Nov 30. 2007 無線の旧友と初アイボール           
清水の友人JA2INO水谷氏を訪れると何時もexJA2IYJ山田氏の話になる。今月17日2年振りにお邪魔したときもそうだった。1970年代、DXコンテストでの強力な電波、DBMを使った受信機製作・実験の投稿(HJ10/18)など懐かしい。確か21MHzのSSBでQSOした記憶があるが、アイボールは一度も無かった。無線運用と物作りのバランス感を彼に感じ、同郷だった私にはずっと羨望の的だった。山田氏は、前述の水谷氏他の連絡先を紛失され、コールサインでネット検索中に当HPに辿り着き、BBSへ書き込みをされて来られた。それがきっかけで、数回のメールやり取りの結果この日初アイボールとなった。実は、亡くなられた御両親の家が丸岡にあり、時々福井に行くと告げてこられていた。写真は福井市宝永の居酒屋「ひさだ」でのツーショット。店のお姉様に撮影をお願いしたら、傾いたアングルになってしまった。回転させ水平を取り戻すと笑顔も手伝いファンキィな感じに仕上がった。 30年前の実験データや資料ファイルを持ち込まれ当時を懐かしむ一方、メーカー製のキカイを並べる無線はやりたくない!、JARLも出版も米国を見習え!とアルコールの力もあり無線談義は盛り上がる一方だった。23時頃、ヨロヨロの状態で店を後にした。

Nov 28. 2007 もの凄い焼けの福井市           
16時45分頃所用があり外出すると福井市の西の空に真赤な雲が広がっていた。それはまるで大火事で、何か起こったのか?と思わせるほどの様相だった。
この様子を撮影しない訳にはいかないとばかり、携帯電話を取り出しカシャカシャと人目も気にせず撮りまくった。携帯電話なのでピントはおろかアイリスも最適にならず苦慮する。何しろアイリスは自動で全体に開き気味になり、空がサチッて綺麗な青色にならない。
それで、全面に空を入れ自動でアイリスを絞った状態から素早くパンダウン、地面が見えたところでシャッターを押す手法で撮影したのがこの写真。肉眼での詳細なディテールは携帯電話カメラでは表現できる筈もないが、何とか雰囲気だけは取り込めたと思う。この状況は発見からわずか数分で刻々と様子が変わり時間との勝負だった。
この騒ぎのために、目的地への到着時間が予定ギリギリになってしまった。その目的地は福井ワシントンホテルの17階だったが、そこからの夕日も絶景の筈だった。ところが辿り着いたときは既に日没後だった。写真は福井市宝永3丁目の桜通りから西方を臨んだもの。オンマウスは福井市大手3丁目の福井城外堀から西を臨んだもの。

Nov 25. 2007 アンテナの整備           
昨日は日中快晴だったが日が落ちてから雨が降った。それで今日の天気が心配だったが再び見事に快晴となった。 週末に天気が悪かったり、所用があったりで整備が遅れていた屋上のSuperRadアンテナの調整を行なった。このアンテナは未だに実験の域を出ないが、これまでの詳細をTest&DataコーナーにSuperRadアンテナの実験として記述している。本日の作業分もこれに追記した。 アンテナは当初屋上に設置した屋根馬のマストに取り付けてあったが、写真の様に屋上出入り口の軒先に金具を取り付けここに移動した。その際、近傍に金属のTVアンテナマストがあるにも関わらず余り影響を示さなかった事に疑問を持った。思い切ってラジアルを使わないで調整を試みると何と3.5MHzバンド中央で同調がとれるではないか!・・・。
空いた屋根馬のマストにはHFの傾斜型ダイポールアンテナのATUを移動した。今までは屋上角のコンクリート上に置いていたが、これにより随分とアンテナらしくなった。今日は奇しくもCQ-WW-DX(CW)コンテストの日で、太平洋を中心に10局程度のDX局と交信した。
オンマウスはSuperRadアンテナのあおりスナップ。中々難しいアンテナだがその原理は非常に興味深い。

Nov 24. 2007 カミサンがやってきたA           
朝7時過ぎに起床。8時頃、普段はやらない散歩で郷土歴史博物養浩館庭園の周りを歩く。散歩中三国・東尋坊方面へ行ってみようと言う事になった。喫茶店のモーニングは諦め、スーパーで朝食用にサンドイッチを買い帰宅。自前のブルックスコーヒーとサンドイッチで朝食を済ませ9時に三国方面へ出発。県道5号線を北上すると辺りは延々と水田風景。7月に乗った越前鉄道の車窓と同じだ。田舎清水ではこうした風景は無いから何度見ても新鮮。米生産の将来が頭の中に浮かんできたが難しい話は止める。渋滞も無く、辺の風景を楽しんでいるうちに東尋坊に到着。東尋坊は未だ9時半過ぎなのに結構な人出。通りで越前蟹が売られていたが、買うのは港が良いと言い聞かせパス。駐車場を借りたお店に申し訳ないので海鮮丼で早めの昼食をとったがこれが実に美味。その後雄島を回り三国港経由で福井に戻りカミサンは13時14分のしらさぎで静岡へ向った。三国港では冷やかしのつもりで立ち寄った田島魚問屋で立ち話をしているうちに、カミサンがオヤジにと蟹を買い込んだ。慌しい1泊だったが楽しい時間が過ごせた。写真は茹で上がり直後の越前蟹(せい甲)とオンマウスは東尋坊越しの雄島。誰かさんの上着が蟹と同じ色だ。

Nov 23. 2007 カミサンがやってきた@           
昨日の午後カミサンから来福すると携帯メール。この2・3日、しゃがんで前屈みになったり、首を左右に振ると気持ち悪くなると伝えた事が気になたらしい。初来福のためかこちらも何故か緊張気味。部屋の掃除やゴミ片付けに午前中精を出す。12時3分のしらさぎが5分程遅れで到着。昨夜から全く連絡が無いので心配になり駅で待っていた。駅ビルで昼食をとり自宅へ向う。まぁ何とか生活している状況を見て安心したのだろうか小言は言われなかった。それより布団と枕が1組と寝袋しかないので近くのホームセンターに赴く。この日の福井は非常に寒く寝袋じゃダメとなった。布団1組と板の間にカーペット、その他家庭用品を購入、急に生活が文化的になった感じだ。 写真は後輩から進められ立寄った永平寺町松岡のけんぞう蕎麦の五合蕎麦。閉店ギリギリに訪れると閉店の看板。そこを何とかとお願いしたら18時直前で未だOK。五合蕎麦にはおろし汁と辛味大根汁の2種類が出てきた。蕎麦は程よきコシがあり好みでカミサンと争うように食べた・・・美味しい。辛味大根汁は好みが有りそうで我々は未だ修行不足のようだ。オンマウスは年賀状の図案を作成(選択)中のカミサン。実家より持ち込んだハガキへの印刷は深夜にまで及んだ。

Nov 17-18. 2007 帰省・・・冬支度           
17日は中央線と新幹線で静岡に帰った。清水駅前のMACで夕食代りのハンバーガーとコーヒーで時間をつぶし、19時の庵原線吉原行き最終バスに乗った。最近はマイカー移動が多くダイヤは本当に少なくて驚く。18日はもう数ヶ月行っていない床屋に行く。清水区八坂北で同級生が経営するヘアーサロン西ヶ谷。相変わらず喋りまくっていたが、21歳の冬に行なったクラス会の録音を聞かせてくれた。同級生でフォークバンドをやっていた時代で、懐かしい声を聴きあの頃を思い出していた。その後無線仲間M氏が送って来られたメールが気になり、実家の柿を土産にお宅を訪ねた。奥さんとI氏には急な訪問にも関わらず親切に出迎えて頂いた。I氏は喉を煩い殆ど声を出せない状態だったが、お邪魔した1時間弱の間必死にホワイトボードに文字を書く筆談で対応してくれた。既に無線機やアンテナは1/3に縮小、丁度2年前にお邪魔したときの勢いは無かった。しかし体中に何故か優しさを感じた。「お大事に」と告げて家路に就いたが色々な思い出が頭の中に浮かんできた・・・。18日は8時半頃家を出て福井へ向った。写真は青空に生える実家の甘柿とアンテナタワー。オンマウスは大垣辺りで帰路の新幹線車窓に見えた虹。

Nov 15-16. 2007 ライフプランセミナーと前夜           
16日、ライフプランセミナーと称する定年後に備える勉強会が名古屋であった。夫婦で出席するためカミサンは静岡から私は福井から駆けつけた。当日は朝から始まるため前日名古屋入り。カミサンはこれ幸いと昼間お世話になった友人を回った。そして夜、親しいIファミリーと合流し新守山駅近くの料理屋に集った。当初は金山の予定だったが予約が取れず、Iファミリーの地元に変更。宿舎(会場)に着くとカミサンからその旨を伝える連絡が入る。中央線で千種から新守山へ移動。カミサンのアバウトな説明を頼りに夜道を急ぐが迷う事なく辿り着く。宴会は既に始まりカミサンの顔は早くも真赤。話題は紆余曲折してもやはり子供の話に戻る。其々に成長し頼もしくなる子供達に比べ、親は年をとるだけだなぁと顔を見合わせる。写真は新守山近くの家庭料理「釉」でのスナップ。22時半頃ヨロヨロ状態で店を後にした。16日は一日中缶詰状態だったが定年後の生活設計について勉強になり大満足。終了後カミサンは中央線で中津川の友人W宅へ、私は新幹線で静岡へ向かった。土産に買った福井の土産五月ヶ瀬を特急しらさぎ車内に忘れ中央線ホームから引き返すハプニング・・・久々にドタドタの全力疾走。これが酒の肴になってしまった。

Nov 11. 2007 冬支度?・・・日用品の購入とにわか時計屋           
このところ夜中になると足元が冷えて寒い。板の間に素足でいるからスリッパ位は欲しいと思っていた。雪国だからこれからの季節が心配だ。という事で近くのホームセンターYプラザで、スリッパをはじめトイレの洗剤や歯ブラシにプリンタのインクと紙等の日用品を買う。実は昔カミサンに贈ったJUNGHANSの腕時計が止まり先週持ち帰っていた。レジの順番待ちで時計の電池SR521SWが目に留り一緒に買う。実に良い所に置いてある。ネット検索したら\180のサイトオンホームを発見。送料や納期を考慮した上で諦めたが、ホームセンターは\598だったから一寸判断が早かったかと内心。普通は時計屋に頼むだろうから工賃込みで\1000は下らない。てことはまぁまぁかと自分をなだめていたら、何とハードオフに\180であり愕然。写真は時計の裏蓋を外して作業中の様子。裏蓋は本体との間にカッターナイフを押し込み浮き上がらせて外す。電池を交換すると秒針が気持ちよく動き出した。こんなオヤジばかりだと時計屋は商売にならないかも知れないが、昔は皆こんなだった。オンマウスは同軸4本とATU制御線の引き込み処理。隙間風がきつくなり経路の整理とスポンジ充填を行なった・・・これも冬支度か。しかしBSアンテナが未だだ。

Nov 10. 2007 先輩から届いた高電圧部品           
会社のOBで関連会社に勤められているS氏から思い掛けないプレゼント。先月下旬福井出張があり丁寧に箱詰して持って来られた。S氏とは現役中一緒に仕事をした事は無かったが、有名な方だったので一方的に存じ上げていた。関連会社へ移られてから初めてお逢いする事になったが、まさか拙作HPをご覧頂いているとは思いもよらなかった。いつ頃だったか忘れたが「HP見てるよ!」と声を掛けて頂いた事があったが、まさかこのようなプレゼントが届くとは・・・。
写真は届いた内容。高電圧回路好きの私に向けた部品群である。ドアノブ・セラミックコンやチタコンには驚かないが、右手に見えるこげ茶色の塊りとチタコンの上に乗っているガラス封入部品には絶句。
こんなモノを未だお持ちだったのかと驚きを隠せなかった。それらはMΩオーダーの高精度で高耐力の抵抗器。TDK製やRIKEN製で殆ど新品状態だった。高圧回路を設計する上で、インピーダンスの高い回路を放置するのは非常に危険で、こうした抵抗でロードを掛け電位の上昇を抑えたり、不要電荷を放電させたりするのだ。
・・・これって「真空管アンプを作れ!」とする合図なのだろうか?。やり掛けて半年以上も停滞している7F71Rアンプに目が行った・・・。

Nov 6. 2007 今年もミカンの季節           
3日、先日豊田を訪れたときにカミサンが3男やクラスの皆にとミカンを携えてきた。そうか、もう11月だもんなぁと季節の移り変わりを感じていた。そして5日、帰省から戻る日の朝、知人に贈るために40Kg程の早生ミカンをカミサンと一緒に切った。その際、職場や自宅用も切り、箱詰めした物をカミサンが送ってくれた。実は先月末に長崎産と称するミカンを近所のスーパーで買ってきて食べたがちょっと味が違う。確かに甘いのだが、甘いだけで酸味が無く物足らない。食べ慣れた田舎清水のミカンは、程よき甘さに酸味が絡み、奥深い濃厚な味がするのだ。確かに好みはあるのだが・・・。
6日、職場に15Kg入りが届き皆さんに振舞った。反響は予想以上に良く、独特の甘みと酸味の絡み合いを感じて貰えたようだ。実は殆どの人が何処かで買ってきたと思っていたようで、昨日実家の畑で収穫してきたと説明すると驚いていた。それでついでに、ミカンの話を幾つか・・・種からは育たない、接木が全て、放置するとダメになる、農薬散布や肥料・剪定に摘果、一年中手が掛かる・・・と説明すると皆さんとりあえず納得。そして、それだけ手を掛けても売値は生産者が決められないもどかしさ「解かる?」と付け加えた。

Nov 3-4. 2007 所用で帰省・・・夜叉神・広河原の紅葉           
3日、3男の学校で文化祭と面談があり赴く。福井からしらさぎと新幹線で名古屋、鶴舞線と豊田線で梅坪へ。最後はシャトルバス。静岡から車で来たカミサンと合流し面談待ちするが中々順番が来ない。結局2時間半待ち。進路について悩む姿は昔も今も変わらない。3男はいつもの調子で学科展示にスーツ姿で励んでいた。 4日、親父とカミサンに九頭竜湖の紅葉を見せたいと思ったが・・・近場山梨県の夜叉神-広河原を尋ねる事にした。7時半R52を北上し白根を西に入り芦安を上る。夜叉神の看板がR52に無く心配したが途中から目に入る。辺りは徐々に紅葉し夜叉神に到着する頃には完全に紅葉の世界。ここは1973年5月鳳凰三山縦走で訪れて以来34年振り。広河原へは公共交通機関のみ通行可能で10時半のバスに乗り往復する。トンネルを抜け早川水系に出ると夜叉神側とはまったく違う光景。深い谷、雪を被った北岳、紅葉の間に常緑樹が絡まった独特の風景が展開する。ややくすんだ色調と斑模様が大変面白い。広河原まで約40分の車窓は飽きる事無く流れる絶景。絶対にお奨めだ。帰路は身延山久遠時・奥之院にも立ち寄り有意義な一日だった。写真は紅葉の夜叉神峠入り口、オンマウスは広河原から見上げる北岳。

Nov 1. 2007 今年も11月・・・中日ドラゴンズ53年ぶりの日本一           
早くも11月になった。11月1日・・・実は26周年の結婚記念日。単身赴任で何も出来ないので、携帯メールでカミサンへメッセージを送った。未だ若かりし青年だった26年前の事を思い出したりしながら。
日本シリーズの第5戦がナゴヤドームで始まった。日ハムがダルビッシュ、中日は山井の先発。山井と聞いて昨年のシリーズを思い出し、こりゃ長く持たないなと考えたのは大間違いだった。20時頃帰宅してBS1を見ると何と山井は8回まで完全試合。なんてこったぁ、メチャ打たれた昨年とは別人だ。それで当然9回も続投と誰しもが思っていた矢先、落合監督が怪しい動き。岩瀬継投を告げたのだ。球場は半ばブーイング状態。ラジオ解説の大島氏も何で?。しかし監督期待の岩瀬は9回をピシャリと押さえた。継投ながら史上初の完全試合で日ハムを下し、ドラゴンズは53年ぶりの日本シリーズ優勝を果たした。オメデトウ!巨人ファンが何故か興奮している。21時記。