夜明け前より瑠璃色な
〜Mother Earth、Daughterr Moon、Son 〜
〜Z〜授業〜
8話へ
「それじゃ、行ってくるわね」
「いってきまーす♪」
フィーナと麻衣。それから達哉がいつものように学校に行く。
「行ってらっしゃいませー」
それを見送るミア。
「いってらっしゃい」
今日は博物館が休館なので休みなさやかも見送り人に加わっている。
「学校、かぁ・・・。」
見送るミアがちょっと寂しそうにつぶやく。
「ミアちゃんも、学校に行ってみたい?」
いきなりのなでなで。ちょっと慌てるミア。
「それじゃ、雰囲気だけでも味わってみよっか♪」
「え?」
「遠慮しない遠慮しない、お姉ちゃんに任せなさい♪」
「はわわわわっ」
理解できないミアをさやかがずるずる引きずって部屋に押し込む。
「お着替えた〜いむっ!」
・・・しばらくお待ち下さい・・・
「ちょっと大きかったかしら?」
制服版ミアの出来上がり。しかし小柄なミアにこの制服はちょっと大きい。
「私の昔の制服なんだけど」
「いやはや、可愛い子は何を着ても可愛いねぇ」
朝霧家には教室をこしらえる場所はないので、トラットリアに移動。
当然さっきの発言の通り、仁も加わっている。
「あのー、さやかさん」
「『さやかさん』じゃありません『さやか先生』」ですっ」
有る胸を張るさやか。いつもの服装なのだが先生をしても充分似合う。
そして小脇にはいつ調達したのか不明な出席簿。
「それじゃ、出席をとりまーす。ミア・クレメンティスさん」
「はいっ!」
「鷹見沢仁くん」
「はーい!」
もちろん仁も制服を着込んでいる。
「カレン・クラヴィウスさん」
「はいっ」
「カレンさま!」
なぜかミアの後ろにはカレン。しかも制服姿。
そもそもどうやって連れて来たかはともかく、同じく制服(多分さやかのお古)を着ている。
「さやか、これぶかぶか・・・」
「そこのカレンさん、『先生』は?」
「・・・はい」
いつもの切れ味鋭い言い方ではなく、ひたすら恥ずかしがるカレン。
「琉美那・フィッツジェラルドさん」
「はい!」
「ええええ?」
「朝霧のとこに構い過ぎて鷹見沢の家を後回しにしてしまったんでな」
「お美しい方、我が愚妹はまだ帰宅していませんが?」
「ついでにトラットリアの料理でも食べてみようかと思ったが、何やら面白いことをしているものでつい、な」
ということなのだろうか、カレンと同じテーブルに座っている。
「だからカレンさまは不機嫌なんですね」
そりゃ、胸で悩む人の隣に罪な程のバストを持ってる人が座れば嫌が上でも「比較」される。
「さやか『先生』か。ワタシもたまには生徒をやってみるのも悪くはなかろう」
「琉美那がいると何か緊張しちゃうなぁ」
「気楽にやるんだな、しかしこの制服はキツいぞ」
彼女も制服姿・・・なのだが胸のボタンを半分ぐらい外さないとさやかのサイズでは入らない。
よって先生姿に制服を無理やり羽織ったような妙ないでたちになってしまっているのは仕方ないだろう。
「でも琉美那さまとさやかさんが知り合いなんて」
「知らなかったの?琉美那と私は同い年よ、それからカレンとも同い年ね」
同い年といっても見た目とか体型とか雰囲気が全く違うが。
「すると先生達はにじゅうげ!」
「ほう、これが鷹見沢の得物か。なかなかいいモノを持っている」
菜月はいない、しかし代わりに琉美那が仁を成敗し、借りたしゃもじを眺めている。
投げつけるのではなく、顔面を張り倒す点が持ち主と借主の違いだろう。
「琉美那さん、教室で暴力は禁止ですよ、制裁はいいけど」
「そうですね、先生」
「カレンさまに先生、ずいぶんとにぎやかな授業になりそうですね」
生徒が増えて素直に喜ぶミア。しかしまだ生徒はいる。
「最後に、リースリット・ノエルさん」
「・・・・」
「返事が小さいわよ〜」
「・・・はい」
さすがにリースに合う制服など調達できないので、いつもの姿だが。
「えええええ?!」
「ちょうどうちの近くを通りかかってたところを首尾よく捕獲したの♪」
もちろん不機嫌。というか捕獲って。
「・・・帰る」
「はい、リースちゃん、着席」
トラットリアを出ようとしたリースを後方から捕獲。そのまま抱きかかえて着席。
捕獲プロセスにかかる時間は僅か1ミリ秒。宇宙刑事並みの速さだ。
「さすがはさやちゃ・・・じゃなかった、さやか先生だねぇ」
「えーと、えーっと」
付き合いが長い仁と付き合いの短いミア。こんな所にも反応の差が出てくる。
「それじゃ、一時間目を始めるわよ〜」
すっかり先生が板についたさやか『先生』の授業が始まる。
そして夜。学院に行ってた面子が戻ってきた。
「〜♪」
「あら、ミア。今日はご機嫌ね」
いつも以上に楽しそうに動き回るミアを見てフィーナが違いに気づく。
「そうだね、それに姉さんも、何かあったの?」
「ひ・み・つ」
にこにこしながらさやかは追求をかわす。
「ねー、ミアちゃん」
「はい、さやか先生」
「?」
何が何だかわからない2人。そしてうれしそうな2人。
「お姉ちゃん、電話〜」
対照的な2組の間に割って入るように麻衣が子機を持って登場。
「しょうがないわね」
子機を受けたさやかの表情が一瞬曇り、そして「やれやれ」という苦笑が顔に表れる。
「博物館に行ってきます」
「こんな夜に?」
「仕方ないのよねぇ、私がいないと博物館がちゃんと動かないの」
「サヤカには迷惑をかけて申し訳ありません」
とにかくこの世の中、どこでも人材が足りない。
「お姉ちゃんあっての博物館だからね」
ちょっと自慢げな面も入れて麻衣がさやかを元気づける
「でも、姉さん館長代理なんだよね、館長さんはいったいどこで油を売ってるんだか」
ついつい本音の出る達哉
「・・・申し訳ありません、月も慢性的な人材不足で地球人のサヤカに頼る有様で」
フィーナが申し訳なさそうに達哉達に謝る
「どうしてフィーナか謝るんだい?」
「姫さまが王立博物館長だからです」
「えっ!」
達哉と麻衣が同時に驚く。
「館長といっても、私は名誉館長ですから何もできませんが・・・」
要するに名前だけの存在。それだけに歯がゆい。
「でもフィーナ様の肩書きがあるから私も頑張れるんですよ」
「ありがとう、サヤカ」
看板は立ってるだけで役に立つもの。
「それじゃ、行ってくるわね」
「行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃいませー」
そして今度はさやかが留守番組の見送りを受けて出勤していく。
「博物館かぁ・・・」
「余裕があったら、サヤカの仕事場にも行きたいものですね」
姉さんはいつもどんな仕事をしているのだろう?
「このカバン、サヤカのでは?」
「これ、お姉ちゃんの制服・・・」
なんでこんな時に限って肝心なものを忘れますか、姉さん。
「しょうがない、俺ひとっ走り届けてくるよ」
「気をつけて〜」
「お兄ちゃん、怪しい勧誘とか、闇討ちとか、夜間販売とか、徹夜組に気をつけてね」
いったいどこからそんな知識を仕入れているのやら。兄として妹の成長を気遣う達哉であった。
夜の街。閉まったシャッターと街灯だけが目に付く。
結構な規模の都市である満弦ヶ崎とはいえこんな夜ではカラオケと居酒屋と妖しい店ぐらいしか開いていない。
さやかの勤めている博物館は月人居住区内。あんまりというかほとんど馴染みがない。
「さっさと行かないと」
さらには月人は早寝早起きなのか、通りには誰もいない。
夜の街を一人で歩くのは血気盛んな男子学生の達哉でも怖さを感じる。
ましてや女性の一人歩きなんて
「あのー、すみません」
「うわっ!」
後方からの不意打ち。達哉が一瞬引く。
「か、会場での徹夜は禁止です!」
「いえ、違います」
くるりと振り向くと夜の女性の一人歩きだ。
「ほっ」
心を落ち着かせる。そしてその女性を見る。
見たことがない服装。でも胸にスフィアの紋章をつけているということは月の人。
しかしそれ以上に綺麗な人だ。
「えーっと、えーっと・・・」
雰囲気はフィーナに近いが、もっとそれよりも鋭い感じ。
「夜分申し訳ありません」
「いえ、こちらこそ」
とりあえず挨拶。
「それでですが、礼拝堂の場所を教えて貰えませんでしょうか?
私、この居住区は初めてなもので、道に迷ってしまって・・・」
つまり迷子。しかしこんな夜分では道を教えてくれる人はいなかったのだろう。
「礼拝堂なら」
と、達哉は首を回してみる。
「・・・そこです」
あなたの真後ろにある建物に気づかないっていったいと思ったが、口には出さなかった。
「ありがとうございます」
深々と礼。
「何とお礼を言えばいいのか・・・」
「いや、俺は大したことはしてないから」
実際、この人に真後ろを向かせただけだし。
「では、これを貴方に差し上げましょう」
と、綺麗な人は輪を取り出した。どうやら草でできているようだ。
「これは月に伝わる健康や安全を祈願するお守りです、貴方に幸あれ」
「そ、そんな・・・」
一瞬たじろぐが、据え膳食わねば男の恥。受け取ることにした。
「後、君の名前は?」
「エステル。エステル・フリージアです。新しくあの礼拝堂で司祭をすることになりました」
「そうなんだ。俺はあ」
びりりりりりっびりりりりっ。やたらに無粋な着信音。麻衣からだ。
「悪い、呼び出し食らっちゃった、また今度」
「では、貴方に月の輝きがありますように」
そして達哉はエステルと別れた。
「綺麗な人だったな・・・」
また彼女に会えるだろうか。そしてこのリングのお礼ができるだろうか。
「 お に い ち ゃ ん !」
携帯から思いっきりデカい声で達哉を呼び出す麻衣。
そして達哉は現実。つまり夜遅く一人誰もいない街にいる状態に引き戻された。
「寒い・・・・」
・・・風だけが達哉の友達だ・・・
次の日の昼休み。
「達哉?」
フィーナに話しかけらる。
「いや、何でもない」
昨晩出会ったエステルの事を思い出していた。と言ったら何言われるか。伏せておこう。
「あんた、また女の子引っ掛けたの?これでいったい何重婚なんだが」
「ぶはっ!」
「をほほ、図星ね」
「そういえばお兄ちゃん、昨日の夜何かあった?」
今日は麻衣も一緒だ。
「ななな、ないぞ!」
「麻衣ちゃん、この朝霧達哉ってのはね」
「フィーナに続いて麻衣ちゃんまで悪の道に引き込む気かぁ!」
菜月が悪の道から麻衣を救い出す。
「相変わらずですなぁ」
翠もいることを忘れては困る。
「それより昨日、ミアちゃんに聞いたんだけど、トラットリアで授業やったんだって」
「それでミアはご機嫌だったんですね」
にっこり微笑むフィーナ。
「へえ、そうだったんだ」
「ミアちゃんもカテリナに来ればいいのに」
「琉美那先生に聞いたら『あの学力では無理だな』だったけど」
菜月の声。どうやら昨日の事は兄から聞かされたらしい。
「でも、ミアちゃんと一緒のクラスになりたかったなぁ、ミアちゃんと私。同い年なんでしょ?」
「ええ、私よりひとつ年下です」
麻衣が何ともしがたいかのように惜しがる。年齢も同じクラスメイトが欲しいのはよくわかる。
「麻衣さんと私達とはクラスが違いますから、学院ではなかなか出会えませんしね」
「その点、先輩としては不安なんですよ」
翠と麻衣は同じ部だから、達哉と麻衣とはまた違った関係を築いている。
「うちのクラスにも月からの転校生とか来ないかなぁ」
ちょっと寂しそうに麻衣が漏らす。
「でも、私としては量産型転校生なんてシュチエーションは面白くないけど」
「量産ってモビルスーツじゃないんだから・・・」
そうやって話しているうちに一行は学食にたどり着いた。
ふと見ればいつの間にか改装されている。以前のごちゃごちゃさが無くなって小奇麗にまとまった雰囲気がある。
「いらっしゃいませ!」
瞬間、そこにいた全員(約一名除く)が石化した。
「みみみみみみ」
「ミア!」
ウェイトレスとなったミアが全員の前に立って、挨拶をしている。
「一体どうしたの?その姿」
「はい!ちょうど改装するからウェイトレスをやってみないかと言われまして」
「どうする菜月ちゃん、ウェイトレスキャラの専売特許がなくなっちゃったわよ?」
「専売特許って何よ〜!」
結構ショックらしい。
「私、学生にはなれませんでしたが、これで皆さんと学院でも一緒に過ごせます!」
「負けたわ、ミア。」
優しく、そして参ったという表情でフィーナがミアの肩を抱く。
「これからは学院でも宜しくね」
「はい!姫さま!」
微笑むフィーナとにっこり笑うミア。いい場面。
しかしそこに信じられないキャラが現れる。
「よお、お前達」
「 高 野 武 !」
名前など知らないはずなのに、なぜか全員がかの人の名前を知っている。
「あんた、まだいたの?」
コック長姿をしているがサングラスからして間違いない。かの人だ。
「じゃ、48の部長技の一つ・・・」
「ちょっちょっちょっと待てぃ!」
顔を見るなり、何か技を繰り出そうとする真琴を制する高野。
「高野さん、どうしてこんな所に?」
フィーナが質問。
「そこの嬢ちゃんにカメラ潰されたからさ、どうやらワシはカメラマンには向いておらんらしい」
「それでマスターに転向したと」
「そうじゃよ。聞けば左門がイタリア料理店をやってると聞く」
「ええ、そうですが」
左門の娘、菜月が答える。
「左門のダチとしてはいてもたってもおられん。ちょうどコック募集とあったんでカテリナに来たって訳よ」
「この制服、マスターさんにデザインしてもらったんですよ!」
ミアが喜んでその場一回転。
「パーティの時はつい悪乗りしちまった。だがそこの嬢ちゃんに蹴飛ばされて人生を見直したよ」
「をほほ、わかればよろしい」
その裏にはまたやったら・・・という意味も含まれている
「まあ何だ、お前達食べに来たんだろ?今日はワシのおごりだ、食いな」
そしてマスター高野はちらりとミアを見る。
「では改めて、いらっしゃいませ!」
ミアがちょこちょこ動き回ってマスター高野の料理を運ぶ。
ポテとバンを浮かべたポテのスープ。デザートにはクリームを乗せたプラムの紅茶漬け。
トラットリアがイタリアならこっちはフランス。そしてみんなで食べられるもの。
「なんかねぇ、こう慣れないっていうか」
「菜月はいつもは運ぶ側ですからね」
「俺もだし」
いつもの店の従業員達はなんか居心地悪そうだ。
「でもいいなぁ、遠山さんもウェイトレスやってみたいなぁ」
ミアの姿を眺めながら翠がちょっと妬く。
「私も。部活がない日にはやってみようかなぁ?」
そして麻衣。どうやらミアの仲間は増えていく可能性を持っている。
「ふふっ、学食も賑やかで楽しくなりそうですね」
「フィーナはどっちにするの?」
「わ、私はトラットリアの方が」
「そうすると、トラットリア対カテリナの看板娘対決が見れるのかしら?」
「しかし真琴先生、こちらには朝霧君がいないから女性客獲得で不利かと思います!」
なんだか話がどんどん進んでいる。
「・・・ミアもこうやって一人立ちするようになったのですね」
そんな中、なんだか寂しそうなフィーナ。
「私も皇女として一人立ちできるようにならねばなりません」
それを見て月を背負って生きる宿命がそうさせているんだな、と達哉が思う。
「どうしました?」
「あ、いや」
そして昨日会ったエステルのことも。彼女は何者なんだろう?
〜[〜体験〜
家庭訪問から少し経ったある日。
「どうしたの?菜月、元気ないけど」
「ちょ、ちよっとね」
元気がない理由。それは家庭訪問の時の話が原因だ。
「鷹見沢は成績で言うことは別にない、隣の幼馴染よりずっと優秀だな」
「はははい!」
なぜかやたらに焦る菜月
「しかしワタシはそんな話をしに来たのではない、推薦入学の話だが」
と、書類を引っ張り出す琉美那先生。
「少なくとも、獣医師になるには国家検定試験を受けねばならないことは判るな?」
「はい」
「では、獣医師は『カッコ良く華やかな仕事』ではないことは理解しているか?」
「そ、それは」
少し菜月が揺らぐ。
「小動物臨床獣医師、つまりペットだな。ではなく、産業動物臨床獣医師、つまり家畜の担当もしなければならないこともある、それも理解しているか?」
「は、はい」
生返事気味。街中の獣医だけが獣医ではない。愛玩動物より家畜動物の方が数が多いのだから。
しかし琉美那先生はあくまで厳しい。
「学生時代には実習で多くの動物を殺さねばならないぞ、それが鷹見沢にできるか?」
「・・・・できます、約束だから」
「ワタシが諭すよりも実際に行った方がいいだろう。体験入学してこい」
菜月の決意を見て琉美那先生はふふっと微笑みながら書類を渡す。
「え?」
「二泊三日だ。荷物をまとめておけ」
「体験入学、か・・・」
ベンチで一人思案する菜月。達哉他の面子から離れてたまには一人で思慮するのもいいもの。
「こういう時、誰か力になってくれる人、いないかなぁ・・・」
そういう人はなかなかいないのが人生というもの。
「どうしたの?倦怠期?」
「け、倦怠期って何言ってるのよ!」
人生は厳しい。悩む菜月の元に現れたのは、悩みをいじくり回すことが大好きな人間だった。
「それとも夜の生活が甘く(うまく)言ってないとか?
やっぱフィーナちゃんとか麻衣ちゃんがいると夜這いもしにくいわよねぇ」
「天誅!」
制服姿なのにしゃもじをぶん投げる菜月。
「はい、二指真空把」
しかし、真琴に人差し指と中指だけでしゃもじを受け止められる。
「真琴は絵描きじゃなくてK−1を目指した方がいいわよ・・・」
半分呆れ返った表情で真琴の指に挟んだしゃもじを眺める菜月。
「私は800回以上も続いてる古臭い大会になんて興味ないの
それより菜月ちゃん、悩みがあったらお姉さんが何でも答えてあげるわよ♪」
「真琴に質問するくらいなら満弦ヶ崎湾に身を投げます!」
「あらあら、お姉さんのアドバイスがあれば不沈空母信濃並みに安心なのにねぇ」
本物は未完成な上に呆気なく沈没したような気がするが、気にしてはいけない。
「真琴のアドバイスなんか聞いてたら地獄に送り込まれます!」
「おやおや機嫌が悪いわねぇ。でもそれより菜月ちゃん二泊三日の体験入学するんだって?」
機嫌が悪かろうがいたってマイペースで相手をいじる、それが真琴という人。
「・・・なんで知ってるのよ」
「あんたの兄がトラットリアでバラしてたけど?」
「あんのぉ馬鹿兄がぁっ!」
天に向かってしゃもじをぶん投げる菜月。届いたかどうかは定かではないが。
「でも明日から旦那と別れて大学へ。。その間にフィーナちゃんがどう動くかよね」
「そのあたり、遠山さんとしても気になりますねぇ」
翠もいつの間にかやってきている。
「翠、あんたはどっちの味方なのよ、私、それともこの性悪女?」
「これからは遠山翠改め、筒井翠、または小早川翠とお呼びくださいませ」
要するに日和見ということだ。
「正妻のいない間、その地位を狙う他国からの姫君。朝霧家大奥の運命や如何にっ」
「翠ちゃん、なかなかね。クラリネット辞めて脚本家になる?」
「あんたらに聞いたのがそもそもの間違いでした」
怒りマークが頭に張り付いたまま思いっきり立ち上がる。そしてそのままずかずかと教室に戻っていく。
「じゃ、これ借りとくわね」
さっき受け止めたしゃもじをしまい込む真琴。何に使うのだろうか?
体験入学への旅の始まり。鷹見沢家の前。
「忘れ物はないな」
「うん」
「何かあったらすぐに連絡するんだぞ」
「うん」
「それから、春日からさっき届いた」
「母さん?」
マスター左門から菜月へと手渡されたのはいまどき珍しい電報。
「『イケ』」
「たった二文字?」
いくら何でも短すぎるだろうと思うが、それが菜月の母・春日の性格だ。
「やれやれ、相変わらずだな」
遠い空を見上げる左門。ちなみに春日は今ミラノで修行中の身。
「頑張ってね」
「いってらっしゃい〜」
「元気でな・・・」
さやか、麻衣と続きなぜか涙声の仁。
「行ってらっしゃいませ!」
釣られて感動モードのミア。
「うん、行ってくるね」
そして菜月は二泊三日の体験入学へと旅立っていく
「マスター。菜月がいなくてトラットリアは大丈夫でしょうか?」
菜月が消えた後、フィーナがマスター左門に質問する。
「仁とタツがその分働いてくれるだろうが、華が無くなるのは痛いな」
菜月がいるいないでトラットリアの売り上げがかなり変わる。世の中は厳しい。
「達哉には内緒にして欲しいのですが・・・」
見送っている達哉に聞こえないよう、見えないようフィーナは左門に話しかける。
「あい判った」
何か理解したように、左門がフィーナの肩をポンと叩く。
「姫さま?」
「ふふっ、ミアもカテリナの方頑張ってね」
「菜月、5番テーブル!」
「達哉君、今日五回目」
「・・・あっ」
菜月がいないことをつて忘れてしまう。
「全く、しょうがいない達哉君だねぇ」
対して菜月がいないので自由気ままになっている仁。
「カワイイお嬢様、トラットリア特別サービスはいかがですか?」
だから女性客にサービスしまくる。何も飛んでこないことが判っているから。
「ふぐわっ!」
しかし世の中は厳しい。いきなり仁がぶっ倒れた。
「あれ、これって菜月のしゃもじ・・・」
物凄い超低空を飛来し、仁のすねに直撃したようだ。
「あのー、真琴さん?」
しゃもじを放った当人に話しかける達哉。
というか、座ったまましゃもじを蹴るってどういう脚力してるんですかと叫びたくもなる
「やっぱねぇ、菜月兄じゃいじりがいに欠けるわね」
「俺はいじられ役ですらないのか・・・天よ!」
自分の存在と役目の過酷さに、天を仰いで嘆く仁。
「それよりほら、向こうで一般人AとBが呼んでるわよ」
ひどい言い方だが、一山いくらの男には全く興味がない表れだろう。
「兄ちゃん兄ちゃん」
「何でしょうか?」
真琴のところから離れ、達哉はそこらで安売りされているような軟派タイプの男達の居座るテーブルへ到着する。
「ここは可愛いウェイトレスがいるって聞いたけど、男しかいないのか?」
「菜月なら今、体験入学で不在ですが」
店内にいるのは仁と達哉、それから左門の三人。確かに男しかいない。
「菜月ちゃんって言うのかい、あのウェイトレス」
男Bが何やらメモる。どうせ女の子の名前ばかり羅列しているのだろうが。
「つまんねぇ、帰るぜ」
男Aが立ち上げる
「たく、男が運ぶ料理なんて食ってられねぇからな」
同じく男B。実に現金なものだ。どのくらい現金かといえば
「いらっしゃいませ」
「ぶはっ!」
「ええっ!」
女の子の声を聞くなり、あっさり前言撤回してテーブルに戻るところをみれば判るだろう。
「フィーナ!」
なんとそこにはフィーナ。しかし制服でも私服でもましてやドレスでもない。
「似合うかしら?」
着ているのはトラットリアの制服。
「菜月のを借りたけど、サイズとかは大丈夫かしら?」
その場で一回転。別に問題はない(2人の身長はほぼ同じ)。
いや、綺麗だし可愛い。本当に何を着ても恐ろしく似合うのがフィーナの凄いところだろう。
「菜月が不在の間は、私が及ばずながらお手伝いさせていただきます」
ぺこりと挨拶。何から何までピンチヒッターとは思えない。
「でもフィーナ」
「トラットリアにはいつもお世話になっています。『困った時はお互い様』という諺もあるそうですし」
「ということだ、タツ。短い間だがフィーナちゃんをフォローしてやってくれ」
厨房から左門の声、おそらくにっこりしているのだろう明るい声。
「すげー可愛いじゃん!」
「超上玉だよ、あの子!」
月のお姫様だから超上玉といえば確かにそうだが、軟派男達の反応はさっきとは正反対。
「かわいい子かわいい子、注文!」
「俺も俺も!」
「をほほ、男って単純よねぇ」
なんだか騒動になりつつあるトラットリア、そして騒ぎを喜びながらエスプレッソを飲む真琴。
「今すぐ参ります!」
「男はいい、あのお姉ちゃんを呼んで来い!」
そして男従業員の達哉はフィーナのサポートどころか邪魔者へと転落。
「今頃菜月はどうしてるだろうか?」
ふと思った。菜月がいれば。
「達哉は今頃何してるかな?」
こちらは菜月。新しい大学の新しい学部だけあって施設とか学生寮は良い。
「家庭訪問の時に琉美那先生が脅してたけど、まさかあんなことまでやらないといけないって」
いきなり犬の解剖とか、安楽死のやり方とか見せられるとさすがの菜月も凹む。
「でも、私は決めたんだから、約束だから、達哉のために」
「そう、朝霧君のために、旦那様のために!」
「聞いていい?あんたは何人目の遠山翠?」
「天が呼ぶ地が呼ぶ人が呼ぶ、突っ込みさせよと遠山翠を呼ぶ!」
「こいつも体験入学だ、ここの大学の学科は一つじゃないからな」
琉美那先生もなぜかいる。
ふと周囲を見るとカテリナの制服を着た人がちらほら
「集団体験入学ですか!」
思わずしゃもじを投げようとしたが、そのしゃもじは前述のように投げた後。
「一人づつ行かせると勉強とか面倒でな」
琉美那先生はその胸並みにおおざっぱな人だった。
「ワタシは他の連中を見てくる。鷹見沢と遠山は積もる話でもするがいい」
そして去っていく琉美那先生。
「どうしたの?菜月?」
「うん、達哉は今何してるかなぁって」
「天気もいいし、朝霧君はフィーナさんとデートかな?」
菜月が落ち込み始めた。
「ええと、決して芝生で仲良く膝枕とかしてるなんて言ってないからね」
菜月はさらに落ち込んだ
「ほほほほら、麻衣ちゃんとかさやかさんもいるし選り取りみどりじゃない」
「翠、あんた真琴に汚染されてるわ・・・」
菜月の周囲が真っ暗になった。
「あれ、仁さんどうしたんですか?」
再び達哉側。時間はトラットリアが終わった後、そして最初の登場キャラは仁。
「デザートの宅配に来たんだよ、麻衣ちゃん」
いや、俺は麻衣じゃなくて達哉なんですがと突っ込みを入れる前に麻衣がやってきた。
「ありがとうございますー」
「わざわざありがとう、仁くん」
「いやいや、いつものことですよ」
仁はトラットリアの後、時々試作品のデザートを持ってくることがある。
「麻衣ちゃんはアイスクリームにうるさいからね、だから今日はこれ」
「わあ、おっきい〜」
麻衣達の前に出てきたのは巨大なシュークリームアイス。
「試作品だけど、良かったら食べてくれないかな?」
「それでは、お茶を淹れてきますね」
ミアがぱたぱたとお茶を用意する。
「でも、夕食の後で大丈夫かなぁ?」
「大丈夫よ、ほら、『あんぱんは別腹だよ〜』って諺があるじゃないですか」
「いや、それは何か違うんですがフィーナさん・・・」
そもそもアンパンじゃないだろうという突っ込みは無駄のようだ。
「でもこれって左門の新デザート候補なんですか?」
「いや、違うね、これはあの子専用さ」
「あの子?」
「ほら、リースちゃん」
なるほど、前にトラットリアに来た小さな女の子。
「『普通』と言われたんじゃ料理人としてのプライドが許さないからさ
親父もそうだけど、次には『美味しい』といわせたいからね」
「仁さん・・・」
やっばり客に『美味しい』と言ってもらえないのは料理人としては悔しいんだろう。
いつもおちゃらけ気味だけど、仁もそれ相応の努力はしているのだ。
「でも仁さん、そのリースちゃんという子は今いないんだけど」
「麻衣ちゃん、その点は大丈夫よ」
さやかが両手を耳につけてなにやら周囲を探る。
「ターゲット・ロックオン!」
何やら探知したのだろう。突然ぱたぱた走り出し、そのまま家の外に出る。
「あれってもしかして?」
「うん、お姉ちゃんの『かわいいものレーダー』に反応したの」
「くっ、我に電探あらば!」
拳を握り締めて地団駄を踏む仁、探知したいものは大体判るのだが。
「・・・・」
「みーつけたっ!」
こちらは玄関先、そしてなぜか都合よくいるリース。
「・・・!」
さやかがあらわれた、リースはにげだした!
「逃げちゃだめ♪」
しかし、まわりこまれてしまった!
「つーかーまーえたっ♪」
「はーなーせー!」
かくてリースは呆気なく捕獲されてしまった。後はじたばたするだけ。
「説明しよう、姉さんはかわいいものを見つけると体内のタキオン粒子が・・・」
「お兄ちゃん、タキオン粒子ってあの怪しい通販グッズのでしょ?」
うさんくさそうな顔で達哉を見る麻衣。かくてタキオン説は僅か二行で否定された。
「ふふっ、イタリアンズはサヤカに似たのですね」
ご主人様同様、リース捕獲能力は非常に高い。犬は飼い主に似るものなのだ。
「じゃ、早速リースちゃんご招待だね」
仁が張り切って巨大シューアイスを分割し、リース以下の面々に配る。
「ところで仁さん、このシューアイスの名前は?」
「うーん、丸いし抹茶使って緑色っぽくなったから・・・キャベぐはっ!」
突然、超高速で飛来したしゃもじが仁を粉砕する。それ以上しゃべるなと言いたげに。
「あら、真琴ちゃん」
なぜか真琴が玄関先にいた。
「しゃもじ返しておいたから、それじゃ」
投げ返すのも問題だが、それよりも家の前から投げてリビングの仁に直撃できる腕前とは何なんだろう
「菜月より上の人がいるとは思いませんでした、地球とは広いところですね」
「いやフィーナ、真琴は例外だと思う・・・」
「さて、リースちゃん、お味は?」
頭にばんそうこうをつけた仁がリースの反応を今か今かと見守る。
「・・・あの女め・・・(ぱくぱく)」
「?」
一瞬、何か違う人間のような雰囲気だったが、すぐにいつもの調子に戻る
「・・・きゅう」
「・・・あら?」
突然立ち上がって一回転すると、その場にぶっ倒れた。
「リース!」
「あ゛、いかん、入れすぎた!」
「ちょっと仁君、シューアイスに一体何入れたのよ!」
リースの保護者化しているさやかが仁を問い詰める。
「いや、ブランデーとラム酒漬けレーズンとオレンジリキュールとコアントローを少し・・・」
「相手はこんな子供でしょ!」
ちなみに身長139cm。どうみても見た目は子供だ。
「まったく・・・」
と、さやかはリースを抱えて自分の部屋に運んで行く。
「いやあ、面目ない。つい凝り過ぎて」
失敗失敗という感じで頭を抱える仁。
「仁さんはデザートには容赦しないからなぁ」
「毎日遅くまで研究してるそうですしね」
「今回は失敗だったな。次こそは」
「 酒 類 禁 止 」
さやかの声が上から響いてきた。
「ふうふう・・・」
体験入学を終え、荷物を抱えて戻ってきた菜月。重いのはお土産とか資料とかそのあたりが増えているから。
「私がいない間、トラットリアは大丈夫だったかしら?」
達哉はともかく、愚兄が何かしでかしてないか心配だ。急いで着替えてトラットリアに出なければ。
「え?制服が一着足りない」
盗られるようなものじゃないのにどうして足りないんだろう?
でも疑問に思う前にまずトラットリア。店に出て自分がいない分の目減りを少しでも稼がないと。
「おかえり、菜月」
「おかえりなさい」
達哉とフィーナ。達哉はともかくフィーナまでトラットリアの制服を着ている。
一着少ないのはもちろんフィーナが使っているから。
「フィーナ・・・」
「ごめんなさい。でもトラットリアにはお世話になっていますし、せめて菜月の半分でも肩代わりできればと思いまして」
深々とお辞儀。
「フィーナちゃん、注文!」
「俺も俺も!」
菜月が周囲を見ると物凄い客。
「凄いだろ?これほとんどフィーナ目当てなんだ」
「ふふっ、予想外です」
ぱぱっと注文をさばくフィーナ。身のこなしを見てもとてもピンチヒッターとは思えない。
「私の居場所って・・・?」
「菜月、何やってるんだ?これ五番テーブルへ持っていってくれ」
今日は厨房にいる仁からの呼び出し。
「達哉、2番テーブルの女性客頼むわね」
「オッケー」
そしてとても即席で組んだとは思えない達哉とフィーナのチームワーク。
「やっぱり達哉ってフィーナのこと・・・」
自分が確実に達哉から遠い位置に配置され、フィーナが近い位置に配置され始めている。そんな気持ちが菜月に沸いてきていた。
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