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第192回 誰にでも他者を支配しようとする欲がある。 この欲をよく制御しなければ、孤立を招く。 お互いに譲り合わねば、うまくいかないのがこの世なのだ。 |
マカラは、子供のころからわがままな子であった。周囲の子供たちを集め、自分の奴隷として扱おうとしては、ケンカになった。いつも大将でありたいと思っていたが、子供の世界でもそうは簡単にはいかない。彼は、そのころからイライラをため込んでいた。 仕事をするようになってからも、マカラは命令されるのを嫌った。かといって、どの仕事に就いても、初めはうまくできないのは当然である。そのことは、マカラも承知していた。なので、爆発しそうになるのを我慢して、仕事を覚えた。早く覚えれば、上から偉そうなことは言われないし、威張られることも無いと考えたのだ。その結果、マカラは早くに大工職人として腕をあげたのだった。 やがて彼は結婚をし、子供を3人もうけた。仕事も独立をし、人を雇うようにもなった。しかし、マカラは雇った者に対して、いつも厳しかった。 「バカヤロウ、俺のいうことを聞いていればいいんだ。勝手なことをするな」 「何やってんだ。俺のいうことがきけないのか」 などという罵声は、仕事場からしょっちゅう聞こえていた。時には、殴ったりけったりしたこともあった。ひどい時には、金槌が飛んでくることさえあった。とにかく、マカラは自分に逆らう者が大嫌いだったのだ。だから、 「いいか、俺の言うとおりにやればいいんだ。絶対、逆らうんじゃないぞ」 と手下たちに言い聞かせていたのだ。そのようにして、マカラは、雇った者たちを脅しや暴力で支配したのだった。従って、給金も安く、雇われた者たちは奴隷のような扱いだった。 やがて、一人辞め、二人辞めていき、とうとうマカラ一人になってしまった。 「くっそ、あいつら逃げていきやがって!。ふん、根性のない奴らだ!」 彼は、いつも酒を飲んでは、そう愚痴るようになった。 そんなころ、子供たちも大きくなり、ちょっとした仕事ならできるようになった。マカラは、当然ながら家でも威張っており、 「俺のいうことを聞け。俺の言うとおりにしろ」 と、子供たちが幼いころからしつけていた。もちろん、妻にも逆らうことを禁じていた。ひと言でもマカラに言い返そうものなら、 「うるせぇ、このヤロウ、お前は黙って俺に従えばいいんだ!」 と怒鳴られ、暴力を振るわれることもあった。家庭内では、みなマカラにおびえ、おとなしくしていたのであった。 しかし、子供も大きくなり、外でいろいろ学ぶようになったり、ちょっとした手伝いをするようになったりすると、マカラに逆らい始めたのだった。そのたびにマカラの家は、大げんかとなった。 子供たちは、殴られてもそう簡単には引き下がらなくなった。そんな時は、マカラは妻に向かって 「お前のしつけがわるいんだ!。お前のせいで子供たちはこんなんになってしまったんだ。お前のせいだ」 と怒鳴りつけ、髪の毛を引っ張りまわし、殴り飛ばしたりしたのだった。 その翌日、マカラが仕事に行くと、妻は子供たちに 「お前らのせいで私が殴られたんだよ。どうしてくれるのさ。おい、何とか言えよ!」 と当たり散らし始めたのだった。 それ以来、マカラの妻は、彼が仕事に出ると、子供たちを棒などでたたくようになった。 「お前ら、私に逆らうんじゃない!。いいか、父ちゃんにも逆らうな。ちゃんということを聞け!」 マカラの妻は鬼の形相で、毎日のように棒を振り回し叫んでいたのだった。 ある日の夜。マカラは酔って帰宅した。仕事で揉めたらしい。 「くっそ、どいつもこいつも俺に逆らいやがって。俺のいうことを聞いていりゃあ、すべてうまくいくのによ!。あぁ、クソ面白くねぇ」 家でもマカラは酒を飲み始めた。そして、子供たちを呼びつけ、説教を始めたのだ。説教はやがて、子供たちが手伝いをして稼いだお小遣いに及んだ。 「いいかお前ら、俺に逆らうんじゃないぞ。おい、お前、給金はどうした。あるなら出せ」 「こ、これは、僕たちが稼いだお金で・・・これで本を買うんだけど・・・」 長男がそういうと、すぐに平手が飛んできた。 「バカヤロウ、逆らうなといっただろ。いいから金を出せ。そうだ、初めからそうすりゃ、殴られずに済んだのによ。この大バカモノが。はい、次!」 二番目の子・・・長女がほんのわずかのお金を差し出した。三番目の子・・・次男も小銭を差し出したのだった。 「いいか、これからは、給金をもらったらすぐに父ちゃんに差し出せ。わかったな!」 子供たちは、頷くしかなかった。 子供たちが寝ると、マカラは妻を怒鳴りつけた。しつけが悪いというのだ。妻は、いつものようにののしられ、殴られた。子供たちは、その様子を布団をかぶっておびえながら聞いていた。そして、彼らは話しあったのだ。 「明日、また母ちゃんに殴られるぞ。いいか、父ちゃんや母ちゃんが寝静まったら・・・わかったな」 彼らは、親が寝静まるのを待った。 その翌日のこと。マカラの家には、子供たちの姿がなかった。 「あいつら逃げやがったな!」 マカラは、そういうと、「てめぇが悪い」といって妻を殴り飛ばし、蹴り飛ばししたのだった。妻は、泣きながら「すぐに探してきます」と叫び、転がりながら家を出ていった。その妻も、いつまで待っても帰ってくることはなかった。 日が暮れ、家の中は、マカラ一人だった。彼は、家にあった酒を飲み干し、 「くっそ、どいつもこいつも俺に逆らいやがって・・・。何が気に入らねぇんだ。俺のいうことを聞いてりゃあ、すべてうまくいくのによ・・・」 マカラは、空になった酒瓶を持ちながら、フラフラと外へ出ていったのだった。 マカラの子供たちは、お釈迦様のもとにいた。精舎でかくまわれていたのだ。また、妻も川で身を投げようとしていたところを尼僧に助けられ、精舎に連れてこられていた。そして、尼僧たちから説教をされ、諭されていた。マカラの妻は 「夫に殴られ、そのうっぷんを子供たちにぶつけていました。かわいそうだと思いましたし、悪いことをしていることもわかっていました。でも・・・どうしても手が出てしまったんです」 彼女はそういうと泣き崩れ、このまま出家したいと尼僧に申し出たのだった。 子供たちは、修行僧の世話をしたり、精舎の掃除をしたりして過ごしていた。いずれ、彼らも出家するつもりだった。 しばらくしたころ、マカラの妻や子供たちが祇園精舎にいるという噂をマカラは耳にした。マカラは血相を変えて祇園精舎に乗り込んでいった。そして、お釈迦様に向かい 「女房と子供たちを返せ!。あいつらは、俺のものだ」 と怒鳴ったのだった。お釈迦様は、 「俺のもの?。そう汝は言うのか?。なんと愚かなことよ。よいか、自分のものなどこの世には存在しない」 と冷たく言い放った。マカラは今にもお釈迦様に殴りかかりそうな態度だったが、どうしても手が出なかった。 「うぅぅ、くっそ、そんなことはない、女房も子供俺のものだ!」 「わからぬ者だな。では聞くが、汝のものならば、汝の自由にできるはずだな?」 そう言われたマカラは言葉に詰った。実際に、自由にできていないのだ。 「さらに問う。汝の身体は、汝の自由になるか?」 「あぁ、それはなるさ。俺の身体だからな」 「そうか、では聞く。汝は病気になりたくはないな?。ケガもしたくない」 「もちろんだ」 「病気をしたことはないか?、ケガをしたことはないのか?」 「それは・・・ある。誰だって風邪くらいはひく。疲れて熱も出るし、ケガは俺の仕事はツキモノだ」 「おや、ということは、汝は、汝の身体を自由にできていない、ということだな?」 お釈迦様の問いに、またしてもマカラは詰まってしまった。 「自分の身体すら支配できないのに、他人が支配できるのであろうか?。汝は今、私を殴りたいと思っている。どうしたのだ?、自由にすればいいではないか。私を殴って、私を支配しようとすればいいではないか」 マカラは、唸るしかできなかった。 「よいかマカラ。他者を支配したい、思うようにしたい、という欲は誰にでもある。他人を自分の思うように動かしたい、という心は誰にでもあるものなのだ。自分のいうことを聞け、逆らうな・・・それは、誰の心にもある支配欲なのだよ。しかし、その欲は恐ろしい欲なのだ。しっかり自己管理し、自己抑制し、制御しなければ、孤立を招くことになる。汝ら在家の者にとって、孤立や孤独は耐えがたいものであろう。そうなる前に、自分の中にある支配欲をよく認識し、よく理解し、制御しないといけないのだよ。 それにはどうすればよいか。それは、相手の話を聞き、相手の気持ちをおもんばかり、お互いに譲り合うことが大切なのだ。支配しようとせず、共存しよう、協力しようと考えることだ。片方が他方を支配しようとしても、世の中は成り立たない。お互いにゆず入り合うことが重要なのだよ。そうしなければ、この世は成り立たないのだよ」 マカラは、お釈迦様にそう言われ、泣きながら告白した。 「俺は・・・子供のころからみんなを支配したくて・・・。どうしてかわからないけど、どうしても支配したくて・・・。俺に逆らうのが、なぜだか許せなくて・・・。毎日毎日、イライラして過ごしてきました。成人して、自分が上の立場になると、支配できる喜びを感じていました。しかし、みんな逃げていった・・・。雇った連中も、女房も子供も・・・。みんな逃げて行ってしまった・・・。俺は・・・一人ぼっちだ・・・」 「マカラよ、汝は、支配欲が強すぎるのだ。孤立や孤独が怖いのなら、その支配欲を乗り越え、周囲に優しい人間となれ」 お釈迦様にそう言われ、マカラはそのまま祇園精舎で修行することとなった。初めのうちは、他の修行僧に威張ったりもしたが、周りから 「ほら、支配欲が出てるぞ」 と注意されるうちに、次第に穏やかな人間になっていったのだった。やがて、彼は支配欲をよく制御した弟子として、他の弟子から尊敬されるようになったのである。 今では少なくなったと思いますが、昔はよく上司が部下に対して 「なに、俺に逆らうというのか?。そりゃないよね。部下は上司のいうことを聞けばいいんだ」 「俺の酒が飲めないっていうのか?。なんだとえらそうに」 なんてセリフを吐いていたものです。お坊さんの世界でも、集会等があるときに昔は 「俺の酒が飲めないのか」 ということがありました。今ではもうそんな話は、伝説ですけどね。 人は立場が上になると、下のものを思うように動かしたい、という欲求にかられます。また、下の者が、自分に逆らうと、妙に腹が立ってきます。それは、仕事の上であっても、家庭内でも同じですね。仕事では部下や弟子が、家庭内では奥さんや子供が、逆らうと男は怒りが湧いてくるものです。女性でも、同じですね。いうことを聞かない部下がいると「ハゲー、ちがうだろー」なんて叫んでしまう方もいますな。子供に暴力を振るう母親もいます。弱いものを従えよう、思うとおりにしようという欲求は、男女を問わず誰にでもあるものです。 周囲のものを自分の思い通りに動かしたい・・・それは支配欲という欲です。それは、誰にでもある欲です。もちろん、その欲の強弱はあるでしょう。支配欲が強い者・弱い者、その差は確かにあります。 しかし、この支配欲、案外厄介なものです。支配欲が弱い者でも、家庭内で子供たちが親に逆らうと、イライラとするでしょう。怒りたくなりますな。いうことを聞かせたくなります。特に男性は、奥さんや子供たちに対して、そういう態度を取りやすいですな。奥様でも、自分の子どもを支配しようとして、うるさく怒鳴る母親や暴力をふるう母親がいますな。職場でも威張った上司、小うるさい上司という方はいますよね、男女を問わず。「俺に逆らうな、私のいうことを聞け」と自分の意見を押しつけてくる上司たちです。 そういう人たちは、支配欲がうまくコントロールできていないのですな。支配欲がもう前面に出てしまっているのです。しかし、余り支配欲が強すぎると、とんでもないことになりますな。 家庭内では、DVがひどくなれば、やがて事件になり、最悪のばあいは、逮捕されます。職場では、あまり支配欲がひどければ、パワハラだのモラハラだの言われ、厳罰を受けることにもなります。やがて、職場で孤立しますな。 そう、支配欲が強すぎるものに待っているのは、孤独なのです。 一般の方にとって、孤独は耐えがたいものでしょう。誰も相手にしてくれない、誰も話もしてくれない、周りに誰もいない・・・。孤独は辛いものですな。あまり支配欲が強すぎると、そうなってしまいます。恐ろしいことですな。 そうならないためには、自分の中に支配欲があることをよく認識して、その支配欲がなるべく顔を出さないように、うまくコントロールする必要があります。それには、 「お互いに支配欲があるのだ。だからこそ、お互いに譲り合う必要があるのだ」 と理解し、実践することです。自分に支配欲があるように、周りの人にも支配欲はあるのです。ならば、お互いにその支配欲を突き出すのではなく、お互いの支配欲を認め、譲りあうことが大切でしょう。 世の中は、譲り合わなければ、どこかでひずみが生まれてしまうものなのですよ。そのひずみが孤独という形でやってくるのです。 孤独にならないためにも、お互い譲り合いましょうね。 合掌。 |
第193回 周囲の意見を聞くことは大切だが、周囲の意見に振り回されてはいけない。 自分の考えもしかっかり持ち、自分の責任で決めることが重要だ。 自分の人生なのだから、自分で人生に責任を持つべきである。 |
ターラは、幼いころから自分で何かを決めることが苦手であった。いつも迷っていたため、決めることを待っていられない親が 「これにしなさい」、「こうしなさい」、「これがいいよ」・・・ などと言って、勝手に決めてしまったのだ。そのため、ターラは、自分で決めることが余計に苦手になってしまった。 勉学のため近所の子供と一緒に学校へ行くようになっても、何か決めなければいけないことがあると、 「ねぇ、どうすればいいと思う?。どっちがいいかなぁ」 と周囲の友人や先生に尋ねたのだった。友人たちは、 「ターラには、これがあっていると思うよ」 などと意見してくれたが、その意見が二つや三つになると、これが大変なことになったのだった。ターラは、どれを選んでいいかわからなくなってしまうのだ。 「そんないくつも言われても・・・その中から一つを選ぶなんて・・・どうすればいいの?」 と頭を抱えて悩むのだ。いつぞやは、 「いっそのこと、順番にやってみればいいんじゃない?」 と言われ、選択肢が複数あって決めかねていたことを順番に行う羽目になった。そのため、ターラはいろいろと振り回されることになったのだった。 しかし、ターラにとって、あっちへうろうろこっちへうろうろと、他人の意見に振り回されることは、日常のことだった。友人たちは、 「あ〜あ、またターラが振り回されている。あいつ、何も自分で決められないのかなぁ」 「あいつはダメだぜ。自分じゃ、何も決められないんだ。服だって、毎日母ちゃんが決めてるんだぜ。そんなに裕福じゃないから、着るものなんてたくさんないくせにさ。ターラは、決められないんだ」 「本当かよ、変なヤツだな。そうだ、少しからかってやろうじゃないか」 などと言っては、ターラにいろいろな選択肢をあたえて、わざと悩ませたりしていたのだった。 このように、ターラは、いつも周囲の意見に振り回されて生きてきたのである。やがて、働けるような年齢になると、これまた面倒なことになったのだった。 ターラの住んでいたところは、コーサラ国でもはずれの田舎の小さな村だった。働き口を探さなければならなくなった時、ターラはまた迷い始めたのだった。 普通なら、親と一緒の職業に就くことになっていた。カースト制度があったので、その家の職業は簡単には変えられなかったのだ。しかし、コーサラ国は、比較的カースト制度が緩やかであった。実力があれば、奴隷の子であっても兵士になれたし、他の職業に就いてもよかった。また、親の職業を継いだとしても、実力がなければ、辞めざるを得ないこともあった。職業に関しては、選択の自由がある程度許されていたのである。 ターラの父親は、 「わしの跡を継いで、大工職人になれ。いや、それが決まりだ」 といったが、ターラに大工職人は向いていなそうだった。彼は、不器用だったのである。なので、母親は「この子に大工なんて務まらないよ。せいぜい、農園で収穫の手伝いくらいしかできないよ」 と反対したのだった。それでも父親は、 「自分の子供にそんなこと言うヤツがあるか。今は不器用でも、俺が教えてやるから大丈夫だ」 と言い切り、自分の仕事場に連れて行った。しかし、ターラは、父親以外の大工仲間から何かを言われるたびに、どうしていいかわからなくなってしまったのだった。 「あれれ、あっちの親方はここに釘を打てというし、父ちゃんは釘じゃない細工で動かないようにするんだというし、こっちの先輩は金具で固定するんだというし・・・・。どうすりゃいいんだ?」 などと、道具を持ったまま動かないで迷い続ける日々が続いたのだった。結局、ターラは大工に向いていないと父親もあきらめたのだった。 さて、そうなると仕事がない。友人にいい仕事がないか聞けば、あれがいい、これがいいとたくさんの意見が出てしまった。親切な友人は、すぐにでも仕事に付けるよう手配してやると言ってくれたが、そう言ってくれた友人も何人かいて、誰に頼んでいいのか迷ってしまったのだった。そうこうしているうちに、 「もういいよ、好きにしなよ。自分で決めればいいじゃないか」 と言われ、見捨てられたようになってしまった。結局ターラは、どの仕事も選ぶことができず、ウロウロしただけで家で悩む日々を過ごしていた。 そんなターラのことを心配した学校の先生が 「いっそのこと、どうすればいいかお釈迦様に聞いてみなさい。お釈迦様に決めてもらえばいいのだ」 と教えてくれた。ターラは「それはいいかもしれない」と思ったのだった。ターラがいた小さな村でも、お釈迦様は何でもお見通しで、何でも教えてくれるという噂は流れていた。素晴らしい聖者であると・・・。 「そうかぁ・・・お釈迦様に決めてもらうのが一番いいかもしれない。なんせ、何でもわかってしまうお方だからな。よし、お釈迦様に決めてもらいに行こう」 そう決心したターラは、さっそく親にお釈迦様がいらっしゃる祇園精舎へ向かうことを伝えた。彼の両親は、彼のことがほとほとお荷物になっていたのか、喜んで旅に出ることを許してくれたのだった。 なんとか祇園精舎までたどり着いたターラは、お釈迦様の前に黙って座っていた。 「汝は、何の用があってここに来たのだ?」 お釈迦様が優しく尋ねた。するとターラは 「はい、私がどんな仕事に着けばいいのか、教えてもらおうと思いまして・・・」 と軽やかに言ったのだった。お釈迦様は、 「好きな仕事に着けばいいではないか」 とそっけなく答えた。これにはターラも驚いた。 「好きな仕事・・・・ですか?。好きな仕事・・・・う〜ん・・・」 彼は考え込んでしまった。しばらくして 「好きな仕事と言われても、わかりません」 と答えた。するとお釈迦様、そっけなく答えた。 「では、できそうな仕事をやればいいであろう」 ターラ、また考え込んでしまった。しばらくして 「それがわかりません。周りの人たちは、あれがいいこれがいいと言ってくれますが、どれもこれも・・・、どうなのかよくわからないんです。どうしても決められないんです。迷ってしまって・・・。親切に仕事を紹介してくれる人もいるのですが、それが一人だけならいいのですが二人や三人となると、どの仕事を選んでいいのか迷ってしまうんです。で、結局どの仕事にも就けず話は流れてしまうんです。できそうな仕事と言われても、何ができるかもよくわからないんです」 とまくしたてた。 「汝には、自分はこうしたいという意思はないのか?」 「はぁ・・・。特には・・・」 「自分のしたいこと、やりたくないこと、というのはないのか?」 「う〜ん、考えたことありません・・・。いつも誰かに決めてもらっていたような・・・」 「ここに来たのはなぜだ?」 「学校の先生が行けって言ったから。お釈迦様様なら何でもお見通しだから、私にあった職業を教えてくれるだろう、と教えてくれたんです」 「では、汝は、私が死ねと言えば、死ぬのか?」 「あっ・・・。それはちょっと・・・・。きっと、ほかの人にどうすればいいか尋ねると思います」 「ほかの人が、それは死ぬべきだ、と答えたらどうするのだ?」 「う〜ん、どうしよう・・・、死にたくはないし・・・」 「死にたくはないのだな?」 「はい、生きていたいです。働いて、奥さんをもって、子供もつくって、家庭を持ちたいです」 「なんだ、自分の意志があるではないか」 「お釈迦様にそう言われ、ターラはキョトンとしてしまった。 「家庭を持ちたい、というのは、汝の意志であろう?。誰かにそうしろ、と言われたのか?」 「いいや・・・。えっと・・・そうするのが普通かと思っていましたし・・・」 「家庭を持ちたくない、という人もいるのだよ。しかし、汝は、家庭を持ちたいという意志を持っている」 「そうですね・・・確かに、それは何となく決めていました・・・・」 「よいか、汝が周囲の意見を聞くことは、それはよいことである。いろいろ迷ったとき、周囲の意見を聞き、参考にするのはよいことだ。しかし、それはあくまでも参考にするだけだ。決めるのは、自分自身である。他人に自分の生き方や方向を決めてもらうのは、それは自分に対して無責任というものだ。周囲の意見を聞くのはいい。しかし、それは参考であって、その意見に振り回されるようでは、いけない。それは愚かな人がすることだ。自分の意見もしっかりと持ち、最終的には自分の責任で決定しなければいけない。そうでなければ、自分の人生を放棄したことになる。それでも良いのであれば、人生を放棄してみるのもよいとは思うがな」 お釈迦様の厳しい指摘に、ターラはいつになく深く考え込んでいた。彼は、今までの自分の人生を振り返っていたのである。 「あぁ、私は・・・今まで自分の人生を放棄していたかもしれません。何かも、親や友人に決めてもらっていたし・・・。自分で決めたことと言えば・・・あぁ、でもここに来るのは、最後は自分で決めましたよ。勧めたのは学校の先生でしたが、最終的に決めたのは私です。そうか、そうやって自分で決めればいいんですね。そうか、そう言うことだったのか・・・。わかりました」 ターラは、明るい顔でそう言ったのだった。 「そうだ、そういうことだ。よく理解した。では、ターラよ、汝はどんな仕事が好きだ?」 「はい、私は・・・饅頭を作ることが好きです。ですから、お菓子職人を目指します」 「そうか、それはいい。頑張って仕事をしなさい。けっして、他人に振り回されないようにするのだよ」 お釈迦様にそう言われ、ターラは大きくうなずいたのだった。そして、軽やかに祇園精舎を後にしたのだった。 自分で物事を決められないなんて・・・と思う方は多いかもしれません。しかし、案外、自分で物事を決められない人も多いのです。そう言う方は、 「誰かに背中を押してもらわないと、決心がつかないんです」 と皆さんおっしゃいます。背中を押してもらって、初めて一歩前に進める、というのです。まあ、それもいいかもしれませんが、それってちょっと無責任ですよね。 あまり我が強くても周囲は引きますし、生きにくいかと思います。「私が私が!」と暑苦しく前面に出てこられるのも嫌ですよね。「わしのおかげで」とか「私がしてやったから」などと、我を押し付けらるのは、ちょっとうんざりですな。また、我が強い人の特徴で意地を張って頭を下げない、というのもどうかと思います。しかし、かといって、自分がなさすぎるのもどうかと思いますな。周囲の意見を聞くのはいいですが、それに迷いに迷って迷路にはまった状態になってしまうのも愚かしいことですよね。 確かに、迷ったとき、悩んだときは、周囲のアドバイスに耳を傾けることは大切なことでしょう。知識のある人から意見を聞き、参考にすることは先に進むときには大いに役立ちます。しかし、それはあくまでも参考にするべきことですよね。他人に決めてもらうことではありません。最終的に決定を下すのは、自分自身です。 それなのに、あの人はこう言っていた、この人はああいっていた、あっちの人は・・・などと、いろいろ意見を聞きすぎて、結局何が何だか分からなくなってしまった・・・という人もいるのですよ。こういう人、最近増えたんですよね。 理由は簡単です。スマホですな。ネットの世界には様々な情報が触れています。意見も多種多様ですな。これがいいという人もいれば、反対の人もいます。あちこち検索しているうちに、わけが分からなくなってしまいますな。いったいどれが正しいのやら、判断がつかなくなるんですね。そんなことなら、初めからネットなんて頼らなければいいのに・・・とスマホを持たない私は思いますな。自分で決めればいいのに、と。 いろいろ情報を集めるのは悪いことではありません。しかし、それはあくまでも参考程度のことでしょう。所詮、他人の意見・・・無料の意見・・・なんて無責任です。本当にいい意見が欲しいのなら、有料で聞いたほうが有効な意見が聞けるでしょうね。他人の意見とは、そのようなものです。 いずれにせよ、自分の意志もしっかり持っていなければ、周囲の意見に振り回されるだけです。で、疲れてしまいますな。最終的には自分で決めるのだ、という、そこだけでも自分の意志を持っていれば、振り回されることなどないでしょう。 こういう意見もある、そういう意見もある、それは参考にしよう。で、最後は、自分で決めよう、なぜなら、自分の人生だから・・・。 自分の人生です。自分で責任を持ちましょうね。 合掌。 |
第194回 いくらよい話、よい助言、よい忠告を聞いても それをよく理解し、素直に受け入れ、実践しなければ意味はない。 それこそ、宝の持ち腐れである。 |
お釈迦様は、その時、貧しい村を旅していた。その村は、職人たちが住まう村だった。職人と言っても、マガダ国やコーサラ国の都心部にいる職人たちとは違い、石の残骸を集めて石積みの隙間に埋めるような石を作ったり、金細工のクズをを集めてきて薄っぺらい金の板を作ったり、鉄くずを集めて鉄の棒を作ったり、木っ端を集めては安物の家具を作ったりといった仕事ばかりの職人たちだった。派手に大きく儲けるような職人の仕事ではなかったのだ。なので、賃金も安く、人々の生活は貧しかったのである。そんな村の近くの農園でお釈迦様たちは滞在していたのだった。貧しい村だったので、托鉢もままならなかったが、文句をいう弟子は一人もいなかった。そうした中、お釈迦様は午後になると、農園の近くの広場で説法を行った。 法話に集う人々は少なかった。弟子の方が多いくらいだった。それでも、お釈迦様は、弟子にではなく、集まった在家の人々にいろいろな教えを説いたのだった。 「幸せと貧しさは関係はない。いくら貧しくても、今の生活に満足をすることを知れば、幸せはおのずとやってくるのだ」 「いくら賃金が安いからと言って、怠ってはいけない。怠らず、日々働いていれば、生活に困ることはないのだ。あの仕事はいや、この仕事は安いからダメ、労力に合わないから仕事をしない、ではなく、どんな仕事でも、日々コツコツと働き、無駄遣いをせず、貧しいながらも工夫をして生活をすることを心掛ければ、余裕は生まれてくるものである」 「怠けることが最もいけない。怠惰は敵である。己の中の怠惰という悪魔を追い出し、地道に働くことが大事なのだ」 「腐ることなく、不平不満を口にすることなく、地道に働くこと、そして満足を知ること、それが幸せへの近道である・・・これは出家修行者も同じである。修行者は一日たりとも怠らず、コツコツと修行に励みむことが悟りへの近道なのである。出家者も在家も基本は同じである・・・・」 このようにお釈迦様は、村人たちに怠らず仕事に励むことを説いたのだった。なぜなら、この村の男たちは、怠けものが多かったからである。だからこそ、村自体が貧しかったのだ。 村人たちは、入れ替りでお釈迦様の教えを聞きに来ることが多かった。たいていの場合は、話を聞きに来ると3日ほど間をあけてやってくるのだ。そんな村人の中に、毎日のようにお釈迦様の法話を聞きに来る一家がいた。その家の者は、マツラーという名の者たちだった。マツラー家は、家族ぐるみで教えを聞きに来ていた。ある日のこと、お釈迦様はその一家に尋ねた。 「汝らは、熱心に毎日話を聞きに来るが、仕事は大丈夫なのか?」 その一家の父親が答えた。 「へい、大丈夫でやす。午前中に家族みんなで鉄クズを集めておりやす。で、お釈迦様の教えを聞き終わったら、家に戻り、その鉄くずを溶かして固めやす。そいで、明日は固まった鉄を加工しやす。仕事はちゃんとしておりやす」 「そうか、ならばよい。そのようぬ怠らず仕事に励むことだ」 そうお釈迦様は言ったが、その表情はどこか憂いを含んでいた。その憂いの表情のまま、お釈迦様はマツラー家の者たちを見送ったのだった。 しばらくして、お釈迦様たち一行は、次の村へ移った。その村も前の村と同様、貧しい村だった。お釈迦様は、前の村と同じように、腐らず怠らず働くことを説いた。村人たちは、お釈迦様の話に大きくうなずいて、普段の怠けた日々を反省したのだった。 そんな村人の中に、隣村のマツラー夫婦がいた。お釈迦様は、彼らを見つけ 「隣村まで話を聞きに来たのか?。仕事は大丈夫なのか?。汝らの村で話したことと、ここで話していることは、同じであろう。わざわざ隣村まで来ることはないのではないか?」 と問うた。マツラーは 「へい、大丈夫でやす。ここへ来ながら鉄くずを拾っておりますんで。また、帰りも鉄くずを拾いながら帰りやす」 しかし、どう見てもマツラーは鉄くずを持ってはいなかった。 「汝ら、いくら話を聞いても、それを実際に生かすことができなければ、意味はないのだよ。さぁ、早く帰って仕事に励むがよい」 お釈迦様は、マツラー夫妻に早く帰るよう勧めた。 その翌日から、マツラー夫妻の顔を見ることはなくなった。お釈迦様の弟子たちは、 「ようやく彼らも働くようになったのでしょうね。やれやれですね」 「あぁ、彼らはここにさぼりに来ていたようなものだからな。いくらなんでも、毎日、話を聞きに来ていては仕事にならぬからな」 「やっと彼らにもお釈迦様の話が通じたのだな。よかったよかった」 などと話を合っていた。しかし、お釈迦様だけは、どこか晴れない表情をして 「汝らも無駄なおしゃべりなどせず、修行に励むがよい」 と言って、静かに瞑想に入ったのだった。 それから一カ月ほどが経ったころのこと。お釈迦様たちは、祇園精舎に帰ってきていた。 ある日のこと、その祇園精舎で法話の最中に、汚れた痩せぎすの少年がよろよろと入ってきた。そして、叫んだのだった。 「お釈迦様のせいだ。お釈迦様が、オラの村に来たから、父ちゃんたちは働かなくなったんだ。おかげで、オラの家は貧しくなり、父ちゃんは死んでしまった。母ちゃんは家出してしまった。妹は怖い大人が来てどこかへ連れて行ってしまった。弟は餓死してしまった。みんなお釈迦様が悪いんだ。お釈迦様が、オラの村に話をしに来なければ、父ちゃんは働いていたんだ。お釈迦様が来るまでは、父ちゃんも母ちゃんも仕事をしていたのに・・・オラ、腹が減って死にそうだ・・・」 そういうと、その少年はへたり込んでしまったのだった。 法話に集まっていた人たちが、その少年に食べ物を与え、水を飲ました。しばらくして、少年はほっとしたのか、大声で泣き出したのだった。人々はざわつき始めた。 「お釈迦様のせいでこの少年の一家がどうにかなっちまったのか?」 「そんなまさか?」 「しかし、こんな子供がウソをつくとは思えないし・・・」 人々は、口々に「どうなっているんだ?」と話し始めたのだった。 そんな状況を無視して、お釈迦様はその少年を見て 「少年よ、あの貧しい村で、一家で法話を聞きに来ていた者か?。毎日のように話を聞きに来ていた者か?」 と尋ねた。人々のひそひそ話は鎮まった。少年は、泣きながら答えた。 「そう、マツラーっていうんだ」 「父はどうした?」 「父ちゃんは、午前中は、ぶらぶら村を回って鉄くずを集めていたんだけど・・・オラも手伝ったんだけど、ちっとも鉄くずが集まらなくて昼からはゴロゴロするばかりで・・・。そのうちに、こんな仕事やっていてもダメだ、もっと金になる仕事をしなきゃとかいって・・・。家は毎朝出ていくんだけど、お金を持って帰ってきたことはなかった・・・。何をやっていたのか知らねぇけど、そのうちに母ちゃんも一緒に出掛けるようになって・・・。そんな日が続いて、ある日のこと、父ちゃんは川に落ちて溺れて死んでしまったんだ。母ちゃんも一緒にいたはずなんだけど、そのまま帰ってこなくなっちまった・・・。お釈迦様が来るまでは、父ちゃんも母ちゃんも働いていたんだ。オラの家は、村の中では裕福な方だったんだ。なのに、お釈迦様の話を毎日聞きに行くようになってから、働かなくなっちまったんだ。だから、こうなったのはお釈迦様のせいだ!」 少年は、大きな声で叫んだのだった。 「少年よ」 お釈迦様は優しくマツラー少年に話しかけた。 「私は、人々に怠らず働くように話をしたはずだが、汝の父親は聞いていなかったのだろうか?」 「いや、父ちゃんはちゃんと話を聞いていた。だけど、『一生懸命働いてきたから、怠らず働いてきたから、うちは余裕がある。お釈迦様は、満足を知らないといけないと教えてくださった。うちは、裕福じゃないか。これで満足だろう。ならば、仕事も満足してやればいいのだから、まあゆっくりやればいいのだ』とか言って、前のようにせっせと働かなくなったんだ」 少年お話を聞いて、人々の中から失笑と共に 「なんだ、父親が悪いんじゃないか」 という声が、あちこちから漏れて来た。少年は、きょろきょろしながらも話を続けた 「オラは、それは間違っているよ、と何度も言ったんだが、父ちゃんも母ちゃんも、『安い仕事はやらなくていいな。今で十分だからな』とか言って、安い賃金の仕事はしなくなってしまったんだ。でも、そのうちに貯金もなくなり、困ってしまったんだ。で、前に仕事を回してくれた人に頼みに行ったりしたんだけど、『安い賃金の仕事はしないんだろ』って言われて・・・。で、鉄くずを拾い集めていたんだけど、家を出る時間も遅いからほかの人に拾われてしまって・・・。オラも何度も言ったんだ。父ちゃん間違っているって!。でもそのたんびに怒られて殴られたから・・・。そのうち、父ちゃんも母ちゃんもぶらぶらするだけになってしまったんだ・・・」 少年の声は、次第に小さくなっていった。 「なんだ、本当に愚かなことだな。おい、ボウズ、それはお釈迦様が悪いんじゃない、お前の両親が悪いんだ。お前の両親が、お釈迦様の話をちゃんと理解せずに、自分の都合がいいように聞いてしまったからいけないんだ。ちゃんとお釈迦様の話を素直に聞いて、働けばよかっただけのことじゃないか。バカな親だ!、あはははは」 いきなり、集まった人々の中から、そう大声で言った者がいた。それにつられ、何人もの人が「そうだそうだ」と同調し、笑ったのだった。 「黙るがよい。口を慎め」 お釈迦様は、いつにない強い口調でそう言った。一瞬にして、笑い声は止まり、しーんとしたのだった。 「今、少年の両親を大きな声で罵った者、その者も私の話を聞いていない者である。日ごろ、私は何と説いているか?。他人の落ち度を見ることなく、批判することなく、ののしることなく、自分の落ち度を見るがよい、と説いているであろう。それを知らないわけではあるまい。いくら私の話を聞いても、それを実行できなければ意味のないことだ」 お釈迦様は、そうきつく言うと、少年の方を向いて言った。 「少年よ、汝は正しい。確かに間違っていたのは、汝の両親であろう。しかし、汝の両親のように、私の話を自分の都合に合わせて、勝手に判断し、勝手な解釈をし、間違った方向に進んでしまう者は、意外に多いのだよ。いくら話をしても、何度も同じように説いても、なかなか理解するのは難しいのだ。いや、たとえ理解をしても、それを実践できるかどうかと言われれば、さらに難しくなるのだ。 少年よ、いや、ここに集う人々よ、いくらいい話、いい助言、いい忠告を聞いたとしても、それをよく理解し、素直に受け入れ、実践しなければ意味のないことだ。それこそ、宝の持ち腐れである。聞くだけ聞いた、あとは知らない・・・では意味のないことだ。いい話を聞いた、でも実際には身についていない・・・これもいけないことだ。いい話、いい助言、いい忠告を聞いたならば、それを実行していくことが大事なのだよ。少年よ、汝も気を付けるように。そして、人々よ、汝らもいい話を聞いた・・・だけで終わらぬように精進してほしい」 お釈迦様hは、そういうと優しく微笑んだのであった。 有名なお坊さんの講演会などに行くと、その講演が終わった後、みなさん 「いい話だったねぇ。私たちも気を付けなきゃねぇ・・・」 などと感想を話しながら帰って行く姿を目にします。いや本当にいい話が多く、その話の内容のように生きられたならどれほど幸せだろうか、と思いますな。それくらい、いい内容の話が多いですよね。 さすが、名の通ったお坊さんのいうことは違う、どこかの偏屈住職とは大違いだ、なんて声も聞こえたりするかも・・・ですな。 しかし、いくらいい話を聞いても実際にその通りにはできないのが人間ですな。 「そんなに嫁の悪口を言っていると、罰が当たるよ。あんただって嫁に来た頃は、いろいろ言われて苦労したでしょ。嫁の気持ちがわかるはずなんだから、もう少し優しくしてあげなさい」 なんて諭されたお婆さんが 「へいへいそうですね。私も悪いですよね。以後気を付けますよ。御忠告ありがとうさん・・・」 なんて殊勝な顔をして反省をするのですが、そんなのは三日と持ちませんな。いやいや三日どころか1時間ももちゃしない・・・なんていう話はよく耳にしました。 悪口は言うな、蔑むな、余計な口出しはするな・・・などと話をしているときは、みなさん「うんうん、そうですね」と聞いているのですが、お寺を出るころには忘れていますな。まあ、そういう自分も完璧には守れていないですけどね、お釈迦様の教えを・・・。 「わかってはいるんです。わかってはいるんだけど、ついつい出ちゃうんですよね。で、あとからしまったと思うんですよねぇ・・・」 ということなのでしょう。そう、みなさんわかってはいるんです。わかっちゃいるけどやめられないってことなんです。で、あとから自己嫌悪に陥るのですな。 自己嫌悪に陥る方はまだマシですな。何にも気が付かないで、「あら、そうだっけ?」なんて方もいますからね。恐ろしいことですな。 いくらいい話を聞いても、いくらいい助言やアドバイス、忠告をされても、それを受け入れなければ何もなりませんな。いくらいい説法を聞いても、いくらいい教えを聞いても、それが身につかなければ意味がありません。本当に宝の持ち腐れですな。ましてや、話の内容を勝手に曲げて自分流に解釈して、勝手なふるまいをしてしまう・・・というのは、もうお話になりません。「そこまでひどい人はいないだろう」と思われるかもしれませんが、そうでもないのですよ。理解力は人それぞれですからね。意味を取り違える、ということは日常でも見られることですな。 いい話、いい助言やアドバイス、忠告を聞いたなら、素直にそれを受け入れたほうがいいですな。また、勝手な解釈をしないように、話の内容を確認したほうがいいですな。ちゃんと自分が理解できているか、確認するのですよ。わかったふりはいけませんな。わかったつもりもダメですね。 そして、意味を理解したならば、実践や実行してみるべきでしょう。話を聞いた、アドバイスを聞いた・・・それで終わっていてはいけません、ちゃんとやってみないと。話を聞いただけで実践しなければ、意味のないことになります。ましてや間違った解釈をして間違った実践をしてしまっては、どうしようもないでしょう。 宝の持ち腐れにならないよう、いい話・いいアドバイスなどを聞いたなら、それを生かすべきですね。 合掌。 |
第195回 出自がいいから、職業が立派だから、金持ちだから・・・ だからと言って尊敬されるわけではない。 尊敬される人は、その言動に余裕と寛容があるからである。 |
ニガンダは、バラモンの家に生まれた。しかも、その家は名門のバラモンで、他のバラモンたちにバラモンの聖典を教える役目の家だった。大きな家を持ち、大商人にも匹敵するほど裕福な家だった。そんな家庭で育ったニガンダは、子供のころから威張っていた。家を訪れるバラモンたちは、ニガンダの父親に敬意を払うのは当然であったが、ニガンダにも恭しく礼を尽くしていたのだ。そのため、ニガンダの態度は大きくなっていった。一方、父親はニガンダには厳しく教育としつけをしていた。 「お前は、将来我が家を継ぐ身だ。バラモンたちの頂点に立つものになるのだ。しっかりと勉強して立派なバラモンになるのだぞ」 それが父親の口癖だった。 ニガンダが20歳ころになったとき、父親が急死した。ニガンダは、父の跡を継ぎ、バラモンの頂点の立場についた。ニガンダは、張り切った。 「父の跡を継いだニガンダだ。皆、よろしく頼む」 多くのバラモンの前でニガンダはそう言った。バラモンたちは、恭しく頭を下げたのだった。 しかし、バラモンたちの間では、次第にニガンダの評判は悪くなっていった。 「若いくせに威張ってやがる。何だ、あの態度は!」 と、むくれる者もいれば、 「先代の先生の息子か知らないが、知識は先代の先生ほどではないな。あの者を先生と呼ぶのは辛いな」 と冷静に批判する者もいた。 確かに、ニガンダは威張っているだけで、バラモンの聖典を講義するのは、あまり得意ではなかった。研究はよくしていて、知識はあったのだが、人前に立つと余裕がなくなるのか、うまく振舞えなかったのである。 そうした状況で半年も過ぎると、ニガンダのことをバカにするバラモンも出てきた。たまたま、ニガンダがちょっとした言い間違えをしたりすると、失笑する者が出てきたのだ。それまでは、あからさまに笑うものなどいなかったが、時を経て慣れてきたのか平気で笑うものが出てきたのだ。そんな時、ニガンダは激しく怒った。 「今、笑ったのは誰だ!。ちょっと言い間違えただけだ。それを笑うとは!。それはバラモンにあるまじき態度だ。そんな者は、出ていきなさい」 そうして、その日の講義は終わってしまうのであった。 別の日には、ニガンダの問いにうまく答えられなかった生徒側のバラモンに対し 「こんなこともわからないのか。その年までいったい何を学んだのだ!。もう一度、初めから聖典を読み直せ!」 と怒鳴る日もあった。ニガンダは、いつもイライラしているようだった。 それでもニガンダは、バラモンの頂点に立つ家柄である。多くのバラモンが、ニガンダのもとへ通い、彼から聖典の講義を受けたのだった。そうして、多くのバラモンを教えたニガンダだったが、ある日のこと突然、病に侵された。彼は寝込んでしまったのだった。 ニガンダには、男の子供が3人いた。その中の長男はニガンダのあとを継ぐことになっていた。他の子は、普通のバラモンとして、ニガンダのもとを去り、別のバラモンの家を作っていた。 長男は、ニガンダと違い、おとなしい性格だった。ニガンダに代わり講義を行うことになった。講義は意外にも順調だった。不平不満を口するバラモンは、一人もいなかった。しかし、ニガンダを見舞うバラモンは一人もいなかった。ニガンダは、息子の講義がうまくいっていることを喜ばずに、 「なんだ、あれほど面倒を見てやったのに、誰一人として見舞いにも来ない。講義が終わったらさっさと帰って行ってしまう。同じ家の中に私がいるにもかかわらず、アイツらは挨拶にすら来ないのだ。なんて冷たい連中だ。少しは、私のことを尊敬しろ。お前らの頂点に立つものだぞ、お前らよりも知識が多いのだぞ、お前らよりも良い家柄なのだぞ!」 と、毎日のように大声で文句を言っていたのだった。 しばらくして、ニガンダの病は治った。彼は、再び講義に立った。しかし、生徒のバラモンからは 「先生の講義よりも息子さんの講義のほうがいいのですが・・・」 と言われたのだった。ニガンダは激怒した。 「な、何を言うか!。そんなことをいう者は、出ていくがよい!。私が唯一のバラモンの頂点なのだ。尊敬されるべきは、私なのだ!。それがわからぬのか!」 その怒号の中、生徒のバラモンたちは、ニガンダの前を去ったのであった。それ以来、ニガンダの家には誰も通わなくなった。 やがて、ニガンダが知らぬうちに、ニガンダの息子が自宅ではなく、別の場所でバラモンたちに講義をするようになった。そこには、多くの若いバラモンが集まり、ニガンダの息子から教えを受けていた。 その事を耳にしたニガンダは、また激怒した。 「何ということだ。息子まで私をバカにしおって!。なぜだ・・・なぜ私は・・・尊敬されない・・・。おい、お前」 ニガンダは、そばにいた召使いに聞いた。 「おい、お前らは、巷のことをよく知っているな。バラモン以外で尊敬を集めているのは者はいるか?」 「はい、旦那様、バラモン様以外で尊敬を集めているのは、お釈迦さまです」 「あぁ、あの釈迦族のゴータマか。そんなに尊敬を集めているのか?」 「はい、その・・・バラモン以上に・・・尊敬されております。国王も、王妃も毎日のように祇園精舎に通っております。バラモンの中にも祇園精舎に通い、教えを受けている者がいるそうです」 「なんたることだ・・・。バラモンが聖典以外の教えを受けるとは・・・情けない。そんな者が、世の尊敬を集めているとは・・・」 ニガンダは、苦虫をかみつぶしたような顔をして嘆いたのだった。 その翌日のこと、ニガンダは嫌々ながらも祇園精舎を訪れていた。そして、お釈迦様の前に進み出て 「尋ねたいことがある。私は、バラモンの頂点に立つものだ。それなのに、なぜかだれも私を尊敬しない。誰も私を慕ってくれないのだ。あなたには、このように大勢弟子がいる。何か秘訣でもあるのであろう。それを教えていただきたい。バラモンの頂点に立つこの私が、こうして頭を下げているのだ、よろしく頼む」 と願い出たのである。お釈迦様は、答えた。 「ほう、それはそれは。大いなる決意だったようですな。よくぞ決意された。あなたのような方が私のもとを訪れ、頭を下げるなどとは・・・これは世にも珍しいことであろう」 「そうだろう。だから、私に弟子を引き付ける秘訣を教えて下され。お願いだ」 「ニガンダ殿、その秘訣が知りたいならば、私と一緒に来るがよい」 そういうとお釈迦様は、立ち上がって歩き出した。ニガンダも後を追って歩き出した。何事かと思った弟子たちもぞろぞろとそのあとに続いたのだった。 お釈迦さまが行きついたのは、ニガンダの息子が講義を行っている場所だった。そこは、屋根もない、座る場所も適当な広場だった。そこで、ニガンダの息子は講義をしていたのである。お釈迦様が、その様子を見て言った。 「ニガンダ、汝の息子を見て、何も思わぬか?」 「ふん。あんなに生ぬるく教えていたのでは、バラモンの示しがつかん。もっと堂々と教えねば。何せ、我が家はバラモンの頂点に立つ家柄だからな」 ニガンダは、小ばかにしたように息子の様子を批判したのだった。 「ニガンダよ、そこが間違いなのだ。よく考えよ。汝には誰も集まらないが、息子にはこのように大勢のバラモンが集まっている。どこが違うのか?。そこをよく見て観察して考えよ」 お釈迦様の声は厳しかった。ニガンダは、その声に驚きながらも「ふん」と横を向いてしまったのだった。その様子を見て、大きくため息をついたお釈迦様は 「その態度がいけないのだ。だから嫌われるのだ」 と冷たく言い放った。その言葉にニガンダは、キッとなってお釈迦様の方を見たが、その穏やかな顔に戸惑ってしまったのだった。 「よいかニガンダ。家柄がよいからとか、立場が立派だからとか、職業が優れているとか、金持ちだからとか、そう言ったことで人は尊敬されるのではない。尊敬される人は、その言動が優れているからなのだよ。よく見よ息子の姿を。彼は汝のように威張っているだろうか?。生徒のバラモンたちを見下しているだろうか?。怒鳴り散らしているだろうか?。質問に対して間違った答えを出した生徒を大声で叱ったり、バカにしたりしているであろうか?。汝に無くて、息子にあるのは何か?。そこをよく考えよ」 ニガンダは、息子の講義の姿を観察し始めたのだった。 「お釈迦様、息子に余裕があるように思います。しかも、なんというか優しいというか、許すというか・・・あぁ、寛容なのですね。息子には、余裕があり、寛容があるのですね。あぁ、それは・・・私には無いものだ。私は・・・いつもイライラして、他を許さず、抑えつけようとしていた。あぁ、それでは誰も私には近づきませんね。そうか・・・尊敬される秘訣は、余裕と寛容だったのか・・・」 「ニガンダ、さすがですね。よく気が付きました。自分以外の者に対して、余裕を持って接することができる者。そういう者が尊敬されるのです。余裕があれば、他者に対してキツク当たることもないでしょう。人当たりがよくなるのです。そういう人は、他者から好かれます。また余裕があれば、寛容にもなれるのです。他者の過ちや間違いを許すことができるのです。寛容さは、すべての人を受け入れる器を作ります。器が大きくなれば、やはり人々は慕ってやって来ることでしょう。ニガンダよ、尊敬されたくば、余裕を持って人に接すること、そして、寛容さを持つことです。それがなければ、尊敬は得られないのですよ」 お釈迦様の言葉に、ニガンダは 「よくわかりました。余裕と寛容が尊敬される秘訣なのですな。あぁ、その二つは、私には全くないものです。それでは尊敬されるわけはないですな。しかし、いきなり余裕と寛容さを持てと言われても、それは難しいでしょうな。講義は息子に任せましょう。私は・・・聖典の研究をします。そのほうがあっているでしょう。これからは、息子の時代ですな。あははは」 そう笑ったニガンダは、少し寂しそうだったが、新たな決意を秘めていたのだった。 先日のこと、あるニュース番組で就活のことを特集していました。就活がすんなり決まった人もいれば、なかなか決まらない人もいました。その決まらない人の一人を取材していたのです。彼は大手の会社ばかりを受けていました。その理由を記者が尋ねます。 「理由は二つあります。一つは大手だといろいろな職種があり、いろいろな経験ができるからです。選択の範囲が広いのです。ところが中小だと、仕事が決まってしまいます。選択肢が狭いのです。だから、大手を希望するのです。もう一つは、私は留年を重ねました。それで、周囲から下に見られています。バカにされたような感じなのです。だから、それを見返すというか、尊敬をされたいのです。あんな大手に入ったんだ、と尊敬をされたいのです」 このように彼は答えていました。 確かに、大手会社に入れば、職種の選択肢は広まるでしょう。中小企業よりは、当然、選択肢は増えます。経験をより多く積めるでしょう。それは確かにそうですね。まあ、だからと言って、中小で経験が積めないか、ということではありません。中小企業には中小企業の苦労もあり、アイデアもあり、工夫もあります。そこでの経験は、他では得られないことかもしれません。まあ、そうではあるのですが、選択肢という部分では、確かに大手の方が多いのは事実でしょう。彼の主張のうち、そこは理解できますな。問題はそのあとですね。 尊敬されたい・・・。多くの人がそう思っていることでしょう。そりゃ、当然ですね。バカにされるより、尊敬されたほうが気持ちがいいですからね。ですが、尊敬はそう簡単に得られるものではありませんな。 では、どんな人が尊敬されるのか?。東大を出たから尊敬されるのか?。一流企業に勤めたから尊敬さるのか?。家が大金持ちだから尊敬されるのか?。家柄がいい、出自がいいから尊敬されるのか?。TVに出て活躍しているから尊敬さるのか?。 こうした人たちは、羨望の眼差しで見られることはあるでしょう。「いいなぁ、羨ましいな」という目ですね。しかし、それは本当の尊敬とはちょっと違うのではないでしょうか?本当に尊敬される人は、一流会社に勤めなくても、東大卒でなくても、金持ちでなくても、TVに出ていなくても、家柄がどうであっても尊敬されますよね。尊敬される人の何が違うのでしょうか? 尊敬されている人をよくよく見ていますと、どの方も余裕があるように見えます。ちょっとしたことでも「ホッホッホ」と笑って済ませてしまう余裕です。いつもゆったりと構えていて、懐が広そうな感じがするのですよ。で、そんな方は、決して他を批判したり非難したりすることなく、「まあ、いいんじゃないですか」などと許してくれるのです。そう、寛容さがあるのです。 今の時代、心の余裕がなく不寛容な時代と言われてますね。ちょっとした過ちがネットで叩かれ、大きく広がっていく・・・。まるで集団いじめのように叩きますな。ちょっとした一言で、関係のない他人が、叩き始めるのです。そんな時代なのです。 ちょっとしたことですぐにイライラしたり、他者を批判したり、偉ぶったりする人は、決して尊敬はされませんな。尊敬をされる人は、余裕と寛容さがあるからこそ、なのです。 ですから、道路上で走行妨害するような者、ましてや車から降りて怒鳴る者など、決して尊敬される人にはなれませんな。 心の余裕持って、また寛容さをそなえて、尊敬される人を目指しましょう。 合掌。 |
第196回 他人のせいにする前に、他人を恨む前に 自分がしてきた行動や言葉を振り返るがよい。 それができなければ出直すのは難しい。 |
アグニは、大きな商売を営んでいる家の2代目であった。母親は数年前に、父親が先だって亡くなった。そのため、アグニが跡を継いだのだ。アグニの店には何人もの働き手がいた。すべての働き手が父親の代からの人たちで、中には古くから商売を支えてきた番頭格の者も2〜3人いた。彼らは、よくアグニに注意をしていた。 「アグニ様、それでは商売になりません。アグニ様が店にいていただかないと・・・。今日は、一体何の御用でお出かけになるのでしょうか?」 「何の御用?。決まっているじゃないか、友人と約束があるんだよ。今日は、特別なんだから、馬車を用意してくれ」 「いえ、ですから、そう言うことではなく・・・。昨日も、その前も、その前の日もお出かけだったではありませんか。たまにはお店にいていただかないと示しがつきません」 「あのねぇ、お前らバカなの?。俺がいないから商売ができないというのなら、お前たちが店にいる意味がないでしょ。俺がいれば、そりゃ商売になるよ。でも、そうなったら、お前たちは何をするんだい?。掃除とか、商品を並べるとか、そんなことをするの?。それは奴隷がやるでしょう。お前たちは、物を安く仕入れる、それに利を乗せてできるだけ高く売る、それがお前たちの仕事でしょう。そこを俺がやってしまったら、お前たち、ここに居られるの?」 「いえいえアグニ様、商売はそのような簡単なものではありません。できるだけ、我々と一緒にいて商売を覚えていただかないと・・・」 「あ〜、はいはい。わかってるって。でも、今日はダメなんだ。もういいよ、馬車の用意は奴隷にさせるから」 そういうとアグニは店を出て、奴隷に馬車の用意をさせ、ついでに馭者も頼み出かけてしまったのだった。それを見送った番頭の一人が 「はぁ〜、先代がもう少し商売を教えておいてくれたらよかったのに・・・」 と大きくため息をついて言ったのだった。 先代は、やり手の商売人だった。対して高くない身分から商売を起こし、大きな商売人までのし上がったのだった。しかし、子供がアグニ一人しかできなかったせいか、アグニには甘く、商売の厳しさを教えてこなかった。むしろ、遊びや贅沢だけをさせてしまったのだ。 その事を父親は大いに悔いた。亡くなる寸前まで、番頭たちに 「アグニはあのままではダメだ。わしはアグニに商売を教えることができなかった。お前たちだけが頼りだ。アグニを商売人してやってくれ」 と涙ながらに頼んだのだった。番頭たちは、その先代の言葉を守るため、アグニに商売を教えようとしたのだが、アグニは 「あぁ、そのうちにな。俺はもう少し世の中のことを知りたいんだ。これも勉強だってオヤジも言っていたし。だって、商売は俺がいなくてもお前らがいればできるだろ。じゃあ、そういうことで・・・」 と毎回そう言って出かけてしまったのだった。 「アグニ様にも困ったものだ。我々も、もう年寄りだ。いつまでも生きていられるわけではないのに」 「アグニ様には、それが理解できないのだ。いっそ、お釈迦様にでも説教をしてもらったほうがいいのかもしれないな」 「アグニ様が祇園精舎に行くわけがないだろ。どうせ今日も女のところに行っているのだろう。アグニ様は、昼間から・・・いや朝から気に入った女のところに入り浸っている。まあ、今日は馬車で出かけるようだが・・・。いずれにしても、このままではこの店も長くはないだろう」 いつも彼らはそう話をして溜息をついていたのだった。 そんなる日、番頭の一人が亡くなった。これをきっかけにアグニに商売を知ってもらおうと番頭の一人が 「我ら二人では大変です。どうかアグニ様もお店に出てください」 と頼んだ。アグニは 「いや、元気なお前たちがいるじゃないか。二人でもなんとかなるだろ。う〜ん、でも、まあ俺もそろそろ店に出るか」 と殊勝にもそう答えたのであった。 しかし、アグニが店に出ると、店は混乱するばかりであった。 「アグニ様、そのような言葉遣いをされては商売になりません。お客様は大切に扱わないと」 「なんでだ?。あいつらが欲しいものを売ってやっているんだぞ。なんで、俺が卑屈にならなければいけない?」 「卑屈ではありません。もう少し丁寧に、お客様、という気持ちで接していただかないと・・・。きっと、あのお客様は二度とこの店には来ないでしょう。そうしてお客様が減ってしまえば、物が売れなくなります。ですので・・・」 「お前らバカだなぁ。お客が泣いて頭下げてでも欲しいものを売ればいいじゃないか。それはな、お前らの仕入れが悪いんだな。よし、じゃあ、俺が仕入れをしてきてやる」 当然、アグニに仕入れができるわけはなく、番頭たちはアグニの尻拭いに大変な思いをさせられたのであった。 ある日のこと、税を徴収に来た役人にアグニは食って掛かった。 「なんで俺が稼いだ金を国に納めなきゃならんのだ」 と税を納めることに怒り出したのだった。そんなアグニを番頭がたしなめた。 「それはこの国の決まりでして。店の経営者、農園経営者などは誰もが、税を払っております。税を払わなくてもいいのは、王族と兵隊たちと雇われ人、奴隷階級の者だけです。物を売って生活をしているものは、その規模によって税を納めねばなりません」 しかし、アグニはかたくなに 「それっておかしいだろ。俺が稼いだんだから、俺が使うんだよ。だから、税は払わない」 と税を払うことを拒否したのだった。そして、番頭に向かって 「お前ら、うるさい。お前らもう来なくていいから。明日から来るなよ。今すぐ帰れ!。お前らのやり方なんて古いんだよ。いいか、これからは俺のやり方でやる。みんな分かったな!。そうそう、そこの役人、お前も帰れ!」 と怒り出し、番頭二人と役人を追い出してしまったのだった。 しばらくはアグニの店は何とかもっていた。しかし、次第に客は遠のき、仕入れもままならず、店の中には商品が並ばない日がやってきたのだった。やがて店の中には売る物がなくなっていた。 「これじゃあ、金が稼げないじゃないか。どうしてくれるんだ、あぁ?。お前らがしっかり商売しないから、店がダメになったんだろ。おい、お前、お前は何をやっていた」 アグニは烈火のごとく怒り、奴隷の一人を掴んでそう言った。 「わ、私は・・・掃除のかかりでして・・・。店には出ていないので・・・」 「じゃあ、店に出ていたのはどいつだ。お前か、お前か、お前か?」 アグニは、奴隷たちを一人ずつ殴り飛ばしたのだった。 翌日のこと、アグニを除いて店には誰一人いなかった。皆出て行ってしまったのだ。金目のものはなかったが、店の棚や板などがすっかりなくなっていた。奴隷たちが持ち去ったのである。 「あいつら・・・。くっそ、絶対許さないからな。みんなあいつらが悪いんだ。絶対捕まえてやる。まずは番頭からだ」 アグニが元番頭の家に向かおうとした時だった。兵隊が数人やってきた。 「アグニ、お前を捕縛する。税を納めなかった罪だ。この店の建物も敷地も税の代わりとして取り上げる。わかったな」 こうしてアグニは捕らわれてしまったのだった。 裁きの場でもアグニは吠えたてた。 「俺は何も悪くはないぞ。税がかかるなんてオヤジも番頭も教えてくれなかった。あいらが悪いんだ」 「アグニよ、担当の役人の話によると、番頭たちはお前に税を払うことを教えたそうじゃないか。だが、お前がそれを拒否したそうじゃないか」 アグニは「うるさい、そんなことは知らん」などと叫んでいたが、裁判官は取り合わなかった。結局、数カ月の間、彼は牢に入っていたのであった。 「くっそ〜、まずは番頭たちに復讐だ。あいつらのせいで俺の人生はめちゃくちゃだ。あいつらがちゃんと俺に商売を教えてくれていたら、こんなことにはならなかったんだ。あいつらが悪いんだ」 牢から出たアグニは、元の番頭たちの家に行ったのだった。しかし、そこには誰もいず、近所の人に聞くと 「あの人たちは、二人とも出家してしまったよ。何でも、勤めていた店のバカ息子にあきれ果て、世の中が嫌になったんだってさ。今は、祇園精舎にいると思うよ」 と教えてくれた。アグニはそれを聞き、ますます怒り狂い、祇園精舎へ駆けていったのだった。 「おい、俺はアグニだ。俺の店で働いていた番頭がいるだろ。ここに連れてこい!」 祇園精舎に入るなり、アグニはそう叫んだ。 「愚か者が何かを言っている。まずは、落ち着いて座るがよい。でなければ、誰も汝の声を聞くものはいないであろう」 そうアグニに言ったのはお釈迦様だった。アグニは、「何を〜」と言いながらお釈迦様に殴りかかろうとしたが、どうしてもできずそこに座り込んでしまった。 「落ち着いたかアグニ。汝はこの界隈では有名である。愚かなアグニ、としてな」 お釈迦様の声は、冷たくアグニに突き刺さった。しかし、アグニは 「何が愚かなアグニだ。それもこれも、みんなあいつらが悪いんだ。俺がこうなったのも、アイツらのせいだ。俺は、アイツらを絶対許さない。あいつらを出せ。ここにいるんだろ?」 「哀れなるかな、哀れなるかな。アグニよ、こうなってしまったのは、誰のせいでもない、汝自身のせいであろう。他人のせいにする前に、他人を恨む前に、汝のやってきたこと、言ったことを振り返ってみよ。それができなければ、汝は立ち直れないぞ」 「立ち直る?、いいんだよ、そんなことは、俺はな、あいつらに復讐さえできればいいんだよ」 「愚かな者よ。復讐からは何も生まれない。自分自身がみじめになるだけだ。それが理解できぬか。よいか、アグニ、よく考えよ。番頭たちが汝に商売を教えようとしたが、それを拒否したの誰だ?」 お釈迦様の問いにアグニは唇をかんで悔しそうに横を向いた。 「汝に税を払う必要があると教えたにもかかわらず、それを拒否したのは誰だ?。汝が遊び呆けているのを止めたのにもかかわらず、遊びに出かけてばかりいたのは誰だ?。店を潰したのは誰なのだ?。よくよく振り返って自己反省をしなけらば、いつまでたっても惨めなままであろう。他人のせいにしてはならぬ。他人を恨んではならぬ、ましてや逆恨みをすれば、それはすべて自分に苦として返ってくるであろう。汝はまだ若い。いくらでもやり直しができる。今こそ、自分の行動を反省し、出直すのだ」 お釈迦様は、アグニにそう説いたのであったが、アグニは 「うるせ〜、うるさいんだよ!」 と叫んで駆けだしていったのだった。 「あぁ、素直に人の話を聞けない者は、救いがたいものだ」 お釈迦様は、そうつぶやいて祇園精舎の奥へと歩いて行ったのだった。 自分の失敗を人のせいにしたりする人は、必ずと言っていいほどどこにでもいるものです。中には、その人を恨んだりする人もいます。しかも、いつまでもしつこく恨み続けるのです。そんなことをしても意味がないということに本人には気が付いていないのです。 「自分が左遷されたのは、あの上司のせいなんです」 随分前の話ですが、そう言って私の寺に来た方がいました。その方は「何とかあの上司に復讐できないか」と相談に来たのです。 もちろん、それは無理ですよ、と答えました。それよりも、一体何があったのか話を聞きました。それによると、その方、仕事上の失敗が多いのです。しかも、それをいつも部下や同僚のせいにしていました。時には、上司のせいにすることもあったようです。自分が悪いとは認めないのです。彼が言うには、 「いつも部下のせいや同僚のせいで俺が注意を受けていたんですよ。しかもその上司のせいで、仕事がうまくいかなかったこともたくさんあります。上司は、自分の失敗を隠すために俺を左遷したんですよ」 ということでした。しかし、どうにも腑に落ちないんですよね。まあ、こういう人って話をしていれば誰でもわかると思うのですが、全部他人のせいなんです。ですから、上の話をして自己反省を促したのですが、アグニと同じでしたな。 「復讐できないなら意味がない」と帰って行きました。 アイツが悪い、アイツのせいだ、アイツを恨んでやる・・・・。では、先がないと思います。本当のところはどうなのだろうか、自分も悪かったのではないだろうか、いやむしろ、自分の責任が多いのではないだろうか・・・。 そう考えないと、どこが悪くてそうなったのか、という原因がつかめないでしょう。結果には、必ず原因があります。その原因をすべて他人に押し付けたりしては、自分の成長は手に入りませんよね。悪い結果がもたらされた原因は何なのか、それを冷静に分析しなければ、次に生かすことはできないのです。ましてや、 「あいつが悪い、絶対許さない、恨んでやる」 などと逆恨みしていては、話になりません。そんな人には明るい未来はないでしょう。何事も立ち直るには、自己反省が必要なのですよ。 ちなみに、恨みを晴らす最もよい復讐の方法はあるにはあるのです。それはその憎む相手よりも幸せになることです。その相手に羨ましいと思わせるくらいに幸せになることです。 まあしかし、他人のせいにする人、逆恨みをする人には、この復讐は無理でしょうな。自分が悪かった、これからは気を付けよう、と思うことができない人には、幸せはこないですからね。 合掌。 |
第196回 悪行の報いなどない、と思うのは愚かなことである。 自分がなした罪の報いは、いつか必ずやってくるものだ。 悪の報いに気付いてからでは遅いのだ。 |
「バチなんか当たらねぇよ。もしバチがあるなら、俺なんかとうに死んでいるさ。バカバカしい、あはははは」 タパスはそう嘯いて大声で笑った。 「いいかお前ら、バチなんか当たらねぇ、だから好き放題すればいいんだ」 タパスの言葉に、ワルの仲間たちはうなずいた。 「じゃあ、街を荒らしに行くか」 タパスとその仲間たちは、それぞれに武器を持って、真夜中のシューラバースティーへと繰り出したのだった。 翌朝、街の商店街は悲惨な姿をさらけ出していた。 「何てことだ、店の扉は壊され、中に置いてあった花瓶などがすべてわられている。これじゃあ、商売にならない、破産だ!」 「うちもだ。商品がごっそり盗まれている。なんてことだ・・・。これじゃ生活できない・・・」 そんな声が町のあちこちから聞こえて来た。 やがて街の治安を守る兵士たちがやってきた。被害に遭った人々は、口々に兵士たちに文句を言った。 「あんたら、どこを見張っていたんだ!。この有り様は、あんたたちが仕事をさぼっているからだ!。弁償しろ!」 そう迫る人たちに兵士たちは困り果てていた。 「すまんすまん、犯人はわかっている。あいつらは、巧妙で見張りの間を狙ってこういうことをするんだ。今夜またやるに違いないから、絶対に捕まえてやる。約束する」 兵士たちは、タパス一味を捕まえることを約束した。 その夜中のこと、兵士たちはタパス一味の数人を捕まえることができた。しかし、タパスと一味の中心をなす者たちは逃してしまった。 その朝、捕縛された者たちは、街にさらされた。街の人たちは、捕まった者たちに石などを投げつけた。 「まあ、そのくらいにしてやれ。それよりも、店の立て直しをやらせた方がよかろう。大丈夫だ、逃げられないように鎖でつなげておく」 捕まった連中は、自分たちが壊した店の修繕をやらされたのだった。 その頃、タパス一味はその隠れ家で言い争いをしていた。 「おい、タパス、あいつらが捕まったじゃないか。どうするんだ」 「バチが当たったんだ。悪いことをしたから、罰が当たったんだ・・・」 「あぁ、そうだ。悪いことをしたらバチはやっぱり当たるんだ。次やったら、今度は俺の番かもしれねぇ」 タパス以外の者たちは、捕まるのを恐れ、次の悪行に尻込みしだしていた。しかし、そんな連中を見てタパスは大笑いをして言った。 「バカだなぁ、お前ら。あいつらが捕まったのは、バチが当たったわけじゃねぇ。あいつらがドジだっただけじゃねぇか。くだらねぇことを言ってるんじゃねぇよ。いいか、捕まらなければ何も怖くはねぇ。捕まるほうが悪いんだよ」 「なるほど・・・、確かにあいつらドジったよな。走るのが遅いからいけないんだ。しかし、兵士が見張っていたとは・・・。次は気を付けなきゃな」 「あぁ、そうだ。よく下見をして、兵士の動きを探るんだ。おい、お前とお前、兵士たちがどういう順で街を見回っているか調べてこい」 タパスは、手下の二人に街の偵察に行かせた。しかし、偵察に行った二人は帰ってこなかった。二人とも兵士に捕まったのだ。 「おい、あいつらも捕まったじゃねぇか。どうするんだタパスよ」 「まったく使えねぇ奴らだな。誰か偵察に志願するヤツはいねぇか?・・・なんだ誰もか。仕方がねぇな。ぶっつけ本番、今夜襲撃に行くか。この間は東の商店街だった。偵察が捕まったのは、北の商店街だ。だから・・・」 「西へ行くのか?、それとも南か?」 「バカだな。北に行くに決まっているだろ。裏をかくんだよ、裏を」 タパスはそう言うと、不敵な笑みを浮かべたのだった。 その日の真夜中、タパス一味は北の商店街に現れた。 「ほら見ろ、兵士たちはいない。いいか、金目のものは全部盗め。ほかのものはぶち壊してやれ。ビビるんじゃねぇぞ。バチなんか当たらねぇ。よし、行け!」 タパス一味は、商店街の中を走り回り、店の扉を壊し始めた。その様子をタパスは、「クックック」と笑いながら、一軒の店の屋根に登って眺めていた。 その時だった。兵士たちが彼らを取り囲んだのだ。 「やっぱり出たか」 タパスはそう言うと、仲間を置き去りにしていち早く逃げ出した。あっという間にタパスの仲間たちは、兵士に捕まってしまった。 「思った通りだ。まあ、あんな使えねぇ連中なんざいらねぇさ。そうだな、次はマガダ国へでも行くか。と、その前にコーサラの街はずれにも金持ちのバラモンの家があったな。確か、そうそうこっちの森を抜けたところだ。身を隠すにもちょうどいいな。まずは、森の中でひっそりと過ごすか」 そう言いながら、タパスは森に向かって走っていた。 夜があけたころ、タパスは森に到着した。その森は結構な広さがあった。手入れもされていない。何かの動物の死骸も転がっていた。 「暗い森だな。まあ、身を隠すにはちょうどいいか。どこか休める場所はないか。それと水も欲しいな。食い物は・・・ウサギか何か捕まえて食えばいいか」 タパスは森をウロウロした。やがて水が湧き出るところを見つけた。 「よし、水だ。やったぜ。もうのどがカラカラだ」 タパスは、湧き出る水に向かって走り出した。その時、 「あっ」 彼は、小さな沼にすべり落ちたのだった。かれは、腰のあたりまで沼に沈んだ。 「なんてことだ。こんなところに沼があった。やべぇな。ヒルがいる。血を吸われないようにしないとな。なんとかして、あっちの水の方へ這い上がらないと・・・」 かれは、沼地を湧き水のある方へと進んだ。しかし、思うように進めない。それどころか、徐々に沼が深くなっていた。 「困ったな。妙な草が絡んで泳ぐこともできねぇ。まあ、歩いて行くしかねぇか。やべぇ、もう胸まで深くなっているぞ。焦るな俺、ゆっくりと行けば平気だ」 「そこは底なし沼だ、タパス。汝はもう救われない」 ふいに声がした。その声の方を見ると、そこには修行者らしき者が立っていた。 「誰だお前は。そんなところに突っ立っていねぇで、俺を助けろ!」 「私に命ずるのか?、それが助けを乞う者か?」 「うるせぇな、人を救うのが修行者だろ。だから助けろって言ってんだよ」 「そうだな、助けてもよいが、ここには汝のところに届くような棒はない。当然、私の手も届かない。ツタも無ければ・・・あるのは落ち葉だけだ。これでは助けようがないな」 そう修行者に言われ、タパスはあたりを見渡した。なるほど、その沼の周りには何もないのだ。あるのは木だけである。 「その木の枝を折ればいいだろ」 その木は大きく、見事な枝ぶりだった。とても素手では折れそうもない枝をしていた。タパスは、枝を折れと言ってから「お前には無理か・・・」とつぶやいた。 「そうだな。私には、この木の枝は折れない。従って、汝を救うことはできない。よいか、タパス」 その修行者は、声を改めてタパスに話しかけた。その声は、真剣で重苦しいものだった。 「よいかタパス。汝はこれから地獄へ行く。もうすでにヤマ(閻魔のこと、当時は地獄の支配者、死神として恐れられていた)は汝のそばにいる。もう逃れられない」 「うるせぇ!。お前もバチが当たったとかいうんじゃねぇだろうな。バチなんかないんだよ。これは俺がドジっただけだ。ちょっと待ってろよ、すぐに這い上がってぶっ殺してやるからな」 「そうだタパス、確かにバチが当たったわけではない。バチが当たることはない。そもそもバチなんぞない」 「わかっているじゃねぇか、さすが修行者だ」 「バチはないが、業の報いはある」 「なんだそりゃ?」 「人はその人の行動により、よい結果を招いたり、悪い結果を招いたりする。善いことをすれば善い結果が生まれ、悪いことをすれば悪い結果がやってくるものだ。汝も、汝の悪行の報いが今来たのだよ」 「な、何を言ってやがる。報いとか、そんなもの信じるか!・・・うっぷ、やべぇ、いつの間にか口まで浸かってしまった」 「そこは底なし沼だと言ったであろう。私はウソはつかない。汝は、その沼に呑まれ、ヒルに血を吸われ、得体のしれない虫たちに身体を食い破られ、そして苦しみながら死んでいくのだ。それも汝の悪行の報いなのだ」 「そ、そんなことを言ってねぇで助けてくれよ。さっきから、身体のあちこちがチクチクするんだよ。あっ、痛てぇ!、何かが噛みつきやがった。頼むよ、助けてくれ。そうだ、誰か人を呼んできてくれ。ついでに縄も持ってきてくれるように頼んでくれ。もう、上を向いていないと・・・あっ、耳をかまれた。なんか耳にぶら下がっている」 「愚かな者よ、哀れな者よ。よいか、汝の仲間は捕まって処罰を受けている。が、それでも生きている。処罰が終われば、また街に出られる。それに引き換え、汝は、この沼で虫に食われて死ぬのだ。この差はどうして生まれた?」 その問いかけにタパスは答えられなかった。沼の水が顔の半分まで来ていたのだ。息をするのも困難な状態にあった。彼は、もがきながら時折沼の上に顔を出し、息を吸った。その時に「頼む助けてくれ」と泣きそうな声を出していた。 「悪行の報いなどこない、と思うのは愚かなことなのだよ、タパス。自分がなした悪行の報いは必ずやってくるものなのだ。それに気づいてからでは遅いのだよ、タパス。そう、もう遅いのだよタパス。もっと早くに懇願をしていれば、もっと早くに己の悪行を悔いていれば、助けることもできたのだが・・・、もう遅いのだ。それもこれも、汝の悪行の報いなのだ。地獄でその悪行の報いを更に受けるがよい」 その言葉を聞きつつ、タパスは沼に沈もうとしていた。 「お釈迦様、こんなところで何をしていらっしゃるのですか?。そこは底なし沼のあるところですよ、危ないですよ」 猟師がお釈迦様に声をかけた。それをかすかに聞いたタパスは (あぁ、あの修行者はお釈迦様だったのか・・・。しまった、ドジを踏んでしまった・・・。あぁ、これも俺のやってきた悪行の報いか・・・。救われねぇな、俺は・・・) そう思いつつ彼は沼の底に沈んでいったのだった・・・。 「バチなんか当たらない」 そう思っている者がいるのは確かなことでしょう。そういう人は、悪いことをしても平気でいますね。しかし、バチが当たる、と信じている人は、悪いことはできません。まあ、信じてはいるけど、ついやってしまう、やってしまった・・・ということはありますけどね。で、あとで、 「あぁ、やっぱりバチが当たった・・・」 と後悔するのですな。 日本人の多くの人はマナーがいいですね。そういう人たちは、若い人たちでも「バチが当たる」という思いがどこかにあるのです。おそらくは、育った過程で 「そんなことをしたらバチが当たるよ」 という言葉を耳にしているのでしょう。それも何度も。あるいは、 「ほら、あの人はあんな悪いことをしたからバチが当たったんだ」 という言葉も耳にしたのでしょう。だから、心のどこかに、悪いことをしたらバチが当たる、という思いが残っているのでしょうね。そうした言葉を幼少期に耳にしなかった者は、不幸かもしれませんな。 本来は、バチが当たることはありません。バチはないのですから。それは、バチではなく、「報い」なのです。「報い」というのがわかりにくければ、「なした行為の結果」と言えばいいでしょうか。自分がした行為の結果がやってきただけ、ということですね。簡単に言えば、 「善いことをすれば善い結果が生まれ、悪いことをすれば悪い結果が生まれる」 ということですね。お釈迦様は、 「鉄より生じたサビが鉄を損なうように、罪をなしたものは自身のなした行為により地獄へ導かれる」 と説いていますな。言わゆる「身から出た錆」、「自業自得」ということですな。 また、悪行をしている人でも、なかなかその報いが来ない人もいますよね。だから、そう言う人を見て「バチは当たらない」と思う人もいることでしょう。 「あんなに悪いことをしているのに、バチなんか当たらない。だから、バチなんてないんだ」 とね。でも、これも愚かなことなのですよ。 「悪が成熟しない間は、悪人は悪行を蜜のようだと思う。しかし、悪が成熟すれば、その時悪人は苦しみを味わう」 とお釈迦様は説いています。つまり、悪行がたまってきたときに、その報いはやってくるということです。悪行の報いはすぐにはやってこないんですね。あとから、ドカンと大きくやってくるのですよ。そのほうが恐ろしいですよね。 悪行の報いは必ず来ます。逆に善行の報いも必ず来ます。ただし、いつ来るかはわかりません。しかし、いつか来ます。必ず来ます。生きているうちに、必ずやってきます。今日かも知れませんし、明日かもしれません。十年後かも知れませんし、もっと遅くにやってくるかもしれません。しかし、報いは必ずやってきます。それは真実です。 なので、「バチが当たる」と信じていたほうがいいと思います。そのほうが、マナーもよくなるし、車を運転していて煽るようなことも無くなるでしょう。犯罪も減ると思います。そう、バチは当たるのですよ、必ずね。 合掌。 |
第197回 私はあの偉人を知っている。私はあの権力者の知り合いだ。 などと自慢することに何の意味があるのか。 そのような者は嫌われるだけである。 |
ある日のこと、お釈迦様の弟子のひとりであるチャンナは、托鉢の途中で人だかりを見た。かれは、それが気になって近くによると、人だかりの中心にはたいそう立派に見える男がいた。 「そうなんだよ、彼も俺の知り合いさ。いや、俺が国王に推薦してやったんだよ。何せ、俺は国王とも知り合いだからな。だから、兵隊長に彼を推薦したんだ。彼が兵隊長になったのは、俺のおかげと言ってもいい。そうそう、俺は国王と知り合いだよ。他の知り合い?。そりゃいっぱいいるさ。例えば・・・スダッタ長者も知り合いだね。長年の友人だ。ジェータ王子は釣り仲間だな。ヴァイシャリーの維摩居士も知り合いだよ。あぁ、そうそう仏陀であるお釈迦様とも、私は知りあいなんだ・・・」 その男が知り合いの名前を挙げるたびに、そこに集まった人々は「おぉ」と感嘆の声を上げた。その様子を見たチャンナは、 「そうか、あのようにふるまえば尊敬を集められるのか。俺は、世尊を幼いころから知っている。これは、誰にも負けないことだ。シャーリープトラだってモッガラーナだって、世尊の幼いころのことを知らない。そうだ、俺はあんな奴らよりも世尊を古くから知っているんだ」 チャンアは、そうブツブツ独り言を言いながらその場を去って行った。そのため、その自慢をしていた男が、人々から 「それがどうしたんだ?」 と非難されたことをチャンナは知らなかった。 チャンナは、お釈迦様が出家する前、カピラバストゥの王宮にいたころ、王宮専用の馭者をしていた。特にお釈迦様が王子であったころ、よく王子の馬を引いたり、馬車の馭者を任されていた。誕生日も同じだった。だから、お釈迦様を立場こそ違いはすれ、幼いころから見ていたのである。いわば、古くからの知り合いであることは間違いない。彼は、お釈迦様が王宮を出た時もその馬の手綱を引いていた。チャンナは、その時のことを今でも鮮明に覚えている。 「シッダールタ王子、本当に王宮を出られるのですか?」 「チャンナ、静かに。さぁ、馬をマガダ国の方へ引いて行ってくれ」 チャンナは、馬を引き、シッダールタ王子の言うがままに、駆けたのだった。 「チャンナ、もうこのあたりでいい。お前は、この馬に乗って城へ帰るがよい。そして、私のこの衣装や飾り物を持って帰ってくれ。シッダールタ王子は、これを置いて出家しました、と父に・・・国王に伝えてくれ」 そうだ、俺はシッダールタ王子と古くからの知り合いだ。出家を手助けした恩人でもある。なのにシャーリープトラもモッガラーナも、俺を見下している。あの二人が俺を見下すから、ほかの者まで俺を見下す。そうだな、今までちょっと遠慮しすぎていた。今度は俺があいつらを見下す番だ・・・。チャンナは、そう決心したのだった。 翌日から、チャンナの様子が変わった。出家したばかりの弟子たちに 「俺はな、世尊が幼いころからの知り合いなんだ。なんせ、世尊がカピラバストゥのお城を出る時、手伝ったんだぜ。俺が世尊を城の外に導いたんだ」 と自慢し始めたのだった。出家して間もない修行者たちは 「へぇ、そうなんですか。では、世尊の最も古い友人なんですね。それはすごい」 と目を輝かせてチャンナの話を聞いたのだった。 「そうだよ、なんせ俺は世尊の幼いころのこともよく知っている。一緒に森を駆け巡ったこともあったな。ふむ、懐かしいものだ」 そう言って遠くを見つめるような目をしたチャンナの周りには、出家して間もない弟子たちが多く集まったのだった。 また、チャンナは、誕生日がお釈迦様と同じだったことを若い弟子たちに自慢して話したのだった。 「俺はな、世尊と同じ誕生日だ。しかも、世尊が王子だったころ、ずーっと世尊にお仕えしていた。それなのに、今は世尊のおそばにはシャーリープトラとモッガラーナが居座っている。それとアーナンダだ。まあ、アーナンダは大人しいし、あれも小さいころから俺は知っているんで許せるけどな、シャーリープトラとモッガラーナは許せない。あれらはダメだ。世尊のことをわかっていないんだ」 チャンナは、事あるごとにシャーリープトラとモッガラーナの悪口を言いふらし、自分こそが世尊の身近にいるべきだと触れ回ったのだった。 また、托鉢に出れば、自分は世尊に幼いころから仕えていたことや誕生日が一緒であることを言いふらしていた。チャンナの本当の姿を知らない人々は、チャンナに多くの布施をしたのだった。 ある日、お釈迦様がチャンナを呼び出した。 「チャンナよ、汝はシャーリープトラとモッガラーナの悪口を言いふらしているそうだな。しかも、托鉢の際、街中で自分は私と同じ誕生日で幼いころから仕えていたと自慢しているそうではないか。自分こそが、最も仏陀と古い関係を持っているのだ、と。 チャンナよ、そうのような自慢が何になるというのか。一時の布施の多さに喜びを感じることに何の意味があるのか?。愚かな者よ・・・。よいか、私はあの偉人を知っている、私はあの偉い人や権力者と知り合いだ、と自慢することに何の意味があるのだ。そんなことを自慢しても、その者が何の権力もなく、何の実績もない者であるならば、尊敬さるどころかむしろバカにされるだけである。一時的に、 は、人々がその自慢する者に集うことがあるかも知れない。しかし、すぐに本性はわかってしまうのだ。そうなれば、すぐに人々はその者から去っていくであろう。結局、人々から嫌われるだけで終わるのだ。 チャンナよ、私と古くからの知り合いだ、誕生日が同じだ、幼いころからよく遊んだのだ、だから今も世尊とは深い絆があるのだ、などと吹聴しても、汝が悟っていなければ、結局誰も相手にしなくなるのだよ。わかったか、チャンナよ。くだらない自慢などせず、修行に励みなさい」 お釈迦様にそう諭されたチャンナは、深く反省したようだった。しかし、しばらくして再びシャーリープトラとモッガラーナの悪口を言い始め、世尊の古くからの知り合いだと自慢を始めたのだった。お釈迦様は、再びチャンナを呼び出して注意したが、チャンナがおとなしくしているのはほんの少しの間だけで、すぐにまた街中や精舎内で自慢話を始め、シャーリープトラとモッガラーナの悪口を言い始めたのだった。それは、さらにひどくなり、ついには、はあちこちで「世尊と深い絆がある、世尊とは古い付き合いだ」と自慢し、布施を取っていたのであった。 お釈迦様の晩年のある時、アーナンダがお釈迦様に問いかけた。 「世尊、チャンナは、あのままでよろしいのでしょうか?。世尊と深いつながりがあると言って布施を取ったりしていますし、相変わらず長老の悪口を言いふらしています。チャンナを放っておいていいのですか?」 「アーナンダよ、世間の人々も愚かではない。いずれ、チャンナの自慢話も通用しなくなるであろう。しかし、彼の悪口は、私が生きている間は終わることはない。私が涅槃に入ったら、彼にブラフマダンダと言う罰を与えなさい」 「それはどういう罰ですか?」 「それはこういう罰だ。チャンナは何を言ってもよい。何を自慢しようとかまわない。しかし、修行僧は彼に話しかけてはいけないし、応えてもいけない。戒めてもいけないし教えを説いてもいけない。つまり、誰もチャンナと話してはいけない、と言う罰である」 アーナンダは、お釈迦様が涅槃に入った後、チャンナを呼び出し、ブラフマダンダの罰を告げた。それ以来、チャンナは誰にも話しかけられず、誰も受け答えをしてくれず、誰からも相手にされなくなってしまった。自慢だった世尊と知り合いだ、ということもお釈迦様が亡くなってしまった今、全く誰も聞いてくれなくなってしまったのだ。しかも、人々はチャンナが大したことない弟子だと見抜いてしまっていた。 「あぁ、世尊の言われた通りだった。くだらない自慢話ばかりしていたから、ついには人々に嫌われてしまった。相手にされなくなってしまった・・・。私は愚かだった・・・」 チャンナは泣き崩れ、心から反省をした。その後、彼は必死に修行し悟りを得たという。 「俺はあいつと知り合いなんだぜ」 「あの人は、私の知り合いよ」 などと有名人や偉い人、権力者と知り合いだと自慢する人がいますよね。そういう人は、さも「だから自分も偉いんだ」と言う顔をして自慢をします。聞く方は、「へぇ〜、すごいね」などと反応しますが、本音は「だから何なの?」ではないでしょうか? 知り合い自慢をする人に 「あ、だったらサインとかもらってくれない?」とか「紹介してほしいなぁ」などと言ったらどうなるんでしょうかねぇ。 「もちろんいいよ」 と自慢げに答えるのでしょうか?。それとも「えっ?あっ?うん・・・」などとしどろもどろになるのでしょうか?。あるいは、「もちろんいいよ」と言った後に「でもさぁ、彼も忙しいし・・・」などと言い訳するのでしょうか? 権力者を知っている、知り合いだ、あの有名人を知っている、知り合いだ、あの偉い人を知っている、知り合いだ・・・などと自慢して一体何になるというのでしょうか?。それは、自分の能力を自慢しているわけではありません。自分ができる人だ、と言っているわけではありません。単に知り合いだ、と言っているにすぎないのです。しかも、実際はどの程度の知り合いなのか、それも不明です。案外、すごく深い知り合いならば、そんなことは自慢しないでしょう。 このような自慢をする人は、その人に自慢をすることが何もない、と言っているのと同じでしょう。自分に他者に誇るものがないから知り合い自慢をするのでしょう。そんな自慢は、自慢の中でも最も浅い自慢です。すぐにメッキははがれてしまいますね。メッキがはがれた後は、誰からも相手にされない、という孤独が待っているだけでしょう。くだらない自慢話は、誰も聞きたくありませんからね。 自慢をするのなら、自分の業績や能力、実績を自慢したほうがいいでしょう。知り合いの自慢をしても大した自慢にはなりません。もっとも、本当に実力がある人は、それを自慢するようなことはありませんな。なぜなら自分で自慢しなくても、周囲が認めてくれますからね。 自慢話をする者は、何も実がない者なのですよ。寂しい人なんですね。 そんな人だと思われないように、自慢話は慎んだほうがいいですね。 合掌。 |