+晴音・バレンタインデー企画・拍手御礼小話+



   黄金率は誰のため?  

 昔から、恋の妙味は甘くて苦いもの。
 その比率は、寄せる波と引く波、上り坂と下り坂のようなもので。
 点を繋げれば、見事な黄金曲線を描くだろう。
 しかし、と今日に限り思う。
 今の自分は、軽く頂点を飛び越え、つま先の血液さえも甘いんじゃないか、と。
 ずっしりと手に掛かる重みは、それどおりの比ではない。
 想い人にチョコレートを渡す。に、プラス。
 いたってシンプルなはずの行事の一環として、付属されてしまっている状況なわけだ。乙女の都合よろしく。
(まあ、笑ってありがとうぐらいのサービスはするけれど、ね)
 少し手を広げすぎたらしい、来年はもう少し対策を講じようと思う。
 憚れることなくちやほやされるという貴重な日ではあるのが、さすがに重い。
 つい、半分ほどクロネコさんの手をわずらわせてしまったが、生徒会費で落とせるわけでもなし。
 手で持てる分は、持って帰らないと。
 赤井はぶつぶつと今年の反省を呟きながら下駄箱に向かっていると、反対方向から見慣れた姿が歩いてきた。
 状況に差はあれど、反応がまるで同じだった。
 赤井はくっと吹き出した。
 ぱちぱちと余分に瞬きをして、目が真ん丸になる。

「運ぶの、手伝おうか?」
 そんな細い腕で何ができるって?
 赤井はさらに笑って、ふるふると首を振った。
 よく見ると、その世界に限定二本しか存在しない手は、すでに売約済みだった。
 身体が傾きそうなくらい大きな紙袋を右手に見つけ、赤井は興味深そうにのぞきこんだ。
「……これ、全部チョコ?」
「うん、みんなに、と思って」
 理実は気まずそうに顔を伏せる。
「えっと、迷惑がられると思う?」
 彼女なりのコミュニケーションなのだろうな、と思う。
 来年も、進路変更や成績の急降下した生徒以外は基本的にクラスは持ち上がりとなる。
 一年かけて築いた関係を、円滑に前に進めていくための。
「いや、喜ばれるんじゃない?」
 実際、泣いて女神と崇めるくらいはやりそうな同胞たちだ。
「よかった」
 理実は、ほっとしたように微笑をみせた。
 しょうのない女神様だ、と思う。
 一年に何度とない日ぐらい、たった一人のことだけを考えておけばいいのに。
「でも、彼氏さんの許可はとらないとダメですよー?」
 赤井がからかうように言うと、もう取った、と、なぜか自慢げにピースをされた。
 さようで。
 寛大な神は、女神の戯れを易々と許される。
 下々の抱く、もっとも醜い欲望を心底に隠して蓋をして。
 しかし、ついのぞきこみたくなるのが人の性、というものではないだろうか。

「じゃあ、赤井くんにも」
 ごそごそと紙袋を探り始めた理実を、赤井は制した。
「いや、俺は今回はいいや」
「え」
「これだけあるし、ね」
 ごめんね、と両手いっぱいの戦利品に目配せをすると、ああ、と理実は納得したように頷いた。
 少しだけ、さみしそうにゆがんだ眉毛は見なかったことにする。

 彼女の片手を独占したそれとは逆の手に、小さな袋がぶら下がっていた。
 赤井の視線を察して、理実が照れくさそうにする。
「これ、失敗作。お砂糖の加減、間違ちゃって。でももったいないから今日の自分用のおやつにしようと思って」
 中身を見ると、剥き出しのままのアルミホイルの塊が。
 包装紙にもリボンにもラッピングされずに佇んでいた。

「―― 柳原さん、撤回、いい?」
「え、なにを」
「さっきの」
 今回はやめとくって言ったの。
「それ、ちょーだい?」
 びっくりしたように、理実はこれ? と手提げ袋を掲げてみせた。
「でも、たぶん、高い確率で、おいしくないよ?」
「いいよ」
「形、よくないし。包んでないし」
「いいよ」
 なんでもいいからそれがほしい。
 駄々をこねた赤ん坊を見る母親の心境だろうか、理実は眉を下げた。
 散々ためらったあとで、紙袋の一番上に、袋ごと置いてくれた。
 今日のおやつを奪ったお詫びにひとつ、と赤井が戦利品のチョコレートを分けようとしたら叱られた。

 残念だな。

「俺、甘いもの苦手なんだよね」

 実は。

 意味をはかりかねたように、理実が首をかしげる。
 赤井はそれ以上の説明はせずに、手を振って別れを告げた。


 残りの戦利品は、放課後まで生徒会室に預かってもらうことにした。
 暖房器具を使わなければ、なんとか常温でも保つだろう。
 派手なラッピングの中にあるとやけに目立つ。
 赤井は、なんとなく手を伸ばして、アルミホイルの包みを開けた。
 現れたのは、不格好なチョコレートの塊。
 かじってみると、なるほど、砂糖が足りていなかった。素材そのままの味がする。
 有名パティシエのチョコレートとは比べるべくもなく、おいしいとは言いがたい。
 でも、しょうがない。赤井は鼻歌まじりに、生徒会室の戸を閉めた。
 本当は、恋の妙味も、世界の黄金率も知ったことではないのだから。
 残るのは、舌先に残った苦味だけ。




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