学会の北陸支部総会があり富山を訪ねる。福井へ来てから絶対にお逢いしなければと思っていた人が富山にいる。以前よりその旨をお伝えしていたが、今回ようやく実現に漕ぎつけた。富山大学の川田教授(極東地域研究センター長)がその人だ。教授は1988年1月、黒部川志合谷で行なわれた雪崩実験を雪氷学会やマスコミを巻込んで行なった人だ。実は私もその実験に参加していた。関電の人見寮で同じ釜の飯を食べ、毎日志合谷を往復した事が昨日の事の様に目に浮かぶ。その他に教授は、25次と37次の南極観測隊に参加し、37次は昭和基地の隊長も努められた。また大日岳で発生した遭難を機に行なわれた雪庇調査は、感覚的表現だった雪庇を定量的に解明し世界に紹介した。20年振りの再会はドキドキものだったが、研究室で昔と変わらない姿を拝見した瞬間、緊張は解れていった。来年は退官との事だが、時の経過を感じさせないバイタリティは健在だった。翌日は調査のために中国へ渡航する忙しさの中、貴重な時間を割いて頂いた。およそ1時間半、昔話から昨今の技術者魂の希薄さ、文系寄りで短気になった世間を嘆くお話に全くの同感だった。写真は市内電車の終点「大学前」。オンマウスは研究室の川田教授。 |
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以前から気になっていたTMTサービスを尋ねる。富山駅のライトレール駅に着くと一風変わったヨーロッパ風路面電車。対面シート式の2両編成の電車だった。「富山駅北」と「岩瀬浜」間を結んでいる。一度乗ってみる価値がある!と意気込んで乗車。「越中中島」駅で下車後進行方向へ歩くとR8にぶつかる。R8沿いを東へ歩きNHK豊田ラジオ送信所を右に見て進み、豊田東交差点を渡り右へ曲ると左手にTMTサービス現れる。店に入り自己紹介をする・・・HPでリンクを張って頂いている望月/JH2CLVですと店長の中村氏に挨拶。店内にはレストア済みでピカピカの9R-59/FT-101/400等が所狭し並ぶ。40年前にタイムスリップした妙な感覚に襲われる。カウンターの上にはジャンクだったFT-75Bが2ヶ月かけ変身しピカピカ状態。こりゃぁ驚かない訳がない。作業中だった社長の南日氏も現れレストア談議が始る。アマチュア無線機の販売だけでは生き残れず、新たな業務展開としてレストアを始めたそうだ。商売とは言え、部品や材料など多種多量の在庫が必要で、並の努力では出来ない事がひしひしと伝わる。一つの伝統工芸文化である。全国のアマチュア無線家に伝えたい。写真はライトレール、オンマウスは南日さん(右)と中村さん。 |
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写真を見てハッとする方は真空管時代のラジオ少年だろう。緑箱はTRIO(現Kenwood)のコイルとIFTで、ラジオ少年の殆どがお世話になった部品だ。その後電子メーカーに進み電子立国を支えた少年も少なくない。緑箱は昭和30〜40年代のラジオ少年の登竜門だったのだ。実は以前、清水宮下町のユニオン無線を尋ねた時、緑箱の話になった。真空管時代が去った後、店では売れ残った緑箱をウィンドウや棚から撤去し段ボール箱に仕舞い込んでいた。そして、オーナーの様な物好きな客に提供して来たらしい。実は愛媛の友人K氏にその話を伝えたところ早々に発注された。ところが店の小父さんや小母さんは、高齢も手伝いどうも動きが遅くらちが明かない。それで帰省をとらえお手伝いをしようと昨日店を尋ねた。久し振りにご夫婦のツーショットを拝見。世間話や同級生の話などで盛り上がる。そしてダンボール箱に保管してあったTRIOの緑箱(30点)と、更にトヨムラの白箱エアダックスコイル(9点)全てを引き取りたいとお話すると快く応じてくれた。この吉報をK氏に伝えると早々の返事。T-48/T-25、それにSAs/SB/SI/高1/AirDuxCoil・・・内容を確認して梱包、本日めでたく愛媛へ発送となった。とにかく今となっては涙モノの一品達だ。 |
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昨夜福井ICに入ると20時20分だった。天気予報が東海から西は大雨と伝えていた。関ヶ原までは普通の雨かと思わせたが、JOCKが中津川方面大雨で中央線停止と割込んだ。愛知に入ると雨足が強くなり豊田付近でピーク。まるでバケツをひっくり返した状況だ。静岡に入り落着いたかに見えたが牧之原からの下りも同様だった。スピードに乗れず帰宅は24時15分頃になった。21日は皆で休日を楽しむ。親父の同級H爺を誘って温泉へ。当初甲州佐野方面を考えたが、TVで紹介さた旧相良町の大鐘家のアジサイが気になり方針変更。旧吉田町の遊湯の里と大鐘家を尋ねる。H爺を拾いR150を南下。後部席の爺さん達は本当に良く喋り静かになる事を知らない。それを聞き、前に座ったカミサンとクスクス。途中大雨に降られながらも遊湯の里に到着。じっくり温泉につかり昼食をとると突然カラオケが始まる。周りを見ると皆さん食事の他にカラオケ狙いの構え。ここのシステムが終わりになってようやく分かってきた。その後大鐘家へ向かう。当主との雑談で、ここは庄屋の庄屋、長屋門の茅葺の葺き替えに1千万かかったと・・・重要文化財も楽じゃないなぁと納得。写真は大鐘家の雨のアジサイ越しの長屋門。今日は親孝行の一日だったか?。 |
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もしかしたら登れるかもと、昨日大野へ出かけたついでに登山口を尋ねたが、雨よりガスで視界不十分だった。昨夜は期待を持って床に就く。4時半に目が覚めると段々と夜が明ける。窓を開けると完璧な晴天。1985年、南ア聖岳山中で2週間夜営した時を思い出した。当時、電気カメラの限界は4時半頃だった。それ以前に出没した動物は全て撮り逃がし悔しい!の一言・・・。気が付くと装備の準備を始めていた。6時に家を出て勝山街道を上りR157から「東山いこいの森キャンプ場」駐車場へ。着いたのは7時。左回りで大滝を先に見るコースをとる。取立山は薮山で山頂まで雑木林が続く。新緑の中、沢の音に鳥や小動物の鳴き声が響く。雨上がり後で緑と土がより強調されている。7時10分に登り出し写真を撮りながら1時間半で登頂。2週間前の荒島岳は登山の雰囲気だったが、ここはハイキングの感じだ。山頂で数人の登山客とお逢いした。その中の一人、米ノースダコタからやって来たDecockと仲良しになった。彼は能美市の根上中で英語の教師をしているらしい。写真交換を約束し握手を交し9時頃下山、9時45分頃駐車場に戻り岐路に就いた。写真は山頂でDecockとのツーショットと白山。思いがけない出会いに双方感激。 |