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私的フィアナ論概説:初級編

 ひとことで、「フィアナの魅力について」……と言っても、わたしにとっては既に「自明のこと」でもあり、逆に、思い入れが深すぎて「カンタンになんて語れない!」ってところもあって、文章にまとめることは、なかなか難しいです(^^ゞ。
 でも、ふと自分のコンテンツを振り返ってみると、「キリコ」について語っている文章の方が圧倒的に多い! これはちょっと、「フィアナfanページ」と銘打っておきながら、「看板に偽りアリ」ってもんじゃないかい? ……というわけで、「フィアナfanページ」を開設して十日あまり、遅ればせながら「わたしのフィアナ」について、語ってみたいと思います。

 まず、「わたしのフィアナ観」の出発点としては、「大多数の『ボトムズ』fan(=男性)による一般的なフィアナ評」に対する「反発」というのがありますね。
 まぁ、「男性によるフィアナ評」は、そもそもの絶対数が少ないので(^^;)、わたしがこれまで目にした意見をもって、「一般的傾向」といってしまうのは無理があるかも知れませんが、そこをあえて拾ってみますと……
 好意的には、「キリコ一筋の健気さがいい」。
 批判的には、「考えていることがキリコ中心で理解しがたい、現実味が薄い」。
 ……といったところでしょうか。いずれにせよ、その前提となっているのは、「フィアナは“刷り込み”によってキリコに“愛情”を抱き、それは最後まで一貫して変わることがなかった」という解釈、であるように、見受けられます。
 また、ここ数年相次いで出版された「80年代ロボットアニメ回顧」的なムックでの、『ボトムズ』に関する論評等でも、同様の解釈が見受けられます。書いている方が男性だからか、あるいは「キリコにとってのフィアナ」のみに視点が置かれているからか……おそらくはその両方でしょうが。
 それらの論評の中で問題とされているのは、「フィアナによってキリコがどう変わったか」、「キリコにとってフィアナはどんな存在なのか」だけであって、そこでは「フィアナ自身」に関して──彼女のキリコへの「愛情」は果たして自由意志であるか否か──などは、どうでもいいと言わんばかりで……。これが、わたしはとっても不満(^^;;)。
 「恋愛」の中には、「片想い」=「対象に対する一方通行の感情」も含まれますし、そんな風に「相手不在」の状態でも、対象を「触媒」として、ひとは“変わって”ゆくことはできます。キリコとフィアナの関係も、物語の前半では、確かにそういう傾向が非常に強いです。(キリコ側だけでなく、フィアナにとっても)
 ですが、中盤ふたりが合流して以後、ふたりの関係は非常に「双方向性の強い」…と申しましょうか、「個人」と「個人」、まったく別個の「存在」同士が、互いに関わりを持とうとするが故の、「きしみ」を見せます。その「きしみ」──換言すれば、「存在と存在の宿命的なドラマ」こそが、わたしにとって『ボトムズ』の醍醐味、なのです。<大きく出たな〜(^^;;)。
 フィアナによってキリコが“変わった”としたら、キリコにとってフィアナが“何らかの意味を持つ存在”であるとしたら、その「理由」は、無論、キリコの「内側」にも多数存在するでしょうが、同じくらい、「フィアナ側」にも存在するはずだ。わたしはそう考えます。つまり、「フィアナはこういう女だから、キリコにとってそういう存在となりえた」……と。

 ……と、長々前置きをしたところで(^^;)、「こういう女」って「どういう女」?という問題にようやく入ってゆくわけですが……
 わたしにとって、一言で彼女を表現するなら、「She's just a WOMAN」─「タダの女」。良い意味でも。悪い意味でも。あるいは、そのどちらでもない、ごく散文的な事実として。気まぐれで、ワガママで、行き当たりバッタリその場の感情で行動する、お世辞にも「利口」「賢い」とは言えない女。
 だけど、「だからこそ」、わたしにとっては最高に魅力的なのです。
 何故なら彼女は、「そうある」ことで、誰よりも「自由」であり、そんな彼女であるからこそ、キリコを“変える”ことができた……わたしはそう思うから。

 元来彼女は、「かくあるべし」という「宿命」を人一倍背負わされています。はじめは、「パーフェクトソルジャー」として。後に明らかにされた事実では「キリコの伴侶」として。
 だけど、ここで肝心なのは、彼女が「キリコの伴侶」であるのは、「刷り込み」によってなどではなく、彼女自身の意志によって、そうあることを選んだから、なんですよ。
 ここは、本編を注意して見ないと解りづらいところですが……。

 まず、彼女は「刷り込み」によってキリコを「意識」した。すなわち、「何故だか解らないが彼のことが気になる状態」に陥った。
 それは、或いは、わたしたちの言う「恋」に似た感情であったのかもしれないけれど、けっして「愛」ではない。また、(本来のPSがそうであるように?)「絶対服従するべき上官」として、キリコに従っているわけでもない。
 もしそのどちらかであれば、彼女はウドでキリコに誘われたとき、拒んだり出来ないのではないでしょうか?

 彼女はキリコを「意識」して、それが「恋」へと発展していった。それは確かなこと。
 だけど、彼女が組織を飛び出したのは、けっして「彼への恋」ゆえの行動ではない。
 彼女の行動の背景にあったのは、「PSとしての自分」に対する、「自分はこのままでいいのだろうか?」という疑問。そこから脱しようとする「意志」が、彼女にキリコを「選ばせ」た。
 「この男と一緒に行けば、PSとしての宿命から逃れられそうだ…」という「期待」。もっとあざとい言い方をすれば「打算」。
 極言すれば、この頃、彼女が惹かれていたのは「キリコ自身」というよりも、彼に付帯する条件であり、「自分を、今の境遇から連れだしてくれそうな相手」なら、別にキリコでなくても良かったんじゃないか?とさえ、わたしは考えています。
 また、逆にイプシロンに対しては、「WITH イプシロン=組織の中でのPSとしての生」という図式を、彼女の中で作り上げてしまったが故に、(「イプシロン自身」に対しては、少なからず「愛情」を抱いていたにも関わらず)彼を選ぶことが出来なかった……とも。
 無論、彼女自身はそういう自覚はなく、「何故?」と問われれば、「キリコを愛しているから」といった答えをしたでしょうが。ただ、「愛」を「相手をありのままに受け入れること」という風に定義づけるならば、この時の、彼女のキリコに対する気持ちは、けっして「愛」ではない。

 だから、戦艦の中で「キリコの過去」を知ったとき、「心変わり」とも言える態度を見せる。
 スクリーンに映し出されたキリコの「過去」は、彼女の「本来そうなるはずだった未来」。あの場で、彼女が嫌ったものは、「キリコ」ではなく、逃れてきたはずの「彼女自身の影」。
 この時、「刷り込み」に始まり、「自分をどこかへ連れだしてくれる王子様」として発展していった、彼女のキリコへの「恋」は、いったん終わっている……と、わたしは見ています。
 それでもなお、彼女はキリコを選んだ。それは、或いは、「他に選択肢がないから」だったのかもしれない。けれど、彼女が己自身の宿命に対して、逃れずに受け入れ、立ち向かう決意を示すのと時を同じくして、彼女にとってのキリコは、「けっして万能ではなく、自分と同じような傷を負った、タダの男」となり、互いの宿命を(その「傷」の部分も含めて)背負い合う「相棒」となった。

彼女にとって「キリコを愛する過程」は、
イコール「自分自身の宿命を受け入れる過程」である。

 「愛」とはなんぞや…?という命題に対しては、それこそ、無数の答えがあると思いますが、フィアナにとっての「愛」は、そういう形をとった……と、わたしは受け止めています。
 強いられた「ひとでなし(=PS)」としての生き方に抗い、「ひと(=フィアナ)」として生きようとすること。この時、「フィアナ」の名は、もはや「キリコが与えた」ものではなく、「彼女自身が選び取った」生き方そのもの。彼女の「ひととしての尊厳」の象徴となる。
 それゆえに、時に彼女は、元々彼女をその名で呼んだ「キリコ」よりも、「フィアナ(ひと)であること」の方を優先させることすらあります。

 サンサで、彼女たちをつけ狙うゾフィーを「始末」出来なかった。愛するキリコの命が危険にさらされていると知ってもなお、ゾフィーを「排除」することができなかった。
 彼女にとって、「キリコを愛すること」は、「フィアナ(ひと)であること」と同義であるから。武器も持たない女性を手にかけて(=「ひとでなし」になって)しまえば、「キリコへの愛」すら、ウソになってしまうから。
 銃の引き金に指をかけることなく、ただ、なにもせず「見殺し」にするだけで良かったときでさえ、彼女はそうしなかった。「キリコと一緒なら戦い抜いて生きるわ!」と叫んだ彼女が、なぜ彼共々「自殺行為」ともいえる道を選ぶのか?
 キーワードは──「ひと」として。
 キリコが(妙に嬉しげに(^^;))尋ねたような、「戦いの中での死」は、所詮「PSとしての死」。彼女にとっては、戦うために生を享けたという「宿命」に対する「敗北」。
 対して、ゾフィーに対する彼女の態度は、「PSなら本来あるまじき行動」。たとえその結果が「自身の死」であっても、それは「ひと(フィアナ)としての死」であり、「宿命」に対する「勝利」……だと、わたしは考えます。

 実際にゾフィーに酸素ボンベを上げたのは、キリコじゃないかって? そうですね。でも、わたしは、あの時、フィアナが一緒でなければ、キリコはそうはしなかったと見ています。内心では、どこかに「そうしたい」「そうするべきだ」って気持ちがあったとしても、フィアナがいなければ「実行」には移せなかったと思う。「フィアナの願いだから…」というよりは、「もう、彼女の前で、“ひとでなし”にはなれない」ってカンジかな。<詳しく説明するとまた長くなるので省略(^^;;)
 ……っとお、ここはキリコについて語るコーナーじゃなかった(^^;;)。この時のキリコについても、イロイロと言いたいことはあるのですが、それはまた別の機会に。

 ともあれ、わたしが見る「サンサまでのフィアナ」は、こんな処です。この後の「キリコ対イプシロン」から「クエント」、更に『赫奕』のフィアナについても、勿論思うことは多々あるのですが、それもまた、別の機会に。
 ──以上、おおまかに「フィアナについて」述べてみましたが……「タダの女」なフィアナについては、ちょっと説明不足かも…という気もします(^^;;)。
 ので、以下に「具体例」なんかを上げてみたいな〜と思うのですが……よろしかったら、引き続き、おつきあい下さいませ。

1999.11.6

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