+晴音・バレンタインデー企画・拍手御礼小話+



   ギフト。  

「うーん」
 犬の遠吠えと唸り声がはもる丑三つ時。
 両腕組みに正座を添えて、対面していた。
 長方形の部屋の中央部、淡い水色のじゅうたんの上、正方形の箱が一つ。
 桃色の包装紙といちご色のリボンでラッピングされている。
 朝子は、まんじゅうの潰れたような顔をしたクッションを抱きかかえて、ごろんと床を転がった。
 低い天井を見ながら、もう一度唸る。
「うーん、どうしたものか」
 明日の作戦を振り返る。
 彼は、他の生徒よりやや早めで登校してくるから、そこを狙えばよくて。
 きっと首をかしげながら理由を聞いてくるから、ピアスのお礼だと言えばよい。
 渡すことさえできればたぶん、彼は喜んで受け取ってくれる。はず。

 計画は万全だ。
 大丈夫、大丈夫。心臓の動きに合わせて言い聞かせる。
 ぎゅう、とクッションを抱きしめた。
 その情けない顔が自分と重なって、ため息が出てしまう。
 せめて、もう少しあと何割か、かわいらしい顔に生まれていれば。
 女の子らしさのかけらでもあれば。
 もう少し自信が持てたのに。
 15年間し続けているないものねだりは、いいかげん諦めたかった。

 そして、パラパラパッパンパーという軽やかな音とともに夜は明けた。
 わざわざゲームの公式サイトに登録してダウンロードしてきた、宿屋に泊まったときのメロディ。
 爽やかな朝を告げる音。 
 何度目だろう。ラッパの音が耳の裏に反響して、じんじんとする。
 手を伸ばし、じゃらじゃらとついたストラップの一つを引っぱって、携帯電話を取った。

「げ」

 もう少し、ほんの少しでいいから、お馬鹿じゃなければ。

 

 朝のSHRが終わる、担任が教室を出るのと入れ違うタイミングで、朝子は教室のドアをくぐった。
「おはよう、寝坊かー?」
 からかい混じりに挨拶をくれる友達に邪悪な視線を送って、朝子は席へと沈んだ。
 四方から、お馬鹿なお頭を見下ろされるのがわかる。
 ほっといとくれ、と言いたい。
 いたいけな乙女は今日の朝ですべての希望を失ったのだ。
「なんだぁ? 八木沢、珍しく元気ねえのな。あ、もしかして女の子の日?」
 デリカシーのかけらもない男子は死んでしまえばいいと思う。
 でも、悪気はないのは知っている。ちょっと、自分と同じ、お馬鹿なだけで。 
「……なんでもない。いい夢、見てたら寝坊して」

 らしい、と笑われた。
 弱々しく笑いを返す。ちゃんとできてよかった。付き合い、ってそういうものだと思うから。
 朝子は朝の儀式を終えて、ちらり、とそこに目をやった。
 新学期の席替えで、少し離れてしまった。
 隙間風が寒そうな窓側の席で、ぴんと背筋を伸ばして座っている。
 机の上にはすでに次の授業の用意ができていて、らしい。
(大事な朝に寝坊とか、しないんだろうなー)
 大きな失敗をしなさそうだ。頭がいいってそういうことなんだろうなと思う。
 この学校は、生徒の間の学力レベルの格差、が激しい。
 入試形態が色々あるせいなのだけれど、とりあえず一年のクラスはランダムに振り分けられるので、余計にそう感じる機会が多い。
 みんなそれぞれに、勉強だったりスポーツだったり芸術だったり。自分らしい、何かしらの得意な分野を持っているのだ。
 二年生になったら、それぞれ自分に合ったクラスを選択していくことになる。

 だから、たぶん、来年は違うクラス。
 こんなふうにこっそりと見ていることさえできなくなってしまう。

 のに。

「ううう」
 朝子がうなると、珍獣を見るような視線を後頭部に感じた。
 どうしたー、と髪をなでてくれる手は優しくて、なんだか泣きたくなった。



 一度目ダメでも、二度目なら。

 それに気づくまで、が遅かった。
 作戦変更をしなくちゃ。だって、一年に一回、今日しかないのだから。
 うん。朝子は一人頷いて、ない頭をフル回転し始めたのは、昼休みのことで。
「あのー」
 廊下から声を掛けられた。
 出口の一番近くにいた朝子を呼んだのだろう。はい? と朝子は間の抜けた返事をした。
「―― くん、呼んでもらえますか?」
「……はい?」
 名前、聞き逃した朝子の隣にいた男子が一人ぴゅう、と口笛を吹いた。
「町田くん、ご指名よ〜」
 歌うような声が、教室中に響き渡った。
 今日がなんの日なのか、みんなよーくわかっていて。
 朝子の周りから波紋を広げるように、わっと歓声が上がる。
 最後の波が伝わった窓際で、町田くんがぽかんとしていた。


 はい、と、女の子はチョコレートもとろけそうなはにかみ微笑み付きで、それを渡した。
 なんというか、二重掛けになったリボンのコントラストがきれいで。
 同じ正方形の箱でも、朝子のとは違った。輝きというか、キラキラしていて。
 町田くんは受け取ってから、あ、と気づいた顔をして、頬を染めた。
(……今日が何の日か、知らなかったのかな)
 流れ的に、かなり目の前でそのやりとりを見届けた朝子は、純粋な反応に罪悪感がさした。
 あんまり見ちゃいけないものを見たような気がする。

 朝子の気持ちなどお構いなしで、周囲がはやし立てる。
 こんなふうだから、うちのクラスは学年一の馬鹿クラスと言われるのであって。
 町田くんが嫌な思いをしていなければいいなと思った。あと彼女も。
 目的はやり遂げた、というふうに教室を去っていこうとする。
 その後ろ姿に、朝子の気持ちなんかよりも先にたどりついた。
「あ、待って」
 女の子が、足を止める。町田くんは少し考えて、箱を持ち上げて見せた。
「ありがとう」
 少し照れた様子で、嬉しそうに。
 それだけでよかった。

 女の子は廊下で待ち受けていた数人の女の子たちに迎えられて、抑えきれないように、廊下を全力で走っていった。
 取り残されたのは、興奮冷めやらぬ観客と、大事そうにチョコレートの箱を手にしている町田くんと、
 大失敗した、お馬鹿な女が一匹。
 


 馬鹿だ。大馬鹿だ。言いようのない、前代未聞の、世界初公開の、馬鹿だった。
 あげればよかった。なんでもいいからあげればよかった。
 それだけでよかったのに。

 ショックから立ち直れないまま、放課後で。
 教室に一人でぽつん、だなんて思い出すことがいろいろあるからやめてほしかった。
 いつもより早めに教室を出た。
 出て、校門をくぐったあたりで、限界が来た。
 門のところにもたれて、座り込む。
 下校中の生徒にちらちらと見られていたような気がしたけれど、あんまり気にしていられなかった。

 この、すぐに自分でいっぱいいっぱいになってしまうの、どうにかしたい。
 最初から、詰め込める容量が少ないのだ。たぶん。
 もっと、空みたいに大きくて、海みたいに深い人間になりたい。
 はあ、と朝子はおでこをひざにぶつけた。


「八木沢さん?」

 この人は、神様よりもずっといい人だな。
 挙動不審のクラスメイトのことなんて見捨てても、きっと罰だってなんにも当たらないだろうに。
 やっぱり、そうだ。と、町田くんはなぜかほっとしたようで。
 朝子の横に、ひょいと座り込んだ。 

 ちらちら見られている度が二倍くらいに増えたけれど、まったく気にしないふうで。
 町田くんは、冷やかしとか悪口とか嫌味とか、そういうのが響かない人だった。
 耳にフィルターがかかってるみたいに、いい言葉だけ拾い上げてくれる。
 町田くんはごそごそとカバンを探った。はい、と手のひらを差し出す。
 正方形の小さな箱が乗っていた。
 なんだろう、朝子は首をかしげてから、その箱を受け取った。
 急かされるようにして、開けた。茶色くて丸いものが入っていた。
 ……トリュフだ。これは、たぶん紛れもなくトリュフ・チョコレートだ。

「昨日、ナ……お姉ちゃんが作ってて、せっかくだからオレも一緒に作ろうかなと思って」
 箱を持ったまま固まっている朝子に、町田くんは意外そうに尋ねる。
「あれ、今日なんの日か、知らない?」
 知ってる。ものすごく知ってる。朝子はぶんぶんと首を振った。
「なら、よかった」
 町田くんが嬉しそうに笑った。さっき、女の子にしたみたいな、同じだけの笑顔をもらった。
 わ、と思った。これだけでじゅうぶんだ。満足した。
 まさかの大逆転で幸せで、どうしようかと思ったけれど、これにはまだ続きがあって。
 このトリュフやさっきの女の子のやつに比べたら、たくさん足りないものがあるけれど。
 センスも形も味もいまいちかもしれないけれど。
 朝子も正方形の箱を持っている。町田くんにあげるための。それだけの。

「―― あ、あのね」

 朝子の声に、うん、と町田くんが耳を傾けた。 




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