sunao#8
巻頭言
早いもので、甲斐ゼミのゼミ誌も8号めを数えることとなりました。ハードコピー版のゼミ誌は八期生の若林さんの悪戦苦闘によりできあがりましたが、インターネット版は彼女から電子情報化された原稿を受け取って、私が自分で編集しました。編集していて、いろいろと思うところがあったので、序でに各稿に、私の<コメント> もつけておきました。原稿の並べてある順序は、本来なら何か決めておけばよいのでしょうが、単に期を分け、ゼミ長に敬意を表して最初にした以外は、たまたま若林さんから私のメイルに入ってきた順です。
御笑読ください。
甲斐素直
竹村智子
食べたい。とにかく食べたい。
このところとにかく食欲が出て困っている。何かのドラマの文句にあったが、自分の胃袋は宇宙かもしれないと思うほど食べられる。
原因はこの間ひいたひどい風邪である。熱が出て、のどが痛くて医者にかかって薬をもらった。それを飲んだらとりあえず一度はよくなったが、また熱が出た。しょうがないのでまた医者にいったら、今度はまた風邪をひきなおした。3日ほどうんうん唸って寝ていた。とにかく卒業試験前の大事な時期である。なおすしかないのでひたすら養生につとめた。
しかし、よく考えてみれば、まともに授業に出て講義を聴いていれば、今ごろ単位が問題になるわけはない。そんなことを考えるとなんだかむなしくなってくる。
私はそもそも基本的な体力が人より不足しているから、風邪をひいたら回復は遅い。
とにかく、食べて、寝て、食べて、寝て、をひたすら繰り返すしかない。
食べて、寝て、また食べて。
食べて、寝て、また食べて。
食事と睡眠は、人間が生きるのに必要なのはいうまでもないことなのだが、なんだかまた、むなしくなってくる。
このようなことを繰り返し、寝込んでから三日で熱は下がった。さらに起きて勉強ができる状態になるまで三日かかった。それが卒業試験の三日前だった。したがって、いまは卒業試験の真っ最中である。当然この原稿は締め切りなんか守っていない。取り残している単位がいくつかあるので、そちらのほうに全神経が集中している。病みあがりのせいかは分からないが、机に向かってただ座って勉強しているだけなのに無性におなかがすいてくる。決して飢えるような献立を立てているわけでもないのに、今日はもう朝から五食ほど食べている。近頃のパターンでいくとお休み前の夜食かおやつがあるので、このままいくと六食で新記録達成か。
どうやら普段あまり使っていない脳みそを動かすためには、膨大な量のエネルギーが必要らしい。それはともかくとして、食べてもあまり劇的には太らない体質なのでかなり助かる。そもそも私はかなりの大食いである。大宮校舎に通っていた時には、大体毎日、昼食は丼ものとそばがセットになったやつを食べていた。C 定食で360円である。
自宅通学の場合はそれでも何とかよかった。家に帰れば、何か食べるものがちゃんと用意されている。
しかし今はそうはいかない。一人住まいでまず問題といえば1日三度の食事である。学生が自炊する場合には外食に重点をおいた経済感覚でいくと、月の半分くらいで飢え死にしてしまう。そこで冬はだいたい鍋料理になる。鍋料理は低コストなわりに、入れるものによって高カロリーにも低カロリーにも調節できるので、自炊の強い味方である。白菜に肉が少々あればおいしいものができる。しかし毎日のように一人で鍋料理はかなりつらいものがある。
鍋料理は、一見して温かくてよさそうであるが、問題はそこではない。「一人で毎日」食べるというのがかなりしんどいのである。そもそも鍋というやつは大勢で囲むのでいいのである。誰かが用意してくれるからいいのである。食いっ散らかしてそのまま放っておけるところがいいのである。
材料の調達から最後に土鍋を洗って、ガスコンロで軽くあぶって乾かすまでを、すべて一人の人間がやるのははっきりいって楽しくない。
昨日は牡蠣鍋、今日は牡蠣雑炊。ひとつの料理を鍋ごと食いまわしているのが手にとるように分かる献立である。お鍋にはまだゆうに一回分は残っているから、今夜の夜食は牡蠣雑炊の卵とじあたりになるのだろう。
食べては寝て、食べてはまた眠る。
食べては寝て、食べてはまた眠る。
こうして今日もまた新たなる日々を送る。
<コメント> 実に身につまされる話である。学生時代、私は自宅通学とはいうものの、日曜日を除いては、毎日昼と夜は神保町で食べていた。2年生以降になると、模擬試験を受けに中大の新法会に行ったから、日曜日も同じような状況になった。そして、頭を使うと、なぜかスポーツをしたときとは比較にならないほどお腹が空く。衣服は親のすねをかじるとしても、食事代と本代は自前で、つまり奨学金でやりくりしていたから、どこで何を食べるのかは本当に深刻な問題だった。しかも体調を崩せばてきめんに勉強能率が下がる。結局、私の到達した結論は規則正しい生活、ということで、1日3食という基準は絶対と言っていいほど破らなかった。そのかわり?間食を食べたりしたので、あの受験時代が私は一番太っていたのである。
秋山 裕紀
最後のゼミ誌になるので、今回は真面目に固い話をすることにしました。21世紀は本格的な少子高齢化社会になります。このことで最近思っていることを書いてみることにしました。
そもそも、なぜ少子化になったのでしょうか?女性が一生に産む子供の数を示す合計特殊出生率は戦後まもなくは4〜5であったのに比べ、1999年では1.34にまで落ち込んでいます。これは、労働力確保のために多くの子供を産む必要がなくなったことや、男女の賃金格差が是正されるようになって共働き世帯が増え、子育てをすることが様々な面で負担になることなどが背景にあると思います。経済的な面でも妻が退職すれば家庭の所得は減少しますし、精神的な面でも学んできたことを活かして外で働きたいという希望をもつ女性も多いと思います。そういう女性にとってそう簡単に子供をもつことはできないと思うのです。
僕は、「女は結婚したら家庭に入り家事をこなし、子供を産んで子育てをして夫をサポートする」とう古風な「家族のあるべき姿」を強いるのは無理であると考えています。結婚後のライフスタイルの選択はその人の生き方に直結する問題であり、それを尊重するべきだと思うからです。例えば、結婚後姓を異にする夫婦がいてもいいと思うのです。国会で同一の姓でなければ家族の結束は保たれないと言う自民党の議員がいました。そういう「家族のあるべき姿」を強要するのではなく、夫婦同一の姓にするか、別姓にするかの選択権を与えなければいけないのだと思います。21世紀は多様な人生をお互いが尊重しあえる社会であって欲しいと思うし、その方向へ向かっていると思います。
出産後も女性が安心して働けるシステムを整備して将来への様々な不安感を取り除き、安心して出産できる社会を実現させることも無論必要です。しかし、少子化の背景には先に述べたような人生の多様化があると思うので今後もこの流れは続いていくと僕は考えています。それならば、少子化の解決政策もさることながら少子化を前提とした諸政策の立案も視野に入れていかなければならないと思います。当面は、「労働人口の減少」と「年金、医療などの社会保障問題」が大きなテーマになると思うので、この2つの問題について考えてみたいと思います。
少子化が進行すれば、社会の中核を担う労働人口が減少し今日の日本を維持していくのが難しくなります。この問題について、甲斐先生はご自身のホームページ上で外国から優れた労働者を誘致して補うべきだと論じられていますが、僕も先生のご見解に賛同しています。僕はさらに女性の労働力を活用できないかと考えています。戦後、女性は家庭に入るのが一般的でした。21世紀の女性は結婚して社会の一線から退くのではなく、男性と同様に生涯社会の中心にあって働いていけばいいと思うのです。
そうすると、今まで主に女性が担ってきた家事や育児といった役割はどうするのか?という反論が出てきそうです。それは、まず第一義には男性が意識を改革しその役割を応分に女性と分け合えなければならないと思います。次に、託児所や保育園施設を充実させ社会でバックアップしていく策もあるでしょう。さらに、その役割を今後増えていく老人世代に一部担ってもらう案もあると思います。つまり、自分の父母と連携して我が子の育児にあたるのです。「退職してようやくゆっくりできるのに冗談じゃない」と考える老人の方もいらっしゃるかもしれませんが、社会全体が変化し困難に直面しているのですから日本国民として問題解決のために一部役割を担って頂かなければならないと思います。
次に、年金や医療などの社会保障がパンクしてしまうという問題も起こります。
これは非常に深刻な問題だと思います。21世紀には、今後も従来のような社会保障政策を維持するヨーロッパのような社会民主主義的な政策をとるのか、それとも個人が自立して自分の生涯に責任を持っていくというアメリカのような自由主義的な政策をとるのかという選択に直面するのではないでしょうか?僕としては、将来的には自己で資金を管理して自分の人生を自分で責任をもっていくアメリカのような社会を一部導入し、従来の社会保障を改良したものと併用するのはどうかと考えています。しかし、今まで給与から源泉徴収され一貫して高齢者を支えてきた人達はどうなるんだという問題も承知しているので、政策のシフトのスピードやタイミング、それに程度が問題になると思います。また、社会保障は相互扶助のシステムであることに鑑み、子供のない世帯にさらに課税したらどうかと思います。子供を産まないのが悪いのではありません。先ほども述べたように多様な人生を許容すべきです。しかし、相互扶助のシステムの中で将来高齢者を支える子供を輩出しないにも関らず、自分は支えてもらう立場になるわけです。これは大金をかけて育児をしてきた人達と比べて不公平だと思うのです。さらに、平均余命が長くなっているのだから定年年齢を65歳位までに引き上げていくことも必要でしょう。今の雇用状況では難しいですが近い将来労働力不足に直面すれば、自然と引き上げの方向へ向かうでしょう。
いずれにしても、少子高齢化は私達の世代にとって深刻な問題だと思いますし、実際近い将来の私達の生活に大きく関ってくると思います。自分が理想とする社会や生活を実現させるためには選挙に行って政策本位で投票し、政党に圧力をかけていく賢い国民にならないといけないと思います。それなくして政治が悪いと言っても、それは無責任というものでしょう。いい政党がないと言う人もいます。確かにそうかもしれませんが、しかし出馬している候補者の範囲内でベストの人を選んで投票しなければ民主主義が成り立たないと思います。21世紀は選挙を通じて国民が理想とする社会が実現できる世界であって欲しいし、そうすれば永田町と国民の乖離も起きないはずです。
最後に余談ですが、僕は4月から旅行会社で働きます。どの旅行会社もこれから益々拡大する高齢者マーケットに注目しています。僕が内定している会社も例外ではなく、高齢者をActive Silverと意識し時間とお金に余裕のある高齢者マーケットに果敢に攻めこんでいくと思っています。これまで日本をずっと支えてきた団塊の世代の方々があと数年で定年を迎えます。僕としては、世代内での競争が激しく色々と苦労してきたであろう団塊の世代の方々に、定年後の幸せつくりのお手伝いができるような旅行の提案をしていきたいと思っています。それを通じて高齢化社会を明るいものにしていく1つの力になれば、少しは社会に貢献できる社会人になれるのではと考えています。
<コメント> 秋山君が論及してくれている私の論文というのは、研究室ホームページの論文の所にアップロードしてある「定住外国人の参政権」である。この論文、普段の味も素っ気もない理論追求の論文と違って問題提起という面が強いためか、反響が強く、意外な人からメイルが舞い込んだりしている。
ところで、少子化の最大の原因は、幼児死亡率の低下だと私は考えている。昔は幼児が簡単に死んだので、成人になる子供がほしければ、できるだけたくさん子供を作る必要があったのだ。例えば、徳川第12代将軍家慶は、男の子だけで20人を超すという大変な子沢山だったのだが、13代将軍家治を除いてすべて幼児のうちに死んでいるのである。将軍家にしてこの調子であれば、一般庶民が子作りに励むのも無理はない、といえるだろう。逆に、何かの間違いで皆成人してしまうと11代将軍家斉のように、子供の養子先を見つけるのに苦労することになる。今現在の開発途上国でも、幼児死亡率と少子化の傾向は若干の時間的ずれはあるものの、きれいな反比例の関係を示している。したがって、わが国では社会資本の整備などの手段によって、減少傾向を逆転させることはできないと思う。スウェーデンで、この定説に挑んで成功したかに見えた一時期があったが、現在は再び少子化傾向が進行しているという。
磯田 健一郎
自分の趣味は、とても一般的ですけれども、スポーツが大好きです。生まれてこのかた主に野球とテニスをやってきました。野球は、小学4年から、高校まで。テニスは大学で懸命にやってきました。どちらについて、書こうかと考えた時、やはり野球の9年間の方で、学んだ事の方が多いのではないかと思いますので、野球について、少し考えたいと思います。 まず、この野球を始めたきっかけというものを考えると、やはり小さい頃から、運動が大好きで、学校から帰ると夜遅くまで、サッカーや野球を、友達とやっていました。こんな姿も、最近は遊ぶところも土地の開発などで、目にする事もかなり少なくなり、やはり悲しいところですが・・・・!!それも時代の流れなのでしょうか?その友達は、地元の少年野球のチームに入っていました。というわけで、はじめは誰とも同じような理由で始めたのでありました。 そして、その入っていたチームは、しっかりと練習をするような伝統のあるチームで、礼儀正しさ、努力の大切さなどを学んだのではないかと思います。今でも、毎日、家に帰ってきてから、素振りをしていた事でさえも、自分の強みになっているのではないかと思います。そのチームでの一番の思い出というと、最高学年の大会で、サードを守っていたのですが、最終回、ランナーがたまっていて、自分のところで、ちゃんと処理をすれば、ゲームセットだったのですが、なんでもないゴロをエラーしてしまって、負けてしまったことがあります。あの時は、かなりのショックを受けました。その後、みんなはやはり内心は、かなりむかむかしていたでしょうけど、励ましてくれて、人のやさしさというものを感じたことが、かなりの印象に残っています。そして、そのチームの大半が中学の野球部で一緒にやることになります。市の大会では、かなり上位に入るチームで、やはり朝からびしびしやるようなところでした。そして、とてもよく走る・・・冬には陸上部といっしょに長距離を走っていました。これは高校に行っても、走るのだけは、そんなにたいしたことないな・・・と思ったくらいです。実際にレギュラーとしてでることは、出来なかったのですが、県大会にも在籍中に、何度も出られましたので、やはり苦労は無駄ではなかったのではないかと思う今日この頃です。
今度は硬式のボールに変わります。最初、このボールが(触ってもらえれば、わかると思いますが、ほとんどいしと変わりません。)大変怖かった記憶があります。野球をこのまま続ける事ができるのだろうか?とやはり考えた事もありました。そのような考えの中、でも、一度くらいは練習を見に行ってみようと思い、春休みの学校説明会が終わった後に、野球部のグラウンドに行きました。そこで、監督に「明日から、練習をするから、練習着を着てきなさい」と言われ、次の日から参加することになりました。そのように、入ってしまった野球部ですけれども、やはりやり始めると、面白くてやはり最後まで、続けていく事になりました。最後の方では、素手でノックを受けることができるくらいにまで、恐怖感もなくなりましたし・・・・!!
最初に入ったときの筋トレが、かなりきつかったのを覚えています。ウエイトトレーニングで、最初の日に、持ち上がらずになんとも恥ずかしかったです。先輩方に持ち上げてもらった時、絶対に今度こそ!!と思いました。最初のうちは、グラウンドも使えずに、裏のほうでキャッチボールをやったりしていました。自分も向こうでやりたいという気持ちを持って、いつも練習をしていた記憶があります。いつも必ず向上心というものがなければ、絶対に成長しないのだと理解しました。このことはこれからも、ずっともちつづけていきたいと思っています。 そのように、いつも怒られ、悔しさを克服しようと思い努力をしました。その結果なのかどうかはわかりませんが、自分達の代では、千葉県の春の大会では、優勝し、夏の大会では、あと二つ勝てば甲子園というところまで行くところまで行きましたが、結局、市立船橋にさよなら負けを喫しました。高校時代もベンチには入りましたが、公式戦に出ることは出来なかったのですが、縁の下の力持ち的な役割で、携わる事が出来たので、自分としては多少の満足感をえる事が出来ました。そして、やはりそのような人も、世の中には必要な人材なのだと改めて感じさせられました。 さすがに9年間もやっていると、殴られた事もありますし、はずされて、ものすごいショックを受けてきた事もありますし・・・・やはり辛い思い出しか残ってはいないものです。でも、やはり自分のしてきたこの野球というものは、何か自分をいろんな意味で強くしてくれたのではないかと感じています。これは、スポーツだけではないのですが、やはり辛い事ももちろん生きている限りあると思います。赤ん坊は泣きながら生まれてくるのだから、あまりいいことはあるものではありません。でも、そのような中で、自分がどれだけ自分自身の目標を持って、達成していくために努力できるかということは、大切なのではないかと思います。 学校も卒業ということで、なかなかスポーツに接する機会も、かなり減ってしまうとは思いますが、やはりできる限り、今度はどんなスポーツをやるのかわかりませんが、何か自分自身の支えとなるように、これからも続けていけたら良いなと思っております。皆様も、是非、スポーツに熱中してくれるといいと思います。かなりの昔話でありましたが、ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。
<コメント> 趣味がスポーツというのは日本語としておかしいと思う。異色ある語釈で知られる三省堂の新明解国語辞典で趣味を引くと、「一定の修練を経た後、味わえる、そのものの持つおもしろみなど」とある。つまり、野球を磯田君のように長くやった結果味わえるようになった何かのことを趣味というのである。その意味では、この文章はまさに趣味について語った名文といえるだろう。
大学を終わっても、勉強が終わりにならないのと同じように、大学を卒業してもスポーツに接する機会は減らない。私自身についていえば、山登りをするようになったのも、テニスをするようになったのも、就職をしてからであった。スポーツは、健康を維持するということもさることながら、仕事場での縦の人間関係とは別の、横の人間関係を開発する機能を持っているという点で、社会に出てからの方がよほど重要な役割を果たすのである。
越石 和敏
多摩ニュータウンは、高度経済成長期の首都圏の人口増加を支えるために造られた街である。この多摩ニュータウン開発も、事業開始以来30年を経過し、新たな問題が発生してきている。少子・高齢化の問題である。これは日本全体で抱える問題である。しかし、多摩ニュータウンでは、さらにその傾向が顕著に現れており、一部では「多摩『オールド』タウン」と揶揄されるむきもある。ニュータウン開発当初働き盛りであった「団塊の世代」の人々が多く入居しているため、高齢化が進んでいるのである。
少子・高齢化の問題を抱える多摩ニュータウンは、徐々に活力を失いつつあり、このままでは荒廃するおそれがある。このような状況を打破し、「活力のある」まち・コミュニティの再生、創造しなければならない。この点について研究の中心となったのが市民団体「多摩ニュータウン学会」である。この団体が出した結論は、コミュニティが内包するさまざまな資源や活力をネットワーク化し、自律的に問題解決をめざすこと、であった。定年退職した「高齢者」の中にも、能力と働く意欲のある人達は多い。この高齢者のマンパワーを「ボランティア」的な形で活用し、積極的な住民の参加による新しいまちづくりを築くべきであるとしたのである。そして、このためのツールとして「エコマネー」が導入されたのである。
エコマネーは、21世紀型の新しいコミュニティの創造、という観点から考え出された通貨システムである。従来の「経済」を中心とした通貨の制度を補完し、Economy・Ecology・Communityが同等に評価する。これにより、地域社会「エコミュニティ」が創造されることを目的としている。
具体的には、ボランティア活動のように、従来は無視されていたことについても、経済的に評価していこうという試みである。たとえば、介護や町の掃除などのように、コミュニティ内で必要とされるマンパワーについて、その対価としてエコマネーを支払うことにより、積極的な参加を促すのである。また、エコマネーを通して、パソコン講習や「おばあちゃんの知恵袋」を聞くなど、「ちょっとしたこと」について地域の人に協力を求めることにより、地域コミュニティの活性化を図ることも可能である。
エコマネーは1983年、バンクーバー島のLETS (Local Exchange Trading System)に始まる。これが成功を収めたため、現在は英連邦を中心に世界2000以上の地域に広がっている。わが国がエコマネーは、加藤敏春氏の著作「エコマネー」を契機として、ここ1、2年のうちに全国各地へと広がっている。
多摩ニュータウンのエコマネー「COMO」については、未だ実験段階にすぎない。しかし、実験・広告段階も最終段階に近づき、来年度より本格運用が開始される予定である。2000年12月現在、主に商店街や自営業者に対する参加の呼びかけを行っているようだ。ここで問題となるのが、値段が決まっている「商品」と交換することを認めるか、である。日本でのエコマネー導入の先駆け、千葉のNPO「peanuts」では、現金と同じ様に使用でき、ただ消費税については当初額にかかる分を現金で支払うということにしているようである。しかし、収入など不明確な点も多い。そこで多摩の「COMO」では、「例えば商店街で実施されているポイントカードなどの割引制度との組み合わせ」として組み入れていく方向で話が進んでいる。
「COMO」は、実験段階で60人を超える参加者を集め動き始めている。この先、賛同者が増えるかどうか、成功するかどうかはわからない。しかし、高齢化という未曾有の社会問題を前に、コミュニティレベルでできる一つの試みとして、注目すべき動きではないかと考えている。
<コメント> エコマネーについては、私としては、その詳細な実態を知らないだけに、善悪いずれにも最終的な評価を決めかねている。しかし、今の段階での感覚的としていえば、否定方向に考えている。すなわち、地域の助け合いの促進手段としては悪いことではない、と思うが、いくつかの明確な欠陥がある。第一に、人の善意に値段を付けようという発想に、基本的に違和感を覚えている。その意味で、商店街などと結びついて、明確に金銭評価できる道まで開くというのは論外、というのが私の意見である。第二に、心身が不自由で、自分の側からは何の奉仕もできない人は、エコマネーにおいても貧乏人となってしまう点をカバーする方法がない、と思われ、一つ間違うといっそう人心の荒廃を招きそうである。だから、例えば私の住む町で導入を呼びかけようという気持ちにはなれないのである。
後藤 博栄
ゼミ誌には、2年連続車の事を書いてきました。どのくらいの人が目を通してくれたのかわかりませんが、当然今年も懲りずに、"車"の事を書きます。
今回の題材は、ずばり「三菱自動車」です。なぜなら、一人独走しているトヨタ、ゴーン政策のおかげで光がみえてきた日産、出せば売れるホンダなど、元気のいい会社の事を書いてもつまらないし、それに、今年の三菱は、いい車を出しているのに、不祥事を起こして(リコール隠しがばれた!!)ふんだり蹴ったりだったので、ここは、少し三菱の魅力について書いてみたくなったからです。三菱車はスポーツカー、セダン、ワゴン、バン、SUV等いろんな種類をそろえていますが、その中でもこれは!っという逸品を紹介したいと思います。
三菱のスポーツカーといったら・・・と言いたいところですが、実は三菱はスポーツカーを製造していません。なぜなら、スポーツカーに対する需要はぜんぜんなく、手も足も出ない状況だからです。「あれ、FTOや、GTOとかいう車があったじゃん。」と思うかもしれませんが、ひっそりと販売中止になりました。あんなにカッコイイ車だったのに・・・。復活を望んでいます。
セダンと言ったら、やはりランエボ(ランサーエボリューションの略)でしょう。今年はランサーが"ランサーセディア"になったので、来年に発売が予想される新しいランエボが楽しみです(なぜなら、ランエボはランサーがベースとなって作られる車だからです)。ちなみに僕は、ランエボ4が好きです。
ランサーが"ランサーセディア"になり、このランサーセディアをベースにしたワゴンが発売されました。僕は、三菱車の中で2番目に好きな車です。なぜなら、スタイルがいい、しかもコンパクト、そして値段が安い(確か150万から200万くらいだったと思う)、まさに3拍子そろった一品だからです。今誰かに「車買ってやるよ。」と言われたら迷わず「これこれ!!」と答えます(あるわけないが)。
バン、というかミニバンでお勧めがミラージュディンゴ。僕が、三菱車の中で1番好きな車です。なぜなら、他社には見られない大胆なデザイン、それでいて"三菱らしさ"を損なわない作り、当然値段も安いし居住性も抜群、こんなよくできた車は、他にはないと思うからです。でもなぜか売れません。なぜでしょう、理由がさっぱりわかりません。誰か教えて下さい。
SUVとは、「スポーツ・ユーティリティ・ビークル」の略ですが、クロカンの王者パジェロが該当します。三菱車の中で一番メジャーな車ではないでしょうか。去年のフルモデルチェンジで、GDI搭載車も登場し燃費もアップ。パジェロ(山猫)というだけあって、あいらしいフロントマスク。乗ってみたいなぁと思わせる一品です。ちなみに、僕は、三菱車の中で3番目に好きです(いや、やっぱ一番かなぁ)。
そうそう、忘れてはならないのが軽自動車、トッポBJです。今年、父親が会社の通勤のため、この車を購入したのですが、軽自動車なのでエンジンの音は少し我慢するとして、天井が高いので室内はとっても広く、小物入れがいたるところに設置してあって、便利この上ないです。「軽ってこんなに広いんだ」と外見からは想像できない広さにかなり驚きました。「ちょっとした買い物や、駅までの通学に便利かも」と思いました。
このように、今回三菱車の"この逸品"を紹介してきましたが、この中で三菱が今年発表した車がランサーセディアです。また、紹介できませんでしたが、ディオン(ミニバンに属す)という車があります。これらはともにRV(レジャー・ビークルの略だと思う、ワゴン、バン、SUVのような多目的車のこと)という種類に含まれます。つまり、何が言いたいかというと、今後、売れると思われる車は、RVが中心になるだろうと予想できます。この傾向は、もう何年も前から続いていますが、今後も続いていくと考えられます。しかし、便利さを追求するあまり「車の楽しさ」を忘れてはならないと思います。「車の楽しさ」とは、速い車を思い通りに操ることだと思います。なぜなら、それが車の原点であり、車に求める一番の価値だからです。
僕はFTOと言う車が大好きでした。たとえ売れなくても「三菱車の楽しさ」が復活ことを望みます。
<コメント> 私は車を持っていないし、それ以前の問題として運転免許も持っていないから、この文章、全然判らない。三菱について言えば、例のスキャンダルはたぶん致命傷になって、三菱が何らかの形で倒産するのは時間の問題と思っていたのだが、このように熱狂的なファンがいれば、先行きは必ずしも暗くないのかも。ただ、本当に三菱のデザインは万人の認めるよいものなのだろうか? そうだとすると、かえって心配。三菱の車は昔はださいという定評があった。それがイタリア人のデザイナーを起用して作ったギャランという車で、会社自体が息を吹き返したことがある。その意味で、優れたデザイナーで何とかなる程度の問題である方が、閉塞状況の打開はやさしいからだ。
宮川 真太
書く事が思いつかないので、近頃思ったり、感じたりした事を書いてみる。あしからず。近頃めっきり身体が弱くなった気がする。と思ったのも風邪をひいたからだ。なんだ、風邪くらいで。と思うかもしれないがそうではないのだ。僕が風邪をひくのは一年に一回くらい。これは普通だと思う。が、そのひきかたが問題なのだ。僕が風邪をひくのは必ず鼻毛をかなり短く切った次の日である。朝起きると喉が痛くて、その晩熱が出る。ここ何年もこのパターンである。(分かってるならそんなことしなければ良いのだが、これが結構、気持ち良いのだ) これ以外で風邪をひいたのは十年くらい前のことだ。ところが、つい最近別に鼻毛を切っていないのに、風邪をひいた。ちょっとショックだった。治るのも一週間くらいかかった。以前は二日くらいで治ったのに…。このことで自分の身体が以前より弱くなったと感じたのだ。嫌なものである。
ところで僕は冬が一番好きだ。まず寒いのが良い。僕は暑がり屋なのでとても過ごしやすい。それから鍋物が美味しい季節である。おでん、湯豆腐、寄せ鍋、水炊き、等々。冬は天国である。それに雪が降ったりしたら言う事無しである。僕は未だに雪が降るとワクワクする。今年は雪が降る事が多いので、たっぷり冬を味わおうと考えている。
さて、身体的には年相応な気がするが、精神的には高校生の頃とあまりかわってない気がする。このままで社会に出てやっていけるのだろうか、などと今頃悩んでいる。困った。というか、情けない。これからは精神的にも年相応になりたいものである。
これ以上このような稚拙な文章を続けるのは忍びないので、終わりにします。
<コメント> 年に1回しか風邪を引かず、それも1週間で治る、とは実にうらやましい体力。最近でこそ、私は風邪対策が進んで、一冬に1〜2回に風邪ひきの回数を押さえられるようになったが、学生時代は一冬に4〜5回は引いていたものである。引けば最低1週間は寝込んだから、本当に楽ではなかった。ついこの間引いた風邪も、1週間は完全にダウンしていて、その後も1週間以上、病後で体調の悪さに苦しんだ。
ところで私の現在の風邪対策。実はうがいと手を洗うことの徹底、という単純なものである。ただ、講義が終わるごとに必ずそれをする、ということで、その頻度の高さが健康法として重要性を持っている。だから、講義のない春休みになると、そのリズムが狂ってかえって風邪を引きやすい?
佐藤 賢一
1 時の経つのは、早いもので前回のゼミ誌への寄稿から1年経ちました。先日(12月16日)のOB・OG総会の席で何か近況報告を書いてほしいと言われ、「今年はいろいろと勉強になりました。来年も頑張りたいと思います。」と書きましたが、特に、ゼミ生や寮生のまとめ役を任されたことは、色々なことを勉強することができ、良い経験になったと思います。
2 さて、今回はゼミ活動を通して、痛感した「議論」の重要性について書きたいと思います。
3 そもそも「議論」とは、「自分の考えを述べたり他人の考えを批評したりして、論じ合うこと」であると国語辞典は定義しています。(ちなみに類義語の「討論」は、「ある問題について是非を『議論』すること」と定義されていました)。
4 まず、自分の考え(意見)を相手に述べる(伝える)ことは、簡単そうに見えて、案外難しいことだと思います。実際のサブゼミでも、私自身その壁に何度もぶつかりました。そのことから、相手に自分の意見を理解させることに注意して「議論」するように心がけています。なぜなら、相手が理解しなければ、自分の意見は「議論」の中で箸にも棒にも引っかからない「傍論」になってしまうからです。
5 また、相手の考え(意見)を批評するには、当然、自分が相手の意見を理解している必要がありますが、何よりまず、自分の意見を理解(分析)することが重要です。自己の意見を分析することにより、その欠点を発見し、事前に欠点の対策を考えることができるからです。(と言っても、自己分析だけでは、なかなか欠点を発見するのは難しいので、「議論」の中で、相手から指摘され発見することが多い。)
6 さらに、「議論」を活発にするために、自分自身から積極的に発言することや、「議論」の内容に関する知識を事前にストックしておくことも重要だと思います。これらが「議論」を発展させ、その幅を左右することになると思います(サブゼミでは、それが論点の発見につながる)。7 そして、「議論」の目的について考えてみると、基本的には、共通の合意や妥協等の「結論」を成立させることだと思います。しかし、実際の「議論」においては「結論」が成立しないことも多い。この場合、自分で「議論」から「結論」を判断・形成する他はなく、その人の力が試されると思います。
8 最後に、21世紀となる来年は、自分にとって転機の年となりますが、今年の経験を生かして頑張りたいと思います。
<コメント> 文章技術的に見ると、これは番号の振り過ぎ。改行と番号の付与とを一致させたのでは、かえって目で見て文章を速読しにくい。また、せっかく番号を振りながら、文頭に一々接続詞をつけているのもムダ。
内容的には異論のないところである。もっとも、口頭での議論の時、実際には相手の議論を理解している必要はないことが多い。むしろ、意識的に曲解して圧力をかけ、相手に自説をきちんと表現させる努力をすることも、サブゼミなどでは大事なことである。なまじ議論の相手が判り良すぎると、不十分な表現でも十分な説明と思ってしまうことが多く、長い目で見て、その人のためにならないからである。
文章 箕山達夫 (八期)
以下は誠につたない勝手なサッカー論ですが、僕がこのようなことを考えつくということはこれ以上のことを考えている人もいるということであります。サッカーというスポーツは人の全てを出し、かつ,根源的な闘争心をかきたてるものです。日本でこのように冷遇されるスポーツであるとは決して思えない。だからこそ、チョコットだけ熱くなってしまいます。
第一章 アジアカップにみるトルシエの功績と問題点
我らが、トルシエジャパンA代表はアジアカップにて優勝し現時点でのアジアbPの座につくことができた。トルシエがこの丸2年かけて日本に植え付けてきた攻撃から組み立てる戦術の重要性が日本全体に広がってきた成果と言えるであろう。彼が指導者としてやってきたこの2年の歳月は,岡田日本まで脈々と受け継がれてきたディフェンスから組み立てるサッカーの否定に大きく貢献したといっていい。日本人は元来テクニックでは欧州にフィジカルではネグロイドに劣るものとされてきた。当然に,ディフェンスから組み立てるサッカーではどちらにもかなわないのである。すなわち、引いた守りとトップとの間が50メートルを超えて開いてしまうからである。その間をテクニックで埋めようとすれば欧州に体力でおおいに駆けてとすればネグロイドにはかなわないのである。そこで各人その人を中心に15メートルを保ったコンパクトなサッカーが要求される。今の日本は中盤の選手層を厚くしその間を埋めている。そのことの重要性が個々のプレイヤーに浸透してきたものであるといってよいだろう。したがって,トルシエは指導者として日本に於いて十分な役割を果たしたといえる。
では問題点とはなんだろう。オリンピックにおいて個々の試合のメンバーチェンジの判断が問題とされ、その点勝ちつづけたアジアカップでは判断できる材料がなかったように評価されている。しかし,アジアカップでもその監督としての能力に疑問符をていさねばならないだろう。なぜならば、トーナメントという永いスパンにおいて個々のプレイヤーの状況を鋭く判断する点にかけているからである。アジアカップでは,端的にあげれば名波を全試合フル出場させたことに問題が見え隠れする。もう一度ゆっくりテープを見返してみるとやはり準決勝中国戦の後半および決勝サウジアラビア戦の後半明らかに運動量・質ともに落ちている。名波の縦への動きがチームを動かしていたのに,稲本のカバーに追われ中村のフォローができなくなってしまっていたこともその一端かもしれない。アジアカップにおいて左サイドの中村俊輔・名波・服部のコンビネーションが攻撃の要となっていた。名波の動きが低調になったため中村は後ろに釘付けにされ全戦での仕事がうまく機能しなくなっている。したがって、トルシエ日本の目指す超攻撃的サッカーすなわちシンプルなパスの連続が生む芸術的なオートマチズムは達成できないことになっていた。なぜ、グループリーグの最終クェート戦名波を休ませることをしなかったのであろか、なぜ後半途中交代をすることを考えなかったのであろうか、疑問が出てくる。したがって、彼の監督としての能力がこれから成長させなければならない問題点といえるであろう。
もし、トルシエの構想するオートマチズムが完成の域に達しているのならば,あとは30パーセントの個というのであれば彼自身がその30パーセントの一端をになっているのではないだろうか。彼が監督としてのベンチワークの能力を2002年までに確実に向上させることができたならひょっとするとひょっとするかもしれない。
第二章 トルシエジャポンのシステム
トルシエのシステムは単純化するとオフェンス時のシステムとディフェンス時のシステムの二種類からなる。オフェンス時のシステムは核となる選手が多くの人間にパスコースが存在するようなうごきかたをする。すなわち,アジアカップを例にとってみると高原・西沢のツートップはやや左右に開きながらゴールを目指し、1・5列目の森島がふたりの間を抜けゴールを目指す、そして左アウトサイダー中村が3人の下の中央へ、開いたスペースに左ボランチ名波がスライドしてくる。ここで一番重要な動きはこのチームのコンダクターとも言える俊輔が中央に入ってくることである。オフェンス時のコンダクター中村を中心にパスコースが無数に存在する3人を一組にした三角形がいくつ書くことができるかがわかればすぐにわかるであろう。このようなシステムはオランダのアヤックスがクライフのもとに開発してきた超攻撃的とも言える布陣である。パスをたやすくまわすことにより各人の体力的負担極端に軽減しすばやく,かつ,巧妙な仕掛けで攻撃をしていくことができる。基本的にはパスをもらう前の動き、そしてパスを出すまでの動きが非常に重要になってくる。このシステムのままの試合運びをすると当然に「裸で殴りあうような」試合になりみるものを魅了することになる。なぜならDFという観念がこのシステムにはほとんどないからである。つまり、フィールドプレイヤーかそれ以外かだけなのである。遅いボール回しでは相手のカウンターをもろに食らうことになる。しかし,それは考えのうちなのだ。それ以上に得点するシステムなのだから。
これに対してディフェンス時は現在の通例であるラインディフェンスそしてプレッシングこの形をとることによってどのような攻めに対しても先取りした守りかたができる。しかし、このシステムの変換のために最終ラインのボールを取る動きではなく相手を押さえる動きが重要になる。そしてコンパクトにこのシステムを展開していくことになる。今までフラット3システムを批判してきた人たちに尋ねたい、そんなに自国のDFの能力に疑問があるのかと。すなわち、1対1ないし先読みした守備に問題があるのならそもそもトルシエが呼んでいるはずはないということだ。ただし,このラインDFも基本的には敵の動きを網にかけるものでその後の動きは各人の判断に任せられる。これがうまくできていたのはやはりアジアカップの時であろう。そこで僕は,アジアカップのベスト選手に日本のDF全員があげられても恥かしいものではないと思う。そもそも,オフェンスのシステムのままならば、1点2点は取られるシステムなのだから,いまさらそのくらいの失点に深く考え込む必要はないであろう。これが僕の観察によるトルシエの基本戦術である。当然にメンバーによって変更されるし、好調不調によって選択肢は限りなくある。このシステムでは各人がどこのポジションを任せられたとしてもシステム上動き回れるはずである。しかし、システムはあくまでシステムでありうまく起動し出したら今度は各選手のイマジネーションによって試合の中で変化していくことになる。これからの代表戦はこのようなシステムがうまく起動しているか、どの段階でこのシステムに変更が加えられているかをチェックしていくとまた違った視点でサッカーをみることができるであろうと思う。
以上
<コメント> サッカーは戦術を云々するほど身を入れて熱中したことがないから、この文章、よくわからん。ただ野球に比べてサッカーの人気が低いように見える理由は単純だと思っている。野球は毎日やるから、毎日の話題になるということである。少年野球チームの数と少年サッカーチームの数を比べると、わが国では一貫して後者の数が前者を上回っている。サッカーチームの方が1チームの人数が多いことを考えると、競技人口的には完全にサッカーの方が上回っていることになる。だから、その意味では、サッカーの方が人気の高いスポーツと言うことになる。これに対して、競技をせずにファンとしてだけ行動する場合には、毎日ある方が楽しいに決まっているではないか。
難波 岳穂
一、 J.ロックは、世俗的原理(社会的利益、外的な力)と宗教的原理(魂への配慮、内的な確信)との相違を論じ、近代的な信教の自由に対する理論的基礎を築いたとされるが、ロックにおいてさえも、その時代の偏見をまぬがれてはいなかったことは確かである。そして、種々の様相の時代的偏見は近代のみならず現代においてもいまだ払拭されていない。特にその偏見が政治(権力)と結びついた場合、信教の自由の保障はきわめて脆弱なものちなる。これに対する反省をもとに、敗戦後の現行憲法は、信教の自由を手厚く保障している。これは特にアメリカ憲法思想を背景にしているが、単にそのままの具体化ではなく、最も斬新な内容で現実化している。特に注目すべきは、現行憲法が個人の信教の自由と政教分離(国家と宗教の分離)を密接不可分の形で統一体としての信教の自由を規定したことである。
二、 現行憲法20条は、個人の信教の自由およびこれと一体的な政教分離を規定している。両者は統一体としての信教の自由を構成し、内的整合性を有する。この密接不可分の両者において通則的に内在する原理が(1)歴史性の原理と(2)私事性の原理である。 (1) 現行憲法は明治維新以降国家と神道とが密接に結びつき様々な弊害が生じたことにかんがみ、新たに信教の自由を無条件に保障することとし、更にその保障を一層確実なものとするため、政教分離規定を設けるに至ったと考える原理である。 (2) 信教の自由の私事性とは、換言すれば国家の非宗教性である。政教分離原則とは、およそ宗教や信仰の問題は、元々政治的次元を超えた個人の内心にかかわる事柄であるから、世俗的権力である国家は、これを公権力の彼方におき、宗教そのものに干渉すべきではないとする国家の非宗教性ないし宗教的中立性を意味する原理である。 三、 政教分離の意義、内容。政教分離は国家と宗教の分離国家の非宗教性を意味する。各人の信教の自由を十全に保障するために、その自由と不可分の関係で国家と宗教の分離が憲法的に命じられる。この命令は国家と宗教の両方に向けられている。つまり国家の側では、現憲法20条22項・32項、89条が禁止され、他方、宗教の側では、いかなる宗教団体も国から特権を受け、または、政治上の権力を行使することが禁止される。 四、 なお、現憲法上、宗教とは、超自然的、超人間的本質(すなわち絶対者、造物主、至高の存在等、なかんずく神、仏、霊等)の存在を確信し、畏敬崇拝する心情と行為をいい個人的宗教たると、集団的宗教たると、はたまた発生的に自然的宗教たると創唱宗教たるとを問わず、すべてこれを包含するものと解するを相当とする。ただ、個人の宗教の自由との関連では通説的見地に立ちながらも、政教分離との関連ではその定義ではかえって不合理な結果も生ずるとして、より限定的に「何らかの固有の教義体系を備えた組織的背景をもつもの」と解する説がある。しかし、同説が「分離は基本権を保障し、基本権は分離を要請する関係にある」としていることからすれば、基本権と分離で宗教を広狭に定義することは、統一体としての信教の自由の保障に不確実性を増すことになりかねない。また、政教分離訴訟において宗教の意義が決定的な位置を有しているのであれば、二元的定義も一定の意味を持つが、判例及び学説の多数は、その様な位置を認めていない(といえる)。いわゆる目的効果基準の当否の問題は別にして、一定の基準を適用する限り、政教分離関係でも宗教を広く解しても、基準適用を通して「不合理な結果」は解消されうると考える。よって前もって宗教を狭く限定する必要性はないと判断する。五、 政教分離の法的性格「制度的保障論」を採る学説がおおいが、この「制度的保障論」を信教の自由条項の解釈に導入することの説得力は強くない。現憲法の信教の自由条項は、確かにアメリカ憲法の系譜に立つものであるが、それだけでなく、日本独自の歴史背景からしてアメリカ以上に厳格な政教分離を規定している。この無理のある論法により、生み出された性質は、政教分離は信教の自由を「間接的に」保障するものであると位置づけるためであり、元来、制度の積極的創設に関わる制度保障の使用は疑問である。「制度保障説論」を採る限り、厳格分離が論理必然的に帰結しうるものでなく、むしろ周辺分離の緩和が前面に現れうる、狭義の信教の自由を侵害しない限り政治と宗教の結合が許されるとする解釈を生みやすいなどの理由により、自己矛盾をはらむ論理であると考える。
六、 日本国憲法の下では、制度的保障の論理は、原則として不要であり、政教分離と個人の(その意味では狭義の)信教の自由とは、広く信教の自由を構成する両局面として、統一的に解するのが正当だと考える。
<コメント> 書かれている限りでは、特に問題のない、よい論文である。問題は、書かれていない部分にある。すなわち六に言うとおり、信教の自由を構成する両局面として把握するとして、政教分離の法的性格は何か、という点が全く書かれていないのである。芦部信喜は、それに対する答えとして権利そのものである、という。しかし、単純な政教分離違反の行為があっただけで、特定人の権利侵害と構成することはできないので、権利という言葉の意味が不明という難点が生ずる。佐藤幸治は制度である、という。その結果、四に書かれた難点が発生する。こうして、通説判例は、自由と分離の統一的理解の手段として、それが様々な問題を含んでいることは承知の上で、制度的保障という答えを出すことになる。すなわち、制度的保障という概念を否定するだけでは、実は本稿が提起している問題の答えは出ていないのである。
若林千寿子
自己分析をしていると、学生時代何かスポーツをやっておくんだったと思うことが多々ある。学生時代、何か一つでも「これに打ち込んだ!!」と胸を張れるもの(スポーツ)があればと考える。
私は、小学校での合唱部をかわきりに、中・高校時代は吹奏楽部と、一度も運動部の経験が無い。実際は名古屋の中学の頃には剣道部だったが、一年の夏に引っ越してしまったのでほとんど無経験も同じだ。
私の得意な科目は国語、音楽。苦手は算数と体育。実はこれでもスポーツ部に入りたいという思いが無かった訳ではない。中学に入った頃は「陸上部に入って人並みの運動能力になりたい」と思っていた。しかし、悲しいかな究極の運動音痴であった私は、小学校の時体育が抜群だったような人達が闊歩している中学の陸上部に恐れをなし、そのまま二度と入ることはなかった。
ともかく、運動は何をやってもからきしだった私は、運動はしたかったが、人と競うだけの能力がなかったのだ。登り棒は上まで登れないし、ドッジボールもろくに投げられない。クロールが泳げるようになったのも、逆上がりが出来るようになったのも六年生になってから。サッカーやバスケはまだしもバレーボールは完璧に人並み以下(しかも女子はバレーボールをやる機会のなんと多いことか…)。むろん運動会は嫌いだった。
今でも、あのまま陸上部に入って鍛えていたらどんな人生が待っていたのだろうと考える。短距離ではどん尻でも長距離ランナーの素質はあったかも(?!)しれない。(まあ、どんなに他でオール5に近い成績をとったとしても、数学は4、体育は3から上にいった例はなかったような奴だ。大したことにはならないと思うが…。)文化部にはない、スポーツ部で共に過ごした仲間との連帯感、試合で勝った感動、厳しい練習と放課後の寄り道。ああ、あこがれの部活動。
今から人生やり直せるのだとしたら、私は迷わず中学で陸上部に入っている。いや、赤ん坊の時まで溯って、人並みの運動能力の開発を心がけるべきか。頭の良さより、人並みの運動神経がほしいっ!!!
<コメント> 実にうらやましい運動神経ではないか。体育で3をとったというのは人並みの運動神経を持っている証拠である。私など、小中高と一貫して2しかとったことがない。私の場合、逆上がりは最後までできず、水泳を覚えたのは中学に入ってから、というのでは仕方がないが。だからといってスポーツをやらなかったわけではない。学生時代、ご存じのスキーもせっせと行ったし、2号館の屋上で人の迷惑も顧みず、恐怖のキャッチボールもやったものである。恐怖のキャッチボールって何かって? 研究室ホームページの一般随筆の中に収録してある「おもいだすことあれこれ」を読むと判る。要するに、スポーツはやる意思の問題であって、運動神経の問題ではない!!
飯田 浩史
僕の部屋は、2階の8畳間である。入り口は横引き戸でカギはない。窓は出窓がひとつ。
ベランダがあって、そこへ出るガラスのサッシが2組。部屋の壁に換気扇とエアコンがくっついてる。エアコンは何ヶ月か前から壊れたらしく、つけてもあまり効果が期待できない。家具としては、ベッド、勉強机、本棚、小物棚、パソコンラックなどがある。またテレビは、ベッドに横になった状態で見られる位置に配置してある。クローゼットがあり、そこに服とMDコンポが入ってる。MDコンポはもう6年くらい使っている。最近、カセットへの録音ができなくなった。コンセントは3ヵ所あり、その1ヶ所にテレビのアンテナにつなぐ端子がある。他には椅子が2つ、移動できる車付きの収納BOXが2台。まあそんなところだ。僕はしばしば部屋のレイアウトを替える。それは、飽きたからではなく、よりよい環境をつくるためだ。ここ1年くらいの間に4、5回レイアウトを替えた。最後に替えたのは実に今日である。
レイアウトを替えるにあたって、考えるべきことがある。それは基準と制約である。僕は2つの基準と2つの制約を考えた。第1の基準は、「使いやすさ」である。「使いやすさ」の基準は次のようなものである。@よく使う物はすぐ取り出せるA出かける時に持っていく物は入り口の近くにあるB勉強するときとリラックスするときを区別した配置するなど。第2の基準は、「バランスのよさ」である。「バランスのよさ」とは、次のようなことである。(@)ベランダに出るのに家具を動かす必要がない(A)椅子を動かす必要がない(B)部屋の中心に背の高い物を置かない(C)「使いやすさ」の基準Bなど。(A)については「使いやすさ」の基準とも言える。つまり机の前になければ、机に向かう気が失せるということだ。これらの基準によってだいたいどのようなレイアウトにするかが方向づく。
制約は次の2つである。すなわち@コンセント・テレビアンテナ端子の位置A家具のバランスである。@は届かないところに家電が置けないということであり、Aは倒れないように壁際に置かなければならない物があるということだ。これらの制約を考慮しなければ「使いやすさ」の基準にも妥当しなくなる。
今回の模様替えでは、上記のことをだいたい守って行えた。しかし、それでも配置の仕方は何通りもある。今回のレイアウトは一応納得のいくものができた。よかった×2。
さて、読者諸君はこの文章の特徴に気がついただろうか。この文章は最初、部屋の様子が書いてあるので、無意識にその情景を想像しながら読むであろう。そして後半は、レイアウトの基準と制約という抽象的なことが書いてあるので、ただ文字を読むことになるだろう。すなわち前者は想像しながら読むから、イメージが頭に残りやすい。しかし後者は逆にイメージしにくく、頭に残りにくい。これは、小説を読む場合と法律書を読む場合によく似ている。よって法律書は読んでも頭に残りにくい。だから何度も読む必要があるのだな。そんな発見を動機に変えていこうと思う。
<コメント>法律書を想像抜きで読む人がいるとは、これまで想像したこともなかったナア。法律は、人間という生物の社会生活というギスギスした関係を処理するための潤滑油である。だから、理論的にどんなにすっきりしていても、実際に適用して人間関係を円滑に処理できないようなら、その学説はだめな説である。私は、法律書を読むとき、常に、その理論を適用する具体的な例を頭の中に浮かべ、そこに書かれている説を適用してどんな結果が生ずるかを考えてみる。その結果に、社会の人々がそれで納得するかを考えてみる。すなわち、法律書を読む時こそ、想像力をフルに駆使する必要がある。私の講義で、徹底的に判例を引用するのは、諸君が具体例を思い浮かべやすくするためである。
それにしても、八畳間とはうらやましい。私は学生時代、四畳半にがんばっていたし、私の書斎はつい先日まで6畳だった。それも半分以上本棚だったから、実質3畳くらいで暮らしていたのである。最近書斎を増築したおかげで、目下12畳になっているが、いつ棚の増設が必要となるか、心配している。