雑記

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2001.9.3  しまった!

  昨日更新の雑記に、一部、不適切な表現があったため、撤回してお詫びいたします。

 >>「同性愛」とか「激しい性描写」といった反社会的な題材

 「同性愛」が「反社会的」であるという箇所を撤回いたします。
  ここでイメージしていたのは、いわゆる「やおい」でして、厳密に言うと「やおい」は実際の「(男性の)同性愛」とも異なりますが、いずれにせよ、良くも悪くも「反社会的」という表現は不適切です。
#話が長くなるので、どこがどう「良くも悪くも不適切」なのかはここでは省略いたしますが。

 書いているものが 「やおい」や「エロ」でなくても、所詮、ワタシは同人女。カタギの衆と同じ空気は吸えない極道者さ……なんて、ふとヒガミっぽくなっていたのが、つい表に出てしまいました(^^;;)。
 ここしばらくのワタシのユーウツの原因が、つまるところ、自分が「同人者」、というより、「自分の感じたこと、考えたことを、たとえそのために多大な犠牲を払おうとも、“かたち”にせずにはいられない人間」であることと、WEB上の人間関係の折り合いの難しさに由来していたもので……。
 ……って言うと、「やおい」や「エロ」に対して「差別意識」を持っているように聞こえますね(^^;;)。まぁ、正直言ってそういう気持ちが「まったくない」とは申せません(もしご覧になっている方々の中にそっち系同人の方がいらしたらゴメンナサイ)。少なくとも「性的嗜好」の一点に限れば、わたしの書くものは「やおい」や「エロ」よりも「現代日本における社会通 念上の【世間一般】に受け入れられやすい題材」を扱っているとは思っています。
モチロン、そのことだけをもってして、自分の作品が「やおい」や「エロ」より「優れている」とは、神かけて思ってはいません。作品の評価は、それぞれのジャンル内での、 或いはジャンルの壁を越えた「優劣の基準」によって決まるものであって、「ジャンル自体の世間での認知・許容度」は直截には関係ないと考えておりますし……

 ……と、なんか話が逸れましたね(^^;;)。
 まぁ、「ユーウツ」の方は、ここに来てようやく、「自分で選んだ道なんだから、それにまつわるイヤなことも、泣き言言わずに引き受けるしかないじゃない」という答え(前々からわかってはいたんだけど)を受け入れる気分になってきたところです。「カタギさん」からの後ろ指や、誤解や無理解(あからさまな「後ろ指」よりも、こっちの方が先方に悪意がない分辛かったり)に耐えるのも、かつて、「原著作者から見れば、自分の行為は盗人でストーカーでレイプ犯である。実際に訴えられるかどうか、法がどう裁くかは別として、仮に先方が『そう感じた』としても文句は言えない」ということを引き受ける覚悟をしたのと同じことかな……と。

 

2001.9.2  夏の終わりに……

 ドトーの夏コミを乗り切って、ちと惚けている間に、早くも九月になってしまいました(^^;;)。
 こちらをご覧の方のほとんどが既にご存じのように、前回の雑記の少し後に掲示板をお休みしました。当初は、「夏コミ準備のため」だったのですが……その後イロイロありましてねぇ(苦笑)。「準備のため」が、「お疲れ休み」になり(それも嘘じゃないけど)、結局「無期限」になってしまいました。
 理由というか、キッカケは……まぁ、イロイロ(←また)あるんですけど(^^;;)、究極としては

「自分が本当にやりたいことをやりたいようにやるため」

なので、どうかあまり心配なさらないでください。……え? 心配なんてしてない?(^^;;)

 結局、わたしというヤツは、自分が感じたものや考えたことを、ある程度まとまった「かたち」にして発表しないことには気が済まないようです(苦笑)。で、「かたち」を作るために、今は、それ以外のことに煩わされることのない静かな環境が欲しい……なんて、ワガママなことを望んでしまうのです(^^;;)。
  一人で考えることに煮詰まったら、また皆様の力をお借りすることになるかもしれませんが、当分の間は、自分自身だけとじっくり対話したいなぁ……と。
  いっそこのままずっと自閉してしまえば、誰の迷惑にもならずにすむのでしょうが(苦笑)、実に因果なことに、そうやって己の中に潜って見つけたことを「誰かに伝えたい」「表現したい」って気持ちも捨てきれなくて、こうしてWEBページを構え、同人誌を作っちゃうんだけど(^^;;)。

 ……ホント、この「それでもかきたい」って衝動って、なんなんでしょうねぇ(ため息)。
 「ものを書く(描く)とは恥をかくということ」なんてよく言いますが、己の人格の不備を公に晒しまくって、何人もの人を傷つけて、それでも止められないって……やっぱ狂気の沙汰か、少なくとも「善良な市民」のすることじゃないよね……
 同人誌に関わる人間は、 同人の世界を知らない人のことをしばしば「カタギ」と呼びます。つまり自分たちのことを、「カタギでない」と位 置づけているわけですが、その理由は、「同性愛」とか「激しい性描写」といった反社会的な題材を扱っているからとか、或いは「著作権法違反(になるかもしれん)」ということだけでなく、「創作(二次的なものや評論を含む)」という行為そのものが本質的に反社会的なものを秘めているということなのかもしれません。
 ……まぁ、実際に同人誌に関わってる人間が皆が皆、「自分たちの活動は法的グレイゾーンに位置しているんだ(だから個人の責任でしっかりしなくちゃ)」みたいな意識を持ってるわけじゃないですけどね(^^;;)。
わたしが日頃おつきあいいただいている方は、皆様しっかりしていらっしゃいますが、結構「わかってない困ったちゃん」も多い気がする……その辺は、WEBも同人も同じかなぁ……(^^;;;)。
#「踏み外したヤツ」の度合いは、WEBの方が「より広く」同人の方が 「より深い」みたいな違いはあるかもしれませんが。

 ともあれ、そういった諸々を承知していてもなお、わたしは、この刃を手放すことができない。ただ、自分が刃を持っているということを忘れずに、それをふるう場所を限定することで、人を傷つけることが減らせれば……なんて、ね。
 既に何度も決めた覚悟を、改めて自分に言い聞かせてしまう進歩のなさに、また苦笑しちゃったり……

 

2001.7.21  夏祭り、近づく……

 早いもんで、7月も終盤です。6月は、月初めにいきなりマシンがクラッシュして(T_T)、その復旧のためにバタバタしている間に、一ヶ月終わっちゃった感じですね〜。
 HD&メモリ交換で7〜8万かかったのも痛かったですが、 それ以上に、過去3年半分のメールデータが全部飛んだとか、あと、バックアップ取り損ねていたあれやこれやに、しばし呆然……(^^;;)、
 もっとも、翌日夜にはPowerBook G4を衝動買いしましたし、旧7300も、HD容量 が4GBに増え(既に、Apple純正でも2GBのものはないそうな)、ぐちゃぐちゃだった各種ファイル類もすっきりと整理できたので、まぁ、雨降って地固まるということで……(^^;;)。

 で、夏コミの方ですが、春の「神林ショック」から未だに立ち直りきっていないことだし、今回のマシンクラッシュ騒ぎを口実に、夏コミはまたしても新刊ナシを決めこもうか……と企んでいたのですが、なんてこったい、7月も過ぎてから、突如小説の神様が降臨。
 春にお蔵入りにした話ではなく、大昔に、イントロだけ書いて放って置いた話が、ちょっと、着地点が見えたような気がしたので…… 急遽、コピー誌の発行を決意いたしました(^^;;)。
 が、ホントに書けるかどうかは、まだ不明(爆)。なんか、お仕事も忙しくなってきたし〜〜。でも、同人屋としては、やっぱり、コミケに新刊ナシってのは、悔しいですからね〜〜。 なんとか、頑張りたいです。


2001.5.18  こんな夢を見た (長文につき文字サイズを大きくしています)

 わたしは自分のMacに向かっている。いつもの巡回コースのとある掲示板で、顔見知りの常連さんの書き込みを目にする。内容は、「こんな情報が」といった短いコメントとURLだけ。何の気なしに、そこへ飛ぶと……モニタに表示されたのは、雑誌記事のようなレイアウトのページ。中央に長年聴いていた某ユニットの二人のセピアがかったモノトーンの写 真。その回りをぐるりと取り囲むテキスト。字が細かくて、文章の内容まではわからない。見出し部分の文字だけを拾い読みする。 「■■■■・雪風」*1 音楽・松本孝弘

 ……どうやら、『雪風』映像化にあたり、B'zが音楽を担当するらしい。
 驚きつつも、目を凝らして、記事の詳細を読もうとしたとき、唐突に断片的な「情報」のみ*2が意識の中を乱舞する。 「初挑戦」 「主人公・深井零役」 「稲葉浩志」

 「なんじゃこりゃ〜〜!?」
 更に詳細な情報を得ようと目を凝らそうとするも、パニックに陥っているのか、意識が視覚に集中できない。モニタに映るページ自体は目に入っているのに、中の文字が判読できない。
 単純に単語を繋ぎ合わせると、「稲葉が零役を演じる」ということになりそうだが、果たして本当にそうなのか? せめて「初挑戦」の前後に何か単語が入っていないか、「声優」か?「役者」か?それだけでも確認しようと焦るわたし。しかし、現在意識の中を飛び回っている単語が、記事中のどこから読み取ったのかも曖昧で、再読すらできない……

  ……そこで、目が覚めました。
 起き上がったときに、心臓がバクバクいってたのは、左胸を圧迫する姿勢で 寝ていたせいだとは思いますが(笑)、確かに、めちゃめちゃ心臓に悪い夢でした〜〜(^^;;;)。
 少し前のSFマガジンで『雪風』の映像化(アニメ化?)決定という情報が発表されたらしいと、小耳に挟んでいただけに、尚更……
 #第一報「映像化決定」のみで、それきり詳細情報の発表はないようですが。

 この手のキテレツだったり、シャレにならないような夢を見るのはさして珍しい体験でもありませんが、実は今回、内容以上に刺激的というか、わたしの印象に残ったのは、夢の「見え方」でした。
 時々、「あなたの夢はカラーかモノクロか?」なんて話がでますが、わたしの場合は、一応カラーです。
 ただし、極めて視界が狭い。自分の前方から角度にして60度、半径30〜50cm程度の範囲のみに視線(カメラというべきか)が固定されていて、その視覚情報と入れ替わりに、または平行して「自分の意識内の声」を感知することで、(夢の中の)今起きている出来事を知る……という感じです。
 「意識内の声」は、現在、あるいはこれから発話しようとしている自分自身の言葉であることもあるし、外部からの情報を読み上げていることもあります。自分の言葉は必ずしも音読されているわけではなく、また、外部情報も入手経路──目で見たとか、耳で聞いたとか──は曖昧なまま、意識内で「情報」を、確認するために復唱する、その瞬間を認識しているようです。起きているときに、道を歩きながら、或いは仕事中に(おい!)書き込みや原稿の文章、あるいはそれ以前のぼんやりとした思考を組み立てているときと同じ作業を、夢の中でもやってるんですね。

 で、今回ようやく気づいたのですが、どうやらわたしの見る夢は、その大半が、「何かをした」や「何かを見た」等ではなく、「意識が『情報の復唱』をしている」夢のようです。
 「こういうものを見た夢」というのは、その実、「こういうものを見たと意識している夢」であって、目が覚めた後も「こういうもの」自体を覚えているわけではない、そもそも夢の最中からして、「こういうもの」が見えてないことが多いですね。
 夢の中では、視界が極端に狭くなるせいか……とも思いましたが、そもそも起きているときですら、考え事に夢中(=意識が情報処理で手一杯)になっちゃって、目の前にあるはずのものも見えなくなることがしばしばあるもので、夢の中でも、脳が同様の働きをしているだけなのかもしれません(^^;;)。
 なので、*2の「情報」だけが、意識の中を飛び回っている状態というのは、わたしの夢としては珍しくもないのですが……問題は、前半部分。今回は珍しく「こういうもの」がハッキリ見えた夢だったんですよ。後半の「情報だけが意識にある」状態に突然切り替わった時に、咄嗟に対応できずパニックになったくらいに。

 視界は例によって非常に狭いのですが、今回わたしの目にうつっているのは、ほぼモニタの画面のみのせいか、最初の掲示板の壁紙の模様、書き込んだ方のHNが青で表記されていたことを、ビジュアルでハッキリ意識している。掲示板もその方のHNも馴染みのあるものだったというのも大きいかもしれません。
 そして、リンク先の「雑誌記事のようなレイアウトのページ」。改めて思い返すに、あれは「ような」ではなく、まさに雑誌のページを丸々スキャンした画像だったような気がします。見出しも、写真を取り囲むテキストも、全部「タテ書き」でしたもの(笑)。
 面白いのは、*1の「■■■■」の部分。そこには当然、「戦闘妖精」と入るわけですが、夢の中のわたしは、その4文字を視覚で捉えていながら、意識の中では、その後の「雪風」の部分しか復唱していない。しかも、そのことを自覚しているんですね。
 俗に言う「目には映っているけれど見ていない」状態。不要な情報を排除し、必要な情報だけを拾い上げる、視覚の「ノイズキャンセリング」とも言うべき機能は、たぶん、起きているときはまったく無意識にしようしているんでしょうね。それが、夢の中では、妙にはっきりと、「今、頭の中で情報の分別がされているな」って感じ取れたんですよ。
 自分の中にある、でも、自分の意志とは別個に作動する機能の存在を感じるというのは、なかなか不思議な感覚でした(^^;;)。

 ここ1年〜半年ばかりの間に、『ボトムズ』絡みで「目に映ってはいるけれど見えないもの」について考えることが多いのですが、果たしてこの夢は、なんらかのヒントを示しているのでしょうか?(笑)

 
2001.5.4  雨の黄金週間 

 世はGWということで、わたしの勤め先も9連休。あいにくの雨も手伝って、睡眠と読書に明け暮れる日々です。で、この連休の大ラスには有明でイベント……ですが、

ゴメンナサイ、新刊出せません(陳謝)

 掲示板をご覧の方は先刻ご承知かと思いますが、とある小説とその作家の他の作品群にどハマリして、原稿が手につかなくなってしまったのです〜〜。
 と言って、けっして「浮気」や「心がわり」ではなくてですね、その作家の繰り返し問いかけるテーマが、「わたしのボトムズ」「わたしのフィアナ」「わたしのキリコ」と密接に関わっていると感じたので……ここはひとつ、一通り読破して、自分の中の問題意識やテーマを明確にした方が、よいものが書けるんじゃないか……と考えたので、今回の新刊は見送ることにしました(^^;;)。

 ちなみに、その小説と作家の名は、

『戦闘妖精・雪風』 神林長平著 ハヤカワ文庫

 正体不明の異星からの敵ジャムと戦う戦闘機(戦術偵察機)「雪風」と、そのパイロット深井零の物語。
 この主人公が、キリコに似ているんですよ〜。
 ただし、彼の恋しい相手は、人間の女ではなく、物言わぬ機械。大空を舞う風の妖精・シルフィードの名を冠された戦闘機。パーソナルネームは「雪風」。
 一年ほど前に、キリコの「フィアナ」に対する気持ちは、「人間の女」ではなく、「愛車」や「愛機」に対するような感覚なのではないか?という仮説を立てたわたしにとって、主人公の零と、愛機・雪風の関係は、まさにどんぴしゃり、なのです。

  誰も、何も信じない。心を預けるのはただ「彼女」に対してのみ。
  しかし、もしかしたら「彼女」は自分を必要としていないのかもしれないと薄々感じながらも、
  誰かにそれを指摘される度に、ムキになって反論して、そこから目を背けようとする主人公。
  しかし、ついに彼の危惧が現実となる時がくる……

 ──って、そそられません? え? ワタシだけ?(^^;;)
 この一人と一機の「カップル」の相剋を、わたしは、「人間と機械」というより、「自分と他者」についての物語だと捉えて読みました。
 他者との関わりを拒絶する零の、雪風に対する独り善がりで、身勝手で、だけど痛ましいほどに愚直な──まさに「恋」としか呼びようのない想いは、そのまま、わたしの目に映るキリコの「フィアナ」への想いにだぶるのです。この両者の関係は、上記の一冊の中で、いったん決着を見るのですが、それから九年の歳月を経て再開され、足かけ七年をかけてまとめられた続編『グッドラック 戦闘妖精・雪風』(早川書房刊。こちらはハードカバー)の中で、更なる進化(深化)を見せます。
 これがまた、一作目以上にワタシのツボを突きまくり! あまりの面白さに、読み終わってしまうのが惜しくて、全体を飛ばし読みした後、頭からちびちびと読み直す……という、非常に邪道な読み方をしちゃってます。様々な意味で、『ボトムズ』と比べてしまって、こちらの「ふたり」の関係もさりながら、作品自体のクオリティの高さに、羨ましくて泣けてきたりも……(^^;;)。
#名作の「続編」をあえて作るなら、これくらい主題を考え抜いて作ってよ〜。>誰にとは言わない。

 もし、ご興味を持たれましたら是非ご一読くださいませ。
 お近くの書店や図書館にない場合も、早川書房のサイトから通販出来るみたいです。代引宅配や、郵便振替による送金も受け付けていますので、bk1Amazonのようなカード決済のWEB書店はちょっと……という方も、安心、かな?

 
2001.3.20  春めいてきましたね〜 

 久々(実に1年以上ぶり)の「各話解説」の更新ですが、スミマセン、先には進んでいません(爆)。
 実は昨年の9月に「8話」用に書き始めてみたら、間が空き過ぎていたせいか、なんか「前フリ」の部分が異様に長くなって、まとまらなくなってしまったのでそのまま寝かせていたのですが、昨年末にちょっと読み返したら、「ウド編総括」っぽい内容にできそうだったので、こちらでお目見えというカタチになりました。 で、肝心の「各話」の方は……ごめんなさい、続きがいつになるかはわかりません(大爆)。
  けっして『ボトムズ』への愛や熱意が薄れたわけではないのですが、最近になって、『ボトムズ』を語る上での新しい「視点」ないしは「切り口」が掴めそうな感触を得ているので、今はそちらを追求したくって(^^;;)。

 一時ワタシから去ってしまったかに思えた「言葉」も、世紀の変わり目頃からボチボチと戻ってきてくれたようで、「観劇レポート」とか、「ガサラキ話」とか、果ては「やおいネタ(^^;;)」とか、ここ3ヶ月で、結構な分量のテキストを書いているような気がします。
  一見『ボトムズ』とは全然無関係に思えるような話題ですが、わたしの中では、それもすべて、『装甲騎兵ボトムズ』という作品と、それを巡る状況に対する思索へと繋がっておりますので、しばらくの寄り道はご容赦を。皆様に成果 をお目にかけるのはまだ少し先のことになりそうですが、いつか、必ず……

*お知らせ*
リンクページの「アニメ食堂」さんを「流星迷宮団」さんに名称変更しました。
#しばらく覗いていなかったもので、お名前変えたことに気づかなくてごめんなさい。 >開設者様

1月分雑文の『シラノ・ザ・ミュージカル』レポートは、 別コーナーに移転するため、いったん外しました。
アレがあると、このファイルが40Kを越えてしまうもので(^^;;)。わたしとしても、あれだけせっせと書き連ねたものを「消えもの」にしてしまうのは惜しいので、別 口で「読書・観劇・ビデオ感想文コーナー」をつくってそちらに置こうかと考えております。先月、ストレートプレイ(橋爪功主演)の「シラノ・ド・ベルジュラック」も観ましたので、そちらの感想も併せて……

今回更新分の「各話解説:ウド編」にも、前回更新分の「私的フィアナ論:声優編」と同じく、文字色を背景色と同じにして隠した場所がありますので、お暇な方は、見つけてやってください(^^;;)。

 

 
2001.1.3  冬コミで買った本 

 スミマセン、まだ前世紀の話題を引きずっています(^^;;)。
 近頃、コミケに行ってもめっきりパロディ本は買わなくなって、評論本や、オリジナルのイラスト集を数冊買う程度……なのですが、今回、ひさびさに観劇ジャンルの本を買いまくりました。大半が『エリザベート』ですが、その他、ちょっと立ち読みして文章が気に入ったよろず観劇本が、予想通り大アタリでラッキー♪ 取り上げられている作品の中に、自分も観たものがあったりすると、(その評に同意するしないは別として)更に嬉しかったりして……
 「芝居」って、既にそれ自体が、ひとつの「解釈」「読み替え」なんですよね。同じ原作でも、脚本・演出、そしてキャストによってさまざまな「物語」が浮かび上がるという(キャストの好調・不調もまた「物語」のウチ)……。そして、その「物語」をどう受けとめたかというのも、また観客一人一人によって違う。
 わたしが、芝居を観に行くときに求めるものは、第一に「トリップ感」──その時その場限り、まさに一期一会で出現する「物語世界」の中に連れ去っていってくれること──ですが、作り手・自分・自分以外の観客の「解釈」の違いを比較する楽しみというのも、実は結構大きいらしい……と最近気づきました。

 で、この「解釈の楽しみ」と、他人の解釈との「比較の楽しみ」って、実は、わたしの『ボトムズ』という作品の楽しみ方と酷似しているような気がするのです。
 それでふと、前々から気になっていたことと結びつくのですが、『ボトムズ』に再会して早5年近く、その間にお近づきになった『ボトムズ』fanには不思議と芝居(主にミュージカル?)好きな方が多いんですよね〜(「同人系の女性」と条件を区切れば、ほぼ9割)。
 これは単なる偶然か?(爆)
 それとも、もしかして、『ボトムズ』という作品には、どこか「演劇的」ないし「ミュージカルっぽい」要素があったりするのでしょうか?
 どなたか、そっち方面に詳しい方、分析・評論していただけませんか?(笑)

 

 
2001.1.2  あけましておめでとうございます。

 世紀の変わり目は、年賀状書きに苦闘していました(^^;;)。1年間放ったらかしでレターラックにしていたカラープリンタは、当然のごとくスネまくっていて、マシンにドライバを認識させないは(何度か設定しなおしているウチに不意に直った)、フィーダがイカれていて連続印刷が出来ないわ……と、もうタイヘン。
 どうにか印刷終わっても、常日頃、不義理の限りを尽くしている方々一人一人への手書きのメッセージに、また頭を悩ませて……なんてしているうちに、元旦も終わってしまいました。
 とりあえず、「第一陣」を今日投函したついでに、初詣に行って、ようやくワタシにも今世紀最初のお正月が来たというところでしょうか。……でも、まだ大掃除はしていないけど(爆)。

 ともあれ、大雑把に昨年を振り返ってみると……同人・ネット活動に関して言えば、「充電・一休みの年」だったかも。
 一昨年が、それまでの蓄積を一気に発散させたような年で、今年も、前半まではその余波が続いていたような感じだったのですが、夏が終わった頃から、その反動がドッと来ましたね(^^;;)。

 とは言え、転んでもタダでは起きない……というか、本当のところ、「休み」の間だって、何らかの形で、フィアナについて考えない日は一日もなかったです。
 これは、わたしが骨の髄までフィアナに魅入られているというよりは、「フィアナについて考える」ということが、既にわたしにとっては「自分自身について考える」こととイコールになっているから……なのかもしれません。わたしが、「フィアナ」や「ボトムズ」に託して語っていることは、つまりは「自分自身」。
 それが良いことなのか、悪いことなのかはわからない。ただ、わたしにとっては、「そうである」状態から、もう今更引き返しようがなくなっているだけ。
 この先、わたしの「語り」がどの方向に進むのか、正直なところ、わたし自身にもわかりません。ことによると、果てしなく自分の内側に沈みこんでいって、外界との接触を完全に断ち切ってしまうことになるかもしれません。(現在も既にちょっとそういう傾向あるし)

 ……って、イカンイカン(^^ゞ。なんか、ヤケに「繊細ぶりっこ」っつーか、「芸術家ぶりっこ」しちゃいました。ガラじゃないっつーの。>自分
 きっと、20枚以上の年賀状を一気に書いたから、「言葉力」を吸いとられてしまって、脳味噌スカスカ状態になっているせいだわ(^^;;)。

 ともあれ、相変わらずワガママ身勝手ゴーマンかましまくりページですが、まだ愛想を尽かさずにいてくださるのなら、今年もよろしくお願いいたします。


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