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第198回
自分が正しいのかどうか、疑うことはよいことだ。
自分を疑わず、自分が正しいと主張するのは
もったいないことである。
仏教教団内での弟子たちの修行は、主に午後から始まる。午前中は托鉢と食事に費やすことが多かった。午後からは、主に瞑想をしたり、長老から教えを聞いたり、あるいは弟子同士でお釈迦様の教えについて議論したりした。そうして、お釈迦様の教えの理解を深めていったのである。
お釈迦様も普段から説いているように、教えは聞く者の理解度によって内容が変わることがある。同じ教えを聞いても、その教えを聞いた者の理解力によって解釈が変わってしまうことがあるのだ。そのため、同じ教えに関しても弟子同士で解釈が異なり、議論し合うことになるのである。しかし、その議論も白熱してくると争いになることもあったようである。お釈迦様は
「教えについて話し合うことはよい。だが、争いはいけない。お互いの意見をよく聞き、理解し合うことが大事だ」
と弟子たちに議論する場合の注意をしていた。それだけ、激しい議論におよぶことが多かったのである。

その日の午後も精舎内で活発な議論をしている者たちがいた。
「お釈迦様の教えで一番難しいのは、諸法無我ということだ。無我とは我が無いということだよな。それはどういうことなのだろうか?」
「すべてのものには我が存在していないってことじゃないか」
「じゃあ、俺にも我が無いのか? でも俺は俺だぞ」
「いやだから・・・なんといったらいいのか・・・」
「己というものはあるけど、それは永遠に続くものではない、たまたま縁あってこの身体に我があるけど、それはこの肉体が滅びれば終わるものだ。人間以外のものも同じだ、そう言うことだろ」
そう言ったのはカーマラという若い修行僧だった。彼は聡明であるという評判だった。
「そうなんだけど、それだけでいいのか?」
ほかの修行僧がカーマラに尋ねた。カーマラは意味が分からず、問い返した。
「それだけでいいのかとは? どういう意味だ」
「いや、お前の言っていることはわかるよ。我は永遠に続くものではない。だからそれは人間の本質ではない。本来は、我はないのだ、ということだろ?」
「わかっているじゃないか。その通りだよ。何か問題でもあるのか?」
「我が無い・・・っていう境地に至ると、どうなるんだ? 自分がなくなるのか?」
「う〜ん、それは・・・その境地に至ったことがないから、まだ何とも言えないが・・・、でもそれは今考えることじゃないだろう。それこそもっと修行していけば、自ずとわかることじゃないか?」
カーマラは、そう答えた。質問した者は、
「わからないな。諸法無我の教えをちゃんと理解していなければ、いくら修行してもその境地に至らないんじゃないのか?」
とカーマラに反論した。そして
「まあ、カーマラに聞いても仕方がないな。やはり長老に聞くしかないな」
と言ったのだった。それがカーマラは気に入らなかったのか
「ちゃんと理解はしているだろ。諸法無我とは、どんな存在にも我はない、ということだ。それ以上の何があるんだ。我が無いというのことは、我が無いこと以外にないんだよ。それでいいじゃないか。それのどこが間違っているんだ?」
と興奮気味に言い返したのであった。
「いや、間違ってはいないさ。でも、それだけじゃ理解ができていないのではないかと、そう思ってだな・・・」
「俺が理解できていないとでもいうのか?。それこそ間違っているぞ。俺はちゃんと理解している」
「そう言うことを言っているんじゃないよ、カーマラ。ただ、不十分ではないかと・・・だから長老に聞こうかと・・・」
周りで聞いているほかの修行僧たちは、二人の議論がどうなるのだろうかと心配になった。
「長老に聞いても同じだ。以前に同じことを聞いたことがある。答えは、俺がさっき言った通りだ。俺と同じ理解だったよ。だから聞いても仕方がないんだ。今は、諸法無我とはどんな存在にも我はない、ということを知って、瞑想すればいいんだよ。それが修行だ」
カーマラがそう言い切ると、反論していた者も黙ってしまった。しかし、
「それだけじゃ、瞑想してもな・・・よくわからないのに瞑想しても意味がないんじゃないかと・・・」
とボソボソつぶやいた。それをカーマラは聞き逃さなかった。
「まだ瞑想もしていないのに、何を言っているんだ? まずは、瞑想してみろよ。なあ、そうだろ?、みんなもそう思わないか? なあ、俺の言っていることの方が正しいだろ? いや、俺は正しいだろう。なにも間違ったことは言っていない」
周囲の者たちは、カーマラの言葉にうなずいたが、どこかシブシブと言ったところがあった。その中の一人が
「でもさ、わからないことがあったら、長老に聞くべきじゃないかな」
とぼそりと言った。そのとたん、
「だから、それはさっき言ったじゃないか。俺はもうすでに長老に聞いたんだよ。それをお前たちに教えたじゃないか。その上また長老に聞くのか? そんなことは無駄だろう。意味のないことだ」
カーマラの激しい声が響いたのだった。
そのうちに、その議論の輪は、一人二人と修行者たちが去り、自然に誰もいなくなり、カーマラだけが残された。
「ふん、どいつもこいつもバカばかりだ。俺が正しく教えてやっているのに・・・」
こうしたことが、そのあとも何度も続いた。

いつしかカーマラは、一人ぼっちになっていた。仲間だった修行僧は、カーマラと議論することは無くなっていた。それよりも、直接長老に尋ねることを選らんのだ。そのため、カーマラよりも、修行が進んでいった。もはや、当時の仲間はカーマラよりも優れた境地に至っていた。そんなとき、かつて議論をした修行者を捕まえて、カーマラは質問したのだった。
「なんでだよ。俺の何が間違っているって言うんだよ。俺は正しく修行しているよな? でも、お前らの方が何で先に進んでいるんだ?」
尋ねられた修行僧は、ちょっと迷惑そうな顔をして答えた。
「長老の教えを聞かないからだろ? 素直に聞けばいいことだ」
「聞いているさ。俺だってバカじゃない。ちゃんと長老に教えを受けている」
「長老に聞いていて、我らの境地に至らないのは・・・それはおかしいだろ? ちゃんと修行していないんじゃないのか?」
「なんだと?。俺に説教するのか?。このヤロウ」
カーマラは、その修行僧に殴りかかった。
「俺は正しいぞ、どこが間違っているというんだ?」
「少しは、自分を疑えよ。少しも自分を疑わないのがいけないんだろ?」
カーマラは、その修行者を突き放した。
「な、なんだと? 自分を疑えってどういうことだ? 俺は間違っちゃいない。それを疑えって、お前おかしいんじゃないのか?」
カーマラに突き飛ばされた修行僧は、倒れ込んだまま「哀れだな」とつぶやいた。その一言でカーマラの怒りは頂点に達した。その修行僧にまたがり、殴ろうとしたのだ。
「止めよカーマラ!」
殴りかかろうとしたカーマラの後ろで厳しい声が飛んだ。カーマラが振り返ると、それはお釈迦様だった。
「その者の言うとおりだ。哀れだなカーマラ。汝は哀れなものだ」
そう言われたカーマラは、怒ったままでお釈迦様に尋ねた。
「俺のどこが哀れなんですか? どういうことですか!」
「そのように怒りで自分を見失っているところが哀れだというのだよ。少しは落ち着くがよい」
そう言われたカーマラは、不貞腐れたままではあったが、肩の力を抜いたのだった。
「ちょうどよい機会だ。修行僧たちに集まるように言いなさい」
倒れていた修行僧が起き上がると、お釈迦様は彼にそう命じたのだった。

長老も含め、精舎のすべての修行僧が集まった。お釈迦様は、大勢の弟子たちに話し始めた。
「自分の意見は正しいと誰もがそう思うであろう。また、誰もが、自分は正しいのだと思いたいものだ。しかし、絶対にそうであろうか? 果たして、自分が絶対に正しいであろうか? 一度は、そう疑ってみるべきであろう。本当に自分は正しいのか? そういう疑問は持った方がよい。それをせず、自分は正しいと強く主張する者は、他の意見を聞き入れることができなくなる。それは大変もったいないことだ。自分と違った意見を聞く機会を失っているのだ。
多くの者は、どんなことに対しても、どんな現象に対してもあらゆる側面からそれを観察し、考察しているわけではないであろう。それぞれ人によって見る角度、観察する角度、考察する癖があるものだ。つまり、それは誰しもが偏った見方や観察・考察の仕方をしているということである。そう、人は一方向からしか物事をとらえられない。個人の意見、考え方というものは、そういうものである。
だからこそ、他人の意見に耳を傾けるほうがよいのだ。周囲の人の意見を参考にするべきなのだ。それができない者は、実にもったいないことをしているのだよ。
己というものは完ぺきではない。だから、偏った見方をしてしまう。偏った考え方をしてしまう。それを正しいとは言わない。しかし、人は自分の意見こそが正しいのだと主張しがちなのだ。一方向からしか見てないのにもかかわらず。
よいか、自らの考えを疑うがよい。自分の考えが正しいのか疑うがよい。それができる者は、他の意見を参考にでき、深く考察することができよう。しかし、自分を疑うことができぬものは、貴重な意見を聞き逃している。それは大変もったいないことなのだ。大いに自分を疑うがよい。わかったか、カーマラよ」
最後にお釈迦様は、そうカーマラに呼び掛けた。カーマラは、恥ずかしそうに下を向き、
「よくわかりました。これからは自分の意見こそが正しいと言わず、自分の意見がどうなのか、疑ってみます。そして、他の意見も聞き入れ、修行に生かしていこうと思います」
そう言い、深々と頭を下げたのだった。


世の中には、とても頑固な人がいて
「私が正しいのだ、お前らは間違っている!」
と頑迷に主張し、他者の意見を聞き入れない人がいます。いわゆる頑固者ですね。まあ、それでうまくいけばいいのですが、案外こういう人は後になって「しまった」と思うことが多いようですな。後悔しても遅いんですけどね。それなら、初めから他人の意見に耳を傾ければいいのに、と思いますな。

若いころ、それほど頑固ではなかった人も、年を取ると頑固になりがちですよね。おそらくそれは、ここまでうまくやってきたという自信があるからでしょう。
「私はいろいろ経験してきた。だから、私の意見は正しい」
ということなのでしょうな。そう言って、他者の言葉を無視するのですな。しかし、それはもったいないことだと思います。若者や他者の意見だって捨てたものじゃないことだってあります。特に時代に即した意見はね。

頑迷に周囲の意見を聞き入れず、自分は正しいと主張し続ければ、次第に周囲の人たちは、その人を遠ざけるようになるでしょう。そうなれば、さらにその人に意見をする人は少なくなり、その人は正しいのかどうかわからなくなってしまいますな。それでも、「自分は正しい、間違っていない」と自分を疑うことなく生きていけば、最終的には孤独になってしまいます。残るのは自分一人だけ。それは辛いことだと思いますな。
少しは、疑ったらどうか、と思います。本当に自分は正しいのだろうか?と。間違っていないのだろうか?と。そういう己を疑いう気持ちを少しでもいいから持った方が、頑固にならずにすみます。頑固にならなければ、周囲の意見にも耳を傾けることができるでしょう。そういう人は孤独にはならないですな。
頑固に、「自分は正しい」とこだわる人は、実にもったいないことをしているのです。他の人が、貴重な意見をくれるかもしれないです。素晴らしい情報を持ってきてくれるかもしれません。とてもいい意見が聞けるかもしれません。自分を疑わない者は、そうしたチャンスをすべて放棄しているのです。それはもったいないことでしょう。

自分の意見を持たず、ふにゃふにゃな人もいけませんが、頑固に自分は正しいと思い込み、自分を疑わないのもいけませんよね。今の時代、自分の意見は正しいのかどうか、照らし合わせてみよう、と思う方が手にすることは多いですな。
頑固に自分を正当化せず、少しは自分を疑ってみようではないですか。
「ひょっとして、自分って間違っているのかな? どうかな・・・」
そう言う気持ちを持つことが成長につながるのだと思います。
合掌。


第199回
後先のことを考えず、
その時の感情や欲望に従って行動したならば、
後に残るのは後悔だけである。
「はぁ・・・何で私の人生って・・・こんなに苦労ばかりなのかしら・・・はぁ・・・」
ジャニャーナは大きくため息をついてそうつぶやいた。そこは、コーサラ国のはずれの小さな酒場だった。彼女は、誰に語るわけでもなく、一人で話し始めた。
「私はね、これでもバラモンの出なのよ。今じゃあ、誰も信じてくれないけどね。もっとも、実家はどうなってしまったかもわからないし・・・。子供は私しかいなかったから、きっともう滅んでいるわよね。あぁあ・・・あの時・・・・あんな無茶をしなければ、今頃はふかふかのベッドで寝られたのにねぇ・・・。私は大バカモノなのよ。お釈迦様のおっしゃる通りだわ。はぁ・・・」
数日前、彼女は橋の上から身投げをしようとしていた。そこにたまたま通りかかったのがお釈迦様だったのである。お釈迦様は、彼女の話を聞き、彼女の身投げを止めたのだ。
「死ぬのも辛いし、生きるのも辛い・・・・」
「何バカなこと言ってるんだ。お釈迦様の言うとおりにすれば楽だろうが。そうしない、あんたの気持ちが俺にはわからん」
彼女のつぶやきにそう答えたのは、その酒場の主だった。主は、先ほどから煮え切らない彼女の態度にイライラしていたのだった。
「そうなのよ。私は、いつもこうなの。誰かの忠告を・・・そりゃもう素晴らしい忠告よ・・・それをね、ちゃんと聞かないのよねぇ。思い返せば、子供のころからそうだったわ・・・」
そう言って、彼女は昔話を始めたのだった。

私はバラモンの家に生まれた。そこそこお嬢様だったわ。父は、優秀なバラモンで、城への出入りも許されていた。そのせいか、私は我がままに育ったのよねぇ。子供も私一人しかいなかったし。ものすごく可愛がられたわよ。欲しいものは何でも手に入った。きれいな衣装、素敵な日傘、豪華な髪飾り・・・。王妃と間違われるくらい着飾ったものよ。今思えば、それがいけなかったのかなぁ・・・。何でも自分の思い通りになると思っていたのよ。バカみたい・・・。
少女になって、私も恋をしたの。それはもう素敵な男だった・・・。私は夢中になったわ。何度も手紙を書いた。こっそり会いにも行った。でもね、それはかなわぬ恋だったのよ。なぜなら、相手は奴隷階級・・・うちに住み込みで働いている青年だったの。
あんな素敵な、たくましい青年はいなかったわ。私はもう夢中。父が怒る声も母が泣く声も耳に入らなかった。彼が私を拒む言葉も耳に届かなかった。彼は、私が夢中になればなるほど、私を遠ざけようとした。そりゃそうよね。身分の差が大きいからね。バラモンの娘と奴隷階級の青年じゃあ、天と地の差よね。彼は、いつも「お嬢様、許してください。私は殺されます。私の一家も殺されてしまいます」と泣きながら懇願してたわ。でも、私はそんなの無視よ。彼の部屋に会いに行っては「いいじゃない、身分なんて関係ないわ。愛の方が大事よ」としがみついた。バラモンの娘が奴隷の男と結婚することなんて・・・できるわけないのに・・・。
周囲の忠告なんて、全く耳に入らなかった。私は、身分の差?、それが何よ。愛の方が大事だわ!、そう何度も叫んだ。愚かよね。でも・・・若かったから?・・・いいや違う、本当に愚かだったのよ。
私のしつこさに根負けして、彼はとうとう私と結ばれた。それはすぐに父や母に知られることになった。もっとも、私も隠してなんかいなかった。真昼間から堂々と彼と腕を組んで、べたべたしてやった。くだらないことばかりやったわ。はぁ・・・・後悔しても遅いんだけどね。
その後しばらくして、私は彼と家を出た。そう、駆け落ちよ。愛の逃避行・・・。聞こえはいいけど、そこからは苦労の連続。彼はよく働いたけど、所詮は奴隷階級。給金は、ほんのわずかしかなかった。私はお嬢様育ちで、働いたことなどなかった。笑えるわよね、私は料理の仕方も知らなったし、洗濯だってできなかったのよ。何にもできなかったの。だって、私はバラモンのお嬢様よ。お料理も洗濯も掃除もすべて召使いがやってくれてたの。家事ができるわけないわよね、私に。
彼は必死に働いて、帰ってきてから私のご飯を作り、掃除をし、洗濯をして、さらに私の相手をしてくれたわ。まさに、私だけの奴隷だった。やがて子供ができた。娘が生まれたのよ。彼は、私と娘の奴隷となった・・・。そりゃ、そんな生活してれば、嫌になるのは当たり前よね。ある日、彼は帰ってこなかった。娘を抱いて彼が働いていた農園に行って聞いたら、農園で働いている若い娘とどこかへ逃げてしまったよ、とんでもない奴だ、あの女奴隷の代わりをあんたが探してこい!と怒鳴られたわ。そう、彼は同じ奴隷階級の女と駆け落ちしたのよ。私から逃げたの・・・。
そこからはもう苦労の連続よ。何とか働くことを覚えたわよ。娘と二人、生きていかなきゃと思ったのよ。実家に帰ることなんて考えなかった・・・。というより、もう実家はないんじゃないかと思っていた。そんな噂も聞いたことがあるし・・・。裕福なバラモンの家だって、跡を継ぐ者がいなきゃなくなってしまうものらしいわよ。だから、必死に働いた。お嬢様で育った私が奴隷のような働きをしたのよ。褒めてもらいたいわよね。うふふふふ。
でもね、そんなある日、娘が泣いて帰って来たのよ。そのころ娘は10歳くらいかな、村の学校に行っていた。そこでいじめられて帰ってきたのよ。奴隷の子ってね。奴隷の子は学校になんか来なくて、働きに行けよ、って言われたらしいの。どこでそういう話になったのか知らないけど、どこかの親が私の素性やら何やら噂したんだろうねぇ。それ以来、娘は石を投げられたり、川に突き飛ばされたり、そりゃもうひどいいじめを受けたわよ。で、13歳になったころ、家出してしまった。それっきり、どこに行ったのか、いま生きているのか、全くわからないわ。苦労してなきゃいいんだけど、そんなわけないわよね。きっとどこかで奴隷として働いているんだろうねぇ。器量は良かったから、遊女にでもなっているかもしれないねぇ。
それ以来、私はこのざまさぁ。飲んだくれて、男に騙されて、また飲んだくれて、そしてまた男に騙されての繰り返し・・・。もう生きていても仕方がないのに・・・・お釈迦様は生きろっていうのよ。それ、ひどくない?。これ以上、もっと苦しめっていうの?
はぁ・・・お釈迦様は私に問いかけてきた。
「今の汝の姿、なぜそうなったのだ?」
なぜって・・・私がわがままで、誰のいうことも聞かず、奴隷の青年と駆け落ちしたのが原因よ。そんなことはわかっているわよ、ってそう怒鳴ってやった。お釈迦様は、私が怒鳴っても全く表情を変えず、淡々と言うの。
「その通りだ。汝はいつもそうだ。子供の時から我がままで身勝手で周囲のいうことなど聞かない。後先のことを全く考えず、その時の感情や欲望に従って行動してしまう。私の人生だから私の勝手でしょ、などと勝ち誇ったようにふるまう。そういう生き方をする者は、後に残るのは後悔でしかない。今もそうだ。何も考えず、ふと死のうかなと思ったときには、汝は橋の上から飛び降りようとしている。そこでよく考えて見るがよい。もし、うまく死ねたとしたら汝は地獄へ行くことになろう。今よりももっと苦しい目に遭うのだ。そしてこう思うであろう。こんなことなら死ぬんじゃなかった、と。自ら死を選ぶものは、皆そう後悔するのだよ。もし、うまく死ねなかった場合はどうか。汝は大きなけがをするに違いない。それは一生残るものかもしれない。それが原因で働けなくなるかもしれない。さらなる苦労を背負い込むことになるであろう。そしてこう思うのだ。あぁあの時、橋の上から飛び降りなければよかった、と。
後先のことを考えず、一時の感情や欲望に従って行動したら、残るのは後悔だけなのだよ。よく考えよジャニャーナ。よく考えて生きる道を選ぶことだ。そして、よく考えて働くことだ。一時の感情や欲望に振り回されず、冷静になり周囲の意見にも耳を傾け、よく考えるのだ。そうやってい生きていけば、その苦労も終わることであろう」
お釈迦様の言う通りかもね。私は何も考えなかった。先のことなんて何も考えなかった。いや、考えたつもりだったわ。自分なりに考えて、うまくいくと思ったのよ。でも、うまくいかなかった、当たり前よね。考えが浅いんだから。いいえ違うわ。考えていたようで、実は考えていなかったのよ。その時の自分の欲望や感情に従っていただけなのよ。それを自分でよく考えている、と勘違いしていたのよね。
そう、私は考えていたようで、その実は欲望に流されていただけなのよ。何も先のことは考えていなかったのよ。そんな生き方をしていれば、後悔しか残らないのは当然よね。バカみたい・・・ううん、本当のバカだわ。愚か者もいいところだわ。
でもね、こんな腐ったような酒場でグダグダ言っていても始まらないわよね。それもわかっている。今回は、お釈迦様の忠告をちゃんと聞いて、出直すわ。明日から働きます。だから、今日はもう帰るわね。
ジャニャーナは、そう言って店から出ていった。酒場の主は、その背中を優しく見送ったのだった。

それ以来、ジャニャーナは何も愚痴を言わず、淡々と働くようになった。男から妙な誘いがあったとしても、それには乗らなかった。結婚の話もあったが、よくよく考えた末、断りを入れた。一人で働くほうがいい、と決断したのだ。もう誰にも迷惑はかけたくない、と思ったのだ。
十年ほどの時が過ぎた。ジャニャーナも初老に差し掛かっていた。それでも、働けるうちは働こうと決め、その日もせっせと仕事に励んでいた。そこに親子が尋ねて来た。それは家出した娘だったのだ。家出した娘は、ジャニャーナのような苦労を重ねるのが嫌で、奴隷階級であってもいいから働くことを選んだ。そこで、同じ階級の青年と出会い結婚をした。彼は、よく考えた末、コーサラ国の兵士になることに決めた。兵士になれば、身分はとやかく言われない。働き次第で出世もできるのだ。二人はコーサラ国の首都シューラバースティに住まいを移したのだった。そこで子供にも恵まれ、そこそこの生活を送っていたのだった。その日は、親子でジャニャーナを迎えに来たのだった。
しかし、彼女は、娘夫婦の申し出を断った。今は一人で働けるから、いよいよもう無理かもと思ったら、その時は手紙を書くから・・・といって断ったのだ。
「本音はさ、娘夫婦に厄介になりたかったさ。でもね、あの子たちはうまくいっているんだ。こんな年寄りが入ったら邪魔だろう。なに、私はまだ働ける。それにいい仲間もいるしね。今が・・・今が、本当に幸せなんだよ。この幸せを失くしたくもないしね。これは、一時の欲望や感情で言っているんじゃない。みんなが幸せになるように、よくよく考えて出した答えさ・・・。それであってますよね、お釈迦様」
ジャニャーナは、そう言って天を仰いだ。真っ青な空に鳥が一羽飛んでいた。その鳥がきれいな声でその時鳴いたのだった。ジャニャーナには、その声が、お釈迦様が「それでいいのだよ」と言っているように聞こえたのだった。


「何で今こんなに苦労しなければいけないんでしょうか?」
相談に来られる方の多くは、そう言って嘆きます。
私のところに相談に来られる方は、苦労したり、悩んだり、苦しんでいる人がほとんどですから、まあ皆さん同じように嘆かれます。仏教のお話を聞きたい、などと言って訪れる方は少ないですね。

そうした方の、その苦労には様々な原因があります。自分の責任でしょ、とはいいがたい苦労もあります。予期せぬ苦労もあります。よく考えて行動をしたのに、万全を尽くしたのに、苦労をすることもあります。しかし、「あなたがいけないんでしょ」と思ってしまうこともたまにあります。その苦労の原因は、あなた自身じゃないですか、ということもあるのですよ。

そう言う場合、多くは一時的な感情により発せられた言葉や行動が原因となっていることが多いですね。
カッとなって言ってしまった言葉が相手を深く傷つけて・・・それ以来、夫婦仲がうまくいかない。
ついカッとなって手が出てしまった。それが元で大事件になってしまった。
ダメだダメだと思ったのだが、ついつい誘われて・・・自分も悪い気がしなくって・・・欲望のままに不倫をしてバレてしまった。
このようなことをして、苦労を抱えてしまうことって、案外多いのではないでしょうか?。特に夫婦関係や職場では、一時的な怒りによる言動でその後がギクシャクしてしまう、ということはよくある話ですよね。
で、残るのは後悔だけなのです。

一時的な感情や欲望で行動してしまう、で、後悔に苦しむ・・・わからないでもないです。人間、いつも冷静でいろ、なんてことは無理な話です。よほど修行を重ねないと、そんな境地には至らないでしょう。ですが、やはり一時的な感情や欲望でなしたことは、あとあと困ることになるのも真実なのですよ。
いつも冷静に考えよ・・・それは理想ですね。ですが、それを意識しないとできないことでもあります。逆に言えば、意識すればできることなのです。
後先を考えず、その時の感情や欲望に流されてしまえば、後悔ばかりの人生になりやすいです。冷静によく考えて、を日ごろから意識して生きることができれば、そんなに苦労を背負い込むことはないと思いますよ。
合掌。


第200回
年を取ったから立派であるとか偉いわけではない。
また長年の経験があるかといって尊敬されるとは限らない。
立派であるとか尊敬されるとかは、その人の言葉や行動によって決まるのだ。
ある日のことコーサラ国城内の大講堂に大勢のバラモンが集まっていた。コーサラ国のバラモン階級では、年に1度、コーサラ国のバラモンをすべて集め、その長・・・大長老・・・を決める行事があったのだ。ちょうどその日がやってきたのである。
「ふん、バラモンだらけだな。この国には、こんなに大勢のバラモンがいたのか。無駄・・・なことだな」
城のバルコニーから講堂を見下ろしていたプラセーナジット王は、ため息をつきながらそうつぶやいた。隣にいたマッリカー夫人は、微笑みながら
「そんなことをおっしゃってはいけませんわ。バラモンの方たちも国に役立っております。それに今日は1年に一度の大長老を決める行事です。お祭りのようなものですから、楽しんでいましょう」
と諭すように国王に言った。夫人の言葉に国王も「そうだな」と微笑んだのであった。
「そろそろ始まるな。大講堂の扉が閉まった。さて、今年の大長老は誰がなるのか・・・。まあ、我々は口が出せないからな、部屋で結果を待つか」
そういうと国王は、従者に食事の用意を言いつけたのだった。ゆっくり食事をしながら結果を待つことにしたのだ。
しばらくして使いの者が国王のもとにやってきた。
「大長老が決まりました。クマーラナーダ様が今年の大長老となられました」
「クマーラナーダか・・・。わかったすぐに支度して行く」
プラセーナジット王は、報告を聞いて大きくため息をついた。そして「厄介なことだな」とつぶやいたのだった。

国王は、大講堂に出向き、大長老となったクマーラナーダを礼拝した。
「プラセーナジット王よ、1年のことではあるが、よろしく頼みますぞ」
国王は肯き、大長老はそれを見下ろしていた。
「私は大長老となった。バラモンの中の頂点である。年齢もバラモンの中では最高齢だ。経験もある。汝らが知らないこともよく知っている。汝らはこの1年、よく私に従い、よく学がよい」
クマーラナーダ大長老は、集まったバラモンに向かってそう宣言したのだった。
この言葉に若手のバラモンたちは
「何だってあんな威張り屋のじいさんが大長老になるんだ。困ったものだ」
「仕方がなかろう、なんせ歳が一番上だからな。偉いんだよ、年寄りは」
「そんなものだろうか?。年寄りだからと言って偉いのか?」
「あぁ、イヤになるなぁ。大長老は一応1年と決まっているが、続けてやる人もいる。前の大長老は3年もやったぞ。今度はどうかな、死ぬまで続けるんじゃないか。憂鬱だぜ」
「うるさいよなぁ、あのじーさん。今までも何かの集会があるたびに、『わしは偉いのだ。わしに従っておけば、お前らも出世するぞ。あははは』とか言って威張り散らすんだよなぁ」
「俺たち若いものは、小間使いになるんだろうな。今までもそうだったしな。あれしろこれしろ、年寄りを大事にしろ、敬え、いうことに従え・・・まるで俺たちは奴隷だぜ」
若いバラモンたちは、愚痴を言いあい顔を見合わせて「あぁ〜あ、嫌な1年になるなぁ・・・」と盛大にため息をついたのだった」

若いバラモンたちが懸念していたように、クマーラナーダは、大長老になったとたん前にも増して威張り始めたのだった。貢物の強要は当然のこと、コーサラ国の各地を回っては接待を強要し、金を集め、人々に尊敬されるような演出を求めた。
初めのうちは、地方の人々は「立派なバラモンの大長老がやってくる」ということで歓迎していたのだが、実際にやってきたのは、やたら威張り散らし、周囲に何かと命令し、貢物を強要するバラモンだったのである。小さな田舎の村では、「これがバラモンの大長老に出す食べ物か」と怒鳴られる始末であった。その悪評はあちこちでささやかれるようになり、ついにはプラセーナジット王の耳にも入ることとなったのだ。
「やはりそうか・・・。前々からあのクマーラナーダは評判が悪かったのだ。だから、王宮に出入りするバラモンたちに『クマーラナーダだけは大長老にするな』と言っておいたのだ。それが何てことだ・・・。仕方があるまい、わしから話をしておこう」
バラモンたちからの要請もあり、プラセーナジット王はクマーラナーダ大長老に説教をすることとなったのだ。
「大長老、あまり評判がよろしくないようだが、ご存知ですか?」
「何のことかな?。わしに何か言いたいことがあるのか?。国王よ、遠慮なく言えばよい」
大長老にそう言われ「では・・・」とプラセーナジット王は街で噂されている大長老の素行の悪さや悪評を伝えたのだった。そして
「これでは世間の尊敬を集めるべく大長老の立場として、どうなのでしょうな。とても尊敬を集められそうにないですが・・・」
と迫ったのである。しかし、クマーラナーダ大長老は平気な顔をして
「何を言っておるのだ国王は。わしはバラモンの中でも最も年長であるのだぞ。経験も豊富だ。生きていた年数が違うのだ。人々はなんと言っているが知らんが、それだけでもわしは尊敬されるべきであろう。尊敬される立場のわしが、多少の我がままを言って何が悪い。わしは尊敬されるべき立場の人間なのだぞ。人々はわしを敬っているのだから、貢物をするのは当然であろうし、接待をするのは当たり前であろう。しかもだ、一般の人とは違うのだぞ、このわしは。多少なりとも贅沢な接待は当たり前というものだ。それを何だ、国王はわしに説教をするのか?。お前がか?。ふん、話にならん」
大長老はそう言うと、「さっさと帰れ!」と怒鳴ったのであった。
それからもクマーラナーダ大長老の横暴ぶりは相変わらず続き、多くのバラモンが振り回され犠牲となった。

ある日のこと。その日は、野外の講堂で多くのバラモンに対し大長老が教えを述べる日であった。バラモンたちは、「みんなで欠席しよう」などと話し合っていたが、あとのことを考えるとそうもいかず、いっそのこと自分たちで大長老に意見をしようということとなった。聖典に書いていることを示し、大長老の素行の悪さを指摘するのだ、ということになったのであった。
会合は順調に進み、大長老が聖典を読み上げ、解説をしていた。しかし、その解説もありきたりの解説で、ただ淡々と話をするだけで、興味をそそるものではなかった。多くのバラモンはうたた寝をしてしまった。
「わしがせっかく大事な話をしておるというのに、お前らは何だ!。そんなに眠たければ帰って寝るがいい。そして、二度とバラモンを名乗るな!」
大声で叫んだ大長老に対し、若手のバラモンたちが反発した。
「お言葉ですが、大長老の話は聖典に書いてあることを読んでいるだけです。それならば、わざわざ大長老にお越しいただかなくても自宅で勉強できます。私たちが聞きたいのは、大長老の経験を通しての教えの大事さ、です」
「つまらない話では寝るのも当然だ。もっと意味のある話をするべきだ」
「そもそも大長老は、あなたの素行の悪さをご存知か!。少しは、世間の評判を気にしてはいかがが」
「威張っているだけの大長老ならば不必要だ」
ここぞとばかりに若いバラモンたちがそう叫び出すと、ほかのバラモンも相槌を打ち始めた。
しばらく黙って聞いていた大長老は
「だまらっしゃい!。うるさいわ!。わしを誰だと思っているのだ。わしは大長老だぞ。そうか、そんなにわしに逆らうのか。おい、初めに意見を言ったもの、お前は今日からバラモンの地位をはく奪する。それから、お前もだ、お前もだ、お前もだ・・・」
クマーラナーダ大長老は、次々とバラモンたちに指をさし、地位のはく奪を言い渡したのだ。しかし、バラモンたちはこれにも反発したのだった。
「あなたのような尊敬できない大長老が何を言っても怖くないぞ。あなたは、自分で尊敬されているとでも思っているのか?」
「そうだそうだ、お前なんかに言われても怖くないぞ」
指をさされた者たちはそう叫んだ。それでもクマーラナーダ大長老は負けなかった。
「この愚か者め。聖典に何と書いてある?。年長のバラモンは敬うべき、と書いてあるだろう。お前らは、わしを敬うべきなのだ!。お前らは、聖典を無視するのか!」
その言葉に、バラモンたちは黙ってしまった。彼らは聖典に逆らうことだけはできないのだ。会場は、一瞬で静まり返ってしまった。
その時である。よく通る澄んだ声がした。
「愚か者は汝だ。クマーラナーダよ」
全員が、その声をしたほうを振り返った。そこにはお釈迦様が立っていたのだ。
「己の愚かさに気が付かないのかクマーラナーダよ。それでは誰からも尊敬されないであろう。哀れな者よ・・・」
「な、何を言うか。ブッダか何か知らんが、お前なんぞよりバラモンの大長老の方が偉いのだぞ。つまり、わしの方が偉いのだ。そのわしに説教か!」
「バラモンよ、あそこに立っている老人は、ただただ年を取っただけのものである。これまでの人生において、人が人たるべき行動や言葉が何であるかを学んでこなかった愚かな老人である。年を経たのなら、人が尊敬されるには、どのように立ち振る舞い、どのように言葉を話すか、それを学ぶべきであるのに、あの者は『年を取った者は威張って良い』と勘違いしただけのものなのだ。
よいか大長老よ、年を取ったものが立派であり、偉いのだというわけではない。年を取ったからと言って尊敬されるのではない。経験があるからと言って尊敬されるわけではない。尊敬さるかどうか、立派だという評価を得られるかどうかは、その人の言葉遣いや言葉の深さ、そして行動にによるものだ。威張り散らすことが偉いのだと思い込んでいるあなたのような老人は、尊敬に値するものではないのだ。
クマーラナーダよ、尊敬されたければ、、己の行動を慎み、いつも謙虚であり、よく考えられた言葉を吐くがよい。わかったかな、老人よ。わからなければ、何度でも話をしてあげよう」
お釈迦様はそういうと、その場を立ち去ろうとしたが、ふと振り返り
「バラモンよ、汝ら聖典をよく読むがよい。尊敬されるバラモンとは、バラモンの立ち振る舞いとは・・・と書かれている箇所がある。それを読めば、あの老人がいかに大長老にふさわしくないかわかるであろう。彼の老人は、自分に都合のよいことが書かれている箇所だけを利用しているにすぎない。汝ら、それくらい聖典で学んでおくべきであろう」
と言い残し去って行ったのだった。
クマーラナーダ大長老は、その場でうなだれ、座り込んでしまっていた。ただ年を取っただけの老人と言われたことが、衝撃だったのだ。バラモンたちは「お釈迦様の言うとおりだ。我々は、もっと聖典を読み込まねばいけない」と言いつつ、その場を去って行った。一人、座り込んだままの白髪の老人を残して・・・・。


先月、怪しい部屋でも書いたのですが、私はやたら威張る老人が嫌いです。それは子供のころからでした。なので法句経の
「白髪をいただくから長老(年老いて尊敬に値する人)になるのではない。彼の齢は老けただけで、彼はいたずらに年老いたものと言われる。真実と理法と、不殺生と、自制と、節度をそなえた者が、汚れを離れた賢い長老であると言われる」
という一文を呼んだ時、
「まさにその通りだ。さすがお釈迦様だ」
と感激したことを覚えております。そうなんですよね、やたら威張るだけの老人がいるんですよ、困ったことに。

それにしても、お釈迦様がそう説いているということは、その時代・・・今から約2500年前・・・から、ただ威張るだけの老人がいたのですね。年を取っているから偉い、と思い込んでいる老人がいたのです。老人は大事にされるべき、と思い込んでいる老人がいたのです。年を取っているから尊敬されべきと勘違いしている老人がいたのですな。そう、今から2500年前にも。ならば、この時代にそういう老人がいても不思議ではありませんな。
しかし、そんな老人は、今も昔も決して尊敬されませんね。悲しいかな、小ばかにされてしまうのです。

年を取ると、確かに相手にされにくくなります。周囲から忘れ去れたような感じを老人は受けてしまいます。ちょっとないがしろにされているかな、という一抹の寂しさを抱くのが老人でしょう。だから、ついつい口をはさみたくなるのでしょうな。
しかし、口を挿むのら、穏やかに、意味の深い言葉を発するべきでしょう。「わしは気に入らん」などという個人的な感情の言葉はいらないですな。そう言うことをいうから敬遠されるのです。大事にされたければ、尊敬されたければ、そのようにふるまい、そのような深い言葉を発すべきでしょう。

何も無理やりに若者たちに入りこむ必要なんて本当はないのですけどね。若い世代に媚を売る必要もないでしょう。己は己、己の好きなように生きればいいのです。ただし、「今時の若いもんは」とか「わしはどうなるのだ」などと言った言葉は禁句ですね。自分のことは自分でやるよ、心配なんぞ要らんよ、若いものは若い者で楽しみなさい、我々老人には我々の楽しみ方があるから気にしなくていいよ・・・くらいの気持ちでいればいいのです。
年を取っても、自分の楽しみを持っていれば、それで十分でしょう。なるべく周囲に頼らないで、自分で何とかするという気持ちがあれば、自然と尊敬されるようになると思うんですけどね。
ご老人よ、甘えちゃいかんですな。自立してください。
合掌。


第201回
理屈ばかり言っていないで行動しらどうなのか。
やらずに逃げてばかりいれば誰からも相手にされないのは当然である。
それは単に怠けていたいだけである。

「そんなこと・・・うまくいかないに決まっているさ。俺にそんなことができると思うのか?。無理無理、ダメに決まっているさ。できるわけがないよ・・・。だって、やったことがないし、そういうの苦手なんだよ。だから、無理だな」
プッタラーはそう言うと友人たちに「じゃあな」と言ってその場を去って行った。残された友人たちは
「あいつはいつもあれだ。無理無理とかいってちっとも動こうとしない」
「まったく・・・せっかくいい仕事だと思って紹介してやったのに・・・。いい仕事があったら教えてくれ、と言ったのはあいつだぞ」
「もう相手にするなよ。プッタラーは、子供の時からあれなんだから。口ばかりでなんにもしない」
プッタラーの友人たちは、「もうごめんだ、あいつの相手をするのは」と文句を言いつつ街の方へと去って行ったのだった。

プッタラーの友人が言っていたように、彼は子供のころから口先ばかりで何もしない子供だった。親から手伝いをするように言われると
「あ〜、無理無理、これから友達の家に行くんだ」
「無理だよ、身体がだるいんだ・・・。熱があるのかも・・・」
などと言っては逃げてばかりいた。かといって勉強するでもなかったのだ。親の手伝いができないなら勉強をしろと言われれば
「うちの身分で勉強なんてしても意味がないよ。雇われ人の子供は所詮雇われ人だからね。無理に勉強しても意味がない。僕だっていずれ働きに出るんだろ?。それまでは、好きにさせてよ」
などと言っては、遊びに出ていくか家の中でゴロゴロする毎日だったのだ。そのくせ、弟や妹には
「お父さんやお母さんのお手伝いをしなきゃダメじゃないか」
と叱るのだった。弟や妹たちが「お兄ちゃんだって働いていない」と反発すれば
「お兄ちゃんはな、もうすぐ働きに出るんだ。お金を稼ぎに働きに出るんだよ。だから今は、その準備をしているんだ」
と意味の分からない理屈を言っては何もしないで怠けてばかりいたのである。

しばらくして、プッタラーも働きに出られる年齢に達すると、否応なしに彼も働きに行かされた。初めていった職場は農園だった。摘み取られたマンゴーの実が入ったカゴを運ぶだけの仕事だった。しかし、3日もすると彼は仕事をさぼるようになった。
「おい、プッタラー、さぼってるんじゃねぇ。さっさとこのカゴを運べ」
「はい、僕も今運ぼうと思っていたんですが・・・。もう腕が痛くて・・・。朝からたくさんカゴを運んだから、もう腕に力が入らないんです・・・。もし、こんな腕で運んでカゴをひっくり返してしまってはと思うと・・・」
「なんだそうなのか。まあな、お前はまだ子供だからな。じゃあ、少し休んでから運べ、いいな」
こうしてプッタラーは、しばしば仕事をさぼっていたのであった。しかし、そんなことが長続きするわけもなく、仕事仲間から「プッタラーはいつもさぼっている」と言われるようになったのだった。
雇い主がプッタラーを呼び出しその事を確認すると
「さぼっているわけではありません。見てわかると思いますが、うちは貧しくて満足に食べられません。だから僕の身体も貧弱で力が無いし、体力もないんです。ですから、時々休んでいるんです。親方も動けないときは休んでいいと言ってくれてます」
と、どこで覚えたのかすらすらと理屈を述べるのであった。雇い主も「仕方がないな、様子を見よう」と納得せざるを得なかった。このようにプッタラーは、子供の時から口先ばかりで動かない者だったのである。

しかし、そうした行動はいつかは知れるものだ。いずれ雇い主は、プッタラーは単なる怠けもので口先だけの男だと知るのであった。初めのうちは
「プッタラー、理屈はいい、理屈は言うな。それよりも身体を動かせ」
と注意していたが、そのたびに言い訳をしたり屁理屈を並べるので、腹が立ってきた。やがて
「働かないのなら、明日から来なくていい」
と言われるのだった。そんなことをプッタラーは何度も繰り返していったのである。

「あぁ、なんかいい仕事ないかなぁ。俺は、働く意欲はあるんだよ。働きたいんだよ。でもな、いい仕事がないんだよな」
常日頃、プッタラーは親にも周囲の人たちにもそう言っていた。だから、親も周囲の友人たちも「この仕事はどうだい?」と彼に紹介したのだ。しかし、そのたびに
「それは肉体労働だろ?。俺には無理だよ。だって体力がないもん。雇い主に迷惑をかけるから、それはやめておくよ」
「あぁ、客商売は無理だな。俺さ、人見知りで、初対面の人にはうまく話せないんだよ。お客さんを怒らせてしまうよ。だからダメだね」
「無理無理、子供の面倒なんてできないよ。子守りなんてできるわけがない。オムツとか変えられないし。無理無理」
「兵士は嫌だ。身体が付いて行かないし、まだ死にたくないし、相手を殺すのも・・・。兵隊さんは俺には合わないよ」
「船に乗って旅をしてほかの国へ行くのかい?。そんな恐ろしいことできないよ。まあ確かに儲かるけど・・・。今回は遠慮しておくよ」
などと言っては、ことごく仕事を断っているのだった。たまに気が向くと
「いや、俺だって仕事はするよ。本当は働きたいんだから」
と言って、短期間だけ働くのだった。プッタラーは、そんなことを何度も繰り返していたのだった。

やがて、親はプッタラーのことを相手にしなくなった。期待もしないし、家でゴロゴロしていても無視するようになったのだ。プッタラーの食事を用意することも無くなり、面倒も見なくなった。父親は
「働きもしない者を養う余裕はない。気に入らないのなら出ていけ」
とよく怒鳴った。プッタラーは、そのたびに言い訳や理屈を言ったが、親は聞く耳を持たなかった。仕方がなく、プッタラーは、友人たちの家で食事をもらったりしたのだった。しかし、その友人たちも「いい加減に働けよ。嫌なら出家でもしろ」と怒鳴り、彼の相手をしなくなった。プッタラーは、放浪するするしか道がなくなったのだった。

友人たちから締め出しを食った翌日のこと、街をぶらぶらしていると托鉢の修行者を見かけた。
「出家しろ、か・・・。まあ、悪くはないけどな、飯も食えるし、働けとも言われない。でもな、ありゃ退屈じゃないか?。出家したら自由は無くなるしな。聞くところによると戒律も厳しいらしいしな。う〜ん、どうしようか・・・」
彼は悩みつつもその托鉢をしていた修行者の後をついていった。その修行者は、祇園精舎へと入っていった。
「汝、プッタラー、なぜここに来た?」
祇園精舎の中に入りウロウロしていると声をかけて来た修行者がいた。その修行者は輝いているように見えた。「きっとこの人がお釈迦様に違いない」と思い、
「はぁ、僕は誰からも見捨てられて・・・誰も僕のことを信用してくれなくて・・・行くところがなくなってしまったんです」
と悲しそうに言ったのだった。
「その原因は何か?。その原因を造ったのは誰か?」
「はい、もちろん私なのですが・・・。でも、私は働こうと何度もしたのですが、いかんせん身体も弱いし、力もないし、気も小さいし、人見知りだし・・・、思うような仕事が無くて。仕事が嫌で長続きしないのではないのですよ。できなくなってしまって・・・それで辞めさせられるんです。それを親も友人も理解してくれなくて・・・」
「プッタラーよ、ウソを言うな。そんな理屈をいくら並べてもここでは通用しないよ。汝は怠け者なだけだ。単なる怠けものだ」
「いえいえ、ウソなんて言ってないです。そりゃ、ちょっと大袈裟に言ってしまったかもしれませんが、働く意欲は十分あります。働きたいんです」
「そうか、ならば理屈ばかり言っていないで、まずは行動したらどうなのだ。何もせず逃げてばかりいれば誰からも相手にされないのは当然であろう。汝は、単なる怠け者にすぎないのだ。そうではないか?」
鋭い目つきでそう言われたプッタラーは何も言い返せなかった。
「どうしたのだ?。得意の理屈はどこへ行った?。何とか言ったらどうなのか?。言葉すら怠けるようになったのか?」
そう言われたプッタラーは、その場で泣き崩れたのだった。

プッタラーは、出家することにした。出家して、修行者の仲間に入れば、少しは怠け癖も治るのではないかと思ったのだ。彼自身、怠けてさぼっていることは十分承知していた。ただ、それが今まで通ってきたから怠けていたのだ。誰からも相手にされなくなり、いよいよどうしようか、と思ったとき、怠け癖はしっかりプッタラーに根付いていて、働く意欲さえなくなっていた。彼の心には「働きたくない、楽がしたい」それしかなかった。それをすべてお釈迦様に見透かされたのだ。今を逃せば、怠け癖は治らないだろう・・・そうお釈迦様に諭され、出家することにしたのだった。
「どこまで行けるかわかりませんが、とにかく修行します。ますは、行動ですから」
プッタラーは、気まずそうにそう言って微笑んだのだった。


世間には、理屈ばかりこねてちーっとも行動をしない人がいます。そういう人は、先に言い訳を並べたり、やっても無駄的なことを言っては、行動しないんですね。口先だけはいいけど・・・という人ですな。
そう言う私もどちらかというと理屈派です。いろいろ理屈をこねては行動しないですな。特に運動面に関しては。やれ時間がないだの、今更無理したらかえって身体が悪くなるだの、無理な運動は身体を痛めるだけだの、お金の無駄だの、遠くて面倒だの・・・とにかくあーだこーだと言っては運動しません。実は単なる怠け者にすぎないんですけどね。わかってはいるんです。自分が怠け者だということは。
そうなんですよね。理屈をこねて行動をしない者は、実は単なる怠け者なんですよ。

ひところ「働いたら負け」なんて言葉が横行していました。最近では「社畜になりたくない」からと言って働かない人も増えているようで。働けるのに働かない人口は増える一方なんだそうです。つまりは、怠け者が増えている、ということですね。
私が若いころは「働かざる者、食うべからず」ということわざをよく耳にしました。しかし、今は、これは禁止用語なのだそうですな。現代の若い方たちは、この言葉を知らないそうです。また、そう言われると抵抗があるそうですな。しかし、それはこの言葉の本当の意味を知らないからでしょう。

働けるのに何だかんだと理由をつけて働かない、それはいけません。そういう者に対して
「働かざる者、食うべからず」
と言ったのですよ。誤解してはいけませんな。働けるのに働かないで、生活だけは面倒をみてもらおうなんて、それはダメでしょう。働けるのならちゃんと働いて、自分の食い扶持くらい何とかするのが生き物ですね。どんな生き物だって、働いて自分の生活を成り立たせているのですから。もちろんペットもね。ペットの仕事は人間の相手をすることですな。
怠けていてはあっという間に食えなくなってしまう、それが動物ですね。ですが、人間だけは面倒を見てくれる人がいるから生きていけます。面倒を見てくれる人がいなければ、ホームレスですな。それでも彼らは自分の食い扶持くらい自分で何とかしていますな。働いたら負け、なんて言っているニートより立派ですな。ホームレスの人たちは、決して怠け者ではありません。
あれは嫌だ、これは嫌だ、それは無理、あっていない・・・理屈をこねて行動をしない、それは怠けているにすぎません。怠け者なのです。その怠けをいつまで通すつもりなのでしょうか?。いずれは誰も相手にしなくなってしまうのに・・・。

年を取って、足腰が弱くなって、何かのはずみで寝たきりになってしまっては周囲の人たちに迷惑をかけますな。日ごろ、偉そうなことを言っている立場上、あまり周囲に迷惑はかけたくないですね。なので、最近、運動を始めました。足腰が弱くならないよう、いつまでもシャキッとした老人でいられるようにと思いまして・・・。
理屈をこねて行動をしないよりは、とりあえずやってみよう・・・の方が気持ちがいいですね。それはやってみなければわからないことです。だからこそ、まずは行動してみましょう。
合掌。


第202回
考えなしの行動からは得られるものは何もない。
また、今までうまくいったからと言って、同じ手が通じるわけでもない。
その時その時の状況や条件などをよく吟味しなくては、成功は得られないのだ。

コーサラ国の南の方は、紛争が絶えなかった。南部の小さな国々は、協力し合ってコーサラ国に攻め入ることを止めなかったのだ。だから、南部の国境周辺は、いつも緊張状態であった。しかし、コーサラ国の兵隊たちもよく統率され、よく国境を守っていた。そのため、コーサラ国の南部の村々は、平和に過ごすことができていた。
その南部国境地帯の軍隊に新しい隊長が赴任してきた。
「いいかお前ら、ここを守っているだけでは話にならん。もっと南へ攻めて国の領土を広げるのだ。わかったか。わかったらすぐに武器を持って国境に集合だ」
新しい隊長にそう命じられた兵隊たちは、首をかしげながらも命令に従った。というのは、前の隊長は、南の国からの侵入だけに注意し、なるべく戦いを避ける方針だったのだ。それは、村を戦争に巻き込まないためだった。村の人々や、その生活を守ることが第一と考えていたのだ。しかし、新しい隊長は違っていた。

国境に集まった兵隊の中の一人が、隊長に言った。
「このまま国境を越えて攻めるのですか?」
「当たり前だ。何を寝ぼけたことを言っているのだ。お前らはいったいどういう指導を受けていたのだ。お前らは何者だ?。兵隊であろう?。兵隊が、国境周辺でボーっとしていて何になるのだ。それでも役に立っているといえるのか?。いいか、兵隊は戦争をするのが仕事だ。わかったか。わかったらさっさと仕事をしろ」
別の兵隊が質問をした。
「どのように攻めていけばいいのでしょうか?」
「お前ら・・・・訓練もしていないのか?。この国境の守りの壁を越えてだな、突っ込んでいけばいいのだ。敵は大した武器を持っていない。文明が遅れた地域だぞ。こちらの矢の方がより遠くへ飛ぶだろう。敵に出会ったら次々に矢を射る。それだけだ。わかったか。わかったらさっさと進め」
するとまた別の兵隊が質問をした。
「国境の壁は、結構長いです。どのあたりから攻めていけばいいのでしょうか?」
「おいおい、そんなこともわからないのか。横一列になって進めばいいじゃないか。簡単なことだろ。まったく・・・。前の隊長は何をやっていたんだ?。よくこんなんで、あのヤロウは出世できたな・・・。このことは上官に報告してやるからな。わかったか、わかったらさっさと行け」
兵隊たちは、しぶしぶ横一列に並んだのだった。
「おい、これで勝てると思うか?」
兵隊の一人がつぶやいた。隣の兵隊がそれに答えた。
「いや、無理だ。これじゃあ、敵の的になるだけだ。国境を越えたら単なる原っぱだぞ。隠れるところもない」
その隣の兵隊が言った。
「俺は死ぬのがいやだ。今度の隊長は何なんだ?。作戦も何もないじゃないか」
更に隣の兵隊もささやいた。
「新隊長は現状を全く知らないのだ。まずは、現状を知って作戦を練ることが大事だ。でなきゃ・・・死ぬ」
「おいおい、それじゃあ、何の意味もないじゃないか」
兵隊たちはざわつき始めた。
「お前ら何を言っているんだ!。この期に及んでビビったのか?。黙ってさっさとこの壁を乗り越えろ!」
「乗り越えろって・・・。乗り越えて落ちたらあっという間に殺されるぞ」
「知ってるか?。敵は地面に穴を掘って隠れているんだぞ。俺たちが壁を乗り越えて落ちてきたら・・・いい的じゃないか」
「隊長はそのことを知らないんだ。おい、誰か言えよ」
「お前が言えよ」
兵隊たちはざわつくだけで、誰一人壁を越えようとはしなかった。
「いい加減にしろよ。仕方がねぇ、俺が真っ先に壁を越えて手本を見せてやる」
そういうと新隊長は、背中に弓矢を背負って、壁から少し下がった。そして、壁に向かって走り出したのだ。
「それっ!」
新隊長は勢いよく壁に飛んだ。壁の上に手をつくと「それっ」と声をあげて壁の向こうへ跳んだった。ドサツという音が聞こえた。無事に壁の向こう側へ着地できたらしい。
「おいお前ら、何をやっている俺に続け」
といったかと思ったら、すぐにそのあとに「ぐわぁー」という叫び声が聞こえた。すると壁の向こうから
「兵隊を一人やっつけたぞ。久しぶりだな、兵隊がこの壁を乗り越えてくるのは。バカなヤツだ。あはははは」
その声を聞いて、並んでいた兵隊たちは、壁を越えるのを止めたのだった。

お釈迦様が、その話を終えると、大勢の聴衆の中から笑い声と「バカな隊長だ」という声が聞こえた。お釈迦様は、
「そうだ、その通りだ。この隊長は愚か者であった。では、この隊長はどうすればよかったのであろうか?。今、笑った者、汝ならばどうするか、答えてみよ」
そう言われた者は、「えっ・・・あぁ・・・えっと・・・」と言うだけで何も答えられなかった。
「汝も、この話の隊長と同じだな。よいか、他者を批判するならば、『自分ならこうする』という意見を持って批判せよ。自分の意見を何一つ持たずに批判するのは、愚かものがすることだ」
お釈迦様の厳しい言葉に、話の中の隊長を笑った者は「すみません」と小さくなったのだった。
「さて、汝ら、この隊長のいけなかったところはどこであろうか?。何が原因で隊長は死んでしまったのか?」
お釈迦様は、話を聞きに来ていた修行僧や人々に問いかけた。その中の一人が答えた。
「何がいけなかったかって・・・、そりゃ無謀すぎまさぁ。何の考えもなしに突っ込んでいけば、やられて当然でさぁ」
「ほう当然か?。それはなぜだ?」
「そりゃ、考えなしってのがいけない。ちゃんと状況を知って、敵の様子も知って、土地がどうなっているかも知って、で、それからちゃんと計画を立てねばいけない。計画なしで突っ込めば死ぬのは当然だ」
「そうだ、その通りだ。では、隊長はどうすればよかったのか?」
同じ男が答えた。
「だから、計画を立てればよかったんだ。まずは、現状把握だな。それから、敵の状況や特徴。強いのか弱いのか、どうやって攻めてくるのか、攻めてはこないのか。それと土地だ。戦場になるのはどこかも知らねば計画は立てられない。地図も必要だな。こちらの兵力も考えねばならん。さらに、過去はどうだったのか。せめぎあいはあったのか、その時はどうなったのか・・・。ありとあらゆる情報を集めなきゃ、いい計画は立てられない。そうした情報をもとに先のことや周辺のことをよく考えて計画を立て、戦いに挑む、もしくは戦わないのだ」
男の答えに「ほう、すごい・・・、なるほどな」という声が漏れ聞こえて来た。
「しかし、この隊長は、それまで自分のやり方が通用していたのだろう。だから、今回もいけると思ったのではないか?」
お釈迦様がまた尋ねた。男は、「それはよくある勘違いだ」と言い、
「今までの作戦がうまくいったからといって、同じ手がよその場所で通用するとは限りませんよ。その場所その場所で条件が変わりますからね。場所も変われば、人も変わる。天候だって変わってくる。そうした条件の変化にあわせて計画を立てるべきでしょう」
周囲から拍手が起きた。人々は、「すごいすごい」と称賛の声をその男に与えたのだった。
「さすがだ、見事だ、総隊長殿」
お釈迦様の言葉に人々は「総隊長だったのか・・・道理で・・・」とささやき合ったのだった。
「素晴らしい回答をありがとう。今、総隊長が言ったことは、何も軍隊の中だけのこととは限らない。生活をしていくうえで、新しいことをしなければいけなくなった時にも、これは心得ておくべきことだ。総隊長が言ったことは、どんな仕事にも通じることであり、普通の生活にも必要なことなのだ。よいか、どんな時でも新たなことを始めようとするばならば、無謀に突っ込んでいってはならない。考えなしの行動は愚かなことだ。また、今までうまく行っていたからと言って、同じ手段が何度も通用するとは限らない。必ず、その時その時で、状況をよく把握し、場所、人、必要と思われるありとあらゆる条件を模索し、なるべく多くの情報を得て、初めて確かな計画が立てられるものなのだ。よいか、これは家庭内でも同じだ。何か新しいことを始めるならば、よくその場の状況を把握しておかねばならない。子育ても同じである。上の子に通用した子育てが、下の子に通用するとは限らないのだ。その子その子に応じて、対応していかねばならない。仕事であっても、家庭であっても、どこであっても、その時の状況や場所・人・状態や条件などをよく吟味していかねば、いい利益は得られないのだよ。考えなしの無謀な行動は決してしてはならぬ。よいか、修行も同じである。よく考えて修行をせよ」
お釈迦様は、そういうと優しく微笑んだのであった。


何も考えず、結構大胆な行動をする方っていますよね。相談事でも「よくそんな無謀なことを」ということもありますな。いや、まあ、本人はよく考えたのかもしれませんが、はたから見ると「それ無謀でしょ」ということが、あるんですよね。本人は気付いていないのですが・・・。

先日もこんな相談がありました。その方、3年ほど前に居酒屋を始めたのですが、どうにもこうにもやっていけなくなったのですな。しかし、話を聞いていると、その方、無謀そのものなんですな。まず、資金がない。この時点でアウトだと思うのですが、「金なんて借りればいいさ」というひどいアドバイスをする者がいるんですよね。で、そういう者は「あんたなら、人あたりもいいし、料理もうまいし、うまくいくよ」なんて軽い、根拠のない言葉を言うのですな。その方、まんまとその言葉に乗って居酒屋を始めちゃったんですね。無計画のまま。ウリもない、場所も悪い、何の特徴もない。それでうまくいくと思う方がおかしいのですが、案外こういう話はよく耳にしますな。人間て結構大胆なんですよ。

何か新しいことを始める時とか、新しい場所に行って改革をしようとする時とか、どうアプローチするかが大変難しいですね。サラリーマンの方でも新しい赴任先で、しかも上司という立場の場合、いろいろ悩みますな。特に人間関係は難しいですからね。
そんな時は、いきなり行動をしないで、焦らず、まずは様子を見ることですな。新規事でも同じですね。その新しい仕事のメンバーをまずは知らねばなりませんからね。リーダーシップを取らねば、と意気込み過ぎれば反感を買いますな。まずは、スロースタートがいいでしょうな。
で、その場所、その人たちなどの状況をよく把握することですね。ここはいったいどういうところなのか、どんな人間がいて、どんな状態で働いているのか・・・。現状をよく理解し、そこにいる人たちの特徴を知り、その場の条件やルールを知り、なるべく多くの情報を集めること。そこから始めるべきでしょう。その上で、改革が必要なら、その条件に合った計画を練ることですな。新規事でも、その時の条件に合った計画を練って進めるべきですな。また、そうした計画は、必ず遂行するのではなく、臨機応変に対応できるように心得ておくべきでしょう。そうしないと、なかなかうまくはいかないですね。

とはいえ、それも難しいことではあります。状況はコロコロ変わりますしね。状況がよくなるのを待って・・・とか言っているうちにチャンスを逃すこともあります。しかし、だからと言って見切り発車いけませんな。十分な計画を練り、できれば他者の意見を参考にしたほうがいいですな。そして、最後は客観的に見てみることです。無謀じゃないかどうかを・・・。
合掌。


第203回
どんな身分の者にも悪事の報いは必ず来る。
公にならなくとも世間が罰を与えなくても、その報いは必ず来るものだ。
それからは決して逃げられないのだ。

「子供は黙ってろ。大人の話に首を突っ込むな」
イラージャは、息子のチャンカにそう言った。だが、チャンカは黙っていなかった。
「だって、それはおかしいと思うよ。そういうことは、やらないほうがいいと思うんだけど」
「うるさい。子供にはわからないことだ。これは大人の世界の話なのだ。余計な口出しをするな。わかったな」
「子供って、俺ももう16歳だ。やっていいことと悪いことの判断くらいできる」
イラージャは、大きくため息をついた。そして、何とか息子のチャンカを言いくるめる方法を考えた。そうでないと、自分の立場が危ないからだ。
「いいか、チャンカ。大人には大人の世界がある。お前たちにはお前たちの世界があるように、だ。今、父さんがやっていることは、お前たちの目からすれば悪いことに映るかも知れない。しかし、時が経てばわかるだろう。そう、お前も大人になればわかることだ。今、理解できないだけなのだ。だから、黙っているのだ。いいか、もしお父さんたちがやっていることが公になったら、すべてを失うのだぞ。それでもいいのか?。母さんがも苦しむだろう。お前の弟や妹も生活できなくなる。それでもいいのか?」
「わかってるよ。だから、止めてくれと言っているんだ。そんなことをしなくても、ちゃんと生活できるじゃないか。俺だって働くし、悪いことをすればその報いは来るんだよ・・・」
「我が家はバラモンの家系だ。お前が働くことはない。お前はバラモンの修行をすればいい。それに、バラモンにそのような報いはこない。大丈夫だ、うまくいくようにできている」
チャンカは不服そうな顔をしたが、それ以上何も言わなかった。確かに、自分はまだ16歳で大人の世界は知らない。バラモン同士の付き合いもよくわかっていないし、バラモンと貴族たちに関わりもよくわかっていない。だが、何となくではあるが、父親がやっていることは間違っているのではないかと思ったのだった。
「知らなければよかったんだ・・・」
チャンカは、そうつぶやいたのだった。

チャンカがそのことに気付いたのは、父親が頻繁に町一の豪商や町の役人と会っていることを知ったからだ。彼は、父親たちが何を話ているのか気になりだしたのだ。チャンカは、豪商や役人が来た時、彼らが父親と話している部屋に近付き、聞き耳を立てた。
「いやあ、この話がうまくいけば、私も皆さんも望みのものが得られますな」
そう言ったのは、イラージャだった。いったい何を言っているんだ・・・チャンカそう思い、中から聞こえる声にさらに集中した。
「えぇ、私もさらに出世できます。あのクソうるさい上司は、失脚しますからね」
これは役人の声だった。
「しかし、よく考えたものですな。あなたの役場の金の使い込みを上司になすりつけるとはね」
「そ、それは言わない約束でしょ。それで上司が失脚したら、あなたもイラージャさんも潤うのですから。そもそも、役場の金を回せないかと持ちかけたは・・・あなたじゃないですか」
「うぉほっほっほ、まあ、そうなんだが・・・。おかげでうちは大儲けさせてもらいましたがな」
商人と役人が笑いあっていた。
「そろそろ、仕上げでよろしいか?。あとのことは、大丈夫でしょうね?」
「えぇ、あなたは確実に宮中出入りのバラモンに出世できますよ。書類はもう整っています」
「では、手はず通りに、私があの上司を告発します。それであの上司は終わりですね。使い込みの偽帳簿はできてますよね?」
イラージャの問いに、笑いながら豪商が「もちろんだ」と答えた。役人も「もちろんです」と答え、ひゃっひゃっひゃと妙な笑い方をした。
チャンカは、父親たちがいる部屋から離れ青ざめてしまった。
なんか、ヤバいことを聞いてしまったようだ・・・。いったい俺はどうすればいいのか・・・。彼は、散々迷ったあげく、父親を問いただしたのだった。が、父親には「子供は黙っていろ」と怒られてしまったのだった。
「仕方がないな、ちょっと様子を見ようかな・・・。どうしていいかわからないし・・・」
結局、チャンカは黙っていることにしたのだった。

数日後のことである。役場の責任者が公金を使い込んだということで、捕縛された。すぐに代わりの役人が責任者になったが、それは父親と密談をしていた、あの役人だった。それから3日後、役場から父親に辞令が届いた。来月から宮中出入りのバラモンに昇格したことを告げる辞令だった。父親は満足そうに微笑み、母親も弟や妹も喜んだ。チャンカは表面上は「おめでとう」と言ったが、複雑な気持ちだった。あの豪商は、役場指定の商人となった。役場で使用する品物は、すべてあの豪商が仕入れることとなった。父親たちの企みはすべてうまくいったようだった。チャンカは、悩んだが黙っていることにした。
「みんながうまくいったんだから、まあ、それでいいか・・・。うちも生活が楽になるだろうし・・・」
黙っていることでうまく回っていくのなら、それはそれでいいか・・・と考えたのである。しかし、それで終わりではなかった。

何事もなく2年の月日が過ぎた。チャンカは、父親と一緒に宮中に出入りするようになった。
「チャンカ、わしの言うとおりにしてよかっただろ。お前もその年で宮中に出入りできるバラモンになった。あの時・・・」
「あぁ、そうだね。あの時、何も知らなかった振りをして過ごしたのはよかったよ」
「そういうことだ。ふふふふ」
二人は、今の境遇を満喫していた。その時のことだった。あの責任者に上り詰めた役人が捕縛され、宮中に連れてこられたのだ。
「どうしたんだ?。まさか、あの時のことがバレたのか?」
イラージャは、そう疑っがったが、そうではなかった。実は、あの役人と豪商が、あの事件の後もつながっていて、闇取り引きをしていたのだった。豪商が儲けたお金の一部を役人に回していたのである。そのため、役人と豪商は捕まったのだ。しかし、イラージャは、自分のこともバレてしまうと恐れていた。実際、彼らは、そもそもの発端はイラージャにあると告げ口していたのだ。イラージャは、何度となく取り調べを受けた。しかし、何の証拠もなかったため、結局は捕まらずに終わった。

それからまた2年の歳月がたった。イラージャは、難病に侵されていた。
「こ、これからだというのに・・・。まだ始まったばかりだというのに・・・」
医者は手を尽くした。しかし、病は治らなかった。祈祷師も頼んだ。怪しい薬まで手を出した。しかし、一向にイラージャの病は回復に向かわなかった。それどころか、痛みや苦しみはますます激しくなる一方だった。そんな時だ、イラージャの家に托鉢に来た修行僧がこう言ったのだ。
「この家の主人は、病気で苦しんでおられる。しかし、それは治ることはない。なぜなら、己のなした事の報いであるから。ただ、今の苦しみを少なくする方法はある。それが知りたいのなら、お釈迦様に相談するとよい」
修行僧はそれだけ言うと、静かにその場を立ち去った。
この話を聞いたチャンカは、すぐにお釈迦様のもとに向かった。話をチャンカから聞いたお釈迦様は、
「汝の父の病は、己れの行為の報いだ。だから、治ることはない。ただし、苦しみや痛みを和らげる方法はある。チャンカよどうするか」
「その方法とは、どんなことでしょうか?」
「己自身の罪を認めることだ。別に公にしろと言っているのではない。汝の父自身が、自分の罪を認め、深く懺悔することだ。そして、汝自身も・・・だ」
お釈迦様にそう言われ、チャンカは思わず身を引いてしまった。お釈迦様は何もかも見透かしていらっしゃる・・・そう思ったチャンカは、
「わかりました。父親を無理やりでもここに連れてきます。そして、自分は・・・その時にどうするのか言います」

数日後、チャンカは寝たきりの父親を台車に載せてお釈迦様のもとへ連れてきた。父親は、病の苦しみに耐えながらも
「わしは知らん、何も知らん。家に帰るぞ」
と叫んでいた。
「父さん、いい加減にしろ。悪いことをしたことはわかっているだろ?」
「いいや、知らん。あの時のことを口にするくらいなら、苦しみを味わったほうがましだ。ぐわぁぁぁ」
痛みや苦しみに叫びながらも、イラージャは懺悔しようとしなかった。
「お釈迦様、申し訳ございません。父は・・・どうやらダメなようです」
「そうか・・・。イラージャよ、痛みや苦しみに耐えながらも、私の声は聞こえるであろう。よいか、その苦しみは悪事の報いである。いくら逃げようとしても、悪事の報いからは逃げられないのだ。いくら身分が高くても、悪の報いは必ず来るのだ。その悪事が公にならなくても、世間で罰せられなくても、悪事であることにかわりはない。ならば、その報いは必ずやってくるのだ。それからは、決して逃げられないのだ。わかるな?」
「う、うるさい。こ、これは・・・悪事の報いじゃない。わしは知らん。わ、わしはバラモンだ。報いなどない。うぅぅぅ」
「そう言い張るならばそれで良い。イラージャ、悪事の報いを受けて苦しむがよい。罪を認め、懺悔すれば、少しは安らぎが得られたであろうに・・・」
結局、イラージャはそのまま家に帰されたのだった。

イラージャを家に送り届けたチャンカは、再びお釈迦様のもとにやってきた。
「実は、私は何もかも知っております。父親やあの商人、役人が企んだ悪事のことです。でも、私はそのことを言い出せなった。見て見ぬふりをした。今も見て見ぬふりをしています。知らないふりをしています。もう、あの商人と役人は刑罰を受け、事件は終わってしまいました。しかし、父親は、あの事の報いを受け、苦しんでいます。私にもいずれ、知っていたのに知らないふりをした報いはくるでしょう。私は、その報いを一人で堪えることができません。ですから、出家させてください。ここで、修行しながらその報いを受けたいのです。ただ、今は父や家族の面倒を見なければいけません。母も老いてきています。弟や妹たちにも迷惑をかけるわけにもいきません。母も弟も妹も何も知らないのです。ですから、父が亡くなったら、私は出家いたします。お願いします」
チャンカはそう告げると、お釈迦様のもとを去り家に戻ったのだった。

1年がたった。イラージャは、苦しみの中で死を迎えた。チャンカは、お釈迦様に約束した通りに、その日出家したのだった。そして、静かに修行をし続けたのだった。やがて、様々な困難を乗り越え、彼は悟りを得たのだった。


世の中には、きっと表に出てこない悪事があるのでしょう。あるいは、証拠がなくて追求しきれない悪事もあるのでしょう。ひところ、国会で騒がれていたあのことも、そう言うことなのかもしれません。まあ、悪事かどうかは知りませんが、結局追求しきれませんでしたからね。身分の高い方、地位の高い方は、いろいろなことをうやむやにいたします。そういうことが、世の中にはあるのです。

追及されないなら悪事をしていい、と言っているのではありません。また、もし悪いことをしたのなら、最後まで逃げおおせろ、と言っているのでもありません。そんなことをしても、結局、いつかはどこかで罰を受けることになるのですから。悪事の報いは、その悪事があ世間で公にならなくても、白日の下にさらされなくても、必ずやってくるものなのです。身分や地位に関わらず。それからは、逃げられないんです。

あんなに悪いことをしているのにバチが当たらない・・・ということはありません。いつか必ずバチ・・・悪の報い・・・はやってきます。ただ、時期はわかりません。いくらウソを重ねても、誤魔化しても、正当化しても、黙ってやり過ごしても、悪事の報いは来るのですよ。
善因善果・悪因悪果・・・。いいことをすればいい結果が生まれ、悪いことすれば悪い結果がやってくる。これは真理です。真理ですので、例外はありません。すべての人に当てはまることですね。

でも、いいことの報いも悪いことの報いも来てないよ・・・という方は、「まだ来ていない」のでしょう。いずれやってきます。その時を楽しみに待っているのもいいでしょう。もし、悪事をしたことがあって、その報いが来ていないのなら、早めに懺悔するほうがいいと思います。それで少しは報いが軽くなるでしょうから。まだ、バレていないと高をくくっていると、危ないですよ・・・。
合掌。


第204回
誰しも他人のことはよくわかる。だが、自分の落ち度は見えにくい。
しかも、他人からの指摘は受け入れがたいものだ。
素直になれないから、自己を磨くことができないのだ。
そこは祇園精舎の奥、いつものようにお釈迦様がいつもの場所に座っていた。お釈迦様の前には、そろそろ老年に入ろうかという夫婦が座っていた。その夫婦が口々にお釈迦様に訴えた。
「まさか、うちの息子に限ってこんなことになるとは・・・」
「小さいころは・・・いいえ、ほんのちょっと前まではとてもいい子だったのに・・・」
「何でなのかさっぱりわからないんですよ。突然、部屋の中に引きこもり出てこなくなったんです」
「飯はドアの前に置いておけ、部屋には入るな、俺に逆らうな・・・そんなことばかり言っているんです」
「もちろん、何度も声をかけ、どうしたのだ、話をしようじゃないか・・・と言っているのですが・・・一向に応じてくれません」
「一体どうすればいいのでしょうか?。あの子・・・何か悪いものでもとり憑いているんじゃないでしょうか?。お釈迦様の神通力で、あの子、何とかなりませんか?。以前のように優しくていい子に・・・戻してもらえないでしょうか?」
涙ながらにそう訴えた夫婦の前で、お釈迦様は、口を固く閉じ、彼らを見つめていた。
そんな時、
「ちょっと、困ります。今、世尊は来客中です。お待ちください」
と弟子の声がした。
「えぇい、待ってられぬ。おいらは急いでいるんでぇ。どんな奴が来ているのか知らねぇが、こっちの方が大変だって―の」
男はそう叫びながら、「ちょいとごめんよ」とお釈迦様の前に座っている夫婦に声をかけると、その横にどっかと座り、座ったとたん捲くし立てたのだった。
「お釈迦様、聞いてくだせぇ。全く持って困ったことに・・・。なぜだか知らないが、次から次へと弟子が辞めていくんですよ。もう何回も何回もなんです。おいらは、普通に弟子に接しているつもりなんですがね、何が気に入らねぇのか・・・。今日も、ついこの間雇ったばかりの弟子が『もう辞めます』って逃げていきやがった・・・。何なんだ、最近の若い奴らは。そんなに厳しいことしたつもりはねぇんだが・・・」
「ちょっと、あなた何を割り込んでいるの?。今、お釈迦様に相談をしているのは私たちですよ。後にしなさい!」
「おい、こちとら、急いでいるんだよ。うるせいババアだな。いいか、早く弟子を雇わないと、仕事が間に合わねぇんだよ。なぁ、お釈迦様、弟子がいつかないのは、絶対何かあるに違いねぇ。絶対なんかの祟りに違いねぇんだ。なんとかしてくださいよ」
「うるさいわね!。勝手なこと言っているんじゃないの!。そんなのあんたのせいに決まっているでしょ。あんたの弟子の扱いが悪いのよ!」
「な、なんだとクソババァ!。おいらのせいだと?」
「当たり前じゃないですか。よく考えなさい。あなたの弟子に対する態度が悪いから、弟子が逃げていくんでしょ?。大方、怒鳴りつけたり、暴力をふるったりするんでしょう。ふん、野蛮な人だ」
「な、なんだと?。だったら、お前たちはどうなんだ?。何の相談だか知らねぇが、どうせ人を見下し、小バカにしてるのがいけねぇんだろう。そんな態度じゃあ、世間様から嫌われるぜ」
「なんと失礼な。あなたのような底辺の者に言われたくありませんな。全く失礼な人だ。お釈迦様、こんな無礼な者は、早く追い出してください」
お釈迦様は、夫婦と駆け込んできた職人の男を眺め、悲しそうな顔をした。そして、口を開こうとした時だった。
「いけません。待って下さい。今、世尊は接客中です。入らないで、ここで待っていてください」
という弟子の叫び声が聞こえたのだった。

「待っていられないから、こうして慌ててやってきたのだ。ことは宮中・・・いや国王にも影響することなのだ。庶民の問題ではない。とにかく急ぐのだ」
身なりのきちっとしたその男性は、弟子の停止を振り切り、さっさとお釈迦様のもとへと駆けていった。
「大変です、お釈迦様。聞いてください。どうにもこうにも困っていまして・・・。私が管理している宮中での部署では、部下がいつかないんです。長続きしないで、すぐに辞めたり、病気になったり、私の指示に従わなかったりで、仕事が回らないんです。まあ、確かに、私もこの部署に配属されて間がないですが、上官・上司たるものの心得はあります。部下の采配には慣れております。しかしながら、どうも今の部署の部下たちは、私についてこない。それどころか、全く動こうとしない。少しも成長しない。いったいどうなっているのか・・・。これはおそらく、何かの祟りのせいではないかと・・・。私の出世を妬んで、誰かが呪いをかけているに違いありません。お釈迦様、お釈迦様の神通力で、その呪いを解いていただけないでしょうか?。でないと、国王に・・・あぁ、日にちが迫っているんです。どうか一刻も早くこの呪いを解いてください」
男は、座るか否かのうちに大声で捲くし立てのだった。夫婦者も職人の男も、その勢いにぽかんとしてしまったが、すぐに
「おいおいおい、お前さん、割り込みは行けねぇぞ。急いでるのはおいらの方だ。おいらが先だ」
「ふん、何を言っているのかね君は。ことは、国に関することなのだ。いいか、これで私の仕事が遅れたら、私は国王に叱責を食らうのだ。それほど重要なのことなのだよ」
「そいつは、お前さんが無能だからだ、バカ目。お前が無能だから部下が逆らうんだよ」
「な、なんだと。この私が無能だと?。お前のような下賤の者に言われたくはない!。いいか、身分が違うんだよ、身分が!。身分から言っても、私が最優先されるのが当然であろう?」
「ちょっと待ってください。順番ではありませんか?。最初にお釈迦様に相談をしていたのは、私たちです。あなたたちは割り込みですよ。いい加減にしてください。お釈迦様、こんな連中、追い払ってください。で、あとで相談に来ればいいでしょ」
「順番の問題ではない。事の重要さが問題なのだ」
「事の重要でいえば、私たちが一番でしょ。国よりも何よりも、私たちにとっては息子のことが一番大事ですからね」
「はん、出来の悪い息子なんざ、いくらあわてても仕方がねぇだろ。一刻を争っているわけじゃねぇ。明日でもいいことだ。こちとら、一刻を争っているんだよ。いずれにせよ、お前さんたちの育て方が悪かったんだろ。どうせ、さんざん甘やかして育てたに違いねぇ。さぁ坊や召し上がれ、さぁ坊やお勉強しなさい、坊やそんなことはしなくていいのよ、それは召使いの仕事よ・・・なんて甘やかして育てたんだろ?。だから、今になっていうことを聞かなくなった。そうだろ?。そうに違いねぇ」
「なんだ、自分たちの子育ての失敗をお釈迦様に持ち込んだのか。ふん、バカバカしい。それは自業自得だな。身から出た錆だ。で、そこの下賤の者はどうしたのだ?」
「うちも祟られているんだよ。弟子がいつかねぇんだ。すぐに辞めちまう。どうにもこうにもおかしい。おかしすぎる。絶対に祟られているんだ」
「はっ、何というバカ。そんなのお前が悪いに決まっているだろ。お前の弟子の扱いが悪いんだよ。どうせ、頭ごなしに怒鳴ったり、暴力をふるったりしたんだろ。それじゃあ、辞めるに決まっている。愚かなんだよ、お前は。さすが、下賤の者だな。やることが下らん」
「そういうあなたも部下をバカにしているんじゃないですかねぇ。だから、部下が言うことを聞かないんじゃないですか?。あなた、その部署では新人じゃないですか?。部下たちの方が、実は仕事に慣れているでしょう。そこへ無能な上官が来たら、部下はやる気をなくすでしょうなぁ」
「な、なんだと。庶民のくせに何を言うか!。私は、数々の部署を渡り歩いているんだ。部下の扱いには慣れているのだよ」
「はははは。あんた、たらい回しにされているだけじゃないのか?。大方、どこかのお偉いさんの息子で、仕方がないから官僚を転々としているんだろ。行き場がないんだろ?。どこのお偉いさんの息子だ?、あっはっはっは」
「なんだ、お前さん、お偉いさんの出来の悪い息子か。親のおかげで偉そうにしているだけか?。そんなヤツが、国の仕事をしていいのか?。無能なら、辞めちまえ!」
「う、うるさい!。そういうお前だって、暴力職人のくせに!。エラそうなことをいうな!。お前ら夫婦だって、どうせ自分の子育ての失敗を棚に上げ、お釈迦様に泣きついたんだろ。自分のしたことの責任くらい自分でとれよ。それでも親か!」
とうとう、夫婦と職人、官僚で言い合いになってしまった。お互いにお互いの悪いところを言い合っているのだ。お釈迦様は、しばらく放置することにした。

言い合いはしばらく続いた。いつの間にか、多くの弟子たちが、彼らの周りに座ってその様子を見、彼らの話を聞いていた。悟りを得ている長老たちは、その争いを哀れみの目で静かに見つめていたが、まだ修行ができていない弟子たちは、争いを見て口々に感想を述べ始めた。
「おやおや、彼らは、お互いのことをよくわかっているではないか」
「他人の落ち度はよくわかるものだ。だが、自分の落ち度には気が付かない」
「他人の落ち度を指摘した時に、おや?、自分もそうじゃないか・・・、とは思わないものなのか?」
「人とはそういう者なのではないか。そういう汝も、自分の落ち度には気づいていないであろう?。他人の落ち度は指摘するがな」
「な、何を言うか。私のどこに落ち度がるというのだ?。あれば言ってみろ。そういう君だって、この間、掃除をさぼったであろう。あれは戒律違反だ」
「ははは。出来の悪いものどうしが言い争わないほうがいいよ。それでは、あの連中と同じだ」
「な、なんだと。お前だって悟っていないじゃないか。自分一人だけいい顔をするな。おまえ、この間、『母ちゃん、母ちゃん』て泣いていただろ。情けないな、修行者のくせに」
「な、な・・・。わ、私は・・・うるさい、そうやって他人の悪口ばかり言っているから、いつまでたっても悟れないんだ。修行が足りないんだ」
とうとう弟子たちの間でも言い争いが始まってしまったのである。

「静かにせよ・・・。鎮まるがよい」
その声は決して大きな声ではなかった。しかし、とても重々しく、耳にどんと響く声だった。あたりは一瞬のうちに静まり返った。
「わが弟子も愚かな者がいるが、汝ら・・・親であり、親方であり、上官である汝ら・・・汝らも愚かなことよ・・・。汝ら、今、言い争っていた内容をここでゆっくり話してみよ」
お釈迦様にそう言われ、まずは夫婦者が口を開いた。
「えっと、職人さん、あんたは弟子だからと言って、自分の思うようになると思っているのではないか。それでうまくいかないと、弟子を怒鳴ったり殴ったりしたのではないか。それでは、弟子はいつかない。弟子に仕事をしっかりと教えないと弟子は育たないよ・・・と言いました。また、官僚さんには、部下の話を聞くべきであろう、部下の方がその部署での仕事には慣れているのだから、まずは部下の話を聞き、それから彼らに指示を出すべきではないか、頭ごなしに言いつける様な態度では誰もついてはこないのではないか、と・・・」
次いで、職人が口を開いた。
「そこの夫婦者には、子育てが甘すぎたんじゃねぇか、と言ってやった。何でもかんでも自分たちがやって、あるいは召使いに任せ、子供を人形のように扱ったんじゃねぇのか、たまには叱ったりしなきゃ親の勤めは果たせねぇぞ、と・・・。甘やかすばかりが子育てじゃねぇ、怒ったり叱ったり、たまには誉めてやり、いいところを見て成長させてやる、それが子育てじゃねぇのか、と言いました。で、そこのお偉いさんには、威張っているから嫌われるんでぇ、もっと謙虚になりな、そうすりゃあ、自然に部下はついてくるだろ、部下の話を聞いてやりな、って・・・」
最後に官僚が口を開いた。
「私もそこの夫婦には、子供の育て方が悪いと言いました。甘やかしすぎだとね。転ばぬ先の杖じゃないが、何でもかんでも危険を取り除き、すべて親がやってあげるなんてことをしたら、自分で考えることができなくなるのは当たり前だ、引きこもって当然だ。親の失敗をここに持ち込むな、と言いましたよ。間違っていませんよね?。で、そこのバカな職人には、怒鳴るな、威張るな、殴るな、と言いました。それではまるで動物なみだとね。それでは、どんなものだって長続きはしないだろうとね。ふん、愚かすぎですよ」
さらにお釈迦様は、言い争いをしていた弟子たちにも同じように話をさせた。弟子たちは、お互いに悪い部分を指摘した。

「汝ら気付かぬか?。お互いにお互いの悪いところ、不出来なところを指摘しあったのだ。それでもまだ気づかぬか?」
その言葉に弟子の一人が答えた。
「お互いに他人の悪いところはよくわかりますが、自分の欠点は気が付かないものです」
「そうだ、その通りだ。さらに・・・さらに気付かぬか?」
別の弟子が答えた。
「他人に自分の欠点を指摘されると・・・どうにも腹が立って・・・。なかなか素直に受け入れることができません」
「その通りだな。汝ら、どう思うか?。それぞれお互いに指摘し合った欠点は、的外れではない。いや、それどころか正しく的を射ていっる。どの指摘も、その通りのことだ。甘やかしすぎて子育てを失敗し、なお甘やかし、自分で何とかしようとしない無責任な親。弟子だからと言ってちゃんと仕事を教えもせず、怒鳴ったり怒ったり、挙句の果てには暴力をふるう出来の悪い職人。自分の無能さを隠すため親の身分をひけらかし、威張り散らすだけの無能な上官。お互いにお互いの欠点は見事に的を射ている。なのに言い争いは収まらない。それはなぜか?」
お釈迦様の問いに誰も答えなかった。皆、下を向いてしまったのだ。

しばらくして、夫婦者の主人が大きくため息をついて答えた。
「はぁ・・・。私たちはなんと愚かなのでしょうか・・・。自分の過ち、間違い、ダメなところを知っているくせに、それを隠そうとしている。いや、隠して生活をしている。そして、それを他人から指摘されると、無性に腹が立つ。少しも素直になれない。そうなんです、おっしゃる通りなんです・・・と言えないのです。わかってはいるのですが・・・図星をつかれると腹が立つのですよ・・・。情けないことに・・・」
その言葉に、そこにいる者たちが皆うなずいた。
「よいか、汝ら。他人の落ち度は良く目につくものだ。だが、自分の落ち度は目につきにくい。しかも、他人からのその落ち度の指摘は、受け入れがたいものなのだ。それは誰しも同じである。素直になれないものなのだ。しかし、だから、自分を磨くこともできないのだ。素直に、謙虚に他人の指摘を受け入れることができれば、それは自分自身の成長となり、自分を磨くこととなるのだよ。よいか、図星をつかれても、決して腹を立てることなく、素直に聞き入れてみようではないか。また、自分では気づいていなくても、他人から何か指摘があったら、素直に謙虚に自分を振り返ってみてみようではないか。その指摘が正解ならば、直していけばいいのだ。人の成長はそうして成し遂げられるものなのだよ。わかったかね?」
お釈迦様の言葉に、誰もが素直にうなずいた。
「さて、では、汝ら、この先はどうすればいいのかわかるね?」
お釈迦様にそう言われ、夫婦も職人も官僚も、言い争いをしていた弟子たちも反省を口にし、今後自分がどうすべきかを話したのだった。お釈迦様は
「今の言葉を忘れずに、すぐに実行するがよい」
と言って微笑んだのであった。


他人から指摘されると妙に腹が立つ、ということは誰でも経験があるのではないでしょうか?。
「わかっているけど、あんたには言われたくない!」
という心理ですね。それは、実は指摘されたことに自分でも気づいているからですよね。気付いていて、悪いと思っているけど治せない、悪いと思っているけどどうにもならないんだよ、と思い込んでいることなのです。いわば、弱点ですね。それを指摘されると、素直に「そうなんだよねぇ」とは言えず、「うるさい、そんなことはない。言いがかりだ」と腹を立てるのです。そうじゃないですか?

図星をつかれると、痛いものです。それは、自分でもよく知っているからです。自分が気付いていないことならば「そう?、そうかなぁ?」と思うものですが、自分が知っていて隠そうとしていることを顕わにされると、人は誤魔化したくなるものなのですよ。だから、腹を立てるのですな。誰しも、隠し事をあばかれるのは嫌ですからね。否定したくなるのは当然です。
「私はそんな人間じゃない」
と思いたくもなりますな。本当は、「そんな人間だ」と知っているくせにね。

他人の指摘が、心当たりがあるものならば、それは素直に聞き入れるほうがいいですね。その場で、腹を立てる様な態度をするよりも、「あぁ、気付いていたんだ、気付かれていたんだ、恥ずかしいな」と素直になったほうがいいですな。なぜならば、そこから反省が生まれ、成長が生まれるからです。そこで、素直に受け入れなければ、反省は生まれません。反省がなければ弱点や欠点の克服はできませんな。そうなれば、成長もできませんね。その場は、腹を立てて「そんなことはない」と言ってたとしても、せめて後からでもいいから、「あぁ、バレてたか・・・。直さないとね・・・」と反省してほしいですな。後からでもいいから・・・。そうすれば、少しでも成長できていくのではないでしょうか?

ひた隠しにしていた弱点や欠点を指摘されたら、素直に聞きましょう。そうした謙虚な態度が成長を促すのですよ。
「その通りです、そこが私の弱点です、欠点です、直したいんですけどねぇ、なかなか難しいんですよ」
と素直に言えたら、大したものですな。あ、でも
「そこまでわかっているなら、ちゃんとしなさい」
と、さらに突っ込まれてしまいますな。ここは、素直に「反省します」程度で頭を下げておくのがいいかもですな。
なかなか、難しいですね、素直・謙虚と言うものは・・・。
合掌。


第205回
育てる・指導するということは、その相手を自立させるということだ。
そのためには、自分の都合や感情を持ち出してはいけない。
あくまでも客観的によく観察し、その者に合った育て方、指導をしなければいけない。


「私たちの育て方が悪かったのはよくわかりました。では、どうやって育てていけばよかったのでしょうか。これから、どう育てていけばいいのでしょうか」
子育てに失敗した夫婦、弟子に逃げられてばかりいる職人、部下がちっとも従わない官僚、彼らはそれぞれ反省し、今後どうすればいいかを話し合ったのだが、どうやらいい結論は出なかったらしい。
職人は
「そりゃ、確かに殴ったりしたけど、俺もそうやって仕事を教えてもらったからなぁ・・・。指導って言っても、どうやってすればいいのか?。育てるってぇのは、一体どういうことなんだ?。どうにもわからねぇ。俺が育ててもらったように育てたつもりなんだが、どいつもこいつも長続きしなかった。いったいどうすればいいんだよ」
と嘆いた。官僚はと言うと
「確かに私も威張っていました。親の七光りだったかもしれません。いや、家柄を前面に押し出し、部下に当たっていたことは事実です。部下を見下していたのも事実です。しかし、彼らは仕事をしないのですよ。私のいうことをちーっとも聞かない。仕事もできない。すぐに辞めてしまう。確かに、威張って怒ったりもしましたが、それにしても・・・。そんなことはよくある話じゃないですか。さっさと仕事をしろ!この間抜けが!と言っただけで職場から出て行ってしまうなんて・・・。まあ、私も確かに悪い。悪いですが、どうもねぇ、何とも納得がいかないですな」
と頭を振りながら嘆いていた。
「そうなのです。我々は、今悩んでいるのです。どうやって育てていけばいいのか、どうやって指導すればいいのか・・・。私たちが経験したことが、今の若い世代や子供たちに通用しないように思うのです。お釈迦様、それでも私たちが悪いのでしょうか?。いったい、私たちはどうすればいいのでしょうか」
夫婦者の夫の方が皆を代表するようにお釈迦様に問いかけたのだった。
「確かに子ども育てることや、部下を指導することは難しいであろう。親や上に立つものは、その難しさを知らなければならない。安易に接すれば、汝らのようになってしまうのだ」
お釈迦様は、そう言った。
「それはわかりました。我々が、何の考えもなしに子供や部下に接したのは、本当に愚かなことだったと反省しております。しかし、問題は、今後のことです。今後、どうすればいいのか、ということなのです」
夫婦者の妻の方がすがるようにお釈迦様に訴えたのだった。
お釈迦様は、
「汝ら、育てる、指導する、と言うことはどういうことか、わかるかね?」
と彼らに問いかけた。夫婦者、職人、官僚は、う〜ん、と唸りながら考え込んだ。

「俺たち職人は、一人で仕事ができるようになるまで、いろいろ教わってきたな。一人前にしてやること、それが俺たち職人が弟子を育てるってことだな」
「親としては、自分の子が・・・そうですね、親のもとから離れて家庭を持ち、自分たちだけで生活できるようになってくれればいいかなと思いますね。できれば、私たちの老後も面倒見てくれると嬉しいですけど・・・」
「職場の上司としては、部下たちが私のいうことを聞き、ちゃんと仕事をこなしてくれること、それが理想ですな。できれば、私が何も指示しなくても、テキパキ仕事をこなしてくれればいいですね。まあ、私の職場の場合は、私の方が出来が悪かったようでもありますが・・・」
彼らは、自分たちの立場で育てる、指導するということを話した。お釈迦様は、
「それは一言で言いうと、どういうことだろうか?」
と彼らに問いかけた。彼らは、一言で?う〜ん、どう言えばいいのかな、などと考え込んだ。しばらくして職人が言った。
「それは・・・自立させる、ってことかな?」
他の者たちも、おお、そうだ、自立だ・・・などと言い合った。お釈迦様は、
「そうだ、その通りだよ。育てるということは、自立させる、ということだ」
と彼らの言ったことを認めた。そして、
「そんなことは、きっと皆わかっていると思う。しかし、しばしば、大人はそれを忘れるのだよ。自立させるために育てているはずが、自分の都合で怒ったり、甘やかしたりするのだ。自立させるために仕事を教えているはずが、自分の都合で怒鳴ったり叩いたりしてしまうのだ。そこに間違いが生じるのだな。本来の、自立させる、という目的からずれてしまうのだ」
と指摘したのだった。
「よくよく考えてみよ。指導しているはずが、相手の手の遅さにイライラし、覚えの悪さに腹が立ち、それで怒鳴ったり叩いたりしたのであろう?」
お釈迦様は、職人に向かってそう言った。
「よく考えてみよ。家柄に合った作法を身に付けねばと言う思いが、甘やかしにつながってはいないだろうか?。我がままを言う子供がうるさくて、大人の都合で甘やかしてはいないだろうか?。大人側の都合で、いろいろ言ってくる子供がうるさくて、うっとうしくて、子供の我がままをそのまま受け入れてしまってはいなかっただろうか?」
お釈迦様は、夫婦者に向かってそう言った。
「部下を管理する・・・、それは上に立つ者の役目であることは確かである。しかし、管理するのと威張るのとは違う。仕事を教えるのと、やたら間違いを指摘するのも違う。間違いを指摘するだけでは育てることはできないであろう。注意するだけで育てることにはならないのではないか?」
お釈迦様は、官僚に向かってそう言った。
「誰もかれも、育てる、指導すると言いつつ、多くは自分の都合で怒ったり、怒鳴ったり、注意したり、甘やかしたり、放置したりしているのだ。育てる、指導する、という言葉を言い訳にして、汝らは自分の都合や感情で相手を虐待しているのだよ。育てる、指導するというのは、そう言うことではないであろう。汝らも答えたように、相手を子供を自立させることが育てることであり、指導することであろう。それを皆忘れているのだ。で、自分の感情に従い、子育てを行い、弟子を指導し、部下を管理しているのだ。それでうまくいくと思うか?。うまくいくと思う方がおかしいのではないか?」
お釈迦様は、厳しくそう言った。

「よいか、育てる・指導するということは、その対象者の自立を目的としている。ならば、自立させるには、どうすればいいのか、ということをよくよく考えなければならない。しかも、対象者となる者は、それぞれ個性があり、性格も異なるであろう。ちょっとした注意で傷つく者もいれば、何度怒られても平気なものもいよう。子供でもそうだ。兄弟姉妹であってもそれぞれ個性があり、性格が異なる。それを一緒にして、育てたり指導したりしていいものであろうか?。よく考えるがよい。人はそれぞれ違うのだ。親や指導者は、その者の個性や性格にあわせて育てたり指導したりしなければいけないのではないか。皆同じように、通り一遍のやり方が通用する方がおかしいと思わないのか?」
お釈迦様の厳しい指摘に、彼らはシュンとしてしまった。
「確かに、お釈迦様のおっしゃる通りです。どんな弟子に対しても、同じように注意して、叱って、怒って怒鳴って・・・挙句の果てに叩いてしまいました。あぁ、おいらは育てる意味を分かっていなったんですね・・・」
職人が頭を抱えて嘆いた。夫婦者も
「ご指摘の通りです。我々も自分たちの都合で子供を甘やかしていました。そうしないと、うるさいし、うっとうしいんです。それは、我々の都合であって、子供の都合ではなかったのですね。私たちは、育てることを放棄していたのかもしれません。これでは、本当に親失格ですね」
と反省を口にした。官僚は
「そんなことは考えたことも無かった。ただ、威張り散らしていただけだ。ふん、これじゃあ、指導もへったくれもあったもんじゃない。そもそも、育てるとか指導とか、よくわかっていなかったんですね」
と萎れたのだった。

その様子を見て、お釈迦様の顔はさらに厳しいものとなった。そして
「よいか、育てる・指導するということは、その相手を自立させるということだ。そのためには、自分の都合や感情を持ち出してはいけない。あくまでも客観的によく観察し、その者に合った育て方、指導をしなければいけない。誰もかれも一緒ではないのだ。それだけ難しいことなのだよ。その事をわかっていなければ、育てることも指導することもうまくはいかないであろう。つまり、育てる・指導するということは、汝らも試されているということだ。指導や子育てがうまくいかないのは、相手のせいではない。汝らの力不足なのだよ。汝らができていないのだ」
と厳しく指摘したのだった。その言葉に、夫婦者も職人も官僚も
「まずは、自らが力不足である、指導者に値しないということを反省します」
と頭を下げながら言ったのだった。お釈迦様は、
「その気持ちを忘れないように。その心構えがあれば、今後はうまくいくであろう」
と優しく言ったのだった。


この話は、前回の続きです。子育て、弟子の指導、部下の管理・・・いずれも難しいことですよね。最近では、ちょっと怒ったりするとパワハラだの傷ついた心的障害となった・・・などと言われますな。あるいは、翌日から出勤しない、なんてこともありますな。怒るほうは本当にやりにくい時代になりました。

最近、よく耳にしますし、新聞などでも目につきます。パワハラ・セクハラ・・・。ちょっとした一言が、セクハラになったりますな。本人は指導したつもりなのに、パワハラになって大問題に発展、ということもあります。ひどい場合は、訴訟にまで進みますよね。こうなってくると、どう指導していいのか、部下や周りに何を話していいのか、ものすごく気を遣うようになりますよね。上に立つものは、大変な世の中だな、と思います。

昔は、そんなことは当たり前・・・だったことが今は通用しくなってきています。時代とともに、習慣や生活様式も変わっていきますな。それとともに、社会の在り方や会社内でのルールなども変わっていきますね。当然のことながら、生活スタイルも変わりますし、思想も考え方も生き方も変わります。そうした中で、人を育てる・指導する、ということだけが、まだ遅れているような気がします。最近も、アマスポーツ界は、パワハラ問題が多々起こっています。指導者側は、そんなつもりはなかった・・・と口々に言いますが、よくよく聞いていると、あぁ、昭和かな、と思いますな。昭和の時代はそれでよかったかも知れませんが、平成も終わりを告げようとしている昨今では、それは通用しないんだよね、ということが多いですね。本当は、真っ先に昭和的な指導を捨て、最新の指導方法を取り入れなければいけない世界だと思うのですが、案外こういうところは閉鎖的のためか、遅れているのでしょうね。そう言えば、学校も訳の分からない校則が多々存在していますね。
本来、教育の場所や親が、真っ先に指導の仕方や育て方を学ぶべきなのでしょう。そういう教育本も多数出ていますから、自分に合ったものを選んで読むといいのですが、実際は、「そんな暇はない」となるのでしょうね。でも、その多くは、自分の都合なのだと思いますよ。

子育ても、学校の校則も、スポーツの指導も、その多くは、指導する側の都合で語られる場合が多いと思います。指導する側にとって都合のいい方法が、今までまかり通ってきたのでしょう。しかし、時代は変わっています。今は指導される側、教えられる側、育てられる側からの視点が重視されてきていますね。本当はそれが正しいのでしょう。人はそれぞれ個性がありますし、性格も違います。それを全部一緒くたに同じ方法で育てるほうがおかしいのですよ。指導される側、教えられる側、育てられる側からの意見はとても重要だと思いますな。
時代は変わってきています。上に立つものもその時代にあわせて変わらないとね・・・。
合掌。



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