2001年11月分(11/4〜11/25)

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11月のフィアナさん(11/4)

 新しいフィアナさんは久々に「ナマ(爆)」です。
 素材は既にお馴染みの(^^;;)「ライダーフィアナさん」。 元々が良い表情に撮れているので、小細工なしで勝負!です。Photoshopの「照明効果」で「ソフトスポット」を当ててみたら、肌の質感とか、唇のツヤが、なかなかよいカンジに仕上がったので満足しております。

 ここ一ヶ月のワタシの日曜は、(前日までの深夜勤務の疲れを取るべく)夕方まで眠り倒し、朝食&昼食&おやつを兼ねた食事が終わった頃にちょうど始まる『009』を見るのだけが楽しみ……という、なんとも情けないばかりの生活です(涙)。
 気がつけば、秋も終わってめっきり冬の気配だし〜。ファンヒーター出さなきゃ。

 で、『009』と言えば、遅ればせながらチェックしたテレビ東京の009サイトのキャラクター紹介を見てびっくり。フランソワーズって、ジョーより年上だったんだ……。いえ、今日の放映分で語られた「おばあちゃんでごめんね」のコト(まさか、「ベルリンの壁」の処理をそう持って来るとは…!)ではなく、「肉体年齢」というか「サイボーグになった時の年齢」のこと。
 特に根拠はないのですが、なんとなく、 ジョー=18歳、フランソワーズ=16歳というイメージを持っておりました(^^;;)。ジェットがその2、3歳上で、ハインリヒ(ワタシの場合、なぜか「アルベルト」よりも、こちらで呼ぶ方がなじみが良いのです)はジェットと同世代かもう2、3歳上(つまりジョーの4〜6歳上)だと思っていたのですが……こちらも、大幅なイメージの修正を迫られました。
  テレ東のサイトによると、ジェットはジョーと同じく18歳。まぁ、原作で「ウェストサイド物語」してたのを思えば、妥当なところですな(^^;;)。なんと言ってもビックリなのは、ハインリヒですが(さあ、ご自分の目で確かめて!)……。でも、これって昔からの設定なのかな? 現代の日本で、日本人同士なら、ハイティーンの主人公に対して「兄貴格」でいるには、それくらいの年齢でも違和感ない…というか、逆にそれくらいの歳でないと説得力出ないと思うけれど……。
 なんというか、昔のアニメで育った身としては、「今の自分と同世代の主人公(格)キャラ」を見る日が来ようとは……と、非常に感慨深いものがございました。
 #『パトレイバー』や『エヴァ』を思えば、そんなに驚くこともないのかもしれませんが、ワタシはその辺は見ていなかったもので(^^;;)。


フランソワーズ、ごめん!!(11/6)

 とり急ぎ訂正。
 11/4付けの日記で言及したフランソワーズのセリフ。正しくは、「おばあちゃんでごめんね」ではなく、「驚いたでしょ、おばあちゃんで」だった模様です。正確には、本当に「驚いたでしょ」だったかどうかの確認はまだとれていないのですが(ビデオ録っていないし〜)、論理的に考えても、「驚いたでしょ」の方が遙かに確率が高い。あの会話の文脈で、フランソワーズがジョーに「謝る」ことがあるとすれば、「衝撃の事実」を知らせてしまったことではあっても、「自分の実年齢」それ自体では断じてないわけで……
  うろ覚えの記憶に残る、「フランソワーズの謝っていたようなニュアンス」と『おばあちゃん』というセリフの断片をストレートに結びつけてしまった、自分のオツムが許せない! なんかさ〜、「若い女信仰」「ばばあは罪悪だ」っていう(自分の「理性」の領域では完全に否定している)オヤジ的価値観に自ら荷担しちゃったみたいで、すっげ〜自己嫌悪……あああ、フラン、ごめん!!


質問:他にネタはないのですか?(11/11)

 回答:ありません(爆)。
 いや、厳密にいえば、あるにはあるんだけど(笑)、それは別の方の日記で使っちゃってるから〜(^^;;)。月曜から土曜まで連日の深夜残業で、家とカイシャを往復するだけの毎日ですもの……もはや、平日の曜日感覚は喪われております。『009』がなかったら、「一週間」の感覚もなくなってたかも……

  というわけで、今週の『009』。ハインリヒの過去話が出ましたが、作中では「ベルリンの壁」とは一言も言ってませんでしたね(^^;;)。「ブランデンブルグ門」らしき映像は出ていましたが……。
  壁が壊されたのは、確か、89年か90年の10月のはじめでしたっけ?(こういう大メジャーなネタは、かえって検索しづらくて調べてません(^^;))。当時わたしゃ大学生で、一年下のドイツ語科の男の子と、「あれ、ドイツ科は今日は『お祝い休講』じゃなかったの?」「違いますよ〜(^^;;)」なんて会話をした記憶があります。してみると、あれから十年以上経っているわけで、今の009を見ている「小さなお友達」は、「壁」がなくなってから生まれた子の方が多いんじゃないかしら……。一緒に見ている旧作世代のお父さんやお母さんが「あれはね、昔ね……」なんて教えてあげたりするのかな?<歴史教育アニメ『009』(^^;;)

 で、今回のハインリヒの話。「ヒルダの指輪」って原作に出てきましたっけ? わたしには記憶にないので「第一世代サイボーグ」同様、二十一世紀版オリジナルの設定かと思うのですが……。だいたい、普通に考えたら、改造されるときに捨てられちゃってそうな気もするのですが(^^;;)。それとも、今回の敵役0011同様、組織がサイボーグを支配するために彼らの「愛する者への想い」を利用しようとして、あえて返してあげたのか……
 なんにせよ、多少気恥ずかしくなるくらいベタベタな演出(^^;;)ではありましたが、そこに見えるハインリヒの…というより、「愛情」とか「思い出」というものの残酷さとか、皮肉さが、結構グサグサと胸に刺さっちゃいました(^^;;)。

  ヒルダの思い出…というより、「かつて誰かを愛し、愛された自分(=己の人間性)」に執着するが故に、自分の「同類」である0011を撃てなかったハインリヒ。「(家族を想う気持ちさえなくさなければ)おまえの家族はきっと(そんな姿になったおまえでも)受け入れてくれる」と、0011を説得しようとするセリフが悲しくてねぇ……
 「サイボーグに改造されてしまった自分を、愛する者は受け入れてくれるか?」。前回のフランソワーズは既に諦めてしまったことを、ハインリヒは諦めていないのか? 否。もしかしたらまだ存命しているかもしれないフランソワーズの兄と異なり、彼の愛する者は、既にこの世にはいない。生きていれば、別れ別れで過ごした時間が、お互いの間に埋め合わせることのできない溝になるだろうに(もちろん、その溝すらも越えてゆける関係だってあるでしょうが)。それはとても悲しいことだけれど、「諦め」というのは、一方では新たな人生に踏み出していくための「救い」にもなりますからね。
 だけど、ハインリヒにはその種の「救い」はない。 死せるヒルダは、愛し合ったときの思い出のまま、けっして変わらず、彼を拒むこともない。だから、ハインリヒも絶対にヒルダを裏切れない。彼女と共にいた時の自分であり続けようとする。それはたぶん、「素晴らしいこと」なのかもしれないけれど、果 たして、それが彼や周囲にとって「幸せ」なことなのかどうか……
 いっそ、生きたヒルダに「化け物、近づかないで!」と拒絶されてしまえば、「機械人形になってしまった自分」を受け入れてしまうこともできたかもしれない。そして、その方がハインリヒにとってはずっと楽だったかもしれない。勿論、人の「感情」や「思い出」なんて、そんなに簡単に捨て去れるものではないだろうけれど、それならそれで、いつかは「死」という形の「救い」が訪れるという「希望」が生まれる。
 たとえば0011のような「愛する者のために戦う」暗殺者に出会ったとき、「まぁ、いいか。どうせ大して惜しい命でもないし。自分が殺されてやれば、コイツが家族と会えるのなら…。」なんて、「納得して」自分の人生の幕を閉じることだってできる(勿論それは組織の口約束だろうとは百も承知の上で)。或いは、ハナから脱走に加わらずに、彼こそが00ナンバー達のハンターとして現れ、自分には叶わなかった「家族のような愛する仲間達のための生き方」をする彼らに斃されるという形もアリだっただろうし。
 だけど、ヒルダの思い出と共に生きることを選んでしまったハインリヒには、「死」は許されない。「ヒルダを愛しヒルダに愛された自分」の価値を肯定するために、生き続けなくてはならない。家族への想いを忘れた殺人機械と化した0011に敗北することは、「ヒルダを忘れ、機械人形になる自分」に負けること。故に彼は、ヒルダの思い出のしみついた指輪と共に0011に銃口を向ける。一度は「相手へのシンパシイ」故にためらった引き鉄を、二度目は同じく「シンパシイ」故に引く──

 ……美しくて、とてつもなく悲しくて、だけど、どうしようもなくエゴイスティックで、いっそ官能的(^^;;)ですらあるシーンだと感じました。
 だって、 自分の中の「最も神聖なもの」に「人殺し」の片棒をかつがせちゃってるんですよ〜! 現実のヒルダがどう言うかは勿論わかりませんが(^^;;)、ハインリヒの中の、神聖化されたヒルダならば、「やめて、可哀想よ!」つって、彼を責めるかもしれないじゃないですか。むしろ、彼自身がなんとなく、「人殺しの自分を責めて詰ってくれる存在」を求めていて、それを自分の中の「ヒルダ」に負わせているような感じもあるし……<この辺、ちょっとキリコと(彼の中の)「フィアナ」っぽいかも?

 ともあれ、「これでよかったのかどうか?」と問うても、死者は何も答えない。ただ、死者を忘れられず、新たな「死」を生み出しながら、なおも生き続ける自分が残されているだけ。僅かな救いは、共に生きる、仲間達……

 10/21にも書きましたが、二十一世紀の『009』には、アイロニーがいっぱい詰まっていて、しょっちゅうドキッとさせられます。……というよりは、わたし自身が、そういう皮肉な見方を身につけちゃったってことなのかな(^^;;)。


ようやく……(11/12)

 約1ヶ月半に渡る深夜残業&休出の元凶となったオシゴトに、ようやくゴールが見えて参りました。今日は1時間早出したけど(^^;;)、8時過ぎには上がれたし〜♪
 というわけで、「一人打ち上げ」と称して、カイシャ駅前のコージーコーナーでパスタとナポレオンパイで(お値段的には(^^;))豪華なディナーを済ませて帰宅したら……冬コミ当選通知が………<しーん

12月29日(土) 東地区 ア 32a Just Fell in Love

 いや、初申し込み以来の戦歴は、「落・当・当・落・当・当・落・当……」だったから、今回はたぶん、「当」の順番だなぁとは思ってはいたけどさぁ……ハッキリ言って、出すネタなんてないぞ〜! 一応、夏コミ終了直後には多少考えていたけど、9月からの残業の嵐ですっかり虚無の海に消えてしまいました……(^^;;;)。
 今からというと、当然コピー誌だけど …また突然小説の神様が降臨でもしない限り、『ボトムズ』で本は作れないよ〜〜。マジで『雪風』ペーパーの企画練った方がよいだろうか…
 でもって、オシゴトの方も、既に「次」のハナシが進行している(らしい)ので(T_T)、ヘタすりゃ、年末ギリギリまで、シュラシュシュシュ〜な日々になりそうです。


ちゃんと調べろっちゅーに……(11/14)

 え〜、11/11付けの日記で話題にした「ベルリンの壁崩壊」ですが、先ほど、検索をかけた結果、1989年11月9日と判明いたしました。
 「ベルリンの壁」でGoogle検索かけたら、いきなりそのものズバリのサイトにHITするんだもんなぁ……横着しないで、ちゃんと調べろよ!>自分

 で、わたしの記憶の中にある、「10月初めに交わした会話」は、どうやら、翌1990年10月3日の「ドイツ統一」に際してのモノらしいです……そうだよね〜、壁(というか国境の検問所か?)の開放は、一夜にして突如決まった(らしい)から、あらかじめ「休講の予定」なんて立つはずがないものね……。「学生の頃」と言うと、まだ、つい昨日…とは言わないまでも、ほんの2、3年ばかり前のことのような気もしますが、数えてみれば、壁の崩壊からはすでに干支が一周してますね(^^;;)。なんというか、20世紀最後の10年間は、ジツに色々なことがあったよなぁ……しみじみ。
 もっとも、21世紀最初の10年間は更にとんでもないことになりそうだけど、なんとか生き延びて、また「げ〜、あんなことあったのに、もう忘れてるよ〜」なんて焦ったりできればいいなぁ…。


Netscapeユーザーの方々ゴメンナサイm(__)m(11/20)

 今まで、写真と文章が重なっていて、非常に見づらかったことと思います。
 今日、久〜しぶりにNC4.7でチェックして唖然、呆然……慌てて、タグを修正いたしました。過去の「絵画風フィアナさん」も同様のミスをしていたので、約2ヶ月にも渡って、ネスケユーザーの方々にはご不自由をかけていたのですね……ごめんなさい〜〜。
 ネスケ4.7は、Titania(我がPowerBook G4の愛称)の方にしか入れていなかったもので、最近の忙しさにかこつけて、チェックをさぼっておりました〜〜。先ほど、7300にもインストールしたので、今後はこんなポカミスはない…と、思う……たぶん……

 話はガラリと変わって、今日、帰りがけに買った『からくりサーカス』20巻、ルシールの旅立ち。話はサンデーの方で既に立ち読みしていたのに、不覚にも、電車の中で涙ぐんでしまいました(^^;;)。
 ルシールの千両役者ぶりもさることながら、彼女の生き様に最大限の敬意を払って、そのラストステージを魂こめて描きあげてくれた、作者のその姿勢が、もう熱くて熱くて……。
 『うしおととら』の頃からそうだったけれど、この作者は、「一人一人のキャラクターの人生」というのものに対して、本当に自分の全身全霊をぶつけて描くのよね。だから、彼ら彼女らがたとえどんな無惨で皮肉な運命を辿ろうと、ストーリーとしては時に類型的であろうと、そこに込められた作者の「本気」の熱さに、読み手としては魂を揺さぶられちゃうのですよ(^^ゞ。「わかっていても、何故泣ける!?」って……
 やれ「癒し」だ「母性の美しさ」だと、一見口当たりのいい(その実、己の甘えを正当化しているだけの)お題目を唱えながら、小手先でキャラクターの命や人生をもてあそぶ、どこかの恥知らずどもに読ませてやりてえよ。まったく……
 #読んで恥じ入ってくれるだけの感性が残ってるかどうかすらも疑わしいけど。


ひ〜らいたひ〜らいた〜♪(11/24)

 な〜んのキ〜ズがひ〜らいた〜♪
 ……って、自虐ギャグかましてどうする(^^;;)。>自分

 でも、こればかりはどうしようもないですね(^^;;)。今のワタシにとって「傷口が開く」というのはイコール、「心の一番奥底が揺り動かされた」ということだから。
  今のワタシの心の一番深いところで「核」になっているのは、この「傷」だから、わたしにとって「良い物語・良い作者」に出会うたびに、傷口開いて大出血するのは避けられない。それがイヤならそういう「良い物語」には触れないでおくしかないもの。
 でも、そんなことしたら心が衰弱死しちゃう(笑)。それくらいなら、古傷の痛みにのたうち回る方がマシです。

 使徒の存在を感知して血を流す「生贄の烙印」(@ベルセルク)とは逆に、わたしの傷は、わたしに傷を負わせたものとは「逆」のもの──わたしが最も価値を置くものを、精魂こめて扱ってくれている作品と作者──に反応するようです。
 ただ、その「最も価値を置くもの」っていうのは、わたし自身「傷」を負うまでは、そんなに重視してなかったんですよね〜。<大バカ
 人は、 「本当に大切なもの」には、喪うまで気づかないものなのか……って、自分のおバカを一般化してはいけませんね(^^;;)。

 だから、皮肉な話だけれど、この傷をつけた方々には、実はと〜っても感謝してるんですよ。 いやホントホント。ウソじゃないですってば〜(^^;;)
 この「傷」があるからこそ、昔なら通り一遍の感慨だけで通り過ぎちゃった物語にも「心が大出血して貧血起こすような感動」なんてものが味わえるわけで……それに比べたら、「傷」以前のワタシの感性は「むかしはものをおもはさりけり」ってなもんですな(^^;;)。
 そうそう「感謝」ってーもんが、最大級の「嫌悪感」や「軽蔑」を抱いている対象に対しても持てるシロモノだというのも、新たな発見でしたねぇ……まだまだ、世界は驚きに満ちています。


衝動買いな話(1)(11/25)

 土曜は、夏発行のコピー誌を増刷しにコピーセンターに出かけたついでに、久々にアキバまで遠征。
 某クスのドールスペースが更に広がっていて驚く。SDのコーナーなんて、ほんとにブティックみたい。店員さんも若いお姉ちゃんだったし……幸い、化粧ッ気はなかったですが(笑)。でも、あの調子じゃあ、そのうちSDとおソロのアンティーク風ドレスきたマヌカンが登場しかねんぞ(爆)。そうなったら、下のアニキ臭漂う某模型店とは別の意味で敷居が高くなりそうだ(^^;;)。いつも、「どーせアキバだし〜」と、洗いっぱなしの髪にノーメイクで堂々と入ってたんだけど……

 本日のお買い物は、いつの間にか来月に迫っていた(12/9だそうな)ドルパのパンフと、前々から目をつけていたお人形用チェロ。弦を支える「コマ」の作りがイマイチな気もするのですが、1800円というお手頃価格なので、妥協してもよいか…と。
 その他は、これといって煩悩をそそる服や小道具はナシ……と思ったら、ふと目に付いた「Princess of the INCAS」バービーを衝動買いしてしまいました。赤銅色の肌につり上がった目、厚い唇……というエキゾチックな(インカのプリンセスなんだから当たり前か)美貌に、「『太陽の汗』のヒロインみたい!」と思った自分は、やはり、かなり壊れていた……(^^;;;;)。
 『太陽の汗』とは、 わたしが現在どはまりしている作家・神林長平の作品の一冊…ではありますが、キャラ萌え要素は皆無。作品自体、既に品切れになって久しいというシロモノ(^^;;)。「ほら、この人形…」と見せても、解る人はまずいない(爆)。
 まぁ、例によって(^^;;)、衣装を追い剥ぎしてフィアナさんにお着せしても似合いそうだからいいんですけどね。お値段も、コレクターズバービーにしてはお手頃価格で、イベントでちょっと高い衣装をかうのと同じくらいだったし。ファンタム・レディのローブのような濃紺の南米インディオ風民族衣装と、冠(?)ほかのゴールドの装飾品がステキ……でも、脱がせられるかどうかは不明(爆)。


衝動買いな話(2)(11/25)

 (前項に続く)某クスの次は、石○電気のソフト館(というのかな?CDとかDVDだけ売ってる館)へ。一応お目当ては、『レイズナー』のDVDボックス……なんだけど、昨今のDVD売り場は、『ガンバの冒険』とか『宝島』とか、『ブライガー』とか、欲しくなるのがいっぱいあって、実に目の毒であります(T_T)。 つい誘惑に負けて別のものを買っちゃわないように、「今日は『レイズナー』を買うぞ〜。『レイズナー』買うぞ〜。レイズナー、レイズナー、レイズナー」と心に強く言い聞かせながら歩いていたら、途中で「どっこいしょ」になっちゃったり……はしませんでしたが(^^;;)。

 ともあれ、めでたく『レイズナー』と、ついでに(^^;;)未だにLPでしか持っていなかった『ボトムズ』のサントラ1〜3を衝動買い(^^;;)。「ま、いいかぁ。最近仕事キツかったから、自分にご褒美♪」と言い訳しつつ帰ろうとしたとき、ふと目に留まったのは……「20%引きセール」の棚。並べられたラインナップの中には……『未来警察 ウラシマン』が。大好きだったのよ〜〜〜。特にクロードが〜(神谷さ〜ん)。音楽も大好きだった〜。1年ばかり前、近所のTSUTAYAでサントラ見つけたときには借りちゃったもの。
 セール対象になっていたのは、ボックス2巻組のうちの1の方だけでしたが、単純に計算しても、税込み25200円。手持ちの現金は既にナイけれど(^^;)、デビットカードなら、銀行口座にはまだ先月の残業代の残りが……と、ついフラフラと手にとって、レジへ……さて、この日、わたしが使った金額はトータルいくらでしょう?(石○電気の方は、クーポン使ったりもしてるから、額面通りではないけれど…)

 しかし、同じ「自分へのご褒美」でも、オタク系のお買い物って、なんか「うしろめたさ」とか「後悔」めいた気分がつきまとうのは何故でしょう(^^;;)。これが、観劇とかだったら……たとえば、『オペラ座の怪人』京都公演のチケットを2回分とって、一泊して、できれば『キャッツ』大阪公演の当日券をとってプラス往復の新幹線……なんてことを考えれば、DVDの方がいくらか安上がりだと思うんだけど……
 思うに、わたしの場合、「芝居」や「交通費」「宿泊費」というのは、確実に「代価の分を消費する」のに対して、映像ソフトや人形関係の買い物って、「買っても死蔵される確率が高い」からかも。
 「いつか観るから〜」「いつか写真撮るから〜」になってるものが、どれだけあるやら(^^;;)。本の積ん読だって結構良心が痛むからな〜、単価が高い分、後ろめたさも増すのは当然か(苦笑)。

 というわけで、ちゃんと代価分を消費するべく、まずは『ボトムズ』のサントラをかけっぱなしにするワタシ……やっぱ、CDってLPと違ってパソコンでも聞けるのはいいなぁ……<当たり前!


近頃のお気に入り(11/30)

 モスバーガーの季節メニューにスープが復活すると、秋の訪れを感じる……というのはワタシだけではない、と思いたい(^^;;)。特に、だんだん寒さが厳しくなる今頃の季節の残業帰りなどには、つい立ち寄ることが多くなります。例年は、ミネストローネとクラムチャウダーをほぼ交互に、各6〜7回ずつくらいオーダーしたところで、シーズンが終わる、といったところでしょうか。
 今年は、ミネストローネに替わってオニオンスープが登場。コレが、個人的には大当たりでハマってしまいました。トロトロに甘くなったタマネギと、プチプチした大麦の取り合わせがステキ(*^^*)。いつもこちらを頼んでしまうので、今シーズンははまだクラムチャウダーを食してません(^^;;)。
  お歳暮用(?)ギフトセットなるものもあるようですが、他のとセットなんですよね〜。オニオンスープだけの詰め合わせってないのかな〜。お店で頼むのは、ちょっと煮詰まり過ぎの感もあるので、ウチで少し薄めて、ガーリックトーストなんかと一緒に食べたいなぁ……なんて、思ったりもするのですが。

 

追記:冬コミの原稿、まったく書けてません(T_T)。
   新規でペーパー作るなら、もう版型の案だけでも固まってないといけないのに〜〜。

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