+体温+
02 灰谷くん、困ったように笑う。
「あらあら」
斎藤が保健室のドアを開けると、室内には二人の生徒がいた。
一人はベッドの上、一人はすぐその横に。
意外な組み合わせに、思わず顔がほころんだ。
「先生、遅いです」
ため息まじりに漏らした男子生徒に、斎藤は顔の前に片手を立てて、苦笑しながら詫びる。
「ちょっと生徒の父兄と話していたものだから、ごめんなさいね。で、そこで気持ちよさそうに寝てるのが本日の患者さんかしら?」
ベッドのそばまで寄って行くと、その微笑ましい図に、斎藤はますます表情をゆるめた。
「おやまあ、これは……」
男子生徒の手をきゅっと握ったまま、スースーと穏やかな寝息をたてる女子生徒。
微笑まずにはいられない図だった。
「なるほど。このせいで、そんな窮屈な格好で固まってるわけか、灰谷くんは」
男子生徒――
灰谷亨は、広い肩をすぼめて、照れくさそうに眉をやや下げた。
斎藤は、女子生徒の様子を一通り確認すると、まあこれだけぐっすり眠ることができていればすぐに回復するでしょう、と診断をくだした。
おそらく、教諭の立場では想像することしかできないけれど、緊張と疲労と熱と、いろいろなものが重なってしまったのだろう。
「それにしても、彼女の絶対的な信頼を獲得してるみたいじゃない」
「へ? オレが?」
「あら、付き合ってるんじゃないの?」
「まさか。オレ、滅多に柳原としゃべんないですよ」
灰谷は自分の手を解放する手段を、あれこれと思案しているようだった。
起こさないように手を離すにはどうすればいいのか。
斎藤がまだ腑に落ちないような顔つきをしていると、灰谷は少し考えてから、補足した。
「きっと、柳原弱ってたから。誰かに助けてほしかったんじゃないかな」
そうかもね。と、斎藤は短く同意した。
そういうことにしておきましょう。
「さ。タッチセラピーは私が引き継ぐから、早く教室にお戻りなさい」
「たっち、せらぴー?」
「そう、タッチセラピー。誰かの体温って、人を落ち着かせてくれる効果があるのよ」
ああ、それでと、あっさりと自由になった右手を見つめながら灰谷は一人呟く。
「最初は、あんな野獣クラスに、こんなかわいい娘一人でどうなることかと心配していたけれど。灰谷くんみたいな紳士もいるなら、大丈夫そうね」
保健室を出て行こうとする背中に、斎藤は声をかけた。
その言葉に、男子生徒は少し驚いた表情を浮かべ、それから困ったように笑った。
「オレ、紳士なんかじゃないです」
失礼します。
閉じられたドアと、ベッドですやすやと眠っている女子生徒を、斎藤はまじまじと見比べた。
二人の生徒の行く先に少しだけ、思いを馳せた。
(おやおやまあ)
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