距離

 

『少し、遅れます。ゴメン』
 ケイタイの画面に浮かび上がった文字と睨めっこすること数分。
 なんでとかどうしてとか、言ってやりたいことが色々あった。

「……バカ」

 

 

「高知に行くことになったんだ」

(コーチ?)

 じゃなくて。

「高知?四国の?坂本竜馬の?」
 うん、と良太は頷いて、そのまま頭を下げ続けた。
 どうやら会わせる顔がないとか、そういったことを思っているようだった。

 あの時。シフォンケーキ、おごってくれるなんて甘い言葉に誘われて、ついて来てしまったカフェで。
 だって、私は二つ年上で。バイトもバリバリしていて。
 いつもおごる側だったから。ウキウキしていて。
 そしたら、良太がそんなことを切り出した。
 三ヶ月ほど前のことだった。

「遠い……ね。海挟んでるし」
「うん。でも橋架かってるから」
 だから?と、私はつい意地悪なことを思ってしまう。
 そうだね。と、返すだけでなんとか成功する。

(地元の大学、受けるって言ってたのに)
 運ばれてきたせっかくのシフォンケーキ、なかなか手を伸ばせずにいた。
 甘いものでごまかせる気分じゃなかった。

「オレ、やっぱやめようかなぁ」
 私が弱音を吐く一歩前で、良太が情けない声を出した。
 良太は年下で。一人暮らしなんて初めてで。高知なんてどこだか知らなそうで。
 なに言ってんの。と、私は苦笑する。大丈夫だよ。

「だってさー美和と離れんの、やだなぁオレ。自信ない」
 それはこっちの台詞じゃ。と、私は言ってやりたかった。
 行かないで。そばにいて。淋しいよ。
 好きだよとか愛してるよとか、言ってやりたかった。

「行きなさい」

「……美和?」

「行かなきゃ別れるわよ」

 ギロっと睨みつけてやったら、なんでだよぉ?と良太は泣いた。
 私は構わず、シフォンケーキに勢いよくフォークを突き刺した。

 だって、良太は年下で。
 行かないでって頼んだら、行かないでしょう?
 何かを選択するときの、最優先事項私でしょう?

 知ってる。好きだから。

 ……だから。

 あんなに知っていた、知りすぎてた良太のことが今、よく、分からない気がしてる。
 たったの三ヶ月で。
 自信が、なくなっていた。

 画面に浮かんだ文字は良太の下手くそな文字じゃない。だからピンと来ないのかもしれない。
 電話越しの声は、確かに良太のはずなのに、時々混じるノイズが現実を忘れさせてくれない。

(会いたいな)
 なんて、いつも思ってる。
 好きだから、一分でも一秒でも一緒にいたいって言うのは、ワガママかな。

「美和ぁ?」
 ふわりと声が降ってきた。
 向かいの席に腰掛けた人が良太だと気付くまでに少し、時間が掛かった。
「なんで、そんな顔してんの?」
 もう声が、ちゃんと良太していて。
(だって来るの、遅れるって言うから)
 だって、会いたくて会える距離じゃないのに。

 背が、伸びた気がした。
 気軽にウェイトレスを呼びつけて、メニュー片手に注文とかできる人だったっけ?

「なんか泣くの、我慢してたりする?」
 なんて、心配そうに覗き込んできたりする。
 良太って、こんな人だったけ?

「美和ってさ、淋しいとか会いたいとか全然言わないよね」
「だって私、年上だから」
「いつも……我慢してたりする?」

(だって私、好きだから)
 良太の負担になりたくなくて。

「良太だって言わないじゃない」
 と、言い返した。
 前は会うたびに言ってきたのに。
 会えなくなったら、急に言わなくなって。
 メールでも。電話でも。
 そんな良太、私は知らないから。
「だって美和が言わないからさ。オレ男だしな」

 涙腺が限界に達したときだった。
 ウェイトレスがテーブルの上にコトンと、シフォンケーキを運んできた。
 驚いて良太を見やると、満面の笑顔を浮かべていて。
 白くて柔らかそうなケーキは、そんな顔とは裏腹に過去の嫌な記憶を蘇らせた。
 甘くて苦い記憶。
「なんかまた言う気?」
 高知の次はどこ?と、意地悪なことを私は思ってしまう。
 その反応は全く予想外だったらしく、良太は少し考える風にしてから、にっこりと笑った。

「好きだ」

 

 

 きょとん。と、向かいのイスに腰掛けている人を見つめた。

 目の前で笑っているのは確かに、ちゃんと良太で。
(良太だ)
 なんて思ったら、ずっと我慢してた涙腺が破綻した。良太が再び心配そうに覗き込んできたけど。
 ギロっと睨みつけて、その勢いのままシフォンケーキにフォークを突き刺した。
 私には、好きだとか愛してるとか淋しかったとか、言ってやりたいことが色々あった。

「……バカ」

 

 

 

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