+体温+

  09 で、本当?  

「灰谷と付き合ってるって、本当?」

 おはよう、の次の台詞がこれだった。
 理実は一瞬固まって、席の周りを囲むようにして立った数人のクラスメイトを見やる。
 昨日と違ったのは、にやにやじゃなくて、真剣な顔をしていたことだった。
「あの、ええと、どうして……?」
 理実が聞き返すと、みんなは一様に教室の中心に目をやった。
 同じところを見ると、複数の人がいたにも関わらず、誰のこと指したのかすぐにわかってしまった。
 選ばれた存在感を持っている。
 赤井は理実の視線に気付くと、いつものように人懐っこい笑顔で手を振り返してきた。
「で、本当?」
 答えを求められて、困ってしまった。
 もう、昨日とは違う答え方を、しなければいけないんだろうか。

 考え込んで俯いた理実の目に、隣に並んだ上履きが映った。
 顔を上げて見ると、そこに、さっきと同じ笑顔があった。
「あのねぇ、一人の女の子を野郎が群れて囲うなよ。柳原さん、困ってんでしょうが」
 ねえ? と、赤井から同意を求められて、理実はさらに困ってしまった。
 みんなの視線の矛先が、隣の赤井へと移動して、表情はより鋭くなる。
 敵意に似たものを感じ取って、理実は心配そうに赤井を見たが、当の本人は平気で笑っていた。
「少なくとも俺は、真実を述べただけなんだけど。それ以上何が聞きたいって?」
「じゃあ本当に付き合ってるわけ? 昨日のは嘘だったってこと? それってちょっとあんまりなんじゃねえ?」
 特大のため息で、赤井は答える。
 赤井が、昨日のことを知っている。当たり前のように。
(灰谷くんが話した、のかな)
 その困惑を察知してなのか、赤井が視線を寄越してきた。
 まるで秘密を共有する仲間のように、どうしようか、と聞いてくる。
 理実には当然、どうすればいいのか見当もつかない。
 赤井は、にやり、と物騒な笑い方をした。
「なるほど。つまり、お前さんたちは瀬名に同情してるのね。ご立派な友情ですこと」
 なにっ! と、怒声が複数形で濁った。
 相手に反論する余地を与えないで、赤井は続ける。
「友達思いなのは大変結構だけど、お前さんたちの出る幕じゃないんじゃない」
 どうして、わざわざ喧嘩を売るような言葉を使うんだろう。
 理実はハラハラと状況を見守っていた。
 ここは、今やクラス中の注目の的になっている。
 明らかに穏やかじゃない空気に耐えられなくて、理実はとりあえず赤井を止めようと、上着の袖に手を伸ばした。
「おはよ」
 はっきりとした発音が割り込んできた。
 そのせいで、今まさに踏み出されようとした足たちが、一瞬躊躇ったのが分かった。
 みんなが呆然とする中で、おはよう、と、なんとか理実だけが反応する。
 灰谷は不思議そうに、辺りを見回した。
 たぶん、ここにいる全員に向けての挨拶だったんだと思う。
「……どうかした?」
「お前と、柳原さんが本当に付き合ってるのかどうかが知りたいんだとさ」
 赤井の説明に、一瞬虚をつかれた顔をして。
 理実を見やって、困ったな、と一緒の気持ちを共有した。
 灰谷の出現で、ぴりぴりとした緊張が一気に解け出したように感じた。
 理実の手からも力が抜けて、掴んだままでいた赤井の袖を解放した。 
「付き合ってるよ」
 不意打ちで。
 さらりと放たれた一言に、その場にいた全員が目を丸くした。赤井も。理実も。
 けれど灰谷の目は、ここにいる誰にも向けられていなくて。
 今、後ろのドアから教室に入ってきた、スポーツバックを肩から提げている男子生徒をまっすぐ見つめていた。
 あ、と理実は思った。
 思うと体はすばやくて、一歩を踏み出すのに躊躇いはなかった。
 前を塞いでいたクラスメイトたちを押しよけて、彼に近づいた。
 みんながどんな顔をしていたのかなんて、そのとき、考えている余裕はなかった。
 気がついたら、クラスの中から一本の腕を選んでいた。
「これから時間、もらえないかな?」
「……俺?」
 心底意外そうに尋ねられたから、必死に頷きを返した。
「うん、瀬名くんに。少しだけでもいいんだけど」


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