+体温+
30 バイバイ。
秋の読書キャンペーン。
とは、職員室に呼び出されて笑顔で手渡されたプリントに、控えめに主張されていた言葉で。
先生はたぶん、自分を図書委員長か何かと勘違いしているんじゃないか、と理実は思う。
有志の集まりでしかない図書委員会に、長は存在していないのだけれど。
理実は、軽いため息をついてから、改めて、行き先を確認した。
文化祭以来、久しぶりの訪問になる。
「失礼します」
ノックを二回、形式を踏んで入ったそこに、心配した顔は見つからなかった。
代わりに、文化祭でやたらと可愛がってもらった生徒会の女子メンバーに迎えられた。
部屋中にいいにおいが漂っていて、どうやらお茶タイムの最中にお邪魔してしまったらしい。
「あの、このチラシを掲示する許可をもらいたいんですけど」
「んん、図書委員のやつ? ごめんね、今、会長が不在でねえ……って、そうだ、柳原さん、その会長の居所なんて知らないよね?」
おやつのおせんべえをくわえたまま、腹話術のように生徒会副会長が聞いた。
「赤井くんは、えっと……ホームルーム終わってすぐに教室出ていったような」
「じゃあまたサボりか。今日は文化祭の反省会するって言っておいたのに」
けしからん、という副会長の声に、ぼりぼりとおせんべえをかじる音が重なり合う。
「赤井くんて、生徒会来てないんですか?」
「うん、ここ最近は頻繁に。柳原さんからもどうにか言ってやってよー。文化祭で燃え尽きたのかなぁ」
あの会長に限ってそれはないか、がはは。とまた笑う声に重なり合う。
理実の中でも、赤井のイメージにサボりという行為がいまいち重ならずに残った。
副会長が立ち上がって、会長の机から掲示許可証を出してくれた。立派な会長印つきだ。
これをプリントの隅に貼っておけば、校内の所定の位置に掲示することができる。
いいのかなと思ったけれど、ここの生徒会の合理主義については、理実もいくらか学んだつもりだったので、ありがたくもらっておくことにした。
校内で会長を見かけたら声を掛けておくことを約束して、理実は生徒会室を出た。
廊下を歩きながら、お土産にどうぞ、ともらったおせんべえを一口、かじる。
ぱりっと割れたところからにじみ出てくるわさびじょうゆ味に、ぴりりと舌が反応した。
確か文化祭のときにも同じ味を食したような記憶が。
彼の、隠れお菓子通を広めた逸品だったから。
そんなことを想像していたせい、なのか。
生徒会室と図書室に戻る途中にある昇降口で、す、と視界の端っこを横切った。
それに自然と、足が、止まる。
ちょうど、クラスの下駄箱の前で、下靴に履き替えているところで。
スニーカーに指をいれてかかとをしまい終えた彼も、廊下に立ち止まっている理実に気がついた。
あ、と。
重ならない声を聞いて三秒ほど時間が止まったあと、手が左右に二回、ゆっくりと振られた。
「バイバイ」
「あ、バイバイ」
理実も同じようにしようとして、食べかけのおせんべえを振った。
灰谷は一瞬笑みを深くしてから、くるりと理実に背を向けた。
帰宅部だから、放課後の学校にはあんまり用事がなくて。
こうやって見送ることのほうが多くなるんだろうなと思ったら、やっぱり少しだけ、淋しい気持ちになった。
依子のメールの暗示がきいているのかもしれない。
理実はふるふると首を振って、誰もいなくなった昇降口の前を離れた。
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