夜明け前より瑠璃色な a Lovers of SKY
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六話へ。
第五話 「彼女達の一日(3)」
「相変わらず、大きな門だね」
「そうだよな」
睥睨する様に佇む大使館の門の前で、月の王女を出迎え来たとは想像できないほど、普段の私服を着飾って、手持ち無沙汰に佇む達哉と麻衣。
真昼頃の太陽の日差しは気のせいか幾分かきつく、タイル敷きの床を熱気が反射してか達哉には異様に熱く感じられた。
「にしても、もうそろそろの筈だけど、まだなのか」
そう腕時計を確認する達哉だが、どこか落ち着きが見えない。
それもそのはず、先ほどから何度も時刻と、扉の両方を見比べていた。
無論、この異常さに気づかない麻衣ではない。
「ねえお兄ちゃん、なんだか無性にそわそわしてない?」
「麻衣だってそうじゃないか」
「うっ」
指摘され、言い淀む麻衣も、微妙に表情が強張っている。
時折、背後に振り返っては挨拶の言葉かを何度も反芻しながら呟き、笑みを形作ろうと指で顔を弛緩させているのは、達哉も知っていた。
だが無理も無い話しだ。地球人が、しかも要人でもない一介の少年少女が、一国の王女を迎えようなどとは、誰が想像できようか。いや、一人だけいるけど。
「それは私の場合は、お姫様がどんな人かってことだけど、お兄ちゃんの場合は、例えるなら長い間会えなかった恋人に会いたくて堪らないような顔をしているよ」
「そ、そんなことはないぞ」
芯の部分を突かれて、反論する達哉は言いよどむ。
まさか昔、幼少の頃の王女との約束を成せることに、期待しているなんて。
絶対に、いえるはずが、無い。
「ふぅん、まあいいけど」
まったく納得してない風に、ひとまず会話を切る麻衣。
その時だった。突如扉が軋みを上げて開口されるのが。
「「っ!」」
二人の間で違う緊張の糸が張られる。
達哉は二度の再会に、麻衣は一市民が雲の上の人物に拝見することに。
徐々に開かれる扉、建物の隙間から陰の様に出現する人物の姿は、
「達哉、麻衣、遅かったな」
どういうわけか、現在家で掃除しているはずの和だった。
「な、なんで和お兄ちゃんがいるの、掃除していたんじゃなかったの?」
へなへなと床に崩れ落ち、麻衣はうな垂れる。
限界まで伸びていた緊張の糸が、途切れたのだろう。
「掃除なんて簡単な部分を済ませるだけだったのでな、後はほんの少しの調整だけで良かったんだ」
「それだったらお兄ちゃん一人で行けばいいじゃない」
内からこみ上げた怨嗟を視線に含めて、非難する舞。
「どうしたの和?」
と、和の後ろから凛として、艶やかな音色が奏でられた。
申し訳ありませんと和は口頭で謝罪し、その場から離れる。
入れ替わるように現れたのは、まさしく昨日出会った彼女だった。
月光の光を弾いては輝きを増す白金の髪。凛として、どんな困難にも抗うように強い意志が籠もる深翠の瞳。精密にして精巧に作り上げられた顔立ち。全身からは決して眼を背けられないような、だが決して眩すぎないような雰囲気をかもし出す少女、月並みな感想だが、月の王女として相応しい容姿だ。
「あっ……」
達哉の姿を確認するなり、フィーナが動揺のために軽く見開く。
だがそれは僅かの間だであり、すぐに平静な顔立ちに戻る。
「で、こちらが我が家の弟である」
「朝霧達哉です。よろしくお願いします、フィーナ姫」
出来る限り満面の笑みを浮かべて、達哉は綺麗な一礼をする。
「…………」
頭を上げた際、フィーナの眼には言葉が張り付いてあった。
『昨日のあれは、こう言うことだったのね』、と。
「あ、は、始めまして、フィーナ姫。私、朝霧麻衣と言います。この度は長いご足労をお掛けして申し訳ありません!」
再起動を果すなり、麻衣は勢いよく立ち上がっては、何度も頭を上げ下げしながらフィーナたちにろれつの回らない、支離滅裂な挨拶をし始めた。
「ま、麻衣さん。そんなにしていたら目が回りますよ」
さすがにもう一人の人物が大慌てで、麻衣の動きを停止させる。
フィーナのお付であり、先ほどであったミアであった。
「ミアちゃんが、私の目の前でどどんまいしているよー」
急激な血圧の変動があったらしく、眼を回しながらミアの胸元に抱きつく麻衣。
初めて出会うはずの人物たちが、和気藹々としかも互いに名前を呼び合っていることに、フィーナは気づいてミアに尋ねる。
「ミア、この人とお知り合いなの?」
「はい。実は姫様が手続きをなさっている間に、知り合いまして」
「まあ偶然なんて、よくあるのね」
台詞の割には、フィーナの声色には微細にも驚きを滲ませない。
その代わりと、和に意味深な目配せを差し向けた。
「まあ、ここで話をするのもなんですので、ご案内いたします。達哉、先導を頼む」
「はい任されました」
ここで中断とばかりに切り出す和の言葉に、苦笑しつつも達哉は頷いた。
こうして普通に歩いていても精密かつ広大で無機質な模型の中で動いている風な、妙な圧迫感や違和感は無かった。むしろ、目にしている物全てが開放的で多彩な色や匂いから来るものだろう。月では絶対に体験できないものに違いない。
自然に太陽から降り注ぐ陽光が、ぽかぽかして気持ちがいい。
頬の肌を伝わり、髪を撫で上げていく風が無性に優しく感じる。
なのだがフィーナの胸の内では、ざわついている。
原因は昨夜、ホームステイ先のことを素直に白状しなかった人物、
「うん? どうしたんだフィーナ」
朝霧達哉によるものだ。
ちなみに和と麻衣とミアは自分達の数歩後ろで、談笑しあっていた。
なのだがこちらは幾分か、ぎこちない。会話に弾みがないせいだ。
「まさかあの時の言葉は、こういうことだったなんて」
わざと言葉に棘を含ませて、達哉を微笑むようにして睨む。
さすがに罰が悪いと感じ取ったようで、彼は困り果てる。
「いや、ごめん。あの時は少し驚かせたいと思ったから」
「もう意地悪ね、達哉は」
「ごめんフィーナ。でも反論を言わせてもらえば、君も同じじゃないか」
「え?」
言われてみてもフィーナ自身、まったく身に覚えが無く、かぶりを振る。
「じゃあ、子供の頃のボクが誓った約束を覚えている? フィーナ姫」
「あっ……」
約束という二人にとっての誓いに、ようやくフィーナは気づく。
本当は達哉と一緒にいろんな所へ行って、かけっこして、遊んで、お話して、己が身分を全て忘却の彼方へ追い込みたかった幼い頃の自分。
だがそんな綿菓子みたいな甘い時間は、いとも簡単に壊された。
大きなモニュメントのある公園に向かおうとした矢先、自分の護衛である黒服達が立ちふさがったために。
それを見てフィーナはある種の無情さを覚えてしまった。
もう儚い夢の時間は終わり、そして現実の世界に戻らなくてはいけない。
それに自分の我侭のせいで、配下の者達を困らせたくない。
そういう自尊心が幼き頃の王女としての自分が、顔を覗かせた。
だが、それとは違うもう一人の自分が訴えていた。
……本当にこれでいいの? と。
正直、戸惑った。生まれて始めての葛藤が小さな身体の内で駆け巡った。
なのだが結局勝ったのは、王女としてのフィーナ・ファム・アーシュライトだった。
王女としての仮面を被りながらも、必死に素顔の自分を押さえ込みながら、再びこの地に舞い降りる約束をした直後の彼の言葉。
『会いに行くから、たくさん勉強して必ず会いに行くから! だからそれまで待ってて!』
自分と同じように涙を堪えながら、子供の頃の達哉は笑いながら手を振っていた。
「本当、あの時の俺の言葉を裏切って、フライングしてまでやって来るなんて思わなかったな」
あの頃を思い出してか、達哉はさも残念そうにため息を溢す。
「あの、ごめんなさい達哉。そういうつもりでは」
「……いや、もういいよ。フィーナもそうしてまで、地球に来たかったんだろ。これでおあいこということで、勘弁しないか」
その言葉を待っていたとばかりに達哉は、妥協案を打ち出す。
同時に彼女は知った。彼も機会さえあれば、月に乗り出す気だったことに。
なんとまあ豪胆というか、無謀と言うべきなのか。本当に自分の血筋に似ている。
もしかしたら遠い祖先が、同じ人物だったら面白いのに。
「ええそうね。これでおあいこ、ね」
「だな」
一瞬、沈黙の空気が停滞し、次にはお互いに笑い始めた。
「もう笑いすぎよ達哉」
「そっちだって笑っているじゃないか」
「達哉が笑っているからよ」
「いやいや、そっちが先だって」
なんだか変に話が抉れてしまった気がして、何か話題を変えなくてはと思った矢先、堤防越しから見える、大きな水の流れに眼がいった。
「写真や映像で見たことしかないのだけれど、川って本当に流れているのね」
「そういえば月の王都じゃあ人口の川で、それに小さいんだっけ」
「ええ、いつか月の民たちにも見せてあげたいわ」
「きっと出来るよフィーナなら。言葉にできないけどね」
本当に実現できると確信している達哉の言葉に、励まされる気がする。
「とは言え今回の事は、セフィリア女王が手を回してくれたお陰だから、感謝しないとな」
「え?」
フィーナは驚愕して一瞬立ち止まってしまった。
あまりにも達哉の的を射てすぎているために。
彼女がホームステイの話を王たちに切り出した際、無論のことながら様々な波紋が発生した。
貴族や王族からはかつて敵国だった場所に単身で向かおうなど無謀、無意味、無駄などと揶揄され、激しい反発が沸きあがった。
だがそれらを丸く治めたのは他ならぬ、母であるセフィリアだったのだ。
「どうしてそんなことが分かるの?」
全てが水面下で執り行われたため、情報が漏洩した記憶がまったくないのに、どうしてただの庶民が知っているか。フィーナはただ、それだけが不思議でならなかかった。
「だって今回の話はいくら王女とはいえ確実に叶えられる可能性は低いじゃないか。しかも護衛無しで一般家庭に短期間滞在するならなおさらだよ。だとしたら今一番の実権を持っているセフィリア女王が一声をかけて、なにかしらの手はずを整えれたからこそ、実現したと思ったから」
完全に論理整った、間違いの無い説明。ただ呆気に取られるしかない。
ほんの少しの情報だけで、ここまで組み立てることができるのか。
ある意味、自分よりも遥かに高い領域に達哉が見下ろしている気がした。
「凄いわ達哉、その通りよ。どこから技術を?」
うーんと考え込むように達哉が頬を掻きながら、説明をし始める。
「和兄さんがいろいろと教えてくれたんだ。月や地球の政治論に歴史や文化を始めて、各分野の勉強や各種の実地訓練とかも体験したんだ」
「それはフェンシングや馬術などかしら」
「それらも一通りしたよ。とは言ってもさすがに飛行機の操縦はきつかったな」
ふいに達哉の目が遠い世界に逝くような、目に変わる。
「後、海外に行って銃の撃ち方や、ジャングルの奥地に一人置いてかれてのサバイバルもしたよな。本当に死ぬかと思ったよ」
「そ、そんなことまでしたの」
さすがのこれには、フィーナも頬を引きつらせて笑うしかない。
……確かにそれでは度胸も付くものね。
「それでここが俺達の住む、朝霧家の住宅だよ」
やっとの思いで戻ってきた自宅をフィーナたちに紹介する。
なのだが奇妙な点に達哉は気づいた。ナポリタンズの歓喜の声が聞こえない。
いつもならばお客に対して(特に初対面)には、愛情狂喜乱舞のようなはしゃぎっぷりと、かまって欲しいばかりの吠えがあるはず。なのに、一向にその気配がなかった。
ひょっとしたらフィーナの高貴な気配に、大人しくしているのだろうか?
「とても大きな家なのね」
王女から発せられた意外な言葉に、達哉は意外とばかりに感じられた。
確実に違和感が表情に浮き彫りになったらしい。フィーナが首を傾げる。
「どうかしたの達哉。私の顔に何か付いているかしら」
「いや、フィーナの実家ってとても大きな宮殿だから、こんな小さな家なんて窮屈だと思ったから」
ようやく合点がいったとばかりに、フィーナは頭を左右に振る。
「そんなこととはないわ。そもそも宮殿は皆も使用する、いわば宿舎を兼ねた一種の公共施設みたいなものだから、実質的には家ではないの。そうよねミア」
「はい。姫様の言われる通り、あそこは私達を含めた使用人たちの住居も存在していますから、一概に王族様方のお住まいとは言いません」
フィーナの説明を追従するミア。だが、ふと疑問の色が彩る。
「それにしても姫様と達哉さん。お二人ともすごく仲が良いように見えますが」
「うん、私もミアちゃんと同意見だよ。最初から呼び捨てになっているし」
「そういえば、ミアや麻衣には言っていなかったな」
最初から知っているとばかりの当然の面持ちで、和が口を挟む。
「フィーナと達哉は幼い頃に出逢っていたのだ。しかもかなり親密な仲でな」
「「え?」」
凝固して微動だにしなくなる二人。嫌な予感がした。
「「「…………」」」
達哉、フィーナ、和は互いの顔を覗くと、深く頷いて耳を塞ぐ。
「「ええーーーーーっ!!」」
刹那の間の後、平穏な真昼の住宅地に絶叫が鳴り響いた。
「これで終了っと」
最後の客が帰るのを見届けてから、ドアに掛けられた看板をひっくり返し、安堵の息をつく達哉。これにて土曜のトラットリア左門は閉店となった。
もう夜は遅く、晴れ晴れとした夜空には大きな満月が覗けている。
何気に達哉は眺めてから、本日のメインイベントの準備に取り掛り始めた。
すなわちフィーナ姫とミアの歓迎会をするためだ。
左門と仁と和は料理担当を、さやかと達哉と菜月と翠は装飾担当を割り当てられていた。
いつもより人数が多く、大分作業も捗り、半刻もしないうちに終了できそうだった。
「お疲れ様達哉。それにしても今日は妙に頑張っていたよね。やっぱり月のお姫様に会ったから?」
戻ってきた矢先、菜月が興味心丸見えの感情を浮かばせながら尋ねる。
だがそんな菜月を押し留める声が挙がった。
「まあまあ、いいじゃない菜月。もうすぐ出逢えるんだからさ」
「まあそれもそうよね。あ、翠そこのテーブルクロス合わせて」
「ほいほーい」
中睦まじく、息の合った動作で作業を再開する菜月と翠。
本当に今日、初めて入ってきたとは思えないぶりの働きよう。
正直なところ助かった。左門も連日の客の増員ぶりにもう一人アルバイトを入れようと考えている節があったので、なおさらだ。
「って、どうして遠山がここにいるんだ、しかもウエイトレス姿で」
率直な質問が唇に出た瞬間、ウエイトレス姿の翠が硬直した。
「朝霧君……今まで気づかなかったの?」
首をゼンマイが途切れたブリキの人形にように向け、感情の無い声で聞く。
……正直なところ、見事に周囲の風景と同化していて、判別できなかった。
だから達哉は何の躊躇も無く、黙って頷いた。
「……どうせ、達哉君ヒエラルキー最下位なんですよ、いじいじ」
全身に『構わないでください』オーラを拡散しながら、地面に文字を書き始める翠。
「あーあ、またいじけちゃった。ごめん達哉、手伝ってくれる?」
やれやれと菜月はため息を溢し、補助を求める。
無論、何らかの元凶だと感じ取った達哉は、承服した。
そうして着々と整いつつある場の中で、恐る恐る菜月は問う。
「それでどうなの月のお姫様って、なにか粗相とか無かった?」
「それなら問題ないよ。フィーナ、姫はそう気難しい人じゃないから」
危うく呼び捨てにしかけて、なんとか付け加えた。
「もう完全に家に溶け込んでいるよ」
幼馴染として長年達哉を観察してきて、微細な変化に反応できる菜月だが、幸いなところ今回だけは難を逃れたようで、ふーんと受け入れて質問を続ける。
「でも月と地球とじゃあ勝手が違うから、何かあったりするんじゃないの?」
「まあ確かにあったかな、外国の人のように靴で上がりかけたこととか、後は……」
その直後に勃発した、意外と『君、ひょっとしてドジっ子属性?』と衝動的にも言いたいくらいの珍場面を思い出してしまった。
「ちょっと何よその含み笑い。なにがあったの?」
「いやいや、何もないよ。何でも無いよ」
まさか言えない。一国の姫君がドレスのスカートを踏んで、倒れたことを。
「あーもう、そうやって笑っていたら知りたくなるじゃないの」
一人取り残された形の菜月は身体を乗り出す勢いで聞き始めた。
「こら二人とも、無駄話せずに動く」
直後、極寒の風でも素肌に当たったような痛みが、全身を駆け抜けた。
見やると仁王立ちしている和が、目を眇めて睨みつけていた。
「「すいません」」
かなり不謹慎と達哉と菜月は悟り、真剣に謝る。
彼らの様子を見て満足した和は戻っていった。
「じゃあまあ、ちゃっちゃと終らせようか達哉」
「そうだな」
「遠山さんも忘れないでよね〜」
「「回復はやっ!」」
五話へ
第六話「歓迎会」
「失礼いたします」
「失礼します」
丁重に断りを入れながらドアが開く音がし、達哉たちは構えだす。
そして入ってきた直後に、全員が手の内に握っていた紐を引っ張った。
直後、聞こえてきたのは小気味よい破裂音と、散りばめられた光沢の紙、細長いロープの嵐。歓送迎会用のクラッカーである。
「こ、これは」
突然の出来事にフィーナが驚き、思わずその場で佇む。
それもそのはず、テーブルの上にはフルコース並みの量の料理がずらりと並び、店の各所には赤、青、白と艶やかな色彩の横断幕や花の飾りが張られ、『歓迎! フィーナ様、ミアさん』と書かれた垂れ幕まで掲げられていた。
ミアも猫だましされたネコのように、硬直して微動だにしない。
「さあお二人とも、入ってください」
後ろから麻衣が入店の催促をしながら、二人を押し入れた。
「すみませんフィーナ様。実はこういうことでして」
立ち並ぶ達哉たちの列から抜け出して、さやかがにこやかに謝る。
「そうだったのね。ありがとう、さやか」
「私達のために皆さんが、こんな準備をしてくださったなんて感激です」
目の奥を大きく揺らしながら、フィーナたちが感謝を述べる。
その言葉に達哉は内心、満ち足りたものが広がる感触がした。
「では私がまず、自己紹介をさせていただきます」
最初は自分とばかりに左門が、一歩前に出る。
「始めまして、私はこの店のシェフを務めさせてもらっています、鷹見沢左門ともうします」
帽子を脱ぎ、丁重に挨拶しながら左門が一礼する。
「それで私は娘の鷹見沢菜月と言います。よろしくお願いします、フィーナ姫」
多生ぎこちない動作でスカートをたくし上げながら、自己紹介する菜月。
その時だった。達哉の目の前で一陣の風が通り抜けたのは。
「で、このボクが、エレガントボーイじ……ぶひっ!!」
共鳴しあう磁石のようにフィーナに急接近しかけた刹那の間、今度は反発する磁石のごとく窓ガラスに飛んでいく仁。簡単な観測でも時速百キロは超えているだろう。
「「え?」」
呆気に取られる二人。あまりの速度に反応が追いついていない様子だ。
多少の間を置いてから、何事かとフィーナとミアは元凶の元を眺める。
「まったく、これだから油断も隙もないんだから」
振りかぶった構えを解き、ラケットサイズの特大しゃもじを降ろしたのは菜月。
まさしくそれは紅の破壊神と呼称に相応しい、雄雄しき姿だった。
一方の仁は、前面から勢いよく叩きつけられたのか、微動だに反応しない。
しかも後頭部には巨大なタンコブまでが、付随して衝撃の激しさを物語っている。
「これが不祥であり、不躾な兄である鷹見沢仁です」
手を叩きながら、仁を睥睨しながら簡潔に紹介する。
「ねえ達哉、あの人大丈夫なのかしら?」
この光景を始めて見たフィーナが、顔と声色に困惑を乗せて聞く。
達哉はこれが日常茶飯事であるのように、言い聞かせた。
「大丈夫、大丈夫。あの程度で仁さんは死にはしないさ」
「そういうものなの?」
「うん。そういうものなんだ。いつものことさ、あんなの」
「そうなのね、分かったわ」
一応の納得をしたフィーナを見ながら、達哉は毛先ほどの違和感を覚えた。
あれ程の衝撃のはずなのに、窓ガラスにヒビ一本走っていないことに。
何となくだが冊子が新品な物に取り替えられている気がした。
……まさか防弾ガラスなどではないだろうか?
「で、で、私が遠山翠、麻衣の所属するブラスバンド部の部長さんだよ♪ これからよろしくねフィーナ姫♪」
きゃほーいと元気よく挨拶しながら、にこやかな笑みで紹介する翠。
フィーナもそんな彼女の様子に釣られて、上品に微笑み返す。
「はい、これからよろしくお願いしますね、翠様」
何気ないフィーナの一言。だが翠は瞬時に照れるように俯く。
「様って呼び付けされると困っちゃうな」
人差し指をくっ付けさせながら、困り顔に成り果てる翠。
こうして一部を除き、和気藹々とした空間が誕生している中で、唯一麻衣だけが不平不満そうだった。
「もうお姉ちゃんたちずるいよ。私はまだかまだかって、冷や冷やしたんだから」
「ごめんね麻衣ちゃん。一人ぼっちにさせちゃって、よしよし」
さやかは麻衣の元まで行くと、徐に手を伸ばし、撫で始める。
「もうお姉ちゃん、恥かしいってば」
言葉では否定しつつも、達哉は麻衣の顔が満足そうに笑っているのが見えた。
「夜分恐れ入ります」
ふいに新たな客人の声が、賑やかな店内に反響した。
幾分か躊躇しているものの、鋭く尖らした剣のような独自の声の主は、記憶のるつぼから引っ張る必要も無く、カレンのものだと達哉は思い出す。
「あらカレン、いらっしゃい。さあどうぞ、どうぞ入って」
さやかが、入店するのを戸惑うカレンの手を多生強引にでも引く。
「ですがよろしいのでしょうか、私まで参加させてもらって」
「別にいいわよ。これは家族の集まりのようなものだから」
「家族の集まりですか?」
「そ、今日からフィーナ様とミアちゃんは私達の家でホームステイするんだから、家族も当然。それからカレンももう私達の家族でしょ」
唇の前に指を立てて、さやかが支離滅却な理論を唱えだす。
とは言うものの、彼女が言うとそれが当然のように感じてくる。
家族の絆を何よりも重視している彼女からこそ、頷けた。
「分かったわ。では私も参加させてもらいましょうか」
観念とばかりにカレンはため息を溢して、堂々と店に踏み込んだ。
「それにしても、なにやらかなりの大所帯になったな。しかもこの面子一同が顔を合わせるなど、そうそう機会がないぞ」
隣で和が感嘆とも、悄然とも言えない微妙な声色で言う。
「確かに月の王女にその付き人や駐在武官、博物館館長にフリーのカメラマンと、料理人ですしね」
「……それだけではないがな」
「え?」
何か意味深な台詞に達哉は首を傾げたが、すぐに忘却の彼方に追いやった。
こんなことよりも大切な事があるのだから。
「それじゃあ皆集まったことだから、フィーナ様ご挨拶をどうぞ」
もっともな意見を左門は述べて、フィーナに席を譲る。
フィーナは場数を踏んでいるのか、微かな動揺も見せず頷き、全員の視線が集中するように前に出る。
「このたびは……」
言葉を紡ごうとした矢先、引っ掛かりを感じたようにフィーナは口ごもる。
「やはりこれでは堅苦しいですね。もう少し柔らかく言いましょう」
そう言って、フィーナは和らいだ笑みを浮かべた。
彼女の一挙一同を見て、かなりお茶目な方だと、達哉たち一同は感じた。
「地球に来てまだ二日が経ちましたが、まだまだ新しい発見や出会いばかりです。私が地球の常識を知らないことで、皆様にご迷惑をお掛けすると思いますが、どうかミアともどもよろしくお願いします」
「お願いします」
頭を下げるフィーナを追従するよう、ミアも倣って一礼。
ややあって達哉たちの温かな拍手が彼女たちに向けられた。
「それと皆様がよろしければ、でいいのですが一つお願いがあります」
頭を上げたフィーナが一同を見渡して、ある提案を持ち上げる。
「今現在、麻衣様たちは私のことを「フィーナ様」と呼んでいます。しかしこれでは私の肩書きが気になってしまうのではないかと心配しております」
確かにフィーナの言うとおりだな、と達哉は同意した。
これから家族同様に暮らす中で、様などと呼ぶのは他人行儀すぎる。
「ですから『フィーナ』とだけ、お呼び頂けませんか? カレン、構わないわよね」
フィーナの振りに、カレンはご随意にと受け入れた。
「さあ麻衣ちゃん、ご指名よ……あら?」
何か違和感を感じ取ったのか、笑みが止まるさやか。
「あのフィーナ様、まずは達哉君からじゃないでしょうか」
さすがに職業の立場上、さやかは呼称せざるを得ず、疑問を述べた。
「実はフィーナ様……じゃなかった、フィーナさんは昔お兄ちゃんとであったことがあるの」
瞬間、凍結するように場が硬直する。フィーナ、ミア、達哉、和と麻衣を除いて。
どこかで体験した出来事に一同は頷き、耳を塞ぐ。
『ええっ!?』
途端に店の壁を貫き、満弦ヶ崎中央連絡港市全てに高周波を散らすような、絶叫とも驚愕の騒音を発する残り一同。
なぜ二日も続けて、絶叫を聞かないといけないか達哉は自問する。
「そ、そ、そうなの達哉?!」
目前面に血走らせて、菜月が押し倒す勢いで尋問してきた。
どころか、達哉の襟元を握り締め、首をかくかくと激しく揺らしてくる。
「っていうか、気絶するって!」
「あ、ごめん!」
自分が行き過ぎた行動をしていたことに菜月が気づく。
「まあ話してなかったから、仕方なかったけどな。実は……」
圧迫させられた喉を労わるように撫で、達哉は追想するように語り始める。
「……和、あなた全部知っていたわね」
「断っておくが、実際にその場にいたわけではなく、達哉の話を聞いてもしやと思っただけだ」
絶対零度のカレンの視線に怯える風も無く、和は普通に答えた。
それを観察しつつ、全て合点行った様に、さやかが手を打つ。
「通りで留学中のあの時、フィーナ様に『彼は元気でいますよ』って言ったのね。で、その彼が達哉君だったってことね」
どこか昔を懐かしむ目をしながら、さやかは納得する。
「菜月に大きなライバルが出現!? これは大スクープね! ……って、ライバルがまた一人増えたのかな?」
新たなスクープに喜び、はしゃぎつつも、どこか意味深に言う翠。
こうして親睦を深める歓迎会の夜は、始まりを告げていく。
無論、フィーナの提案は可決されることになり、同時に『歓迎!フィーナ様・ミアさん』から『様』と『さん』の部分がマジックで消去されることになった。
様々なやり取りが一段楽してから後、食事などの後片付けをしていた達哉の耳が、一際大きな哄笑が湧き上がり、麻衣が何やら説明を付け加えたのが聞こえた。
「なんなんだ?」
何事か気になり、達哉は視線を向けると麻衣の他にフィーナとミアの姿が見える。
彼女らの眼差しの向けられる先、テーブルの上には教科書サイズの本が広げられていて、何やら見たことのある嫌な写真が載せられていた。
「あ、これはおねしょした、お兄ちゃんの写真だよ」
麻衣が指差した先、達哉が子供の頃に布団におねしょした恥辱の写真が貼られていた。
「まぁ、これは……」
「うひゃあ」
フィーナは頬に手を当てて興味津々と食い入るように、ミアは両手を顔に合わせて恥かしがる(だが指の隙間からちゃっかり覗いている)など、二者二様の反応を見せてくれた。
うわぁ、まだ残っていたのかあの写真……なんて冷静に考えている暇じゃない!
慌て急ぎ達哉はブツを確保しようと駆け出す。
「って麻衣、なに恥かしい写真を見せているんだ!」
高速の速さで手を伸ばす達哉。だが空しく宙を切った。
「駄目だよお兄ちゃん。これは貴重な思い出なんだから」
「貴重って、それは家族の恥かしい場面だけを総括した写真集じゃないか。人様に見せられるものじゃないだろ」
「じゃあフィーナさんたちも家族じゃないの?」
その一言に達哉はうっ、と言葉を躓かせた。
それを見た麻衣は、更に叩き込むように続ける。
「ちなみにフィーナさんとミアちゃんはどう思います?」
「いいじゃない達哉。別に減るものじゃないものだから」
「そうですよ達哉さん。それは貴重な品物です」
麻衣を支援するように、フィーナとミアが口を開いた。
「……いや、気力と神経が減るって」
陰鬱に呟きながら、多勢に無勢、暖簾に腕押し、そんな単語が頭から浮き出る。
仕方がないとばかりに達哉は諦めのため息を溢す。
「分かった、分かった、見ても構わないよ」
「ありがとう達哉」
率直に感謝するフィーナの顔には嘲笑の色が微塵も感じない。
さすがに一国の王女が、オカズにする悪趣味が無いと達哉は思いたかった。
だが一方の麻衣は表情には、少し疑念が過ぎった。
「でも、最後の一枚だけ剥ぎ取られているけど、なんでだろう? お兄ちゃん知らない?」
「いいや俺は知らないぞ」
心底知らない風を装いながら、達哉は答えた。
「……本当に?」
「本当だとも」
達哉の胸の内を掬い取るような麻衣の瞳を巧みに交わしきる。
だが万が一と考えると、全身の総毛が逆立つ。
もし嘘がばれてあれを発見されでもしたら、シャトルでも奪取して遠い宇宙に逃亡しなければいけない。確実絶対に。
「ところで達哉さん、この方達はどなたなのですか?」
会話に入れなかったミアがここぞとばかりに、別のアルバムに貼られた写真の二人を尋ねた。中では一人の男性が一人の女性をお姫様抱っこして持ち上げている。その表情は晴れ晴れとしていて、中睦まじいのが窺えた。
「「「あっ」」」
達哉と麻衣は互いに声を合わせて、硬直する。
後、どういうことかフィーナまで動揺が走っていた。
それを見て、ふとした違和感が達哉の中で渦巻いたが、すぐに消え去る。
「……懐かしいね、この写真」
心底、感慨深けに麻衣が望郷の眼差しを注ぐ先、長年の経過で色褪せているものの、間違うことなく両親の姿だった。
「親父……」
ぽつりと達哉は様々な感情を入り混じった声で、呟く。
「えっと、あの、その、すいません!」
何か不手際をやらかしたと勘違いしたミアが深々と頭を下げる。
こうされると逆にされた側に、罪悪感が芽生えてしまう。
「いいんだミア。別にどうってことがないんだ」
自分でも感情を押し殺していると気づきながらも、平静に保つ。
だが達哉の握り締めている手は赤を通り越して、蒼白になっていた。
「……この人たちが誰か、聞いてもいいかしら」
束の間逡巡したフィーナが、決意したように尋ねてきた。
「私達のお父さんとお母さんです。お母さんは……」
麻衣の言葉にしなくても理解できた彼女達は、気まずげに眉を伏せた。
もはや写真の中の女性が、当にこの世を去っていたことに。
「これもかれも、親父のせいだけどな」
冷淡に言い放ち、忌々しい目つきで達哉は椅子を蹴倒す勢いで立ち上がる。
その反動で、全員の視線がこちらに注がれたのを感じた。
「お兄ちゃん……」
麻衣が困惑しながら、達哉を見上げていた。
「悪い麻衣、こいつだけは絶対に許したくないんだ。家族を見捨てたこいつだけは」
この場で写真を焼却処分したい気分に駆られたが、出来なかった。
中に写っている両親とも、心底から幸せを噛み締めているように笑っていたから。
だが、現実では賑やかだった店の中が、水を打ったように静まり返っていた。
もう完全に雰囲気やら歓迎会のムードを粉砕してしまった。もう、取り戻せない。
「……頭、冷やしてくる」
悄然と達哉は誰とも無く言うと、憮然とした面持ちで外に出た。
無論、誰も追ってくる気配など、一欠けらも無かった。
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