JH2CLV's Topics & Memorandam
July 2009

Jul 26. 2009  全国的な雨
所用で昨日から今朝にかけて越前町の朝日地区を訪ねた。福井県地方もご多分にもれず天候が不安定だった。九州・中国地方では水の被害が相次ぎ大変な状況と御察し申し上げる。さて越前町は昨日14時頃、大雨と突風が襲来し嵐の様相となり先が危ぶまれた。しかし、期せずして回復し、曇りながらも今朝までまずまずの天候が続いた。未明からの所用を無事済ませて宿舎に戻り朝食をとっていると、にわかに青空が顔を出し日が差す程になった。これ幸いと高校野球福井県大会準決勝が行われる県営野球場へ向かう。清水町経由で車を走らせるが青々と稲の繁った田んぼが何とも印象的だ。県営野球場もまずまずの天気で予定通り10時から準決勝第1試合が始った。ゲームは投手戦で1点を争う好ゲームとなった。と、ところが11時40分過ぎ、福井全県に大雨洪水警報が出て大騒ぎ。球場では5回頃から降り出した雨が徐々に強くなり、昼前の6回表、とうとう中断し再開する事なくノーゲームになった。警報は14時頃には解除になったが、雨は終日続き野球が出来る状況ではなかった。写真はその前日25日11時頃に訪ねた、ネット裏から見る雨の県営野球球場。連日の雨で「うんざり状態」が全国各地で続いているに違いない。

Jul 23. 2009  IE(InternetExplore)の動作が急変
7月15日の朝、PCに電源を入れIEを起動。デフォルトである拙作HPのMainMenuが表示された。メニューアイコンをクリックしBBSを覗く。そしてTopicsなど自前のページ、さらにそこからLINKページを開く。と、ところがおかしい。登録済みの「お気に入り」につながらない。前の晩は良かったのに。調べると予備PCもダメで以下の状況だった。
@Home登録ページは正常起動、自前サイトとそこからのLINKはOK
A@の状態から「お気に入り」や「アドレス記入」を実行した場合、@のウィンドウを残しながら新たに真白なウィンドウが開く
B2つのウィンドウを行ったり来たりする妙な動作が始まる
Cタスクマネージャには@Aが「実行中」「待機中」とランダム表示
D同一LAN上のPC2台が同じタイミング(朝の電源投入)でNG
それでWinXPの修復を試みたり、BBSで頂いた助言に挑戦したが変化無し。もしやWinXPの自動更新でIEとの不整合が発生しているのではとIE6をIE8に更新。すると見事に解決。重くなる事を恐れIE6に拘っていたが、これってバグなのか?。図はその様子を再現させた画面。それからIE8はソースの表示のデフォルト設定がビューア、メモ帳等のエディタに変更しないとHTMLの編集が出来ない事も判明。

Jul 18-20. 2009  帰省…ミカンの摘果と善福寺そば処・・・R365を走る
17日の夜は職場の同僚たちと居酒屋で大いに盛り上がった。18日、まだボケッとしている朝帰路に就く、7時だ。今日から夏休みのことろも多く、週末も手伝ってか北陸道は何時もより車が多い。名神・東名も混んではいるがまぁ順調だ。三好〜岡崎間が渋滞とあり、これ幸いと三好ICで降り豊田の3男を拾う。普通なら豊田ICから高速に戻るのだが、その渋滞案内が気になり、下道で岡崎ICを目指した。この選択が正しかったかどうか分からないが、岡崎ICへは1時間を要す。その後清水ICまでの間で5カ所で追突事故があり、小刻みな渋滞が終始続く。にわかハイウェイドライバーは下道同様の運転をするから危なくて仕方ない。19日、久し振りにミカンの摘果。既に2〜3cm程に成長した実の半分以上を落とす作業。傷ついた実、小さい実、大きい実、日当たりや成長を考慮し落としていく。勿体ない話だが、一定の大きさに揃った果実を得るための工夫だ。昼は昼食代わりに家族で蒲原御殿山裏の善福寺そば処を訪ねた。地元のオバサン達の打ったソバに桜エビの天ぷら…好物の組み合わせに納得の味わいだった。写真は善福寺そば処、集落を見下ろす位置にある。オンマウスは摘果作業の様子。20日朝、3男と豊田と福井への帰路に…。
帰路は渋滞を避け7時に清水を発つ。混んではいるが予想に反して渋滞は無く順調に豊田ICを降りた。3男に別れを告げた後、たまたま出会った大家さんに挨拶。10時、三好ICから高速に戻るが極めて順調。ラジオで道路情報を聞くと、上り線養老SAのGSが、昨日車が突っ込み給油不能と案内。それを右に見ながら直進。このままだと随分早く着くなぁと呟く。思い切って関ヶ原ICで降りる。そう、一度は走ってみたかったR365へ出た。関ヶ原〜米原〜木之本〜余呉〜今庄〜南越前とつなぎ越前市へ出る道だ。滋賀県内の道路案内には越前市ではなく合併前の武生市とあって面白い。愛知から赴任中の同僚は、ETC\1000前に良くこの道を走り経費を抑えたらしい。下道は高速道路では見えなかった地元の生活が見えて楽しい。途中R365から左に外れ余呉湖を訪ねた。今まではJR北陸線の車窓から覗くだけだったが水内際まで近寄る。初めて至近距離で対面する余呉湖。周辺の山々。どうして琵琶湖と離れてしまったのか・・・戦国武将や兵たちが行き交ったのだろうか・・・等と色々な思いが巡り楽しい。福井着は12時過ぎだったが時間を感じさせないドライブだった。写真はJR余呉駅から見た余呉湖方面。オンマウスは至近の余呉湖。

Jul 16. 2009  「ねんきん定期便」届く
帰宅するとねんきん定期便が届いていた。A4サイズが入る水色の封筒に「定期便」(1枚)、「年金加入履歴」(1枚)、「厚生年金保険の標準報酬月額と保険料納付額の月別状況」(3枚)、「年金加入記録回答票」(1枚)、「リーフレット」(8ページ冊子)と緑色の「返信用封筒」が入っていた。加入履歴などの記載内容に変更があれば回答票に記入し返信するように指示が書かれている。変更が無ければ返信の必要は無いとのことだ。さて、今回の送付された月別状況はスゴイ。今まで納付した36年間と2ヶ月分(433ヶ月)の金額が月毎に克明に記されてる。実はこれを一番待ち望んでいたのかも知れない。年金手帳は持っていても、銀行の通帳の様に預金残高など知る術も無く、ほとんど詐欺じゃん!などと思っていたからだ。しかし納付総額が記されていないのがチト気になるが・・・。こうした内容が年金手帳に記される仕組みにすれば納付者も安心できる。さらに銀行の様にオンラインでコンピュータ・アクセスできるようになって欲しいと思うのだが如何だろうか?。また61歳以降と65歳以降に受給できる金額が記されている。こんなモノかと思うと同時に、我々世代より先輩の年代の皆さんとは随分違うらしいと噂では聞くがどんなものだろうか。

Jul 12. 2009  ローカルラジオ局の影響調査・・・久々の10MHz_DXing
KWM-2の3.513MHzで受信していたのはIFへ素通りした3.042MHz、即ちJOFG(1521KHz)の第2高調波だった。実は各放送局の高調波だけでなく相互に変調し合うハーモニックスをIC-756やIC-706MKUで確認していた。中波から短波にかける帯域で本来は無い筈の放送が一杯だ。その原因が何か考えていたがようやく判明。受信機の問題かと思いつつも、強電界下のアンテナ系の金属接触部がDiode化し、信号を歪ませたのではと一方で考えた。しかし何て事は無かった。受信機の歪みそのものだった。装置の能力を正確に把握しておかないと今回の様に回り道をする事になる。この教訓は仕事にも通じるところがあり、注意しないと判断を誤る可能性もあると・・・自問自答そして自戒だ。写真はフィールド調査で訪ねた九頭竜川の土手とスタンダードAX-400Bにチェックシート。今回の詳細はTest&Dataにまとめた。今日はこの作業に平行してメインPCのメンテナンスを実施。最近マウスを動かしたりすると突如ハングアップする事が多くなった。平均すると1日1回は有りそうだ。まとまった作業時間は休日でないと確保できない。それで思い切ってWindowsXPの再インストールを試みた。さぁてその効果は如何に・・・のんびりしたい週末も実に忙しい。
そう言えば今朝6時過ぎ、既に日が昇っている時間に何気なく10MHzをワッチした。昨日屋上に上ったとき、10MHz用Zeppアンテナの端をのぼりポールで2m程度突き上げた事もあり、実は内心期待を持っていた。しかし既にグレイラインゾーンは過ぎ去っているし、この夏場だから聞こえるのはノイズだけだろうと思ったら何とEuがフェージングの中で聞こえる。6時7分、10.108MHzでブルガリアのLZ1ZJ/SlavがCW(電信)でCQを出してきた。ダメ元で呼ぶと?/9。しめた!。すかさずコールサイン「JH2CLV/9」を連打すると応答があった。信号リポートに名前と地域名、それにアンテナと送信電力等を交換して早々に交信を終えた。単純な事だけど朝から気分が良い。続いて6時14分、ハンガリーのHA5AQ/Tonyが出てきて、こちらとも交信に成功。さらにサルジニアのIS0???が出ていたが、既にフェードアウト時間で交信には至らなかった。交信相手の国や暮らし振り等を想像しながらモーニング・コーヒー。日曜日の朝飯前のなんとものどかな時間だ。単身赴任先から海外とDXingできるなんて、ひょっとしたら最高の贅沢なのかも知れない。アマチュア無線って色んな楽しみをもたらしてくれると認識を新たにしている。写真は課題が多いが愛機のIC-756。

Jul 7. 2009  今日は七夕・・・KWM-2、3.513MHzでJOFC(1521KHz)が聞こえる?
今日は七夕だぁ。単身赴任生活を七夕のロマン話にすり替えてみたらどうかと思ったりするが、既に5重の生活を抱える身としてはそんなにのんきな事は言って居れない。今日の福井県地方は快晴、温度計は朝8時には29℃を超えた。友人からQSYのKWM-2がPM-2電源を実装してテストベンチに居座っている。試しに電源を入れ3.5MHzバンドをワッチ。既に日が昇り電離層伝搬は殆どダメでノイズばかり。しかしおかしい。3.513MHzでAM放送が良く聞こえる。誰かがSSBで再送信しているのかと思ったが紛れも無いAMだ。慌ててIC-756で中波放送をワッチし同じプログラムの局を探すとあった。何と1521KHzのJOFCと同じじゃないか。それでKWM-2でその周波数関係が成立する根拠を探る。KWM-2の2ndIFは455KHz、VFOは2.5-2.7で1stIFは2.955-3.155MHz、LoXtalは6.555MHz。したがて3.513MHz受信時のVFOは2.587MHzで1stIFは3.042MHz。以上からJOFC/1521KHzがVFO2.587MHzの時に受信できる周波数関係は・・・。各IFとVFOやLoXtalとのイメージ周波数を洗い出し組み合わせる・・・朝から頭が痛い。しかし何て事はなかった。1521KHの2倍が1stIFの3.042MHzにドンピシャだった。しかし2nd高調波ってこんなに強かったかぁ?。

Jul 4-5. 2009  帰省・・・Ham仲間で清水の建徳寺を訪ねる
建徳寺の住職だったJA2INO水谷さんが逝去され半年。そして新盆。JH2AHZ池田氏の案内で、昔のHam仲間が寺を訪ねた。昨夜は21時頃帰宅したが、連日の睡眠不足も手伝いそのままベッドイン。夜明けを待ち5時45分に福井の自宅を発ち、凡そ4時間で清水の実家に戻った。高速道路はまずまずの流れだったが、ETC\1000(高速素人)で相変わらず追越車線は一杯、走行車線はガラガラが目立つ。こんな状態だと一寸と交通量が増すとあっという間に自然渋滞を招く。自分の事だけでなく全体の流れをイメージした運転が出来ないものかと呟く。さて本題。昼食を済ませ建徳寺へ向かう。境内に車を進めると、ひときわ目立っていた筈の2エレ八木ANTが無い。数日前に撤去されたらしい。14時、池田氏・JA1OWP浅海夫妻・exJA2IYJ山田夫妻が揃った。本堂に設けられた祭壇で焼香。その後別室でお茶を頂きながら、奥様とご子息である新住職を交え故人を偲んだ。1時間余、次から次に出てくる秘話に内心圧倒され続ける。浅海氏とは何度もQSO頂いているが、実は今回が初対面。いきなり話しに入っていける…Hamってやっぱり良いなぁ。写真は建徳寺境内で談笑する皆さん。オンマウスはETC効果でキープレフトが危うい休日の東名高速。
翌5日は6時起床。朝食前に実家裏に繁るダイダイの枝を打つ。枝と言っても直径8cmもある。宅配便のコンテナ車が向きを変えたりで進入し、枝を擦り樹皮がめくれている状態だった。実が生る時期には重みで幹が傾き余計その傾向が強かった。迷惑になるからと思い切ってノコギリを入れた。切り口が割れないように、最初下側に程よき切り込みを入れる。枝の重みで切り口が締りノコギリが動かなくなる前に止め、続に上から切り込む。重みで切り口が開き出すので遅れないように一気に引くとキレイに落ちる。落とした後は枝を払い短く刻んで完了。太い部分は薪に、葉や細枝は山林に捨て自然に返す。何とものどかな感じだが、やり出すと結構な時間になった。朝からカミサンがトウモロコシと枝豆を茹でてくれ、摘み取ったばかりのトマトとともに持たせてくれた。帰路に立ち寄った豊田の3男の処にも届ける。単身住まいには貴重な食材だ。渋滞を恐れ9時過ぎに清水を発ったがドライブは快適。美合PAと上郷SAで大幅な時間調整を行い約束の13時に合流。6年前に一度訪ねたうな武のうな丼で昼食をとり帰路に就いた。ご馳走になっおいて悪いけど好みの味じゃないとは3男。うーん確かにと親父。写真は軽トラ一杯のダイダイの枝とHana。

Jul 3. 2009  今年早くも半年経過
今年も半分が過ぎてしまった。1日は名古屋で会議があり1泊。25年も付合いのあるスナックが7月で店を閉めると聞き立ち寄った。田舎に引き上げるらしい。オーナーのF氏と年を取ったなぁと昔を懐かしむ。帰福し夜が明けたらもう3日。何もしていないのに時間ばかり過ぎて行く様な気がしてならない。単身赴任も3年目に突入すると、仕事やプライベートに色々な思いが募る。遠く離れて暮らす家族の事も気になる。年相応の親父達の悩みかも知れないが、静岡・福井・名古屋・川崎・豊田の5重生活は中々熾烈だ。・・・閑話休題・・・。写真は先月やってきたFT-200S。専用電源FP-200S共々ぼちぼちとメンテナンス。中学2年の頃、清水市魚町にあった清水パーツセンターで初めて手にしたアマチュア無線機のカタログ。そこにシルバーフェイスのFT-200があった。高1中2ラジオしか知らない田舎者は「これがメーカー製トランシーバかぁ!」と羨望の目で見つめた。裏面には回路図が描かれ少年には最高の指南書になった。原理など分らないまま回路を覚え、何時しか全てが頭にインプットされた。その後自作のSSB機製作に明け暮れる時代に突入。開局する2年も前の話だ。その後FT-200Sが誕生、FT-200シリーズはブラックフェイスに統一。