+体温+
14 手。
やっぱり、と言うか。図書委員の仕事は半分も片付いていなかった。
依子には散々、根掘り葉掘りを聞かれたけれど、どれも満足に話せなかった。
赤井の話を聞くためについていったのに、結局、何もせずに帰ってきてしまったのだ。
だから、自分でもよくわかってない、というのが本音で。
ご機嫌をかなり損ねてしまった気がしたので、お詫びのつもりで残りの仕事を全部引き受けた。
依子は渋ったが、半ば強引に帰らせてしまった。
「……なにやってんだろ」
一人になった図書室で、理実はため息をつく。
たいしたことをされたわけではない、と頭ではわかっていた。
なのに身体は強く、拒否してしまう。
寒気を感じて、ぎゅっと、自分自身を抱きしめた。
目じりのあたりにぐっと力を入れて、沈んでいきそうな気持ちを引き締める。
どうせなら、本の整理と一緒に、気持ちも整理できたらいいのに。
理実は目下の作業に集中することにした。
ぱちん、とすっかり暗くなった室内に音が散って、照明が灯る。
眩しさに、理実は目をつむる。
まだ床を埋め尽くしている本の有様を見かねたのか、手伝おうか? と、気遣わしげな声が聞こえた。
「ごめん、もう切りのいいところで終わりにするから」
「手伝うよ。なんか、オレにもやれそうなことはない?」
器用に本の山を踏み分けてくる足を見つけて、理実は手を止める。
新刊の量が量だったので、床の上にじかに座って作業していた。
灰谷は、さっきまで依子がいたスペースに入り込む。
身体のサイズが大きい分、少し窮屈そうに。
「……じゃあ」
作業を終えた本でできた山を、そちらの棚に移して並べてくれるように頼んだ。
灰谷は頷き、すぐに手を動かし始めた。
(猫の手百本よりも、灰谷くんの手が二本ほしい)
赤井の言葉に、理実は遅ればせながらの賛成をした。
いつのまにか棚の作業を終えて、隣で同じ作業に取り組んでいる。
背表紙にラベルを貼って、上から透明フィルムで覆う。
躊躇わない心と、微妙なセンスがいる。地味だけどなかなかコツのいる作業なのに。
「灰谷くん、上手だねぇ……」
心から感心する理実に、灰谷は苦笑する。そんなことないよ、と。
「やっぱ、柳原のほうが数段上手い。オレにやられた本はかわいそうだ」
最後の一冊を本棚に収める。
灰谷の力添えもあって、仕事は見る見るうちに片付いた。
図書室の戸締りも終え、帰る支度が整うと、灰谷が棚から一冊の本を取り出した。
「どうかした?」
「ああ、この本が面白そうだなって」
青いペンキをこぼしたような表紙。
かなりの厚みがあったが、確か内容は重たいものではなかったはず。
あらすじに惹かれて、図書委員の特権利用で理実が注文したものだった。
「よかったら、借りていって」
「え、ほんとに? ……でも今日、カード持ってないんだ」
入学して初めに、色々な書類とともに、図書室の、個人の貸し出しカードが配られる。
そしてそのほとんどは一度も使われることなく、三年間生徒の机の中に眠り続ける。
理実は微笑んだ。
「灰谷くんなら、いいよ」
理実は立ち上がり、その本を受け取ろうと手を伸ばした。
貸し出しをするときは、個人のカードとは別に、図書のカードへの記入が必要になる。
青いペンキをこぼしたような表紙。その裏側で、一瞬、指先が重なった。
ドサッと、鋭い音をたてて、本が落下した。
二人のちょうど間に落ちたそれを、灰谷が拾い上げる。
ぱんぱん、と本をはたいて、一通りの心配をしたあと、もう一度、差し出した。
「柳原?」
固まってしまった理実に、灰谷が不思議そうに声を掛けた。
不思議なのは理実も一緒だった。戸惑いながら、もう一度、手を伸ばす。
いつもの倍は動いている心臓に、細心の注意を。
触れるか触れないか。その距離がゆっくりと遠のいていく。
青い表紙を胸に抱いて、理実はほっと息を吐き出した。
(……大丈夫。まだ、大丈夫)
身体の中心に向けて、繰り返し言い聞かせる。
カードには、図書の名前と、クラスと、番号と、それに生徒の氏名を書き入れなければいけない。
灰谷亨。指先に灯った熱が、文字を揺らした。
Copyright (c) 2001-2006 kanada All rights reserved.