夜明け前より瑠璃色な a Lovers of SKY

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八話へ。


第七話「真実」

「なにしているんだ、俺は」
春とはいえ、未だ夜風は肌を刺すような寒さが一段と濃い。
なのだが憤怒で焚き付けられた頭を冷やすには、丁度いい温度だ。
胸の内に籠もった熱を吐き出すように、達哉はため息を溢す。
彼は道路脇に設置されているベンチの上で、悶々と自問自答を繰り返していた。
「分かっているはずなのにな、自分でも」
自虐的に言い聞かせ、幾万もの散りばめられた星空を見上げる。
数日間は晴れに恵まれると予報していた通り、雲は薄っすらとしか認識できず、お陰様で頭上に光っている蛍光灯による味気がない人工の明かりではなく、優しげで愛しげな月光が煌々と地上を照らし出してくれる。
こうして浴び続けると多々、高揚していた気分が収まってくる感覚がした。
昔の人は、月光には何らかの魔力が帯びていると語れていたが、ありがち間違いではないかもしれない。
「本当はもう分かっているのに、何もかも……親父がもういないことに」
父親が失踪してからもの、達哉は一番考えたくない予想を立てていた。
あの時、まだ子供であれば父親は元気でしていると信じていただろう。
だが和から培われた知識と経験が、一握りの希望を拒絶した。
……一番頼りになる和でさえ、この時は沈黙していたから。
胸の内に溜まった言葉をぶつける相手が存在せず、蓄積されて続ける想い。
突然、自分達の前から父親が失踪して以来、長い歳月もの間、そればかりが頭の中でこびり付いていた。
憎いのに愛しい。それが一番親しい間柄であれば、なお更だ。
相反する感情、いがみ合う二人の自分、過去と今。
全てが全て達哉の思考の中を掻き回しては、鬱陶しく感じさせる。
「少しいいかしら?」
悶々と考え込む達哉の横から、落ち着きながらも凛とした声色がした。
振り返るとフィーナが隣の席に座っていいか、眼差しで問うていた。
答えるように達哉は身をずらして、間を空けた。
「ありがとう」
感謝を述べてフィーナは達哉の隣に静かに座る。
だがそれだけだ。それ以上なにも行動しない。
「……本当は俺、親父のことを許しているんだ」
「…………」
フィーナは何も語らない、相槌も打ちもしない、ただ受け入れているだけ。
それが達哉には心地よかった。下手に同情されても困る。
お陰で一瞬にして、先ほどの暗澹な気分が晴れ失せていた。
「最初の頃はもう怒っていたよ。約束していたことを守ってくれなかったり、いなくなったせいでお袋が倒れて死んでしまったり、もういろんなことが重なったからね」
こうして静かに穏やかに語れるなんて、初めてだと達哉は感じた。
どうしてかフィーナの前では、素顔の自分を曝け出せる。不思議だと思った。
「でもさ、今考えれば少し違うと思ったんだ」
だからこそ、達哉は到達していた答えを導こうとする。
「もしかしたらお袋は、パートナーとして邪魔な枷となりたくなかった。そして親父は信じてもらっている人が背後にいてくれるからこそ、自分の道を貫こうとしたんじゃないかって」
「…………」
全てを聞いてもなお、フィーナは瞼を閉じながら沈黙を保ち続けている。
何か重要な事を切り出すために、黙考するように座り続ける。
やがて瞼を開くと、決意を秘めた眼差しを秘めて、フィーナは達哉を見つめた。
そして語られた言葉は、自分の耳を疑るようなものだった。
「達哉、もしお父様が月にいらっしゃったと言えば、信じるかしら?」
「え?」
驚愕を瞳の中に宿し、達哉はフィーナを注視する。
「どういうことなんだ、それ?」
自分の口から出る言葉が、乾ききっているような錯覚を覚えた。
「実は私、あなたのお父様とお会いしたことがあるの」
フィーナの言葉を聞いて、達哉の中で妙な浮遊感が背筋から這い上がる。
あまりな滑稽な話に、思考が疑問の濁流に飲み込まれた。
「先ほどミアから渡してもらった物があるの。もしかしたらと思うから、見て」
そうフィーナは語り、懐からある小物を取り出す。
「これは……」
思わず呟いて、達哉は手渡されたそれを受け入れた。
「子供の頃、親父と一緒に作ったのと同じ紙飛行機……」
呆然と呟いて、達哉は紙飛行機を細部に至るまで観察する。
形だけではなく折り目などが全て瓜二つであった。
「フィーナ……本当に親父に会ったことがあるのか?」
乾ききった喉を何とか震わせて、達哉は言葉を紡ぐ。
「あの時のアルバムを見るまで分からなかったけれど、間違いなく地球からやって来た学者よ。母のお気に入りだったらしくて、よく王宮に出入りしていたから覚えているの」
話を拝聴しながら達哉は、掴みかかりたい衝動を必死に抑えていた。
行方が不明だった肉親の行方に、重要な手掛かりが向こうからやって来たのだ。
誰でも我を忘れて、問い詰めるところである。
だが達哉は出来うる限り思考を冷静に保ち、情報を引き出そうとする。
「名前は、名前は聞いていないのか?」
予測が正しいのならば、朝霧千春と呼ぶはず。
だが想像を裏切るように、フィーナは小さくかぶりを振るう。
「私は知らないわ……聞こうにもあの人には記憶が無かったのよ」
記憶が無い、その言葉に達哉は一瞬、我を消失した。
「……どういうことなんだ?」
「居住区外、つまり酸素のない地域の遺跡調査をしている際に事故に遭って、その後遺症で記憶が全て消えてしまったの……それから数週間後、彼は息を引き取ったわ」
本当に真実なのだろう。語るフィーナの声には淀みが無い。
「ごめんなさい、達哉」
「いや、いいんだ」
端的に言葉を切り、達哉は道路のアスファルトに力なく目線を落とした。
「一つだけ良いことを、教えてあげるわ」
落胆する達哉をどう感じたのか、フィーナは優しげに微笑む。
「私がこの紙飛行機を教わったのは、記憶が失った後のことよ」
その言葉に達哉は一瞬反応が遅れた後、「え?」と疑問を口にした。
詰まるところ、父親は何もかも失ってもなお、息子のことを無意識に覚えていた。
如々に浸透していく事実に、達哉は胸を締め付けられる痛みが走った。
今、確実に自分は父親の死に悲しんでいる。
「親父……」
そう自覚すると、温かく湿った感触が頬を伝わってズボンに垂れ落ちた。
「あ、あれ? どうして俺は泣いているんだ?」
自分でも理解していないように言い、達哉は涙を拭う。
だが、いくら取り払っても、次から次に湧いてきた。
「うっ、あああぁっ…………」
やがて感情まで狂いだして、嗚咽が喉から漏れ出してきた。
癇癪を起こした子供のように達哉は、顔を手で覆い隠し、その場で泣き始めた。
父親が研究のために自分達を見捨てたという安直な妄想のために、胸の内に秘めた本当の想いを押し殺して、憎み、妬み、侮蔑していた。
だが今では全ての枷が壊れ、ここにいるのは一人の男の子のみ。
達哉は泣く。勝手自分の中で積み重なった後悔と、自責を涙で空にするように。
そして全てが払拭された後、父親が消える直前に言いたかった言葉が、自然と浮かび上がった。

―――もっと遊ぼうよ


「そう、千春さんは月に行っていたのか」
左門が落ち物を無くして安堵したように、胸を撫で下ろす。それはトラットリア左門に集っている全員が抱いているであろう意思でもあった。
フィーナから父親の足取りを知らされた達哉は、歓迎会を台無しにしてしまった謝罪と共に、事実を公表すべく左門へと戻ってきていた。
無論、非難されることは覚悟の内だったが(特に和に)、思いのほか叱責や軽蔑されることもなく穏やかに達哉を迎え入れてくれた。
「足取りが分かって、嬉しいよ」
「本当ね。ほら麻衣ちゃん、泣いていたら千春さんに笑われちゃうわよ」
微笑ましくさやかは、涙ぐむ麻衣を宥める。
「ねえ兄さん。最後に月に行って千春さんは、喜んでいたのかな」
「無論さ。憧れのある場所に行けて、喜ばない人はそうはいないさ。現にボクだって月に行けるなら、行ってみたいからね」
問うような菜月の言葉に、仁がいつもらしく飄々と答えた。
「お父さん、お母さん、か……」
一方の翠は、いつもの激しいテンションがなりを潜め、沈黙している。
「本当に、本当に良かったです。達哉さんの父様のことが分かって」
麻衣の感情に共感したのか、瞳を潤わせるミア。
「ミア、あなたまでもらい泣きするなんて、クララにそっくりですね」
「母様にそっくりって、カレン様どういうことでしょうか」
意外な母親の一面を知って、ミアがカレンに尋ねる。
「…………」
ちなみに和は鉄面皮の仮面を被りながら、無言で壁にもたれている。
それらを一瞥しながら、達哉はもう一つの疑念を晴らそうと、口を開いた。
「ねえ、姉さん。母さんはどうして死んだんだ?」
確かに父親が不在になれば、それだけ家事などの負担は増大する。
ましてや微妙な年頃の子供が二人もいれば、なお更だ。
だが、相手が心底やりたい事を見届ける事に少なからず満足感はあるはず。
だとすれば死因は、父親の失踪や仕事の過労などによる心労ではないだろう。
「……実は琴子さん、達哉君と麻衣ちゃんのお母さんは肝臓ガンで亡くなったの。だいぶ以前から発症していたみたい」
フィーナたちのために、さやかは母親の名前を出して真実を告白する。
「そうだったんだ……」
本当のことに達哉は納得して、更に言葉を続ける。
「だから母さんは言わなかったんだ。パートナーとして足を引っ張らないために」
「え?」
達哉の口からこれから言おうとした台詞を取られて、さやかは驚いた。
「もし俺が母さんや親父の立場なら、絶対にそうするから」
「大人になったわね、達哉君。なんだか千春さんみたい」
「何言っているんだよ姉さん。俺は朝霧日春の息子なんだから」
「……達哉君」
あれだけ嫌悪していた人間を、自分の父親だと認めた事に涙ぐみ始めたさやか。
「もうお姉ちゃんまで泣いちゃったら、誰が止めるのよ」
「そ、それもそうね。ごめんなさい」
麻衣に嗜まれ、さやかはぺろりと舌を出す。
「これで本当に家族の輪が一つになったな」
寡黙を継続していた和が、ようやく口を開き厳かに頷く。
達哉は彼の顔を見て、考え巡らせていた提案を決意する。
「兄さん、鍵を渡して」
静かに達哉は、事の成り行きを見守っていた和に問う。
「…………」
何も言わずに和は懐から、一本の鍵を取り出した。
それは金属の両板に穴が開いたリバーシブルディンプルキーであり、父親が使っていた書斎の扉を封印するために作られていた。
「ありがとう、兄さん」
感謝を述べつつ受け取り、大切に握り締める。
金属特有の硬い感触と、常に肌身離さず所有していたであろう、温かさを感じた。
「さあフィーナ、ミア、親父に会いに行こうか」
「いいのかしら達哉?」
「私までご一緒というのは、少し気が引けますが」
「いいんだ。親父に新しい家族を紹介したいんだから」
達哉は気さくに笑うと、二人の前に両手を差し出した。
「分かったわ、行きましょう達哉。ミアもいいかしら」
「はい私もぜひ、ご一緒させてもらいます」
フィーナとミアは、互いに頷きながら達哉の手を取った。
無論、この場で横槍を突っ込む輩など、いようはずがない


「ここが親父の使っていた書斎なんだ」
リビングの真上に配置されている部屋の前に来て、達哉は説明する。
こうして自分の足と意思で来るのは、何年ぶりだろうか。
奇襲にも似た郷愁が押し寄せてきて、達哉は目を閉じる。
「達哉、無理なら今日じゃなくてもいいのよ」
「そうですよ達哉さん。まだ日はありますから」
フィーナとミアの心遣いに感謝しつつ、達哉は小さく頭を振った。
「いやいいんだ。この時じゃないと、いつ機会があるか分からないから」
自分に言い聞かせるように語り、達哉はドアノブに鍵を刺しこみ、回す。
かちゃっと軽い音が鳴り、開けた途端に中の空気が外に漏れ出す。
達哉は未だに燻っている後ろめたい感情に対して、自分の手でケリをつけるため、思い切り開け放った。

『どうした達哉、そんな変な顔をして。何か変な物が付いているか?』

……いない筈の父親が苦笑したのは気のせいだろうか?
「……親父」
在りえない幻影を見て、狐に摘まれたように呆ける達哉。
が、それも一瞬。気を取り直して電灯の電源を入れた。
「これは……」
「凄いです。本の山です」
目の前の光景にただ見惚れるような、驚愕した面持ちで二人は感想を述べた。
それもそのはず。書斎の内部はあらゆる場所に、手書きのノートや古文の参考書などが、紙の絨毯のように燦然と散らばっていて足の踏み場も無い。
しかも失踪してから掃除をしていないためか、妙に空気が埃っぽく、鼻腔の奥がむず痒い。
「さあフィーナ、ミア、挨拶をして」
一歩横をずらし、達哉は二人を招き入れる。
「お久しぶりです千春さん。こうしてお目に掛かるのは久しぶりですね」
フィーナがスカートを軽く捲らせ、感慨深く挨拶を述べる。
「始めまして千春さん。私はミア・クレメンティスと言います。短い間ですが、よろしくお願いします」
ミアは丁寧に深く、長く、アルバムに写っていた男性を思い出し、頭を下げた。
そんな二人の様子を眺め、達哉ももういない父親に言葉を掛ける。
「親父、ごめん。俺はずっと誤解していた」
恥じ入るように達哉は俯き、やがて今の心境を曝け出し、告げる。
これまでの自分を否定せずに受け入れ、新しい自分で歩きだすために。
ここに宣言と決意の意志を示し、そして未来に語るべき約束を誓うために。
「だからもし俺の子供が生まれたなら言うよ。俺の両親は本当に強い絆で結ばれていたカップルだって。だから親父、俺達を見守ってくれ」
達哉の言葉が、静かな余韻が部屋の中に残響した。
その横ではフィーナとミアが、微笑ましく見守るように見つめ合っていた。


新しい家族の報告と、これまでの謝罪を述べ、夜は深まっていく。
これまでと同様に、だが微細に変化しながらも。
そして空にはこれまでも、いつまでも佇む月が昇っていた。








七話へ

第八話「編入」

「姉さんそろそろ俺達出かけるから。ほら麻衣、行くぞ」
「うん。それじゃあお姉ちゃん、行ってきます」
前もって登校準備を整えていた二人が、さやかに挨拶を交わす。
時刻は遅刻が確定するよりも十五分も前。十二分に時間が有り余っていた。
「ちょっと待って達哉君。フィーナ様がまだよ」
同様に博物館の支度を整えていたさやかが、釘を刺す。
「忘れているって、フィーナは別に学校に行くわけじゃないんだろう?」
もっともな意見に、麻衣も同意するようにうんうんと頷く。
意外な言葉にさやかは、あらと軽く驚いて軽く唸りだす。
「私言ってなかったかしら、フィーナ様も達哉君たちの学校に編入すること」
「していないって」
寝耳に水とばかりに、達哉は首を横に振っておく。
「まあ、あんな状態だから仕方が無いよ。フィーナさんの歓迎会にお父さんの足取りが分かったんだから」
昨日の記憶を引っ張りながら、麻衣がフォローする。
「驚かないのね二人とも。お姉ちゃん、ちょっとがっかり」
多少、期待はずれすぎて拗ねたように、さやかはため息を付いた。
きっと彼女の中では確実に驚き、慌てふためく二人を妄想していたのだろう。
「まったく姉さんは、たまに驚かすことをするんだから」
「だって面白いじゃない。たまには刺激的なことを体験するのって」
「姉さんの場合はたまじゃない気がするんだけど……はぁ」
腹のうちに溜まった暗澹を吐き出しながら、達哉は困り果てた。
時折、こうして反応を楽しむ悪い癖がある姉を、どう矯正すれば分かない。
「皆様お待たせしました」
そこへリビングにフィーナの声が渡り、一同が条件反射のように振り向く。
同時にあまりの光景に、一瞬だけ息を忘れるように魅入られた。
「渡された物を着てみたのですが何かおかしな点でもあるのでしょうか」
背後にミアを従えて現れたのは、カテリナ学院の制服を纏ったフィーナ。
微妙に頬に羞恥の朱を染め、本人の清楚な気配が相まって、そっち系の人間が見れば妄想世界に溺れ死ぬほどの猛烈な威力を孕んでいた。もうウハウハである(意味不明)
「うわっ、フィーナさん。すっごく似合ってますよ」
心底はしゃぐように麻衣が無邪気に喜ぶ。
「麻衣ちゃんの言うとおり、本当にお似合いですよ。フィーナ様」
ほんわかと微笑みながら、さやかも同意する。
「うん。確かに綺麗だよ」
達哉も後に続くように率直で、何の考えもなしに意見を述べた。
「え?」
褒め言葉にフィーナが硬直し、遅れて顔全体が赤らむ。
この時彼は気づくべきだったのだ。自分がしでかした所業を。
年相当の少女が褒められる事が、どんな科学反応を起こすのか。
だが達哉は彼女の様子を解することなく、更に無遠慮に言葉を続ける。
「うーん少し違うかな、いつものドレス姿じゃないから可愛いって言ったほうがいいかな」
「え、あ、その……」
途端に常に凛々しいフィーナが、この時ばかりは口篭ってしまう。
「あらあら〜♪」
声色に弾みをつけて、さやかが面白がるように笑い出す。
「まったくお兄ちゃんったら、女心が分かってないな」
逆に麻衣は朝から落胆しきった表情で、重々しくため息を溢す。
「あ、あの、なにがどうなっているのでしょうか?」
周囲の雰囲気にまったく付いて来れないミアが、達哉に話を振る。
「……俺にも、さっぱりわからない」
当の元凶である達哉は困惑しながら、首を傾げていた。
やはり一遍、彼は逝ってみた方が夜のため人のためになるかもしれない。
「あら、もうそろそろ行かなくてもいいの?」
思い出すように、壁掛け時計を眺めていたさやかが全員に問いかけた。
一同は釣られるように観察すると、確かに全力走行しないと間に合わなくなる時刻が、刻一刻と差し迫っていた。
「って、まずいな。早く行かないと遅刻してしまう」
「さすがに一国のお姫様を初日早々遅刻させたりしたら、国際問題になるわね」
「姉さん、冷静に指摘しすぎ……」
朗らかに笑うマイペースなさやかに、達哉は半ば呆れ顔でうな垂れる。
そうしている内に、一同は颯爽と支度を整え、玄関先に向かう。
「それでは行ってまいります」
「はい、行ってらっしゃい」
フィーナとさやかが出掛けの会話を終えると、ミアが何か直訴を訴えるような顔つきを貼らせて、前へと歩を進めた。すかさずフィーナの顔つきが険しい形に変化するのが見えた。
「あ、あの姫様。わたしもご一緒に……」
「駄目よ。あなたは家の手伝いがあるでしょう」
ミアの嘆願を厳しい表情で一喝するフィーナ。
「ですが……」
それでも執拗に食い下がらないミア。
丸っこい瞳には、『是非ご一緒させてください』と控えめに語っている。恐らくメイドとしての意地と責任が彼女を突き動かしているんだろう、と達哉は感じ取った。
後、職務だけではない重大な使命を果そうとしているのも、把握していた。
「大丈夫だよミア。学校じゃあ俺や菜月がフォローするから、安心して」
一沫の不安を拭い去るように、達哉は静かに説得する。
「そうだよ、お兄ちゃんがいれば何となかるって」
「麻衣ちゃんの言うとおりよ、ミアちゃん。そんなに達哉君のことが頼りない?」
援護するように麻衣とさやかが、ミアに言い聞かせる。
「いいえ、すごく頼りがいがあります……」
蚊が鳴くように小さく呟き、ミアは力なく俯かせた。
だがすぐさま顔を上げ、懇願の籠もった眼差しを達哉に向けた。
自分が果せぬ責務を、人に託すように彼女は言う。
「達哉さん、どうか姫様をお願いします」
無論、断るなんて人が出来ない達哉ではなかった。


「もうミアったら、私のことが本当に信用していないのかしら」
朝から妙に不機嫌そうに、先ほどの一件に堂々巡りをするフィーナ。
よほど腹に据えかねている様子で、麻衣と別れた今でも唸っていた。
お陰さまで先ほどから校舎内外で、過ぎ去る生徒たちの好奇心に満ちた目線に把握してなかったのは多少有難かったが、この後に出る語尾蛇足的な噂や、クラスメイトらの尋問という名の下の処刑の対処法について達哉は考えを巡らせていた。
同時に彼はフィーナを落ち着かせるように言葉を重ねる。
「それだけミアが主人思いってことで、いいじゃないか」
「でも、それとこれとは違うと思うわ」
途端に達哉が、堪えていた笑いが表に出てしまった。
目敏くフィーナは察知して、小首を傾けて尋ねる。
「達哉、どうして笑いをかみ殺しているの?」
「いやいや、フィーナがミアに心配されるのは嫌っても、フィーナがミアを心配するなんておかしいって思って」
虚を突かれてフィーナは言い留まり、言い訳めくように呟く。
「わ、私は事実を言ったまでよ。現にミアは世間知らずで箱入り娘なんだから、それにもし何かあったらクララに申し訳がないもの」
「でも意外と順応性と、いざという時の行動力は高そうだけど」
「……よく見ているのね、達哉」
「あー、これでも一応兄さんの弟子だから」
「確かに、和の弟子ならばありえそうね」
微妙に規格外的な物言いに、達哉は苦笑ぎみな顔を浮かべた。
同時に内心、嫌な予感がふつふつと沸きあがってきていた。
フィーナが無事に学校に溶け込んでいるか不安になった挙句、ミアが無断で学校内へと侵入しては、生徒達の話題に上がってしまうのを、
そしてフィーナに絞られて、小さく身体を凝縮する様が容易に考えれた。
……やはり仁かおやっさんに、一度連絡を入れた方が良いかもしれない。
「ところで達哉。やはり思うのだけれど、もう一度和にお礼を言ってくれるかしら、ミアの部屋を割り当ててくれてありがとうと」
昨夜の『ミア、フィーナの部屋に同居したくない事件』を思い返すように、フィーナがここにはいない和に感謝の言付けを託す。
「別に和兄さんは受け取らないと思うよ。本人は好きでやっているみたいだし」
「でも、冷暖房付きのエアコン、料理本や地球の写真集が入った本棚、観賞用の植物まで貰ってはさすがに感謝しないと」
「……確かにそれは言えてるね」
頷くと同時に、ようやく目的地に到達したのが見えた。
しかも扉の前で担当の先生が、幾分か緊張したような面持ちで立っているのが見えた。やはり一国の王女が一介の学校に来ることが、どんな意味を兼ねているか、嫌でも感じとれた。
達哉は担任の方へと指差しながら、説明を述べる。
「あそこが職員室。ちなみに扉の前にいるのが俺たちの先生。分からないことがあれば、あの人にいろいろ聞いてほしい」
「分かったわ、ありがとう達哉。それではまた後で」
「うん、それじゃあね」
軽く達哉は手を挙げて、踵を返し教室へと向かう。
その際に鷹見沢家に連絡を入れることも、忘れなかった。
……案の定、帰ってきた報告は達哉の予想通りの状況になっていたらしい。
そう、左門と仁の口から報告をもらった。


「フィーナ・ファム・アーシュライトです。よろしくお願いします」
その一言で転校生が転入すると、はしゃぎ回っていた波紋がぴたりと停止した。
あまりの異常事態に一部を除いた全員、全身冷凍したように硬直する。
男性も女性も関係なく、フィーナの容姿と所作に見惚れていた。
堂々とした物言い、精密にして緻密を極めた仕草、一つ一つが気品に満ち溢れ、白金の眩い光を内側から発するフィーナ自身に感動を抱いているようだ。
同時に積極的に接するべきか、様子を見るべきか、困惑しているのが判別できた。
「確かにそれはそうだよな……」
予想通りの光景に、達哉は組み合わせた手の甲に額を付け、苦悩する。
いくら月学論を学んでいても、直に月人とこうして面と接する機会は早々無い。
商店街に来たり、学園祭などに来客するとなれば話は別だが、今回はその逆を付け込まれた形だった。
「あー、国際問題にならない程度に接してくれ。フィーナ姫もそれを望んでいるからな」
壮絶に笑い事ではない冗談をかまして、先生は笑い出す。
そんな説明にフィーナは、表に出さないものの当惑していた。
先生、あなたも姉さんと同類ですか……。


一時間目の授業が終了してからも、気まずい沈黙を保つ教室。
金属と金属が掠りあうような、あまりにも歪な雰囲気が漂っている。
元凶は今朝、新しく編入した月の王女であるフィーナだった。
普通ならばこの時間帯は転入生への、熾烈な質問時間に入っているはず。
だがクラス全体がフィーナの肩書きを気にしているせいか、静まり返っていた。
所々で彼女自身の話題は上っているが、実際行動を移そうとする人物はいない。
「…………」
これではまずいと、達哉は目線を翠と菜月へ会話の目を配らせる。
『翠、菜月、先陣を切ってくれ。これじゃあフィーナがクラスに溶け込めない』
嘆願するように二人に頼み出る達哉。
翠と菜月も同様の意見を抱いていたらしく、すぐ頷いた。
『でも達哉は行かなくてもいいの?』
至極まともな意見を菜月は提案する。
『さすがに男の俺よりも、女性のほうがすぐに馴染めそうだろ?』
『そっか、それもそうようね』
達哉の回答に納得するように菜月は受け入れる。
『じゃあ菜月一緒に行こっか。旅は道ずれ、世は情けってね』
『ちょっと翠、それは使い道を間違ってない?』
『いいじゃない、いいじゃない。難しいことは考えないほうがいいよ』
『……少しは考えたほうがいいけど』
呆れ顔で菜月は重々しくため息を溢すと、席から立ち上がる。
瞬間にクラス全体の希望の双眸が二人へと注がれた。
「な、なんだか気恥ずかしいわね」
「ま、まあ、全員大根だと想像しておいたほうがいいんじゃない?」
途端に緊張で身体を硬化してしまう菜月と翠の両名。
踏み出す足と、振る腕が同時に前に出る辺り、相当プレッシャーが掛かっている。
それでも両名は決意と共にフィーナの席にまで接近し、声をかけた。
「おはようフィーナ」
「おはようございます、フィーナさん」
顔見知りの菜月と翠が声をかけられて、多少フィーナの顔も和らぐ。
やはり一国の王女でも、沈滞する状況の対応に困惑していたのだろうか。
心持ち達哉は安堵して、ふっと胸を撫で下ろした。
「ところでどうフィーナ、地球の学校に来ての感想は?」
「王宮の頃とは違って、同年代の方々と学べることが新鮮ですね」
菜月の質問に一昔を馳せるように、フィーナが答えた。
「あれ? 確か向こうにも学校があったと思うんだけど?」
「あるにはあるのだけれど、私の場合は専任の講師たちに教えられていたの」
「うわっ、なんてハードな生活」
驚愕の翠の声。よほど想像することに恐怖が滲み出たのだろう。
「私だったら耐え切れないわね」
心底、絶対否定したく、頭を唸らせる菜月。
しかしすぐに撤回するように頭を何度も振った。
「あ、でも和兄さんの授業も似たようなものかな」
その名を聞いて翠が、恐る恐る質問する。
「えっと和兄さんって、確か昨日フィーナさんの歓迎会の時にいた、カッコいいお兄さんのこと?」
「うん、私達の義理のお兄さんみたいな人。本名は宮川和って言うの」
途端に目を見張る翠。心当たりがあるらしい。
「その名前知ってる! 確か地球と月のそれぞれの写真集を出版した男!」
あー、あの時サインもらえば良かったーーーっ! と絶叫する翠。
それも束の間、猛然と達哉の席に突進するとドスの利いた声で尋ねる。
「朝霧君、和さんって今は家にいるの?」
「あ、いや、兄さんは急な出張でいないんだ」
「……そうなんだ」
途端に萎れて身を縮める翠。あまりにも悲愴的だ。
彼女の様子にフィーナと菜月は憐れむ視線を向けてから、話を戻る。
「そういえばフィーナって、和兄さんのこと昔から知っていたようだけど、どうして?」
「彼には昔、月に留学した際に私を助けてくれた恩人の一人だから」
「恩人?」
何を助けたとは問わない。それ相当の事件が起きたのは分かっているため。
「以前月に留学に来ていたときに、いろいろと手助けをしてもらったの」
「ふーん。一体どれだけ凄いんだろう、あの人」
「私もそう思うわ。でも、再会してみて驚いたことがあるの」
「え、どんなどんな?」
「普段は冷静を装っているけれど、実は熱血漢な所があることよ」
「そうなの、熱血漢な……って、ええっ!?」
素っ頓狂に絶句しながら、菜月がわなわなと口を震えだす。
常の彼と、フィーナの記憶の彼が符号しない風だった。
意外な兄の一面に驚きつつ、達哉はぼんやりとクラス全体を眺めた。
クラスの顔である彼女らが筆頭となって、親しく談笑するのを見て少しずつだが、場の空気が和らいでいくのを察知していた。この分なら、すぐに馴染めるに違いない。
だがそう暢気考えていたために、予測出来なかった。次の菜月の爆弾発言を、
「ところでフィーナ。達哉の家に泊まってよく眠れた?」
ドン! ガッ! バタン!
教室内に奇怪な音が響きまわり、達哉は瞬時にして廊下に引きずり出された。
なお先ほどの効果音は、クラス中の男子が一斉に机から立ち上がる音(ドン!)、被告人である達哉を拉致する音(ガッ)、後に廊下へと連行してから扉を閉じた音(バタン!)である。
「さあ朝霧達哉、どういうわけか説明してもらおうか?」
男子生徒一同を代表して、やけに体躯がよろしい人物が凄みのある声で訊ねる。
それが柔道部の部長で、得意技が締め技だと思い出したのはすぐだった。
さらに追い討ちをかけるように、騒動を聞きつけた他のクラスたちが、妬み、憎悪、侮辱、軽蔑、ありとあらゆる負の感情が孕んだ視線を達哉に注ぎ込んでいた。
中には「義妹の麻衣ちゃんや幼馴染の菜月さん、クラスメイトの翠さんだけではなく、お姫様まではべらしやがって」やら、「なあ、一緒に手を組まないか」などと不穏極まりない台詞まで飛び交っている。ついでに、フィーナ自身を珍獣のように扱うような、腹正しい言葉まで耳に届いてしまう。
通常の人間ならば、身が竦む思いで恐怖する場面だろう。
だが、壮絶的で過酷な状況に多々慣れている達哉には、苦ではない。
「はぁ……」
暗澹なため息をつき、質問を質問で返すのは駄目だと知りつつも、口を開く。
「なら一つ訊ねるけど、もし自分の家にフィーナ姫が来たらどうする?」
姫という単語を強調しながら、達哉は問いかけた。
「あっ……………」
そのたった一言。それだけで唖然と沈黙する一同。
彼らも理解していたようだ。一国の王女の身を預かる意味を。
追撃するように達哉は、悪いと思いつつ冷徹に畳み掛ける。
「いくら両者の交流が小規模に盛んになったとしても、お姫様を見知らぬ地球人の輩の家に泊めるわけにはいかない。下手をすれば国際問題を引き起こす危険性がある。ならば月への留学経験があって、しかも文化などに詳しく、有事の状況の際にすぐ行動に移せる人物の所に預けるのは当然じゃないか? だからこそあちらは家をホームステイ先に指定したんだ」
路地整然の反論に、輪を構成する生徒から一片の反論が挙がらない。
「ホームステイにしに行く際、いろんな反発が起きたのはみんなも分かるけれど、それを覚悟してまでフィーナがどうして、地球に来た理由は分かる?」
一度全体を睥睨しながら、達哉は説明を続ける。
「先生が言っていた“本人も普通に接することを望んでいる”……あれは、フィーナ自身が地球人と同じ目線で物事を体験したいからなんだ」
達哉の口から出た意味を把握して、目を張るクラスメイト達。
「どうして地球と月の関係が改善されないのか? それはお互いが互いの事をよく理解できてなさすぎるんだよ」
教科書、写真、本、ニュース。様々な媒体を通して地球人は、月の事情を知ることができるが、それらは一部分だけで、全てを理解したとは言いがたい。それは価値観、論理などが当てはまる。
無論、それは月人にも適用できる。だからこその普通のホームステイなのだから。
「そういうことがあるから彼女は必死で学んで、二つの国のそういった溝を埋めた上で、交流を促進、発展させることに努力している、両国のためだと信じて。だからこそ同じ想いを持っている俺達もこうして協力しているんだ」
捲くし立てるように述べて、達哉は止めとばかりに目を尖らせる。
それは無遠慮に、物珍しそうな言動でフィーナを侮辱する連中の牽制のために。
「だから彼女のささやかな願いを貶し、揶揄するヤツは誰であっても俺が許さない」
達哉の決然とした宣言に、全てが思考回路を忘れきったように静まり返った。
「……済まん朝霧。俺達が悪かった」
やや間を置いて、心底反省しきっている顔つきで、柔道部部長が謝罪する。
同様にそれは周囲をたむろっている観衆の意見と同様だった。
軽はずみな行動に恥じ入っていたり、自分の教室に戻る生徒の姿が目に映った。
「いや、いいんだ。分かってくれればそれで」
厳しい顔つきを和らげて、達哉はいつもの調子に戻しながら身をよじる。
その際に、教室の中で変化が起きているのが聞こえてきた。
「あのフィーナさん、もし良かったらお昼ご飯一緒に食べませんか?」
「ありがとうございます。ええと、」
「ちょっと抜け駆け駄目よ恵子! フィーナさんを誘うのは私達なの!」
などと『フィーナと一緒にお昼ご飯を食べよう争奪戦』が勃発していた。
「良かったね、朝霧君。フィーナさん大人気だよ」
扉の隙間から首をにゅるりと出し、翠が朗らかに笑う。
「ああ、これで俺も肩の荷が一つ落ちたよ」
「それにしてもカッコ良かったよさっきの台詞。遠山さん惚れ惚れしちゃった」
「あれは本心から出た言葉なんだから、褒めなくてもいいって」
「謙遜しなくてもいいよ朝霧君。さっすがお姫様の幼馴染と言うべきかな?」
瞬間、達哉の頭のすぐ横に風を切り裂く音が聞こえた。
「朝霧君、もう少しここに留まってくれるとありがたいんだが」
見やると壁が掌の形に、少しばかり陥没しているのはなぜだろう?
どうしてクラスメイトが空腹の猛獣のように殺気立って、目が血走っているのか?
先ほどの穏やかな雰囲気は掻き消え、肌がひりひりする痛みが走っているのだ?
「ちょ、ちょっと待てよ。さっきのやり取りはなんだったんだ?」
「それとこれとは話が別! さあ白状してもらおうか!?」
今まさにこの瞬間、朝霧達哉の名前は全男子生徒の裏出版の『今すぐ暗殺したい野郎ナンバー1』に乗せられた。……ご愁傷様。





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