ROSE HIPS
〜ボトムズ覚え書き〜 '84年高橋監督インタビュー編(話題中断)

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2002.6.2 気分だけ新装開店

 「今日の一言」との差別化が見出せないまま半年以上放置されていた「雑記」のページですが、このたび「『ボトムズ』関係の小ネタや覚え書き」コーナーとして再開することに決めました。
 雑文コーナーに置くには分量や内容的に適さないようなものを、論旨の流れとか、結論を出すこととかにこだわらず、その時々で思いついたことを覚え書き……まぁ、要するに「神林日記」の『ボトムズ』版ですね(^^;;)。とりあえず、仮にも「ボトムズサイト」を名乗っておきながら、『ボトムズ』関連の更新は実質1年以上途絶えているという状態から、これで脱せるとよいのですが……予定は未定(^^;;)。
 一応、「週一更新」といいたいところですが、夏祭りの準備もあることですし、ここは無理をせず(^^;;)、「十日に一回〜隔週一回更新」を目標。

 ちなみに、コーナー名の「rose hips」というのは、「バラの実」という意味です。ハーブティとか、サプリメントとかに使われる酸っぱいアレ。
 食用のバラというと、大昔、どこかの物産展で、ブルガリア産の「バラの花びらジャム」なるものを買ったことがありました。ちゃんとバラの香りがして、色味もくすんだローズピンクでなかなか美しゅうございましたが、味はそれほどでもなかった(笑)。やっぱりあれは、イメージを楽しむものだったんだろうか……。それに比べると、「hips」の方はさすがに実だけあって(そもそも鑑賞用や香水用の薔薇とは種類が違うらしいけど)自己主張がハッキリした味で、オマケにサプリメントの材料にされるだけあって、栄養価も高い(ビタミンCが豊富だとか)というのがいいなぁ……と。

2002.6.24 タイムトリップ1984

 ……と、書き出してから早3週間(爆)。新装第一回の話題は……なぜか18年も前に遡って、今は亡き「アニメック」誌'84年6月号の記事から。
 注目は、『ボトムズ』最終回特集の高橋カントクインタビュー。なんと、記事の1/3〜半分ほどが、「フィアナ」や「キリコとフィアナの恋愛」について語っていらっしゃる!
 本放送当時から現在に至るまで、この方の『ボトムズ』関連のインタビューは数多くありますが、当サイトのメインテーマ向きな話題という点では、わたしの知る限り数えるほどしかない。その、数少ない中でもこの「アニメック」のインタビューは18年経った今でも「使える」度では未だに横綱級の充実した内容です。

 前置きはそのくらいにして、記事の内容に入りますと……
 まず、フィアナという女性像について。

(前略)先程言ったように僕は女性が苦手なので、生きているかんじの女性を出すと失敗すると思いましてね。フィアナのように人間的ではない…というより普通 ではない女性にしました。普通の家庭に育って、男の子に憧れて、ラブレターを書いて破って悶々と悩む…というような女性は描きにくい。フィアナのようにした方が無理なく描けてよかったんです。

 ……まぁ、既にお馴染みの「僕は女性が苦手」発言ですが、フィアナの「普通ではない女性」と対応する「普通の女性」の概念が、今になって読み返すとちょっと面白いという気がするんですよ。
 ここで彼女が憧れている「男の子」っていうのは、別にその物語の「主人公」のことではなさそう。「憧れ」の主体となっているのは、憧れられる「男の子」の側ではなく、あくまで彼女自身。「彼女自身の家族」がいて、「彼女自身の恋」をして「彼女自身の悩み」を持った女性……これって、つまり、

「主人公の相手役ではなく、彼女自身の人生の主人公として生きている女性」

という意味に受けとれませんか?
 「主人公な女性」というと、まず『キャンディ・キャンディ』とか『ベルサイユのバラ』のオスカル様とか、『赤毛のアン』とか、わりと最近(でもないか)では『少女革命ウテナ』の天上ウテナとか『こどものおもちゃ』の倉田紗南ちゃんとか少女マンガや名作劇場系のオハナシが思い浮かびますが、それだけじゃない。いわゆる「キャラの立った」っていうんですか? たまたま作中で描かれないだけで、その背後にはちゃんと自分の人生があるんだろうな…って感じさせる「脇役」もまた、「彼女自身の人生の主人公」で、そういう意味でなら、『ボトムズ』にも既にちゃんと存在するんですよ。
 まず、ココナ。作中ではあまり描かれていなかったけど、ちゃーんと「死に別れた家族(サンサでゾフィーに喰ってかかった時に叫んでましたよね)」「憧れの男の子(キリコちゃん)」「悩み」を一通り備えた、「彼女自身の人生の主人公」。そして、フィジカル的には「普通」とは到底言い難いですが、テイタニアもそうですよね。
  むしろ、『赫奕』は「テイタニアの家族」「テイタニアの恋」「テイタニアの悩み」がそのストーリーの大半を占めていた……とも言える。あの話が実は「テイタニア物語」だと言われるのもさもありなん。

 だがしかし、カントクはフィアナを「普通ではない女性」だとおっしゃる。だとすると、「フィアナ」とは、上記の「普通 の女性」の定義をひっくり返した、

「彼女自身の人生の主人公ではなく、主人公(キリコ)の相手役として生きている女性」

ということになっちゃいますよね。
 ……なんかコレって、すごくイヤな定義ですよね。それこそ、「キリコの役に立てないなら死んでもいい」って言ってるみたいで。実際、『赫奕』を制作されるときは、カントク(正確な役職は「総監督」だそうな)まさにそういうお考えでいらしたみたいだし。
 でもね、違うんですよ。確かに、フィアナは、「主人公(キリコ)の相手役として生きている女性」ではあるけれど、「主人公(キリコ)の相手役として存在している女性」じゃ、ないんですよ。
 そして、この点こそが、フィアナというキャラクターの「特殊性」であり、多くの視聴者からは「よくわからん」と言われる理由なんじゃないか……って最近考えるのです。
 更にいうと、『赫奕』におけるフィアナの扱いのどうしようもなさは、カントクが、(本放送当時には無意識に判別 していたであろう)「生きている」と「存在している」の区別ができなくなってしまって、フィアナを、「キリコの相手役として存在している女性」と捉えてしまったことにあるんじゃないかと……。  

 じゃ、「相手役として生きている女性」ってどんなんよ? 「相手役として存在している女性」とどう違うの? となるわけですが……実は、わたしもちょっと曖昧だったりして(^^;)。
 とりあえず、「相手役として存在している女性」の方を先に定義しちゃいますと、これはいわゆる「男に都合のいい女」。主人公に感情移入した読者や視聴者(最近だとゲームのプレイヤーとかも入るのかな?)の望みに沿った行動をとってくれるヒロイン。甘えたいときには(えっちの有無、程度もお好みにあわせて)優しくしてくれて、「すがる女を振り捨てるニヒルな男」を気取りたいときには、「行かないで」なんて後ろから取りすがってくれて、 「恋人の復讐に燃えるヒーロー」になりたいときは、都合良く殺されたりレイプされたりしてくれる。あるいは、「悲劇のヒーロー」にはなりたいけれどバイオレンスはちょっと…という向きには、同じく都合良く事故や病気で儚くお亡くなりになってくれる、お人形さん。
 対して、「相手役として生きている女性」というのは、一見、「男に都合のいい女」のように見えるんだけれど、その実、影ではしっかりと「自分の人生」を生きて楽しむというアクロバティックな技をみせてくれるヒロイン。
 フィアナがしばしば「男に都合のいい女」と言われてしまうのは、その「一見」の部分に誰もが誤魔化されてしまうから。そのくせ、基本的に「男に都合のいい女」が大好きなはずのアニメfanにウケが悪いのは、彼女が、根本の部分で「キリコの都合」よりも「自分の都合」を優先させて「自分自身の人生の主人公」としてふるまう「生身の女性」だから。
 この辺り、本編ならびにOVAを逐一分析していけば、フィアナがそういうキャラクターである証拠はいくらでも挙げられるのですが、それはまた各話解説コーナー等に回すとしまして(ホントにかけるのか?)、ここでは、何故、フィアナというキャラクターの造詣が、そんな摩訶不思議なものになったのか? の方を「制作側の都合」に焦点をあてて追求してみたい……と、考えております。
  冒頭で引用した「アニメック」のインタビュー、実はこの後がもっと面白いことおっしゃってるんですよ。

とりあえず、それは次回のお楽しみ。(^o^)/~~


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