+体温+

  26 メール。  

(後夜祭のときって、忙しい?)

 文化祭二日目は、体育館のステージで、急にできた空白の時間を埋めるのに精一杯で。
 忙しくて、携帯電話を見る余裕もなかった。
 約半日遅れになってしまった返事をどう打とうかと、灰谷は、親指を宙でしばし止めた。
 あらかじめ、こうなることを予想していたのか。
 後夜祭には身体空けるからねと、会長からはありがたいお言葉をいただいていたりする。
 あの眼鏡って本当は、ドラえもんか何かの道具なんじゃないだろうか。
 そんな疑いを、結局クラス全員を巻き込んで、追い込み作業をしているときに口にしたことがあった。
 未来とか、心とか、なんでも見透かす眼鏡〜とかいう名前でさ、と、ドラえもんの声をマネて言ってみたら、
 ぽかん、としていた表情が、三秒きっかりカウントして、崩れた。
 柳原の笑い声は、普段のときと比べてみると意外なほどはっきりしていて、豪快だ。
 苦しそうにおなかを抱える彼女を見ていると、こちらもふざけてみた甲斐があったというか。
 自分が何をしたかったのか、そしてこれからどうしたいのか。
 そんなことが、よく、染み渡るように、わかるような気がした。
 灰谷は、親指を動かして、短い文面を送信する。

(返事遅れてごめん。仕事ないから忙しくないよ。よかったら、一緒に出る?)

 後夜祭。
 初日に校門のところで、でっかい熊に手渡されたチラシのことを思い出す。
 後夜祭を一緒に過ごす相手は、何かしらで普通とは違う相手で。
 その程度の噂なら、灰谷も耳にしたことがあった。
 クラスメイトにしても、友達にしても、仮の恋人にしても。
 何かしらで特別な、相手。
(オレで、いいのかな)
 と、考えてすぐにため息に変換した。
 最初に他の選択肢を取り上げたのは自分だ。こういう考え方をするのはずるい。
 答えを出すのを避けて、傷つけないように、傷つかないように、遠回りをしているだけだ。
 わかっているつもりなのに、まだどこかで期待をしているのだ、自分は。
 手の中に軽い震え。
 灰谷はメールを確認すると、すぐに携帯電話をカバンにしまった。

(うん、灰谷くんさえよかったら一緒に出たいな。あと、少し話したいこともあるから時間もらえると嬉しいです)

 後夜祭は、最終日の最後の演目。
 一般参加のお客さんが帰ったあとに、生徒たちの間だけで行われる。
 出し物に使った資材や、出たゴミなどを、校庭の真ん中に集めてキャンプファイヤーをする。
 その炎をみんなで囲んで、祭りの終わりを祝う。
 騒ぐだけ騒ぎつくして、明日からは通常の生活に戻るスイッチを切り替えるために。



 * * *

 理実は震える手で、メールを受け取った。
 祈るような気持ちだった。メールが、どんな文面ならいいとか、具体的なことはうまく考えられないけれど。
 何がいいのか、どうしたいのか、何一つ心の中で整頓できてはいない。
 でも、
 もう、限界だ。
 これ以上そばにいたらダメだ。ダメになってしまうものがあった。
 身体中が警告を発している、それだけが確かだから。
 溜め込めておけない感情が、言葉の代わりに涙になって溢れてくる。
 このままでは伝わってしまう。
 その前に絶ち切って、ただのクラスメートに戻らなければ。
 これ以上、彼の負担にはなりたくなかった。だから、
 もうおしまいにしよう、と理実は思った。


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