+体温+

  31 冒険の扉へ続くエサ。  

 やることがないときって、どうして掃除に走ってしまうんだろう。
 頼まれもしないのに書庫の整理に没頭してしまった。
 ポケットの中で携帯電話が震えて我に返ったときにはもう、小さな窓の外は色を落とし始めていて。
 こういうおせっかいなところが、先生に委員長と勘違いさせてしまう理由かな。
 自覚しながら、理実は立ち上がった。ぱんぱん、とスカートからほこりを払う。
 携帯電話を開くと、あたりに光が漏れた。新着メールが一件。
 今朝メールした件へのオーケーの返事だった。
(ありがとう、じゃあここで待ってるね)
 そう打ち返して、理実は足元に置いてあったものをよいしょ、と持ち上げた。
 書庫から図書室のほうに出てみると、当番の委員は不在のようで、室内には暗闇が広がっていた。
 月と星の恵みが少ない分だけ外よりも暗く、暖房器具の使用が認めれるのは利用者がいるときに限られているので外よりも寒く。
 冬場の図書室は、なかなか厳しい。
 カウンターの隅に、持っていたそれを置いた。軽くなでてやる。こういう暗い中で見ると、少し不気味でおかしかった。
 そして、いつものように整然と並ぶ本棚に目を向けて、いつものように本が並んでいることを確認した。
 いつも、ここは変わらない。
 うれしいことも、かなしいことも、どんなに記憶を積み重ねても、好きな場所というのは変わらない。
 そういう実感が、理実を勇気づけてくれた。

 とりあえず、電気を付けよう。
 そう思って壁のスイッチを探ると、すぐに指先に出っ張った感触が当たった。
 力を入れて押そうとした瞬間、がさ、という物音が耳を叩いた。
 びくっとして、理実は暗闇に目を走らせた。
 いつものここ、の中に、必死に違和感を探した。
 視界の中に、物音を立てそうな、動くものは見つけられない。
 ただ、図書室の机と本棚の間を走る道を、不自然に点々と本が直進しているのを見つけた。 

 恐る恐る近づいて、とりあえず一番近くにあった一冊を拾い上げる。
 ムーミン谷の十一月。
 なんでこんなところに、と理実は眉を寄せた。
 内容は確か、ムーミンのいない谷にスナフキンたちがたずねてくる話、だったような記憶が。
 なんとなく興味を惹かれて、次の一冊にも手を伸ばしてみる。
 今度は、ガーデニングの雑誌だった。春らしい庭を自分で演出特集号、らしい。
 その次は鉄人28号の漫画で、その次は宇宙像と生命像という題名のなんだか難しそうな新書だった。
 そして最後に、おくすりの大事典という分厚い一冊を拾い上げた。

 いつのまにか、図書室の一番奥の本棚の手前まで来てしまっていた。
 手の中に収まったずっしりとある重量感に、理実は思わず苦笑する。
 どこかへ旅立つ冒険の扉へ続いているのかと思ったのに。
 途中から少しわくわくしていた自分がおかしくて。

「……ん……」

 空気がため息をつくような。
 かすかに響いた音に惹かれて、理実はそこに目をやった。
 そこは、図書室の一番奥、本棚と本棚との間の狭い場所で、迫ってくる夜のすべて吸い込んでしまったように暗くて。
 何が起こっているのか理解するまで少し、時間がかかった。
 暗闇に浮かび上がる白。
 そのすぐそばで、周囲の色とは種類の違う黒が動いている。
 しゅ、しゅ、という衣がこすれ合うような音がして、白と黒の位置が入れ代わる。
 さらさらと流れた髪のふちをたどるようにゆっくりと影が動く。
 理実のほう、グランド側から差し込むわずかな光だけが、ぼんやりと二人を照らしていた。

 こんなときでも、眼鏡、外さなくても大丈夫なのかな、とか。
 一瞬、どうでもいいことを考えて。
 本を抱えたまま、呆然として立っている理実を映して、レンズの向こうの目がまん丸になった。
 理実は、先日生徒会室で交わした、副会長との約束を思い出していて。
 こんなところで発見されてしまった会長は、と言えば、失敗したように赤い舌を伸ばして。
 にこ、といつものようにきれいに微笑んでみせた。


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