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ささやかだけど、気になるモンダイ…(2)

(前項よりつづく)

7話「襲撃」において、ブーンファミリーに拉致されたココナは、 果たしてレイプされていたのか?

 という問題について、前項では、「作品中の状況証拠」によって「NO」と結論を出したわけですが、正直なところ、この考察が「まず結論ありき」で推論を展開したものであることは、認めざるを得ません。
 ココナというキャラクターに愛着(無論、フィアナに対するものに比べると、質・量ともにだいぶ落ちますが(^^;))を持つわたしとしては、彼女が、そういう災難に遭ったと考えることは、「友人」がその種の被害にあったというのに近い「痛ましさ」を覚えるのです。だから、「できれば、そうであって欲しくはない」という感情が、先に立ってしまいます。
 ですので、前項でわたし自身が最後に挙げた「反論」をもってして、「YES」という結論を導くことも、無論可能です。「ココナがウドの住人にしては“スレてない”としても、処世術として『いざというときは、無理に抵抗しない。殺されるよりはマシだ』という風に、かねてから覚悟していた」なんて解釈もあり得るわけですから。

 このままでは、永久に結論が出せないので(^^;;)、ここで、視点を「作品内」から「作品外」へと向けて、「作劇上の必然性」という観点から検討してみます。

 「YES」であった場合のメリットは:

  • 「暴力と退廃の支配する街・ウド」という、
    いわゆる「ハードな世界観」が強調される

 ──まぁ、ほぼこの一点につきると思います。

 対してデメリットは:

  • ココナに親近感や愛着を寄せる視聴者がショックを受ける

 ──「些細なこと」かもしれませんが、「受け手の物語への感情移入」というのは、プロの制作者として、けっして侮ってはならない要素であり、それが削がれるというのは、「デメリット」であると、わたしは考えます。
 #「受け手の感情移入の排除」を狙いとした場合には、その限りではありませんが。

 そして、「メリット」「デメリット」を天秤に掛けた場合、少なくとも、一視聴者たるわたしにとっては「デメリット」の方が明らかに大きいのです。

 「暴力」「ハードな雰囲気」ならば、2話のブーンファミリーの狼藉ぶりで、もう充分表現されていると、わたしは感じます。あのシーンでさらわれたモブの女性が「無事」だとまでは、わたしも考えていません。ですが、7話まで来て、視聴者もそれなりに馴染み、愛着を感じているメインキャラを「犠牲」にしてまで、改めて「ハード」を強調する必要があるのか?……と、わたしは疑問に感じるわけです。
 「さらわれて、服を刻まれ、顔を殴られるという、レイプ寸前の状況で脅された」だけでも、「ハード」の描写としては、もう充分ではないか、と。

 その一方で、「ココナに愛着を持つ視聴者」にとっても、場合によっては、「YES」による「メリット」が、まったくないわけではない……とも思います。すなわち、

  • 「そういう目」に遭っても、なおくじけず、素早く立ち直る、ココナのしたたかさ・健気さが強調され、ココナというキャラクターの魅力が増す。

 ──この種の「メリット」の例として、『BANANA FISH』の主人公アッシュがあげられます。この魅力的なキャラクターが、幼児期から性的虐待を受けていたという過去を持ち、作中でもしばしばレイプされながら、読者にとって「後味の悪さ」が比較的薄いのは、(読者の大半を占める女性にとって、アッシュが「異性」であり「他人事」だから…というのも、いくらかはあるでしょうが(^^;;))その「痛ましい出来事」が、彼の「魅力」を際立たせるツールとして機能しているから。
 「理不尽な運命に敢然と抵抗する不屈のヒーロー」の「乗り越えるべき障害」として、或いは、彼が唯一心を許す英二に「過去の傷」を受けとめてもらう……というシチュエーションを成立させる、「ふたりの絆をより強調する道具」として。
 とは言え、わたし個人としては、残念ながら、本編中からは、「(レイプという障害によって)いっそうココナの魅力が増す」ほどの「フォロー描写」を、感じ取ることはできませんが。

 以上を踏まえて、改めて結論を出しますと……

 作中の描写は「どうとでも取れる」ものであり、視聴者の側が、各々の資質ならびに『ボトムズ』に期待するものによって、「好みの答え」を出せばいい──という、実に曖昧なものになってしまいます(^^;;)。

◆ココナには可哀相だけど、その方が「ハード」で『ボトムズ』らしいし……
 という視聴者 >> 「YES」

◆やっぱり、ココナが可哀相なのは、イヤ。「脅された」だけで充分でしょ。
 という視聴者 >> 「NO」

◆「可哀相! そんな目に遭って(T_T)。でも、負けてない強さと健気さが好き!」
 という、想像力の豊かなココナfan >> 「YES」

 ──とりあえず、三つほどモデルケースを用意してみましたが、いかがでしょうか?(^^;)

 最後になりますが、制作側がどのような意図であったか……については、高橋カントクのこのような談話が発表されています。

 ただ、『ボトムズ』でもココナが暴走族にさらわれるシーンで、ある演出の人が「この娘、やられちゃってますよね」って言い出した時は、さすがにTVアニメで「そこまでは描かなくていいよ」って言いましたけど(笑)。
 荒んだ雰囲気がほしいだけで、そこまでは要求していない(笑)。でも、そういう風なことを描きたくなっちゃうような部分は作品にあったみたいですね。

(コンプリートコレクションII 付録ブックレット 押井守×高橋良輔対談より)

 ──いかにも、どうとでも受け取れそうな玉虫色のお言葉(^^;;)、かもしれませんが……。わたしとしては、ほぼ(わたしと同じ思考過程を経た上での)「NO」だと思いたい、かな(^^;;;)。

2000.1.29

 

追記(2000.2.3)

 え〜っと、蛇足かもしれませんが……
 『ボトムズ』の、特にウド編における「ハードな世界観」(カントクのお言葉を借りれば「荒んだ雰囲気」)それ自体に、「異議」を唱えているわけではないのです。
 ただ、たかが(と、あえて言います)「雰囲気」のために、「メインキャラのレイプ」っていうのは、わたしとしては、「代償」が大きすぎるぞ〜!という気がするんですね。

作劇上、「キャラ」が“主体”ならば「レイプ」等の「苛酷な運命」が描かれても、おおむねOKだけど、別の目的のために「キャラ」を“道具”に使う、その文脈での「度が過ぎる苛酷な描写(レイプ等)」はイヤ。

 ──というのが、わたしの「基準」です。
 ココナの場合は、あのシーンで彼女が「道具」だったのは明白ですが、「苛酷」の程度が、「結局無事だった」ならば、「(わたし基準での)バランス」はかろうじて保たれているので、「なんとかOK」です。

 画面に映るボロボロなココナの姿に、前後の状況から「もしかして……」と、視聴者としてハラハラする──その程度の描写及びそこから視聴者が受ける「効果(ハラハラ感)」ならば、作品の味つけとして「愉しむ」ことができます。 #あくまでも、わたし個人の「許容範囲」にすぎませんが。
 ですが、「ヤバイところでなんとか切り抜けた」ではなく、「本当にやられちゃった」だとすると、少なくともわたしには、「許容範囲」を越えてしまって、作品を「愉しむ」ことができなくなってしまう。

 ……とは言え、以上はあくまでも「わたしの基準および感覚」であり、仮に『ボトムズ』がそこから外れたとしても、別に、それが「悪い」とか「無意味な演出だ」とは言いません。 #「イヤだ」とは言いますが(^^;;)。
 そこで「遠慮」などせず、たとえ一部の視聴者を切り捨てることになっても、「ハード」路線を追求しても、それはそれでいいんじゃないか、或いはその方が「作品としての完成度」は高くなったかもしれない……と思わないこともないです。 #あくまでも「かも」ですが(^^;;)。
 でも、もしそうなっていたら、『ボトムズ』TVシリーズは、今あるような形とはまったく違ったものになっていたでしょう。少なくとも、「支持層」が今よりもかなり狭くなっていたことは確実かと……。
 #その方がよかったのに……なんて言う方、ちょっと体育館ウラでお話ししましょうか(笑)。
  ……って、そういう方はそもそもウチなんかに来ないか(^^;;;)。

 「あと一歩踏み込めば……」というところを、あえてそうしなかった。危ういバランスを、ギリギリのところで止まっている。この辺りが……他の多くの「外伝」と、本家「高橋良輔の『ボトムズ』」を分けるポイントの一つと言えるんじゃないかな……なんて、考えたりしています。
 「踏み込めない」というのは、言葉を換えれば「甘さ」や「優柔不断」ということなのかもしれませんが(^^;;)、その「甘さ」故に、他の『ボトムズ』の名のついた関連作品・商品では得られない、支持層の「幅広さ」に繋がっているのではないか……と愚考する次第です。
 なんか、言葉を連ねるほど、「八方美人の中途半端な作劇」だと言っているような気もしてきましたが(^^;;)、けっして「貶して」いるわけではなく、「だからスキ!」ってラブコールなんですよ〜。何卒ご理解を!


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