヴィドーダバに取り入ったのであった。

そのためか、ヴィドーダバは、身分制度に妙にこだわった。そのこだわりを持ったまま、シャカ族の城、カピラバストウに留学したのだった。その際、ヴィドーダバは、自分がシャカ族の奴隷の身分の女から生まれたことを知った。
「なんということだ。父王が身分を問わなかったがために、俺は奴隷階級の女から生まれたのか!。許せん、父も母も許せん・・・。いいや、俺をバカにしたシャカ族すべてが許せん」
彼は、怒りに燃えたのである。そして、父王のもとに押しかけていった。
「父は、何故、奴隷階級の女をめとったのか?。そのせいで、私はシャカ族に馬鹿にされたのです」
涙ながらにヴィドーダバは訴えたのだがプラセーナジット王の答えは
「それのどこがいけないんだ?。お前の母は確かに奴隷階級だったかもしれんが、立派で素晴らしい母ではないか。本当によく気の付く女だぞ。あれほど気配りができる女性はそうはいない。頭もいいし、何よりも美しい。それのどこがいけないのだ?」
というものだった。ヴィドーダバは、そんな父親に涙ながらにいろいろ訴えたのだが、
「身分制度なんぞは、気にするな。あんなものは、国を亡ぼす元だ。過去にこだわるな」
と退けられたのであった。
ヴィドーダバは、兄のジェータ王子はにも同じように訴えたのだが、兄も父と同じであった。
「そんなこと、どうでもいいじゃないか。それよりも、釣りに行かないか?。いい場所があるんだが・・・」
ヴィドーダバは、兄の脳天気さに呆れかえり、自室にこもったのであった。

その後、ヴィドーダバは、父王と母親が旅行に出かけ、兄が釣りに行っている機会を狙い、シャカ族に攻め入った。もちろん、それに大臣も司祭も協力したのだった。その結果、シャカ族は滅亡したのである。
それを旅先で知ったプラセーナジット王は、マガダ国のアジャセ王に救いを求めた。アジャセはプラセーナジット王の願いを聞き入れ、すぐさまコーサラ国に攻め入ることを宣言した。が、プラセーナジット王は、救いを願った晩に空腹に耐えきれず、腐った大根を大量に食べ、食あたりで死んでしまった。しかし、それでもアジャセ国王は、プラセーナジット王との約束を果たすため、コーサラ国へと攻め入ったのであった。
結果はあっという間についた。マガダ国の圧勝だったのだ。ヴィドーダバは、低い階級出身の隊長や士官をシャカ族に攻め入る前に、すべて放逐していた。厳しいカースト制度を復活させることに賛同するものだけで軍隊を構成していたのだ。
シャカ族のような小国相手にはそれで通じた。しかし、マガダ国のような大国には全く通用しなかったのである。マガダ国は、先のビンビサーラ王の時代から、カースト制度は緩んでおり、身分を問わず優秀な人材を集めていた。アジャセ王もそれに倣い、身分を問わず優れた者を登用していた。そのため、軍隊も大臣たちも、優秀なものが多かったのである。カースト制度に胡坐をかき、威張ってばかりいるような軍隊ではなかったのだ。ヴィドーダバが率いる軍隊は、そういう軍隊だった。勝敗の結果は、戦う前から分かっていたのである。

命からがら城から脱出した大臣と司祭、彼らに付き従っていたものは、祇園精舎に逃げ込んだ。
「た、助けてください。我々はマガダ国に追われているんです」
「いいや、コーサラ国の兵士にも追われています。助けてください」
彼らはお釈迦様やその弟子たちが瞑想をしている場に転がり込んできたのだった。
「静かにせよ。今は瞑想中である。邪魔をしてはならぬ」
厳しい口調でお釈迦様は言った。しかし、彼らはそんな言葉は耳に入らなかった。
「そ、そんなのんきな!。せ、世尊は困った人々を救ってくださるのでしょ?」
などと、お釈迦様の足元にすがったのである。お釈迦様は静かに口を開いた。
「汝らのしでかしたことではないか。汝らが責任を取ればよいであろう。ヴィドーダバ王子にだけ、責任を負わすのか?」
お釈迦様の厳しい言葉に彼らはたじろいだ。
「いったい、何がいけなかったんでしょうか?。どこで狂ったのでしょうか・・・」
ふと、大臣が一言そうもらしたのだった。それは、心の奥底にあった言葉だった。
「なぜだかわからぬのか・・・。ふむ、仕方がない」
大きくため息をついたお釈迦様は、大臣たちを眺めたのであった。その眼は、慈愛に満ち溢れていた。

「世の中は流れている。刻々と変化している。諸行は無常なのだ。常に変化しているのだ。それは社会の制度も同じである。時代によって、支配者によって、国の在り方も変化するのだ。国の制度もそれに伴い、変化していくのだよ。しかし、世の中には、その変化に気が付かず、あるいは、変化を拒み旧態を堅持しようと固執する者もいるのだ。そう、汝らのように・・・」
お釈迦様の言葉に大臣らは、身を縮めた。しかし、司祭は
「そうはおっしゃいますが、過去の文化を、あるいは過去から守ら得ている制度を簡単に変えるのは、問題がありましょう。守らねばならないものもあるのです。それは悪いことではないと私は信じておりますが」
と応えたのであった。
「その頑固さがいけないのだ。世の中の流れを見極められず、頑固に過去に固執する・・・。それは、自分たちの立場を守りたいためだけ、そうした個人の小さな欲望のためだけであろう。そんな個人の欲・・・我欲・・・に固執した者が、大きな国を治められるであろうか?。
よいか、よく聞きなさい。なぜシャカ族は滅んだか?。それはヴィドーダバ王子に攻められたからだ。ではなぜ、ヴィドーダバ王子に攻められたのか?。それは、身分制度にこだわったからであろう。
プラセーナジット王は、シャカ族に妃を要求した。姻戚関係により、より連携を深めようとしたのだ。しかし、シャカ族の王や大臣は、プラセーナジット王が身分の低い階級出身だということで、奴隷階級から女性を選び、妃として差し出した。その結果がヴィドーダバ王子を苦しめたのだ。ヴィドーダバ王子は、身分制度にこだわっていた。父王も兄のジェータ王子も、そんなこだわりはなかったのに、ヴィドーダバ王子だけは、なぜか激しく身分制度の堅持にこだわっていた」
お釈迦様は、大臣や司祭らをじっと見つめた。彼らは、その視線に堪え切れず、下を向くしかなかった。
「身分制度にこだわった結果が、シャカ族の滅亡を生み、コーサラ国の滅亡を生んだのだ。もう、コーサラ国は立ち直れないであろう。マガダ国に吸収されることになろう。カースト制度にこだわりなく、優秀な人材を集めたマガダ国、一方、前国王はカースト制度にこだわらず優秀な人材を集めたのに、愚かな大臣と司祭に洗脳された王子により、優秀な人材を切り捨て身分制度を復活させたコーサラ国、どちらが優秀かは、誰にでもわかることであろう。時代の流れ、変化を受け入れることができず、過去の悪しき習慣にこだわった者は、その流れに呑み込まれてしまうのである」
お釈迦様はそういうと、いつの間にか集まってきていた弟子や人々に向かって言った。
「よいか皆の者。世の中は絶えず変化している。時代は刻々と変化していくのだ。時代は流れているのである。その変化や流れを見極められず、過去にこだわり、あるいは自分の立場にこだわり、流れや変化に対応できなければ、生きにくくなるし孤立もしよう。そうして、大きな流れに中に呑み込まれてしまうのだ。よいか、時代は変わる。世の中は変化している。それをよく見極め、その流れに対応していくことが大事なことなのだ。その流れを見極められない者は、このように滅んでいくのである」
大臣や司祭たちは、ぐったりとうなだれてしまった。その彼らに向かってお釈迦様が放った言葉は厳しいものだった。
「汝ら、責任を取りなさい。戦乱を起こした原因は、汝らにもある。シャカ族は責任を取って滅んだ。汝らには、汝らの責任の取り方があろう。さぁ、ここを出るがよい。ヴィドーダバ王子にだけ責任を取らせるのは・・・よくないことであろう」
お釈迦様の言葉に、大臣や司祭らは、ゆっくりと立ち上がり祇園精舎を後にしたのであった・・・。


時代の変化、世の中の流れというものは、いつの世もあります。そうした流れに逆らう者も、いつの時代にも存在します。ただし、それが悪いと言っているのではありません。悪しき流れならば、それを止めるべきでしょうし、逆らうことは大事でしょう。悪しき流れならば、その流れを良き方向に変化させることは、重要なことです。例えば、戦争へ流れそうになったら、それに反対し逆らい、流れを変えようとすることは大切なことですよね。しかし、流れに従ったほうがいい場合も多々あることは否定できません。

今の日本は、男女平等の流れですな。育児だって男性も参加したほうがいい、参加すべきだ、という流れです。結婚生活において男女は平等であるべき、社会生活においても男女は平等であるべき・・・世の中はそう流れております。しかし、その流れに、まだまだついていけない人々は多いのではないでしょうか?

日本は長く男尊女卑的な社会でした。妻は夫に従うもの、妻は家庭を守り、子育てに励み、親を敬い大切にし世話をするもの・・・。妻は夫に逆らうことなく、夫の親にも逆らうことなく、従順になっていればいい・・・。長くそういう習慣が続いておりました。が、今まさに、それが崩れようとしております。
そうした変化についていけない人がいることは、仕方がないでしょう。長い習慣だったのですから。しかし、この流れは止めることはできないでしょう。ならば、受け入れたほうが賢明ですな。その流れに逆らったってバッシングされるだけです。そもそも男女は平等なのですから、男尊女卑的習慣は、なくなって当然なのですよ。逆らうことではありませんよね。ですが、それを受け入れられない世代も存在しているのですな。そういう世代は、頑なに妻に嫁に、過去の習慣を押し付けようとするのです。そこから、世代間の軋轢が生まれますな。それは、流れについていけない世代の孤立化を招く元となるのです。

田舎に行きますと、都会の風潮を決して受け入れず、頑なに自分たちの村の習慣を守ろうとしている地域があります。そうした地域は、当然ながら過疎化してますな。時代の変化についていけない人々が暮らす地域は、孤立しても仕方がないのです。
頭が古い、時代についていけてない、頑固すぎる・・・そう揶揄されるよりも、時代が流れているなら、それがよい変化ならば、その流れに従うのもいいと思いますし、従うべきだと思います。
「わしはわしの方針を変えることはない」
などと自分にこだわっていると、そこには孤独しか存在しなくなります。まあ、それでいいならいいですが、孤独は辛いですし、結局は周囲に迷惑をかけることになりますからね。
頑固もほどほどにしてほしいですな。
合掌。


第187回
他人のことなど、どうでもいいではないか。
他人のことよりも、まず自分のことであろう。
大きなお世話を焼く前に、自分のことを省みるべきだ。
「ねぇねぇ、今日はどこへ行くんですかぁ?」
ケーナは、今日もお隣さんの奥さんが出かける時に家から出てきて、そう尋ねた。
「昨日は、遅かったみたいねぇ。ご主人さんがお子さんのご飯を作っていたようだし。あんな時間まで、一体何をしていたんですかぁ?」
そう尋ねられた隣の奥さんは、ちょっとうっとうしそうな顔をしたが、
「昨日は、仕事があって遅かったんです。前にも言ったと思いますが、私は宮中に勤めているんです。だから、時々遅くなることがあるんです」
「あ〜ら、そうだったの。知らなかったわぁ」
ケーナの言葉に、隣の奥さんは、小声で「ちっ、何度も言っているのに、クソババア」と毒づいた後
「すみません、急いでいるんで」
と一言残し、さっさと行ってしまったのだった。ケーナは
「まぁ、冷たいわねぇ。あぁ〜あ、何か楽しいことはないかしら」
と言いながら、街の方へとふらふら歩いて行ったのだった。

街に出たケーナは、仲間が集まる市場に行った。その市場の中の果物屋の横に椅子を置いてオバサン達が数人集まっていた。
「おはよう、みんな今日も元気ねぇ」
「あらケーナ、今日は遅かったじゃない」
「ケーナ、おはよう。今日は何か面白い話ある?」
ケーナがやってくると、待ってましたとばかりに、集まっていたオバサンたちがケーナに声をかけた。
「あるわよ、あるわよ。どうもね、お隣の奥さんが怪しいのよぉ」
「なになに?、どう怪しいのよ」
「それがさぁ、時々帰りが遅いのよねぇ。毎日、出かけているんだけどね。その帰りが時々遅いのよ」
「仕事で出かけているの?」
「本人はそう言っているんだけどさ、なんかねぇ、嘘っぽいのよねぇ」
「それは怪しいわよ。旦那は知っているのかしら?」
「旦那はさぁ、ちょっとおとなしい人で、帰りが遅くなっても何も言わないみたいよ」
「いつかもめ事が起きるかもねぇ。そうそう、ところで、あの雑貨屋の旦那の話はどうなったの?」
「あぁ、あれね、あれはね・・・」
ケーナは、得意満面で話をした。その話にオバサンたちは、奇声を上げて笑っていたのだった。

「じゃあね、また続きは今度ね」
ケーナはそういうと、果物屋から離れ、市場をぶらぶらした。残ったオバサンたちは、ケーナが去っていくと「ケーナも好きねぇ。すごいわあの人は」などと言って笑っていたのだった。
そんなことはつゆとも知らず、ケーナはふらふらと市場の中を歩いていた。
「おや、あれは雑貨屋のオヤジだ。あんなところで何をしているのかしら」
ケーナは、雑貨屋の主人を見つけると、そのあとを追ったのだった。ケーナの毎日は、このような日々だった。

ある日のこと、また隣の奥さんの帰りが遅いことにケーナは気が付いた。ケーナは、家の中からコッソリと隣の様子を伺った。ケーナの家では、もう夕飯も済ませ、自分の旦那は酒を飲んで半分寝ている。ケーナはヒマだったのだ。
夜も遅くなってきたころ、隣の奥さんが帰ってきた。
「おや、今日は一段と遅い御帰宅だねぇ・・・。おやおや、今夜はケンカになっているよ。こりゃ、面白い」
隣の家では、珍しく夫婦ゲンカが起きていた。大きな声でお互いに何か言いあっている。どうやら、帰りが遅くなったことを旦那が責めているようだった。奥さんも、「仕方がないでしょ」などと応戦している。
しかし、しばらくしてケンカはおさまった。明かりも消えて、どうやら寝てしまったようである。
「ふむ、これは怪しいわ。絶対怪しいわ・・・」
ケーナは、ニヤニヤ笑っていた。

翌日のこと、隣の奥さんが出かけるところを見計らって、ケーナは奥さんに話しかけた。
「昨夜は、ものすごく遅いお帰りだったようですね。ご主人さんも大変ねぇ」
隣の奥さんは、
「あなたもヒマね。毎日、うちをのぞき込んでいるの?。うっとうしいったらないわ。失礼、今日から宮中に泊まり込みなんで、当分帰りませんから。先に言っておきますね」
とキリキリした声で言ったのだった。ケーナは、ちょっと呆気にとられたが、急にニヤニヤしだし、市場に向かって駆け出して行った。

ケーナが市場でバラまいた噂話は、あっという間に市場に広まっていった。ケーナの隣の奥さんの不倫疑惑に、市場の雑貨屋のオヤジの浮気疑惑が、あっという間に市場に広まったのだ。噂は噂を呼び、不倫疑惑・浮気疑惑は、疑惑でなくなってしまっていた。そのため、市場の雑貨屋やケーナの隣の家には、噂好きの人々が多く集まってしまったのだった。市場もケーナの家の隣も大騒ぎになってしまった。
雑貨屋の主人は、
「誰だ!根も葉もない噂を流したのは!。毎日出かけていたのは、特殊なカゴを作ってもらっていたからだ。そんなことは、女房も承知していることだ。浮気なんてもんじゃねぇ。さぁ、ささっと帰ってくれ。商品を買わないならさっさと帰れってんだ!」
と怒鳴り散らしていた。雑貨屋の女房も出てきて、「主人の言う通りですよ」と言っている。そこに、カゴ職人も駆けつけてきて、雑貨屋の主人の擁護をしたのだった。集まっていた人たちは、
「なんだ、ウソかい。つまんねぇ噂を流しやがって・・・。誰だよ、まったく・・・」
などと愚痴りながら散っていったのだった。ところが、ケーナの隣の家はそうはいかなかった。多くの人が、家の中を覗き込んでいたのだ。
「いるか?、噂の奥さん。ものすごく別嬪らしいじゃねぇか」
「おぉ、俺も聞いたよ。なんでも、金を積めば相手をしてくれるらしいな」
「遊女なんか問題にならなくらいの美人だそうだ」
話が相当ずれてしまっていた。ケーナは、大騒動になっていることに、ちょっと慌てたが
「でも、面白いからねぇ。おや、集まっている男たちの中に知っている顔があるじゃないか。あぁ、あれは・・・あの人の旦那じゃないか。好きだねぇ・・・」
と笑っていたのだった。しかし、あまりの騒動に街を守る兵隊がやってきた。噂の元となったケーナは捕らえられてしまったのだった。

ケーナは、お釈迦様の前に座らされた。お釈迦様が尋ねた。
「ケーナよ、なぜあなたがここにいるかわかるかい?」
ケーナは、あたりをキョロキョロ眺めた後、首を横に振った。
「ケーナ、汝は、根も葉もない噂を流した張本人であろう?」
ケーナは、オドオドしながら、首を縦に振った。
「汝の隣に住む奥さんが、国王に汝のことを訴えたのだよ。だが、重罪ではないので、国王が私に説教をしてくれと頼んだのだ」
ケーナは、そう聞いてもまだオドオドしていた。
「まあ落ち着きなさい。汝の隣の奥さんは、本当に宮中に出入りしていたのだ。仕事でね。国王の母親の看護を頼まれていたのだ。彼女は、薬草に詳しくてね、宮中の医者の推薦を受けて、国王の母親のために薬を作っていたのだよ。そのため、帰りが遅くなることもあった。また、最近、国王の母親の調子が悪くてね、泊まり込みで看護しなければいけなくなった。そういう事情を汝は知っているのか?」
お釈迦様の言葉に、ケーナは真っ青になってしまった。そして震えながら、彼女は首を横に振った。
「そういう事情も知らずに、汝は噂を流したのか?。無責任に?。面白半分に?。それがどういうことだかわかるか?」
ケーナは、その場に泣き崩れたのだった。

「ケーナよ、なぜ他人のことを気にするのだ?。他人のことなどどうでもいいではないか。汝に関係のないことであろう?。他人が汝を責めるのか?。他人が汝に危害を加えるのか?。どうなのだ?」
お釈迦様は、ケーナを問い詰めた。しばらく泣き崩れていたケーナだったが
「す、すみません・・・。私は何ということを・・・。私は、どうしても他人のことが気になってしまって・・・、それでついつい・・・」
「他人のことが気になったとしてもだ、それを言いふらすことはないであろう?」
「そう・・・そうですよねぇ・・・。でも、みんなが喜んでくれるので・・・・。噂話をすると、みんな喜んでくれたんですよ・・・」
「だからと言って、ウソを言うのは良くないことではないか?」
「はぁ・・・。その・・・ついつい大袈裟になってしまいまして・・・・。本当に申し訳ございませんでした」
そういうと、ケーナは頭を地面にこすりつけたのだった。
「頭を下げるのは私にではないであろう。お隣の奥さんやその家族と雑貨屋の御主人とその家族であろう」
「はい、その通りです。すぐに謝りに行きます」
「そうだな、そうするがよい。よいかケーナ、他人のことなどどうでもいいのだよ。困っていると相談されたら助けの手を伸べるのは良いが、そうでないなら放っておけばよろしい。ましてや、他人の家の中をのぞき込んだり、後を追ったり、そんなことはすべきではないことだ。よいか、そんな暇があるのなら、自分のことを優先せよ。他人のことよりも、まず自分であろう。自分のことすらしっかりできていないのに、他人のことを気にするヒマなどないであろう。まずは、自分のことを省みることだ。毎日、毎日、昨日の自分はどうであったろうか?、と振り返り、自分を正すことが肝心であろう。わかったかね?」
お釈迦様の言葉に、ケーナは深々と頭を下げ、
「よくわかりました。これからは他人のことを気にしないようにします。自分を磨くことに専念します。早速、これから謝りに行ってきます」
そういうとケーナは、ゆっくりと立ち上がったのだった。そして、トボトボと精舎を出て街の方へと歩いて行ったのだった。


人は他人のことが気になる生き物だと思います。学校内、会社内、仲間の集まり・・・人が集まれば、必ずと言っていいほど、他人の噂話が始まることがありますよね。それほど、人は他人のことが気になるようですね。特に芸能人関係のツイッターなどは、下手するとすぐに炎上します。どうでもいいことでね・・・。

まあ、確かに他人のことは気になる方は多いでしょう。特に仲間内とかご近所などでは、他人のことを噂するオバサン達はよく見かけますよね。よると集まって噂話に興じる・・・。まあ、あまりいいものではありませんが、それがストレス解消になっているのかもしれません。しかも、きっと本人は悪気はないのでしょうし。他人のことは、勝手なことが言えますからね。

ですが、私は思います。他人のことなんてどうでもいいじゃないか、と。芸能人のニュースなどを最近は、普通のニュース番組の中でもやっておりますが、あんなのはどうでもいいですな。ましてや、芸能人のツイッターもそうですが、一般人のツイッターなんぞは、本当にどうでもいいですよね。あれは自分の思ったことなどを勝手に書いているだけですから、他人がとやかく言うことではないでしょう、と私は思っております。どうでもいいことですよね。お釈迦様も、
「他人のことよりも自分のこと」
と説いておりますな。そりゃ、当然です。でも、最近は、他人のことをちょっと気にし過ぎというか、他人のアラ捜しをしすぎなようにも思いますな。で、ちょっと何か怪しいことがあると、鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立て炎上・・・となるのですな。他人のことなんか放っておいて、自分の楽しみを追求すればいいのに、と思いますな。

他人のことなんて、自分には影響がないのですから、放っておけばいいことですよね。影響があるなら問題にすべきでしょうが、どうでもいいことなら放っておくべきでしょう。それよりも、自分のことの方が大事です。自分がしっかりできていないのに、他人のことなどとやかくは言えませんな。まずは、自分です。自分がしっかりしなきゃいけませんよね。自分を省みる、それが大事です。
合掌。


第188回
身分や家柄、職業にこだわる者。家の世襲に執心する者。
そして、その事で悩み苦しむ者。
彼らはトゲのついた縄で縛られているようなものだ。
お釈迦様がいらした当時のインドは、現代よりも厳しいカースト制度の社会であった。コーサラ国の王やマガダ国の王は、身分を問わず兵隊や宮中の仕事をするものを採用したが、それでもカースト制度は確実に社会に浸透していた。
そのカースト制度は、バラモンを頂点とし、その下に王侯貴族階級、さらにその下に商店主や農園主などの経営者階級、その下は雇われる者たちの階級、そしてその下に奴隷階級があった。身分や職業は世襲であり、基本的にその身分から抜け出すことはできなかった。つまり、子々孫々バラモンはバラモンであり、王侯貴族は王侯貴族であり、経営者は経営者であり、雇われ者は雇われ者であり、奴隷は奴隷なのである。ただし、国が戦争などで滅んだ場合は、王侯貴族が奴隷になることもあるし、経営者が何らかの原因で破産した場合もその経営者が奴隷になることもある。そうした場合、どさくさに紛れ、雇われ者や奴隷から雇う側へ、あるいは支配者階級へと、のし上がる者もいないわけではない。しかし、国が平和であるときは、そのような機会は巡ってくることはない。また、国の交代も大きな戦争がないままに終われば、身分の交代などはないことであった。基本的に、戦争は兵隊が行ったからである。一般の者たちは、国が変わろうが、国王が変わろうが、あまり影響がなかったのだ。従って、己の身分が簡単に変わるということは、難しいことだったのである。

「ダメだ。お前は我が家にとっては大事な娘なのだ。嫁いでこの家を出ることは許さん。必ず養子をとるのだ。婿を迎えるのだ」
「お、お父様、私はそんなの嫌です。私には愛する人がいるのです」
「その者の身分は?、家柄は?、財産は?、どうなのだ。我が家へ婿養子に来れるのか?。それをわしは問うておるのだ」
「み、身分は・・・・言えません」
「言えないような身分なのか?。お前はこの家を何だと思っているのか?。代々、大臣を勤めてきた家柄だぞ。その事がわかっているのか?」
「代々と言っても・・・ほんのわずかな期間ではありませんか?。この国歴史はそんなに古くはありません」
「バカモノ!、この国ができる前から、我が家は王侯貴族の身分だったのだ。この国の前の国でも、その前の国でも、その前でも・・・ずーっと我が家は王侯貴族の身分なのだ。このことは、神が決めたことなのだ。だから、それを我々は守り続けていかねばならないのだよ。そんな大事なことが、お前にはわからないのか」
「そ、そんなこと・・・単なる言い伝えでしょ。本当のところはわかりませんわ。証拠がありません」
「えぇぇい、もうよいわ。お前なんぞ、出て行け。あぁ、顔も見たくない、さっさと出て行け。どうしても身分の低いものと結婚をするというのなら、もう二度とこの家には帰ってくるな。わかったな!」
それは、コーサラ国の大臣の屋敷から聞こえた声だった。たまたま、その日、国王から食事の接待を受けていたお釈迦様と高弟たちは、その声を聞いてしまった。お釈迦様は、
「何と哀れなことよ。家柄や身分などどうでもいいことなのに。彼らは恐ろしいトゲのついた縄で固く縛られているのだ。それに気付かないとは・・・愚かなことである」
とつぶやいて、悲しそうな目をして宮中を出たのであった。

シャーリープトラが托鉢をしていた時のことである。ある家の中から大きな怒鳴り声が聞こえてきた。
「いいか、お前はこの家の大事な跡取り息子なんだぞ。それが婿養子に行きたいなんて!、それがどういうことかわかっているのか!」
「わかっているよ、そんなこと。だけど、俺はこの家は嫌なんだ。親父の仕事も嫌だ。確かに、うちは大きな農園を経営していて、裕福だよ。だけど、俺は農園は性に合わないんだよ。俺はね、もっと自由に生きたいんだ。なんで、家に縛られなきゃいけなんだ。いいじゃないか、俺がいなくても農園はやっていけるだろ」
「バカモノ!。確かに、今は農園はやっていける。だがな、わしもそのうち死ぬんだぞ。その時、この農園はどうなるというのだ。わしの父親から、いや、おじいさまから、いやいやその前の御先祖様から引き継いだ農園だぞ。それをお前は・・・捨ててしまうというのか?」
「身分ごと売ってしまえばどうなの?。自由になれるよ」
「この大バカモノが!。いいか、この国は身分が大事なんだ。お前が大きな顔をしていられるのも、農園経営者の息子だからだ。そうじゃなきゃ、安い賃金で働かされたり、奴隷になるしかないのだぞ。それでもいいのか」
「わかってないな。別に俺はそれでもかまわないけどな。あのね、俺が結婚をしたい相手は、身分が上なの。王侯貴族階級。そこへ養子に行きたいの」
「な、なんだと・・・。お、お前、そんなこと・・・・許されるはずがないだろ。おいおい、相手は誰・・・いや、どなただ。下手をすると、殺されてしまうぞ。わかっているのか・・・」
「わかっているよ。そうだなぁ、場合によっちゃ、俺も彼女もこの家のみんなも・・・殺されるかもね。あの大臣、頭固いからな・・・。我が家の家柄は!とか、我が家の身分は!とか・・・。バカみたいだ。プラセーナジット王だって、『身分など関係ない、能力が大事だ』って言っているのに、その配下の大臣があれじゃあねぇ、コーサラ国も危ないかもね。そこへ行くと、マガダ国のビンビサーラ王は、配下の者も身分を問わないと言っているからな。立派だよな」
「バ、バカモノ、それは国王の手前だけだ。マガダ国だって、いまだに厳しいカースト制度がある。この国と変わらんさ。それにしても・・・お前は死んでもかまわないというが、わしはそうはいかん。この農園を・・・先祖から受け継いできているこの農園をわしの代で失くすわけにはいかんのだ。困ったことになった・・・」
怒鳴り声はなくなり、代わりに「あぁ、困った困った」という嘆きの声が聞こえてきたのだった。シャーリープトラは、思わずその家の玄関を開け、
「そんなに悩んでいるなら、お釈迦様に相談されてはいかがですか?」
と告げていたのだった。

一方、コーサラ国の大臣の部屋では、大臣が
「あぁ、困った困った。このままでは、この家が絶えてしまう。家が絶えるのは、重大な罪だとバラモンが言っていた。神に背く行為だと・・・。そもそも神が与えた家と身分なのだ。それを捨ててしまい、家を滅ぼすとは・・・。あぁ、どうすればいいのだ・・・このままでは、我が家は地獄行きだ」
と悩み苦しんでいた。その様子を伝え聞いた国王は大臣を呼びつけ
「何か悩み事があるそうだな。どういうことなのだ?・・・言いたくないことか・・・。ならば、お釈迦様のところへ行ったらどうだ。世尊にすべてを打ち明け、どうすればいいのか尋ねてみよ」
と命じたのであった。

お釈迦様の前には大臣と妻と娘、そして農園の経営者と妻と息子が座っていた。
「あぁ、あなたは・・・」
「あっ、君は・・・、こんなところで・・・偶然か?」
なんと、大臣の娘が恋していたのは、農園の経営者の息子だったのだ。そのことを知った大臣は、
「お、お前が娘をたぶらかしたのか!。ゆ、許さんぞ!」
と農園の経営者の息子に掴みかかったのだった。
「お前、大臣の身分が欲しいんだろ!、だから、娘を騙したんだろ!」
「ち、違います。私は、娘さんを愛しているのです」
「う、うるさい!、ウソを言うな。正直に言え。大臣の座が欲しいのだろ、我が家の身分と財産が欲しいのだろ」
それを聞いた農園の経営者も黙ってはいなかった。
「大臣だからと言って、言っていいことと悪いことがある。あいにく、我が家は裕福なんだ。大臣なんぞの家よりも、財産はあるわい!。こんな大臣の娘なんぞ、こっちから願い下げだ!」
「な、なんだと!、もう一遍言ってみろ。身分が低いくせに!。えぇい、こうなったら、兵隊を呼べ。こいつらを牢屋にぶち込んでやる!」
お釈迦様の前で、大臣と農園の経営者、その息子が取っ組み合いのけんかを始めたのだった。

「いい加減にしないか!」
その声は大きな声ではなかった。しかし、世の中のすべてが止まってしまうような、そんな威厳のある声だった。大臣もその娘も、農園の経営者もその息子も、彼らの妻たちも一瞬で黙り、声のしたほうを見た。その途端、彼らは
「す、すみません、お釈迦様」
と叫んで、お釈迦様の前にひれ伏していたのだった。あまりにも、お釈迦様の姿が神々しくもあり、恐ろしくあったのだった。
「愚か者よ!、一体何を争っているのだ。事情を説明しなさい」
お釈迦様からそう言われ、大臣、その娘、農園の経営者、その息子が代わる代わる話をしたのだった。すべてを聞き終えたお釈迦様は、大臣に尋ねた。
「大臣よ。もし、コーサラ国が滅んだとしたら、汝はどうなるか?」
「あっ・・・えぇっと・・・そうですね・・・おそらくは、この身分ではいられないかと思いますが、もし、コーサラ国を支配した国が許すのであれば、身分はこのまま・・・になるのではないかと・・・」
「そんなことがあり得るかね?。汝らも、コーサラ国の前の国を滅ぼして、今があるのではないか?」
「はぁ、まあ、そうですが・・・」
大臣が言いよどんでいると、その娘が「どういうこと?」と聞いたのだった。
「教えてあげよう。コーサラ国は、プラセーナジット王が前の国を滅ぼしてできた国だ。プラセーナジット王は、一兵隊だった。身分の低い兵隊だったのだよ。そのプラセーナジット王に従ったのが、今の大臣たちだ。つまり、一兵隊に従った、単なる兵隊仲間だったのだよ。たまたま、プラセーナジット王が、そうした兵隊を引き連れ、隊長となり、前の国を滅ぼして新たな国を創ったため、初めに従った仲間の兵隊たちが大臣になったのだ。そうだね、大臣」
そう言われた大臣は、横を向いて黙ってしまった。娘は、「ウソつき!、代々大臣っていったじゃないの!」と叫んで、泣き出してしまった。農園経営者は、そら見たことかと大笑いしたのだった。
「ふん、そんなことだろうよ。それに引き換え、我が家は代々農園経営者だ。成り上がりのどこかの大臣とは大違いだ。わはははは」
「黙りなさい!」
お釈迦様がピシャリといった。一瞬で、そこにいた人たちは、凍り付いたようになったのだった。
「農園経営者と威張ってはいるが、元は奴隷の出ではないか。もう誰も知らないであろうが、汝の祖父は、プラセーナジット王が前の国を滅ぼしたときに、どさくさに紛れ、汝の祖父を雇っていた農園主を殺して、それを乗っ取ったのであろう?。そんなことくらい見抜けないとでも思ったのか?」
お釈迦様の言葉に、農園経営者は真っ青になった。途端に、その息子が「なんだって?、それは本当か」と詰め寄った。
「大臣にしても、農園経営者にしても、汝らは今の身分は転がり込んできた、もしくはどさくさにまぎれて奪ったものじゃないか。いや、汝らだけではない。今、王侯貴族だ、経営者だ、と威張っているものの多くは、いわば略奪者なのだよ。奪われた者たちが、雇われの身分や奴隷階級になってしまっただけだ。彼らの多くは、元は王侯貴族であり、支配者であり、経営者だったのだよ。
よいか、世の中は無常である。すべては移り変わっている。身分の高い者もいつかは下に落ちるし、身分が低い者もいつかは上に上がることもある。バラモンも同じだ。バラモンと威張ってはいるが、その過去を遡れば、怪しいものである。悪事を働かずして、初めからバラモンであった家は、皆無と言っていいのではないか?。家柄や身分など、そんなものなのだよ。そんなもの、全く意味をなさないものだ。それよりももっと大事なことがあるであろう?。それがわかるか?」
お釈迦様は、厳しく問うたのだった。

彼らは、黙り込んでしまい、何も答えられなかった。そんな時、ふと大臣の娘が
「大事なことは・・・その人の行動や言葉、態度・・・じゃないでしょうか?」
と言ったのだった。その答えを聞いて、お釈迦様は、
「その通りだ。汝は、よく考えている」
と微笑んだのだった。
「立派な人間とは、家柄がいい人間ではない。身分が高い人間でもない。、財産がたくさんある人間でもない。その人の行動や言葉、態度が清く正しくあるかどうかが問題なのだ。いくら家柄がよくても、身分がよくても、財産があっても、威張り腐って、大きな態度で周囲のものを威圧したり、汚い言葉で罵ったり、見下げたり蔑んだりバカにしたりする者は、人として最低の人間である。家柄が悪くて、身分が低くて、財産もなく、さらに行いも悪く、犯罪を犯したり、言葉も汚く、周囲の注意も聞こうとしない者も最低の愚か者である。身分にかかわらず、家柄も気にしないで、財産も何とも思わず、いつもさわやかで、清らかな態度で、周囲のものを癒すような言葉を発し、誰も恐れさせず、穏やかに健やかに生活を送っている者、そういうものこそが立派で尊敬されるものである。
家柄や身分、財産などに悩まされ、また世襲にこだわり、悩み苦しみんでいる者は、トゲのついた縄で縛られているような、哀れな者なのだよ。そう、汝らのような者たちだ」
お釈迦様は、そう言って、大臣たちを見回した。そして、厳しい目をして
「さて、汝らどうする?。これでもまだ、身分や家柄や財産にこだわり、また世襲にこだわるか?。御家大事で息子や娘の幸せを壊すか?。さあ、どうするのか?」
と迫ったのだった。

農園経緯者の息子が言った。
「親父よ、元々奪った農園なんだろう。だったら、初めから無かったも同然じゃないか。俺は、彼女と一緒になる。農園の後継ぎは、優秀な働き者に任せればいいじゃないか。俺を自由にさせてくれよ」
大臣の娘が言った。
「私も自由になりたい。宮中で窮屈な暮らしをするのは、もう嫌なの。父上も、大臣職を辞めて、自由になればいいのよ」
農園経営者も大臣も唸っているばかりだった。が、しばらくして大臣が
「世尊よ、私は大臣の職を辞して、隠居しようと思います。幸い、妻と二人だけならなんとかやっていけるだけの蓄えはあります。いや、いずれ出家してもいいかもしれないですし。なんだか、虚しくなってきました。家や職業にこだわるのは、本当に愚かしいことですな。はぁ・・・。私は何を今まで頼って生きて来たのか・・・。職業も家柄も、そんなものは頼りにはならないのに。バカバカしいことでした・・・。そうですな、大臣を辞めて、しばらく妻と旅にでも出ますよ。だから、娘はもう自由です」
そう宣言したのだった。そして、農園経営者も
「もういい、よくわかった。結局、奪ったものは奪われるものだな。いや、返すのか・・・。よし、わかった。息子よ、お前は自由だ。どこでも好きなところへ行き、好きな職業に就くがいい。ただし、今までのように金銭的に余裕があるわけではないぞ。その覚悟を持つことだ。決して、彼女に苦労させるではない。わかったな。・・・世尊、私もちょっとゆっくりしようと思います。そうですな、妻と二人で私も旅にでも出ようかと思います。ほとほと疲れましたわい。いったい、私は何にこだわっていたのか・・・。後継ぎとか、身分とか・・・虚しいだけですな」
と涙を流して言ったのだった。
「汝ら、よく理解をした。それでいいのだよ。汝らは、見事にトゲのついた縄から解放された。それでよいのだよ」
お釈迦様は、優しくそう言い、大臣や農園経営者の決意を讃えたのであった。


平成の世の中であるのに、いまだに家柄や身分、世襲にこだわる家があることに私は驚きます。もちろん、相手の家庭がとんでもなく汚く、家族がちょっとおかしいぞ、というのなら、敬遠したくもなりますけどね。そうした極端な場合は除いて、家柄や身分、職業、世襲にこだわるのは、どうかと思いますな。

例えば、お子さんが女の子しかいなかった場合、親は「いずれは養子を」と思うのは、まあ仕方がないでしょう。できれば養子が欲しい、家を存続して欲しい、と思うのは人情ですな。お子さんが、男の子が一人しかいない場合でも、その子が婿養子に行くとなると、「おい、ちょっと待てよ」と言いたくなりますよね。それもよくわかります。また、相手の家柄や職業や家庭環境などを気にするのも、親としては当然でしょう。しかし、そうしたことで、親が気に入らないからと言って、お子さんたちの権利を奪っていいものかどうか、となると話は別になりますな。

本人同士が気に入っていて、お互いに幸せになろうと決しているカップルの仲を引き裂く権利は、親と言えどもないでしょう。「あんな家柄のヤツ」とか「どこの馬の骨かわからんヤツ」などというセリフは、今じゃあ理解されませんな。あるいは、「うちの家はどうなるのだ、誰が後を継ぐのだ」とか「家を潰す気か!」などと怒るのも時代錯誤の話ですよね。「我が家は先祖代々・・・」と威張ってみたところで、そうたいした家柄ではありませんな。また、たいした家柄であったとしても、それは先祖の功績であり、現在の人の功績ではないですよね。存続すればいい、という話ではありませんな。家柄を重んじこだわったあげく、廃れていった家系がいったいどれほどあることでしょう。そんなことにこだわるのは、愚かしいことですよね。体裁や見栄、世間体にこだわり、現実を忘れているにすぎないのです。大事なことを見落としているのですな。

大事なことは家柄や身分、職業、世襲、と言ったことではありませんね。本人たちの気持ちです。また、その人たちの行動や言葉遣い、態度が問題でしょう。お互いの家庭の環境が大事なのですよ。暴力的でない、言葉遣いが優しい、穏やかな家庭だ、楽しい家庭だ、マナーをわきまえている・・・・。そうしたことが大事なことでしょう。家柄とか身分とか、出自とか、後継ぎとか、そうしたことにこだわっていては、本質を見落としてしまいます。
どうせ、大した家柄じゃないんですから、お家存続だの、身分がだの、家柄がだの、どうでもいいことですよね。トゲのついた縄に縛られないで、もう少し柔軟な心を持って欲しいですな。
合掌。


第188回
何かを成し遂げるに近道はない。
また、秘法も魔法も術もないのだ。
成果を得るには、一歩一歩努力することが早道なのだ。
ガンターは、若い修行者であった。彼は子供のころから聖者にあこがれ、大人になったら家を出て、修行者になると決めていたのだった。
彼は、18歳になるとさっさと家を出て、とある聖者と呼ばれる行者のもとに弟子入りした。しかし、一カ月もしないうちに
「ここにいてもダメだ」
と言って、そこから飛び出してしまった。そのあとも何人かの聖者のもとで修行をしたが、
「いい指導者がいない」
と言って、どこも長続きしなかったのだ。行き場がなくなった彼は、街をぶらぶらしていた。そんな時、妙に落ち着いた修行者が歩いているのを見たのだった。

彼は、その修行者の後を追った。やがて、その修行者は、精舎へと入っていった。
「あっ、ここは・・・確か祇園精舎とか言われるところか・・・。そういえば、俺は伝統的な宗教者のところばかり行ってたなぁ・・・。歴史のある聖者のほうがいいと思ってたんだよな。ふん、ここは確か新進気鋭の聖者とか言われている、シャカとかゴータマとか言われる聖者の精舎だったよな。自分をブッダとか言っているそうだが・・・。よし、どんな聖者か見てやろう」
そう言ってガンターは精舎の中に入っていった。

「あなたは、どなたですか?」
精舎の掃除をしていた修行者にガンターは声をかけられた。
「はい、私はここで修行をしたいのですが、どうすればいいでしょうか」
ガンターはそう答えた。掃除をしていた修行者は、彼をさっそくお釈迦様の元へと案内した。
お釈迦様は、彼の話を聞き、
「怠らず修行に励むがよい。では、シャーリープトラ長者の元で修行せよ」
と、その場でガンターの出家を認め、シャーリープトラに指導を頼んだのだった。
すぐにやってきたシャーリープトラを見て、ガンターは驚いた。それは、彼が後を追いかけた修行者だったのだ。
彼は、その事に感動した。運命的なものを感じたほどだった。彼は、修行に励むことを誓ったのだった。

しかし、三カ月ほどたったころ彼は悩み始めた。
「確かに世尊は立派だ。きっと本当に悟っているのだろう。ブッダであるのも間違いないと思う。シャーリープトラ尊者も確かに優れた聖者だと思う。教えてくれることは、すごくよくわかる・・・。だけどなぁ・・・。どうも俺は悟れないんだよなぁ。こんなに一生懸命に修行をしているのに・・・。もっと方法があるんじゃないかなぁ。シャーリープトラ尊者は、すぐに悟ったとか言ってたし、モッガラーナ尊者もほかの長老も、みんな早く悟っている・・・。きっと、何か秘策があるんじゃないかな・・・」
彼は、大きな木の下で瞑想をしながら、そう考え始めていたのだった。やがてそれは、
「絶対秘策があるんだ。長老たちはそれを隠しているんだ」
と思い込むようになってしまった。また、
「指導の仕方が悪いんじゃないか。秘策を隠しているから、ちゃんと指導してくれないんだ。あぁ、そうか、秘策を与える前段階なのかもしれないな。俺の様子を見ているのか?。くっそ、だったら、もう十分だろ。もし、俺に秘策を受ける資格がないというのなら、それは尊者の指導力不足だ。そうだ、明日、シャーリープトラ尊者を問い詰めてみよう」
と決めたのだった。
彼がしていたものは、瞑想と言えるものではなく、ただ単に考えていただけであった。しかも、教えについて考えていたのではなく、手っ取り早い修行があるのではないか、と考えていただけのだ。そのことに、シャーリープトラは気が付いていた。

翌日、ガンターはシャーリープトラの元へやってきた。
「尊者、いい加減、本当のことを教えてください。悟るための秘策があるんでしょ?」
シャーリープトラは、即座に答えた。
「そんな秘策はないよ。秘法もない。神通力で悟りを得られる・・・ということも無い」
「う、うそですよね・・・。いや、隠しているんでしょ?。みんな、ある程度修行が進んだら、悟りが得られる秘策というか、秘法というか、術みたいなのがあるんですよね?」
ガンターは詰め寄った。
「いいや、ガンター、そんなものはないよ。私もほかの長老たちも、世尊の教えをよくよく吟味して、世の中のことすべてをよく観察して、瞑想して、悟りを得たのだよ。秘策も秘法も術も近道もない」
シャーリープトラの言葉に、ガンターは
「う・・・うそだ。何か、秘策がなければ悟りなんて得られるはずがない。いや、秘策がないなら、俺だってもう悟ってもいいはずだ。そんなころ合いじゃないですか。でも、俺は悟っていない。悟りどころか、その入り口すら見えていない。そ、それは、尊者、あなたの指導力不足じゃないですか」
とシャーリープトラに食って掛かったのだった。シャーリープトラは、
「今までも、何人もの修行者がそう言って私に詰め寄ったよ。でも、いくら詰め寄っても、悟りに近道はないんだよ。まあ、強いて言えば、君の瞑想は瞑想ではない、ということくらいか。それが理解できなければ、修行をやめて、一般の人に戻ったほうがいいかもしれないな」
と冷静に言ったのだった。
ガンターは、がっかりした。簡単に悟りを得る方法があると思い込んでいたのに、それをすべて否定されてしまったからだ。彼は、打ちひしがれ、大きな木の根元に寄りかかって座った。
他人が見たら、それは瞑想しているように見えたであろう。いや、無我の境地に至ったのか、と思ったかもしれない。しかし、彼はただ放心していただけだった。

しばらくして、ガンターはお釈迦様のもとに行った。どうしてもシャーリープトラの言葉が納得できず、お釈迦様に直接話を聞きに来たのだ。ガンターは、シャーリープトラに詰め寄ったようにお釈迦様に問いかけた。「何か悟りを得る秘策があるのでしょ?、それを隠しているのでしょ?」と。
お釈迦様は、
「シャーリープトラ尊者は、汝に何と言ったか?」
と逆に問いかけてきた。ガンターは、シャーリープトラに言われた通りに答えた。秘策などないと。
「ガンターよ、シャーリープトラ尊者は、嘘は言わない。尊者の言ったことは本当だ。また、どの尊者に聞いても同じ答えをするであろう。いや、長老だけではなく、どの修行者に同じ質問をしても、みな同じ答えをするであろう。悟りを得るに秘策はない。秘法もない、術もない。何かを成し遂げるに、近道などないのだ。悟りを得るには、怠りない努力と正しい瞑想しかないのだよ。また、人によっては、成果が得られるまでに時間がかかる者もいる。早く悟る者もいる。それは人それぞれなのだ。ただ、なかなか悟れないと思っていた修行僧が、何かを切っ掛けに、ふと悟りを得ることもある。それは、秘策でも秘法でも術でもない。単なるきっかけに過ぎないが、それがきっかけになるには、基礎の修行ができていないといけない。基礎の修行ができていないものが、ふとしたきっかけで悟ることはないのだ。まずは、基礎的な修行が大切なのだよ。そこから瞑想を深めていくのだ。修行とは、そういうものなのだよ」
お釈迦様は、優しくガンターを諭した。

いつもの修行場所に戻ったガンターは、がっくりと肩を落として座り込んでいた。そんな彼に、シャーリープトラは声をかけた。
「世尊は何と言っておられた?」
「あ、あ、あの・・・シャーリープトラ尊者は、嘘は言わないと・・・。修行に秘策も術も近道もないと・・・。悟りを得られる時間は人によって差があると・・・。ふとしたことで悟りを得る場合もあるが、それには基礎ができていないといけないと・・・」
「で、君は何と思ったのだ?」
「はぁ・・・自分は修行に向いていないのかもしれません。コツコツ何かをするというのは、自分には難しいのかもしれません。はぁ・・・・」
ガンターは、大きくため息をついた。
「あのね、ガンター、コツコツ努力する、というのは修行だけではないよ。何かを成し遂げるには、近道なんてないんだよ。コツコツ努力するしかないんだよ。それは、どんな職業でも同じだよ。最初からできてしまう、ということはあり得ないんだよ。勉強も、仕事も、修行も、なんでもコツコツ一歩一歩進めるしか道はないんだ。世の中に、秘策だの、秘術だの、秘法だのというものはないのだよ。わかるかい?」
ガンターは、涙を流しながら、シャーリープトラの顔を見た。その顔は、慈愛にあふれていたように見えた。
「そ、そうか・・・。俺の勘違いだったんだ。みんなコツコツ努力しているんだ。どんな職業だって、修行者だって、みんな同じなんだ。そうか・・・、俺が間違っていたんだ・・・」
「そうだ、いいところに気が付いたね。さぁ、今日は片づけをして、明日からまた修行に励もうじゃないか。わからないことがあれば、いつでも聞きに来るがいいよ」
シャーリープトラは、そう優しく声をかけたのだった。

翌日から、ガンターは、人が変わったように真面目に修行に励むようになった。わからないことは長老に素直に質問したし、瞑想もうまくできるようになった。そうして、時間はかかったが、悟りを得て長老の一人となったのである。


今月は、新入生や新入社員、転勤などでにぎわっている月ですね。希望の学校に入れた人、希望の会社に就職できた人、出世できた人もいれば、希望とは違う学校や会社に行くことになった人もいるし、出世を逃したり、意にそぐわない転勤になった人もいるでしょう。また、学校に行かず浪人をする人や、就職浪人をする人もいるでしょう。悲喜こもごもの季節ですね。

一生懸命、努力してきたつもりでも、それが実らないこともあります。成績が認められない、自分よりも劣っている者が先に進んだ、なんてこともあります。その反面、思わぬラッキーを得る人もいます。運よく合格した、思わぬ出世をした、栄転できた・・・などなど。そこには人それぞれの人生がありますな。

受験勉強をしているとき、
「成績を上げるコツが何かあるに違いない。成績がいい奴は、みんなそのコツを知っているんだ」
なんて思ったことがありませんか?。私はよく思いました。何かいい方法が絶対あるんだ、と。頭の回転をよくする方法とか、スーパー暗記術なんてものに興味をひかれました。まあ、試しはしませんでしたけど、インチキ臭かったので・・・。で、結局は、地道に勉強するしかないか、と思ったものです。結構さぼりましたけどね。そう、成績を上げるのに、秘策も術もありませんでした。コツコツ勉強するのが一番なんですよね。
何かを成し遂げるには、一足飛びで・・・ということは不可能ですね。希望の学校に合格できたのも、希望の会社に就職できたのも、出世できたのも、それまでのたゆまぬ努力があったからでしょう。運がよかった・・・という人もいますが、その運だって、コツコツ努力したからこそ、引き寄せられるものです。ただただラッキーだけで、学校に合格するわけではないし、出世できるわけではありません。そこには、ちゃんと日ごろの努力があるのですよ。

この世で生きていくうえで、簡単に何かを成し遂げる、成果を得る秘術も秘策もありません。世の中で成功を収めた人は、たゆまぬ努力をしてきた人でしょう。コツコツと努力を重ねてこそ、成功があるのです。近道しよう、抜け道しようと思うものは、サギに引っかかるだけで、成功は得られませんな。コツコツ努力するのが一番ですね。
合掌。


第189回
相手に打ち勝つことが勝利ではない。
自分に打ち勝ってこそ本当の勝利と言える。
欲望と感情と執着をよく制御できた者が真の勝利者なのだ。
ナーガは、街の嫌われ者だった。なぜならば、ナーガはすぐにケンカをふっかけてきて、相手を打ち負かすまでとことん追い詰めるということをよくしていたからだ。たとえば、ナーガの一日はこのように始まった。
ナーガは、街ですれ違った者に言いがかりをつるのだ。
「肩がぶつかっただろうが、ちゃんと謝れよ」
「そ、そうか?、ぶつかったか・・・それはすまなかった」
「なんだ、その態度は。ちゃんと謝れよ。ぶつかりましたすみません、と言えないのか?」
「申し訳ない、肩がぶつかってしまいました、すみません」
ナーガに言いがかりをつけられた者は、嫌々ながらもナーガとは関わりたくなかったので、すぐに謝る者が多かった。「ナーガに何か言われたら、とりあえず謝っておけ」と街の人たちの間ではささやかれていたのだ。
ナーガは、それが本心からの謝罪でなくても、「すみません」と相手が頭を下げることが、何よりの喜びだったのだ。それは相手に勝った、勝利したという喜びであった。ナーガは、その喜びを得るため、一日に一回は誰かに難癖をつけていたのである。

その日もナーガは食堂で言いがかりをつけ、店主に頭を下げさせていた。
「わかりゃいいんだよ、わかりゃ。これからは気を付けることだ」
そう大声で怒鳴って、ナーガは店を出た。ナーガは、満足そうにニヤニヤして通りを歩いて行ったのだった。ナーガが去ったのを見て、食堂の店主はため息をつきながら
「はぁ・・・何とかならないものかねぇ。ナーガのヤロウ、最近、特に威張り始めてきた。このままだと、そのうちにただで飯を食わせろと言いかねない。街の兵士に注意してもらおうかねぇ」
と愚痴をこぼしたのだった。
そうした声は、街のあちこちで聞かれた。ナーガの態度が、このところ以前よりも大きくなり、威張り散らして迷惑だ、と言われるようになったのだ。街の人たちは、街の警護に当たる兵士たちにそのことを訴えた。
兵士らは、一応ナーガに注意した。しかし、兵士に対しても
「俺が悪いんじゃない。相手が悪いんだ。相手が悪いことをしたから、俺は注意をしただけだ。それなのに、なぜ俺が怒られなきゃいけなんだ?」
と言い返すのだった。そう言い返されれば、兵士も
「まあ、注意をするのもいいけど、もう少し柔らかくな」
としか言いようがなかった。それに対してもナーガは食って掛かった。
「優しく言っていたら、あいつらはつけあがる。俺がしっかり注意してやらないとな。だいたい、あんたらだって、もっと街の人たちに厳しく当たるべきだ。あんたらが怠慢だから、俺が嫌われ役を買って出なきゃいかんのだ。あんたら、職務怠慢だぞ!。しっかりしろよ。ボケーっと突っ立っていないで、街を見回って悪い奴らを取り締まれ!。わかったな!。わかったら、俺に偉そうなことをいうな」
ナーガは、そういうと兵士をにらみつけて去って行った。兵士たちもあきれるばかりだった。

ナーガは、川のほとりに出ると、一人ほくそ笑んでいた。
「ふふふ。兵士すらも俺には逆らえない。兵士にも俺は勝ったんだ。次は、街で威張り散らしているバラモンか、それとも・・・大臣もいいなぁ。難癖をつけて打ち負かしてやる。俺に勝てる者はだれ一人いないさ。あはははは」
「愚かな者よ。汝は、この世で最も弱いものだ。汝は、真の勝利者ではない。ただのつまらない男だ」
その声は、ナーガの背後から聞こえた。
「だ、誰だ!、俺をバカにするやつは!。姿を見せやがれ!・・・ははぁ、俺に負かされるのが怖くて出てこれないんだな。はっ、臆病者め。つまらない奴はお前だ!」
「哀れな者よ・・・。他人に難癖をつけて、いい負かして、謝らせる・・・それのどこが楽しいのだ?。虚しいだけではないか。そんなことをして、一体何になるというのか?。世間から嫌われ、陰で蔑まれているのがわからないのか?。真の汝の姿が、いかに惨めなものなのか、それが理解できないのか?。あぁ、汝の人生は、なんと悲しい人生であることよ・・・・」
「う、うるさい!。お前に何がわかる!。俺はな、嫌われているんじゃない、畏れられているんだ。誰も俺に勝てないからな。みんなから、特別に扱ってもらえるんだよ。食堂に行けば、黙っていてもほかの客より余分に食い物が出てくる。俺だけの特権だ。街を歩けば、みんな道を開けてくれる。俺は、堂々と道の真ん中を歩けるんだぜ。誰も俺に文句は言ってこない。むしろ、頭を下げてくる。どうだ、そんなことができるのは、俺くらいの者だろう。あはははは。お前だって、俺が恐ろしくて姿を見せられないんだろう。臆病者で卑怯者なんだよ、お前は」
ナーガは、叫んだ。しかし、聞こえてくる声は、冷静な声だった。
「上っ面しか見ていないから、勘違いをしているのだよ、ナーガ。人々が汝を避けるのは、汝にからまれるのがうっとうしいだけだからだ。狂った犬を人々が避けるように、みなは汝を避けているのだよ。食堂の店主にしてもそうだ。狂った犬だからこそ、余分にエサを与え、黙らせているのだ。汝は、狂った犬と同様だと思われているのだよ。哀れなことじゃないか、惨めなことじゃないか、それに気付かない汝は、何と愚かな者なのだろう」
「うぅぅ、くっそ、うるさいうるさいうるさい!、俺の生き方に口を挿むな!」
「汝がどう生きようと、今後どうなろうと、そんなことはどうでもいい。私はただ、汝がみじめで愚かな者だ、と言いたかっただけだ。汝が、今のまま愚かな人生を歩みたいのなら、それで構わない。好きにすればいい。真の勝利者が誰なのか、それをよく考えるがよい」
「なんだとこのヤロウ、姿を見せやがれ!、出てこいこのヤロウ、ぶっ飛ばしてやる!」
「ほう、最後は暴力か・・・。やはり汝は弱き者だな。結局、暴力に訴えるだけしかないのか・・・。愚かの極みだな。哀れなものだ・・・」
それっきり声は聞こえなくなっていた。ナーガは、初めて敗北を味わった。

それ以来、ナーガはいつもの調子が出なくなっていた。街の者は、ナーガを避けるし、難癖をつけようにも誰も近付いてこない。食堂へ入れば、みながナーガを避けるようにして出て行ってしまう。誰もが、狂犬を見るような目つきで見て、ナーガを避けていくのだ。
「くそ、どいつもこいつも俺を避けやがって!、なんなんだ、その目つきは!」
ナーガは食堂の椅子を蹴飛ばし、食卓をひっくり返した。驚いた店主はすぐに街の警護兵を呼んだ。
「ナーガ、店で暴れちゃいけないな。今日はお前を捕縛するぞ。お前の負けだ!、ふふふふ」
警護兵らは、笑ってナーガを捕縛したのだった。
縄を打たれたナーガは惨めな姿だった。街の誰もが小声で「ざまあみろ」とか「やっと安心して暮らせる」、「あんなヤツ、死ねばいいんだ」などと口々に言っているのがナーガの耳に聞こえてきた。
「お、俺は・・・俺は、負けたのか?、街の奴らに蔑まれていたのか・・・。俺は畏れられていたのではないのか?。俺は・・・」
ナーガの独り言に警護兵の一人が
「お前、バカだなぁ。誰もお前を畏れてなんかいないぞ。うっとうしいと思っていただけだ。バカなヤツ、狂った犬、そんな程度にしか思っていないよ。お前は惨めなヤツなんだ。初めから負けていたのさ、世間に」
と言ったのだった。その途端、ナーガは「あぁぁぁ」と叫んでその場で泣き崩れたのだった。

「哀れな男、ナーガよ。現実を知ったか」
その声は、川のほとりで聞いた声だった。声は続いた。
「よいかナーガ、真の勝利者とは、自分に打ち勝ったものを言う。他人をどれほど打ち負かしたとしても、それは真の勝利ではない。ただの自己満足だ。そんな者を誰も勝利者として褒め称えない。褒め称えられる真の勝利者とは、自分に打ち勝ったものだけだ。自らの欲望、感情、執着などをよく制御できた者だけが、真の勝利者として讃えられるのだ。汝のように、自らの欲望のままに生き、感情をあらわにし、人を打ち負かすことに執念を燃やすようなものは、真の勝利者ではないのだよ。だからこそ、今のその姿なのだ。勝利者になりたのならば、自らを打ち負かすがよい。自分に勝ってこそ、真の勝利者なのだよ」
そこに現れたのは、お釈迦様だった。その声の主は、お釈迦様だったのだ。
「あぁ、そうだったのか・・・。俺は、大きな勘違いをしていたんだ・・・。バカモノは俺だった・・・」
ナーガはそういうと、気絶してしまったのだった。お釈迦様は、警護兵に
「刑罰が済んだら、精舎に連れてきなさい。この者は、私が引き受けよう」
と告げて去って行った。警護兵や街の人々は、お釈迦様の後ろ姿に手を合わせたのだった。


ここ何年か、クレーマーが増えたとよく耳にします。そういえば、モンスターペアレントという言葉も、すっかり定着してしまいましたね。最近は、あまり話題にはなりませんが、まだ存在しているのでしょうねぇ。非常識なクレームを入れて、相手を打ち負かそうとするその姿に、モンスターという言葉はぴったりですな。

SNSやツイッター、ユーチューブなどが盛んになり、クレームをつけて相手に謝らせる様子をネット上に流している人も一時話題になりましたな。それを見た人の感想は、大半が「あんなことをして、自分がみっともないと思わないのか」というものでした。しかし、中には「すげぇ、俺も真似しよう」と思う、愚か者もいたのでしょうな。なので、忘れたころにこうした話題は出てきますな。愚かなクレーマーは無くなりませんね。

他人を打ち負かし、平伏させても、虚しいだけとは思わないのでしょうか?。それで勝利した、と満足しているのでしょうか?。もし、そうなら、なんと浅い人間なんだ、としか思えません。
お釈迦様の言葉に
「千人に勝利したとしても自分に負けたのなら、それは敗北者だ」
「千人に勝利したものよりも、己一人に勝利したものこそが真の勝利者だ」
という言葉があります。自分の欲望のままに感情をあらわにし、ねちこく相手をいたぶり、相手を屈服させる・・・そんなものは、真の勝利者ではないのです。相手を打ち負かしたとき、確かに「やった、勝った」と思うかもしれませんが、そんなものは一時的な自己満足ですな。真の勝利者とは言えません。単なる、難癖人間です。惨めな嫌われものですな。

スポーツ選手にしても、将棋や碁の世界でも、素晴らしい成績を残している人は、自分に打ち勝ってきた人たちでしょう。遊びたいとかサボりたいとか放棄したいとか、いろいろ思ったこともあるでしょう。そうした自分の欲望や感情、執着心、怠惰などをよくコントロールして、打ち勝ってきたからこそ、トップクラスの成績を収めることができたのでしょう。
他人に勝つのではなく、己に勝つ。そのような人が真の勝利者であり、世間から褒め称えられる人なのです。理不尽なクレーマーは、実は惨めな敗北者なのですよ。
合掌。


第190回
すべては自己責任である。
それを認めず、他人のせいや何かのせいにしているうちは
真実には至らないであろう。

「どうして私の人生はこんなに不幸なんだろう。はぁ・・・・」
深い溜息とともに、カンカーリは涙を流した。彼女は、すでに70歳を迎えていた。彼女の人生は、順風とは程遠いものだった。
子供のころは、何不自由なく生活し、親のいうことを素直に聞く子供だった。学業を一通り終え、彼女はとある小国の王宮の女官として働くこととなった。それは親が勧めた仕事であり、親は宮中につてがあったので、難なくその仕事に就くことができたのだった。
数年働いたころ、女官の間でもめ事が起きた。王子の世話を誰がするのか、王子と仲良くし過ぎるな、王子に媚を売っている女がいる・・・などなど、王子を巡って女官たちが嫉妬のぶつけ合いを始めたのだった。カンカーリもその中に入っていた。彼女は、王子からの受けが良かったため、他の女官たちからいじめられるようになったのだ。
彼女は、疲れ果てていた。仕方がなく、彼女は両親に女官を辞めたいという手紙を書いた。両親からの返事は、初めは「頑張って続けなさい。負けてはダメ」というものだったが、他の女官の意地悪が激しくなっていること、もう耐えられないことを何度もカンカーリは書き送った。するとしばらくして両親から
「結婚をするなら辞めてもいい」
という返事が来た。カンカーリは、大喜びで「結婚をしてもいい」という返事を両親に送ったのだった。

カンカーリは結婚をするということで、王宮の女官の職を辞した。彼女の心は晴れ晴れとしていた。
「やっと、うるさいあのババアたちから逃れることができた。ふん、私は結婚して幸せになるのよ。やれやれだわ」
そう王宮に向かって言葉を投げつけ、気楽な気持ちで家に戻ったのだった。
両親が勧めた結婚相手は、両親の知り合いの息子だった。その男は、結婚が二度目だった。だが、両親によると、前の女房は男を作って逃げてしまったどうしようもない女で、彼は騙されて結婚をしたのだ、ということだった。彼は、誠実で、仕事熱心で、その親の家も裕福で何も申し分のない相手だと両親は強調した。
カンカーリは、両親との約束もあるし、「そんなにいい条件ならば、すぐに結婚してもいい」と、簡単に返事をした。両親は大喜びだった。そして、カンカーリは、その翌日から、両親が勧めた相手の男と結婚をし、一緒に暮らし始めたのだった。

彼の名はグプタといった。グプタとの結婚生活は、順調に始まった。しかし、しばらくするとグプタには賭け事の趣味があることが分かった。数カ月もすると、グプタはカンカーリに生活費を渡すのを渋るようになってきた。
「こんなに少ないお金じゃ、生活できないわ。もっとお金をください。ちゃんと仕事をしているんでしょ?」
カンカーリは、夫に何度もそう訴えたが、グプタの答えはいつも同じだった。
「お前が働けばいいじゃないか。このお金は、俺が稼いだお金だ。俺が何に使おうと勝手だ」
その答えを聞くたびに、カンカーリは逃げ出したい思いにとらわれた。しかし、両親との約束もあるし、両親に迷惑をかけたくない一心から、彼女は働きに出ることにしたのだった。

カンカーリは、マンゴー農園で働くことになった。両親には、仕事に出た理由は言えなかった。両親からは、
「仕事なんかしないで、早く子供を作ればいいのに」
と言われていたが、彼女は笑ってごまかしていたのだ。夫の両親からは、
「そんなにお金が必要なの?。息子の稼ぎでは足りないっていうの?。あなた、贅沢なんじゃない」
と嫌みを言われていたが、それも笑ってごまかしていた。
しかし、そんな生活は、やがて破たんを迎えることになる。
カンカーリは、賭け事に溺れる夫にほとほと疲れ切っていた。自分の両親にも夫の両親にも何も言えないし、毎日がつらいだけの日々だった。そんな時、マンゴー園に新しい男がやってきたのだった。

彼は、たくましく真面目で仕事熱心だった。とても優しくて、よくカンカーリの愚痴を聞いてくれた。やがて、カンカーリは、その男のことを好きになってしまったのだった。すぐに彼女は彼と深い関係になってしまった。
カンカーリとそのたくましい男の関係は、誰にも知られずにいた。しばらくして、カンカーリはその男に
「私を連れて逃げてほしい。当面の生活は何とかなるから。私お金は持っているから」
と懇願した。男は初めはためらっていたが、数日後には
「よし、逃げよう。マガダ国へ向かおう。俺にはつてがあるから大丈夫だ」
と返事をし、その日の夜、二人はマガダ国へ向かって逃げたのだった。

彼女たちは、追手から逃げるため、北の山を通る道を選んでマガダ国へ向かった。そう提案したのは、男の方だった。山道に入って二日目のこと、二人は山賊に襲われた。彼は、あっという間に山賊に気絶させられ、カンカーリはさらわれてしまった。そして、彼女は、持っていたお金をすべてとられ、北の小国の売春宿に売られてしまったのだった。しかし、それはすべて彼のたくらみだったのだ。
カンカーリが男に騙されたと知ったのは、売春宿で暮らし始めて数年がたったころだった。彼女は、いつか彼が助けに来てくれるものと信じて、売春宿で働いていた。数年後、彼女が待っていた彼が目の前に現れたのだ。
カンカーリは
「助けに来てくれたのね。長いこと待っていたのよ。すぐに逃げましょ」
と訴えたが、男は
「バカなヤツだな。騙されたことにまだ気が付いていないのか?。めでたい女だな。いいか、俺がここへ来たのは、新しい女を売りに来たんだよ。わかったかバカ女」
と吐き捨て、去って行ってしまったのだった。カンカーリは、初めて自分が騙されたことをその時に知ったのだった。

それから30年、年を取って客をとれなくなったカンカーリは、わずかなお金を渡され、放り出されてしまった。彼女は、流れ流れてマガダ国へとたどり着いた。そこで花農園やマンゴー園などで働いて食いつないでいたのだった。
彼女は一人だった。両親に何度も手紙を送ったが、返事はなかった。生きているのかどうかさえ分からなかった。いや、もはや両親は生きてはいないとカンカーリもあきらめていた。農園で奴隷のごとく働き続け、老婆になってしまったのだった。そんな時、お釈迦様に出会ったのである。

「どうしてこんなに不幸なのでしょうか。宮中ではいじめられ、結婚した夫は博打ばかりしている男。私を連れて逃げ出した男は山賊の仲間で、人さらい。そのあとは、奴隷のごとく働かされ・・・。はあ、辛い人生です。もう死にたい・・・。死んで楽になりたい。でも、あいつらに復讐もしたい。あの宮中の女たち、元夫、人さらいの男、農園の雇い主たち・・・。いや、こうなったのは、みんな両親のせいだ。父や母が、私の人生を台無しにしたのよ。この恨みをどうやったら晴らせますか?」
カンカーリは、お釈迦様にそう涙ながらに訴えたのだった。しかし、お釈迦様の答えは冷たいものだった。
「カンカーリよ、汝は何と愚かなのか・・・。いいか、よく考えてみよ、これまでのことは、すべて汝の責任ではないのか?。誰のせいでもあるまい?。すべて自分の責任であろう。それがわからないのか?」
お釈迦様の答えに、カンカーリは、首をかしげ、
「なんで私のせいなんですか?。だって、あいつらが・・・親が私に押し付けたんですよ。なんで私がいけないんですか?」
と食って掛かったのだ。お釈迦様は、悲しそうな顔をして尋ねた。
「では尋ねる。女官として働くことを決めたのは誰だ?」
「そ、それは・・・・私です。でも、それは両親が勧めたからで・・・」
「拒否できたのではないか?。他の仕事がいい、となぜ言えなかった?。いずれにせよ、女官という仕事を選んだのは汝であろう?」
「はい、まあ、そうです。でも親に逆らえなかったし・・・」
「それは逃げではないか?。たんなる言い訳であろう?。自己を正当化するための誤魔化しであろう」
お釈迦様の言葉に、カンカーリは黙り込んだ。

「では聞く。女官を始めたころは順調だったのだな?。やがて青年の王子の世話を巡って争いが始まる。なぜ、汝は王子の世話から退かなかったのか?。汝が王子を独占しようとしたのではないか?」
「そ、それは・・・王子様の世話は私の仕事で、それは私一人に任されたことで・・・」
「他の女官の手も借りるべきではないか?。揉め始めた時点で、他の女官の協力も得るようにすれば、もめ事など起きなかったし、イジメられることも無かっただろう」
「た、確かに・・・・でも、私は王子が好きで・・・。他の女の手が王子が触れるなんて・・・」
「ならば、汝がいけないのであろう。仕事に私情を持ち込んでいては、女官は務まらないであろう。それは、女官になるときに厳しく通達されているはずだが?」
お釈迦様の追及に、またしてもカンカーリは黙り込んだ。

「では聞こう。結婚を決めたのは誰か?」
「そ、それも・・・私ですが・・・でも女官を辞めたかったし・・・両親が勧めたし、いい相手だと言っていたし・・・」
「汝は夫になる相手がどのような人物なのか、調べることもなかった。結婚前にしばらく付き合ってみることも無かった。いきなり、結婚生活を始めた。あまりにも安易ではないか?。汝の両親も安易だが、汝も安易すぎるであろう?。よくよく夫になる相手のことを調べて、街の評判も聞いて、しばらく付き合いをしてからでもよかったのではないか?。もし、そのようにしていれば、夫となる男の素性も知れたのではないか?。それを怠ったのは誰か?」
またしてもカンカーリは返事をせず、黙って下を向いていた。

「では聞こう。汝が男とマンゴー園から逃げたことだが、それも汝が誘ったからであろう?。その時に、そんな男を誘惑せず、さっさと夫と別れてしまえばよかったのではないか?。一人になり、両親とともに暮らすという手もあったのではないか?。汝が・・・」
「もういいです。わかりました。いや、初めからわかっています。全部自分のせいです。自分が悪いんです。でも・・・誰かに八つ当たりというか、あいつらに一言でも言いたいだけなんです。わかっています・・・だけど・・・・」
カンカーリは泣き崩れたのだった。
「よいか、カンカーリ」
お釈迦様は、泣き崩れたカンカーリに向かって優しく言った。
「すべては自己責任なのだ。誰か他人が悪い、ということはない。よくよく考えれば、選択し決定したのは誰でもない、自分自身なのだ。自分が選び、決めたのだ。騙された騙されたと騒ぐが、騙された己の責任もあるのだよ。よく考え、裏付けをとれば、騙されることなどないであろう。安易に返事をし、安易に周囲に従い、自分の我がままを通したのは、すべて自分であろう。選択し、決定するのは他人ではない、自分なのである。それを他人のせいにしてはいけない。それは誤った道であろう。それでは、いつまでも不幸のままである」
お釈迦様はそこで一息入れ、大きな声で言った。
「よいか、すべては自己責任である。選択し決定するのは、自分自身である。その結果が悪かった時、それを他人のせいにしたり、何かのせいにしたりするのは、愚かな行為だ。それでは、決して真実には至らない。よく自己を振り返り、自己責任であることをよく知り、反省し出直すこと、それが真実への道なのだ。よいか、それを忘れてはいけないよ、カンカーリ」
彼女は、泣きながら大きく首を縦に振ったのだった。
彼女は、そのまま出家の道を選んだ。自分で選択し、自分で決定したのだ。誰に言われるでもなく、自分自身の意志で決めたことだった。彼女の心は、初めて晴れ晴れとしたのだった。


「何でこんなに不幸なんですか?。私は何もしていないのに」
と訴えてこらえる方は少なくありません。確かに、生まれながらに家庭環境に恵まれない方もいますし、とんでもない親や兄弟姉妹を持っている方もいます。そういう方と出会いますと、何でもかんでも自己責任ということはない、ような気もしてきます。

親を選ぶことはできません。なぜか縁があってその家に生まれてしまいます。とんでもない親であっても、素晴らしい親であっても、何かの縁でその家に生まれたのであって、選択したわけではないですね。自然の縁、というもので結ばれているのです。ですから、選択した責任というのはないと思いますな。

しかし、その後のことは、自分で選択していくことが多くなるでしょう。幼少期の頃は、親が勧めることに素直に従っていくことが多いかもしれませんが、中には小さいころから自分の意志をはっきり言う子供もいますよね。それは自分の意志をもって選択しているのですな。親は、その事を理解しないといけませんね。
そう、成長するにつれ、私たちはいろいろな事柄から選択し、自分で決めて生活していくのです。親に決めてもらい、それに従ったと言っても、それも自分で決めたことです。親の言う通りでいいや、と決めたのは自分ですからね。最終決定は、誰でもない自分なのです。とういうことは、自己責任である、ということですね。

親に従う親に逆らう、家を出る家に残る、彼氏彼女をつくるつくらない、結婚する結婚しない、働く働かない・・・いろいろな選択肢が世の中にはあります。他人から勧められることもあるでしょう。占いに従うこともあるでしょう。しかし、最終的に決定しているのは、自分ですよね。占い師がそう言った・・・と言っても、占い師に従うか従わないかを決めるのは自分なのですから。
そう、すべては自己責任なのです。たとえそうでないことがあったとしても、すべては自己責任だと思って生きたほうが、安易な選択はしなくなると思いますな。責任を取るのは自分にある、その覚悟があったほうが、いい人生になると思うのですけどね・・・。まあ、難しいですかね。
合掌。


第191回
慢心とうぬぼれは、身を滅ぼす元である。
謙虚さを忘れては、先がないであろう。


パンチャーは、マガダ国で小さな貿易商を営んでいた。自らマガダ国の名産品を持ち、大商人が所有している貿易船に載せてもらい、西の国や東の国に行っては、その国の名産品と持参したマガダ国の名産品を交換していた。そうして、他国の名産品をマガダ国で売っていたのだ。
パンチャーの商いは、うまくいっていた。そんな彼の口癖は、
「いずれコーサラ国のスダッタ長者やヴァイシャリーの維摩居士を超えてやる!。俺は大商人になるんだ!」
というものだった。それが彼の目標だったのである。若い彼には、その可能性があった。

10年の時が流れたころ、パンチャーは貿易船を3艘も所有するようになっていた。マガダ国では大商人の仲間入りをしていたのだ。それほど大きな商人になっていたが、まだスダッタ長者や維摩居士には及ばなかった。
「まだまだだ。まだ頑張って働かないとスダッタ長者には追いつけない。もっと努力しないと・・・。さて、何がこの国では売れるのか・・・。何がこの国で流行っているのか・・・。いや、俺が流行りを作ってもいいのか。よし、今度の取引は、売れそうなものを手に入れよう。俺が、この国の流行りを作ってやる」
彼は、仕事に精一杯の努力を惜しまなかった。その結果、彼はさらに数年後にはマガダ国一の大商人になったのである。

「はっはっは。やっぱり俺には商人の才能があった。もはやこの国で俺に並ぶ商人はいなくなった。船だって5艘も持っている。確かスダッタ長者も維摩居士も船は5艘所有していたはずだ。ということは、俺も彼らと肩を並べた、ということだな。あはははは」
それ以来、彼は徐々に贅沢になっていった。まずは、スダッタ長者や維摩居士が住んでいるような大邸宅を造った。召使も30人ほど雇い入れた。
「どうだ、スダッタ長者と俺と同じようなものだろ?」
彼は、周囲にそう触れ回っていた。身に付けるものも次第に贅沢になっていった。食べ物も贅沢になっていった。宮中にも出入りし、大臣などの接待もした。マガダ国内の他の大商人たちとも付き合い、頻繁に宴を開いた。他の大商人からは
「いや〜、若いのに大したものだ。羨ましいなぁ」
などともてはやされていた。そのため、パンチャーは次第に有頂天になってしまったのだった。

「なに?、仕入れの金が足りない?。なぜだ?。誰か使い込んだのか?」
ある日のこと、パンチャーが会計を任せていた者が、「お金が足りない」と言ってきたのだ。その者は、
「誰かが使い込んだわけではないです。あの〜、強いて言うならば、ご主人様が・・・。このところ宴会続きでしたので、そちらの方の支出が増えまして・・・」
「なんだと?、俺が使い込んだというのか?。バカモノが!。宴会の金は、お前が計算して都合をつけていたのではないか?。俺のせいにするな!」
「はい、確かに・・・、ですが・・・私も支出が多すぎると、お諫めしたと思いますが・・・」
「あぁうるさい。そんなことは知らんな。全く、お前は無能なヤツだな。もういい、お前はクビだ。今すぐ出ていけ。お〜い、誰か・・・。こいつを追い出して、新しい金庫番を連れてこい」
このところのパンチャーは、いつもこのような状態であった。あたりに威張り散らしていたのである。
「ふん、どいつもこいつも使えねぇな。俺が若かったころは、もっと働いたぞ。頭も使ったしな。お前ら、苦労が足りないんだよ、苦労が。もっと苦労しろよ。そうすれば、いい考えも浮かぶし、お金のやりくりもうまくなる。そうだな・・・もっとお前らに苦労させるために、給金を減らすか。そうすれば大臣への接待費も出るし、大商人たちとの付き合いももっとできるな。商品の仕入れの金も何とかなる。よし、お前ら、苦労しろ。だから、今度の給金から、半減するからな。お前らはそれくらいでちょうどいいんだ。もっと給金が欲しいなら、もっと働け!」
パンチャーは、雇っている者たちの給金を半減したのだった。

パンチャーの金遣いは、ますます荒くなっていった。維摩居士が宝石がちりばめられた装飾品を購入したと聞けば、自分も同じような品物を買い入れた。そして、それを惜しげもなくマガダ国一の遊女に贈ったのだった。スダッタ長者が国王を3日間接待したと聞けば、パンチャーもマガダ国の国王を1週間接待したのだった。
「俺は、マガダ国一の・・・いや、インド一の大商人だ。スダッタや維摩なんぞに負けるわけがない。あいつらより、俺は上なんだ。実際、商売はうまくいっているしな。大儲けしている。あははは。さて、商売は順調だし、金はいくらでもある。そうだな・・・遊女を30人くらい屋敷に招待するか・・・」
彼は、お金を湯水のように遊びに使ったのだった。

そうした彼を見かねて、注意する者も何人かはいた。大商人の集いなどで
「スダッタ長者や維摩居士は、そんな遊びはしないぞ。彼らはものすごく謙虚だ。信仰も深い。パンチャー、君も少しは彼らを見習ったほうがいいんじゃないか?」
と諫言する者もいたのだ。しかし、パンチャーは、
「何を言っているんですか?。彼らは、恐れているんですよ。財産を失くすのが怖いんだ。だから、お釈迦様だか何だか知らないが、そうした宗教にすがっているんですよ。はっ!、くだらない。そんなものに頼らなければ生きていけない連中は、弱いんですよ。だけど、俺は違います。俺は、そんなものに頼らなくても生きていけるんですよ。運もいいし、実力もある。だいたい、あなたが私にそんなことをいう資格があるんですか?。たかが小さな貿易商じゃないですか。私の店の何分の一ですか?。エラそうなことを言わないでくださいよ。次回から、あなたは招待しません。もう二度と私の前に顔を見せないでください。あはははは」
と笑い飛ばしていたのだった。

ある日のこと、
「船が遭難しました」
と召使いの一人が駆け込んできた。
「船が遭難した?。で、どこで、遭難したんだ?。詳しいことを言えよ」
「はい、西の海へ貿易に行っていた船が、こちらに戻ってくるときに嵐に遭い沈んでしまいました」
「西の海へ行っていた船・・・・こっちに戻ってくるときに嵐に遭ったと・・・。何艘沈んだんだ?」
「はい、すべて・・・」
「すべてって・・・だから何艘なんだ?」
「ですから、5艘全部が沈んだんです」
「なんだと?、なんで5艘全部が西へ向かっていたんだ?」
「ご主人様が、これからは西の国の装飾品や絨毯が高く売れる。だから、すべての船を西の国に回せと・・・。しかも、積み荷を満杯にして帰ってこいと・・・・」
「全部の船・・・、満杯の積み荷・・・すべて海に沈んだというのか?」
「はい、ちなみに、スダッタ長者が所有している船も嵐に遭いまして、何艘かは沈んだ模様です。しかし、スダッタ長者は、すぐに新しい船の造船を注文されたそうです。いかがいたしますか?。新しい船を注文しますか?」
「あ、当たり前だ!。そんな当たり前のことを聞くな!。スダッタは何艘注文したんだ?。そいいか、スダッタよりも1艘多く注文するんだ、いいな!」
パンチャーは、そう命じたのだったが、すぐに会計係の者が青ざめた顔でやってきた。
「ご主人様、残念ながら船を造るようなお金は、一切ありません。どこかからお金を借りなければ、船など造れません。ですから、船を借りて商品を仕入れてはいかがですか?。商品を仕入れるくらいのお金はあります。贅沢な絨毯やガラス製品などは、ちょっと無理ですが、西の国の小物などなら大量に買えるかと・・・」
「バカモノ!、金がないだと?。なんで金がないんだ。誰が使い込んだ!。お前か?」
「いいえ、ご主人様がお使いになったのですよ。先日も遊女を50人もお屋敷に招待したではありませんか。その費用で船が一艘造れたのですが・・・・。あの時、もう一艘船を造られては・・・と申し上げたはずですが、ご主人様は『そのお金は遊女の招待に回す。なに、すぐに貿易で儲かるから平気だ。船はそのあとだ』とおっしゃったと思いますが・・・」
パンチャーは、呆然として何も言い返せなった。

雇い入れていた者たちは、船がすべて沈んだと聞いた日に逃げ出していた。彼らはパンチャーに見切りをつけたのであった。もっとも、日ごろから辞めたがっていた者たちばかりである。だから彼らが逃げたのは当然だった。彼らは、逃げ出す際、
「今まで大した給金をもらっていなかったんだから、これくらいは当然だ」
といって、パンチャーの邸宅から金目の物を持ち出したのだった。中には、部屋の扉まで持ち出す者もいた。彼の邸宅は、あっという間にあばら家同然となってしまったのだった。パンチャーは、たった一日ですべてを失くしたのだった。

彼は、フラフラと歩いていた。いつの間にか彼は山に登っていた。その山はそれほど高くない山ですぐに登れた。頂上に着くと、そこは平らに開けていた。そこには、大勢の修行僧がいた。そこは、霊鷲山だったのである。
「ほう、慢心とうぬぼれの塊が地に落ち、ここへ彷徨い来たか・・・それはよかった」
ぼーっと突っ立ているパンチャーを見て、お釈迦様はそう言った。しかし、パンチャーにはその言葉は届かなかったようだった。
「汝の今の姿は、何が原因であるか?」
お釈迦様はパンチャーに尋ねた。彼は、
「みんな、みんな嵐が悪いんだ。俺は運が悪かっただけだ。いや、アノ奴隷の連中だってひどいものだ。今まで誰が面倒見てやったと思っているんだ。恩を仇で返すようなことをしやがって・・・。どいつもこいつも、恩知らずな奴らだ。あいつらのせいでこうなったんだよ。そうだろ?」
と叫んだのだった。お釈迦様は
「愚かな者よ。汝がそう思っているうちは、汝は這い上がれないであろう。いつまでも地にはいつくばって苦しむがよい」
と冷たく言い放つと黙り込んで瞑想に入ってしまったのだった。
お釈迦様が何も言わないので、我慢ができなくなったパンチャーが叫んだ。
「俺が悪いっていうのか?。俺のどこが悪いんだよ!。スダッタだって維摩だって贅沢しているじゃないか!。俺だって贅沢して何が悪いんだよ。嵐が来なけりゃ、こんなことにはならなかったんだよ!」
それでもお釈迦様は黙っていた。他の修行僧も何も言わず、ただパンチャーを眺めていただけだった。
「何だよ何だよ何だよ・・・。何とか言ってくれよ。俺は間違っちゃいなかっただろ?。俺は悪くないだろ?。俺は・・・俺は・・・」
とうとう、彼はその場に泣き崩れたのだった。

「愚かな者よ。なぜ自分の非が認められないのだ?。こうなったすべての原因は、自分にあるのだと、なぜ認められない?。汝の慢心とうぬぼれが、すべての災いものとだと、なぜ理解できないのだ?。汝が慢心せず、うぬぼれもせず、謙虚に他者の諫言を聞き入れていたなら、どうであっただろうか?。よいか、スダッタ長者も維摩居士も、商売や慈善事業などにお金を使い、さらに余ったお金があったなら自分たちのために使っているのだよ。彼らは、雇い入れた者たちにも十分な給金を与え、たとえ奴隷の身分であろうと、彼らをねぎらっている。雇い入れた人たちも大切な財産である、と彼らは言っている。周囲の人たちにも彼らは威張らない、いつでも謙虚である。他者の話にはよく耳を傾ける。だから、彼らは周囲の人たちから尊敬されるのだ。うぬぼれ切った汝とは大違いなのだ。それがわからぬようでは、なぁ・・・。よいか、謙虚さを失った者には、それ以上の先はないのだよ」
お釈迦様の言葉は、パンチャーに響いたようだった。彼は泣きながら語り始めた。
「俺は、スダッタ長者や維摩居士のようになりたかった。商売がうまくいって、いつの間にかお金が自由に使える身分になっていた。これで彼らと肩を並べたと思った・・・いや、彼ら以上だと思った。それがいけなかったんだ・・・。俺はいつの間にか、インド一の長者だとうぬぼれていまったんだ・・・。その慢心がいけなかったんだ・・・」
「それが分かったならば、やり直しができるであろう。初心に返ってやり直すがいい。今度は決して慢心せぬよう、うぬぼれないよう、自らを戒めることだ」
お釈迦様の優しい言葉に、パンチャーは強くうなずいたのであった。


「増上慢になってはいけない」
お釈迦様は、よく弟子たちにそう言っていました。増上慢とは、悟ってもいないのに
「自分はすごい、悟ってるじゃないか、みんな、俺を尊敬しろよ・・・」
といったうぬぼれた者のことを言います。「俺ってすげぇじゃん」という者たちのことですね。

僧侶をしていると、必然的に人々から尊敬される立場になります。お坊さんはちょっと違う、上の人間だ・・・みたいな感覚で多くの人たちはお坊さんを見ているでしょう。まあ、中には、坊主なんて・・・と思っている人もいると思いますが、例えば檀家寺の和尚さんなどのような身近なお坊さんだったりすると、まあ尊敬まではいかなくても、丁重には扱いますよね。そういう環境に我々僧侶はいるのですな。
だから、いつの間にか勘違いする坊さんが出てくるのです。「俺って偉いんだ」とね。

お釈迦様は、その事を見抜いていたのです。
「絶対に慢心する者が出てくるだろう。自惚れて修行がおろそかになる者が出てくるだろう。謙虚さを失うものが出てくるだろう」
とね。なので、いつも「増上慢になってはならない」と注意していたのでしょう。
ついつい調子よくなると、人はついついうぬぼれるものです。
「俺って天才?」、「私ってすごいじゃん」・・・そううぬぼれて慢心してしまい、周囲からの注意やアドバイスに耳を傾けなくなってしまうんですね。まだ、駆け出しのころは、周囲からのアドバイスが自分のためになると思い、聞き入れることができたのですが、ある程度成功してしまうと、それがうっとうしくなってしまうのです。
「そんなことは言われなくてもわかっている。イチイチうるさいんだよ」
そう思うのが慢心なのですな。

慢心したり、うぬぼれてしまうと、周囲からの言葉が届かなくなります。また視野も狭くなってしまいます。すべてを見下すようになってしまうのですな。そうなると、足元がおろそかになります。耳も目も感覚も鈍くなってしまいますな。
我々が最も恐れなくてはいけないもの・・・それが慢心とうぬぼれです。謙虚さを忘れてしまえば、そこから先はありません。それで終わりなのです。
合掌。


バックナンバー39へ(NO192〜)


表  紙  へ     今月のとびらの言葉へ