+彼女のもと彼+ +2

 

 2

 こう、面と向かって会うのは初めてだったように思う。
 いつもは不規則な生活が主らしく、規則的のお手本と付き合っている自分にとっては遠い存在だ。
 確か二個下だったはず。高校一年生なのか。そんな雰囲気はみじんも感じさせてくれないけど。
 彼氏の弟。金髪にピアスが、派手で、痛々しいなぁというのが感想で。

 挨拶の言葉に迷って、軽く頭だけ下げた。
 弟は、金髪を後ろ向きに流して、耳のピアスをきらりと光らせて、牛乳パックに口をつけた。
 行儀悪く、ごくんとノドを動かせる。

「……いらっしゃいませー」

 低い声。平坦で抑揚のない声だった。ちらりともこちらを見ずに言った。
 ばりばりの臨戦体制なんだとばかり思っていたら、偏見だった。

(飲み物とか食い物とか)

 天から声が降ってきて、はいはいと現実に引き戻される。
 あれは彼女への配慮なんかではなくて、単なるわがままだった。
 ほしいって言葉にしない分だけ、性質が悪い。

 弟さんが冷蔵庫から離れたのを見計らって。
 冷蔵庫を開けた。人様の家の。正確には彼氏様の家の。
 飲み物はミネラルウォーター、くらいしか選択肢はないみたい。
 ペットボトルごと取り出して、コップを二個ほど拝借する。
 これに食い物をプラスするなると、部屋までニ往復は覚悟するべきだった。
 めんどくさいなと思ったら、視界の端で金髪が動いた。
 じゃ、と水の流れ出す音。弟が、流し台の前に立って、蛇口をひねった。
 動くときに音を立てないのは、なんか、宮路家の家訓なのだろうか。

 近くから見た金髪は、痛々しさが何倍か増しになった。
 髪の隙間からのぞく右耳に、他にあけようがないぐらいいっぱいのピアス。
 見てるほうが痛くて、迷惑な男の子だと思った。
 全然似てない兄弟。ここだけは確かに同じ血のあと。

 蛇口が逆向きにひねられる。
 緩やかに円を描いて水が排水溝に吸い込まれていく。布巾を取って、全体が丁寧に拭かれる。
 配膳用のお盆。なんのためにってそんなの、なんて。
 聞くだけ野暮というか、頭悪そうなのでやめた。

「……ありがとう」
 短く、お礼を口にするのが精一杯だった。
 突然向けられた厚意に、どうしたらいいものなのか。
 愛想なしの彼女さんだ、とでも思われたのか、弟の目が意外なくらい大きめに見開かれた。
 金髪ピアスの弟は、お盆を差し出しながら、今度は遠慮なく、足元から頭のてっぺんまでじろじろと眺めてきた。
 なんだか初めて、人として認識された、みたいな。
 弟の野生動物みたいな雰囲気にちらりと惑わされて、そんなことを思った。

「いいえー」
 へらっと顔が崩れた。
 痛々しいの全部吹き飛ばして笑った。人懐っこそうに。

 これが驚いたことに。
 笑ったときの顔が一番、つまり、弟らしく思えたりして。
 あとで聞いたところによると、生セーラー服を久し振りに見れて嬉しかった、とかなんとか。
 外見より中身より、根っこで繋がるのが兄弟というものらしい。

 

 

(うむ)

 千華は、ドアの前でしばし考えたあと、お盆をひざの上に乗せて、ドアノブを回した。
 一歩部屋の中に入ると、仁王立ちしている彼氏様に迎えられた。

「え?」

 不意打ちで、手からお盆を奪われる。
 ミネラルウォーターとコップと適当に盛り付けたスナック菓子とかが乗っていた。
 乱暴にベッドの上に置かれる。

「……ありがとう」

 いちおう荷物を持ってもらったような気がしたのでお礼を。
 伝わるのか分からない眼鏡のレンズの向こう側に向けて。

 ぽんと、肩を後ろに押されて、閉まりかけていたドアを背中で閉めた。
 なに、と動かそうとした唇に、同じものが押し付けられた。
 他人の都合なんてどうでもいい。自分がよければそれでいい。
 そんなのすごい、ワガママじゃなかろうか。
 けどどうやら一ミリの非難も受け付けてくれない、気らしい。
 口の中を好き勝手に動き回るので、足を這い上がってくる手を抑えるのが精一杯。
 それがご不満だったのか、眼鏡のフレームを鼻にぶつけられた。痛い。

 ずるずるとドアに背中をあずけながら、床まで座り込んだ。
 肩を上下させて呼吸する。
 心臓がありえない動き方をしていて、酸素が必要だった。

「あの、さぁ……」
 地学の勉強はいいのか、と恨みがましく睨みつけて問う。
 レンズの向こう側であっさりとかわして、ベッドに腰掛けて、しかもお盆のスナック菓子をほおばり始めた。
 彼女の気持ちなんてどうでもいい。
 身に染みて分かっていたけど、やっぱりため息だけはついて、ベッドの、彼氏の隣に腰掛けた。

「……弟」
「ああ?」
「弟さんの名前なんだっけ」

 どうしてそんなことを聞くのか、とは言わない。
 でも不機嫌そうに眉をしかめる分だけ、性質が悪い。

「清く秀でる、きよひで」
「清秀、ねえ。清秀と、吉峯か。……なんか戦国時代の武将みたいな名前だね」

 ほぼ無音の室内に、ぱりぱり、とスナック菓子を食べる音だけが聞こえる。
 隣に座っていた彼氏は何を思ったのか、スナックのくずで汚れた指で遠慮なしに、肩をぽんと押した。
 天井が背景に切り替わった。ひっくり返った視界の中でぼんやりと、なんとなく汗くさいのを気にした。

「吉峯?」

 途中で、きちんと、眼鏡を置いてくるのは忘れずに。
 上から覆い被さるようにして、天井を背景から引っぺがす。
 今度はさっきよりもずっと優しく触れて。
 大好きなセーラー服、脇のファスナーを上げる瞬間が一番嬉しそうに見えた。

「……名前で、スイッチ入った?」

 入った。と言って、至近距離で、口元だけが笑う。
 眼鏡を外すと、やっぱり似てる。同じ血が流れてるんだなと思った。

「あのさぁ」
「なに」
「弟、清秀くん、下にいたよ?」

 だからなに。
 声に出すのも鬱陶しそうに、行為を進める手は止めないで。
 彼女の気持ちも無視なのに、弟のことを考慮するはずは、なかった。

「あのさぁ」
「千華」

 名前で、スイッチ入った。

「うるさい。……少し、黙っとけ」

 命令系なのにちょっとだけ優しい。
 だから、言いかけた言葉をやめて、おとなしく流された。

 言ってれば、何か変わったんだろうか。

 ふと、そんなことを考えてみる。
 何が言いたかったのか、そんな決定打を言うつもりだったのか。
 もう、覚えていないけれど。
 そもそもどちらからも、積極的に連絡をとるタイプではなく。
 学校はいちおう同じ名前のところに通っていたものの、クラスは違っていたし。
 受験期のカップルにありがちな、倦怠期に陥って。
 別れた、という決定打もなく、自然消滅した。

 だけど。
 確かに、流されて、成り行きでたどりついた気持ちだったのかもしれないけど。
 触られたり、キスされるのが嫌じゃない程度には、好きなんだろうなって思ってたよ。

 あなたのお兄さんのことが好きだったよ。

 

 

 

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