夜明け前より瑠璃色な a Lovers of SKY

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四話へ。

第三話 「彼女達の一日(1)」

瑠璃色の夜空が西に消えかけ、朝日が西の地平線から昇りかけている物見の丘公園のよく整備された通路の上で、彼らは稽古を繰り広げていた。
(どうしてこうも当たらないんだ)
内心、焦りながらも平静に保ちつつ、達哉は握り締める竹刀をふるう。
神経を目の前の敵の動きに集中するだけではなく、全身の感覚を世界に拡大させるように広げていき、微細な変動さえ把握している。
腕前ならば当に一介の剣道部員を超越しているのだが、彼は違う。
「どうした達哉。キレがあっても力みすぎては一撃も与えられないぞ」
地面を這うように、流水のように滑りながら和は避け続ける。歴戦の戦士といったばかりにあらゆる動作に一点の無駄はなく、全ての攻撃の対処法が既に本能として組み込まれていた。
絶対に一朝一夕では、取得ができないだろう。相変わらず見事だった。
「時間切れだ」
何か見計らったように言い放った途端、腹部に熱い衝撃が走った。
全身の酸素がなくなり、頬に茂った草の感触が伝わってくる気がする。
そこで自分が横殴りに蹴られて、道路脇に茂みに飛ばされたのを知る。
「ほらもっとしっかりしろ、まだ三回目だぞ」
そう言う和は、未だに息を切らしていない。
達哉はもう全身が汗だらけで、肩で呼吸をしているというのに。
「は、はい、すいません!」
内側から抉るような痛みを耐えつつ、気丈に達哉は元の位置に戻る。
もはやこの程度で我慢するのは慣れたものだ。
「では実戦形式五型……再開」
練習の再開とばかり、和は竹刀を正眼の構えを取りつつ、その場に佇む。
現在達哉たちが行っている練習は、もはや実戦と称されても過言ではない戦い。
三分間の間に攻撃側が防御側に、致命的な一撃を与えるかで勝敗を決するものだ。簡単なようだが、これがまた難しい。
無論、制限時間中に被害を受けなければ防御側の勝利になるのだが、それでは駄目だと和はあえてペナルティーを加えていた。そうでなければ緊張感がないとの事。
(全身の神経を研ぎ澄ませ、目で追うのではなく感覚で捉えろ、周囲から伝わる空気の振動で相手の動きを予測しろ)
思考を氷雪のように落ち着かせ、身体を疾風がごとき早さで疾走し、振り払う力を烈火のごとく打ちぬけ、その際に巨木のように両足をしっかりと大地に踏みしめる。
そんな中で、達哉は和と共に練習するこの時に、懐かしさを感じていた。

彼とはもう十年もの長い歳月との付き合いになるだろうか。
最初であった頃の和とは、どう接すればよいか分からなかった。
あの時は、まるで稼動する機械人形のように、まるで中身が空っぽのような、まるで幽霊のように空虚な雰囲気を漂わせていた。
しかしながら様々な出来事や衝突を繰り返してからは、父子、兄弟、親友、教師と教え子、師匠と弟子あらゆる範疇の枠にとても例え切れないほどの絆が彼らの間には結ばれていた。
未だに多少、無愛想だが、居て欲しい時には必ずと言っていいほど傍にいてくれて、フィーナのことを教えては、月に上るために様々な分野について大小さまざまな知識や経験を積み重ねてくれた恩人である。もっとも厳しく指導する時が殆どなのだが。

「そこっ」
もう遊びの時間が終了したとばかりに、一喝があがる。
途端に和の竹刀が一瞬にして消える。まさに“目にも写らない”速度。
直後に頭頂部に激痛がのた打ち回る。
「ぐはっ!」
悶絶の声を出して達哉は頭を押さえつけた。
「修行が足りん、まだまだだぞ達哉。まあ少しは元に戻ったようだな」
「ありがとうございます先生」
「とはいえ、今日の稽古はこれで終了だ。もうそろそろ時間だしな」
「りょ、了解です」
涙腺が緩みながらも、達哉は顔を上げながら了解する。
和は見届けると踵を返すとてきぱきと後片付けをし始めた。
「ところでどことなく嬉しそうな感じがするのだが、何かあったのか」
「えっと……」
達哉はどう受け答えをすれば判断できず、口ごもる。
……結局あの後、ゆっくりとフィーナと談笑する暇は少なかった。
やはり一国の王女が一人で外を出歩くのは危険だったらしい。
いくつか言葉を交し合った後、別れ際に彼女は名残惜しい顔を浮かべた。
だが最後に『その内に出会えるよ、きっと』と達哉自身が言った言葉に、彼女は不可思議な物体を見るように首をかしげた。
「なるほど、どうやらフィーナ様に会ったようだな」
「え“?」
内心を見抜かしたような発言に、奇声を発する。
「やっぱり分かっていましたか」
「当たり前だ、いつ頃からお前の兄を勤めていると思っている」
「もう十年くらいですよね」
「なんだ、知っていたか」
心底残念そうにため息を溢し、和はイタリアンズ全員の紐を握り締め、開いた手で荷物を背負う。なんだか少々機嫌を損ねたような少年の表情を浮かべていた。


「いってらっしゃい」
「「「いってきます」」」
和の言葉に達哉、麻衣、さやかの声が一斉に重なる。
様々な雑用を和に押し付けた、というより自分から名乗りを上げたために、彼に全清掃をお願いすることになった。三度の飯と同様に掃除が好きなため、確実に達哉たちの家は新築同様になるだろう。比喩ではなく、現実として。
「久しぶりだよね、お姉ちゃんと一緒に出かけるの」
「え、そうだったかしら」
うーんと上目で幾ばくか考えてから、確かにそうかもと呟いた。
多少、年齢からによる痴呆かと脳裏に過ぎったのだが、口にしないでおく。
『ふふふっ、達哉君。そんなに私は老けて見えますか?』
などと瞳の中に般若のごとき憤怒を滲ませるに決まっている。
「はっくしゅん!」
突然と達哉に目掛けて、さやかがくしゃみを飛ばす。
「おわっち!」
だが日頃の鍛錬の成果のために、容易く飛び退って回避する。
「うわっ、お姉ちゃん大丈夫?」
懐からティッシュを取り出し、さやかに数枚か手渡す。
それを受け取ったさやかが、ちーんと鼻を鳴らす。
「いきなりくしゃみなんて、誰か私の悪い噂でもしたのかしら」
達哉の心の内に決意した。絶対にさやかの陰険な意識を滲ませないようにしようと。確実に命の危機に関わることなのだから。
「あーあ、和おにいちゃんも一緒に来ればよかったのに。恋人であるカレンさんもきっと喜ぶのに」
心底残念そうに麻衣はこれから向かう先にある、大使館に遠い目で眺めた。
頭の中で昨日、さやかからカレンが和の帰国の報告を聞き届けたときに、いつも冷静な彼女の眼が和ぎ、年相当の女性の笑みを浮かべていることは、予想は簡単に想像できた。
「もっとも知らぬは本人ばかりだけどね」
「「あー、それは言えてる」」
同意するように達哉とさやかが同時に頷いた。
過去、さやかと一緒に留学した時に出会って以降、当人達は隠蔽しているつもりだろうが、時々出会う二人の雰囲気からしてバレバレなのだが。
「それにしてもカレンに一足先に春を取られるなんて、悲しいわ。ああ、いつ私にも運命の人が来るのやら」
ハンカチを取り出して、さやかは目元を拭う仕草をし始める。
それに応援すればいいのか、沈黙を保つべきか困惑した達哉たちだった。


「それじゃあお姉ちゃんは、お仕事に行ってくるからねー」
手をぶんぶんと振りまくりながら、さやかは笑みを浮かべる。
達哉はぎこちなく笑みを貼り付け、麻衣は満面の笑みを浮かべて、手を振り返す。
やがてドアの向こうへ消えていくさやかの後姿を眺め、見届けた後で達哉と麻衣は一路、月居住区へと向かう。
「久しぶりだよね、居住区に向かうのって」
「確かに最近はまったく足を運んでなかったから、ご無沙汰だよな」
「でもこんなこと、和兄さんがいなかったら、出来なかったかもしれないよな」
「本当に凄いよ。私達のお兄ちゃんは」
誇らしげに麻衣は、己が兄である和を自慢げに褒め称えた。
こうして気軽に月人居住区に一概に、和のお陰でもあった。
達哉は思い出してみる。
和の職業の一つに、『カメラマン兼ルポライター』というものを保有し、月と地球の両面からの情報と視野を忠実に提供する稀有な才能を持ち、本を出版しては両陣営の理解に多少なりとも影響を与えている。
「って、お兄ちゃん、前! 前!」
「「え?」」
あっけに取られたように、協奏するもう一人の声。
それを判別した時にはもはや時が遅すぎた。
「うわっ!」
「きゃ!」
何か固い物体が達哉の胸のあたりに当たる感触がした。
だがあまりにも軽かったため、よろける程度の被害しか受けなかった。
とはいえ、あちらは違うようだ。よほど急いでいたのか、おかっぱ頭のいかにも可愛らしいタイルに尻餅をついてぽかんと達哉たちに目を向けている。
「ご、ごめん。痛みはない?」
慌てて達哉は少女の前にしゃがみ込み、観察する。
「は、はい大丈夫です。こちらこそ申し訳ありません」
なぜか顔を真っ赤にして、立ち上がるなり大丈夫と仕草を取る女の子。
よく気づかなかったが、青いセーラー服のようなワンピースを着ていた。
「ううん。お兄ちゃんの方が悪すぎるんだから、気にすることないですよ」
「あのな麻衣、こっちに責任があるのが分かっているのに、追い討ちをかけるなよ」
げんなりとなりながらも、ジロ目で麻衣を攻める達哉。
「あ、あのお二人とも、私のせいで喧嘩をするのは止めてください」
あわあわ慌てながら、必死になって少女が二人を止めだす。
さすがに麻衣が否定する口を開いた。
「喧嘩じゃないよ。いつものことだから気にしないで。そう言えばまだ自己紹介がまだだったよね」
「あ、それもそうですね。始めまして私はミア・クレメンティスと申します」
「私は朝霧麻衣って言います。こっちはわたしの兄で」
「朝霧達哉です。よろしく」
「アサギリ?」
聞きなれない苗字なためか、少女は言いづらそうに反芻する。
すとんと疑問が確信に変わり、思考の温度が一気に冷めた。
(しまった。もしかしてこの子、地球に上がって来て間もないのか?)
月のほぼ全体が過去の戦争の影響で地球人に対して偏見や、恐怖を持っているのはさやかや和から知識として知らされてはいる。だが、実際に直視するとどうすればいいか、硬直する。
「もしかしてアサギリさん達って……地球人でしょうか?」
戦々恐々か、興味津々といった不思議な色を少女の双眸が彩る。
「うんそうだけど。何かむぐっ」
それ以上に話す前に、達哉は麻衣の言葉を封じ込めた。
とはもう既に素性を知らされた現状では、無意味でしかなかった。
「…………始めて見ました」
ぽつりとミアが呟き、異変を気づいたのか慌て始めだす。
「あ、あの達哉さん、麻衣さんが麻衣さんが!」
言われてみてようやく気づく、言葉と一緒に酸素も遮断してしまい、麻衣の顔が妙に青ざめていくのを。やがて首が直角に曲がって、ぴくりとも動かなくなった。
「わわわっ、麻衣眠るな、死ぬぞ!」
「それよりも達哉さん、手を口から離さないと!」
「そ、そうだった!」
言われてようやく納得し、麻衣の口を開放する。
ぐったりしている彼女の身体を摩りつつ、声をかける。
「麻衣しっかりしろ、麻衣!」
「…………」
微かにだが何事か呟くのが、唇の動きから察する。
確認しようと耳元を近づけてみて、「馬鹿!」と鼓膜が劈くような大声が居住区一帯に木霊した。ふとどこかのガラスが粉砕される音がした気がしたが、空耳だろうか。
「おうわっ」
「わきゃっ」
二人して悲鳴を上げて、耳を塞ぐ。
復活した麻衣は一息ついて、涙目で達哉を恨みがましい目を刺してくる。
「死ぬかと思ったよ。酷い、酷すぎるよおにい……げほげほ」
「麻衣さんまずは深呼吸してください。随分楽になりますから」
そうミア語り、優しげに麻衣の背中を摩り続ける。
(あれ?)
ふと達哉の中で違和感が湧き上がり、すんなりと理由が飲み込めた。
彼女の中ではそう地球人に対して、嫌悪感などが無いことに。
どうやら自分の不安が杞憂だったことに、安堵をつく。
同時にこんな可愛らしい子に嫌われなくて良かったなどと、不毛で邪な考えを浮かべていた。


ようやく死の淵から回復した麻衣に、アイスクリームを購入して何とか怒りを宥めて終えて、三人はベンチに座りながらミアの話に耳を傾けていた。ちなみに麻衣とミアの分は全て達哉の負担である。
当初ミアは自分でお金を払うと言っていたのだが、麻衣の強烈な押しに呑まれて、仕方なく奢られることになった。
なお、ミアは地球に対して偏見が無かったらしく、すんなりと打ち解ける仲へなれていた。特に麻衣とは家事について意気投合したらしく、もう親友と呼べるほどになっていた。
「実はとある方と一緒に、地球に上ってきたのですが」
少しだけ似ているな、姉さんの話に。
「今度、居住区外のところに泊まらせてもらうことになりまして」
「うんうん」
本当に似たような話があるものだ。
「なんでもその家の方二人は、昔に月に留学してきたらしいのですが」
待て待て、そこまで言ったら必然を通り越して、運命じゃないか?
「もしかしてホームステイ先にいる、以前に留学していた人って、穂積さやかと宮川和って言わない?」
するとミアはきょとんと、丸っこい目を更に丸くさせた。
その反応を観察して、達哉は絶対的な確信を得た。
「どうしてご存知なんですか」
「そこ、俺達の家だから」
「え?」
ミアは先ほどの発言が理解できず、沈黙の渦に巻き込まれたように硬直。
達哉たちの頭上で、小鳥達が囀りながら通り過ぎて、ようやく戻ってきたらしいように、頭を振るう。
「まさか姫様のホームステイ先が達哉さん達の家なんて、思いませんでした」
同意するように麻衣も頷く。
「それは私もだよ。まさかミアちゃんと一緒に暮らせるなんて。もし良かったら月の料理を教えてくれると嬉しいな」
「私でよろしければいくらでも。でも……」
少し言いづらそうに口ごもり、やがて意を決する。
「私にも地球の料理を教えて欲しいです」
その言葉に麻衣は、ぱぁっと向日葵の笑みを浮かべた。
「もちろんだよ! こちらこそよろしくね」
「はい。こちらこそよろしくおねがいします」
これを皮切りに同じ女性であり、料理と言う地球と月双方共通の文化を取得している彼女たちの絆がより一層、固まった瞬間であった。
だが達哉は存在すべき位置が無くて、悲しい。きっと背後には哀愁が漂っているに間違いない。舌に広がる爽やかなペパーミントのアイスでさえ、これだけは払拭できない。むしろ後味が悪い。
誰か救世主の姿がないか周囲を窺ってみると、ふと見知った顔がある店から出てきたところだった。


ミアと麻衣に少し席を外すと言い残して、達哉は住居を兼ねる礼拝所に向かう、神父服を身に纏う初老の男性に声をかける。
「モーリッツさん」
達哉の声に初老の男性が振り返る。顔の所々に刻みついた皴が年相当の経験を積み重ね、地球人であろうと月人であろうと分け隔て無く接するように、感じさせる温和な風貌だった。
彼の名はモーリッツ・ザベル・フランツ。かれこれ三年は地球の司祭を勤めている人格者であり、ある種の達哉たちの先生でもある。
「これはこれは達哉君。お久しぶりです」
「こちらこそご無沙汰です。すいません最近、顔を出してなくて」
罰が悪く謝罪する達哉だったが、モーリッツは経験豊富な、柔らかい目線を注ぐ。
「いやいや常にご学業に励み、放課後も勉強などに精を出しているのに責めるなど、神の御心にも反しますから。それに教会の清掃などと手伝ってくれているのですから、こちらとしては助かっていますよ」
「そう言ってくれるとこちらが助かります」
どうも彼には頭が上がらないために、つい丁寧な言葉遣いになる。
「ところで達哉君。つい昨日カレンから聞きましたが、和が帰ってきたと言うのは本当でしょうか、姿が見えないのですが」
軽く周囲を観察してみて、モーリッツは達哉に問いかけた。
確実に情報の出所はさやかからだろう。
「すいません、今は家の掃除をしてまして。少し長くなりますけど……」
そこから達哉は自分の家のホームステイの話を切り出し(無論フィーナの名前を明かさずに)、そのために様々な準備を整えていると当たり障りの無い説明をした。
「と言うわけで、挨拶するのは今日か明日くらいになります」
「そうですか。それならば例の企画も間に合うかもしれませんね」
「ああ、月文化についての講習会ですね」
年に数度行われる、月についての勉強会のことを達哉は思い出す。
とはいえ、ここ一年ほどは和が出張していたため、滞っていたが。
「去年と同様に俺も一緒に手伝いますよ。可能なくらいのことはできますから」
「はい。今年もよろしくおねがいします」
ひとしきり会話をして達哉は気づく。モーリッツが持つ紙袋がいつもよりも多く膨らんでいるのを。明らかに一人身である彼が消費するには不相当な量だ。
「ところでどうしたんですか、それは」
「実はこのたび、月から一人上がってきた子がいまして、その分です」
新たに司祭が赴任するのかと、達哉は疑問を口にしかけて止まった。
どことなく教壇の琴線を触れられる錯覚が覚える。
そう、モーリッツの体躯から微細に発せられていた。
「ところでもしよろしければ、教会に来ませんか? 和には敵いませんが、これでも少しはお茶の腕があがったものですので」
飲み物も出て、月の勉強も兼ねるため、喉から手が出る申し出。
なのだが今日はいかんせん、状況が悪かった。
「そうしたいのは山々なんですが、今日は麻衣も一緒に連れてきているんで、あまり一人で別行動するわけにはいかないんですよ」
「なるほどそれは確かに無理でしょうね。では今度いらしてください」
「はい」
そう言って達哉とモーリッツは和やかに微笑んだ。


ひとしきり達哉との挨拶をかわして後、モーリッツは建設されて二十年ほどしか経過していないまだ真新しい礼拝堂の扉を開き、中に入る。
どうやら一足先に先客がいたらしい。可愛らしい女の子だ。
十字架のシンボルを背に、何か祈っているかのように佇んでいた。
計算されつくした精粋の、彩り鮮やかなステンドガラスから刺してくる、光を浴びるその姿はまるで聖書にでも記述していそうな聖女。
モーリッツの気配に気づいたらしい。女の子が振り返った。
ルビーのように燦然と輝く赤い眼。本来ならば年頃の少女らしいのだが、その眼にはモーリッツと比べ物にならないほど経験豊富な女性らしさと、あらゆる負の事情に対面して倦怠している、悲しみを宿っていた。
まるで子供の容姿を象ったまま、数百年も行き続けているかのように。
「久しいな、モーリッツ」
発せられたのは無邪気な声ではなく、知的的な平静の声。
声色は以前とは違っていたが、言葉遣いは十年以上も変わっていない。
もっとも以前であった彼女は、男性の姿をしていたのだが。
「お久しぶりですフィアッカ様、いつ頃からこちらに」
「つい先ほどな。本来ならばもっと前に来るはずだったのだが、これでは」
毅然とした表情を少し崩し、無駄に意匠の付いた衣類を眺める。
機能的で無駄が無いのを好む彼女のことだろう、あまり好みではないらしい。
「ところでフィアッカ様。そのお姿が、今のあなたの器なのですか」
話を切り替わりに、フィアッカがうむと頷く。
「リースリット・ノエルと呼ぶ。私が出ていないときはよろしく頼む。こう見てもこやつは恥かしがり屋なのでな、あまり本心を口にしないのだ」
「はい、かしこまりました。ところでどのくらいご滞在で?」
「まだ分からないが、数ヶ月は滞在するだろう」
そうですかとモーリッツ答え、内心は不安の色が濃かった。
かつて月と地球の文明が大きく衰退した戦争。
それを二度と起こさないための絶対安全装置である、彼女が上ってきて長期間滞在するということは、この付近に封滅級のロストテクノロジーが埋没している証拠になる。
「ん、どうした?」
「いいえなんでもございません」
フィアッカの声に頭を振って、再び思考をめぐらせる。
数百年もの間、戦争を回避する。そのために存在し続けるフィアッカ。
その手足となるために、己の人生を捨ててまで責務を果たそうとする、ノエル家の者達。
被害者でしかない彼女らに対し、どうしてこのような罰を受けねばならぬのか、時に残酷な神に衝動的にも問いかけたかった。なんとかして痛みを分かち合えないだろうか。
……いや、その気持ちを汲み取る者なら、この世にたった一人だけいる。
だがどうしても口には明かせられない。当の本人から口止めされているために。
そのために自分がフィアッカに対して、秘密を持っていることに対して、気が咎め続けるしかなかった。






三話へ
第四話 「彼女達の一日(2)」

本国から王女が来日するという事前に伝達されなかった事態に、一部を除く職員が仰天するような一夜が過ぎた、月大使館。ようやく日常の平穏を取り戻したとばかりに、静まり返っていた。
だが、それを粉砕するように、ナパーム油をぶっかけるような騒動が勃発する。
全ての発端は、フィーナ・ファム・アーシュライトの一言からだった。
「そのようなことはいけません。お一人で向かうなど」
「一人ではないわ。ミアも一緒よ」
「どちらにしても駄目です。せめてお車を用意いたしますので、それでお願いいたします」
雲の上の存在であるフィーナを目の前にして、しもろどもろになる職員。
それもそのはず、護衛官も付けずに街中を闊歩するのは月の王族としては……否、古今東西全ての王族として、前代未聞の行動なのだから。
「地球をこの目で見て、肌で感じるという行為は、おかしくは無いでしょう」
フィーナは毅然とした態度で、至極当然とばかりに職員に問い返す。
全ては女王となって、母と同じ地球との架け橋になる為に。
まったくもって、横口を入れる隙もない絶対的な理由だった。
「それは……そうですが」
途端に職員は口篭っては困り果てて、うろたえだす。
それでも意を決し、なんとか言い留めようと言葉を切り出した。
「ですがフィーナ様、護衛も付けずに街中を歩くのは危険すぎます。万が一、身に何か害があった際には、国王陛下に下げる頭がございません」
「そのようなことしてはホームステイの意味がありません。そもそもここに来たのは、少しでも多くの地球での語学を学び、それを基により一層の外交を進めるものであって……」
自分でも少し熱っぽく語り続けながら、ここに来る直前の父の顔を思い出す。
よほど親離れならぬ、子離れできないような、全身に不安一色で染めた表情を。
「フィーナ様。その方が言うのも一理ありますよ」
そこへ背後からかけられる、聞き覚えのある涼やかな声。
「カレン、あなたいつから後ろに」
もしやとして見やった先、葡萄色の職員服を着たカレン・クラヴィウスが恭しく一礼をしていた。
「申し訳ありませんフィーナ様、つい先ほどです。ここは私に任せて、あなたは下がってもいいですよ」
カレンが声をかけると安堵の雰囲気が背後から伝わり、遠ざかる感覚がした。
きっと緊張の糸が総切れて、安堵しきった表情になっているだろう。
「久しぶりですねカレン。地球に赴任して二年ほどになるかしら」
「覚えていらしたのですね、フィーナ様」
「カレンとは母様と一緒にいる頃からの付き合いなのだから、よく覚えているわ」
ありがとうございますとカレンは頷き、話を戻そうとする。
「ところで先ほどのフィーナ様のお言葉ですが」
「いくら誰の言葉でも私は聞きません」
つんとフィーナは拗ねるように言う。
きっと唸るように困るとフィーナは思ったのだが、
「ということなら、見知った方ならば同行を許すということですね」
「? 一応、そうなるわね」
「それならば話が早いです。彼もその話を提案してきていたので、助かりました」
「彼とは誰のこと?」
内心、地球で護衛できる人物に心当たりが、あった。
瞬間的に、子供の頃の記憶からある人物の顔が脳裏に過ぎる。
「お久しぶりです、フィーナ姫」
再び背後からかけられる、平坦な鷹揚の低い声。
肩越しに眺めると、あの頃とまったく変わりない姿の和があった。
まるで子供の頃に映したアルバムの容姿を、そのままくり貫いたように。
「こちらこそお久しぶりです、和」
久しぶりの再会に、微笑むフィーナ。
それから軽く会話が終了して、カレンが提案の是非を訊ねる。
「それで護衛の件ですが、彼では不十分でしょうか」
「いいえカレン。彼ならば十分に満足できます」
あの事件以降、フィーナはカレンやさやか同様に絶対的な信頼を置いている。
それに彼が出版する本を通じて、月人全体にも地球の情報が伝達し、ちょっとした地球ブームが起き始めていた。
「それに外野では多少うるさい連中がいるので、身が白い人物がいれば姫も安心できるでしょう。もっとも“清浄たる蒼穹”も動いているので、そう簡単には浸入はできますまい」
とある固有名詞を和が口にした途端、場の雰囲気が凝固する。
「……和、それは本当のことですか?」
「もちろんだカレン。現に“朱の騎士”と“蒼の遊撃手”含めた一個大隊が護衛していると聞き及んでいる。虎の子の彼らがいるのだから、心配はまず無いな」
「まったくどこからそんな情報を得ているのですか」
「企業秘密だ。大体、簡単に教えたりしたら信用がなくなるだろう」
「んむぅ」
舌を巻かれたように、カレンは唸る。
(本当にカレンは、和に敵わないわね)
事ある毎にカレンの予想を先読みし、抜かり無く手はずを整える。
地球で彼のような人物がいれば、遅々とした現状が少しは改善するだろう。
正直なところ、本当に惜しい人物だった。
同時に“清浄たる蒼穹”について、思い返していた。

彼らについて、フィーナは戦争になって離れ離れになった地球と月を再び融和するためだけに、設立した組織だと聞き及んでいた。単なる噂話ではなく、実際に目にしたことがないために、どう返せばいいのか分からないために。
所属する人数、所有する兵器、所在地全てが不明。
分かっているのは、地球にあるロストテクノロジーを管理していること、地球と月のパワーバランスを監視し、均衡が崩しかけた際には介入してくることだけ。
言わば、地球版の静寂の月光・技術局だろうか。
もし彼らがいなければ、現状を維持することができなかっただろう。
下手をすればどちらかが、倒れていたかもしれない。

(もし彼らの誰かに会えれば、お礼を述べたいわね)
胸の内でフィーナは顔も知らない“清浄たる蒼穹”たちに感謝をする。
「と、その前にフィーナ様。お出かけになる際には、お召しになっている服ではなく、お持ちした普段着で行かれるべきです」
「確かにそれはそうです。カレンの言うとおり、豪華絢爛な衣装を身に纏っては『月の王女はここにいます』と仰っているようなもの。現時点では危険です」
二人の進言は至極当然のものであり心底、身を案じていた。
無論、そんな彼らの提案をフィーナは卑下には出来ない。
「分かりました。二人の言うことにしましょう」
フィーナが提案を飲み込むと、二人の顔は随分と安堵の色が濃くなった。
なのだが、どういうわけか次の瞬間には、和とカレンの視線の丁度中央あたりで、オレンジと紫の火花が激しく迸る。目の前にフィーナの姿があるにも関らず。
だけれども、フィーナはまったく気にしてはいない。
月の留学の際に手合わしてから以来、互いが好敵手同士であった彼らが勝負事になると見境がなくなるのは、もはや彼らの関係を知る者達では、知らないほどだからだ。
「というわけでカレン。久々の勝負はお預けだな」
「ええ、私としては不本意なのですが、フィーナ様をお願いします」
恨めしい眼をしながら残念そうに頭を下げるカレン。
それを見ていた和の唇が、微細だが露骨に歪む。
……あれは、悪い悪戯をするときの前兆だとフィーナは覚えていた。
「とは言え、さすがに馬乗りはもう勘弁な。あれ、かなり恥かしいぞ」
「んなっ!」
恥かしい記憶がぶり返したのだろう、カレンの身体が勢いよく大きく仰け反り、小さな口が裂けんばかりと大きく開く。全身沸騰したように赤く染まっていた。
ふいに和が目線を配らせてくる。すぐに了解と返答を返す。
だって、面白そうなのだから。不謹慎だけれど。
「馬乗り?」
「なんでもございませんフィーナ様、忘れてください!」
「まったく、中身の人と同じように馬が基本形なのだな」
「中身の人って誰ですか、和!」
「で、話は戻るが」
「戻すのですか!」
「以前カレンと飲み合っていたら、とうとう酒に溺れた途端にオレの体を怪力で掴み上げたと思ったら……馬乗りをし始めたのだ。こうぎこぎこと」
「……カレンって、大胆なことをするのね」
演技っぽく頬に手を当てて、ため息を溢すフィーナ。
うむと和も神妙な面持ちで頷く。
「かなり激しかったな。もう宿舎が振動するほど」
「フィーナ様、そのようなことはありません、決して!」
横でカレンが絶叫しているが、知らん振りを決め込む。
「それでどうなったのかしら」
「もうそれは朝まで続きましたよ。無論私は、濃厚で情熱かつ、扇情的でベルレフォーンな波状攻撃にもう手を打つ暇も無く、されるがままでしたが」
「さやかが聞いたら、驚くわね。きっと」
「きっとクラヴィウス家では、あれが基本形態なのですな」
「うむ、恐ろしやクラヴィウス家。まさかそのような悪戯が日常の裏で行われていようとは」
「お願いですから、人の話を聞いてください……お願いですから」
よよよとカレンは、地面に突っ伏して形のいい肩甲骨を震わせていた。


「あー、外の空気はおいしいわ」
さやかは大きく背筋を伸ばして、天を仰ぐように両手を挙げる。
ようやく昼の休憩時間が来て、昼食と息抜きを兼ねて外へと出かけていた。
「あ、館長。今日のお昼はどこに行きますか?」
さやかの横を通り過ぎようと女性が立ち止まり、おずおずと尋ねる。
どことなく小動物を思わせる顔立ちの、最近入ってきた職員だ。
「ええと、今日も行きつけのお店に行こうかと思ってるわ」
「じゃあ私もご一緒にしてもいいですか?」
「私で良かったら、いいわよ」
「ありがとうございます!」
雲ひとつ無い、憧れの眼差しをさやかに注ぐ職員。
「私、嬉しいです。こうやって館長とご一緒にお昼を食べにいけるなんて」
「ふふふ、そうやって肩を張り詰めていたら、疲れちゃうわよ。リラックス、リラックス」
「は、はい。ふー、はーっ」
さやかの指示に従って、職員が深呼吸をし始める。
「それにしても最近はお弁当じゃなくて、こうやって食べにいけるから、ありがたいわね」
「え? 以前はお弁当とかだったんですか」
「そうなの。あの頃のお昼は配達弁当だったり、深夜まで残業があったりして、皆辛い目にあっていたもの」
そう、一年以上も前ならば、こんな事は絶対にありえないことだろう。
どこかの力がある誰かの手回しをしてくれたためか、ここ最近は予算や人員が潤沢し始め、お陰さまで息をつく暇も多少は増えてきている。同時に他の職員達の負担も軽減し、作業の効率かもはかどっている。
「そういえば館長、聞きましたよ」
「話ってなんのことかしら?」
「知っているでしょう。月からの留学生を受け入れるって話」
「え、ええ、そうなのよ」
一瞬、表情が強張るのを押し留めてさやかは肯定する。
訝しげに感じさせたと思ったが、杞憂らしく視線はこちらに固定していない。
月から交換留学生がやってくるという情報(ただし、王女だということは現時点では内密である)は一般でも知られている。きっと羨ましいのだろう、神秘のベールで多い尽くされた謎の国とも呼べる所から、ホームステイしに来るということが。
(と言っても、何もなければいいのだけれど)
家族達の前では言わないが、内心さやかは多少の不安があった。

地球連邦政府首相からの直々に召集にさやかは馳せ参じ、王女の留学話を聞いた時には、何らかの冗談かと思わず失笑してしまったほどあり得ないと思った。
あちらの意向などもあり、受け入れることにしたのだが、付いて回る責任は確実に自分の予想などを遥かに重く、下手をすれば館長辞職や国際問題どころか、第五次オイディプス戦争の火種になる危険性を孕んでいるだろう。
一見、地球と月は小規模で細々ながら交流を促進し、様々な面で議論している。
だが実質は両陣営とも子供の駄々のように、自己主張を繰り返すのみ。
議論などと呼べる領域などとは、あまりにも程遠い現状だ。
このままでは一世紀が経過しても、関係は停滞したままだろう。
いや、むしろ悪い方向へと転がっていた。
現に反月主義者のテロリスト達が時折、各地で暴動を起こしているし、以前さやか達が出くわした月のテロリストも最近は騒ぎはじめているとか。
これでフィーナ姫が地球に来日して、何か被害を受けたらどうなることか。
最早、火に油ではなく、ガスタンクに大型ミサイルだ。
それでもさやかは全ての危険を飲み込んでさえ、了承したかった。否、しなければならなかった。押し付けられたからではなく、自分の意思で。
正直なところ、さやかも双方の関係を少しでも改善したいし、何よりもあのセフィリア女王の娘にこの地球の素晴らしさを味わって欲しい。そしてその経験を月の人たちにも伝えて欲しい。他人から見ればエゴイストやら売国奴だと罵られそうだが、知ったことではない。そもそも自分勝手と、未来を掴み取ろうとする者は、相反する存在だからだ。そう、彼に教わった。
例え現実に耐えかねて挫けそうでも、自分の道を絶望の闇で閉ざされかけようとしても、決して足を止めない不屈の意思、その先にあるであろう希望の光を手にしたい。それが決意。
それらの想いがあったからこそ、この話を受け入れることにしたのだ。
フィーナ・ファム・アーシュライトをホームステイさせることに。

「あれ?」
ふと無意識に通り過ぎようかとした時、建物と建物の隙間、路地裏の物置の影に小さな姿に気づく。
数歩後ろに下がり何かと思えば、それは小さな女の子だった。
最近こちらに来たばかりだろうか、後姿には見覚えが無い。
それよりも気がかりなのは、あの小さな背中に漂う気配が、かつての自分と同じように人との温かみを欲求しているような、一抹の寂しさが漂っている気がした。
…………放っておけない。
頭や心が訴えるよりも先に、足が少女に向かっていた。
「どうしましたか館長?」
「…………」
怪訝な職員を、さやかは唇の前に人差し指を立てて、沈黙するように仕草をする。
すぐに何事か把握したらしく、職員は何も言わずに何度も頷く。
「こんにちは」
少女のすぐ背後に陣取り、さやかは声をかける。
「……誰?」
振り返った少女はどことなく拒絶に似たような、応用の無い声を発する。
これが年半端のいかない女の子の台詞かと、さやかは内心驚いた。
だが、感情を表に出ないように気持ちを平静に保ちつつ、自己紹介する。
「私は穂積さやか。この近くの月王立博物館の館長代理をしてるの。もし良かったら一度足を運んできてね。可愛い子ならいつでも大歓迎だから」
「そう……」
さやかの会話を一言で一蹴し、興味を無くしたように視線を元に位置に戻す。
釣られてそちらを見やると、一匹の黒猫が少女の手に撫でられていた。
「猫が好きなの?」
「……嫌いじゃない」
さやかの問いかけに端的で曖昧に答える少女。
恐らく普通からちょっと好きくらいの領域だと把握する。
……ひょっとしたら多少強引でも、踏み込んでいく必要があるかもしれない。
長年の経験と女性としての直感が、さやかの中で判定を下す。
だとすればやることは唯一つだけだ。
「えいっ」
軽く一息、掛け声をかけてさやかは少女の小柄な身体を抱きつく。
思った以上に華奢で、肌が滑々している。なんだか可愛いお人形のよう。
今すぐお持ち帰りして、部屋に飾っておきたい気分になる。
「……何をする」
非難がましい台詞を口にしながら、じだばた暴れ始める。
「かわいいわね。和むわね」
「抱きつくな〜」
「ほらほら、むにむに〜」
「擦り付けるな〜」
眼下で少女が地団太を踏み始めるが、さやかにとっては大した抵抗ではなかった。
いや、逆に抱擁心が更に掻き立てられて、温かさを分けるように抱きしめる。
「う、羨ましい……」
その様子を後ろから眺め続けていた女性職員がハンカチを口にして引っ張りながら、なにやら不穏な発言をしていたことには、気づいていない。どうやら彼女にはそっちの毛があるようだ。


「ええっ! 月からの留学者!?」
隣の席で大げさに驚きのポーズを取りながらも、レバー操作を怠らない翠。
盗み見すると敵のBRを回避しつつ、緑色の炒飯機体でのCSで敵を撃破するところだった。
「私も負けられない、てりゃ!」
負けずとばかりに菜月もSインパの非覚醒コンボを繰り出して、担当していた一機を撃破する。一番難易度の高いステージで戦闘しながらも、一度も落ちていないのは脅威であった。しかもEXステージだ。
現在彼女たちがしているのは、初心者では多少……どころか、難易度の高いゲーム。理由は三百六十度もの空間から無数に襲撃される危険性と、意外と操作性が難しいためだ。
「それで本当の話なの? しかも朝霧君の家にやっかいになるのって」
視線をゲームに固定しつつ、翠が尋ねてきた。
「どうやら本当らしいのよ。まあ、さやかさん達は、それほど肩を張らなくてもいいって、言ってたけど」
「だったら別にいいんじゃないの。いつもの菜月のように普通にすればいいと遠山さんは思いますよ」
「それはそうなんだけどね」
「はい?」
小首を傾げる翠。微妙に言葉が食い違っていることに気づいたようだ。
「翠、六時方角から嘴装備ストフリと隠者の二体!」
「了解っす!」
「援護お願いね!」
菜月は意識を画面の敵に保ちつつ、思考は別のことを逡巡する。
まさか翠は思いもしないだろう、訪問者が月の第一王女だということに。
こればかりは一人では悶々と解決できるはずがなく、こうして翠に付き合ってもらって解決しようとしていた。ついでに憂さ晴らしとばかりにゲームもしたかった。
とはいえ、やはり翠たちの言うことが一番だろう。
いくら遠く離れた異郷の地から来るとて、同じ人間。意思を交わせぬはずがない。
やはり翠に相談してよかった。なんだか悩んでいたのが馬鹿馬鹿しく思える。
「でも菜月も珍しいよね。私に相談してくるのって……ほりゃ!」
「って翠、なに炒飯大盛りで人ごと巻き込ませてるのよ!」
「グレイトー♪」
「なにがグレイトー♪よ! 普通、味方を撃つ?!」
「ライフがあるんだから、大丈夫っしょ」
「己というやつは、後で覚悟しなさいよ!」
レバーは常人では認識できないほど素早く操り、ボタンを押す音は『カカカ』ではなく、『ガガガ』と削り取るような騒音になっていた。もはや廃人顔負けのような牌人と化している。
「それで今度、ウチで歓迎会することになったんだけど、私にできることが何も無いのよ」
「えー、菜月にはカーボン料理……ひっ」
言いかけたところで、菜月が絶対零度の殺気を込めて翠を沈黙させた。
「え、えっと、だったらイタリアンズの芸を見せればいいじゃない。菜月は得意なんでしょ」
まあそれが無難よね、と菜月は提案に追従する。
「それでいつ、その人たちが来るの?」
「今日」
「そう、今日なんだ……って、なんじゃそりゃーっ!」
絶叫を荒上げて、三白眼で菜月を睨みつける翠。
が、操作を誤ることなく、敵を殲滅していた。






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