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8月も終わり。明日の始業式を控え、夏休みの宿題の仕上げに急がしかった少年時代が目に浮かんでくる。さて、8月30日の第45回衆議院選挙は民主の圧勝で終わった。8月後半はその関係もありやたらと不規則な生活が続いた。その最中、友人からリストラにあった旨の連絡。もう何回も苦難を乗り越えて来た筈なのに、持ち応えられなくなった様で気が滅入る。こうした境遇の人が実は私の友人に何人もいて驚く。ここ数年続いた政策や風潮がいかばかりだったか。そしてそれが招いた現実。その総括がこの選挙結果にはっきりと出たのだろうか。変化を求めるのは悪い事ではないが、余りにも急激だったり、庶民には「可笑しい」と思う事が多すぎた。政権与党がどこであっても、国民生活とりわけ弱者の生活を守れない国家はダメ。本当に困っている人に手が届かなければ、再び同じ事を繰り返すに違いない。庶民をバカにするなと言う声が聞こえるようだ。などと堅い文言を並べてみたが、我々には選挙権という最大の武器がある事を自覚していたい。ところで単身赴任先の福井では何故か自民が全県で小選挙区を制覇・・・文化や県民性の違いを感じてしまう。 写真は週末に届いたサムウエイの135KHzバンド送信機TX2200A。 |
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昨晩は電池管12AD6でAMラジオ用周波数変換を実験中にヒーター断が発覚。実験中止を余儀なくされ、長野ハムセンターへ緊急発注。就寝前の1時間程の話だが、これで暫く実験はお預け。気分一新で、明朝晴れたら夜叉ヶ池経由で三周ヶ岳を往復しようと決心し床に就く。そして今朝、まずまずの天気で夜が開け、6時には福井ICを通過。今庄ICで下り、R365沿いのコンビニで食料を買い込み広野ダム経由で登山口に着くと6時45分。買ったばかりの登山靴に履き替え夜叉ヶ池を目指す。8時40分夜叉ヶ池に到着したが霧で非常に視界が悪い。躊躇したが、岐阜県側は良好なのでそのまま三周ヶ岳を目指すと天候回復。身の丈以上の熊笹が繁り足元も良く見えない。幾つかのピークを超え10時三周ヶ岳(1229m)山頂に到着。3角点は雑木が取り囲み眺望はイマイチ。早めの昼食を済ませ10時15分下山。途中10名程とすれ違う。夜叉ヶ池に戻ると11時15分。レンジャーのY氏と暫く歓談し下山。登山口へは12時45分頃帰還。今回は多くの小動物が迎えてくれた・・・カエル・ミヤマクワガタ・ヘビ・キツネ。写真は三周ヶ岳山頂、オンマウスは夜叉ヶ滝付近の道端で見つけた大形のミヤマクワガタ。久々の登山に運動不足を痛感した一日だった。 |
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CQ誌9月号が届いた。表紙を何やら怪しい無線機が飾っている。良く見るとTHAMWAY(サムウエイ)のロゴ。もしやと同社サイトを訪ねるとあった。137KHz専用送信機TX2200Aだった。THAMWAYさんへメールを送ると直ぐ返事が届いた。DDSとFPGAを駆使しパワーMOS-FETをD級で駆動している模様。早々に資料が届いた。137KHz帯の正体がイマイチ不明だが、気の多いアマチュアには見逃せない。ハムフェアでは記念局8J1AとFEDXP・NDXAのブースに置くそうで電波も出すようだ。ジェネカバ受信機とアパマンアンテナで(福井でも)聞こえるのだろうか?。 |
10MHz帯で深夜から朝にかけEuが聞こえる。電源を入れっ放しだったIC-756のモールス音で目が覚めた。強いので国内局と思っていたらドイツのDL3JJだ。起き上がり呼ぶと直ぐ応答。6時半だった。まだ8月中旬なのに明らかにコンディションは秋だ。週末の10MHzDXingは、Euを中心に23局に上りオフシーズンとは思えない成果だった。さて昔から壊れた物を放置したり簡単にゴミにするのが苦手な性格。動かなくなりメーカーが保守不可とするシェーバー4403(BRAUN)が手元にあった。外見も綺麗だし歯も変えたばかりだし、何とか復活できないものかと分解し原因を突き止めた。電池がNGだった。使い古しのNiMH電池にリード線をハンダ付けして交換。何とも言えない満足感に一寸だが得意になったりするから面白い。この積み重ねが物を大切にしたり理解する心につながっている様な気がしてならない。さて次はと机の横に目をやるとキャノンのプリンタBJ-F900。実家のメインプリンタだった。最近インクを買ったばかりなのに通信不良に陥る。何てこったぁ、これもメーカーから修理対象外の連絡。こんな状態だから幾ら時間があっても足らない・・・休日なのに休ませてくれない。写真はリストから外れたBRAUN4403の内部と10MHzバンドのログ。 |
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今朝は5時前に目が覚めた。あと1時間でも眠れば良いものを、時間が惜しいのか起きてしまうから始末が悪い。慢性的な睡眠不足を何とかしようと考えているのに困ったもんだ・・・。 今日は終戦記念日。何故か今朝は自作ICラジオがそれを伝えている。自分は戦後生まれだが伯父が戦争で亡くなっている。息子の戦死で男手を失った家族、すなわち母(後の祖母)そして妹(後の母)の苦悩はいかばかりだったかと、当時を偲ばずにはいられない。生前の祖母が仏壇や大黒様の前で長い祈りを捧げている姿が目に浮かぶ。ロウソクの火が静かに揺れ、背中を曲げ手を合わす祖 |
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母の姿だ。子供にはその姿だけが目に焼き付いていたが、結婚し子が産まれこの年になるとようやく祖母の気持ちが分かるようになった。毎年8月になると、思い起こしたように原爆や戦争の話しをマスメディアが取り上げる。国家や組織のために個人が犠牲になるのが当然だった時代。高齢になられた皆さんも64年の沈黙を破り真実を語り出している。・・・ゆっくりと昔を振り返りながらも、不景気とは言え今の平和と繁栄に感謝している。 写真は朝5時過ぎ、アパートから臨む夜明け前の東方の様子。天気晴れ。写真では分らないが天空に星。中央遠方は白山の稜線。 |
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先月末、愛媛西条市の無線仲間K氏から実家に干しエビが届いた。過去2回この干しエビを頂戴しているが、殆どは実家の親父や親戚にお裾分けするなどして終わっていた。それで帰省した折、半分実家に残し半分を単身赴任先に持ち帰った。殻を剥いて食べると美味いとK氏から助言を頂いていたが、そのままボリボリ噛み砕くとこれがまた結構な味。もちろん殻をとったり、トゲのある頭をとって食べても、味が微妙に変化して美味い。冷えたビールには格好のツマミになるが、そのままオヤツ代わりにボリボリやるとこれがまた止められない止まらない状態となる。昨日同僚のY氏と一杯やっていると、その干しエビの話になりお裾分けする事になった。しかしこのエビ、駿河湾辺りでは見かけないエビなので名前を訪ねると芝エビ?。写真は届いた干しエビ。K氏によると、干しエビにするエビの種類は幾つかあるようで、場合によっては車エビも登場するらしい。干しエビと言ったらサクラエビ位しか知らない自分には瀬戸内方面の食文化の多彩さを感じてしまう。オンマウスは40年振りに物置から出してきた真空管式カーラジオ。12Vで働く電池管12AD6とそのシリーズを初めて知った記念すべきラジオ。1球2ICラジオの製作コーナーで紹介している。 |
11日5時7分静岡で震度6弱の地震。当地は5強だった。重要な所用を控え子供達も昨晩から帰省、家族全員がこの瞬間を体験。久々に体感する大きな揺れだった。一番揺れた静岡中西部でも瓦の崩壊があっても家屋倒壊は無く、ケガ人が出た程度で幸いだった(後日死者1名発覚)。東名高速菊川-牧之原の上り線が崩落し袋井-静岡が通行止め(下りは静岡-菊川)。下道は大渋滞になった。実家では墓石が動き骨壷が覗け、玄関化粧タイルにヒビ、瓶類に木彫りの置物が倒れ、床の間の石球が転げ落ち、居間の電灯が消えた。私見だが、昭和40年4月20日に当地を襲った震度4の地震の方が遥かに被害が多かった。清水市立庵原中学校では1m四方の窓ガラス約40枚が割れ、長さ80m程の木造校舎の屋根瓦が滅茶苦茶になった。私は小5だったが、着任早々の恩師H先生は揺れと同時に「机の下に入れ!」と指示したことを昨日の事の様に思い出す。6年生は翌日、中学校の後片付けに借り出された事も鮮明だ。この地震は無名のためか人々の記憶から遠ざかってしまった。しかし地元静岡新聞は流石、すかさず当時の状況を紐解いている。所用は名古屋からの客人の到着時間が大渋滞で読めず、延期と言う苦渋の結末となった。 |
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今月はまともな帰省できないかも知れないと本日帰省。6時に福井を発ち10時過ぎ実家に戻る。道中、雨が降ったり止んだりで、また突如として大雨になるなど不安定な天気だった。今回の目的は愛車フォレスタを車検に出すこと。昼食後カミサンの車と縦走し親戚の整備工場に持ち込む。この間購入したばかりと思っていたがもう5年になる。年をとる訳だ。帰りは久し振りに日本平に上った。日本平ホテルのロビーで喫茶と買物後、庭園の端まで歩くと突然雨、大慌てで車に戻った。写真は庭園越しのホテル。反対側に清水港があり、天気が良ければその先に富士山が見える絶景だ。ところでオンマウスは実家のジャンク箱から40年振りに取り出した中古真空管。実は12V管の12AD6を長野ハムセンターのサイトで偶然見つけハッとしていた。これで周波数変換しLMF501Tと組合せるせると面白いラジオが出来る・・・。12AD6が確か有った筈と探すとお見事、40年前の記憶は正しかった。それで思うままに回路図を描いてみた。LMF501Tは455KHzのIFラジオにする。問題は12AD6を制御するAGC負電圧の生成方法。12AD6はプレート電圧12Vで使える真空管で機能は6BE6相当。昭和30年頃のカーラジオには必須の、知る人ぞ知る真空管だ。 |