+彼女のもと彼+ 1+

 

 問いかけは、

 今から俺ん家に来いよ。

 答えは、しばしの沈黙。

 

 測ったように家具が配置された部屋。
 隅まで神経が通っていて、隙のない部屋。
 何者に対しても媚びない部屋。
 持ち主と一緒で、まったく、かわいげがなかった。

 床にぺたりと座りこんで、ベッドに背中をくっつけながら、部屋の中を観察する。
 すぐに手持ち無沙汰になって、くんくんとセーラー服の裾をめくって匂いを嗅いでみた。

「……」

 汗かいてるから、一度家で着替えてから来てもいい?

 しばしの沈黙のあとに付け足した答えを、あの机に向かう背中が却下したのは、数十分くらい前のことだ。

「そのまんまでいいだろ」
「どうして」
「…………めんどいから」 

 めんどいのは、彼女が家に戻る往復を心配してくれているのか、自分がわざわざ彼女を迎えに出なければいけないことを心配してくれているのか。
 言葉の持つ二重の可能性について疑ってみる。
 学校帰りに彼氏の家に寄るなんて。
 珍しく普通のカップルみたいな、甘い雰囲気じゃないの。なんて期待したりしたんだけど。
 部屋に入って勉強机に向かったときから、背中は期待を裏切らず一度も振り向かない。

 性欲より知識欲が優先するタイプ。
 下半身より頭で物事を考えるタイプ。
 簡単に言うと、研究するのに情熱を傾ける学者タイプ。

「ほんと、かわいくない」
「なにが」

 疑問系なのに断定してる……その声の出所はすぐそばだった。
 いつのまに移動したのか、隣に立って見下ろすようにしている。
 暗殺者を彼氏にした覚えは、全然ないのだけど。

 ぽんぽんと頭に降りてきた軽い感触。
 それだけのスキンシップをして、また机に戻っていく。
 どうやら書棚に辞書を取りに立ったついで、だったよう。
 あの定規を当てたような背中を、身体のどの部分よりも、一番見ているような気がした。
 たぶん、統計をとってみれば実際、そういう結果が出るだろう。

 張り倒してやろうかな。面白い想像をして、我慢した。
 頭のいい人の、頭の中身を覗き込もうとしてもムダだ。
 この半年間で、それだけは学習した。

「あー……飲み物とか食い物とかほしかったら、一階に台所があるから」

 台所があるからなに。
 なんて正直にオウム返しにすると馬鹿にされるから我慢した。
 人間は学習する生き物だ。

「じゃ、そうする」
 いいかげん退屈しているのにも飽きてきたので。
 立ち上がって、スカートのひだを整えて、ぽんぽんと数回お尻をはたく。
 じ、という背後からの視線を受け止める。
 それは地学の参考書に注がれるべきものであって、足元から舐めるように動くとしたら教育的指導が必要で。
 もしかして、着替えなくて、そのまんまでいい。めんどいからって。
 単純にセーラー服が好きだから、とかそんな理由じゃなかろうか。
 今さら、欲情しましたって告白されても困るんだけど、とセーラー服の袖をつまみながら思う。なんとなく汗くさい気がするし。

「なにか、用?」
「別に。ついでにオレにもなんか持ってきて」

 はいはい、と応じた。別に生意気息子のお母さんになった覚えはないんだけど。

「はい、は一度言われれば分かる。猿じゃあるまいし」
 ……確かに、猿を彼氏にした覚えもない。
 はいはい、と猿より頭の悪いフリをしてから、部屋を出た。

 彼氏の部屋は、二階の一番奥にあった。
 順番に、弟さんの部屋、ご両親の部屋の前を通ると、一階へと続く階段にたどり着く。
 当然の成り行きとして、今家にいるのは二人だけだ。
 地学の勉強をするには、絶好の環境というわけだ。

 階段の上、ふっとついたため息は幸い誰にも届かないうちに消える。
 今、家は狙ったように二人しかいなくて。息を潜めたように静かで。
 きぃ、というきしむ音が一段下りるごと、足につきまとう。

 きぃ、きぃ、きぃ……

 そっと一階に足の裏をつける。廊下を横切ってすぐの部屋が台所になっている。
 宮路家には、彼を含めて4人の家族が暮らしている。
 確か、お父さんはどこぞの会社の重役だとかなんとかで。
 お母さんはホテルのレストランを経営する敏腕マネージャーだとかなんとか。

 そして、金髪にピアス。
 バリバリの優等生が自な人とは似ても似つかない。
 冷蔵庫の前で、見逃せないオーラをギラギラと放って。
 牛乳パック持って立っていたのは彼氏の弟さん、だとかなんとか。

 

 

 

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