+体温+
20 赤井くん、罠を掛ける。
「え。柳原さん、メイドさんなんだ」
ドアを開けた途端。
一番奥から、しかもたくさんの生徒に取り囲まれた状態なのに、目聡く発見されてしまった。
さすがだなぁと感心して、理実は半開きのドアの前で凍りついた。
部屋中の視線が一気に集まってくるのを感じた。
フリルのいっぱい付いた白いエプロン。
髪はゴムで二つに束ねられて、依子のクラスのみんなでお揃いのカチューシャ。
欠席の子の分が余っているからと着替えさせられてしまった。かなり、強制的に。
せめてスカートの丈はそのままの長さを主張したかったんだけど、短いほうがかわいいよっと依子に無理やり上げられた。
あれこれと言う間もなく、今日一日はこのままでいなさいと厳命された。
それが、こんな格好でここにいる、理実の言い訳で。
「きゃー! 理実ちゃんかっわいいっ!」
二、三秒遅れで反応した生徒会の女子メンバーに、あっという間もなく取り囲まれた。
なんだか、今日は女の子に縁のある日だな。
と喜んでいる場合でもなくて、しげしげとメイド服を観察されたり、たくさん写真を撮られたり。
さんざん遊ばれたあとに、手に持っていた綿菓子を二個ほど進呈して、なんとか逃げ出すことができた。
「あの、これ、依子から」
です。となぜか敬語にして。
綿菓子、最後の一個を部屋の一番奥に座っていた人に向けて差し出した。
生徒会室にはいつものメンバーの他にも、たくさんの人がいた。
騒がしさは、さすがに文化祭の中心地点で。
でもとりあえず、探した姿は見つからなかったので、理実はほっと胸をなでおろした。
「ごめん、ちょっと待っててね」
生徒会長は、机の上の書類にサインをして、傍らに立っていた男子生徒に手渡した。
一言二言、何か具体案を述べて、最後に付け足すように言った。
「空いた時間の使い方は町田に任せた。灰谷くんあたりを使ってうまくやって」
さすがに、名前を出したのがワザとぐらいなのはわかる。
理実は、恨めしく生徒会長を睨んだ。
眼鏡の奥の目が笑っている。
赤井に手渡された書類に目を通し終えた男子生徒が、びっくりした顔をして隣の理実の格好を見つめた。
……なんか、だんだん泣きたい気持ちになってきた。
突然、携帯電話が鳴り響いた。
生徒会長の机の上には全部で3つの携帯電話があった。用途別に使い分けているらしい。
そのうちの一つを耳に当てて、何か指示を出し始める。
そんなに忙しいなら、自分のことなんてほおっておいてくれればいいのにな。
と、思っていたら、唐突に赤井の手が伸びてきて、理実の持った綿菓子から一口分、つまんでいった。
「うん、甘いね」
電話を終えて、最初の感想がそれで。
依子ならとろけてしまいそうな笑顔かもしれなかったが、今の理実は怒っている気持ちが勝った。
注文のあったクラスに品物を送り届けたことを、事務的に報告する。
それで、さっさと次の仕事を片付けにいこうと思った。
ついでになんとか依子に頼み込んで、制服に戻る許可をもらおう。
「メイドさん」
不本意な呼び方ながら、反応しないわけにはいかない。
なんですか、と不機嫌に。
「かわいい格好のついでに、おいしいお茶をみんなに一杯ずつ、入れてくれません?」
それが、理実に与えられた次の仕事で。
早く。一秒でも早く。この場所から逃げ出したほうがいい。
どこからかわからない神様のお告げに、必死で理実も従おうとした。
でも結局、誰よりも一番えらい人に逆らう理由を、見つけることはできなかった。
* * *
舞台袖からこっそり覗くと、客の入りは上の中、というところだった。
文化祭ってこんなに盛り上がるものだったんだ。
なんて、今さらの感想を抱く。
いつもは向こう側で客として座っているだけだったので、なんだかとても新鮮な感覚だった。
優雅な舞台の裏側では、たくさんの人たちが嵐のように動いている。
そういうことを、今まで想像はしてみても、ちゃんと理解していなかったんだ、と理解した。
この演目を最後に、初日の体育館の舞台使用は終わりとなる。
同時に、灰谷の一日目の仕事もほぼおしまいだ。
まだ明日、明後日と繋がっていくので、気を抜くわけにはいかないけれど。
「灰谷先輩」
小声で囁くように、袖を引っ張られた。
見ると、今年の文化祭の副実行委員長がいた。
手にはきちんと書類を持っていて、どうやら無事に生徒会室から指示をもらって返ってこれたらしい。
「明日できた空き時間は、自分たちの裁量でなんとかしろとのことでした」
とんでもないことをなんでもないふうに言うのはやめてほしい。
どっと増えた負担に、ため息をつきたくなったけれど、我慢した。
紛れもなく、一番の被害者はこの後輩だった。
一年生なのに副実行委員長に大抜擢、の裏には当然、会長の思惑が絡んでいる。
また、そんな不運な境遇をプラス方向に変えてしまうだけの力を、この後輩は持っていたりするので。
ますますイジメを増長させる言い訳に使われてしまったりするのだ。
灰谷は哀れな後輩の肩をぽん、と叩いた。
「オレで協力できることがあればするから」
自分がしてやれることなんてせいぜいその程度だった。
じゃあお言葉に甘えて、と自分の不幸も笑ってみせる。
やわらかな、優しい雰囲気を持つ後輩だが、こういうところは少しだけ、会長に似ているようにも感じた。
なんというか、本質を見せないところ、というのだろうか。
「今から生徒会室に行ってもらえませんか?」
思いがけないお願い事に、え、と次の言葉を見失った。
「え、なんで?」
「すみません。オレの勝手な判断だから、正しいかどうか微妙なんですけど」
この演目が終わるまで少なくともあと30分はかかる。
その間も裏方は激しく動かなければいけない、ということを学んだばかりだった。
本当はこんなふうに穏やかにおしゃべりしている場合でもない。
そもそも、明日の空き時間をどうするか、という問題が目下、自分たちには降りかかってきていて。
今、ここで、やらなければいけない難題ばかりあった。
「先輩の彼女さん、可愛いですね」
ぴたり、と灰谷は思考を止めた。その意味を、考えたくなくて。
今度は我慢せずに思いきり大きく、ため息をついた。
後輩の浮かべた憂いの表情に少しだけ、救われる。
「悪い。お言葉に甘えて、少し、抜けていい?」
「わかりました。今日はもうこれで終わりですから、あんまり後のことは気にしないでください」
「さんきゅー」
後輩を始め、そこにいた裏方メンバーは、すがすがしいくらい快く、送り出してくれた。
せめて、開き時間を埋めるためのアイディアを捻出して、後で貢献しようと、こっそり灰谷は誓った。
* * *
先輩の後ろ姿を見送りながら、すみません、と誰にも聞こえない声で謝罪する。
何枚かあるうちの書類の最後尾に、走り書きで書かれた命令文。
至急、灰谷呼んできて。
逆らうわけにはいかない。
だからしょうがないと自分をごまかしつつ、やっぱりこの先のことを思うと、申しわけない気持ちでいっぱいになった。
せめて、こっちの難題は自分たちの裁量だけでなんとかしようと、こっそり文化祭副実行委員長は誓った。
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