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先週土曜日朝、運送屋さんが訪れ引越しの下見が行われた。半ば二日酔い状態で荷物の説明や段取りの確認などをした。そして段ボール箱やガムテープなどの梱包材料を受け取った。異動内示の翌日の事だから、ここまでは実にスピーディだった。ところがその後中々荷物がまとまらない。作業をやり出すと色々と思いが馳せどうもいけない。写真は16日朝の様子。測定器やHPA群は既に持ち帰っているのだが片付いた様子が伺えない。困ったものだと苦笑する。週末になれば多少は火が着くのだろうかと思ったりしている。そのくせ今週の夜は連日アクティブだから困ったもの。さてこの日は友人の福井大の葛原教授の誘いで彼の研究室を訪ねた。生成したGaN(窒化ガリウム)のプレートに電極を作る防塵室の怪しいキカイ。そして評価室の目玉が飛び出るμ波帯測定器群。目の保養になるがはっきり言ってスゴイ。その後市内乾徳の「浜寿司」で歓談。あっという間に電気少年・工作少年・理科少年に変身しハングリーだった少年時代を語る。道端に捨てられたラジオからトランスを外し、エナメル線を巻き電磁石やブザーそしてモーターを作る・・・。最近学生は半田付けが出来ないとと嘆く教授。このままだと物作りの国は危ないと意気投合。 |
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年末からFL- 2100Z/Bの改修が続きGU-74Bの手持ちが底を突く勢いだった。札幌のFDT-LABORへ中古で良いからとお願いしたが球が先週末実家に届いた(オンマウス)。FDT-では新品でも中古でもEh/Ep/Esgを印加してIpが一定量流れる時のEcgを出荷時に診ている。これは中々できることではない。写真は届いた4本のGU-74Bの俯瞰。歴戦の勇士なのか新品中古なのか分からないが、製造ロットか工場の違いかプレート上部の作りに4本とも違いが見られ面白い。 さて左は友人のJA1IIV窪寺氏から送られてきたJA2AC村松OMの自叙伝「ハロー CQ」(2007年出版)と手紙。お二人は浜松のご出身で同窓の先輩後輩関係になるらしい。それで窪寺氏が村松氏へ依頼した内の一冊がこちらにQSYしてきた。実は村松氏とは2004年2月5日に名古屋の新年会でアイボールしている。その時メール交換をさせて頂いたこともあり、今回も出版祝いを兼ねた感想をメールさせて頂いた。内容はicomさんの 週刊BEACONに発表された記事をベースに加筆されたと言うことで、我々世代が知らない黎明期の無線情報や世情が散りばめられ思わず読み入ってしまう。新たな世界を知ることになり、自分のハムライフの一助になると思っている。 |
オーナーが異動するかも知れないと匂いを嗅ぎ付け、岐阜の先輩N氏が福井を訪ねて来られた。折りしも仕事でもお世話になっている福井山岳連盟のM氏が彼と親しい間柄と言う事もあり、始めて一同に介す事になった。
写真はJR福井駅前の弥吉でのスナップ。左からN氏、M氏、そしてオーナー。N氏は70になると言うのに、相変わらず250CCのバイクで高速道路を飛ばして来る。しかも帰路では武生の日野山に登る元気さで圧倒される。M氏はJA9C**のコールサインだったHam。お2人ともヒマラヤトレッキング仲間だ。 何を喋ったか良く覚えていないが・・・共振の概念を教える入口で、日本はLCだけで終わってしまうが、Euはしっかりと長さによる共振の存在もしっかり解く。この違いが高周波回路を実装する時に大きな違いとなって現れる・・・などと偉そうな事を言ったような記憶がある。電気・電子関係にお勤めのM氏は頷かれ、近年のエンジニアの持つ技術力の薄さを嘆いておられた。そしてオーナーが取り組んでいたFL-2100B/Zへロシア球を組み込むプロジェクトをご覧になられた様で、驚嘆のお言葉を拝聴した。物好きなだけですよと返したが、普通でははない様に映っているのだろうか。4時間半も盛り上がってしまった。 |
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本日所用で外出した帰路、懸案の高倉峠(標高956m)に上ってきた。実は5月7日最初に挑戦したが日没で時間切れ、そして5月9日再挑戦したが倒木と土砂崩れで何れも断念していた。いわばリベンジ戦だった。不通が分っていて上るのは余りにも行き当たりばったりなので、南越前町産業振興課に電話で確認したところ何と「本日から開通」だった。R365の燧(ひうち)交差点から日野川を渡りR476を暫く走る。R476から右に入って瀬戸地区を抜け芋ヶ平を通り林道をひたすら上ると高倉峠に達する。途中過去2回の挑戦で断念したポイントが窓外を流れて行く。倒木の枝で車のボディがゴリゴリと擦られる状況は完全に回避され快適な山岳ドライブが体験できる。常に左が山で右が谷。落ちたら数百mもまっさかさま。そんななところが幾つもある。しかし福井県側の眺望はVeryGood!。燧交差点から峠までの道のりは車のメーターで23Km、時間は35分程・・・ちと飛ばし過ぎか。 写真は18時頃、夕日を受ける高倉峠最後の上り、遠方は滋賀県境か・・・。フレーム外だが右手に太陽。オンマウスは高倉峠の石碑。岐阜県側はまだ通行止め(産業振興課弁)らしい。これで県境の道路は全て越えたと妙な達成感。忘れ物はないだろうか・・・。 |
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前夜のアルコール変調にも関わらず5時に起床。県境の峠越えにトライをしてきたが、あわら市と加賀市との間にある刈安山(547.5m)を失念していた。そんなに遠くないから何時でも行ける位に思っていたからだろう。それで出勤前にクリアする事にした。カーナビは高速加賀ICを下り石川県側からのルートを案内する。とんでもない長距離だ。一般道のみにして試すが相変わらず石川県側からのルート。止む無くR8を北上し途中K110を右へ入る。ナビ地図を拡大すると道は確認できるのだがナビがそれを拾ってこない。止む無く部分的にナビの力を借りながら進む。途中谷すじを2回程見誤りとんでもない方向に入り込んだがその都度引き返す。道端の案内標識も少なく判断に迷う。それでも6時半に福井を出て7時半には山頂まで辿り着く。山頂の展望台やキャンプ場で写真撮影などして凡そ20分滞在。7時55分には帰路に就き8時半過ぎには帰宅していた。実はキャンプ場にある「刈安ソバ」を期待していたのだが、この時間は空いていないか、雪が多かったので店開きはこれからか・・・。写真は刈安山森林自然公園 にある白山比盗_社の鳥居と社。オンマウスはキャンプ場。奥に見える建物で刈安ソバが振舞われるらしい。早朝ドライブも楽しい。 |
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早いものでもう6月。このじめじめした季節に体調を崩さないよう、Handmade Radio LifeとOut Door Lifeを楽しみたい。写真は5月30日、早くもJA9LSZのブログにアップされたFL-2100Z改修機。拙作改修サイトをご覧になられた多くの自作派が、廃棄寸前のFL-2100B/Zの改修に挑戦され、第一線へ復帰される事を期待したい。 ところで6月1日、ネット検索で中学時代の技術科の恩師A先生の名前を偶然発見した。中学卒業以来41年、全く音信不通状態だった。先生の授業が無かったら今の自分は無かっただろうと就職してから思うようになった。インターネットを触るようになってから20年、時折先生の名前でネット検索を試みていたがいつもダメモトに終わっていた。しかし今日は違った。これがきっかけで伝手が見つかり、2日までに先生との電話連絡とメール交換が実現した。何と言う感激だろう。送られてきたメールには「教員という仕事に就かせていただいた幸せをかみしめております・・・」と記されていた。初任だった先生は奇想天外な授業で生徒達の好奇心をあおり、そして物作りの楽しさや心得を教えてくれたのだ。今夜は興奮して眠れないかも知れない。オンマウスは1968年、先生の授業で製作したHandmadeDriver。 |