面積、31万2,865平方km。人口、3,807万4,000人、 GDP 6,660億ドル(1人当たり 17,481ドル)。
西でドイツ、南でチェコとスロヴァキア、東でウクライナ、ベラルーシ、リトアニアと接していて、北東ではロシアとも国境を接している。北はバルト海
(Morze Ba?tyckie) に面している。南部を除き国土のほとんどが北ヨーロッパ平野であり、全体が非常にゆるやかな丘陵地帯となっていて
独特の景観を有する。平均高度は173 mである。南部は山岳地帯で、タトラ山脈にはポーランドで最も高いリシ山(標高2,499m)がある。
南部の国境近くにはカルパート山脈をやスデート山地がある。 深い森が多く国立公園や県立公園として維持管理されている。
東北部からベラルーシにかけて広がる「ビャウォヴィエジャの森」は「ヨーロッパ最後の原生林」とされる、北部ヨーロッパには
珍しく全体に広葉樹が生い繁る巨大な森で、ヨーロッパバイソンやヘラジカをはじめとした多数の大型野生動物が生息する。
ポーランドにある9300もの湖のうち大きなもののほとんどは北部と中西部に集中している。
北東部、北西部、中東部、中西部、南西部には特に湖が集中する湖水地方があり、美しい景観を有する。また湿原が特に多く、
そのうち最大のものは「ヴィェブジャ大湿原」で、釧路湿原の10倍以上の面積がある。これらの湿原は国立公園や県立公園として維持管理されている。
多くの水鳥が生息する。西南部にはヨーロッパ最大の砂漠がある。
10世紀に国家として認知され、14世紀から17世紀にかけては大王国を形成した。その後衰退し、
18世紀には3度にわたり国土が隣国に分割されて消滅した。第一次世界大戦後の1918年に独立したが、第二次世界大戦では
ナチス・ドイツとソ連の侵略を受けて再び国土が分割された。戦後の1952年に人民共和国として国家主権を復活、1989年に民主化を果たして共和国となる。
冷戦時代はソ連の影響下に置かれ、共産主義政権が支配したため、政治的に東欧に含められてきたが、国内の民主化とソ連の崩壊を経て、
その地理的文化的位置づけから東欧とは異なる中欧または中欧のうち過去に東欧であった地域の中東欧として再び分類されるようになっている。
(ウイキペデイアより編集 4/Feb/'11)
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