JH2CLV's Topics & Memorandam / June 2008

Jun 28. 2008 愛猫Mieyo逝く
深夜になって携帯メールを覗いたら、28日18時15分に愛猫Mieyoが眠りに就いたとカミサンからのメール。電話で様子を知らせてもらう。家から突然居なくなり、御近所の車の下でうずくまっていたらしい。連絡を受たカミサンが引き取ってきたが元気がない。家族に弱った姿を見せたくないために家を離れたのかも知れない。先週帰省した時は確かに痩せた感じに見えた。食事も以前は刺身とかを好み(親父たちがその様にしてきた・・・)人間並みのグルメだったが、普通の食物を口にしていた。しかし食べ物は殆ど口に出来ず、水をなめる程度しか出来ないらしい。トイレや風呂に入り込んで小声で鳴くので見に行くとゲロゲロだったりして大変だったようだ。幼い頃、野良猫に終止符を打ち飼い猫にして可愛がってくれた親父に敬意を持っていたのか?。親父が家に居ないと分かると、帰宅時にすぐ見える位置で待っていたらしい。年明けまでは野良猫との喧嘩で生キズが絶えなかった。ハンティングは芸術的で、捕まえた鳥や小動物を家に持ち帰り、家族の前で自慢した事が懐かしい。いたずらネコでも様々に思いが巡り、最期はやっぱり寂しい。Mieyo 色々な思い出を有難う。写真は元気だった昨年夏のスナップ。1年足らずの事だが唖然とする。

Jun 27. 2008 久々に富山を訪ねる・・・20年振りの再会他
学会の北陸支部総会があり富山を訪ねる。福井へ来てから絶対にお逢いしなければと思っていた人が富山にいる。以前よりその旨をお伝えしていたが、今回ようやく実現に漕ぎつけた。富山大学の川田教授(極東地域研究センター長)がその人だ。教授は1988年1月、黒部川志合谷で行なわれた雪崩実験を雪氷学会やマスコミを巻込んで行なった人だ。実は私もその実験に参加していた。関電の人見寮で同じ釜の飯を食べ、毎日志合谷を往復した事が昨日の事の様に目に浮かぶ。その他に教授は、25次と37次の南極観測隊に参加し、37次は昭和基地の隊長も努められた。また大日岳で発生した遭難を機に行なわれた雪庇調査は、感覚的表現だった雪庇を定量的に解明し世界に紹介した。20年振りの再会はドキドキものだったが、研究室で昔と変わらない姿を拝見した瞬間、緊張は解れていった。来年は退官との事だが、時の経過を感じさせないバイタリティは健在だった。翌日は調査のために中国へ渡航する忙しさの中、貴重な時間を割いて頂いた。およそ1時間半、昔話から昨今の技術者魂の希薄さ、文系寄りで短気になった世間を嘆くお話に全くの同感だった。写真は市内電車の終点「大学前」。オンマウスは研究室の川田教授。
以前から気になっていたTMTサービスを尋ねる。富山駅のライトレール駅に着くと一風変わったヨーロッパ風路面電車。対面シート式の2両編成の電車だった。「富山駅北」と「岩瀬浜」間を結んでいる。一度乗ってみる価値がある!と意気込んで乗車。「越中中島」駅で下車後進行方向へ歩くとR8にぶつかる。R8沿いを東へ歩きNHK豊田ラジオ送信所を右に見て進み、豊田東交差点を渡り右へ曲ると左手にTMTサービス現れる。店に入り自己紹介をする・・・HPでリンクを張って頂いている望月/JH2CLVですと店長の中村氏に挨拶。店内にはレストア済みでピカピカの9R-59/FT-101/400等が所狭し並ぶ。40年前にタイムスリップした妙な感覚に襲われる。カウンターの上にはジャンクだったFT-75Bが2ヶ月かけ変身しピカピカ状態。こりゃぁ驚かない訳がない。作業中だった社長の南日氏も現れレストア談議が始る。アマチュア無線機の販売だけでは生き残れず、新たな業務展開としてレストアを始めたそうだ。商売とは言え、部品や材料など多種多量の在庫が必要で、並の努力では出来ない事がひしひしと伝わる。一つの伝統工芸文化である。全国のアマチュア無線家に伝えたい。写真はライトレール、オンマウスは南日さん(右)と中村さん。

Jun 22. 2008 懐かしいTRIOの緑箱とトヨムラの白箱・・・友人へ発送
写真を見てハッとする方は真空管時代のラジオ少年だろう。緑箱はTRIO(現Kenwood)のコイルとIFTで、ラジオ少年の殆どがお世話になった部品だ。その後電子メーカーに進み電子立国を支えた少年も少なくない。緑箱は昭和30〜40年代のラジオ少年の登竜門だったのだ。実は以前、清水宮下町のユニオン無線を尋ねた時、緑箱の話になった。真空管時代が去った後、店では売れ残った緑箱をウィンドウや棚から撤去し段ボール箱に仕舞い込んでいた。そして、オーナーの様な物好きな客に提供して来たらしい。実は愛媛の友人K氏にその話を伝えたところ早々に発注された。ところが店の小父さんや小母さんは、高齢も手伝いどうも動きが遅くらちが明かない。それで帰省をとらえお手伝いをしようと昨日店を尋ねた。久し振りにご夫婦のツーショットを拝見。世間話や同級生の話などで盛り上がる。そしてダンボール箱に保管してあったTRIOの緑箱(30点)と、更にトヨムラの白箱エアダックスコイル(9点)全てを引き取りたいとお話すると快く応じてくれた。この吉報をK氏に伝えると早々の返事。T-48/T-25、それにSAs/SB/SI/高1/AirDuxCoil・・・内容を確認して梱包、本日めでたく愛媛へ発送となった。とにかく今となっては涙モノの一品達だ。

Jun 21. 2008 1ヶ月振りの帰省・・・アジサイの大鐘家ほか
昨夜福井ICに入ると20時20分だった。天気予報が東海から西は大雨と伝えていた。関ヶ原までは普通の雨かと思わせたが、JOCKが中津川方面大雨で中央線停止と割込んだ。愛知に入ると雨足が強くなり豊田付近でピーク。まるでバケツをひっくり返した状況だ。静岡に入り落着いたかに見えたが牧之原からの下りも同様だった。スピードに乗れず帰宅は24時15分頃になった。21日は皆で休日を楽しむ。親父の同級H爺を誘って温泉へ。当初甲州佐野方面を考えたが、TVで紹介さた旧相良町の大鐘家のアジサイが気になり方針変更。旧吉田町の遊湯の里大鐘家を尋ねる。H爺を拾いR150を南下。後部席の爺さん達は本当に良く喋り静かになる事を知らない。それを聞き、前に座ったカミサンとクスクス。途中大雨に降られながらも遊湯の里に到着。じっくり温泉につかり昼食をとると突然カラオケが始まる。周りを見ると皆さん食事の他にカラオケ狙いの構え。ここのシステムが終わりになってようやく分かってきた。その後大鐘家へ向かう。当主との雑談で、ここは庄屋の庄屋、長屋門の茅葺の葺き替えに1千万かかったと・・・重要文化財も楽じゃないなぁと納得。写真は大鐘家の雨のアジサイ越しの長屋門。今日は親孝行の一日だったか?。

Jun 15. 2008 久々に行なう裁縫
昨14日は朝8時43分頃、岩手・宮城内陸地震が発生し東北方面では大変な事になっている。被災された方や関係の皆様にお見舞いを申し上げたい。また今日になっても行方不明の方が何人かいらっしゃり、ご家族の心中は察するに余りある状況だろう。
さて既に衣替えの時を過ぎたが、ようやく冬物の上着をしまおうと整理を始めた。その中に以前から気になっていたボタンの外れた紺ブレがあった。手元にあるポケッタブルな裁縫道具でボタンを付け直す事になった。ボタンを付けるのは何年振りだろうか。実は家庭科は得意な科目で女の子達より腕が良かった。ボタン付け位の作業はなんでもなかったのだ。御袋達も家の仕事で忙しかったから、この程度の裁縫は自分でやったものだ。実は先日も洗濯したシャツの襟を伸ばそう思いっきり引っ張ったら、ボタンダウンのボタンが生地ごと解れた。そこで程よい色の糸を選んでシャツを縫い合わせた。カミサンが見たら笑うだろうが両方とも中々の出来だ。こうして自分で手を煩わしたものは不思議と愛着がわき大切にするようになる。写真は紺ブレと取れたボタンに針と糸。オンマウスはポケッタブル裁縫道具セット。50を過ぎると針の穴に糸を通すのも辛いが単身赴任の宿命か・・・。

Jun 12. 2008 友人から思いがけない贈り物
横浜在住のJG2EGS岩崎氏から思い掛けないプレゼントが届いた。8日発送済みのメールを頂戴していたのだが、玄関扉ポケットで不在配達通知を発見したのが昨夜。郵便局を尋ねようと思っていたところ、朝御丁寧に電話があり職場へ配達してもらった。
届いたのは「第三の手」。私のワークスベンチの混雑振りを察して頂いたのか・・・。氏はこれを職業がらか「イルカの手」と呼んでいるが、FCZ研究所の「ネコの手」をヒントにしたとの事。ステンレス台は削り出しで直径45mm重さ690gあり、狭い場所にも置く事が出来る。上部に大型の紙バサミがネジ留めしてあり、部品等の固定が容易に出来る。紙バサミバネなので操作はワンタッチ、万力の様にネジ機構に依存していない。要する簡単な作りで予想以上の環境が得られる仕掛。散らかった机で作業したり多芯コネクタに順序良く半田付けをする場合には格好だろう。ステンレス台にはコールサインがJH2CLV/9と入り感激だ。写真は試しにD-Sub/50Pinコネクタを咬ませたところ。散らかった机の上でもポンと置いて作業が出来る。重量も高さも程々で使い易い。これでより綺麗で信頼性のある工作が実現するだろう。ところで眼はまだまだ元気だが何時まで大丈夫だろうか・・・。

Jun 7. 2008 HPアクセス120000回
日課になっているTopPageのアクセスカウンタ調査を行なうと120000回を超えていた。ふと今までの事が蘇ってきた。2001年9月、HTMLくらい書けないと格好悪いと思い、書きためていた自作無線機を中心とした資料で「HandmadeRadio」のページを始めてから今年で7年になる。それでカウンタの記録を紐解いてみた数字を紹介すると、今日を起点に、1年前:96789回、2年前:75689回、3年前:54342回、4年前:32469回、5年前:16634回、6年前:5427回となる。始めた年は認知度も低く年間10000回余りだったが、3年目から20000回台をコンスタントに示している。この1年間の毎日のアクセス回数の平均は約64回である。ただあくまでTopPageだけの話なので、HP全体のアクセス件数はもっと多いかもしれない。ちなみに約9ヶ月遅れて立ち上げたBBSは現在185600回をカウントしている。今後も皆様のお役に立てて、僅かながらのPRになればと思っている。宜しくご愛顧のほどをお願いしたい。 写真は本日10時頃のTopPage。イメージを変えようと何度も思ったが、結局はオーナーの原点であるこのゲルマニュームラジオに落ち着いてしまう。今後もモットーである「平凡道を非凡に歩む」に努めて行きたい。オンマウスはMenuPage。

Jun 1. 2008 取立山(1307m)に登る
もしかしたら登れるかもと、昨日大野へ出かけたついでに登山口を尋ねたが、雨よりガスで視界不十分だった。昨夜は期待を持って床に就く。4時半に目が覚めると段々と夜が明ける。窓を開けると完璧な晴天。1985年、南ア聖岳山中で2週間夜営した時を思い出した。当時、電気カメラの限界は4時半頃だった。それ以前に出没した動物は全て撮り逃がし悔しい!の一言・・・。気が付くと装備の準備を始めていた。6時に家を出て勝山街道を上りR157から「東山いこいの森キャンプ場」駐車場へ。着いたのは7時。左回りで大滝を先に見るコースをとる。取立山は薮山で山頂まで雑木林が続く。新緑の中、沢の音に鳥や小動物の鳴き声が響く。雨上がり後で緑と土がより強調されている。7時10分に登り出し写真を撮りながら1時間半で登頂。2週間前の荒島岳は登山の雰囲気だったが、ここはハイキングの感じだ。山頂で数人の登山客とお逢いした。その中の一人、米ノースダコタからやって来たDecockと仲良しになった。彼は能美市の根上中で英語の教師をしているらしい。写真交換を約束し握手を交し9時頃下山、9時45分頃駐車場に戻り岐路に就いた。写真は山頂でDecockとのツーショットと白山。思いがけない出会いに双方感激。