+晴音・バレンタインデー企画・拍手御礼小話+



   勇者より。  

「賭け?」
「そう、俺は二つ。お前は?」
「んー、三つかな。想定外に期待して」

 今朝はなぜか朝練への参加率がよかった。
 というよりも、ほぼ全員が来ているのではないだろうか。
 体育館の半面を使用している女子も同じ状況らしく、体育館内は妙に騒がしい。
 最初は原因が思い当たらず、先ほどの会話を耳にしてようやく片鱗をつかんだような。

(心ここに在らず)
 篤郎は、ひっそりとため息をついた。
 怪我でもされてはたまらないので、早めに切り上げることにする。
 篤郎が終了を告げると、なぜか歓声がわいた。

「キャプテン」
 お疲れ様です。と、ぺこりと頭を下げた。
 去年入部してきたこの後輩は、最初からマネージャー志望という珍しい部員だった。
 持ち上がった頭は、ちょうど篤郎の胸のあたりに来る。
 この身長では確かに、高校バスケでレギュラーを獲るのは厳しいだろうが。
 そういう判断を自分でしたのかどうかは知らない。
 とりあえず、この高さは篤郎には親しかった。
 実際、マネージャー業に対する彼の姿勢は真摯で、篤郎はそれでこの後輩を評価していたのだが。

「キャプテンも賭けますか?」
「……なにをだ?」
 他部員からは、何よりもその度胸の強さを高く評価されていた。 
「今日のうちに、自分がいくつチョコをもらえるか、ですよ」
 そう言いつつ、いぇい、とマネージャーの親指が立つ。
 ああそうか、今日はバレンタインデーなのか。
 篤郎は一人納得して、くいくいっと肩を回した。
「まあ、ないだろうな」
「はい?」
「ゼロだ。だいたい、今までもらったことがない」
 ストレッチを続ける。上半身から下半身へ。
 しかし、下からの視線は篤郎を離してくれなかった。

「うっそだー」
 ……人に向かって指をさすな。
 篤郎は無言で手を下げさせた。ひるまずにマネージャーは言う。
「だって神崎キャプテン、かっこいいじゃないですか!」
 かかか、と壁際から低い笑い声が響いた。
 同学年のチームメイトが三人揃って、キャプテンとマネージャーのやりとりを聞いていたらしい。
 口々に見解を述べる。
「まあでも神崎の場合」
「渡したくても、渡せないだろう」
「そんな勇者がいるなら見てみたいね」
 ―― ということ、らしい。
 篤郎は、きょとんとするマネージャーにさっさと朝練の部誌を仕上げろ、と命令した。
 有無を言わせない言い様に、さすがのマネージャーも脊髄反射で、はい、と大きく返事をして部室のほうへ消えていった。
 壁で笑い続けている三人には、器材の片づけを視線で伝える。
 雑用は後輩任せ、というスタイルはこの部にはない。当番制だった。
 一時間目の授業に障りが出ると、部の活動にひびく。


「―― キャプテンキャプテンキャプテン!!!」
 行った、と思ったマネージャーが超特急で引き返してきた。きゅ、きゅ、と靴のゴムの音が遅れてついてくる。
「これ!」
 と、押し付けられた。小さな手提げ袋には、うさぎのキャラクターが付いていた。
 なんと応えればいいものか。
 篤郎が固まっていると、マネージャーはさらに声を大きくした。
「そこで勇者にばったり!!  神崎先輩にって!!」 
 ぴたり、と一瞬、体育館内の動きが止まった。
 渋々器材を片づけ始めていた三人には電撃が走るのが見えた。
「あ、もちろん、きちんとかわいい女の子でした!」
 律儀に報告を続けて、ぱあっと顔を輝かせた。
 この後輩がどうやら自分を好いてくれているらしい、というのは感じる。
 しかし、好意やら敬意やら嫉妬やら、どんな感情にせよ、こうまっすぐにぶつけられると……弱る。
 どうしたらいいのか、一瞬、掴み損ねる。
 どうだ、と先ほどの三人に向かって胸を張ってみせる。
 確かに、小さい身体に似合わず度胸だけは一人前以上らしい。

 篤郎は、手提げ袋の中から、見覚えのある四角い箱を取り出した。
 蓋を開けると、そこには黒と白の三つの山があった。
 興味深そうにのぞきこんできたマネージャーの声が奇妙に響く。

「……おにぎり?」

 蓋の裏には、いつものように小さなメモが添えられている。

(練習お疲れさま。おなかの足しにしてください。あっくんのバスケがもっともっとあっくんのものになりますように)

 昔から、甘いものは苦手だった。
 それを知っている人間はごくわずか。自分をあっくんと呼ぶのは一人。
 まだ不思議そうな顔をしているマネージャーに、まして険しい顔を隠そうともしないチームメイトたちに教えてやる義理はなかった。
 篤郎は胸のあたりに位置する頭をぐしゃぐしゃとしてから、部室に向かった。




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