5月3日(木) スラビアンカ−ザルビノ 205.7km
朝、いきなりトラブルが発生する。同室の中西さんが体調不良を訴えだしたのである。「体がフラフラする」と言うことを訴えだしたのである。急ぎ医務室に駆け込むが、今日の走行は断念する事になる。ここで喜んだ(?)のが、やはり同室の下司さん。昨日バイクのクラッチトラブルでリタイアしてしまい、今日からどうするかな〜と言っていたが、中西さんの体調不良により、この日、中西さんのバイク(DR650)で出走できることになる。下司さん、笑顔満面であった。
スラビアンカでのスタート。いつものように、歓迎セレモニーが開催される。が、その途中で、ブリーフィングが始まる。いつもなら歓迎セレモニーが全て終わってからブリーフィングの筈なのに、どうして??と思う。「ロシアンラリー」の大きな目的の一つとしては、「日露友好」と言うところがあるはずなのにな〜と、この点には大いに疑問を感ずる。
さて、4日目のスタート。しかしスタート早々5kmも行かないところで迷う。コマ図にあるポイントらしき所を行くと、小高い丘&墓場のループに迷い込んでしまう。うろうろしていて、海辺の町に出る。すると地元のおじさんが「コースはあっちだ」と身振り手振りで教えてくれる。それでもコマ図にこだわって、相変わらず迷っていると、先のおじさんが車でやってきて、正しいルートまで先導してくれる。非常に有り難い好意であった。が、「この人、何でルートを知ってたの?」と疑問になる。
そのおじさんのおかげでオンコースを見つけだし、走行する。高原の中を抜ける絶好のルート。の筈なのだが、天気は小雨が振るあいにくの天気。「寒い〜。冷たい〜。前が見えない〜。」の三重苦に苦しめられ、景色を楽しんでいる余裕などない。
そこを抜けるとフラットダートと舗装路のメインルートになる。そしてコースは海岸沿いに抜ける。見覚えのある廃船が見えてくる。確かここは、’98の時の最終日に見た光景である。朽ち果てもせず、まだ残っていたかと思う。
その後、メインルート,舗装路を走る。コースが脇道にそれた頃、コースがわからなくなる。が、車で通りかかった地元のロシア人が「あっちだ」と教えてくれる。それに従って行ってみると、オンコースである事がわかる。先ほどもそうであるが、何で地元のロシア人が「ロシアンラリー」のコースを知っているのかなとさらに疑問になる。
しばらく行くと、割と大きな川に出る。見たところ、結構深そうな川に出る。そして川向こうでは水没したバイクの復旧作業をしている姿も見える。さてどうすべきかなと考えていると、また先ほど道を教えてくれたロシア人の車が追いついてくる。そして別のルートから苦もなくその川を渡ってしまう。そのルートは浅い川になっていた。そのルートに従って、川を渡る。「ロシアンラリー」では、ロシア人エントラントについていってしまうと、とんでもないことになることは身をもって知っていたが、地元のロシア人の指示には素直に従って方が良いのかな〜とも感ずる。
川渡りを終えた後、その場で水没した#33,佐潟さんのバイクの復旧作業を手伝う。数人がかりでキックを繰り返し、「ボボボッ」と言う音がするところまで行くものの、エンジンが息を吹き返すまでは行かない。そうこうしているうちに、スイーパーであるオフィシャルの車が到着する。この情景を見て、またオフィシャルの車を用いた「引き掛け」をやって見るかと言うことになり実施する。数回トライした後、見事バイクは息を吹き返した。またまた一同拍手である。バイクって動くもんやな〜とまたしても思う。
その後コースは山間部へ移る。轍は多い物の、路面自体はしっかりしているので非常に心地よい山間ツーリングを楽しむ。他のエントラントもその心地よさにコース脇で休憩を取っている姿をあちこちで見かける。これも「ロシアンラリー」の良いところである。
しかし「ロシアンラリー」の‘罠’はこういうところにこそ存在する。下って川(小川)渡り,そして登りという一見何の苦もない所に出、問題なさそうなので、一気に渡ろうとするが、登りにさしかかる所は実は非常にヌタくっており、危うくスタックしそうになる。二輪二足の精神で何とか自力でクリアする。
その後その場で、#31,松村さんがはまり、そしてコース作成者でもある西巻さんもはまる。救助に行く前に万歳三唱して、カメラで写真撮影から行くという所はやはり「不良リピータ」であることの証明であろうか。
その後も快適な山間ツーリングをし、CP1に到着する。ここでランチタイムとする。
CP1を抜けるとフラットダートと舗装路が続き、コースが再び林間コースになる。快適に走行する。と、ここでロシアンラリーのトラップにはまる。あまりに快適な林間コースだったので、ついついスピードを出しすぎてしまう。すると突然目の前に大きな窪みがあるのを発見する。「危ないッ!!!」と思う物の、ブレーキも間に合わずそのまま突っ込んでしまう。思いっきり振られて、バイクのステップから両足が離れるの感じる。すわッ転倒かッ!?!? とパニック状態になる物の、次の瞬間、再び両足がステップを捉えるのを感じる。転倒は免れることができ、放心状態の中、ホッとする。
そのまま進むと砂浜に出る。走りやすい砂浜だったので、エントラント,スタッフ入り交じっての走行会となり、遊ぶ。するとオンコースの先からバイクが一台戻って来るのを見つける。取材に来ている、GARRRR誌の山崎氏であった。この先に草原があって、絶好の撮影ポイントなのだが、誰も来ないので、どうなっているのかと戻ってみたとのこと。良かったら写真を撮りたいので来てください、と言って山崎さんはまた先に行ってしまう。しかし私たちはその後もその場でひたすら遊んでしまった。山崎さんすいませんでした。言い写真は撮れましたか?
草原地帯を抜け、ちょっと危なげな林道を抜けると、再びフラットダートに出る。後はゴールのザルビノまでひとっ走りである。さすがに遊びすぎたかなと言うところもあり、淡々と走る。しかし慌てず騒がずの安全運転。
ゴールのザルビノに着くが、何か様子が変。先に到着したエントラント全てが、港の入り口の所で待ちぼうけをしている。スラビアンカから船がまだ到着しておらず、港に入れないでいるらしい。もうちょっと遊んできても良かったかなと思う。
港の入り口でブラブラしていると、地元の子供がどんどん集まってくる。以前は通称‘チェンジ小僧’と言うのが集まってきて、釘や旧貨幣と言った価値の無いものを持ってきて、『何かと交換してくれ!』と集まってきた物だが、ここでは‘何かくれ小僧’が群がってくる。うるさくて仕方がない。
船はなおも到着せず、そんなこんなでなおもブラブラしていると、#35,池田さんが地元のおばちゃんを連れてくる。見覚えのあるおばちゃんだな〜と思っていおると、2年前にここに来た際に、サインをしたおばちゃんであった。その時の紙を持ってきており、その横にまたサインしてくれと言われる。勿論快諾する。長年参加していると、こういう再会もある。“ラリー”と言う言葉には、“再びここに集う”と言う意味合いもあるらしい。やめられない理由がここにもある。
さて、やっと船が到着したと言うことで移動が始まる。港に入る前に給油をしてくれと言う指示だったので、給油所に向かう。給油を待つ間に、バランスを崩し、立ちゴケをしてしまう。地元の見物人も多く、凄く恥ずかしかった。
夜、リピーターの雄,#30,坪倉さんが我々の部屋に現れる。ビデオルームの裏でロシア人と宴会やってるから来いと言う。無論行く。集まっているロシア人達も見知った物ばかり。言葉はほとんどわからないものの、飲んで騒いで写真取って、ワイワイ騒ぐ。“酒”と言う物は言葉の壁を軽々と超えてくれる。それにしてもそこでロシア人に教えてもらった、『ウォッカのファンタ割り』はなかなか美味しかった。宴会には使える。
早いもので、明日は最終日である。そんな寂しさもあって、酒が進む。
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