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第214回 反省はするべきだが、後悔はしてはいけない。 後悔からは苦しみしか生まれない。 後悔するのではなく、省みて改善するべきである。 |
「あー、クッソ、また仕事をやめちまった。これからどうすればいいんだ?。金もないし・・・。はぁー、溜息ばかりだな」 アンバラッタは、大きくため息をついて河のほとりに座り込んだ。 「はぁー、振り返ってみれば・・・そもそも家を出たのがまずかったなぁ・・・何で家出なんかしたかなぁ・・・・」 彼は、15歳の時に父親とケンカして、家を飛び出していたのだ。彼の家は、マンゴー園での使用人だった。彼も幼いころから父親に従ってマンゴー園で働いていた。しかし、彼は成長するにつれ、それが嫌になっていたのだ。 ある日のこと、彼は父親と口論となった。彼は、使用人と言う立場が嫌だったのだ。父親は、 「何も考えず、ただマンゴーを収穫し、世話をし、水を撒いていれば金がもらえるんだ。その仕事に何の不満があるのだ?」 と言うのだが、それが彼には気にいらなかったのだ。 「一生、使用人だぞ!。毎日同じことばかりやっているんだぞ!。そんな仕事に何の楽しみがあるんだ?」 彼は、そう叫んだ。しかし、その言葉は父親には理解されず、言い合いは毎日のように続いた。そんな言い合いに嫌気がさし、彼は家を出たのだ。 家を出た後、彼は様々な仕事に就いた。しかし、どれも長続きはしなかった。 「あれから10年か・・・。いろいろ仕事をしたよな。でも、どれも長続きしていない。どれもモノになっていない・・・。あぁ、何で俺はすぐに辞めちゃうかな。使用人は嫌だって家を出たけど、仕事はどんな仕事も使用人ばかりじゃないか。あぁあ、つまんねぇなぁ・・・」 彼は、家を出たことを後悔していた。 「家を出なければ、金が無くても何とかなったんだ。ちょっとどこかで働けば、金が得られるし、家にいれば寝るところもある。家を出るんじゃなかった。また、宿探しだぞ。食い物もないし。どうすりゃいいんだ。だいたい、仕事をやめることはなかったんだ。あのまま、我慢して働いていればよかった。そうすりゃ、寝るところもあったんだし、食ってもいけたんだ。金だってもらえた。あぁあ、店主とケンカするんじゃなかった。もう何度目だ、こういうの。俺はバカだなぁ・・・。同じことの繰り返しだ。戻れるなら、子供の頃に戻りたいよ・・・」 河のほとりで彼は、一人で愚痴をこぼしていたのだ。 そんなアンバラッタに声をかけた者がいた。その男は、見るからに悪そうな男だった。 「宿も食い物もないのなら、助けてやるぜ。いい仕事があるんだ」 男はニヤニヤしながら、アンバラッタにそう言ったのだ。 「寝るところと食い物があるのか?。なら何でもするよ」 彼は、その男の話を聞くことにした。その男が持ってきた仕事は、強盗だった。 その夜、アンバラッタは、その男に従って、ある商売屋に強盗に入った。店主とその家族を縛り上げ、店にあったお金をすべて奪って行った。 「どうだ、うまくいっただろ?。あっという間に大金持ちだ。ほら、これがお前の取り分だ。これで今夜はどこにでも泊まれるだろ」 男は、アンバラッタに奪った金の一部を渡すと、 「じゃあな。また仕事があったら頼むぞ。そうだな、金に困ったら、お前と出会った河に居ろ」 といってどこかへ去って行った。アンバラッタは、手にしたお金を見て 「こういうこともあるんだ・・・」 と薄ら笑いを浮かべたのだった。 その後、アンバラッタは金に困ると河に行った。すると、たいていは例の男がやってきて、強盗をしたのだ。彼は、いつの間にか悪の世界に染まってしまっていた。 しかし、そんな生活が長続きするはずはない。しばしば現れる強盗に国も黙っていなかったのだ。国の治安を守る兵士たちが、強盗を捕まえるべく、毎晩こっそりと隠れていたのだ。 そんなことを知らないアンバラッタと男は、いつものように大きな商売屋に強盗に入った。しかし、それは罠だった。その商売屋には、兵士たちが隠れていたのだ。二人はあっという間に捕まってしまった。 「あー、なんてことだ!、捕まっちまった!。あー、助けてくれー」 「わははは、騒いでも仕方がねぇぞ。わはははは、こんなこともあるさ」 男は、何度も捕まったことがあるらしく、平気な顔で笑っていた。アンバラッタは、一人で泣いていたのだった。 しかし、平気な顔をしていた男も、処刑されることが決まって真っ青になってしまった。男は、何度も強盗で捕まっているので、磔にされ首をはねられることになったのだ。それを聞いたアンバラッタは、自分もそうなるのではないかと不安になった。 「あぁ・・・、強盗なんかするんじゃなかった。あんな男の口車に乗るんじゃなかった。あぁ・・・どうしよう・・・。家に帰りたいよぉ・・・。助けてくれよ・・・」 彼は、牢獄でオロオロしていたのだ。 「アンバラッタよ、汝は後悔ばかりだな」 牢屋でウロウロしているアンバラッタに声をかけた者がいた。お釈迦様だった。お釈迦様は、国王から頼まれ、アンバラッタに教えを説きに来たのだ。国王は、アンバラッタが根っからの悪者ではないと思ったのである。 「アンバラッタよ、後悔ばかりしていても何も始まらないし、何も終わらない。後悔からは何も生まれないのだ」 お釈迦様の声は、アンバラッタの心にしみこんでいった。 「よく聞くがよい、アンバラッタよ。汝がすべきことは、後悔ではない。反省だ。反省と後悔は違うのだよ、アンバラッタ。汝は反省をするべきであり、後悔をしてはいけないのだ。後悔からは、何も生まれない。いや、後悔は、苦しみしか生まないのだ。汝は、後悔ばかりしてきた。後悔ばかりして、反省をして来なった。汝に必要なことは、自分の行動を省みて、どこがよくなかったのか、どこがよかったのか、を観察することだ。そして、よくなかったことを改善すべきだったのだ。ところが、汝は、いつもいつもグチグチと後悔ばかりしていた。後悔ばかりして、改善を怠った。自分のいけないところを直そうとしなかった。その結果がこれだ。わかるかね、アンバラッタ」 お釈迦様の言葉に、アンバラッタは膝をつき、泣いていた。 「おっしゃる通りです。俺は何も反省しなかった。いつもいつも、何でこんなことをしたのか、とばかり愚痴っていた。今もそうです。なんであんな男の口車に乗ったのか、あぁバカだな俺は・・・と思っただけです。あの男に出会う前に戻りたいと思っただけです。いつもいつも、俺はそうだ。後悔ばかりの人生だ。おれは、もうダメなんだ・・・」 「ダメではない、アンバラッタ。やり直しはできる。それにはまず、己をよく省みることだ。さぁ、今ここで、自分自身を省みてみよ。どうだ?。汝のいいところ、悪いところは、どんなところだ?」 「お、俺のいいところ?、そんなものはない・・・。いや、強いて言えば、人懐っこいところかな。誰とでも親しくなれる・・・。悪いところは、山ほどある。長続きしない、愚痴が多い、文句が多い、怠け者だ、人に使われるのが嫌だ、短気だ、飽きっぽい・・・。あぁ、やっぱり俺はダメだ、ダメ人間だ」 「アンバラッタ、そうではない。悪いところを少しずつ直していけばいいのだ。まずは、長続きすることを心掛けよ。一つの仕事をひと月出来たらもうひと月頑張ってみようと心掛けよ。文句が出そうになったら、一度はこらえてみよ。そう言う小さなことの積み重ねで、悪いところは治っていくのだ。よいか、アンバラッタ。決して後悔はするな。反省をして改善しなさい。そうすれば、汝は立派な大人になれるであろう」 お釈迦様の言葉は、アンバラッタによく響いた。しかし、頭ではわかっているが、実際にできるかどうか、彼は不安だった。なので、彼は下を向き、自信なさそうにうなずくだけだった。 その後、アンバラッタは牢獄を出され、宮中の庭の世話人として働くこととなった。庭の木々や花に水をやり、伸びすぎた枝を切り落とし、実がなればそれを収穫した。初めは黙々と働いていたが、次第に嫌気がさしてきた。しかし、そんな時、 「ひと月出来たんだ。もうひと月出来るかもしれない。もう少しやってみよう・・・」 と思えるようになったのだった。 「そうだな、もう後悔はしたくないしな」 そうつぶやいて、彼は仕事に戻って行ったのだった。 「後悔、先に立たず」 と言います。確かに後悔は先に立たないですな。だから、よく考えて行動せよ、と言うことですね。が、しかし、人は後悔するのですよ。なので、「後悔、先に立たず」ではなく、 「後悔、後を絶たず」 ではないかと私は思うのです。 「あの時、ああすればよかった」、「あんなことするんじゃなかった」、「なんであんなことしたかな」・・・。 人は、このように後悔することが多いものです。特に「やるんじゃなかった」ということが多いのではないかと思います。逆に「やっておけばよかった」ということもありますね。大人になってから、 「もっと勉強しておけばよかった。そしたら、今頃は・・・」 と思うことはしばしばあると思います。ダイエットにいそしむ女性の方は 「あの一口を我慢すべきだった」 なんてことはよくあることだと思います。後悔は、人生に付き物ですよね。後悔しない人はあまりいないんじゃないかと思いますな。 しかし、後悔からは何も生まれませんね。いや、愚痴は生まれますな。というか、愚痴しか生まれません。グチグチ言うのが、後悔ですね。あーだこーだ、と愚痴るだけで、少しも前に進みませんな。しかも、何度も同じことを繰り返し、そして、 「あー、進歩がないなぁ」 と後悔し、愚痴るのです。そこには、進歩がありませんよね。なので、 「あんなことをするんじゃなかった」 ではなく、 「あれがいけなかったんだな、ならばあれをこう変えてみよう」 と言う姿勢が大事なのですよ。 そう、大事なことは、後悔ではありません。反省し、改善することです。後悔している暇があったなら、何がいけなかったのかをよく考え、次に生かすようにすることが大事なことです。そこに進歩が生まれるのです。そうして、人は成長していくのですな。後悔ばかりでは、成長は期待できませんよね。 後悔するな、とは言いません。でも、後悔にとどまってはいけませんな。一回、後悔したならば、それを反省に変えていきましょう。で、次に、改善を考えましょう。そうすれば、人間、変わって行けるのです。 少しずつでいいでしょう。後悔にとどまることなく、反省し改善し前を向いて、自分を変えていきましょう。 合掌。 |
第215回 なぜ、他人よりも優遇されようとするのか?。 なぜ、他人の上に立ちたいと思うのか?。 そんな者には本当の幸はやってこない。 |
「お前バカだなぁ。こういう時は、いろいろ難癖をつけて優遇してもらうのが当たり前だぜ」 カーラマーラは、ニヤニヤしながら大きな態度でそう言った。そこは、ガンジス川のほとりの売店だった。売店には、ちょっとした食べ物と飲み物が売っていた。 「いいから見てろ」 カーラマーラは、そういうと売店に向かった。 「そのナンをくれ。あぁ、ナンにはバターとコーンをたっぷりとな。頼むよ、オバサン。そうそうそれから、バターティーを一つ。あぁ、ありがとうよ。あっ、お前、なんてことしてくれるんだ。お前の渡し方が下手だから、バターティーが服にかかったじゃねぇか。あ、熱い、熱い、火傷しちまう。おい、どうしてくれるんだ!」 「な、なに言ってるんだね、お客さん。自分でこぼしたんじゃないか。いやいや、そんなに熱くなし。火傷するような熱さじゃないよ」 「てめぇ、よく言うな。こっちに来て見てみろ」 カーラマーラは着ている服をたくし上げた。お腹が少し赤くなっていた。 「ほら見ろ、赤くなっている。あぁ、いてぇー、火傷しちまった、いてぇーなー。この店はひどいな。バターティーを客にかけるんだぜ」 「ちょ、ちょっと、お客さん、そんなこと・・・。あぁ、わかりました。代金はいいから、あっちに行っておくれ」 「なんだと、俺はそんなこと言ってないぞ。俺はお前に謝って欲しいだけだ。なんで謝らない!」 「あぁ、すまないねぇ、ごめんなさいよ、もう頼むから許しておくれよ」 「そうだよ、そうやって初めから謝ればいいんだよ。じゃあな、オバサン」 カーラマーラは、買った物の代金を払わずに立ち去ろうとした。 「あ、ちょっと待って、御代金は」 「さっきいらないって言ったじゃねぇか。なんだ、あれはウソだったのか?。俺を騙そうとしたのか?。火傷させておいて、その上人を騙すなんて、ひどい店だなぁここはよ。え?、どうなんだよ!」 「あぁ、もう、いいですよ、いいです。代金はいりません。お帰り下さい」 「ふん、わかればいいんだよ。あぁ、言っておくけど、俺は何も悪くないからな。悪いのはオバチャン、あんただぜ」 「はいはい、私がみんな悪いんですよ。すみませんでしたねぇ・・・」 カーラマーラは、ニヤニヤしながらその場を去って仲間のところへ行った。 「どうだ、この通りだ。ふん、他人よりいい思いをしたけりゃ、こうするんだよ。ケッケッケ」 大笑いしながらカーラマーラは、自分の行いを自慢したのだった。そこにいた彼の友人たちは、 「いや、俺にはそんなことできないよ・・・。そこまでして優遇してもらおうと思わないし・・・」 一人がそう言うと、ほかの者もうなずいたのだった。 「お前ら本当にバカだな。そんなこと言っているから、いつも金がないんだよ。いいか、今食っているナン、これタダだぜ。タダ。わかるか?。バターティーもタダだ。これでどんだけ得したと思っているんだ? 世の中な、文句をつけたもんが勝ちなんだよ」 「いや・・・しかし、それは・・・」 「ふん、そんなだから、お前らは、いつまでたってもダメなヤツなんだよ。俺様のようにはなれないんだよ。バーカめ。あはははは」 カーラマーラは、大声で笑い、周りにいた者を見下したのだった。 彼はいつもそんな調子だった。他人を見下し、何かにつけて文句や難癖をつけ、自分だけが優遇されるようにしていた。彼は、腹が減ったりのどが渇いたりすると、ガンジス川のほとりに軒を連ねる売店に出かけ、いろいろと難癖をつけてはタダで食料や飲み物を得ていた。売店の店主たちの間では、「カラスのようにあくどいカーラマーラ」で有名になっていた。なので、カーラマーラがやってくると彼にモノを売るのを断る店主もいたが、そうするとカーラマーラは、 「なんだなんだ、俺は客だぞ。客なのに俺には売ってくれないのか?。何てひどい店なんだ。おい、みなさん、この店はひどいんですよ。俺は何もしていないのに、俺に食べ物を売ってくれないんです。そりゃ、身なりは確かに貧乏くさいかもしれません。でも、お金なら・・・ほら、ちゃんと持っています。なのに俺には何も売ってくれない・・・。ヒドイと思いませんか、みなさん。だれか、助けてくださいよ」 と大声で泣くのであった。その泣き声に、事情を知らない人たちは 「何てかわいそうなんだ。どうしてそんなことをするんだ。売ってあげなよ」 と店主に迫るのだった。事情を店主が説明しようとすると、カーラマーラは 「あぁ、お腹がすいた。早く何か食べたいよ。昨日から何も食べていないんだよ〜」 と大声で泣き叫ぶのだった。結局、店主は 「あぁ、わかったから・・・。ほら、これを持っていきな」 とナンや飲み物を差し出すのだった。当然のことながら、カーラマーラは代金を払おうとしなかった。店主が代金を請求しようものなら 「明日も来ていいか? それとも毎日来ようかな」 と小声で言うのだった。店主は、泣く泣く代金を受け取らずカーラマーラに帰ってもらうのだった。 こうしたカーラマーラの行動は、すぐに街にも広まり、彼の悪評が流れた。しかし、そんなことはお構いなしに、彼は街をぶらつきながら、毎日のように難癖をつけて歩いていたのだった。 ある日のこと、彼の友人の一人が彼に尋ねた。 「カーラマーラ、なんでそんなタカリみたいな、脅迫まがいのことをするんだ?。そんなことをしてたら、みんなから嫌われるだろう?」 「あっはっは。嫌われる?。お前バカだな。みんな俺のことを嫌っているかもしれないけど、だからと言って誰も何もしないだろ? いや、むしろ、俺を優遇してくれるぞ。最近じゃ、顔を出しただけで、タダで飯を食わしてくれる。いいか、俺はな、誰よりも優遇されたいんだ。誰よりも上でいたいんだよ。ふふふふ、この世で俺のようにできる者はいるか? いないだろ。俺様だけだ。俺様は、誰よりも大事に扱われているんだよ。どこに行ってもな。この間などは、劇場でも一番いい席に案内されたぞ。しかもタダだ。どうだ、俺ほど優遇されている人間はいないだろ? あははは」 「カーラマーラ、君はそれが自慢なんだな」 そういうと、その友人はちょっと悲しそうな顔をした後、 「そうだ、お釈迦様の法話会でも君は一番いい席に座らされるのかな? まさかな、お釈迦様はお前をひいきすることはないよな。お釈迦様は誰に対しても平等だからね」 と言った。カーラマーラは、ふん、と鼻息を出すと 「お釈迦様だって、俺を見れば俺を優遇したくなるさ。見てろ。えーっと、法話会は・・・・確か明日の午後だったな。そこへ俺が行ってやる。まあ、見てなって。あはははは」 と偉そうに言ったのだった。友人は、そんなわけないさ、と小声で言ったのだが、カーラマーラには届いていなかった。 翌日のこと、カーラマーラは友人との約束通り、お釈迦様の法話会に出席すべく祇園精舎に向かった。祇園精舎は、お釈迦様のお話を聞くために集まった人々でごった返していた。若い修行僧が席を詰めるよう、案内をしていた。そんなところへカーラマーラがやってきたのだ。 「あ、あれはカーラマーラだ。やばいな、近付きたくないぞ・・・。離れて座ろう」 カーラマーラの姿を見た者は、皆離れていった。そのため、彼の周りには誰もいなかった。彼を中心に少し距離を置き、輪ができてしまった。それを見て若い修行僧が叫んだ。 「そこの開いているところ、誰か詰めてもらえませんか? えーっと・・・困ったなぁ。誰も座りたがらないのかなぁ。なんでだろう・・・」 「いいじゃねぇか。俺の周りはちょうどいい空間が開いていて快適だぜ。ぎっちぎっちにくっついて座りたくないからな」 「はぁ・・・でも」 困っている若い修行僧にシャーリープトラが声をかけた。 「あのままでいいでしょう。放っておきなさい」 若い修行僧は、肯いて席を詰めるように言うのをやめたのだった。 お釈迦様がいつもの席に座った。両隣にはシャーリープトラとモッガラーナが座っている。 「おや、あんなところに輪ができていますね。その隙間、もったいないですね。後ろの方々が座れないで困っています。そこの輪の中心の方、何でしたら特等席を用意しますので、そちらに移ってもらえませんか?」 お釈迦様の言葉に集まった人々がどよめいた。お釈迦様までがカーラマーラを優遇するのか?という声があちこちから漏れてきた。言われたカーラマーラは、笑いながらお釈迦様に尋ねた。 「あはははは。お釈迦様もよくわかっている。で、俺様はどこに座ればいいので」 「そうですね。では、私の正面に座っていただきましょう。特等席ですから。早くしてください。後ろの方が困っています」 そう言われたカーラマーラは、ぎょっとしながらもお釈迦様の前に座った。 「いえいえ、もっと前です。もっと前。特等席がいいのでしょう、あなたは・・・。あなたは、いつも優遇されたいのでしょう? 人よりもいい目を見たいのでしょう? 誰よりも上に行きたいのでしょう? なら、もっと前に座ってください」 お釈迦様は、カーラマーラを自分の真ん前に座らせた。それは、もう鼻がくっつきそうなくらいの距離だった。 「そこでいいでしょう。座りなさい。私の真ん前で、私の話が聞くことが出来るのですから、これほどの優遇はないでしょう。なんですか? 嬉しくないのですか? 優遇されているんですよ?」 目の前でお釈迦様にそう言われ、カーラマーラは、返す言葉がなかった。それどころか、お釈迦様の威圧感に圧倒され、落ち着くことができなかった。彼は、キョロキョロしだし、そろりと後ろに移動しようとした。 「どこへ行くのですか? せっかく用意した特等席をあなたは捨てるのですか? 今までそんなことをしたことはなかったでしょう。喜んで特等席に座ったのではないですか? おとなしく座って話を聞きなさい」 そう言われたカーラマーラは、うなるだけだった。 お釈迦様の話が始まった。それは、カーラマーラにとっては耳の痛い話ばかりだった。彼は、とにかく逃げ出したくなった。が、彼の周りには修行僧が詰めており、身動きが取れなくなっていた。 「おとなしく話を聞きなさい。カーラマーラよ、汝は私の話を特等席で聞きたかったのであろう? ならば、喜んで聞くがよい。それとも私の話がつまらないのか? ためにならないのか? 聞く価値がないというのか? どうなのだ、カーラマーラよ」 お釈迦様に厳しくそう言われ、彼はついに 「す、すみませんでした」 と頭を下げたのだった。 「いいかカーラマーラよ。愚かな者ほど他人より優遇されることを望む。愚かな者ほど他人より上に行こうとする。いくら優遇されても、それはほんの一時のことだ。しかも、その優遇されるために脅したり、難癖をつけたりするのは、人として悪行であることは間違いない。そんな者には、幸は決して訪れない。いや、いずれ悪行の報いがやってくるのだ。その時は、誰よりも不幸になることを知るがよい。愚かな行為を今すぐやめよ。本当の幸が欲しいのなら、今すぐ悪行を止めるのだ」 お釈迦様の叱責にカーラマーラは、「もう二度としません」と泣きながら叫んだのだった。 その後、お釈迦様の叱責にもかかわらず、カーラマーラの行為はすぐには治らなかった。飲食店に顔を出せば、以前のように難癖をつけだしたりした。しかし、街の人々は、 「だったら、一番の特等席に座らせてやりなよ」 といって、彼を厨房の中に座らせたのだ。 「ここが特等席だ。食べ物もたくさんあるし」 当然ながら、厨房は暑い。その上、料理人たちが行きかうので、ゆっくり食べてなんぞいられない。やがて、カーラマーラは「あぁ、もういい」と言って逃げ出すのだった。そんなことが何度も繰り返された。そうして、彼の姿は街から消えたのだった。 ガンジス河のほとりで一人座り込んでいる男がいた。カーラマーラだった。そこに近付いて声をかけた者がいた。 「お釈迦様の言った通りだな。他人より優遇されよう、他人よりいい思いをしよう、他人の上に立とう、そう言うことをしてきたお前さんには、やっぱり幸は来なかったな」 「あぁ、そうだな。今じゃ、誰も相手にしてくれないよ。店に顔を出せば、特等席があるぞ、と厨房に入れられる。劇場に顔出せば、特等席があるぞ、と舞台の真ん前に座らされる。大声で怒鳴れば、周りには誰もいなくなる。暴れれば兵士がやってくる。小声で脅せば、逆に大声で『脅すのか、卑怯者』と叫ばれる。とうとう、どこにも顔を出せなくなった・・・。俺に声をかけてくれるようなものは、お前だけだ」 「そうか、それは大変だな。もうこの街には住めないな。あぁ、そうか、お前の悪い評判は、コーサラ国中に広まっているな。いや、マガダ国にまで聞こえているらしい。どこにも居場所がなくなったな」 「なぁ、俺はどうすればいい? 助けてくれよ。どうすればいいんだ?」 「悪いな、俺もお前とは付き合いたくないんだ。いくらお前が謝ってもね。きっと、街の人たちもそうだと思うよ。誰もお前とは会いたくないだろ。いくら謝ってもな。じゃあな、達者で暮らせよ」 その男は、そういってカーラマーラのもとを去った。一人残された彼は、 「これが俺の悪行の報いか・・・。居場所がない・・・。どこへ行けば・・・。あぁ、お釈迦様の元へ行こう。お釈迦様なら・・・」 そうつぶやいたカーラマーラは、ゆっくりと立ち上がり、お釈迦様の元へと向かったのだった。そうして、彼は出家したのだった。 人より少しでもいい思いがしたい。他人よりもできればちょっとだけでも優遇されたい。 本音を言えば、そう言う気持ちは、誰にでもあるのではないでしょうか? 優遇されたい、までは思わなくても、ちょっと気にかけてもらいたい、一般扱いじゃなくて、ほんの少しでもいいから気にかけて欲しい、そう思うことはあるのではないでしょうか? たとえば、うちお寺にお参りに来る方の中でも、自分はその他大勢の信者じゃなくて、ちょっと大事にしてもらいたいな、と思う人がごく稀にいます。まあ、そう言う方は、何というか、アクが強いので他の信者さんと馴染めず、やがて消えていくのですけどね。 気持ちは、わからないでもないですが、特別扱いしてもらおうというのは、信仰とは違いますからね。それは、うちでは通じないですな。 他人よりいい思いがしたい、という願望、それはよくあることだと思います。ちょっと優遇されたい、顔見知りのような振る舞いをしたい、自分はここでは重要なのだぞ、と思われたい・・・。そう言う気持ちは、誰にでもあることだと思います。 私は、別にそれが悪い、と言っているわけではありません。そう言う気持ちがあると、認めたほうがいいと思うだけです。私もそう言う気持ちはあります。よく行く店で、まるで常連のような扱いをされたい、と思ったりしますからね。顔馴染みなんだぞ、知り合いなんだぞ、という顔をしたいときもあるじゃないですか。そう言う気持ちになったことありませんか? よく行く店で顔見知り扱いを望んだり、常連扱いを望んだりするのは、まあ、可愛いものでしょう。その程度なら、許されますよね。でも、これが、エスカレートすると、嫌な人間になってしまいますな。 いろいろ難癖をつけて他人よりも余分なサービスを受ける、エラそうな態度をして図々しく振るまう、少しでも他人より上を行こうとして見栄を張る・・・。たまにそういう人、見かけますよね。やっている本人は満足かもしれませんが、見ているほうからすれば「嫌なヤツ」ですよね。本当に愚かしいことだと思います。みっともないし、そんなことで優遇されて何が嬉しいんだろう、と思いますな。難癖付けてサービスを受けたって、それは恐喝と変わらないですからね。そんなことまでして、偉そうにしたいのか、優遇されたいのか、重要視されたいのか、バカだなぁ・・・と思ってしまいます。みっともないことこの上ない。 きっと、そう言う行為をする人は、社会で・・・職場や家庭で・・・いつも大事にされていないのだろうな、と思ってしまいますな。謙虚さがないから、みんなから嫌われているんだろうな、と思います。哀れだなぁ・・・と。 ちょっとした謙虚さがあれば、むしろ大事にされるのに。そう思いますな。そこがわからないから、威張っているのでしょうけど、そういう人には、やっぱり幸は来ないですね。謙虚であれば、特別扱いなんぞ望まなくても尊敬されるのに、と思います。 むやみに特別扱いを望めば、結局手に入るのは、孤独と不幸なのでしょう。 謙虚であることは大事ですね。 合掌。 |
第216回 いくら不平不満や文句、愚痴を言っても仕方がない。 それは自分で選択し、自分で決めたことによる結果であろう。 自分で蒔いた種は、自分で刈り取るしかないのだ。 |
どこにも行き場所がなくなってしまったカーラマーラは、やむを得ずお釈迦様の元へと走った。出家するしかないと思ったのである。 「ほう、出家するというのか。カーラマーラよ、それは汝にとって厳しい道となるがよいのだな?」 お釈迦様は、彼に念を押した。彼は、 「どこに行っても誰も私の相手をしてくれる者がいません。もっとも、それも自分が悪いのです。仕方がありません。しかし、それでは生きていけません。出家すれば・・・お釈迦様のもとで修行をすれば、何とかなるかも知れない、そう思って・・・」 と反省の言葉を口にし、嘆くのであった。 「出家したからと言って、すべてが許されるとは限らない。それでもいいのだね?」 お釈迦様の言葉にカーラマーラは、深くうなずいたのであった。こうして彼は出家したのである。 カーラマーラは、シャーリープトラに預けられた。シャーリープトラが当面の間、彼の面倒を見ることとなったのだ。翌日から彼は出家者の生活をするようになった。朝起きて沐浴を済ませると彼はシャーリープトラの後をついて托鉢に街へと出たのだった。 街の人々はシャーリープトラの姿を見ると我先にと鉢の中に食べ物を施した。そして、後ろにいる見慣れない新しい修行者をまじまじと見たのだった。 「新しい修行僧かい。ご苦労様だね。どれ、どんな人だ・・・。あれ?、おや?・・・あっお前はカーラマーラ! 最近、見ないと思ったら修行僧の振りなんぞしやがって!。シャーリープトラ様、コイツはとんでもない悪人です。こんなヤツ出家させてはいけません!。いいか、カーラマーラ、お前に分ける食事なんぞない!。さっさと帰れ!」 街の人々の反応は、どれもこれも似たようなものだった。一緒にいるシャーリープトラには食事を施すが、カーラマーラには棒で追い返す始末だった。シャーリープトラは、その都度 「暴力はいけない。彼も心を入れ替えて修行しようと決心したのだ。許してやってください」 とカーラマーラをかばうのだが、街の人々は聞き入れなかった。 「シャーリープトラ尊者が何と言おうが、コイツは信用できない。どうせまた悪さをするに決まっている。いいか、もう二度と来るな」 どの家でもカーラマーラには冷たい態度だったのだ。 鉢の中が空のまま帰ってきたカーラマーラにシャーリープトラが食べ物を分け与えた。 「ふん、こんなものいらねぇ。貰い物の、さらにその貰い物なんて・・・。俺はそんなもの食えねぇ」 カーラマーラは、せっかくシャーリープトラが分け与えてくれた食べ物を拒否し、一人で木の下へ行って寝転がったのだった。 翌日もシャーリープトラがカーラマーラを托鉢に誘ったが、彼はそれも拒否した。 「一人で行くからいい」 と言ったのだ。シャーリープトラは、「ならばそうするがよい」と言い残し、一人で托鉢に出かけた。その姿を見送ったカーラマーラは、 「俺だって飯ぐらいくれるヤツはいるさ。それにしても・・・みじめだ・・・・」 ブツブツ言いながら、カーラマーラはとぼとぼと托鉢に出かけたのだった。 街に出たカーラマーラを待っていたのは、街の人たちのひどい仕打ちだった。ある者は棒を振り回し彼を追い返した。ある者は石を投げた。ある者は罵詈雑言を浴びせかけた。ある者は汚物を彼の鉢の中に入れた。一人で出かけた托鉢は、散々なものだった。街の人たちは、シャーリープトラがいたから遠慮していたのだ。街の人たちのカーラマーラに対する気持ちは、ひどいものだったのである。 「み、みんなひどいじゃないか・・・。俺って、こんなに嫌われていたのか? そんなにひどいことをしたか?。ちょっとだけ、ちょっとだけ勝手を言っただけじゃないか。そんな大したことをしでかしたわけじゃないのに・・・。あまりにも仕打ちがひどいじゃないか!」 街中でカーラマーラは、そう叫んでいた。その叫びを聞いた街の人々は 「お前バカじゃないか?。お前はこの街の・・・いや、インド中の嫌われ者だよ。出家したからっていい気になるなよ」 「お前がやったことは、もっとひどいことだったんだよ。これでも軽い方だ」 「二度と街に来るんじゃない。お前の顔なんか見たくないからな」 と口汚くののしったのであった。 「静かに・・・。もう、それくらいにしたらどうかね? カーラマーラだって反省しているのだし」 街の人々とカーラマーラの間に割って入ったのはシャーリープトラだった。 「こいつが反省している?。シャーリープトラ尊者、それは甘いですよ。こいつは反省なんてしていない。反省した振りをしているだけだ」 その声に多くの街の人たちが「そうだ、そうだ」と叫び声をあげたのだった。 「ともかく・・・今日のところは、これで許してあげてください。さぁ、カーラマーラよ、祇園精舎に帰ろう」 カーラマーラは、シャーリープトラに支えられながら精舎へ帰ったのだった。 「現実が分かったかね、カーラマーラよ」 カーラマーラは、お釈迦様の前に座っていた。今日の托鉢のことでお釈迦様に呼ばれたのだ。 「俺がしたことって・・・こんなにひどいことだったのですか?」 「街の人にとっては、そんなにひどいことだったんだよ。汝がどう思おうとも」 「そうだったんですか・・・。俺は、軽い気持ちで街の人たちを脅していました。これくらいいいだろ、多めに見ろよって。だから、まさかこんな目に遭うとは・・・」 「仕方がないな。汝が行ったことの結果だ」 「それにしても・・・割に合わないような・・・」 「そういう気持ちがあるうちは、汝は許されないであろう。誰も汝を許さないであろう」 お釈迦様の言葉は、冷たいものだった。 「カーラマーラよ、ここにいるのなら今日のようなことは、まだまだ続くであろう。街の人たちは、汝をよく見ている。汝が心から反省しているかどうか、よく見ているのだ。よいか、不平不満や文句、愚痴を言っても仕方がない。すべては、汝が自ら選択し自ら決めて行動したことであろう。その結果が今の状況なのだ。よいかカーラマーラ、汝がまいた種は汝が刈り取るしかないのだ。その覚悟ができていなければ、この苦しみからは逃れられない。たとえ出家をやめ、還俗して他の土地へ行ってもだ。汝が行ったことの報いは、それが無くなるまで汝を追いかけてくるのだよ。それに耐え忍んで、やっと汝は救われるのだ」 お釈迦様の厳しい言葉にカーラマーラは、打ちひしがれるだけだった。 翌日のこと、カーラマーラは、托鉢に出たっきり帰ってこなかった。彼は、そのまま行方不明になってしまったのだ。街の人たちは、やはり長く続かなかった、心から反省していなかったのだ、逃げ出した情けないヤツだ、などと噂し合った。 それから数年後のこと、街にボロボロの格好をした薄汚れた男がやってきた。その男は、ガリガリにやせこけ足を引きずりながら、とぼとぼと歩いていた。街の人々は、汚らわしいもののようにその男を避けた。その男は、全く気にせず、まっすぐゆっくりと歩いていた。それは祇園精舎へ向かう道だった。 汚らしい男は、迷いもせずお釈迦様が座っているところへ来て崩れるように座った。 「お久しぶりです、お釈迦様」 「カーラマーラか」 「お、覚えていてくださったのですか・・・。私はあのまま・・・托鉢に行ったまま逃げ出しました。街の人たちのひどい仕打ちに負けて、逃げてしまった・・・」 「逃げても結局は同じであったか?」 「はい、逃げても自分が犯した罪の報いは追いかけてきました。あれから、よその町や村に行って、以前のように脅して金や食料を得ようとしたのですが、どこへ行っても自分のことが知られていて・・・。私が行く場所行く場所、どこでも石を投げられ、棒で追われました。随分と田舎の方へも行きました。私のことを知らない土地にも行きました。しかし、どこへ行ってもなぜか嫌われ、追い払われ、誰も相手にしてくれません。結局、山や林で木の実を食べ、動物を狩り、飢えをしのいでいました。ところが最近、私が座っていると、知らない人たちが果物を持ってきてくれたり、食べ物を施してくれたりするようになったのです。どうやら、私はようやく許されたようです。私が撒いた罪の種の実は、どうやらすべて刈り取れたようです。そうではありませんか?。私は、それを確かめたくてここに来ました」 「カーラマーラよ、汝が感じたとおりだ。汝は許された。汝は、自分で蒔いた種を自ら刈り取ったのだ。カーラマーラよ、再び出家し、明日から托鉢に出るがよい。この街の人々も修行者として受け入れてくれるであろう」 お釈迦様は、そう優しく言ったのであった。 翌日からカーラマーラは、修行者となった。身体もきれいに洗い、身なりも整え、袈裟をつけて托鉢に出た。街の人たちは、初めのうちは気付かなかったが、数日もするとその新しい修行僧がカーラマーラだと気が付いた。しかし、誰も彼を責めようとはしなかった。誰も彼にひどい仕打ちはしなかった。街の人たちも彼が心から反省し、自分の行ったことを悔いていることを知ったからだった。また、彼にひどい仕打ちをしたことを街の人たちも悔いていたのだった。だから、街の人たちは、温かく彼を迎えたのだった。 「あぁ、ありがたい・・・。ようやく私の罪は許された。街の人たちは、私を受け入れてくれた・・・。結局は、自分で行ったこと、自分で選択したことの結果は、自分で受けいれ、自分で対処していくしかないのだ。他人のせいにしたり、他人に甘えたりしても許されないのだ。逃げても無駄なのだ。自分でまいた種は、自分で刈り取らねばいけないのだ・・・。それがよくわかった・・・」 彼の目からは、一筋の涙が流れていた。それは、喜びの涙だった。 「あなたがそうしろと言ったから、私そのようにした。なのにうまくいかなかったじゃないか。責任を取れよ」 などという方、たまにいませんか? うちに相談に来られる方で、まあ滅多にいませんが、そのように言う方が、ごくごくまれにいらっしゃいます。 「和尚さんがそうしたほうがいいと言ったからしたのに、うまくいかなかった」 と文句を言いに来るのですね。まあ、よくよく話を聞いてみると、やり方を間違えていたとか、順番がおかしかったりとか、詰めが甘かったとか、自分のミスだったりするのですけどね。でも、自分の非はなかなか認めないのですな。 結果が悪い場合、人は他人のせいにしたがります。自分は悪くない、あんたそうしろと言ったからだ、だからあんたのせいだ、あんたの指示が悪い、などなど誰かのせいにしたいのが人間ってもんです。誰のせいにもできないときは、運が悪かった、と運のせいにしたいのですな。あくまでも自分は悪くない、自分にミスはない、のです。誰かが、あるいは運が悪いのですよ。 でも、それっておかしいですよね。その行動をしたのは自分だし、そのようにしようと決めたのも自分です。自分で選択し、自分で決め、自分で行動したにも関わらず、結果が悪いと他人のせい、運が悪いせいにしたいのですな。勝手ですよね、人間って。 何かのせいにしたい、その気持ちはよくわかります。自分の非を認めたくない、という気持ちもよくわかります。いや、本当は知っているんですよ、そういうことを言う人は。本当は自分が悪い、自分が間違っている、自分のミスだ、ってことを知っているんですよね。ただ、素直に認めたくないだけなんです。誰かの、何かの、運の・・・せいにしたくなるんです。それは、自分で自分を慰めているのですな。だって、みんな責めるじゃないですか。お前が悪いって・・・。だから、何かのせいにしたくなるんですよね。きっと、周りが「君は悪くない、たまたま運が悪かったんだ」と慰めてくれれば、「私は悪くない」なんて言わないのでしょう。でも、先に「私は悪くない」というのは、逆効果ですね。慰めて欲しいなら、素直に「私が悪い」と認めたほうがいいですな。そのほうが、周りの許しも早いですね。 人生はいろいろな選択だらけです。私たちはそれを自分で選択し、自分で決め、自分で行っていかねばなりません。自分で決めかねて迷ったときは、誰かに相談します。しかし、最終的に決めるのは自分です。いくら相談しても、その相談者の言葉に従うかどうかを決めるのは自分なのですから。 その結果が悪くても、相談者のせいではありません。運のせいでもありません。ましてや、全くの他人のせいでもないのです。すべて自分の責任ですね。自分でまいた種なのです。よいことも悪いことも自分でまいた種である以上、自分で刈り取らねばならないのです。 責任ということはそういうことなのです。そして、生きるということは、その責任を負う、ということなのです。 そう思うと、生きるのって辛いですね。誰かに甘えたくなるのも・・・仕方がないのかな。 合掌。 |
第217回 尊敬されるには、尊敬されるだけの原因が必要である。 年長者だからと言って尊敬されるわけではないのだ。 |
「キサマ、年寄りだと思ってなめているのか? 何様のつもりなんだ! 道をあけろ!」 声を荒げて怒りを顕わにしていたのは、アムリタという老人だった。細い路地でのことであった。アムリタは、その路地で中年の男とぶつかったのだ。 「何だとクソジジイ、お前が前を向いて歩いていないからだろう。ちゃんと前を向いて歩けよ、危ないだろうが!」 「それが年寄りに向かって言う言葉か!。キサマ、年寄りを大事にしろと学ばなかったのか!」 「うるせーなジジイ。人にぶつかっておいて、その言い草は何だ! ジジイこそ、人に謝ることを学ばなかったのか?」 「何だと! キサマ、もう許せん。地に頭をつけ、謝れ!」 「うるせーんだよ、どけよジジイ。俺は急いでるんだよ。死ねよ、ジジイ」 「うわ、何をする、キサマ許さんぞ。待て、待ちやがれ!」 アムリタは、その中年の男に突き飛ばされ、転がってしまった。それを通りがかりのオバサンが助け上げた。 「いい年をして何をやっているんですか。ちょっと横によければすれ違いができるでしょうに」 「何でわしが道を譲らねばならんのだ。わしのほうが年長者だ。道を譲るのは、若い方であろう」 「そうやって頑固でいるから嫌われるんですよ。ほら立って・・・。歩けますか?」 「人を年寄扱いするんじゃない! 全くどいつもこいつも・・・」 アムリタは、ブツブツ文句を言いながら立ち上がって歩いてその場を去った。その後ろ姿に、彼を助けたオバサンは 「まあ、なんて憎たらしい年寄りかしら。手助けしてやったのに」 と文句を垂れたのだった。 アムリタは、頑固者で通っていた。家族や周囲の者に、いつも「年長者を大事にしろ、敬え」と厳しく言っていた。家族や彼をよく知っている者は、いつも適当に返事をして聞き流していた。下手に相手をするとすぐに言い合いになるからだ。しかし、家族であってもたまに揉めることもあった。その日もアムリタは、孫と言い合いになったのだった。 「キサマ、なぜわしの話を聞かない。わしの言う通りにすれば、いい人生でいられるのだぞ」 「俺には夢があるんだよ。船に乗って世界へ出ていくんだ。よその国のいろいろなものが見たいんだよ。だから、船乗りになるんだよ」 「キサマは、愚かなのか? そんな危険なことをして何になる。この国の決まり通り、家業の大工をやればいいだろう。我が家は代々、王宮や金持ちの豪邸を作ってきた家柄だ。そのおかげで我が家は贅沢に暮らしていける。お前の父親も同じ道を進んだ。なぜお前もそれに従わない!」 「俺が何になろうと構わないだろ。この国じゃ、カースト制も厳しくないんだ。奴隷階級だって兵隊になれる時代だぜ。俺が何の職業を選択しようがジイサンには関係ないだろ!」 「キサマ、わしのいうことが聞けんのか! 誰のおかげでこの家が成り立っていると思っているのか! わしが長年コツコツと働いて、信用を築き上げたからだろうが。それをないがしろにするというのか!」 「意味わからないよ。なに言ってるの? 俺が他の仕事に就くこととジイサンの信用とどういう関係があるわけ?」 「わしのおかげでここまで成長したのだろ! お前の父親もわしに感謝しておる。お前もわしに感謝すべきだろう。感謝の気持ちがあるなら、当然、お前も大工になるべきだ!」 「あー、もう、言っている意味が分からない! もういいよ、うるさいんだよ!」 孫は、アムリタを避けて外に出て行ってしまった。 似たようなことは、他にもあった。孫娘に友達が悪い、あんな友達と付き合うなと怒り出し、孫娘に「大嫌い!」と怒鳴られたことがあった。それ以来、孫娘とは口もきいていない。当然ながら、息子の嫁とも仲が悪かった。嫁は、言い合いするのが嫌だったので、適当に聞き流すことが多かったのだが、その態度が気に入らないとアムリタは怒り出すのだ。 「わしを尊敬していないだろ。だから、そんな適当な態度になるのだ。いいか、一体誰のおかげで・・・」 アムリタの、この「一体誰のおかげで」が始まると話が長くなるのだ。だから誰もが、この言葉を聞くと逃げ出すのだった。そのたびにアムリタは 「どいつもこいつも感謝の気持ちがない。全く今の若い連中ときたら・・・。年寄りをもっと尊敬すべきだ」 と大きな声で怒鳴るのだった。 アムリタは、どこに行ってもそんな調子だった。買い物に行っては、店員の態度が悪いだの年寄りを優先しろだのと大きな声で怒鳴り、通りを歩いては年寄りをいたわれ、道を譲れ、年寄りは大事にすべきだと説教をし始めるのだった。 ある日のこと、雑貨屋で買い物をしたアムリタは、店員にいつものように怒っていた。 「なんだ、その態度は。おつりくらい丁寧に渡せ」 びっくりいている店員にその店の店主が事情を聴いた。しかし、店員が怒られるほどのことをしたとは思えなかった。 「この者のどこがいけませんでしたか?」 店主がそう尋ねると「態度が悪い」とアムリタは言うのだった。年寄りなんだから、もっと丁寧に扱えというのだ。そんな言い合いをしているときに、修行僧が托鉢にやってきた。店主は、アムリタを放っておいて修行僧に 「あぁ、これはこれは。少々お待ち下さい」 と言い、修行僧の鉢をもって奥へ行った。その間、店員が丁寧に修行僧を拝んでいた。 鉢に食事を入れた店主が戻ってくると、店主と店員は頭を深々と下げ合掌し修行僧を見送ったのだった。それを見ていたアムリタは 「なぜ、わしにもあのような態度をしないのか? わしは客だぞ? あれは修行僧だ。修行僧に丁寧な態度をするのに、わしには『はい、おつり』か? いい加減にしろ! それが客に対する態度か!」 アムリタの怒りに店主も店員もびっくりしてしまった。 「いや、あのお方は・・・」 「あのお方もこの方もないだろ! わしは客だぞ。客の方が偉い。しかも、わしのほうが年長者だ。年寄りから順に尊敬すべきだろ!」 アムリタの剣幕に目を丸くして口を開けたままの店主と店員だった。二人とも呆れてしまい、何を言い返していいのかわからなかったのだ。 「何を黙っておる! 間違ったのなら間違ったで、謝らないか! いったい何を学んで生きてきたんだ! 謝ることも知らんのか!」 「それはすまないことをしました」 そう謝ったのは修行僧だった。それを見て店主は真っ青になり 「申し訳ございません、お釈迦様。あの、どうしたら・・・」 「よいのですよ、御主人。そこのご老人が謝罪を要求したので謝っただけです。ただそれだけです。では・・・」 お釈迦様は、何事もなかったかのようにその場を立ち去ろうとした。それに声をかけたのはアムリタだった。 「ちょっと待たれよ。お釈迦様か誰だか知らんが、わしはあんたに謝れと言ったのではない。この店主と店員に謝れと言ったのだ」 「なぜ店主と店員が謝らねばならないのですか?」 お釈迦様はアムリタに問いかけた。 「こいつらの態度が悪いからだ。もっと尊敬を表した態度をしなければならない」 「なぜですか?」 「年長者を敬うのは当然であろう? おぬし、それでも修行者か?」 その言葉に一瞬お釈迦様は首をかしげた。しかし、すぐに一つ頷くと 「尊敬できる年長者もいれば尊敬できない年長者もいる」 と一言だけ言い、再び去ろうとした。 「おい、ちょっと待てよ!。なんじゃ、その言い草は! それではわしは尊敬できない年長者だというのか!」 「よくわかっていらっしゃる。その通りです。あなたは尊敬できない年長者です」 「なにを!、キサマ、何をもってそんなことを!」 「年長者だからと言って、誰もが尊敬されるわけではない。尊敬されるには、尊敬されるだけの態度や行動、言葉がなくてはならない。汝にそれがあるであろうか?」 「くっ、キ、キサマ、それが年長者に対する態度か!」 「だから、年長者だからと言って尊敬されるわけではないといっているであろう。どうやら、私の言葉が届かないようだ。このような者には何を言っても意味がない」 そう言われたアムリタは、お釈迦様の肩を掴んだ。その顔は怒りで真っ赤になっていた。 「もう一遍言ってみろ! キサマ、許さんぞ」 「頑固に自分の意見を通そうとし、他人の話を聞かない。怒りを顕わにし、自分の意見を押し通そうとする。だから嫌われるのだ。ご老人、あなたは今までいったい何を学んできたのか?」 そう言われたアムリタは返す言葉がなく、うなるだけだった。 「年長であれば、周囲の意見を聞き、自分の経験を活かし、穏やかに優しく話すべきではないか? それが尊敬される年長者であろう。どんな時も落ち着いて、穏やかな態度で周囲と接する。それが尊敬される年長者であろう。他者の見本となるような振る舞いをする。よい知恵を出し、周囲を導く、それが尊敬される年長者であろう。アムリタよ、汝にそれがあるであろうか?」 アムリタは何も言い返すことができず、ただ歯ぎしりをするだけだった。 「よくよくそのことを考えて過ごすがいい。年長者がすべて尊敬されるのではない。尊敬されるには、尊敬されるだけの原因が必要なのだ」 お釈迦様はそう言い残すと、静かに立ち去ったのだった。残されたアムリタは、店主と店員を見ると「ふん」といい、バツが悪そうにその場を去って行った。 その日からしばらくアムリタの姿を街で見ることはなった。彼は、ほとんど家の中で過ごしていた。しかも、誰にも話しかけることもなった。一人、ひっそりと部屋に閉じこもるようにしていたのだ。そんなある日の夜、、夕飯時に家族が集まっていると突然アムリタが出てきた。 「すまん。わしはこの通り頑固者だ。だから、頑固はなかなか治らないだろう。しかし、できるだけ、嫌われないような年寄りになろうと思う」 彼はそういうと、また部屋に戻って行ったのだった。そんなアムリタの言葉に、しばらくぽかんとしていた家族は急に笑い出し、 「じいさんを呼んでくるか。みんなでご飯だ」 と誰ともなく言ったのだった。 老害という言葉が世間で言われるようになったのは、いつのころからでしたでしょうか? 気が付けば、あちこちで「老害だ、老害だ」と耳にするようになっていました。老害・・・まあ、確かにそう言いたくなる時もありますが、いい言葉ではないですよね。私たちも、そう言っている人たちも、やがて「老害」と言われるようになるのでしょうねぇ。 確かにキレる老人は、あちこちで話題になっております。最近の老人はキレやすい、話が通じない、頑固すぎる、人の話を聞かないなどなど・・・、よく耳にしますな。昔は、年を取ると「あんな頑固者も丸くなったねぇ」などと言われたものですが、今はそうじゃないのでしょうかねぇ。本来ならば、年齢を重ねるにしたがって、穏やかになっていくものだと思っていましたが、最近では年を重ねるごとにキレやすくなっているようですな。困ったものです。ただ、すべてのお年寄りが頑固で怒りやすくキレやすい、というわけではないでしょう。温厚ないつもニコニコと優しいご老人もいるにはいるのでしょうね。ですが、そういうご老人は目立たないのですな。どうしてもキレるご老人は目立ちますからね。そうした目立つ老人が増えているのです。 キレる原因は何でしょうか? 思うに、日ごろ何も面白いことがないのではないか、と想像するのですが、どうでしょうか? 日ごろ、充実した時間を過ごしていれば、人はイラつかないのではないでしょうか? それは、年齢に関係なく、だと思います。家族が円満で、職場でもうまくやっていて、多少不平不満もあるけどストレスもあるけど、趣味でスカッとし、充実した日々を過ごしています・・・という人は、年齢に関係なく、キレることは少ないのではないでしょうか。そういう人は、怒っても穏やかに話ができるのではないかと思いますね。思うに、すぐにキレる人、キレやすい人は、寂しい人なんじゃないでしょうかねぇ・・・。そして、そういう人ほど、他人からの尊敬を求めるのではないでしょうか? つまり、かまってほしい、褒めて欲しい、大事にして欲しい、のですな。 年を取ると寂しさはどんどん増えていくでしょう。身体も思うように動かない、外へ出るのもおっくう、目も見えない、何もかもつまらない、友人はどんどん減っていく・・・。ただでさえ、マイナス要素が増えていくのです。そりゃ、寂しいですよね。でも、だからと言って、他人に八つ当たりするのはよくないですな。威張って周囲から大事にされようとするのは、間違いですよね。周囲から大事されたければ、尊敬されたければ、威張るのではなく、怒るのではなく、温厚で穏やかな老人になるべきでしょう。威張って怒って意見を通そうとするのは、真逆の行為ですよね。 誰もが年を取っていきます。気が付いたら老人の仲間入りだ、となってしまいます。その時に、今まで学んできたことがうまく活用できるようにしたいですね。智慧を生かせる老人になりたいですな。穏やかで、温厚で、楽しい年寄りです。決して、口をひん曲げた頑固者にはなってはいけませんね。尊敬までされなくても、せめて周囲の人から「丸くなったねぇ」と言われるようにしたいですな。そんな老人が、理想でしょう。世のご老人、今からでも遅くないから、丸くなりましょう。 合掌。 |
第218回 何よりも大切なことは、 今をどう生きるか、ということをよく考え、実行することである。 |
「俺が子供のころは・・・」 そう語り始めたのは、お釈迦様の弟子のハラナングプタだった。出家したばかりの数名の若い修行者相手に 「このコーサラ国でも、まだカースト制がうるさい時代だった。それでも、これからは教育が重要という国王の考えにより、多くの子供たちが学校へ通うことになった・・・」 と、昔を懐かしむように彼は語り始めたのだった。 俺の家は農園を営んでいた。主に野菜中心の農園だった。農園主なので、カースト的には上位に位置する。なので、学校に通うこともできたし、通ってもイジメられるようなことはなかった。いくら国王が多くの子供たちに教育をと言っても、さすがにスードラ階級やそれ以下の者の子供は学校に通えない。せいぜいが、雇われ人の子供だ。それも大きな農園や貿易商など、余裕のある給金をもらっている雇われ人の子供までだな。 俺が通っていた学校には、下級バラモンの子供や下級王族の子供が来ていた。上級のバラモンや上級の王族たちは特別の学校があるのだ。その他には、商人の子どもやうちのような農園主の子供、大きな商家で雇われている者の子供が来ていた。いわば、中間クラスの学校だった。なので、全体的によくまとまってはいたのだ。 そんな子供たちが集まっていた学校で当時流行っていた話題は、「なぜ身分の差ができるのか」ということだった。 「確か下級バラモンの子供が言い出したんだ。なんでうちは上級のバラモンじゃないんだ?ってな」 子供たちは、「それはお前の親が努力しないからだ」とか「お前の親が勉強不足なんじゃないか」とか「上級のバラモンに賄賂を渡さないからだ」などと勝手なことを言っていた。しかし、下級バラモンの子は、 「いや、いくら努力しても、いくらゴマをすっても、身分は変わらないよ。上級は上級、下級は下級。上級のバラモンが問題を起こしても、上級から落ちることはないし、下級バラモンが素晴らしい研究成果を発表しても下級から上級になることはない。身分は固定されている。なぜだかね、そうなっているんだよ」 と溜息交じりに嘆いていたのだ。 確かに、いつの間に身分は決まったのか、なぜその家に生まれてきたのか、という話になると、誰も答えられない。先生もお手上げだった。そんな時に、誰かが言い出したんだ。前世のせいだろうって。 「バラモンの司教だって言っているじゃないか。前世の行いによって、この世の身分が決まるのだ、って」 誰が言い出したのか覚えてないけど、まあ、昔からそう言われているのは確かだよな。君たちも知っているだろ?。人は誰かの生まれ変わりだってこと。悪いことをすれば地獄に落ちるし、いいことをすれば天界へ行ける。神々に祈れば天界に行けるんだ。だから、月に一回は、村々で神々を祀る行事が行われているだろ。みんな天界へ生まれ変わりたいからね。だけど、本当に天界へ行ったのか、この人間界にいるのか、動物になったのか、地獄へ行ったのか、ということはわからないよな。ましてや、自分の前世なんてわからない。それが妙に不思議で、子供の頃、みんなの話題になったんだよ。お前の前世は犬だとか、魚だとか、本当は王族だったけど落ちたんだとか、みんなで言いあっていたんだ。まあ、面白半分、お遊び気分だよな。そんな遊びが流行っていたんだ。 その頃、巷で聖者が現れたんだ。聖者と言われている人・・・女性だけどね・・・が現れた。何でも神通力の一つである、前世を見通す力を持っているとのことだった。すごく流行ってね、その女性の前には毎日大行列さ。みんな自分の前世が知りたいんだな、とその時初めてわかったよ。まあ、今にして思えば愚かなことだったんだけど、その頃はね、我も我もとみんなその女性の前に並んだんだ。 当然ながら、俺たちも前世を見てもらおうという話になった。いくらかかるのか、誰が行くのか、みんなで話し合ったよ。で、結局、下級バラモンの子と俺と大きな貿易商の子が行くことになったんだ。 お金を用意して3人でその聖者と言われる女性のところへ行ったよ。3時間くらい並んだかな。その女性と会って何か言われて、喜んで帰る者もいたし、がっくりと肩を落として帰る者もいた。いろいろだったな。文句を言っている者もいたな。いい加減だって。インチキだって言っている者もいた。まあ、実際はそうなんだろうけど、その頃の誰もが見抜けなかったのか、流行りに弱かっただけなのか、糾弾されはしなかったな。まあ、俺たちは子供だったから、仕方がないけどな。 で、バラモンの子が初めに聞いたんだ。僕の前世はって。その答えは、「下級バラモン」だって。 「何だ一緒じゃないか。お前何も変わってないんだ。つまらねぇ」 と笑われたな。貿易商の子は、「よその国の冒険家」とか言われて満足していたな。で俺だ。俺なんて悲惨だったよ。 「お前は、畑のカエルだ。畑の中に潜んでいるカエルの生まれ変わりだ」 なんて言われてね。もう笑われるわ、からかわれるわで、それからしばらく嫌な思いをしたよ。 その後、その女性聖者は、結局人々からインチキだとか言われ始めたんだよな。そんな噂が出始めたら、急にいなくなってしまった。どこかに消えてしまったんだよね。たぶん、逃げたんだな。糾弾される間に逃げたんだ、あれはきっとそうだ。でもまあ、バカな騒ぎだったよ。 しばらくは、前世が悪いものだったと言われた人たちは落ち込んでいたらしい。さっきも言ったように、俺もからかわれた。しばらくは笑いものだった。これは、結構応えたな。子供心に傷ついたというか、何か自信がなくなってしまってね。前世なんて見てもらうんじゃなかった、と後悔していたよ。下級バラモンの子も、 「あんなのインチキさ。だって、証明のしようがないじゃないか」 と息巻いていたな。 「適当なことを言っているだけさ」 とね。世間でもそうした意見が主流になっていたな。あれはインチキだった、って。証明できないからなんとでも言えるってな。しかし、身分が厳然とあるのだ、身分はどうしようもないのだ、ということをあらためて押し付けられたような気分になったんだよ。世間全体にね。国王は、カースト制にこだわらないと言っているが、努力してもダメなのかも、結局はカーストから抜けられないのかも、と人々は思うようになったんだ。だから、その頃の街は暗く沈んでいたな。活気がなかったよ。あのインチキ女性聖者のせいで、街がこんなに沈んでしまうのか、と驚いたくらいだ。 俺は実は夢があってな。本当は船乗りになりたかったんだ。船に乗っていろいろな国を旅したかった。いろいろな国に行ってみたかった。だけど、「前世がカエルじゃあな、せいぜい畑仕事が似合っているよ」とみんなから言われてね。そんなことをいわれても「やっぱりか」と納得してしまう自分もいてね、それが嫌だったりもしたんだな。だけど、親も農園を継げというし、周りも農園が似合っているというし、自分でも農園のことは詳しかったから性に合っているとも思っていた。でも、船乗りもあこがれていた。 もし、あの時、カエルなんて言われなければ・・・。 そんなことを思って、恨む日が多々あったよ。で、だんだん面白くなくなってね、学校も行かなくなって・・・。どうせ農園を継ぐのだから、勉強なんて必要ないだろう、と思うようになり、遊び始めたんだ。その頃には、船乗りの夢はあきらめたな。カエルじゃあ海は似合わないさ。ましてや、畑のカエルじゃあね・・・。 で、不良仲間ができた。街で夜な夜な暴れたり、酒を飲んで絡んだり、女を襲ったり・・・悪いことをしたよ。で、自分で言い訳していた。どうせ農園を継ぐのだし、カエルなんだし、遊んだっていいじゃないか。多少の罪を犯したって、そのうちに神々を祀れば天界に行けるしな・・・てね。浅はかだったよ。本当に浅はかだった。でも、その時は気付いていなかったんだ。 そんな俺を止めてくれたのがお釈迦様だった。ある夜のことだ。俺たち不良集団は、酔っぱらってある店を壊して逃げた。その逃げる途中、なぜだか俺は森の中に逃げたんだ。真っ暗な森の中をとぼとぼと歩いていた。もうそんなころは酔いは冷めている。 「ちっ、変な森に来ちまった。迷っちまったな。どうしようか。ここで夜を過ごすにはヤバそうだしな」 そんなことを思いながら歩いていると、先にボーっと光るものを見つけたんだ。民家かも知れない、そう思った俺は光に向かって走っていった。そしたら、その光は、修行者だったんだ。木の下で座っている修行者が光っていたんだ。びっくりしたけど、その頃の俺は、 「ちっ、何だ修行者か。お前らなんか、大嫌いだ。役に立たない連中め」 と言って、唾を吐きかけたくらいだ。それでもその修行者・・・お釈迦様だったんだが・・・怒ることなく、 「このまま奥に進んでも獣がいるだけで危険だ。食われて死ぬぞ。ここにいれば安心だ」 というんだ。俺は 「お前が魔神だったりしてな。俺を食おうとしているんだろ」 というと、 「もしそうなら、お前が持っている刃物で今のうちに私を刺すがよい。血の匂いで獣が寄ってくるがな」 と平気な顔をして言うんだな。俺が刃物を持っていることも知っているし、ちょっと違うぞこの修行者は、と俺は思った。だから、その修行者の前に座って問いかけたんだ。 「おい、俺の前世は何だ?わかるか?」 「そんなことをきいてどうする?」 「知りたいから聞くんだ」 「知ってどうする」 「どうするもこうするも・・・ただ知りたいだけだ」 「それは無意味なことだ」 「ど、どういうことだ。前世を知ることは無意味なことなのか?」 「あぁ、無意味だ。前世が何であろうが、身分が何であろうが、生まれの差がどうであろうが、親がどうであろうが、そんなことはどうでもよいことだ。汝にとっては、どうでもよいことではないか」 「な、なんでどうでもいいんだ?」 「生きていくうえで、前世も身分も親も関係がないであろう。関係があるのは自分自身だけだ」 「意味が分からない」 「よいか、前世が何であっても、今の汝には関係ないであろう。身分が何であっても今の汝には関係がないであろう。親が金持ちであろうが、貧しかろうが、教養があろうがなかろうが、そんなことはどうでもいいことであろう。汝には関係ないことだ。だが・・・」 「だが?」 「だが、人々は、そのどうでもいい関係のないことを言いわけにして、努力しないだけだ。汝らは、自分の努力不足を、前世のせいだ、身分のせいだ、親のせいだと言い訳しているにすぎない。何よりも大切なのは・・・」 「何よりも大切なのは?」 「今をどう生きるか、ということをよく考え、実行することである。今を生きることを考えないから、流されて生きてしまうのだ。自分にとって何が必要で、どう生きるべきかを考えて、それを実行していれば・・・」 「実行していれば?」 「こんな風にはならなかったろうな、ハラナングプタよ」 「うわっ、うわー、あぁぁぁぁぁ」 俺は絶叫した。泣き叫んだよ。そう、俺は自分の努力不足、怠けを前世のせい、親のせいにしていたんだ。どうせやっても仕方がない、どうせ俺はカエルさ、どうせ後継ぎさ・・・・。それはすべていい訳だったんだ。言い訳せず、船乗りになるために、努力していればよかったんだ。くだらない戯言を信じて、それを言い訳にして怠けてしまったんだ。愚かだよ。本当に愚か者だった。 前世なんてどうでもいいことだ。親の身分なんてどうでもいいことだ。家が金持ちだろうが、貧しかろうが、どうでもいいことだ。貧乏な家の子でも勉強する人は勉強するし、金持ちの子供だってダメな奴はダメだ。幼いころは仕方がないけど、ある程度年齢が行ったら、あとは自分次第だ。身分や親や家柄のせいにしているのは、自分が怠けているだけにすぎない。どうでもいいことだったんだ。大切なのは、今をどう生きるか、なんだよ。 俺は目が覚めた。で、そのまま弟子になったんだ。いいか、若者よ。これから修行していくうちに、どうしても修行の成果に差が出る。でも、そんなことは気にするな。そんなことはどうでもいいことだ。君たちは、ただ、やらねばならない修行をすればよいのだ。成果は、それが早く顕れようが遅くやってこようが、どうでもいいことだ。君たちは、やるべきことをやればいいのだ。今やるべきこと、それが大事なんだよ。 そう語ったハラナングプタの後ろには、お釈迦様が優しく微笑んでいたのであった。 たまに前世占いなんてものを目にします。こんなもの信じる人がいるのか?と思いますが、気にする人が案外いるようですね。うちに来られた方の中にも、前世は○○だったと言われた、と嘆いてこられる方がたまにいますが、それを信じてしまう方が間違ってますよ、と私は言います。そういう人は純粋なんだな、と思いますな。ひねくれものの私なんぞは、一切信じませんけどね。 まず第一に前世なんぞ、証明しようがないじゃないですか。実際に見えるものでもないし。証明できないものですから、何とでも言えますよね。そんなことに一喜一憂するだけ損ですな。バカバカしいですよね、と思います。ちなみに、私は占いも信じてないです。人の運なんて、占いでそう簡単にわかるものじゃない、と思っていますから。まあ、たまに当たる人もいます。偶然、占いが当たる人もいます。その程度だと思っています。今月の運勢を掲載している私が言っていいことではありませんが、まああてにはなりません。当たるも八卦当たらぬも八卦ですな。 前世とか今月の運勢とか今週の運勢とか、そんなことはどうでもいいじゃないですか。運が良くても悪くてもやるべきことはやらなきゃいけないんだし、やってはいけないことはやってはいけないんです。仕事や勉強はすべきでしょう。息抜きの趣味もやっていいことですよね。でも犯罪はやっちゃいけません。今週は運がいいから盗みに入るか、何てのはダメでしょ。運がよかろうが、悪かろうが、やってはいけないことはやってはいけないのです。 出身地なんかを気にする人もいますが・・・京都人は意地が悪いとか・・・、そんなこともどうでも言いと思いますな。その地域の出身者はみんな同じ性格同じ人生なのか、と問われればそうではないことは明白でしょう。そんな大雑なくくりで人を決めつけるな、と言いたいですね。 大切なのは、今をどう生きるか、です。どう生きたいのか、自分はどうしたいのか、何がしたいのか、どうやって過ごしていきたいのか、それをよく考え、それが正しいのなら、そこに向かって実行すること、それが大切なことでしょう。 占いも身分も家柄も出身地も全く関係ないですね。そんなことはどうでもいいことです。今をどう生きるか、それさえつかんでいれば、何も怖くはないですな。 合掌。 |
第219回 汝らは何を求めるのか? 財産か、名誉か、安定した生活か、それとも覚りか? いずれにせよ、与えられるものは何もない。 すべて自ら得ようとしなければ手には入らないのだ。 |
マガダ国の首都ラージャグリハの郊外の小さな村に、仲の良い4人の少年たちがいた。彼らは、よく集まっては村の仕事を手伝ったり、野山を駆け回って遊んだりしていた。彼らは村人から4人組と呼ばれていた。 村の仕事を手伝っていると、彼らはよく村の人から 「お前らは、将来どうするんだ?。昔からの決まりの通りに親の跡を継ぐのか?。それとも街に出ていくのか?」 などとよく尋ねられた。4人組の一人でいつも元気で明るい少年は 「俺はね、大金持ちになるんだ。今は・・・ちょっと貧乏だからね。街に出てお金を稼ぐんだ!」 と明るく宣言した。体が大きくいつもちょっと威張り気味の少年は 「俺はさ、有名になりたいな。周りから尊敬されてさ。偉くなりたいんだよ」 と胸を張って言った。おとなしく優しそうな少年は 「僕は安定した人生がいいよ。夫婦仲良くって、家庭が円満で、平和な生活が得られるならそれが一番いいな。うちは、両親がよくケンカしているから、あぁいうのは嫌だな」 と寂しげに言った。最後の一人の少年は、いつも気難しい顔をした少年だ。彼は 「僕は出家する。聖者になるんだ」 とつぶやくように言った。村人は 「ほう、まあ何だかよくわからねぇが、親の跡を継ぐのは一人もいねぇんだな。世の中変わっちまったなぁ・・・」 と大人たちだけの会話へとうつっていったのだった。 4人は、村の仕事が終わると、将来のことを話しながら家へと歩いていた。 「お前さ、金持ちになるって言ってたけどさ、どうするんだ?」 「決まってるじゃないか、都へ行くんだ。街で仕事をしまくって金を稼ぐんだよ。お前だって、有名になるって言ってたけど、どうするんだよ」 「あぁ、うん、まだ何とも言えないが、できるだけ早くに都へ行くさ。こんな村にいたんじゃ、名をあげることはできない。尊敬されるような立場になるには街に出ないとな」 「ふ〜ん、お前ら大変だなぁ。僕は、生活が安定さえすればいいよ。でも、この村は嫌だから、もう少し街に行くかな。で、いい嫁さんをもらって、いい家庭を築くんだ」 「ふん、誰も彼も世俗のことにこだわっているんだな。そんなものを望んで何になるんだ」 「お前のさ、親は村の役人だから、偉くていい立場じゃないか」 「はぁ〜、あんな汚い仕事・・・。人間は愚かだ!」 「何があったか知らないけれど、まあいいじゃないか。それよりも、この村を出ていく日を決めないか?。4人一斉に出ていって、何年後かに会おうよ。みんなどうなったか、その時が楽しみじゃないか」 「あぁ、いいんじゃないかな。僕はいいと思うよ」 「みんなさ、驚くよ。俺の出世にさ。ハッハッハ」 「ふん、くだらない。だけど、何年後かに会ってみるのは悪くない。お前たちに世俗の愚かさを説いてやろう」 「よし、じゃあ約束だ。この村を出る日が来たら、その時、何年後に会うか決めよう」 4人は、こうして将来のことを話し合ったのだった。 数年の歳月が流れ、少年たちは若者になった。彼ら4人は 「もう村を出てもいいころだな」 「あぁ、10年後の今日、太陽が真上に昇った時、宮中正面の入り口で会おうじゃないか」 と決め、首都へと向かったのだった。 彼らは、それぞれの道に進んだ。お金を儲けたい・財産を蓄えたいと望んでいた若者は、とにかく働くことにした。尊敬される人物・偉人を目指した若者は、バラモンのもとに弟子入りすることにした。安定した生活・平和な家庭を求めた若者は、まずは働いてお金を貯め嫁にふさわしい女性を探すことにした。世俗に嫌気がさし出家し聖者となることを欲した若者は、当時最も有名だった宗教者の元で出家を果たした。 そして、彼らはそれぞれの道に励んだ。時は流れ、約束の10年がやってきた。 「あいつらに会うのも10年ぶりだな。同じ街にいても会わないものだな。この街は広い。それにしても10年たつと、いろいろ変わるものだな・・・・」 「お前は・・・。財産はできたのか?」 「久しぶりだな。お前こそ、偉人になったのか?」 財産を求めた若者と偉人を望んだ若者は、大人になって再会した。 「報告は後さ。積もる話はいっぱいあるさ。で、ほかの二人は?」 「まだ来てないよ。来なかったりして」 「いや、久しぶりだな」 手を上げて二人に近付いてきた者は、身なりはしっかりしていたが、どこかやつれていた。 「お前・・・久しぶりだな、平和な家庭はできたのか?」 「なかなか難しいものだな・・・あははは」 彼は力なく笑った。その時、向こうの方から杖を突いてボロボロの衣をまとった薄汚れた者が近付いてきた。 「久しぶりだ。相変わらず、諸君らは俗世にまみれているのか。ふん、くだらぬ」 聖者を目指していた若者の現在の姿だった。 4人は、ブラブラと歩きながら、小さな泉のほとりまで来た。そこで座り込んで話し始めたのだった。 「金は・・・たまらないよな。よりいい仕事はないか、儲かる仕事はないかって探し回ったけど・・・。結局何もなかった。あぁ、金が欲しい」 「ふん、まだそんなことを言っているのか。俗人め。くだらん」 「お前さ、昔から人をバカにしたような態度だったけどさ、さらに悪くなったな。少しは悟ったのか? 聖者にさ、なったのか?」 聖者を目指した若者は、ふんといって横を向いた。 「まあまあ、みんないろいろあるだろ。俺だって、いい家庭をつくってくれそうな、いい嫁を貰ったと思ったけど、これがねぇ、うまくはいかないよね。お前だって、バラモンで名前を聞かないぜ?」 「俺はさ・・・まあ、まだまださ。いろいろ上がつかえていてさ。順番が回ってこないだけさ。待ってればさ、そのうち・・・」 「何ともならないんじゃないか? いい話なんて転がってないよ。はぁ、結局俺たち4人とも運がないみたいだな。あははは」 その笑い声は力のないものだった。 その時だった。 「君たちは、そろいもそろって愚かなのか? 何を求めるのも自由だが、与えられることはないのだよ。何にしろ、自ら得ようとしなければならない。そして、そのために努力を重ねなければならない。待っていては何も手に入らないのだ」 力なく座り込んでいた4人に声をかける者がいた。その者は、まだ中年には至らない修行者だった。ただ、他の修行者と異なり、清潔そうで何となく輝いて見えた。 「あ、あなたは?・・・修行者ですよね。立派な姿だ。年も私とそんなに変わらない。少しあなたが上でしょうか? それにしても、その輝きは・・・。あなたはいったい誰の弟子で、どんな教えを学んだのですか?」 そう尋ねたのは、聖者を目指していた若者だった。 「私は自ら一人で修行し、一人で悟りに至ったのだ。私に師はない」 その言葉に誰もが驚いた。自然に4人は、その修行者の前で跪いていた。 「あの・・・お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」 「私は、かつての名をゴータマシッダルタといったが、もうその名はない。今は、周囲の者は私のことを仏陀とか世尊などとと呼んでいる」 「仏陀? あの伝説の・・・まさか・・・」 「そんなことはいい。せ、世尊・・・。教えてください。私たちは何がいけなかったのでしょうか?」 「簡単なことだ。与えられることを期待していたのがいけないのだ」 「与えられることを期待していた?・・・・」 「目標を持つことはよいことだ。求めることがあるというのはよいことだ。財産であれ、名誉であれ、安定した生活であれ、悟りであれ、何にしても求めることがあるのは良い。だが、与えられることは何もない。すべて自ら取りに行かねばならない。望んだものは、それが何であれ、与えられるのではなく、自ら得ようとしなければ手には入らないのだよ。私は悟りを求めた。そのために様々な修行をした。修行をしていれば自然に悟りは得られるものだと思っていた。しかし、修行によって与えられるものは何もない。自ら悟りに向かっていかねば何も得られない、それが分かったのだ。私は、自ら悟りへと向かったのだ。そして悟りが得られたのである。汝ら、財を求めるならば、その財のために一つの仕事を決めてコツコツ働き続け、創意工夫をし、節約をしながら生活をすることだ。尊敬を求めるならば、謙虚な態度で人々と接し、決して怒ることなく、奢ることなく、自惚れることなく、慎み深く、ウソや悪口を言わず、多くのことを学び続けることだ。安定した平和な家庭を求めるならば、仕事に明け暮れるのではなく、妻に任せっきりにせず、お互い協力し合い、互い助け合い、お互い労りあい、お互いよく話をすることだ。そして、汝、聖者になりたいと望むのなら、周囲の者を見下す心を捨てたのち、私のもとに来るがよい」 そう言って、修行者・・・仏陀は去って行ったのだった。彼ら4人は、その後姿に思わず合掌していたのだった。 それから数年後のことだ。財を求めた者は、今ではそこそこの金持ちになっていた。小さな商店に雇われたのだが、そこで頑張っていろいろな創意工夫をし、店を大きくしたのだ。その功績により、店をのれん分けしてもらったのである。 「求めたものを自ら得ようとした。自ら得るには、いろいろな工夫が必要だった。あの時、世尊に言われた通りにしてよかった・・・」 名誉を求めバラモンに弟子入りした者は、他のバラモンのように威張らず、謙虚で礼儀正しく振舞うことにより、人々の評判を得て、今では、名の通ったバラモンになっていた。そうなっても彼は決しておごることなく、自惚れず、いつも謙虚であったため、益々尊敬を集めたのだった。 「世尊の言った通りにしてよかった。出世を待っていたのでは、ここまでこれなかった。世尊のいうように、謙虚で礼儀正しくしていたら、自ずと道は開いた。ということは、多くのバラモンの態度が悪いということだ。私は、そうならないように今後も気を付けよう」 安定した平和な家庭を求めた者は、その後よく妻と話し合い、お互いに協力し合って家庭を築いていった。今では、3人の子に恵まれ、明るい一家となっていた。 「自分が悪かったんだ。何でもかんでも家のことは妻任せで、仕事ばかりしていた自分が悪かったんだ。世尊のいうように、自らが変わって協力し合うようになって、妻も変わった。何にしても人任せはダメだな」 そして、聖者を目指した者は竹林精舎にいた。 「世尊、人を見下す心を捨てることができました。弟子にしてください」 「よかろう。しかし、教えることは何もない。汝が自らよく観察をし、よく瞑想し、世の中の仕組みをよく考察することだ」 「はい。自ら悟りを得るために、よく考察をします」 「それでよろしい」 こうして、あの4人は、自分たちの求めたことを手に入れたのだった。 あけましておめでとうございます。新しい年、令和2年の幕開けですね。さて、皆さんは、今年はどんな年にしたいと望んでいるのでしょうか? 昔から一年の計は元旦にあり、と言います。まあ、元旦にそんな小難しいことを考えるのも野暮かもしれませんが、何か目標を掲げるのはいいことですな。元旦に、じゃなくてもかまいません。今月中に、くらいでもね、いいと思いますけどね。 何も目標がない、と言うのは寂しいですな。そんな大それたことでなくてもいいと思います。ちょっとしたことでもね、いいんじゃないでしょうか?。何も目標がない、求めることがない、と言うのは、ただ淡々と生きるだけ?って感じになってしまい、面白くないと思うのですよ。ただでさえ、苦しいことが多い人生です。少しは目標や求めることを決めて、その実現に向かって生きていったほうが生きやすいと思いますよ。 ただ、いくら目標や求めることを持っても、待っているだけではダメですな。ボーっと待っていても、何もやっては来ません。棚から牡丹餅は、世の中そうそうあることじゃないですよね。いや、むしろ棚ボタなんぞあった日にゃあ、かえって恐ろしいですよね。 「あぁ、一生分の運を使い果たしてしまった」 となりかねないです。やはり、目標達成や求めたことは、自分の力で手に入れたいですよね。そのほうが身につくし、大事にしますな。簡単に手に入ったものは、価値観が下がってしまいます。「ありがたみ」が少ないですよね。やはり、自ら努力して手にしたほうがいいですよね。 ちなみに、努力と言うのは、与えられたことをコツコツやることではありません。やるべきことをやるだけ、と言うものでもありません。与えられた仕事をより効率よく、より質の高い結果にすることが努力です。やるべきことをただやるのではなく、さらに創意工夫をし、よりよいものへと向上させる、それが努力ですな。 これが無くては、目標達成は難しいですよね。 棚ボタは、確かに楽です。口を開けて待ってればエサがやってくる・・・と言うのは楽ですな。しかし、そんなことでは何も身にはつきませんよね。どんなことにしても、自分から進んで手に入れようとしなければ、手には入らないですよね。待っていては何も手に入れることはできません。 目標を決めたら、自ら進んで手に入れられるように、努力しましょう。与えられることはありません。自ら取りに行きましょう。そうでないと、ポツンと取り残されることもあります。それは寂しいですよ。 さしあたって、私の今年の目標は、ボルダリング4級制覇、3級へ進む、ですな。 合掌。 |
第220回 慌てて行動をしてもロクなことがない。 まずは落ち着き、何が起きたかよく把握することだ。 それから考え、対処していくのが最善である。 |
ある日の祇園精舎のことである。お昼近くになって托鉢に出ていた若い僧たちが帰ってきた。その様子はいつもと違い、皆慌てているようだった。長老の一人が慌てて走って帰ってきた若い修行僧に問うた。 「何をそんなに慌てているのだ。落ち着かないか。鉢の中の食べ物がこぼれてしまうではないか」 そう言われた若い修行僧は 「あっ、はい、ですが・・・。大変なんですよ。この世が終わるかもしれないって・・・」 と勢い込んで答えたのだった。するとそこへ「私も聞いた」、「街はその話で大騒動だ」、「大変だ、この世が終わるかも知れない」と騒ぎながら若い僧たちが走り込んできたのだ。 「一体どういうことなのだ。なにが起きたのだ。落ち着いて話してみなさい」 長老が大きな声でそういうと、ようやく若い僧たちも落ち着いたようだった。その中の一人が 「詳しくはわからないのですが、どうやらケイト星がやってくるらしいのです。そのため、地面は揺れ、海面は上昇し、津波が襲ってきて、街が壊滅するのではないかと言う噂が流れておりまして、街は大騒ぎになっているんです」 「もしかしたら、ケイト星が空から降ってきて地面に激突するかもしれないのだそうです。そうなれば・・・あぁ、もう終わりだ」 と答えたのだった。その話を聞き、長老は首をかしげた。 「おかしいな。私が托鉢に行ったときは、そんな話は全くなかったのだが・・・」 「長老様は、朝早くに托鉢に出られ、私たちが托鉢に出るころに帰ってこられました。ケイト星の話は、私たちが托鉢を終えてそろそろ精舎に戻ろうかな、と言うときに流れてきたのです」 「そういうことか。よくわかった。ともかく落ち着きなさい。これから世尊にお伝えして、どうすればいいのか尋ねよう」 長老がそういうと、若い修行僧たちは長老の後に続き、お釈迦様の元へ向かったのだった。 お釈迦様がいらした当時のインドでは、天文学が意外に発達していた。日蝕や月蝕が起きることも知っていたし、火星や金星、木星などの惑星の存在も知っていた。地球が丸い形(球体ではなくお盆のような形と理解していたようだが)であることも知っていたようだ。偏西風や大気圏のこともわかっていたようでもある。また、ハレー彗星が周期的に地球に近付くこともわかっていた。しかも、ハレー彗星が接近するときは、天変地異が起きやすいと言われていた。インドの言葉では、ハレー彗星のことをケイト星と呼んで、災いをもたらす魔神と怖れられていたのだった。 長老と若い僧たちがお釈迦様がいつも瞑想している場所に近付いたちょうどその時、プラセーナジット王が多くの家来を引き連れて駆け込んできたのだった。 「せ、世尊、たたたたた大変じゃ、大変じゃ」 プラセーナジット王は、駆けこむなり大声でそう叫んだ。 「国王よ、そんなに慌ててどうしたというのですか。まあ、落ち着いて・・・。さぁ、ここにお座りください」 「せ、世尊、そんなに暢気なことを! 大変なんですぞ。この世の終わりがやってくるかもしれないんです」 国王の慌てっぷりにも関わらず、お釈迦様はなにも動じなかった。 「まずは座ってください。大きく息を吸いましょう・・・。少しは落ち着きましたか?・・・はい、では話を伺いましょう」 お釈迦様の言葉に、国王はようやく座って、大きくため息をついた。 「ほんのつい先ほどのことだ。宮中の天文学者たちが、近々ケイト星が接近すると言い出してな」 国王が話し始めたころ、長老と一緒に来ていた若い修行僧たちも周りに座ったのだった。 「天文学者が言うには、ケイト星が最接近した時、何かしらの天変地異が起きるかもしれないと・・・。最悪の場合、地震が起き、嵐が起こり、津波が起きて河が逆流し、大きな水害が起きるかもしれないというのだ。そうなれば、宮中の建物は壊れ、街は壊滅状態になることもあるというのだ。そうなれば・・・もはやこの世の終わりじゃ」 「私たちも聞きました。街では、その噂でもちきりです。慌てて家財道具をまとめている者もいるようです」 「遠くに逃げるのだ、と騒いでいる者たちもいました。街は騒然としています」 「ケイト星が空から落ちてきてぶつかるのだそうです」 「我々も早く精舎を出たほうがいいのではないでしょうか? このままだと、我々も流されてしまうかもしれません」 国王や若い修行僧は、勢い込んでそう話したのだった。しかし、お釈迦様は目を閉じ、何も答えなかった。 「せ、世尊、何か言ってくだされ。本当にこの世は終わりなのか? 逃げたほうがいいのか? どうなんだ、世尊!」 国王の叫びは、虚しく響いた。しばらくして、お釈迦様は目を開けると静かに言った。 「皆の者、落ち着くがいい。街がそのような状態ならば・・・国王よ、多くの人々をここ祇園精舎に集めるがよい。私から話をしよう」 「おぉ、世尊、ありがとうございます。早速、街に出て人々に触れを出そう」 すぐさま、国王が引き連れていた家来や兵士たちが祇園精舎をかけ出して行ったのだった。 間もなく祇園精舎には入りきれない人々が集まっていた。多くの人々が不安な顔をしてケイト星の噂話をしていた。 「人々よ、まずは落ち着きなさい。大きく息を吸って心鎮めよ。落ち着くまで数を数えるのもよい。・・・・どうだ、落ち着いたであろうか」 あたりは次第に鎮まっていった。もはや誰も話をしなくなり、シーンとしていた。 「ようやく落ち着いたか」 お釈迦様の声が隅々まで響き渡った。 「よいか、噂に惑わされ、慌てて行動してはいけない。慌てて行動してもロクなことはない。まずは落ち着き、何が起きたかをよく把握することだ。それから考え、対処していくのが最善である。慌てて行動しても、痛い目にあうだけだ。よいな。では、今回のことを正しく聞いてみよう。まずは、宮中の天文学者に説明をしてもらおうではないか」 お釈迦様がそういうと、傍らに座っていた天文学者が立ち上がって話し始めた。 「す、すみません。私の言葉が足らなかったようで、こんな騒ぎになってしまいました。申し訳ないです。では、ケイト星についてお話しいたします。確かにケイト星は近付いています。しかし、この地に衝突するようなことはありません。なぜ、そのような話になったのか・・・。いつの間にか、話が膨らんでしまいました。私が報告したのは、近々ケイト星がこの地に接近する。ちょっとした地震はあるかも知れない。大風が吹くかもしれない、嵐があるかも知れない。しかし、それもいつもの雨期にあるような程度であろうと思われる。一応、雨が降り出したら洪水には注意したほうがいいでしょう、と言ったのです」 天文学者の話を聞いた国王は 「な、なに?、わしが聞いた話と全く違うじゃないか。いったいどうして・・・。誰が報告に来たのじゃ?」 と驚いてしまった。そして、国王のもとに報告に来た者を呼びつけ、問いただした。報告者は 「す、すみません。ケイト星が近付くと聞いて、私が慌ててしまいました。昔からケイト星は禍をもたらす星として知られていましたので、ついつい・・・。どうやら、地震とか嵐とか洪水とかの言葉に過剰に反応して、ちゃんと話を聞いていなかったようです」 と小さくなって頭を下げたのだった。 「ば、ばかもの! お前のせいで街は大騒ぎだぞ。お前は、罰として牢獄行きだ!」 「えー、そ、そんなぁー」 「当たり前だ、街を混乱に陥れた犯人なのだからな!。街に噂をばらまいたのもお前か?」 国王の言葉に数人の者が立ち上がった。いずれも宮中で働いている職人たちだった。 「す、すみません。わしらが・・・その・・・。そちらの報告者の方が大慌てて世界の終わりだ、この世の終わりだ、と叫びながら宮中の廊下を走っていたのを聞いてしまって・・・」 「それで世界が終わるって言いふらしたのか? 何ということだ」 国王は呆れかえってしまった。 「お前らも同罪だ。その報告者ともどもひっとらえて牢獄に押し込めておけ!」 国王は立ち上がって怒り心頭でそう叫ぶと、お釈迦様が大声で言ったのだった。 「ならば・・・、国王、あなたも捕らえられるべきでしょう」 と。国王は「なんで?」と言う顔をしてお釈迦様を見つめたのだった。 「ここには慌て者しかいないのか。落ち着いた行動ができる者はいないのか?・・・さすがに長老たちは、慌てなかったようだな。それでよいのだ。国王よ、あなたも慌てて大騒ぎしたのではありませんか? あなたの声は良く響く。あなたも宮中で大きな声で『この世の終わりが来るのか?』と叫んだのではないですか?」 「あ、あー、そういえば、叫んだ・・・気がする・・・。あぁ、叫んだ。地震が来るのか、嵐が来るのか、洪水だって? 街は壊滅する?・・・と叫んだかもしれない。いや、叫んだ。あぁ、わしの声を誰かが聞いていたのか・・・」 「国王よ、あなたは報告者の話を聞き、慌ててしまった。慌てて行動をしてしまった。だからロクなことにはならなかったのだ。あなたが報告を受けた時、慌てず落ち着いていたならばどうしたであろうか?」 「あぁ、きっと・・・、そうだな、まずは天文学者を呼んで、確認をした」 「そう、それが正解だ。もし、そうしていたならば、今回の騒ぎは起きなかったであろう。落ち着いて行動していれば、何が起きたかを把握できたし、どう対処すればよいかということも考えられたであろう。今回の騒ぎは、慌てて行動をしたがために起きたことだ。冷静であれば、何事も起きなかったのだ。国王よ、報告者の者よ、職人よ、そして若い修行僧よ、汝らは、噂話に振り回され、慌ててしまい、確認を怠った。落ち着いて冷静に話を聞いていれば、このようなことは起こらなかったのだ。人々よ、こうしたことはよくある話である。今後は、どんな場合でも慌てないで、落ち着くことだ。冷静になって、状況を把握してから、どう対処すべきかを考えることだ。そうすれば、慌てて家財道具をまとめ、逃げ出すような愚か者にはならないであろう」 お釈迦様がそう微笑みながら言うと、国王はバツが悪そうに頭をかきながら 「申し訳ない」 と皆の前で謝ったのだった。その姿に集まっていた大勢の人々は爆笑したのだった。 数日後、ケイト星は確かに接近はしたが、何事もなく過ぎていったのだった・・・。 混乱していますね。コロナウィルスです。大騒ぎですな。新種のコロナウィルスが発生したかも・・・と言うニュースが流れたとき、「どうせ中国の発表だから、隠しているんだろうな」と思って聞いていました。初めは大したことはないような感じで言っていたのですが、今ではこの騒ぎです。多くの人が、「やっぱりね」と思っているのではないでしょうか? まあ、中国ですからねぇ、本当のことを早くに発表はしないですよねぇ。 こういう時は、妙な噂が流れやすいんですよね。すでにネットでは、あれがいい、これがいい、こうするといい・・・なんて流れているそうですが、まあ、あてにはなりませんな。ネット情報は、いい加減なことが多いですからね。ちゃんとした情報かどうか、見極めが大事ですな。慌ててネット情報を信用しないほうが賢明だと思いますね。 まずは落ち着いて新型コロナウィルスについて知ることですよね。どんな症状なのか、どうすれば感染するのか・・・。そういえば、TVのニュースで「濃厚接触」とか言ってますが、どの程度の接触のことかわかりませんよね。そのあたりはハッキリ言ってほしいですな。曖昧なのは、誤解を生むもとですからね。 とはいえ、いずれにしても慌てないことですな。慌てて何の考えもなしに行動すれば、ロクな目にあいません。まずは、状況をよく知ることが大事ですね。それには正しい情報を手に入れることですな。信用できる機関の情報をまずは手に入れるべきでしょう。ネットの噂はアブナイですよねぇ。 何かトラブルが起きた時、慌てて行動してはいけませんよね。冷静になって状況を把握することから始めないとね。そして、対処方法を考えるのです。わかっていることなのですが、これが急なこととなると、なかなかできないことなのですよ。 急なトラブルが起きた時、まずは深呼吸しましょう。落ち着いて、よく話を聞きましょう。慌てて「え、そりゃあ大変だ」と駆けださないようにしましょうね。人の話は最後までキッチリ聞き終えましょうね。 合掌。 |
第220回 頑固に意地を張らず、好き嫌いを乗り超え、 頭を下げることができる者。 それができる者は讃えられ、できない者は孤独となる。 |
コーサラ国からずうっと北、かつてお釈迦様の母国だったカピラバストゥがあった地よりもさらに北の山奥に小さな村があった。小さな村と言っても住んでいる人々は多かった。そんな村に、近隣の村々からお釈迦様の弟子たちが集って、精舎を造っていた。修行僧の数は60人ほど。年配の者から若い者まで、年齢層は幅広かった。 この村に初めて精舎ができた時・・・それはお釈迦様がこの地を初めて訪れた時・・・お釈迦様は修行僧を6組の班に分けた。各班10人ほどの集まりだ。その6組の班に、それぞれ長老をお釈迦様は定めた。長老は、ある程度修行ができた者たちだった。この長老も、若い者から高齢者まで年齢は様々だった。お釈迦様はその小さな精舎の修行者をすべて集め 「汝らは、この長老のもとでそれぞれ班に分かれて修行するがよい。長老は、月に2度集まり、それぞれの修行の進み具合や戒律違反などないか確認し合うこと。なお、6人の長老の中で、必ず最長老をおくこと。その最長老は、私が来られるうちは私が決めよう」 と告げた。そして、6人の長老の中から一人最長老を任命した。その長老は、年齢的には上から2番目の者であった。名前をウッタラーと言った。 「ウッタラーよ、長老を代表し、よく精舎をまとめるのだ。頼んだよ」 「はい世尊、精進いたします。しかし、なぜ私なのでしょうか? 私の上にはガンジヤ様が・・・」 「あぁ、ガンジヤは高齢過ぎて荷が重いとのことであった。若い者を指導するだけで精いっぱいとのことだ。だから、遠慮せず汝が最長老となるのだ」 「はい、精進いたします。ところで、私はいつまで最長老を受けていればいいのでしょうか?」 「私が次にここを訪れる時までだ。おそらくは2年後か、3年後・・・。すまぬが、修行と思って励んでくれ」 「承知いたしました」 こうしてウッタラーは、最長老となり、毎月2度の長老会を仕切ったのだった。 それから2年がたった。世尊は、小さな村の小さな精舎を訪れた。そして、多くの教えを説いた。その精舎を旅立つ時、お釈迦様は 「ウッタラーよ、汝以外に最長老にふさわしい者はいない。また最長老を頼む」 と言い残していった。こうして、ウッタラーは再び最長老の任に命じられたのだった。 さらに2年がたった。またお釈迦様がその小さな精舎にやってきた。その時、ウッタラーは 「世尊、できましたら今回は最長老の任を下の者に譲りたいのですが。もう身体が言うことをききません」 とお釈迦様に申し出た。お釈迦様は、 「そうか、ではサンジャに任せよう。サンジャ、最長老を頼む」 とサンジャに最長老を命じたのだった。サンジャは、年齢で言えばウッタラーの下、上から三番目の長老だった。 サンジャは長老にはなっていたが、少々性格に問題があった。頑固なところがあるのだ。それでも最長老に任ぜられてからは、なるべく頑固にならないように努めた。しかし、月に2度の長老会の際には、他の長老とぶつかることがしばしばあった。それは、ウッタラーが最長老だった時にはなかったことだった。特に若い長老たちは、サンジャが意固地になったり、頑固に自分一人だけの意見を通そうとすることに反発をした。しかし、ガンジヤやウッタラーのとりなしで大きな争いにはならなかったのだ。ウッタラーは若い長老の一人シンラに言った。 「シンラよ、汝の気持ちはよくわかる。確かにサンジャは戒律の解釈が独特な場合がある。融通も利かない。だが、世尊がサンジャを最長老に任命した以上、それに従うことだ。今のところ、大きな問題にはなっていないのだし、我々もサンジャの独断を抑えるから、汝も辛抱せよ」 「はい・・・。しかし、なぜ世尊はサンジャを最長老にしたのでしょうか?」 「う〜ん、一つには、年齢の順、であろうな。もう一つは、サンジャの性格を見抜いていたのではないか」 「頑固なところを?・・・ですか?」 「そうじゃな。わしはそう思うぞ。だから、時折、頑固を慎むように注意しているのだがな。本人は気が付いているのか、いないのか・・・なかなかなおらないものだ。次に世尊が来られた時、どうするのかのう・・・」 ウッタラーはシンラにそういうと、目を閉じ黙ったのだった。 お釈迦様が小さな精舎にやってきたのは、サンジャが最長老になってから3年後のことだった。お釈迦様はサンジャを見ると 「ふむ、まだ最長老の任にあり、修行をすることだ」 と言い、再び最長老を命じたのだった。その際、シンラは何か言おうとしたが、ウッタラーが止めたのだった。お釈迦様は、ウッタラーを見て、小さくうなずいた。ウッタラーも小さくうなずき返したのだった。その事には、シンラ以外誰も気が付かなかった。 お釈迦様は 「私も高齢になった。この地まで歩んでくるのはなかなかに困難になった。今回が最後になるかも知れない。なので、最長老は3年後に、長老たちの間で話し合って決めるがよい。それまではサンジャ、汝が長老を率いるのだ。よいな」 と言い残して精舎を去って行ったのだった。 そして3年がたった。多少のもめ事はあったが、何とかサンジャは最長老の任を務め切った。そして新たな最長老を決めるため、長老たちを集めたのだった。初めにサンジャは 「私は、もう十分に最長老を務めた。次は若い者にやってもらいたい」 と告げた。その言葉に皆は驚いた。サンジャは続けるものだと思っていたからだ。サンジャの言葉を聞いて 「では私が引き受けてもいいでしょうか」 とシンラが言った。すぐにガンジヤとウッタラーは「いいのではないか」と言い、他の若い長老からも賛成の声が上がった。しかし、サンジャは 「シンラじゃなくて、同年齢のクンダラがよいと私は思う。クンダラよ、私は汝を任命する」 「な、なぜ・・・なんで私ではダメなのですか?」 シンラの問いは、無視され「私はクンダラを任命する」 という声に消されてしまった。しかし、指名されたクンダラは 「私はお断りいたします。私には荷が重い。私は身体が弱いです。長老の集まりも休みがちです。それに、私より修行が進んでいるシンラの方が相応しいでしょう」 と断ったのだった。クンダラは身体が弱く、よく熱を出して寝込むことが多かった。なので長老すら荷が重いと普段からこぼしていたのだ。できれば、長老も弟子に譲りたいと、ここ最近こぼしていたのだ。そのことをクンダラはサンジャにそう訴えた。しかし、サンジャは 「いやいや、こんなことは誰にでもできることだ。だから、クンダラ、汝がやれ」 と言ってきかなかった。クンダラは、激しくせき込んで 「こんな状態です。ゲホゲホ・・・せっかくシンラが引き受けて・・・ゲホゲホ・・・くれると言ったのに」 と言ったのだった。ガンジヤもウッタラーも「シンラの気持ちを無碍にしてはいかん」と言ったのだが、シンラはシンラで 「もういいです。私はサンジャ長老に嫌われているようですから。最長老は致しません」 と横を向いてしまった。 最長老を揉める話し合いは、もつれてしまった。ついに、誰も引き受け手がなく、サンジャが続ければいいのではないか、という意見も出たが、サンジャは頑なにそれを拒否した。ではどうするのか・・・。ウッタラーは 「シンラがふさわしいのではないか。彼はしっかりしている。よく気が付くし、面倒な仕事も厭わずこなしてくれる。わしは彼がいいと思う」 と言ったのだった。これにサンジャとシンラ以外の長老が賛成をしたのだったが、結局、その日は最長老を決めることができずに日が暮れてしまったのだった。 翌日も午後から長老が集められ、最長老を決める話し合いが持たれた。しかし、内容は昨日と同じであった。サンジャは頑なにクンダラを任命しようとしたし、クンダラは体調不良のため話し合いには参加していなかった。サンジャに、なぜシンラはダメなのか問うても、うやむやにして理由を言わない。シンラはシンラで、「こんな集まり意味がない」と言って途中で退席してしまった。それを切っ掛けに、もう一人の若手の長老も退席してしまったのだった。 ウッタラーとガンジヤは、サンジャに、どう始末をつけるのか、と問いただした。しかし、サンジャは語気荒く言い放った。 「高齢を理由に断ったガンジヤ様や最長老の任を終えられたウッタラー様に言われることは何もありません。次は、クンダラです」 「なぜシンラはダメなのか?」 ウッタラーの問いに、サンジャは「フン」と息を吐き、 「嫌いだからですよ」 とだけ言ったのだった。それを聞いたガンジヤとウッタラーは 「好き嫌いで決めてはならぬ。汝も長老の立場ならわかるであろう」 と諭したが。サンジャは聞き入れなかった。このままでは、誰も最長老を引き受けぬぞ、とも言ったのだが、サンジャは返事すらしなかったのだ。ガンジヤとウッタラーは、頭を振って 「なぜ、世尊は、こんな者を最長老に・・・」 と嘆いたのであった。 その翌日も話し合いの場は持たれた。しかし、サンジャの呼びかけに誰も集まらなかった。それどころか、托鉢から戻っているはずの修行僧の姿も見られなかった。 「い、一体どうなっている。誰もいないじゃないか。皆、どこへ行ったのだ」 サンジャは、当たりを見回したが、誰もいなかったのだ。サンジャは呆然と突っ立っていた。その時、遠くから声が聞こえた。 「愚か者よ・・・。なぜ私が汝を最長老にしたのか・・・。その意味が汝はわからなかったようだな」 「そ、その声は・・・世尊! これはいったい・・・」 「気付かぬか?・・・まだ気づかぬか?・・・ここにいた修行僧は、他の長老が率いて隣村に移った。なぜだかわからぬか?・・・返事はなしか。汝のその曲がった心が治るようにと最長老を任じたのだが、汝は気が付かなかったようだな。孤独になり、もう一度自分を見つめなおすがよい」 お釈迦様の声は、冷たく響いたのであった。サンジャは、泣き崩れ、地面をたたきながら叫んだ。 「あぁ、私の意地悪がいけなかったのだ・・・。好き嫌いで物事を判断してしまった。それが間違いだったのだ。私はいったいどうすれば・・・」 「素直に頭を下げることだ。それができないのならば・・・このまま居るがよい。頭を下げるか、孤独に生きるか、それは汝が決めることだ」 「せ、世尊、世尊!」 サンジャは、お釈迦様に呼びかけたが、お釈迦様の声は、もう聞こえなかった。 「私は、どうすれば・・・。いいや、そもそもなぜ私が頭を下げねばならぬのか。悪いのはあいつらではないか。私は何も間違っていない・・・。いやいや、私は、間違ったのだ。シンラが嫌いだからといって・・・。あぁ、大人げないことをしてしまった。しかし、頭を下げるなど・・・。あぁぁぁ、嫌だ〜」 サンジャは叫んで、そのまま気絶してしまったのだった。 サンジャの姿は、それ以来どこにもなかった。結局彼はシンラや他の長老、修行僧に頭を下げることなく、どこかへ消えてしまったのだ。 「頑固に意地を張らず、好き嫌いを乗り越え、素直に頭を下げておれば・・・サンジャも救われたものを。よいか修行僧よ、汝らはサンジャのようになってはならぬぞ。意地を張らず、好き嫌いを言わず、素直に頭を下げることができる者、そういう者は讃えられる。それができない者はサンジャのように孤独となるのだ。世尊は、それを教えたかったのであろう。汝ら、決して忘れるでないぞ。さぁ、シンラ、改めて汝に最長老を願う。これからは、汝が修行者を率いるのだ。頼んだぞ」 ウッタラーの言葉にシンラは、引き締まった表情で「はい」と返事をしたのだった。 人には好き嫌いがあります。嫌いな人なんていない、ってことはないでしょう。私だって嫌いな人はいます。みんな仲良く、なんて絶対に無理ですよね。それは理想ではありますが、幻想だと思いますな。ただ、嫌いだということをあからさまに外に出すか、ひっそりと隠しているか、その差は人によって異なるでしょう。あからさまに「あんたなんて嫌い」と言える人は少ないんじゃないでしょうか。 はっきり「嫌いです」と言えれば気持ちはいいですが、敵を作りますよね。また、言ってしまってから後悔する場合もあります。あんなこと言うんじゃなかった、って。しかも、関係のない人からも「あの人って、怖〜い」と言われますな。ですので黙っているほうが無難ではあります。好き嫌いはどうしてもありますから、嫌いな人と付き合うのは、難しい問題ですな。 しかし、世の中、好き嫌いで判断することって結構あるのではないかと思います。特に人事とか。上役が「あいつは気に入らん、出世させるな」なんてことは、ありそうですよね。まあ、ドラマの世界ではよくある話ですな。しかし、ドラマだけではなく、現実にもあることでしょう。だからこそ、ドラマにもなるのでしょうから。好き嫌いで判断するような上司に当たってしまうと悲劇ですな。 ですが、好き嫌いで判断すような人は、はっきり言って醜いですな。とても尊敬できるとは言えません。そんな上司がいたら、部下たちは本人がいないところで「あの上司、最低だな。絶対尊敬できない」と言っていることでしょう。で、その上司の上役は、きっとそんなイヤな部分を見抜いているのでしょうな。 会社を退職して、「また来てください」、「また一緒に飲みに行きましょう」といわれても、本当に歓迎される人は案外少ないのではないでしょうか? 本当に部下から尊敬され、慕われていた人は、きっと公平で部下を守ってくれるような人なのでしょう。間違っても、好き嫌いで人を判断するような人ではないと思います。さらには、素直に頭を下げることができる人だと思います。 公平で、好き嫌いで判断せず、素直に頭を下げることができる・・・そうした周囲から讃えられるような人になれたらいいでしょうな。決して、誰からも嫌われてしまうような人にはならないほうがいいですね。 合掌。 |