+体温+
*読まれる前に。
30万打で人気投票だ、の救済企画です。
特にネタバレなしですが、本編47話以降に読むのがおすすめです。
番外編 欲張り
会うだけで、話すだけで、満足していた日々はすぐに終わる。
顔を出すものを欲、という。自分ではどうしようもない厄介なもの。
ちょっとだけ、と思って手を伸ばしてみる。
ちょっとだけ、触るだけ。
指先にサラサラと髪がかかる。シャンプー、どこの使ってるんだろう。
生徒会長、という役割らしく、自然なままの髪の毛は、きれいな顔によく似合う。
自分の少し痛んだ髪と比べて、嫉妬心に火がついた。
もうちょっとだけ。
顔を寄せて、シャンプーの香りをかぐ。そのまま形のいい耳の端っこに口づける。
眼鏡を外した素顔は少し子どもっぽくてかわいい。
いとおしさが募って唇を頬に寄せたら、くい、とおでこを押し返された。
いつのまにか片目が開いている。
そこで、ギラギラと目を輝かせる女と対面して、依子はげんなりした。
だめだよ、と笑って叱る。押し返す指は優しい。
「どー、して?」
「どーしても。依子ちゃんは、だめ」
こんなふうに特別扱いをされても。
喜ぶのなんてせいぜい恋に命まで注ぎ込むような馬鹿女だけだ。
(つまり私だ)
自覚しながら、依子は小さくため息をついた。
椅子に座り直して、先月分の図書館からのお知らせのプリントの端っこを折る。
ツルってどうやって折るんだったっけ、記憶を呼び起こしながら。
だめな理由がわからなくて聞いた。
会長は優しいから、誰も拒んだりしない。
そういうウワサは耳にタコだったし、こうやって放課後の図書室でできた関係の中でも、実際そうだと感じた。
なのに、拒まれた理由を。
「言ってもいいけど、たぶん、依子ちゃんはそれを実行に移せないよ」
だから努力しても無駄だよ。
友人を見ていると、ときどき羨ましくてたまらなくなる。
恋がしたい。特別大好きな誰かがほしい。特別誰かに好きになってもらいたい。
生徒会長は、そんな気持ちすべてお見通しのようで。
この人のことを好きなのかどうか、実はいまいち自信が持てていなかったりして。
基本的に、かっこいい男の子は大好きだし。
せっかくの高校生活、男の子とお付き合いをしてべたべたしてキスしたりしたい。
そういう付属物だけが先行して。
これは恋じゃないのかもしれない。恋にしたい手前の気持ち、欲望に似ている。
でも拒まれると、切ないから。そこだけがリアルだ。
「理由、教えて?」
食い下がったら、生徒会長は机から身体をはがして、眼鏡を掛け直した。
依子の手の中から、プリントを、ツルにならないままぐちゃぐちゃになっているプリントを、持っていく。
一度広げて、きれいにシワをのばして、リセットして。
リセットしてやり直したいな。できれば生まれるところから。
そしてドラマみたいな出会い方をするのだ。できれば会長のような、こんなかっこいい男の子と。
恋がしてみたい。理実みたいな。
友人の名前を思い出したら、ずくっと胸がうずいた。
あげる、と言われたプリントはきちんとツルの格好ですましていて。
なんでもできる生徒会長。ウワサどおりなのに。
「やっぱり、いい……」
臆病風に吹かれて依子がそう言うと、なぜか会長は嬉しそうに微笑んで。
優しく頭をなでられた。こういうスキンシップはいくらでも惜しまないのだ。
(ずるいし)
と、一人残った図書室で、依子は深く深くため息をつく。
紳士な生徒会長は頼まなくても帰り道をエスコートしてくれるけれど。
そんな当たり前の特別がほしいわけではないのだから。
ゆいちゃんとかのぞみちゃんとかひろこちゃんとか。
彼にまつわるウワサをいろんなところからたくさん聞いた。外側から作った知識はたくさんある。でもやっぱり中に飛び込まないとわからないこともあって。
それだけが収穫で進歩。
名前、呼び方一つでわかったりする。
馬鹿なんじゃないかと思ったりも、する。
ぴんく色のハンカチに包まれたお弁当箱を差し出すと、長いまつげがぱちぱちと上下した。
「神崎くんから、頼まれて」
「あー、柳原さんに?」
頷く。見回した教室の中、見知った顔は一つだけだった。
あんまり長い間このクラスにいるのは避けたかった。
背中から足に掛けて、突き刺さる視線が痛い。
逆ハーレムじゃないか、と友人を羨ましく思ったりもしたけれど、一人一人を認識する前に集団と対峙するのは怖い。正直勘弁してもらいたい。
教室で一人、スカートをはいている。
改めてその勇気を、すごいと思ったりする。
「わかった、渡しとく」
そんな依子の気持ちを察したのか、赤井は簡単に応じた。
依子はほっとして、そそくさと教室を出た。
教室から出られたせいなのか、目の前の人から逃げられたせいなのか。
「依子ちゃん」
教室を出たところで声を掛けられた。
ほっとしたの、バレたのかと思って、少しどきどきしながら振り返った。
依子ちゃん、ゆいちゃん、のぞみちゃん、ひろこちゃん。
たくさんの中の一つだとしても、やっぱりどきどきする。
呼ぶ声を、恋と錯覚しそうになる。
「わざわざありがとね」
たったそれだけを言うための労力を惜しまない。
この人の罪を、ときどき誰かに裁いてほしくてたまらなくなる。
雷に打たれて死んでしまえ、とときどき思う。
だめな理由を、無理難題を押し付けて、簡単に恋という答えにさせないこの人の身勝手さを。
「うん。理実にきちんと渡してね」
先に食べたりしたらだめだからね。と、依子が念を押す。
「ああ、その手は考えてなかったな」
本当に嬉しそうに言うから、ちょっと心配になった。
あんまり困らせないでよ?
私の友達なんだから。
「わかってるよ」
本当にわかっているのか、わからない顔で頷く。
(……ほんとに、わかってないのかな?)
どちらにしても、すごく馬鹿には違いなかった。
依子はしょうがないなぁと苦笑した。軽く手を振ってバイバイをする。
大急ぎで足を動かして廊下の角を曲がって、壁に背をぶつけて、波打つ胸を押さえる。
ちょっと痛くて、苦しくて。でもたぶんまだ、足りていなくて。
その気持ちを何と呼ぶのか、決められるのは自分だけ。
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