マドリッド再訪① @Sep/'04 Madrid, Spain [世界遺産 Monastery and Site of the Escurial, Madrid 文化遺産 1984年登録] Built at the end of the 16th century on a plan in the form of a grill,
the instrument of the martyrdom of St Lawrence, the Escurial Monastery
stands in an exceptionally beautiful site in Castile. Its austere architecture,
a break with previous styles, had a considerable influence on Spanish architecture
for more than half a century. It was the retreat of a mystic king and became,
in the last years of Philip II's reign, the centre of the greatest political
power of the time. (UNESCO World Heritage HPより)
2004年夏、日本では考えられないような大変贅沢な休暇を戴いた。 3週間の夏休みである。 実はこの休暇が戴けるとわかった時から、東西文化の要イスタンブールを訪れようと密かに心に決めていたのであった。 ところが訳あってトルコは訪れることができなくなってしまった。 今は夏。 思いっきり欧州の夏を楽しもうと言う訳で、以前春に訪れたことがあるスペインに照準を当てた。 スペインの夏は暑い。 だがこの暑さが情熱の国スペインにはぴったりではなかろうか。
空港からは以前は無かった地下鉄が便利。 1.15ユーロで市内へ行ける。 ついでに述べるとスペインの地下鉄は10枚券がお得だ。 先ず自動販売機で英語のメニューを押す。 次に10回の場所を押す。 すると料金が表示される。 1回なら1.15ユーロだが、10回券だと5.5ユーロと半額になるのである。 頻繁に利用するなら絶対これを買おう。 インターネットで取った安宿にチェック・イン。 豪華さは勿論無いが清潔でお湯の出も充分。 以外と街の中心に位置していたのは嬉しい驚きである。 案内には北駅の近く、或いはホテルと同名の地下鉄駅 Principe Pio駅の近くとあったが、むしろスペイン広場に近い。 歩いて1分程度でスペイン広場である。 また街の中心部にしては、道路の向かい側が王宮庭園(Jardines De Sabatini) の続きになっており、緑に囲まれ静かであるのも大変気に入った。
“ウノ ポキート セルベッサ ポルハボール”、一人だからカウンター席に座り、間違いだらけのスペイン語で麦酒(小)を頼んでみた。 陽気な店員は間違いなく麦酒を出してくれた。 昔と店内のセッテイングは少しも変わっていない。 店内に入ると右手に長いカウンター席。 カウンターの中、中央部には大きな珈琲メーカーが2基。 左側にはテーブル席が奥に長く1列に並ぶ。 店の前の通りにはテラス席が10数席。 店の名前は “Kenya” から “Europe” になっていたが。 店内の騒々しさも変わらない。 がちゃがちゃと勢い良く食器を片付ける音。 威勢の言い掛け声。 スペインに来たからにはハモン(生ハム)だ。 “ボカデイージョハモン”(ハムサンドイッチ)を戴く。 これが安くてとても旨い。 カプチーノと言ったら、“カフェ コン レッチェ” と言い直された。 ここはスペインだった。
プラド。 スペインの至宝が詰っている美術館である。 今回も足を伸ばさない訳には行かない。 街を歩くのが好きだ。 何処の街でも歩き回る。 歩くと、街が自分のものになったような気になるから不思議だ。
プラドは建物を見るだけでも見た気分になれる。 1819年に開館されたこの美術館は世界でも最も古い美術館の部類に入る。 入場料は3ユーロ。 以前と余り変わっていないのは有り難い。 スペインがEUに加盟してから、スペインの物価は外国人に取っては高くなってしまったが、プラドの入場料は割安の感がする。 今回の新しい仕掛けは著名画家のミニ本自動販売機だ。 英語版が少ない。 ゴヤ、チチアン、ベラスケスは買ったが、ルーベンの英語版が無い。
王宮は現在でも実際に使われているものとして珍しい。 最近でも重要な国際会議に使われることがある。 マンサナレス川の辺、東丘陵に広がる白亜の宮殿。 9世紀イスラム勢力ウマイヤ朝ムハンマドI世がコルドバに首都を置いた時、この宮殿の建設が始まった。 以来何度も修復、改築が重ねられ現在の姿になったらしい。 宮殿とマンサナレス川との間の広大な丘陵地は、川の側にありながら昔から水不足に悩まされていたが、
緑豊な王室庭園(Campo Del Moro)として管理されている。 1844年イザベル2世時代、ナルシソ・バスクアル・イ・コロメールに依り引水事業が完成し、庭園は現在のように緑豊なものになったと説明にある。
相変わらず、展示物は武器類が多い。 今も昔も武器なくして統治はできないものか。 現在享受している平和産業の多くは、妥協を許さない最高レベルの技術を要求する兵器産業から派出、発展したのも事実であるが。
Sep/'04 林蔵@Madrid Spain (Updated on 27/Jun/'08)#175 |
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