JH2CLV's Topics & Memorandam
June 2011

Jun 30. 2011  転勤そして転籍
実は早期退職して関連会社へ移る事になっていた。30日はその退職辞令の日だった。このところ転勤の準備をしているのか退職の準備をしているのか、引越し作業をしながら複雑な日々が続いていた。余りにも時間が少なく見切り発車の様な状況だ。
そしていよいよ本日、38年余り勤めた会社に別れを告げた。実にあっけない。特にここ数年は1年が1ヶ月位に感じることもあり、ここ数日は1日が瞬間にも感じる状況だった。そのままその速度が速まり、あっという間に人生が終わってしまうのかと思ったりするが、そのうち真剣に考え出すのかもしれない。何れにせよ未だ数年は現役で、新たな出会いに支えられ関係の仕事を続ける訳だし、ここは初心に帰り自分をリセットしようと思っている。
夜は紺屋町の居酒屋「さかなや」で送別会があり盛り上がった。偉そうな事を言える最後のチャンスなのに意外と静かだったなぁと振り返った。「老兵は、ただ去り行くのみ」・・・引き際のシーンをどうするか、ジョンフォード監督の西部劇映画の1シーンを何時も自分に当てはめていた。こんなもんかなぁと帰路で呟く。写真は連日猛暑日の続く静岡、市役所前のスナップ。この暑い日6月30日は一生忘れない。

Jun 26-28. 2011  研修などで上京
東京で会社の研修があり上京。研修日27日の朝は9時半なので前日の26日から宿舎入り。JR静岡駅までカミサンに送ってもらい新幹線で上京。車中親しい同期にメールを打つと早々に返事。世田谷の祖師谷大蔵で飲むことになった。数年振りの再開だが、我々は年を取るペースが遅い様で56にはとても見えない。高知と山梨の同期と22時頃まで仕事や家族の話で盛り上がる。 27日は研修を一通り終わりバスで渋谷へ出る。バス停で東京時代の後輩にばったり。9年ぶりだ。移動中世昔の話で盛り上がる。今も勤めているが結婚し1児の母親になったらしい。秋葉で一緒にJunk探しをしたことが懐かしい。さて次は某メーカーの御仁と9年振りの再会。20年以上のお付き合いだが、難しい話を色々聞いてくれた人だ。自作した無線カメラADP用の機構部品を融通して頂いた。普通そんな物買う人は居ないと彼。井の頭線脇の焼き鳥屋で盛り上がり、気がつくと22時過ぎ。終バスには乗れず、代わりに井の頭線と小田急をつないで帰路に就いた。今後もアイデアに満ち小回りが効く会社の存続を願っている。色んな人との出会いが人生を楽しくさせているとつくづく感じた。写真は26日JR静岡駅。オンマウスは27日渋谷ハチ公前の夕暮れ。

Jun 25. 2011  引越し荷物受領
夜中に帰宅し朝は6時過ぎには起床。着任手続きなどをしているうちに24日はあっという間に過ぎた。
25日朝9時、福井から発送した荷物が届いた。運送屋さんが来たので直ぐに荷降ろしを始まるのかと思ったら、コンテナの幅があるため先ず進入路の確認に来ていた。大事を取ってコンテナ車はバックで進入してきた。よせばいいのに87に生るオヤジは庭先にどっかりと座り荷降ろし作業をウォッチ。何か文句を言いたそうだったが、それより予想外の荷物の多さに困惑したようだ。
約1時間で作業は終了し運送屋さんは引き上げた。ところがオヤジの視線で緊張したのかキルティングや手袋などを忘れていかれ、電話連絡して引き返すハプニングのオマケ付き。縁側や床の間に所狭しと積まれた段ボール箱の山。これからぼちぼち片付ける予定だが連日の疲れはピーク。この日は開梱する気に至らずそのまま放置することになった。
写真は縁側に所狭しと置かれた荷物。カミサンに言わせると、持ってきて欲しくない荷物がいっぱい有るようだ・・・プロパンでは使えないガステーブル、CQ詩などの雑誌、趣味の道具・・・。

Jun 23. 2011  引越し荷物発送・・・福井最後の日
昨夜23時頃、冷蔵庫・洗濯機それにPCラックや炊飯器とトースターを新人君の手を借りリヤカーで運びだした。その姿を誰かが見ていたら、絶対に怪しいと思ったに違いない。愉快な思い出だ。
23日は9時に運送屋が到着、荷物の引き取りが始まった。彼らは手慣れたもので、どのように梱包しようか迷っていた物でもさっさと片付けてまう、手際が良く見事なものだ。凡そ2時間で片付くと部屋の中は写真の様にもぬけの殻になり静まり返った。作業中は自作単球2ICのスーパーラジオの音が流れ気分を和ませてくれた。この1年余り枕元に置いてR1の深夜便や朝一番を聴くのが習慣になっていた。最後このラジオを止めて部屋を出たのは不動産屋さんと引き継ぎが終わった15時過ぎだった。表札を外し「4年間お世話になりました」と呟きアパートを後にした。一抹の寂しさが込み上げてくるが4年間は実に楽しかった。その後職場近くの養浩館を訪ねた。何時でも行けると思っていたが、結局福井最後の日になってしまった。何とも恐縮な話だ。オンマウスはその様子。21時頃まで職場で残務処理を行い車で帰路に就いた。静岡への帰宅は25時だった。運転中も4年間の思い出が次々と頭に浮かび疲れを忘れさせてくれた。有難う福井!。

Jun 19. 2011  屋上アンテナ撤去・・・職場有志の送別ソフトボール
内示期間も半分を切りもうそろそろ真面目に荷作りをやらないと間に合わないと呟く。しかし連日の送別の儀でヘロヘロ状態の帰宅では荷作りどころではない。それでここ数日は朝5時前後の早起きで対応しているが、今度は逆に睡眠不足に陥り毎日気だるい。そんな中、天気の心配もあるので意を決して屋上のANT撤去を行った。オンマウスは取り外したアンテナグッズ。ラジオランドの黒のグラスファイバーポールが縮めた状態で写っているが、冬場の強風や雷によく耐えてくれたと思う。そして幾度か修理した黒箱、オートマチックアンテナチューナーSG-230も見える。これら雄グッズで1.9MHz〜430MHzまでの運用が可能だった。4年間よく頑張ってくれたと感謝だ。
実はこの日、職場のスポーツ好きが送別ソフトボールを催してくれた。福井警察署裏の和田公園に老若男女約30名が集った。この忙しい時にと思ったりもするが、その心意気に惚れ13時〜17時の間に2ゲームもやってしまった。ただでさえ気だるいのに明日からの荷造りが心配である。写真はバックネット前での集合スナップ。青のジャージー姿がオーナー。未だ若いと思っていたが、回りはもっと若かった。幹事のA君そして皆様本当にお疲れ様。

Jun 18. 2011  初孫の生誕100日祝いで名古屋往復・・・一喜一憂の一日
初孫の100日祝いで北名古屋市を訪ねた。4月以来となるがその成長振りに驚いた。ずっしり重くなり首も据わってきた。静岡からはカミサンと87になるオヤジが駆けつけたが、事故で大渋滞、4時間も掛かった。こちらは8時過ぎに福井を出て順調なドライブに見えたが、途中南条SAで車のドアポケットに入れた携帯р駐車場に落とすハプニング。発覚したのは本線へ戻ってから。気になって仕方がない。違法らしいが高速走行中、数分おきに別携帯рナ掛けるが呼び出し音のみ。未だ車にはひかれていないが急がねば・・・拾ってくれる人を待つだけだ。大事な連絡先が記録されており天に祈る気持ちだった。1時間近く経っただろうか、電話に女性の声。やったぁ!。南条SAのインフォメーションだった。反対側車線のSAへ回して貰い、インフォメーションが閉じる18時までに取りに行くと伝え電話を切った。一時はダメかと覚悟を決めていたが、どん底からの復活で一瞬にして気分快晴・・・人間て面白い。この日は先に北名古屋市在住のJA2BNV山形OM宅を訪れ久し振りにアイボール。ご自慢のGU-84Bや3-500Zの自作HPAがシャックを飾りアマチュアの匂いプンプンだった。私より10も先輩なのに驚く程の意気込みに圧倒された。頑張らなきゃ・・・。

Jun 16. 2011  片付かない荷物・・・友人とミニ送別会
先週土曜日朝、運送屋さんが訪れ引越しの下見が行われた。半ば二日酔い状態で荷物の説明や段取りの確認などをした。そして段ボール箱やガムテープなどの梱包材料を受け取った。異動内示の翌日の事だから、ここまでは実にスピーディだった。ところがその後中々荷物がまとまらない。作業をやり出すと色々と思いが馳せどうもいけない。写真は16日朝の様子。測定器やHPA群は既に持ち帰っているのだが片付いた様子が伺えない。困ったものだと苦笑する。週末になれば多少は火が着くのだろうかと思ったりしている。そのくせ今週の夜は連日アクティブだから困ったもの。さてこの日は友人の福井大の葛原教授の誘いで彼の研究室を訪ねた。生成したGaN(窒化ガリウム)のプレートに電極を作る防塵室の怪しいキカイ。そして評価室の目玉が飛び出るμ波帯測定器群。目の保養になるがはっきり言ってスゴイ。その後市内乾徳の「浜寿司」で歓談。あっという間に電気少年・工作少年・理科少年に変身しハングリーだった少年時代を語る。道端に捨てられたラジオからトランスを外し、エナメル線を巻き電磁石やブザーそしてモーターを作る・・・。最近学生は半田付けが出来ないとと嘆く教授。このままだと物作りの国は危ないと意気投合。

Jun 10-12. 2011  異動内示とミニ送別会・・・機材輸送の帰省
10日内示があり単身赴任が解消する事になった。4年間お世話になった後輩達がアパートに集まり、ミニ送別会を催してくれた。ワイン2本に焼酎1本と冷凍タコ焼しか無いよと幹事へ告げると、各種ドリンクと食料を調達して来てくれた。こちらは汚れた流しや部屋の掃除に急な汗をかく事に・・・。酔っ払って良く覚えていないが、23時に中締したが、有志は更に26時まで盛り上がる。後輩達へは感謝あるのみだ。
二日酔いの翌11日、朝から無線機やHPAを中心に車へ機材運搬。TL-922は特に重くこの体調にはキツイ。改修FL-2100Zも意外と重い。KWM-2Aは軽く良く出来たTRCVだが、その電源516F-2がこれまた重い。それにKW級電源トランス各種・・・etc。都合20数回4Fと車を往復しヘトヘトになる。高速の渋滞時間を考慮し17時半に福井を発つ。赤塚PAの吉牛で夕食を取り21時半自宅に辿り着く。12日は受け入れ環境をコンテナ倉庫に作り運び込む。それにしてもこんな物・・・とカミサン達は思っているに違いない。ようやく福井着任当時の状態に戻った。冷蔵庫や洗濯機にレンジ類は人手に渡るが、まだまだ荷物は多い。カミサンと外食後、14時半福井への帰路に就く。写真は実家のコンテナ倉庫の様子。オンマウスは職場の愉快な後輩達。

Jun 8. 2011  JA2AC村松OMの自叙伝「ハローCQ」…中古ロシア球GU-74B
年末からFL- 2100Z/Bの改修が続きGU-74Bの手持ちが底を突く勢いだった。札幌のFDT-LABORへ中古で良いからとお願いしたが球が先週末実家に届いた(オンマウス)。FDT-では新品でも中古でもEh/Ep/Esgを印加してIpが一定量流れる時のEcgを出荷時に診ている。これは中々できることではない。写真は届いた4本のGU-74Bの俯瞰。歴戦の勇士なのか新品中古なのか分からないが、製造ロットか工場の違いかプレート上部の作りに4本とも違いが見られ面白い。
さて左は友人のJA1IIV窪寺氏から送られてきたJA2AC村松OMの自叙伝「ハロー CQ」(2007年出版)と手紙。お二人は浜松のご出身で同窓の先輩後輩関係になるらしい。それで窪寺氏が村松氏へ依頼した内の一冊がこちらにQSYしてきた。実は村松氏とは2004年2月5日に名古屋の新年会でアイボールしている。その時メール交換をさせて頂いたこともあり、今回も出版祝いを兼ねた感想をメールさせて頂いた。内容はicomさんの 週刊BEACONに発表された記事をベースに加筆されたと言うことで、我々世代が知らない黎明期の無線情報や世情が散りばめられ思わず読み入ってしまう。新たな世界を知ることになり、自分のハムライフの一助になると思っている。

Jun 7. 2011  遠方からの尋ね人と山と無線仲間
オーナーが異動するかも知れないと匂いを嗅ぎ付け、岐阜の先輩N氏が福井を訪ねて来られた。折りしも仕事でもお世話になっている福井山岳連盟のM氏が彼と親しい間柄と言う事もあり、始めて一同に介す事になった。 写真はJR福井駅前の弥吉でのスナップ。左からN氏、M氏、そしてオーナー。N氏は70になると言うのに、相変わらず250CCのバイクで高速道路を飛ばして来る。しかも帰路では武生の日野山に登る元気さで圧倒される。M氏はJA9C**のコールサインだったHam。お2人ともヒマラヤトレッキング仲間だ。
何を喋ったか良く覚えていないが・・・共振の概念を教える入口で、日本はLCだけで終わってしまうが、Euはしっかりと長さによる共振の存在もしっかり解く。この違いが高周波回路を実装する時に大きな違いとなって現れる・・・などと偉そうな事を言ったような記憶がある。電気・電子関係にお勤めのM氏は頷かれ、近年のエンジニアの持つ技術力の薄さを嘆いておられた。そしてオーナーが取り組んでいたFL-2100B/Zへロシア球を組み込むプロジェクトをご覧になられた様で、驚嘆のお言葉を拝聴した。物好きなだけですよと返したが、普通でははない様に映っているのだろうか。4時間半も盛り上がってしまった。

Jun 6. 2011  夕暮れの高倉峠に立つ
本日所用で外出した帰路、懸案の高倉峠(標高956m)に上ってきた。実は5月7日最初に挑戦したが日没で時間切れ、そして5月9日再挑戦したが倒木と土砂崩れで何れも断念していた。いわばリベンジ戦だった。不通が分っていて上るのは余りにも行き当たりばったりなので、南越前町産業振興課に電話で確認したところ何と「本日から開通」だった。R365の燧(ひうち)交差点から日野川を渡りR476を暫く走る。R476から右に入って瀬戸地区を抜け芋ヶ平を通り林道をひたすら上ると高倉峠に達する。途中過去2回の挑戦で断念したポイントが窓外を流れて行く。倒木の枝で車のボディがゴリゴリと擦られる状況は完全に回避され快適な山岳ドライブが体験できる。常に左が山で右が谷。落ちたら数百mもまっさかさま。そんななところが幾つもある。しかし福井県側の眺望はVeryGood!。燧交差点から峠までの道のりは車のメーターで23Km、時間は35分程・・・ちと飛ばし過ぎか。
写真は18時頃、夕日を受ける高倉峠最後の上り、遠方は滋賀県境か・・・。フレーム外だが右手に太陽。オンマウスは高倉峠の石碑。岐阜県側はまだ通行止め(産業振興課弁)らしい。これで県境の道路は全て越えたと妙な達成感。忘れ物はないだろうか・・・。

Jun 4-5. 2011  所用で1泊の帰省
午後から出勤した4日は17時半頃帰宅。親戚に不幸があったり、諸々の作業が実家にあるため1泊で帰省。土曜日なので時間を気にせずETC\1000の恩恵に預かる。18時過ぎに福井を発ち実家には23時頃帰還。5日は6時半過ぎに起床して朝食を済ませる。8時から行われる地区一斉の土手の草刈に備え草刈機のチェック。3台ある内の1台はまるでダメ、1台はスロットルを開けると止る、最後の1台を取り出し歯を替える。土手は5m程の高さがあるため上下から手を伸ばして攻める。かなり力が必要で明日からの筋肉痛は想像に難くない。皆さんの共同作業で、各戸出来る範囲の強力をする事になっている伝統行事だ。その後ミカン畑の農薬散布。昼食を取ってから夏ミカン切り(サンフルーツ・川野甘夏・駿河甘夏)。またその合間に持ち帰った200Kg近いスペアナ他測定器群の倉庫収納とゴミ焼却。あっという間に時間が過ぎ、17時過ぎ頃早めの夕食を済ませ帰路に就く。この時間の高速は予想通り三ヶ日と岡崎で渋滞。それでも福井へは22時に辿り着く。写真は土手の草を刈った山切川。随分と綺麗になった。オンマウスは農薬散布のための怪しい姿。普段はこんな格好はしないのだがカミサンの指示で身に付けてみた。

Jun 4. 2011  思いつきの刈安山早朝ドライブ
前夜のアルコール変調にも関わらず5時に起床。県境の峠越えにトライをしてきたが、あわら市と加賀市との間にある刈安山(547.5m)を失念していた。そんなに遠くないから何時でも行ける位に思っていたからだろう。それで出勤前にクリアする事にした。カーナビは高速加賀ICを下り石川県側からのルートを案内する。とんでもない長距離だ。一般道のみにして試すが相変わらず石川県側からのルート。止む無くR8を北上し途中K110を右へ入る。ナビ地図を拡大すると道は確認できるのだがナビがそれを拾ってこない。止む無く部分的にナビの力を借りながら進む。途中谷すじを2回程見誤りとんでもない方向に入り込んだがその都度引き返す。道端の案内標識も少なく判断に迷う。それでも6時半に福井を出て7時半には山頂まで辿り着く。山頂の展望台やキャンプ場で写真撮影などして凡そ20分滞在。7時55分には帰路に就き8時半過ぎには帰宅していた。実はキャンプ場にある「刈安ソバ」を期待していたのだが、この時間は空いていないか、雪が多かったので店開きはこれからか・・・。写真は刈安山森林自然公園 にある白山比盗_社の鳥居と社。オンマウスはキャンプ場。奥に見える建物で刈安ソバが振舞われるらしい。早朝ドライブも楽しい。

Jun 2. 2011  今年も6月・・・41年振りに恩師と連絡実現
早いものでもう6月。このじめじめした季節に体調を崩さないよう、Handmade Radio LifeとOut Door Lifeを楽しみたい。写真は5月30日、早くもJA9LSZのブログにアップされたFL-2100Z改修機。拙作改修サイトをご覧になられた多くの自作派が、廃棄寸前のFL-2100B/Zの改修に挑戦され、第一線へ復帰される事を期待したい。
ところで6月1日、ネット検索で中学時代の技術科の恩師A先生の名前を偶然発見した。中学卒業以来41年、全く音信不通状態だった。先生の授業が無かったら今の自分は無かっただろうと就職してから思うようになった。インターネットを触るようになってから20年、時折先生の名前でネット検索を試みていたがいつもダメモトに終わっていた。しかし今日は違った。これがきっかけで伝手が見つかり、2日までに先生との電話連絡とメール交換が実現した。何と言う感激だろう。送られてきたメールには「教員という仕事に就かせていただいた幸せをかみしめております・・・」と記されていた。初任だった先生は奇想天外な授業で生徒達の好奇心をあおり、そして物作りの楽しさや心得を教えてくれたのだ。今夜は興奮して眠れないかも知れない。オンマウスは1968年、先生の授業で製作したHandmadeDriver。