「…………見たいの? ナカが?」 眉をひそめて疑り深く、樹が聞いてきた。
変だろうか、やっぱり。菜加は頷きながら裏で、少し後悔した。
幼なじみが興味あるものに興味を持った、という単純な図式なのだけど。
この部屋に最後に来たとき、確か、中学校の卒業式のときにはなかったもの。
数ヵ月、会わない間に何か変わったものがあるとしたら。やっぱり、気になる。
ふーん、と樹はそれ以上は何も言わないで、許可を出す代わりにヘッドフォンを投げて寄越した。
なるほど、家族と同居する男の子の必須アイテムだな。と菜加は変な感心をする。
ヘッドフォンの反対側の先をテレビに繋げて、本体は耳に装着する。
放課後の彼女、ここは1巻からかなやっぱり、と手を伸ばす。
ビデオが始まって、いきなりそういうシーンからかっと身構えたらそうでもなくて。ちゃんとストーリー仕立てになっていた。
学校から帰ろうとしていた彼女(セーラー服着用)に、サッカー部の彼が誤ってボールをぶつけてしまって。
そして、二人は保健室へ向かうことに。
展開は単純で、彼女も彼氏も演技らしい演技はしていない。台詞は棒読みだった。
それでもだんだん、ドキドキする雰囲気は伝わってきて、菜加の目も耳も集中し始めたときだった。
ひょいっと、耳からヘッドフォンを奪われた。
「お前、どういうつもり?」
まず、飛び込んできた一声がそれで。いつのまにこんなに近くに、と菜加は驚いた。
取り上げたヘッドフォンを手に持ったまま、樹がベッドに腰掛ける。
配置としては、床に座っている菜加の真後ろに、樹がいることになる。
背中から無言のプレッシャーを感じる。
いたたまれなくなって振り返ると、不機嫌そうな顔が見えた。
いつも、幼なじみがする顔だった。
「どういうつもり、って?」
「もしかしてオレ、誘われてんの?」
樹の指がまっすぐ示した先、画面の中では今まさに、樹の好きなセーラー服が脱がされようとしていて。
はにかんだ彼女の表情につられて、菜加の顔が赤くなる。
「ええっと……」
「そういう顔するってことはそういう判断をしていいの?」
そういう、なんて曖昧な言い方されても示すことは一つだけ。
樹の気配が近づいて肩に触れたので、菜加はひゃあっと大げさな悲鳴を上げた。
はあ。と、樹はあからさまなため息をついて、ベッドにごろんと横になった。
パソコンのゲームがやりっぱなしになっていた。
でも戻ってまたやり始めるつもりはないようで、まだ手の届くところにいた。
菜加がそれを実行すると、樹のため息の色が濃くなった。
「お前さぁ。オレが好きだって言ったから、ここに来なくなったんじゃないの?」
そのとおり、だった。
中学校の卒業式のあとも、こんなふうに、この部屋に来て。
樹はいつものようにゲームを始めて、菜加は暇そうにしていて。
そしてどんなきっかけだったか、好きだ。と樹が言って。
いつものような日々が、終わりを告げた。
あれから、今日まで。おばさんに帰り道で捕まるまで。菜加は一度も、この部屋に来なかった。
「あれで嫌いになったんじゃなかったのか、オレのこと」
「ち、違うよ。それに、嫌だって言ったの、イッキのほうじゃん」
「オレがぁ? 言ってねえよ、ナカを好きだっつっただけだろ」
「だってイッキ、私と幼なじみでいるの嫌だって言ったじゃん!」
涙目になって訴える菜加を、まるで宇宙人でも見るように。
樹の口がぽかんと開いて、続けて、信じらんねえ、とこぼした。
菜加はそれに気付かずに、ぐずぐずと鼻をすする。
「だから私、幼なじみじゃなくなったイッキなんてちっとも想像つかなかったけど、でも」
お前と幼なじみでいるの嫌だ。
そう言ったときの樹の顔は、怖いくらい真剣だった。
そんな顔は、今まで一度も、見たことがなかった。
だから、幼なじみをやめてみようかな。と、菜加もそう決心したのだ。
ちょうど高校も離れてしまうことだし、ちょっと距離を置いてみるのもいいかなと。
「……で、いちおう、頑張ってみたんだけど、やっぱりダメみたい。ごめん」
手っ取り早く、じゃないけれど、菜加は一番近くにあった手を握った。
ほっとした。あのときから今までにできた距離分、少しは埋められたような。
「お願い。そろそろ、幼なじみ復活しよう?」
幼なじみっていうのは金太郎アメみたいなものなんだ。と菜加は思う。
あっちを切ってもイッキ。こっちを切ってもイッキ。
イッキばっかりでできている自分は、確かに、ときどきうっとうしくもなるけれど。
でもだからって、自分の中からイッキが全部なくなっちゃったらあとは何が残るんだろう。
イッキが幼なじみじゃなかったら?
ああもうっ。と、やけくそ気味に、樹が髪をむしった。
はげちゃうよ、という冷静な幼なじみの突っ込みにも、うるせいと言うだけで。
樹は身体を起こして、繋がっている手を裏返して、確認した。
「分かった。百歩譲って幼なじみでもいいから。ただし、確認させて」
「うん」
「幼なじみとか置いておいて。オレのこと、好き?」
「うん」
「それってどれくらいの好き?」
好きの単位なんて知らなかった。
う、と詰まった菜加に、樹が一つ基準を示した。
つきっぱなしになっていたテレビ画面、放課後の彼女第1巻を指差して。
「オレとこういうことしても、我慢できるくらいの好き?」
「……どうだろ。いきなり言われてもわかんないよ」
「じゃあ試してみよう」
二人の間にできた距離は、いつのまにかなくなっていた。
放課後の彼女第4巻は、幼なじみの部屋、なんてどうだろうか。
冗談のつもり、だったんだけれど、案外いいかもしれないな、と菜加は思った。
とりあえず今は手の届くところに樹がいて。それがとても、安心するから。
重なるようにして床に倒れた。
菜加の足に絡まって、引っ張られたものがあった。続けて、びっと嫌な音を立てて抜けた。
一秒遅れて、ベッドから何かが落ちてきた。ことん。
ヘッドフォンだった。これは家族と同居する男の子の必須アイテムで。
菜加は顔を真っ赤にして、思わず手で自分の口をおさえた。
って、もちろん、音の発生源はそこじゃなくて。
それは菜加自身、よく分かっていたのだけど。
だだだだだっとすごい地鳴りが、一階から二階に向かって駆け上がってきた。
「樹!!!あんた菜加ちゃんになんてことしてんの???!!!」
開いたドアの向こう、顔面を紅白にさせて、仁王立ちしているおばさんがいた。
床に仰向けになっていた菜加の視界では、ツノが逆さまに生えて見えた。
まだなんてこともしてねえよ、と、幼なじみが呟いた。
それが、今までの菜加の、どこを切っても見たことがないくらい、悔しそうな顔で。
菜加は思わず笑ってしまった。
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