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 特大のため息が後ろから聞こえて。
 思わず、棚に本を並べかけた手を止める。
 ……ごめんなさいって謝りながら恐る恐る振り返った。
 先生が怖い顔をして立っていた。

 

「じゃあそういうことでお願いしまーす」
 市川さんの台詞の末尾に、え?とナオは聞き返した。
「……特別教室の掃除は、それぞれの教科係の人にお願いします。って聞こえてなかった?」
 あ、それダメかも。とナオが異議を唱える間もなく、クラス委員長市川さんはホームルームを終了した。
 黒板には今日の掃除当番の振り分けがされていて。
 社会科資料室の下にはしっかり、町田ナオ、と書かれていた。
 ぼおっとしていた自分が悪い。
 けど、あの狭いけどものすごく汚い資料室に、人材が一人しか派遣されないなんて少しおかしい。
 他の場所には最低でも二人は名前が書き連ねられていた。
 クラスの中の気遣いというか策略というか。

 ……困ったな、とナオは思った。

 

(怒ってる)

 机に向かって黙々と仕事をしてる先生の背中が。
 掃除、先生来る前に終わらせるつもりだったんですけど、って言い訳させてもらえなかった。
 でも、出てけとも言われなかった。
 もう少しで本棚の整理が終わる、そしたらそれから、……どうしよう。

 こほこほ、とナオは咳をした。
 机の上で先生の手が一瞬止まったように思えたけど気のしすぎかもしれない。
 社会科資料室は、世界史担当の先生にとって学校での家みたいなものだから。
 あんまりキレイじゃない。空気とか。
 って、ナオが思ったのと同時に、ガラっという音がした。
 開かれた奥の窓から新鮮な空気が入ってきた。

 ナオは邪魔にならないように角に置いておいた鞄の中身をごそごそとかき分けて、小さな透明袋を取り出した。
 袋の口、赤い紐で結んである。
 きれいな七色をしたトゲトゲの粒たちのせいで、袋が少しデコボコでいびつな形になっていた。

「……こんぺいとう?」
 いつのまにかそばにいる先生に特別驚いたりはしないで。
 ノドアメの代わりになるかなと思って。と言い訳する。
 赤い紐をほどいて、ピンク色のコンペイトウを一つ、口の中へと放り投げる。

 先生はナオが床に積み上げて置いた本を何冊か取り上げて、本棚の一番高いところにしまい始めた。
 そっと隣に並んで、先生の横顔を見上げてみる。
 ……まだ、怒ってた。
「あの、注意守れてなくてごめんなさい。でも先生、聞いてもいいですか」
 先生は返事をくれない。
 あっという間に本をしまい終えて、ナオの仕事を終わらせてしまった。
 これは早く帰れって意味なのかもしれない。って遅れて気が付いたけど、なんていうかもう引き下がりたくなくて。

「……私に、何かされましたか?」

 変な聞き方をした。
 ものすごく長い沈黙ができた。
 ぎろりと横目でひと睨みされても、負けないで。
 頑張っていたら、先生がしょうがないって感じのため息を一つ。
 先に折れてくれた。

「町田、風邪ひいた?」
「あ、はい。みたいです」
「昨日オレ、早めに寝なさいって言わなかった?守った?」
「あー…………はい」
 嘘だって一発で分かる言い方をした。
 昨日は友達から借りた文庫本を読んでいてつい夢中になって。
「たぶん、そんなことだろうと予想はできたから朝、迎えに行ったんだけど」
 どこにと思って、ええって、びっくりした。
「うちにですか?」
 こくん、と先生が頷く。全然知らなかった。
「そうしたら、町田が家の前で……」
 そこで言葉が一度、切られた。
 今朝の家の前まで脳みそフル回転で巻き戻しして、あって途中で思った。
「男の子と、しゃべってて。すごく町田、楽しそうで」
「先生、それ違います弟ですっ」
 ナオは思わずワイシャツの袖をわし掴みにした。
 だってこうでもしないと先生こっち見てくれないから。
 町田って……弟なんているの?って先生が押され気味に聞いて。
「いるんです。一コ下に」
 そうなんだって言った顔が、せっかく弟だって分かったはずなのに、全然晴れてない。
 オレ町田のことなんも知らないなぁって、悲しそうに笑う。
「確かに、町田が他の子と仲良くしてるのを見てつらかったんだけど、それも嘘じゃないんだけど。そうじゃなくて。なんていうか、町田にはあれくらいの子が似合うなぁって。なんでオレは10年遅く生まれなかったかなぁって思った。久し振りに」

 そういえば先生、傷つくの大得意なんだって。
 遅れて気付いたりして。

「……でもそんなの、どうしようもないです。しょうがないです」
「うん、そうだよな」
 先生はもう一回悲しそうに笑って、ぽんぽんとナオの頭に軽く手を置いた。
 それから、今日はもう帰りなさいと言った。あとごめん、とも。
 先生がなんで謝るのか、よく分からない。

「あの。あの先生、コンペイトウ食べませんか。元気になるかも」
 今朝、家を出るときに、ノドアメ代わりに。って弟がくれたコンペイトウ。
 このまま帰らされるのが嫌で、口実に使う。
 先生が一瞬すごく真剣な顔をしたのに気付かないで、何色がいいですか?とナオは重ねて聞く。
「……ぴんく」
 言うこと、相変わらず女の子みたいに可愛い。
 ナオは袋の中に指を突っ込む。
 入り口が狭くて、しかもピンク色だけ取り出すっていうのは結構難しい。
 なかなか上手にできずにいたら、もどかしくなったのか先生の左手が急に伸びてきて。
 せっかちだなぁってナオは少し笑って、袋から顔を上げた。
 そしたら今の今まで舌の上を転がってたトゲトゲの感触が消えた。
 え、と思ったのに声にできなかった。
 呆然と、離れていく顔を見送った。
「……え?」
 すごく近くで目が合った顔、つらそうで、かわいそうで。
 こんな顔させてるの、誰だろうってぼんやりと思う。
 ただ、控えめに後ろ髪を触る先生の右手が気持ちよくて。
 なんとなく目を閉じた。

 カチャン、と何かが硬い床にぶつかる音がした。
 ナオの手から滑り落ちたコンペイトウが、二人の足元いっぱいに広がって七色のじゅうたんを敷いた。

 

 

 

 

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