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 03. 信号を見ながら

 

「あー、やりてー」

 やりてー。

 動詞、やる+たいの活用形。
 意味、可愛い女の子といちゃいちゃして日頃のイライラを発散してー、ということ。

 ああやりてーなああやりてーな、と、ある意味風流な調子に乗せて繰り返す友人Aを、たまたま囲んでいた人々の輪が、半歩ずつ外へと広がった。
 誰も、野獣を囲う檻になる気はないようだ。
 俺ももちろん、と足並みを揃えたいわけなのだけれど、最初から檻の中にいる計算なので逃げ出すわけにもいかず。
 一歩前で、雄たけびをやめない獣を、どーどーと、手綱を緩めないように肩を叩いた。

 休日の駅前通りは、可愛い女の子で溢れていて。
 きょろきょろと見回すだけで、この子にもあの子にもと留まる、なんとも浮気心の多い目玉だ。でも、最近の日本って可愛い子率がぐんと増えたように思う。・・・といって、外国なんて行ったことがあるわけではないけれど。

 しかし、どうしてなのか、謎は深まるばかりなのだが、それでも隣を歩くのは、いつも顔を合わせているクラスメイトで。
 学校は休みのはずなのに、仲良きことは美しきかな。を実践していて。
 はー、と肩を抱いた友人Aのため息を、こっそりニ分割した。

 

  

 駅前のビルに掛かった巨大スクリーンに、繰り返し流されているCMの中では、人気絶頂のアイドルが季節先取りで水着に着替えていて。
 夏っぽい新曲のリズムに乗せて清涼飲料水をごくん、と飲み干す、あのノドボトケのアップがたまらん。
 とは、友人A談。

「くるみちゃーん」

 友人Aの呼びかけに、最高の笑顔で応じてくれる。
 アイドルは、えらい。
 にこりと微笑むだけで、どれだけの青少年を救っているのか。なんて尊い職業なんだろう。
 心から尊敬の念を送って、自分もああいう意義のある仕事がしたいものだと思う。

「あれ、ヒロスケは?」

 友人Aの疑問形に、疑問形で返す。
 確かさっきまではすぐ後ろを歩いていたはず。が、今は姿も形もなかった。
 視力2.0の目玉の威力を存分に発揮して探してみると、30メートルほど後方で、雑誌を広げながら立ち止まっている現場をとらえた。
 友人Bは、どん、とOLらしき女性二人組とすれ違いざまにぶつかり、すんません、と頭を下げている。

「何やってんだ、あいつは」

 友人Aの呆れ声に同意しながら、俺は、OLらしき女性二人組が密やかに顔を見合わせ頬を染めたのも見逃さなかった。視力2.0をなめるなよ。
 友人Bは結局、その反省をいかすこともなく、雑誌を広げたまま、クラスメイトが待ち受けるところまでやって来た。

「わりぃ。ぼーっとしてたら信号赤になってて、さ」

「わりぃじゃねえよ。暑いんだから待たせるなよ。俺は野郎のことなんざ一秒だって待ちたくねえんだよ。そんな時間の持ち合わせはねえんだよ。わかってんのかよ?ったく」

「まあまあ。ぼーっとしたまま道路渡って、車に轢かれないでくれただけでもよかったよ」

 不穏な空気を漂わせる友人Aをどーどー、となだめながら、休日の駅前通りのど真ん中で、男三人で不毛な言い争いなんてしたくねえんだよ、と俺は心の中に毒を吐く。

 友人Bことヒロスケは、しおらしい表情になって、わりぃと繰り返し謝った。
 友人Aことチカゲはそれを見て、まあいいけどよ、とすぐに機嫌を直した。

 どんなことが起ころうとも、心からの謝罪があれば許す。この友人たちの爽やかな関係は、結構好きだったりする。
 が、ヒロスケの手の中にある雑誌は相変わらず閉じられる気配もなく。
 チカゲなどは、わざとかと思えるほど簡単にそれを見落として、また先頭を切って歩き出した。
 結局、小さな埃はすべて俺に落ちてくる運命だ。

 ヒロスケの雑誌を横から覗き込んでみると、サッカーの専門雑誌で。
 ヨーロッパの、プレミアだかミディアムだかのリーグの情報がずらりと載っている。
 そういえばヒロスケはサッカー部だったな、それで適度な日焼けと適度な筋肉を合わせ持った身体が慢性的に女子を惹き付けるんだったな、なんてことを思い出した。

 チカゲのペースについていくと息が切れ、ヒロスケのペースに合わせると肩がこった。
 つまり、AとBの間にいるのがちょうどいいわけで。
 結局は、それが俺のベストポジションになっていた。

 

 

 こつこつこつ、と可愛らしい足音が耳のそばを通り過ぎたのはそんなときだった。

 帽子からはみ出した、太陽の色に近い、ハチミツ色の髪から、ふわっといい香りが舞う。
 思わず横目で追いかけると、隠しきれていない耳が理想的なカーブをしていた。
 前から確認しなくても、ああかわいい子だろうな、と。しかも前にとびきりが付きそうな予感とともに思った。

 ヒロスケ、と呼ぼうとして、いまだ閉じられない雑誌を思い出して、チカゲ、と呼ぼうとして、獰猛な野獣だったのを思い出して、やめた。
 この感動は胸に秘めておくことにして、ああやりてーな、と、心の中に毒を吐いた。

 チカゲの前方に迫る信号機があと10秒で赤に変わるのを確認して、俺は足の回転速度を少し上げた。
 計算に狂いがなければ、あの横断歩道の前で自然な雰囲気で追いつくことができるはず。
 視力2.0万歳。
 というか、これぐらいでしか役に立ったことないけれど。

 

 結果から言えば、その企みは、50%くらい失敗に終わった。
 俺よりも約、大股なら5歩ぐらい手前で、理想的な耳のカーブの横に並んだ人物があったのだ。
 全力疾走で。
 ヒロスケも俺もチカゲもその他大勢もごぼう抜きにして、いい大人が、髪を振り乱して背広を着崩して、途中で人にぶつかっても謝りもせずに。
 がむしゃらに、細くて白い手首を掴まえた。

 その乱暴な力に驚いたのか、その女の子が、すごい勢いで手を振り解いた。続けて、唇を忙しく動かす、俺の目玉に狂いがなければ、馬鹿じゃないの!とかなんとか。
 そのとびきりかわいい横顔に、俺の視力2.0の目玉は、あ、と固まった。

 

 俺はチカゲに追いつく、大股なら3歩ぐらい手前で、立ち止まった。
 正直、ここからだと横顔がはっきりと見えすぎて、心臓に悪いと思った。
 それを考慮してくれたからなのか。隣に立った男が、女の子に帽子を深くかぶり直させた。
 あんまり心配かけさせないでください、と、息が上がっているせいか、かすれた声で聞こえた。

「そんなの」

 感動的にかわいい声が、途中で聞こえなくなる。
 街中の雑音はひどくて、見る見るとか細くなる声は簡単に埋もれて消えてしまう。
 いつのまにか、ビルの巨大スクリーンが目の前に来ていた。大音量の新曲が耳に迫ってくる。
 画面の中では相変わらず、季節先取りで水着になったアイドルが、とびきりの笑顔でいた。

「・・・もっと近くで聞いてやればいいのに」
「ああ?」

 なんか言ったか、とチカゲが、大股で二歩ほど来た道を戻ってきた。
 信号が赤に変わる。
 横断歩道の前に、大きな人溜まりができる。
 その中に埋もれてしまう前に、声を拾い上げてやれよ、と思った。せめて隣に立っている奴くらいは。
 笑ってるからってイコール幸せじゃないんだ。
 泣いてるからってイコール不幸せじゃないんだ。
 それは画面の向こう側でもそうで。
 今、目の前でもそうだった。

「どうかしたのか?」

 険しい顔で黙り込む友人を気遣う、チカゲはいい奴だ。

 どん、と背中に鈍い痛みが走る。
 ぐしゃ、と何かがつぶれる感触を受け止めた。

「あ、わりぃ」

 雑誌より先に友人の背中に謝る、ヒロスケもいい奴だ。

 信号機の横に表示されている数字が、だんだん小さくなっていく。
 大股なら3歩ぐらい手前にいる二人は、もう向かい合ってはいなかった。
 少し距離を開けて、お互いのことを見ようともせずに。

 俺の視線の先をたどったヒロスケが、あ、と言った。
 続けて、そのヒロスケの視線の先をたどったチカゲが、ああ!と叫んだ。
 俺は慌てて、チカゲの口を塞ぎ、手の中で、うういちゃんと叫ばせた。
 雑踏から音が消える、そんな一瞬。
 大きな手が小さな手を包み込んだのは、そんなときだった。

 クラスメイト3人組と、女の子はほぼ同時で、隣に立った男の顔が見事な紅色に染まるのを目撃した。

「な!?なにしやがんだてめえ!俺おううみひゃんい!」

 野に解き放たれた野獣をなだめるのは容易ではない。
 慌てて、チカゲの口を塞ぐ手を強くした。
 よく見てみると、ヒロスケがサッカー部で鍛えた身体を活かして、チカゲを後ろから羽交い絞めにしていた。
 ナイス、チームワーク。

 俺は後ろ向きに首をひねらせ、きれいな横顔が、とびきりな笑顔に変わるのを目撃した。
 巨大スクリーンの中と外で。
 視力2.0の目玉に信号を映して、俺は少しでも長く赤が続くように祈った。

 

 

 

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